全4件 (4件中 1-4件目)
1
夏の沖縄旅行を申し込む際の航空会社の抽選に当たり、甲羅の幅が20cmを超えるたらばがにと、たまねぎ大5玉、じゃがいもの男爵・キタアカリ各5個、1kgを優に超えるかぼちゃ1個(キッチンスケールで量れず(^_^;))が、冷蔵便で北海道から届きました。野菜はともかく、蟹はまず土曜の晩に脚をマヨネーズでいただきましたが、ハサミ1対と脚3対なので4人家族が2本ずつ。子たちは全部食べきれませんでした。殻ごと食卓に出そうかと思いましたが、子どもには殻をむくのは無理かと思い、結局わたしが全部さばいて出しました。日曜の昼は、かに玉あんかけうどん。脚の付け根の身(ダキ身というらしい=人間でいえば肩あたり?)を全部使い、長ねぎ、わかめ、白菜各少量を醤油味のすまし汁で煮立て、片栗粉でとろみをつけてよくかき回したところへ溶き卵を入れ、火を止めてから蟹身をドボンドボンと沈めて、細うどんのかけ汁にしていただきました。たらばは、みそは無いものの、ダキ身だけでもかなりの量があり、相当食べごたえがありました。そして日曜の晩は、前日に食べ残した大きな脚の身3本を「かにきゅう巻き」にして食べ、無事食べ尽くしました。ついでに(というか、その日のメインは)かぼちゃを使ったシェパーズ・パイ。ひき肉の上をマッシュドポテトで覆わず、湯がいてつぶしたかぼちゃを使って作りましたが、塩とシナモンを効かせたためか、美味しく仕上がりました。もうすぐ来るハロウィーン向けの料理にもなりそうですね。なお、たらばがには蟹というよりヤドカリの仲間だそうです(乙島ジャコと同じですね)。ハサミ1対と、大きな脚3対、そして退化したかのような小さな脚が1対あります。
2006年10月29日
コメント(10)
野菜は新鮮なうちに生で食べるのが一番美味しいと思いますが、栗などの木の実はそうもいきません。いきおい加熱するなどして加工することになります。マロングラッセを始め大好きだった栗について、渋皮煮というものがあることを教えてもらったことがありました。今のようにインターネットなど無い時代です。料理本の盗み見から始めて、何度か失敗もありましたが、そのうちうまくいくようになりました。ということで、思い出深い栗の渋皮煮を紹介します。使う栗は重さを測っておき、ひと晩ほど水に浸けます。翌日、包丁で鬼皮だけをむきますが、渋皮を傷つけないように細心の注意を払ってむきます。ここで渋皮を傷つけてしまうと、煮いているうちに栗の実が溶け出してしまいます。渋皮だけにした栗は、たっぷりのお湯で茹でては茹で汁を捨てる、というのを3回ぐらい繰り返します。最初は真っ茶色だった茹で汁の色が、だんだん薄くなってきます(1回目に茹で汁を捨てたあたりで、栗を優しく撫でて、渋皮に残った繊維分を取り除いておくといいでしょう)。3回茹でこぼしたら、砂糖を栗の重さの8割使い、水は栗を入れた鍋にひたひたになるぐらいにして、栗が踊らないようトロ火で15分ほど煮含め、自然に冷ましてできあがりです。蜜から出して、渋皮ごといただきます。重曹を使って渋を抜く方法もあるようですが、わたしはやったことがありません。また、仕上がりにブランデーを混ぜて冷ます方法もありますが、入れなくても充分美味しいし、仕上がりが素朴です。これはお好みでお試しください。手間はかかりますが、使うのは砂糖と水だけ。これで渋皮ごと食べてしまえるのです。達成感の味わえる調理法です。
2006年10月24日
コメント(6)
パリには2回行ったことがありますが、寒い9月と温かい11月と、いずれも秋でした。道端では男の人がドラム缶を逆さにして、中で火をたいて底板で栗を焼き、「マロンショ(Marrons chauds)、マロンショー!」と叫びながら売っています。この焼き栗売りの声は、秋の風物詩にもなっています。はぜないようにナイフで皮に大きく傷をつけた栗は、日本の栗とも天津甘栗とも違って、実に渋皮が入り込んだ(くるみのような)実で、焼きたての熱い実をかじるとほのかな甘みがありました。小さなひと袋が200円ぐらいだったでしょうか。もちろん、日本の栗でも焼き栗は美味しいものです。まな板に栗を乗せて、とがった頭の部分を包丁の根元で大きく傷をつけ、中火にした魚焼きグリルで、皮が焦げるぐらいに焼きます。香ばしさとホクホクした味わいが楽しめます。粒に大小があるときは、大きな実に火が通るぐらい頑張りましょう。小さめの実は火加減の弱い場所に置いておくなどすれば、焼けすぎや乾燥を防げます。関西では丹波栗が大粒で有名ですが、生の栗が手に入ったら、なるべく早く焼くか茹でるか栗ごはんにするかして加熱してしまいましょう。ほうっておくとどんどん虫に食われます(虫の卵なんかは、知らずに食べてしまっているのかも……)。余談ながら、りんご(pomme=ポム)のなる木がポミエ(pommier)、さくらんぼ(cerise=スリーズ)のなる木がスリジエ(cerisier)ですが、栗はマロニエ(marronier)の木になるのではありません。栗は別名シャテーニュ(châtaigne)とも呼ばれ、栗の木はシャテニエ(châtaignier)といいます。
2006年10月21日
コメント(6)
柿が色づき、店頭に並ぶころになりました。最近のはやりはヒラタネ(平核無柿)ですが、以前は富有柿が多かったように思います。わたしの小さい頃は、町なかであってもそこかしこに柿の木があり、実が赤くなるにつれて秋を実感したものでしたが、近頃はあまり見かけないように思います。わたしが育った大阪市内の家にも柿がありましたが、その木は食べた柿の種から育てた渋柿でした。そのままでは食べられないので柿は買っていたのですが、中でもわたしは、よく熟れて崩れそうになった熟柿(ズクシと呼んでいた)が好物でした。甘柿をほうっておくと、熟れてズクズクになります。皮はそこそこ硬いので、注意しながらかぶりつき、中をチュウチュウ吸うか、スプーンで中身を食べたりします。渋柿なら、なり柄にちょっと焼酎を付け、数日間ビニール袋などで密封しておくと渋が抜けますが(樽抜き)、日にちがたちすぎると柔らかくなりすぎます。ただし甘柿の熟柿と違って、繊維分がとろとろにはならないので多少食感は異なります。堅い柿もいいのですが、わたしは熟柿が好きでした。木で熟れた果物は美味しいと言いますが、柿は、木で熟柿になるまでおいておくと、鳥やアリとの競争になってしまいますね。たとえ木1本でも収穫作業はたいへんなので、いちどきに実のほとんどを取ってしまいます。コリコリした柿を味わい、次にクニュクニュ、そして熟柿……。実家の木は、祖父の思い出の木でもあったのですが、もうかなり前に切って、なくなってしまいました。
2006年10月07日
コメント(8)
全4件 (4件中 1-4件目)
1