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連日、幼い命が犠牲になったという報道ばかりのような気がする。園児の列に脇見運転の車が突っ込んで、園児2名が死亡。都内のマンションの13階あたりから、2歳の我が子を誤って(?)落としてしまったという母親。内縁の妻の女児2人を虐待死させた男。なんなんでしょうか、どうしてなのか、報道が全てではないし、正しいかも怪しいことがあるから、事実が全くわからないばかりの視聴者ですけどね、でもこれらが正常ではないってことだけはわかっている。園児の列に車が暴走したというのも、亡くなったお子さんたちの親御さんの気持ちをおもうと、辛くて胸が苦しくなる。カセットテープを入れ替えようとしていたという供述、それだけのために子どもを殺されてしまった親の心情は、私の想像でも足らないほどに、辛いことだろう。まさか、まさか、まさか…ずっとずっと、一生、この言葉が繰り返されていくのだろう。辛いな…
2006.09.26
昨日書いたばかりの『忙しくて…』が、今日、ちょっとばかり緩和された。というのも、旦那の仕事で1件、どうも対応の悪い方の仕事があり、それにここ数年、この方の仕事の頃になると、なんとも憂鬱で、でも仕事上は最善を尽くしたいと言うことで、自分自身と夫婦お互いに励ましあう日々であったのだけど、今日、対応の悪い方がいよいよもって、おかしなことを言ってきたので、旦那もこれ以上は無理と判断、この方との仕事をお断わりしました。詳しく書けないために、なんだかなぁの内容ですけど、お蔭さまで今日はちょっとばかり、束の間の休日を得られ、久々に時間を気にせずに出掛けることが出来て、ちょいとばかり嬉しいです。無理に琴子の話にするつもりはないのだけど、旦那と話していて、「こういう風にさ、人との関わりでどこかでばっさりとさせようとする力ってあるよね、琴子の力を感じるよねー」と。なんかね、なんかそう感じることがあるのです。ま、常日頃から琴子の存在を感じようと、心の何処かで彼女を求めているからかもしれないのですけどね。
2006.09.21
ここしばらく、家庭の事情で忙しくて、そしてこれからしばらくも忙しくて、またブログが書き込めなかったりしています。メールの返事もあまりできずにいます。すみません、目を通してはおりますので、後で返事を出します。こんな日々だけど、琴子のことはよく思い出します。ここ何回か、お客さんが来てくれるたびに、琴子の遺影とリンズをみて、「段々と顔が似てきたような気がする」とか、「やっぱり姉妹だね」と言われました。嬉しいです。でも、リンズが似ているのは生まれたときの琴子の顔であって、天国で3歳になった琴子とは似ているのかどうか、知りたいことがどんどんと増えるばかりの切なさもあります。また時間を作って、書きます。いつも見てくれている皆様、ありがとうございます。
2006.09.19
今日、二人の死が知らされた。一人は、義兄の父親。8月下旬に、既に亡くなっていた。我が家が丁度仕事の忙しいときで、更には遠いし、とてもじゃないけど来られないだろうと、皆が気を遣って知らされずにいた。世話になっていた方なので、そんなこと言わずに知らせて欲しかったのだけど、こうやって無理をしようとするのが向こうもわかっていて知らされなかったのだろうけど…一人は従兄弟。40代半ばの、私の実母の兄・叔父の長男。叔父ももう昔に癌で亡くなっている。どうやら医療事故だったらしく、謎の急死とのこと。昨日の夕方に病院内で亡くなったのだけど、いまだに遺体がかえされないので、お通夜や葬儀の目途がたたないそうだ。二人とも、普段からまめに連絡をとっているわけではないし、従兄弟のお兄ちゃんなんて、もう何年も会っていない。母経由で話には聞いていたけど、姿を思い出そうとすると、かなり前の、オカマチャンの葬儀のときの姿で、それもちょっとだけお話をしたという程度。あれからお兄ちゃんも結婚して、私も結婚した。義兄の父親には2年前に会ったのが最期になる。その後に電話で話したような記憶もあるが、2年前にお会いした姿が思い返される。具合が悪いとは聞いていたけど、これほど早くに亡くなるとはおもっていなかった。二人とも、話に聞く直前まで、私の中では生きている人だった。それが突然、死んだ人になってしまった。話に聞く直前まで、私の生活の中で、二人を思い出すことはあまりなかったのに、今日は一日、二人のことを思い出していた。義兄のお父さん、もう娘さんには会いましたか?従兄弟のお兄ちゃん、叔父さん(父親)には会いましたか?私には二人がまだ同じ地球上にいるような気がしてしまいます。従兄弟のお兄ちゃんは母親よりも先に亡くなってしまった。これがなんとも痛くてね…
2006.09.12
旦那さんを911同時多発テロで亡くなってしまった奥さんが、「あなたたちのパパは、天使と一緒に最期をむかえたのよ」と、子供たちに話したと、崩壊していくビルの中で、身体の弱い旦那さんに付き添いつづけてくれた男性のことを話していた。琴子も天使。琴子もきっと、誰かのために私達のお腹に宿ってくれて、そして役目を果し、天国に還っていったんだろうな。NYテロの起きた2001年には、初めての妊娠(2002年5月、8週で流産)もまだしたことのないときで、それから今日までの5年の間に、流産と琴子の死と、そしてリンズの誕生があった。5年という月日の中で、私達夫婦の元には3つの命がきてくれた。その内の2つの命は、“死”であった。たった2つの死でも辛くて苦しくて、いまだに心が脆いままだというのに、あのテロ以降、一体どれだけの命が“死”となってしまったのか…信じられない、想像が追いつけない。琴子の命一つでもこんなにも苦しいのに、戦争は一瞬でもの凄い数の命を奪う。私の知人が言う-「日本は首都を広島に移し、世界平和を訴えていく義務がある!」本当にその通りなのだとおもう。私達の生活が多少不便になろうとも。
2006.09.11
母の日でも誕生日でもなんでもないけど、時々琴子が私に“何か”をくれる。皆の目には見えない、私の目にも見えないけど、琴子が私に贈り物をくれる。人との出会い、繋がりに、琴子の力を感じます。琴子、どうもありがとう。大切にします。
2006.09.09
去る8月31日、琴子のお誕生日と命日のこの日、3時間半の道のりを行き、琴子の眠る墓地へと行ってきました。位牌を持って行き、住職さんに話したのだけど、ちょっと耳が遠くなってしまっているのかな、なかなか話が通じず、11時20分に着いていて、11時30分の琴子の生まれた時間に墓前で一緒にいようと計画していたのに、それがちょっと過ぎてしまったのが残念…11時20分に着いた段階では、「凄い! 滅茶苦茶に丁度良い時間に着いた!」とおもって嬉しかったのにな。位牌は預けてきました。『死産女』と彫られているところを、『当歳』とするのかな、そんなことを筆談していました。滅多にあることではないので、住職さんも戸惑いがあるようでした。琴子のお誕生日は気持ちが複雑です。「お誕生日」が「命日」なので、親としては楽しくおもえる「お誕生日」を優先して考えたいのだけど、「命日」という言葉の持つ重みからして、そこから脱することも出来なし、する必要も無いとわかっている分、お誕生日を喜ぶ私と、命日を悲しむ私が同居していて、心の整理がなかなかつかないです。あと、やっぱり前後は涙もろくなる。号泣するとかはないんだけど、いつも琴子を思い出す場面で、いつもは微笑んでいられることが、やけに涙が滲んできたり…やっぱり特別な日だな。琴子は幸せモノです。8月31日には大勢の方から、3歳のお誕生日のお祝いのメッセージを頂きました。私の誕生日なんて、家族以外の方からお祝いを言ってもらうなんて皆無に等しいのに、琴子は幸せモノだなぁ。この場をお借りして、お祝いの言葉をくださった皆様にお礼申し上げます。琴子は3歳になりました!!!
2006.09.06
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