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 親愛なる諸兄へ

       from Mr.Tsunami     スマイル

 前略 

​  本村 凌二 氏

(1973年 一橋大学社会学部卒

  →
東京大学大学院卒

 日経夕刊コラム「あすへの話題」を、

 念の為、ここもと添付送信します。

  本村 教授の話題は、

​「もの悲しい晩秋の同窓会」​ と題する一文で、​

(東大と東京教育大の入試のない入学時期ではの)

 一橋大学卒業45周年同窓生の錚々たる名前が

 登場しています。


   以上、閑話休題まで。  草々









<めいてい君の追加>

・本村 凌二 氏の公式サイト



(http://motomuraryoji.jp/)






*  本村 凌二 氏についてのメモ

​「一橋大学の同窓会 卒業45周年記念について」​

本来は東大に入るべく1969年の入試を控えていた。
東大入試の中止(*) で、
1969年一橋大学社会学部に入学。​

​​ 1973年一橋大学を卒業
(=2018年は「卒業45周年」に当たる) ​​

1980年東大大学院人文科学研究科博士課程満期退学、
​1994年東大文学博士​、

東大教授、東大大学院教授を経て東大名誉教授。
早大特任教授。専門は古代ローマの社会史。
サントリー学芸賞、地中海学会賞、JRA賞馬事文化賞受賞。


(*) クローズアップ現代
No.3461
2014年1月30日(木)放送

「​東大紛争秘録 ~45年目の真実~」​


東大紛争 秘録 45年目の真実
東大紛争の知られざる記録は、
当時の教授の自宅に残されていました。

植村泰佳さん
「これが父の、一番新しい写真です。」

10年前に亡くなった、植村泰忠さん。

その倉庫に、東大紛争の収拾に当たった教授たちの、
原稿用紙600枚にわたる証言記録が、
保管されていたのです。

植村泰佳さん
「みなさん生きている間は、
公開できないものだからと言われていました。
父たちにとっては、決して本意ではない
結果になったことの、反省も含めて、
記録を残しておこうということだったので、
いつか、歴史の検証をしてもらうために
座談会をやったんだと思う。」


日米安保条約。
ベトナム戦争。
全国の大学で、学生たちが反対の声を上げていました。
その象徴が、東大紛争でした。
東大紛争は、医学部が学生を誤って処分したことが

誤りを認めようとしない大学に、一部の学生が抗議。
すると、当時の総長は、機動隊に出動を要請し、
学生たちを排除したのです。
当時、教養学部の助手で学生と共に行動していた、
最首悟(さいしゅ・さとる)さんです。
最首さんは、運動は当初、「大学とは何か」、
「学問とは何か」という問いから、始まったといいます。

最首悟さん
「高名な教授が学生の追及にあって、
“何のために学問されているんですか”
っていう時に答えられない。
それはふがいない。
学問、研究って、
そういうものではないということがあった。」

学生
「我々、最後まで闘うぞ。」

しかし、運動は次第に、変質していきます。
東大以外の学生や、活動家が参加するようになり、
安田講堂を占拠。
大混乱に陥っていったのです。

東大紛争 秘録 教授たちの告白

この混乱の収拾を、任された教授たち。
今回見つかったのは、
彼らが紛争の直後に開いた、
座談会の記録です。
最高責任者の、加藤一郎総長代行。
法学部の教授で、
46歳という異例の若さで、
東大のかじ取りを任されました。
加藤を補佐する執行部の教授たちも、
各学部から、よりすぐった人材。
記録を残していた植村も、
その一人でした。
座談会でのやり取りを、
正確に文字に起こした記録。
その大半は、1969年1月の、
安田講堂への機動隊導入の経緯に、
費やされていました。
当初、執行部は、
大学の自治を守るために、
あくまで学生との対話によって、
紛争を解決したいと考えていました。
執行部のナンバー2として
加藤を補佐していた、
経済学部の大内力教授の発言です。

大内力教授
“いままで大学は、
やはり「おとなの論理」で、
すり抜けようとしてきたために、
問題をもつれさせたので、
この際、一ぺん
「こどもの論理」かもしれないけれども、
学生の次元まで立ち戻って、
はっきりさせたほうがいい
という議論をした。”

執行部は、
学生側に対話のテーブルにつくよう、
再三にわたって呼びかけ、集会も開きました。
医学部生への誤った処分の撤回など、
学生に譲歩する案も提示。
しかし学生側の足並みはそろわず、
事態を好転させることはできませんでした。
執行部にとって重圧となっていたのが、
著名な名誉教授たちでした。
戦後民主主義を代表する知識人で、
元総長の南原繁も、その一人です。
機動隊の力を借りてでも、
秩序の回復を急ぐべきだと主張していました。

大内力教授
“ああいう名誉教授連中は、
早く警察を入れろということで、
毎朝のように南原先生から電話がかかってきて、
まだ入れないのかと、ずいぶんやられた。”

さらに、この時期執行部を悩ませていたのは、
入試を実施できるかどうかという問題でした。
執行部にとってそれは、機動隊導入の是非以上に、
切実なものでした。
新たな学生が入ってこなければ、
大学そのものの存続が、危ぶまれるからです。

加藤一郎総長代行
“やめた場合に、
大学の危機的な状況になると思ったので、
やはり入試はできるだけやらなければいかぬ。
最終的には、(学生への)説得がきかなければ、
あるいは、大そうじ(機動隊導入)ということが
あるかもしれないと考えた。”

執行部は入試を実施するために、
機動隊を導入して、
紛争を解決する考えに、
次第に傾いていきました。
記録によると加藤は、
執行部の考えを伝えるために、
当時の坂田道太文部大臣にもひそかに接触し、
了解を得ていたといいます。
記録には、2人が会った場所として
「ムロイマヤ」という名前が、
記されていました。
私たちの取材で、
自宅を密談の場所として貸していたのは、
ピアニストの、室井摩耶子さんだった
ことが分かりました。
室井さんは、2人の共通の知人でした。

室井摩耶子さん
「新聞記者に付きまとわれて大変だった。
二人で内々に話したいわけ。
別々にいらして、話をして、
もちろん内密な話だから、
私は失礼しました。」

当時、助教授として執行部を補佐していた、
石井紫郎さんです。
機動隊導入に傾いていった執行部の空気を、
記憶していました。

東京大学助教授(当時) 石井紫郎さん
「(機動隊を入れるための)準備は
相当、周到にやらなければならない。
まずは世論、大学の中、露骨に言って
機動隊を導入するための段取りを、
どうつけていくかっていう話。
我々が物理的に(学生を)排除する
というわけにはいかない。」

そして1969年1月。
執行部の要請で出動した機動隊は、
安田講堂を制圧し、学生を排除しました。
しかし、これによって入試は実施できる
という執行部の考えは、
国に受け入れられていたわけでは
ありませんでした。
まさにこの日、執行部は文部省の幹部から、
入試の中止を強く迫られたのです。

大内力教授
“会談したら、
「政府与党の反対が非常に強くて、
まず入試を復活させることは絶望だ」
ということを、(文部省が)言ったのです。”

結局、執行部は、文部省に押し切られる形で、
入試の中止に追い込まれました。
さらに紛争の解決を、機動隊に委ねたことで、
それまで守ってきた大学の自治を、
大きく変質させる結果となったのです。
元文部大臣で、当時、佐藤総理の側近として、
紛争の経過を間近で見ていた奥野誠亮さん、
100歳です。
東大の入試の中止は、
国の主導によるものだったと証言しました。

自民党総務局長(当時) 奥野誠亮さん
「東大は文部省の申し入れを受けて、
中止を決定した。
学問の自由は尊重すべきだが、
国に反する行動は、
大学もすべきじゃない。
過激派を養成するような。」

執行部の一人、法学部の坂本義和教授です。
座談会の中で、ただ一人、加藤総長代行に、
なぜ入試の中止を受け入れたのか、
その姿勢をただしていました。

坂本義和教授
“入学試験をやるかやらないかということは、
やはり最終的には
大学が決める性質のものじゃないか。
大学が自治能力がないことを、
大学自身が認めるようなことですから。”

加藤一郎総長代行
“本当にみんなが、
それでもやるという気があれば、
文部省に「権限はこっちにある」といって、
やる方法もあったと思うんですよ。
だけれども、政府とけんかして、
こっちだけでやった場合に、
自信がないということで、
文部省がノーといえば、
やめざるをえないだろうという
実質判断があったわけです。”

東大紛争 45年目の問い

(後略)​​​​​しょんぼり





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Last updated  Apr 29, 2020 02:55:04 PM
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