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日付が変わったので写真がアップできた。 もう終わりと思ったインゲン、よく見たらガンガン実ってる。しかも・・・ 花も咲いてたりする・・・ 多分これが最後の収穫。それにしても、ちょっとおおきくしすぎなのかな?ちょっと硬いわ・・・orz いよいよ秋の空も深まる・・・今晩は寒いねぇ・・あ、気がついたらこんな時間・・・また、やってもうた・・・おやすみなさい・・・ って、このエントリーの前に、もっとでかい記事を書いてるので、見てくださいね!
2010.10.26
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先日、近くのスーパーで鮮度のいいモンコイカを売っていたので、沖縄で食べたイカ墨汁を作ってみた。 作り方は簡単。お湯を沸かしてそこにぶつ切りにしたイカを入れて、火が通った頃、墨を投入、塩と少量の醤油で味付け。これだけ。バカうまい!酒を入れたりして臭みを消すと台無しになるので注意。ただし鮮度のいいものだけ限定。 うちの畑も、ずいぶん秋らしい色合いになってきた。 籐が立ったサラダ菜がなんだかかっこいい。奥はナスの切り株から生えてきた新芽。生命力だ。 からし菜、雪菜、仙台菜。どれかがどれかだorz どこに何を蒔いたかわからんようになった。 ニンジンと春菊をばら撒いたら、こんなになった。おもろ・・ 踊るホウレン草!ついにやった!きれいに育ってる。 奥から聖護院ダイコン、春菊、聖護院カブ。この混栽の感じ、いいなぁ・・・カブはやや虫食いだ。なんでだろう?それにしても、あんなに苦労した春菊やホウレン草がサクサク発芽する。やっぱり「蒔きどき」というのは大事なんだなぁ・・・あ、でも畝によっては、今でもぜんぜん駄目で発芽しても消えちゃったりしているから、気温とかだけでもないのかな・・・不思議だ・・・ なんだか虫食いのダイコンがあると思ったら・・・バッタがいた。 メキャベツにはカタツムリが・・・ おいっ、がんばれよ!・・・それにしても立派な蜘蛛だなぁ・・・ ワサワサとあふれかえるニンジン。 根元がきれい。生命力を感じさせる。 ラッキョウの花?咲いちゃった。きれいだな・・・ たしかカタバミ。厄介な雑草らしいけど、うちの畑は開放地帯なので、まあ、楽しんでいってくださいな。可憐できれいな花が咲いていた。実はバチンッとはじけるんだよな。 花といえば、知らないあいだに育っていた紫蘇。 なんだっけ?麒麟草?セイタカアワダチ草?ブタ草? 満開になるとこんな感じ?ゴージャス! 九条葱の並木道。冬のソナタのロケにも使われた(オイッ) チンゲンサイはお尻のセクシーさがチャームポイント。ここがもっこりとこないとね。 キャベツはさすがに難しい。隣のばあちゃんの畑は、そりゃもうワサワサ茂ってる。いやすごいすごい。あ、中心を拡大するとキャベツに見えます(笑) サニーレタスがにょきにょきと・・・あんまり立派なのでパチリッ! うわっ、上限を超えたので写真がアップできなくなった・・・orz なので、続きは、また今度。。。***************************************** 昨日の夜、帰ってきたと思ったら長男1号が荒れ気味。やたら機嫌が悪く。4男をいじめたりし始める。ふ~ん・・・・よしっ!と、機嫌悪く嫌がる長男2号を抱え上げ、無理やり服を脱がして風呂に放り込んだ。そう、彼がまだ4,5歳の頃、よくこうやって風呂へ入れたもんなのだ。 今は小学4年生。さすがに重いし、暴れる力も強くなったのだが、そこは力技で子育てを目指す父ちゃんとしてはふんばって戦ってやった。 結果・・・彼の機嫌は直った!ふふふ、してやったり。 ところが・・・ 風呂場を3男が覗きに来た。なんだか暴れているので持ち前の好奇心というかでしゃばり根性で気になったのだろう。ところが、その3男の姿を見たとたん、長男2号のテンションが急降下・・・元の木阿弥・・・暗~い・・・ はは~ん、そうか・・・・しばし考えた後、彼に言った「ドライブに行くか!」彼、「うんっ!」即答。 風呂をあがると、「僕たちは?」という長男1号と3男、「えっ?4男を寝かすまで、お風呂に入れないの?」という奥さんを振り切り、長男2号と車へ・・・ 「東西南北、どっちへ行きたい?」「南」と彼。 走り出すとナビに地図が表示される。それを見ながらどこへ行こうか考える。「そうだ、河童神社ってのがあったな・・・・」 正確には「磯良(いそら)神社」。余談だが、河童とイソラ・・・イソラ・・イスラエル・・・河童の頭・・・ザビエルの頭頂部だけ剃った頭・・・なんだか想像力をかきたてる場所だ。大昔、西洋人がここまでたどり着いていたのだろうか?・・・ 閑話休題 くねくねと細い田んぼ道を走り、神社へ到着。暗闇の中、その社はあった。ちょっと肝試し気分。車のライトを照明代わりに車を降りる。 小さな境内にはしめ縄を巻かれたイチョウの巨木がいた。ここと、あそこと、あっちと・・・車のライトに下から照らされた古木は威厳を感じさせる。思わず合掌。手を触れ「気」をいただく。 「この木はね、何百年もここに立っていて、ちょんまげの時代からいろんなことを見てきたんだよ。風に吹かたり雪に埋まったり、突付かれたり、蹴られたり・・・でもそんなことお構いなしに、ここに堂々と立ち続けているんだよ」 長男2号は、わかったのか、わからないのか、お社のほうに向かう。 お賽銭箱の横に書いてあった「二拝二拍一拝」の、正しいお参りの仕方で彼と一緒に執り行い、車に戻る。さて、次はどこへ行こう・・・そうだ、近くに愛宕山がある。夜景が見られるかも・・・ そこはパークゴルフ場になっていた。別に柵があるわけでもなく、自由に入れる。遠くに小さな、はっきり言って「しょぼい」夜景が見える。二人ともあんまり感動はしない。 それよりも、ここでもまた木だった。ぽつんぽつんとゴルフ場に木が植えられている。それがまた個性的で、一本一本が全部違って、面白い。 「どの木が好き?」彼に訊く。「う~ん・・・あれ」なんとなく、ここの雰囲気の面白さが彼にも伝わっているようだ。 「さて、そろそろ帰るか。みんな待ってるしね」 もうそろそろ、家に着くかという頃、やっと彼が話し出した。 「長男1号は怒りっぽいんだよね・・・3男はなんだかうっとおしい・・・。ぼくと長男1号とがけんかしてると、長男1号と一緒になってぼくを攻めたり・・・」 「うんうん」と聞く。今は諭したり、説教したりするときではない。黙って聞いてやり肯定してやる。私だってそうだ。話を聞いてもらいたんだ。 ちょっとだけ「父ちゃんたちはどうしても君たち双子に一生懸命だったから、無意識に君たちをかまってやるんだ。3男はね、”ねぇねぇ、僕は・・・”って言わないと、自分のほうを向いてもらえなかったら、やたらちょっかいを出す癖がついたんだよ」などと話す。まぁ、分らんだろうけど、3男にもそれなりのことがあるのかな、ということは伝わったのかな・・・ 話を全部聞きたかったので、ちょっと遠回りをしたら、「どこ行くの?」ははは、父ちゃんの想いとは別に、君は自然体だね。 家に帰ったら、奥さんは風呂に入り、長男1号が4男に絵本を読んでやっていた。やがて、4男を無事寝かしつけた彼が、ちょっと誇らしげな顔で、茶の間に来た。頼もしくなったね。うん。 「でも、いつもじゃないからね!」彼はそんな顔をしていた(笑) 大収穫。やってみるもんだ。さて、これからも手を代え品を代え、彼らと交流していかなきゃね・・・。おもしろそうだ!********************************** 今日の夕方、3男が店へきて、 「父ちゃん、今日ドライブに連れて行ってくれる?」 ははは、3男はまだ2年生。そんなもんだな。まあ、彼としては、いつでも「僕は?」って言い続けなければならないのかも知れないけど・・・・ごめんね。
2010.10.26
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さっき、長男1号と風呂に入っていたら突然、彼が言った。 「父ちゃん、人はハシに生まれ、ハシに死ぬんだって」 んんん?なんだ、なんだ?さらに続ける・・・ 「死ぬ時のハシはわかるでしょ?」 しばし、黙考・・・はたと気がつく。先日、彼の祖祖母が亡くなった。そのお葬式のこと、お骨を拾うのに「箸」を使ったな。彼にそう言うと。 「うんそうだよ!」 さて、生まれるときの「ハシ」は?・・ところが、うかつなことに、やや、酔っ払っていた上、眠気もさしていたので、そのまま、なんだか話が別のほうへ行ってしまった。 こんなときこそ、しっかりと子供と話をしなくてはいけないのに、後悔至極である。父親やや失格だな・・・orz それにしても、彼がこんな話をするとは・・・驚いた。もう4年生、学校の先生に聞いてきた話なのかもしれないが、ずいぶん難しいことを知り始めたもんだ・・・うれしい・・ さて、まあ、しょうがないので「人は箸に生まれ」でググッてみた。 こちらのサイトのこれかな?日本人は「箸に始まり箸に終わる」と言われるように、生後百日のお食い初めに始まり、毎日の食事、葬儀ではお骨を拾い、お供えの御飯に立てて供養します。 おっ、これっぽいな・・・「箸に始まり箸に終わる」で、ググり直す。 おお、このサイトにも・・・ お箸が日本人にとって特別な道具であるというお話。「箸に始まり箸に終わる」という言葉がある。日本では子供が生まれて100日目に、お食い初めという式を行う習慣があり、その際に箸を口に当て覚えさせるそうです。そして、死を迎えたときには骨となった体を箸によって骨壷の中に入れられます。人生は箸に始まって箸に終わっているのです。そして、家庭で自分の箸が決まっているのは世界中で日本だけだそうです。 ふ~ん、そういうことか・・・・おもろ・・・ん?家庭で自分の箸が決まっているのは世界中で日本だけだそうです。 へ~・・・そうなんだ・・・ それにしても「箸に生まれ、箸に死ぬ」と「箸に始まり箸に終わる」微妙に違うところが面白い。 よし、明日もう一度、長男1号に話しの続きを聞いてみよう!どんな風に説明してくれるかなぁ?・・・楽しみが増えたっ!!*************************************************************************** 16日のエントリーで書いた、広隆寺の千手観音の画像があった。無断転載する(~~; どうかな?この肉感は。皮下脂肪を感じさせる肌のぬめり感は、とても彫刻とは思えないものがあった。しかも、これが巨大なのだ。仏像が動き出す映画とかがあるけど、うん、そういう想像力は働くよなぁ・・・いや、すごいものがあったもんだ。 で、今日の一曲はこれ Blowin' In The Wind / Bob Dylan / 風に吹かれて この曲についてなんか書こうかと思ったけど、こちらのサイトに全部あるので・・・ 本当は今日は、エレファント・カシマシの今宵の月のように にしようかと思ったんだけど、エレファントカシマシ - 風に吹かれて なんてのを見つけてしまったのだが、「風に吹かれて」だって?? ってんでボブ・ディランになったてわけなんだけど、エレカシの2曲もすごく良いので、時間のある人は是非! それにしてもブログを書くと寝不足になる・・・orz
2010.10.24
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今日は満月。秋の夜のつれづれなるままに・・・ 今日、畑をうろついていたら、前に放した蛙君を見つけた。こんな水のないところで、無事に夏を越したんだね。ちょっとゴメンネ・・・ で、今日の一曲目 One Love | Playing For Change | Song Around the World 大和證券のテレビCMなんかでご存知の方も多いかと思うけれど、全編を通してみると、また感動も新たになる・・・というか、泣けます。これはBGMじゃなくて、画像を見に行って欲しいな。原曲はボブ・マーレー歌詞はこちら インゲンも、いよいよ最後のときを迎えようとしている。そろそろ撤去かな?土に戻してやろう。自然農では、そのまま、そこの畝に帰してやるそうな。ぐるっとひと回りして、また来年、命を芽生えさせる。畑の中という小さな宇宙で、命が循環していくのだ。 宇宙といえば、私たちは星でできている。 宇宙の星ぼしを形作る物質と、私たちを作る物質には、何の違いもない。同じものだ。土(=地球)からできた野菜(と、それを食べる動物)を食べることにより、星を体に取り込む。私たちは、「星」そのものなのだ。 また、新陳代謝により、わずかの時間に細胞は全て入れ替わるという。 そして私たちは死んで土に返り、やがて地球が終わりを告げるとき、私たちを形作っていた元素は、そのまま宇宙の霧に帰る。また新たな星の材料となるべく・・・ 入れ子のような構造が、マクロからミクロへと続く・・・ なにも変わらない。ただ、その「マクロな形」を変えていくだけ。しかも、その物質さえ、光とエネルギーに変換されうる(核分裂)。”E=mc2”「エネルギーとは質量に光速の二乗をかけたもの」すごいな・・・「最初に光あれ!」だ。 そして、野菜たちは光を物質に変換する!光合成とは逆核爆発なのだろうか? 色即是空、空即是色・・・ 諸行無常。「私」というものさえ、物質的に確固たる、変化しないものではない。ましてや心は移ろいゆくもの・・・だからこそ、今を大事にしたい。 な~んてことを考えちゃうのも、秋だからかな・・・ 月が出た。今夜は満月。きれいだ。 次の一曲 Stand By Me | Playing For Change | Song Around the World 最初と2番目の黒人の爺さんたち、渋すぎ! この曲は、ベン・E・キングがオリジナル。ジョン・レノンのバージョンでも有名だし、この曲をモチーフに映画にもなっている。でも、このバージョンを聞いて、初めて自分でも演奏してみたくなった。練習しようっと!歌詞はこちら 今日の2曲、実はこちらのオリジナルサイト「Playing For Change」の方が、はるかにきれいだし、他にも渋い曲が目白押し。ぜひ飛んで行ってね。 さてさて、今日のつれづれなるままの音楽サーフィンをたどると・・・君を忘れない (松山千春) ↓大空と大地の中で (松山千春) と、渋くきたのだが、なぜか・・恋 (松山千春) ちょっと感傷的になってきた・・・ で・・・玉置浩二 - メロディー と、なっちゃった。この曲、あまりにも甘美で、悲しく、懐かしい青春を思い出させて、涙なくしては聴けない・・・。 「あの頃」を振り返るには、まだ若すぎるし、まだまだやらなければならいことや、やりたいことはいっぱいあるし、未来に希望を持っている。 でも、だ・・・ なぜ、この曲は、こんなに心に響くのだろう?この曲に感動できるということが、つまり生きてきたことなのかもしれない・・・(この際、最近の彼の動向は無視する。) というわけで、良い夢を見てね・・・お休みなさい・・・One Love人には愛があり、心も備わっています みんなで一緒にそれを感じましょう 子どもが泣いているのを聞いてください 愛と思いやりを教えられます そして感謝して神様を称えましょう 自分の嫌なところを言いましょう すべてをさらけ出してください そこに愛と思いやりが訪れます 自分のためだけに人を傷つけることはないでしょう 人には愛と思いやりが宿っています 愛と心ははじめからありました わかりましたね 神様に感謝して称賛しましょう そうすれば人は寄り集まって感じるでしょう それらが一つのものであると 聖なる戦いに集まろう 愛があるから滅びはありません 哀れは内側からやってきます 神様にはみんなお見通しです 人には愛があり心があります 素直に感じましょう 人前で歌うとき胸を張って歌っています 私は神様に感謝しています 惜しみなくほめたたえます みんなも一緒に集まってきてください 私の感じたことを一緒に分かち合いましょう
2010.10.23
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秋も深まってきて、日に日に涼しくなってきた。ジョン・レノンの誕生日も過ぎた今日この頃いかがお過ごしでしょうか? というわけで今日の一曲から・・・The Beatles - All You Need is Love 夏のあいだ、どうにもうまくいかなかったうちの畑も、涼しくなって元気が出てきた・・・けど、苦労した頃の後遺症か、はたまた、わずかに育った野菜達がいとおしいのか、収穫できなくている。というか、どれくらいで収穫すれば良いのかわからなかったりするわけだorz これ、小松菜・・今日スーパーで確認してきたけど、ぜんぜん違う(笑)雪菜とか、そないなのに近いかな・・ すごいっしょ、見た感じ・・・でも、どこを収穫すれば良いのかわかんなかったりしてorz レタスとサラダ菜は、結局こんなんなって花が咲きそう。でも、なんだか食べるより楽しい感じ(野菜嫌いだからか?) あんなに苦労したニンジン、なんかいい感じ、寒くなる前に大きくなると良いんだけど・・これもまた、間引きができなくて、・・・ 今度のダイコンは、ほんっといい感じ。たのしみだなぁ~。 ダイコンのあいだにはサラダ菜が生長中! で、ぱんぱかぱ~ん!あの、葉っぱを全部虫に食べられてから復活したダイコンが・・・ うわっ、うわっ・・・よしっ、ぬくぞっ! ぴゃ~~っ!きれいじゃん、きれいじゃん!やったぜベイビーっ! 毛虫に食われていたチンゲンサイもこんなにきれいになりました! ホウレン草。今度こそ食べられそうだ。 春菊も涼しくなって成長が良くなってるようだ。 そうそう、キク科のマリーゴールドがダイコンのコンパニオン・プランツとして良いらしいので、同じキク科の春菊をダイコンと混植してみた。どうなるかな~。 昨夜、ひさしぶりに走ってきた。4男を寝かせた後10時ぐらいから走りに行こうとしたのだが、子供達は大反対。「なんか出てきたらどうすの?」とか心配してくれる。奥さんも「お化けより変な人に襲われるほうが怖いよ」とか言っていたのだが、フードつきのパーカーを頭からかぶり、イヤフォンを耳にした私の姿を見て「あなたのほうが怪しい・・職務質問されないようね。フードははずしておいたほうが良いよ」だって(苦笑) まあ、実際走ってみたら、田舎町で夜中の10時過ぎに走っている人はいないわけで・・・街灯のついている国道沿いと商店街をクルクル走った。 今日は、筋肉痛だ・・・でも、フィジカルなことも復活かな・・・よしっ!All You Need is Love愛 愛 愛思ってもみなかったことしようとしても心に浮かんだことのない調べを歌おうとしても耳にしたことのない言葉を話そうとしても無理さでもいくらでも 楽しくなれる簡単さ作れないものを作ろうったって無理さ救いようのない人を救おうったって無理さ君は無力に等しいでも おいおい自分らしさを身につけることはできる簡単さ愛があればそれでいい愛があればそれでいい愛さえあれば何もいらない愛こそはすべて未知のものを知ろうったって無理さ見えてもいないものを見ようったって無理さ本来自分の居場所でないところに落ち着こうとしても落ち着けるわけがないだけど 簡単さ愛があればそれでいい愛があればそれでいい愛さえあれば何もいらない愛こそはすべて
2010.10.22
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子供たちに畑を見せていたら、太くなったダイコンを発見。さっそく長男2号に抜かせてみた。耕し方がいい加減なので心配したが、思いのほか簡単に抜けた。 どう?結構立派でしょ?肥料も何もやらんかったけど、ちゃんとダイコンになった。うれしいな。でも・・・・ でっかいスが入っていたりするわけだorz でもまあ、めでたい、めでたい!いま、ブリと一緒になべの中~・・ 子供たちと近くの用水路へ釣りに行ってきた。 きれいな夕日だった。子供たちも感動していた。その「感動する心」を持ち続けてくださいね・・・
2010.10.17
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畑のことを書こうと思ったのだが、仏様のことが長くなった。あらためて・・・ まずは・・・ 今日の一曲Eric Clapton - Wonderful Tonight 愛する人との一瞬を捉えたようなちょっといい感じの歌詞だ(楽天の仕様上、飛んでしまうので、右クリック「新しいウィンドウで開く」で開いて、曲を聴きながら続きを読んでね)。 さて・・・ こんな花が突然畝に咲き始めた。クリビツテンギョウ(びっくり仰天)である。この花、名前をご存知の方がいらっしゃったら教えてください。 ほら、すごいきれいでしょ。こんなん、畑に咲くなんて、ほんとびっくり! 今回はダイコン良いよぉ。きれいだ。 ニンジン! チンゲンサイ! ホウレン草! 実は、これは10月1日に写真。今はもっと大きくなってる。特にダイコンはすごくて、間引き菜が冷蔵庫いっぱいになった。野菜の高騰で苦労している都会の人に、おすそ分けしたいくらいだ。 さて、例の蜂の巣の話・・・ 宇宙人じゃないよ、業者の人。結局1万2千円払って駆除してもらった。でも、見ていたら、1時間ぐらい、戻ってくる蜂を待って殺したり、素人ではできないことをしていただいたので、まあ良かったかなと・・・ 蜂の巣を取った瞬間! 取った蜂の巣。 一株だけ紫蘇が育っていた。花が咲いて実がなった。立派だ・・・ なんだかわからないけど畑に咲いている花シリーズ・・・きれいだよ。 クラウド・ストリート(雲の道)ができていた。この下を飛んでいけば、どこまでもいける。あ、パラグライダーでソアリングする話ね。雲の下には上昇気流があり、そこへ乗っていけば何時間でも空の散歩が楽しめるって話。ああ、飛びたいなぁ・・・ インゲンは空を飛んでる、飛び続けてる・・・ で、奥さんからリクエストのあった、来年のサツマイモ用の、深めの畝を作る。今年はとりあえずニンジンと春菊を混ぜ播きする。どっちも芽が出た。涼しくなってから発芽率はいいのだが、収穫までに冬になりそう・・・間に合うかっ!?
2010.10.16
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10月に入って、なんだかバタバタと日が過ぎていった。ブログはお休み・・・ひとつには、エリック・クラプトンにはまって、ライブを見たり、ギターを練習したりしていた。あんまり上手にはできないなぁ・・・そりゃそうだけど・・・ で、この一曲、Eric Clapton/Tears in heaven 40歳の誕生日を前に、クラプトンは事故で子供を亡くした。その子供に語りかけ、また自分を励ますがごとく作られたのがこの曲。「僕が天国に行ったとき、君は、僕を憶えていてくれるかい?抱きしめてくれるかい?・・・でも、今はまだ、僕は強く生きなきゃいけないんだよ。」と語りかける。いつもながら泣ける・・・日本語訳 10日から、父親の13回忌で京都に帰省していた。久しぶりの家族との対面、うれしかった。ついでに龍安寺の石庭と広隆寺の弥勒菩薩を見てきた。 龍安寺の石庭は思ったより小さくて(まあ、噂には知っていたのだが)、まあまあっていう感じだったのだが、それ以上に龍安寺全体の庭造りに感動した。絶妙に手を入れられた杉やもみじは、まったく人工的なのだが、自然以上に自然を感じさせる。地面はコケに覆われ、森に覆われた山々を感じさせる。杉の木は何百年と経った古木なのだろう。それ自体に歴史を感じさせる。 龍安寺は大きな池を囲んで境内が作られ、池を一周できるのだが、一周するあいだ、ずっと景観が変化し続ける、あるところは桜並木、あるところは藤棚、そして杉林の中にもみじ・・・池には蓮の花が咲き、鳥が泳ぐ。四季を通して楽しめるのだろう。いや、すごいなぁ。 広隆寺の弥勒菩薩に会いたくて、足を伸ばす。竜安寺とはうって変わり、解放的な広い境内は、あの、穏やかな弥勒菩薩から想像していたような静謐で森閑とした雰囲気は感じられない。弥勒様は奥の宝物殿に安置されているようだ。 拝観料700円なり・・・やや高いような気もしたが、一歩、宝物殿へ足を踏み入れたとたん、そんな気持ちは吹っ飛んだ。 ずらりと居並ぶ聖徳太子の時代の仏像たち。まだ仏様が人と同じ空間に存在したであろうことを連想させる、その存在感、その生々しさ。今にも動き出しそうな躍動感。これが1500年も前に作られ、そして今に残っているとは・・・・まさに国宝・・宝物である。 その仏像たちの真ん中に、弥勒菩薩様が鎮座されていた。 これまた噂に聞いていたとおり小柄なお姿だ。靴を脱ぎ、手を合わせ、仰ぎ見る。うん。 と、後ろに何か気配を感じ、振り返った。 そこには、巨大な仏様が鎮座していた。圧倒的な存在感。今にも立ち上がりそうな生命感。すげぇ・・・。しばし魅入られる・・・その両脇には背の丈10メートル近いであろう千手観音が立つ。その腕は、まるで生きているかのような生生しくつややかな肌合いと肉感、柔らかささえ感じさせる。そのお顔は高貴にして厳格、そして優しさをたたえる。 はるか1500年の昔、厳しい生活を強いられていた人々がこの仏さまを目の当たりにしたとき、自然とひれ伏し手を合わせたであろう事が、心の中にストンと理解できた。自分もまた、自然と手を合わせ、涙さえ浮かべていた。すごい。いろいろ写真で見ていてわかったような気になっていたが、やはり直接見なければ、その圧倒的な存在感は実感できないのだ。 などという感想を、奈良文化財保存に携わっている姉に話したら、 「あの仏像を彫った人がすごいんじゃなくて、あの仏像を何万、何百万という拝んだ人々の”気””心”が、すごいの。だから仏像は見たり鑑賞するもんじゃなくて、拝むものなの」とのこと。確かにそうだ。 いや、自分の生まれ育った京都、この年になってあらためて再発見したくなってきた。爺になってきたのかな(苦笑)
2010.10.16
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