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昨日、図書館に行って目取真俊の「群蝶の木」と「魂込め(まぶいぐみ)」を借りてきた。この作家については、楽天日記でどなたかが書いていたので、ちょっと気になってメモをしておいたのだった。しかし、今、誰の日記に書いてあったのかと探してみたが、思い出せないでいる。ネットで検索したら、作家 目取真俊というページをみつけた。さて、今日は「群蝶の木」を読んだ。久しぶりに、のめりこんで一気に読んでしまった。この本には、短編小説が四編入っているのだが、どれも沖縄を舞台にした小説である。どれも、人間の不可思議な心理を抉るようなところがあり、同時に現代人が陥りやすい罠、現代日本が抱える暗部のようなものを感じさせる。標題となっている「群蝶の木」は、戦中戦後の沖縄の人々が背負った傷を痛感させるもので、胸苦しい思いで読んだ。昨年、沖縄の戦跡地を父と旅をした時、沖縄戦の実相の痕跡に触れた時の感情が甦ってきた。そしてそれは、決して「過去の思い出話」ではないのだ。形を変えて、今もなお沖縄の人たちに背負わせ続けているものがある。そのことを、ズシリと気付かせてくれる作品である。
2005年03月31日
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先日少女が無事帰宅したつぐみ、どこにいるの?のHPを見たら、他にも行方不明の我が子を探しているサイトがあることを知った。そこからたどって、日本行方不明者捜索支援協会というHPを見つけた。そこでは、行方不明者の家族のダイアリーはもちろん、「行方不明者本人」のダイアリーもリンクできる。まだちゃんと読んでいないのだが、きっと色々と考えさせられるような気がする。今は時間がないので、このサイトを紹介するだけにしておく。
2005年03月31日
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今日は、朝から雪が降ったり吹雪いたりと忙しい天気。北国の春は気まぐれで、春の陽気かと嬉しがらせた次の瞬間は、厳しい真冬に逆戻りをしたりする。「もう、雪なんかイラナイ!」と空に向って叫んでも、自然はこちらの気持ちや事情なんてかまっちゃくれない。そのような今朝、下記のニュースを見て、「どうしてこの時期に、高齢者が登山しなくちゃならないんだ?」と首を捻ってしまった。乳頭山「43人全員無事、下山中」…メンバーから連絡29日午後7時40ごろ、秋田市内の男性(63)から「登山に出かけた妻が、予定時刻になっても帰ってこない」と秋田県警角館署に通報があった。 県警は、男性の妻(61)らのグループが秋田県田沢湖町の乳頭山(烏帽子岳、1478メートル)で遭難したとみて、30日朝から捜索する予定だったが、同午前6時ごろ、メンバーの1人から携帯電話で「登山者の総勢は43人。けがや病人もなく下山中」と同署に連絡があった。県警は地元山岳会メンバーと捜索隊を編成し、午前8時に入山を開始した。 同署によると、一行は元教員らでつくる登山愛好グループ「全日本年金者組合秋田市支部・山楽会」のメンバー。29日朝に田沢湖町の乳頭温泉郷から乳頭山に入山し、同日午後3時50分に下山する予定だった。 秋田地方気象台によると、29日は冬型の気圧配置の影響で、現地の標高1000メートル付近は雪と風が強い状態。午後11時現在の同町の気温は、氷点下0・3度だった。 (読売)近年は中高年の登山が大はやりだそうだ。それはそれで結構なことではあるが、あくまでも「趣味や楽しみ」なのだろうから、あまり無茶なことはしないほうがいいと思うのだが・・。この季節は、冒頭にも書いたように天候は実に気まぐれだ。さらに、積雪が緩んで雪崩の起きやすい季節。一年365日あるのに、わざわざこの時期に登山しなくてもいいだろうと思うのは、春山登山の醍醐味を知らない私だからだろうか。それもみなさん、元教員の方々らしい。ご自分達の計画と体力によほど自信があったのだろうか。これを書いている午後5時半現在、まだ全員が下山してはいないようだ。とにかく全員無事であるようにと願いながらも、これからはもっと無理のない、家族や教え子達に心配をかけないような登山を楽しんでいただきたいと思う。
2005年03月30日
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3月26日の日記で紹介した、仙台の小5の少女が、無事帰宅したようだ。今朝つぐみ、どこにいるの?のサイトを見て、ホッとしている。このサイトのことについては、多くの人たちが自分のHPなどで紹介していた。それを見て、私も自分の日記で紹介したわけである。インターネットでは、このような「人探し」も可能なのだなとあらためて思った。しかし、この動きがつぐみちゃんの帰宅とどう繋がっているのかは、今のところわからない。まずは、無事に帰宅したことを喜びたい。そして、これからこの家族が、この出来事によってしっかりと、家族としての絆を強めていくことを願いたい。
2005年03月29日
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「大人の知恵」という言葉を、どこかの大人の方が使っている。この「大人の知恵」という言葉で、それぞれの人たちはどのようなイメージを持つのだろうと、ふと思った。残念ながらこの私は、このような言い方をされると嫌な感じを受けてしまう。どうしてそのような感じがするのかと、我ながら首を傾げてしまった。「あの人は、大人だね」と、この私も使うことがある。その時には、プラスイメージで使っている。冷静で、客観的で、包容力があり、優しい。そんなイメージである。しかし、「大人の知恵」と使う時には、戦略、謀略、冷徹さ、したたかさなど、密室のイメージがついてくる。これは、私だけの感覚なのだろうか。同じ「大人」という言葉を使いながらも、どうしてこのようになってしまうのだ?「大人」って何なのだろう。(3月28日/記)
2005年03月28日
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いよいよ愛知万博が始まった。開催直前には、NHKを中心にテレビなどで会場や内容が紹介されていたけれど、私自身はそれを見てもあまり行きたいとは思わなかった。それは私だけの気持ちではなかったようで、今朝の下記のニュースを見て、「やっぱりね・・」。愛知万博 開幕2日目 協会想定入場者数、大きく割り込む 愛・地球博(愛知万博)は開幕2日目の26日、初の週末にもかかわらず、入場者は前日を約3000人上回る4万6115人で、万博協会が想定していた15万人を大きく割りこんだ。前日に引き続いて厳しい冷え込みとなり、冷たい小雨が降る天候となったことが響いた。 万博協会の中村利雄事務総長は低調な客足は「予想外」とした上で、「寒さも影響したのだろう」と述べ、今後の天候の回復に期待を示した。また、トヨタグループ館や日立グループ館など、一部のパビリオンに人気が集中する傾向が続いていることについては「外国館の魅力が伝われば、人気も分散されるだろう」と語った。 「東部丘陵線」(リニモ)など会場へのアクセスとなる各交通機関は、朝夕とも大きな混雑はなく、万博協会と名古屋市が混雑対策に確保したリニモ始発駅の藤が丘と長久手会場間のシャトルバスは運行しないで終わった。【樋岡徹也】(毎日新聞) - 3月27日10時22分更新天候のせいなどと書いてあったけれど、そればかりではないだろう。どちらにしても予想の3分の1以下なんて、予想が甘すぎます。ちなみに、大阪万博の時には私は19歳くらいだったかな。両親が「外国旅行に行くつもりで」と、家族みんなで大阪まで人ごみを見に行った。私自身は気が進まなかったのだが(人ごみがきらいな性分のため)それでも諸外国のパビリオンには多少の夢を抱いたものだ。近隣のアジア諸国ですら、旅行をするのは大変な時代だったから、大阪で諸外国に触れたり、見知らぬ国の食事をしたりすることは、結構な感激があったと思う。しかし今では、ちょっと頑張れば実際に外国に行き本物を見ることができる時代。ロボットの演奏を聴くくらいなら、著名なバンドやオーケストラを聴きに行ったほうがずっとまし。諸外国の食事だって、ちょっと探せば国内で本物を食べることができる。冷凍マンモスだって、さほど見たいとも思わない。愛知万博が、壮大な無駄遣いにならないことを祈ります。
2005年03月27日
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ライブドア騒動に新たな登場人物が出てきて、このへんの事情には素人の私には、何が何だかわからない状態。最近の私の関心は、今・現在、直接不利益を被るわけでもないような人たち、つまり今までニッポン放送に出演しているような芸能人やライター、歌手達が、堀江氏の言葉をメディアで見聞きしただけの段階で過剰とも思える批判をしたり、降板するとまで息巻くのかということへの疑問。実際に彼が運営にタッチして、そのやり方に納得できなければ、その時に降りればいいだけの話ではないのか?「ことば」や「メディア」でご飯を食べている人たちだけあって、流される情報を素直に信じていらっしゃるようだ。(あくまでも、皮肉です)一般的に、誰かの行動をヒステリックに批判したり、誰かを排除しようとする時には、そのことによって「自分は違う!」と主張したい時のように思う。あるいは、自分にもやましいことがある場合とか・・。人を指差して非難する時には、必ず何本かの指は自分を指しているものですけどね。つまりは、この私も同類かも。(ギクッ!)《追記》楽天のコンシェルジュさんへの返事楽天のコンシェルジュさん、はじめまして。弁護、ご苦労様です。もちろん、それぞれの方にはそれぞれのお考えがあってのことでしょうから、その考え方や言動そのものを否定するつもりはありません。その方々が堀江氏とどのくらいのお付き合いがあり判断したことかもわからないので、一方的に批判することは間違っているのかもしれません。ただ、新聞やテレビ、ネットで見る限り、みなさんは堀江氏と直接話し合っての判断ではないようなので、「職業人として、それはいかがなものか」と思ったのです。私だって、苦手な人も嫌いな人ももちろんいます。でも、少なくても自分が直接関わり、実際にその言動をある程度の期間共にしないうちは、自分の判断は棚上げします。仕事ですから、割り切らなくてはならないところもあるでしょう。自分の仕事の意味や役割を考えた時には、嫌いな人間とも組むことも必要な時があります。反対に、どれほど恩義があろうと、大好きな人であろうと、その人がやっていることが自分の仕事やスタンスとは相容れないものであるならば、残念だけど「今は一緒にはできない」と決めるかもしれません。いずれにせよ、他人の言葉や情報のみによって決めることはしないと思います。人の心は、その人と直接関わらなくては本当にはわからないものだと思っています。関わらなくても推察することはできますが、「会ってみたらいいやつだった」ということだってあります。「情報やことば」で生きている人ならばなおさら、見聞だけで人を判断して欲しくないと思っています。私にとって一番大切な情報とは、直接本人と会って話して五感で感じた情報だからです。そして、人と人とは、相互作用によってお互いが変化して行くものだからです。>みらい0614さんがフリーで仕事をしていたらそのひとと組みますか?仕事の内容が自分が納得できるものだったら、組みます。その人が私に期待するものが納得できなければ、組みません。>みらい0614さんが会社員だとして、上司がそのひとだったら、リスナーやお客さんも大事ですが、自分の精神と肉体の健康をうばわれても大丈夫ですか?精神や肉体がピンチ状態になったら、もちろん退職も考えます。命あってのものだねですからね。でも、その状態になるかもしれないという予想程度ならば、ギリギリまで折り合うことが出来ないか試行錯誤します。つまり、直接不利益を被った時点で進退を考えるということです。私は今は仕事をしておりませんが、在職中はいつもそのように考えていました。
2005年03月26日
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『サイト見つけた!』 のテーマで書くのがふさわしいかどうかわからないが、keiko2179さんの日記でこのHPを知り、一日も早くこの少女が発見されて欲しいと思ったので、私の日記でも紹介します。つぐみ、どこにいるの?という、行方不明になった少女のお母さんのHPです。心当たりがある人は、ぜひ情報を届けてあげてください。
2005年03月25日
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以前は、高校野球では「初戦突破」が目標のようだった北海道。だから以前は、北海道の高校と対戦する本州の高校は、「ラッキー! もらった!」と思っていたことだろう。ところが、昨年の夏に駒大苫小牧が優勝してからは、多分見る人たちの意識も変わってきたのではないか。かくいう私も、多少は変わった。やっぱり、「せめて初戦は勝たなくちゃね」という気持ちで、チラチラとテレビを見ながらパソコン作業をしていた次第。夏に優勝したとは言え、メンバーも変わっているだろうし、状況も違うのだから、あまり気負わずに、折角の甲子園を楽しんできてほしいと願います。リラックスして楽しめるほうが実力も発揮できると思うし・・。
2005年03月24日
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☆まだまだ続く? ライブドア騒動ハッキリ言って、私はあまりこのことについて関心はない。しかし、メディア業界のことのせいか、新聞もテレビもこの話で大騒動の感じ。(残念ながら、私はラジオは聞かない)このようなやや大げさで感情的なメディアの状況を見ていると、ニッポン放送やフジテレビ側の言い分には、あんまり説得力がないと感じている。まあ、当事者達にとっては大問題なのだろうし、気持ちがわからんでもないけれど・・。経営者達や社員にとっては不安や苛立ちもあるだろうとは思うが、そこに出演する人も降板をちらつかせている下記のニュースを見てびっくりと同時に、「なんだかなあ・・」と釈然としない。「乗っ取られるなら番組降板」 江本孟紀さんら意向 ニッポン放送の番組に出演している野球解説者の江本孟紀さんや出演交渉中の歌手中島みゆきさんらが、ライブドアが経営権を持った場合には降板や、出演しない意向を示していることが23日、明らかになった。ニッポン放送が書面にして東京高裁に提出していた。 この書面によると、ほかに脚本家の倉本聰さん、タレントのタモリさん、市川森一さん、加藤諦三さんらも番組降板を申し入れてきている。 江本さんの事務所によると、江本さんは「プロ野球を辞めたときにニッポン放送さんが解説者として拾ってくれた。その恩がある。ライブドアに乗っ取られるなら、心情的に続けることはできない」と話している。 倉本さんは「今は亀渕社長の『ずるい』という一言が胸にずしんと響いている」と語った。 ニッポン放送は、ライブドアが経営権を掌握すると「最も重要なパーソナリティーの確保にも重大な支障が生じる」ことの具体的例証として、こうした人たちの動向を書面に盛り込んだ。「人気パーソナリティーが降板することは、即『聴取率の低下』を意味し、広告媒体としての価値が落ちる」と主張していた。2005年03月24日03時03分 まだ、相手の考え方をちゃんとと聞きもせず、素人目に見ても人倫にもとることや法律違反もしていないのに、異なる考え方の人をこれほど排除しようとするなんて、多様な価値観を認めるべきメディア関係者のすることかと、かなりの違和感を覚えている。☆道警裏金問題、百条委をどうして否決?北海道新聞の下記の記事に、どうしても首を傾げてしまう。私は、百条委員会が設置されることで、道警裏金問題の根本的解決にどれほど効果があるのか、正直なところよくわからない。しかし、氏名を公表して道警の裏金事情について告発した人が、「百条委員会で証言する」とずっと言っているのに、これを拒否している自民党や公明党の言い分には、どうにも納得できない。というより、「道警に脅されてるんじゃないの?」と疑ってます。(つまり、スネに傷持つ議員の方々が多いんじゃないかと・・)潔白であれば、こんなことに反対する理由はないんじゃないかな。道警裏金 百条委、5度目否決へ 道議会きょう採決 自民・公明が反対 2005/03/24 04:32 一連の道警裏金問題で、道議会の民主党・道民連合と共産党は二十三日、地方自治法に基づく調査権限の強い百条委員会の設置決議案を、神戸典臣議長に共同提出した。通算五度目で、二十四日の本会議で採決するが、最大会派の自民党・道民会議と公明党の反対で否決される見通しだ。 民主党・道民連合の三津丈夫幹事長は提出後、記者団に対し、道警の虚偽文書強要疑惑浮上によって「確認監査の信頼、前提が崩れた」と指摘し、「議会として調査権を発動し、道民の期待に応えたい」と百条委設置の必要性を強調。共産党の大橋晃団長も「議会の責任はますます重くなっている」との認識を示した。 これに対し、自民党と公明党は二十四日の議員総会で、それぞれ正式に反対を決める方針。中間会派フロンティアは、百条委より調査権限の弱い九十八条委員会の設置決議案の独自提出も含め、対応を検討している。
2005年03月24日
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テレビをつけると、「半落ち」をやっていた。これは、昨年の9月にレンタルビデオで見ていたのだが、再度見たらまた違う感想を持つかもしれないと、他に見たいものもなかったので後半を見た。やはり思うことは、これほど若くしてアルツハイマーとなったら、どれほど辛いことだろうなということ。自分の記憶が混乱し、今まで難なくできたことが出来なくなり、周囲の人から哀れみや迷惑そうな視線を浴び・・。やっぱり、死にたくなると思う。だが、「死にたくなる」ことと「死ぬ」ことは別だ。私は今から宣言しておこう。もしもそのような状態になったなら、絶対に隠すことなく周囲の人に言いふらしてください。たとえぱ「死にたい」とわめいたとしても上手に聞き流して、あらゆる利用可能な社会資源を活用し、家族だけが重荷を負わずに、ぼけてゆく私を見守って欲しい。病院や施設などに入れてももちろんOK。その代わり、時々は私の好物などを持つて顔を見せて欲しい。「どちらさんですか?」と言っても気にせず、「僕は○○。あんたの息子だよ」と話しかけて欲しい。ボケても感情は生きているのです。馬鹿にされたり拒否されたりすることが、一番苦しいはずです。親切にされている、愛されていると感じたら、きっと「死にたい」という気持ちを耐えられる。今の私は、そう思っています。
2005年03月23日
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今日から春の高校野球大会が始まる。昨年夏に、北海道に優勝旗を運んでくれた駒大苫小牧が初戦だというので、今日はテレビでの観戦をする予定だったが、甲子園はあいにくの雨で試合は延期。(ガッカリ)でも開会式では、駒大苫小牧の林裕也主将がとても爽やかな選手宣誓をしてくれたので、ガッカリも半分になった。この数日、春らしい陽気が続いていて、硬い氷や大きな雪山もゆるんできている。この時期は、一日に数度は外に出て雪割り作業。早く雪が融けて、春になーれ。その合間を縫うように、5月に開催予定の映画会のための資料作りに追われる。先週第一回目の実行委員会があり、一応の体制が整った。あとは、いかに効果的なPR活動をして、一人でも多くの方々に来ていただくかだ。どのようなイベントも、関わる人たちの熱意が成功の鍵。まずはこの私が、どれほど熱くなれるかだと思っている。人間同士というものは不思議なもので、熱意というのは伝播するものだから。本当はこの日記でも詳しく紹介して応援していただきたいところなのだが、それは「匿名性確保」のために我慢・我慢。これから、少しばかり忙しくなりそうだ。
2005年03月23日
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今日は、まだ日記を書いていないのに13:40現在で、171アクセス。もちろん、日記こそ書いてはいないが、リンクしてある日記のところには足跡をつけていたけど、かといってその方々の訪問はさほどでもない。ひょっとすると、慶應通信への新入生が来てくださっているのだろうか?どちらにせよ、このような日記を見てくださってありがとうございます。
2005年03月23日
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3月20日に発生した「福岡県西方沖地震」では、今のところ「被害800棟、負傷700人を越す」状況らしい。死亡されたのは、今のところ一名のままなのだろうか。この地域では、この300年間地震はなかったようで、この地域に住んでいる人たちには「不意打ち」だったのではないだろうか。このところの日本列島の揺れ方を見ていると、今や安全な地域はなさそうだ。明日は我が身と思って、日頃から地震災害に備えておく必要があるのだろう。今回は、地震発生直後に自衛隊の出動が要請されたようだ。このような時には、自衛隊員の姿がとても頼もしく見える。まだ余震が続いていて、被害に遭った方々は不安な日々を過ごしていらっしゃると思う。国も最大限の応援をしてあげてほしい。
2005年03月22日
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北海道美唄市の工場で、手榴弾処理中の事故で一人が死亡というニュースを聞き、本当にびっくりした。自衛隊では、そのような処理作業を民間に委託しているのか?処理を含めた仕事ができるのが自衛隊だと思い込んでいたので、「どうなってるんだ!」というのが正直な気持ちである。記録のために、記事をコピーしておく。手りゅう弾爆発、1人死亡 美唄の工場、陸自委託で解体中 2005/03/21 23:37 【美唄】二十一日午後二時五十分ごろ、美唄市光珠内五四九、北海道日本油脂(服部勝英社長)の工場内で、解体処理中だった陸上自衛隊の手りゅう弾が爆発した。作業していた同市峰延町峰樺一区、作業員古賀秀樹さん(52)と同市西四北四、同社社員池上孝さん(58)の二人が直撃を受け、美唄市立病院に運ばれたが、古賀さんは出血多量で死亡し、池上さんは頭部と右足に軽傷。美唄署は爆発が起きた原因などを調べる一方、業務上過失致死傷の疑いもあるとして二十二日に実況見分する。 同社などによると、事故があったのは直径三メートル、深さ三・三メートルほどの水中廃棄場と呼ばれる水槽。二人は午前八時から金属ワイヤにつり下げた手りゅう弾を四個ずつ水中で爆発させる作業を手動で行っていた。爆発時には水中にワイヤが入っていない状態で、何らかの原因で空気中で爆発したとみられる。 同社はダイナマイトや凍結防止剤などを製造。一九九九年から爆発物処理も請け負い、対人地雷の処理は行っていたが、手りゅう弾の爆発処理業務は二月に初めて陸自補給統制本部(東京)から受注、すでに数千個を処理したという。 同社の淡中(たんなか)満常務は記者会見で「安全処理はきちんと行っていて、通常では爆発しない」と話した。また「大変な事故を起こし、大切な従業員を失ってしまった。ご家族に何と申し上げていいか」と深々と頭を下げた。手りゅう弾の処理は始めたばかりだが、対人地雷の処理の実績があるだけに「なぜ起きたのか分からない」(担当者)という。 死亡した古賀さんは昨年十月に同社子会社の日峰産業(美唄)から出向、二月から処理作業に携わっていた。古賀さんの親類は「家族思いの人で、長女が一月に初孫を出産し、喜んでいた。昨日、里帰りの孫を風呂に入れ、『今日は早く帰る』と言って出勤したのに」と悲しみに沈んだ。 工場周辺には民家が点在し、水田などをはさみ一キロ足らずの距離に中学校もある。付近の住民の一人は「手りゅう弾を処理していたとは知らなかった。きちんと原因を究明してほしい」と話していた。このような仕事をしている委託会社は、全国にどのくらいあるのだろう。周辺の人たちは、このような仕事をしている会社であることを知らなかったようだ。私達は、知らずにとても危険な場所に住んでいるのかもしれない。同じ日、防衛大学校の卒業式があったようだが、今年の卒業生は325人で、実際の任官者数は過去最少の303人とのこと。中途退学者も過去最高の132人だそうである。いつも思うのだけど、全額国費で勉強しさらに衣食住に加えて学生手当てまで支給される防衛大学校生は、自衛官にならない場合、または退学した場合、それまでに使われた国費(学費や学生手当てなど)を返還するのだろうか。ご存知の方には、教えていただきたい。
2005年03月21日
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さきほどから、日記リンクしている方たちの日記を読んでいて、sowonさんの日記の読んでびっくり~自民党改憲案「前文」の文案参考例~に、へーッ!と思った。週間金曜日の記事の紹介だが、ぜひ本文を読んでみたいと思う。今日から月曜日までは、所用が重なりこれ以上日記を書けないと思うので、ご了承下さい。
2005年03月19日
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ネットでニュースを拾い読みしていたら、下記の記事を見つけた。記録のために、コピーしておく。<卒業アルバム>最後のページは白紙 佐世保・大久保小 小6同級生殺害事件が起きた長崎県佐世保市の市立大久保小学校(188人)で17日、卒業式があり、卒業生は最後のページが白紙の卒業アルバムを手にした。加害女児の写真を張れるようにしたためだ。御手洗怜美さんの命を奪った少女の写真をどうするか。一緒に過ごした時間を残すのか、消してしまうのか。子供たちは答えを探し求め、教師も親も考えた。その結果が白紙のページだった。 昨年6月1日の事件後、教室には加害女児への反発と憎悪が渦巻いていた。ある男児は「『子供だから』と許されるのか」と激高した。2学期から担任になった男性教師は「事件に触れるだけで子供たちの心が崩れてしまいそうだ」と感じた。だから「(施設送致は)本音が分かる環境で糸をほぐすためだよ。彼女の罪を軽くしたのではないよ」と児童たちを諭した。 一方で、卒業アルバムを巡り、怜美さんの父恭二さんは「怜美と彼女が教室に存在した『形』を残してほしい。彼女を憎む感情を子供が持つのはつらい。憎しみをどうしたらいいのか知らない子が起こした事件だから」と担任に告げていた。 怜美さんと加害女児をアルバムに載せるのか、子供たちは何度も議論した。それぞれが結論を出したのは2月4日。「両方載せる」15人、「怜美さんだけ」15人、「両方載せない」1人。答えを出せない子もいた。 「両方載せる」とした子は「私たちは強くなった」、別の子は「幼稚園からずっと友達。忘れられない」と言った。「怜美さんだけ」とした子は「(加害女児を)載せたら戻ってきた時に彼女の気持ちがきついんじゃない?」と推測した。「両方載せない」とした子は「新しくスタートを切りたい」と訴えた。 担任と保護者が話し合い、怜美さんの写真は載せて、加害女児については希望者に写真を提供することにした。希望した児童は10人。2人とも運動会での姿。子供たちはアルバムのタイトルを「We Can(やれば、できる)」と名付けた。そんな子供たちが、担任の目にたくましく映る。 子供たちの議論を聞いた恭二さんは「何の話し合いもなく2人の存在を消し去ることは許されないと感じた。事件と向き合うことにつながる大切な過程になったのではと感じている。逃げずに意見を出してくれた子供たち、保護者の方々に感謝します」とコメントした。【川名壮志】(毎日新聞) - 3月18日3時5分心の中に渦巻く憎悪や悲しみ、そして心に受けた深い傷をどのように乗り越えていけるのか、その答えの一つを、この子ども達に示してもらったような気がする。しっかりと自分の心や周囲の問題を避けることなく向き合い、自分(たち)が今出来ることを真剣に考えて行動してゆく。次々と降り掛かってくる課題を乗り越えるには、それしかないのだと思う。
2005年03月18日
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この家族のドキュメントを見るのは、昨夜で二回目。第一弾では、多分母親も一緒に生活していたのだろう。前回の放送で、両親の離婚後、長女のあざみちゃんが健気に主婦・母親役を担っている姿に胸が詰まった。母親がなぜ家を出たのか、前回の放映でも私はよくわからなかった。(ひょっとすると、中途半端にしか見ていなかったのかも)さて、その第三弾というので、今回は最初から「見る気で」見た。[詳細] 大反響シリーズ第3弾私、ママになりました完全密着990日! 3男4女8人激闘大家族! 16歳長女~感動の出産スペシャル ◇母親が家出をした8人家族の生活に密着する。一家の父親が妻との離婚を決意し、長女を母親代わりに新しい生活をスタートさせた。だが、長女の妊娠が判明。突然の出来事に父親は戸惑うが、ある決断を下す。長女は家族の協力のもと出産準備を進め、弟妹たちも新しい家族を心待ちにする。そんな中、二女は高校受験を迎え、長女の出産も近づく。新しい家族を歓迎し、新たな旅立ちをしようとする大家族の思いを伝える。チャンネルガイドより一家の母親役を一手に引き受けていた長女のあざみちゃんが妊娠!相手がどのような若者なのか分からないけれど、それを知った父親が「悔しい!」と言った言葉が胸に突き刺さった。そして、ただうつむいて何かをじっと耐えているようなあざみちゃんの姿に、胸が苦しくなってしまった。必死に家族を支えるために家事を引き受け、弟妹の姉・母親役を担ってきたしっかり者とはいえ、何と言っても16歳なのだ。心をときめかせる相手が出来て、彼に抱かれたいと思ったとしても、ちっともおかしくはない。やがて、自分の体の変化に気付き、どれほどの不安や悩みの時間を過ごしたことであろうか。もちろん、愛した人との関係のことも含めてである。きっと、結婚は無理だと彼女は最初から思っていたのだろう。父親は、(少なくてもテレビの画面では)長女を一言も責めなかった。私が親であっても、責めることはできなかっただろう。耐え続け、苦しい中でも家事をいつもどおりこなして、周囲にそのことに気付かせなかった彼女の気持ちを思うと、「よく頑張ったね!」と背中を抱いてやりたい気持ちになってしまった。その後、弟妹達に父親が「お父さんが責任を持って育てる。みんなで頑張っていこう」と言い、妹や弟達が「安心して赤ちゃんを産んでね」と言ったとき、あざみちゃんが初めて安心したように嬉し涙を流すのを見て、本当に素晴らしい家族だと拍手をしてしまった。出産の時も、陣痛の痛みを周囲に悟られないように耐えつつ家事をこなし、弟妹が学校に行ってから、「よしっ!」と小さく気合を入れ、付き添い役の妹と一緒に病院に向う彼女。その芯の強さに、おばさんはただただ感心するばかり。退院後も、ゆっくり養生する間もなく主婦に戻る。自分の妊娠・出産時のことを思うと、我が身を恥じ入る気持ちであった。母親がそばにいたなら、色々とアドバイスをしたり付き添ったり、産後の家事も手伝ったりしてくれるはずなのに・・。生まれた我が子に「この子は、誰よりも幸せにしてあげたい」というあざみちゃん。そして、家を出た母親に対して「おなかを痛めた子を置いてゆくなんて、やっぱり許せない」と言う彼女。暗に「お母さんの気持ちを理解して、許してあげられるかな?」と言っているような問いに苛立ちながら、「その気持ち、わかるよ。当然だよ。許さなくていいよ」と、私はテレビに向かって呟いていた。七人の子を置いて家を出なくてはならなかった母親の事情は私には全くわからない。それでも、このようにしっかりした素直な子ども達を育てたのだから、それほどとんでもない母親ではなかったのだろう。あざみちゃんだって「許せない」というのは、それだけ母親がいなくなったことが苦しく、切なかったからなのだ。母親からの電話に、お父さんが冷静に答えていたのが不思議だった。もしも私がその立場なら、「今更何言ってるんだ! 一番母親が必要な時に知らん振りしていて」なんて、怒りまくっているかもしれない。(ひょっとすると、テレビ的な演出というかシナリオだったのかな?)それでも、その時のあざみちゃんのサッと曇った表情は、演技ではなかった。あざみちゃんには、誰よりも幸せになって欲しいと思う。きっといつか、本当に彼女を愛し、子どもと一緒に家族となってくれる男性が現われると信じたい。その時にはきっと結婚式で、お父さんに花束を渡してくださいね。それまで、お父さん、体に気をつけて頑張ってください。この子達にとって一番心配なのは、お父さんが病気になることだろう。次女があれほど真剣に「看護婦になりたい」というのは、その気持ちの象徴。あらら、気がつけば結構あの家族に、感情移入してしまっているなあ。とにかく、子どもを産んだら、しっかり責任取りましょうね。そして、母親になるのに「若いからダメ」ってことはないですね。妊娠中も出産後もあれほど元気なのは、やっぱり若いからなのかもしれません。【追記】k-nanaさんのコメントへのご返事に書いたことを、こちらに載せておくことにしました。これは、これから「妊娠」をしたり妊娠させる可能性のある人達に、しっかりと心にとめておいて欲しいことだからです。燃え上がった恋愛の結果で傷つくのは、今でも多くの場合「女性」です。妊娠や出産、時には中絶を自分の体で引き受けるのです。くれぐれも男性は、刹那的な欲望で子どもができるようなことをしないでいただきたい。同時に女性も、我が身を守ることは、まだ見ぬ我が子を守ることだと考えて欲しいのです。
2005年03月17日
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午前中、某ボランティア団体の例会。年度末なので、今年度の反省や次年度の活動計画について、色々な話が飛び交う。同じ会で活動していても、それぞれの思いはみんな微妙に違う。この会は、私のように個人的に参加している人もいれば、別のグループ(組織)の代表として参加している人もいるので、視点や目的意識もそれぞれである。例会が終わるやいなや、父の白内障の手術のために眼科に走る。先週、片方の目を手術し、今日はもう片方の手術日であった。付き添い役の私の役割は、二時間にわたって15分ごとに目薬をすること。父も暇なので何かと話しかけてくるのだが、何せ耳が遠いので、父との会話は声の小さい私は結構疲れる。帰宅したのは4時半頃。間もなく息子が仕事の帰りに立ち寄ったので、少しばかりおしゃべり。息子と二人だけで話すのは、考えてみたら随分久しぶりのことだ。ということで、今日は一人っきりになることの少ない一日だった。
2005年03月16日
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楽天日記を始めてから、今年の6月で二年になるというのに、「プログ」って本当は何なのか良くわかっていないことに気付いた。楽天日記は「日記」と書いてあるので、多分「ブログ」も「日記」と同類語なんだろうと、勝手に思っていた程度。今朝、日記を見て歩いていたら、「別のプログに移動した」とか、ブログを併用するというような日記を見たので、あらためて「ブログ」ってなんだ?と思った次第。そこで、あちこちの「プログって何?」という説明を見て回った。gooでは、ブログ(blog)」とは、ホームページの形式の一種で、日記ホームページによく似ています。 「ウェブログ(weblog)」を略した言葉で、「Web上に残される記録」というような意味を持ちます。ブログの歴史や厳密な定義には諸説ありますが、おおまかには、作者がデザインなどをいちいち考えなくても、上から順番に新しい記事が表示されていくホームページ、と考えていいでしょうとある。(フムフム、わかりやすい)続いて、今話題のlivedoorを見ると、こちらはとても詳しく書いてあった。ただし、詳しすぎてまだはっきりとわかったような気持ちになれないでいる。この「楽天」では、「日記・ブログ」と表記しているので、単純に日記と同様に捉えていいとのスタンスなのかな?この日記を書いたことでの一番の収穫は、livedoorを検索エンジン(?)として使えるように、パソコンの「お気に入り」に入れたこと。これからは、時々社長の言葉を直接見てみようと思う。現在起きている騒動については、本当は大事なことなのかもしれないけれど、私にはあまり関係ないような気がして、大人の意地の張り合いを見物している感じであった。最初は青い青年のように見えていた堀江社長が、今では大人に見えてきてしまっているのはどうしてだろう?彼が成長したのか、それとも大人に見えていた人たちが、実際はさほど大人でもないということが露呈してきたのか?
2005年03月15日
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4年ほど前から、個人的ネットワークを大切にしたいと願い、今までに出会いこれからも可能であれば繋がっていたい人たちに呼びかけ、ミニコミ誌を年に二回程度発行している。今週中に最新号を発行することを目指して、朝から集まった原稿などの編集作業をしている。最初の頃は物珍しさもあって、黙っていても原稿が集まったけれど、最近は少し飽きられたのか、原稿がなかなか届かない。それでも、「書けないけれど読みたい」というワガママな人は多いので、まあ、みんな忙しいのだろうと大目に見ているところ。さて、私の友人・知人なので同世代が多いせいか、今回の原稿には「自分や家族の健康・病気・死」などに関するものが多い。さらに、「定年後、老後」に触れたものもある。当然ともいえるが、これらのことを書く時には、そこはかとない不安が漂う。世の中も、これからの不安を煽ることが多く、どっちを見ても元気になりにくい。そう思いながら、先日書店でパラパラと見た「文芸春秋」を思い出した。「特集 団塊1085万人のこれから」というタイトルに惹かれて手に取ったものだ。もちろん全部を読んではいないのだが、「悲観シナリオに騙されるな」とあるように、全体的に団塊世代にエールを送るものだったと思う。私は昭和25年生まれだから、団塊世代のシッポである。ほとんど団塊世代と言って良いのかもしれないが、圧倒的多数の先輩達の背中を見ながら生きてきたという感じ。小中学校時代の彼らは、とても元気で頼りがいのある人たちだった。青春期には、先輩達は熱に浮かされたように学生運動の旗を振り、私たちを随分アジって下さった。どのように世の中を変えてくれるのかと思っていたら、あっという間にちゃんと就職・結婚したりして、企業戦士や教育ママになっていったようだ。そのうち、それぞれに社会の中核となっていったはずで、人数が多いせいか色々な人がいるようにも思う。しかし、青春時代に(先輩達に対して)期待していたほどには、個性的な大物はさほど多くもないような・・。気がつけば中年になり、なぜかこの世代、昨日の日記にも書いたように少し脆いところがある人も多い。(分母が多いから目立つのか?)もちろんこの私は、圧倒的大多数の「その他大勢」として生きている。それでも、この世代の強みは、やっぱり人数が多いことだ。人間は、お互いに協力し合うことが出来れば、様々な困難も何とか乗り越えていけるものだ。文芸春秋で堺屋太一さんが、「ブーム”を創り続けた世代が新たな『富』を生む」と書いていらっしゃるようだが、そこまで楽天的には考えることは出来ない私だが、そこそこ元気に生きてゆくんじゃないか、とは思う。私もそうなのだけど、結構自分の身を守ろうとする力のある人も多いと思う。やはり、たくさんの同世代人との競争や切磋琢磨の中に生きてきたから、打たれ強いと言う面もあるかもしれないし、退職後は競争からははずれて、多少の蓄えと年金でつましくのんびり生きようとするのではないか。でも、その前に「燃え尽き症候群」に陥る人もいるだろうから、そこが要注意だ。さて、私のミニコミ誌も、老後は全国に散らばっている友人達を訪ねたり訪ねられたりして、生きがいとはいえないまでも、時々は楽しい時間を持てるようにとの一手である。それになにより、「ボケ防止」には文章を書くことも効果があるだろう。みんな、私より先にボケるんじゃないよ。ボケるのがいやなら、原稿書いてくださいな。【追記】この日記のタイトルに何となく見覚えがあったので、過去の日記をさがしてみたら・・、やっぱりありました。団塊尻尾(しっぽ)世代のつぶやき (2003年11月19日)(自分で書いたものなのに、忘れてた ( ´△`) アァ-)
2005年03月14日
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夫が仕事上で関係のある人が、2日続けて亡くなった。(亡くなった二人は、直接の関わりはない)56歳と45歳。お二人とも男性で、心筋梗塞による突然死。最近は、このような死を迎える人が結構多い。私の知人のご主人でも、この何年かの間に50代で亡くなった方が今パッと思い浮かぶだけでも三人いる。二人は、「胸が苦しい」というので病院に行ってから間もなく、一人は、何と仕事が終わって帰宅途中に自動車の中で・・。胸が苦しくなって道路脇に止まってからの死だったようだ。多分亡くなった方も、自分が死んでしまうなんてその直前まで想像もしなかったことだろう。人間の死亡率は100%、必ずいつかは死ぬのだけど、なぜか自分の死の時はまだまだ先だと思っているものだ。この私だって、「いつ死んでも、思い残すことはない」と思ってはいるが、明日死ぬとは全く考えていない。それにしても、男性の壮年期の死は本当に気の毒だ。仕事に追われて、自分自身の楽しみを後回しにしている人も多いだろう。夫だって、最初の定年後の一年は色々な趣味に手をつけたけれど、再就職してからは、日曜日に蕎麦を打ったり陶器作りを楽しんでいる程度。旅行会社のパンフレットを見ながら、「この仕事を辞めたら、ここに行こう」なんて言っている。私は「本当に行きたかったら、無理しても行ったほうがいいよ」とはいうけれど、多分彼は、退職まではそんなことはしないだろう。今回亡くなったお二人も、きっと定年後の楽しみを心の中で温めていたことだろう。そんな個人の計画や思惑に無関係に、「死」は容赦せずに訪れる。みなさん、やりたいことは後回しせずに手をつけましょう。仕事が忙しいからなんて言い訳せずに、明日死んでも心残りのないように生きましょう。さて、私は何がしたいのかなあ?
2005年03月13日
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昨日の日記では、子ども時代の「空想癖」について少し触れた。そこで思い出したのが、「悪夢」の記憶。(日記リンクしているK-nanaさんの日記にも刺激された)私は、毎日のように夢を見ている。30代くらいまでは、その夢を目が覚めても覚えていることが多かった。いつの頃からか、目覚めても夢の内容を忘れるようになったのは、年齢による記憶力低下のせいなのか、別の生理的変化なのか・・。いずれにせよ、私はあまり楽しい夢を見ないほうなので、忘れてしまってもちっとも淋しくはない。さて、幼い頃、繰り返し見る悪夢が二つあった。一つは、太くて長~い縄を背負って、暗闇の中を必死に歩いている夢。肩に食い込むような縄の重さに耐えかねて、それを投げ捨てようとしてもどうにもならない。後ろを振り返ると、長い縄の先は暗闇の中に続いている。私は仕方なく、またそれを背負って必死に一歩一歩歩こうとしているのだ。この夢は、かなり幼い頃から小学生くらいまでの間、よく見ていたように思う。目覚めた時は、「あー、疲れた!」という感じだったように思う。しかし、あまりにも昔のことなので、正確ではないかもしれない。それでも、夢の光景だけは、今でも思い出せる。年齢を重ねるうちに次第に見なくなったのだが、大人になっても忘れた頃に時々見て、夢の中で「あ、これはあの夢だ」と思いながらも、やっぱり縄を下ろすことはできなかった。もう一つは、「焼け跡をさまよい死体処理をする夢」である。こんな夢を、小学生の頃から20代までしょっちゅう見ていた。いつも同じ夢であり、さらにとてもイヤな夢なので、これもはっきりと覚えている。「輪廻転生」という言葉を知ってから、私の前世は戦争で死んだに違いないと思ったりもした。この夢の内容は、最初は、(多分戦争による)焼け跡の、まだ煙がくすぶる中を歩いている光景から始まる。時々、道端に転がっている死体を踏んでしまって、その「グニャッ」とした感触に、「腐ったトマトを踏んだ感じだな」と思う。(我家は農家だったので、病気などで腐って落ちたトマトが捨てられていて、 それを踏み潰す感触と似ていたのだ)焼け跡特有なのか、あるいは亡くなった人の腐臭なのか、嫌な臭いまでも感じていた。やがて私は、他の人たちと力をあわせて、死体を始末する作業をしていた。しかし、「気持ち悪い」などとは全く感じず、早くしないと死体がどんどん腐っていくと、とても焦っているのだ。この日記ではちょっと書けないようなこともしたりする。断っておくが、あくまでも「しなくてはならない」という思いでの行為なのだ。気持ち悪いとは思ってはいないが、夢の中の気分は最悪である。そんな気分の時に、夕焼けを見るのだ。それは本当に美しい夕焼けで、「こんな時にも、夕焼けがこんなに美しいなんて・・」と思っている。たいてい、そのあたりで目が覚める。この夢を見たときの目覚めは、いつも最悪であった。寝汗をかき、寝起きとは思えない疲れにグッタリしているのが常だった。体調が悪いから悪夢をみるという感じではなく、悪夢をみるから体調も悪くなるという感じだった。子どもの私が、なぜあんな夢をみていたのか、今でも不思議だ。しかし、この夢も30代くらいまでに見なくなったような気がする。先日の「東京大空襲」の日、テレビの映像を見ていて、この夢を思い出した。しかし私の夢には、爆撃に逃げ回っているような夢はない。そんな夢なら、もっともっと怖かっただろう。ましてや、夢ではなくて現実にその体験をした人たちの思いはいかばかりであったか。悪夢のような現実を生きている人達が、世界にはたくさんいる。戦争体験者がいなくなってしまった日本の未来が、とても心配である。
2005年03月12日
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読書に対応する「インターネット情報を読む」という意味で、とりあえず「読ネット」と書いておきます。これを表現する適切な単語があったら、教えてください。楽天日記を始めてから、小学生でもHPを持っているということを知り、本当にビックリした。そして、このように様々な情報が飛び交う世界に、無防備に子ども達が入り込むことに、かなりの心配を感じていることも事実だ。それでも、こと「文字を読む」「文字で感情を表現する」ということに限れば、かなりの割合の児童・青少年は、文字に親しんでいるわけだ。「読書」と「読ネット」の大きな違いは、何だろう。多分「読書」では他人とのトラブルに巻き込まれることはないだろう。その意味では、読書にはない「他者とのコミュニケーション」すらあるということになる。人間の生きる力として「コミュニケーション力」が大切と考える私は、ここまで考えて、「読ネット」でも良いではないかと、一瞬思いたくなってしまった。しかし、そうなのだろうか?そして私は、今までの自分の「読書生活」を思い返してみた。私は「活字大好き人間」である。どうしてなのかわからないけど、活字であれば「チラシ」でもいいのだ。何か文字を見ていないと、淋しくてならない。 特に、おやつを食べたりお茶を飲む時などは、読み物がぜひ欲しい。 また、JRや飛行機で長時間移動する時には、本は必需品だ。このような傾向性は幼い頃からで、読書も「読み散らし」を続けてきた。ジャンルを問わず手当たり次第、全部がわかってもわからなくても、わかった部分だけで満足するタイプ。考えてみると、そのような私にはネット世界はピッタリなのだ。毎日、楽天日記をサーフィンして読み歩くのがとても楽しい。気になったことは、ネット検索して確かめることもできる。パソコンがない時代は、この作業を本と辞書でやっていたのだから、比較できないほど便利になったし楽しい。日記だって、ノートにメモ的に書いていたものを、パソコンで書くことになったわけだ。手書きより格段に早いし、読者からの反応があったりして日記としてはこちらの方がずっといい。しかし、それでも私は、本も読まずにはいられない。絵本でも、雑誌でも、マンガでも、パンフレットでも、自分の興味の赴くままに、何かを手に取りパラパラ流し読みをすることは、私の唯一の日常的な楽しみとさえ言える。ネットと本とどちらを選ぶかと問われたら、私は少しは迷っても「本」と言うだろう。読書と読ネットのもう一つの違いは、「本」は直接返事をしないことだ。プログなどは、書いてあることに疑問があったら、すぐに問うことが出来る。最後までじっくりと読まずに、反論さえ出来る。しかし、本ではそれはできない。読書をしながら疑問が湧いたり色々な思いがかけめぐる時、「自分との対話、筆者との対話」を頭の中で行い、あれこれと考える。紙に書かれていることを読むことには、必ずそのような作業が伴うのだ。読ネットでもそのようなことも勿論あるが、「じっくりと読む」という意味では少し弱い。ちょっとでも「つまらない」と感じたら、どんどん次の情報へと飛んで歩いてしまう。だから、「行間を読む」などということは、読ネットではあまりしないのではないだろうか。「行間を読む」ことは、かなりの読解力を要する。このあたりが、本とネットの大きな違いではないだろうか。先の日記でも書いたように、今の青少年も、活字には結構親しんでいるかもしれない。自分の思いを文字で表現する力も、ひょっとすると私たち世代よりもあるかもしれない。だが、本を読むことで培われる深い洞察力や想像力は、読ネットだけでは難しいのではないかと思う。相手の言葉をきちんと受け止め、自分の中で咀嚼し、自分の考えと内面でぶつけあい、新しい視点を身につけていくことは、人間関係の基礎力だと思う。それがあってこそ、異なる考え方の人たちとも折り合いをつけながら、生きてゆくことが出来る。どうも、自分の考えていることを充分表現できないもどかしさがあるが、要するに私が言いたいのは、読書でしか得られない「心の栄養素」があるのではないかということだ。それになにより、本が好きになったなら、いつでもどこでもどんな時でも、楽しい時間を作れるということは間違いがない。たとえ孤独な時があったとしても、私は本さえあれば耐えられるような気がする。だから私は、年老いていくことはちっともイヤではないけれど、目が見えなくなることだけは最後の最後にしてほしいと思う。蛇足だが、私は本(を読むこと)が大好きなのだけれど、不思議なことに小説家になろうとか、文筆業になりたいと思ったことは全くない。読むことの多さが、必ずしも文章力や知識量増加とならないことは、私が証明いたします。だから、我が子が「読書好き」だからといって、勝手に過大な夢を膨らませたりしないでくださいね。本を楽しんでいることで、その子は充分に幸せなのですから、それを喜んであげてください。
2005年03月11日
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昨日の日記で書いたボランティア活動は、赤ちゃんと母親とが「絵本」に親しむきっかけ作りのためのものである。「赤ちゃんに絵本を」というと、すぐに連想するのが子どもへの教育的効果かもしれない。しかし、私達は狭い意味での教育とは考えていない。さらにこの私は、子どものコミュニケーション力を育むために、絵本はとても良い「道具」と考えている。一般論として本と親しむことは「想像力、創造力、読解力」をつけるために重要と考えられていると思う。確かに、それも本当のことだと思う。さらに、現代の様々な青少年の(大人から見た)困った状況の解説などに、「青少年の活字離れ」が指摘されることもある。教育分野では、「学歴低下」「国語力低下」に関連して、子どもの活字離れを何とかせねば、という話もよく聞く。私自身、そのようなこともあるとは思う。しかし、昨日、仲間達と「文字(本との同義語で使用)と親しむ子どもになるように・・」などという話をしていて、チラッと、「本当に子ども達は文字と親しんではいないのか?」と思った。そして、夜中に目が覚めてしまったので、それについてあれこれ考えていたら、「結構多くの青少年は、文字とは親しんでいるはずだ」と確信した。ほかでもない、このインターネットという道具を使ってではあるが・・。子ども達は、完全に「活字離れ」しているわけではない。しかし、「本離れ」はしているのだろう。それがどのように問題なのか、あるいは新たな時代への過渡期であるだけなのか、別枠で考えてみようと思う。話は戻るが、赤ちゃんは当然ながら文字は読めない。色彩や形によって、その年齢なりに色々なことを感じ、そこに「大人の声」が加わる。読んだり呼びかけたりの大人の声によって、赤ちゃんは楽しさや嬉しさを感じ、大人との声のやり取りによって、「ことば」の役割を知り、ことばを使おうとするようになる。赤ちゃんと接する時間が少なくて、どうやって関わればよいのかと戸惑う初心者パパも、お膝に抱っこして絵本を読むことは比較的簡単に出来る。赤ちゃんは、大きくゆったりして安定感のあるお父さんの膝の中が大好き。喜ぶ我が子の反応に、お父さんも嬉しさと満足感に包まれる。親は我が子によって育てられ、親になってゆくものだ。特に、父親は子どもによってしか育たないと感じる。(母親は、妊娠・出産を通して、いやでも多少なりとも親の自覚が芽生える)だから絵本は、親子のコミュニケーションと愛情確認の道具として、とても良いものだと私は思っている。
2005年03月11日
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今日は、2ヶ月ぶりに「子育て支援関係」のボランティア活動。赤ちゃんのつぶらな瞳に笑いかけられたり、柔らかくてプクプクした体に触れると、それだけでとても幸せな気持ちにさせてもらえる。「最近の親は・・」とか、「今の若い母親は」なんて言葉もよく聞くが、少なくてもこのような場所で出会う若いお母さん達は、一所懸命子育てに頑張っているなと感じて、嬉しくなる。そういえば、今日は19歳で二児のママに出会った。「大変だろうけど、頑張ってね。いい子に育ってるよね」というと、ニコニコと「ハイッ!!」と答え、動き回る我が子を、ミニスカート姿で追いかけていた。あと数年したら、姉と弟にしか見えなくなるだろうなと思いつつ、「頑張ってね」と心の中で呟いた。同じ月例でも、成長の度合いなどは子どもによって随分違う。もちろん身長や体重だって違うので、うっかりと不用意な言葉でお母さんを心配させることのないようにと、それだけには気をつけている。そして、できるだけ赤ちゃんの可愛らしいところ、良いところをみつけて、「可愛いねえ!」「いい子だねえ」と誉めるようにしている。我が子を誉められて嬉しくない親はいない。そしてそれは、お母さんの子育ての苦労を、幸せに変えてくれるのではないかと思っている。しかし私は、決してお世辞はいわないことにしている。本当に「可愛い、いい子だなあ」と思っていなければ、それは嘘になってしまうし、失礼なことなのだから。慎重な子、好奇心旺盛な子、ニコニコと笑顔の絶えない子、人見知りの激しい子、親から離れない子もいれば、興味の赴くままにすぐに親の視野から消えてしまう子。それぞれが、それぞれの「個性の芽」を伸ばそうとしている。この子達が、みんな幸せな人生を送ることが出来ますように。この子達が生きている間、この日本が平和でありますように。60年前に起きた「東京大空襲」のような惨禍に遭わないように・・。いつも、あどけない幼子達と触れ合う時には、そんなことを祈らずにはいられない。
2005年03月10日
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外を歩いていると、少しずつ寒さが緩んできているのを実感する。そしてふと「春遠からじ」という言葉が脳裏に浮かんだ。(そういえば、しばらく水谷先生のサイトを見ていなかったな・・)水谷修先生、「夜回り先生」として有名な方。都会の夜を徘徊している青少年に寄り添いながら、薬物や非行の世界に溺れかかっている(あるいは溺れている)子ども達を救おうと、それこそ生活の全てを使っているような方だ。このような大人が巷にたくさんいたなら、彷徨する子ども達も激減することだろう。久しぶりに「水谷修の春不遠」を見たので、最新のエッセイをコピーしておく。他の記事をご覧になりたい人は、HPをご覧下さい。「第4次少年犯罪多発期」を迎えて多くの方々がすでに気づいておられると思いますが、現在日本では、「第4次少年犯罪多発期」と呼ばれてもおかしくないほど、日々少年たちによる犯罪が多発しております。今回の多発期の特徴は、以下の5点です。 窃盗などの軽犯罪の天文学的増加 性非行・性犯罪の増加 女子非行・女子犯罪の増加 凶悪犯罪・異常犯罪の増加 薬物乱用 この背景については、まずは少年たちの規範意識の低下をあげることができます。家庭や学校、地域社会の教育力が低下したことに起因しています。次に、少年たちが自らきちんと物事を考えることができなくなってきていることにも原因があります。 今や少年たちは幼児期より、受け身で生きる教育を受けています。親に振り回され、テレビ・ゲームに遊ばれ、学校では集団のなかで息をつく暇もなく生きている、このような少年たちに物事を自分で考えることはできるのでしょうか。 ですから、彼らは常に周りを見回し、みんなのまねをしていく。それが「万引き」でも「薬物乱用」でも「暴走」でも「いじめ」でも……。自分の行為が、結果としてどのような状況を生み出すのか考えていません。 また、いま少年たちは、メディアからの様々な情報に無防備なままさらされています。 性に関しても、薬物に関しても、私たち良識のある大人ならば眉を潜めてしまうような情報が氾濫しています。しかし、それらに対して、きちんと判断できる知識や良識を教えるべき家庭や学校は何もしていません。ただ、それらを見ないように、見せないように、制限をかけようとしているだけではないでしょうか。 しかし、この情報化社会において、これらの情報を制御することができるのでしょうか。むしろ今、やらなければならないことは、それらの情報を教材として、なぜそのようなものを見てはいけないのか、そのような情報のどこに嘘があるのかを、きちんと考えさせ、自ら情報の善悪・正誤を考えることができるようにすることではないでしょうか。 私は仕事がら多くの非行や犯罪に走った少年・少女たちと触れ合います。彼らに共通しているのは、異様な寂しさと自らに対する自信喪失です。 彼らの多くが家庭や学校でいかに評価されず、ある場合は邪魔者扱いされてきたと口にします。自信はどのようにしたら育つのでしょうか。 私たち大人ですら、日々家族や上司から、「おまえはだめだ、おまえみたいなやつはつかいものにならん」と存在を否定され続けたらどうなってしまうのでしょう。 非行少年の更生に当たる専門家の間では、よくこう言われます。多くの愛で育った子ほど更生の道のりは短い。 本来、一人ひとりの子どもたちが持つすばらしいものを見いだし、それを自ら育て伸ばしていくことを助けることが、家庭や学校の大切な仕事であるのに、現在、多くの保護者や教師は、逆に子どもたちの悪いところを責め、つぶしてしまっているのではないでしょうか。かつて、「子どもは、十褒めて一叱れ」という名言がありました。これを実践している保護者や教師はどのぐらいいるのでしょうか。 私たちすべての大人に対して、今、「第四次少年犯罪多発期」という刃が子どもたちから突きつけられています。しかし、私はこの問題の解決は決して難しくないと考えています。私たち大人一人ひとりが、権力者として子どもたちに対峙するのではなく、一人の人間として、人生の先輩として、子どもと向き合い、日々ともに生きていくならば、自然に解決していくと確信しております。子どもたちを救ってください。 次回からは、もう少し細かく事例とともに、この「第四次少年犯罪多発期」を見ていきます。上記は、連載形式で第8回めの記事です。
2005年03月09日
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イラク情勢のサイトで、イタリアの女性記者が拉致解放後に米軍から銃撃を受けた事件についての記事を読んだ。記録のためにコピーしておく。米軍の主張と食い違い 「警告なく銃撃」、伊女性記者が手記 【ローマ6日共同】イラクの首都バグダッドで武装勢力による拉致から解放直後、米軍の銃撃に遭い負傷したイタリア・マニフェスト紙の女性記者、ジュリアナ・スグレーナさん(56)は、六日付同紙に銃撃前後を詳細に回想した手記を掲載した。同記者が明らかにした事実関係は米軍の主張と食い違っており、イタリア国内の反米感情をさらに高めそうだ。 スグレーナ記者によると、銃撃は警告もなく突然始まった。運転手が車外に出て「イタリア人だ」と叫んでもやまなかった。隣の、情報機関員のカリパリ氏が、自分を守るため覆いかぶさり、「その直後、彼が最後の呼吸をしたのを感じ、その死を知った」。 その時、解放直前に拉致犯が「君の帰国を望まない米国人がいるから注意しないといけない」と警告していたことを頭に浮かべたという。 米軍は「車は猛スピードで停止の警告を無視した」と発表したが、同記者によると、道路は急カーブが多く、しかも雨だったので時速四十キロ前後だった上、停止命令などはなく、闇の中に白い電光がひらめいた瞬間、銃撃が始まったと主張。米軍の発砲が果たして「誤射」なのかという疑念を抱いている。 銃撃後、運転手が携帯電話で、ローマの首相官邸にいる上司に直接、事態を報告。その場にはベルルスコーニ首相も居合わせた。 拉致犯との「交流」はかなりあったらしく、拉致翌日からテレビを見ており、自分を処刑する、との声明が出て驚いたが拉致犯が「心配するな、これはわれわれではない」と話したという。 拉致犯の一人がサッカーのイタリア一部リーグ(セリエA)のトッティ選手のファンで、二月二十日、同選手を含むセリエAの全選手が「スグレーナの解放を」とのゼッケンを着けた際、当惑していたというエピソードも書いている。故意なのか誤射なのか、今後の調査でわかるのかわからないのか・・。ブルガリアの兵士も、米軍の誤射で死亡しているようだ。いずれにせよ、このようなことがイラクでは頻繁に起きていることは間違いがない。天木直人・マスメディアの裏を読むの「米軍兵士のイタリア人女性記者銃撃に思う」(3月7日 05年39号)では、この事件で「奥、井上という二人の日本の外交官の射殺事件を思い出す」と書かれている。実は私も、このことを連想していた。このイタリアの記者が生きていたのでこのような事実がわかったけれど、あの二人の外交官の死については「藪の中」のままのはずだ。もしもこの記者も運転手も死んでいたら、ひょっとすると武装勢力のせいになっていたかもしれない。天木氏は、その後に「消えていく拉致不明者の救済」についても書いている。まったく同感である。●祇園精舎の鐘の声・・ソニーの出井会長が退任し、ハワード・ストリンガー氏が新しいソニーのトップとなるというニュースを見て、ふと「平家物語」の冒頭の言葉が出てきた。思い出しついでに、もう少し書いておこう。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。この一節、どの時点で覚えたのだろうか。(中学? いや、高校か?)ここまでは、何となく口をついて出てくる。しかし、文字に自信がなかったので、ネットで検索してコピーした。記憶では「必衰」が「必滅」になっていたところが間違っていた。いずれにせよ、覚えたのはもう40年以上前のことだ。通信で英語の単位を取得するために膨大な時間を費やしたのに、英語のフレーズの一つも出てこないのに比較して、何という違いだろう。やっぱり、若い頃に無理やりにでも大事なことを覚えていたほうが得だな。ちなみに私は、「暗誦」が割合好きで得意だった。ただし、納得したり感銘したものでなければ、あまり受け付けられない脳質(?)でもある。だから、試験のために一夜漬けした知識は、悲しいほどに消えている。この「祇園精舎の鐘の声」は、きっと青春時代の私の心に響いたのだろう。今、日本の様々なところで、「盛者必衰」の現象がおきている。多分、世界的にもそうであるだろう。それが人間の世の理というものだと思う。
2005年03月08日
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「お気に入りページ」にある「ニフティ慶友会」の掲示板を見ていたら、「慶應依存症」という言葉が目に入った。最近は色々な依存症が大はやりだけれど、こんなところにも依存症があったかとビックリ。・・が、少し読んでいると「なるほどな」とも思った。そのサイトでの説明によると、「家庭や仕事を多大に犠牲にして、慶應通信にいれこむ方々」をさすらしい。(正確なことは、そのサイトの「教えてください!」のトピをご覧になってください)確かに、家庭や仕事に多大な犠牲を強いるということになると、依存症と言われてもしかたがないかも。そして、多大な犠牲を強いているということに気付いていてもやめられないとなれば、これは明らかに「依存症」だろう。でも、「慶應(通信)」を続けている人の中に、本当にそんな人がいるのか。そして、そこまで入れ込むことになってしまうのは何故なのだろう。こう書きながら、「私は大丈夫か?」と思ってしまった。卒業してからも、こんなHPで慶應通信体験を書いているなんて、もう「中毒」に近いかもしれない・・と。うーん、でも、自分の意識としては「慶應関連はもういいかな」という気持ちもある。何度も書いていることだが、入学したからには卒業して欲しいと思っているので、後輩達への応援メッセージのつもりなのだ。私の書いていることがあまり参考にもならず、エールにもならないなら、左側のページは今削除したってちっとも構わない。そして、「入学したからには卒業を」と言うのは、自分の体験から「卒業論文を仕上げる」というのが、通信での学びの最大の醍醐味だから、これをせずに終わるのは惜しいし、卒業してから実感することも間違いなくあるからだ。私の場合、大きな意味のある実感は、「学歴信仰からの解放」だった。私は大学を卒業していなかったので、大卒に対して多少のヒガミと過大な尊敬という、アンビバレンスな思いがあった。大卒の人たちや大学教授の言っていることに対して、反感を覚えることがあっても、言い返す自信がないというか・・。そして、自分の実力のなさを「勉強していないから、大学を卒業していないから」ということに収斂というか言い訳をしがちであった。卒業論文に取り掛かる前までは、通信で卒業した人を過剰に尊敬もしていた。しかし、自分で実際に卒業してみたら、「なんだ、私でも卒業できるものだったのか」と思うようになった。それは、とっても晴れ晴れした気分であった。卒業したことで、自分に対する自信がついたことも大きい。それは決して、「知識が豊富になった」という自信ではない。だって、私の場合は年齢的なこともあり、卒業までに費やした勉強時間は結構多かったと思うが、残念ながら「入力→消去→入力→忘却」の繰り返しで、入学前より知識量がどれほど増えたかといえば、とても心もとない。それでも、消去や忘却をしながらも、必要な分だけ必要な時間だけは覚えていられるのだとは思っている。(つまり、最初から「ダメだ」と諦めることは少なくなった)そして何より、時間をかければどんな年になっても可能性はあるのだということを体感した。また、私達が知ることの出来る知識なんて、この世界のほんの一つまみだということも実感した。これらの実感は、今後の私の人生への大きな糧であった。もしも途中で挫折して卒業しなかったなら、そのような実感もなかったのではないだろうか。しかし、人生には色々なことがある。勉強するというある意味では「贅沢」なことよりも、この現実を生きるうえでは大切なこともたくさんある。私は、人生は絶え間のない選択の連続だと思っているのだが、時には学業より優先すべきこともあるだろう。そのような時には、優先順位を間違えないでほしいとも思う。そんな場合は、たとえ退学したとしても「挫折」とは言わない。可能な限り両立の道を模索して欲しいとは思うが、退路を断つという決断が重要な時だってある。幸いなことに、通信教育はいつでも門が開かれている。時期が来たら、また門を叩けばよい事だ。話は戻るが、もしも「慶應依存症」があるとするなら、それはやはり現代の「学歴信仰」「ブランド依存」が大きいだろう。これだけはハッキリ言えることだが、「学歴」も「ブランド」も、多少の飾りにはなるかもしれないけれど、それがそのまま、その人の価値とはならない。多少の優越感を覚えて良い気分になっていても、周囲からはそれで馬鹿にされていることも意外に多いものだ。今でもなお、学歴が有効に働くことがあるかもしれないけれど、それは入口だけのことで、あとは本人の実力と努力と人間的な力が勝負だ。慶應に所属していることに価値を見出しているとしたら、それは勘違いが多いのではないだろうか。福沢諭吉先生が慶應依存症の学生達を見たら、きっと嘆かれることだろう。先生は多分、学んだことを自分の生活や社会に生かすことが、何よりも大切なことだと考えていたに違いない。
2005年03月07日
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昨日の日記では、三人の方からコメントをいただいた。それへのお返事を書きながら、色々と思い出したことがあるので、今日はそれについて書いてみよう。(申し訳ないが、昨日日記に紹介した二つのHPは、まだちゃんと読んでいない)○祖母のこと実家は農家で私は長女だったため、物心ついた時から主に祖母との関わりが多かった。というのは、農家というのは「嫁」は重要な労働力であり、育児は「おばあちゃんの仕事」だったのだ。(これは、一般的にそうだったと思う)この祖母から、私は色々なことを教わっていたと思う。動物が子どもを作るために「交尾」をするということも、祖母から教わった。多分、小学校の4~5年生だったと思う。ある日、庭先で我家のメス猫と隣家のオス猫が、いつもと違う様子でギャーギャーと鳴き合い、今にも飛び掛らんばかりだった。ケンカをしているのだと思った私は、慌てて庭に出て、「こらっ! シッシッ!!」と隣家の猫を追い払おうとした。その瞬間、オス猫はガバッと我家の猫に背中から飛び乗り、今度は「フーッ、フーッ」と唸り始めた。それをあっけにとられて見ている私に、祖母が背後から言った。「あれはね、子どもを作っているのだよ。人間も動物もおんなじだ」私には、それがどういう意味か全く理解できなかった。しかし、祖母が言うからそうなのだろうと思ったし、何だかそれ以上聞いてはいけないような感じがしながら、(どうしてこれで子どもができるんだろう?)と不思議に思っていた。その疑問を解こうと、私は学校の図書室で子どもを作ることについて書いてある本を探した。しかし、当然ではあるが、そんな本はどこにも見つからなかった。(「交尾」という言葉も知らなかったと思う)祖母は、出産のことについては詳しく話してくれた。それも、まだ小学生の頃だったと思う。祖母のお産の頃はまだ「座産」だったようで、天井の梁から吊るした紐を掴んで産んだと言っていた。「おしっこの出る隣に赤ちゃんが生まれる穴があって、赤ちゃんが生まれるときにはそこが大きく開くのだ」と教えてくれた。生まれたばかりの赤ちゃんの大きさを妹によって知っていた私は、どうしてそんなに大きな穴が開くのか理解できず、祖母に聞いた。すると、祖母は「赤ちゃんの頭は、穴を通りやすいように細くなるんだ。それでもやっぱり穴のほうが小さいから、赤ちゃんを産む時はとても痛い。でも、それは女なら誰でもやることだから、我慢できるものなんだよ」私はそれなりに納得した。だから私は、出産に関してはかなり正確に、中学生になる前に知っていた。だが、さすがに祖母は「性行為」については教えてくれなかったので、私の知識には連続性はなかった。それでも、知らないよりは教えてもらっていて良かったと思っている。余談であるが、中学二年生のとき、友人達が「赤ちゃんはどこから生まれるか」を議論していた。ある人が、「おなかがパカッと開いて生まれる」と主張していてビックリした。「そんなはずはない」と言っている人だって、ちゃんと知っているようには思えなかった。誰かが私に、「あんたは知ってる?」と聞いたので、私は祖母から聞いていたことを話した。すると、「おなかがパカッと開く」と主張していた子が、真っ青になって否定した。「お尻から生まれるなんて・・絶対に嘘だ!!」私は彼女の顔を見て、大きなショックを受けていることは理解したが、どうしてそんなにショックを受けるのかとても不思議だった。○知識の隙間小学校高学年の時、女子生徒ばかりが集められて、お医者さんから生理についての説明を受けた。その時に、受精のメカニズムについても説明された。しかし、私には全く納得はできなかつた。前記のように、祖母からは「人間も動物も、子どもを作ることは同じ」と聞いていたが、私が見たのはメスの背中にオスが乗った場面である。医師の説明する受精のメカニズムと、現実の子どもを作る行為は、私の頭の中では全く結びつくことができなかったのだ。その頃は小説を読むことがとても面白くなっていたし、恋愛小説もたくさん読むようにはなっていた。恋愛から結婚へというハッピーエンドもたくさんあったし、やがて子どもが生まれて・・という話もあつたはず。しかし、どのような本にも、私の疑問を氷解させるものはなかった。私が正しい事実を知るのは、恥ずかしながら結婚してからであった。私はそのような疑問を常に抱えていたので、わけのわからない結婚というものに対する不安が常にあった。何だかどうも、それは暴力的な行為のように想像していたし、女はそれに対してただ受身であるべきのようだとも思っていた。私の性格からか、それを「屈辱」に近いものを感じ、なおさら結婚への憧れはなかった。それでも、私は縁があって結婚して、今に至っている。私の体験には、性に関する悲劇はないと言える。しかし、そんな私でも、キチンとした知識を結婚前に、いや思春期前に持ちたかったと思っている。そうしたなら、もう少し自分の性に対して主体性を持てたのではないか。余計な心配や不安や想像をめぐらすこともなかったのではないか。もっと安心して、夫との対等な関係を早いうちから紡ぐことができたのではないかと思っている。これは、54歳の私の思いである。40代、30代、20代、それぞれに育った社会状況が違う。私の頃には考えることもなかった「エイズ」や「薬物」も身近である。性情報も氾濫している。本や映画やビデオどころか、このインターネットでも、様々な妙な情報が飛び交っている。だから、間違った異性イメージや性情報から子ども達を守るには、正しい人間観や性に関する知識をセットで教えていくのが重要だと思うのだ。
2005年03月06日
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昨日の参院予算委員会で、山谷えり子氏の質問に小泉首相が「これはひどい」と述べたというニュースを見た。(以下、ネットで検索したものをコピーする)首相、性教育教材「問題だ」 参院委答弁で批判小学校の性教育の授業で使われた教材の是非が、4日の参院予算委員会で取り上げられた。自民党の山谷えり子氏が性行為を図解で示した教材などを例に認識をただした。小泉首相は「初めて見たが、ちょっとひどい。問題だ。こんな教育は私は子どものころ受けたことはない」と述べ、行き過ぎだとの認識を示した。 山谷氏が取り上げたのは小学校低学年・3年生の教材。首相は「性教育は我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える。ここまで教える必要があるのか。教育のあり方を考えてほしい」と批判した。 中山文科相も「子どもたちの発達段階に応じてきちんと教えるべきだ。行き過ぎた性教育は子どものためにも社会のためにもならない」と答弁。全国調査を検討する考えを示した。 また、男女共同参画担当相の細田官房長官は「社会的・文化的性差の解消」を意味するジェンダーフリーという言葉について「政府は使っていないし、社会的に定義を示すことはできない。できるだけ使わないことが望ましい」と述べた。(asahi.com)どのような教材なのか、また山谷氏がどのような考え方のもとに質問をしたのか知りたくて、山谷氏のHPなどを検索したら、(山谷えり子)プレスルームを見つけた。同時に、このような教材で性教育をしようとしている立場の人たちの主張が読めるものを、探してみた。多分、「人間と性」教育研究協議会というのがそうだろうと思うが、もしも違っているようなら教えていただきたい。性についての教育は、方法はともあれ現代社会ではとても大切なことだと思うが、今はまだ、両サイトをしっかり読んでもいないし、自分なりの考えをまとめて書く状況にはない。ただ、小泉首相の育った時代とは全く違うし、「性教育は我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える」という言葉には反発を覚える。あなた(小泉氏)たちの世代が自然のうちに覚えたという(主に男性の)性知識が、女性側から見たらどのようなことだったのか、そのあたりについては何も考えていないのだろう。後日、私なりの思いを書きたいとは思っているが、それもちょっと自信がない。それでも、自分の課題として、ここまでを日記にしておく。
2005年03月05日
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ライブドアとフジテレビのニッポン放送株争奪戦をめぐって、ニッポン放送の社員217人は3日、「社員一同」との署名で、「ライブドアの経営参画に反対する」との声明を発表したという記事を、北海道新聞で読んだ。声明では「ライブドアの堀江社長の発言にはリスナー(聴取者)に対する愛情が全く感じられない。(同放送がフジテレビの株を持つ)資本構造を利用したいだけ、としか私たちの目には映らない」とライブドアの行動を批判しているようだ。まあ、この騒動での社員の気持ちがわからないわけではないけれど・・。きっとニッポン放送社員の皆さんは、リスナーへの愛と社会的使命感に裏打ちされた主体性で、お仕事をされているのでしょうね。そのお気持ちをずっとお忘れにならず、どのような状況になろうと頑張って頂きたいと願うばかり。どうも最近の私、少し意地悪になっているみたい。
2005年03月04日
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今まで、このあたりのことについてあまり関心がなかったのだけれど、さすがの私も、昨日からテレビをつけたら堤氏関係ニュースばっかりなので、初めて彼の経歴やその経営手法について知ったような気がする。(今までも見聞きしていたのだろうが、頭に入ってなかったようだ)まあ、感想としては「古い時代の終焉の悲哀」かな。彼としては、オヤジさんから託されたものを、その教えを守って必死に拡大してきたのだろう。そのような人は、この日本の今のトップ達には多いのではないだろうか。彼の場合は規模が大きいので目立つのだろうが、もっとあくどく金や土地の亡者になりながらも、それが立身出世と信じて頑張ってきた人たちがウジャウジャしているのじゃないだろうか。そう思うと、これほど「堤叩き」をしているのは、何だか妙な感じがしてしまう。今、堤氏は、何を思いながら取調べを受けているんだろう。そういえば、堤氏の実弟という人のコメントもテレビで見た。何というか・・、これも妙な気分。ちょっと違うかもしれないけれど、皇太子の「人格否定発言」に対しての、秋篠宮殿下のコメントを聞いたときと似た気分。生まれながらにして厳とした上下関係の中で生きてきた、複雑な思いの蓄積を感じたのは私だけかな。
2005年03月04日
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昨夜、9時半頃に帰宅。五日間ほどパソコンを開いていなかった。この楽天日記も、結局携帯から書き込むことはせずに終わった。そして今朝、パソコンを開きまずはメールチェック。ダダーッと、予想したとおりの「迷惑メール」のオン・パレード。一応ウィルス・スキャンはされているのだが、それにも関わらずわけのわからないメールが並ぶ。どうも、私のメールアドレスで「出会い系」に登録されているような感じ。「私は女だっちゅうの!!」と、パソコンに向かってブツブツ・・。文句を言いたいところだが、メールで送信するのもまた怖いので、とにかく「削除・削除・削除・・」。その間に、本物の大事なメールが混じったりしているので、緊張しながら「削除・削除・削除・・」。削除した後、必要な返信を簡単にすませてから、自分の管理するHPへ。その後、やっとこちらの楽天日記にたどりつく。とりあえず書けるお返事を書き、とりあえずの今日の日記を書き、この後たまっている雑用に取り組もう。
2005年03月03日
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せっかく上京したのだからと、浜松町の「四季劇場」で「エビータ」を観劇。(もちろん、チケットは上京前に購入していた)この劇場に行くのは初めてなので、北口駅を出たところににあった周辺地図を確認のために見ていたら、道路工事のための交通整理をしている(らしい)男性が、「どこに行くの?」と声をかけてくれた。そんなに長時間地図の前で悩んでいたわけではないのに、自然な感じで声をかけられて嬉しくなってしまった。「劇団四季なんですけど」と言うと、「演目は何?」と聞く。「エビータです」「ああ、それなら間違いないよ。この交差点を渡って右方向にずっと行って・・」と、本当に親切に道を教えてくださった。服装からして、決して「劇団四季」のガイドではないのに・・。私は、このことだけで本当に嬉しくなり、心がポカポカしてきた。東京にも親切な人がいるんだなあ・・。(当たり前だけど)そのような気分の良さを抱いて劇場に入ると、どうも私はS席の最後列だったようだ。私の後ろの席からは、中学生がビッシリ。女子の席だったようで、開演前から楽しそうなおしゃべりが後方から聞こえる。きっと修学旅行かなと思い、一緒に行った友人が声をかけたら、学校行事として来ているらしい。東京の子ども達は、このようなミュージカルを学校行事として観劇できるのだなと思うと、とても羨ましくなってしまった。でも、ニコニコしながら嬉しそうに答えてくれた中学生の表情は、これから始まるミュージカルへの期待に胸が躍っているのか、とっても明るくて楽しそうで、またまた心が暖かくなってしまった。そしていよいよ「エビータ」が始まった。このミュージカルは、たまたま日時と場所が私の日程とちょうど良かったので選んだもので、どうしても見たかったものというわけではない。だから、充分な下調べもせずに行ったのだけれど、とっても楽しめたし、色々と考えさせられた。エビータの生き方はもとより、政治と大衆の関係や誰かがカリスマ的に祭り上げられる要素など、現代と重ね合わせて考えさせられることも多かったのだ。エビータが本当に願っていたことは何だったのか。彼女とペロンが行った福祉政策は、単なる人気取り政策だったのか。色々と疑問は渦巻いたミュージカルであった。物語の進行役のようなチェ・ゲバラ役の芝清道さん、素晴らしい声量ですっかり魅了されてしまった。そのように感じたのは私ばかりではないようで、最後のカーテンコールでは、彼への拍手が一番多かったような・・。でも、会場の大半は女性のようだったので、そのせいかな。所々に散見する男性は、何だか孤独そうに見えてしまった。久しぶりに、とても幸せな気分になった一日となった。
2005年03月02日
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