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最近親しくしている友人と一緒に、札幌に出かける。彼女とは8年近く、一緒にある団体の世話人として活動を続けてきた仲間であり、その経緯の中で親友となった人である。学生時代には「大人になってからの親友はできにくい」と言われ、だからこそ「学生時代に友達を作れ」と脅されていたような気がするが、私のように、40代半ばになってからでも親友はできる人間もいる。出会いのチャンスは、生きている間ある。今現在、「親友がいない」「恋人がいない」「伴侶がいない」と嘆いている人に言いたい。出会いは、今日、これからあるかもしれませんよ、と。さて、今日会った人は、彼女だけではない。中学時代の恩師とも、札幌で待ち合わせたのだ。この日記で何度か書いているが、私の中学時代は心理的には「真っ暗闇」だった。当然、担任とだって、そんなに仲良くやっていたわけではない。ただ、新任の若い教師だったS先生は、全身をバリアーでガードしているような生徒である私が、何となく気になっていたようではある。だから、何かにつけて私の心を開こうとアプローチしてくれたけれど、当時の私は、先生のそのような声かけすらある種迷惑だった。でも、生徒の気持ちを何とかつかみたいとする姿勢は理解できたし、「もしも本当に苦しい時には、先生に言おう」とは思っていた。それだけを自分の「お守り」のように、私は孤独な中学時代を乗り切った。途中経過は省くが、その後の色々な関わり合いの中で、先生は私にとって大切な「恩師」となってゆき、現在に至っている。今年は、その先生との関係の中で、あるコンサートを開くことになり、今日は、その時に一緒に協力してくれた彼女と3人で会うことになったのだ。待ち合わせの場所で、偶然先生の知人と出会った。せっかくだからと、少しの間四人でお話をしたのだが、何と先生の知人と言う人は、私の父とも旧来の仲であった。それだけでも驚きだったのだけれど、その後3人で色々と話しているうちに、今度はまた違う「縁」が、私たちと繋がっていたことを知ることになった。全く無関係だったと思う人が、実はつながっていたということを知ることが時々ある。そんな時、私は本当に不思議な思いに駆られ、「他生の縁」という言葉が、実感として迫ってくるのである。「縁は異なもの味なもの」というのは、男女関係だけではなく、友人・師弟・仕事仲間、色々なことにかかる言葉であるように思う。
2005年11月30日
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コルチャック先生をご存知だろうか。1990年に公開された映画「コルチャック先生」を見た人は、すぐにおわかりになることだろう。(以下、映画のあらすじをコピー) ユダヤ人の小児科医、ヤヌーシュ・コルチャック(ヴォイツェフ・プショニャック)は、また孤児院の院長として子供たちを守り育てることに喜びを見出していた。 しかし1940年、ナチスの侵攻により、ユダヤ人はポーランド人社会から切り離されゲットーに送られることになった。コルチャックの孤児院も例外ではなかったが、誇り高きコルチャックはユダヤを示す腕章をつけることを頑なに拒み、投獄さえ経験する。 そんな過酷な日々にあっても彼は飢えた子供たちに食料を与えるために奔走し、そのためには手段も選べず、密輸業者からの献金も受け入れねばならなかった。 ユダヤ人の強制収容所送りが始まった。コルチャックは友人の手助けで国外に脱出することもできたが、彼に子供たちを見棄てることなどできようはずがなかった。 ダビデの星の旗を高く掲げながらトレブリンカ収容所行きの列車に乗り込んだコルチャックは、恐怖に打ち震える200人の子供たちを抱きかかえながら、共に死の道へ赴くことを選んだのだった。私は、この映画を見てはいないのだが、本か雑誌かで読んだ記憶がある。私はナチスのホロコーストに多少関心があるので、その関連から読んだのかもしれない。また、コルチャック先生関係のパネル展を見たような気もするのだが、どこで見たのか、はっきりとは覚えていない。そんなわけで、コルチャック先生について大ざっぱに知ってはいたが、彼が「子どもの権利条約の精神的父」だとは知らなかった。コルチャックについて研究をしている名寄短期大学の塚本智宏教授の話を聞く機会があった。 ネットで検索したら、塚本先生が作成した ”コルチャック先生 ”のページ があった。(これでは、所属が前職の稚内北星学園大学となっている)塚本先生のお話で、コルチャック先生が「子どもの権利条約の父」と言われる意味が本当によくわかった。紹介されたコルチャック先生の言葉の数々には、本当に心打たれるものがあった。例えば・・(以下、塚本先生の「コルチャックからのメッセージ」から引用)「子どもはだんだんと人間になるのではなく、すでに人間である。そう人間なのであって人形などではない。彼らの理性に向かって話しかければ、我々のそれに応えることもできるし、心に向かって話しかければ、我々を感じとってもくれる。 子どもは、その魂において、我々がもっているところのあらゆる思考や感覚をもつ才能ある人間なのである。」(1899) 「我々は子どもに明日の人間という負担を強い、今日を生きるという人間の権利を与えていない」「今という時間を、まさに今日という日を尊重されよ! もし我々が子どもに、意識的な責任ある現実をもって今日という日を生きさせてやらなければ、いったい、子どもはどのようにして明日を生きることができるのか」「子どもの意見を考慮する必要などない(というのか)、彼は有権者ではない。声明を出したりしないし、要求したり、そして、威嚇することもない(から)」 「子どもは人間だ。人間だが、大人とは違う考え方をし、経験したことも欲求を覚えることも感じ方も違う。だからといって、子どもたちは未熟なのだろうか。それなら老人にたずねてみるといい。あなたが、たとえ、四十歳でも、老人は、あなたのことを未熟だというだろう。どの社会階層も未熟だ。だからどこにでも弱点がある。そして、どんな民族も、もちつもたれつの関係にある。なのに、どの民族もやはり未熟だ。だから大砲を捨てられない。」90年も前に、このような「子ども観」を持っていた人がいた。子どもを見つめ、子どもの姿に学び、その思想を実践した人がいた。震えるような感動を覚えながらも、このような人がホロコーストで死ななくてはならなかったということに対する怒りも湧き上がってきた。塚本先生の資料では、コルチャックは「子ども時代」を次のように考えていた。「子ども時代とは、人間になる前の状況のことをいうのではなく、また、大人時代に向っての準備段階という観点、つまり、大人時代からみて必要かどうかという観点では図れない、その時代固有の価値を持つものであり、人生の他の時代と同様に人間的な価値を持つものである」本当にそうだと思う。そのことの意味を、子どもと関わる人たちは時々考える必要があるだろう。コルチャック関連の本を、ちゃんと読んでみたいと思った。ところで、日本でも「子どもの権利条約」を批准してはいるが、実際はどの程度護られていることだろう。【追記】paintboxさんの10/19の日記、国連「子どもの権利」委員の講演が紹介されている。コルチャック先生の理念が子どもの権利条約に生かされているのだと実感した。合わせてお読みいただきたいと思う。
2005年11月29日
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アムール川に有害物質を数年間投棄、露が中国を批判【モスクワ支局】タス通信によると、ロシアの農業監督当局者は24日、中露の国境を流れるアムール川に、中国の化学工場が過去数年にわたり有毒な化学物質を投棄していたと批判した。中国側は投棄の事実を通告せず、ロシア側は水質検査により汚染を把握していたという。 有毒物質はフェノールやベンゼンで、アムール川に生息する魚類に影響が出ており、ロシアの自然保護関係者はアムール川での漁獲を当面禁止するよう提案しているという。 アムール川には、中国吉林省の石油化学工場爆発事故で汚染が問題化している松花江が合流しており、今回の事故による水質汚染の影響がロシア側に及ぶ可能性が懸念されている。(2005年11月25日12時21分 読売新聞)アムール川は、道東・道北の冬の風物詩「流氷」の母なる川である。つまり、アムール川から海に注ぎ込まれた水が凍って、北海道までやってくるわけ。ということは、流氷で有害物質を閉じ込めて北海道に届けられるということである。自然界には国境はない。これには、自衛隊も軍隊も何の役にもたたない。
2005年11月28日
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私のケータイの待ち受け画面は、二人の孫の七五三写真のスナップだ。お嫁さんが、ケータイのカメラで撮影し、メール送信してくれたものを壁紙にした。和服姿でちょっと照れながらも嬉しそうな笑顔は、本当に可愛い。それからの私は、携帯を使うたびにその笑顔を見てニンマリし、幸せな気持ちになる。先日、夫婦の危機について日記を書いたが、万一にでも何かが起きて、この孫達に会えなくなったらと思うと…、想像するだけでも辛い。私は、結婚したのも子供を産んだのも、いわば成り行きだった。仕事を続けたかった私は、深く考えず子どもを産んだことを後悔したことすらある。いや、それ以前に、私は結婚には向いていなかったと、何度頭をかきむしったことだろう。ただ、結婚し出産したのは私自身という責任からは逃げられないと、子どもが大人になる日が1日でも早く来て欲しいと思っていた。だから、孫の想像なんてしたこともなく、今、孫の写真にニンマリする自分が、不思議な気さえする。今の私は、深く考えずに結婚し出産した浅はかな若き日の自分に、拍手を送りたい。
2005年11月27日
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西村真悟議員、来週にも逮捕へ 弁護士法違反容疑西村議員に辞職要求 民主党が方針私は、この人は好きではない。それに、どうしてこの人が民主党にいるのかと、強い違和感を覚えていた。だから、今回の報道には「さもありなん」とも思うし、議員辞職も当然だろう。今回のことで、彼が弁護士であることを知った。現役の弁護士だった頃、どんな業界の弁護活動を得意としていたんだろう?
2005年11月26日
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夫婦とか結婚について、最近考えてしまうことが多い。近日中に、夫の親戚の結婚式に出席することになっている。夫(我が身内)は再婚、妻となる人は初婚だということで、一般よりは多少地味な結婚式のようだが、それだけに「招待制」なので、夫婦で出席するとなると・・。夫となる人は、一度目の結婚で二人の子どもがあり、中学生と小学生になっていて、子供たちは妻側が引き取っている。私は、彼の再婚の結婚式の案内状が届いた時、はっきり言ってムカついた。離婚して再婚するのは、それぞれの事情があるのだから良い。しかし、子どもの養育費のことなどや、一度目の結婚式の時は人並み以上に盛大に行ったことを思い出し、二度目の結婚式は本人たちと本当の身内だけでやってほしいと思った。何が原因で離婚したかどうかや、相手が初婚かどうかは関係ない。それが節度というものだろう・・と。そして、もしも私の息子が離婚して再婚するとしたら、絶対にこのようなことは許すまい・・と。お互いの家族の顔合わせ程度の食事会しか認めないぞ・・と。まあ、そんなことがないことを願うが、離婚・再婚が珍しくも何ともない状況にあるので、せめてもの節度くらいはキープして欲しいと思っている。とはいえ、多分私はその式で、ニッコリ笑って夫となる人にはコッソリと、「今度こそ、お幸せにネ」くらいの皮肉でやりすごしてくるのだろう。どうも気が進まない結婚式である。このところ、熟年夫婦の危機らしき話を続けて聞いている。まだまだ日本では、妻の方が忍耐強く家庭を維持することに努めている夫婦が多い。その人知れぬ努力や苦労を、夫はあまりにも気が付かないから、感謝やねぎらいの言葉もほとんどないし、「黙っていてもわかってはいてくれるだろう」と願っていた妻の淡い期待も、子どもが成長して夫婦だけの生活になったときに、「実は何も気付いてなかったし、私の気持ちもわかってもいなかった」と知り、妻は愕然とする。実は、私もそうであるが、妻の方も自分の気持ちを夫に伝えることをしていなかったことが一つの要因ではあると思う。「いつも一緒に生活していたらわかるだろう」と勝手に思い、そして勝手に失望していることも多いのではないか。一人の人は、家庭のこともキチンとこなしながら、地域活動で活躍している人である。定年で在宅生活になった夫は、妻が平日は色々と活動していることを目の当たりにし、地域の人たちに妻が期待され頼りにされていることを知った。夫が定年になり在宅生活になったとはいっても、妻が今までの活動をやめなくてはならない理由にはならない。夫は留守番をすることが多くなり、最初は気楽な自由を味わっていたのかもしれないが、次第に面白くなくなってきたらしい。そんなことから、少しずつ少しずつお互いにイヤな気分になることが増え、彼女曰く「もう、面倒くさくなっちゃった」。言葉では理解を示しながら、チクチクと刺さってくる皮肉や嫌味に、ゲンナリしているようだ。お互いに、自分の気持ちを伝え合う訓練をしていない多くの日本の夫婦は、このような事態になると実に下手くそなのではないかと思う。何を隠そう、私も間違いなくその一人だから、彼女の状況はちょっと状況が変わればそのまま私たち夫婦のことなのだ。他人事ではないなあーと反省し、もう少し自分の気持ちを伝える練習をしなくてはならないと思う。いつも思うことだが、他人を自分好みに変えるのはとても難しいし、無理と思った方が良い。だから、一番簡単なのは、自分のパターンを変えること。まずは、できるだけ「ありがとう」を言うようにしよう。おなかの中では(そんなこと、あなたがやるのが当然でしょう!)と思っていてもだ。例えば、夫が先に帰宅していてストーブをつけていただけでも、「暖かくなっていて助かった。ありがとう」というように。考えてみれば、私は夫から「ありがとう」なんて言われた記憶はほとんどないが、私自身もほとんど言っていないのだから。(今までは、「ありがとう」と言うほどのことをしていないと思っていたし・・)ここは、欧米人の「サンキュー」の連発を真似てみよう。やっていないことをやるのは、難しい。まずは、色々なパターンの状況をシュミレーションして、心の中で練習練習。今のところ、夫と別れようという面倒なことにはなりたくないので。
2005年11月25日
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今朝、たまたまチャンネルを変えたら、みのもんたの朝ズバの画面になった。私は、彼がさほど好みではないので、あまりこの番組は見ない。しかし、今話題の耐震偽造建築主「ヒューザー」の小嶋社長が生出演するというので、そのまま見ていたのだが・・。次第に腹が立ってきた。この時期に小嶋社長をテレビ出演させて、みんなで吊るし上げか?もちろん小嶋社長の発言も釈然としないことは多いけれど、みのもんたがエラソーに小嶋氏に向って感情的に怒りをぶつけているのを見て、そちらの方にずっと腹が立ったし、不快だった。みのもんたは、司会者ではないのか?彼は、そのマンションに住んでいる人間なのか?被害者の気持ちを代弁している正義の味方のつもりなのかもしれないが、誰がそんな役割を与えているのだろうか。多分、視聴者がそれを望んでいるという自負や驕りがあるのだろう。結局、全部を見ないでチャンネルを変えたのだが、朝からあのようなテレビを見て、元気が出る人も多いのだろうか。私は、どうしようもない不快感が残ってしまい、今、このように吐き出しているところなのだが・・。
2005年11月24日
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いつのまにやら11月も下旬。そろそろ年賀状の準備をしなくてはと、ネットで無料で使える年賀状サイトを検索。あまりにも沢山あるので、選ぶのに一苦労。選択肢が多いということは、ありがたいのか大変なのか・・。数年前までは「プリントゴッコ」で手作り風なものにしていたけれど、この2~3年はパソコンで作成。何と言っても楽なんだもの・・。数日前、ある人と話していた時、「毎年、年賀状を出すか出すまいかと悩む人が何人もいて、 思い切って出さなくても相手から届いたら出してしまうので、 結局枚数が減らない」とぼやいていた。実は私も同様である。しかし、ふと思う。出す枚数を減らそうとしていること自体、とても幸せな証だと。退職し、年老いて行き、地域活動からも遠ざかってゆけば、悩むことなどしなくても、年賀状が届く枚数は減ってゆくに決まっている。たかが一枚の、年に一度のはがきだけれど、人によってはとても楽しみにしている人がいると思う。特に、高齢の方などはそうに違いない。いつか私も、何枚かの年賀状で幸せな気持ちになる日が来ることだろう。ありがたいことに現在は、「あー、また年賀状の季節。面倒くさいなー」という気持ちが勝っている。いつまでこんな気持ちで年賀状準備ができることやら。ありがたい、ありがたい。
2005年11月23日
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<日露首脳会談>北方領土問題で具体的な進展得られず 小泉純一郎首相は21日午後、ロシアのプーチン大統領と首相官邸で約2時間半会談した。北方領土問題をめぐっては、北方四島の帰属確認後に平和条約を結ぶとした「東京宣言」(93年)の再確認を首相が求めたのに対し、大統領は宣言に言及せず、具体的な進展はなかった。両首脳は領土問題の解決を目指し協議を継続することでは一致したが、共同声明(政治文書)の発表は見送られた。 両政府は首脳会談後、経済分野を中心に12の合意文書に署名。東シベリアのパイプライン建設に関し「来年のできるだけ早い時期」までの合意を目指すとしたが、日本が求める太平洋ルートの優先着工は明記されなかった。ロシアの世界貿易機関(WTO)加盟を承認する2国間合意や、ロシアの退役原子力潜水艦5隻の解体に日本が協力することも盛り込まれた。 両首脳は会談後、共同記者会見を行った。首相は領土問題について「立場にはまだ相当開きがある」と認め、北方領土の共同開発について「さまざまなレベルで協議を続けたい」と述べた。大統領は「領土問題は複雑で簡単ではない」と語った。 領土問題を首脳間で本格的に協議するのは03年1月に小泉首相が訪露し「交渉の加速」に合意した「日露行動計画」に署名して以来。首相は「諸合意に基づいて平和条約交渉を進めたい」と東京宣言などの再確認を求めたが、大統領は「双方に受け入れ可能な方策を模索していきたい」と述べるにとどまった。 大統領は首相に来年の訪露を招請。両首脳は麻生太郎外相とイワノフ安全保障会議書記(前外相)による「戦略対話」を始めることで合意した。【大貫智子】 ◇日露首脳会談の骨子 【北方領土問題】一、四島の帰属問題で認識の違いを再確認一、帰属問題を解決して平和条約締結を目指す交渉継続一、経済関係などを発展させ解決を目指す一、双方に受け入れ可能な解決策を模索 【二国間関係】一、太平洋パイプライン実現に向けて協力一、ロシア側が来年中の小泉首相の訪露招請 ◇小泉純一郎首相とプーチン大統領との共同記者会見要旨 <北方領土問題> 首相 北方領土の帰属問題を解決し、平和条約を締結するという認識は共通しているが、立場には相当開きがある。さまざまなレベルで協議を続け、溝を埋める努力をしていく。良好な経済協力を強化し、協力できる分野を広げ、将来の平和条約締結に向けた環境を醸成していきたい。 大統領 双方に善意さえあれば、双方にとって受け入れ可能な解決策を見いだし、四島の住民、そしてロシアと日本の国益に合致する解決策を見いだすことができることを確信している。平和条約がないことが露日間の経済協力を妨げているのは間違いない。しかし、経済協力発展の方向で問題を解決できるよう努力していく。 <エネルギー協力> 大統領 ロシアのエネルギー資源は既に日本の市場に提供されつつあり、サハリンプロジェクトのエネルギー提供も始まった。その提供を増やしたい。 首相 エネルギー戦略でロシアとの協力関係は極めて重要だ。太平洋パイプラインは日本だけでなくロシアにも利益になる。どのような協力ができるか協議したい。 (毎日新聞) - 11月21日アメリカには無条件追随、日本からはたくさんのお土産付き。ロシアにもなす術はなく、北方領土に関しても言いなり状態。予想されていたことではあるが、小泉氏の威勢の良さは「内弁慶」ってことなんだと痛感。【追記】北方領土返還関連サイト 北方領土問題対策協会HP このサイト中の なるほど!なっとく!北方領土は、とてもわかりやすい。 北方四島交流センター「ニ・ホ・ロ」 北方領土復帰期成同盟
2005年11月22日
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お気に入りからリンクしている「天木直人のHP」は、頻繁にチェックしている一つ。今日の「品川正治さんという財界人から勇気をもらった」という記事に、私もとても勇気をいただいた。多くの方に読んでいただきたいので、コピーしておく。「品川正治さんという財界人から勇気をもらった」 11月19日の土曜日、ある集会に参加して品川正治(しながわ まさじ)さんの講演を聞く機会があった。 品川さんは副代表幹事、専務理事を経て、今は経済同友会の終身幹事という肩書きを持った人である。本業は日本興亜損保(旧日本火災海上保険)の社長、会長を歴任された財界人である。 その品川さんに私が関心を抱いたのは、奥田硯経団連会長に象徴される日本の財界トップがこぞって改憲、日米同盟強化礼賛を唱えて右傾化しつつある中で、公然と、反戦、平和憲法の重要性を唱える現役の財界人であるからだ。そして私はその品川さんの話を目の前で聞いて、あらためて深い感動を覚えたのである。 私の欠点は人を誉めることが出来ないことだ。人の話も聞かない。その私が品川さんの口から発せられる言葉の一つ一つをメモに書き綴ったのだ。書きながら体の中からこみ上げる感動を覚えたのだ。81歳の品川さんの声は、その野太い響きと共に小心な私の心の中に圧倒的な迫力でせまってくる。なぜか。私はそこに品川さんの覚悟を感じたからだ。 みずから中国に出兵し、被弾し、今でも足に弾丸が入ったままであるという品川さんの次のような言葉は、その一つ一つが強いメッセージを持って聞くものに伝わってくる。「戦争を始めるのも人間なら、戦争を止めるのも人間だ」「紛争はなくならない。しかしその紛争を戦争にさせないことこそが重要なのだ。これは理想論ではない。それこそが現実の外交努力なのだ。今の日本の外交は戦争に加担する外交をやっている」「憲法9条を持っている国は(コスタリカを除いて)世界にない。世界の殆どの国は軍隊を持ち戦争を肯定している。その意味で憲法9条は特異だ。しかし何故日本がそのような世界に比類なき憲法を持つことが出来たのか。それは300万人の国民の犠牲、3000万人の近隣諸国の国民の犠牲、20万人の原爆の犠牲、そういう体験を経て、日本国民が、再び戦争をしてはならない、武力では平和は来ないと思ったからだ。日本国民が憲法9条を捨ててしまえば、世界に平和憲法は存在しなくなる」「日本の支配政党は、あの憲法が成立して以来、ただの一度も憲法9条を守ろうと努力した事はなかった。それどころか成立した直後から(鳩山一郎のように)改憲しようとしてきた。あの憲法を守ろうとしてきたのは常に国民であった」「憲法9条の旗は今やボロボロにされている。それでも旗竿を握って放さないというのが私を含めた多くの国民である。その旗竿を放せと命ずるのが政府である」「米国は今、目の前で戦争をしている国である。戦争をしている国を舐めてかかってはいけない。戦争をしている国は戦争に勝つ事を全てに優先させる。その国と向かい合っていくには覚悟がいる」「財界人の中には、米国の力に頼って得をしようと考える者がいる。私はそんな人たちを許すことは出来ない。しかし多くの財界人はそこまでの考えはない。おそらく真剣に米国という国を考えていないのではないか。米国を甘く見てはいけない」 品川さんの言葉は、その一つ一つが彼の信念から発せられている。だから迫力があるのだ。そんな彼の言葉のなかで、私が最も共鳴したのが次の言葉である。これこそが私が日本人の一人でも多くの人にわかってもらいたい言葉であるのだ。「憲法9条を変えるなと言えば、なにか消極的な、否定的な響きに聞こえるけれど、それは決してそうではない。それどころか今ここで我々国民が憲法を守り通すことが出来ると、日本の外交が一変せざるを得なくなる。日米軍事同盟をこれ以上推し進めることができなくなる。米国との関係が変わらざるを得なくなる。アジア諸国との関係も変わる。それどころか平和憲法の維持は国際政治の枠組みさえも変えるかもしれない。憲法を守ることは実は日本のあり方、世界のあり方を変える、そういうことなのだ」 その通りだ。そしてその逆の事を考えて見ればよい。ここで平和憲法をあきらめたらどうなるか。日本国内の米軍基地は固定化、強化され、日本は後戻りが出来ない国になってしまう。軍事を優先させ、力で弱者を支配する米国に隷従する、自主性のない国に成り下がってしまう。こんなことを黙って見過ごしてよいはずはないのだ。 品川さんが最後に言った次の一言は、ややもすればくじけそうになる私を限りなく勇気づけてくれた。「私は決して孤立していないのですよ」
2005年11月21日
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今朝の道新6面「オピニオン」に、お二人の評論家の主張が掲載されていた。北海道新聞HPには載っていないので、かいつまんでご紹介する。一つは「不登校、ひきこもりを防ぐ5か条」高橋悦男/教育評論家主に家庭教育の問題を取り上げていて、不登校、ひきこもりにしないためとして、発達段階に即して下記の五つをあげている。(1)幼年期は「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉が心から言えること。(2)少年期は、相手や場に応じた話し方と、善悪の判断に基づいて行動ができること。(3)青年期は、学校や社会のきまりをきちんと教え、それらを守る大切さを身に付けさせること。(4)成年期は、自分中心ではなく、人を思いやる心があり、働く喜びを持たせること。(5)大人になりたてで「ひきこもり」になる人が目立つが、親のきめ細かな助けが大きな意味でしつけになるということ。正論というか、教科書的というか・・。おっしゃる通りではありますが、悩みや不安を抱えている親は、どうしたらよいのかこれでわかるだろうか?もう一つは、「子どもの活字文化再生-思考力養う絵本、読書-」柳田邦男/ノンフィクション作家これは、字数の関係もあるのではあるが、とても説得的で具体的で納得できる内容だった。本当は全文ご紹介したいのだが、これもかいつまんで・・。彼は、「映像・画像による情報は感情に訴える力は強いが、問題の背景や文脈や本質を考える思考力を育てる力は弱い。自分で深く考えるのを疎外さえする」という。そして、「幼い頃からテレビやゲームに浸っている子は、自分の気持ちを言語化する力や、感情の細やかな分化や、相手の気持ちを汲み取る力の発達が遅れる傾向にあることが、専門家による調査や、凶悪事件を起こした少年少女の人格特性分析によって明らかにされている」という。2005年版犯罪白書で、「非行少年の特徴として『感覚感情で物事を判断する』という少年少女が60%を占めている」という、少年院教官の調査結果も紹介している。そして、「子育て支援がさまざまな形で展開されることが、第一に重要だ。第二に、情報環境の再構築が緊急に必要だ。子ども達がテレビ、ゲーム、ネット、ケータイというバーチャル(生身でない仮想現実)な情報メディアに浸りきっている状況を突き崩し、親に子どもとの生身の接触を回復させるために、絵本の読み聞かせや子どもの読書活動を飛躍的に充実させる必要がある」という。この主張は、私は体験的にもとても共感できるし、今現在、親ももちろんではあるが、大人みんなが子どものために簡単に取り掛かることができることだと思う。今更、子どもの生活環境から「テレビ、ゲーム、ネット、ケータイ」を取り除くことなど無理であろうし、第一に大人自体が生活や仕事でそれが必要になっている。大切なのはバランスの問題であり、子どもがバランスよく成長発達できる環境をいかに確保するかであろう。それを「親だけに」求めるのは酷なことであるし、無理なことだ。最初にあげた「5か条」を唱えるだけでは、決して子ども達の健やかな成長を保障することはできないのだ。親は、乳幼児期からの子育てに、絵本を媒介としたコミュニケーションを深めよう。一度「本が好き」になった子どもは、一時的に他のことに興味が移っても、必ず本の世界の楽しさを生活の中に取り入れるはずだと思う。「祖父母」は、高価なおもちゃを与えるよりも、子どもが喜ぶ本をプレゼントしよう。あるいは、「図書カード」などをプレゼントして、子どもに本を選ばせるのも一手。身近に子どもや孫がいない大人たちは、近くの図書館や小学校・中学校で、本を媒介として子ども達と接するボランティアをしよう。今の子どもたちは「見知らぬ大人」との接触は禁じられている。知らない子どもに挨拶運動をして煙たがられるよりも、安心して出会えた大人になって、色々な人が社会には存在していることを、身をもって伝えていこう。「本」を媒介にしたなら、色々なことができると思うのだ。たとえば、「読み聞かせ」が苦手だとしても、一緒に本を整理したり探したりしながら、世間話を楽しんでもいいではないか。それには、「図書館」や「学校」が開放的になることが前提だ。日本中の学校が、名実共に「開かれた学校」になることを願っている。【補記】柳田邦男氏の記事では文字・活字文化振興法(平成十七年七月二十九日法律第九十一号)の制定と、「文字・活字文化の日-10月27日-」のことが冒頭に紹介されていた。恥ずかしながら私はこれについて知らなかったのだが、皆さんはご存知でしたか?
2005年11月21日
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尚子お帰り!2年前の悪夢振り切り復活Vさほどスポーツには関心のない私も、高橋尚子さんが足の故障を押して走るということを聞き、ハラハラしながらテレビ観戦をした。結果は見事な優勝。本当に足が痛かったのか?と、思うくらいの見事な走りだった。私の母などは、「足が痛いって言って、相手を油断させたんじゃ?」なんていいだす始末。私は、もしも途中で棄権することになっても、彼女は限界まで走ることを選ばざるをえなかったのではと思っていたし、彼女のことだから足が再起不能状態になっても、気力で走るんじゃないかと、そっちの方が心配だった。だから、優勝インタビューも好意的に聞いてはいたのだが・・。それにしても、気分的にハイになっていたとは言え、よくしゃべった。最初は多少ウルウルしながら見ていた私も、最後の頃には「もうそのへんで、やめときな」と思ったり、インタビュアーに対して、「まだ聞くの?!」と思ったりしていた。日本中の多くの人たちが、彼女の優勝で勇気を貰ったり励まされたりもしただろう。だけど、それは、それぞれの人が受け取るものであり、本人が言わなくても良いものではないだろうか。なんとなく、そんなことを感じてしまうインタビューだと思った。まあ、これも人それぞれの個性の問題だから、彼女はそのような意味で走っているのだな・・と思うけれど。でも、今までの努力や悩みが報われて、本当に良かったと思う。ただ、「努力が必ず結果として報われる」というものでもない。「夢や目標を持つことで充実した一日になる」ということが、一番大切なことだ。それは、尚子さんの言うとおりだと思う。大切なことは、どのような形でもいいから、今が充実して満足できる」ことだと思う。
2005年11月20日
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<耐震偽造>書類不備も素通り 民間検査「速い」と受注増 [ 11月19日 12時43分 ](毎日新聞) 千葉県市川市の姉歯(あねは)建築設計事務所によるマンション耐震データ偽造問題では、国が認定したプログラムの信頼性を盾に、少なくとも2年半にわたりチェック機能が働かないまま偽造物件を増やしてきた。マンションの建て替えも検討される事態を招いた姉歯秀次・1級建築士(48)の構造計算書偽造は、なぜ気づかれなかったのか。【長谷川豊、大平誠】 建物の建設前に建築士が作る構造計算書は、地震や台風などが来ても建築物の安全に問題がないことを示す重要書類だ。建築物のデザイン図をもとにして、柱やくいの太さや数、鉄筋の太さや質など、建物の強度に関係する数値をさまざまに変えてコンピューターに入力して結果をはじく。入力した数値が問題ないと判断されれば、書類は完成する。 国が指定する民間の検査機関や自治体がこの書類を審査し、耐震などの基準をクリアすれば着工にゴーサインを出す。建設業者はデザイン図に、構造計算書に基づき柱やくいの数、鉄筋の太さなどを記した図面により建設工事を進める。 構造計算に使うプログラム(ソフト)は、信頼性が高い国土交通大臣の認定品である場合が大半だ。姉歯建築士はこの信頼性を逆手に取ったとみられ、元請け設計事務所や国が指定する検査機関に提出した書類に、プログラムの利用証明書を添えていた。 しかし姉歯建築士は、地震などに伴う外力の設定を、国などが定める耐震強度に応じた数値を入力したものと、半分程度の外力の数値を入力してはじいた二つのデータを用意。そのうえで、全体で数百ページになる書類の後半部分を、外力が半分程度で出した偽造データにすり替えていた。 例えば、本来震度6に耐えるよう打ち出した構造計算のデータを検査機関に提出しなければならないのに、震度3に耐える程度の構造計算のデータも用意。震度6に基づく計算書の後半部分を震度3の計算書に替えて検査機関に提出し、承認されれば、本来より柱が細いなど強度の弱い建物の設計図となるわけだ。 計算書の上部には、入力データに基づく固有の番号が打ち込まれる仕組みになっている。姉歯建築士が提出した書類は、前半部と後半部でデータが違うため番号が異なっているはずだが、書類には番号部分の記載そのものがなかった。 こうした偽造について国交省や多くの設計関係者は「書類の番号部分がない場合、より詳細に検査しなければならない。見逃した検査機関の責任も重い」と指摘する。しかし、不正のあった完成済みの14棟のマンションやホテルに関する偽造書類を承認した検査機関の「イーホームズ」(東京都新宿区)は「書類に番号がない場合は他にもある。今回の偽造は巧妙だった」と主張する。 イー社に出された構造計算書には、省令で定められた認定書や指定書など計算の正しさ、手順を示す公文書が添付されていなかった。中間検査、完了検査というチェックの機会もありイー社が担当していたが、不正は最近まで暴かれなかった。 姉歯建築士は当初、千葉県の聴取に「コスト削減のプレッシャーがあった」と建設業者側の関与をうかがわせる話をしていた。だが、その後の毎日新聞などの取材には「書類を偽造することで計算書作成の作業時間を短縮できた。建設のコストを下げてと(建設業者側から)言われたことはない」と話している。 このニュースに関しては、一言しかない。「日本は、総無責任体制なのか」。いくらチェックシステムが整っていても、それを運用・実行するのは人間で、一人一人のモラルが低下していたら、どんなルールも仕組みも無意味だということ。「無責任だ!」と怒ることや非難することは簡単だし誰でもやっていることだけど、同時に自分の役割や仕事の社会的責任を本気で考えることが、このようなことを防ぐ唯一の方法だと思う。私も、無責任の風潮に毒されてはいないだろうか。 【追記】この日記にトラックバックしてくださった皆さん、ありがとうございました。私もTBさせていただきました。(11月20日)
2005年11月19日
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視聴率低迷にファイナルアンサー!?みのもんたが紅白司会に大抜擢昨日、このニュースを聞いた時には、少しばかり驚いた。私は彼があまり好みではないので、今年の紅白の魅力は半減。NHKはなりふり構わず、視聴率稼ぎ頭に視聴率確保を丸投げしている感じ。何だか、アメリカに擦り寄る日本みたい。
2005年11月18日
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北海道近代美術館で開催されている、「新道展 50周年記念展 半世紀の軌跡 -過去・現在そして未来へ-」に行って来た。知人が会員なので前売り券を買っていたのだが、色々と忙しくて行くことが出来ず、今日は何が何でも行かなきゃと、多少重い腰をあげた。美術館で絵画などを見るのは嫌いではないのだが、寒くなってきたせいか、はたまた軽い「冬季鬱傾向」なのか、外に出るのが億劫だったのだ。でも、行って良かった。会場で少し見はじめたら、何だか聞き覚えのある声が・・。やはり新道展会員で同じ町に住むTさんと、共通の友人であるMさんであった。この記念展には知っている人が五人ほど出展しているので、多分一人くらいには会場で会うかもしれないとは思っていたが、お二人とも親しくしていただいている方なので、「あらー!」「忙しいところ、どうも・・」なんて会話するうちに、単純な私の多少の鬱は吹っ飛んで、軽躁状態になってしまった。私は、中学時代の美術の時間のある出来事がきっかけで、絵を描くことにコンプレックスを抱いて以来、自分では全く絵を描く事はない。それでも、年とともに絵から受ける印象やイメージで楽しむことができるようになった。「わかる、わからない」ではなくて、心の中の一人遊びには、絵や彫刻はうってつけだとも思う。今回は知人と会場で会ったことで、「あーでもない、こーでもない」なんてヒソヒソ話しながら楽しめたので、楽しさも倍増であった。おまけに、アンケートを記入して提出したら、今回の「図録」をいただいてしまった。(全員貰えるようだ)とっても得をした気分である。11.23(水)~12.4(日)は、同じ近代美術館で「道展80周年記念展 響きあう北と南」がある。北海道では一番歴史のある会で、こちらのチケットは、やはり知人からいただいている。今月末は、その人と友人との3人で、近代美術館で会う予定。こちらもとても楽しみである。
2005年11月18日
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日米首脳会談*日本の主体性が見えぬ(11月17日)記録のために、コピー。 小泉純一郎首相の対米追従の外交姿勢が如実に表れたブッシュ大統領との会談だった。 日米両国が目指す「同盟の深化」とはこういうことだったのか、とがくぜんとさせられる。 象徴的なのは共同記者会見の冒頭で首相が述べた言葉だ。 「日米関係が良ければ良いほど(日本は)中国、韓国をはじめ世界各国と良好な関係が築ける」 そこにのぞくのは、日米関係至上のいびつな世界観だ。 首相の靖国神社参拝で関係が悪化している中国や韓国からは、米国の後ろ盾を得て足元を見られないようにしているともとられかねない。 今回の会談の目的は同盟の強化を確認することにあった。この方針に沿って首相は、十二月十四日に期限切れを迎える自衛隊のイラク派遣の延長や、先に中間報告がまとまった在日米軍再編の着実な実行を表明した。 しかし、内実は自衛隊と米軍の一体化の推進であり、米軍の任務を自衛隊に肩代わりさせようというものだ。 首相は、米国が主導する対テロ戦争について「長くつらい戦いを覚悟しなければならない」と決意を述べたが、これも米国の忠実な「代弁者」としての発言だろう。 一方、ブッシュ大統領も会談後の演説で「日米同盟はアジアの安定と安全保障の柱だ」と強調した。 確かに米国にとっては、太平洋の対岸のアジアへの入り口として、また世界戦略の要石として、日本は重要な同盟国であろう。 ところがそういう大統領自身、国内外で政治力、求心力の低下という大きな問題を抱えている。 米軍の死者が二千人を超え厭戦(えんせん)ムードが高まるイラク問題、ハリケーンへの対応のまずさ、ホワイトハウス高官のスキャンダルなどによって、国民の支持率は不支持率を下回っている。 イラク問題などをめぐる国連での単独行動主義が、世界の国々から批判を浴びているのも周知の通りだ。 そんな米国に追従し、過剰な配慮を重ねる国が、国際社会で尊敬や信頼を集めることなどできない。いま日本が求められるのは、米国一辺倒ではない主体的な外交姿勢だろう。 もう一つ、指摘しておかなければならないことがある。 今回の会談に間に合わせるため、日米両国は強引に米軍再編の中間報告をとりまとめた。日本側は牛海綿状脳症(BSE)問題で禁輸していた米国産牛肉の輸入再開方針を固めた。 自衛隊のイラク派遣延長表明もそうだが、いずれも重要政策でありながら、国民への説明も国会での議論も十分ではない。 米国への配慮が民主主義に優先してしまっている。順番が逆ではないか。まったく、小泉さんはどこの国の首相なのだか・・。sowonさんの戦争ほど金のかかるものはない⇔戦争ほど儲かるものはない 呉雅力さんの日米首脳会談は屈辱的だね同感です!
2005年11月17日
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午前中、「乳幼児とお母さん」を対象とした行事が終了。昼食は、お呼びした人形劇グループと我々のメンバーで、子どものこと、人形劇や紙芝居、読み聞かせなどのことなど、常日頃それぞれに活動している人たちなので、話は盛り上がる。私自身は大した活動はしていないのでほとんど聞くだけなのだけれど、地道に子どもの感性を育むための取り組みをしている人たちには、頭が下がる。「暇になったらボランティアでも・・」なんて言う人がいるけれど、もちろんある程度の時間のやりくりができなくてはならないが、我々の団体のメンバーは、働いている人が多い。みんな忙しい中を、休みを取ったりなどやりくりしながら活動している。よく、「何かを頼む時は、忙しい人に頼め」と言うけれど、これは本当である。色々と言い訳をするのは、あまり忙しくない人のような気が・・。(私も言い訳しているかも・・)とにかく、一つの行事が終了してホッとする。この行事に関しては、大して責任ある立場ではないのだが、やはりそれなりの役割というものがあるので・・。みなさん、本当にお疲れ様でした。
2005年11月17日
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ブッシュ大統領、アジア歴訪で京都到着 米国の役割強調米大統領のアジア歴訪 中国に「人権」圧力へ 日本・モンゴルと対比米国の対中貿易赤字は長期的問題=ハドリー米大統領補佐官もっとあるようだけど、後で読もう。小泉氏とどんな話をするのやら。・・で、結果は↓結束確認、米軍再編を評価 日米首脳会談小泉首相は16日午前、来日中のブッシュ米大統領と京都迎賓館で会談した。首相は「世界の中の日米同盟」を強調し、中韓などアジア諸国との外交を進めるうえでも日米同盟が強固であることが重要だと指摘した。両首脳は、在日米軍の変革・再編やイラクへの自衛隊派遣、牛海綿状脳症(BSE)にからむ米国産牛肉の輸入再開問題、鳥インフルエンザ対策など幅広く意見を交わし、両国の協力を確認した。 会談は1時間25分にわたり、首相は終了後の共同記者会見で「『世界の中の日米同盟』という視点から大統領と話した。日米関係が良ければ良いほど、中国、韓国、アジア諸国をはじめ世界各国と良好な関係を築ける。これが基本的な私の考え方だ」と述べ、アジア外交の面でも日米同盟の重要性を強調。「日米関係をほどほどにしてマイナスが出たら他の国との友好関係の強化によって補ったら良いとの考えが日本にあるが、私はそういう考えは全く取っていない」と語った。 大統領も「中国に私が言いたいのは、自由な社会こそ、その国にとって良い。指導部は自分たちの社会に自由を与えることを恐れてはいけない」と応じた。 また大統領は、自民党が圧勝した総選挙について「民主主義の強さを確認するものだった」と評価。12月14日に期限を迎えるイラクへの自衛隊派遣については「私の決断ではなく、皆さんの決断だから、最善の決断をしてほしい」と語った。北朝鮮の拉致問題については「我々も懸念を共有している」と述べた。 米軍再編については、首相が「平和と安全という恩恵を受けるためには、しかるべき代価を払わないといけない」と語り、来年3月の最終報告に向けて、地元の説得に全力を尽くす考えを示した。 米牛肉の輸入再開問題では、食品安全委員会が答申原案をまとめ、国民からの意見(パブリックコメント)募集の段階まで進んでいることを首相から説明。正式な答申が出れば政府として輸入再開に向けた措置を取る姿勢を示した。大統領も記者会見で「日本は米の牛肉は安全との判定を出してくれた」と語り、歓迎する姿勢を示した。 米国が日米同盟を重要視する最大の要因である中国については、中国が建設的なパートナーとなるよう日米で連携して対応することを確認。首相は中国の経済発展を歓迎しながらも、軍事費の増大など不透明な要素を指摘した可能性もある。【朝日/2005年11月16日(水)】 「日米関係が良ければ良いほど、中国、韓国、アジア諸国をはじめ世界各国と良好な関係を築ける」って、ホント?「自民党が圧勝した総選挙について「民主主義の強さを確認するものだった」も、ホント?米軍再編や米牛肉輸入再開など、アメリカにはリップサービスも含めて大サービスの小泉さん。あなたが一番サービスしなくてはならないのは、日本国民であることをお忘れなく。
2005年11月16日
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紀宮さま、黒田さんご結婚 天皇陛下「折々にいらっしゃい」 変わらぬ絆胸に 紀宮ファンの私としては、記録のために記事をコピー。天皇家の長女、紀宮さま(36)と東京都職員、黒田慶樹(よしき)さん(40)の結婚式が十五日午前、東京都千代田区の帝国ホテルで行われた。代理の宮内庁職員が、お二人の新居のある都内の役所に婚姻届を提出、受理され、紀宮さまは黒田清子(さやこ)さんとなられた。同ホテルで行われた披露宴には、戦後の皇族女子の結婚披露宴としては初めて天皇、皇后両陛下がご出席。これに先立つ記者会見で、紀宮さまは「黒田家の一人として新しい生活に臨んでまいりたい」と抱負を語られた。 午前十時前、黒田家の使者が御所に紀宮さまを迎えにあがる「入第(じゅだい)の儀」。紀宮さまは、両陛下と最後のお別れをされた。 結婚式は同ホテルの宴会場「蘭の間」に祭壇を置き、神前式で行われた。紀宮さまは白いロングドレス、黒田さんはモーニング姿。式をつかさどる斎主は伊勢神宮の北白川道久大宮司で、両陛下のほか皇太子ご夫妻をはじめ皇族方、黒田さんの母、寿美子さん(70)ら三十一人が出席。通常の神前結婚式と同様に、斎主の祝詞の奏上のあと、お二人の「盃の儀」や出席者らによる、「親族盃の儀」などが厳かに行われた。 午後二時からの記者会見。紀宮さまは「多くの方に支えていただき今日を迎えられたことを深く感謝しております。両陛下や家族との日々を大切に心に持ちながら、新たにさまざまなことを学び、黒田家の一人として新しい生活に臨んでまいりたい」。横に並んだ黒田さんは「二人で力を合わせ一歩一歩進んでいきたい」と話した。 午後四時すぎから開かれた披露宴には、両陛下をはじめとする皇族方のほか、新郎新婦の恩師や職場の同僚、友人らも合わせ約百二十人が集まった。来賓代表として、東京都の石原慎太郎知事があいさつした後、乾杯。フランス料理が振る舞われ、紀宮さま、黒田さんのゆかりの人たち四人が祝辞を述べた。 披露宴の後、お二人はホテルで夕食を取った後、東京都内の賃貸マンションの新居へ移り、新生活をスタートさせた。 ◇ 結婚式の朝、天皇陛下は、紀宮さまに「家族の絆(きずな)は変わらない」と声をかけられた。皇后さまは、ご自身が嫁ぐ朝、母親がそうしたように、紀宮さまをしっかりと抱きしめられた。厳格にお務めを果たされる一方、家族を大事にされた天皇、皇后両陛下。お二人の深い愛情ではぐくまれた紀宮さまは、三十六年間の思い出を胸に新たな生活へと踏み出された。 紀宮さまは文書で、朝の両陛下とのお別れの様子を自ら次のように述べられた。 「天皇陛下からは『これからは皇后さまがなさっていらっしゃったように、慶樹さんはもちろんのこと、慶樹さんに連なる人々と慶樹さんの仕事を大切に考えるように。今後、公的な仕事を共にすることはなくなるが、家族の絆は変わらないので、折々にいらっしゃい』とおっしゃって下さいました。皇后さまはしっかりと抱きしめて下さり、『大丈夫よ』と何度もおっしゃって下さいました」 宮内庁によれば、皇后さまは前日の十四日、急に寒くなったことを心配され、紀宮さまに温かいくず湯やしょうが湯を飲ませられた。両陛下は「娘を嫁に出す親」として、紀宮さまの新生活への不安を解きほぐされたのだ。 今回、両陛下が結婚式に続いて、披露宴にも出席されたのは、きわめて異例。紀宮さまの結婚でよく引き合いに出される、四十五年前の島津貴子さんの結婚の場合、ご両親である昭和天皇、香淳皇后は披露宴に出席されていない。 天皇家では子供を親元から離して養育する慣習があったが、両陛下は初めてお手元で、皇太子さま、秋篠宮さま、紀宮さまをお育てになった。一般家庭のように、親子がそろって暮らすということが大事との思いがおありだったためだ。 披露宴へのご出席も、親として子を思う自然なお気持ちからだったのだろう。いつもお見せになる公務への厳しさの一方で、家庭をきわめて大切になさる両陛下流の皇室像を貫かれた。 ◇ 紀宮さま 天皇、皇后両陛下の長女として昭和44年4月18日にご誕生。名前は清子。お印はスイレンの「未草(ひつじぐさ)」。平成4年に学習院大文学部を卒業後、山階鳥類研究所に研究者として約13年間勤務された。11月には鳥類図鑑に関する自らの研究成果をまとめた「ジョン・グールド鳥類図譜総覧」を出版。盲導犬の普及活動など多くの公務に取り組まれた。趣味は日本舞踊。 ◇ 黒田慶樹さん 父の故慶次郎さんと母、寿美子さんの長男として昭和40年4月17日、誕生。東京都出身。学習院初等科、中等科、高等科を経て59年に学習院大法学部に入学し、ゼミは民法。63年に三井銀行(当時)に就職し、平成9年に東京都庁へ転職、今年4月から都市計画課の所属。紀宮さまの兄、秋篠宮さまとは初等科時代からの親友。趣味は車とカメラ。(産経新聞) - 11月16日やっとこの日になりましたね。黒田さん、お疲れ様です。
2005年11月15日
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今日中にやらなくてはならないことが、二つある。本当は、一つは昨日できるはずだった・・。でも、色々なことが重なってできなかった。どうしてもやらなくちゃ・・と思うと、体がワナワナする感じがする。このような「焦燥感」は久しぶり。大丈夫、もしもちゃんと仕上がらなくても、明日の午後がある。(明日の午前中は、某会議があるので)昨日も、ちょっと神経が疲れることがあったので、それが影響しているのではないかと思う。まあ、たまにはこんな緊張感や焦りもいいのかもしれない。とにかく、パソコントラブルがないことが大前提。頼むよ! パソコン君 (T人T) オネガイ!
2005年11月15日
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5歳の孫の発表会を見るために、早朝から出発。息子一家が住む町までは、自動車で二時間である。私たち祖父母と、私の両親(孫にとっては曾祖父母)と祖母の妹(私の妹)。私の住む場所は「晴天」だったが、途中から前方に暗雲が横たわり、やがて雪である。朝の電話でお嫁さんが「こっちは雪が降ってますよ」と言っていたのだが、それを聞いてもピンとこない妹や私の母などは「夏靴」を履いていて、「まさかこんなに降っているとは!!」。「だから、雪だって言ったでしょ」と口をとんがらせる私。(私はちゃんと冬の靴を履きました)雪の降らない地方に住んでいる人のために説明すると、雪が降る地方に住む人たちは、たとえパンプスであっても、冬には靴底が滑らないようになっている「冬靴」を履きます。いくら雪に慣れていても、夏靴では雪の路面は歩けません。孫の幼稚園は、過疎地のために園児も少なくて、その分出番の多いこと。どの子もみんな生き生きと楽しそうで、もちろん我孫も何度も大活躍。昨日の広木先生の講演会で、都会の幼稚園のマンモス化についても触れていましたが、ここはその対極の幼児教育がされていると思った。園内に掲示されている行事の写真を見ると、地元の小学校・中学校・高校とのさまざまな交流や、老人ホームや町の行事などの参加など、地域の様々な人たちに子ども達が愛されていることがよくわかる。過疎地では子どもの数が減少しているから、子どもの元気な歓声や笑顔が、大人たちの正真正銘の宝物になる。息子が「農業」を職業として選んだこと、そして縁あってこの町で期待され愛されて働いていること、そんな環境の中でのびのびと元気に育っていること、今の時代を考えると、ありがたくて嬉しくて・・。でも、そんな町にも、都会の価値観や習慣は忍び寄っているようだ。幼児期からビデオなどを使った「通信教育」をしている友達もいるようだし、習い事や塾などに通う子だって多いようだ。これから孫達は、どのように成長してゆくのだろう。
2005年11月13日
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午後からは、学校の先生達がメインの研究集会に参加。私は不登校などに関する分科会に出席。色々と考えることや感想もあるが、ここでは省略。終了後、札幌市で開催された「広木克行講演会」に直行。広木先生について詳しい情報がないかとネットで探したが、膨大な講演をなさっている方なのに、詳しい情報は思ったより少ない。子どもの危機は社会の危機長年、教育カウンセリングの現場で子どもや親の話を聞き続け、それを軸に研究も続けてきた人の言葉は、本当に説得力があった。「子どもの危機は社会の危機」とは、真実だと思う。お話は、一つ一つとても説得力があり、色々なことが「目から鱗」のような気がした。その中で印象に残り、今現在子育てをしている人たちにも参考になると思うことを、少し書いておこう。様々な「子どもの事件」からの教訓として、先生は色々な方向からお話をして下さった。それは、子どもの事件が起こるべくして起きる背景とも言えるだろう。現在、保育園や学校内で「キレル子」「攻撃性のある子」「抑うつ状態の子」が増えているという。そのデーターを聞いて、本当に驚いた。私のメモ程度の数字をここに書くのは不安なのでやめておくが、想像以上の数字であった。それらをふまえて、次のようなことを指摘された。○孤立の危うさ 現代は、親、子ども、教師、それぞれに孤立していることが多い。 その孤立が重なった時に、何かが引き金になると・・。○競争の低年齢化 現在の「教育改革」をリードしているのは経済界であり、教育学者や児童心理学者ではない。 経済の「競争原理」が教育や養育・保育に強く反映されている。 習熟度別教育が必ずしも子ども達の学力を高めることにはならないことや、「大人の安心のための早期教育」などの弊害などの話を聞き、特に幼児期の過剰な「学習」などがどのような影響を子どもに与えるかを、もっと真剣に考えなくてはならないと痛感した。 全世界どこでも、子どもの教育は「6歳前後」から始まるという人間の歴史の中での経験知を、もっと大切にしなくてはならないだろう。 乳幼児期の子どもに特に必要なのは、五感を十分に働かせて、色々な人との関わりの「体験」なのだ。 ○落差に気付く大切さ 子どもが「家庭での顔」と「学校での顔」が違うことはよくある。 その落差(違い)がどのような形で現われているかがヒントである。 家では甘えん坊で多少だらしが無くても、外に出たらしっかりしているというのは「プラスの落差」で、心配は無い。 しかし、家庭内や教師の前では「おとなしくていい子」なのに、友達の中では暴言を吐いたりワルであつたりするという落差は要注意。こんなことを書いていたらきりが無いのだが、最後に、子育てをする上で必要なこととして○子どもは三つの関係の中で育てよう ・垂直の関係・・親と子 ・斜めの関係・・親の友達と子どもなど ・横の関係・・子ども同士、友達関係○子育てとは子どもの心を育てること 心が育つということは「関係が育つ」こと。 「体が育つ→心が育つ→知識が育つ」というプロセスを大切に。子どもの問題の背景には、必ず大人の問題があるとはいつも思うことだ。それは、社会環境、自然環境、家庭環境、教育環境(保育園、幼稚園、学校)などとても幅広く、とても一つ二つの理論や仮説を使ってでは説明ができないことではないかとも。しかし、それに呆然として立ち尽くしているのでは、これから育ってゆく子ども達を守ることはできない。広い視野に立って、自分のできることに少しずつでも手をつけるしかない。とにかく、経済学での競争原理で教育を考えたり利用することだけはやめてほしい。本当に子どもの育ちに大切なことを、特に親は真剣に考えなくては、「子どものため」と思いながら、子どもを追い詰めているということになりかねない。それでは、あまりにも悲しすぎるできないか。
2005年11月12日
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私は長年、NHKの朝ドラを時計代わりに見ている。前回の「ファイト」は、それなりに毎日楽しめたと思う。しかし、今放送中の「風のハルカ」には、疑問符や違和感の連続で、全く楽しめない。なら、見なきゃいいだろうと言われそうだが、今では、「今日はどんなところにイライラするか」と変な期待をしたりして・・。こんな気持ちを抱くのは、私が天邪鬼なせいなのか?どこに違和感を覚えるかって?まず、夫婦に関して。・十年間も別れた夫から届く野菜を受け取りながら、返事も出さない元妻。 返事がこないのにも関わらず、送り続ける元夫。・10年前に別れた元妻のところに、たとえ娘がいようと泊まる元夫。親子に関して。・娘のことを愛していながら、10年間も娘に会いに行こうとしなかった母。・長年別れていた娘と同居しようとしていながら、同居中の恋人を「ホテルでの時間稼ぎ」で何とかしようとした母親。ハルカと正巳に関して。・幼馴染とはいえ、ここまで友達に自分のデートについて頼る男。・なさけないとは思いつつ、そんなボーイフレンドの世話をやくハルカ。まるでマンガである。マンガならマンガでもいいのだが、こんな状況が現実に違和感無く展開しているとしたならと思うと、頭を抱えてしまう。私は、昨日の『ALWAYS 三丁目の夕日』のように、それが「フィクションである」とはっきりわかるドラマなら、それでもいいと思う。しかし、「現実にこのようなことがあるかも」と思うドラマでは、もっとケジメをつけた描き方をしてほしい。「こんなこともあるかもしれないけれど、これは人としておかしい」というメッセージが欲しい。私はこのドラマを見ている限り、そんなメッセージを受け取れないから苛立っている。「ダメなやつだが愛すべき人間」という妙な物分りのよさが、「こうあってもいいんだ・・」という甘さをどんどん強化するような気がする。ドラマの中では、私の苛立ちを唯一表現しているのが宮崎美子演じる、ハルカのおばさん。しかし、このドラマの中では「口うるさいおばさん」となっていて、ちょっと気の毒。現代では、私のこのような苛立ちは「古くさい時代遅れのぼやき」なのだろうか。
2005年11月11日
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午前中は、乳幼児健診会場でのボランティア。いつものことながら、赤ちゃんと触れ合うことはとても楽しい。ちょうど人見知りの時期に入っている月例なので、お母さんにしがみついて離れない子も多い。その反面「うちの子、人見知りしないんですー」という母親も。この世に生まれて一年にも満たないのだが、赤ちゃんはみんな、個性の芽生えが顕著だ。この赤ちゃん達すべてが、幸せに生きて欲しいと願わずにはいられない。でも、それぞれの家庭環境や親との関係で、多分、目には見えないストレスや悩みの中で育っている子も多いことだろう。この瞬間、その子が見せてくれる笑顔が希望である。ボランティアが終わったその足で、映画館に向う。本日はレディースディなので、その時間で見ることのできる映画をチョイスしておいた。小春日和なので、自転車を急いでこげば上映時間に間に合う。映画は『ALWAYS 三丁目の夕日』新聞で「昭和三十年代が舞台」と書かれていたし、配役を見て「見てみようかなー」と思った映画。それに惹かれる人が多いのか、はたまた公開から日が経っていないせいか、今までで一番人が入っていたような気がする。さて、感想だが・・。昭和33年に、私は8歳。確かに懐かしい感じはする。テレビが家に来る時の興奮や、初めて冷蔵庫や洗濯機が家庭に登場したときの感激。色々なことが懐かしく思い出される部分も確かにあったが、残念ながらこの私は、同じ年代に生きてはいても、北海道の田舎で暮らしていたため、都会の雰囲気は全く知らない。何せ、一年に一度くらい、札幌に連れて行ってもらってラーメンを食べることが、唯一「都会との出会い」だったから。だから、「ああ、東京はこんな感じだったんだろうな」と思うことの方が多かった。しかし、「この時代は、未来に希望を抱いて生きていたんだな」ということに、何だか切なくなってしまった。そして私は、50年後をどのようにイメージしていたのだろうかと思った。私は、8歳の頃には何も考えていなかったような気がするが、小学校の卒業文集で「将来の夢」を書いた頃には、自立して(自分で働いて)生きるカッコいい女性、を理想としていたように思う。なぜか、「お嫁さん」や「お母さん」は、全く想定外だった。そう感じさせる何かが、その時代や我家の雰囲気にあったのかもしれない。きっと、「女でも自由に生きることができる時代」を予想させていたのだろう。この映画でも、その片鱗があるように感じた。集団就職で、たとえ「口減らし」の要素があっても、中卒で社会に出た若者達は、男女を問わず「自立」を目指していただろう。それを引き受けた事業主達も、そんな若者を労働力として使いながらも、育てる役割を自覚していただろう。そしてまた、「縁もゆかりもない者」であっても、困っている子(人)がいたら、自分のできる範囲であっても面倒を見てやらなくちゃという気持ちが、今よりはずっと強かったのだろう。現代ならば、「この場合は児童相談所だ」なんて、すんなりと送られるのがご近所としては最良の方法と誰もが信じて疑わないだろう。まあ、私はその時代に大人として生きてはいないから、全ては想像によるものだけれど・・。しかし、たとえそうであったとしても、「昔は良かったね」なんてことじゃすまない現実があることを忘れてはいけない。あの時代よりは格段に便利になり、社会システムも整ってはいるが、人が人として幸せであるためには、人のつながりが不可欠だ。映画の登場人物たちの、その後の人生が知りたいな・・。【追記】上記の日記を書いてから、同じ楽天日記でこの映画の感想をいくつか読んだ。すると、「感動」「号泣」「涙ぽろぽろ」などが多く、私の日記を読み返すと「涙の気配もない」ということに気付いた。そういえば、私の後方に座っていた人たちもすすり泣いていたっけ。つくづく私は、映画で泣かない人だと痛感。でも、ホロリとする場面は、もちろん盛りだくさんだったのですよ。色々な意味で楽しめる映画だと思います。この映画で泣く人が多いことは、未来への希望かもしれません。
2005年11月10日
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今朝、新聞でこのニュースを読んでからずっと心が重い。この日記に書くのもどうしようかと迷ったけれど、ネットで検索したら、一番詳しく報じているのが下記だった。焼却炉内に2遺体:1人は80歳男性 自殺の可能性いくつか検索されたけれど、すでに削除されているものも多かったので、念のためにコピーしておく。 福井県大野市七板の旧火葬場の焼却炉内で7日、白骨化した2人の焼死体が見つかった。県警大野署の調べで、歯の治療痕などから1人は近くに住む無職の男性(80)と断定。もう1人は行方不明になっている男性の妻(82)とみて身元の確認を急いでいるが、同署は状況から自殺とみている。 調べでは、7日午後2時ごろ、近所の人が、火葬場横に、エンジンがかかったままでクラシック音楽が流れている無人の乗用車が止まっているのを不審に思い同署に通報。駆けつけた署員が焼死体を発見した。 車は男性の所有で、車内にあったガソリンスタンドの給油伝票7枚の裏面には、親族への思いのほか、「午後8時ごろ、妻とともに家を出る。火葬場で1時間待つ。炭、たきぎの準備をする」などと書かれていた。また、男性の自宅からは日記帳も見つかり、11月7日の欄には「午前0時40分ごろ点火する」などの記述があった。 さらに8日になって、男性から同市役所に郵送の手紙が届き、中には「遺産はすべて市に寄付します」などと書かれていたという。同署はこれらの状況から、7日ごろ、自ら火をつけて自殺を図った可能性が高いとみている。 近所の人によると、男性は妻と2人暮らし。子どもはおらず、妻が数年前から糖尿病を患い足が不自由だが、男性が一人で介護を続けていた。旧火葬場は平屋のブロック造り。地区の共同墓地近くにあり、30年ほど前まで地区住民が使っていたが、現在は使われていないという。【大久保陽一】(毎日新聞 2005年11月9日 11時02分)私は、朝刊を読む時に真っ先に見るのが「お悔やみ欄」である。知り合いで不幸がないかどうかを確認をしてから、ざーっと亡くなられた人の年齢を見る。60代~70代なら、もう少し生きたかっただろうなと思う。50代までなら、「どうしたのだろうか?」と思う。病気、事故、それとも・・とつい考えるし、「葬儀はすでに終了しました」などや、喪主が兄弟姉妹だったり、子どもだったり、あるいは親なら、とても寂しい気持ちになる。もしも20歳以下、それも思春期の年齢なら、胸苦しくなる。だから、80歳以上だったなら、それなりに人生を全うされたのだろうと思っていた。しかし80歳以上でも、こんなに悲しい死がある。人間は必ず死ぬのだけれど、どんな死であっても本人にとっては、現世との永遠の別れだ。基本的に死ぬ時は「一人で逝く」ものだから、二人で共に逝くのも一つの形だとは思う。ご本人達がそれを望んだのだから、仕方ないとも思う。しかし、そんな死に方を望まなければならなかったということが、とても悲しく辛い。お二人の、ご冥福をお祈りします。
2005年11月09日
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行政サイドから、「特別支援教育講演会」の案内状が届いた。これまでの特殊教育対象の障害だけでなく、LD(Learning Disabilities 学習障害)やADHD(attention-deficit hyperactivity disorder 注意欠陥多動障害)、高機能自閉症などの子どもたちに、適切な教育や指導を行う一環としての講演会らしい。案内状では参加対象が明記されていないが、私などに案内が来るのだから、多分これらのことについて一般市民への理解を深めるための講演会だろう。副題に「保護者・学校・教育行政の連携のありかた」と書かれている。大切なことだし、せっかくのご案内だから参加しようと思っている。しかし、だ。何だか心がスカスカする。これはきっと、文科省からの通達かなんかで、地方の教育委員会などでも取り組まなくてはならず、多分少しの予算消化で実施のアリバイ作りをしなくてはならないんだろう。自分でも随分いやな見方をすると感じるが、当たらずとも遠からじじゃないだろうか。そう思って、ネット検索したら下記のものがあった。特別支援教育について(文部科学省特別支援教育課HP)「特別支援教育」という言葉は時々色々な場面で見聞きしていたが、正直なところ特別の関心を持って調べたことはなかった。上記のHPから少し見てみると、「特別支援教育推進体制モデル事業」が平成15年から始まっているようだ。まあ、私は教育行政に携わる人間ではないので、詳しいことは専門家にお任せしよう。しかし、特別支援教育の重要性が問われている時に、北海道は特殊学級専門教員養成を休止するという。(11月5日の日記)どうも、やっていることの辻褄が合わないんじゃないか?学校や保護者・地域の連携ももちろん大切だけれど、学校内での連携はもっと重要だと思うが、そっちもキチンとやって欲しいと願う。学校の教職員が、これらの軽度の障害について理解を深めることで、子どもが過度に傷つき、追い詰められることも少なくなるのではないか。「変わった子」といわれ、友達からも教師からも、時には家族からも疎外され、そのストレスの適切な発散手段もわからず、心が壊れていく悲劇があちこちで起きているように感じる。(今話題になっているタリウム事件もそうではないだろうか)このように障害について理解するということは、講演などで一般論を聞くこともいいけれど、一人一人の子どもを注意深く見守ることが何より大切だと思うのだが・・。今の学校には、そんなゆとりはあまり無いように感じる。そんなことを考えていたら、どうにも心が重たくなってしまう。
2005年11月08日
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「オウムをやめた私たち」カナリアの会/編先週、図書館で借りてきた本である。夜中に目が覚めて、睡眠薬代わりに読み始めた本。ついつい読んでしまったので、睡眠薬の役割は全く果たしてくれなかった。カナリアの会は、オウム真理教を脱会した元出家者たちの会である。オウム真理教による地下鉄サリン事件は、日本中を震撼させた。それがオウム真理教の信者達によるものだと知った時から、私はカルトというものを真面目に考えるようになったような気がする。あの時、多くの人が驚いたのは、高学歴の優秀な人たちが沢山出家していて、サリン製造やオウム真理教が関与する殺人事件に加担していたことだった。というより、あの胡散臭いおじさんにしか見えない「麻原 彰晃(松本 智津夫)」に、どうして簡単に引き寄せられ、かつ無批判に信じてしまったのかということだった。地下鉄サリン事件の実行犯・林 郁夫が自白し、次々と幹部たちの関与が明らかになっていった時、私は「これで信者達も目が覚めるだろう」と思ったものだったが、どっこいそう簡単なものではないようで、その後もオウム真理教から「アーレフ」と名前を変えて宗教活動をしている。私には、引き続きその宗教団体に所属し続ける人の気持ちが、想像できるようでやっぱり理解できないというのが正直な気持ちだった。林郁夫の手記「オウムと私」を何年か前に読んだが、こんなに真面目で純粋で「良い人」だからこそ、落とし穴にはまったんだろうというような感想は抱いたような気がするが、それでも「どうして?」という気持ちはぬぐえなかったと思う。さて、今回のこの本は、元信者達の手記や座談会の記録である。最初に少し驚いたのは、オウム真理教の事件への関与が明らかになってからも出家した人たちがいたということだった。行き場を失った信者達が居残るのならまだ理解できるが、どうしてあのような事件を起こすことが可能となった宗教団体に惹かれてゆくのか。読んでいくうちに、私なりに次のように理解した。多くの若者達が抱く「空虚感」や、人間同士の交流の薄さによる疎外感という「穴」にするりと忍び込み、はっきりとした達成目標を提示し、それをクリアーするという達成感の喜び(快感?)と、それによりステージがあがってゆくと、自分のためだけではなく、他の人たちを救うことにもなるという目標設定に夢を抱いたからだろうと。「カナリア会」の発足からずつと関わってきている弁護士の滝本太郎氏が、「あとがき」で次のように書いている。破壊的カルトは、どの団体であっても「何のために生きるか」という人間の究極の目的を明示してくれる。一般の宗教団体や政治団体とも異なり、考えるな、この本だけ読めとも言ってくれる。宗教的団体であれば、激しい呼吸法や極度の疲労、暗黒の小部屋などを使って神秘体験まで得られる。社会的体験が少なく、人との深い交流体験が少ない若い人達は、「究極の目的を明示」して、「神秘体験」というそれまで未経験の激烈な体験をしたら、それまでの自分の人生がとても味気ないものに感じてしまうのだろう。親身に相談に乗ってくれて、的確に感じるアドバイスをしてくれる人がいたら、その人を信頼して付いて行ってしまうのだろう。自分が今まで知らなかった世界こそ、きっと素晴らしい世界だと幻想を抱くのだろう。だって、それまでの生活は、あまりにも感動に乏しく湧き上がる疑問には答えてもくれない、つまらないことばかりだったのだろうから・・。そんなことを思ったり感じたりしながら読んでゆくと、それぞれがオウム真理教に惹かれていった心理状態が理解できるような気がした。そして、「脱会」することになったプロセスもまた、彼らの真面目さがそうさせていると思う。彼らは、真剣に自分のことを案じてくれる人たちに出会い、きちんと論理的にオウム真理教の宗教として変なところを指摘され、自分の頭で考え悩みながら、「これは違う」と気が付いた人たちだ。きっと、末端の信者達の多くは、そのような善良で真面目な人達なのだろうと思う。ことは、オウム真理教だけの問題ではないと強く思う。今の日本には、このような若者達が大多数を占めていると考えた方が良いのではないだろうか。小泉首相を支持した「無党派層」の多くは、若者である。明確な言葉で、頼もしいスローガンを掲げて、「これが改革だ!」と示されたら、現在の生活に閉塞感を覚え、未来に対する不安を感じる人たちが、頼もしく見えるリーダーをドーッと支持してしまうこの状況。私には、カルト的宗教になびく人たちの姿と重なって見えてしまう。
2005年11月07日
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北海道は、深刻な財政危機を打破するために、様々な事業や人件費削減案を打ち出している。先日から話題になっている下記のニュースもその一つ。職員月給1割カットを提案 全職員対象は全国初 北海道私は、この危機的な状況を突破するためには、道民各分野が多少の痛みを引き受けなくてはならないだろうと思っている。道職員の賃金カットも、その減額の割合の是非についてはともかく、基本的に賛成である。しかし「経費削減」が必要で可能なものと、何があっても削ってはいけないものがあるだろう。今朝の北海道新聞の記事を読み、「これはないだろう!?」と思った。記事を検索したが見つからないので、とりあえずかいつまんで・・。財政再建、削減方針で道が特殊学級教員養成休止 障害者団体異議 「特殊学級専門教員養成事業」とは、現役教員6人程度を道教育大学に一年間派遣して、通常の養護学校教員免許より専門的な一種免許か専修免許を取得させる内容、ということだ。つまり、特殊学級の教育レベル向上をめざすもので、今年度の事業費は875万円だという。どうして、こんなところを削るのか。いや、削るどころではない、「休止」なのだ。(一旦予算書から消えた事業が復活する可能性は、このご時世高いとは言えないだろう)ハンディを持った子ども達の教育を軽んじている証拠といえる。同じ記事で、「来年度以降『道障害者会議』も休止する方針」とも報じている。こちらの予算は、120万円だ。障害を持つ人たちが、公のテーブルで直接意見を言える場は、本当に少ない。その貴重な場を切り捨てるということは、弱者切捨て以外の何であろう。少子化対策や子育て支援も結構だけれど、今現在、本当に支援が必要で辛い思いをしている人たちのことを忘れてはいけない。経費の切りつめまでは許そう。しかし、「廃止」をしてはいけない。二つの事業合わせても1000万円。もっと削っても良い無駄遣いはあるだろうに。【補記】トランキさんのコメントで、新聞記事の全文をご紹介した方が明確になると思うので、下記に転記します。ネット検索しても、このことについては詳細がわからないのです。頼りは「北海道新聞11月5日の下記の記事」のみ。専門の教員 道が養成休止 特殊学級 生徒ら増加、指導者必要なのに・・ 緊縮財政の犠牲-障害者団体反発 財政難に直面する道の事業削減方針を踏まえ、道教委は来年度から、障害のある子どもが通う特殊学級の専門教員養成事業を休止する方針だ。 情緒障害児などの増加で特殊学級に通う児童・生徒は年々増えており、現場で指導的役割を果たす専門教員の必要性は高まる一方。 障害者団体や現役職員は「他に削れる予算があるはず。道の財政再建は弱者に冷たい」と意義を唱えている。 「リーダー的な専門教員こそ、現場で求められている。学ぶ意欲を持った先生も多いのに、どうして打ち切るのか」。道東地方の小学校で特殊学級を担当する教員は、事業の休止方針に憤慨する。 事業は、現役教員6人程度を道教育大に一年間派遣し、通常の養護学校教諭免許(二種)より専門的な一種免許か専修免許を取得させる内容。特殊学級の教育レベル向上を目指し、道が1972年から単独事業として開始、これまで約360人が研修を受けた。2005年度の予算は875万円。 道教委によると、道内の小中学校に設置されている特殊学級に通う児童・生徒数は、今年度5月現在5,114人で、五年前と比べて1.4倍に増えた。背景には、親の意識変化により、従来通常学級に通っていた情緒障害児を特殊学級に通わせるようになった事情などがあるという。 一方、道内の特殊学級を担当する教員の中で、養護学校免許など特殊教育免許の保有率は、小学校で44%、中学校で37%にとどまっており、専門教員の配置を拡大して欲しいという要望は強まっているのが現状だ。 道教委には、通常の養護学校教諭免許(二種)の養成事業もあるが、来年度以降拡充する方針はないという。 道教委職員課は、「専門教員の必要性が高いのは理解している」としながらも、「道の厳しい財政状況から、やむを得ない」と説明する。 これに対し、知的障害者の福祉向上をめざす「北海道手をつなぐ育成会」の西川勉事務局長は、「学習障害などの子が増える中で、専門教員の必要性は増している。事業休止で親たちの不安が募るだろう」と懸念。 札幌自閉症児者親の会「ぽぷら会」の野原安雄事務局長も、「今でさえ養護学校教諭免許の保有率が低く、不十分な状態。他事業よりも優先させるべきだ」と注文する。 教員の研修を受け入れている道教育大旭川校の古川宇一教授(障害児教育)は、「事業廃止は現場のニーズに逆行している。財政難は理解するが、教育の充実は金がないから削るということでは困る」と話している。 道は、来年度以降、「道障害者会議」(本年度予算120万円)も休止する方針だ。 96年から年3回程度開催され、障害者の委員が道の施策に対して直接意見や提言を行う場だった。 ある障害者団体幹部は、予算規模が小さい両事業を休止することに対し、「道が障害者施策を重視していない姿勢を感じる。国の施策と同様、弱者切捨ての傾向が強まっているのか」と不安を訴えている。
2005年11月05日
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毎朝、パソコンチェックが日課になっている。自分が関わっているサイトを確認し、コメントがあればお返事。メールには、可能な限り返信する。その後、リンクしているサイトをできるだけザーッと斜め読み。そんなことをしながら、楽天日記に書くネタを探していたりもする。しかし、リンクしていても全部を見る時間はなく、時々見るものだってもちろんある。今日は、数日振りに「天木直人メディアを創る」を読んだ。そして、「ホントか?」と思ったので、他の人にも読んでいただきたくて転載する。11月3日の「米国CIAの活動を国際社会は放置しておいてよいのか」の、特に下記の二つの記事。 「全貌が知らされていない米軍再編合意」 一体どこまで日本政府は国民を欺こうとしているのか。11月3日の読売新聞が大きなスクープを放った。米軍再編に関する日米交渉の過程で、沖縄海兵隊のグアム移転費用3200億円を米側が日本側に要求し、日本側がこれを前向きに検討することを伝えていたというのだ。 米軍再編合意の報道では、海兵隊7000人が沖縄から撤退することばかりが強調されている。しかしその実態は米国が「米国が単独で行うと20年かかるが、日本が支援してくれれば6年程度で完了できる」と財政負担を求め、小泉首相も「米国に任せていては、なかなか進まないだろう」と周辺に語ってこれを認めているのだ。 中間報告の文言のなかで、「日本政府はグアム移転を実現可能とするための適切な資金的その他の措置の検討を行う」という箇所がある。これは要するに、日本側が経費を負担までして、しかも今すぐにではなくどんなに早くとも6年もかけて、どうぞ海兵隊さん沖縄から出て行ってください、とお願いしているようなものである。これでは、米国はおんぶに抱っこではないか。 そういえばこれに似た事が70年代初めの沖縄返還合意の舞台裏でもなされていた。米国の負担で行われるはずの返還後の沖縄の原状回復経費約400万ドルが、実は日米間の密約により日本が負担することで合意されていたのだ。これをスクープした毎日新聞の西山記者は、外務省女性職員との「情を通じた」機密漏洩罪で逮捕され肝心の密約の存在の追及がぼかされてしまったのだ。 今回の米軍再編の合意の裏には、驚くような日本側の譲歩がもっともっと隠されているに違いない。そこまで国民を欺いて維持しなければならない日米軍事同盟とは何であろうか。実は日本政府も本当のところは答えられないのである。わからないのである。あるのは米国の要求には従わざるを得ないというあきらめである。仕方が無いという敗北主義である。↑については、政治の流れを見たらさもありなんとは思うが、日本はここまでアメリカに迎合しなくてはならないのかと、その数字に驚く。現憲法が占領軍アメリカからの押し付けと感じて反発している方たちは、今現在の押し付けに対してはどのような納得をされているのだろうか。沖縄海兵隊のグアム移転、米が3200億円の負担要請 (2005年11月3日3時1分 読売新聞)「米軍再編の中間報告は「妥当」であると言った前原代表」 11月3日の朝日新聞に一段の小さな記事を見つけた。民主党の前原代表は、2日党本部でニュージーランドのマッカーサー駐日大使と会談したらしい。その席で前原代表は、「普天間飛行場移設を含む在日米軍再編の「中間報告」について、「結論はおおむね妥当な面がある」と述べたというのだ。コンピューターの変換操作の過程で「打倒」という漢字が出てきたが、「打倒」ではなくて「妥当」なのだ。 この前原発言が事実であるならば民主党はその根本において自民党と同じことになる。前原氏はむしろ自民党小泉派に属したほうが彼の為にもよい。このような考え方を持っている前原氏は、政権交代などという夢想にこだわり民主党内の取りまとめに苦労するより、いっそ小泉内閣の防衛庁長官になって、その実力を発揮したほうがよい。それこそ小泉首相が連発してきた適材適所である。それにしてもこのような重要な発言は、ニュージーランド大使との会談の席で行うのでなく、公式な場で、あるいは国会の場で、国民の前で明確に発言して欲しかった。そしてメディアはこの考え方が果たして民主党の党是なのかどうか、今からでも遅くないから追及すべきだ。日米同盟がこれほどまでに進み、憲法改正議論が加速しつつある中で、民主党はこの安保問題に関する立場をいつまでも曖昧にしておくべきではない。それは国民に対する裏切りでもある。この人をトップとする民主党は、野党にはなりたくないのだろう。政権交代をめざすと言うよりは、連立政権をめざしているのかも。もちろん、民主党内には彼ら一派に抵抗する人たちもいるだろうが、そのような人たちはどうして民主党にいるのだろうか。政治家の考えることは、わかりやすいようではあるが共感できない。
2005年11月04日
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昨夜、札幌市教育文化会館での「松竹大歌舞伎」を観てきた。まだ歌舞伎を観たことがない夫も一緒。20代の初めの頃、誘われて初めて東京の歌舞伎座で歌舞伎を観た時、セリフなどはほとんどわからなかったと思うが、歌舞伎全体のかもし出す雰囲気に圧倒され、何よりも「女形」の美しさに衝撃を受けた。その時出演していたのが、まだ初々しい美少年ともいえる坂東玉三郎。以来、歌舞伎ファンとまでは言えないけれど、上京したときには足を運びたくなるのが歌舞伎であった。しかし、以前、やはり札幌での歌舞伎を観た時、正直言ってちょっと物足りなくて、今回が二度目である。今回の演目は(一)歌舞伎の見方(二)玩辞楼十二曲の内「土屋主税」(三)新歌舞伎十八番の内「鏡獅子」出演は中村 翫雀、中村 扇雀、中村 亀鶴 ほか である。昼の部の入りはどうだったのかわからないが、夜の部の一等席はガラガラと言って良い。 (私達は二階の一等席)やはり北海道では、歌舞伎は庶民のものではないのかもしれない。休憩時間に、同じ活動をしている仲間と会った。彼女は歌舞伎は初めてということで、「歌舞伎って、迫力あるんだねえ」と言っていた。「一生に一度は見なきゃと思って、思い切って特等席を買ったの」とも。北海道の地方都市に住んでいたら、「一生に一度」ということになる人も多いのだろう。私はその点では、とても恵まれているのだなあとあらためて思った。「そんなこと言わないで、今度歌舞伎座に行こうよ」と言う。今、ピカピカ輝いている歌舞伎役者たちや、女形の美しさや、早変わり、歌舞伎の極上のユーモアなどを、もっともっと味わって欲しいと思った。限られた時間では、歌舞伎の魅力の全体を見ることは無理。私だって、その一部しか見てはいないから、気軽に歌舞伎などを楽しめる場所に住んでいる人がとても羨ましい。これから是非見たいと思っているものに、「能」がある。二度ほど見たことはあるのだけれど、本物の能舞台で見たいというのが今の望みである。
2005年11月03日
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昨夜の9時頃、一本の電話が入った。「○○ですけど、みらいさんですか?」「えっ? ○○さんって・・???」(○○という苗字の人が複数チカチカする)「○○M子の母です。お久しぶりです」あっ!という感じであった。それは、25年以上も前に、障害幼児の療育関係の仕事をしていた頃に出会った人だった。私が思い浮かべられるM子ちゃんは、まだ愛らしい幼児姿である。出産後の事故で、軽い障害を持ったM子ちゃんだった。笑顔の優しい前向きなお母さんの姿が、すぐによみがえった。彼女が小学校に入る前に、私はその仕事を辞めた。だから、それ以来全く会っていない。当時は隣町に住んでいたけれど、風の噂で、随分前に私の住む町に転居したとは聞いたが、不思議なことに一度も会ったことがなかった。愛らしい幼児だったM子ちゃんは、すでに20代後半だという。軽い障害だったから、何とか小・中学校は普通学級で学んだけれど、障害の後遺症のようなものがあるため、学業についていくのにも大変な努力を重ね、その上にイジメなどの洗礼も続いていたようだ。体力的な問題があったので、通信制高校で卒業したという。後遺症の治療のための入院や手術も何度となくあり、「あの子は、普通の女の子が体験するような青春はなかったんです」と言葉を詰まらせた。私は現在、不登校・中退・ひきこもりなどのことに関わることをしているので、「普通の女の子の楽しい青春」というものは、従来の大人たちの幻想なのではないかと感じることが多いのだが、赤ちゃんの頃から、次々と押し寄せる波のような苦労を続けてきた娘を見ていると、「なんでこの子ばかり苦労するのか・・」と思うのも当然だろう。突然の電話の理由は、「同じ世代の友達との出会いの場がない娘に、どこか良い場所はないものだろうか」という相談の形をとっていた。断っておくが、私は成り行き上ボランティアで子どものことや前記のことのような活動に関わっているが、相談員でもないし、仕事としては何もしていない。だからきっと、まだ子どもの未来に希望を抱いて努力していた頃出会った私を思い出し、今までの苦労や、現在の悩みなどを話したいと思ったのではないだろうか。「あの頃は、もっともっと重度な障害を持つ他のお子さんを見て、娘はまだ幸せだと思っていたし、頑張ってリハビリをしたら・・と、希望を持ってました。でも、成長するにつれてこんなに色々なことが起きるなんて、想像もしなかった・・」そんなため息に、私は何を言えるだろう。「そうか・・、随分頑張ってきたんだね。M子ちゃんも、お母さんも、本当に偉かったね。そして、私なんかを思い出してくれて、本当にありがとう」そんな言葉を繰り返すしかなかった。近いうちに、私なりに情報を集めて3人で会うことにした。何となく、昨夜の電話がまた新しい何かと繋がる予感がしたりもする。25年ぶりの再会が、楽しみでもあり怖くもあり・・の私である。
2005年11月02日
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やっぱり、今日はこのことを少しは記録として書いておかなくちゃ・・。小泉内閣閣僚名簿(首相官邸サイト)記録のために転載しておく【内閣総理大臣】小泉 純一郎 衆院 神奈川11区 当選12回 【総務大臣・郵政民営化担当】 竹中 平蔵 参院 比例 当選1回 【法務大臣】 杉浦 正健 衆院 愛知12区 当選6回【外務大臣】 麻生 太郎 衆院 福岡8区 当選9回【財務大臣】 谷垣 禎一 衆院 京都5区 当選9回 【文部科学大臣、国民スポーツ担当】 小坂 憲次 衆院 長野1区 当選6回 【厚生労働大臣】 川崎 二郎 衆院 三重1区 当選8回 【農林水産大臣】 中川 昭一 衆院 北海道11区 当選8回 【経済産業大臣、国際博覧会担当】 二階 俊博 衆院 和歌山3区 当選8回 【国土交通大臣、首都機能移転担当、観光立国担当】 北側 一雄 衆院 大阪16区 当選6回 【環境大臣、内閣府特命担当大臣沖縄及び北方対策)地球環境問題担当】 小池 百合子 衆院 東京10区 当選5回 参院 1回 【内閣官房長官】 安倍 晋三 衆院 山口4区 当選5回 【国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)有事法制担当】 沓掛 哲男 参院 石川 当選4回 【防衛庁長官】 額賀 福志郎 衆院 茨城2区 当選8回 【内閣府特命担当大臣(金融経済財政政策)】 与謝野 馨 衆院 東京1区 当選9回 【内閣府特命担当大臣(規制改革)行政改革担当、構造改革特区・地域再生担当】 中馬 弘毅 衆院 大阪1区 当選9回 【内閣府特命担当大臣(科学技術政策 食品安全)情報通信技術(IT)担当】 松田 岩夫 参院 岐阜 当選2回 衆院3回 【内閣府特命担当大臣(少子化男女共同参画)】 猪口 邦子 衆院 比例(東京) 当選1回 【内閣官房副長官 政務】 長勢 甚遠 衆院 富山1区 当選6回 【内閣官房副長官 政務】 鈴木 政二 参院 愛知 当選2回 【内閣官房副長官 事務】二橋 正弘 【内閣法制局長官 】 阪田 雅裕 ついでにこちらも●自民党役員【幹事長】 武部 勤 【総務会長】 久間 章生 【政務調査会長】 中川 秀直 顔で判断してはいけないけれど、○○大臣の顔は好きではない。この人、この立場になっても靖国神社に参拝するのだろうか。自民党幹事長は、ご自分で「偉大なるイエスマン」と公言する方が再任。この内閣が、今後一年でどのような仕事をするのか、楽しみよりも不安の方が強い。政治は、私たち国民の安心を守るものであって欲しい。それが実感できたなら、黙っていても人は自分の国を愛するだろう。
2005年11月01日
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誰かを信頼したり尊敬したり、応援したくなる要因ってなんだろう。ある人の姿を見ながら、それを考えている。彼をとても優秀な人だとは、誰もが認めている。言っていることは正しいし、やっていることも間違ってはいない。とても純粋で、人柄も決して悪くはない。正直な一徹者と言えるかもしれない。頑固の部類には入ると思うが、全体的にはバランスがとれていて、わが国の首相よりはずっと柔軟だと思う。言葉や情報を論理的に駆使して持論を展開できるから、インテリの人達というか、研究者や各分野のオピニオンリーダー達には評価されているようだ。なのに、なぜだろう。仲間というべき人達、つまり所属する集団の人たちに味方が少ないのだ。彼をオピニオン・リーダーと思い尊敬する人たちには人気があるが、それは所属する集団以外の人ばかり・・。彼を応援する人たちは言う。「出る杭は打たれる」「彼の言うことを理解できる人が周囲にはいない」などなど・・。本当にそれだけなのだろうかと、私は考えてしまう。そして思うのだ。所属する集団の仲間に応援されなかったら、どんなに良いアイディアがあっても、実現することはとても大変だろう。彼はいつも、自分を支持してくれる人たちを頼りに行動している。それはそれで良いし、当然だと思う。しかし、一番身近な人たちに理解と協力をしてもらえるような努力も必要だろう。理解してくれないからといって腹を立て、「どうしてわからないのだ!」と、無理解を非難してはいけないだろう。私は少し距離を置きながら彼をずっと見ていて、最近そのようなことにやっと気付いた。いやずっと前から、もっと気配りをしたらいいのに・・とは思っていた。だが、「猪突猛進」で信じることに突き進むタイプの彼は、変な気配りをしないところが長所だとも思う。若い頃は、それでも良いのだし・・。しかし、年齢と共に自分が求めるものも高くなる。同時に、周囲の目もさらに厳しくなってくる。自分一人で完結する職人的な仕事ならば別だけれど、地域行政や住民活動では、所属集団から浮いていては致命的だ。彼の理論を実践的にフォローする仲間の信頼を得なければ、身動き取れなくなるのが見えている。私はその人が嫌いではないし、彼の熱意や知識や努力を尊敬している。ただ、なぜか彼と話していると、自分がおバカに感る時があるのだ。しかし、本人には人をバカにしている意識は全くない。勝手にこちらが、コンプレックスを刺激されるような感じだ。尊敬しながらもつい距離を置いてしまうようなタイプの人って、この日記をご覧になっている皆さんの身近にはいらっしゃいませんか?
2005年11月01日
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