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風は山の色を写して変わる。冬至の玄から紫にそして春は山の色は青に夏に向かって緑に。もうすぐ啓蟄だとカレンダーに印をつけるけど、今までなれた太陽暦の春と太陽太陰暦の春との調整が困惑しながらも楽しい。旧暦の1.2.3月が春で、輸入されて混乱している春とは違ってシズカだ。今年は今のところ1ヶ月遅れて太陰暦の月が巡ってくる。だから、桃の節句は3月31日。まさしく、京都あたりだと桜が散りはじめてがつんと桃の花が咲く。正しい3月3日は今年は3月31日だと覚えておきます。気候は狂っていない。狂っているのは歴史的気候を読まない、読もうとしない社会の方だ。そして安直に「地球温暖化」と言うかもしれない。ところがこの千年、太陽太陰暦の閏は冬にほとんど入ってないんだ。*やすらいで食べ、やすらごう。テレビのコマーシャルやうまいもの番組、グルメなホテルを眺めていると、「サライ」の創刊当時とは違うし旅番組で見たものとも違う極めて攻撃的な料理が最近多いような気がする。今の季節、一番うまいのは、ぎゅっとした太陽の光を吸い込んだ「春菜」な筈だ。ところが絶滅危惧的春菜のテレビ番組もレシピもほとんどみかけない。なんでだべ・・・(笑)*何も、過去にもどってそれを忠実にというわけではない。歴史から受けたものをできるだけ有効に活用して体をキレイにしたいと思う。それだけなんだ。スパゲッティーをゆでる。ゆでる前に春菊を塩たっぷりの湯でゆでてしまう。湯を切ってあまった湯でスパゲッティーをゆでる。ただの塩でゆでるのと違うのはこれなのだ。スープでゆでるのが基本だから。春菊はそのままざくざく切ってしまう。一方土鍋はオリーブオイルとトウガラシとニンニクとをあたためておく。ニンニクは焦がしてはいけない。あたためるだけだ。そこにポッカレモンをちっとたらす。あたたまったら、ゆでて水気を切った春菊を入れて油とからめる。おおよそからんだところで、スパゲッティーを入れて混ぜたら、昨日のシラスえびを乗せてできあがり。*なんつーか、シンプルすぎるほどシンプル。ところが、味というのは個別にひきたたせて、ごちゃごちゃ混ぜないほうが本来の味を楽しめるのだね。春菊の半生の茎をオイルでかみしめながら、「これだ、これだ。」と晩飯を終えたのでした。ところで、カレンダーの話になりますが、1936.2.26 その日は「大安」でした。詳しい話はまたいつか・・人気blogランキングへ! ←クリックして「里山を買おう!」で戻ってきてね!!
2006年02月28日
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あれ。作ったはずなのにまた消えてる。菊菜(シュンギク)とあわせようと思ったのに・・。先日、山の神がおぃらのおでんをごったごた煮にしてしまってからどうも気分が落ち着かず、春なのに、一昨日は朝から晩までオウムと警察権力と創価学会の密接な関係について描いてるページをうだうだ読んで寝たら、すごい寝汗で、またおきてぼぁっとお茶漬けでも食おうと思ったら、無かったのです。家族に聞いたらみんなで、あったかいごはんにかけて食っちまったというので、またつくりました。今度は、100円ショップでみかけた小エビも足して、食われないうちに写真とりました。(笑)◆つくりかた◆しらすは、臭みを飛ばすため皿にひろげて電子レンジでチンする。チンしてさめたら、箸でかきまわす。そしてまたチンする。しらすの水分がキモチ半分ぐらい飛ぶまで繰り返す。そうすると臭みが次第に抜けるのですね。エビはもう乾燥しているから最後のチンだけで、おっけぃ。でも、最近の電子レンジは「チン」て音がしないんだよね。それにもかかわらず、「チン」のぬくもりある音は日本語になったね。あ、そこをたたいてだめ。女人禁制のべつな・・・もといっ!土鍋に一握りの水を入れる。おたまひとつ弱、れんげひとつより少し多めだね。それに手のくぼみひとつの酒を入れたら煮立たせて昆布だしのもとをちびっと入れる。ちびっとだよ。根性ある人は、昆布を刻んで戻して炊いて最後に炊き合わせてもいいけど、ま。努力は報われることも報われないこともある。土鍋が沸騰したら弱火にしてアルコールを飛ばす。そこに、ハチミツを気分でちっと多めにぼとん。そこに入れるのは・・もちろん、和風だから、白醤油をメインにするのが基本だけど、ちびっとあそんでみるべね。香辛料は、サンショウと一味トウガラシ、そして白醤油仕上げが一番いいかもしれない。でも、邪道のわざをしてみたのだ。今回は。昆布だしとハチミツと醤油ミックスが土鍋であわ立ってきたら、「五香粉(ウーシャンフェン)」を投入した。もちろん、ちびっとずつだよ。そしたら、泡がぶくぶく~って上がったから、よしっ。白コショウを足して、「チン」したシラスと小エビを暖かい状態で投入。いそげーーっ。火をとめてさましたら、「赤穂の塩」をすりばちですって、さくさく、ぱらぱらっとふりかけながら熱いうちにかきませて、できあがりです。をを、写真のしっとりさらさらふりかけのできあがりでわありませんか。(笑)*おぃらが、ちっこい土鍋を半分焦がして、こげ味も加えながら作ってるのを次男は、ちらっ、ちらっと見ながら、体をやわらかくする香酢を自分でブレンドして飲んでました。シズカ選手の影響なのか、カラダをやわらかくして卓球で勝ちにいくのかは聞きませんでした。父親ですから。(笑)「食べていいよ。」といったら、「明日、朝ごはんにかけてたべる。」と返事が返ってきた。そうだ、おぃらは、これをシュンギクをさっとゆでて固く絞って刻んだらそこにぱらぱらと・・そうか魚が少し大きいときは、マリネって手もある。固く焼き締まった小女子が酢と酢とであうと・・うむむ・・(笑) かも・・(爆)明日こそはそうして食べようか・・春菊は内臓の毒を抜くだろうし酢はいつでも家族にぃいから。人気blogランキングへ!! ←クリックして「里山を買おう!」で戻ってきてね!!
2006年02月27日
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二十四節季の雨水が過ぎた。実はこの季節、一番雪の下にある菊と芹の味が高まるのだ。そして、でっかい声ではいえないけれど、「オオスズメ」という鳥の味が良くなる。そんな鳥の名前、「野鳥大好き」さんでも知らないって?もちろん。知らないべなっ。(笑)昭和天皇の図鑑を出版したあそこでは白黒挿絵の図鑑もある。野鳥のページは野鳥の味覚について丁寧に書いてある。こ・れ・だ*昨年の秋のはじまりにサンショウの実を乾燥させて瓶詰めにしていたけど、解き放つ準備をはじめよう。スーパーで小女子をみかけたからこれにあわせよう。ハチミツに一味トウガラシ少し。胡椒を微妙に。花椒も少し。小女子は電子レンジでチンして夜風にさらして冷ましたらもう一度チンする。*資生堂のテレビ番組だったので、つい見てしまった。そぃで、おぃらが初めてキスしたのはいつだったか。そしてまた、印象的だったキスを思い出すと秋に集中する。見せたいような隠したいようなキスマークをぷちっとつけたのは今の季節だっけ。いや。それもあきだった。*小女子の山椒炊きはもちろん、小蝦でも応用可能なのだけど、土鍋でないとおいしくできない。電子レンジでチンしてあたたかいうちに合わせるのだが、鉄鍋ではえぐい味になってしまうし、アルミでは熱を持続できない。だから土鍋であたためあったどうしを合わせる。今日は、まっ。スーパーで食材調達したから、明日以降はアウトドアにふさわしく、ちっと気合いれてみっか。ちなみに、ふりかけの基礎ができたです。明日またリトライします。*完成団子は持続します。そして怒りの伐採が開始されます。人気blogランキングへ ←クリックして「里山を買おう」で戻って来てね!!
2006年02月24日
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ものすごい歓声の中で現れたイタリア選手は、スケートを始めた。その音楽は。ねぼけた頭で記憶を辿ったら、あぁ。この曲は。「ミッション」だ。「滝の上で起こった出来事を語ってはならない。」という映画のあの曲だ。神父は十字架を持って信徒と共に殺戮者に向かって歩いていく。血で川が真っ赤に染まるあの映画の曲に乗って、コスチュームをつけたイタリア選手は氷上に舞う。そうだ。イタリアにはバチカンがある。誰もがその若さでかつて私がしたように十字架を背負おうとする。彼女は苦もなく青い薄絹で十字架を背負っていた。そんなふうに彼女のスケートを見ていたのは私だけだろうか。*重い荷物、つまりは武具などを背負って「ミッション」を見たけど、出口を自ら塞いでしまったので、心はまだ滝の上にいて、楽器を製造しているのだ。そして、滝の底から拾われた刃をいまなお、研いでいる。明治維新の武士たちは、刀をどのようにして捨てたのだろう。もし、自分が刀を捨てよと要求される立場だったとしたら、断固拒否する。そんな自分の心をみると、戦争と殺戮によって時代は切り開くことが出来ると思っている自分がいる。人々への率直な提案として戦争つまりは殺人による解決がまだ有効だと思っている自分がいるのに驚くのだね。「それはなぜか・・」と思う。*-政治家は幼稚園の子供たちとその母親でなければならないと思う。男たちは怒り、新聞に変な画像を掲載するだろうから。満月から新月に向かっている。どうも心が不安定だ。明日はひさしぶりに病院に行こう。おとといから新月まで、多くの人の心は月に揺られて不安定だろう。まずは怒りをひきずっている今の自分はおかしい。気候の変動のせいだけとは言い切れないような気がする。禁煙のイライラが いまさらバクハツしたのだろうか・・ま・さ・か・ねっ (笑)人気blogランキングへ! ←今日は3位ですのでクリックよろしく。
2006年02月22日
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鍋を覗いたら、なんなんだ、これわっ!!ようやくキモチの整理がついてきた。どんなキモチかって言えば緻密に組み上げた鍋がめちゃめちゃになったら怒りのカタマリになってしまうでそ。たとえば、クミンシードをいためて香りが立ったらターメリックを入れて、香り高いカレーの香をたてるでそ。鍋には前日から数回あたためてさましたスープがあって、マサラもいい感じだから、ちっと肉を買いにスーパーに行って帰ってきたら、鍋にハウスシチューのルーが放り込まれていてだよ。今日はカレーのような香りがするハウスシチューですよって、そんなばかな。あまりにも大きなショックで昨日は日記を書く気にもなれなかったです。おぃらは、3日前から、おでんをつくっていたのだ。じっくりじわじわと、昆布を煮て、結びこんにゃくを煮ていたのだ。そぃで昨日、大根をメインにおでん一週間計画をたてようとしたら。うにゃっ。*おでんの汁に白い油とアクが浮いている。なんだ・・と、見たら、おでんの汁がたまらなく醤油で黒くなっている。そればかりではなく、あぶらげが琥珀色だった筈の黒っぽい塩辛い液体の中に漂っている。誰だ!!こんなことをしたのわ!あ゛ーー頭に怒りがふつふつと沸きあがるのにおとなしくしてるからおぃらはバクハツしそうなんだ。こんなことをしたのは誰だとふたたび問うと山の神が「わたし」というので、おでんの汁であぶらげを煮詰めては塩辛いだけであると、生涯に何度か言ったことを言った。以前にも、おでんの汁を沸騰させてサトイモを煮ていたのだ。それは10年ほど前のことだ。そのときも、全身が融けるほどに怒り、煮物の汁とおでんの汁とではそもそも根本的にソリューションの方向が違うのだと、こんこんこんと話したのに。*うがぁ~。はじめからやりなおしだ。あの米が不作だったときに、インディカ米とヤポニカ米を混ぜて販売しろといった馬鹿な官僚め。べっべつに味わうほうがうまいに決まっているのに本当に人を蹴落とすための成績だけが優秀で味覚が馬鹿で米びつには秋田こまちを確保しつつ国民を不幸にしたお手本たちめ。脈絡なく怒るが、おでんの汁であぶらげを煮詰めてはいけない。なおかつ、あぶらげは熱湯で一度煮沸して油を切らねばならない。もちろん、あぶらげを煮るのは酒と醤油とみりんと砂糖なのでおでんの汁とは全く別物だ・か・ら。*昨日、ダメダと怒った。今日、まだ、なべに汁があった。これをもったいないとは言わない。おぃらが緻密に組み上げた味をめちゃくちゃにしたからだ。そして思想も理念もなくなっている。鍋の汁はぜんぶ捨てた。あーー今日の日記はもう、やめっ!!人気blogランキングへ! ←ぼっちはこちらです。(苦笑)
2006年02月21日
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復活祭は前にも書いたけど、太陽太陰暦でないとその日を特定できない。イースターの卵は死と復活を告げ知らせるのである。しかしだ。問題は、墓ではなく窯がらっぽなことにある。昨日午後2時30分から3時に至る時刻には、ほぼ窯の熱もあがり、順調に窯を閉ざして、不安ながらもじりじりと人目をはばかる恋の炎は燃え続けるはずだったのだが・・。なんでだっ!*おぃらは閉ざした窯の壁に一部、紫色してその周りに白いぷつぷつをみつけたのだ。これわだ。もうできちゃったのよの印なのだ。おぃらが昨日ちょうどいい塩梅に煙と穴を調整したあと「いぢくった」奴がいるのだ。でっかい声では言わないが、自分のしたことは自分でわかるべなっ。まいいさ。炭窯はからっぽだったが、堪忍の緒をしっかりととざして、おぃらは11時まで温度をキープしたのだ。なんでかって言うと、このでっかいオーブンでリンゴをやきたい人、パフンプキンパイを焼きたい人のためなのだ。窯に火が入るということは「文化」がはじまるに等しい。ただ一点の目的に親方は向かっていくのだが、その周辺ではいろいろなことが次々と起こっていく。子供たちは焚き火で炎の扱いを覚えるし、大人はでっかい鍋をおく。更に花炭の探求が始まり、その隣ではあけび蔓でかご編みがはじまる。親方はそれらのそれぞれのリズムを読みながら、窯に火を入れて窯から出す時間を想定して矮小な自己満足ではなく受想行識からシフトした観照からの回帰を探索するのだに。ところがこっちがシフトしてるのになんだんだオメは(笑)。繰り返していっておくが炭焼きは知恵でも知識でもない。「悟り」だ。*からっぽだが、熱が充満してる窯で焼いたパンプキンパイはうまかったよ。まるでそのために大量のヌルデを焼いたかのように。そして焼きリンゴもうまかった。更に、みんなでそこいらから拾ってきて炎に缶に入れて放り込んだ花炭もとてもきれいにできあがった。*クリスチャンだから教会生活をしていたときに知ったことがある。太陽太陰暦のイースターに、卵を拾ってキリストに出会ったら、死から命に変えられて永遠の命の書に名が記されたと宣言しなければならない。そしてフランチェスコがしたように認めてもらうのだ。そうすれば崩れおちたサン・ダミアノ教会が課題として現れる。ラッキーだ。メンテナンスしつづけることによって存在はキープされ回り始めるから。教会の壁を作る技術は城壁をつくる技術の応用だったから、フランチェスコにとっては楽しいことだっただろう。もちろん、おぃらが炭窯の口を蓋するのも基本的技術は全く同じだ。石を見て石を読み、あるがまま、そのままの位置に置くのではなく「戻す」のだ。わかるかい?アンコールワットの遺跡も積み上げてはいない。「戻して」いる。*あぁ。いい2日だった。しかしだよ。炎の前で過ごすと、いつのまにやら顔が遠赤外線でほっかほか。汗をかくから鼻の頭は塩を吹いてカリカリなのだね。ニンニクを炭火で焼いてもうまいが・・鼻の脂がエキストラバージンオリープオイルでないのがざむねん。(笑)さてち明日からまた月を読もう。そういえば今日は。水田の畦で春菜を摘む人をたくさんみかけた。その理由は・・またあした。人気blogランキングへ! ←クリックして「里山を買おう」で戻ってきてね!! 今4位
2006年02月19日
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おーーぃ。火入れするよ。おぃらが親方だよ。また親方だが、ひとつの窯を極めるまで何度でも親方するよ。だって炭窯はこの国を根本から救うはずだ。だって、炭であぶった魚や味噌漬けの肉はうまいもん。机の上でタックスヘブンでの取引のスキームの検証をする君よ。あなたは何を食べて何に安らぐのだろう。*味噌漬けの鮭を何で炙るかって炭火だもちろん。ガスじゃおいしくできない。焼き鳥だってなんだって炭火がおいしいことはみんな知っている。でもあと10年もすれば、炭焼きを極めたぢぢたちはこの世界から去ってしまう。その前にだよ。業「わざ」を「ごう」とも言うがゲットしておきたいのだ。タックスヘブンで億をころがした私よ。病を病と呼ぶのはもうやめよう。何かが狂ってはずれていだだけだ。太陽と月が語りかけてくる。そして私はそこに戻る。だから鳥がうたうように歌い、ロレンツォ・ヂ・メジチが言ったように楽しみ、春の戴冠を楽しもう。君よ。*火をつけると訪れる人が、誰彼ともなく質問は続く。どうすれば炭になるのですか・・は、まだいい。すこし科学した人は直線的因果を丸投げしてくる。温度とか湿度とかだ。そんな直線的な因果で炭はできないのだ。もう少し率直に言えば、あなたは私のすることを見ないで質問している。だからあなたは「馬鹿」という名の怪獣を飼育していると言ったほうがいいだろう。もちろん、その意味は「あなたは、うましか です。」という事だ。踊れ。少女たちが花を持って踊るように。そうすればすべての謎は開かれる。テキストが羅列した本を持っても崩れた謎を増やすだけだ。そんなふうに火をつけるとなぜか木の枝はその枝ごとのリズムで燃えていく。そして窯は次第に温度が高くなる。*ぉお。もう、こんな時間だ。明日はできるだけ早めに行って窯の温度をあげなくちゃ。午前7時の窯にかたりかけよう。おぉきく息をすってー。はいてーー。そのとき、オオタカはまた現れるだろうか・・人気blogランキングへ! ←クリックして「里山を買おう」で戻ってきてね!!
2006年02月18日
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「アウトドア手芸」というジャンルがあるのかないのかわからないけど、最近、カネに目がくらんだやつらも里山を徘徊している。あ。吟行の俳諧は昔からだけど。*それでね。ものすごい音がしたんですよ。そして窓ガラスの下に鳩の死骸があるもんだから鉄砲の音かと思って警察を呼んだんですよ・・そんな話をうふふと聞きながら、そうか。またオオタカがハトを襲ったかと思う。少なくとも通勤途上に3箇所はオオタカの狩場があるからね。ちなみに、最近市になったけどそれほど山奥ではない。ふつうの田舎だな。ここは。逆にあまりに山奥だとこの季節に狩はむずかしい。鷹が俳句で冬の季語なのはうなずける。*空き缶ありませんかーーと、うまそうなせんべいがある日に声をかけてみる。もちろん、空き缶があるとぷちぷち穴をあけて燻製のチップとかもみがらとかを使うと、アジサイの花のなごりも立派な炭になるのだね。更に高度なテクニックを使うと、花びらをはなびらのまま炭にできるのだ。もちろん、おぃらは花を買ういけないおぢさんではない。断じてない。山で花のなごりは拾うが・・(笑)*花炭もテクニックによっては七色に光る。今の季節だと、山茶花とか椿のつぼみとかはその手法を使うと七色に光る炭になる。もちろん、落葉広葉樹のつぼみも七色のもとの何かが枝にたまっているからおっけいだ。都市では無理だよ。焚き火できないから。でも明日は炭焼きの親方だからおもいっきり焚き火ができる。(笑)テクニックはいっきに温度をあげること。もしくは一気に温度が上がる状況におくこと。そうすると七色に光る花炭ができる。ヒントはここまでにしておこう。*さてとあしたは雑木の炭焼きだ。また炭焼きの親方をするのだ。窯に呼吸させるまでの温度上昇と 燃える恋のおとしどころをシュミレーションしてみる。あさってまでを。そしてそのままの永遠の花炭は・・明日の日記をおたのしみにっ。(笑)人気blogランキングへ!! ←クリックして「里山を買おう」で戻って来てね!!
2006年02月17日
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このあたりはいわゆる昭和の新興住宅地域なのだけど、小学生の頃は回り200メートルに一軒も家がなかった。ということは、屋敷森から離れた場所に我が家は昭和に家を建てたということなのだ。もちろん水道なんてなかったから、我が家は自分で水道管をひいた。ところが。。月日が過ぎると、数百件の家がまわりにある。そのひとたちのために、我が家の水道管を売ってくれと町の水道局は言った。ごねて、断ればよかったのにな。父親はそういうことができない。そのくせ、近所の家が、庭にネギを植えたりすると笑う。あそこの家は庭にネギを植えやがったと。庭に野菜を植えるのは成金にとっては恥ずべき行為である。ましてハーブなんぞ植えてはいけない。*トラフズクというフクロウを捜すと、あちこちの庭に迷い込む。犬に吼えられ、ツァイスの双眼鏡は水戸黄門の印籠にはならない。そんなとき、花卉を愛する人と出会う。庭を見ればわかる。庭の理念は、「野菜ときどき花」だから。この季節は桃の枝が光るように柳の枝も光る。そしてこぼれる。フクロウを撮影しながら畑の片隅にあったこのネコヤナギをみつけた。園芸品種だね。ぴかぴか光ってピンクに丸い。おぃらはどこにいるのだろう。長安の伝説の都なのだろうかここは。フクロウにといかけるが、彼はまもなく飛び去る。問余何意棲碧山・・李白の詩は結論でありコンセプトである。何って、ネオ・エデンのだよ。(笑)やさしい雨だ。すこし考えてみよう。地球が温暖化の時期にあるのか。それとも特定生物の仕業なのかと。ところでランキングサイトは復活4日で10位圏内です。人気blogランキングへ! ←クリックお願いします!!
2006年02月16日
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おーーぃ。とらちゃん!!そんなふうに心に声をあげて捜すけど、いるところにしかいないからなかなかみつからない。近所の神社には毎年夏になるとアオバズクが来るけどこれを撮影するのは至難のわざ。ところが、トラフズクのとらちゃんは近所に毎年来るのだけどけっこう近くまで接近できる。もちろん、トラフズクがたまらないほどねむぅ~いだろう時間を狙っていくんだよ。*先日、去年みかけた所に行っているかなーと見たけど、寒くて寒くてとてもじゃないけどうろつくことができなかったのね。ところが今日は久々の平日で仕事が休み。いってみよーーと行ってみたら。。(笑)いました。いました。トラフズクのトラちゃんです。こっちをじーーっと見ている。2羽いた。少し緊張してるけど、ポーズをとってくれたです。撮影している最中に目の前10メートルほどのところにもう一羽が飛び出してあわてて飛んで行った。*フクロウであるトラフズクに暖かな春の日に尋ねてみる。「幸福」ってなんだっけ?返事は無いがどこかで聞いた声が響く。目的ではない。偶発的結果のひとつだと。トラフズクに尋ねる。もう一度。行為そのものが結果ならば、ランダムな道を備えせずに辿ることなのかと。答えは無い。しかし、トラフズクはにやっと笑ったような顔をする。*リラックス。これがねむた顔のトラフズク。ちなみに頭に二つあるのは耳ではありません。羽です。こうしてトラフズクと2時間ばかり対話して過ごしたあたたかな日よ。願わくば。永遠であって欲しいと願うが太陽と月はにっこり笑ってそうはさせないだろう。(笑)揺らいで現れ続ける命をみつめて楽しもう。春の日のこの命も。 人気blogランキングへ! ←クリックしてね!!
2006年02月15日
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ピューと声がする。バレンタインデーの青空に鷹のつがいだ。 あたたまりつつある光の中で、草花の芽、木の芽を眺めていると視線を感じる。オオタカがこっちを見ている。**カレンダーについてもういちど考えてみたよ。四角のマトリックスで区切られたところに数字が並び、7で分割されて月ごとに「毎日」がセットになって日めくりになったり羅列されたりしている。過去に見たことがあるものは、そのまま、数字だけが100年になつていた。 最近、旧暦カレンダーと閏月の入れ方を学んでいたら図とであった。それは丸い図だった。月日は北極星を中心に右周りでまわる。 新月からはじまる月の暦は必ずしも365日でもとの場所に「完全に」は戻らないが「おおよそ」戻る。そして「閏月」の揺らぎをわずかな年ごとに抱えている。 ヘリオトロプスを太陽の導きというのならまさしく月は時間の小舟だ。くるくると30日で宮ともいうべき「座」を巡りつつ、次の座に移る。そして一年が過ぎれば、またもとの座に戻る。 りんけんバンドの歌「ちゅらじゅら」にあるように、星もまたもとの座に戻る。この月の航海の安らぎよ。ニヌファの☆よ。 兄である太陽よ 姉である月よ* 今日はあたたかな日だった。午後はなおさら。 山はひととき青く光りまた青黒い冬の色に戻った。 春とは旧暦の1月2月3月であったということが次第にリアルに感じられてきた。そして納得した。明治以降の西洋と混交した春とそれ以前の春とはまったく別世界であること。 そしてこの日々を我が内なるルネッサンス、再発見した「春」と呼んで北極星を中心にまた円を描く。12に分割してその一つに小さな円を描く。今日、私はここにいると、小さな星を指差す幸い。過ぎて帰らぬ日々でもなく苦痛に耐える日々でもない。安らぎをもってその星の座にいて、また安らぎつつその星の座に戻る。 月の小舟に乗って。小舟に乗るための料金はいらない。望むだけだよ。さてち。明日にこぎだすよ。月の光を帆にうけて。人気blogランキングへ!←クリックしてね!!
2006年02月14日
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旧正月(1月29日)を過ぎてから午前中の日差しにすんなり伸びるような強さが加わってきたようだ。 旧暦の11月は必ず冬至の月だったのだから年によって正月15日は相当に凛とした空気の中で過ごしただろう。 それにしてもこのごろの日差しのここちよさよ。 倒したモウソウチクに積もった雪がどんどん融けていく。手前も奥もだよ。そんな竹に手をあてるとあたたかいんだ。これが。 こっちは、ハコベが雪を融かしているのかそれとも融けた雪から顔を出しているのか。いずれにせよもうすぐタンポポの花が開くだろう・・! そうとも。こんな北国だって明日はまた雪が降るだろうが、もう春なのだ。 だから成人式で元服なのだ。次男は15歳まであと1年。 来年の今頃は、こんな日差しの中でどう過ごしているだろう。* 「立春を過ぎた午前の光は素直に伸びる」 メモしておこう。 そして、「つがいの鷹が鳴いた」と。素直な光にクリックしてね!人気blogランキングへ!!
2006年02月13日
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Blogランキングなのだけど、なぜ急にポイントが加算されなくなったのかメールで質問したけど返事がないのだ。しばらくしたら、バラケツしようかと思います。*そいでだ。芥川をはじめ、いろいろな芋粥が有名だけど、ここいら里山の暮らしするおぃらとしては、きちんと決めたいのだ七草粥21世紀バージョンをだよ。春雨ヌードルでもいいが、真空凍結乾燥すべきは芹菜だと思う。もう20年余、我が人生と共にある個人土鍋を持って雪原に悩むのだ。どこを掘るべきかと。*掘って黄金の味覚と会えればいいがそうでないときのために、いろいろと準備はしているのだ。ヤマイモを千切りにするにはめんどくさいが、手動フードカッターで千切りもどきができるものがある。これを使おう。ベースのスープは安直に決めた。戻しシイタケと鳥ゴボウスープに一味トウガラシとパプリカがよい。赤いとこに草の緑が泳ぐのだ。これこそ21世紀の七草にふさわしい。高山植物の生態を少しでも知っている人は「熱を持って溶かす」能力があるのを知っているのね。極限の植物たちはみんなそうだ。だから、土手を歩くとき、里山の風景を歩くとき、樹木や植物たちが雪を溶かしているのに気づくだろう。ん・・太陽の光だけじゃないよ。ロゼットをつくる植物、キク科のタンポポとかアブラナ科のナズナやカラシナは雪を溶かしている。その勢いを食おうってのが七草なのだ。だから、もういちど指折り数えると、どれも立派な「パラボラアンテナ」とか「株」をつくる植物だってわかるのだね。さて、食おうか。*我が土鍋に「粉煮干」と「戻した昆布」をことことと煮るのだ。そして「戻した干ししいたけ」と「戻した鱈」をあわせてそのままじっくりことことと、時は過ぎて行く。ここいらの作業はガスコンロでやむなくしているが、できれば陸炉でドストエフスキーの「罪と罰」とか、ゲーテの「ファウスト」とか、ま、余裕があれば、幸田露伴の「五重塔」でもよいが、炭火を転がしながら「まぃ♪どなべ」で湯をやわらかにしながらしたいところだねっ。人生で戦うのは定めた年月だけでいい。おいらは戦士として生まれたのではないし、彼らのドレイにはなりたくない。*土鍋と炭を組み合わせて、芋は自然薯だ。ゆっくりと煮てるとおぃらに様々な脅迫を送ってきた連中を思い出す。はふっと白い芋と緑の粥を食って「ばーーか」と心に思う。価値論と価値認識のスタートが違うんだよっ。本当にうまいものを食っている人は、自己の価値認識を他人におしつけようとはしないだろう。うまいものに至る道を知っているからだ。そうでない人たちは虚無の価値をつくり他人におしつけようとする。たとえばそれで儲けるということはすなわれ飢えているからだ。何にたいして?人生のすべてがそのような人にとっては飢えなのだろう。*シイタケ、鱈、煮干、芋茎、しみ豆腐それらを戻した汁で自然薯をさくっと泳がせてそこにタンポポとカラシナと芹を泳がせてはふっと食ったら。縄文の味だな。うまかった。しかし、欲望を知らぬおぃらは、ここに干したホタテの貝柱が加わったらどうなるのだろうと思うのでした。七草粥のじゃどーだって? だって、21世紀だもん。(笑)ポイント加算できないのだが・・クリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2006年02月05日
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ちかごろ、ふしぎなパワのある大根が話題になって死んだそうだが、見事に転生したらしい。あ。「てんせい」でないよ。「てんしょう」だ。ちなみに境内は「けいない」ではなくて「けいだい」だ。もちろん黒子は「ほくろ」だからなっ。*そいで、長安の暦の立春なのだが24節季の解読は続いているのだよ。というのも中気と閏月がどのようにして成立するのかいまいち理解できてないからなのだね。今日は旧暦の正月7日だから、「七草」が来る予定だったのだが。(笑)ひだまりの雪は重くてすぐ融ける。関西から京あたりでは勢いが強まった日だったろうね。ところがだ。植物は、特に大根のようにロゼット(薔薇の葉だよ)をつくるキク科とアブラナ科の植物はうまさの極みだね。それにハーブのセリ科もだよ。*旧正月から七日目の今日までに見て「おっ!」と思ったのは、アスパラガスの畑で枯れた茎を焼いて畑に戻していたことだね。様々な理由というものは開かれてこそわかるのだけど、閉ざされた都市にいるとわかりにくいかもしれない。*自分に語りかけてみる。「地の薔薇を食めよ。」カラシ菜は紫色だね。アクを抜くかそれともアクをためるか。ヤマトカケルは雪原にて本来あったであろう、そしてこの冬を乗り切るレシピを考えるのでありました。滋養とは。。ぅうむ。雪を掘りながら考えたけふでした。でぁまたあしたっ。
2006年02月04日
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