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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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賢明なる諸兄へ

   from Tsunami

前略 平成31年4月29日付け
日経朝刊コラム「春秋」は、
​最古の仏典のひとつ 「ダンマパダ(法句経)」 に​
触れていますので、
既に読了済みとは思いますが、
   念の為、ここもと添付送信します。

 コラムによると、昭和26年の
サンフランシスコ講和会議にて
セイロン(現スリランカ)代表だった
「ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏
(1906~96)」が対日賠償請求の放棄を表明、
戦争の勝者にも敗者にも求められる心構えとして
このダンマパダの1節を引用した、とのこと。
演説の全文は下掲のとおりです。

​ そしてコラムは、平成最後の
「昭和の日」 、​

きょうは歴史を振り返り理想を確認したい、
と結んでいます。以上、余談まで。   草々

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

サンフランシスコ講和会議 
現スリランカ(元セイロン)蔵相、

J.R.ジャヤワルダナ氏の演説 全文



賛同を勧誘されている平和条約草案について、
セイロン国政府の見解を、この51か国の集会前に
提出する機会を与えられましたことを、
私は大いなる特典と考えます。

 私の声明は我国が本条約を受け入れる諸理由から
成り立っていますが、本条約に対して向けられた
いくらかの批判を反ばくする企てもあります。
もっとも私は、私の国の政府を代表してのみ話すこと
が出来るわけですが、然し日本の将来に対して
一般的態度の中でのアジアの諸国民の感情を、
私は表明出来ると主張します。

 私は現在、会議で考慮中の条約の最終草案の公式化
にまで持って行った出来事について、
語る必要はありません。
 アメリカ代表ダレス氏と
イギリス代表ケンネス・ヤンガー氏は、
1945年8月の日本の降伏文書協定から
始めて、それ等の出来事を詳細に且つ丁寧に我々に
示されました。
 然しながら、次の事柄は述べて置いてもよいと
思います。

 即ち、本条約の草案を採用すべきであるという
手続きに関しては、四大強国の間で探刻な意見の衝突が
あったことを述べて置いてもよいと思うのです。

 ソ連は、四大強国だけが、即ちアメリカ、イギリス、
中国及びソ連の外相会議だけが、それを引き受けるべき
であると主張し、そして若し条約草案作成のために
他の国々が加入するのであれば、
拒否権を保留されなければならないと主張しました。



 イギリスは、自治領は相談を受けるべきであると
主張し、アメリカはこれに賛同しました。
 両国は又、対日戦争に参戦したすべての国々と
相談することを支持しました。

 これ等の諸国の間では又、違った考慮から、
条約の実際の条件に関する意見の相違がありました。
 ある国は新しい軍国主義的日本の台頭を恐れ、
他の国は日本の侵略によって生じた災害と恐怖を
忘れ兼ねて、意見がわかれました。

 敢えて意見として述べますが、完全に独立した
日本のための主張がはじめて提出され、考慮されたのは、
1950年1月に開催された連邦外相のコロンポ会議に
於いてでありました。
このコロンボ会議は、日本を孤立させたケースとして
考えるのではなく、南アジア及び東南アジアとして
知られている地域の一員として考えられました。
世界の富と人口の大部分を含み、最近になって
漸く自由を回復した国々からなる南アジアと東南アジア、
それ等の国々の諸国民は数世紀なおざりにされた結果、
今尚苦しんでいます。

 この会議から二つのアイディアが
浮かびあがりました。
 一つは独立国日本のそれであり、他方は南アジア、
東南アジア諸国民の経済的、社会的開発の必然性で、
それを確保するためにコロンボ計画として
現在知られている計画が着手されました。

 ケンネス・ヤンガー氏は、コロンボ会議の後に
連邦諸国 長官の運用委員会が条約草案の仕事に
かかった経過を説明され、
そしてその後にアメリカ代表ダレス氏と
相談されたことを説明されました。

 今我々の前にある条約は、
これ等の協議と折衝の成果であります。

 私の政府の見解の或る部分がそこに主張されて
いますが、私の政府の見解でないものも主張されて
います。
 私は現時点に於いて、日本と進んで和平を討議
したいとする諸国の聞で達成出来る同意の最大の
共通な尺度を告げていると、私は主張します。



 日本に対する態度に於いて、セイロン、インド、
そしてパキスタン等のアジア諸国は、日本は自由で
なければならないという最大の考えによって
動きました。
 本条約はその考えを完全に具現していると
私は主張します。
 日本の自由という事柄について付帯的な他の問題が
あります。
 即ち自由は本州、北海道、九州、四国の主要の島々
に限定されるべきであるか、或いは近隣のいくつかの
小さい島々にまで広げるべきであるか。
若しそうすべきでないのなら、これ等の島々は
如何にすべ
か。
 台湾は1943年のカイロ宣言に従って中国に返還され
るべ
​​​か。
 若しそうすべきであるのなら、
中国のどちらの政府へ? 
 中国は平和条約会議へ招くべきか。
 若しそうであるのなら、
どちらの政府を? 
 賠償は日本から強要すべきか。
若しそうなら金額は。
 日本が自国の防衛を組織するまでは、
どの様にして自らを防衛するのか。

 日本の自由という中心問題について、
我々は究極には同意することが出来ました。
 そして条約はその同意を具現しています。
 他の問題については際立った意見の相違が
ありましたが条約は大多数の見解を具現しました。
 若しこれ等の諸問題の或るものが違った方法で
解かれていたら、私の政府はその方を好んだで
ありましょう。
 然し大多数が我国に同意しないという事実は、
自由と独立した日本の中心概念を含む本条約に、
我国が調印するのを控える理由にはなりません。

 最初に私が言及しました関連のある事柄は、
日本が自由になれば解決不可能ではありませんが、
日本が自由にならなければ解決不可能であると
我国は思います。

 自由の日本は、例えば国連組織を通じて
これ等の問題を世界の他の自由諸国と討議すること
が出来、早目に満足すべき決議に到達出来ましょう。
 本条約に署名することにより、我々は日本をして
そうすることが出来るようにさせます。
 即ち日本が中国を承認すると決定するならば、
中国政府と友好条約を結ぶことが出来るようにと、
そして日本をして印度と平和友好条約を結ぶことが
出来るようにさせると私が述べるのは、
大変嬉しいことであります。
 若し我々が本条約に調印しなければこれ等
起こり得ることは、何れも起こり得ないで
ありましょう。



 何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべき
だと切望するのでしょうか。
それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの
故であり、又アジア諸国民が日本に対して持って
いた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の
中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を
保護者として又友人として仰いでいた時に、
日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。

 私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、
アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題と
なっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、
インドネシアの指導者の或人達がそうすることに
よって自分達が愛している国が開放されるという
希望から日本の仲間入りをした、
という出来事が思い出されます.



 セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けません
でしたが、空襲により引き起された損害、
東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、
並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の
生産国であった時に於ける、我国の主要産物の
ひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって
生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に
与えるものであります。

我国はそうしようとは思いません。
何故なら我々は大師の言葉を信じていますから。

 大師のメッセージ、
「憎しみは憎しみによっては止まず、
ただ愛によってのみ止む」
はアジアの数え切れないほどの人々の生涯(生活)を
高尚にしました。
 仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、
人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、
シャム、インドネシアそれからセイロンに伝え、
そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、
支那へそして最後には日本へ伝えました。
これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統で
お互いに結びつけたのであります。
 この共通文化は未だに在続しています。
 それを私は先週、この会議に出席する途中
日本を訪問した際に見付けました。
 又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の
人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は
今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、
それに従って行こうと願っているのを見いだしました。
 我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。



 そうであるから我々は、ソ連代表の云っている、
日本の自由は制限されるべきであるという見解には
賛同出来ないのです。

 ソ連代表が加えようと欲する制約、例えば日本が
自由の国であれば当然そうする資格のある国防軍を
維持する権利に加える制限といったもの、そして、
彼が提議する他の制限は、現在ここの会場に居られる
代表の大多数の方々にとって受け人れ難いものにする
ばかりでなく、この会議に出席されなかった国々の中
の或国、特にこの条約のありありと心に描くところ
より更に進んだ所へ行きたい印度にとってさえも、
受け入れることが出来ないものにします。
 若し再びソ連がカイロとポツダム宣言に反して、
日本へ返還した琉球諸島と小笠原諸島を欲しがる
のなら、それでは何故南樺太は、千鳥列島もまた
日本へ返還されないのか?

 私は興味をもって、次の事に注目します。
 即ちソ連の修正案は、日本国民に基本的表現の自由、
新聞及び宗教礼拝の出版の自由、政治上の見解の自由、
及び公開の集会の自由を保証しようと要求しています。
 -----ソ連の国民自身でさえも所有し享有したいと
心から執着したいであろう自由をです。



(注---和訳資料はここまで。以降の数行は欠損)
出典 : かぐらしゃ通信

演説をするスリランカ代表 J.R.ジャヤワルダナ氏



 日本の国際社会復帰を話し合う、
講和会議であったが、ソ連の執拗な反対工作に会い、
日本の分断、主権の制限、高額な賠償金が俎上に
のせられ、会議の前途は暗澹としていた。
 そんな中、強い決意を胸に秘め、
J.R.ジャヤワルダナ氏は話し始めた。

 各国が自国の利害を考え、駆け引きを繰り返す中、
全く、と言っていいぐらい利害のない
「日本」に対して、むしろ日本軍の空襲をうけ、
被害を受けた国の代表でありながら、
日本を擁護する演説を続けた。



 敗戦国に対して、利害を超えて「尊敬」と「共感」を
表明し、日本の独立を強く支持する
J.R.ジャヤワルダナ氏の言葉に、会場はうち静まった。

 アジア諸国に流れる共通の思想、仏教を引用し
日本への賠償請求放棄を呼びかけた。
これにより、多くのアジア諸国が日本との関わりと、
恩恵を想起し、また、日本人は同じ肌の色をした
アジア民族であり、日本が戦ったのはアジア人を
搾取した白人国家だったのだと再認識させることで
アジアの一体感を呼び覚ましたのだ。
 欧米諸国の代表にも、その博愛と寛容の精神は
静かな感動を与えた。

 J.R.ジャヤワルダナ氏の演説が終わると、
万雷の拍手が沸き起こった。
 彼のこの演説が、講和会議の流れを変え、
日本の国際社会復帰を大きく後押ししたのである。



 日本はソ連、ポーランド、チェコスロバキアを除く
48ヶ国と講和を結び、国際社会復帰を果たした。

                                                    以上


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​​ <めいてい君の追加> ​​

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 明らかに誤字とみられる場合は訂正済みです。

​☆

3. ​ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ​
  WIKIPEDIAから

経歴​
スリランカの第2代大統領になった
J・R・ジャヤワルダナは、11人兄弟の長男として
セイロンの最高裁判所判事の息子として生まれ、
ロイヤル・カレッジ・コロンボで学んだ。
クリケットの選手としてロイヤル-トミアンに出場
したこともある。
ジャヤワルダナはキリスト教から仏教に改宗し、
コロンボ法科大学で優秀な成績を修めて法律家と
なった。
しかし法曹界には長くは留まらず、
1938年、セイロン国家機構 (CNC) の活動家となった。
1946年に国民連帯同盟へ加入し、
1947年に初代蔵相として入閣した。
​​​1951年には国際連合に蔵相として参加し、
同年9月6日、サンフランシスコ講和会議に
セイロン代表として出席した。
その会議演説で、ジャヤワルダナは
「日本の掲げた理想に、独立を望むアジアの人々が共感
を覚えたことを忘れないで欲しい」と述べ、
また「憎悪は憎悪によって止むことはなく、
慈愛によって止む
(英語: Hatred ceases not by hatred,
But by love. )」
という 法句経 の一節[1]を引用して、
セイロン(現:スリランカ民主社会主義共和国)は
日本に対する賠償請求を放棄する旨の演説を行った。​​​
​1977年には、スリランカ建国に貢献した。
姓のジャヤワルダナは「勝利をもたらす」を意味する 。​
1983年、スリランカの首都をコロンボから古都コッテへ
遷都するに当たり、コッテがかつてジャヤワルダナと
呼ばれていたことに加え、彼自身の姓をも絡めて
スリジャヤワルダナプラコッテ
(輝ける勝利をもたらす町・コッテ)と改称の上、
遷都させた。
政治家としての経歴
蔵相をはじめとして、首相、大統領と要職を務めた。
ジャヤワルダナは1977年、無投票で首相に選ばれ
精力的に活動した。
1978年、第2代大統領(大統領制移行後では初)に
なった。
しかし高まる民族間の対立を抑えることはできず、
大統領任期中の1983年にはスリランカ内戦が勃発
している。
日本との関係
閣僚・首相・大統領としてたびたび訪日、
更に政界引退後も日本を訪れている。
また日本の仏教関係者をスリランカに招待するなど
日本とスリランカの交流に尽力した。
1989年、昭和天皇の大喪の礼に本人の希望により
夫人とともにプレマダーサ大統領に代わって参列。
既に肩書きは「前大統領」だったが、
元首級参列者・大統領同格の国賓として待遇された。
1991年には日本の仏教関係者の招待で広島市を訪れ、
広島平和記念資料館を見学している。
1996年、死去に際し献眼、角膜提供。
「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との
遺言により、片目は日本に贈られ群馬県の女性に
移植された。
脚注
^ 法句経5.
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以て
したならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」
​​ ​​






4.上座部仏教
  WIKIPEDIA










<追加>

5.スリランカ同時爆破事件
WIKIPEDIA

2019年4月21日にスリランカの最大都市コロンボを
はじめとした国内の8か所で、同時多発的に発生した
爆発事件の総称である。
コロンボを含む、国内の複数の都市にあるキリスト教
教会や高級ホテルが標的とされた。
同日はキリスト教におけるイースターであり、
教会には礼拝を目的として多数の人がいた。
少なくとも36カ国の外国人と3人の警察官を含む
253名が死亡し、500人以上が負傷した。
スリランカ政府は、これらの爆発を『テロ』と
断定した。











☆​​​

6.追記

 めいてい君は、
イスラム武装勢力へのキリスト教徒の報復、
また、それへの再報復という
一神教同士のバトルで「戦闘員でないものたち」が
無意味に犠牲になっていること
を憂えるものである。

 宗教はそれ自体の信心は自由であるが、
自分が住む国ではその国の秩序、道徳、習慣などに
従わねばならない筈である。
 そうでなければ、どこか他所で暮らすしかない。
 EUや米国の国民は、
異教徒がまるで自分の国のように

秩序、道徳、慣習などを無視して過ごすことに
もはや我慢がならない。
 我慢にも限界があることは、寛容の精神にも限界が
あることを学ぶ必要がある。
 寛容の精神の限界を、教育界、宗教界では
教える必要がある。
 英国、米国などでISISに無邪気に加入した
女性の帰国を許さないのも寛容の精神を超えたケースが
あるからであろう。
 日本にも、極端であるが、
「勘当」という親子関係の契りを切る
措置もある。
 本来、移民は、秩序、道徳、慣習などを受け入れる
場合に、
その国に住むことを許されるのが最低の条件
ではないだろうか。

 EUでは、その最低の条件も守られないから、
移民が排斥されるのである。
 多神教の日本人が、移民先の南米で苦労してきた努力を
見習うべきでは。







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Last updated  Mar 31, 2020 03:18:58 PM
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