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琴子の写真。亡くなった直後の、まだ柔らかい、まるで生きているかのような琴子の写真。ずっと大事にしている。携帯用にパウチしたりして、車にも一緒に乗ったりして。リンズの写真は増える。でも、琴子の写真は増えることがない。もう姿がないから、どうしたって増えることはない。不思議なことに、どんどんと大きくなるリンズがいるのに、いつまでたっても赤ちゃんのままの琴子の姿しかないのに、「琴子ってお姉ちゃんらしいよなぁ」とおもえてしまう。もうリンズの方が全然大きいのに。-------------------色々と書きたいとおもっているのに、ちょっとしばらくはほぼ休止状態です。実家の母の代わりもしなくちゃならなくなったりして、パソコンには滅多に触れなくなってしまっています。それでも、時々は書き込みたいとおもっています。次の裁判は4月中旬。こちらの和解案に対し、被告側助産師がどう回答してくるのか。滅多に書き込めない日々が永遠に続くわけではなく、生活が落ち着いたらまた書きたいし、生活が落ち着かないけど書きたいし、とにかくたまにまた覗いてください。
2006.03.30
私くらいの年になると、両親の病気を心配することの方が多くなる。両親が健在というだけでも感謝するべきなのだけど、元気でいる日常が麻痺させて、元気でいることを当たり前に感じさせていた。私の母が病に倒れた。といっても、命に別状はなく、きちんと治療すれば、予後もそんなに心配ではないらしい。ただ、このきちんと治療というのが難しい性分の人で、もうすでに自営の仕事に復帰し、全然休んでくれない。元気でいることが当たり前過ぎたせいで、今まで心配されなかったせいで、心配される日々がくすぐったいのか嬉しいのか、休めと言えば言うほどに動いてしまっているようだ。同居している父も弟も、母が動くことを止めようとしない。遠くに住んでいる私にはなにもしてあげられない。だから、「頼むから寝ていてよ」なんて、言葉だけの心配でしかなく、やっぱり頼りない。前までは「親が死んだら…」と、いつかくる未来に不安や寂しさを感じるばかりだったけど、琴子の死を迎えて以来、「親よりも先に死なないようにしたい」とおもうばかり。勿論、今回も母の病の知らせは寂しく、また、治癒してくれればと願うばかりなのだけど、母が口癖のように「ここまで生きてきたんだから」と言うので、私も「好きに動いてください」と、結局そう言ってしまう。私も年をとるわけだ。
2006.03.25
ここしばらく、ブログが全くできなくて、やっと今日になって少しだけ。そんなわけで、軽~い気持ちで…江原さんと三輪さんの「オーラの泉」をビデオに撮り、昨日の深夜、仕事をしながら見ることが出来た。それでもまだ全部は見られなかったので…江原さんに会って、天界のお話を聞きたいなぁ。どんなところなのでしょう。お花畑なの?それとも、夜もあるの?琴子は三途の川を渡ったの?今はどうしているの?「あなたの近くにはいません」なんて言われたくないから、なんとなく怖いけど…
2006.03.20
今日はリンズのお付き合いで、子供のたくさん集まる場所に行った。2歳から3歳くらいの女の子がリンズに近寄ってくる度に、琴子を想う。あぁ、琴子が生きていたら、こうやって遊んでいたんだろうなって、いちいち想う。生きていれば…
2006.03.14
地獄のように忙しい1週間でした。パソコンに触れることすら出来ず、ここしばらくはテレビもご無沙汰でして、ちょっとした浦島太郎です。旦那の仕事のお手伝いをしていました。今日、やっと落ち着きました。ので、久々にメールのチェックもしました。ブログもネットも久々で、しばらくは返事もろくに出来ませんが、ちょっとづつ、また書いていきたいとおもいます。ご心配下さった方に、この場にて、お礼を申し上げます。元気です。
2006.03.13
今日、第六回口頭弁論がおこなわれた。旦那が仕事でどうしても行けないので、私とリンズだけで行ってきた。裁判の進行状況なのだけど、被告側がお手上げ状態であることを認めているようなもので、裁判官に和解を勧められている。被告側が出してきた和解案も、裁判官が誠意を認められる内容という具合で、私達も検討するべきとなり、しばらく検討していた。今日、私達が出したことを、被告側がどう受け止めるのか。次回には被告側の考えがわかる。
2006.03.06
ここしばらくの間、ずっとずっと、旦那と2人、ことあるごとに過去に提出された書類に目を通し、自分達の感じることを書き出し、話し合ってきた。裁判がどういうものなのか、どういう場なのか、何を求めるものなのか…去年、民亊裁判を決心したときよりも、違う自分達がいる。私達は無力なままなのかな。助産師会、助産院の人たちは琴子のこと、またすぐに忘れちゃうのかな。答えを出したけど、悩んでしまう。後悔っていうのとも違って、悩んでしまう。被告側がお手上げ状態であることを認めているせいか、医療裁判ということでもなくなっている。琴子は天国で遊んでいるかな。何しているかな。お母さんなのに、自分の子供が何をしているかを知らないなんて、知ることが出来ないなんて…琴子、今日は何をしているのですか?
2006.03.05
私の生まれ育った町には、いつもぬいぐるみを抱いているおばあさんがいる。私の親よりも一つ上の世代で、まだまだ元気に町を歩いて過ごしているのだけど、いつもぬいぐるみを抱いている。もうぬいぐるみはボロボロ。それでも大事に抱いていて、おばあさんとぬいぐるみの関係は、完全に一体化したようにも見える。おばあさんの息子さんは、40歳で他界した。それ以来、ぬいぐるみをずっと抱いている。おばあさんの腕の中にいるぬいぐるみは、40歳でこの世を去った、息子さんなのだ。町の人たちは皆、おばあさんが抱いているぬいぐるみが誰なのか、誰の代わりなのかを知っている。いつも誰かと立ち話をしている。琴子が死んでしまい、メモリアルベアの存在を知った。天使ママさんたちの中には、亡くなってしまった天使ちゃんと同じ身長と体重のぬいぐるみを持ち、大事にしている方がいらっしゃる。手作りで洋服を作ってあげたり、どこへ行くにも一緒で、記念写真を撮っていたり。琴子は嘘の身長と体重しか記録にないから、私には作りたくても作ることが出来なかった。いつもはぬいぐるみなんてガラじゃないんだけど、琴子の代わりに欲しかった。その気持ちが通じてか、天使ママさんたちからぬいぐるみが届くようになり、今では何体ものぬいぐるみが私を見守ってくれている。よく、あの郷里にいるおばあさんを思い出す。思い出しては、涙が滲む。悲しいという気持ちより、優しい気持ちに包まれるような、そういうときもある。そういうとき、琴子の存在を感じている。今度帰省したら、あのおばあさんに会えるかな。今度は、勇気を出して、話し掛けてみようかな。
2006.03.02
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