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インカ帝国の首都・クスコは内陸南部にあり、ペルーの
首都リマは中部・沿岸にある。
リマの大聖堂には征服者・ピサロが眠っている。
日本人二世のフジモリ大統領が、ハイパーインフレや
貧困に苦しむ国民を活気づけ、ゲリラ撲滅、政治の安定化を
図ったが、強権すぎる政治のために支持を失った。
ペルー沖海流温度のエルニーニョ(その反対はラニーニャ)
現象は世界の大気や経済にも影響を与える1つの指標である。
日本のD保険会社の説明では、夏の猛暑で夏物衣料、飲料関係、
エアコン販売が好調であっても、エルニーニョで暖冬になると
冬物商戦の不振、冬季暖房費減少、冬季娯楽サービス(スキーなど)
不調で、平均気温+1.0度の場合は実質GDPを0.04%
引き下げるという。
南米でもエルニーニョではペルー海流の湧昇が小さく、アンチョビー
の漁獲が急減し、ラニーニャでは鮪・鰹等回遊魚の漁獲に影響が出る
など世界的な変化が現れるようだ。
ペルー共和国
| 年月 |
略史 |
|---|---|
| <独立以前> |
紀元前から多くの古代文明が栄えており、16世紀までは当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国(タワンティン・スウユ)の中心地だった。その後スペインに征服された植民地時代にペルー副王領の中心地であった。 |
| 1821年 |
スペインから独立 (遙々、ラ・プラタ連合州から遠征軍を率いてリマを解放した、ホセ・デ・サン・マルティンの指導の下に独立を宣言。1824年に北のベネスエラからコロンビア共和国の解放軍を率いた解放者シモン・ボリーバルの武将、アントニオ・ホセ・デ・スクレがアヤクーチョの戦いでペルー副王ホセ・デ・ラ・セルナ (エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナの母方の先祖)を撃破し、ここでペルーは事実上の独立を果たした。ペルーの事実上の支配者ガマーラは旧・インカ帝国領土回復のためボリビア、コロンビアなどを併合しようとしたが戦いに敗れた。 逆に、1836年にボリビア大統領により征服され「ペルー・ボリビア連合」が成立したが、ガマーラ初め亡命ペルー人はチリ政府、アルゼンチンの協力を得て、ボリビア軍を破り連合は崩壊した。ガマーラは再び、ボリビア併合のためにボリビアに向かい、破れて戦死して、以後は2国の統一を臨むものはいなくなった。1845年ラモン・カスティーリャ政権には、強権政治で安定し、硝石肥料、綿花、サトウキビが経済を支え、1854年に奴隷制廃止後の中国移民受入れを行った。) |
| 1968年~1980年 |
軍事政権 |
| 1980年~1985年 |
ベラウンデ政権 |
| 1985年~1990年 |
ガルシア第一期政権 (反米・反帝国主義、貧困層救済、経済政策失敗などで小農業国としては莫大な対外債務を抱えた。輸出収入の5倍、外貨準備の10倍に匹敵し、インフレ率は8千パーセントのハイパーインフレで国家破綻の危機となる。) |
| 1990年~1995年 |
フジモリ第一期政権 (「変革90」を率いる日系二世大統領。「フジ・ショック」と呼ばれたショック政策によるインフレ抑制と、財政赤字の解消による経済政策を図って、新自由主義的な改革により悪化したペルー経済の改善を図り、農村部の農民を武装させたゲリラ対策により治安の安定に一部成功するなど素人とは思えない業績を残した。1992年に議会を解散し、憲法を停止して非常国家再建政府を樹立。) |
| 1995年~2000年 |
フジモリ第二期政権 (日本はこの時期にペルーへの最大の援助国となったが、これを原因として1996年にトゥパク・アマルー革命運動による日本大使公邸占拠事件が発生。) |
| 2000年~2001年 |
フジモリ第三期政権、同政権退陣、パニアグア暫定政権 (徐々に独裁的になっていった政権に対する国民の反対運動の高まりや、汚職への批判を受け、11月21日に訪問先の日本から大統領職を辞職。) |
| 2001年~2006年 |
トレド政権 (先住民初(チョロ)の大統領) |
| 2006年~2011年 |
ガルシア第二期政権 (2007年8月15日に発生したペルー地震によって、死者540人、負傷者1,500人以上、被災者数85,000人が報告されている。2009年4月7日、ペルーの最高裁特別刑事法廷は、元大統領アルベルト・フジモリ被告に対し、在任中の市民虐殺事件や殺人罪などで禁固25年(求刑30年)と被害者や遺族への賠償金支払いを命じる有罪判決を言い渡した。) |
| 2011年~ |
ウマラ政権 |
資料出所<外務省、JETRO.WIKIPEDIA,世界経済のネタ長など>
国名
ペルー共和国
パナマ地峡を支配していた酋長・ビルーの名前を現地人から聞いたスペイン人がピルーと発音し、転訛して、ペルーとなり、インカ帝国をペルーが指す言葉として使用された。
幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)
115位
通貨
ヌエボ・ソル
1ドル=2.671ヌエボ・ソル(2012年6月)
国花
カントゥータ。赤と黄色の2種類がある。学名はCantuta buxifolia、 ハナシノブ科Cantua属。
国旗
真中が白で、両側が赤。赤は勇気と愛国心を、白は平和と名誉を象徴する。
ペルー の公的機関は、旗の中央に国章が入ったものを使用する。公的機関以外は略式可。独立記念日などに各家庭が掲揚しない場合、罰金を取られることあり。
<国旗販社:さらご>
建国の英雄サンマルティン将軍が見た、翼が赤く胸が白い鳥に由来する旗。白は平和と名誉を、赤は勇気と愛国心を象徴する。中央の紋章は左がラマ、右がキナというそれぞれペルー特産の動植物、下は財宝で豊かな鉱物資源を表わす。
国の標語
Firme y feliz por la unión
面積:平方キロ
1,285,216平方km
日本の約3.4倍
国の位置
北にコロンビア、北西にエクアドル、東にブラジル、南東にボリビア、南にチリと国境を接し、西は太平洋に面する。
人口:千人
28,220千人(2010年)
30,000千人(2012年推定)
人口密度:/平方キロ
23人
首都
リマ
人口:911万人(2010年)
東京からの大気圏距離:15,504km
時差:JST=14時間
サマータイムなし
民族
先住民45%、混血37%、欧州系15%、その他3%
言語
スペイン語(他にケチュア語、アイマラ語等)
宗教
国民の大多数(95%)はローマカトリック教。場所によっては大地の神パチャママと聖母マリアを同一視。
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