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「世界の絶景100選」の9位は夕日に染まるモン・サン・ミッシェル(」です。フランスのモン・サン・ミッシェルは1000年以上前に建造物が建てられ、要塞の役割も果たしていたという。2018年12月30~31日にここを訪れ、憧れの世界遺産を眺めたのを思い出します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9位<夕日に染まるモン・サン・ミッシェル(フランス)>Mont Saint-Michel in sunset, France.フランス西海岸のサン・マロ湾上に浮かぶ修道院。「世界の絶景100選」に選ばれ、夕日に浮かぶこの修道院の様子が映像で紹介されていた。■リポーター:なし■BGM:『ルパン三世カリオストロの城』ZAYN「A Whole New World」<見どころとポイント>◾ルパン三世『カリオストロの城』のモデルだとファンの間でいわれている◾フランスのモン・サン・ミッシェルは1000年以上前に建てられ、要塞の役割も果たしていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:過去の記憶が君に喜びを与えるときのみ、過去について考えよ、ジェーン・オースティン】<2018年12月30、モンサンミッシェルを目の当たりに><2018年12月31、モンサンミッシェル><2018年12月31、モンサンミッシェル><モンサンミッシェル><<2018年12月31撮影、モンサンミッシェル>>
June 30, 2020
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「世界の絶景100選」の12位は「三大ピラミッド」です。エジプトと言えばピラミッド。「3大ピラミッド」はエジプト、ギザの砂漠に並ぶ3基のピラミッドの総称。クフ王、カウラ―王、メンカウラ―王の物とされています。エジプトのピラミッドの近くにあるスフィンクスに、かつて幕府から派遣された侍も訪れていた。1995年12月18日にここを訪れ、憧れの世界遺産を眺めたのを思い出します。・・ピラミッドの建つ砂漠の反対側まで街が続いていて、ケンタッキーの看板が印象的でした。(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12位<日本の侍も愛した三大ピラミッド (エジプト)>Giza Pyramids in Egypt.スフィンクスと共に約4500年の間君臨しているというピラミッド。広大な砂漠の中に悠然と立ち並ぶ3つのピラミッドが「世界の絶景100選」に選ばれたため、男性タレント達が訪れ、夕日に浮かぶピラミッドの姿を眺めていた。■リポーター:勝又州和(当時39才)、金子貴俊(当時26才)■BGM:映画『ラスト・サムライ』Hans Zimmer「A Way of Life」<見どころとポイント>◾2人を出迎えたのはスフィンクス◾実はここにかつてここに日本の侍が訪れていた◾1864年、西洋文化を学ぶため幕府から派遣された幕末志士たち◾ギザの三大ピラミッドは、今から4500年前の人類の英智・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:過去の記憶が君に喜びを与えるときのみ、過去について考えよ、ジェーン・オースティン】<1995年12月18日、ピラミッドを目の当たりに><1995年12月18日、スフィンクスを目の当たりに><ピラミッド>
June 29, 2020
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フジTV「世界の絶景100選」の20位は「ナスカの地上絵」です。2013年4月29日にここを訪れ、世界遺産をセスナから眺めたのを思い出します。・・・チップを払い過ぎた為か?右に左に旋回の大サービス、左手にエチケット袋、右手にカメラで大変でした・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20位<ナスカの地上絵 (ペルーの世界遺産)Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa from the hot balloon in Peru.世界七不思議のひとつ。古代ナスカ人が大地を削り描いたという絵は1つが150mにも及ぶとのこと。その全貌を見るため、女優が熱気球で見下ろすことに挑戦していた。絶景ポイントから見下ろした女優は、ハチドリやコンドルを描いた地上絵に言葉も出ないくらい感動していた様子だった。■リポーター:永作博美(当時34才)■BGM:Adele「Hello」<見どころとポイント>◾気球から見るハチドリ、クモ、コンドルの地上絵。◾ただ土を分けただけに見える線はナスカの地上絵の一部。◾極端に雨が少ないため2000年経っても消えずに残った。◾ナスカ人も気球のようなもので空から見るため地上絵を描いたという説がある。何のために書かれたのか謎が多い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:チームメイトにはいい仲間であったと記憶され、一緒にプレーした仲間とは友人でありたい、リオネル・メッシ】<ナスカ><2013年4月29日に撮影した「ハチドリ」><20位、ナスカの地上絵><クモ><2013年4月29日に撮影した「クモ」><コンドル><2013年4月29日に撮影した「コンドル」><「コンドル」、回転させると・・・><2013年4月29日、左から、ハチドリ、コンドル、クモ><2013年4月29日、こんな感じで撮影・・>
June 28, 2020
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先週、フジテレビ『~おウチで世界一周~世界の絶景100選 早く行きたいトップ30』が放送されました。360度のオーロラ…青の洞窟…見下ろしたマチュピチュ…夕日に染まるピラミッド…ナスカの地上絵…オリエント急行他・・・「COVID-19」の影響で、飛び出すことを躊躇している今、過去に訪れた地が画面に映しだされる度に懐かしく思い出しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・海外へ行くのは難しいこの時期、せめてテレビで世界1周の絶景旅行を味わって欲しい!そこで今回は、内藤剛志、久本雅美の司会で2004年~2013年にかけて放送し、地球200周以上の移動距離と膨大な取材時間で撮ることができた奇跡の絶景をお送りした番組『世界の絶景100選』の中から厳選した“世界の絶景”をお届けする。また、スタジオには「絶景が大好き!」というゲストの藤森慎吾、みちょぱ(池田美優)を迎え、広末涼子、新庄剛志など、かつて豪華スターたちが苦労して撮影してきた絶景を堪能する。今回は、番組が今まで撮影してきた絶景を「旅行好き100人」が事前に見て採点。「早く行きたい絶景」をランキング形式で発表!さらに、番組放送当時に出演していた若き日の豪華芸能人たちが、過酷な道のりで泥まみれになり、絶景の美しさに涙する、今では決して見られない姿が拝めるのも、この番組ならでは!果たして、No.1の絶景とはいったい何なのか!? 【MC】内藤剛志、久本雅美 【スタジオゲスト】藤森慎吾(オリエンタルラジオ)、みちょぱ(池田美優) 【出演者】新庄剛志、谷原章介、広末涼子、船越英一郎 ほか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<~おウチで世界一周~世界の絶景100選 早く行きたいトップ30>30位 夕日で現れる逆さアンコールワット カンボジア29位 独り占めできるシークレットビーチ フィリピン エルニド28位 朝日を浴びるモニュメントバレー アメリカ27位 一面オレンジ フィレンツェの町並み イタリア26位 氷河が作ったフィヨルドの絶景 ノルウェー25位 世界最古のナミブ砂漠24位 ダージリン鉄道で行くヒマラヤのご来光23位 紫色に染まるエアーズロック22位 4000年前から変わらぬ桂林21位 北の大地に突然現れた富士山20位 気球から見るナスカの地上絵19位 海の真ん中でおきる奇跡18位 夕日に染まるパワースポット セドナ17位 ペンギンのビーチと真っ白なビーチ16位 太陽光が降り注ぐロタホール15位 白銀の絶景ウユニ塩湖14位 谷原章介が富士山より高いホテルへ ネパール エベレストを独り占めする絶景13位 落差世界一の滝エンジェルフォール12位 日本の侍も愛した三大ピラミッド11位 広末涼子が灼熱のアラブを大冒険 ドバイ 日が沈む瞬間に赤く燃える砂漠10位 新庄剛志が奇跡を呼ぶ!? ジープ島にかかる虹9位 夕日に染まるモン・サン・ミッシェル8位 2000年発見されなかったペトラ遺跡7位 1万年前から変わらぬ氷河6位 天空都市マチュピチュを見下ろす絶景5位 雪化粧のノイシュバンシュタイン城4位 空が落ちてできたブルーホール3位 360度広がるオーロラ、アイスランドは最も発生しやすいオーロラ帯に位置する。2位 世界一豪華オリエント急行1位 ローマ皇帝も愛した 青の洞窟<空から見る超絶景トップ10>第10位は「ペルー 古代人からのメッセージ ナスカの地上絵」。第9位は「地中海の宝石 世界で2番目に小さな国 モナコ公国」。第8位は「アメリカ 5千万年の時が創り出した モニュメントバレー」。第7位は「アルゼンチン 1万年前から変わらない姿 ペリト・モレノ氷河」。第6位は「イタリア 夕日に染まるオレンジの街並み フィレンツェ」。第5位は「メキシコ エメラルドグリーンの川 アグア・アズル」。第4位は「フィジー ハートの形をした最後の楽園 タバルア島」。第3位は「アメリカ クリスマスイブに輝く ニューヨークの夜景」。第2位は「ブラジル 純白の砂漠と湖 レンソイス・マニャランセス国立公園」。第1位は「ベネズエラ 滝壺のない落差世界一の滝 エンジェルフォール」。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:他の富めるをうらやまず、身の貧しきを嘆かず、ただ慎むは貪欲、恐るべきは驕り、小林一茶】<~おウチで世界一周~世界の絶景100選 早く行きたいトップ30>
June 27, 2020
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「楽天市場」で沢山お買い物をして?今月からダイアモンド会員です。我がブログに貼った「楽天市場」から入りアフィリエイトで楽天ポイントを稼ぎます。そして「楽天ダイヤモンド優待ニュース」も届きます。私・・・「優待」「割引」「送料無料」という誘い文句に弱く、今治バスタオルをついクリックしてしまいました。先日、水で糸が溶けてスカスカになり、同等の吸収力で面積半分の今治バスタオルを買ったばかりなのに・・・。(笑)・・・そして圧縮された製品が届きました、今治タオルはやはり手触りがいいです。【今日のLifeHack:驕りは長ずべからず、欲は縦(ほしいまま)にすべからず、志は満たすべからず、楽しみは極むべからず、礼記】<楽天市場でダイヤモンド会員優待のお買い物><今治タオル、届きました!、圧縮されて・・・><ダイアモンド会員>
June 26, 2020
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「ミロのヴィーナス」は避難出来ましたが、守りきれずナチスに奪われてしまった作品もあります。その中の一つが16世紀に制作されたエアハルト「聖マグダラのマリア」、宗教彫刻の傑作です。一般的に知られているストーリーは、かつて娼婦(娼婦だったという記載は聖書にはない)をしていたマリアはキリストによって聖女に生まれ変わる、というものです。マグダラのマリアはイエスの復活を見届けたのち、洞窟にこもり祈りの日々を送ったといわれています。このグレゴール・エアハルト(Gregor Erhart、1470?-1540)の彫刻では、マリアは一糸まとわぬ姿で、長い髪の毛だけが身体を覆っています。祈りの姿はイエスのいる天に向かおうとしているようです。16世紀に作られて以来、数えきれない多くの人々がこの像に祈りを捧げてきました。 「戦争」という時代の混沌に巻き込まれた作品ですが、その表情は人間そのものへの愛に満ちています。【今日のLifeHack:心に驕りある時は人をあなどう。驕りなき時は人を敬う、手島堵庵】<エアハルトの「聖マグダラのマリア」>
June 25, 2020
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今日、「セグウェイ生産終了」のニュースが流れました。つくばでは、公道を走る実験を繰り返して、「セグウェイでの公道走行可能な街・つくば」を謳い文句にしていたので、これから普及するかと思っていたのですが、残念です。2012年9月9日、一人800円、妻と一緒に1600円を支払い、プロテクターを付けて初めてセグウェイに乗り、バランスを取りながら運転したのを思い出します。・・・前傾して前進、垂直で停止、左手でグリップを回して、右左旋回。最高時速20km/hまで出るそうで、意外と加速が良く、気を許さず制御することがコツだと実感したものです。将来、これで街が埋め尽くされるのを夢見たのですが・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・セグウェイ生産終了へ、販売不振 立ち乗り二輪車「夢の発明」とも 6/24(水) 11:12配信【ニューヨーク共同】「セグウェイ」の名称で知られる立ち乗り電動二輪車の生産が来月15日に終了することが明らかになった。米国の製造元が23日発表した。開発時から「夢の発明」と騒がれ、2001年に発表された際は大きな反響を呼んだ。警備や観光で活用されたが、販売は振るわなかった。 セグウェイは声明で「近年セグウェイの市場は飽和している。セグウェイは非常に耐久性があり、多くは10年以上使われている」と述べた。 セグウェイは、米国の発明家ディーン・カーメン氏が開発。ブレーキやアクセルはなく、左右の車輪の間の台に立って重心を移動することで前進、後退などができる。<米南部オクラホマシティーのショッピングモールで、セグウェイに乗る警備員=5月1日(AP=共同)>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りを生ず、武田信玄】<2012年9月9日、「セグウェイ」初体験><ニュース>
June 24, 2020
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1939年には第二次世界大戦が勃発します。翌1940年、ヒトラー率いるナチスによってパリは占領されます。大戦中、ナチスは占領した国々から多くの美術品を奪いました。しかしルーヴル美術館は開戦間際に作品を避難させる事に成功します。およそ4000点の美術品をフランス各地に隠したのです。避難する直前に撮られた「ミロのヴィーナス」の写真が残されています。「ミロのヴィーナス」も有名で目的のひとつ、この作品とのスリーショットも実現しています。【今日のLifeHack:何もないところからものを創り出していると思っているのは、人間の驕りだよ。生まれてから今までのどこかで、耳にし、目にした何かが、知らず知らずに入り込んだ記憶が、何かのきっかけで呼び覚まされて動き出す、黒澤明】<ミロのビーナスとのスリーショットが実現><我が家のお宝、パルテノンとビーナス><避難する直前に撮られた《ミロのヴィーナス》>
June 23, 2020
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「さくらんぼ」が届きました。もちろん、山形産です。今年初めてのさくらんぼ、甘くて、甘くて、美味しくいただきました。ありがとうございます。ご馳走さまでした。【今日のLifeHack: 感謝の念とは、心に書き留めた記憶である、J・B・マッシュウ】
June 22, 2020
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1914年、ヨーロッパ諸国は第一次世界大戦へと突入します。戦勝国となったフランスでも140万人が戦死。 憎しみの感情がヨーロッパ中を覆いました。そんな時代に相まって一人の画家が注目されます。「ダイヤのエースを持つ いかさま師」(1635年)のジョルジュ・ド・ラ・トュールです。ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)は17世紀前半に活躍したフランス人画家で、生前は「国王付画家」にまで出世しましたが、次第に忘れられていきました。しかし第一次世界大戦の時代、この作品はパリ市民の間で評判になり、画家の再評価へと繋がりました。4人の男女はポーカーの原型となったゲームをしています。テーブルの上に置かれた金貨から、これが賭けである事が分かります。一番右のどこかあどけなさが残る豪華な装いの若者以外の3人がグルで、彼はカモにされているのです。中央に座る女性は給仕に視線を送りつつ、手元では男性に何やら合図を送っています。これが”いかさま”への合図なのです。男の右手のカードはすべてダイヤのカードで、一方背後に回した左手で、ダイヤのエースとクラブのエースがすり替えられています。若者は疑う素振りもなく、目の前で起こっているいかさまには気づきません。この作品に描かれているのは自分より弱い人間を平然と欺く冷徹さ、そしてそれを悟られぬよう振舞う人間の狡猾さが表現されています。 「自らの欲望のために他者を欺き、奪う」という人間の醜さが、再発見が起こった20世紀前半の不穏な空気と呼応したのです。【今日のLifeHack:子どもは真実を映し出す鏡である。彼らには驕りも、敵意も、偽善もない、マハトマ・ガンジー】<ジョルジュ・ド・ラ・トュール「ダイヤのエースを持つ いかさま師」(1635年」><男の右手のカードはすべてダイヤ、左手でダイヤとクラブをすり替え>
June 22, 2020
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毎年6月の第3日曜日、今日は「父の日」です。子供達からプレゼントが届きました。ありがとうございます。今回驚かされのは、サッポロビールの「フォトビー」です。包みを開けると、私の顔がズラリと並んでいます。ビールのラベルが私の顔、素晴らしいアイデア商品です。謳い文句は、那須工場で丁寧につくられたビール、爽やかなフルーティー広がるヴァイツェン小麦麦芽を使用、苦味を控えたすっきりとした味わい。そして「ホンダ・ドリームCB750FOUR K2」。世の中で初めて「ナナハン」と呼ばれた「CB750」、シリーズは「K0」から「K8」まであり、我が愛車は昭和48年製の「K2」です。その「K2」を探した拘り、大変だったかと思います。そしてそして、「いくら」です。美味しくいただきましょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<フォトビー~Photo, Beer & Smiles~>・スマホで簡単にオリジナルラベルのビールができるサッポロビールの商品。・ぽってりとした丸いフォルムの瓶が特徴で、ラベルのデザインは自由自在。まるでオーダーメイドで作ったような、世界に一つだけのドリンクを作ることができます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・父の日は、母の日と同じくアメリカ発祥の祝日です。誕生したきっかけは、ソノラ・スマート・ドットという女性の嘆願によるもの。ソノラの父親は軍人で、南北戦争から復員した後に男手ひとつで6人の子どもたちを育て上げています。6人兄弟の末っ子だったソノラは父の偉業を称えようと1909年に牧師教会へ「父親へ感謝する日も作ってほしい」と嘆願します。そして1910年6月19日に、初めて父の日の式典が開催されました。しかし、それが一般に浸透するまでには実に6年もの年月がかかったといわれています。1916年の式典で、第29代アメリカ大統領であるウッドロー・ウィルソンが演説を行ったことをきっかけにして浸透していったといわれています。そして1972年、6月の第3日曜日が父の日として正式に制定されたのでした。ちなみに、父の日が日本に導入され始めたのは1950年代ごろのこと。当時はまだまだ認知度が低く、現在のように一般的な行事として広まったのは1980年代に入ってからだといわれています。デパートなどの商業施設が販売戦略の一環として父の日を取り上げ、そこから一般に広く浸透していきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:人間はともすれば、うまくいけば自分の腕でやったと思いがちである。それが驕りに通じる。だから事がうまくいった時は運が良かったと考え、うまくいかなかった時は運がないと考えず、腕がなかったと考えたい、松下幸之助】<父の日ビールのラベルに私の顔が!><転売禁止><我が愛車と同じ「CB750 K2」の1/12スケールモデル><我が愛車「CB750 K2」><いくら>
June 21, 2020
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フランス近代絵画の巨匠、ドミニク・アングル(1780-1867)は楽園の中に自分の求める美を見出しました。この「トルコ風呂」(1862年)は82歳の時に描かれた作品です。外出する事も出来ず、自由を奪われた女たち こんな風に、大勢で風呂を楽しむ事はあったんだろうか 画家は想像だけで描いている(過去の作品のモチーフを集めている) まさしく「籠の鳥」だった彼女たち、老いてからも生活を保証されたのか…円形の画面からは、まるでのぞき穴から覗き込んだような世界が広がり、浴槽のまわりには裸姿のハーレムの女性たちが描かれています。アングルは実際にトルコへ行ったことは無く想像でこの作品を描きました。彼はこのような裸の女性の作品を生涯描き続けました。そんなアングルが最晩年に辿り着いた、”美の結晶”とも言うべき作品です。この作品も有名で目的のひとつ、作品とのスリーショットも実現しています。【今日のLifeHack:謙虚は人を進歩させ驕りは人を落後させる、毛沢東】<ドミニク・アングルの「トルコ風呂」とスリーショット><ドミニク・アングル「トルコ風呂」(1862年)><アングル「トルコ風呂」><2008年1月、トルコのイスタンブールで訪れたハマム>
June 20, 2020
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19世紀、フランスの画家たちに大きな変化が生まれます。自分たちの生きる時代の”美”について見つめ始めるのです。それまでの美術は神話や聖書の一場面が題材の中心でしたが、そうではない当時の社会を映し出し、そこから見えてくる”普遍化された人間のテーマ”を探り始めるのです。テオドール・ジェリコー「メデューズ号の筏」(1818-1819年)は、1816年に軍艦船が座礁するという実際の事故をもとに描かれています。飲食料がほとんどない状態で、彼らは13日間大海を漂流、 当初147人以上いた乗員も最終的な生存者数は15人となっていました。この事故の原因とされたのが船長の判断ミスによるもので、フランス政府はこの事実を隠蔽しました。ジェリコーはこの事件を聞きつけ、自ら作品に残そうと制作を始めます。既に亡くなった人や死にかけている人の肌は青黒く、リアルに描かれています。ジェリコーはこの表現のために実際に死体置き場や病院に足を運び、デッサンを重ねました。この作品では、絶望に沈む乗員が彼方に船の影を見つけて、必死に助けを求める姿を描いています。その先頭で必死に手を振るのは、フランス社会の底辺にいた黒人の青年、その後ろには見捨てられた人々の姿が見られます。悲惨な現実を劇的に描いたこの作品は、発表当初は激しい非難を浴びましたが、ジェリコーは、このような言葉を残しています。 『真実こそが美である』この作品も有名で目的のひとつ、作品とのスリーショットも実現しています。【今日のLifeHack:一般に外見は立派だと中身まで良くなったと勘違いしてしまう、小野田寛郎】<テオドール・ジェリコー「メデューズ号の筏」とスリーショット><テオドール・ジェリコー「メデューズ号の筏」(1818-1819年)><拡大>
June 19, 2020
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今朝の日経「美の十選」に、ゴッホの「ひまわり」が掲載されました。今年の正月にこの作品を目の当たりにしスリーショットが実現しました。損保ジャパンの「ひまわり」は、時々鑑賞していますが、いつも当時の最高値で落札されたことを思い出します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1987年03月 30日ロンドンのクリスティーズの競売で、安田火災海上(現・損害保険ジャパン)が、絵画取引での最高値2250万ポンド(当時の為替レートで約53億円)(最終的な購入金額は手数料込みで約58億円)で落札した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ゴッホ 新イメージ(1) 「ひまわり」 芸術思想史家 木下長宏 美の十選 2020/6/18付日本経済新聞 朝刊[有料会員限定] 「狂気」のイメージが根強い画家ゴッホ。意外にもその生き方は「一本の草の芽」をひた向きに追いかけたものだったという。ゴーギャンがアルルへ来て共同生活をしようという話が現実味を帯びてきた頃。ゴッホは、弟のテオにこんな手紙を送った。「日本の芸術を研究していると、これぞ哲学者という人間に出会う。彼は何をして時を過しているのか。一本の草の芽の研究をしているのだ。この草の芽が、彼にすべての植物、すべての季節、人間の偉大な姿を描き出させる。そうして生涯を送るのだが、人生はあまりに短い。これこそ、本当の宗教というものではないか。こんなに単純で、自分自身が花であるかのように、自然の中に生きることこそ」 この手紙の一節は、そのまま彼の絵画宣言となる。それからというもの、ゴッホは「草の絵」を色々と試みることになるのだ。「ひまわり」連作もその一つだ。黄色い背景に輝くようなひまわりの大輪が花瓶に溢(あふ)れ、一見、生命力を謳歌する印象を受ける。よく観(み)ると、15本中6本は花弁(はなびら)を落とし、他の9本はうなだれている。小さな芽が大きな花を咲かせ、やがて枯れていく。草の生命(いのち)の物語がここに描き込まれ、そんな姿に、ゴッホは「日本の哲学者」の一生を重ねた。(1888年、油彩、ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■ゴッホの《ひまわり》が初来日! ロンドン・ナショナル・ギャラリー展が明日スタート 6/17(水) 14:08配信<歴史的な展覧会がついに開催!>新型コロナウイルス感染症の感染予防、拡散防止のため開幕が延期されていた「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が、6月18日(木)から、東京・上野にある国立西洋美術館で開かれることになった。見どころはなんといっても、フェルメールの《ヴァージナルの前に座る若い女性》、レンブラントの《34歳の自画像》、そしてゴッホの《ひまわり》など、同館所蔵の世界的傑作が待望の初来日を果たすことだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■<ひまわり>(フランス語: Les Tournesols、オランダ語: Zonnebloemen、英語: Sunflowers)とは、1888年8月から1890年1月にかけてフィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた、花瓶に活けられた向日葵をモチーフとする複数の絵画の名称である。ファン・ゴッホにとっての向日葵は明るい南フランス(南仏)の太陽、ひいてはユートピアの象徴であったと言われている。 南仏のアルル滞在時に盛んに描いた向日葵を、精神が破綻して精神病院での療養が始まってからは描いていないこともその根拠とされる。ファン・ゴッホ自身が気に入った「12本のひまわり」(ミュンヘン作品)をもとに制作した4番目の作品とされる。ロンドンの「ひまわり」と同じモチーフの作品は、日本の「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」(4月からはSOMPO美術館)とアムステルダムの「ファン・ゴッホ美術館」に1点ずつ、計3点。日本は歴史上、7点描いたと言われるゴッホの「ひまわり」のうち2点を所有したことがある。現在の東京の「ひまわり」と、1920年に兵庫・芦屋に在住の実業家が購入して日本に来たものの、45年の空襲で焼失した「ひまわり」だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<ゴッホ《ひまわり》7枚>◆1枚目:個人蔵の《ひまわり》 1888年8月 個人蔵(アメリカ)花瓶の中に入ったひまわりの本数は3本。後に描かれた6枚に比べると、写実的に描かれている。◆2枚目:神戸大空襲で焼失した《ひまわり》1888年8月(1945年8月6日)白樺美術館を設立するために大阪の実業家の山本顧弥太(こやた)が1920年に購入。その後美術館設立の話が無くなり、兵庫県芦屋市の山本顧弥太の自宅に飾られていたが、神戸大空襲で焼失。ゴッホファンの間では「幻の芦屋のひまわり」と呼ばれている。ひまわりの本数は1作目から2本増えて5本に。他の6枚と比べて全体的に色のトーンが暗く、落ち着いた印象。◆3枚目:ミュンヘンの《ひまわり》1888年8月、ノイエ・ピナコテーク蔵。薄い青色(エメラルドグリーン)の背景が特徴的。花の本数も12本とここで一気に増えている。弟のテオへ手紙でその出来栄えに満足した内容を送っている事からも、ゴッホ自身相当気に入っていた一枚。◆4枚目:ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》ここから『ひまわり』の背景が変化。1枚目か3枚目まではひまわりの黄色の補色である”青色”を背景にしていたが、この4枚目から画面全体が黄色一色になっていく。薄塗りと厚塗りが使い分けられ、コントラストがよく表現されている。また輪郭線にブルーが使われているのも、他のひまわりでは見られない特徴。花瓶の真ん中(サインの横)には光のハイライトを描いている。作品の中に影は無いが、ここで光を表現している。◆5枚目:新宿の《ひまわり》 1888年12月-1889年1月SOMPO美術館蔵。1987年に損保ジャパンが購入するまでは、ロンドンに住む人が所有していた。かつてナショナル・ギャラリーでは、この2枚の『ひまわり』が並んで展示された事もある。つまり東京でこの2枚が33年振りに再開している事になるのです。5枚目の『新宿のひまわり』と7枚目の『ひまわり』(ファン・ゴッホ美術館蔵)は、4枚目のロンドン版のセルフコピーになる。ひまわりの並びや花の数など構図が一致。◆6枚目:フィラデルフィアの《ひまわり》1889年1月アメリカ・ペンシルベニア州、フィラデルフィア美術館蔵。3枚目のミュンヘン版のセルフコピー。◆7枚目:アムステルダムの《ひまわり》 1889年1月ゴッホの故郷、オランダ・アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館蔵。この作品は損傷をがひどく、これ以上状態を悪化をさせないために館外への貸し出しは一切しないという措置が取られている。この《ひまわり》を描いた当時、ゴッホは原因不明の発作や幻覚に苦しめられていて、描いた翌月には精神病院に入院。<ゴッホが『ひまわり』をセルフコピーした理由>ゴッホが何枚も『ひまわり』を描いた理由。それは、4枚目のロンドン版をゴーギャンが気に入り欲しがった為。ゴッホはゴーギャンを”黄色い家”に迎え入れる際に、彼の部屋を飾るために《ひまわり》を含む何枚かの絵を描いた。ゴーギャンはその絵の中で《ひまわり》をたいへん気に入り、「これこそ花だ」と称賛の言葉を残したと言われている。しかし個性の強い芸術家同士の共同生活は次第に険悪の雰囲気となり、約60日で破局を迎えた。ゴーギャンがアルルを去った(1888年12月)後も二人の手紙のやり取りは続いており、ゴッホはゴーギャンに渡すための『ひまわり』を描いたが、結局ゴーギャンの元に『ひまわり』は渡わなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:私はあの人が大好き。愛した記憶だけで一生幸せよ、浅田次郎】<今年の正月に「ひまわり」とスリーショットが実現><4枚目:ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》以外の6枚><今年の正月にフェルメール作品とスリーショットが実現><今年の正月にレンブラント自画像とツーショット実現>>
June 18, 2020
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アンゲラン・カルトンの「ヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニョンのピエタ」(1455年頃)。近代化が進むにつれて、それとは逆にフランスの過去の芸術に目を向ける動きも出始めます。この作品は1834年に、フランスの小さな礼拝堂で見つかった名もなき画家の作品です。「ピエタ」といえば、ミケランジェロの作品を思い浮かべます。「ピエタ」とはイタリア語で”慈悲”という意味で、亡くなったキリストを抱く聖母マリアの姿で表わされます。このアンゲラン・カルトンの作品では画面全体から深い悲しみが伝わってきます。聖母マリアの表情は、まるで老婆のように深いしわが刻まれています。15世紀の人々が祈りを捧げた宗教画の傑作です。キリストの体には鞭の痕が残されています。胸元の槍で突かれた傷からは、まるで涙のように血がしたたっています。この作品は、当時見る人の心をおおきく揺さぶりました。【今日のLifeHack:愛想良く近づいていけば、誰だって自分に好意的になってくれると思うのは間違った信仰であり、同時に驕り、阿川佐和子】<ピエタ><拡大>
June 17, 2020
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19世紀後半のパリ、1889年には近代化が進むパリで万国博覧会が開催されます。フランスの威信にかけて、その国力を内外に示す絶好の機会、そのシンボルとして建設されたのが「エッフェル塔」でした。また時を同じくして、産業革命による大量生産・大量消費の時代が訪れます。パリのような都市部には地方から多くの人々が訪れ、工場労働者として社会の繁栄を根底から支えました。この時代にパリで人気を博した画家、それが光の魔術師と呼ばれた、ヨハネス・フェルメールです。都会の暮らしに疲れた彼らに支持されたのは、フェルメールが1669年~1670年頃に描いた「レースを編む女」(1669-1670年頃)、フェルメールの作品の中でも24.5×21cmのひときわ小さな作品です。レースを編む若い女性は柔らかな姿で描かれていますが、レースを編む手元は極めて緻密に描かれています。その中に表現されているのは無心でレースを編む、女性のありふれた日常の姿で、一人黙々と作業をするその姿からは、静謐な空気が伝わってきます。ピンと張られた2本の糸。 女性の作業する手元がくっきりと際立つように描かれています。風俗画を得意としたフェルメールらしい、「日常の何気ない幸せな瞬間」を表現しています。社会がめまぐるしく変化していった19世紀後半。人々はフェルメールの作品の中の、ささやかな世界を求めたのかもしれません。この「レースを編む女」は19世紀後半にルーブル美術館に収蔵されました。この作品も有名で目的のひとつ、作品とのスリーショットも実現しています。--------------------------------<フェルメールの現存全35作品>1 ■1650年代の作品■ 1.1 聖プラクセディス、1.2 マリアとマルタの家のキリスト、1.3 ディアナとニンフたち、1.4 取り持ち女、1.5 眠る女、1.6 窓辺で手紙を読む女、1.7 小路、1.8 士官と笑う娘、1.9 牛乳を注ぐ女、1.10 紳士とワインを飲む女(ワイングラス)、1.11 ワイングラスを持つ娘、■2 1660年代の作品■ 2.1 中断された音楽の稽古、2.2 デルフトの眺望、2.3 音楽の稽古、2.4 青衣の女、2.5 天秤を持つ女、2.6 水差しを持つ女、2.7 リュートを調弦する女、2.8 真珠の首飾りの女、2.9 手紙を書く女、2.10 赤い帽子の女、2.11 真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)、2.12 合奏、2.13 フルートを持つ女、2.14 絵画芸術、2.15 少女、2.16 婦人と召使、2.17 天文学者、2.18 地理学者、2.19 レースを編む女、2.20 恋文、■3 1670年代の作品■ 3.1 ギターを弾く女、3.2 手紙を書く婦人と召使、3.3 信仰の寓意、3.4 ヴァージナルの前に立つ女、3.5 ヴァージナルの前に座る女、3.6 ヴァージナルの前に座る若い女。--------------------------------【今日のLifeHack:自分は勘違いしていないか、驕った振る舞いをしていないかという反省力が問われる、野口孝広】<フェルメール「レースを編む女」とスリーショットが実現><フェルメール「レースを編む女」><「レースを編む女」の手元を拡大><エッフェル塔とスリーショット>
June 16, 2020
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「民衆を導く自由の女神」と同じ19世紀の後半、もう一つの女神が発見されます。それが古代ギリシアの彫刻「サモトラケのニケ 女神像」、船の上に立つニケは勝利の女神で、紀元前190年ごろのギリシャ彫刻です。頭部と両腕は失われていますが、その姿は翼を広げ天から舞い降りた姿を表しているといわれています。古代エーゲ海の民が、戦の勝利を願って彫り上げたものです。翼の羽は一枚一枚が見事に表現されており、降り立った瞬間の躍動感を伝えています。この像はエーゲ海のサモトラケ島で、1863年のフランス領事のシャルル・シャンポワゾによってまず胴体部分が発見されます。その後断片が次々と発見され、全部で118片にのぼります。現在の姿はそれら断片を繋ぎ合わせて復元したもので、2000年の時を超えて、女神の姿が現代によみがえったのです。この作品も有名で目的のひとつ、作品とのスリーショットも実現しています。【今日のLifeHack:日本人がこの柔道家としての謙虚さや振る舞いをなくしてしまった時には、僕は競技にも影響してくるのではないかと思うんです、井上康生】<「サモトラケのニケ 女神像」とスリーショットが実現><サモトラケのニケ><翼の羽は一枚一枚が見事に表現>
June 15, 2020
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16世紀初めイタリアから来た1枚の絵画「モナリザ」、ルーブル美術館の歴史はそこから始まり、番組「ルーブル美術館(2)」は、19~20世紀を描いています。19世紀以降、世界は激動の時代に突入します。フランスは市民革命、産業革命による近代化、2度の世界大戦、19世紀から20世紀前半にかけて激動の時代に民衆が求めた芸術を見つめます。この時代、自分たちの芸術とは何か?画家たちの葛藤が傑作を生み出します。ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix、1798-1863)は19世紀フランスで活躍したロマン主義を代表する画家です。「赤の間」にあるロマン主義を代表する画家・ウジェーヌ・ドラクロワが革命と自由を描いた「民衆を導く自由の女神」(1830年)は、1830年に起きた7月革命を主題とした作品で、キャンバスからは革命の熱気、祖国への想いや愛情が伝わってきます。パリの街で、当時の国王シャルル10世の悪政に対して立ち上がった民衆の姿を描いています。激動の19世紀を象徴する一枚の作品で、画面下部では戦いで息絶えた兵士が横たわり、そこを剣や銃を手にした市民たちが突き進みます。市民たちを率いているのは、画面中央で三色旗を掲げる「自由の女神」で、瓦礫を踏みしめ、ほこりにまみれ、民衆を鼓舞する姿はフランスのシンボルです。ここで民衆を導く女性に注目してみましょう。なぜ彼女は大胆にはだけた服装をしているでしょう?画家で美術史家のドミニク・デメ氏によると、女性の胸というのは母親をイメージするとの事。つまりこの女神は”母なる大地”、すなわち祖国を表しているといいます。「祖国のために戦い、自由を勝ち取ろう」というドラクロワのメッセージなのです。また、ドラクロワにはもう一つ狙いがありました。それは鑑賞者が一目見て、この女性が”女神”である事を認識させるということです。女性のヌードというのは、神話に出てくる女神やヴィーナスにだけ許される表現でした。実はこの時代はまだ一般女性のヌードを描くことがタブーだったのです。逆に言うと、「裸の女性」が絵の中にいたならばそれは”女神”や”ヴィーナス”なのです。この作品の原題(仏語:La Liberté guidant le peuple)を直訳すると「民衆を導く自由」となります。フランスの人にとってはわざわざ”女神”と表記しなくても女性が女神だと分かりますが、日本人にはそのような発想がないので、観衆的に《民衆を導く自由の女神》とされているのです。革命の翌年にこの作品がサロン展に出品されます。発表されるやいなやパリ市民からは絶賛されます。ところが画壇からは激しい非難が浴びせられます。特にドラクロワと激しく対立したのがドミニク・アングルです。アングル率いる当時の画壇は新古典主義が主流でした。この作品も有名で目的のひとつ、作品とのスリーショットも実現しています。【今日のLifeHack:真の戦いはこれからである。奇襲の一戦に心驕るようでは真の強兵ではない、山本五十六】<《民衆を導く自由の女神》とスリーショットが実現><ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」(1830年)>
June 14, 2020
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何がフランスに新しい表現をもたらしたのでしょう。パリ郊外のコンデ美術館に謎を解く一枚の絵があります。ダ・ヴィンチの描いた「モナ・リザ」と同じく、こちらに微笑みかける裸婦のデッサン画で、通称「裸のモナ・リザ」と呼ばれるこの作品は、ガブリエルデストレと同じく現実の女性の裸体美を表しています。きめ細かな肌の陰影は木炭で表わされており、ダ・ヴィンチが用いたスフマートを彷彿とさせるようで、この美術館の調査では、ダ・ヴィンチの指導の下に彼の弟子が描いたと考えられています。ダ・ヴィンチの死後、この絵はフランスである役割を担います。目の輪郭に沿って並ぶ無数の黒い小さな穴。絵を写し撮るために刺された針の跡です。この絵は多くの画家に模写され、実在の女性の裸体を描くことがフランスに広まっていきます。ダ・ヴィンチの遺産はフランスに新たな芸術の命を育んだのです。「誰もが競って天才を真似ようとしました。現実の女性の裸体を描くというスタイルはダ・ヴィンチによってもたらされたので、その結果裸のモナリザはフランスで大いなるルネサンスを作り出したのです。この絵にはダ・ヴィンチ自身が残したとみられるかすかな痕跡があり、鑑定の結果ダ・ヴィンチと同じ左利きで描かれた跡、腕に斜めに走る幾筋かの細い線が見つかったのです。フランスで過ごした最晩年、ダ・ヴィンチは半身不随と戦いながら左腕だけで描き続けました。。天才レオナルド・ダ・ヴィンチ、その眼差しは最後の瞬間まで、この世界の人間の美を探し求めていたに違いありません。人間とは何か。大いなる問いを投げかけながら、モナ・リザは今も永遠を生きています。「人は時があまりに早く過ぎ去ることを嘆くが、それはちがう。時は十分すぎる時間をかけて移ろうことを知るべきである。我々は天から授かった力によって遠い記憶を目の前に感じることができるのだから」ルーブル美術館、一人の天才と共に生まれた人類美の殿堂です。【今日のLifeHack:苦難に対しては真正面から立ち向かいさらに精進を積む。成功に対しては謙虚にして驕らず、さらに真摯に努力を重ねる、稲盛和夫】<裸のモナ・リザ><裸のモナ・リザの目の周辺に針穴><比較>
June 13, 2020
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人々の憎しみが静まったのは虐殺から20年後、新しい国王・アンリ4世がプロテスタントの信仰を認め宗教対立を終わらせます。荒れ果てたフランスの立て直しを図った国王は、フランソワ1世同様に芸術の力を重んじ、その復興の象徴がルーブルで、宮殿の中に巨大な回廊「グランドギャラリー」を築かせます、それが今日のグランドギャラリーです。王はここに画家や彫刻家、金銀細工師など多くの芸術家を住まわせ、ルーブルを拠点にフランス独自の美が芽生えて行きます。「ガブリエルデストレ」、この絵が実在の女性の裸体を描くきっかけになったといいます。フランスでそれまで神話の世界などの表現にしか女性の裸体を描くことが許されていませんでした。ガブリエルデストレは国王アンリ4世の寵愛を受けた女性で、目を引くのは白く透き通るようななめらかな肌と、乳首をつまむ仕草です。不思議な絵には様々な憶測が投げかけられてきました。この仕草はガブリエルが王の子を宿したことを示しているのではないか。だから僕の部屋で縫い物をする侍女は子供の産着をこしらえているのだ。その証拠に彼女は指輪を見せて正妻の座を王にせがんでいるではないか。いやいやそうではない。乳首をつまむ指をご覧、指輪のリングに見えるだろう、赤い乳首はルビーだよ。だってルビーは子孫繁栄の象徴なんだから。憶測をよそにただこちらを見つめるガブリエル、この絵のような実在の女性の裸体表現が広まっていきます。【今日のLifeHack:僕は威張るのは嫌いなの。苦労したからというのもあるけれど、性格だね。それが「運」だと思うしね、丹道夫】<「カリアテイード」(女人像の柱)><2019年1月2日撮影、「カリアテイード」><ガブリエル・デストレとその姉妹ピヤール公爵夫人とみなされる肖像><ガブリエル・デストレとその姉妹ピヤール公爵夫人とみなされる肖像>(1594年頃・作者不詳)<「指輪」のリングに見える乳首をつまむ指と、見せつける「指輪」>
June 12, 2020
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フランソワ一世は生涯をかけてフランスにルネサンスを根付かせようとします。「余はルーブル城の中にイタリアで見た宮殿と同じような広々とした邸宅を築くことに決めた」それまで数ある城の一つに過ぎなかったルーブルは華麗な宮殿へと姿を変えていきます。ルーブルで最も古い宮殿建築は、「レスコー翼」で、その中心にはフランソワ1世が愛したルネサンス風の広間が設けられました。それが「カリアティードの間」で、ここでは舞踏会や華やかな宴が繰り広げられました。「ルーブル宮殿を平和と芸術の国の中心とする」、この言葉がフランソワ1世の遺言となりましたが、その遺言は守られませんでした。。フランソワ1世が亡くなった20年後、孫にあたるシャルル9世がフランス王に即位します。ルーブル美術館には、シャルル9世の「黄金の兜と盾」が展示されていて、きらびやかな金細工のこの兜は、この時代のフランスを覆った不穏な空気を伝えています。そこには兵士を襲う馬の姿や、古代ローマのグロテスクな怪人の姿が表されています。この頃フランスでは、王家が信仰する「カトリック」と新しく生まれた「プロテスタント」との宗教対立が深まっていました。1572年8月、宗教対立の和解を目指してカリアティードの間で宴が催されます。王の妹マルグリット・ド・ヴァロワ(カトリック)とプロテスタントの貴族との、反対する者も多い結婚でした。しかし宴のあとルーブルに隣り合うサンジェルマン・ロクセロワ教会の鐘が打ち鳴らされます。実はこれがプロテスタント襲撃の合図で、逃げ惑うプロテスタントの貴族が宮廷で殺され、フランソワ1世が愛したカリアティードの間は、惨劇の舞台となってしまいます。シャルル9世は強硬派の暴走を抑えきれなかったのです。ルーブルから始まったのが「サン・バルテルミの虐殺」で、争いはフランス中に広がり、フランスを狂気で包みます。平和と芸術の国を目指したフランソワの理想は潰えたのです。人々の憎しみが鎮まったのは虐殺から20年後の事でした。新しく王位に就いたアンリ4世がプロテスタントの信仰を認めて宗教対立を終わらせたのです。【今日のLifeHack:威張るなよ。威張っちゃダメだぞ、斎藤一人】<レスコー翼><ルネサンス風の広間><シャルル9世の黄金の兜と盾><シャルル9世の黄金の兜>
June 11, 2020
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1516年にレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招いたフランソワ1世が、彼と共に過ごした時間は、1519年にこの世を去るまでの僅か3年でした。天才の死は王のコレクションに偉大な遺産をもたらします。それは死の間際まで手元に置き筆を入れ続けたとされる一枚、「モナ・リザ」(1503年-1519年頃)です。微笑みを浮かべまっすぐこちらを見つめる女性は、誰もが知る名画でありながら未完の作品で、また今日までそのモデルは諸説あり確定していません。美術史において最大の謎を孕む名画です。「モナ・リザ」の背景に広がる荒涼とした風景は、世界の成り立ちについてのダ・ヴィンチの探求といわれています。隆起した大地は水に削られ絶壁となり、その水はやがて川となり血液のように循環し、地球に息吹を与え、やがて人の住む土地が生まれます。そんな世界の始まりの光景を背にして、私たちに微笑みかけているのです。イギリス・ヴィクトリア朝時代の批評家のウォルター・ペイター(Walter Pater、1839-1894)は「モナ・リザ」について以下のように述べています。「彼女は自分の座を取り囲む岩よりも永く生きている。レオナルドはこの世のあらゆる思想や経験。ギリシャの官能。ローマの放蕩。中世の神秘主義。それら全てを象ろうとしたのだ」と。レオナルドダヴィンチの生涯の問い。この世界とは何か。人間とは何なのか。その問いは一枚の絵画となって後世に託されました。フランソワ1世はその生涯をかけて、フランスにルネサンスを根付かせようとします。ルーブルはそれまでは数ある城の内の一つに過ぎませんでしたが、城の中にイタリアで見た宮殿と同じような邸宅を築こうと試み、華麗な宮殿へとその姿を変えていきます。昨年の1月2日、43年ぶりでルーブル美術館を訪れ、「モナ・リザ」を目の当たりにして感動、自由行動でしたが、添乗員さんのご好意で、渡仏の最大の目的の一つ、「モナ・リザ」とのツーショット、スリーショットが実現したのを懐かしく思い出します。「モナ・リザ」は偉大なり、「モナ・リザ」は永遠なり!。【今日のLifeHack:自分は威張ってなどいないという人でも、謙虚になることは必要だと思います。知的であることの最低条件は、自己懐疑ができることですから、謙虚さは、その出発点になるのです、福岡伸一】<モナ・リザとスリーショット><モナ・リザ><ウォルター・ペイター「彼女は自分の座を取り囲む岩よりも永く生きている。」><レオナルドはこの世のあらゆる思想や経験。ギリシャの官能。ローマの放蕩。中世の神秘主義。それら全てを象ろうとしたのだ」>
June 10, 2020
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昨日、推理小説が好きな妻がテレビを観ていて、「林与一さんが出ている!」と。テレ東・月曜プレミア8「 内田康夫サスペンス”新”信濃のコロンボ 追分殺人事件」です。林与一さんがはじめ善人で登場しますが、後で正反対の裏の顔を演じています。今年の2月3日、林与一さんとツーショットが実現したのを思い出します。元歌舞伎役者らしい気品があり、イメージ通りの素敵な紳士です。撮影時に逆光への配慮など、その優しい気遣いに驚かされました。今後益々のご活躍をお祈り致しております。FM ilovecb・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・軽井沢~東京170キロ離れた2つの不明死体!?カギは魔女人形と39年前の北海道?執念の捜査が結ぶ衝撃の点と線!内田康夫×伊藤淳史×中村梅雀!新旧コロンボが強力タッグを組み“信濃のコロンボ”新シリーズが誕生!「困ったな」が口癖の長野県警の警部が“犬が吠えなかった謎”に挑む。【出演者】竹村岩男…伊藤淳史、 大森修治…中村梅雀、 岡部和雄…三浦貴大、 竹村陽子…美村里江、 北川忠…利重剛、 出崎孝治…長谷川朝晴、 寺沢美由紀…矢島舞美、 吉井正義…戸田昌宏、 木下真司…財木琢磨、 坂口太…岩上隼也、谷田恵美…国生さゆり、骨董店の店員…徳重聡、 丸岡一枝…篠原ゆき子、 丸岡武人…堀内正美、 永井満良…林与一。【番組内容】ある冬。軽井沢・信濃追分の雑貨店の軒先で死体が発見され、「困ったな」が口癖の“信濃のコロンボ”こと長野県警捜査一課の警部・竹村岩男(伊藤淳史)は現場へ急行する。被害者は身元不明の初老の男(山上賢治)。ドアにもたれ掛かるように絶命していたが、第一発見者の店主・丸岡一枝(篠原ゆき子)は男に見覚えがないという。さらに事件から4日目。今度は東京・本郷追分の「八百屋お七の墓」前に初老の男(ホリベン)の絞殺体が。警視庁のキレ者・岡部が捜査にあたるが、やはり被害者の身元がわからぬまま…。“追分”という共通点に加え、一枝の実家が本郷追分の現場近くにあることが判明。関連性を疑った竹村と岡部は協力しながら事件を追い始めるが、手掛かりが少なく身元もつかめず捜査は難航する。2つの“追分”で起きた殺人――そんな事件を繋ぐ鍵は北海道にあるもうひとつの“追分”の地にあった!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<林与一> 1942年2月14日(78歳)曾祖父は大阪の歌舞伎役者初代中村鴈治郎。大阪の歌舞伎一家に育ち、1958年15歳の時、歌舞伎座で初舞台を踏む。歌舞伎の世界からテレビや映画の役者に転身、大阪から上京し俳優の長谷川一夫に弟子入り。1964年、 NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」の出演で一気に知名度を上げる。1972年には、代表作となった「必殺仕掛人」で浪人剣士、西内左内を演じ人気を博した。1977年に女優で歌手の小川知子と結婚したが1983年に離婚、1988年に再婚し1989年に47歳で最初の娘が誕生し、現在の妻との間に4人の子供。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:富貴に驕ってはならない。貧賤を憂えてはならない。ただ知識を磨き、徳を高めて、真の幸福を求めようとすること、渋沢栄一】<今年の2月3日、林与一さんとのツーショットが実現><昨日のテレビ「新・信濃のコロンボ追分殺人事件」><はじめ善人役で登場した林与一さん><実は、裏の顔が・・・><最近、テレビで流れるCMの林与一さん>
June 9, 2020
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レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招いた国王フランソワ1世はその出会いを機に、イタリア・ルネサンスの傑作の収集を始めます。ルネサンス随一の彫刻家、ミケランジェロ・ブオナローティの二体の彫刻作品もルーブルは所蔵しています。一つは、「抵抗する奴隷」(1513-1515年)、もう一つは、「瀕死の奴隷」(1513-1515年)です。「抵抗する奴隷」、後ろ手に縛られたこの像が表しているのは「人間の業」です。肉体に潜む抑えがたい欲望に対して、懸命に抗う姿が表現されています。一方、「瀕死の奴隷」は死こそは暗き牢獄の終わり、既に抵抗することを諦め、苦しみから解き放たれる瞬間に身を委ねています。この2体の彫刻は、救いを求める魂が表現されていて、人間の内面を見つめるルネサンスの傑作です。【今日のLifeHack:敵とは己の中にある傲慢と打算が作り出すものなの、スチーム・ボーイ】<ミケランジェロ「抵抗する奴隷」、「瀕死の奴隷」><抵抗する奴隷><瀕死の奴隷>
June 8, 2020
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昨日の「世界ふしぎ発見!」は、エジプトが舞台。魅惑の古代エジプト!、世界最古のピラミッド、ファラオの生き物愛、ナイル川縦断1000キロです。エジプトと聞いただけで、妻は興奮します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「世界ふしぎ発見!」『ナイル縦断1000km!時代をコロガシた古代エジプトの謎』2020年6月6日(土) 21:00~21:54 TBS【レギュラー出演】 草野仁 , 黒柳徹子 , 野々村真 , 出水麻衣【その他】 篠原かをり ,ワニは古代エジプト時代ナイル川一帯に広く生息していて、農耕の守護神として崇められた。 古代エジプトでは魂のことを「バー」、精霊のことを「カー」と言い、その「バー」と「カー」はそれぞれ羊とカラスの鳴き声から来ている。フンコロガシはふんを食べるので、衛生を守ってくれる存在と考えられていた。クエスチョン2:正義の象徴とされた鳥とは?···ダチョウ。金字塔はピラミッドのことで、人類が初めて素晴らしい業績を残した最初の建築物でその表現は適切と。古代エジプトで始まった世界最古の産業、それは、養蜂。ミツバチがいなければ野菜などが実らず、ミツバチがいなくなってしまえば4年で世界が終わってしまうという。クエスチョン3:犬への愛情と技術がわかる出土品とは?···首輪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<フンコロガシ、ヒトコブラクダ、ワニ>篠原かをりはエジプトで一番会いたい生物にフンコロガシと答え、自分の1141倍の重さのものを持ち上げて転がしていて、成人女性が象10頭分を持ち上げて転がす力だという。彼女は慶応大学の大学院生で、現在は作家としても活動している。最初にアスワンへ。村を巡るとフォトジェニックな建物があちらこちらに。巨大なワニが吊るされていたりし個性的な家ばかりだった。この地域ではワニは強さの象徴で魔除けのためにはく製を飾ったりペットにして健康上にのお守りにするという。<アスワン・ハイ・ダム、アブ・シンベル神殿、コム・オンボ神殿、ナイルカバ、トガリネズミ、エジプトマングース>ナセル湖は1970年にアスワン・ハイ・ダムの完成によって出来たナイル川にできた人造湖。アブ・シンベル神殿現在の位置から64メートル低い場所にあった。ユネスコは遺跡の救済を呼びかけて世界60カ国の救助で移築計画が始動。アスワンから北へ車で走ること30分。コム・オンボ神殿はワニの姿をした神様を祀った神殿。エジプト中部のルクソールはツタンカーメンが活躍した場所で王家の谷へ。ツタンカーメンは9歳の時に即位し、10年ほどで亡くなった謎多き人物。その棺にはヒエログリフが残っていた。1922年の11月にハワード・カーターは未盗掘の状態だったツタンカーメン王墓を発見。黄金マスクなど総数5000点を見つけ5000点以上。そして12のヒヒが描かれ、知恵文字などを司るとされた。今回注目するのはツタンカーメン王墓の隣の遺跡。太陽神ラーは一日に死と再生を繰り返す不死の存在とされ復活再生という考え方はエジプトの死生観だという。<ルクソール博物館、ハエ>追い払っても立ち向かってくるエジプトの勇気のシンボルは?と問題が出た。正解はハエで黒柳徹子らが正解。<カルナック神殿 (エジプト)、羊、ヒジリタマオシコガネ>ルクソールのカルナック神殿の入り口には羊の顔の像が並んだ。古代エジプトの人々は羊を鳴き声をバーと鳴いていると考え、バーは肉体など人間を構成するものと考えた。さらに魂と考えられ神聖視された。さらにその中央にはスカラベの像が。ヒジリタマオシコガネはいわゆるフンコロガシ。古代エジプトではフンコロガシの丸い糞が太陽の象徴でなにもない糞から成虫が生まれてくると考えられていたからか復活再生の象徴に。神様の顔にまでなっている。さらにこのスカラベの像は反時計回りに7周すると願いことが叶うジンクスがある。次にサッカラへ。長年の補強工事が終わりその内部が公開、その地下に進むと不思議な空間があり、4700年前のタイルがあり世界最古のものだという。<カイロ考古学博物館>博物館にはツタンカーメンの黄金マスクがあった。マスクにはコブラとハゲワシ、ハヤブサがかたどられ、ファラオも生きものを愛していたという。ツタンカーメンの即位名はネブケペルウラー。名前の中にはスカラベのヒエログリフが含まれ、ツタンカーメンの副葬品にはスカラベの胸飾りもあった。<犬>古代エジプトの人々は犬をいかに大切にしてきたかわかったが犬への愛情と高い技術がよくわかる出土品は?と問題が出た。その正解は首輪だった。当時犬はペットとして狩りにも同行していたという。革製品の首輪だが世界最古の革製の犬の首輪だという。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1995年、憧れのエジプトを訪れたのを思い出します。【今日のLifeHack:自信は過信に流れる。そして過信を放っておくと慢心に化ける。慢心はやがて増幅され傲慢になる、新将命】<昨夜の「世界ふしぎ発見!」><サッカラの階段ピラミッド><1995年12月、階段ピラミッドの前で><ギザの三大ピラミッド><ツタンカーメン黄金マスク、我が家では「トタンカーモン」><1995年12月18日、ピラミッドとスフィンクスの前で><・・・左奥ピラミッドの下部しか見えない・・・>
June 7, 2020
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自費出版した「ilovecbのブログ in 2019」を友人・知人へ迷惑覚悟で送りました。手紙を添えて・・・.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冠省日々、「COVID-19」対応で、これまでに経験したことのない不自由な中、元気でお過ごしのことと存じます。私事ですが、57歳で亡くなった父より10年近く長生きし、お陰様で間もなく66歳を迎えようと致しております。さて、今年も私の生きた証、2006年から一日も休むことのない日記14冊目の出版に至りました。「STAY HOME!」で思ったように身動きできない今、再び出掛けられる日が訪れるのを待ちわびながら、私の趣味「××××××」を中心に昨年を振り返り綴ってみました。ご迷惑とは存じますが、ご笑納頂ければ幸いに存じます。それでは「COVID-19」に負けず、毎日元気で過ごされますようお祈り致しております。早々令和2(2020)年5月吉日ilovecb・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すると、毎年のことですが、心ある方々?から本を受け取った旨のメール、電話、手紙、ハガキが届きます。嬉しいものです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(メッセージを抜粋すると・・・)◆「またの出版おめでとう!」2006年からのilovecbさんの「生きた証」である本がこれで14冊にもなりますね。よく続いたと思うし、またこんなに多くの有名人に会え、かつ様々な場所を訪れては記念となる写真まで撮られるとは全くの驚きです。同時にこんなに沢山の本や写真をいただいて恐縮しています。66歳でyy長として現役とはまだ若いですね。私一昨年3月31日にやっと解放され、その後は毎日畑仕事、庭の草取り、時折絵を画いたりして、このコロナ災害下で何とかやっています。何とかやっているだけで、xxさんのような残るようなことではなく、今は終活にいそしんでいます。ilovecbさんの写真の中には自撮りもありますね。あとは奥様が撮られたのでしょうか。更にご活躍されますように。奥様にもよろしくお伝えください。 2020年5月. zz(元教授)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆「「2019ブログ」をありがとうございます」ilovecb兄ご無沙汰です。昨日貴兄の2019ブログ集を拝受、最高に中身の濃い日記ブログですね。サラリーマンとしての人生謳歌度、ブログ編集の努力度・根気度で、「日本ベスト10」入りは確実ですね。ブログ集のコンテストといったものはないのですか。コロナ禍の巣ごもり列島での生活となっており、ブロガー泣かせの環境ですが、ここは貴兄の真骨頂発揮の局面です。たくましく乗り切って下さい。小生はナマケ心に負け、年内の著書発行はまたもや延期になりそうですが、貴兄の頑張りを見習い、今日からまた生活を改めます。愛の鞭をありがとう。 zz(元上司役員)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆「ブログまとめ書籍ありがとうございます。」ilovecb様この度は、素晴らしいまとめ書籍お送り下さいまして誠にありがとうございます。ゆっくりと拝見させて頂きます。一足先に仙台は日常を取り戻しつつあります。一番町や中央通りも人出が戻ってまいりました。 zz卒業後ジョギングしています。尚絅学園下 広瀬川河川敷ではGW中=自粛宣言中川遊びの中学から大学生らしき人でにぎわっていました。新型ウィルスよりも大腸菌の感染確率が高いような気がしましたが、新聞には何も載っていません。とても丈夫なのだと(科学的根拠なし)安心しています。xx様、奥様におかれましても健康には十分にお気をつけ願います。 zz(元同僚、今社長)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆感動探しの御本をお送り頂きありがとうございました。ただただ驚くばかりで、ご夫婦共々心身たくましく人生を楽しまれているのですね。有名人とどのようにして会えて握手出来るのかな?楽しい日々をお過ごし下さいませ。 zz(恩人)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆本届きました。いつもありがとうございます。コロナで大変ですが収束するまで、自宅でゆっくりしてます。お互いに気を付けましょう。奥様によろしくお伝え下さい。 zz(元同僚)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆「本、受け取りました。」ilovecbさん、本日、本を受け取りました。ありがとうございます。最近地震が多くて気がかりです。そして、今は、COVID-19の終息するのを願うばかりです。ご連絡、御礼まで。 zz(友人)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自◆伝書が届きました。ありがとうございました。 zz(友人)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆「本、届いたよ。」本が届きました!2019もずいぶん活動しましたね。今年は新コロナ騒ぎで苦難の年となりましたがメゲずに頑張ってください! zz(友人)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆こんばんは。ilovecbさんの本が届きました。有り難う御座います。添付の日経の写し興味深く読ませて頂きました。岸恵子の見方が変わりました。 zz(友人)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆こちらへも届きました。今回はいつにも増して厚みがあるような!ありがとうございました。 zz(友人)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:自分の成功を何もかも一人でやってのけたように主張することは、とても浅はかで傲慢なことだ、ウォルト・ディズニー】<熱い応援メッセージ><ハガキも><自費出版「ilovecbのブログ in2019」><一日も休まないブログ、14冊目>
June 6, 2020
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ダ・ヴィンチ30代の傑作「岩窟の聖母」(1483-1486年)は、幼子イエスが洗礼者ヨハネに祝福を与える瞬間が描かれています。祭壇画として依頼されたこの絵をダ・ヴィンチは、祈りを捧げる聖ヨハネと祝福で答えるイエスの二人がいるのは草生い茂る闇の中、異色な作品ともいえる仕上がりにし、「聖なる存在を暗がりに描いた」として依頼主から受け取りを拒否されてしまいます。しかし、ダ・ヴィンチにはそこにしっかりとした意図がありました。聖母マリアの背後に見えるのは洞窟の入り口で、洞窟は女性の子宮を象徴するとされています。マリアが処女のままイエスを身ごもったという聖書の教えを風景の中に暗示したのです。しかしマリアの表情は現実の女性のようで、「神の世界はこの世の中にこそ存在する」、天才だけが到達し得た美の世界でした。この「岩窟の聖母」は世界に2点存在し、1点は「ルーブル・ヴァージョン」、もう1点はロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵するもので「ロンドン・ヴァージョン」と呼ばれています。そのどちらもほぼ同じ構図、構成で描かれて、最初に描かれたのがルーブル・ヴァージョンで、その次に描かれたのがロンドン・ヴァージョン、1495-1508年作とされています。同じタイトルの作品が2枚描かれた理由は諸説あり、はっきりとは分かっていません。・・・今年の正月にロンドン・ナショナル・ギャラリーを訪れ、目的の一つ、レオナルド・ダ・ヴィンチ作「岩窟の聖母」を観たかったのですが、この時期、特別展示になっていて展示室が違い、時間の余裕が無く見られませんでした。当然、スリーショット、叶わず・・・です。【今日のLifeHack:誇りは気高いが過剰になれば傲慢だ、デューク・東郷】<岩窟の聖母><岩窟の聖母(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)>
June 5, 2020
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今朝の日経新聞「文化」欄に「アンビグラム」の文字を見つけて嬉しくなりました。「アンビグラム」のお話は、昨年の4月4日にブログアップして以来です。https://plaza.rakuten.co.jp/ilovecb/diary/201904040000/野村一晟さんの作品に感動、その才能には驚かされるばかりです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アンビグラム 見方変えて伝える文字アート 複雑な形の漢字・ひらがな使い制作 野村一晟 2020/6/4付中学や高校では美術の時間に文字デザインも習う。レタリングをはじめ様々な文字の装飾例が教科書に載っている。私が作っている「アンビグラム」も文字デザインの一つだ。アンビグラムは「アンビ(両方)」と「グラム(文字)」の合成語。その名の通り、見る方向を変えたり鏡に映したりすると、同じ文字列や異なる文字列が浮かび上がる。アンビグラムは1970年代の米国で普及し始めたといわれる。英語のローマ字は反転させても左右、上下の対称性がうまく働く特性を持つ。形が複雑な日本語の漢字やひらがなよりもアンビグラムになじみやすかったのだろう。私がアンビグラムに出合ったのは大学時代。ダン・ブラウン原作の映画「天使と悪魔」(2009年)を見たのがきっかけだ。劇中に登場する秘密結社「イルミナティ」の暗号にアンビグラムが使われていた。向きを変えて見るとearth、air、fire、waterの大・小文字織り交ぜた文字列が現れるものだった。映画を見た後、劇中に登場したアンビグラムを再現してみた。次に自分の名前をひらがなでアンビグラムにしたところ、思いのほかうまくいった。以来、困難といわれてきた漢字やひらがなによるアンビグラムが制作の中心になっていった。大学卒業後も教員をしながらアンビグラムの普及活動をしていたが、広まらなかった。だが17年に転機が訪れた。イベントで売れた「陰」と「陽」の漢字を用いた作品のポストカードがツイッターで投稿され、注目されるようになったのだ。その後、「挑戦」を逆さにすると「勝利」になる作品がボートレースのポスターに採用され、「才能」が「努力」に変わる作品は中学校の美術の教材にも掲載された。アンビグラムの作り方は文字を重ねることから始まる。例えば「うみ」と書き、逆さにする。次にその上から「そら」と書く。それぞれの文字に重なる部分ができ、共通の部分を太く、重ならない部分を細く描く。重ねる際に文字を選ぶ必要もある。「うみ」と「そら」の場合、「う」と「ら」、「み」と「そ」が似た形になり、作業がしやすい。90度回転させたり、鏡に映したりする場合も考えながら文字を重ねる。漢字の場合も同様だが、ひらがなよりも形がより複雑になり、似た字を探しづらくなる。そこで利用するのが字体だ。くずし字など様々な古い字体を使い、対処する。例えば、「平成」を逆さにすると「令和」になるアンビグラム。一見すると全く異なる字だが、字体を様々に組み合わせて作ることができた。テレビ中継で新しい元号を発表する瞬間に制作する予定だったので、相性の悪い漢字ならどうしようかと不安だったが、いい思い出になった。関連する言葉を調べ、重ねられる文字を探すのも手だ。「賭博」を90度倒すと「禁止」の文字が出現するアンビグラムはその代表例だ。当初は「賭博」に対し「逮捕」の言葉が浮かんだが、合わせづらいため、雰囲気が似て関連する「禁止」を用いた。社会的なメッセージをクールに伝えられるのも魅力だ。これからは人々に普通に使ってもらえるデザインを追求していきたい。文字は何千年も昔からある。毎日使って見かける文字に特別なメッセージを入れられるのは、アンビグラムというアートならではの特徴であり利点だ。文字の長い歴史と同様、アンビグラムも末永く残ると信じている。(のむら・いっせい=アンビグラム作家)コロナ禍に際し感謝の気持ちを込めた作品。右に90度回転すると「感謝」と「当たり前」の文字が現れる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【今日のLifeHack:人生最大の病は傲慢なり、矢崎勝彦】<アンビグラム><賭博・禁止、あがり・むらさき、建設・感動、野村一晟><今朝の日経新聞「文化」><「感謝」と「当たり前」><昨年の4月4日に「アンビグラム」のお話をブログアップ><「平成」と「令和」><弟の還暦祝いでも大活躍、活用させて頂きました。>
June 4, 2020
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先日、今話題の本、ライフネット生命保険の創業者で「APU」立命館アジア太平洋大学学長・出口治明著「還暦からの底力」を買って読み、文中に記されたメールアドレスへ、最後に「R.S.V.P.」の文字を入れ感想を送信してみました。すると、なんと3日後に返信があり、驚かされました、セレンディピティです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<出口治明学長の返信>XXさま メール、ありがとうございました。嬉しいです。落ち着いたら、APUにお訪ねください。6冊は、その通りです。ブログ、拝読、続けることは素晴らしいことです。出口・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<私のメール>冠省初めてお便りさせて頂きます。XXと申します。65歳現役で毎日仕事をこなしています。この度、新聞広告で見た数々のフレーズに共感を覚え、「還暦からの底力」を買って読ませて頂きました。以前から、「日経ビジネス電子版」で「出口治明の『5000年史』講座」を拝読しており、話し掛ける様な分かり易い文体に親近感を覚えつつ楽しんでおりましたが、第11回「日本は冷戦終結で打撃を受ける 災難続く21世紀だが世界は良くなる」で最終回を迎えるとのこと、寂しい想いを致しております。さて、迷ったら買うで「還暦からの底力」を求めましたが、共感する箇所を反芻しながら1日で読み終えてしまいました。今後の人生の指針として役立ちそうです。但し、妻は、車を運転中、分からない方の道を選び、山の中で道に迷ってしまい、崖の上で怖い想いをしたことを思い出していました。著書で引用された小田島雄志様の言葉「人生の楽しみは喜怒哀楽の総量」、プラスやマイナスではなく、その総量絶対値ですから、それも人生の楽しみでしょう。また、新聞広告に「人生で絶対読むべき6冊の本」と記されており、気になって探しましたが、目次ではタイトル付けされておらず、読者に文中で探させるという手法に感心しました。やっと見つけた6冊、①ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」、②ウォーラーステイン「近代世界システム」、③アダム・スミス「国富論」、④「道徳感情論」、⑤ジョン・ロック「統治二論」、⑥ダーウィン「種の起源」でよろしいでしょうか。それでは、出口様の益々のご活躍を期待しつつ筆をおくことにします。早々R.S.V.P.XXPS.2006年から一日も休まず続けている拙い小生のブログがあります、ご覧頂ければ幸いに存じます。URL: https://plaza.rakuten.co.jp/ilovecb/ 今好きな言葉は、「うまくいっている事は続ける」と「誰でも出来ることを、誰にも出来ないくらい長く続ける」です。続けていると、小生の好きな言葉「セレンディピティ」にも出会えます。【今日のLifeHack:傲慢になった人類には必ずしっぺ返しが来る、手塚治虫】<「還暦からの底力」><「還暦からの底力」のAPU出口治明学長から返信>
June 3, 2020
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ルーブル美術館の中に入り、ここでの最大の展示室「グランドギャラリー」が映し出されます。全長350mの回廊に及ぶ美の回廊で、左右の壁にはイタリア・ルネサンスの名画の数々が展示されています。この中に、イタリアルネサンスが生んだ天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作の一つ「聖アンナと聖母子」(1503-1519年)があります。そこに描かれているのは幼子イエスとイエスに手を伸ばす聖母マリア、そして二人を優しい眼差しで見つめるのは、マリアの母親の聖アンナです。イエスが戯れている羊は、キリスト教では”犠牲の象徴”を意味し、聖母マリアはやがて我が子・イエスに降りかかる運命から引き離そうとしています。二人の母の慈愛に満ちた微笑みが見られます。イエスの姿をよく見てみると、輪郭の線がなく陰影のみで表現されるスフマートと呼ばれる技法を使い、絵具を何層も塗り重ねて陰影を表しています。ダ・ヴィンチは生涯、目に映るままの世界を表現しようと探求を続けました。この傑作をフランスへと導いたのは、フランス国王・フランソワ1世で、美術品を愛好したその王の肖像画は、気品あふれる姿で表現されています。手触りまで感じさせる上質な衣服。細やかな刺繍が施されています。【今日のLifeHack:勝って驕るな、負けてひがむな。負けたのは自分の努力が足りなかっただけ、舞の海秀平】<グランド・ギャラリー><聖アンナと聖母子><フランソワ1世>
June 2, 2020
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先日放送されたEテレ「日曜美術館」オルセー美術館は、ブロ友「maki5417さん」からご案内があり、何とか再放送に間に合いましたが、今回また見逃してしまいました。5月17日、NHK 大河ドラマ「麒麟がくる」を観ていて、裏で放送された「ルーブル美術館(1)すべてはレオナルド・ダ・ヴィンチから始まった」に気づきませんでした。翌週5月24日、午前中は「ルーブル美術館(2)永遠の美を求めて」を、夜はNHK大河を諦めて、ルーブル美術館(1)すべてはレオナルド・ダ・ヴィンチから始まった」の再放送を観て、事なきを得ました。昨年1月2日に43年ぶりに「ルーブル美術館」を訪れ、妻は初めてですが現地で感動しただけに、懐かしく、思い入れがあります。ルーブル美術館は、パリの中心、セーヌ川のほとりに建ち、古代メソポタミアから中世、ルネサンスを経て19世紀美術まで68万点の作品が収蔵されています。さて、放送順に辿りましょう。【語り】は柴田祐規子さんです。1515年、フランス国王・フランソワ1世はイタリアに攻め込み、戦いに勝利しましたが、そこでルネサンス期のイタリアの豊かな文化を目の当たりにし、芸術面ではイタリアに及ばなかったことを嘆きます。そこで、翌1516年、イタリア・ルネサンスに憧れたフランソワ1世は、その中心人物レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招聘します。64歳だったダ・ヴィンチは、イタリアでパトロンを失い活躍の場が無く、自らの傑作「モナ・リザ」等を携えてフランスの土を踏み、最晩年の3年間をフランスで過ごし、弟子たちに画業を教えます。そして、ダ・ヴィンチが死ぬまで手元に置いて手を入れ続けた「モナ・リザ」が彼の死後、弟子のサライに譲られ、それをフランソワ1世が買い取って、ルーブル城をイタリア風宮殿に作り替え、ルーブル宮殿「平和と芸術の国の宮殿」にし、美の殿堂の礎を築きます。「我より以前、フランスのすべては俗で貧しく、無知であった。我は芸術の父に任命されたのである」。「モナリザ」「岩窟の聖母」など、ダ・ヴインチやミケランジェロなど世界最高の傑作が次々とルーブルに収集され、フランスは芸術大国の道を歩み始めます。ルーブル美術館は、レオナルド・ダ・ヴィンチから始まり、人類のあらゆる美の記憶が刻まれることになります。【今日のLifeHack:恐れず、驕らず、侮らず、内山高志】<ルーブル美術館><昨年正月2日に43年ぶりに訪れた「ルーブル美術館」>
June 1, 2020
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