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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Feb 10, 2013
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カテゴリ: アジア州

9日の読売夕刊によると、2012年の貿易額(財のみ、サービスは除く)で

比較すると、中国(本土)が3兆8667億ドルとなり、

米国の3兆8629億ドルをわずかに上回り、No.1 に躍り出たという。

  ・・・・・・・・・・・・・

随分と、「基本事情写経」が古くなったので順次、改訂している。

昔の名前は「香港」で、今は「中華人民共和国香港特別行政区」である。

由来は、「香」木の集散地で栄えた「港」の名残である。

一方的に仕掛けられた2回の阿片戦争で英国に主権が移譲されたが、

150余年の後、無事に中国本土に復帰している。

しかし、共産主義の中国本土とは異なり、「一国両制」政策により、

今なお、自由な資本主義経済が息づいている。

英国風の2階建てバスで昔が偲ばれる観光、商業、金融の大都市である。

街の商業看板は漢字と英語であり日本人には判りやすい。

小生が昔、見た香港は、流入人口の集中だろうか、大きな集合住宅が並び、

屋上には小学校らしき大きな校庭があったことを思い出す。

そろそろ建て替えの時期となろうが、巨大すぎて工事は大変であろう。

・・・・・・・・・・・・・・

香港

略史<外務省、WIKIPEDIAなど>

年月

略史

1842年

イギリス植民地

阿片戦争(1840年6月~1842年8月)で敗れた清朝から南京条約で香港島を割譲、英国領土となる。

1860年

アロー戦争(第二次阿片戦争1856年6月~1860年8月)で再び敗退した清朝から、北京条約で九竜半島の先端(約9.7平方キロメートル)が英国領土となる。

1898年

英国は更に中国との租借条約により235の島を含む新界の99ヵ年にわたる租借を行う。

1941年~

1945年

日本軍政時代 「三年零八個月」>

英語使用禁止、日本語使用を指導、広東語使用は継続。占領前人口160万人のうち中国本土に退去したため、終戦時には60万人に減少。

1945年~

イギリス植民地に復帰

戦勝国となった中華民国は英国に香港の主権移譲を要求したが、国共内戦の勃発で不調に終わり、中華民国・中国国民党は台湾島に遷都する。代わって中国本土に中国共産党の中華人民共和国が成立(1949年)して、共産主義に反発する中国人が香港に流入する。廉価な労働力が提供され、上海からの外国および華人資本が本拠を香港に移し、経済発展に寄与した。

1950年~

英国は香港問題を棚上げした中華人民共和国を承認(国交は中華民国と維持のまま)し、将来の主権移譲先を変更することとなる。中華人民共和国は、朝鮮戦争で孤立化し、香港は仲介貿易に依存できなくなったが、本土からの難民流入、ベトナム戦争でのポートピープル流入などを住宅供給プロジェクトなどで乗り切り、1970年代から繊維産業を中心とする軽工業が発達した。1980年代には香港の製造業は本土側にまで進出し、金融・商業・観光を兼ねた都市に成長した。

1984年12月19日

「1997年7月1日をもって香港の全領域を中国に一括返還する」旨の英中共同声明が署名され1985年5月発効。

この中で中華人民共和国政府は 「一国両制」 政策をもとに社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束したが、かえって香港市民を不安にさせ、カナダやオーストラリアへの移民ブームが発生した。1989年天安門事件が起こると香港では大規模デモ、移民ブームが再来、トロント、バンクーバー、シドニー、シンガポールなどへ移民が向かった。

1990年4月~

中国全国民代表大会にて「香港特別行政区基本法」を可決、成立。香港人の不安はなんとか、沈静化。地場資本の流出の反面で、本土から資本の流入が増え、香港の不動産・株式市況は空前の活況となった。

1997年7月1日

中華人民共和国香港特別行政区

中国に香港を英国が返還。

(香港 その2 に続く)





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Last updated  Feb 22, 2013 09:19:38 PM
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