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トンネル手前の道に、菩提寺徒歩道と書いてありました。菩提寺にも城があったと予備知識があるので、行ってみることにしました。雑草刈りの人が5~6人出ています。舗装されてるけど細い誰も通りそうもない道を上がると・・・突然道路にうずくまっていたものが動きました。金色が鮮やかです。体系はイタチ。テンですね。今年だけで、3度目です。テンなんていう珍しい小動物まで増えているようです。道は沢沿いを上がっているのですが、徒歩道という看板もあったことだしと、あまりに寂しくなってきたので戻ることにしました。仰ぎ見る那岐山は、1200mと六甲山より高い山で、なだらかな稜線を持っています。R53に戻り、奈義トンネルで那岐山の肩を抜けて、鳥取県智頭町側に出ました。美作国津山市と因幡国鳥取市を結ぶJR因美線那岐駅に寄り、那岐連山の北側と西側を走る因美線に沿って走ることにしました。r295・r6。「那岐神社」がありました。寄り道。ねむの木が綺麗に咲いていました。続いて、「JR美作河井駅」というのがあったので、ここにも寄り道しました。当然無人駅です。旅客が多かった時は、ここで離合したのでしょう。使われなくなった1本の線路が草に覆われています。駅前に、「矢筈城」の謂れが立っていました。ここから登れるそうです。説明に従って見上げた城跡の残る山頂は、厳しい勾配のはるか上にあり、きつい登山が想像できます。山頂に馬場のある戦国時代美作屈指の城だったようです。岡山県内最大の山城だとか。戦国時代、毛利氏に属した城主草苅氏は、備前の宇喜多氏や織田方羽柴秀吉の軍勢から度々攻撃を受けたが、一度も落ちなかったそうです。まさに難攻不落です。草苅家の家紋も先祖と同じ梅鉢紋だったので、美作菅家党です。さらに西進すると、「矢筈神社」がありました。無人神社でしたが、登山道入口に「自由におとり下さい」と、パンフレットが置いてありました。ここにも矢筈山登山口がありました。こっちからの方が勾配が楽そうです。矢筈山は那岐連山の支峰です。ここの謂れにも蛇にまつわることが書いてありました。蛇は神の使いという伝説はほうぼうに残っているから、古くからあった那岐山の蛇神伝説と結びついたのでしょう。那岐連山の西側に来ました。ここから連山の懐深く入れる道があるようなので入ってみました。峠のような所に、那岐山の一番西の登山口がありました。車が20台ぐらい置ける駐車場があります。北に登ると那岐山頂上。2時間。「マムシに注意」「熊に注意」の看板が上がっていました。南に登ると連山の「山形仙」頂上です。こちらは楽に上がれそうです。景色も良さそうなので、僕ら夫婦の今の実力なら、こっちが無難です。登山口からの下り道からは、美作盆地が一望出来ます。R53まで下り、東進してると、まっすぐに那岐山に向かう道がありました。寄り道します。途中に看板が立ち、ここから自衛隊の日本原演習場内となっていました。演習訓練以外は、自由に入っていいようですが、舗装がなくなっていたので、バイクではここまでです。
2010/07/31
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まず最初で最大の目的地「三穂神社」目指して、R53を鳥取方面に走ります。「奈義トンネル」手前に、それはありました。鳥居の横に、僕の先祖「三穂太郎満佐」の像が立っています。銘板には生涯や偉業が説明されていました。最期は、当時の武将らしく播磨の別所氏との戦に討死でした。三穂太郎の頭を合祀したそうで、この神社の別名を「頭(こうべ)様」というらしいです。石鳥居をくぐると、木々の生い茂る階段が続き、その先に拝殿がありました。奈義トンネル脇から旧道らしい道が始まっており、その峠越え道のネックという交通の要所の小高い丘に位置します。館址かもしれません。神社自体は、ごく普通の規模ですが、三穂太郎の誕生伝説や母親が蛇だったというものなど、詳しく書かれた謂れが掲げられており、拝殿脇には綺麗な水で満たされたバケツ(防火用水なのか?赤いラインが入っています)、手水・・・、地元の方に丁寧に守られているのがわかります。僕の遠い遠い先祖が、今でも地元の方に大切に扱われているのは、気持ちのいいものです。ご近所さんも、僕と同じ「美作菅家党」の末裔かもしれません。拝殿の中にお賽銭箱がありました。奮発して100円チャリン。賽銭箱の後ろに田舎道脇のセルフ野菜販売のように、お皿に盛られたお守りとお札がありました。500円均一。我が家と長男の家用にお札を2つ、僕・家内・長男夫婦・次男用に5つのお守り、次男の国家試験合格用に合格祈願1つ、大枚4000円を賽銭箱に投入しました。菅原道真流れらしく合格祈願絵馬も売られており、拝殿横の絵馬掛けにはたくさん掛かっていました。宮司さんの家はなく、専属宮司さんはおらず、行事の時は他所から来られるのでしょう。我が家の本に、大織冠の末裔と中興の祖の友人が書いているところがありました。大織冠とは大化の改新時代の勲章ですが、これを受けたのは中臣鎌足ただ一人です。菅原道真を菅公と表現するのと同じように、大織冠といえば藤原鎌足を指します。鎌足の死後、大織冠の冠と藤原という姓を天皇から授かりました。菅原氏流れか藤原氏流れか迷うところもありました。道真の破格の出世に危機感を募らせ、政治の実権を欲しいままにしていた藤原氏の陰謀で、道真は太宰府に流され、失意の中で亡くなりました。その後、天皇や藤原氏高官に不慮の死が続き、道真の祟と言われ、死後復権しました。長い先祖の婚姻間に宿敵の両氏にも、縁組があっても不思議はないと考え、濃淡は別にして両方共有りうるだろうと結論づけていました。この答えが、謂れに書かれていました。三穂太郎満佐の伝説でないリアルな母親は、二階堂藤原維行の女(娘)となっていました。藤原氏の娘を母親に持っていたということです。拝殿に上がる車道を下りました。地元の雑草刈りの日なのか、2人のおじさんが草刈機を回して、神社の斜面を綺麗にしていました。ありがたい事です。
2010/07/30
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日曜日の朝は、3時台に起きてしまいました。朝の早い僕ですが、3時台は早すぎます。外は真っ暗です。少々寝床でグズグズし、ゆっくり朝の用意をしてVTR250で出かけました。高速道路利用なので、250ccバイクでは少々おっかないのですが、現地では細い山道突入が予想されるので、車では行動範囲が限られるので止む終えません。素晴らしい景色があるかもしれないので、一眼レフも同行させました。宝塚ICから中国道に乗ります。4時台なので車は少ないです。山陽道への分岐が過ぎ、さらに交通量が減りました。高速では80km/hほどで走るので、抜かされる車が少なく楽になりました。福崎を過ぎました。これ以西の中国道を走るのは、車でもあまりないです。山崎の親戚に行く時ぐらいでしょうか。時折薄い霧が出てる道を走ります。陽が上がると急速に消えていく朝霧って、幻想的で好きです。一旦上った道が、山崎盆地に向けてまた下ります。また上り下りして、佐用盆地。寒いかも?と思い、釣具屋で買った上下をズボンとバイクジャケットの上に着ていましたが、暑くなってきたので、途中のPAで脱ぎました。ここでふとアイデアが浮かびました。このままで美作に突入しても早すぎます。佐用ICで下りました。料金所のおじさんに聞いてみました。「ひまわり畑って、何処にあるか知ってますか?」「写真かねえ」と言いながら、「佐用町ひまわり畑MAP」なるパンフレットを出して、説明してくれました。おすすめなのが、「米田地区23万本・7月中旬」。他に、「宝蔵寺23万本・7月上旬」「ひまわり祭り会場・林崎35万本・7月下旬」「東徳久20万本・7月中下旬」「漆野15万本・7月上旬、14万本・8月上旬」とあります。千種川沿いにすごい数です。結局、ひまわり会場の駐車場が早すぎて開いてなかったので、東徳久のひまわり畑内を回ってみました。ものすごいひまわりの数です。圧倒されましたが、朝霧のため陽が見えず、ひまわりさんは少々下向きで、眠っている風でした。前回ガソリン補給から200kmを越えたので、佐用ICまで戻りガソリン補給しました。223km÷8.38L=26.6km/L。高速を走ったので、燃費が悪くなりました。R373を北上します。並行して走る「鳥取自動車道」という高速道路が無料ということでしたが、下道じゃないと突然の出会いがないので、こちらを選択です。おっ、「宮本武蔵初決闘の地」という看板が目に入りました。寄り道します。初決闘の地は、刑場だったようで六地蔵が立っていました。六地蔵って、武蔵の映像で見たような・・・。佐用川の向こうに、智頭急行鉄道が走っています。ここは、「平福」。平福駅江戸時代の陣屋跡が残る宿場町です。陣屋宿場町・平福駅・陣屋跡・利神城址を巡ったり眺めたりしました。去年の水害で佐用川が氾濫し、平福も佐用も大きな被害を受けました。被害の跡は見受けられないけど、ここで暮らす人々に不安な影を落としているのでしょう。R429との交差点まで北上し、ここからR429で西進します。曲がるとすぐに、「宮本武蔵誕生の地」の看板が目に入りました。寄り道しました。「武蔵の生家」を中心に、案内看板が道に立ち、観光客に安心な「武蔵の里」になっていました。ニコニコマークも貼りました。その名もズバリ「宮本武蔵駅」もありました。単線で無人駅ですが、良い雰囲気でした。ここはすでに美作市です。町村合併で大きくなったようです。元の道に戻り奈義町を目指します。R429を走ってると思ったら、r5でした。吉野川に沿って走るこの県道は、交通量もほとんどなく、とてもバイクに気持ちのいい道でした。R429の南側を西進していたので、最後ゴソゴソと北上しR429に合流、少し走ってまたゴソゴソと北上し、R53因幡街道に乗りました。岡山市と鳥取市を結ぶ国道で交通量が多いです。那岐連山の南辺と東辺を走る道です。
2010/07/29
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日曜日に、岡山県奈義町にある那岐山を、VTR250で一周してきました。母が昨年末に亡くなり、一番の宝物にしていた先祖の2冊の本を、詳細に読み返しました。母のばあちゃんの実家は、明治の世に大立者を出しました。その先祖の3回忌記念として大正時代に出版された本と、その方が創設された育英会の50周年記念に僕が中学の時出版された本です。非売品で親戚とお世話になった方々に配られました。僕も小学生時代、正月やお盆に田舎に帰ったとき、一門の集まりに数度この本家を訪問しました。田舎ということもありますが、とんでもなくでかく一山全部が家で、麓の門から10分ぐらい歩いてやっと本家に着きました。山のほうぼうに書生さんの寮が点在していました。僕が中学の時、2冊とも母に読まされました。母の最も大切なもので、「私が死んだらあんたが持ちなさい」と言われていました。本家の蔵にあった古い文献を、町内の高校の先生が調べ、そのルーツが載っています。我が家が氏子になってる近所の神社は、菅原道真さんが太宰府に流される途中に休憩したところから始まっており、母に、「ここに祀られている方があんたの先祖」と言われて育ちました。僕の長男も次男も、ここで名前をつけてもらいました。僕は本当に道真さんにつながっているのか?、しっかり調べてみました。まあ、研究者ではないので、適当にわかれば、それを信じればいいだけです。「菅公の末」「本姓・菅原」「美作国・名木山城主・苗字は三穂」「1350年頃、下野・佐野家を頼り、下野の国に下向。佐野家の家臣になり、佐野家改易により帰農」と、本に書いてあったキーワードを頼りに、調べてみました。美作に名木山というのがありません。調べていくと、「那岐山」に当たりました。「名木山」を含めて、たくさんの別の字の「なぎせん」の表示がされていたようです。現在の区分では、「美作市」ではなく、お隣の「奈義町」にありました。岡山県と鳥取県の県境の山でした。標高1200m・・・えらく高いところに城を作ったようです。麓に「三穂神社」もあったので、ここで間違いなさそうです。菅公子孫の武人・「三穂太郎」の伝説が残っており、「美作菅家」の祖になったそうです。「三穂神社」は、亡くなった太郎の頭を祀ったそうです。他に、足を祀った神社や腕を祀った神社とかがありました。文官の家系の菅原氏ですが、武人になった家系もあったようです。美作菅家の子孫は、武人として近隣に広がり、一族で多数の山城を持っていたようです。でも、那岐山の山頂の山城跡の記述が見つかりません。美作菅家に連なる苗字に、先祖の苗字が見当たりません。本家のある栃木県、旧下野国・佐野氏勢力範囲に、先祖の苗字と同じ名前の地名があるので、そこから付けた苗字なのでしょう。古来、日本人は名だけでした。功のあった者が、天皇から本姓を賜りました。皇室に生まれながら、天皇への目がなくなると、「平」「源」の本姓を賜って皇族から外れ下野します。「藤原」「菅原」「橘」などは、民間人が賜った本姓です。藤原の祖は、中臣鎌足ですが、死後その功績を称え、藤原の本姓を与えられました。以降その子孫は、藤原を名乗りました。本姓と名前の間に、居住する地名などを苗字として入れるようになり、本姓は表立って使われなくなりました。現在生きている人の多くが、先祖をずっとたどれば、この5つの本姓に辿りつくそうです。本姓が分かっても、何の役にも立ちませんが、具体的に辿れる僕は、とてもラッキーです。日本史好き、寺社等の謂れ読み好きの僕としては、これに手をつけないわけにはいきません。遠い先祖が、平安時代から室町時代初期まで住んだところがどんなところだったのか、感じてみたいと思いました。那岐山山頂には、城址が残っていないそうです。那岐連山中にはたくさん城址があり、そのいずれかかもしれません。美作菅家の祖・三穂太郎満佐が合祀されている三穂神社参拝を主目的に、家を朝4時に出ました。「私も連れてってね」と家内に言われてるので、その下見も兼ねてです。最終的には、那岐山の頂上まで、夫婦で登ってみようと思っています。
2010/07/28
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日曜日は、僕の平安鎌倉時代の先祖を訪ねる旅で、美作に行ってきました。日曜日に、バイクで400km走ったので、昨日も今日も、「早朝自転車」にしました。まあ目覚めが遅く、6時を回っていたからなんだけど・・・目覚ましで強制起床させないので、身体の正直な疲れ具合が起床時間に現れます。早朝自転車の後は、庭仕事です。ジャングルな庭の伐採は、ほぼ終わりましたが、親父が作ったブロック花壇の破壊作業をしています。僕では手入れ不足で実を成らすことが出来ない葡萄の木を引っこ抜き、ぶどう棚も半分破壊しました。山でも咲く藤なら手入れ不足でも大丈夫そうなので、藤棚にリニューアルします。梅雨の間に、植木屋さんで1800円で買ってきた「ハナミズキ」を植えました。「一度花の咲いた木なら、来年から毎年咲きますよ」と言われたのですが、5000円以上したのでチビを買いました。3年目ぐらいから咲くそうです。ハナミズキに土をかけてるのを、洗濯物を干しながら見てた家内が、「かわいいねえ」って。前の木も大きい木ではなかったけど、一気に小さくなっちゃったからねえ。「記念植樹だねえ」「?、何の?」長男くんのご成婚記念だそうです。「記念のものは、小さくないとね」だって。で、そういうことになりました。そう言えば、長男が生まれて、寝る場所と遊ぶ場所のあるバンに車を変えました。次男が生まれて、さらに大きなフルサイズワンボックス車に買い換えました。そして2ヶ月前買い換えた車・・・これも、長男ご成婚記念ということにしましょう。このハナミズキ、梅雨明けからの日照り続きで、ちゃんと根付くか心配です。って言いながら、家内が毎朝ハナミズキと、父の日プレゼントに次男が贈ってきた「盆栽」に水をやってくれてるのを見てるだけです。多分男全般に言えることだと思いますが、作るときは、頭に浮かぶいろんなアイデアを実現するために頑張るのですが、その維持管理となると、力が抜けてしまいます。家内がいないとアカンなあと思います。
2010/07/27
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広い道に出ました。R372?と思い、右折しましたが、何か雰囲気が違います。やがてR372との交差点に出ました。地図を持ってきてないので、どこかわかりません。5時半を回ったので「八木」を諦め、帰路に着くことにしました。信号を待ちながら、周囲の山を見渡し、多分右だなと見当をつけ、右折してR372に乗りました。少々走ったところで、また旧道の誘惑に負け、斜め左に入ってみました。「おっ、何か立ってた」と、停車。「埴生城」の謂れが立っていました。「本梅探友会」さんが、今年立てたものでした。この小川沿いの道を上がれば、「埴生城址」があるのだろうか?戦後のボリューム世代が、仕事を引退し、自転車ブーム・おじさんバイクブーム・ハイキングブームを作り出し、歴史ウォークに派生しているように思います。その1世代下の僕は、それに乗っかってる感じです。自治体が、史跡や山道に道標を立て、このような地元の歴史保存会が立ててくれています。この城の城主だった野々口氏は、光秀の丹波平定に味方し、篠山の一大勢力を誇った波多野氏と光秀との橋渡しをしたそうです。さらに西に進み、平行に走るR372に合流。少し行くと、左るり渓r54の表示。ここを左に曲がります。また好きな山道です。るり渓の渓谷沿いを上り、温泉とかがあるところの横を通り、「土ヶ畑」の方に行く交差点に出ました。バイクを停め、少し迷って右折。R173で一気に南下することにしました。7時に帰れるから、庭仕事の時間が取れます。「深山」への登山道分岐を過ぎ、R173に乗り南下。「はらがたわ峠」からの旧道への誘惑にも屈せず、R173を下ります。でもこの道、トラックが多いです。しかも速い。70km/hオーバーな高速乗用車には、左ウインカーで抜いてもらいながら、楽しくないので、「森上」で右折r602に乗る。すぐに左折して、r603で南下することにしました。右奥遠くに、「長谷」の棚田。長谷川のところに立ってる「謂れ」が目に入り休憩。両方共、清和源氏の多田流れだったと思うが、ここの能勢氏と知明湖山下の塩川氏の抗争で、攻めて来た塩川氏に能勢氏が大勝したそうな。塩川氏の太郎を討ち取ったそうで、勝敗は時の運と、能勢氏が塩川氏の兵をこの塚に埋めたとのこと。以降、「多田塚」と呼ぶ。となっていました。r603は、ほとんど北向きばかりで使っていたので、南向きは新鮮です。「紫合」まで下り、r12旧道で猪名川沿いを走り、多田まで下りてきて、r325で長尾山トンネルの定番コースに入り、帰宅しました。7時には遅れたけど、7時半に帰宅できたので、30分だけ庭仕事をしました。引っこ抜いた木の幹の方は、電動枝切りで短く切ってゴミに出しましたが、根っこが重すぎるので、ホースをストレート水流にして、スコップも使って泥を落としました。でもまだ重いので、後日持ち越しになりました。車載ムービー るり渓3
2010/07/26
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今朝の目覚めは、4時半過ぎでした。前から約束してた家内との「早朝バイク2人乗りデート」です。原付リード110に、家内の背もたれカッパ・リアボックスを取り付け、5時に出発しました。目的地は、亀岡の「犬飼川沿い近畿自然歩道」です。梅雨の合間、怖いもの見たさで走ったので、2週間ぶりぐらいでしょうか。1週間以上晴れがつづいているので、問題なく通れるでしょう。池田からR423にて北上します。伏尾を過ぎ、余野川渓谷沿いを走りながら、「ここいいでしょ」と家内に同意を求めます。車とスクーターとでは、周りとの距離が違うので、そこをより感じることができると思います。妙見山の並びの山が雄大に迫り、後ろで喜んでる風です。交通量が少なく、追いついてくる高速車もなく、1台きりで気持よくはしれました。亀岡盆地に下りるヘアピン区間に入りました。木々の間から時折覗く亀岡盆地が素敵です。一面の田んぼの若い青に、遠め半分が朝霧に沈んでいます。ここらはいつもこんなですが、何度目にしても飽きない美しさです。家内も、「見て見て」って喜んでいます。アマゴ釣りの看板のところから犬飼川自然歩道に入りました。いつもの休憩場所で止まり、犬飼川の流れにうっとりします。「ここいいでしょ」「うん、中国みたい」何が中国なのかようわかりませんが、まあいいでしょう。いつもの川になってる道のところは、相変わらず川でした。ザーっと川道を走り、勾配を上がります。梅雨最後の豪雨時は、そうとう道を川が渡ったようで、堆積物が路上に残り走りにくくなっていました。ゆっくり、そしてウンショと何ヶ所か乗り越え、峠を越えました。R477側に下ります。いつものように獣避け扉を開閉して、この道が終わりました。また誰にも会いませんでした。ここから帰路です。R477に出ると、篠山方面に優勢な霧が出ています。篠山盆地は霧の下みたい。R477を南下し、r106に入ります。土曜日なので、一庫ダムが二輪通行禁止だから、r4で名月峠。名月峠の謂れを、家内に披露しました。峠から旧道でr104に下り、R173の下をくぐります。R173は、高速トラックが多いのでできるだけ走りたくないから、旧道を選択しました。「大路次川」沿いの道を、R173と交差しながら走ります。時折釣り客の車が停まってるぐらいで、交通量はありません。「龍化吊り橋」で休憩。家内が、「寒かった~」とここで言います。バイクは夏でもクーラー要らずの涼しい乗り物です。家を出る時、もっと着た方がいいと一応言ったんだけど・・・時計を見ると、6時50分。R477土砂崩れ通行止めと、r106土日祝日二輪通行禁止で、30分余計に時間を食ったみたいです。R173に合流し、多田まで下り、猪名川沿いのr12旧道に乗り換えて川西能勢口まで帰ってきました。ここから、信号とかでブレーキを踏むと、家内のヘルメットがコチンと僕のにぶつかるようになりました。?・・・眠ってるのか?車でも、ほんとすぐにスヤスヤ気持よさそうに眠る人なので・・・でもバイクに乗って、よう眠れるなあ。気をつけながらゆっくり走りました。子供か・・・7時半に帰宅し、また30分庭ジャングルと格闘しました。毎日90Lのゴミ袋2つが一杯になります。燃えるゴミの日のゴミステーションには、我が家以外にも草木ゴミ袋が並びます。ご近所さんも格闘中のようです。
2010/07/24
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今朝は、ちょっと布団の上でゴロゴロし、6時に起床しました。早朝自転車に出ようと着替えていると、関東の地震のニュースが流れました。NHKは、地震発生1~2分で、刻々と入る詳細を追加追加で伝え始めました。子供たちが住んでるので、関東の災害ニュース敏感になっています。震度4と結構な揺れだったようですが、関東人は地震には慣れてるから大丈夫でしょう。6時半前に家を出て、植木屋さんの畑をブラブラ見て回りました。山に入れば、ねむの木が花をつけてるけど、この時期の植木屋さんの畑の樹には、花がなく殺風景です。30分ほど自転車で回り、その後はジャングルな庭の伐採作業の続きをしました。先は長いです。庭に沢山使ってたブロックを捨てようと市役所に連絡すると、市では処理出来ないらしく、ゴミ処理場に持ち込むのもダメだそうです。仕事場のゴミ処理業者は、ブロック1個400円だって・・・10や20ではきかないので、困ります。市役所で教えてもらった鈴蘭台の産廃業者は、取りに来るのに10000円+1トン1500円、持ち込んだら1500円だそうです。ウィークデイに仕事をサボって鈴蘭台まで行くなんて・・・困ったものです。今週の火曜日は、4時に目覚めました。外は暗いです。夜明けが遅くなってきました。6月20日前後が夏至ですが、最も夜明けが早いのは、その10日ほど前です。また、最も日没が遅いのが10ほど後です。7月20日は、夜明けの最も早い日から1ヶ月と10日経っています。4時とは、7時帰宅でも片道1時間半の遠方まで行けます。篠山まで行けます。すぐに着替えて、VTR250で「早朝バイク」に出動しました。R477ルートでR372に至り、「亀岡」から南丹市「旧園部町」に入り、園部の里山の未踏の道を適当に走り、「八木」に向い、そこから折り返そうと、漠然と頭に描いて走り出しました。まずは燃料補給です。セルフは好きではないので、夜でも空いてるいつものところに寄ります。261km/6.31L=41.4今回も、カタログデータ超えの素敵な燃費です。R477は、川西で崖崩れで通行止めのところがあるので、r13~r12~R173で一庫ダム。土日祝日は、バイク通行禁止のr604ダム沿い道に入り、r106で北上します。池田や川西の市街地を通過する頃は、もう明るくなって、交通量の少ないダム道を、ゆっくり走ります。時折り、速い車が追いついてくるので、左ウインカーで抜いてもらいます。気持ちのいい道です。道は、そのままR477に合流し、さらに北上を続けます。r54の表示が見え、一瞬「るり渓」回りでR372に下りようかと考えましたが、帰路で通ることにしました。R372に向けて、緩やかな下り坂が続きます。ここのR477が、なんとなく好きです。前方のR372交差点の信号が青です。こりゃ、赤信号になるなと判断し、1つ手前の信号のない交差点を左折、旧道に入りました。沿道には民家が建ってるので、さらにゆっくり走ります。古い趣きのある家や寺社があるので、旧道は好きです。平行に走るR372を睨みながら、適当に右折し、R372を越えて、旧園部町の里山地域に突入しました。田舎道は、集落に突っ込み、それを抜けて勾配のきつくない半山道を進みます。光の加減で、北に進んでいたはずが、だんだん東に方向を変え、南向きになってしまいました。R9の方には、抜けていないようです。でもこの山道、とても静かで、森林浴で気持ちがいいです。「いい道を見つけたかも?」
2010/07/23
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今朝は5時に目覚めました。バイクも考えましたが、「早朝自転車」を選択。気になっていた、池田の絹延橋から北に猪名川左岸沿いを走る歩行者・自転車道の探索です。r13で川西能勢口、ここから少しR176、r12旧道に入り、絹延橋で猪名川左岸に渡って自転車道に入りました。これが多田神社の方まで続いていたらいいのですが、すぐにR173に合流してしまいました。途中に面白い簡易ダムがありました。多分、空気膨張式だと思います。空気の入れ具合により、高さ調節が出来るのでしょう。R173を北上し、緩やかな上りに入り、多田のジャスコの交差点に下りました。左折して多田神社への桜道を通り、神社到着です。正面からだと、階段があるので裏門の方から境内に入りました。砂利道の端を自転車を押しながら歩き、これ以上自転車は駄目だろうなというところから本殿の方を眺め、並んでいる寄進の石柱を見ながら、別の裏門から出ました。さすが清和源氏の起こったこの神社、徳川家宗家からの寄進もありました。徳川家康は幕府を開く目的で意図的に縁組みしたらしいですが、鎌倉幕府も室町幕府も、先祖はここにつながっています。猪名川左岸をさかのぼり、多田大橋で右岸に渡り、r12旧道・猪名川右岸自転車道を利用しながら、R171軍行橋まで下ってきました。帰宅後は、また庭の草刈りです。今日は、家内も出てきて、庭に残っているいらない植木鉢などをゴミ袋に入れていました。我家の庭は、父親が手入れしていましたが、父がいなくなって僕たち夫婦が草刈りするぐらいで荒れ気味でした。父の思い出もあるだろうと、母がいるうちはと、手入れしませんでした。母親がいなくなって、この春から本格的に僕のプランを実行に移しました。僕の家は実家の隣です。僕が大学生になる頃、お隣が売りに出され、長男の僕が住むように購入しました。大学を卒業後1年で母親が倒れ、すぐに父も倒れ、その借金の2/3は僕ら夫婦が返済しました。僕らが隣に住むようになり、実家との間の塀を取り払いました。長男が生まれ、記念に池を掘りました。昼休みと日曜日を使い、2ヶ月ぐらいかかったと思います。子供たちが中学生になり、次に毎週やってくる弟の長男が池で遊ぶようになりました。そしてある日突然、父親が僕の池の掃除の怠りに腹を立て、埋めてしまいました。子供たちが遊んだ実家との間の小さな中庭は、ブロック花壇でせせこましくなっています。神様から孫を授かったら、少しでも広々とした障害物の少ない庭で、子供たちのように遊ばせてやりたい。面白みのない木の植え替えをします。工事用ブロックで仕切って作られた数ヶ所の花壇を撤去します。花壇内は、雑草と下草が生え、見苦しい状態です。コンクリートを敷いたところ以外は、基本的に芝生を植えようと思っています。朝の30分強を庭に当てるので、いつ完成するのか皆目わかりません。雑草刈りばかりで終わるかも?
2010/07/22
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時刻は2時10分。怪しい雲がやってきて、パラパラと小さな雨粒が落ちてきました。少し雨やどりしてから出発しました。r25を使って、海岸線を「湊」まで北上しました。ここでちょいと道を間違え、元のr25の交差点に戻ると、「あの~慶野松原って、どっちでしょうか?」なんて聞かれました。道の駅に停まってた旧車のバイクで、お若いカップルの2人乗りです。こっちは原付なので、地元の方と間違われた模様。僕はすでにこの交差点で間違えてるので、「こっち」と自信を持って答えました。後をついてきます。僕のバイクのナンバープレートの表示を見て、地元の方じゃないとわかったでしょう。後ろのカップルを先導するように、「慶野松原海水浴場・キャンプ場」を通過。後ろのカップルは、横に逸れました。この海水浴場も、家族の思い出の場所です。家内に話すと、覚えているようです。r31「サンセットライン」を北上します。いくつもの海水浴場は、沢山の人に溢れていました。ジェットスキーが走りまわっています。途中のコンビニで、アイスクリーム休憩。さっきのカップルが抜いていきました。フェリーで一緒になるかな?今日もサンセットを見ることなく、淡路島最北端を回りこみ、「岩屋港」に到着しました。ちょうど4:30のフェリーがいましたが、僕の直前で締切り。5:00便の先頭になりました。炎天下なので、バイクを置いて待合室に避難しました。ここは狭かったので、外の日陰になってる防波堤に座って次の便を待ちます。僕らに習ったように、横に待合室からあぶれたお客さんが並んで座りました。再び船上の人になり、ニコニコ話しながら、明石港到着。前回同様、明石港フェリー乗り場の奥にある漁師めし屋で、遅い昼食兼早い夕食をとりました。JR明石駅まで家内を送り、時刻は6時。僕は帰路に着きました。三井のショッピングセンターが開店したようで、R2は明石からずっと渋滞です。僕はバイク列の流れに乗ってスイスイ進みました。神戸からのR43もいつもの流れで、ここでもバイクの流れに乗りました。西宮からのR171もいつもどおりで、車で下道を走るよりは1時間は早かったと思うけど、帰宅は8時でした。朝のようにはいきませんね。今回は、家内が一緒だったので、時間の経つのが早かったと感じました。やはりおしゃべりしながらの楽しい道中だったからでしょう。僕は、250kmオーバーの長丁場でしたが、お尻も腰も大丈夫でした。ジョグとリードではタイヤサイズが少し大きくなります。クッションも随分良くなるので、それが好影響したのでしょう。VTR250とリード110でも、随分乗り心地が違うけど、リードとジョグの差の方が大きいようです。2人乗りリードの世界が、一気に広がりました。
2010/07/21
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前回同様、r157を南下します。去年自転車で上ってきた「仁井」の交差点を、直進しました。ここからは未体験の道です。地図で山の中を通るのは確認済みでしたが、県道指定の道なので、安心して突っ込みました。ところがこの道、完全な峠山道で、数日前の雨の時は川になっていただろうという道でした。流されてきた落ち葉が一面に残り、薄暗い上り下り・・・いつ道が途切れていてもおかしくありません。僕一人なら、むしろ好きな道なのですが、後ろに家内が乗ってるので、本日はノーサンキューです。家内を不安にさせたくないので、軽口を叩き、家内も「涼しいね」なんて付き合ってくれます。最後にかなりの急勾配を上り、薄暗い峠に着きました。「妙見山登山口」となっていました。地図で見ていた妙見山裏側鞍部でしょう。「ここが峠だから、あとは海に向かって下りになるよ」と、後ろに声を掛けます。フルブレーキングで急勾配をゆっくり下ります。道の落ち葉が少なくなり、コンクリート道路がアスファルト舗装になり、道幅が広がり、海が見えてきました。R28に乗って・・・と思っていたら、国道の下をくぐってしまいました。海岸まで出て、旧道を南進しました。交通量が少ないので、ロードバイク数台がR28を避けて、こちらを選択しています。R28に合流し、車の流れに乗って南進を続けました。去年、ここから船で帰った津名港で休憩しました。僕はバイクでもう100kmを超えていると思いますが、お尻の腰も大丈夫です。ここから洲本はすぐです。R28を下り洲本に入り、家族で上ったことのある「洲本城」を、下から激写。ここから、「南淡路水仙ライン」のr76に入ります。懐かしい「大浜海水浴場」の横を通りました。ここは、家内と初めて海水浴に来た場所です。お弁当を作って来てくれて、水着姿も堪能でき、幸せな1日を過ごしました。海岸山道に入るとすぐ、片側通行になっていました。海側道路が半分ありません。梅雨の大雨による災害復旧でしょう。このルートの一番の不安は、これでした。宝塚や三田の里山でも、崖崩れで通行止め箇所が出ました。「由良」から「水仙郷」までの山道は大丈夫なのか?出たとこ勝負で来ました。義父が毎週船釣りにきていた「由良」を通過し、通行止め看板が目につかなかったので、家内と「行けそうだ」と喜びました。道の山側が崩れて、土のうで応急処置してる箇所はありましたが、「立川水仙郷」を過ぎ、問題なく海岸まで下りることが出来ました。「水仙ライン」の始まりです。5月より風が強いですが、上天気です。夏の雲が浮き、太平洋から紀伊水道を抜けてくる波が、海岸線で白い波頭に砕けています。素晴らしい景色です。ゆっくり走り休憩してると、山道で抜いたロードバイクが、僕らを抜いていきます。「アワイチ」をしてるのでしょう。一日中、たくさんの自転車を見ました。「沼島」への玄関口、「灘土生」という港で休憩しました。切符売り場のお姉さんのお子さんなのか、3歳ぐらいの男の子がしきりにお客さんに愛想を振りまいています。「こんにちは」と寄ってきて、持ってるシャッターの棒と乗ってる愛車の三輪車を説明してくれます。家内が、我が家の長男の小さな頃に似てるねと言っています。小さな子としゃべるのが割合好きな僕は、いろいろ質問し楽しませてもらいました。「バイバイ」ここから海岸線を少し走り、道は内陸部に向かいました。次に海が見えたところは、鳴門渦潮観潮船の出る「福良港」です。ここでまた休憩。足湯がありました。30度を越す気温なのに、足湯に入って気持がいいのだろうか?「水なんじゃない」と家内は言っています。観潮船の時刻表を見ると、この時間帯潮が悪いのか、次は1時間後です。先に進むことにしました。鳴門海峡の端にある「道の駅うずしお」に到着。車は駐車場待ちで並んでいましたが、バイクはそのまま駐車場に。1時を回っています。遅い昼食の予定です。ところが、福良港と違ってこっちは人がいっぱいです。海峡を見ながらの食事は、今回も断念しました。橋の上まで歩いて行き、上から観潮。外で、穴あきコロッケを2つ食べました。家内はソフトクリーム。
2010/07/20
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日曜日は、淡路島を一周してきました。5月の連休後にも、VTR250で回りました。その時の「南淡路水仙ライン」が素晴らしく、家内にも見せてやろうと計画しました。この道、子供たちが小さな時、車で走ったこともあるのですが、バイクや自転車で、風・空気・匂いを全身から感じた方が、ここの良さをもっと感じる事ができると思います。先月の小豆島のように、車でそこまで行き、水仙ラインだけを自転車で往復する手もありますが、今回はバイク2人乗りを選択しました。通勤スクーターリード110で、何度か2人乗りしたので、かなり慣れました。ほんとは、VTR250の方が乗り心地の面で楽なのでしょうが、2人乗りしちゃうと荷物の収納力が一気に落ちますし、リードの方がリアボックスと僕との間に家内を挟むので、家内をおっことす心配がありません。安全面でリードを選択です。ただ、2つ問題があります。1つは、交通量の多い神戸周辺をどうクリアするか?僕1人なら、車よりよっぽど街中機動力のある原付二種なので平気なのですが、見所もない区間なので家内は退屈です。この70kmを、家内だけ電車で移動することにして解決しました。2つ目は、淡路島一周160kmを原付2人乗りで走って疲れないか?VTR250なら、300km以上走っても、適当に休憩すれば、お尻や腰の負担は殆どありません。でも先代通勤スクーター・ジョグ50では、20kmを越えてくると腰やお尻が痛くなり、50kmが限界でした。リード110ccになり、50kmは大丈夫と実証していますが、それ以上は未体験ゾーンです。これは、淡路島内に張り巡らされたバス網を利用することにしました。最寄のバス停まで送って、家内はそれで家に帰ればいい。果たして夫婦で一周できるのだろうか?ちょっとワクワクです。当日の朝になりました。明石海峡を渡るたこフェリーは30分間隔で出てるから、特に何時という目標はありません。適当に起き、適当に支度し、着いた時間に来たフェリーに乗るという感じです。5時前に目が覚めました。まあ毎日こんなものなので定刻といえます。家内は、初めての2人乗り長距離なので、張り切っているようで、家事に勤しんでいました。6時50分に家を出ました。リードは高速道路に乗れないので、明石まで2時間ぐらい掛かるでしょう。電車だったら1時間半。僕はそのまま一路明石に向けて走り出しました。家内は仕事場に寄って、しっかりお化粧してから行くことにして、8時にJR明石駅海側出口で待ち合わせです。日曜日の朝なので、道が空いており、R171・R43・R2で快調に進みました。明石駅到着が、7:04。予定より1時間も早いです。駅前にバイクを停め、コンビニで買ったサンドイッチをほおばりながら、家内を待ちました。輪行でやってくる自転車が自転車を組み立てています。小径車の自転車グループが集合しています。待ち合わせの君に会えず、しきりに携帯電話とにらめっこしているオメカシしたお嬢さんがいます。先生に引率された中学生が、改札口に向かいました。先生が1人残り電話をしはじめました。「今日の集合時間が何時か知ってる?」「・・・」「みんな行ったぞ。君はどうするつもりなんだ」「・・・」静かな口調に、歯がゆさがこもっています。なかなか先生も大変です。なんて聞き耳を立てていたら、家内が到着しました。「早かったね。何時に着いたの?」「7時」「え~、もったいなかったね」ここから2人乗りで、タコフェリー乗り場に向かいました。フェリー乗り場には、すでにフェリーがいました。「え~と、カップルですね。カップル値引きがあるから、790円です」レシートを見ると、正規料金1170円から380円もお得していました。そのフェリーに乗れ、すぐに離岸しました。「790円だって、安かったね」「カップル割引だって」「カップルって、年齢関係ないのかなあ」なんて、先月の小豆島行きフェリーとケタ違いの安さに驚いていました。あの時は車だったので、7000円ぐらい払ったと思います。しばらくすると、外に出ていき潮風に当たっていました。僕は、運転があるので、体力温存の為に中から見ていました。「潮風に 淡路の島に 何想う」、後ろ姿を激写。岩屋港に着いて、2人乗りで淡路島上陸。フェリーから車両で下りるとき、何故かワクワクするのはどういうわけでしょう?自転車もバイクもたくさん乗っていました。バイクの群れに続いて、R28を少し南下。皆さんの熱気を感じます。右折して、r157に乗り、「あわじ花さじき」に上がりました。5月の一面の花を知ってるので期待はずれでしたが、家内は「気持ちいいねえ」とご機嫌です。今朝、実家の仏壇の世話をしながら、私の母に、「行きたいと言ってた花さじきに行くよ」と報告したようです。だから、家内の方の上に母が乗ってるのだとか。眼下のお隣りの丘には、牛が放牧されています。花の後ろには、海が広がり、とても気持ちのいいところです。ゆずのジュースを購入。さっぱりしたおいしさです。「これ、きっと好きな味だわ」と家内に渡すと、いらないと言ってたのに、「ほんと、おいしい」と2口も飲んでました。僕の毎晩のヨーグルトのお供、「いちごジャム」購入。さらに、可愛らしい招き猫風の猫親子ぬいぐるみの小さいのがあったので、それも購入。VTR250の後ろ座席に乗せようと思います。バイク便ボックスに、ニコニコマークも貼られたし、和やか路線に変貌しつつあります。
2010/07/19
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今朝は、6時15分に目が覚めました。窓を通して見える空は、晴れてるみたい。「よし、行こう」。「早朝バイク」を選択しました。行き先は、能勢町「高山」。どうも、前回見つけられなかった「高山マリアのお墓」が気になります。それと、今週の大雨で土砂崩れを起こし通行止めになったと新聞に出ていたR477の妙見山ケーブル付近も。もう開通したのかな?それとも、復旧に数週間掛かるほどの災害だったんだろうか?池田から、R423で北上しました。前回は、右折で直接r4に乗り、何かして「高山」に入ったけど、今回は逆ルートにしました。「箕面グリーンロード」との交差点のところを、R423旧道に入ります。グリーンロード脇の道を右折して池田五月山の奥の山に突入しました。前回、リスと会えたので、ゆっくり目に走ります。「また会えたらいいのになあ」いい景色ですリスには会えませんでしたが、猿さん出会いました。僕のバイクが近づくと、のっそりと道脇に寄り、こっちを注視しています。僕もゆっくり・・・写真を撮ろうかなと思いましたが、箕面の猿も小豆島同様人に慣れてるので、「何かくれ」と迫ってきたら怖いので、僕が逃げるように猿から遠ざかりました。ねむの木の花が、随分道に落ちていました。この花もなかなか素敵です。「箕面ダム方面」と「五月山方面」との分岐まで、上がってきました。「五月山方面」は、ここから終日バイク進入禁止なので、箕面ダムに向かいます。五月山の道も、箕面の滝の道も、「終日バイク通行禁止」指定されています。川西市の知明湖周辺道路も「土日祝日バイク通行禁止」指定されており、川西警察に平日の通行のことを電話で問い合わせたことがあります。担当警察官が対応してくださったが、その方でさえ、「え~と、何処ですか~。あ~あそこは・・・土日祝日だけですね」と、もう過去の遺物のような話しぶりでした。過去、爆音を上げながら集団で折り返し走りまわるバイクがいたので指定されたが、特に問題にならないから、指定解除に積極的に動かないだけという感じを受けました。「解除してもいいんですがねえ~」と言いながら、自ら声を上げたくない。「箕面ダム」でr4と合流しました。左折して、「高山」を目指します。前回、親子鹿に会ったから、またゆっくり走ります。まだ綺麗に咲いてるねむの木があったので、写真休憩。ここで、ロードバイクに抜かれました。この道は、「早朝ロードバイク」の濃い道です。毎回複数のロードバイクに会います。オープンにしてるマツダロードスターとすれ違いました。「ん?前回も会った?」バイクの峠カーブローリング族はいないけど、車の走り屋さんはいるようです。このロードスター、後でまた会いました。他に数台、それらしき高速軽量ロードスポーツ車が、走っていました。「高山」の「高山マリアの墓」道標のところでバイクを置き、急坂を登って探索に向かいました。電気柵で囲まれた畑の間の細い山道になり、山に突入し獣道に。昨今のトレッキングブームの為か、自治体の道標が立ち、迷わず目的地に導かれました。お墓は、小山の頂上にありました。横に立っていた謂れを読むと、このへんを支配していた高山家の影響で、キリシタンの濃い土地だったけど、キリシタン禁止令後、立ち去ったり改宗したりしてキリシタンはいなくなったそうです。最後のキリシタン夫婦2組の墓だとか。小さな石標が4つ立っていました。高山右近の母親のお墓ではなさそうです。再びバイクに乗り、r4を「金石橋」まで下りました。この途中、また猿に会いました。こちらも逃げません。僕が逃げました。「金石橋」で、R423に乗り少し北上、「妙見口」で左折、ここからまたr4です。「野間峠」のトンネルを抜け、前から気になっていた「本瀧寺」に寄りました。木造の古刹をイメージしていましたが、霊園を経営し、コンクリート造りの大きな建物もある裕福そうなお寺でした。謂れを読むと歴史は古く、室町時代に兵火で焼けたともありました。妙見山の中腹ですが、急峻な谷筋に建ってるようで、立派な石垣や建物を眺めていると、この辺を支配していた清和源氏の末能勢氏の館としても使われていたんじゃないのかなあと、想像が膨らみました。妙見山山頂にある妙見さんと、r4を隔てて北側にある妙見さん奥の院を結ぶ山道上にあるようで、道標が立っていました。トレッキングな方が通るのでしょう。ここは、まだまだ紫陽花の季節でした。時刻は7時、帰らなければなりません。ほんとは、もっと早く帰って、朝の庭手入れをするつもりだったのですが、ついつい・・・。r4に出て西進、R477との「野間中」交差点に出ました。左折して、崖崩れ現場を見に行こうと思っていたのですが、ガードマンさんがバリケード前でバツのマークを作っています。様子を聞くと、数日で復旧する崖崩れではないらしいです。正確な場所が特定できないのでよくわかりませんが、妙見ケーブルの所に行けるのだろうか心配になってきました。家内とのトレッキングメニューとして、ケーブルまで車できて、ケーブルで山頂に上がり、歩いて下ってくるというのを考えていました。R477で一気に帰ろうと思っていた目論見が外れ、仕方なくそのままr4を西進しました。「野間の大ケヤキ」のところに、大型スクーターが停っていました。R477がダメなら、r604で「知明湖」経由で南下するのが早いのですが、土曜日なので、バイク通行禁止です。警察に見つかっても、R477の特殊事情があるからおまけしてくれそうですが、もう1本西の南北道R173まで西進することにしました。ダート区間があり一度も通ったことのないr4「猪ノ子峠」にチャレンジです。舗装路が終わり、ダート区間に入った途端、ここ数日の雨で、道路の真中に深いえぐれが出来ていました。「こりゃアカン」と、あっさり撤退です。一旦引き返し、r604で西進、そのまま行けば早いのに、「土日祝日バイク通行禁止」の看板を見ながら、泣く泣くr106で北上。「猪ノ子峠」を越えたr4に再び合流して西進、やっとR173に出ました。これで一気に南下。この道、トラックも多く、乗用車はスピード出してるから走りたくないんだけど・・・。そのまま池田まで南下して帰宅しました。8時過ぎに帰宅と遅くなったけど、通勤にはまだ余裕です。朝風呂に入って、仕事に向かいました。猿に会えて、いい1日の幕開けになりました。明日は、家内と通勤リード110に2人乗りして、淡路島一周しようと計画しています。家内は、明石までの往復は電車で、淡路島一周途中でお尻が痛くなったら、最寄のバス停まで送って、バス&電車帰宅します。でも僕は、全行程リードです。VTR250なら平気なんだけど、リードはどうなんだろう?
2010/07/17
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今年の梅雨は、「しっかり降ったなあ」という感じでした。過去形になってるのは、もう明日にも梅雨が上がりそうだからです。週間天気予報は、今週までとはうって変わり、週末からお日様マークがズラッと並んでいます。今朝は、久しぶりに「早朝自転車」をしました。今月に入って、まだ2回目です。雨の日はもちろん無理ですが、雨が振っていなくても怪しい天気の朝が多く、自転車よりはカッパが積めるバイクの方を選択することが多かったから、バイクは適当に乗りましたが、自転車は少なくなってしまいました。先月も「早朝バイク」が多かったけど、自転車でも100kmは走りました。今月は、まだトータル16kmですが、これから増えて100kmは超えるでしょう。今朝は定番の「猪名川土手コース」に繰り出しました。飛行機を見ながらの土手コースは、やはり気持ちがいいです。30分ほどだけでしたが、徒歩なら2時間かかる8kmも走れて、自転車はいいものです。帰宅後30分ほど、また庭のジャングル化阻止草むしりに励みました。僕が自転車に乗ってる間に、家内も草むしりをしていたらしく、僕特製のゴミ箱にセットしたゴミ袋に半分ぐらい草が入っています。朝シャワーを浴びながら、お風呂の窓から顔を出し、「あのゴミ箱、使いやすいね」「いやあ、綺麗になったねえ」と声を掛けられ、さらにやる気が出ました。やっぱり人は褒められると、ヤル気が出る動物ですね。今朝の草むしりで、新兵器を投入しました。頭からすっぽり被る網です。登山用品のお店で見つけて買っていました。460円。長ズボン・長袖・手袋・靴下で、完全武装して庭に挑みますが、顔や首が蚊の標的になっていました。今朝は完璧に虫刺されから開放されました。「これはいいものを買ったな」と、自画自賛して室内をうろうろしていると、ふと洗濯機の横に目が止まりました。洗濯機で使う衣類を入れる網です。被ってみました。「これで十分なんじゃないか・・・」これを被ったまま公道に出ると、実に怪しげですが、人目につかない庭なら何も問題ないです。
2010/07/16
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日曜日に冷蔵庫を買い換えたとき、エコポイントというので5000円政府がくれると説明がありました。古い冷蔵庫のリサイクル料が3000円だったっけいるのですが、それも戻ってくるらしい。その申請用紙を家内が受け取っていました。冷蔵庫の買い替えがなんでエコなのかよくわかりませんが、まあくれるものは貰っておきましょう。ついでに、いらなくなったTVを持って帰ってもらおうと相談したら、新しいのを買わないとダメと断られました。「これじゃあ、山の中に不法投棄する輩が増えるのは仕方ないな」と、思いました。ビール瓶のリユースみたいに、最初にリユース料金を商品代に上乗せして販売し、ビンを持ってきたらそれを戻すようにしたら、行政が不法投機品を回収せずとも、回収してくれる人はたくさんいるのに。空き缶の収集日には、リサイクルな方が、ゴミステーションに置いた側から持っていかれます。TVをどう捨てるか、仕事場で契約してる業者さんに聞いたら、大きさに関係なく6000円だそうです。行政に聞いたら、大手家電店で4500円で回収するとのこと。ひょっとして、冷蔵庫を買ったお店の店員さんは、「無料で引きとって欲しい」と、僕が言ってると勘違いしたのかもしれません。地デジ元年が来年に迫りました。3年前に1台のTVが壊れた時、随分地デジ対応液晶TVを勧められましたが、10万以上したので3万円のブラウン管TVを買いました。予想通り、今は同じ大きさでも5万円ほどに下がっています。もう1台は、長男が結婚して余ったので貰った地デジ対応液晶TVです。実家のTVは、2台ともブラウン管で古いので、地デジ対応液晶TVを1台新調しようと思っています。エコポイント割引は、今年いっぱいと店員さんが言ってました。リサイクル費・・・地デジアダプター・・・地デジ対応アンテナ工事・・・お店に行って、いろんなシュミレーションの料金を聞いてみないといけない時期になってきました。
2010/07/15
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日曜日は、3人乗りヨットの毎月のポイントレースに出場してきました。朝は無風でしたが、第1レースのスタート予定時刻には8m/s、10m/sオーバーのブローが入りだしました。ハードな1日になるなと覚悟したのですが、4m/sぐらいに風が落ち、その後徐々に8m/s・ブロー10m/sという、豪快で面白いレースになりました。ミスってスピンを海に落としてしまい、スピンポールを折るというがっかりなこともありましたが、大いにレースを楽しませてもらいました。僕らは、トラブルで先にハーバーバックしましたが、他艇も次のレースでレースが終わったようで、順次戻ってきました。その後、船を片付けている時、ザーッと雨が降ってきたり、多分20m/s近かったのではないかとおもうブローが入り、海面が真っ白になっていました。1レースリタイヤしたので、3時過ぎに自宅に戻ってきました。家内と6時半始まりの映画を観に行く予定でしたが、早く帰ってこれたので、近隣の別の映画館で、その1時間前の上映を観ることに変更しました。それでも2時間の余裕があるので、壊れ気味の実家の冷蔵庫を見に行くことにしました。主のいない家なので、冷蔵庫を買っても電源を入れない日が続くでしょうが、息子夫婦が気兼ねなく泊まれるように、サイズダウンして買い換えることにしていました。見に行くだけを考えていたので、大体3~4万円ぐらいだなと目星を付けて、隣のスポーツ用品店に向かおうとしました。ところが、「面倒だから買っちゃおうか」なんて家内が言い出します。「でも2万しか持ってないよ」「私持ってるから」家内のお財布を覗くと、買う気満々の中身でした。「10万円ぐらいすると思ってたから、安上がりになっちゃった」と。お隣の「スポーツデポ」で、登山用品コーナーを物色しました。トレッキング用の靴とステッキを見ました。靴が1万円弱、ステッキが両手2本で5000円。2人で3万円。初心者なので、これぐらいでいいでしょう。森の中に入るとGPSなんて役に立たないので、コンパスも必要そうです。あとクマ鈴もいるかなあ?家内とハイキング道や低山トレッキングをしながら、1人の時は、山城を攻めてみようかなと思っています。室町時代後期に活躍した中世の山城にいくつか登り、木々に埋もれた石垣の残骸や葉っぱや土に埋もれて浅くなった横堀に、なんとなくロマンを感じます。素晴らしい絶景の下界を眺められるところだったら、我が領地を見る武将になった気分に浸れます。ほとんどの武将が、天命を全うせず戦に倒れていった時代・・・無念ではあっただろうけど、今のようにちょっとした体調不良にビクビクして医者通いするより、死に場所を得ていた男の潔さも感じます。特攻攻撃で亡くなった方の手記を読むと、ここで散る無念さより、高揚感を感じてしまいます。バイクで、スピードをしっかり落としてビビりながらカーブを曲がるくせに、ヨットに乗ってる時吹いてくると、「ようし」と気持ちが座って、シートを引き絞ってブローに突っ込んでいく時感じる高揚感に似ています。もし、僕が特攻の時代に生きていたら、死に場所を得た爽快感で多分笑顔で出撃しただろうと思います。なんかそういうのを、打ち捨てられた山城から感じます。映画は、「踊る大捜査線」を観に行きました。家内の評では、「面白かったけど、織田裕二がタバコを吸うのがダメね」だって。小栗旬が新しく登場し、またいい味を出していました。上手な俳優さんだと思います。
2010/07/14
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「高山」というところは、摂津平野の奥座敷のようなところにあり、落ち着いたいいところです。箕面市から向日市にかけての北摂~西山にかけての山中は、三田・篠山・猪名川町に渡る北摂里山地域とは、また違う魅力に溢れていそうです。「高山」には、下の国道でよく目にする「北摂霊園」もありました。朝一番で入れませんでしたが、景色を見に昼間来てもいいですね。こういう所のお墓は、総じて景色を売りにしてるものです。夜景もいいかもしれません。六甲山に負けないかも?でも、お墓だけあって、すぐ横にゆらゆら火が飛んでるかも?箕面の滝方面に下りだしました。ロードバイク2台とすれ違いました。箕面から上ってきたのでしょうか。結構標高差があるように思います。仕事前の一っ走りなのかなあ・・・凄いです。この道、ロードバイクにいい道です。箕面のダムの手前で、鹿の親子に会いました。道のすぐ脇に並んで立っていました。僕のバイクを怖がる感じもありませんでした。ここの猿同様慣れてるのかな?箕面のダムは、僕の好きなロックフィルタイプだったので、寄ってみることにしました。バイクをダム上の道に入れると、ダム上の道がそのままダム上の右岸道路に繋がって、奥に消えています。さらにちょっと寄り道しようと、右岸道に入ってみることにしました。霊園の看板が立っています。その霊園まで行って帰ってくるつもりでしたが、霊園を特定できず、「止々呂美」の標識のあるT字路に出てしまいました。ちょっと思案し、箕面ダムに戻ることをやめて、「止々呂美」から帰ることにしました。山道好きに、いい感じの道に見えたからです。箕面から止々呂美に抜ける有料道路の所に出ました。道は細くて、グニャグニャ道ですが、いい感じに枝や草が道に進出してきて、でもつづら折れのように急勾配を下りるところはなく、楽しい道でした。セカンドかサードでのエンジンブレーキがいいです。すれ違ったのは大型スクーターが1台だけです。なんとなく、僕みたいな「早朝バイク」な方に見えました。リスさんが、バイクの前の道を横切りました。R423で川西に出て、r13利用で帰宅しました。ああ面白かった。7時に帰宅できたので、庭の草刈りに精を出しました。車載ムービー 摂津高山2
2010/07/13
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先週のある日、目覚めたら前日に続き5時前でした。外の天気はよくわかりませんが、雨音はしていないのでOKです。家人を起こさないように、毎晩欠かさない晩酌ならぬ晩ヨーグルトを片付け、再び自室に上がってコソコソと着替えました。が、階下で家人の動き出してる音が・・・これはあかん・・・車載カメラ一式とバックをひっつかみ、ササッと玄関から滑りだしました。早朝バイクを咎められてるわけではないけど、どうも後ろめたいのは何故でしょう?家人がちょうどトイレに入ってるところだったので、セーフです。何がセーフか自分でも意味不明ですが。玄関を出て、VTR250の置いてある保管場所に来て、ゆっくり準備します。室内に置いてあるカッパ・工具を載せて、出発です。r13~R423と、先週・昨日に続き、3連続のこの道路です。余野川の渓谷は、相変わらずいいです。昨日は、r733分岐まで北上し、r733に乗りましたが、今日は庭仕事の時間を残すために、「金石橋」交差点でr4に乗り換えました。先週金曜日は、r4を西に入り、妙見山まで上がったけど、今朝は東に入り箕面まで抜けてみようと計画しました。妙見山の登りほど斜度もカーブもきつくありませんが、カーブを繰り返しながら徐々に登っていきます。霧が出ています。昨日に続き、霧に突入です。下界の景色のいいところで激写タイムも取りました。この道もいいです。「高山」というところに出ました。「おお~ここが高山か~」高槻城主だった高山右近は、ここの出だったはずです。茨木城の中川清秀とともに、摂津を手にしていた荒木村重の与力としていた。軍事の才ある村重は、信長の有力与力として重用されていたが、毛利の後ろ盾をあてに信長に反旗を翻す。この反旗の原因は、難攻不落の現大阪城の石山本願寺と長期戦闘状態だった信長軍にあって、高山右近の重臣が密かに本願寺に兵糧を運びいれていたのを、信長が知ったからだとも言われている。石山本願寺は、一向宗の総本山で、武将の中にもたくさんその信徒がいたから、致し方ない面もある。村重は、安土に赴き信長に申し開きしようと高槻城まで来た。ここで、猜疑心に満ちた信長では、その場で斬られると右近に忠告され、本拠伊丹有岡城に戻り、籠城に準備に取り掛かる。武勇の村重を失い、戦うことの損失もあり、信長は村重と講和しようとするが、結局戦局が開かれる。強力な村重軍団だったが、信長の切り崩しにあい、高山右近も中川清秀も村重から離れ、毛利の援軍も間近まで来たが、間に合わず有岡城は陥落した。信長の先見性や武勇は素晴らしいと思うが、強烈な猜疑心や苛烈なやり様が、与力武将の次々の反旗につながり、多くの元与力武将と戦うことになる。荒木村重や丹波の波多野氏・赤井氏の元与力との戦いがなければ、天下統一の成ったかもしれない。ついに信長軍団No2の明智光秀に討たれてしまう。これも、自分の後、わが子達に日本を分割統治させようとして、最大の友軍だけど子孫を脅かす存在になるだろう家康の抹殺を謀ったことから起こったとか。堺見物の後、信長のいる京都に誘って、そこで光秀が家康を討つ計画だっと言う説もある。僅かな手勢しか伴わない家康を誘うためには、信長自身も手勢を少なくする必要がある。強力な武装した光秀軍団が京に迫っても、そういう陰謀があったから対応に遅れた。光秀から暗殺計画が、事前に家康に漏らされていたとか。岡崎に戻った家康の旗揚げは、光秀の友軍として出るためだったが、早々に光秀を破った秀吉と対決の形になったとか。後年、天下をとった家康は、光秀側近斉藤利三の娘を孫家光の教育係に抜擢している。秀吉も、信長の猜疑心や友軍だった波多野氏や長宗我部氏との関係を、前触れ無く反故にして攻め立てるやり方に恐怖していただろう。光秀の反旗に小躍りしただろう。結局天下を取ったのは、友軍を大切にし、調略や兵糧攻めで双方の被害少なく勝利し、敵方をも友軍に引き入れる才覚のあった秀吉であり、これまた身内を大事にし、内部抗争の愚を起こさなかった家康でした。おっと、大きく横道に逸れてしまいました。書く事で頭を整理し、忘れないようにもう一度頭に刻んでいます。
2010/07/12
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R423に戻り、当初の目的地「犬飼川の沢道」に入りました。昨日雨が降らなかったので、通れると思って来ました。予想通り、梅雨の雨で水量が増し、左右の緑の中を心地良い沢の音と共に流れ来る犬飼川は、素敵でした。BGMは、ウグイスなどの鳥の鳴き声で、カゲロウのような遅いトンボが飛んでいます。雨が降ると、道路が川になるところは、さすがに梅雨、長い距離川になっていました。まあ浅いので、難なく通過します。この道は、近畿自然歩道にも指定されてるので、ハイキングな方は靴と足が濡れますね。枝が垂れてる所や左右から草が伸びてる所は、仕方なく突っ込みます。朝からまだ誰も通っていないのでしょう、蜘蛛の巣の餌食です。「東加舎」側に下り、道を通せんぼしてる獣避けフェンス前で一旦停止。フェンスを開けてバイクを集落側に動かし、再びフェンスを閉めて、R477に合流しました。R477を南下し、r106に乗り、「知明湖」になる手前で、右岸に渡りました。こっちは、昼間あまり交通量がない道で、日曜日は釣りの方の車が所々に停まります。知明湖駐車場に車を停めて、「夫婦で自転車」するときのルート確認で入ってきました。ここを走るのは、初めてです。駐車場手前の橋で、r604に復帰し、「一庫ダム」の上を走ってR173を越え、r68で「日生中央」、「紫合」からr12を南下、「広根」からr324で「切畑」に出て、r33・「長尾山トンネル」で帰宅しました。7時に戻って庭仕事の予定でしたが、r733に寄り道してしまったので、7時半帰宅になり、サボってしまいました。いや~楽しかった。車載ムービー 犬飼川沢道3
2010/07/10
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今朝も、4時半に目覚めたので、「早朝バイク」しました。これで3日連続です。帰ってきてから、1時間弱庭仕事してから出勤しました。一昨日の朝、目が覚めたら、5時前でした。前日の朝は、庭仕事を頑張ったので、「早朝バイク」に出発することにしました。前日は、我が家の庭のジャングル化を阻止すべく、玄関近くから、電動生垣刈りの助けを借りながら、主に「引き抜き」作戦で、難題に取り組みました。また、植木入れ替えのために根っ子切りをしていた木を、とうとう引きぬくことが出来ました。雨で土が柔らかくなる梅雨の時期に入り、作業を始めましたが、いくら横に張った根を切ってもビクともしません。素人土木作業は、30分が限界なので、物理的な作業での根っこ抜きを諦め、木を傷つけて除草剤を入れてやろうと、ケミカル作戦に変更しました。物を用意できたので、作業に取り掛かるとしたら、雨にさらされ少しグラグラするではありませんか。物理的な作業で、根っこを掘り起こすことができました。「へえ~、抜けたじゃない」と、家内に褒められました。毎度のプロテクターを身につけ、カッパなど毎度の物をVTR250に積み込み、家を後にしました。まずは燃料補給です。203km÷6.11L=33.2前回は高速を走ったから、28km/Lまで落ちたけど、今回も30を越えました。Goodです。r13経由で、R423に乗りました。先週、「早朝バイク・妙見山偏」で通ったばかりです。京都府の亀岡市域に入り、右折してr733に乗りました。この道、高槻市の奥の北摂山中を走り、京都の向日市まで抜けています。魅力的な道です。いつか向日市まで走ってみようと狙っています。この道、もっと細い山道だと思っていたのですが、中央白線のあるところもある軽快な道でした。昼間でも交通量が多そうではなく、道脇の田畑と山に囲まれ、かなり気持がいいです。所々霧が浮いてて、「早起きして良かった~」という気持ちになりました。r46に合流し、亀岡方面市内に山中を北上し、交番の所で左折してr407に乗り換えました。この道も走りやすい道でした。後で知ったのですが、「穴太寺」に続く道でした。平地に下りてくると、さすがに「霧の亀岡」。霧が濃くなって、いい感じの景色になりました。「犬飼川沢道が目的地だったのですが、ちょっと寄り道することにしました。「穴太寺」とR423の間です。左右の水田に霧がかかると、何とも言えず素敵な景色になります。いつもバイクを停める道が、このr407でした。予想通り、6時前の静けさも手伝って、すごくいい景色を提供してくれていました。稲の若い緑と霧の白のコントラストがいいです。景色を満喫し、「犬飼川沢道」の方に、Uターンしました。
2010/07/09
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サイクルコンピューターの電池を換えました。液晶文字が薄くなってきたように感じていたのですが、先日の「夫婦で自転車・小豆島偏」の時、斜めから見ないと見えなくなって、「いよいよ駄目だな、電池切れだけだったらいいんだけど」と思いながら、自転車屋さんに持って行きました。電池を入れ替えてもらったら、復活しました。最初はこんなに濃い色だったんだと、びっくり。通算走行距離は、2100km程でした。約1年です。冬場、母の葬儀があり、実家の片付けなどで「早朝自転車」が出来なかったから、4ヶ月ほどあまり乗れませんでした。この通算走行距離を、入れなおしてくれました。こういうことも出来るのですね。家内のESCAPE3のタイヤを、28Cから僕と同じ25Cに変更しようかなと、相談しました。僕と並んで下り坂を下っていても、加速度やスピード維持がずいぶん違います。細いタイヤの方が楽そうだけど、細いとパンクしやすそうなので、僕のをもっと楽な23Cに変更する気持ちは、今のところありません。僕の25Cもこの1年パンクゼロだったので、家内のは28Cもいらないんじゃないかなと思ったわけです。一応パンク修理方法を教えてもらっていますが、出来ればパンクしてほしくないです。店長さんの話では、パンクは、空気圧をしっかり管理していれば大丈夫だそうで、運とのことでした。細くするとパンクの確率が上がることはないということでしたが、家内のを25Cにすると、空気圧も7気圧まで上げられ、楽になるとのことです。今度、25Cに変えることにしました。果たして転がり方が、どう変わるのか?先週、昼休みに好日山荘を覗いてきました。その数日前の昼休みには、スポーツオーソリティを覗きました。さらにロードサイドの安売りの靴屋さんも。目的は、トレッキングシューズです。ハイキングや、軽い山歩きをしようかなと思ったからです。トレッキングルートが乗った「山と高原地図」も買いました。通勤以外でバイクに乗るようになり、田舎道まで楽に足を伸ばせるようになりました。そこで、スポーツ自転車がたくさん走ってるのに刺激され、自転車を始めました。これは、家内も乗れるので、夫婦の新しい扉が開きました。景色のいい山道や自然の中をバイクで走ってると、中高年のグループがたくさんハイキングしていました。日曜日電車に乗ると、それなりの物を持った軽登山おばさん達が必ずいます。楽しそうに、おしゃべりしています。25年で、1世代変わります。1人の人の人生も、25年で節目を迎え、次の25年のリスタートになるように思います。僕が生まれてからの25年は、親に保護されていた25年でした。次の25年は、自分で稼ぐようになり、妻をもらい新しい家族として独立し、子供たちを養っていった25年。そして今、僕と家内の25年は、次の段階に入りました。子供たちが基礎の学びを終え、働き出し、長男は嫁をもらい新たな家庭として、僕を家長とする戸籍から独立しました。新たな新婚とは、よく言ったものです。夫婦喧嘩をよくしてた僕の両親も、僕が結婚するようになってから、なんだか仲が良くなり、海外だ国内だとよく旅行に行くようになりました。僕らも、元々夫婦喧嘩なんてしない夫婦ですが、間に子供たちがいてた時代が終わりましたが、10代・20代のパワーも魅力もなくなってる僕に、変わらず一緒にいてくれる家内の存在がとてもいとおしいです。ハイキングやトレッキングは、夫婦で出来ます。自転車の他に、夫婦で楽しめるアイテムを増やしておこうと思います。この人生最後の25年を見据えて、男である僕が計画・用意・実行していかねばなりません。登山用品店の好日山荘は、昼休みということもありますが、お客さんは年配者ばかりでした。ブームだからなあ。パチもんトレッキングシューズしか履いたことないので、ちゃんとしたものは幾らぐらいするものなのか偵察です。ここは、みんな1万円以上するものを置いていました。パチモンを置いていない信頼感があります。学生時代からずっとスキーをやってましたが、30代からは、板もブーツもみんな好日山荘で買っていました。乗りやすいオガサカの上級者用モデルやランゲのブーツは、ロードサイド大型スキー用品店には売っていませんでした。落ち着いた知識豊富な店員さんの応対に満足していました。まだ冷やかしの段階の僕なので、お客さんの応対に忙しい店員さんには声を掛けませんでした。でも大体の感じはつかめました。まず総合スポーツ用品店で、安めの靴とストックを買おうと思います。持ってるリュックを背負い、何度かハイキングやトレッキングを経験して、必要なものを買い換えたり購入したらいいんじゃないかな。
2010/07/08
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今にも雨が降り出しそうな天気の朝、深い木立に囲まれた誰もいない参道を歩きます。勾配がきついので、ゆっくり上がります。目指す宇佐神社が見えてきましたが、その横に、「宇佐山城」の道案内が立っています。参拝は後回して、この勢いで城跡まで上ることにしました。この参道は、湖西道路のすぐ横で、木々の切れ間から猛スピードで走る車が見えます。湖西道路のトンネルの上を越えて上ってきました。ここからは、山道です。獣道に毛が生えた程度の踏道が、つづら折れや回り道を繰り返しながら続いています。里山の低山でも、簡単に迷うので、時々後ろを振り返り、あたりの景色を記憶にとどめます。帰り道を間違えると、とんでもない所に下山して、車に帰るのに難儀します。足元は悪く、薄い霧に包まれた山道は滑りやすいです。時折急坂もあり、休憩を入れながらの登山になりました。この辺の田畑には、獣避けネットが敷かれていないので安心ですが、鹿はいるかも?まさかクマはいないだろうけど。念のためウエストバックから、先週好日山荘で買った山歩き用の小さな鈴を出してぶら下げます。早速の出番です。静けさの中で孤独に歩を進めます。この道はキツイです。山頂まで登って、出艇の時間に間に合うのだろうかと、「引き返した方がいいよ。しんどいし」という心の声が聞こえます。「折角の機会を、途中離脱という情けない結果でいいのか」のGOの声が、それをかき消します。木々が濃いのが幸いしているのか、薮が繁茂しておらず、その点では楽でした。それに・・・「宇佐山城跡」「もう少しで頂上」「滋賀県は楽しい」などの小学生が書いた立て札が、道を迷わないように所々に立っています。「平成21年6月・・小学校6年4組」となってて、軟弱や女児に、成人男子として負けるわけにはいきません。途中から、蜘蛛の巣払いに小枝を振り回しながら、頂上に到着しました。三角点335mと書いてありました。そこには、眼下に琵琶湖の絶景が待ってるのかと思いましたが、北・東・南の展望はなく、わずかに開いた西側からだけ更に高い東山の一部が見えるだけでした。でも十分な達成感です。この西側斜面には、資材を運び上げる作業用ケーブルが敷かれていました。山頂に似つかわしくない琵琶湖TVなどの共同アンテナが建ち、2棟のコンクリ建物が立っています。それへの物資供給ケーブルのようです。でも作業員が上がる整備された道はありませんでした。数本ある山道を上がってくるのでしょう。山頂の一段下に、かつての山城を思い出させる石垣が残っていました。崩れた石垣の石も多数残っています。土塁や長い年月により浅くなった空堀の跡もあります。北側にも小さな平坦地があり、その間を上がってきた山道が通っていますが、山城跡から見ると、これはまさに堀切でした。北の山頂にも砦が築かれていたものと思われます。かなり満足して下りにかかりました。楽な下りこそ滑りやすく、山頂を目指す獣道ルートが重合してるので、間違えないように慎重に下ります。こころ強い味方が、小学生看板です。それでも1ヶ所、どうにも判断に苦しむ分岐があり、数度行ったり来たりしましたが、正解ルートを選択することが出来ました。まあ、間違ったルートでも、急斜面ながら、同じところで合流しましたが。「宇佐神社」横まで下りてきて、朽ち果て苔むした土塁を見つけました。この土塁の配置を考えると、相対するのが「宇佐神社」です。ここに森可成の館だあったのかもしれません。山城は終の防戦場所で、日常は毎日あんな山道を上り下りしません。麓の館で日常業務をこなし、いざという時の防戦が敵わなくなって、山城に退却し、標高差の有利を得て、最後の奮戦でなんとか延命しようとします。その館を敵軍に占領された時の次の防戦ラインの土塁のようです。僕は、戦国武将になった気分で、小さくなった土塁を越え、宇佐神社に向かって道なき木々の間を進軍しました。そして宇佐神社前の舗装路に降り立ちました。すると、宮司さんなのだろうか、車から荷物を下ろしていた御仁が、ぎょっとして僕を見ます。不意打ちだったのでしょう。僕の勝利です。「おはようございます」と挨拶し、いつものように10円賽銭で参拝しました。「これまで、家族を見守ってくれてありがとうございました」、いつもの挨拶です。僕は、「・・に合格させて」とか「・・の足が治りますように」などのお願いを、神仏にしません。生まれて2ヶ月で、致死率の非常に高い腸重積という病気になり、手術を勧める小児科医から僕を引っ張り合い、罵声を浴びながら、母親は「回復手術が成功しても、体力が持ちません」と強引に僕を取り戻しました。すぐに駆けつけた関西労災病院で、たまたま帰り支度が遅くなって残っておられた部長先生に診てもらい、高圧浣腸数回で治りました。母の話では、お隣の子も同じ病気になり、手術は成功しましたが亡くなりました。その後、僕自身や子供達の人生を見ていて、生死の境目なんてほんの一瞬だとわかりました。人の力の及ばない何かが、僕や家族を事故や病気から守ってくれているとしか思えません。受験に失敗しようが、仕事でミスろうが、みんな小さな事に見えてしまいます。「今まで生かしてくれてありがとう」「明日死んだって、昨日までありがとう」です。小さめの本殿の前に小さな拝殿、さらにその前に農村歌舞伎が演じられていたのでしょうか舞台がありました。能楽が盛んだったと言われる北摂の神社には、小さな神社にも当たり前のようにありますが、京都や滋賀では大きな神社にしかないと思ってました。謂れを読むと、源頼義がAD1065年に建立すたのだとか。源頼義と言えば、長男悪源太義平・三男頼朝・九男義経の親父ではないか・・・?何か感じが違う。違和感が。1192作ろう鎌倉幕府との年代に隔たりが・・・。気になったので帰って調べたら、義平の親父は、源義頼でした。名前が似ててややこしいが、同じ清和源氏系河内源氏系でした。頼義は、清和源氏初代源満仲の子で河内源氏の祖頼信の子で、八幡太郎義家の父親。義平・頼朝・義経兄弟の直系の先祖でした。森可成の館址に神社が建ったのではなく、遠い先祖の建てた神社の裏山に城を築いたようです。なかなか面白い登山になりました。時刻は7時を回っています。急いで参道を下りました。参道脇の小さな側溝には、山からの湧き水が何ヶ所からも流れでています。日本は、水に恵まれています。手頃な湧き水を飲んでみました。乾いた喉に、優しい潤いです。
2010/07/07
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日曜日は、ヨット部の練習で琵琶湖に行ってきました。この日は、家内は毎月の勉強会です。では、またバイクでと計画してみました。無料になった舞鶴道を使って小浜周辺を探索し、「熊川宿」を見学して琵琶湖畔に抜けて、「マキノのメタセコイヤ並木」、「海津大崎」を通って湖東に回り、南下して琵琶湖大橋を通って湖西、艇庫でバルサンを渡して帰宅。というコースを描きました。初めての上記3ヶ所が、魅力的でした。別ルートとして、大阪府道r733で北摂山道を向日市に抜け、京都を経てR367鯖街道を北上して「熊川宿」に至るも考えました。ところが、当初くもりだった日曜日の天気が、少し悪化し、更に天気が悪そうな近畿北部や山道を通るルートだったので、練習参加に変更しました。キャプテン君の連絡では、7時半出艇ということなので、6時に家を出なければなりません。普通なら目が覚めてる時間だけど、遅れてクラブに迷惑を掛けてはいけません。「目覚ましをかけて」とも思いましたが、気合で起きることにして、5時半起床を強く念じて寝ました。さすがに僕です。4時半に目覚めてしまいました。NHK教育TVの「サイエンスゼロ」を見終えてから眠りについたのに、気合が強すぎました。眞鍋かをりさんがアシスタントの時からご贔屓していますが、安めぐみさんに変わって始まる時間が早くなっても、最後まで見ることはなかなか出来ない番組です。いつも途中で眠ってしまいます。安さんに変わってイマイチだなあと思っていたのですが、最近は「めぐみの一歩」に、ちょっと悩殺され気味です。トイレでゆっくり読書して・・・海音寺潮五郎の「平将門」が面白すぎます。ぬるい朝風呂を楽しんで、5時過ぎに家を出ました。これでは早過ぎるのですが、1つの計画が頭にありました。「宇佐山登山」です。宇佐山は、艇庫の最寄り駅JR「大津京」に近い「近江神宮」の裏山です。ここは、織田信長と本能寺で運命を共にした小姓・森蘭丸他数人の森兄弟の父親・森可成の戦死した場所です。山頂に「宇佐山城」を構えていました。森戦死後、明智光秀の持ち城になり、坂本城を作って廃城になりました。信長は、あまり好きではない武将ですが、森可成は、僕の名前と読みが同じなので、親近感がありました。清和源氏の末裔で光秀と同じ美濃の土岐氏系です。本姓源氏という一目置かれる家の主です。土岐氏に使えていましたが、斎藤道三に土岐氏が滅ぼされてから信長に仕えました。柴田勝家同様信長譜代の武将です。信長の尾張内の織田一族対決から功のあった譜代中の譜代です。だから蘭丸兄弟が、信長の側小姓に加えられたのでしょう。信長は、中世の古い秩序を打破した武将です。旧秩序は、室町幕府の治世能力低下とともに、公家のピンハネ、藤原氏などの有力公家・寺社などの私設荘園の税免除により、一般農民はより重くなり税で苦しんでいました。「楽市楽座」のように、規制緩和して人々が自由に行動するのを目標にしていたように思われます。天智天皇の大化の改新で、公地公民制が確立したはずなのに、無税の恩恵を受けた寺社や有力公家は、無税の私設荘園を広げていきます。農民は、開墾した農地を、積極的に公家や寺社に寄進し、土地使用料である税の軽減を図ります。藤原氏に寄進された荘園には春日神社、八坂神社に寄進すれば八坂さんが、その荘園に勧進され・・・、事が起これば、傭兵やお抱えの武士団や僧兵・神社兵が急行します。無税により、多数の武装僧侶や傭兵を抱え自己荘園の防御や拡大に精力的な旧寺社の勢力は、ゴロツキを僧として抱え市民から略奪したりやりたい放題。徹底的に叩き潰す信長のやり方と対決するのは必然です。難攻不落で城と見紛う石山本願寺の後ろ盾で、当時中洲だった摂津野田や福島で起こった反織田勢力と織田軍主力が対決している時に、信長包囲網を作っていた浅井朝倉連合軍、比叡山延暦寺軍などが、湖西を下って信長の背後を突こうとしました。ここで浅井朝倉への押さえとしてここに城を構えていた森可成が、果敢に比叡山坂本に出て防戦します。3万対1千と言われています。多勢に無勢、結局総大将討死という結果になりますが、ここで時を費やし、浅井朝倉軍は時を失い、信長は延命します。強固に防戦していた主を失った宇佐山城は、摂津から転進してきた織田主力の援軍到着まで持ちこたえ、陥落を免れます。当時、天命をまっとうする戦国武将は少なかったのでしょうが、森可成はある意味武将として誇る素敵な死に場所を得たとも言えます。姫路城に代表される平和な江戸時代の平城の豪華さも魅力ですが、僕には明日の命も知れない戦国武将の山城の夢の跡に、より哀愁を感じます。こんなのを想像していたら、ワクワクしてしょうがありません。えらく前置きが長くなったけど、せっかくの機会を得たので、登ってみることにしました。事前の調べでは、ここには「宇佐神社」があり、僕のような貧脚・山道素人でも、安全に容易に到達できそうです。いつものように、名神・湖西道を経て、JR大津京駅の方から近江神宮までやってきました。大津京から近江神宮までの短い道沿いに、大津京遺跡が点在しています。空き地には謂れが立っています。AD645年、大化の改新で今日の天皇制の土台を築いた天智天皇(中大兄皇子)の作った都です。近江神宮の手前の小川の前で山側に曲がります。そこには目指す宇佐神社の道案内が立っていました。細い道を少し上ると、すぐにお宮が見えました。「ここだな」と思って、広くなってるところに路上駐車。「さあ」と思ったら、宇佐神社への道案内が別の方向を向いています。道案内に従って、近江神宮横を流れる川を渡り、神宮裏山にかかります。かなりの急勾配の参道です。舗装されていますが、こんな道を車で上りたくありません。横に民家があり、車も停まってるのに驚きました。
2010/07/06
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金曜日も、朝も5時に目覚めました。外は、昨日以上に雨が降りそうな怪しい曇り空です。「でも、まあ行こうか」と、また「早朝バイク」に出かけました。バイクなら、降ってきたらカッパを着ればいいだけですが、軽装な「早朝自転車」だと一目散に帰るしかありません。久しぶりに、「能勢妙見山」に上ってみることにしました。r13を北上、池田からR423に乗って北上しました。R423に沿う「余野川」の渓谷は、今日もいい感じです。渓谷を過ぎると、耕作地が広がり、やがて「天台山」の圧するような山容が、左手に現れてきます。妙見山に上るルートは幾つかありますが、初めてr4から上ってみることにしました。グニャグニャした山道が長く続くルートです。車の時は、こんな道は通らないけど、バイクなら行ってみたくなります。結局山頂まで、1台の車にもすれ違いませんでした。カーブの連続で、天台山の上の方まで上り、稜線を妙見山との鞍部に下り気味になり、鞍部で本来の車道と合流しました。ここから妙見山山頂目指して、再び上りになりました。途中、登山道と何度も交差し、こんな道を歩くのもいいなと思いました。車道を歩く部分はほとんどないようで、怖い思いをせずに歩けそうです。山頂駐車場は、午前8時からのようで、門が閉ざされていました。夏期なら、早朝の山上からの眺めを見に来る人もいるだろうに・・・まあ、変な人達が夜中たむろするかもしれないから、仕方ないですね。バス停のところのバイクを置き、トイレに行き、観光地図などを見て休憩しました。いくつかの登山道(ハイキング道)があるようで、ケーブルもあるから、上りは楽して下りを歩くという軟弱スタイルも出来そうです。ブナの森の中を通る登山道もあるようです。ブナの森と言えば東北白神山地で、熊さんがいるイメージです。白樺同様、北の方の木というイメージで、ブナには馴染みがありません。帰路は、R477側に下りました。「野間中」交差点を左折してR477に乗らずに、そのまま突っ切りました。「野間の大ケヤキ」は、また緑の葉が伸びて、風格が出ていました。細かく見ると、樹齢千年以上ということなので、傷んでいるところも目につきますが、きっと僕の方が先にこの世からおさらばするのでしょう。細かい雨が時折降ってきます。タンクに水滴がつくほどではなく、メーターバイザーに水滴が付く程度です。今朝は、鼻からハンドルにカメラをセットしていませんが、カッパを着るほどでもないです。昨日に続き、上はメッシュジャケットという軽装ですが、寒くもなく適温です。「知明湖」の方に、r604を下りました。土日祝日は、バイク通行禁止の道です。昔、やんちゃなバイク乗りが、ブイブイ言わした名残りですね。交通量も多くないので、ゆっくり走りながら、対岸の一庫公園側の道を横目でトレースしました。対岸は車がほとんど走らないので、「夫婦で自転車」コースに良さ気です。今度バイクでも走ってみましょう。「一庫ダム」からは、僕のホームゲレンデのr12の西側に回って帰ることも考えましたが、帰宅が8時になってしまいそうなので、R173でドーンと帰りました。朝の通勤が始まり、急いでる高速車に混じって走らないといけないので、あまり楽しくありませんでした。親父が好きでよく行ってた妙見山は、この正月以来でしたが、いい雰囲気でした。ハイキング・トレッキングコースが多数あるので、今度徒歩で行ってみるのもいいです。
2010/07/05
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木曜日は、ウグイスの歌声で目覚めました。近年、我が家の周りにウグイスが増えてるように思います。桜の季節の前に初登場し、毎日のように鳴いています。大阪湾の水質と同じように、我が家の周りの環境も良くなっているのだろうか?目を覚ましたら、5時。窓から見える空は、曇ってるけど雨は降ってなさそうです。「早朝バイク」に行くことにしました。家内を起こさないように、そ~っと着替えたつもりなのですが、どうやら起きた模様です。まあ、いつも5時台に起きる人だからね。いつものように、「長尾山トンネル」からr33に・・・山間に霧が浮いています。また武庫川渓谷は、深い朝霧に沈んでいるようです。「波豆川」沿いの細道をさかのぼって、r323「波豆川」交差点の「八坂神社」前で休憩しました。僕の定点観測ポイントです。2羽の白いサギと、幼鳥でしょうかまだ灰色の羽のサギが、田んぼにいます。鶴のように伸びやかに大きいので、ダイサギかチュウサギだと思う。丹後半島一周したとき見た鳥を、また思い出しました。丹後半島の海岸線に出る手前をバイクで走ってると、横の田んぼに鶴のような鳥が舞い降りてきました。サギより大きく、鶴のような大きさ・・・少々小さめかな?飛んでる姿を見たとき、羽の後ろ半分が黒かったので、「ん?」と思った。バイクを停めて、田んぼの姿を見たら、くちばしは真っ直ぐで黒・・・「コウノトリ」ではないのか?母が残していった「野鳥」「花」「樹」などの図鑑を、最近見るようにしているが、帰宅の翌日調べたところでは、コウノトリ以外に同じような鳥は載っていなかった。「目が赤い」という特徴もあるようなので、それを確認しなかったことが悔やまれる。以前も、これを見かけたことがあります。母の30年前の図鑑で、コウノトリの説明を読むと、「以前は兵庫県と福井県で繁殖していたが、現在は中国大陸から1羽か2羽渡来するだけ」と書かれている。その後兵庫県豊岡で人工飼育するようになり、自然に放たれている。でも、きっとあれはコウノトリだったね。新潟県の人工飼育のトキも、去年から自然界に放たれるようになった。10年後には、このコウノトリのように、時々見かける鳥になってるといいな。前来たとき、キジが数羽隠れて遊んでいた、道路を隔てた麦畑が綺麗に収穫されていました。次は何を植えるのだろう。稲の収穫後のように、落穂が綺麗に片付けられておらず、たくさん落ちている。きっと、地勢を付けるために腐って土に帰らせるのでしょう。ここでムービーON、r323に出て東進、r319で南進して、前見つけたゴルフ場脇を通る脇道に入ってみました。舗装されてるけど、1日中日が入らないところは苔むしてるガタゴト道です。わざわざこんな道に入ってこなくても・・・と思うのですが、どうもこういう道が好きらしい。ゴルフ場脇を抜けて、r68に出ました。r68を渡って、そのまま正面の山に向かう道が気になる。バイクは走れない地道なので、入っていけないけど、いつか徒歩で入ってみようと思う。「妙見山」の看板が、なんだか僕を誘います。r68を逸れて、「太平洋カントリー」のゴルフ場に向かいました。クラブハウスの手前を道なりに進むと、「多田銀山悠久館」に続く道になってる。この道もこないだ見つけた道だけど、その時、鮮やかな青い鳥を数羽見ました。図鑑で調べるとオオルリという鳥なんだそうですが、またいるかな?と思って、この道に入ってきました。今回は、ムービーセット出来るVTR250でやってきました。運良く、ムービーに映るといいんだけど。途中から、舗装路が切れました。土と石のガタゴト道で、ぬかるんだ所もあるし、水溜りもあります。リード110と違い、コケないように気を使います。対向車なんて来るわけない道ですが、ゆっくりゆっくりしか進めません。鳥なんて見てる暇なくて、足元ばかり見ています。銀山川を下り、「近畿自然歩道」の道標の立ってる所まで下りてきました。「ソエ谷こっち」と書いてあります。ソエ谷に行ってみたいけど、軽いマウンテンバイクでもあれば、行けるのだろうか?ロードバイクでも押しながらなら行けるのだろうか?徒歩では、ここまでと向こう側からの帰り道に難儀しそうです。残念ながら、オオルリには会えませんでした。でも帰宅してもまだ7時、楽しい朝の散歩になりました。車載ムービー 多田銀山奥の細道2
2010/07/03
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ワールドカップ日本チームは、トーナメント初戦で負けてしまいましたが、リーグ戦全敗を予想してたので、凄い快進撃を見せてくれました。リーグ戦最後の決戦の日、デンマーク戦の日のことです。朝3:30まで起きているのは、僕には不可能だけど、普通に5時に起きてるから、何もしなくても後半戦はTV観戦出来そうだなあ・・・なんて考えずに寝ました。目を覚ましたら、4時半。「お~ラッキー」非国民な僕は、サッカー応援なんてどこ吹く風という感じで、TVを点けることもせずプロテクターを装着。ワールドカップに皆さんが釘付けの今朝こそ、最高に走りやすいのではないかと、後川・曾地奥に向けて、VTR250で出発しました。いつものように「長尾山トンネル」を抜けて北摂里山地帯に入り、r33~西谷を経由してr68を東に走ってみました。1ヶ月ほど通行止めになってたr68が、通行可になっていたからです。周りに崖なんてないから、道路の路肩でも崩れたのだと予想していたのですが、まだ一車線交互通行になってたところは、がけ崩れしていました。民家の被害はなさそうでしたが、結構大きく工事をしていました。梅雨初めの連日の雨で、r68とr12西峠という主要県道に被害が出ました。毎年のようにこの時期雨が多い九州南部では、相当な被害が出てるんじゃないかなあ。r68で東進してしまったので、r319で北上し、r323で西進し、r37に乗りました。昨日の暑さを考え、メッシュジャケットだけでいいかなとも思ったのですが、念のため着込んだ釣具屋DAIWA上下が役に立ちました。案外、これで丁度です。「高売布神社」に寄り道しようと思っていたのですが、お仕事に向かう遅いおじいさん軽四が同じ道に入ったので、そのままr37を行くことにしました。「三田市野外センター」を過ぎて、羽束川沿いの気持ちのいい道に突入です。羽束川は、少し水量が増えているようです。こうなった時は、ホタルはどうなるんだろう?山肌から滲みでた水が、道を渡って羽束川に注いでいます。こういう所ががけ崩れするのかなあ・・・でもここは、いつもこうなってるし・・・「後川下」で羽束川を渡り、母子の方に山を上りだしました。「母子」~「後川」間のこの道、気に入っています。でも母子には行かず、途中から間道に入り、「曾地奥」に抜ける細い峠道を行きます。この道、1年ぶりぐらいです。雨の多い時期だから、交通量の殆ど無い道だから、ひどいことになっててもおかしくありません。去年は、梅雨を越してから来たような・・・確か蜘蛛の巣に何度か突っ込みました。鹿は普通におりそうな道だし、下手するとクマが・・・な道ですが、ちょっとワクワクです。去年より道が荒れてる感じです。雨の影響でしょうか・・・脇の草が伸び少し藪化してるところがあり、道を覆う枝が頭の高さまで下がってるところもあります。ヘルメットを被ってるので、構わず突っ込みます。小学生低学年の頃、長靴を履いてるので、わざわざ水溜りに突っ込んで、結局長靴の中がグチョグチョになったのと同じです。男の子は、基本的にいくつになっても変わらないようです。大きな石が斜面から落ちて、道が半分通れなくなってるところもありました。獣避け網が道路脇に見えだしたら、すぐに集落です。網が1ヶ所、大きく壊れた場所がありました。網を支える杭も数本倒れています。昨夜、鹿が突っ込んだのかもしれません。「曾地奥」集落まで下りました。朝6時です。明智光秀が、波多野氏を高城山に兵糧攻めしたとき、これらの間道を夜中兵糧を背負った友軍や雑兵などが通ったのでしょう。帰路です。ホタル川の曾地川沿いを下り・・・ホタルポイントに「なんじゃもんじゃの木」があります。畑のようなところにも、植わっています。r12に出ました。「城東トンネル」を抜け「後川」、ここを右折して、羽束川沿いr37下るのもアリですが、同じ道になるので「西峠」を上がって「杉生」に下りました。西峠の工事は、まだ対面通行でやっていました。一気に、「道の駅いながわ」まで下り、そこからr68・r33で帰宅しました。帰宅すると、毎年花の時期だけ無料レンタルでやってくる花菖蒲が終わったようで、家内から「お隣さんに返すから、持って行って」との指図です。昨日1日で、生垣が綺麗に刈られたので、新兵器「マキタ電動生垣バリカン」に興味津々です。「私にも出来る?」「危なくない?」今度、僕のお手並みをお見せしましょう。家庭の主婦でも簡単に使えます。ということでTVを点けたら、日本がデンマークに3-1で勝ってました。3点も取ってる。勝つなら1-0だと思ってました。ワールドカップ直前の試合で、韓国にボロ負けしたので、0勝3敗を予想していましたが、2勝1敗とは凄いです。日本チームは、ランキング上位国ばかりを打ち負かして・・・韓国と日本には、ブラジルやアルゼンチン、ドイツやスペインという大看板なチームが相手ではなかったので、もう1つぐらい勝って欲しいと思ったのですが、どちらもここまででした。車載ムービー 後川下~曾地奥峠越え3
2010/07/02
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ここからが、本日のメイン・イベントです。対岸の「オリーブナビ」目指して、自転車を漕ぎ始めました。マルキンの大樽が並べられ、中に椅子が置かれ、バス停になっています。記念写真。平坦な海岸線の道が気持ちいいです。昨日の雨の名残が、山から水の流れになって落ちてきて、何本も道を渡っています。日本って、ほんとに水に恵まれているなあと思います。大樽がいくつも道端並んでいます。櫓が建っています。黒い板塀の大きな建物の所に来ました。マルキン醤油本社です。板塀が続く坂道を家内に走ってもらい、やらせムービーを撮りました。先月バイク出来たとき、これをしようと考えていました。無料工場見学をして、売店で先月と同じように「醤油ソフトクリーム」を注文しました。ベンチに並んで、冷たいソフトを頬張ります。家内は子供のように、ポタポタ地面に溶けたクリームを落としながら、「私、食べるのが下手なの」なんて言いながら食べています。溶けるクリームを見ながら、計画的に食べて行かねば・・・。コーンと一緒に紙も食べてるし、「あんた子供か」と突っ込みたくなりました。甘いものでエネルギー補給し、後半戦スタートです。高松からのフェリーが着く草壁の町を過ぎ、案外楽に車に戻ってきました。地図の目測で20kmぐらいあるだろうと、このコースに決めたのですが、実測は13.5kmでした。「この倍ぐらいあると思ってた」と、家内。物足りなかったかもしれません。走行時間は1時間弱だし。寒霞渓に上ることにしました。剛の者は自転車で上るのでしょうが、僕ら貧脚夫婦はもちろん自転車を積んで、車で上がります。途中からケーブル利用もメニューにありましたが、「前にも乗ったからいい」とのことで、車で山頂まで上がることにしました。小豆島の山は、石の山のようで、岩の山肌が荒々しく露出しているところがあります。「うわ~」と目につくところは、皆同じのようで、・・番札所のお寺が建っていました。「二十番札所佛ヶ滝」に参ってみると、奇岩の下が手彫りされて、薬師如来さんがおられました。小銭を探ると、10円玉がない。50円ご奉仕させていただきました。この空間を手掘りされたとは、大変な作業だったでしょう。ハングオーバーな奇岩なので、地震で崩れないかの恐怖との戦いもあったでしょう。こんなことを、洞窟内で店を開いていたおばさんに教えてもらいました。前日は、雨で休んでたそうで、今朝お堂を開けようと思ったら、お猿の糞が大量に残っており、開店作業が大変だったそうです。猿の一団が、雨宿りしながら遊んでいたとの推察でした。「この水晶はね・・・」「薬師如来さんは・・・足の痛みとか・・・」と、久々にやってきたお客さんの僕を逃すまいと、商魂たくましいです。まあ僕もさる者、「ありがとうね」と満面の笑顔を残して退散しました。こんなおばちゃんがいるから、このお堂も保たれているのだろうし、何か購入したかったのだけど、食指の動くものはありませんでした。ごめんね。ロープウェイ山頂駅に到着しました。子供たちをポニーに乗せて一周した場所です。もうポニーはいませんでした。遊園地は観光地は、どこも寂れ気味のように感じます。子供たちが小さかった20年前は、もっともっとお客さんがいてたのに・・・人が作る都心のテーマパークが流行り、海外旅行が安くなり・・・家内が、「ここで流しそうめん、食べなかった?」と。思い出しました。流しそうめん、しました。まだ小さくて上手に取れない次男は、文句を言ってました。ここで遅めの昼食にしました。家内は親子丼のセット。僕は、クリームコロッケのセット。小豆島特産の佃煮と素麺が付いています。多すぎて食べれないとの事なので、家内の素麺を横取りさせてもらいました。「お猿の国」のある「銚子渓」に向けて下ります。奇岩の景色がいいです。「小豆島スカイライン」と名づけられた道でした。銚子渓駐車場に到着しましたが、お猿の国まで徒歩4分とのことなので、家内からキャンセルが入りました。「お猿がいるだけでしょう。また何か取られるし・・・」。子供たちと来たとき、家内の帽子に付いてた造花のお花を取られました。餌を買ったのですが、ポケットから出すやいなやお猿に取り囲まれて、子供たちは怖がってしまいました。ポケットに手を突っ込むほどの乱暴狼藉に遭いました。「土庄」方面に、スカイラインを下りました。「あっ、猿だ」、驚かさないように車を停めると、猿は驚いて逃げるどころか、こっちに寄ってきます。餌をくれるものと思ったのか、立ち上がってるし。車に飛び掛ってきそうなので、車を動かして退散しました。また猿・・・この道路は、お猿のお食事乞いロードになってるようです。全く怖がりません。こっちが怖いです。香川県道r26との交差点に出る頃、巨大な観音像が正面に現れました。「小豆島大観音」と呼ぶそうです。土庄の町に下りてきました。先月通った道だったので、難なくエンジェルロードに到着しました。「恋人の聖地」「天使の散歩道」です。沖のいくつかの島まで、干潮時に砂州がつながり、徒歩で行けます。手をつないで渡ると、愛は成就するのだとか。映画かドラマの受け売りです。事前に干潮時間を調べていました。午前7時と午後5時が干潮です。家内と来てエンジェルロードが渡れないと、大失態です。上手に時間を使い、3時を回って到着したので、難なく渡れるように砂州が現れていました。「これからも頼む」ということで、2人で渡りました。でもさすがにハート型の絵馬を飾るのは遠慮しておきました。「世界一狭い海峡」を見学していると、親切なおじさんが自転車を止め、解説してくれました。タクシーの運転手さんをしてるのだとか。日頃、お客さんに説明しているのでしょう。r26を北上し、北海岸に出て東進します。「大阪城残念石記念公園」で、石切作業の解説を聞き、福田港まで戻ってきました。4時半到着。予約してた5時15分のフェリーに丁度でした。農村歌舞伎の役者さんだそうです。こんな大きなのが、天井から下りてくるのだとか。7時前に姫路港到着。往路同様の道で帰宅しました。うまい具合に、いつも渋滞してる宝塚トンネルの渋滞が解消されて、高速1時間半の旅でした。やっぱり2人で来ると、楽しいです。
2010/07/01
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