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学会という場での初めての発表に向け、パワーポイントと映画で準備をするも、与えられた機会は「パネルセクション」、、 持ってきた前回コスタリカでの文化会議で使用したMarioのバーナーを急遽無理やり設置して対応。メキシコ人の心友の体験談も交えた発表は、日本を土台とした内容からグッと親近感を持たれ、キューバの多くの教員の方々の心を捉えたようです。その反響から翌日に別の会場で映像を交えた発表の場を頂きました。 スペインから訪れているグループの発表や、トルコからの教育団体の方々との交流はトテモ勉強になり、通訳者が現れなかったので心友が英語通訳サポートも勤め、フランス語も堪能な彼女の頼もしい姿を目の当たりにすることができました。今回はシミジミ語学を再度煮詰めなければ..と思う機会が多々ありました。イギリスやカナダの素敵な先生方と接するも、語学力不足で会話を深めることができなかったのが残念です。語学の大切さをあらためて思い知りました。参加者は皆、教育関係者。皆さんが世の中を良くしようと模索している方ばかりなので、熱い討論や発表に興奮。昨日は予定外の思わぬ大きな出費に戸惑いましたが、このような有意義な機会に参加させて頂けることに感謝。 国際教育会議が世界的にそういうものなのか、「キューバだからこそ」なのかは未確認ですが、、教育にまつわる機会だからこそ、ビジネス的すぎる対応には正直、複雑な心境になります。 今回は特に教育に最大の力を注いだフィデルカストロ氏の追悼の意が深く込められていました。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2017.01.31
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出発前のヤリトリでいまひとつハッキリできなかった事の数々、、費用、滞在ビザ、そして具体的な発表における詳細 etc.. ハッキリさせるためにメキシコから電話を何度もかけ莫大な電話賃を支払ったという参加者の声を小耳にはさみつつ、、ハッキリすることのないまま本番直前、思わぬ出費にショックを受ける、、という御馴染みのパターン。早朝8時より調整のため会場と宿泊先を往復するも手続きが滞り、この日に出席者パスを取得するには至らず、、初日のオープンセレモニーに出席できませんでした。会場は宿泊先から通常タクシーで10CUCという遠い場所にあり、この日だけで3往復30CUC、、メキシコ通貨で750ペソに至る大損害、、キューバではウッカリすると思わぬ大出費を重ねることになります。帰り道に心友と別の交通機関を模索、素朴な市民の足、市バスで1Nacional(Mexico1ペソ)で通えることを発見しました。タクシーで20分が1時間がかりとなりますが、節約あるのみ。 このユックリなバスの旅が実に有意義でした。キューバならではの皆様と交流、今日も早速ジャズギタリストとダンサーリカルドさんと交流。リカルドさんは滞在中に心友のキューバ御案内役になって下さいました。本当に良い方との出会いはローカルな場所に溢れています。早速Habana Vieja ハバナ旧市街を心友を連れて歩き、御馴染みSoda Obispo アイスクリーム屋さんへ。心友はココアイスに惚れ込んだ模様です。1回目のキューバで悲しみに沈んだ際にキューバの方にココアイスを御馳走して頂き、励ましてもらった話を心友にしながら、再び同じような状況にある3度目のキューバの始まりに苦笑・・ 画家のアンドレスさんとも再会できました。アルマス広場の大衆食堂でコングリという小豆米とハンバーグ&サラダセットで元気復活、厳しいスタートを乗り切る決意を二人で固めました。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharang
2017.01.30
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最終公演を終え、国際教育会議に出席するためキューバへ即出発、、という無理やりな状況に、過労で体調が優れず1日吐き続けていて、正直キャンセルしようかと思うほどだったのですが、直前に何とか持ち直し飛行場に向かうことができました。この日のタクシーの運転手さんはトテモ素敵な方で、タクシー車内の忘れもの(携帯、財布 etc )を御客様にお返しすることに懸命な物語を聞かせて頂いて感動。このような非常に貴重な良心の方は心から応援したいと思います。お蔭で飛行場までに疲れも一気に快復できました。今回はメキシコの心友ジャエルさんと共に飛行。誰かと共に旅に出るのは修学旅行、もしくは合宿以来といっても過言でないほど・・気さくな彼女との旅は出発から面白おかしく、それぞれのマイペースを尊重できました。機内でも敢えて隣に座らず窓際に前後で座り、それぞれの席で交流の和を広げていて気が付いたのですが、多くの方が同じ国際教育会議に参加するために渡航していました。 以前にも増して観光客が殺到しているキューバの飛行場で、荷物の受け取りにカナリ時間がかかりましたが、飛行場で荷物を待っている間に国際教育会議に参加するメンバーで既に大きな和ができ、陽気なメキシコの地方の方が民族楽器を取り出し歌い始め、笑いの絶えない仲間との出会いに興奮、これは特別な機会になること間違いなし、ますます今後の展開が楽しみです。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2017.01.29
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前日のリハーサルにラジオ局 IMER の方が取材に来てくださり舞台物語を御報告、テレビ局 Canal 14 の方が迎えに来てくださりスタジオライブと共に公演の詳細を御報告、直前の広報が非常に良い波紋が広がったので少し安心しつつ、、何より気になるのは照明と映像に振付を未だキッチリ合わせることができていない..という不安。初めて仕事をする音響、照明の方にタイミングを理解してもらうのは非常に難しく、いつもぶっつけ本番になってしまう・・この流れは最後まで変えることは出来ず・・ 今回は特にバラの花を大量に調達することができ、ピナバウシュ的な素敵なステージとなり、本番当日の12時よりリハーサルで少しずつ合わせてみると、担当者も直前にスイッチが入ったようで何とか全ての調整を終えることができました。ところがリハーサルを重ねてきた舞台アシスタントのスタッフが、何故かメインの方以外、誰も現れず・・ 6人がかりで進めてきたものを音響一人、映像一人、御客様を迎えるスタッフは誰もいない・・ 一瞬にして施設の方が消えてしまったような.. 始まる直前の出来事なので精神的に滅入りますが、自分で何とかするしかない。事前にわかっていれば助けを求めることもできたのですが・・6時頃から御客様が訪れはじめ、8時ほぼ満席という予想以上の盛況。やること全てを行なってきた成果・・ところが御来賓が全く訪れる気配がなく、大使館の皆様のお席が空席。確認するまで始めることができないので、調べに走るとアルゼンチン大使館の文化担当官がトボトボと・・歩いてこられ、なんと「扉が閉められ入れてもらえなかった」とのこと、、メディアの方々と大使館を中心に警備の方が締め出しを行なっていた模様・・ハッキリした事情はわかりませんが・・お給料などをあげるために、こういった機会を利用するケースがある模様とのことを耳にしました。よりによってこんな時に.. 複雑な事情が重なってしまったようです。開始時間を30分おしで本番ギリギリまで走りまわって対応。プログラムも全く足りておらず、、次々とショックな事が重なっていく中、着替えることもなく対応に追われるばかり。黙々と走り回っている中、ブエノスアイレスから偶然おとずれていた親しい方が現れ、親しい友人が現れ、彼等の笑顔に支えられました。会場スタッフと思われ、あらゆる要望、苦情にも対応、プログラムが足りない、座る席がない、、etc ようやく大使館の皆様が揃ったところで、着替えのために後方に戻り、音響担当者と最後の確認で、満席の客席と共に見える光輝く舞台を見た瞬間、全てを忘れることができました。最期の舞台・・に何とか辿り着くことができ、後はシッカリと終えるだけ・・こうして終えることができた舞台は、Jornada新聞の記者の方がトテモ素敵なコメントを残して下さり、文化施設も多くの写真を掲載して下さり、無事メキシコで最後の歴史を刻むことができたような・・厳しいことも含め全てが物語のひとつ、と今は思います。La Jornada新聞http://www.jornada.unam.mx/ultimas/2017/01/26/danza-del-colibri-libertad-creatividad-y-honestidad最期の「鹿の踊り」の登場、コーラスグループの参加に至る場面に至るまで、御客様の感想も含め、全ては映像に記録できたので、門を閉められてしまい多くの方が入場できなかった事を後から聞いたので、映像で御覧頂けるように編集をできれば・・とお詫びの夢。45年の夢、おつかれさまでした。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2017.01.25
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後3日で最終公演。本日、照明と映像、音響の設置と調整を行いました。明日全てを同時に動かして最終的な調整を行います。いつも制作を進める中で皆さんの心が一つになっていく、、最初は冷たい対応だった方々が変わっていく瞬間に遭遇します。今日も実際に映像を上映した時点からスタッフの動きが変わっていきました。舞台美術となっている映像の多くはアルゼンチン、エクアドル、ベネズエラで撮影した写真が使用されているのですが、丁度10年前2007年、もしくは2008年に各国へ訪れた際のもの。当時の新鮮な始まりの一時の勢い、、10年後の今あらためて振り返って、確かに様々なことが成長、もしくは整ってきていますが、新鮮な感動に身をまかせたり、撮影に時間を費やすことはなくなっている今日この頃。現在使用している衣装、、初めて使用したのはベネズエラ公演でした。アルゼンチン以外での場所での初めての大きな公演に向け、何か新しいものを模索、街を歩いていてタマタマみつけた大きなスカーフを切ってオリジナルなポンチョを制作、そこから仮面と色鮮やかなかつらが加わり、、そのまま10年間、常に同じ衣装で迷うことなく10年。この衣装がなくなったら「踊るチャランゴはない」といっても過言でないほど定着。今回は新しい挑戦として衣装は変わらないのですが、舞台で衣装を外す場面を創りました。久しぶりの新しい挑戦は、個人的にはハラハラとしています。慣れ親しんだ形を変えるのは勇気がいるものですね。明日の最終本番リハーサルの後、いよいよ23日に鹿さんが到着します。2日間、鹿さんと舞台で煮詰めることができる・・楽しみでもあり、とうとうこの日が来たという何ともいえない寂しさ、大好きな学校の卒業式を迎えるような・・ 気が付くと後3日、そして気が付くと全てが終わっているのでしょう。激しく濃厚な3日間を控えています。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2017.01.21
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キューバで撮影した映像を編集するため新しいパソコンを模索したのですが、使い慣れた映像編集ソフトと新しいWindowsがかみ合わず、キューバの件は一先ず休止、目前に迫った公演の舞台美術となる映像の編集、、スピードが必要なためドキュメンタリー映像の編集にMoovie Makerを使用。急遽、古いWindows8に戻す事となったものの、パソコンの調子がイマヒトツで再び御相談。 御馴染みメキシコの秋葉原Compuland のお兄さん達にお世話になっています。スーパーマンのような彼等にイロイロ教わって試行錯誤しながら制作を進める毎日、当日のプログラムには彼等の名前を掲載したく思っています。彼等も公演にきてくれるようで、、御一行を会場で見かけたら照れますが、もはや舞台制作メンバーといっても過言でない。舞台裏の問題の数々..を笑い話に変えてくれる心友の存在。本人以上に一喜一憂してくれる、そんな彼女の反応に見失いそうになる我を取り戻します。文章の訂正や思わぬアイディアを提供してくれる彼女の存在感、メキシカンな口癖No Manches!!を聞くたびにパワーアップな一時に感謝。後2週間ほどという時に「鹿」が現れました。昨年の8月に開催されたベラクルスでの語り部フェスティバルに出演した際に、多くの人々が「ハチドリで始まり、鹿で終わる」そんな感動を口にしていました。ハチドリも鹿もメキシコの多くの伝説に登場するミステリアスな存在、、個人的には幼い頃みたAmalia Hernandez舞踊団の「鹿」に向かっているのですが、同じではないにしてもベラクルスで出会った「鹿」の彼のスピリチュアルな佇まいは深く記憶残っています。一気に煮詰める共演の模索は、あさっての再会にて・・ この件が1番心配だったので少し今日は何時もより深く眠れそう。施設サイドの広報も始まりました。Facebookの掲載では一気に150を超える「いいね」のヒートアップにびっくり、、 見なきゃ良かったと後悔するほど、コメントなどの大きすぎる期待、反響に再び責任を感じて眠れない夜、、というか夜に編集を徹夜で仕上げる日々を送っているので元々眠らないのですが、同じ「眠らない」でも張りつめて起きているのとは疲労度が変わってきます。そんな時に母とスカイプで会話、、フト恒例になっているお届けする折り鶴の支度ができていないことに気が付いて、既に40000羽折っている母に送ってもらおうと頼みつつ、毎日30折っていけば当日に500は達成できる、、「鶴を折る事で張りつめ心も解消できるでしょう」母アドバイスに感謝。そんな母をメインに多くのサポートに感謝する今日、1月9日は友人の命日です。毎年この日が来る度、2002年コスキン初舞台で星をみあげたあの日を思い出す。10000人規模の会場で踊るチャランゴ初公開の前日に届いた訃報、、マタンサ地区ソリスト代表としての出演本番前日に地区の主催者から「踊るな、踊らなければ勝てる」 サイアク勝てないで踊らないで終わるより、追悼も込め踊ります宣言。 結果は踊りすぎてコードが抜け、ほぼ失格に近い状態で落選。それでも会場の拍手は誰よりも大きかった、、と同じ地区の仲間が泣いて喜んでくれました。あれから15年、、完成の日を迎えようとしています。きっと同じく舞台で星を見上げる日まで、、後16日。 今日は久しぶりにグアダルーペ寺院にいってきます。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2017.01.09
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元日から3日間、朝早く出て夜遅くに帰ってくる日々が続いていました。早朝カモさん達の掃除をササっと片付け、食事を整え、夜すでに暗くなってから小屋へ招いて、寒くないように段ボールで囲う・・それだけの繰り返しにカモさん達の寂しさはカナリ募っていたようです。今日は久しぶりに午前中ジックリ鴨さん達の御相手、ヒシッと寄り添って離れません。 一緒に日向ぼっこをしながらテラスにゴロリ・・ふと空を見上げると眩しいピンク色の花が青い空に光り輝いていました、、このコントラストこそ建築家ルイス・バラガンが好んだもの、、シミジミ眺めつつ昨日初めて伺うことのできた感動を思い起こしています。日本人宿サンフェルナンド館で、ルイス・バラガン邸を見るためにメキシコに来たという程、訪問に気合いを入れていた方が何人かいらして、そして訪問後には物凄く感動されていたコメントを聞かせて頂きました。入場料が高めのため躊躇していたのですが、思い切って訪ねてみるも予約なしでは受け付けてもらえず断念。 今回は建築家の御一家の観光のお手伝いをさせて頂くこととなり、前もってカードで先払いして頂いて無事入場できました。 90分に渡る濃厚な一時、、扉を開ける度に光の行方を追いかけているかのようでした。全ての景色が心にジンワリと残ります。書斎、更衣室、ゲストルーム、寝室、庭、テラス、スタジオ、、全ての調和が素晴らしい。裏話や経緯なども含め、細かく説明して下さったスタッフのJuan Manuelさんの解説も素晴らしかったです。逐次通訳で同行したのですが、入り口で「通訳によってガイドの流れを止めないように」と忠告されました。が、この日は日本人7名とメキシコの方3名のグループだったので多数決、日本人中心となりガイドの方は通訳の時間に配慮して下さいました。 噂通り、そして想像以上の素敵な光と色合いで、心癒される、洗われる鑑賞の一時。こういう機会がなかったら行かなかった(行けなかった)と思うので依頼して下さった方に感謝。この感動は一生残ると思います。 話は前後しますが、この前日にポスターが地下鉄とメトロバスに設置されました。翌日ご案内をしながら何気にポスターをチェック、はがされていないようなのでホッとしつつ、誰かが立ち止まって見ている姿を見て感動。ポスターに掲載されている文章は多くの関係者、文章専門家とカナリ煮詰めました。その文章を施設の広報の方に、どうでもいいものに訂正され、施設の館長さんに直接抗議にまで至ったほど。 広報はお知らせ以上にコミュニケーション。人々に語りかけるようなものであってほしい、、 話は元に戻るのですがルイス・バラガン邸の光に語りかけられているような・・そんな光の行方、コミュニケーションの行方を信じてみよう、と思えました。 あらためて、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2017.01.04
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