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どうして『琴子』なのか。画数でみても、うちの苗字とはあまり相性の良い名前ではないのだけど、何故だか私は琴子がお腹の中にいるときから、「女の子なら琴子」と明言していた。旦那は頷きつつも、まぁ生まれてから考えようやというような、そんな感じで待っていた。男の子だったら旦那が決めることにしていた。私の中にも候補がいくつかあったけど、早い者勝ちでもないんだけど、『女の子だったら琴子』と宣言してしまっていたから、男の子の場合は譲ろうという気持ちだった。じゃぁ、どうして『琴子』なのか。別に私は特別に音楽が得意なわけでもないんだけど、いつの日からか、琴という文字や音が好きになっていた。そのまま、“琴子”という名前も好きになっていた。名は体を表すという。琴子は生きていたら、音楽が好きな女の子になっていたのだろうか。しとやかな振る舞いをする女性になっていたのだろうか。着物なんかを粋に着こなしたりしていたのだろうか。それとも、反動で、日本よりも海外に生きる子になっていることもあったのだろうか。生きていたら、私は何度、あの子の名を口にしていただろうか。名は体を表すという。天国でも琴を奏でることは出来るのだろうか。琴子は天国で、音楽の好きな子になっているのだろうか。やんちゃなのだろうか、しとやかなのだろうか。外国のお友達とも遊んでいるのだろうか。私が何度も呼ぶ声を、天国でも聞いていてくれているのだろうか。名は体を表すというのだから…
2006.06.27
嘘をつく人がいるので、『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』を読もうかとおもってネット検索してみたら、『良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖』の方が欲しいとおもえたので、早速注文をした。「あんな分かり易い嘘をついて、恥かしくないだろうか」とおもうことがある。当人はすっかりその気になってしまっているせいか、周りが冷ややかな目で見ていることにちっとも気が付けないでいる。滑稽であり、憐れである。自分がそうなっていないか、そうならないかを見定める為にも、届いたらすぐに読もう。H元助産師は『平気で嘘をつく人』だったし、私からしてみれば『良心をもたない人』だった。
2006.06.26
今日、やっとお墓参りに行くことが出来た。夕べ、急に行くことになったので、特別なものが用意してやれず、途中のコンビニでアンパンマンのうちわを買った。久々に訪れた琴子のお墓には、数日前に供えられたお花があった。花は枯れていたけど、茎と葉はまだ青く、旦那曰く「1週間くらいかなぁ」ということで、義両親は先月から北海道旅行中、多分、近所に住む遠縁の方だろうとおもった。凄く嬉しかった。ありがとうございます。道中に思い出すは納骨の日のこと。それ以降にも何度か行っているけど、裁判が終ったという報告も兼ねていたからか、大きな節目の記憶が甦る。後部座席に座り、隣のチャイルドシートに座るリンズを見ていたら、それまでは納骨の日のことばかりだったのに、急に何故か琴子が亡くなった直後のことが気になった。そう、あのとき旦那はどんな想いでチャイルドシートを外したのだろうって。H助産師の助産所に出向く前から、“その日”を楽しみにして、生まれたての子を乗せるべきかわからなかったけど、チャイルドシートは準備万端、後部座席に設置してあった。陣痛でのけぞりながらも、「帰りはあそこにドラッチ(胎児名)がいるんだな」と、楽しみにしていたことも覚えている。そう、チャイルドシートには人から貰ったまま、ミッキーマウスのカバーが掛かっていて、私は無精者だから、お下がりであっても「洗ったって言っていたしな」と、気にせずにそのままでいようとしていたのだけど、旦那が知らぬ間に「洗っておいたよ」と言って、カバーを掛け直していたことも覚えている。とっても楽しそうな、ワクワクしている表情だった。亡くなってしまった琴子を抱きながら、それも「最初で最後のドライブだもんね」と、私と琴子は助手席に座っていたから、あの最後のドライブのときにチャイルドシートを見た記憶がない。そして、次にチャイルドシートの記憶があるのは、くれた友人に本音を言うと見るのも辛くて返却したかったのだが、「使わないことになっちゃったから…」と言ったら「うちも使わないから」ということで、どうにかして我が家に置いておくか捨てるかを話したとき。もうそのときにはチャイルドシートは外されていた。旦那も辛かったと、常に私は意識して感謝しているつもりだったのだけど、私に一言も言わずに黙ってチャイルドシートを外していた旦那の気持ちを想うと、今更なのだけど、凄く辛くなった。私に一言も言わずに、黙って耐えていたんだなって、切なくなった。どんな日に外していたんだろう。晴れていたのだろうか、今日のようにどんよりとした曇り空だったのだろうか。それを言おうかなとおもったけど、旦那が言わずに仕舞っている気持ちは、もしかしたら私には内緒の、旦那と琴子だけの宝物なのかもしれないとおもって、気付かないままの私でいることにした。今は琴子に感謝の言葉しか言えない。色々と教えてくれて有り難う。私達の家族になってくれて、どうも有り難う。
2006.06.25
琴子が眠るお墓のあるお寺さんに、感謝の気持ちも込めて、“何か”を寄進することにした。ある方からご助言頂き、素直にそうしたいなぁとおもえた私達夫婦は、早速何にするかを話し合った。ご助言くださった方は「お座布団でもいいし」と言っていたそうなのだが(直接聞いたのは旦那)、数年前にお寺を大幅に修繕したと聞いているので、座布団はまだ奇麗なような気もするし、座布団が適当としても、もうちょっと琴子らしいものがいいなぁと言うことで、で、で…う~ん、どんなものがいいのだろう、どんなものが琴子らしいのだろうと、なかなか良い案が浮かばない。じゃぁ、ちょっと悩むのをやめて、パソコンを起動して何かしようかとおもって、最初は“寄進”とパソコン起動は繋がっていなかったのだけど、何気なく“寄進”を検索してみたら、最初に見たサイトでいきなり【糠蝋】がヒットした。これ、凄いんです。凄く感動しました。というのも、実はこの糠蝋、琴子が亡くなって数日後に来てくれた知人がくれていったものだったんです。「女の子だって聞いたから、蝋燭も可愛い方がいいかなっておもって…」と言って差し出してくれたあの光景を、今でも鮮明に思い出せます。嬉しくって、すぐに使ったんだけど、ちょっと勿体無くって、控えめに使用しようとなり、飾りのように置いていただけでした。ある日の朝…そう、あれは納骨が終った後、納骨の翌日のこと。旦那が目を赤く腫らしながら、「琴子の夢を見た」と言うから、私はどんな夢だったのか、琴子がどうしていたのかを聞いたら、「あの赤い蝋燭をとっても気に入っていて、玄関で灯して遊んでいた」って。あぁ、ここまで書いている今でも泣けてくる。そう、とっても嬉しかった。琴子が喜ぶことがあるなんて、それを知ることが出来るなんて、親として、とっても嬉しかった。「そっか、じゃぁ、あの蝋燭を灯して欲しいんだね」と言って、夫婦ですぐに玄関であの糠蝋を灯し、最後の最後まで、ずっとずっと泣きながら「喜んでいるよね、琴子も一緒にいるよね」と言っていたことを…まるで今朝のことのように思い出せる。これもご縁なんだろうな。また琴子があの糠蝋が欲しいって、きっとそう言ってくれているんだろうな。もう即決。座布団と糠蝋を寄進します。
2006.06.23
昨日、琴子の出生届を持って、役場へ行きました。法務局へ聞くということで、一旦帰宅し、連絡待ち。「無理だって言われるだろうな…」と構えて連絡を待っていたところ、「出生届と一緒に、死亡現認書の提出をしてください。それを法務局に出し、それから法務局の結論を待ちます」という回答。可能性があるってことだ!手順なんかが弁護士さんの予測とちょっと違っていたので、早速、弁護士さんに連絡したのだけど、今日は出張で不在、明日以降に連絡をもらうこととなった。弁護士さんの予測に習い、事前に「こう言われたらこう言う」と、旦那と台詞の準備をしていたのだけど、使える場面がなかった。難しい言葉を使わないとだから、役所で話している最中、どの場面で使うべきなのか、会話の流れを把握するのが大変だった。多分、客観的に見ていればそれ程難しい会話をしているわけではないのだけど、やっぱり緊張していたんだろうな、自分でも何を言っているのかわからなくなった場面があった。私の住む町はとても小さくて、毎月発行されている町の広報誌に「おめでた」と「婚姻」と「おくやみ」に載る人の数もとても少ない。琴子は「おめでた」にも「おくやみ」にも載った事は無いのだけど、もしかしたら載るのかな?「おくやみ」で目にするのは悲しいことだけど、今までは夫婦以外ではまるで『架空の存在』とされつつあった分、ちょっと嬉しいかもしれないと、不謹慎にもおもえてしまった。魂の世界では全く意味のないことかもしれないけど、戸籍に載せられたらいいなぁ。
2006.06.20
『完勝』だそうです。今日、正式に和解が成立しました。終ってから、弁護士さんに「完勝といえるでしょう、向こうはお手上げだったんですから」と言われました。確かにそうなのでしょう。最初から過失を認めるという意味を含め(最初は言葉での表現はなかったけど)、賠償金を支払うということを言っていたし、見事なまでに、大した反論がないままでしたから。琴子の出生届が、被告側から提出されました。実際に役場に行くのにはまだ日が要りますが、とりあえず、自力でやれるところまでだけでもやろうとおもいます。終ってからのこと…原告代理人の弁護士さんと話していたら、被告代理人の弁護士さんがちょっと離れたところを歩いて行きました。そのときに軽く会釈をされていきました。私も返しました。別に特別なことではないでしょう、人としての礼儀でしょうから、何かの心の表れだとは特別にはおもわないけど、印象に残りました。医療裁判は長いとかって聞いていたから、リンズをお腹の中に抱えて初めて相談に行ったあの日からを思うと、あまりにも短かったです。あと1年はかかるとおもっていたし、和解というのはなかなかおさまらないから出る案なのだとばかりおもっていたので、最初の裁判で言われた時にはびっくりしたし…おもうことは多々ありますが、終った以上は“次”なのです。H氏が真摯に受け止め、他の助産院で同じことが繰り返されないように、自身の経験を基にして発言していってくれることを、有り得ないとおもいつつも祈るばかりです。
2006.06.13
今夜はやけに悲しいです。今日はネットで天使ちゃん達のサイトをウロウロしました。時々しているのですが、天使ちゃん達のお話を読んでいるのです。何遍も読ませて頂いているお話もあれば、新しく天使ちゃんとなったお話もあります。どの子のお話も、ママとパパの愛情にたくさん包まれて、切なくて悲しくて、そして愛しいお話です。どの子も皆、『生きていて欲しかった』という、両親の切ない想いに包まれています。そして、天国で元気で、楽しく過ごしていて欲しいという気持ちが溢れています。私の子供が死ぬなんて、私には全く予想が出来ませんでした。逆子だったからとか、助産院だったからとか、どうだったからとか、そういうことを一切抜きにしても逆さにしても、とにかく私が子供を失うことを経験するなんて、全くおもってもいませんでした。卵巣の腫瘍が破裂して緊急入院したときに、「もしかして自分はこのまま死ぬのかもしれない」とおもったことはあるけれど、自分の子供が死ぬなんて、全くおもうことがありませんでした。テレビとかで悲しい話を聞いて涙することはあっても、自分が同じようなことを経験するとは…テレビとかで知る悲しい話以上に、そのときに涙していたとしても、想像では及ばないほど、辛いことです。子供が生きているって、凄いことなんです。お産がどれほど辛いことでも、生まれてくる子供が生きているってことに感謝して欲しい。自分のお腹が痛かろうとなんだろうと、そんなことはどうってことない痛みです。お腹の中で亡くなってしまう子供のことを想ってください。亡くなってしまった子供を産むお母さんの痛みを想像してみてください。多分、想像だけでは追いつきません。でも、想像だけでもしてみてください。やっとのおもいで産んだ子が死んでしまっていたら…生きて生まれたけど、すぐに死んでしまったら…生まれたときには何も問題がなかったのに、死んでしまったら…昨日までは元気で生きていたのに、朝目覚めたら死んでしまっていたら…陣痛は痛いでしょうよ、妊娠中にしんどいこともあるでしょうよ、もし、心の中には自分の痛みのことしか庇えない気持ちがあるとしても、もっと辛い気持ちを抱えている人のことを想って、口に出さずに堪えてみてはもらえないだろうか。きっと色々と辛いとはおもうけど、死んでしまっている子供を産む辛さ、胎内ででしか生きられないとわかっている子供を産む辛さ、病気を持っていると既に承知して、これからの日々に挑む気持ちを抱えて産む親の気持ちなどを想えば、その痛みは大した事はないでしょ?琴子が死んでしまったことは、今でも私の中では恐怖です。琴子が死んでしまったことは、今でも私の中では“悪い夢”であって欲しいことです。琴子が死んでしまったことは、これが現実なのだと、受け入れている自分もいます。ずっと私は“死んでしまった琴子の親”です。自分を責め、他人を責め、『どうして琴子は死んでしまったのか』と、もしかしたら琴子のことすら責めてしまっているのかもしれません。天使ちゃん達の話も、琴子の話も、悲しくてたまりません。
2006.06.12
先日、同町内の知人の家の女児ちゃんを家に招き、リンズの相手をしてもらった。女児ちゃんは5歳になるお姉ちゃんで、リンズのこともよく可愛がってくれるので、たまに一緒に遊んでもらっている。この日も、我が家でリンズの相手をしてもらって、楽しく過ごしていた。―うちに招いたのは初めてのことではない。女児ちゃんちにも何度も行っている。琴子が生きていれば、今ごろは「もうじき3才!」と言っていた頃。女児ちゃんは琴子よりも2歳もお姉ちゃんで、琴子が亡くなったときには既に知り合っていて、琴子が亡くなった後も女児ちゃんの成長を見ていたし、琴子に重ねることはあまりなかった。あっても、そんなに辛いということはなかった。でも、この日は一瞬で底に落ちてしまう気がした。近くの田んぼの用水路で、リンズと女児ちゃんが泥遊びをしていた。私の手に負えなくなったので、旦那を呼んだ。すると、女児ちゃんが私のところではしゃぎ、リンズが旦那に手を持たれて、泥から重くなった足を持ち上げて、そして私と女児ちゃんを見て、笑った瞬間だった―「あぁ、これだ、これが琴子だったら―」と、ズドンと落ちてしまったのだ。幸せそうな瞬間であればあるほどに、そこに琴子に置き換えられる何かがあるほどに、凄い勢いで自分が落ちていってしまう。旦那も笑っていたけど、心の中では同じだったのかな…一度だけでいいから、琴子とリンズが遊んでいる姿を見たい。一度だけでいいから、琴子に触れたい。
2006.06.11
前回の口頭弁論にて、H助産師が嘘をつき通す姿勢を見せていると、被告側代理人がそう言ったことにより、裁判官がH助産師を呼び、話をするということになっていたのだが、私が実家に帰省している間に進展があり、被告側から『原告側の言うことを認める』という連絡があり、それにより、和解が成立することになった…と、旦那から電話があった。拍子抜けするというかなんというか、なんのためについた嘘なのか、嘘をつく神経もわからないけど、こうも簡単に曲げられてしまうこともわからん。ようするに、本当にいい加減な助産師だったのだな。嘘をつき通され続けるのも不快なんだけどね。和解を求めていたわけではないので、どこかでしっくりとこないような気もしているんだけど、医師X氏にすぐに電話をして報告をしたら、この結果を支持してくださったので、気持ちが晴れた。琴子を戸籍にのせられるかどうか、難しいことがすぐに目の前に立ちはだかるとおもっているけど、裁判を進めて行く中で、唯一と言えるくらいの“継続していける事柄”なので、琴子を想う時間を得られたのだと感謝して、出来るだけのことはしていきたい。裁判が終るって、どういうことなんだろう。裁判を起こして、どう変わったのだろう。相変わらず、お産を軽く扱い、美化して安易に危機感を失わせることばかりが目立っていて、あと何人死んだら分かってくれるのだろうかと、不安になることが多い。産科医がいなくなるってやけに言う。その理由を、『最近の訴訟の多さ』に集中させている人が多いけど、訴訟が起こらないようにする努力ってされているのだろうか。私だって、琴子が死んですぐに裁判を決めたわけではない。司法の外で、十分に考えて欲しくて、改善をして欲しくて働きかけていたけど、H助産師は嘘をついてお産を受け続けていたし、助産師会だって、監督してくれていなかった。遺族の気分を害させておいて、“訴訟の多さにうんざり”はないよ。もし、H助産師が私を追い返したり、嘘をついたり、ついてしまった嘘を素直に認めて反省してくれたり、辞めると言った助産行為を徹底して守ってくれたり、自分の行為を表沙汰にしてまで助産院での危険なお産がなくなるように働いてくれたりしたら、裁判なんてしなかったよ。裁判は終るから、きっと何かは変わるんだとおもう。でも、琴子が死んでしまったということだけは、いつまでも私達夫婦にとって、色褪せることすらない事実。ずっとこの想いを抱えて生きていく。
2006.06.08
夕べ、ビデオ録画をしておいた『贅沢なお産』を見た。すると、かなり不思議な現象が…まず、途中でどうしても他に見たい番組があり(オーラの泉)、でも家事をしているから集中して見られないということで、『贅沢なお産』も1時間以上は見ていたし、同じテープで巻き戻し、1時間12分の余裕のテープ状況の中、1時間の番組を録画した。家事も一段落つき、深夜になっていたけど、ドラマの方を片付けちゃおうとテープの中でドラマの続きを探したら、なんとも不思議なことに、『贅沢なお産』の続きがない!『贅沢な~』は1時間12分見ていたし、上書きした番組は1時間なわけだし、1時間録画したってことは、そこから12分巻き上げれば、『贅沢な~』の続きが始まるわけで…でも無い!!!なんでだ?私がビデオのセットを間違えたから?でもさ、仮にそうだとしても、1時間から先、12分は見れていたんだよ!えー、この現象、分かってもらえるでしょうか。あったものが無い。それも、録画していて、ついさっき(1時間前)まで見ていたものが消えている!!!いやぁ、妙な現象に驚きつつも、冷静に「ま、この先は見ても仕方ないぞよ母ちゃんと、琴子がこうしたんだろうな」と納得しちゃいました。あのドラマの中で、伝説の助産師として紹介され、モデルにもなっていた神谷助産師。この方に助産をお願いし、自宅分娩をしたという方の本を昔に読んだことがあるので、名も顔も知っていました。この方が以前に岡山県の新聞に寄稿していたことがあり、「神谷氏が助産行為を出来るわけではないのに、そういう方が助産院を薦めるような連載をするというのは無責任ではないですか?」と新聞社に対して何度か言ったことがある。回答は皆無。神谷氏はそれほど深く責任をおもうこともなく、ただ頼まれたから原稿を書いて渡しただけのつもりだとおもうけど、私はこういう行為もやめて欲しい。私の友人で、神谷氏のことを扱った本を読み、「東京にホテルをとって頼む!」と言っていた人がいる。さすがにこれには当時の私でさえひいたけど、なんていうのかな、自分の持つ影響力もきちんと把握してこそ、責任感のある、誠意ある助産師と言えるのではないでしょうか。勿論、東京にホテルをとってまで神谷氏に頼もうとおもった友人がちょいとばかり過剰なタイプだったとも言えるけど、岡山なんて東京に拠点を構える神谷氏が扱える範囲でないことなんて、誰にだって分かることであるのに、どうして『助産院で産むのも良いよ』なんて言えちゃうかな。それじゃぁ、「どんな助産院でも、助産院なら良いんだな」になっちゃうよ。神谷氏の映像までを見て、無念にも最後までは見られなかったけど、まぁもういいやとおもえるドラマでした。水野真紀のあの妙な口調のお蔭で、主人公エリコが全く才女に見えず、妊娠していると知りながらもハイヒールを履いている→階段から落ちる→病院で胎児の無事を聞き、旦那に付き添われて立ち上がり、足元に揃えられたハイヒールを蹴飛ばす―というのがどうしようもなく馬鹿な女にしか見えなかった。ハイヒール業者もこれからに供えて、PL法、【妊婦さんは履かないでください】と記した方が良いよ。ハイヒールを履いているからって、必ずしも胎児が危険に曝されるということはないけど、まず常識として履かないでしょ。まぁ、どうこう言うほどの結末があったのか、怪奇現象のお蔭で最後まで見ることが出来なかったから想像ででしか言えないのだけど、助産院や自宅出産が抱えるリスクの話しなんていうのはなかっただろうから、是非、来週あたりには『悲しいお産』で、助産院や自宅出産でのお産の事故を取り扱って欲しい。一番の理想は、2時間の枠の中で、両方の情報を扱ってくれることなんだけどなぁ。
2006.06.01
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