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まあ人様に迷惑をかけておいて「不敗神話」などど偉そうな表現で述べることは不謹慎なのですが・・・・・。つまり、私が「ピンポンダッシュ」攻撃を加えていたお宅の奥様に捕まってしまったのです。週のうち数回も「ピンポンダッシュ」をされていたお宅の奥様は相当、腹をたてていたのでしょう。恐らく「あのガキ共、絶対に捕まえてやる!」と怒りを募らせていたのです。かといって私たちの方が条件的に恵まれていますし足も速いのです。奥様は考えたのです。チャイムが鳴っても正面玄関にはいかず裏口から外に出てゆっくり正面玄関に行き一気にガキ共を捕獲する。このシナリオ通り奥様は裏口から出てこられました。そして3名のうちチャイムが鳴らしていた私が逃げ遅れ捕獲されてしまいました。私は腕をつかまれた事は今でも覚えているのですが詳細については全く覚えていません。それどころかこの現場にいた残りの友人2名が誰だったかすら忘れていました。でもこの日、その消えかかっていた思い出の確認が出来たのです。残り2名のうち1名はまさに今、私の眼前で美味しそうに地ビ-ルを飲んでいるこの同級生だったのです。彼が私が捕獲された模様をはっきり覚えていて「あの時一緒にいたのは俺だよ」と告白するではありませんか!彼の説明に黙って耳を傾けていますと「お前(私のことです)がチャイムを押し推し続けていたらその家のおばさんが裏口から回りこみお前の腕をいきなり掴んだんだよな。俺達はもうビックリさ。お前は腕を上下に振って何とか振りほどこうと必死だったよ」などと笑いながら言うではありませんか。私は「それにしてもよくそんな昔の光景を覚えているな。この事件以降よほどマジメな人生を過ごしてきたんだな」と同級生に対しある種、尊敬の念すら覚えました。彼の説明は続きます。「でも小学校2年生なんて力がないから逃げられないんだね。お前は観念した様子だったよ」まあ仕方ないですね。しかし次の彼の発言に私は根拠の無い誇りを持つことが出来たのです。「おろおろする俺達にお前は“おい、俺に構わず逃げろ!”と叫んだんだよね」う-ん。やりますねえ。私は幼いながら“自分が罪を一身に受ける覚悟”を持っていたのです。我ながら感心しました。(悪いことをしておきながらではありますが)彼らが逃げた後、私はこのお宅の奥様にしこたま怒られた記憶がありますが明確には覚えておりません。さすがにこれ以降、この手の悪さはしなくなりましたが他の悪さを発案し時折、実行していたと記憶しています。(さすがにこれ以上は書けません)この歓談は21時まで続きました。今はとても堅い仕事に就き100名近い部下を有する同級生ですが幼い頃はやんちゃだったのです。久しぶりに童心に戻った1日でした。
2009.07.31
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札幌市は異常な湿度の高さです。湿気に悩まされパソコンに向かう気力が少しずつ失われています。早くスカッとした天気にならないものかと毎朝、空を見上げております。そんな不快指数が高い気候が続くなか先週土曜日に友人が我が家を訪問してくれました。というより正確には私が友人を呼んだのです。その友人というのはゴ-ルデンウイ-ク休暇に35年ぶりで会った小学校時代の同級生です。この同級生、ビ-ルがとても好きなお好きな様ですので我が家にある地ビ-ルを味わっていただこうと考えた次第です。私はビ-ルは苦手ですが地ビ-ルは身体に合うのか好んで飲みますね。先日も触れましたけど「銀河高原ビ-ル」が先輩から送って頂きました。更に「妙高高原ビ-ル」が私の師匠から届きました。この「妙高高原ビ-ル」は私が唯一の師と敬愛する方が経営する会社で製造されています。私が地ビ-ルを好む様になったのはこの「妙高高原ビ-ル」のお陰です。しかしいくら好きでも一人では一向に減りません。(私、お酒が強いわけでもありませんし)ならば同級生の出番というわけです。それにしてもこの同級生、飲みまくりましたねえ。「よくぞこんなにビ-ルばかり飲むことが出来るものだ」とつくづく感心してしまいました。それでも飲んだ量が量だけに結構酔っていました。そのせいか私の小学2年生時の失敗談を語ってくれました。一般的に言われる「酔いにまかせて・・・・・・」というヤツです。当の本人たる私でさえいつの間にか忘れてしまっていた失敗談なのですが同級生は、はっきりと覚えていました。それ位、衝撃的な出来事だったのですね。その失敗談とは「ピンポンダッシュ失敗事件」です。「ピンポンダッシュ」についてお判りでしょうか?つまり“見ず知らずの他人の家のチャイムを鳴らし家人が出てきたところで逃げる”という今の世においては間違いなく“犯罪”扱いされる行為(お遊び?)です。拙ブログをご覧の皆様のなかにも経験されたことのある方は少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?それにしましても今から30数年以上も前の出来事です。私も同級生もすばしっこかったものですから学校帰りに「標的」を定めつつ楽しんでいました。(とんでもないガキ共ですね)「標的」になる御宅は玄関がガラスのドアでなければいけません。そもそも、こんなくだらない悪行の面白さは「標的」のチャイムを鳴らしてから家人が玄関に出てこられるのを見てから逃げることにあります。家人が奥から出てこられて、時には怒鳴られることにスリルがあったのかもしれません。私と同級生は1度たりとも捕まったことはありませんでした。しかし過去に何度か「標的」にした御宅に攻撃を仕掛けていた時、不敗神話が崩壊したのです。(以下続きます)
2009.07.28
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ここ数日、公私共に多忙で更新できませんでした。それにしましても札幌では晴天を見ることができない状態が続いております。おまけに湿度が異常に高いのです。我家には湿度計を設置していますが朝から70%を超えております。高湿度がが苦手な私はすぐにエアコンの「除湿」のスイッチを押します。まだ気温が低いので不快感を感じることなく過ごすことができるのですが今日はいつもよりも湿度が高いような・・・・・・。気温が低いと過ごし易くはなるのですが農作物の生育を考えますと喜んでいられません。そんな心身ともにスッキリしないなか昨日はビアパ-ティ-に出席しました。とある会が主催した催しで、私は招待いただいたのです。中小企業の経営者が多く集まっておりました。昨日はビ-ルを飲むにはベストの気候だったかもしれません。蒸し暑くて・・・・・・。私はビ-ルが苦手なのでジュ-スをいただいておりました。始めに代表幹事さんが挨拶されました。この方、挨拶慣れされているとお見受けしました。長すぎず流暢な挨拶でした。「最近、お母さんの話は一向に耳にしません」といきなり始まるではありませんか!話を聞いている人は「ん?」と嫌がおうにも代表幹事さんに注目します。続いて「お父さんの話ばかりが聞こえてきます」と。ここでの「お父さん」とは「お倒産」の意味だったのですね。まあ暗い内容ではあるのですがこんな話を笑って聞いているメンバ-ばかりでしたからまだまだ余力はあるのでしょうね。会場のホテルの中庭ではビアガ-デン風に設営されプロ野球・オ-ルスタ-ゲ-ムが大きなスクリ-ンに映し出されていました。この中庭のテ-ブルは全て満席でした。とても巷で言われている「不況」を感じることができない空間でしたね。良い事ではあるのですが・・・・・・。ただ経済は生き物です。政治と同じく「一寸先は闇」ですので油断せず“牙”を磨いておくことも肝要ですね。
2009.07.25
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連休最終日の20日は気分転換を兼ねて夕張市に行きました。当初は温泉にも行こうと考えましたが疲労蓄積のためか、はたまた前日、2時まで起きていたためか寝坊してしまい断念しました。それで予定変更しましてゆっくり行くことにしたのです。途中、警察が車の速度違反取り締まりもしていましたし。夕張ではビックモロ-さんを訪問。夕張メロンを購入しました。諸澤社長からカットメロンをサ-ビスしていただきました。やはり夕張メロンは他種類に比べ果実の柔らかさ、濃厚な甘みなど遥かに勝っております。自宅用に購入した夕張メロンも先程食べました。2分の1を一気に。本当は1個丸ごと食べたかったのですがお腹が冷えるといけないので明日の朝にします。今年の北海道は寒いくらいの気候ですが夕張メロンを食べると「夏が来た~」と感じる次第です。皆様もよろしければビックモロ-さんを訪問してみて下さい。住所は夕張市清水沢清栄町109番地です。諸澤社長の目利きは超一流ですから。通信販売も行っておりますのでお電話(0123-59-7770)にてお問い合わせ下さい。(HPは現在ございませんので注意されて下さい)以上、宣伝も兼ねさせていただきました。
2009.07.21
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皆さん3連休はいかがでしたか?私は1日だけ出社しました。内勤業務がメインですので3日連続で休んでしまうと仕事のリズムがおかしくなってしまうのです。それにしましても金曜日に騒ぎすぎて3日間、ずっと心身とも疲れが取れませんでした。そんななか土曜日は、知人と会うため札幌市内某所まで車を走らせました。途中、しばらくお目にかかっていない知人が経営する会社の近くまで来たことに気づいたのです。知人と言っても年齢は82歳(確か?)。もう会社は引退されているのですが相談役という肩書きをフルに生かして、時々出社してはかつての部下(今は役員さんです)にハッパをかけているとこの会社の役員さんから聞いておりました。この日は土曜日でしたがどうも会社に社員がいる気配でしたので思い切って電話しました。すると相談役がいるというではありませんか。とりあえずお顔だけでも拝見しようと近くのお菓子屋さんで和菓子を購入し会社を訪問しました。この相談役とは今から15年くらい前に、ある勉強会で知己を得ました。以来、年に数回はお目にかかる関係が続いております。この相談役は歴史に関心が深く幕末あたりの本を相当読み込んでおられます。当然、西郷隆盛先生に関しても詳しく西郷ファンでもあります。(多分?)私が年に一度、西郷隆盛先生のお墓参りのため鹿児島に行く事を大変評価して下さっております。この日も西郷先生の話を少しだけしてお暇する予定でした。お目にかかり「最近夏らしくない気候ですね」とまずは天気の話題を。それから来る総選挙の話をしていますと相談役に来客が。相談役と同じくらいの年齢のおじいさんが相談役の部屋に入ってきました。相談役の紹介によると「私の大学時代の同級生だよ」とのこと。この日、東京から相談役を訪ねてきたそうです。このおじいさんと相談役との話を脇で聞いていた私ですが何やら昔話が延々と続くので「では私はこのへんで失礼します」と席を立つと相談役が一言発しました。「彼は西郷隆盛さんを尊敬していて命日には必ずお墓参りに行く感心な男なんだ!」ここまではいつもと変わらぬ展開でした。しかしこの日は全く異なった状況に追い込まれてしまったのです。このおじいさん何を聞き違えたのか「西郷さんの末裔ですか?従道さんの系列?」と立て続けに質問を浴びせてきました。私は当初「このおじいさん何を言っているのかな?」と発言の意図を訝りました。どうやら私を西郷隆盛先生及び兄弟の子孫と聞き間違えたらしいのです。相談役は特に事実を説明することもなくひたすら鹿児島の話を続けます。おじいさんはますます私に興味を示し「西郷従道(西郷隆盛先生の実弟)さんの曾孫のお子さんあたりですか?」と再び訊いてきます。私は困り果てて「いえ従道さんの系列ではありません(というか自分に西郷家の血など流れていませんけど・・・・・・)」と返答したのですが今度はもっと恐ろしい展開が。「とすると隆盛さんの方か!」(いえ違うのですが・・・・・・)「どうりで似ていると思った。さっきから似ているなあと思っていたんだよ。よく見ると従道さんより隆盛さんに似ているね。」(勘弁して下さいよ・・・・・・)私は再度「いえ違うのですが・・・・・・」と重ねて否定したのですが一向にお耳に入らないようで。「私の従弟が鹿児島の“せんだい”に住んでいたことがあってね」とのお言葉につい私は「あ、そうですか。川内と書く“せんだい”ですよね?」と言ってしまったが最後。「さすが鹿児島の人は詳しいねえ」と。(あのう、私、鹿児島人ではありませんが・・・・・・)更に「北海道の人と鹿児島の人は不思議と仲が良いらしいねえ」と決め付けていました。私は冷や汗タラタラ状態で相談役の部屋を後にしました。竹社長(西郷隆盛先生の遠戚)の様なお立場なら「遠い親戚です」と言えたのですが・・・・・・。私、今より体重があって髪の毛を上げ額を出していた時は「西郷さんに似ている」とからかわれたものですが今は痩せましたし髪もジャニ-ズ系ですし。不生庵逸人様、酔鳳様、私は西郷先生に似ていましたか?
2009.07.20
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先週の金曜日は友人の誕生会をススキノで開催しました。もう40歳を過ぎて友人も決して嬉しくはないのでしょうが親しい仲間が集まりワイワイ騒ぐのが楽しいのです。場所はススキノの「ささき」でした。個室を予約していました。周囲に気兼ねせずに済みますので。「ささき」も開店1周年ということで「特別コ-ス」を提供してくれました。一応常連ですから。冷たいコ-ンス-プやお刺身盛り合わせなどいずれも新鮮な素材で美味しかったです。「白老牛」の鉄板焼きも登場しましたが写真は撮り忘れました。一通り食べ終わった後に「エスカロップ」を追加注文しました。(いい年して良く食べました)バタ-ライスの上にカツが乗っていてデミグラスソ-スがふんだんにかけられている絶品ですよ。締めはもちろん「バ-スデ-ケ-キ」。きのとや(札幌市で有名なケ-キ屋さん)さんから取り寄せました。仲間の1人はギブアップしケ-キを口にすることは出来ませんでした。「ささき」を出た後はひたすらカラオケで唄いまくりました。解散は何と1時30分。この段階で帰宅・・・にはならず、私を含む3名はラ-メンを食べに行きました。楽しくも不健康な夜でした。たまにはこういう夜も良いものです。
2009.07.19
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今週月曜日(7/13)は中川義雄参議院議員のセミナ-に出席しました。この手のセミナ-に出席することは多いのですがその内容は「講演会」です。主催する議員と来賓の国会議員がそれぞれ壇上で自身の政策を演説するといった形式です。いわゆる「パ-ティ-」とは異なります。かつてはその様な形式が当たり前でしたが10年くらい前からは殆ど消滅してしまいました。私が東京にいた頃は高級ホテルで「パ-ティ-」が開催されていまして料理もそこそこ良いものでしたね。仕事柄、月に1度は出席していましたがなんと言うか「立食パ-ティ-」の延長の様な趣でした。どの会場にもお寿司のコ-ナ-が必ずありましたが、ここは常に満員。長蛇の列をつくっていました。懐かしい思い出ですが、この頃の会費はパ-ティ-券1枚・20,000円が当たり前でした。ゼネコンは1社につき最低10枚は購入していたのではないでしょうか。その後、政治改革が断行されたり、不景気が続いていることから1枚・10,000円が常識になっております。(希ですがコ-ヒ-1杯出さずに1枚・20,000円の券を売りつけるアホな国会議員もいます。今回、あえて名前は申しませんが)前置きが長くなってしまいましたが中川義雄参議のセミナ-は毎年開催されております。私が北海道内において唯一親しくさせていただいている国会議員はこの方のみです。(自民党では)この日は前日に投開票された「東京都議会議員選挙」惨敗を受けて混乱する自民党内の話題が飛び出すことを期待してか大勢のマスコミ関係者が顔を出していましたね。でも「核心部分」を大勢の前で話す国会議員など皆無ですよ。多少、都議会議員選挙の結果について両名とも触れましたが。そういえば中川参議は「私が最も嫌う人種であるタレントまがいの人物を自民党がリクル-トして党内混乱を引き起こしたばかりではなく国民からも厳しい視線を向けられた」とは仰っておられました。中川参議も“あの人”嫌いだったのですね。当日の「公演内容」の殆どは政策中心でした。ゲストは若林正俊参議院議員。中川参議のお仲間です。若林参議は農林水産省出身ゆえこの日の公演内容は農業問題が9割を占めました。その中身は割愛しますが大変参考になりました。しかし会場到着が遅れた上に1時間も話をされたので終了時刻が18時15分でした。集まった皆様、すっかりお疲れのご様子でした。私はこの後、懇親会に出席しました。旧知の関係者が参加していてお互いの近況報告をするのは意義あることですが「挨拶疲れ」をすることも事実です。少し疲れました。政治家(候補者)は多い日で1日に1000人以上もの人に挨拶し握手までするのですからその点では大変なお仕事です。たまには政治家を評価してあげなくては。
2009.07.17
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東国原宮崎県知事のことです。自民党の古賀選対委員長が宮崎県に出向き「自民党からの出馬」を東国原宮崎県知事に要請した際に私は「驕る無かれ」と拙ブログにて申し上げました。ここ数日の東国原宮崎県知事に関する報道を見聞きするに一気に奈落の底に突き落とされた感があります。先に開催された全国知事会においても存在感が無かったそうですね。東国原宮崎県知事が「知事会として政治的主張をすべき」と従来の説を述べ、挙手による採決を採ろうとしたらしいのですがあっさりスル-されてしまったとか。そりゃあそうです。知事さん達とて一筋縄ではいかない方々が殆どです。選挙という修羅場をくぐり抜けてこられた方ばかりなのですから。これまでの東国原宮崎県知事の言動(他県の知事からみるとスタンドプレ-?)を苦々しく感じていた知事も少なからずいらっしゃったでしょうし。政治的パワ-を失った(元々そんなパワ-など無かったのかもしれませんが)人間に対して配慮するはずはありません。繰り返しますが東国原宮崎県知事は自分の能力を過信し“人気と支持を履き違えていた”のでしょう。当選直後に開催した自身のパ-ティ-において建設業関係者が多数、出席していたとかいう報道を昨日、目にしました。旧来の自民党議員と同じ行為をしたのですね。この報道が事実なら「脱談合」を訴えて当選したにもかかわらず建設業者にパ-ティ-券を購入してもらっていたという有権者に対する背信行為に走っていたのですね。まあこういったマイナス報道がされるということは東国原宮崎県知事の権威が失墜したことを如実に表していますね。あ、それから申し上げておきます。私は「水に落ちた犬を叩く」趣味はありません。ですから東国原宮崎県知事が再び“騒動”を起こさない限り拙ブログで彼を批判することはありません。その上で申し上げます。今後、東国原宮崎県知事が晴雲秋月の如く振る舞いを正し、宮崎県民から本当の支持を得られる事が無ければ次の選挙で敗北が待っているでしょう。宮崎県は政争の地ですから。ともあれ東国原宮崎県知事の不出馬は、健全な保守政党の樹立を望む私としましては少し安心した次第です。
2009.07.15
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本日、帰宅するとお中元が届いていました。 宅急便の送付状を見ると大学時代に所属していたサ-クルの先輩からということが判りました。箱を開けますと中には「銀河高原ビ-ル」がびっしり納められておりました。 私は普通のビ-ルはあまり好まないのです。最初の一口は美味しいのですが二口目からはただ苦いだけで・・・・・・。おまけに悪酔いしてしまいます。ただ不思議と「地ビ-ル」だけは昔から相性が良いのです。酵母が含まれているからかもしれませんが。この「銀河高原ビ-ル」は岩手県の地ビ-ルとしてあまりに有名です。そういえば、送って下さった先輩は岩手県のご出身でした。この先輩、現在は東京都選挙区を地盤にする自民党代議士の公設秘書をされています。ちなみにこの代議士は頻繁にマスコミに登場します。警察庁出身です。ですから先輩は私が上京する度に「東京都内で何か問題を起こしたらすぐ電話するように」と私をからかうのです。私が警察のお世話になることなどないのに・・・・・・。とはいえ最近は殆どありませんが、かつてはよく警官から職務質問されていました。車に「日の丸」のステッカ-を貼り付けていたせいかもしれません。(この話はいつかご紹介させていただきます。)この先輩には学生時代、色々とお世話になったのです。北海道出身の田舎者ゆえ右も左も判らなかったですから。正月は皇居への一般参賀参列。夏の猛暑のなか靖国神社参拝。秋は富士山の自衛隊演習のチケット手配と見学。色々な経験をさせていただきました。そういえばこの先輩、かつて衆議院選挙において小沢一郎氏と戦ったご経験もお持ちなのです。現在は秘書稼業に専念しておられ、ご本人も選挙に出る意思はあまり無いと人づてに聞いております。しかし時代が荒れてきたならば先輩の様な誠実で、国を愛する人物の台頭が求められるかもしれません。そうなれば私も・・・・・・などとは夢想だにしませんがこの先輩ご出馬の暁には、ご支援は徹底的にさせていただこうと考えております。と勝手な考察をしながらいただいたビ-ルを早速味わっている私です。そろそろ酔いがまわってきました。来月は総選挙が施行されるでしょう。先輩のご健勝とその親分さんの当選を北の大地からお祈りしております。
2009.07.14
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昨日、投開票された都議会議員選挙の結果は想像していた以上に民主党への追い風を感じました。なかには告示の9日前に立候補表明し自民党の強豪に競り勝った候補者もいました。もうこうなると候補者の中身よりも「民主党」という看板が当選への近道ともいえます。公明党はこの選挙を重視しており必勝体制をひいたので候補者全員当選という完璧な戦いでしたね。その割をくったのが自民党です。麻生総理は早くも解散宣言してしまいましたからいずれにしましても投票日まで体制を少しでも立て直すことが求められます。もっとも表紙だけ変えても国民はただただうんざりするだけで効果は薄いと私は考えます。さて今回の都議会議員選挙において「自民党(中央)の混乱劇」の一つに東国原宮崎県知事出馬騒動が挙げられます。自民党の責任者は東国原宮崎県知事を「党の顔」に据えて有権者の関心を惹こうとしたのでしょう。マスコミも連日連夜、東国原宮崎県知事を登場させ、煽りに煽っていました。でも日本国民はその茶番劇を受け入れるほど愚かではありません。世論調査でも「東国原宮崎県知事が自民党の顔として出馬することに反対」という数字が圧倒的に多かったと記憶しています。いくら自民党執行部が「国政と都政は別」と叫んだところで、党の選挙対策責任者が宮崎県に出向き東国原知事に出馬要請をしに行った時点で、この一連の動きと都議選がリンクしてしまったのは当然のことといえます。何せ民主党は「政権交代」を前面に出し、都議選を戦ったのですから。さて、東国原宮崎県知事、ご本人も当初は意欲的でしたが自身に対する批判が強まっていくとト-ンダウンしましたね。有権者は騙されませんよ。小泉郵政選挙でしっかり勉強していますから。東国原宮崎県知事が日本の針路を真剣に考えていないこともお見通しでした。彼の単なる目立ちたがり屋の性格と自分を高く売り込みたいというパフォ-マンスにウンザリした有権者が大部分だったのではないでしょうか?地方自治とはタレント業と兼務して遂行できるほど単純な内容ではありません。彼が叫び続けた「分権」ですがいざ「分権」が実現してそれからどんな自治運営を行うか一言も述べていませんでした。中央官庁(霞ヶ関)の押し付けや干渉が地方に多大なしわ寄せを及ぼしていることは事実であります。しかし中央官庁の助言や構想を無視することは賢明ではありません。一地方内でのみ事業内容を決めてしまうと目先の利益を追求することになりかねません。これまでも今も地方には「ボス」がいるでしょう。こういう人種が彼らの仲間内の利益を得るためそれこそ無駄な公共工事を生み出しかねません。話がそれましたが、評論家の櫻井良子さんはかなり辛辣な表現で東国原宮崎県知事を批判していました。確か「過去に逮捕歴があり、更に淫行疑惑のある人物が総理大臣となりサミットに出席する様なことがあったら、我国は世界の笑い者になる」といった内容でした。まあおっしゃっていることは至極当然であります。まともな企業に勤務するサラリ-マンが同じ様な罪を犯したら間違いなく懲戒免職ですし世間の表舞台に再浮上することは困難でしょう。東国原氏は宮崎県知事就任以来、常に話題の中心に位置していたので自分が世の中の中心的存在と錯覚していたのかもしれません。宮崎県内でなら、そうした錯覚も通用することもありましょう。しかし日本国全体でその様な驕り高ぶった錯覚は嘲笑の的でしたありません。以前も触れましたが古今東西、「独裁」が永続することはあり得ないのです。(特に民主主義国家においては)隣の国・北朝鮮でさえ崩壊の足音が少しづつではありますが聞こえています。今回の自民党公認での出馬騒動により東国原宮崎県知事を支持する宮崎県民が減少する可能性は否定できません。国民から嫌悪され、ひいてはマスコミからも見捨てられる・・・・・・、こともないわけではありません。一度、足元が崩れたトップが再浮上することは至難の業です。「驕れる者は久しからず」を他山の石として私たちは謙虚にそして前向きに進んで行きたいですね。
2009.07.13
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本日は柔らかい話題で。BBQと書いてバ-ベキュ-パ-ティ-の意を表すそうです。昨日は毎年恒例の我がマンションのBBQが開催されました。今年で4回目の開催になるのですがマンション敷地内で住民が集い親睦を深めるのです。マンション販売会社・管理会社社員に訊きましたらこの様なイベントを実施しているのは我がマンションのみだそうです。確かに珍しいことかもしれません。我がマンション住民はBBQに限らず「忘年会」ですとか「新年会」の類が大好きな方が多く出席率も高いです。昨日も30数名が集いました。毎年のことゆえ各々の役割分担は決まっています。私は炭おこし担当です。重鎮の北海道大学教授は買出し担当です。年齢・肩書き関係なく皆、楽しく準備に励むのが良いですね。こちらは私が起こした炭です。真っ赤に燃えています。基本的に肉や魚介類を焼くのは男性の仕事(?)です。ですから男性陣は食べるよりも焼くほうに時間がとられます。でもお年寄りや子供さんが楽しそうに頬張っているのをみると、それだけで十分です。それにしましても札幌はBBQが好きな方が多いせいか、皆さん手際が良いです。シシャモは歯ごたえがあり美味しかったです。焼きソバなんて簡単に作ってしまいますよ。12時スタ-トでしたが11時からビ-ルを飲む人も多く14時近くまで盛り上がりました。皆さん、元気で無事だから出来る行事なのですよね。来年も開催できることを願っております。
2009.07.11
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「談合」の話題は前回で終了するはずでしたが一つ書き忘れたことがあります。それは「天下り」です。これを書かなければ不公平になってしまいますので少しだけふれてみます。あくまで建設業界内でのことですよ。どこのゼネコンにも役所を退職して天下ったOBさんと呼ばれる方が勤務されていると思います。私が勤務していたゼネコンにも何名かいました。この方々、決して性格は悪くありません。むしろ温厚なのです。当時、若かった私の様な者に対しても気さくに話をしてくれましたから。このOBさんの役割はただ1点です。発注官庁からの情報入手及び営業活動です。OBさんはプロパ-社員に比べ発注官庁とのパイプは遥かに太いです。それは当然ですよね。かつて自分が面倒を見た部下が相手なのですから。仕事抜きの単なる学校の先輩後輩との関係でしたら問題はありませんが、国民の税金を扱う公共事業に関わることになるとそうはいきません。かつて面倒を見たとかのレベルではなくあくまで「公平・公正」でなければいけません。昨年、北海道を揺るがせた開発局汚職事件ではこの「人間関係」が大きな役割を果たしていました。北海道開発局の実質的トップと北海道の建設会社に勤務するOBも逮捕されるという、まさに北海道開発局内の人間関係が生み出した犯罪でした。これで懲りたと思いきや、北海道開発局ではつい先ごろ、再び同じ様な不祥事が発覚しました。やはりこの役所は廃止した方が良いですね。北海道庁OBさんも建設会社に天下っている様ですがそれほど露骨な営業はしていない様です。逮捕されたくないですからね。私の友人にも北海道庁勤務者がおりますが、さすが若手は建設会社からの接待は嫌がります。中にはあまりに警戒する余り「ススキノでは誰に見られているかわからないので違う場所で飲もう」という友人もいます。割り勘なのですけどね。まあ用心するにこしたことありませんが。札幌市役所にいたっては市役所OBが発注関係部署に出入りすることすら禁止されています。中に入り込んで今後発注予定工事の落札価格を聞かれてしまうことも無いとはいえませんから。かなり厳しい処置ですがこれくらいしないと汚職・談合はなくなりません。これも市長が代わったからでしょうね。今の市長が就任する前は共産党を除くオ-ル与党体制でしたから。時代は確実にOBと現職員との馴れ合いを遮断する方向に進んでいます。建設業界は厳しい状況に追い込まれますが、事業としては必要な内容のものもあります。王道を歩んで頂きたいものです。さて政権交代の足音が近づいています。新政権が公共工事がらみでどんな縛りをかけるか楽しみであります。「談合」についてはこれでひとまず終了します。また機会があれば書きたいと考えております。最近、マスコミ関係の友人との接触が希薄になっております。せめてメ-ルでもいいので情報交換してみようかと考える次第です。
2009.07.10
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今回も前回に引き続き「談合」の話題で。そういえばバホバホ様から「内部関係者のこういう告発ものはドキドキします。*^_^;)」とのコメントをいただきました。あれ?私告発してますか?単なる「回想録」として何も考えず書いておりましたが。マズかったですかね?さて建設会社が自社の社員を議員の応援に行かせるには何か目的あってのことです。よほど魅力ある議員でしたら損得抜きに経営者が応援に行かせることはあるかもしれませんが、商人という人種はそんなに純粋ではない方が多いのでは・・・・・・。それに応援する側が「何の見返りも無く手弁当で応援したい」と思う議員など皆無でしょうし。ですから大方、議員から仕事に結びつく情報を得るために社員を派遣しているのでしょうね。この件は「談合」とは直接かかわりがありません。あくまでも「枕言葉」です。といいますのも数日前、私の友人からメ-ルが入りました。「近いうちに会いましょう」という内容なのですが、この友人、現在建設会社に勤務しており担当はまさに営業です。彼とは国会議員の選挙を一緒に携わったりしたこともあり定期的に会い、話をしています。(「談合」はしませんよ。)その友人の内容を紹介させていただくと「現在、建設業界では「談合」は無きに等しく入札はガチンコの勝負です。ですからかつての様な横の繋がりも薄れてしまいました。少し寂しいですがこれからが本当の勝負だと思っております。」とのこと。さすが北海道でも優良の範疇に入るゼネコンの社員です。いまどき「談合」に頼っていたら近い将来、破綻が待っていることを理解しているのです。バブル時代、酒を飲みながら偉そうにしていた「談合屋」さんの存在価値も薄れていくのでしょう。更に友人は「時期総選挙の手伝いはしません。選挙など携わっている余裕はありません。」ともおっしゃっておられます。本当に時代は変わりました。それもすさまじい速さで。建設業界でもやっと競争原理が働く様になったのですね。私はこの友人のメ-ルを紹介したくあえて「談合」をテーマに採り上げたのです。「談合」がなくなっていけば議員が付け入る余地はありません。それゆえ無駄な予算を計上する必要もありません。(かつて、建設会社は議員に対するお礼として受注金額の数パ-セントを上納していたと言われています)最終的に本当に必要な事業(工事)を適正な価格で実行するという本来あるべき公共事業の形態に進展していく事を私は願っております。「どうしても談合は無くならない。必要悪だから!」などとうそぶく方がいます。でも無くす方法は簡単です。処罰内容を厳しくすれば良いのです。例えば「官製談合」に関係していた公務員は即座に懲戒免職。そして年金受給資格剥奪にするとか。企業の場合は5年間の営業停止。これで必ず倒産します。倒産しても代わって仕事を担当出来る企業は幾らでも存在しますから大丈夫です。でもそうなると自民党の議員は困るかもしれません。公共事業に関わることが出来ずに、資金源が断たれることになるからです。政治にお金は付きものです。となると何らかの集金方法を定着させることも必要です。例えば個人献金をしやすくする法整備ですとか、お金が掛からなくても活動できる政治スタイルの模索とかですね。そうでもしないと田舎の小金持ちしか政治家として活動出来なくなりますから。そういえば数年前、私がゼネコンに勤務していた当時の上司も話していました。「今は昔と違って工事を受注してもなかなか利益が出ないよ」東京は数年前から厳しい状況に置かれており、色々と対策を練っていたのです。北海道は相変わらず変革のペ-スが遅く甘いですよ。そのくせ危機感が薄くて・・・・・・。もっとも大都市以外は同じかもしれませんが。
2009.07.09
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政官財汚職の根源の一つとも形容される「談合」。 これまで多くの逮捕者を出し、今もレベルの大小はあっても時折、ニュ-スになっております。その「談合」問題の代表的業界は言わずと知れた建設業です。近年、逮捕者を出すなどの大きな事件としてしばしばマスコミを賑わす「談合」は「官製談合」ですね。発注者たる公務員が退職後、利権確保の手段として甘いミツを吸うために彼ら主導で画策するシステムです。北海道では開発局が昨年、今年と2年連続で摘発されています。(昨年は実質的なトップが逮捕されました)対して、もう一つの「談合」は民間企業(建設会社)が担当者を選抜し、その担当者が落札価格を決めたり、落札企業をきめるというシステム(?)です。いわゆる「業界」と呼ばれている組織です。いずれの「談合」も本音と建前が横行し、時として「公然の秘密」と化しているのです。私はかつてゼネコン(建設会社)に勤務していましたので多少なりともその実態を見聞きしています。私が勤務していたゼネコンは当時(今から10数年前まで)、北海道トップの規模を誇っていました。しかし北海道でトップであっても全国レベルでは中堅規模のゼネコンでした。私は東京で勤務していましたがたまに上司に連れられて同業他社の方々との打合せ(まあ飲み会ですね)に参加することがありました。その殆どはス-パ-大手ゼネコンの担当者です。彼らは「談合屋」と呼ばれていたのではないでしょうか。私の上司は大手企業の「談合屋」を前にして少しは、萎縮していましたがそれでも人柄が良かったためか可愛がられていた様です。当時はバブル全盛期。私の上司はゴルフ・飲み会と忙しかったですね。私を時折連れて行ったのは深夜まで彼らに付き合わされるのを避けるためだったと勝手に想像しています。まあ「今日は若い社員がいますのでこの辺で・・・・・・」ということですね。多分。それにしましても、いくら入社して間もない私でも彼らの会話から察するに「この業界はいずれ衰退していくだろうなあ」と感じていました。というのは、この業界自体、国家に寄生し、自由主義経済ですとか競争原理が全く機能していなかったからであります。ということは国力衰退とともに弱体化する運命に置かれていたのです。彼らが扱う物件は全て公共事業で、原資は国民から徴収した税金です。その貴重な税金で仕事が出来るのにも関わらず「自分達大手ゼネコンが物事を裏で決め業界の慣習で中小ゼネコンにおすそ分けをする」という姿勢がありありだったからなのです。感覚が麻痺していると言うか道徳心が欠如しているというか・・・・・・。違和感を覚えましたね。そんなこともあり、建設業界を去った私ですが政治の仕事に携わる様になってまたまた彼らとのお付き合いが復活します。といっても私が「談合」の仕切り屋になったのではありません。選挙のお手伝いとして来られた建設業界の方々を指揮する立場になったのです。彼らは会社からの命令で仕方なく事務所にやってくるのですが一応、有給休暇を取得した形でお手伝いにいらっしゃいました。(一般企業の社員が業務としてお手伝いすることは公職選挙法で禁止されています)やりたくもない選挙の手伝いをされている方々が気の毒でした。会社には内緒で私は、時々彼らを解放したものです。そのことは今でも感謝されます。会社は仕事を受注したくて国会議員の事務所に無償で社員を派遣するのでしょうが、ここにも政界と財界(建設業界)の癒着を垣間見ることができます。(以下次回に続きます)
2009.07.08
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先週来、マスコミが取り上げるネタの一つに東国原宮崎県知事の去就があります。まあ私としては東国原宮崎県知事にはさして期待をしていませんし、彼程度の人物が自民党の救世主のなるとは到底思いませんのでどうでもよいといえばよいのですが・・・・・・。ただ彼が一宮崎県知事として発言したりパフォ-マンスを振りまくなら北海道民の私としては一向に構わないのですが、万が一、国会議員に就任する様なことがあるのなら一国民として無視する訳にはいきません。ましてや彼が自民党から出馬する条件として「自分を自民党の総裁として迎えること」を挙げるとなるとこれは一言発言しなくてはいけません。恐らく時期総選挙において、自民党が政権維持することは相当困難でありましょう。自公連立による政権維持とて厳しいと思われます。各種調査において時期総選挙の獲得予想議席は自民党180議席、公明党は小選挙区全滅とのこと。1年前でしたらこの数字に対し懐疑的にならざるを得ませんが日曜日に投開票された静岡県知事選挙の結果から判断しますと「十分ありうる数字」です。自民党の“落選予定候補者”は自身の保身から東国原宮崎県知事を最大限利用したいのでしょうが私はその効果は最小限に留まるのではないかと勝手に判断しています。まず日本国民は一部を除き決して愚かではありません。先の大東亜戦争に敗れ日本国民の大部分から武士道精神であるとか公に尽くす精神が喪失したとはいえ学習能力はあります。東国原宮崎県知事が自民党から出馬しても多少は話題になりますが「小泉郵政選挙」を経験した有権者はおいそれとは「その手」に乗らないでしょう。そもそも「小泉郵政選挙」時には「郵政民営化か否か」との対立軸が存在しました。しかし今回の東国原宮崎県知事出馬にはどんな大義名分があるのか皆目理解できません。私の知人の自民党員と話をしますと殆どが東国原宮崎県知事の自民党からの出馬には反対しています。週刊誌によると、そもそも東国原宮崎県知事は過去に逮捕歴があり、後輩芸人に対する暴行歴もあるそうです。更に不倫疑惑もあるとか。所詮、スキャンダルにまみれた3流芸人ですね。こんなおぞましい人物を総裁に担いでしまったら連立相手の公明党は拒否反応を起こすのではないでしょうか?公明党は女性スキャンダルを起こした候補者を支援しないと思います。自民党の山崎拓さんも女性スキャンダルで公明党支持の女性からソッポを向かれたそうですから。いくらマスコミが連日連夜彼を全面に出して煽ろうが国民の嫌悪感は増幅する可能性が大です。そういえば、伊吹文明元幹事長もそんな発言をされていたと記憶しています。また、」話の中身に思想・理念を感じさせるものはありませんし日本国家をどうしたいのかという指針ですら彼の口から聞いた事は残念ながらありません。どうも自民党は世襲議員が増え、立正佼成会・生長の家などの方々との交流が希薄になってから骨の無い軽い政党になってしまった感があります。彼らは自公政権発足以降、自民党と距離を置いておられます。自民党のなかには健全な国会議員も存在するでしょう。私は彼らと他党の健全な議員が連立し新しい政党が誕生する事を願っております。
2009.07.07
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昨日、投開票された静岡知事選挙の結果は皆さんご存知と思われます。民主党は候補者を統一出来ずに分裂選挙を余儀なくされたばかりか、鳩山代表の献金処理疑惑により相当厳しい結果になると私は予想していましたが何とか逃げ切りましたね。今回の静岡知事選挙は傍観者としてウオッチしていましたが結構、楽しめました。(不謹慎ですみません)お叱り覚悟で、楽しめた要因を申しますと何と言っても当選した川勝氏(民主党系)と坂本氏(自民党系)の獲得票の進み具合です。TVでは報道していませんでしたのでインタ-ネットで推移を見ていました。当初は坂本氏が5万票近く差をつけていました。開票率が50%を超えてもその差が拡がらないため私は「このまま坂本氏が逃げ切りかな?」と思い、さっさと寝てしまおうとしました。洗顔し、歯を磨いて就寝前に再度パソコン画面を見て驚きました。川勝氏の獲得票数が伸びているのです。23時を過ぎた頃から都市部の票が開きだしたのです。開票率が90%を越える頃には坂本氏を逆転したと記憶しています。やはり都市部は「非自民党」の有権者が多いのですね。そういえばマスコミ各社が出口調査をしましたがその数字では川勝氏がかろうじて坂本氏を上回っていたそうです。マスコミの調査能力にも完全脱帽です。私は北海道民ですので直接的には静岡の知事にどなたが就任しようと無関係ですが久々に選挙の醍醐味を楽しむことが出来ました。総選挙まで残された日数は限られてきました。自民党内の動きから目を離すことは出来ません。でも自民党員として一言言わせていただきます。「もし、そのまんま東を自民党公認で総選挙に出馬させた時点で私は民主党候補者を支援します」
2009.07.06
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インタ-ネット時代においては良い点、悪い点色々とあります。 ただ昨日の私にとっては利点を最高に味わったといえます。九州福岡県からお客様を札幌にお迎えしました。私にとりまして初めてお目にかかる方です。もちろん先方様も同様です。私が本ブログに取り組んでいる過程で知り合った方です。昨日に先立ち、同じくブログ仲間の札幌在住・不生庵逸人様とは既にお目に掛かっております。しかし不生庵逸人様と直接お目に掛かることですら本来は至難の技なのです。札幌は一応、政令市ですから連絡先を知らなければそうそう道ですれ違うことは不可能です。でもブログがあったからこそ連絡を取り合い会うことが出来たのです。情報化社会に感謝です。さて九州からのお客様は酔鳳(すいおう)様です。不生庵逸人様同様、西郷党でありまして私は酔鳳様のブログを毎日楽しみにしているのです。お目に掛かってまず安心しました。私がイメ-ジしていた方とそうかけ離れてはいませんでしたので。何といっても「すぐ私(酔鳳)だと判るようにしておきます」とのお言葉通りこんな趣向を凝らして下さいました。(ホテルのフロントの椅子にこの“錦の御旗”を置いていらっしゃいました)本当に「見参」に相応しい酔鳳様のご来札です。酔鳳様が宿泊されたホテルから1次会のコロポックルまでは徒歩で行きました。九州からいらっしゃった酔鳳様は暑がりとのことで歩きながら汗をかいておられました。(この日の札幌は肌寒い気候でしたが・・・・・・)コロポックルではまず名刺交換などさせていただき、あとは食事をしながら熱い議論が続きました。酔鳳様のブログを拝見しましたが「多少は満足していただけたかな?」と少しだけ自負しています。酔鳳様はご自身の椅子席の横に西郷隆盛先生のお写真を置かれるご配慮をしていただきました。西郷先生も喜んで下さったことと想像しております。(多分?)コロポックルには2時間30分くらいいたでしょうか。日本酒を相当多く注文した記憶があります。外はまだ明るかったですがタクシ-で札幌駅北口の居酒屋へ移動。「ぷく」へ入店する前に一服です。この頃には恐らく3名ともすっかり酔っていたでしょう。何を話したかあまり覚えておりません。ここには1時間くらいいたでしょうか。いよいよ「ぷく」へ移動です。「ぷく」では馬刺し・薩摩地鶏焼を注文し焼酎で乾杯。馬刺しは本場・熊本県から仕入れているとのことで「ただただ旨い!」が感想です。本来でしたらこの辺で「お開き」なのでしょうが流れに身を任せラ-メンを食べる事に。(でも「ぷく」のお勘定は確か酔鳳様がされたのでは?迎える側としては最大の失態を犯してしまいました)やはり札幌といえばラ-メンですよね?酔鳳様は塩ラ-メンを召し上がりたかった様ですがここは札幌ですので味噌ラ-メンを注文していただきました。この頃から不生庵逸人様と酔鳳様が握手することしきり。側で眺めていてもがっしりと手を握り合い「よかよか」を連発する光景には圧倒されました。それにしても良い酒席でした。今の私は体調と精神的な安定を考え、極力酒席には出ないことにしています。精神的な安定とは「つまらぬ人物と食事・酒を共にしない」ことです。つまらぬ人物が目の前にいるとせっかくの食事も台無しです。しかし昨夜は「解散」が名残惜しいと感じるほどでした。お互い西郷隆盛先生を敬愛し更にはその弟子である桐野利秋さん、村田新八さんを尊敬しています。それどころか弟子ではありませんが頭山満翁にも言葉では表現できない憧れを抱いております。最近は西郷先生の島流し時代の親友・川口雪蓬さんまで登場しています。初対面ではあっても抱いている志そして憧憬が共通ゆえに何の壁も利害もなく素のまま語り合えたのです。西郷先生を始め、先生を取り巻く偉人の話題で盛り上がり、あたかも明治維新前の動乱期に戻ったかの様な一夜でした。さて次はどこで集結することになるのでしょうか?メンバ-も増えるのか興味は尽きません。
2009.07.05
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今回は前回に引き続き「賊将編」を簡単に紹介させていただきます。この「賊将編」は中村半次郎が桐野利秋へと名実ともに生まれ変わった時代を描いております。徳川幕府は政権末期の様相を呈しており、各藩が政権奪取後の覇権を握ろうとしのぎを削っていました。中村半次郎さんは姑息な手段を用いて権力を握ろうとする者を得意の剣で斬ろうとします。当時、坂本竜馬、中岡慎太郎の二人が暗殺されています。この二人を斬り殺した犯人が中村半次郎さんだとの説もありますがその可能性は薄いと私は考えています。古今東西、権力を獲得するために多くの犠牲が生じます。殺伐とした状況が続くのです。事実、中村半次郎さんも土井九市郎という男に命を狙われるのです。かつて半次郎さんは土井の兄を斬り殺したことがあり土井は兄の敵討ちとして半次郎さんを狙っていたのですね。やくざの抗争において「狙う側の方が狙われる側よりも圧倒的に有利」という説を耳にしたことがあります。半次郎さんは常に緊張状態に置かれていたでしょう。とはいえそんななかでも、やはり女性との交際は続きます。一度は半次郎さんの元を去った法秀尼と江戸の街中で再会するのです。この頃半次郎さんは陸軍少将にまで上り詰めており、名前も桐野利秋と変えました。明治維新が樹立し西郷隆盛先生の側近としてというばかりではなく戊辰戦争においての活躍をも認められたのです。肩で風を切って江戸を闊歩する桐野利秋さんは街中で偶然、かつての“恋人”法秀尼と再会し、かつての様な「関係」に戻ってしまうのです。面白いエピソ-ドが本著で書かれています。法秀尼と「関係」を持とうとした桐野さんに彼女が強烈な一言を発します。「半どの、その口ひげを剃りなされ」桐野さんは悩むのですが結局、髭を剃ってしまいます。さすがの陸軍少将も法秀尼の前では子供に過ぎなかったのかもしれませんね。私も桐野さんには髭は似合わないと思います。桐野さん、どちらかというと童顔ですから。桐野さんは他にも邸宅の女中をしていた“おまき”とも男女の仲になります。こちらは相当若かったみたいで羨ましいことこの上ありません。しかし甘い時間はいつまでも続きません。いわゆる「征韓論」に敗れた西郷隆盛先生は明治政府に辞職届を提出し忽然と鹿児島に帰ってしまうのです。当然、桐野さんも後を追うのですが“おまき”との悲しい別れがあります。ここが桐野さんの男気というか信念を表した決断を見て取ることができます。女性よりも尊敬する西郷先生を取ったのです。あの鹿児島で初めて西郷宅を訪問した際に立てた誓い「おいは、こんお方のためなら命を捨てても惜しくはなか」を実行したのです。あとは私が敢えて紹介しなくとも歴史に関心がある方なら皆さん知っておられる結末が桐野さんを待ち受けています。鹿児島へ戻った桐野さんは開墾に精を出します。更にかつての恋人と結婚します。ひょっとしてこの頃が桐野さんの人生において一番幸せだった時だったのかもしれません。それと江戸で養子にした少年に中村の姓を与えてもいるのです。自身亡き後、跡取りにしようとしたのかもしれません。西南戦争末期、城山に立て篭もった桐野さんは従弟の別府晋介さんに「(あと数日で自分は死んでしまうが)どうも女のことしか頭に浮かばない」と語ります。桐野さんには死の恐怖を感じることはなかったのでしょうかね?桐野さんの死体には香水の香りが漂っていたそうです。私は毎年、城山を訪れるのですがここは桜島を眺めるには最高の場所です。多くの木々に覆われ野鳥がさえずり心が落ち着くのです。今では家が多く建っており当時の面影はありませんが鹿児島市内を見渡すことができる城山は桐野さんにとって最期に相応しい場所であったのかもしれません。桐野さんの一般的イメ-ジは人斬りとか無学といった類いが多いかもしれませんが法秀尼などその都度、女性を登場させて子供の様な桐野さんを描いた池波正太郎氏の手腕は敬服に値するものです。今の世に桐野利秋さんの様な人物を見つけることは至難の技かもしれませんが私自身が自分を磨くことでいつか日本のどこかで「平成の桐野利秋」と出会うことができるかもしれません。さて、これから不生庵逸人さん、酔鳳さんと大いに語り合います。西郷党の結集です。
2009.07.04
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少し前に、池波正太郎氏著「人斬り半次郎」を読み終えました。 不生庵逸人さんからお勧めいただきチャレンジした次第です。こちらの前に三好徹氏著の「桐野利秋」を読み終えていましたので内容の対比が出来ました。「人斬り半次郎」は「幕末編」と「賊将編」に分けて出版されております。「幕末編」は薩摩において身分の低い武士は「唐芋武士」と侮蔑が入り混じった呼ばれ方をされていた頃の半次郎から維新前夜、京都において活躍をしていた頃までのの半次郎を描いた作品です。桐野利秋さんは、若い頃、生まれ育った薩摩で来る日も来る日も喧嘩に明け暮れていました。それも自分よりも身分が高い武士に喧嘩を売っていたのです。「身分では負けても実力では負けない」という桐野さんの強い意志表示だったのでしょう。そんな桐野さんが西郷隆盛先生に見出されて江戸に赴く事になるのです。が、ここまでは三好氏の作品と内容的にはそれ程、変わっておりません。ここからが池波氏らしい作品になります。サムライ・桐野利秋よりも人間・中村半次郎という面にスポットライトを当てた感があります。何と言っても女性との「からみ」のシーンが多いのです。京都に発つ前には薩摩に恋人がいましてこの女性は桐野さんの子を宿していました。京都に到着したらしたでモテまくっています。浪人に襲われそうになっていた京娘を助けた事で惚れられてしまい、更にあろうことか法秀尼という尼さんとも親密な交際をすることになるのです。羨ましいですねえ。この法秀尼との密会場所は「不了庵」。なにやら映画になりそうなシチュエ-ションですねえ。もちろん女性との「からみ」のみならず刺客に襲われ刃と刃をぶつけ合う斬りあいのシ-ンも多く登場します。まあ剣の腕が立ち男前で体力があり性格も良いとくれば今の世でももてまくるでしょう。法秀尼とは男女の関係に留まらず桐野さんにとって書の先生でもありました。掛軸の文字「六月火雲飛白雪」に桐野さんは興味を覚え法秀尼にその意味を尋ねます。夏の雲が雪を降らせる。もとより夏に雪が降ることはありません。しかし異常気象が発生し通常では考えられない降雪が無いともいえない。ということでしょう。世の中の常識にとらわれてはいけない。の意ですね。まあ桐野さんご自身が常識では縛ることのできない人物であったのかもしれません。西郷先生の側近(護衛役)として常に反対勢力に生命を狙われていたゆえ、いつ死んでも後悔が無い様に豪快に生きることは本能であったといっても過言ではありません。それでいて孤児を自分の養子にして面倒をみたりと情に厚い性格でもある。純粋な精神を持ったガキ大将がそのまま成長したとでもいうべき人物が桐野さんと私は勝手に思い込んでおります。
2009.07.03
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