「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.11.04
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カテゴリ: 美術館・博物館
ポール・ゴーギャン(ゴーガン)は何故、妻子を残して南海の孤島タヒチに行ったのでしょうか?

ポール・ゴーギャン
​Paul Gauguin​

​『タヒチの女たち (浜辺にて) 』​ 1891年​

油彩 カンヴァス 69.0cmx91.5cm

パリ「オルセー美術館」所蔵。


光と色を追求した「印象派」の影響を受けて、

当時のアート界は、

ちょっとした「南国ブーム」となります


日本の浮世絵に憧れ続けたファン・ゴッホは、

日本の代わりに南仏アルルで生涯を終えるが、


ペルー育ちで船乗りの経験があるゴーギャンは、





ポール・ゴーギャン(ゴーガン)
​Paul Gauguin​

1848年6月7日〜1903年5月8日(54歳没)

ポスト印象派(新印象派)の画家。

ポン=タヴァン派、総合主義、象徴主義、プリミティヴィスム。


芸術はひとつの抽象作業。

自然を前にして輸送しながら、


自然から芸術を抽き出すこと (ゴーギャン)


​【ゴーギャンのプロフィール】​

ゴーギャンの性格= 毒舌家で野心家でしたが、

 その一方で、インテリで照れ屋でもありました。


家族構成= 25歳で結婚。妻はデンマーク人のメット。

 四男一女をもうけるが、別居するようになり、

 ゴーギャンは恋人と一緒に住むようになる。


よく使うモティーフ= 人物を描くことが好き。


よく行く場所= パリ、ブルターニュ、マルティニーク島、

 アルル、タヒチなど。


交流のあった文化人=

 批評家:アルベール・オーリエは、数少ない理解者だった。


尊敬する芸術家= ドガは、感性と知性に恵まれていると思っていた。



音楽と同じ振動である色彩は、

自然のなかでもっとも曖昧なもの・・・

すなわち内面的力・・・

から生まれて、

最後は、

より普遍的なものに到達するのである (ゴーギャン)



​【ゴーギャンの年譜】​

1848年6月7日(0歳) 共和国の新聞記者の父ピエールのもと

 パリに生まれる。


1849年(1歳) 一家でペルーに移住。船中で父が急死。


1855年(7歳)

 オルレアンに滞在。


1865年(17歳) 商船の見習い船員となり、

 南米のリオ・デ・ジャネイロ航路につく。


1872年(24歳) パリの株式仲買商ベルタン商会に勤務。

 この頃から絵を描き始める。


1886年(34歳) ブルターニュのポン・タヴェンに滞在。


1891年(43歳) タヒチに滞在。


1903年5月8日(54歳) 心臓発作のためにマルキーズ諸島

 ビオ・オア島アトゥオナで死去。



株式仲買人の職にあったゴーギャンは、

一家の昔からの知り合いの実業家で、

同時代絵画の収集家でもあった

ギュスターヴ・アローザの勧めもあり、

絵筆をとるようになる。


日曜画家だったゴーギャンに影響を与えたのは、

印象派の長老:ピサロだった。

彼は、

ギュスターヴ・アローザの家に出入りしていたピサロを知り、

絵画について学ぶことになった。


ピサロは若い画家たちの育成に力を注ぎ、

新印象派の形成に大きく貢献していた。


ゴーギャンは、

ピサロとポントワーズで夏を過ごし、

自分が師と認めるこの画家そっくりの風景画を描いた。


一方、室内画や人物画では、

ドガから強く影響された。

「ドガの才能と生き方は、

 芸術家がこうあるべきだ

 という希有な見本だ」


とゴーギャンは述べている。



画家になる決心をして、

35歳にして株式仲買人の職を離れ、

経済的に苦しい状況に追い込まれたゴーギャンは、

家庭とも別居し、

安く暮らせる場所を探していた。


そんな時に仲間から勧められたのが、

ブルターニュのポン・タヴァンだった。


この村に初めて滞在した1886年、

彼はパリからやってきた

印象派の代表として受け入れられた。



1888年の二度目の滞在の時には、

若い画家たちのリーダー的存在になった。

現実に見えるものと

想像の世界を組み合わせ、

明確な輪郭線と、

鮮やかな色彩で描くという

手法を生みだしたゴーギャンは、

このとき、

印象派を越える方法を見出したのだ。


その後も、

ブルターニュ、

マルティーニク島、

アルル、

タヒチと放浪し、

自らの画風を確立させることになる。



ところが、

2年後に帰国して成果を披露したものの、

作品は、ほとんど売れず。

パリに居場所を失ったゴーギャンは、

再びタヒチに渡ります。

今度こそ、

二度と帰らぬ決意とともに。



タヒチに戻っても以前の現地妻は、

別の男と結婚しており、

仕事もなくて貧乏になる一方。

病魔にも冒され、

生きる望みを失ったゴーギャンは、

最後の力を振り絞って大作を仕上げた後に

自殺を試みますが、

それも未遂に終わります。



晩年には、

タヒチよりさらに辺鄙なマルキーズ諸島に渡り、

貧困と苦痛のうちに世を去ります。


友人:ゴッホと同様に、

ゴーギャンも死後に評価され、

自由な色彩表現は・・・

マティスらの「フォーヴィスム」に

強い影響を与えたのであります。


(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2022.11.04 00:10:11
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