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やっとと言いたくなるくらい、うちの裁判は第一回目から『和解』前提の裁判になっていた。当然、私達原告側は和解を前提になんてしていないし、したくなかったのだけど、被告側が嘘は平気で言うわ、過失は適当に認めるわ、でもって、おたくら(私達原告)が助産院を選んじゃったんだから過失相殺だなんて言うわで、怒るどころか、呆れてしまうような内容で進行されてしまっていて、向こうが苦し紛れに言ったことをこっちが指摘すれば、なんだかあっけないまでに認めてきたりなんだり…って、もうそんなことの繰り返し。せめてもと、私達の弁護士さんが和解案のなかに入れてくれたのが、“琴子は出生後に亡くなったことを認めているのだから、死産ではなく、新たに出生届を出し、戸籍に載せる”ということと、このことを進行する際にはスムーズになるよう、協力すること。被告側はこれには協力するということをすぐに決めてくれた。「うわ~、琴子が戸籍にのるんだぁ」って、私は和解で終ってしまうにしても、これは成果があったかなぁとおもっていたのだけど、その反面、「でもなぁ、琴子を戸籍にのせることがそもそもの目的ではないから、このままでもいいのかなぁ」という、僅かな疑問。ただ、裁判官が代わらないままだったら、きっとかなり和解前提で進められてしまっていて、もしかしたら前回辺りにはこっち側がなんか言われて終らされていたかもしれないから、そのくらいに和解和解と言われていたから、せめてもの…っていうことで、戸籍にのせることが私の中では大きな目的になりつつあった。でも裁判官が代わり、それよりももっと本質的なことを話せるようになってくれたから、琴子は戸籍にのせられないだろうけど、琴子は私達の中では別格の長女であり、リンズは本当は次女だから、戸籍は戸籍、大事なのは家族の想いだとわかっているので、この流れで良かったとつくづくおもう。助産師会などがこの裁判と直接関係ないこととかはよくわかっているんだけど、私は最初から真実だけを話しているから、助産師会の人の中には、H助産師がどれくらい嘘をついているのかは既に承知していて、この現状も知っているんだろうとおもう。H助産師が今は引退したらしいけど、誰かが「頼む」と言えば、もしかしたら請け負っているかもしれない。だって、誰だって人の家の中では何が行われているかなんて知らないからね。私にはH助産師は全く信用出来ない。裁判が始まる前からついていた嘘と、裁判が始まってからついた嘘。もしも琴子のことが悔やまれてならないっていう気持ちに嘘がないのなら、恐れずに真実を語って欲しい、認めて欲しい。琴子!!!
2006.05.28
『贅沢なお産』てなんだろう。今度、どこぞのテレビ局にて放映されるドラマのタイトル。どうやら、自宅出産をした某漫画家さんの同タイトル本をドラマ化したようなんだけど、琴子が生きていたら、今度は自宅出産を目指していたかもしれないけど、今の私にとっては全くの他人事で、ドラマの宣伝を目にする度に、「また適当な知識だけのテレビ人が…」と、かなり冷たい気持ちになる。そもそも、琴子を妊娠していた当時の私も含め、『贅沢なお産てなんだ?』と、聞きたくなるよ、自然思考の強い方達に。あの頃の私なら、なんて答えていたのだろうか。まさか、『子供の命が一番優先されるお産』というようなことは言えなかっただろうな。そういう気持ちがなかったんじゃなく、どのお産も必ず、何も言わなくても、子供の命を一番優先しているのだと信じきってしまっていたから。琴子がまさか死んでしまうなんて、あんな嘘を助産師が言うなんて、全く想像出来なかった。先日、妊婦が妊娠中にお酒を大量に飲んだりすると、生まれてきた子供に悪影響が出てしまうことがあると、忙しないときにながら見をしたテレビの中でのことだったので、ざっとしか見れなかったのだけど、胎児とアルコール・飲酒の因果関係について、報道していた。この某漫画家は、妊娠中もお酒を飲んでいたようだし、授乳中にもお酒を楽しんでいたらしい。らしいらしいの推測話ばかりでいやらしいけど、そうらしい。まぁ、お産さえ自分の意のままであれば、お子のことまでは…なのかなぁ。とにかく産めれば良いってことかなぁ。自宅出産や、助産院で産むから贅沢なのかなぁ。子供がお産の場で死んでしまった親からすると、産んだ子供が元気に泣いてくれれば、そこから希望を持つ日々が少しでも得られれば、それだけで贅沢なお産だと言える。勿論、子供が元気ならどんな医師や助産師でも構わないなんて、そんなことまでは言わない。ドクハラなんて最低なことだし、病院でも助産院でもどこでも、まず、患者(産婦)第一の姿勢・対応は不可欠。だから、医師等の『病院』という施設内での心無い対応・言葉に傷付いた人達がいることも理解しているし、そういう人達が助産院を選んでいく理由も、全く理解出来ないわけではない。ただ、『自宅出産だから素晴らしいお産をした』とかっていう、そういう偏った“美談”だけを取り上げて、これからお産をするっていう人たちを惑わすのはやめて欲しい。自宅出産を希望していたら、助産師に連絡がつかなくて旦那にとりあげてもらったって言う人の話を聞いたけど、子供が元気に生まれてくれたから良かったけど、子供が死んじゃうってことも大いに有り得るわけだし、私のように、偏りすぎた環境下にいると、本当にね、情けないけどね…子供が死んでしまうという結果ででしか、真実を知ることが出来なかったなんて、地獄です。会陰切開だったし、吸引分娩もしたけど、大きい病院の分娩台で、不自然といわれる仰向けでのお産をしたけど、リンズが笑ってくれる日々を得たあのお産は、私にとっては贅沢なお産でした。
2006.05.27
ごめんなさい、書こう書こうとおもっていたのだけど、旦那が仕事で遠方まで出掛け、そしてリンズが発熱、私の実家から母が手伝いにきてくれたりと、もともとの予定で忙しかった分と、突発的に忙しくなったことがあり、今日もあんまりたいした報告は出来ません。まず、今私がやらないといけない、やろうとおもっているけどなかなか出来ないことは、医師Xに準備書面をコピーして送ること。医師Xさん、すみません!送る送ると言って、なかなか送れません!旦那が帰宅したら、すぐにコピーをとりに行きます!!!(この場をお借りして…)リンズの発熱も、今日はだいぶ落ち着いています。でも、この半月くらい、ずっと鼻水とくしゃみをしていた揚句のことなので、長い風邪の様子、まだまだ完治したとまではいっておらず…次回までに気持ちをまとめるべきは被告側なので、勿論、こっちも色々と考えたりしているのだけど、どちらかというと待ちの姿勢なので、まだマシです。また書きます!
2006.05.26
忙しいなんて言い訳なだけかもしれないけど、今日まで、そして今日からしばらく、今年は旦那の仕事が忙しくって、なかなかブログに書き綴れない…ごめんなさい。もう少ししたら、この前の続きも書きます。琴子のお墓参りも、結局6月になってしまいます。ごめんよ、琴子。
2006.05.22
16日、裁判所へ。前回より、裁判官が代わり、私は前回は行けなかったので、初めてお顔を拝見。以前の裁判官とは違い、きちんと意見を言ってくれる方だったので、とても嬉しい。以前までの裁判官はとにかく和解で終らせよう、早くしよう!がみえみえだったので、被告側の「同じく私達も早く終らせたい!」と同調しちゃっていて、暖簾に腕押しの状態だったので、私はとっても不満だったのだけど、新しい裁判官のお蔭で、なんだかやっと、裁判らしくなってきた気がする。ずっと和解を勧められていて、実は16日にも和解が成立してしまうのではないかというくらいに、和解の方向にあったのだけど、私達が出した和解案に向こうが完全には寄り添えず、その寄り添えない部分に対し、裁判官が私達の気持ちを汲んだ発言をしてくれて、被告側に譲歩を促してくれた。譲歩って言うのとも違うかもしれないんだけど…適当な言葉がうかばない。またあらためて報告します!
2006.05.17
琴子のお墓は群馬県にある。東村というところで、栃木からだと日光→足尾の山道を使うのが便利で、自宅から3時間程。日帰りで毎回行くのだが、冬は路面凍結、琴子のところへは行けない。毎年、春は旦那の仕事が忙しいので、そうなると、11月から5月の間は行くことが出来ない。旦那の実家のお墓に入れてもらったのだが、入れてもらったというのか、墓石の脇の地面に骨壷のまま、埋めさせてもらったので、琴子は独立している。寂しくないかと心配になることがあるのだが、魂は別のところにいるのだから、あまり心配しないようにしている。そりゃ心配だけど、大丈夫。毎年、5月になると、琴子の眠る地の景色を思い返すことが多くなる。やっと会いに行けるという気持ちが手伝うのだろう、心も頭の中も、新緑の東村で一杯になる。いつだったか、一度は夜に着いたことがある。琴子の眺めている月を、私も眺めることが出来たのが嬉しかった。そして、寂しかった。今年はもうちょっとだけ時間が要る。5月の中旬から下旬の頃に、ようやっと行けるようになる。もうちょっとだけ待とう。琴子が待っていてくれているのかはわからないけど、今の私の最大の楽しみ―切なくて愛しい琴子に会いに行く。
2006.05.06
前にも話した『浮浪雲』から今日もまた。主人公の息子の親友が伝染病になり、もう長くはないという。その親友が死期を悟ったのか、自分(主人公の息子)を呼んでいると聞き、枕元へ…すると、その親友が最後の力を振り絞るかのように、「僕、もっと生きたかったよ。子供は死なないとおもっていた」当に。私もそうおもっていた。
2006.05.05
元ちとせを特別好んで聴いたことはない。彼女を特別意識しだしたのは、彼女が流産(といっているけど、本当は誕生死が正しいとおもう)したということを聞いてから。その後、彼女は女児を授かっている。今は育児もしているのだろう。そんな彼女が歌手活動を再開すると聞いたのも、もう随分と前のことだったのだ。そして今日、やっと彼女の歌う姿を見た。作詞は彼女自身ではない。だからもしかしたら、亡くした子供への気持ちとは全く違うものなのかもしれない。でも、歌詞を目でおうと、なんとなく感じるものがある。作詞家の方に気持ちを伝えたりしたのかなとかって、想像しながら流れる歌詞を耳と目で追っていた。凄く感動することはなかった。出来れば亡児を想った歌を作ってくれないかな。悲しい気持ちになっちゃうけど…
2006.05.01
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