「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.11.17
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カテゴリ: 美術館・博物館
パウル・クレーは、元祖イクメンで主夫だったそうですよ〜子育てから得た絵画も見てみましょう手書きハート

Pul Klee(1879-1940)

KN der Schmied,1922

[KN le forgeron]

Huile,aquarelle et plume sur gaze coll ée sun carton

パリ「ポンピドゥー・センター(近代美術館)」所蔵。


子どものように・・・

無垢な眼差しでとらえた形と色彩。


パウル・クレー
​Paul Klee​

1879年12月18日〜1940年6月29日(60歳没)

20世紀のスイスの画家・美術理論家。


スイス生まれのクレーは、

父親の祖国ドイツのミュンヘンで、



同門のカンディンスキーらが結成した

表現主義グループ「青騎士」に加わります。


売れない時代は、

ピアノ教師として家計を支えた妻に代わって

「主夫」となり、

家事や子育てに奮闘しました。


1914年には、

北アフリカのチュニジアに旅行し、色彩に開眼。


1921年には、

美術工芸学校「バウハウス」の教授に迎えられ、

暮らしも安定してきます。




1930年代に入ると、ナチスが台頭。

クレーは、

「退廃芸術家」の烙印を押されて職を追われ、

スイスに帰国。

皮膚層硬化症で手が自由に動かなくなる




代表作『セネシオ』1922年 は・・・

彼が公私ともにもっとも充実していた

時期に描いた作品です。

その激動の60年間を追ってみましょうスマイル


​​ ​​【 パウル・クレー60年激動の生涯 】​​

【幼少期】

1879年12月18日(0歳)
スイスの首都 ベルン近郊の町

 ミュンヘンブーフゼーで生まれる。

 父ハンスは、北バイエルンのタン生まれのドイツ人で、

 母イーダは、フランスのブザンソン出身のスイス人。

1880年(1歳) 一家はベルンへ居を移す。

1883年(3歳) 母方の祖母アンナ・フリックの手ほどきで絵に親しむ。

1886年(6歳) ベルンの小学校に入学する。

 ヴァイオリンを習い始め、ベルン音楽協会の

 定期演奏会に出演するほどまでに上達する。

1890年(10歳) ベルンの初級高等学校に入学。

 ベルン市管弦楽団の非常勤団員となる。

1892年(12歳) この年から1898年までに

 9冊のスケッチブックを残す。

1897年4月(17歳) オープストベルク通り6番地に引っ越す。

 クレーの父ハンスが亡くなるまで暮らすこの家は、

 クレーがのちにしばしば戻ってくる実家となる。

​【修行時代】​

1898年4月24日(18歳)
1918年まで続く日記をつけ始める。

10月13日、 ミュンヘンに出てる。

 美術学校(アカデミー)への入学は認められなかったが、

 美術学校長の勤めにより、ハインリヒ・クニルの画塾に入る。

1899年7月(19歳) 画塾の仲間とザルツブルグの

 ブルクハウゼンに滞在し、銅版画の技術を学ぶ。

12月、 のちの妻となるリリー・シュトゥンブフと

 音楽の共演を通じて知り合う。

1900年10月(20歳) ​ミュンヘン美術学校に入学。

 フランツ・フォン・シュトゥックの指導を受ける。

 美術学校と並行して、クニルの画塾でデッサンの勉強も続ける。

1901年5月(21歳) アカデミックな美術教育に馴染めず、

 シュトゥックの教室を出る。この頃から、

 銅版画の制作に勤しむようになる。

 6月、 リリーと密かに婚約。

 10月、 画塾の友人と6ヶ月間イタリア旅行に出掛ける。

1902年(22歳) ローマからナポリ、フィレンツェ、ミラノなど周り

5月、 ベルンへ帰郷。

 10月、 ベルン音楽協会の非常勤ヴァイオリン奏者となり、

 1年間、定期演奏会に参加する。

 11月、 解剖学の講義に通い始める。

1905年5月〜6月(25歳) 友人のプレッシュと

 ルイ・モワイエとともにパリに旅行。

1906年7月(26歳) 銅版画連作「イヴェンション」を

 ミュンヘン分離派の展覧会に出品。

9月15日、 ベルンからミュンヘンに出て、

 ピアニストのリリーと結婚する。

1907年11月30日(27歳) 長男:フェリックス誕生。

1910年8月(30歳) スイスで初の個展開催。

 画家で小説家でもあったアルフレート・クビーンと知り合う。

【画家の誕生】

1911年2月(31歳) 作品の目録を作り始める。

9月、 友人モワイエの紹介で

 アウグスト・マッケと
 ​

 カンディンスキーと知り合う。
 ​
1912年2月(32歳) 青騎士の展覧会に
 ​
 デッサンと水彩画を17点を出品。

 4月、 リリーを同伴したパリ旅行で、

 ドローネーのアトリエ訪問。

 マルクと知り合う。

KLEE Paul
M Ü nchenbuchsee,1879-Muralto,1940
Vista a una plaza(1912)

View on to a Square

T é cnica mixta sobre papel

マドリッド「ティッセン・ボルネミッサ美術館」所蔵。


1912年2月(32歳) 青騎士の展覧会に

 デッサンと水彩17点を出品。

4月、 リリーを同伴したパリ旅行で、

 ドローネーのアトリエを訪問。

 この年、マルクと知り合う。

1914年(34歳) ミュンヘン新分離派のメンバーとなる。

4月6日、 モワイエ、マッケとともにチュニジア旅行へ。

4月20日、 イタリアのバレルモを経て、

 ナポリとローマまで一人旅。

4月22日、 ベルンに戻る。

1916年(36歳) 3月4日、第一次世界大戦でマルクが戦死。

3月11日、 クレーがドイツ軍に召集される。

1917年(37歳) ミュンヘン近郊のシュライスハイムで、

 飛行機輸送の任務に就いていたクレーは、

1月15日、 ゲルストホーフェンの国立空軍調練校に

 配置換えになり、会計書記官になる。

3月、 シュトゥルム美術学校の教師陣に名を連ねる。

1918年3月20日(38歳) 上等兵になる。

 1897年以来続けていた日記を 12月16日 付で終了する。

 クリスマス前に休暇をとる。

1919年(39歳) 兵役解除となる。

10月、 ミュンヘンのゴルツ画廊と契約を結ぶ。


【クレーの黄金時代】バウハウス時代

1920年5月〜6月(40歳) ミュンヘンのゴルツ画廊で大回顧展が開かれる。

10月、 ヴァイマール・バウハウスに教授として招かれる。


KLEE Paul
M Ü nchenbuchsee,1879-Muralto,1940
Cusa giratoria(1921)

Revolving House

Gouache sobre estopilla adherida a papel

マドリッド「ティッセン・ボルネミッサ美術館」所蔵。


1921年1月(41歳) バウハウスでの授業を開始。

3月、 母イーダが死去。

10月、 息子フェリックスがバウハウスに入学。

1924年夏(44歳) シチリア島へ旅行する。

12月、 ヴェイマール・バウハウスが閉鎖される。

1925年3月(45歳) デッサウ市がバウハウスの受け入れを決定。

 10月、 クレーの「教育スケッチブック」刊行。

 11月、 パリの画廊で開催された「シュルレアリスト展」に、

 デ・キリコやピカソらとともに、クレーの作品が展示される。

Paul Klee
German,born Switzrlnd.1879-1940

​​ Around the Fish,1926

oil and tempera on canvas mounted on cardboard

ニューヨーク「近代美術館」所蔵。



1926年7月(46歳) デッサウに移る。

 バウハウスの経営悪化を受け、10%の減給が提案され、

 5%で決着。年棒7000マルク。


Pul Klee(1879-1940)

Florentinisches Villen Viertel,1926

[Villas Florntines]

Huile sur carton

パリ「ポンピドゥー・センター(近代美術館)」所蔵。


1928年夏(48歳) リリーとともに

 北フランスのブルターニュ地方に旅行。


Paul Klee
German,born Switzrlnd.1879-1940

Cat and Bird,1928


oil and ink on gessaed canvas,mountedon wood

ニューヨーク「近代美術館」MOMA


12月17日から、翌年の1月17日まで、

 エジプトに旅行。


Pul Klee(1879-1940)
Pfeil im Carten,1929

[Fl éche dans le jardin]

Huile et tempera sur toile de lir

パリ「ポンピドゥー・センター(近代美術館)」所蔵。


1929年夏(49歳) フランスとスペイン地方に旅行。

 この年から作品を完成度に従って

 8段階の価格に分離するようになる。


Paul Klee
German,born Switzrlnd.1879-1940

Fire in Evening,1929

oil on cardboard

ニューヨーク「近代美術館」MOMA


1930年3月〜4月(50歳)
前年にベルリンで行われた個展が、

 ニューヨーク近代美術館に巡回。

6月、 デュッセルドルフの美術アカデミーから教授として招かれる。

1931年4月(51歳)
バウハウスを辞任。その後、

 デュッセルドルフ美術学校の教授に就任。

【戦争と病に翻弄されるクレー】

1933年4月(53歳) 美術アカデミーを突然、解雇される。

 デッサウの留守宅がナチスによって家宅捜査を受ける。

 12月、 ナチスの迫害を逃れ、一家でスイスに亡命。

1934年(54歳)
ロンドンのメイヤー画廊で、英国初の個展開催。

「パウル・クレー、素描1921-1930」(グローマン著)が

 ナチスに差し押さえられる。

1935年2月23日(55歳)から約1ヶ月間、

 ベルンで273点を展覧する大規模な個展開催。

11月、 皮膚硬化症の兆候が出始める。

1936年(56歳) 皮膚硬化症の症状が悪化。

 スイスのタラスプやモンターナで療養する。

1937年(57歳) カンディンスキーの最後の訪問。

11月28日 には、ピカソも訪れる。

1938年(58歳) パリで開催された国際シュルレアリスム展に出品。

夏の期間、 静養を兼ねてベアテンブルクで過ごす。

1939年4月(59歳) ブラックが訪問する。

1940年(60歳) 1月12日、父ハンスが死去。

 2月16日〜3月25日まで、 60歳の誕生日を記念して

 チューリヒで213点を展覧する回顧展が開催される。

 6月29日、
心筋炎による心臓麻痺のため
スイス、

 ロカルノ・ムラルトの サンタニューゼ療養院にて死去(享年60歳)。

7月15日、 1年以上前から申請していたスイスの市民権が与えられる。


Paul Klee
German,born Switzrlnd.1879-1940

Fir in the Evening,1929

oil on cardboard

ニューヨーク「近代美術館」MOMA


(MOMA館内解説文)
A red opaque rectangle stands out among bands of

muted browns,greens,violets,and blues,which

dynamically interact to suggest built structures or

geographic formations.Klee's trip to Egypt in the

winter of 1928-29 inspired a number of striated

compositions, a response in part to the stratified

cliffs of the Nile Valley and the long strips of tilled

fields he saw thre.These works"moved far from

Nature," he said, "and found their way back to reality."

While the work is apparently abstract,the variation

within the simple formal palette of line and color

constructs depth and space and even evokes a fire

aflame in a desert at day's end.


​クレーは、何故ナチスに追われたのか?​

クレーはスイスで生まれ育ちましたが、

人種も言葉も国籍も、

本人の意識もドイツ人。

絵画を学んだのも、

最初の活動拠点もミュンヘンですし、

第一次世界大戦にも、

ドイツ兵として従軍しています。

なのに、ナチスに

「親ユダヤの共産主義者」と決めつけられたのは、

思想も画風も進歩的だったから・・・。


ナチスの総統ヒトラーは・・・

若い頃に画家を志したものの、

古い写実的な風景画しか描けず、

ユダヤ人の画商に頭を下げて買い取ってもらっていました。

その苦い体験からか、

抽象的な近代美術を毛嫌いし、

「病んだ脳が生む退廃した芸術』として、

弾圧したのです。


公職を追われ、

故郷に逃れたクレーですが、

ナチスとの摩擦を怖れたスイス政府は、

彼に国籍を与えませんでした。

彼の晩年の作品が、

無邪気さの中にも

透明な悲しみをたたえているのは、

病魔のせいだけではないでしょう。

クレーが望んだ、

スイスの国籍を得られたのは、死後のことだったのです


(参考文献:幻冬舎/西洋絵画入門より)
(参考文献:東京美術/パウル・クレーより)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2022.11.17 00:10:13
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