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もっとも板橋的なエッセンスの凝縮された路線は、ずっと東武東上線沿線だと思い込んでいましたが、最近になって実は都営三田線こそが板橋らしさの最高に横溢した路線ではなかろうかと感じるようになりました。三田線の三田という地名の都心的なセンスがこうした思い込みを助長していたことは間違いなさそうです。よくよく考えてみると目黒駅を起点とし、板橋区の西高島平駅を終点とするこの路線の総延長は、26.5Kmと思いのほか短いにも関わらず、総距離の1/3を越える約10Kmが板橋区内を縦断しているのです。駅数も全27駅中、11駅が板橋区に所在しており、まさに板橋区のための路線と言っても過言ではありません。まあ大体がこの都営三田線は東武東上線に接続することを目途としていたことを考えると、都心を起点としていながらローカル臭さをどこか湛えたままの東武東上線との親和性はあって当然なのかもしれません。まあそんなことはどうでもよくって早速三田線に揺られて、板橋を目指すことにしました。 下車したのは、先日、喫茶店巡りとそれだけでは物足りず、夜の居酒屋巡りでも訪れたばかりの蓮根駅です。志村坂上駅を通過するとこれまで辿ってきた中山道を逸れて、高島通りにぶつかる寸前に蓮根駅に到着します。次の西台駅を過ぎると板橋らしい場末めいた酒場が散見されるものの、数は格段に減って、閑散としてきますがこの蓮根駅周辺は怪しげな酒場がまだ数多く命脈を保っています。どことなくあか抜けない駅名もまた板橋らしくていい感じがします。一軒目は駅のガード下を抜けると、スナックなどが数件軒を連ねるわびしい呑み屋街がありますが、その先には幅広い高島通りがあります。通りを歩いていると何やらオンボロな食堂らしきものが見えます。営業もしているようです。気が急いて、通りを横断しようと思いますが、車線中央には敷居があって、あれを乗り越えるのは難しそうです。やむを得ず、心を落ち着かせて、遠回りして信号を横断、ようやく店の前に辿り着けました。 「竹内食堂」というのがそのお店の屋号です。引き戸を開き入ってみると、想像以上にどんよりとしたくたびれきったオーラが漂っていました。まだ5時を回ったばかりだというのにテーブル席ではばあさん2名に50代位のおっさんが3名で酒宴を繰り広げています。う~ん、いかにも板橋の食堂風景だなあと、ひとりほくそ笑みつつ席に着きます。反対側の小上がりではおっさんが独り巨大な器に盛られたタンメンを黙々と食べています。店はかなりのご高齢の夫婦だけでやっているようで、とりあえず目に付いたきんぴらを注文するとこれがなんともすごい量。けしておいしいわけではありませんが、250円でいいのかしらと思うほどで、レモンサワー2杯呑んでも余らせてしまうほどでした。3人組の会話はかなりえげつなくて際どかったので詳述できませんが、そんなえぐい会話さえ楽しく思われるのでした。 続いて駅に取って返して、ガード下で見掛けた「和色酒家 たか」にお邪魔することにしました。ガード下らしくまっすぐなカウンターに10席ほどの狭いお店。刺身だけでなくもつ刺しなどが自慢のお店らしく、なんと鹿の刺身まで用意しているようです。ぼくは値の張る生ものは遠慮しておき、40円のコロッケや100円ちょいのメンチカツなどをいただきましたが、これがなかなかおいしかったのでした。こうしたお店の御多分に漏れず、一見客にはいくらか敷居が高くて、常連さんたちとの会話はぼくを疎外害された気分にさせるのに十分でしたが、けして一見客を無視しているわけではなくて、気配りはしっかりとしていました。お隣の常連さんは本当にここのことが気に入っていて、それは肴の旨さのせいばかりではないように思われました。ぼくのようなよそ者が長居しては店の迷惑なのでほどほどで引き上げることにしました。 さて、前回に訪れた際に閉まっていた「吉田」は、やはり今回もシャッターが閉まったままです。やはり店を閉めてしまったのでしょうか。店を畳んだとか張り紙してくれればいいのにな。
2014/06/30
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東北本線の上り各駅停車に乗り込みますが、さほど距離も稼げぬうちに白石駅止まり。1時間近く待ち合わせがあります。当然、途中下車して町を歩いてみることにしました。 いきなり結論を言ってしまうと、白石駅前で見かけた喫茶店はすべてお休みだったのですが、どうにも気掛かりな喫茶店が数軒あったので備忘のために記録に留めておくことにします。駅前ロータリーにある「コーヒー&スナック パオリ」はスナック度が高そうですがサイコロ状のキューブを組み合わせた看板が洒落ています。駅から5分位のシャッター商店街で見た「ベルベル」はパン屋でしょうか。駅前ビルにひっそりある「ドルフィン」は古臭いコーヒーショップみたい。駅前通りに面した「多憩」は検討もつきません。「コーヒー 軽食 停車場」、ここ気になるなあ、真新しい置き看板があるんで営業してるんだろうけど。それにしてもこの店は一体どういう造りなんでしょう。細い廊下もしくは階段を登っていくと思いがけぬほどに広い空間が広がっているのでしょうか。それとも築地場外のとある喫茶店みたいに5人も入ると目一杯の狭さなのか、空想が膨らみます。 ついで福島駅にて下車。あまり長居する時間がないので大急ぎで町を散策。何度も着ているので、それなりに土地勘はあります。商店街を通り抜けると何軒かの気になる喫茶店あり。引き返し際にお邪魔することにします。商店もまばらになってきたので左に折れると「パン 洋菓子 喫茶 オジマ」がありました。洋菓子店の奥に喫茶コーナーがあるのってなんかクラシカルで、懐かしい気持ちになります。今風では全くないグラタンパンを喫茶で食べさせていただきました。とても気の良い奥さんでした。喫茶室も写真では捉えきれない渋くて暖かなムードでした。 せっかくなので呑み屋街を一瞥することにして、目抜き通りに並行して伸びる通りまで100メートルほど北に向かいます。昼日中の呑み屋街はさすがにうらびれて見えますが途中の脇道の呑み屋の密集地帯を見ると福島で夜を待って帰郷は明日にしたいとの気持ちに傾きそうになります。とは言えそんな訳にもいかないので目を付けておいた「珈琲 グルメ」に立ち寄ることで気を紛らわせることにします。某コーヒーショップの2階という環境にありながら大変な繁盛振りです。船内を思わせるランプシェードにクロスに彫り抜かれた純喫茶に定番のチェアと本格的な珈琲専門店の装いがやや生硬ながらもよい感じです。家族連れやデート中の生徒カップルなどで大変な賑なのが言ってはならないと思いつつも騒がし過ぎるのが残念でした。
2014/06/29
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ひさびさの登場となる池袋ですが,最近はまともな状態で池袋に到達することは少なく,少々イレギュラーではありますが,どこぞやでさんざん呑んだ挙句に池袋で下車,相当なへべれけ状態でありながらも酒場を求めて彷徨した2日分の酒場記録を御披露します。東武東上線沿線住民である上司のT氏が一緒なのでした。 日頃は純日本風のクラシカルな居酒屋で焼鳥、枝豆といった定番の肴でお値頃な銘柄酒を冷やで呑むことを好む保守的なT氏ではありますが、酔っ払うと時に柄にもない気取ったお店に入ってしまうこともあります。この夜も既に十分へろへろな足取りとなっていたにもかかわらず,どうにも物足りなかったのか―記憶があいまいなのです―1度お邪魔したいと思っていた「小料理屋 東風」(自腹ではちょっとお高い感じなので,こういう機会を待ち構えていました)に向かいます。ところが,もう何度目になるでしょうか,満席で断られてしまいました。面倒なのですぐお隣の「トルコアズ(旧店名:Resat)」というトルコ料理店に入ることにしたようです。このブログを読まれる限りにおいては,ぼくにはエスニックとかにはほとんど興味がないように思われるかもしれませんが,以前は定番のタイ料理を始めベトナム,ミャンマー,モンゴル,アフリカなどなどの料理店を食べ歩いたものですし,もちろんトルコ料理も大好きでちょくちょく呑みに行ったものです。ヒヨコ豆やナス,肉のペーストなどが好きでよく食べました。ヨーグルトのスープなんかも最初はギョッとしたものですが,食べてみるとさっぱりとしていながらコクもあって,レシピを取り寄せてみると,ニンニクの擦りおろしたのがまぜてあるなんて大丈夫なのだろうかとびくびくしながら作ったものです。それが簡単かつおいしかったものだから一時毎週のように作りました。さて,お腹は膨れていたので,トルコ料理は自重してトルコ産のビールをガブガブと呑んでしまいました。ピザみたいなものも摘まんだ記憶がありますが,どうってことなかったかな。翌朝T氏にえらく高くついたとぼやかれたのでした。 さて,また別なとある夜のこと例によってご機嫌になって池袋駅に到着。またもや「東風」に向かったのか,それとも「ふくろ」にでも行こうとしたのか,それこそまるっきり覚えておらず,写真を分析した結果「おもろ」であるとの結論に達したのでした。ぼくの携帯にはどうしたものかこういうどこの風景だか判然としない画像が多く取り残されています。近頃は以前にもまして横着になり,店名さえメモせず,しかも撮影技術の向上も見られず,店の看板やらじっくり解析してみてもここはどこなのか,ホントにこの店で呑んだのかさえ,判然としないことがよくあります。まあそんなことはともかくとして,都内の沖縄料理店の最古参であると思われるこのお店,古い酒場がほとんど残らぬ池袋にあっては,戦後闇市の面影を色濃く残す数少ない店として貴重であり,その雰囲気はやはり好きであるものの,いささか値が張るのが玉にキズ。そんな打算からこちらにお伺いしたのかもしれませんが,翌朝気付くとぼくの財布が明らかにさびしくなっており,どうもぼくが今回は支払う羽目になったようです。写真の料理はソーメンチャンプルーなのでしょうが,T氏ともどもまったく食べた記憶がないのでした。
2014/06/28
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政岡通りの「鳥紀 本店」を出ると雨はかなり小振りとなっていました。それでもまだまだ歩くにはやや辛い状況です。仙台の町は東西の中央通り、南北は一番丁通りというアーケードのある商店街が伸びているので天候にさほど振り回されることなく移動が可能です。 そういうこともあり、昨夜に引き続いて一番丁通りに面した壱弐参横丁にまたもややって来ました。と言っても本当に目指すべきはもっと先にある先日行きそびれたお店です。ここへ来たのは、いつなくなってしまっても不思議ではないこの横丁を記憶に刻み込んでおこうという趣旨があっただけ。なので酒場にはさほどこだわらず目に付いた「仙壱屋」に手っ取り早く飛び込んだのでした。このお店、店に入ってしまうと横町の風情など消し飛んでしまうくらいにごくごく平凡なお店です。こういう横丁って造りや間取りなんかがほぼ一緒なのでどうしても似たような雰囲気になりがちな傾向がありますが、この横丁は開設時に激しい縄張り争いでも繰り広げられたのではないかと想像を膨らませてくれるほどに変化があってそこにこそこの横丁の特異さと愉快さがあるのですが、このお店ではその多様さが逆に凡庸さへと作用してしまったようです。まあ誤解のないように付言しておくと別にこちらは全然悪いお店ではないことは言い添えておきます。 一番町商店街の突き当りを右に折れ,灯りもまばらな南町通りをほんの少し歩くと「明眸」があります。戸を開けると目が眩むほどのくらいの暗さです。もう少し暗闇に目を鳴らしておくべきだったかもしれません。徐々に目が慣れてきて、ぼんやりしていた店内の様子が輪郭を明らかにしてくると意外な調度のセンスに愕然とします。カウンター席こそ正統派ですが、テーブル席はこれはむしろ喫茶店に置かれるべきものではないかと呟きたくなります。気を落ち着けて馴染のあるカウンターに座ります。これまた意外なことに店を守るのは品がありながらも陽気な女性でした。お客さんはさほど入っておらず、もう何十年と通い詰めているようなご高齢のお二人に若い常連、夫婦連れだけです。今では写真のみで確認することができる居酒屋というものが日本に確立した当時の和洋が折衷した現代では奇抜とも感じられる内装にじわじわと全身が馴染んでいくに従い、まさにこの雰囲気こそが酒場の原点であり本流であるとの確信さえ抱いてしまいます。聞くとこちらは昭和5年創業とのこと。これほどの歴史を生き伸びた酒場は都内でもごく僅かに留まるでしょう。ところでこちらの主力商品は、小柄な女将の丁寧に焼く大振りなもつ焼ときてはますます内装とのギャップが際立ちいつまででも腰を落ち着けたくなるのでした。 といつたところでこの度の仙台滞在はひとまずお開きです。帰りは東北本線の各駅停車。土砂降りの中、これまで下車したことのなかったいくつかの駅でよさそうな酒場を見かけました。石橋駅の「やきとり 大ちゃん」や蓮田駅の「せきね」など面白そうな酒場がありました。石橋駅はちょっと遠くてなかなか行けそうにありませんが、蓮田駅はいずれお邪魔したいものです。参考までに帰京時の下車駅:仙台―山寺―仙台―白石―福島―郡山―宇都宮―雀宮―石橋―栗橋―蓮田
2014/06/27
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歩き回るのがいやになるほどの大雨に襲われますが、もう次の店は決まっています。さすがにこの豪雨の中、あまり歩き回り気にはなれないので、全蓋式アーケードのある名掛丁センター街は雨なんぞ気にせずともなんとかなります。センター街に酒場はあまり見受けませんが、ここからそう離れなくても、1軒や2軒はよさそうな酒場があるはずです。というより実は先ほど目を付けていた酒場があったのでした。それにしてもこんな酒場以前はあったかなあ。酒場巡りを始めてからも仙台には何度か訪れていますし、センター街にもちょくちょく通っていますが、ここは記憶にありません。 迂闊にも記憶からは失われていましたが、その酒場は政岡通りの入口にある「もつ焼き 丸昌」というお店です。安普請な酒場らしい雰囲気が昨今作られた老舗酒場もどきなどとは一線を画していますが、どうにも思い出せないのが解せません。きっと居抜きで入ったのでしょうが、なかなかの雰囲気を漂わせています。まっすぐ伸びたカウンターだけでも20席以上は裕にありそうですし、所狭しと並べられたテーブル席も10席を越えていそうです。奥に続く通路さえ有効利用してビールケースを積んで2人掛けにしている卓が2卓ほどあります。これがなんと開店早々であるにも関わらずほぼびっしりと塞がっています。かろうじて空いているのはカウンター1席のみ。その席をなんとか確保して着くことにします。ふと見上げると、お疲れさまセットなるものがあって、飲物に肴がセットになった例のものです。面倒なのであまり考えずに注文します。お通しにキャベツが出されるのは邪魔臭いなあなんて思っていると、飲物に続いて、まずは煮込み、次いでおでんに枝豆、さらに塩辛にもつ焼、さらにもう一品出てきたような。とにかくサービス過剰な位のおつまみの充実っぷりに目眩がするほど。これが味はともかく量もたっぷり。このセットは二人でひとセットで十分。それで800円だか、888円とは驚愕させられます。勘定の値段がなんだか計算と合わないけどまあいいかと思える、大繁盛も納得の酒場でした。 表はまだ激しい雨が降りしきっています。政岡通り沿いにどこかいい店がないものかと雨宿りを繰り返しながら進んでいくと、老朽化したビルの地下に焼鳥屋らしき看板を見つけました。地下に向かう階段を下りる際に視界におさまってくる、ビールケースなど乱雑に置かれた散らかった様子や何やら得たいのしれぬものが付着したべたついた廊下や引き戸を見ただけでも相当な年月を経ていることが見て取れます。「鳥紀 本店」という屋号です。店内は想像以上の広さで楽に60人や70人は収容できそうです。が、時間が早くこのひどい天気もあってか、中年の男女3名がいるばかりです。店の方もかなりの高齢でなんとも言えぬ侘びしさがたまらなくいいのでした。こちらのお通し、なにやらやたらめったら酸っぱくて、その食材も怪しい食感で珍しく橋をちょっとつけただけで残してしまいました。昔の居酒屋では山クラゲなんかの怪しいお通しが出されて辟易したものですが、今時こんなに旨くないものを出すのは珍しくて思わずほくそ笑んでしまいました。ここでは肴は単なる飾りだと思いこの汚くて懐かしい空間をひたすら楽しみたいものです。
2014/06/26
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国分町の外れで1日目を終えるつもりでしたが、ホテルまでが思っていた以上に遠い。都内ではどんなにべろんべろんに酔い潰れてしまっても、どうにかこうにか自宅にはたどり着けるのですが、多少馴染があったにしろ、普段暮らしていない町では、日中の疲労も通常以上となっているでしょうし、なにより距離感が出鱈目になってしまうようです。先日甲府を旅した際の過ちをまたもや繰り返してしまいました。ホテルまで目前というところに来ているのに、これほど歩くはずはないと、これ以上進み遠くまで行ってしまうことに若干の恐れのようなものを抱いてしまうようです。この夜も後から考えるとこのパターンに嵌っていて、あと信号ひとつ渡ればさほど歩かずともホテルに辿り着いていたはずなのに、ちょっと大きい通りを渡ることを億劫がってしまって、引き返してしまったことを覚えています。なかなかホテルに辿り着かず、自らにぶつけるしかない怒りとわずかの焦りにうんざりしてしまったので、こういう場合は呑むしかないと悪いループに嵌ってしまうのも定番のコースです。 そういうわけで、なぜかまたもや国分町に引換し、とは言っても中心からはかなり離れた場所にある「もつ蔵 国分町店」にお邪魔することにしたのでした。国分町はまだまだ宵の口といった時間ですが、まだまだ旅の途上にある身にとってはけっこうなよい時間帯です。それこそえり好みしている場合ではありません。新しい店内はさほど魅力があるわけではありませんが、くたびれた身にとっては清潔で安心して入れるお店です。客層は、早い時間帯は仕事帰りのサラリーマンを想定しているようですが、店を終えた同業も当て込んでいるのでしょうか、なかなかしたたかな商売振りのように見受けました。ぼくの貧困な観察経験では、クラブなんかに入り浸る客はかつてはアフターに店の女の子を同伴して焼肉店や寿司屋へ繰り出していたという印象ですが、景気が上向きとかいうこの現況でもやはりもつ焼店のようなお手軽な方に流れるのも増えているようです。むろん、仕事を終えたちゃらちゃらした服装の客引きのお兄さんたちも多く目に付きます。店は限りなく平凡でこれと言った特徴もないのがむしろ好まれるのかもしれません。酒も肴もごく標準レベルで、ただ店のお兄さんたちが軽そうな見掛けながら、案外生真面目そうなのも仙台人の人柄なのでしょうか。 ほうほうの体でホテルに帰還し(たらしい)、なんとか起床、ようやく準備を整えて人心地つこうと思ったところにK氏から連絡あり。喫茶店でモーニングを摂ってから、一番町通り、中央通り、名掛丁を経由し、仙台駅に到着。天候はいまひとつですが、仙山線に揺られて山寺(立石寺)にご案内です。(中略)観光を終え、仙台駅には14時頃に帰還、お土産を見繕いますがK氏の帰りの新幹線にはまだ時間がたっぷりとあります。それでは一杯やりますかねと向かったのは、昔から変わらぬ横丁風情をかろうじて留める数少ないエリア、名掛丁です。 仙台駅東口すぐの名掛丁センター街は、多くの横丁が消滅した仙台市街地の中では、壱弐参横丁が若者向けの酒場へと新陳代謝しているのとは対照的に居抜きは、ありながらも昔からの古い飲食店がかろうじて残される一角です。まだ夕方にもならぬ午後3時過ぎですが、雨脚も強くなっているので辺りも暗く、これならまあ呑み始めてもあまり罪の意識を感じずに済みそうです。何軒かはすでに営業を始めています。そんな中で名掛丁のアーケード側と路面の政岡通りをまたぐビルには、抜け道風に酒場が軒を連ねるビルが2つあります。その抜け道のひとつに「味なかくれ処 いな穂」があります。カウンターにテーブル2卓のこぢんまりしたお店を中年のご主人がひとりでやっているようです。瓶ビールを注文するとお通しには思いがけずも稚鮎などの気の利いた肴が3種盛合されていました。カウンターのネタケースの上には月山筍とあり、ネマガリダケのことのようです。これはぜひともいただきたくて注文しました。皮ごと炙った筍に塩もしくは味噌をつけただけのものですが、ほろ苦くて香ばしくて酒が進みます。主人は風貌は料理人風ではありませんが、どこぞやできっちり修行されたのかもしれません。雨脚があまりにも強くなったので、K氏は帰りの新幹線を早めることにしました。勘定を済ますと入れ替わりに高齢のオヤジさんがお二人入られてきました。駅に向かう途中で傘も役に立たぬほどの大雨になりました。そんな時なのにK氏は店にお土産を忘れてしまったらしく、取りに戻ると店にはさらにお二人が入られていて、この方たちもかなりご高齢なのでした。
2014/06/25
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壱弐参横丁の老舗酒場で長居してしまいました。かなり年長のK氏は、横丁の雰囲気を堪能したものの相当へばってしまったようで、先にホテルへとご帰還することになりました。これからは独りきりの時間を過ごすことになります。人と一緒も愉快ですが、やはり独りにならないとその町を十分には知りえぬのではないかと思うのです。 仙台駅前の目抜き通りである青葉通りと一番町通りの交差点にある「たから屋」という立呑み店の店先でK氏とはしばしのお別れです。独りになったわずかばかりの寂寥感と解放感がなんともいえず心地よく感じられます。明るい清潔感のある立呑み店でけして好みのタイプの酒場とは言えません。ああ、これこそが旅なんだなあなんて柄にもなく気取ってみたりしますが、これまで喋くりまくっていたのもあって、独りが退屈になってきます。先客のカップルが帰ると若い主人も暇を持て余したような表情を浮かべています。なかなか感じの良さそうなお兄さんだったので、話しかけてみることにしました。って言っても話題はこの辺りの酒場の話。どこか古くからやっているお店はないか伺ってみたところ、いくつかの有力な情報の中でもとりわけ気を引く酒場がありました。わざわざ伝票の裏に書き込んでくれたところによると「明眸」と書き「めいぼう」と読む酒場がお手頃価格で古くからやっているらしいと店の馴染の客から聞いたとのこと。さもあらば行ってみないわけにはいきません。おっとその前にこちらのお店の感想を。正直まだまだ店として枯れていない感じで模索中というところのようですが、若い主人の人柄の良さがあれば、韓国風にアレンジされた肴も悪くなさそうなので、あとは頑張り次第で長続きすることを期待したいものです。ただ、値段が立呑みとしてはちょっと高めなのが気になりました。 「明眸」を目指します。一番町商店街の端っこを右に折れてちょっと行ったところとのことです。アーケード街を抜けて街灯もまばらになった場所にその店がありました。外観はさほど古くは感じられませんが、大きな袖看板に店名が几帳面な書体でくっきりと記されている辺りに店の歴史を認められなくもありません。これは後日なんとしても訪れたいものです。 くたびれ果ててはいますが、せっかくの仙台の夜をこれで終わらすわけにはいきません。次は仙台最大の歓楽街として名高い(?)国分町に行ってみることにします。国分町は居酒屋というよりはスナックやキャバクラ、その他風俗店が目立ちますが、客引きの呼び込みなどに惑わされずに気をしっかり持ってじっくりと目を凝らすとちらほらとちょっとよさそうな居酒屋やバーなども潜んでいることがわかります。でも時間も時間なのであまり選り好みしていると明日に差し支えます。それでも国分町をざっと2巡ほどしてから、意を決してお邪魔することにしたのが「いわき」でした。いかにも歓楽街の片隅で身を潜めるように商売を続けてきた典型のようなお店で哀愁が色濃く感じられます。恐らくはホステスさんなんかをはじめとした水商売の方たちを相手にしたお店なのでしょう。店内はカウンターせいぜい10席程度の狭さで、先客は男性客1名だけ。見たところちょっと強面でどこか女の子を置くようなお店の用心棒というわけでもないのでしょうが、それなりの修羅場を踏んできたといったまるっきり表情も変えず、ひと声も発せず、ひたすらTVの画面に見入り、何を考えているのかわからない方でした。主人もまた必要最小限な言葉以外は発することなく、こうした町の光と影の影の一面を数多く見てきたといった様子です。まあこんな観察は一見のよそ者がどこか身勝手な期待含みでの推測でしかなくて、日頃はまったく違った表情を見せられるのかもしれません。そうそう、そろそろ仙台のお楽しみを肴にしようと頼んだのはホヤなのでした。仙台で過ごした当時は呑みこむようにしか食べれなかったこの肴が今や仙台を訪れる愉しみのひとつになるとはと流れた歳月の思った以上の長さに酔いは一段と深まるのでした。
2014/06/24
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なかなか遠方くへの出張がない職場なので,そのチャンスが巡ってくるといつもだと1カ月も前からうきうきしてみっちりと下調べやらスケジュールを立てて,実行不可能なほどの充実したプランが出来上がるのですが,今回は珍しく立て込んだ仕事に追われ,ほとんどノープランで仙台に向かう羽目になったのでした。といっても仙台は小学生、中学生にかけて2年と少しの期間、暮らしたこともある町でその後もちょくちょく訪れる機会があって、このブログでも何度か報告させていただいてるくらいには勝手知ったる町です。その余裕もあって、下調べが楽しみというよりは、すでに自分が知っている以上の発見などあまり期待できないという諦念めいた気分で旅に出ることになったのはなんとももったいないことでした。しかもその前夜には如何ともしがたい会合に出席しなければならず、酒は極力控えめにしておこうと思いつつ、そんな思いがどうにかなるわけもなく、いつものように痛飲してしまったのでした。 そういうわけで仙台での用事が昼過ぎから夕方ということもあったので、午前中はフルに自分の好きなように使えるという絶好のチャンスを活かすこともできず、珍しく乗車した東北新幹線の途上でも―大抵、鈍行か高速バスを利用する、トホホ―うつらうつらと過ごしてしまい、到着したのは用事の約束した時間のわずか2時間ほど前だったのでした。用事というのは一応仕事なので遅刻する訳にもいきませんから、あまりぶらぶらしていてうっかり遠くまで行ってしまうなんていう失敗をやらかすこともできません。やむを得ず、会場のある仙台駅東口―住んでいた頃には駅裏と呼んでいた―を歩いてみることにしました。昔この界隈を遊び場にしていた当時の思い出を辿る散歩となりそうです。二日酔いのぼんやりしたときには、こういうおセンチな行為も悪くなさそうです。といってもこんな私的なことをつらつら綴ってもしょうがありません。歩いた経路だけを備忘のために記しておくことにします。東口は寺町です。立派な寺社が点在しており、その中心には新寺小路という2車線道路が伸びています。この通りをちょっと南に入ると、当時仙台一校に通った若き日の井上ひさしが可憐な美少女時代の若尾文子の暮らす駄菓子屋(だったかな?)に通った連坊小路があります。ここにある小学校にぼくもかつて通ったのでした。ところが新寺小路こそかつての面影のままですが、小学校が見つからない。まあさほど未練があるわけでもなし、かつての中学校を目指しました。こちらはさすがにすぐに見つかります。この一帯にはかつては喫茶店が数軒ほどあったはずですが、まるで見かけません。時間もないことなので、楽天Koboスタジアム宮城―当時はごく単純に宮城野原球場だった―を眺めつつ、仙台駅方面に引き返すことにします。過程で1軒の喫茶店を目にしました。ここの存在はまるっきり記憶にありませんでしたが、残念ながら閉店してしまったようです。かつての面影のまっくなくなった榴ヶ岡駅―かつては地上駅でした―とその沿線風景をしらじらとした気分で眺めていると早くも仕事の時間が迫っています。軽く食事を取ろうと東口のかつてはごちゃごちゃした呑み屋街だった辺りに行ってみることにしました。これまで迂闊にも知らなかったのですが、名掛丁って駅の東西を連ねいていたようです。こちら側はすっかり整備されて、でも寂しく数えるほどの飲食店があるばかりです。そこを進むと元寺小路と名掛丁を交差するように架けられた通称X橋と呼ばれた―正式には宮城野橋だったようです―レンガ造りの古い橋があり、この周囲は戦後、赤線の指定を受けていたことを知ったのは、ずっと後のことですが、今にして思うと、怪しげなスナックや呑み屋の跡が数多く残されていたことが思い返されます。《仕事につき中断》 仕事を終え、簡単な宴席を中途にて退出、ようやくフリーとなります。といっても今回の出張は同行者ありです。20歳近く年長のK氏が一緒です。K氏は最近になって急激に親しくなった方で、この人の口添えもあって今回の出張が叶ったわけですから感謝しなくてはなりません。酒はさほど強くありませんが、その席は大好きなようです。せっかくの仙台なのでその名店にまずはお邪魔することにしました。取りあえずホテルにチェックインしようと向かうは青葉通りを西公園方面まで歩かねばなりません。K氏には予告編として立ち寄る酒場の片鱗を眺めてもらって気分を高めることにします。一番町通りを通過しながらその呑み屋街を案内すると気分がかなり高まったようです。青葉りを交差する国分町通り晩翠通りを越えてようやくホテルにチェックイン、休む間も惜しく早々に一番町に取って返しました。 この夜の一軒目は文化横丁から始めることにしました。仙台に在住の呑兵衛の方や酒場マニアの方であればすぐさまああ、あすこかと思い至るに違いない名酒場を目指します。青い電飾看板が下がるアーチを越えると呑み屋や寿司屋が軒を連ねています。そんな通りをしばらく進むと「源氏」と控えめに灯る看板があります。わずか1間ほどの小路に入り込み、さらに左にそれるとその酒場の入口に辿り着きます。この入口までのアプローチだけでも行ってみる価値が十分と思わせるすばらしい雰囲気。昭和25年創業という仙台でも最古参の一軒で、よくよく見ると2階建ての思った以上に大きな家屋であることに気づかされます。早速店内に入るとわれわれのために誂えられたようにコの字のちょうど2席が残されるだけだったのでした。よく知られるようにこちらはお酒を注文すると肴が1品添えられるという方式が採用されています。この独特な流儀にも店の歴史が感じられます。もはや年齢も不詳である、真白な割烹着がこれ以上ないくらい似合う女将さんは他には思い浮かばぬほどです。K氏も店のちょっと暗すぎるくらいの静謐なムードをすっかり楽しんでおられるようです。お客たちはけして黙りこくっているわけではなく、この店のムードを壊すことのないように節度を重んじるべきであることを店の風格が悟らしてしまうようです。K氏に言わせるとぼくにはこの店は上品すぎやしないかということでしたが、いやいやぼくだって、けしてこういう格調さえ漂わす風雅なお店も大好きなのですよと、満足されている姿を喜びつつ、次なる店に向かうのでした。 店を出て、巨大なバラックを示すと大層興味を持たれていたので、せっかくなので続いては壱弐参横丁に行ってみることにしました。昭和20年の仙台空襲により焼野原となった町は多くの露店があったそうです。昭和21年に露天商が集まり中央公設市場としてできあがったのが壱弐参横丁ということです。横丁といってもっかなりの規模があり、飲食店を中心とした150軒近くの店舗が入居しているようで、確認しただけでも4つの共同便所があります。そんな中でも最古参に違いない「ツルヤ」にお邪魔してみることにしました。「小町」や「金八」など老舗風でありながらが若干高級な雰囲気であるのに対しお向かいの「王将」当は懐かしい大衆居酒屋らしい造りです。昭和22年創業というからこの横丁の最古参の一軒であること人間違いはなさそうです。そういうお店だから店主夫婦のかなりの高齢、オーダーミスもなんのその、頼んだはずのしどけ(山菜)のお浸しも頼んだそばから忘れ、茹でては忘れ、味を付けてようやく出て来るかと思ったらよそにいっちゃって、われわれの前に出されたのが30分をとっくに過ぎているのもお愛想。客たちはそんなじいさん、ばあさんの憎々しい発言が連発しようとも、どうしても憎めないのでしょう。これぞ老舗店ならではのまったりとしていながら、毒を孕んだ言葉の応酬がなんとも言えず楽しくて、爽快でいつまででも呑んでいたくなるのでした。 ここでK氏は早くも脱落。ほとんど食事らしい食事もとっていないのに大丈夫なのか。ぼくは独り青葉通りと一番町商店街が交差する角にある立呑み店に入ることとし、ひとまずは解散となったのでした。
2014/06/23
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本当なら居酒屋巡りから話を始めるつもりでぽつりぽつりと書き始めていたのですがうっかり日曜版の喫茶店ネタがなかったものですから記憶に新しい先だって行ったばかりの仙台への出張の行き帰りに立ち寄らせてもらった喫茶店の話から載っけることにします。すでにほぼ書き終えている居酒屋編との繋がりの悪さや重複はご容赦ください。 二日酔いの残るひどく鈍って重い頭の立ち直る気配さえ訪れぬままに、呆気なく到着した仙台駅。用件の開始までは2時間ばかりしか残されていません。かつては駅裏と呼ばれた駅東口を散歩することにします。この詳細は居酒屋編に譲ることにして、すっかり様変わりした榴ヶ岡駅周辺を歩いていると「Rio」という喫茶店があります。ここからほんの20メートルほどの場所にかつて住んでいたのにこんな喫茶店があったことなどちっとも知りませんでした。残念なことに閉店されたようです。 典型的な地方の駅前の再開発地域の様相を呈している東口ですが、駅からもそう遠くない場所に嬉しいことにそれなりの年季を感じさせる一軒家の喫茶店がありました。「赤い屋根」という喫茶店がありました。扉上の壁に貼り付けられた可愛らしいロゴの点が剥がれ落ちているあたりに店の年季を感じます。店内も枯れたいい雰囲気ですが,ギャラリーっぽく雑多な調度が展示されていて,どうやら骨董も扱っているようです。外目にはそれなりの収容定員が入れそうに見えましたが,それらの骨董品が喫茶客の居場所を狭めています。ぼくの趣味とは少々異なりますが,古い喫茶の少ない仙台にあっては貴重な喫茶店です。 仕事を終え,2軒呑んだ後,同行したK氏と別れ一人になったぼくはさっき呑んでいた壱弐参横丁(詳細は居酒屋篇で)に引き返しゆっくりと独りで散策してみました。仙台に住んでいて数十年前からほとんど変わらずやっているお店がまだ営業していましたので入ってみることにしました。「三好ロフト」というお店です。どうも記憶の底から違和感が湧きあがって来たので,ネットで調べてみるとかつては「コーヒー ロフト」という名前でやっていたのが,10数年前に「三好」という定食屋とくっついたようです。それが違和感の理由だったのか定かではありませんが,まあ納得しておくことにします。特に凝った飾り付けがされているわけではありませんが,昔風の落ち着けるお店でした。 翌朝,8時過ぎにK氏が部屋に迎えに来てくれました。酒が残っていますが動き出さないと体がどんよりしたまんまで1日が終わってしまいそうなので、気力を振り絞って町に繰り出しました。歩いていると、それなりに古びた感じの喫茶店があったので朝食を兼ねて入ってみることにしました。「ポケット」というお店で、格別愉快な飾り付けが施されているわけではありませんが、まあカフェとかコーヒーショップばかりのこの界隈では、重宝されてきたお店のようです。典型的なモーニングが二日酔いの胃腸に染み渡り、ひと心地つけました。 その後、山寺観光をして、おみやげを買って、少し呑んだ後K氏とはお別れ。独りで呑むことにしたのですが、それまた居酒屋編にて。翌朝、早く起床して各駅停車で東京を目指します。
2014/06/22
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どんなに飲食店が少ない町だと思っていても、さすがに東京の中心、山手線の駅ということもあって、まだ未訪店が残されています。まずは開店直後にお邪魔したままになっていたもつ焼き店にお邪魔して、続いて未訪店へとハシゴすることにしました。 駅を出て横断歩道を渡り,巨大なビルを避けるように迂回して坂道を進みます。登り切ると数軒の飲食店がありますがまた何軒かが店を畳んでしまわれたようです。そんな中で唯一活気があるお店が「もつ焼 たつや」です。活気があると言ってもまだ時間が早かったのでしょうか,上司のT氏とぼくが口開けです。ただ,席に着くや否やまたたく間に席が塞がっていきます。もともとさほど広くないお店なので一気に活気づきます。塩味の煮込みや,ネギや玉ねぎのスライスもちりばめられたコールスローは酒のアテにぴったりです。お待ちかねのもつ焼きはかなりのハイグレードでやはりここはなかなかのものだと感心しきり。酎ハイはシャーベット状の焼酎を惜しげもなく透過した梅エキス入りの本格派。これはやはり人気が出てしかるべきだなと改めて感心するのでした。こうした若い店主の気迫が感じられるお店が田端とかの酒場過疎地帯に進出するのは心強いものです。 駅を越えて列車の行き交う架線橋を通過,階段を下って普段であれば右に折れるところです。それはもはや習慣化してしまっていて身体で覚えてしまっているかのようですが,この夜はぐっと堪えて左に進むことにします。そこからはもうすぐです。「二美食堂」というお店で、看板によると天婦羅を主力に据えた食堂のようです。この天婦羅がメインというのが敷居を引き上げていてこれまで入れずにいたのでした。二階もあるようですが一階はまだ一人のお客さんもなく、若夫婦の息子たちが夕食を明るい笑い声を上げて、じゃれ合いながら食べています。最初は寡黙そうだった奥さん、実はかなりのおしゃべりのようです。このお店が100年を超える歴史があるとか、旦那さんがフレンチだかイタリアンの出身だとか、店を継ぐため婿入りしてもらったことなどを矢継ぎ早にお話されました。そうそう、肝心の天婦羅は本格的なものというよりは、大衆食堂のそれで安心できる味なのでした。
2014/06/21
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つい先だって訪れたばかりの根津にまたもややって来てしまいました。先日来た時には休んでいてお邪魔できなかった酒場に行くつもりなのです。一度ここを尋ねたことのあるO氏によるとこぢんまりとした雰囲気のよいお店ではあるけれどいかんせん狭くて、常連率も高いようで出遅れると満席で入れないこともありそうだとの情報をもらっていました。そんな訳で定時には職場を飛び出して、かの店に駆けつけるつもりでしたがなかなか世の中そううまくは行かないもので、なんとか根津に到着したのは6時30分を回っていました。 やって来たのは「季節料理 すみれ」です。先日は休みで明かりもともらぬ店はうらびれた古い日本家屋にしか見えずさほど興趣をそそられる事もありませんが、ポッと明かりの灯る店のガラス戸越しに人々の気配をまとってみせた途端に、店は精気を取り戻したかのように魅力的な表情に変貌するのでした。さんざめく様子を想像しながら、背景の夜の帳にひときわ映える赤提灯をちらりと眺めながら引き戸をドキドキしながら開きます。ああ、なんとか入れるようです。カウンターのみ10席ばかりのお店にすでに5名が明るい笑顔を振りまいています。この風情ある店で呑めることを心底楽しんでいるようです。思いがけずお若い女将さんこそがこの店が好きでたまらないご様子です。麦焼酎の炭酸割で呑み始め。お通しのさつま揚げや切り干し大根など家で食べると上手くもなんともないのに歴史を刻んだ酒場で摘むとこれ以上何もいらないと思えるのは不思議なものです。古いお店が好きらしい夫婦ーコソコソ交わす会話から味のある店ねえ、なんていう会話から推測ーと女将がこの店の雰囲気にあまりそぐわぬハワイの話題を聞くともなしに聞きながら、のんびりしたひと時を過ごしたのでした。 続いて何度となく通過してはまあまたにしておこうと、なかなか縁の持てなかった「大多安」に伺いました。入ってすぐのテーブル席はおばさんが独り。カウンターは地元のおばちやん2人と顔見知りのおっさん、奥には恐らく女性待ちでソワソワしているおじさんがいます。待ってる割には次から次へと肴を注文し、またたく間に平らげていきます。こちらはお通しの枝豆をついばみながらビールをちびりちびり。店名に謳う程には大いに安くはありませんがまあこの界隈では使いやすいお店。お隣はお待ちかねの女の子も登場、どうでもいい事ですが一応二人の逢瀬を見届けて一安心。おじさん、さらにドシドシと追加オーダー。勘定を済ませると入口付近のテーブル席のおばさんは一切追加オーダーもせず、独り宙を見つめていたのでした。 その後、道を間違ったりするうちに上野桜木を彷徨っていることに気づきました。「おせん」の明かりが灯っていました。毒舌ばあさんはまだ健在のようです。でも二度と暖簾が下がることはないのでしょう。
2014/06/20
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これと言った確信もないままに東向島には酒場が少ないなんてことを言い放つのは、後日改めて訪れた際に、すごい呑み屋街と出会ってしまったとき、自分の無知と傲慢さに悔いることになるのは端から分かっているのです。それでもこうした発言を繰り返すのは、単に酔っぱらいの戯言として許されるものではありません。こうした図々しい断言を正当なものにするためにももっとしつかり町を徘徊するしかなさそうです。 といつたことを書いたのは想像通り酔っ払ってのこと。近頃酩酊状態でブログを書くとめっきりこうした文章が残されていることが多くて、我がことながらウンザリしてしまうのですが、酔っ払いの発言にもいくらかの真実が紛れ込んでいるかもしれぬと、読み返すことはとてもおぞましくてできないものの、あえてそのままの文章でお届けしています。 とまあいかにも場つなぎめいた文章でお茶を濁しつつ東向島界隈の酒場を報告します。実はこの夜は最近鳴りを潜めたA氏との久々の邂逅の夜ということもあって彼が念願とする「岩金」が目当てなのでした。ところがときすでに遅し、われわれが辿り着く頃にはすでに遅し、とてもちょっと待つくらいでは入れそうになさそうです。A氏も名残惜しそうではありますが、これは当分空きそうもないと見切りを付け、宛もなくうろつくことにしたのでした。 そうこうするうちに「酒処 そうま」といういかにも客が入ってなさそうなうらびれた酒場に行き当たります。これも何かの縁です。当然お邪魔することにしました。やはり客はおらず、オヤジはカウンターの隅で新聞をぼんやり眺めていました。われわれを認めるとめずらしいものでも見たかのような怪訝とも取れる表情を浮かべます。よほど一見客が珍しいと見えます。オヤジによると土日以外は客もまばらとのこと。22年やって来たけどこんな閑古鳥の鳴くようなことはなかったなあ、とぼやいてみせます。お通しはやや変色して、一瞬箸を付けるのをためらうようなマグロブツでしたが、結構美味しかったなあ、案外いい材料を使っているようです。ちゃんとした仕事をしてればお客さん入るよと言ってあげたい気になりますが、却って失礼と思い黙ってお暇したのでした。 次のお店は「瑠瑠」です。てっきり「るる」と読むんだと思ってましたが、置き看板に「るんるん」とあります。どこかで見た覚えがあるとネットで調べると「酒場放浪記」に登場していたようです。見逃したのか、記憶に残らないくらい印象に薄い店だったのか。うかうかする内に女性の独り客が入店しました。これはいかん、もしや大繁盛で席がないなんてことがあるとまたも無念を噛み締めなくてはならなくなります。慌てて駆け込んだのですが、なんと驚くべきと言うのが適当なのか、先の女性がカウンターの入口からすぐの席にいるばかり。何はともあれこの夜2度目の乾杯で喉を潤しようやく一段落。ここで恥ずかしい告白を、実は東向島の駅前通りに小規模ながらも呑み屋街が形成されていることをついぞ存じ上げていなかったのでした。これまで東向島に電車で来たことがなく、大体が鐘ヶ淵や曳舟から流れていつの間にか辿り着いていたのでした。こうしてみるとこの界隈もまんざらではなく、特に「るんるん」よりそのお隣にずっと惹かれたのでしたがこちらのお店はまたのお楽しみにとっておくことにします。肝心の「るんるん」について触れぬようにしているのは、別に酷い店だったとかではなくて、ごくごく正統派のこれといった特徴もないけど過不足もない、ごくありふれたお店だったからなのでした。
2014/06/19
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不忍通りの動坂下は都内の鉄道路線いずれからも不便で,陸の孤島と言うには大袈裟ですが,いざ行こうと思ってもかなり思い切らないと出向こうという気にはなれません。西日暮里駅,田端駅,駒込駅,加えて本駒込駅,千駄木駅からもけっこうな距離があります。この夜はいつもの酒場に行くつもりが、久しぶりの晴れ間が見えたのをいいことに山手線の内側に向けて歩きだしたのでした。 これと言った呑み屋にも出逢わぬままいつしか動坂下の交差点に辿り着いたのでした。この交差点の一角には渋い大衆食堂のそのままズバリの「動坂食堂」があって以前一度だけお邪魔しています。朧げにこのそばに焼鳥店があったことが想起されたので、それを信じてみることにしました。記憶違いではありませんでした。 都心の駅前の路地裏にでもありそうなー無論今では見掛けることは稀になりましたがー正統派の焼き鳥屋です。近頃はバラックのような規約を否応に選ぶタイプの店に加えて、こちら「串陣」のような気張らず立ち寄れる典型的なスタイルのお店にも喜べるようになってきました。店内に入るとカウンターにテーブル席、小上がりと極めてオーソドックスな造りですが、その年季の入り方が内装や調度に新しい居酒屋には出せるはずもない陰影を与えています。カウンターには、店主夫婦の娘さんと孫と思しき二人が楽しげに女将さんと一日の報告を交わしています。こちらは独り、焼き鳥を手繰っては、酒を含み、ポツンとなって会話を漏れ聞きます。ああ、焼き鳥が美味しいなあ、でも安くないなあと、お決まりの感想を抱いて店を後にしたのでした。 さて、どっち方面に進もうかと、帰宅しやすさを考えながら、足は明らかに楽に帰れる。駒込に向かっています。すると横断歩道をわたってすぐに「じゃじゃ馬」なる居酒屋がありました。これまで何度か歩いているはずてすがまだまだしらない酒場があるもんです。しかも山手線の内側としてはなかなかに堂の入った場末っぷりにはからずも遭遇してしばし興奮に浸るのでした。さて、いそいそと店に入るとカウンターで8席程度の狭い店。先客と女将さんが途切れ途切れに何やらおしゃべりしています。ぼくは手羽元の甘辛い韓国風の煮付けを注文。これが程よく辛くてしょっぱくて酒がすすむこと。先客はジョニーだかジャッキーだかどうみても明らかに日本人以外の何者でもないですし、その話題も下世話な感じで愉快なこと。でもきっとこの店のことはしばらくするとすっかり忘れ果てて、次来るときは初めてのように感じてしまうのでしょう。きっと愛想のいい女将さんのこともすっかり忘れてしまうんだろうと思うと少し寂しくなるのでした。 そういえば,この界隈けっこう喫茶店が充実していました。知らなかったなあ。今度行ってみよう。
2014/06/18
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不思議なことに千駄木の居酒屋はどのお店も定番銘柄が「越後おやじ」なのです。もちろん、千駄木よりむしろ根津に近い場所にいかにも老舗という酒屋さんがあって、その店頭におやじの看板を見てはいたのですが、界隈の居酒屋がすべてこの酒屋に義理立てして、そこから仕入れているわけではないのでしょうし、どうにも不可解です。まあ不可解というのはちょっと大袈裟にしても、都心のど真ん中でこの千駄木に越後おやじを扱う店が集中しているのは何か理由がありそうです。この辺りで店をやっている方たちは新潟の出身者が多いのでしょうか。とまあ越後おやじのことはこの位にしてこの夜、最初に訪れた店の話に話題を移すことにします。 不忍通りに面した居酒屋は、どちらかと言えば新しい居酒屋が多いようで、脇道にせいぜい2,3軒程度ひっそりとやっているお店のほうに惹かれます。とは言えそれほどたくさんのお店があるわけでなく、そんな居酒屋の目ぼしいところは大抵呑みに伺っていると思っていましたが、どういうことだか「民謡の店 おばこ」の存在には気付かずにいました。いや、気付いていたのかもしれませんが民謡の店というのに抵抗があって見て見ぬ振りをしていただだったようです。店に入るとカウンターだけのいかにも古くからやっている居酒屋さんという風情でなかなかいいではないですか。お客さんは一人もおらず、それが若干気詰まりなところもありますが、店主夫婦はいたってマイペースで、こちらの注文を聞き、出すものを出すとあとはしらんぷりしてくれているのが気楽な気分にさせてくれます。便所をお借りすると「三味線,琴の使用は11時までにしてください」みたいな張り紙があります。どうやらこちらの民謡の店という標榜は伊達ではないようです。推測するにかつては楽器の演奏に乗せて、皆で歌合戦したりしたんじゃないでしょうか。そこで演奏されるのは佐渡おけさだったりしたのだろうかと、今はひっそりと静まりきった店内で独り想像に耽るのでした。当然こちらにも越後おやじが置かれています。 道灌下の交差点に向かって歩いていくとサッシの引き戸の―引き戸に見えたのですが、店を出る際、扉を引いても開かず押して出たような記憶が―店内が外からよく見えるおでん屋さんがあります。「坂下屋」というお店。こちらも何度か見掛けているはずですが、外観から新しいお店と判断し、避けていたようです。まあ、今晩は目当てがあるわけでもないので一度お邪魔してみることにします。店主と御手伝いの方は中国なのでしょうかアジア系の方でした。独り入っている50前後のオヤジは一見だったようですが、なんだか妙に常連ぶって見せるのが滑稽な感じです。やけに物知り顔で、高圧的な物言いです。こういう客っていうのは、どういうわけだか同僚でも部下でもいいのですが、呑みに誘う時に「オレの店行くか」とかさも自分でやってる店であるかのような横柄な態度を取ることが多いようです。顔が効くとか顔が広いとかいうことに自らの存在価値を認めてもらいたがっているようです。〆のご飯ものにやけにこだわるのもこうしたオヤジの特徴です。呑んだ後に〆の飯というのもわからぬではありませんが、あれはないかこれはないのかと品書きにないものまで執拗に追及するのは聞いていてなんだか不快なものです。せっかく店主が品書きにない茶飯を薦めたのに、結局おにぎりを注文、1個は持って帰ると言いながらきっちり大きめなのを2個食べ切っていたのでした。お通しの枝目までチューハイをいただきながらこうしたやり取りを眺めているのもあまり趣味はよくないな。おでんは醤油が強めの東京風というのかなあ、まあ可もなく不可もなし。この梅雨の季節に入ってもおでんにこだわるのであればもう一工夫あって欲しいなあとは思いました。後から入ってきた常連さんはおでんには目もくれず、豚肉の生姜焼かなんかを注文していました。うまそう。店の隅に設置されたマガジンラックにはドリー・ファンクJr.なんかが表紙のひと昔ふた昔前のプロレス雑誌が無造作に見せて案外見せびらかせるように置かれていたりして、なかなか変わった趣味で話し込むと長くなりそうだなあ。当然、扱う酒は越後おやじなのでした。
2014/06/17
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立て続けに「赤坂酒場」、「三祐酒場 本店」と二軒の名酒場が店を畳んでしまい、曳舟の町の魅力は半減したかに思っていました。東京スカイツリーの存在が正直うとましいのも足が遠のく理由のひとつかもしれません。あとぼくにとっては足の便が悪いのが正直面倒で、よほどこれぞという酒場の情報が耳に入るまではなかなか足を向ける気にはなれません。ところが、先頃どういう気の迷いか、曳舟を訪れることにしたのでした。なんてことを言いながらつい1か月前には行っているのだから実は心の奥底ではこの町の潜在力は先に記した二軒だけではなさそうだと思い込ませられるだけの磁力があるようです。 それでも最初の一軒を手軽に駅前に済ませてしまったのは少々横着すぎたかもしれません。京成曳舟駅を出てすぐに「立ち飲み処 串揚げ おとん」があったので、手始めに立ち寄ってみようと思ったのは、今すぐにでも呑みたい気持ちを抑えて、あまたひしめく酒場の誘惑を乗り越えてようやく辿り着いたのだからしょうがなかったのかもしれません。店先ではテイクアウトの串揚げも販売されているようで、店内には近所のママ友らしき団体客が子連れで大いに盛り上がっています。って、ここって立呑み屋って看板にも堂々と謳っているのに、座敷でそれも30名近いママ・ガキグループが大いに盛り上がってるのってどういうことなのよと、しばし店の選択が誤ったという念が脳裏を過ります。しかし今更後には引けず、カウンターのある入って左手のスペースに向かいますが、ここにも椅子が置かれています。串揚げと呑み物をオーダーするとバイスなんかもあって、その辺は最近の酒場事情には通じているようです。ところが、注文した串揚げが一向に手元に届かない。ママ・ガキグループはほぼ呑み食いはひと段落しているにもかかわらず、この遅さはどうしたものか。揚がった串が厨房に放置されていますが、どうやらこれはわれわれの注文の品のようです。せっかく揚がっているのに放置しっぱなしってどういうことなのよ、わざわざ冷まして火傷しないよう気遣ってくれてるのなんてありそうもないことを考えます。時計の針は刻々と針を進めていて、あと3分待って出なかったら店を出よう、食べなかった串揚げ代も支払って颯爽と出て行ってやろうなんて意気込んでいると、お兄さんが塩やカレー粉、辛子を小皿に盛って、出してくれました。残り30秒のきわどいタイミングです。すっかり食べやすくなった串揚はまあ悪くないものの、揚げたてを頬張る―たとえそれがいかに熱くて上顎がベロンと剥けたとしても―のが醍醐味のはず。大体が串揚げなんてものはアツアツでさえあれば、味なんてそうとやかく言わずともおいしくいただけるものですから。出鼻を挫かれしょげ掛かりながら、次なる酒場へ急ぐのでした。 向かった先は東武伊勢崎線―スカイツリーラインなんて間抜けな呼び方は認めたくない―の駅前の呑み屋街です。呑み屋街といっても京成との間にある狭い横丁、「居酒屋 むさし」というのに入ってみることにしました。カウンターに2人掛けのテーブルが2卓と3つ席のあるテーブルもありますがどうして4席にしないのだろうと思いながらも奥の2人掛け席に着きます。そう、この日はA氏と一緒なのでした。ひとまずチューハイと〆鯖、ちくわ揚げを注文します。お通しと一緒に運ばれてきた〆鯖がすごいボリュームです。さっと酢漬けされたすっぱすぎない頃合で大変おいしい。続いて出されたちくわ揚げを見てまたびっくり。中くらいの平皿から溢れんばかりに盛られたその量はギョッとするほどです。カウンターに並ぶ常連のじいさんやばあさんたちはこれだけの肴を食べ切れるのか心配になるほどです。こちらのお店女性客の入りも大変よくて、この夜初めて出会ったらしいお二方もくつろいでお喋りに花を咲かせています。女性客に愛される店はやはりよい酒場が多経験則はやはり間違いがなかったようです。ここには3,4名位であれこれ注文するがいろんな肴を頼めるチャンスであり。機会があれば次回は4名で伺うことにします。
2014/06/16
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随分と引っ張ってしまったこの小さな旅の記録もこれでおしまい。正直早くも記憶はぼんやりとしていて、続きを書くことに気乗りしない自分がいることも自覚しつつ、きっと振り返ることはないに違いない思い出作りとして留めておくことにします。熱海で訪れた2軒の喫茶店にすっかり満喫した以上、「ボンネット」をはじめとした名喫茶を訪れるくらいしか思いつかなかったのですが、喫茶店天国の熱海にあっては、そんな度を越した贅沢は許されないようです。 どういう意味かと言えば再訪の愉しみ以上に未訪問店を訪れることを余儀なくされるほどの喫茶店がいくらでも目に留まり、優雅に振り返りの余韻を味わうことなど許してくれなかったのでした。そうは言っても外観からおおよその察しが付いたとおり特筆すべきことはさしてないけれども、ここが熱海でなければそれなりに印象に残ったであろう、3軒の喫茶店があることを外観写真を乗せておくことに留めたいと思います。「M&M」。「レザン」。「柿の木」。 熱海のきつい坂を上るにはこの日差しはちょっと厳しかったようです。来宮駅に向かいました。伊東線に乗って、熱海に引き返そうと急峻な道を辿っていくと、さすがにぐったりします。たぷたぷとしていた胃腸もこの坂が流させる汗のせいで随分楽になりました。来宮駅が見えてきました。すると駅前のロータリーの崖にしがみ付くようにしてちんまりりとした喫茶店があるのが目に留まりました。 「おがわ」です。カウンター5席ほどのこぢんまりしたお店で、特に内装がすばらしいとかいうわけではありませんが、買い出しに行った近所に暮らす女性客が家に帰るまでのひと時をここで過ごした―今ではもうそんな光景は望めそうにないように感じられました―よく頃をふと想起させるどこか忘れがたい喫茶店でした。 この旅の喫茶店巡りの最後の場所に選んだのが湯河原駅です。温泉地と言えど熱海の賑わいには遠く及ばず、どこかしら寒々しささえ感じさせる町ですが、喫茶店はぽつりぽつりとあります。 そんな1軒の「グリーンハウス」は1970年の開店とのこと。オーソドックスな造りの落ち着ける店です。 目当ての「COFFEE メルヘン」はお休み。窓越しに店内を覗き込むと案外平凡ですが、決めつけは禁物。やはりいつか訪れたいものです。 そういうわけで、この度の喫茶店巡りは尻すぼみに終わってしまったのですが、何軒かの課題のお店もできました。次回来るときにはどれだけのお店が現役で店を開けていてくれるのでしょうか。前途には暗澹たるものを想像しないわけにはいきませんが、壮健なることを期待したいものです。
2014/06/15
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このところ不順な天候が続き、想定外のハシゴを繰り返してしまっています。とある夜の巣鴨でもうかうかする内にハシゴをしてしまっていてのでした。巣鴨駅を下車、巣鴨に下車するといつも襲われるウンザリとした気分がどうしたことだかこの夜はあまり感じられません。これは吉兆と現金にも風雨荒れ狂う中、居酒屋探訪に乗り出してしまったのでした。 そうこうして辿り着いたのは「和食処 とおる」という店でした。ここが酢ガモで無ければきっと見過ごしていた、視界に収まったとしても見ぬふりをしてしまうようなどうでもない雰囲気のお店です。それにしても何度となく巣鴨は歩いてるつもりでしたがこの辺りってまず通り掛かることがなかったなあ。店内はこざっぱりしていて上品です。普段ならちょっと退屈に感じられたはずですが、雨の夜はむしろ小奇麗なくらいの方が落ち着けます。湿気の多いこの季節、特に焼鳥屋とかもつ焼きの店のカウンターに肘をついた時のペタッと張り付いたのをプリッと引き剥がすのは気持ちのいいものではありません。でもこちらでも手羽焼頼んでしまうのでした。これが大っきくて焼き加減もバッチリでした。店主夫婦も感じよくいいお店でした。 ご機嫌に歩いていると、傘も役に立たぬほどの豪雨になり、こりゃ叶わんと飛び込んだのは「鳥King」というなんだかもう少し気の利いた店名にできなかったのかと思わずにはおれないお店なのでした。カウンターに着いて、メニューをチェック、オシボリで手とかを拭いますが、アレッ、カウンターがサラサラしてます。新しい店だからということも当然あるのでしょうが店の方の手入れが行き届いているようです。若い店主は気さくで陽気、さらにはまだ二十歳そこそこという風体の従業員にも厳しいけれど親身な檄を飛ばしているのが心地よいのです。アボカドのサラダを頂いたのですが独特なタレがいい味で家では出せない味だと感心したのでした。 巣鴨にはもはや行くべき酒場がないと考えていたのは軽率かつ傲慢な思い込みであったと反省すると同時に横着せずに回り道することを忘れぬようにしようと改めて考えさせられる一夜なのでありました。
2014/06/14
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根津を訪れることしばし、このブログにもしばし登場する町ですが、正直ここに来るのは心躍るからということとは程遠く、何かしらせいぜいが待合せなどのついでに立ち寄ることの方がよほど多くのです。下町情緒溢れる地域であると喧伝され事実古い日本家屋も多く残されているわけですが近頃は相次ぐマンション建築に押され気味なようです。この夜もO氏との待合わせまでかなり時間があったので独り課題のお店ー課題という言い方が露呈するとおりあまり気乗りしないのですーに重い腰を上げることにしました。嫌なら行かなきゃいいじゃん、と言われそうで実際そう思わぬでもありませんが、根っからの収集癖がそらを許さないのです。 クドクドと言い訳めいた言葉を弄していても埒があきません。この夜向かったのは、ハイご想像通り「酒場放浪記」で紹介された店です。これはもうほとんどノルマというか、消化試合みたいな行為になりつつあると自覚してはいるのです。自覚しながらも行かざるを得ない気分になる辺りちょっと病的かもなどと考えながら向かったのは「駅馬車」です。この坂は何度も通っていて,このバーのようなお店があることも知っていました。知ってはいましたし,洋館もどきの古い建物に興味がなかったわけではありませんが,酒場としての吸引力は低くてこれまで行きそびれていました。でも先日の放送を見て,ここの名付け親が尊敬する故・淀川長治氏の命名によることを聞いてしまっては一度は行っておかずにはおられません。ここで淀川氏の話に脱線してしまいそうになるのですが,それは我慢することにします。店内に入るとカウンターだけのバーのような造りですが焼酎の一升瓶がズラリと並べられているのが違っているくらい。若い夫婦とお手伝いする女性もいます。ご夫婦のお子さんの兄妹がカウンターの隅で夕食をとっています。日頃居酒屋にいるとうつかり考えが及びませんが、家族の方もいるんですよね。雨に振られて冷え切った体を温めるために焼酎のお湯割りを頂きました。お通しは〆鯖がちょっぴり、ささやかな量ですが美味しかったです。でも普段遣いにはちょっとお高いかなぁ。子供たちがお兄ちゃんカッコいいね、お前も可愛いよなんて会話を両親が呆れながらも幸福そうな表情を浮かべられていたのが印象に残っています。 続いて「季節料理 すみれ」を目指しました。ここは何度か空振りの憂き目に晒されていますので、今回こそはと意気込んだわけですが僕が勝手に意気込んだところで休みは休み。またの機械の楽しみにしましょう。昔の根津らしさをいくらか残す路地を歩いていると、こちらは満席で何度も無念な思いをしている居酒屋がありました。ここも「酒場放浪記」の本篇前の街歩きの一環で立ち寄っていたはずです。 「根津の甚八」です。この店名については、いろいろと薀蓄を述べられそうですが調べればいくらでも情報があるので割愛です。店に入ると嬉しいことに口開けだったようです。歪んた土間の三和土もいい感じー近隣のマンション工事の影響とのことしたらー。かつては土間として使われた場所にカウンターとセンスのいい木枠の棚がも細工彫が施されています。女将さんが厨房で肴の準備をする間、この100年を超える日本家屋を独り占めしたようなとてつもない贅沢な気分を味わえました。ここが自宅であることをしばし夢想します。女将さんによるといつもは店もにぎわう時間帯だし、店の表では近所の子供たちが遊んでいて騒々しいということですが悪天候が幸いしたようです。ここは酒や肴よりも楽しむべき要素がふんだんにあります。予約の電話を受け、女将さんは苦笑を浮かべつつ、酒を呑む前からすでに大きな声で賑やかなお客さんが見えるのよ、とのことなのでしっとりした気分のまま店をたったのでした。
2014/06/13
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ゆるりゆるりと気分は良くなってきましたがせっかくの生麦、しかも明日は休みということもあったのでこれだけで引き上げるのはもったいない。事前にひと回りしてまだ数軒良さそうな酒場があることを確認しています。もっとも気になったお店は「麒麟」,「大将」からもほんの目と鼻の先にあるお店でした。 「大衆酒場 大番」です。左右2箇所の入口があり,左側から入ってみるとお客さんでびっしり。意表を突かれたのですが,こちらは立呑み屋さんだったのですね。右手の入口側には多少のスペースがあるようなので,出直します。入口付近のコの字の隅っこになんとか場所を確保することができました。いやあ,それにしてもこちらの雰囲気は抜群です。老いも若きも,男も女も皆等しく和気あいあいの和やかさで,いかにも場末の立呑み屋という佇まいにも関わらず,日頃はこうした酒場とは無縁そうな若いカップルから,何十年も通い詰めているような熟年夫婦?まで多種多様な方たちが目一杯愉しんでいる姿を見るのは酒場道楽の最大の喜びかもしれません。しかも特にすごいのは熟年夫婦の食べっぷりです。カウンターにはもとは何が入っていたのか,どんぶりやら平皿などが積み上げられていて,とても2人では食べ切れないほどです。大体がこちらの一皿の盛りは滅法ボリュームがあるのでした。それ以上に特筆すべきはメインの肴が魚介系であることで、その質が驚愕の旨さ。これはただ単に素材が新鮮なだけでは出せない味に違いありません。脇に立つ時折顔を出すらしいおっちゃんが若主人らしき兄さんに貸し売りしてよとねだっています。あんたに貸すとめったに顔出さないじゃんと厳しくたしなめていますが、前回貸してあげたようなので人情にも厚い素晴らしい酒場だったのでした。ホント近くにほしいなあ、とつくづく感じさせられました。 最後に駅前のメインストリートにある「大衆酒場 トン幸」に向かいました。すると路地にまであふれる程の人混みがあります。何だ何だ!一体どうしたことだ、ここはそれほどまでのすごい酒場だったのか、そんなことなら先にここに来ておくべきだったかと思わずT氏と顔を見合わせます。驚愕しつつ諦め気味に店に近づくと、大盛況だったのはお隣の新しいもつ焼屋でした。そのお店の煩わしいほどの賑わいは眉をしかめたくなるほどでしたがそれはまた後の話です。この繁盛ぶりは気にならぬでもありませんが、いずれ入れそうもありません。所詮われわれに若者ばかりの店など似合うわけもなし、予定通り「トン幸」の暖簾をくぐるのでした。やはり想像していたまんまの懐かしの居酒屋空間が待ち受けていたのでした。この典型的なチェーン系居酒屋が繁華街を席巻するまではそれこそどんな駅前の路地裏にでもあった当時は、こんな普通のあまりにもありふれた居酒屋に喜びを感じる時代が訪れようとは思ってもいませんでした。高くもなく安くもなく、特別うまい肴があるわけでもないこうした酒場は近い将来、お隣のような若者が騒ぐばかりの店に淘汰されるのだろうかと思うと、こうした酒場をめぐり続けねばならないなと、独りよがりの使命感に駆られるのでした。
2014/06/12
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生麦に前回やって来たのは一体いつのことだったか、今は亡き友人とキリンのビール工場で当時はそこがどこにあるのかもはっきりと分からぬままになんだかやけに遠いところに連れて行かれるものだと、帰りの道程を考えるとうんざりな事だと思ったことだけが記憶に残っています。当時は呑むためにわざわざ電車を乗り継いで行くなんてことは思いもよらなかったようです。そう思い起こしてみるとそこにはもう一人の男がいました。その男はある日、唐突にーあくまでぼくらにとって唐突だっただけで本人には十分なだけの理由があったはずー失踪してしまったのでした。まあ、そんなことは個人的な回想でしかないので、思い出話は程々に生麦の今を報告することにします。 夕方にO氏ととある酒場で待ち合わせました。所要を済ませて駆け付けます。久しぶりに降り立った生麦はビール工場目当てだった当時と違って全くうらびれたいかにも京急線沿線の街に思われたのでした。改札が違うだけで町の様相が全く違って見えることはままあることですがかすかに記憶に残るだけの町でこのギャップに出会えたことは幸か不幸か、ともかく待ち合わせの店に急ぎつつも時折視界を過る廃屋に溜息ついたり、興奮したりを繰り返すのでした。 結局、時代の流れに必死の抵抗を試みているようにも感じられる町並みに導かれるように歩いていると、地図など眺めずデタラメに歩いたにも関わらず当の待合せの店に辿り着いていたのでした。まあ、町の規模が手狭であり、迷いようもなかったわけですが。 立ち呑み屋と聞いていたそのお店はバラック風で,4枚あるサッシの引き戸を開くと全体がずるずると連動して開きます。外れの入口を開けてしまったようです。仕切り直して脇の引き戸を開けてみるとすんなり開きました。酒場の入口を誤ってしまったときのバチの悪さにはいまだ慣れることができません。一見客だと悟られるのが恥ずかしいというのが原因なのかは判然としないところ。実際には店のばあさんや客のじいさんもまったく気にする風もなくホッと一息。T氏はカウンターですでに呑み始めています。しかもなぜたか座っています。カウンターにパイプ椅子が、立てかけてありますね。ああ、忘れていましたがこちらは「やきとり・立呑コーナー 麒麟」というお店です。立ち呑み屋はあくまで立って呑ませねばならぬと言い張る原理主義者もいるようですが、ぼくは雰囲気さえ良ければそれで充分なのです。加えて婆さんの味わいー断るまでもなく婆さんをしゃぶってみたわけではありませんーの素敵さにすっかり参ってしまいました。しかもこの婆さん、お喋りが大好き。思ったほどには歴史はない店でしたがこの婆さん一人いるだけて納得の年季を店に漂わせていました。 その長屋のお隣もなかなかの佇まいで思わずお邪魔することにします。「串焼 大将」というとても凡庸な名前のお店です。店名が必ずしも店の凡庸を表すわけではありませんが、自分の店を出すんだという意気込みとしてあまりに無頓着なのも気になるものです。仮にこの酒場が大将と呼ばれる店主がやっているとすればそれはそれで鬱陶しいですし、そう呼ばれたいと思っているなら傲慢な気がします。ともあれ店に入るとアララ、いかにも大将って風貌の店主がいるのでした。お隣と同じような造りのカウンターだけの店内で、それでも結構手を入れているようで、「麒麟」よりは随分平凡な印象です。まあ、そうは言っても他の町では稀にしか見られぬ佇まいでひとまずは納得です。おっ、お通しはところてんです。梅雨入り目前の重苦しい空気にウンザリした体にスッと染み入るようです。ところてんに限らず、酒場の肴って自宅で摘んでも虚しい気分になることが多いのですが、こうした雰囲気のある酒場ではなぜかおいしく感じられるのです。それだからこそ日々酒場に帰ってしまうのでしょう。
2014/06/11
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近頃めっきりハマってしまった阿佐ヶ谷ですがまだまだ行きたい酒場があります。まるつきり阿佐ヶ谷の酒場は、ドコドコが素晴らしいのであるという考察をしたわけでもなく、今後もそんなどうでもいい事にかまけている暇はなし。気に入ってしまったらそれなりに満足するまではひたすら通ってみるしかあるまいというのが今のところの結論。そのなんとなく満喫したという気分が一旦満腹になるとまたその街から遠ざかってしまうのも分かっています。 最初にお邪魔したのは「燗酒屋」でした。ここはそれこそ5年近く前から来よう来ようと思いながら次にしとこうと敬遠しつっけた店なのでした。日本酒を食に据えた酒場は高いものだと思い込んでいたのです。実際店に入って最初に目にした品書は安くはありませんでした。でもその思いは女将さんの若くとも天職とも思えるような応対の見事さにゆっくりと解けさせてくれたのでした。予算限られる御にあって目に止まった肴はしんじやがてした。もともとは肉じゃが用に用意されたしんじやがをそのままたべたい、塩だけ付けてねと頼んだビンボーなぼくに嫌な顔一つ見せずに応じてくれるのでした。実際新じゃがに塩を付けて食べる素朴なのって大好きなのでした。お隣さんは4つ、そのお隣はさらに6個と準備していたしんじやがはすつかり捌けてしまったのでした。 気分良くなり「大八」なるお店に伺います。う~ん、客入ってないなあ。どこも賑やかな阿佐ヶ谷で閑散たる光景を目の当たりにすると突如不安になるものてす。見たところごくごく王道の昭和酒場ーいかん昭和なんて言葉使うつもりなかったのにーです。客の入りは今ひとつですがぼくは大好きです。単にボロいだけで、特別売になるような肴があるわけでもなく、オヤジもかなり横柄な態度と書いていてもネガティブな表現ばかりが、浮かんでくるわけですがそれでもやはりこういう土地にしがみついて商売を続けてきたような酒場に愛を感じずにはおられません。まあ、そうじゃなけりゃ酒場巡りなど続けられるわけもありません。すつかり酔ってでかい態度のオヤジとも渡り合えるようになる、この瞬間この店にはまた一人常連が生まれたようです。 ちょっと阿佐ヶ谷にハマり過ぎたようです。中央線沿線にはまだいくらでも行っておくべき酒場がありそうです。そんなこと分かってるんですが果たして阿佐ヶ谷を脱出して荻窪やら高円寺に下車することができるものやらー何度も行ってるくせにー不安です。
2014/06/10
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板橋にはもうウンザリする位に通っているつもりでしたが、実は一軒ぜひ行っておきたかった酒場があるのでした。T氏と駅前で待ちあわせ、一杯呑んでるだけの時間はなかったので、ハシゴする店を物色しておくことにしました。さほど探すまでもなくそこそこ気になる店が定まりました。そうこうしてるうちにT氏から到着したとの連絡あり。「明星」前にいるとのこと、はじめに考えてる店はすぐそばで見逃すはずもないのですがどこで行き違ったのだろうと怪訝に思うもののそんなことより早く呑みたい。 ということでお邪魔したのは「伊勢元酒場」でした。これまでもこのブログでも多くの同じ屋号を持つお店を紹介させて頂いてきましたがここはその中の未訪の一軒になります。曖昧な記憶では確か三軒茶屋にもあったはずでそちらもいずれお邪魔したいものですがまずは板橋の「伊勢元酒場」を堪能することにしましょうか。外見からは由緒ある?「伊勢元酒場」の屋号にはそぐわぬ平凡さでそれもこれまで敬遠してきた理由の一端である訳ですが、やはり入ってみなければわからないものです。いい具合に枯れた煤けたところはかなりいいのです。簡潔な品書きも屋号に見合っています。焼酎ハイボールもまさにボールそのもの。やはりこちらも類縁を疑うべきなようです。今回はお尋ねするチャンスを逸しましたが次回は根掘り葉掘り伺いたいと思います。 続いては先ほど目をつけておいた「肴とお酒 うえだ」に移動です。居酒屋とは思えぬなんとも形容しがたいタイプの店舗でT氏の表情もどこか不満そう。どこがとははっきりしないものの何となくここはちょっといいんじゃないかという予感に導かれるように暖簾を潜ったのでした。案外と店は広く、お客さんで一杯です。これだけのお客が入るということは、いい店である可能性が高そう。実際気の利いた肴が200円位から頂けてそれがまたちゃんとした仕事が施されていたのてした。なるほど、人気が出るわけだ。しっかり物の若店主とちょっと抜けた感じのオッチャンー失礼、接客業に不慣れといった程度にご理解くださいーのコンビがいい味を出してます。16:00~18:30まで飲物20%OFFになったりのサービスもあるようで、今後の活躍を期待します。品書:ビール中:490,うえだボール:320,ホッピー:390(中:200),串焼:3本280,カキフライ:380,ごぼうコンニャクピリ辛炒:210
2014/06/09
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充実の沼津の夜を充分過ぎるほどに満喫しましたが寝起きは極めて良好。旅の途上では酒はどうやら決まって百薬の長となるようです。無論それだけ旅を楽しめている事が条件となるのですが。ホテルは朝食付き。正直旅先で代わり映えせぬ味気ないバイキング形式ーと言っても近頃増えたパンやちょっとしたおかずやスープが付く程度のシロモノーで、限界の早くなった食欲を満たすのは迷惑でしかないのですがタダのものはきっちり貰っておかねば気がすまぬ質なため必要以上に食べ過ぎてしまいました。腹ごなしに先日入りそびれた喫茶店を回りますがやはり開店前。なんせまだ8時前ですから。名残多い沼津ですが次なる町に向かうことにしました。 三島にやって来ました。ここ数年でいろんな事情で三島を訪れる機会が得られましたがぼくにとってホントに訪れたかったのは観光地の全くない新幹線口なのでした。駅前の様子はわずか数年過ごした頃とはすっかり様変わりしています。駅前には日大が新しいキャンパス、というか単なるビルを建てています。見なかったふりをしてまっすぐ歩いていくとやがてかつて暮らしたマンションがあるはずでしたが、想定もしなかったことですがなくなってしまっています。変わり果ててしまった町を歩くのは辛いことです。それでも駅から離れるに連れ徐々に輪郭を取り戻してきます。これから目指す喫茶店はー全く私的で感傷的と罵られてもしようがないまでに独り盛り上がっていますがー、かつて熱狂的なまでの映画青年ー今でも心境は変わらず、ただし今は酒場青年のつもりーたった頃、8ミリ映画を製作せんとしながらも予算面からヴィデオドラマとして難産ながらなんとか惨めな作品として結実したのでした。その主舞台とした場所からほど近いところに取り残されたようにマーケットがあったことはなんとなく認識はしていましたがそこにまさか純喫茶が入っていたとはつい最近まで知らずにいたのでした。GWの只中なのでよもや営業しているとは思ってもみませんでしたがなんとも喜ばしいことに営業していました。「純喫茶 ラポール」です。内装がどうのとかこの店で言ってみてもどうでもいいことのように思われます。ただただ店を続けていてくれたことに感謝したいのでした。 あまりにも長くなってしまったのでここからは駆け足で。駅に取って返すと折角なので町を歩いてみることにしました。すると「ジェミニ」がありました。なぜか写真がみつからないのですがここも昔から当たり前のように存在していて、そのせいで逆に記憶からすっかり消え去っていたのでした。 さて、熱海に移動します。お伺いしたのはこれまで何度か空振りしていた「加奈」です。女主人が一人守る広いカウンターがメインのお店。御主人は無口な方かと思いきや熱海の観光について雄弁に語ってくれました。病気でしばし利用用のため店をしめられていたようです。素晴らしい純喫茶の再開を祝して、ホイップの添えられた美味しいコーヒーを味わいました。 「田園」もまた何度も空振りしていました。有名な奇妙なオブジェを眺められる絶好の席を確保してのんびりと過ごさせていただきました。 熱海散策はまだ続きますが続きはまた次週とさせていただきます。
2014/06/08
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閑静な住宅街という印象が強く、かつては行かず嫌いでなかなか足を向けることのなかった駒込ですがよくよく知ってみると思った以上に面白い町であることがわかってきます。面白さの中心は何と言っても商店街の充実にあると言えましょう。その特徴は網の目状に張り巡らされているのではなく、蛇に丸呑みされて胎内巡りをしているようなどこまでもひたすらに直線的に伸びているところがユニークです。いつの間にやら胎内ならざる商店街に放り込まれ、どこまでもまえへまえ前へ前へと進んでいるとポイと胎外へと投げ出されるのです。脇道に逸れるとそれが商店街の只中てあることが信じられない位に全くの住宅街と化してしまう辺りの身代わりの唐突さは他の町ではあまり見られない特徴でありましょう。おっとこのブログは街歩きがテーマではありませんでした。斯様に愉快な町であるのに酒場の少なさと値段の高いこともわるい意味での特徴となります。それでも時折訪ねてみたくなるのはこの町の魅力が酒場のないことを許すはずはないという無想か時折脳裏をよぎるからです。 駅北口の西に伸びる商店街と異なり東側に広がるアザレア通りは呑み屋街を成しています。店舗数の割には多様な酒場があり、楽しくはありますが、総じてお高い。そんな残念な酒場の中で繰り返し通いたくなる店は限られていて、そんな数少ない一軒にお邪魔することにしました。ところで今、旅の空の下、手許には情報がないため店名は失念してしまいましたが田端新町の焼鳥店と同じ屋号だったような。古びた風情ある店構えは魅力的です。早速店内へ入ります。あれなんだか印象が違ってる? 内装が綺麗になってるし、店の方もお若くなっています。お話を伺うともう半年以上も前に居抜きで入られたとのことです。かつてのムードは活かされているものの、それでも失われたものはあまりにも大きいと言わざるを得ません。若いご夫婦がこれからこのお店をかつてのようないい雰囲気に育てて暮れることを願わずにはいられません。「駒っこ」というお店でした。 ふと思いだして駅に程近い脇道にある「八代」にお邪魔することにしました。まさに昭和の時代の典型的な居酒屋と言っても過言ではないお店でとっくに入っていないとおかしいくらいに雰囲気のある店だったのですが店前のホワイトボードのおつまみの値段に阻害されていたのでした。店名を見ると熊本と関係がありそうです。店内もいい雰囲気ですが、違和感があるというかやはりと言うべきか、くまモングッズがあちこち置かれています。初老のご夫婦がやられていて、やはり熊本のご出身とのことです。この後ハプニングかあって長居できませんでした。なかなか今後は行けそうにありませんが気持ちのいい居酒屋でありました。
2014/06/07
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散々歩き尽くしてしまい町中の店をほぼ把握してしまった町のひとつに田端があります。とは言ってもまだ未訪の店も何軒か残っていて、今後ここに来るときは一軒は印象が良かったのに再訪の機会を逸していたお店、あとの一軒は未訪の店に行くことにしようと考えていた矢先にO氏からのお誘いがあったのでした。 いつもの店で待ち合わせることにしましたが、時間がかなりあるので一軒目は初訪問となる「麺飯食堂 八右衛門」にしました。O氏の琴線に触れる可能性のまるでなさそうな綺麗で新しい中華料理の店です。無論ぼくもこの店にさしたる興味があろうはずもありませんがこうしたどうつてことのない店くらいしか行っていない店がないのが田端の揺るぎない現実なのでありました。うまいこと空間を使って配置された席は近過ぎもせず離れ過ぎもせずと案外居心地は良いのでした。お手軽なお叉焼などのおつまみセットを摘まみながら呑む酒は中華料理店の愉しみであります。長居するような店ではありませんが,待合せでちょい呑みするには悪くありませんでした。 さてお次は,待合せにも本気呑みにも使える万能酒場「三楽」に向かいましたが,こちらは今回は触れずにおきます。こちらのお母さん,あまり店のことをおおっぴらにされたくないようなので。 O氏と合流して向かったのは「のがみ」です。田端駅を越えて,急峻な坂道を上るとがっくりと酔いが回って来て,面倒になったのでここに決めました。以前1度お邪魔して,風流であるとかいった店ではありませんが,町外れのちょっと暗さを感じるお店なのがちょっといいのでした。8卓程のテーブルがあるばかりのこぢんまりしたお店で,いかにも大衆食堂という配置ですが,酒の肴はなかなか充実しています。季節のちょっとした気の利いたものもあって,しばし注文の品を選ぶまでに悩んでしまいます。独りならさほど迷わないのですが,O氏はとにかくその店にしかない,他店では食べれないものをとにかくオーダーしたがるのでした。その気持ちは分からぬではないのですが,自分の食べたいものより,そちらを優先する性癖があるのでした。先客の2名はどうもヤバい商売をしている方たちらしくて,ちょっとおっかなかったりもしますが,注文の品を用意し終えると女将さんはわれわれなどいないかのように端の席で独りくつろいでいる。そんな田端らしい客層とだらけた空気感のあるちょっといいお店なのでした。
2014/06/05
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とある夜、松戸の近辺に在住する方たちからお誘いがありいそいそと出掛けて参った次第なのです。このお二方は面識もなく無理に合流してもらうのも気が引けるます。こうした誘いってどうしていつもバッティングしてしまうのでしょう。思案の結果ーってホントは瞬時にプランを組み立ててしまったのですがー、時間差を付けて待ち合わせることにしたのでした。お二人とも結構なご高齢でありますが特に一人は間もなく80歳を迎えんとする方で、しかも女性でありますのでまずはこちらとお会いすることにしました。お住まいに近い東口にて待ち合わせます。 ホントは目当てのお店があったのですが,1軒は貸切,もう1軒はお休みのようなので,目に付いた「百済」に入ってみることにしました。お察しのとおりの韓国居酒屋です。韓国料理にはあんまり興味があるわけでもなく,かといって嫌いなわけではありませんが,始めての店であることだけが理由でお邪魔することに決めたのでした。けっこう広いお店で,掘り炬燵式の小上りが奥に続いています。それにしてもまるっきりお客さんがいませんね。豚肉のゆでたのにキムチを添えていただく料理やチヂミなんかを注文,デート相手はビビンパが食べたいとのこと。普段は年齢に似合わず,ビールや生レモンサワーなんかをきっちり呑まれる方なのですが,この夜はむしろ食い気が優先しているようです。料理は絶品とまではいかぬまでもまずまずおいしいですし,給仕の女性は韓国の方のようで,日本語はあまり得意ではなさそうですが,にこやかでとても感じがいいのです。宴会メニューの料理も1千円台の後半から用意されているようで,これだけ見るとお得そうですが,実際にはけっこうなお値段でデート相手にはえらく散在させてしまいました。 ここでデートは終了,続いては西口に移動して喫煙所で待つ60代後半とはいえまだまだご老体と呼ぶのは失礼かと思うほどに若々しい方と落ち合いました。向かうお店はすでに決めておられたようです。すぐそばにある「鳥孝」。この位の年代の方は松戸で呑むというとこの「鳥孝」か「ひよし」、もしくは「大黒家」というのが定番のようです。これらのお店はこの世代の方たちが若い頃から通っていた松戸では古株の酒場なのです。「鳥孝」であれば文句はありません。これまで何度も来ていますが、一度として1階で呑めていないのがなんともくやしい。1階は独り客が中心で、長テーブルが5つほど並び相席が基本となっています。川崎の「丸大ホール」など食堂兼酒場で稀に見掛けますが、今時の居酒屋にはまず見ないスタイルです。その大衆的かつ雑然とした様に浸りながら呑みたいという願望は、今後の愉しみにとっておくつもりです。2階はすべて座敷になっていて、これはこれで古臭くて味があります。同行のオヂサン、さすが長く通い詰めただけあって、ぼくら若輩者ばかりだとつっけんどんな態度を隠しもしない店のおばちゃんたちも愛想が良いのでした。箸袋に記された系列店にマークして今では直営はこことここだけになったのよと普段の大柄な態度の裏にこんな親切な一面があったのかと感慨を覚えつつ、名物の大振りな焼鳥を手繰るのでありました。
2014/06/05
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近頃、亀戸で呑む機会が増えています。増えている理由ははっきりしていて、最近になって急接近した同僚の住まいが亀戸であるというのが第1の理由。この人と呑むときは大体もう一方が同行する3人の自宅のちょうど中間地点が亀戸ということも第1の理由に準じています。もちろん何より亀戸の呑み屋街の雰囲気が好きになったという点が最大の理由です。さて、勝手の分かってきた亀戸であればさほど事前のリサーチがなくとも最低限楽しめる店はあるはずです。一旦自宅に立ち寄った同僚とは呑み屋街の中心にある、亀戸に2軒ある「ときわ食堂」の一軒の前で待ち合わせることにしました。 本当ならそのまま「ときわ食堂」にお邪魔していたはずですが、ぼんやり待ちながら付近を物色していると店のガラス越しに空いてますよと声を掛けられました。その口調が柔らかだったという理由だけでこちらにお邪魔することを決めてしまいました。「ふらの」という店名の居酒屋さん。ガラス越しに見える店内はカウンターだけのようです。まっすぐ奥まで伸びたカウンター席は10数席ありますが、背広族でびっしり埋まっているように見えます。とてもいい雰囲気ではあるのですが、本当に3名が入れるだけの余地はあるのでしょうか。うかうかしているうちに次のお客が入ってしまってはまずいと思い、先に入って待つことにしました。どうやらカウンターの先にテーブル席があるようです。店の突き当りには広いテーブルが2卓ありました。ふっと落ち着いたところに到着したとの連絡が入ります。店先できょろきょろ様子を伺う同僚を呼び寄せ、ようやく呑みがスタート。この店の肴は基本的に日替わりのようで、黒板にチョークでびっしりとごく平凡ながら呑兵衛好みの品が並んでいます。全般にお値段が安いのもうれしいところ。特にムードがあるというわけでもないのですが、すっかりリラックスしたわれわれは映画や漫画などのオタク話で大いに盛り上がったのでした。ちなみに同行したお二人は実はぼくよりはるかに年長の60代なのでありました。 すっかり出来上がってしまったのですが、せっかくなのでもう1軒立ち寄ってみることにします。「ときわ食堂」のある通りが亀戸の呑み屋街のメインストリートになるのでしょうけど、通りには何箇所か脇道があって、その1本を逸れて入ってみることにします。なんとか食堂といういかにも居酒屋っぽいお店は人気店のようで満席です。しからばとお邪魔したのはそのお隣の「旬味 平ざん」です。おぼろげな記憶ではなぜかこのお店、暖簾が仕舞われっぱなしだったようです。その理由をお伺いしたということもぼんやり記憶しますが、肝心なそのご説明はまったく覚えてはいないのでした。外観同様に店内もこざっぱりとした清潔感のあるお店で、ゆったりとした時間を過ごすことができそうです。お客さんもほどほどの入りでみなさん静かに呑まれているのでさらにくつろぐことができます。
2014/06/04
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阿佐ヶ谷の楽しさにはまりました。中央線沿線のその実力は知らぬわけではありませんでしたが、いつか中央線沿線の住民になれることに憧れながらも、その実、この沿線独特の田舎臭さ―実際、かなりの住民が地方出身者で〆られているのではなかろうかと思われる―には、何かしら愛着を持ちきれない気分もあるのでした。それでもきっと同じ地方出身者のシンパシーが通じ合うこともあるのでしょうか、この町の酒場は実に気分がよかったのでした。そんなわけでまたもや阿佐ヶ谷を訪ねてしまうのでした―こういうにわかブームがぼくの飽きっぽさを醸造する温床となっていることにも気づいているのですが―。ともあれ、もうちょっと阿佐ヶ谷の深部に浸ってみたいと思うのでした。 まずは数多くの酒場本にも紹介される「焼鳥割烹 川名」にお邪魔してみることにした益した。中央線沿線から北に2キロほどの北側を並行して走る西武池袋線の沿線にも同じ屋号のお店が2軒あります。実際にはもっとあるかもしれませんが、これまでお邪魔したのは西武線沿線の2軒のみ。それぞれのお店同士の繋がりは謎です。各店の距離感を考えると何らかの関連があることは恐らくは間違いないことだと思われますが、確認は取れていません。この阿佐ヶ谷の「川名」にも当然何度かトライしていますが、評判通りの人気ぶりでこれまでも何度か訪れてはいるもののいずれも満席ですごすごと他店に流れざるを得なかったのでした。この日は夕方早くに訪れることができ、無事入店が叶いました。早いと言ってもとっくに呑み始めている方たちも多く、入れ替わりに席を立つ方もいるほどです。昭和46年創業ということらしく40年以上もの間、阿佐ヶ谷の居酒屋界を牽引してきただけの実力を目の当たりにさせられる思いです。名物の店先で焼かれる串焼をあれこれ注文し、ビールを呑んでいると半端になったワインをぐい呑でサービスしてくれます。さらにはカジキマグロの干物を炙ったのをふるまってくれるなど、ちょっとしたことですがこうした心配りが大層ありがたく感じられるのでした。下ネタ満載の奉仕品なる短冊もそうしたお客さんを楽しませるための工夫だと考えると堂々と読み耽って笑ってみたくなるのでした。ここはお客さん重視のエンターテイメント酒場です。 駅に引き返していくと「太福」という大衆食堂がありました。サッシの引き戸が安っぽくていかにも食堂らしくてつい立ち寄ってしまいます。広いコの字カウンターのあるお店で半分程埋まった席には食事目的の客はおらず、みな愉快そうに杯を傾けています。焼き魚にちびちびと手を着けながらぼくもまた喧騒の中、不思議と愉快な気分になって愉しく呑んでいたのでした。
2014/06/03
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何度となく繰り返して愚痴ってきたように松戸駅の周辺はこれという酒場がごくごく限られるほどしかなくて、どうしても足が遠のくことになります。それでも諸々の事情で松戸に行かざるを得ないことがたびたびあります。なんだか物々しい言い方ではありますが、単にちょっとした会合が催されたというまでのことです。ぼくが到着する頃には、参加者8名がすでに集結していました。 お邪魔したのは駅東口から線路沿いを歩いてすぐにある「味の東山」です。かねてから一度来たかったという念願がようやく叶いました。始めて見掛けた頃にネットで調べてみると要予約で、しかもお任せが基本との情報だったので敷居が高くてなかなか暖簾をくぐる機会を逸してしまっていたのでした。そんなわけでこの度の店の選択は、ぼくが幹事を引き受けることで実現した訳なのでした。ネットに書き込まれた情報によると、こちらの料理はいずれも手の込んだ気の利いたものだということで、日頃は食べるもののことなどさほど気に掛けないぼくでも期待でときめいているのでした。店に入ってすぐがテーブル席になっていて、予約時に言われた通り、8人ではかなり窮屈なくらいの狭い席でした。あとはカウンター席が8つばかりある程度で、店のご主人がちゃんとサービスできる範囲の収容定員となっているようです。すでにテーブルには先付がずらりと並んでいて、今すぐにも手を付けたいところですが、こうした会合のお決まり通り、いくつかのあいさつを聞かされ、ようやく乾杯となります。確かに見栄えも美しく酒呑み好みの肴がずらり。あれこれ手を付けたいところをぐっと我慢して、ちびり摘まんではお酒をぐいっ、とのんびりペースでいただいていたら、周りはあまり酒を呑まず猛然と皿を空けて行っています。さらに各人苦手なものがあるようで、それはなんとなくぼくの元に集まって来ることになりました。いつまでもぐずぐずしているぼくを置き去りにして次々追加される皿に手を出しています。周回遅れでもマイペースに食べては呑みをするぼくはいつの間にか、常日頃と変わらぬ独り呑みをしているような気分になります。もちろんみなとの会話は弾んでいるのでいたのですが、呑み方はいつもと変わらないというだけのこと。最後にはみな満足した中でぼく独りはまだまだ呑みの蚊中だったのでした。ともあれ、久しぶりにたっぷりとおいしいものをいただいて、噂通りなかなか良い店だとご満悦なのでした。 せっかくなので、もう一軒。東口駅からすぐそばの飲食ビルの1階の抜け道風の通路にある「翔軼屋 東口駅店」に入ってみました。小奇麗な妙にゆったりとした座席配置の中華料理店らしからぬお店でした。先ほどあれだけ食べたのに餃子やらをつまんでしまったのですが、満腹中枢がイカレテしまったようです。料理はどれもまずまずでありますが、格別どうということもありません。他の客たちはあまり明けを呑むという風ではなく、適当に定食などを食べてはさっさと店を出ていきます。店の方も親切で雰囲気は悪くないですけど、なんだかあまり楽しい酒とはならなかったので、お腹もこれ以上は何も受け付けそうもありませんし、早々に引き揚げることにしたのでした。
2014/06/02
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富士宮駅から富士駅までは同じ身延線でも山梨県側とはどえらく扱いがよくて,1時間に3本程度の運行があります。ここまでのような時刻表とにらめっこを続ける必要はひとまずなさそうです。という訳であっという間に富士駅に到着です。昔は三島から自転車をひいこらと漕いで、富士まで通ったものですがしばらくぶりにやって来た富士の印象は記憶とはまるで違っていて、あっけらかんとしたのっぺりした貧相な商店街があるばかりだったと記憶していたので案外古びた風情ある駅前風景が残されていたのは意外でもあり嬉しいものです。駅前の商店街は歩道部分だけですがアーケードにもなっています。店の多くはシャッターが閉っており、うち一軒に酒場の看板があり酒店の表示もありかつては角打ちだったのでしょうか。とてもいい感じです。商店街が尽きるまで歩いてみたもののこれ以上期待するのも期待薄なので折り返すことにしました。メインストリートの一本裏手の通りに予想通りの呑み屋通りがありますがかなり寂れた様子です。富士での呑みはお預けにして喫茶店を探すことにします。 行き掛けには気づきませんでしたが老朽化した駅前ビルの周囲をぐるりと巡り歩いていると「コーヒー&パフェ アサマツヤ」というお店がありました。装飾も控えめなかつては多く見られた駅前喫茶店です。今ではこのようなお店はめっきり少なくなりました。S氏は数多いデザートメニューからチョコレートパフェを注文、けっこうボリュームもあってフルーツも盛りだくさんです。かつて町が栄えた頃は買い物を終えた母娘などが立ち寄る姿が多く見られたことでしょう。客はわれわれだけなのに、お店は家族でやっているらしくとっかえひっかえ出入りします。これだけの入りでは人件費が割に合わないと失礼なことを考えてしまいます。お会計を終え、駅に近い表側の出口を出るとそこには果物店があります。むしろ果物店の奥にパーラーがあるのでした。このスタイルもめっきり見られなくなったので感慨を覚えました。 さて、ここからは東海道本線です。いきなり沼津に向かってもいいのですが、せっかくなので吉原駅にて下車することにしました。駅前を散歩していると「セイント」という喫茶店があります。高い塔のような構えで、八王子の「フランク」や東武練馬の「喫茶 ボタン」のような見事な外観です。ところが無念なことにお休みのようです。これはいずれ訪問しないといけません。 「しおさい」なんていう喫茶店もありました。 本日の目的地、沼津駅に到着です。ホテルにチェックインすると早速町に繰り出します。町は小規模ながら風情ある商店街が途切れずにあり、歩いているだけでうきうきします。「サン」、「喫茶と軽食 ケルン」、「ミニドリップ」、「コーヒーショップ ルパン」、「銀嶺」、「待合室」、「旅路」などなどの玉石混交の喫茶店が散見されます。 多くがお休みでしたが「ダニエル」は開いていたので立ち寄ることにしました。全蓋式のアーケード商店街、沼津仲見世商店街を抜けた「新」とあるのにより古びて見える沼津新仲見世商店街にこの店はあります。けっこうな歴史がありそうなのにきれいに手入れされた店内は店の方の店に対する愛情を見るようで気持ちのいいものです。ホテルのティールームのような上品な店内でしばしまったりと夕暮れを待ちます。沼津の酒場巡りに鼓動の高まりを感じつつ、コーヒーを飲む贅沢なひと時を過ごさせていただきました。
2014/06/01
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