「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

2022.11.23
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カテゴリ: 美術館・博物館
ピカソの後年の作品を見ていくと戦争に対する怒りを表現されるために恋人を対決させて恋人たちが泣く姿を描いています

戦争というものは、

ウクライナ紛争以来、

一般市民が泣くという意味を実感しています。

パブロ・ピカソ
Pablo Pikasso


ピカソの後年は・・・

キュビズムの手法をさらに突き詰め、

『泣く女』 などの傑作を経て、

20世紀最高の傑作といわれる

『ゲルニカ』 が生まれる。



痛切な感情のほとばしりが、

究極の形を選びとったかのような激しさがある。


白と黒だけで、

戦争の悲劇の悲惨と

人間の愚かさを描いた着想ひとつとっても、

比類のない作品だ。

Pabro Picasso
(1881-1973)

パブロ・ピカソ・・・とは?
Pablo Picasso

キュビスムの父・・・と呼ばれる


1881年、 スペイン・マラガに生まれる。

1897年、 マドリッドの王立美術学校に入学。

1900年、 パリに住む「青の時代」の始まり。

1904年、 芸術家の共同住宅「洗濯船」に住む。

1907年、

 キュビスムを生み出す。

1917年、 ロシアバレエ団の公演に参加。

 舞台制作を手掛ける。

1937年、 ナチスの無差別爆弾に怒り、

『ゲルニカ』 を制作する。


1946年、 南仏に移る。

 共産主義に傾倒する。

1973年4月8日、 南仏ムージャンにて死去(享年91歳)。



画家として超一流の技術を持ちながら、

保守的にならず、

さまざまなスタイルを超越し、

創造への意欲だけを

率直に表現したピカソは、

まさに20世紀最高の天才だった。


『アヴィニヨンの女たち』 は、


​セザンヌの『水浴する女たち』のシリーズ​ から


インスピレーションを得て描かれた作品である。

ピカソは、セザンヌを画家として尊敬し、

その考え方から多くを学んだ。


『アヴィニヨンの娘たち』 に見られる

「複数の視点から対象をとらえる」という考え方も、

対象を上下左右から見て、

それを同時に再現しようとした

セザンヌに学ぶところが多い。


​ピカソは晩年に・・・​

偉大な古典作品を自分なりに大胆に翻案し、

それを絵画としてまとめあげた作品を残している。

たとえば・・・

ベラスケス

『ラス・メニーナス』 をもとに描いた

『官女たち・ベラスケスによる』

は、その代表作です。

しかし、

『アヴィニヨンの女たち』 における試みは、


それとは本質的に異なるものだった。

「私は、

 物を見たままに描くのではなく、

 考えるままに描く」

というピカソの言葉は、

フォルムを表現するために、

常識的な規則に縛られることのなかったセザンヌの

姿勢と通じるものがある。


(参考文献:東京美術/西洋絵画の見かたより)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2022.11.23 00:10:09
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