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昨日からの報道でご存知の方も多いでしょう、横浜市の産婦人科病院への家宅捜査と、医師と助産師以外による助産行為。私は琴子のことがあって、色々な出会いがあって、それらの中で、『違法助産行為』を知ることが出来た。お産の方法がどうであれ、琴子が無事に生きていたら、なんの問題も生じずに過ぎていたら、何も知らないままだったのかもしれない。そして、こういう報道があって、初めて知ったのかもしれない。裁判が終った今でも、どうしてもよく分からない、いまだに納得できないのだけど、どうして助産院だと、カルテが書かれていないことがそんなに問題視されないのだろうか。H助産師は大学ノートに、私達妊産婦の名前と電話番号を書いているだけだった。日本助産師会に出向いた際にも、カルテがないということを言ったら、「大学ノートに書いていれば、それで構わない」とはっきりと言われた。もしかしたら何かもう少し、メモを残していたのかもしれないけど、医学的な、専門的なことなんて、書いていなかった。事実、助産師会の人が来るからということで、その前日に私に直接電話して聞いてきたくらいだったからね。で、今回の家宅捜査では、当然、カルテも押収されているわけで、じゃぁH助産師がもし家宅捜査を受けるとした場合、カルテがないってことはどうなるんでしょう…と、常に疑問が残っている。助産院だから?でも、産婦人科病院で起こり得る危険な状況は、助産院でも起こり得ることで、正常分娩しか扱えないとしても、“産む場所”には変わりないのだから、病院とは違うけど、病院と同じくらいの位置にあるとおもっていた。カルテがないということの異常性にもっと早く気が付くべきだったのだけど、母子手帳に行く度に記入していたことと、逆子であること以外は異常なしと言われていたので、更には『ここはきちんとしたところ』という、稚拙なまでの、安易な信頼を持ってしまっていたので、異常に対して、盲目になってしまっていた。でも、結局助産師会は『カルテは形式にとらわれることはなく、大学ノートでも何でも構わない』と言ったのだから、異常ではないとなる。産婦人科病院でも助産院でも、正しくあって欲しい。
2006.08.25
色々なことがあるものですね。戸籍が修正されたことにより、琴子の住基ネットが発行。(すぐに削除されたのだろうけど)また、役場で戸籍の申請をしていた際に、「本来なら、葬儀代が出されるのですが、死後2年以内の申請でないと、対象外なので…」と言われ、勿論、そんなのがあるってことも知らなかったし、それは構いませんと言っていたのに、先日、その葬儀代の申請をしてくれと、役場から書類が届いた。どうやら死後2年という間に裁判があったことで、その間は保留となるようで、対象となった(と、推測している)。もうこれ以上はないだろうとおもっていたら、今日、役場から通知が届いた。税金の追加請求みたいなことで、本年度分、プラス700円を新たに請求すると言うこと。これは琴子が戸籍に載ったことで、琴子の生まれて亡くなった年の分ではなく、今年の分としての請求。ちょっと嬉しい。支払いは本来、かなり嬉しくないことなんだけど、今回はやけに嬉しい。額も琴子らしくて可愛い。たったの700円だけど、指定できるのなら、この町の子どものために活用して欲しいなぁ。琴子からなんだから、琴子の分なんだからねって、支払うときに強調したいなぁ。
2006.08.24
旦那の仕事の手伝いで、本当ならパソコンを開かずに眠る予定だったのだけど、ちょっと調べ物をしたくて起動、そのままちょっとだけ、私を救ってくれたサイトに出掛け、掲示板を拝読、天使ママさんたちの書き込みを読んだ。天使ママさんたちは皆、必死になって立っている。他者から見たら、外に出れずにぐにゃっとしているように見えるのかもしれないけど、地に足を、手までもを這わせ、必死になって立っている。子どもを失って、それでも生きていかなきゃいけないってことに、この現実に立ち向かうことの辛さ、苦しみ、そしてこれからの日々をどうしていけばよいのかわからないまま、それでも明日がまたくるってことの不安…明日がきたら、気持ちが安らいでいるなんてあり得ないってことを、自分自身が一番承知しているからこその不安。1ヶ月前にお子さんを亡くしたママさんの書き込みもあった。1週間前にお子さんを亡くしたママさんの書き込みもあった。3年経った今でさえ、天使ママさんの言葉は私自身のままであり、生々しく甦る。このサイトのURLを、あえて紹介はしません。このサイトは聖域、とても大事なサイトです。私は琴子の死を認めなくてはならなくなった瞬間に、とても安っぽい言葉だけど、『巻き戻したい!』とおもった。これが現実なんだとはおもいたくない、こんなことは起こるはずが無いと、現実逃避をしたいというか、現実ではないことが目の前にあるのだとおもえて仕方が無かった。天使ママさんたち皆が必死に生きているってこと、天使ちゃん達は皆知っているんだよね。ママたちは皆、天使ちゃん達が自慢でもあり、そして愛しくある分、辛いんです。
2006.08.23
『天国の子どもたちから 残された家族への愛のメッセージ』ドリス・ストークス 著/横山悦子 翻訳/江原啓之 監訳今日、友人に誘われて出掛けた帰り、用事はなかったのだけど、なんとなく、気分で書店に寄ってみた。目的の本を探すこともなく、ただなんとなく表紙や背表紙を眺めていたら、この1冊に出会った。中身を見ることなく、即、買うことに決めた。帰宅後、仕事で忙しくしていた旦那にお茶を出し、強引に休憩をとらせ、この本を見せた。旦那なら、共感してくれるとわかっていたから。この本に既に感謝している私がいるから。まだ江原さんのまえがきをちょろりと読んだだけなのだけど、このドリス・ストークス氏は息子さんを亡くしている。ドリス氏は1987年に亡くなっている。私がまだまだ旦那にも出会っていない頃に亡くなっている。息子さんを亡くされたのはもっと前のこと、私がいくつの頃のことなのだろうか。私達人間は、進化してきた中で、いつから子供の死を悲しむようになったのだろうか。水中にいた頃はどうだったのだろうか。地上で生きるようになってからだろうか。以前に、ミイラ化した子供の亡骸を離さない猿の母親の映像を見たことがある。霊長類となってからなのだろうか。ドリス氏が亡くなってから20年近くが過ぎた今、この本が出版された。『去ってしまった子どものことばかりを振り返るのをやめてほしい』とある。この言葉だけを目にしたら、「そんなの無理!」って言いたくなるけど、その言葉の持つ深い意味が伝わってくると、励まされていることがよくわかる、伝わってくる。全編、全く読めていないのに、あとがきを読んだだけで、この本に出会えたことに更に感謝している。勿論、これから全編目を通し、天国からのメッセージを感じたい。まだ読み終えていないけど…この本を色々な立場の方が読まれているでしょうし、これから読む方も多くいらっしゃるでしょう。もしかしたら、身近にお子さんを亡くした方がいて、その方に向けて『去ってしまった子どものことばかりを振り返るのをやめてほしい』と言うことが正しいとおもわれる方もいるかもしれない。でも、それは正しくはないことです。ただ人の言葉を借りて言うのは、かえって傷付けてしまうことの方が多いでしょう。この言葉が間違った解釈を生まないためにも、自分の言葉のようにせず、この本を贈り物として差し上げるのが最良ではないかとおもいます。何故だかこんなことを伝えなきゃっておもいました。琴子からかな?
2006.08.22
よくよく旦那に聞いてみると、位牌は直されるそうだ。戒名はどうやらそのままになるそうで、裏面に彫られた“死産”が“死亡”となるため、今の位牌の其の部分を埋めるかどうにかして彫り直すのではないかということ。まぁ、旦那の推測入りの話なので、実際にはどうなるのかわからないし、8月31日に行こうと話しているのだが、最近、若い住職さん(前までの住職さんの婿殿)に世代交代されたとかで、お勤めしながらの住職稼業となり、土日しかいないとかで、8月31日は会えないだろうということ。まぁそれはそれで良しということで、琴子のお誕生日のお墓場に行けることになった。位牌の件も滑らかに事が運ばれそうだし、とりあえず安心。
2006.08.20
先日、義父がお寺さんに行き、住職さんと位牌について話し合ってきてくれた。「近いうちに位牌を持って来てくれと言われた」と言うのだけど、作り直されるのか、今までと同じなのか、その結果がわからない。どうやら、どっちにしたらよいのか、位牌を見て考えるということらしいのだ。まだどうなるかわからないけど、もしかしたら琴子のお誕生日にお墓参りに行けるかもしれない。まだ決まっていないのだけど、「位牌、いつ届ける?」と聞いたら、「来週の仕事が終ってからだな」と言うので、ちょっと期待している。
2006.08.19
知人のブログを読んでいたら、「お盆は皆みたいにどこかに行きたくなる、行楽気分が高まります!」というようなことが書かれていた。私はその逆。いつも琴子は家にいるっておもっているけど、お盆は特別だから、御墓参り以外では家にいたい。以前の私だったら、知人のように、あまり深く考えずにいたのかもしれないけど、今は凄く貴重な時間。ただ、残念なことに、今年は旦那の仕事の関係で、お盆の間に御墓参りに行けない。やっぱり遠方っていうのは不便。沖縄みたいに、お墓の前で宴会をやってあげたいなぁ。家にいるっておもっているんだけどね、矛盾しているようなことなのかもしれないけど、家にいる琴子と、お墓に眠る琴子は同じなんだけど。要するに、私が家にいるときは琴子も家にいて、御墓参りに行ったらお墓にいて…じゃあお墓に行かなければ、いつでも家にいるんだし…っていうのでもなくて...義父が位牌のこと、法事のことを打ち合わせしてきてくれるってことになっているのだけど、どうなったのかなぁ。琴子のために、玄関に堤燈を吊り、灯したのだけど、それがとっても可愛くてたまらない。
2006.08.14
昨年の9月15日に私が書いたブログ。これ、匿名性を無視してしまっていたので、皆さんのくださったコメントを残しつつ、なんとかしたかったのですが、ブログの構成上、それが出来ず、申し訳ない、皆さんの貴重なご意見を削除せねばならなくなりました。管理の仕方にご意見もあるかとおもいますが、以後、こういうことのないように徹すると言うことで、お許し願いたい。一応、再度、投稿だけしておきます。------------------------日本助産師会の安全対策室宛に『質問及び要望書』を送付した。裁判を諦めていた頃、この助産師会の『琴子ちゃんの死を無駄にはしません』という言葉にすがるようなおもいで、期待していた。疑問や怒りが生じたらすぐに連絡し、その度に結局、適当な扱いを受けていた。この事実を知り、私は悲し過ぎるし、憤りも当然、何よりも琴子を馬鹿にして、こういうことを平気でしてしまえる神経に軽蔑の気持ちしか抱けなくなった。私って単純で馬鹿なんだよね、つくづくそう感じた。『K助産院』では逆子を直しちゃうし(多分、違法)、VBACも受けるそうです。催眠術施行って…日本助産師会の方達は“管理・監督”もお仕事ではないのでしょうか…なんだか、やりたい放題だよ。琴子の死を無駄にしないって言ったんだから、徹底してやるべきだよ。『ガイドラインに逆子の扱いはしないように記しました』って言うけどね、それも結局は曖昧な表記だし、ガイドライン、このK助産院では読んでないんじゃないか?!このK助産院は日本助産師会のリストに入っています。怖いなー。無責任だよなー。この助産院のことも即刻対応するように、要望を出しました。ガイドラインを全助産院に配布したって私には言っていたんだけど、それもどうだか、実際は販売っていう形になっているみたいだし、怪しい。回答がどんなものなのか、内容に期待せずに、それでも待っています。今回はあえて普通郵便で送ったんだけど、無視されたり、適当な対応をされたら、次は内容証明で送ることにします。っていうか、何を守っているんだよ!一番大事なのは母子の命だって言っていたじゃんかよ!今夜も気持ちがおさまりません。
2006.08.12
方々から、大きな打ち上げ花火の音が聞えてくるようになった。私の住む町は、隣接している全ての町が観光地でもあり、そして工業地でもあるので、お祭りの数が多い方だとおもう。花火もよく上がる。友人が誘ってくれて、小さな小さなお祭りに行ってきた。主催している企業が資金難の為、当初1時間近くを予定していた花火を縮小し、10分だけとなった。10分の間に、何度も琴子を想っていた。琴子も見ているのだろうか天国からの眺めはどうなのだろうかこの散り散りとしていく花火は、まるで天使ちゃんたちが遊んでいるようだな…シャボン玉も切ないけど、打ち上げ花火も切ない。私は花火を見上げているけど、あの子は見下ろしているのかな…
2006.08.11
琴子の戒名は死産児専用のものなのかどうかを、お盆に琴子の墓地へと参る義父が、住職さんに確かめてきてくれることになった。この住職さんというか、奥方がとても強欲な方で、琴子は死産で闇から闇へと…とうるさかった義父は、「戒名なんていらない」と、検討すらしてくれなかったのだが、住職の奥方が納骨の際に「位牌を作ってあげる」というようなことを私達に言い、実際に白木の位牌が届き、中には「きちんとした位牌が出来上がったら取りに来てください。気持ちですから、御代は結構」というような一文が添えられていて、凄く感動した。そして、位牌が出来上がったからと連絡があったので、旦那と早速、取りに伺った。その際に、本当ならば墓守をしている義父に一言言ってから行くべきだったのは承知していたのだが、琴子の葬儀から納骨まで、ずっと嫌になることばかりを言われていたので、位牌を貰うことにも文句を言われたら嫌だなとおもい、黙って出掛けた。すると、奥方が「義父さんは?」と言うので、自分たちの娘のことなので、自分たちだけで来たと言うと、「じゃぁ位牌代は…」と言う。? あれれ? やっぱり何かのトリックだったの? 「必要なら、私達が支払います」と言うことで、その場で2万円弱を請求されたので、支払ってきた。さんざん、嫌味を言われた。非常識なことはしないようにとかなんだとか。おかしいな、今でもあの一文は手元にあるけど、御代は結構と書いてあるし、真に受けたのが悪いと言われるかもしれないけど、白木の位牌が届いた時に、お礼の電話を旦那がしたい際にも、直接電話口でお金の話をして、“幼い子どもを亡くした辛さへの気持ち”というようなことも言われていたし…で、今まではこういうことがあったということも含めて、一切を義父に話していなかったのだけど、新たに琴子のためにお経をお願いしようとなり、義父が話し合ってくるということで、一応お耳に…と伝えたら、最近になって、義父達もこの奥方にお金のことでわけのわからないことを言われたとかで、「あのばあさんなら…」と、納得して聞いていた。天国への入り口であるのかとおもっていたけど、お寺はお金の出口なんだとおもった。この地上では、現世では、天国への階段は何処にあるのだろうか。琴子の棺には絵で書いたお金を入れてあげたけど、このお寺で全部使いきってしまったのではないか?
2006.08.06
死産でも大切に想って欲しかったけど、義父は『こういうことは闇から闇へ…』と、琴子の葬儀をどうするかとか、納骨はとか、話し合う度に何度も言っていたから、どうしようもないくらいに悲しくって、悔しかった。そんな義父が、旦那の『お寺に寄進したい』という問い掛けに対し、琴子が生きて生まれたと証明され、戸籍にも載ったので、死産となっているお位牌を変えてもらったらどうだと言う。是非、そうしようとなり、今年の琴子の誕生日(命日)には、お寺に行って、両家の祖父母も招いて、盛大に祝ってあげることになった。死産のままだったらしてもらえなかったことなんだろう、複雑な気持ちがあるけど、死産でも親は変わらない想いがあるのだけど、周囲の人との温度差はどうしようもない。卒塔婆も用意してもらえるそうだし、形式的なことにこだわるつもりはないのだけど、何かしてあげられることがあるっていうのが嬉しい。一番やり直したいことは出産の選択からなんだけど、それだけじゃない、色々なことが取り返しのつかない結果となっている中で、戸籍に載せられたっていうのは凄いことなんだと、今でも感動が増している。戒名も変えたいな、味気ないものだったから、私が考えようかな。
2006.08.02
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