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巻き上がる砂塵を背に、屈強な中年男性が立っている。はるかな砂漠は広く果てが見えず、この男の支配する世界の広大さを嫌でも感じさせた。 彼はマントの下に甲冑を着込み、いつでも戦いに出られる体勢だ。外敵も内乱も、すべてはこの男の強い力と秩序の元にねじふせられてきた。 もはや敵は見えないはずであるのに、彼は鎧を着ることをやめない。 臣下達のなかでは、国の存続のために早く妃を娶って皇子を生ませてほしい、という声が大きくなってきていた。男の年も年であったから、再三の懇願であったけれど、皇帝は妃を娶ることはなかった。 女がいないという訳ではない。毎夜のように、彼は国中の娘たちを呼んでいた。精力たるや大したもので、大臣の一人などはそういった娘たちでも、皇子を宿す者はいないかと目を光らせていたくらいであったが、長年のあいだ誰も懐妊することはなく、そして皇帝が誰かを妃にしたいと言うこともなかった。 どこまでも続く砂を背に、男は言った。「賢者よ。我の世界は広い」「さようでございますな」 私はしわがれた声で答えた。ここでの私は年老いた賢者の中にいるらしい。のばした腕は細い割に重く感じられたが、しなびた指で砂漠をさした。「陛下の治められる世界に、果ては見えませぬ」 わかっている、というように、皇帝は首を振った。わかっているのだ。「そうだ、果てが見えぬほど広いこの世界のすべてが我のものだ。我の作った法と秩序によって、民は滞りなく生活を送っている」「さようでございますな」「賢者よ。なのになぜ、我は鎧を脱ぐことがないのだ?」 その問いはいきなり発せられた。なぜ鎧を着ているかって、自分が着たからにきまっているじゃないか。自分で着たなら、自分で脱げばいいというだけのことだ。私はそう思ったが、老人はゆっくりした口調で答えた。「陛下は、多くの敵を恐れておられる」 皇帝は叫んだ。聞いた者をひれ伏させずにはおかぬ、恐ろしい咆哮であった。「馬鹿な。我が、この強大なる我がまだ敵を恐れておると言いおるか。そなた評判の賢者というから召し寄せてみたが、我を愚弄すると生きて返さぬぞ」「ようございます。お心のままになされませ」 老人はいっかな応えぬそぶりだ。皇帝の恫喝にも怖気づかないこの老人が何を言うものか、私は興味がわいてきた。それは男も同様であったらしく、先をうながすようにこちらを見た。「それならばお尋ねいたしましょう。陛下は、なぜお妃を娶られないのです? 憚りながら、皇帝陛下も不老不死はお持ちでない。大臣様がたが、さぞ心配されているでしょうに」「む……」「思うに陛下は、どの女性にお会いになってみても、ご自分の血を託すほどには信頼できぬのではございませんかな」「結婚となれば国の問題だ。我の一存で決められることではない」 難しい顔で皇帝は言った。いままで大臣からの何度もの質問に答えてきた台詞なのだろう。「これはしたり。お国をここまでにされた皇帝陛下の気に入られた女性であれば、誰にも反対などされぬでしょうに」「外戚の問題がある。妃本人は良い女であっても、その親戚までそうであるとは限るまい」「つまり、外戚にお命を狙われるかもしれぬ、ということですな」 老人は笑った。そうは言っておらぬ、と皇帝は答えたが、心中で想定していることは明らかだ。からかうような光を暖かい瞳にうかべて、老人は続けた。「生きておいでのうちは、外戚にお命を狙われるやもしれませぬ。お妃さまご本人がそそのかされて、細い御手に隠し剣を握られるやもしれませぬ。陛下がお隠れになった後は、皇子とお妃さまを、悪い大臣どもが手玉にとろうとするやもしれませぬなあ」「おい……」「ふむ。そうはならずとも、お妃さまは国を作り変えてしまわれるかもしれませぬ。陛下の作られたものだけではなく、新しい法を、新しい道を、もしかするならば新しい領土を」「やめろ。もう、やめてくれ」 男は頭をかかえた。皇帝という厳つい肩書きを背負うには、あまりにも卑小な姿に見えた。老人は皺だらけの手を、そっと男の肩に置いた。「陛下は誰も信じておられぬのです。誰にも心を許さず、かわりに誰にも心を許されることがない。他者の力というものをご存知ないゆえ、ご自分の作られたものは、何ひとつ変わらずにそのまま残るべきだと、そうお思いですな」 砂塵が舞い狂う風のひどい場所であるのに、老人の大きくもない言葉は、ひとつひとつが男の身体に刺さってゆくようだった。「それが悪いのか。いままで、誰一人我の力に敵うものはおらなんだ。これからとてそうであろう。愚者の作ったものよりは、我が作ったものを使う方が良いに決まっておる」「そうは限りませぬ」 きっぱりと老人は言った。怒ることも忘れて皇帝が見つめる。「陛下のお作りになった道は、たしかに他のどれよりも良くできております。国の要所を結んで無駄がなく、しかも荒れることが少ない」「ならば」「しかし、町とは変わるもの。いま繁栄する都市が、何百年の後まで繁栄し続けているとは限りませぬ。そして今ただの田舎である村が、何かの拍子に栄えることもございましょう。そうなったとき、陛下の道だけでは間に合わなくなります」 歌うように老人は続けた。「人は死ぬもの。町は変わるもの。木々は葉を落とすもの。この世に変わらぬものなどございませぬ。うたかたの人ができることは、その時の流れを受けとめ、愛でることだけでございます」 それでは、我のやってきたことは無駄であったか。皇帝はつぶやいた。「そうではございませぬ。日々精一杯に生きて時を積みかさねてゆくことは、我ら人のさだめ。積み重ねたものはいずれ時のはざまに埋もれてゆきますが、それそのものが地層になり、降りつんでゆくのでございます」 男は首を振った。日に焼けた顔の中で唇がかすかに動いたが、よくわからない、と言ったのか、馬鹿者め、と言ったのか、私には判別がつかなかった。 しかし、老人は砂漠の夕陽を背にして微笑んだ。「ゆっくりお考えなされませ。まだ時間はあるのですから」 男は反論しようとはしなかった。 ◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆ がっしりした体格の男性が、堅牢な椅子に腰掛けています。不動堅固の体制。しかし、力だけで築いた世界の寂しさか、彼の背後には荒涼とした世界が広がっています。《皇帝》は、男性的な力強さ、力と権力、秩序の象徴。逞しく頼りがいがあり、周りをぐいぐいと引っ張ってゆくリーダーです。彼は強い意志と将来のヴィジョンを持っており、遠慮することはありません。彼は強い。それは文句のつけようがないところです。けれどそれだけに、彼には聞こえぬ声があるのですね。彼に押しのけられ、押しつぶされた者達の声。彼の力で守られているけれど、本当は自分自身が強くなりたいと思っている弱い者達の声。そんな小さな声は、彼の耳には届いていないのです。がっしりした太い腕で、《皇帝》は世界を守ります。一糸乱れぬ兵隊の行進。整然とした世界です。けれども彼が守っているのは、「国の民」ではなく「国の秩序」なのかもしれない。整然とした自分の世界を守ろうとするあまりに、本末転倒になってはいないか。また、至高の地位にいる彼を、本当に理解してくれる人は誰もいません。幾百の夜を、《皇帝》は支配者の孤独のうちに眠るのでしょう。暗殺者をつねに警戒し、誰にも心を許さぬままで…。本当に大切なものは何か。あなたが求める幸せとは何なのか。もちろん人によって違うものが答えになるでしょうが、がむしゃらに突き進んだとき、何かを忘れてしまうことの寂しさを、《皇帝》は示していると思うのです。
2007年02月28日
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「誰なの、あの女は誰なのよ」 泣き濡れた顔で、彼女は私の胸を叩いた。涙で頬が光っている。 見回すと、ベッドサイドの小さなテーブルに、金色の鈴のついた鍵がひとつ、ちょこんと置かれていた。 ああこれが原因なのだな、と私は感づいた。だが、その鍵が渡った相手が誰なのかなど、私が知るはずもない。 彼女はなおも、泣きながら私の胸を叩く。 それまでかなりぼんやりとただ座っていた私は、はじめて腕に力を入れて持ち上げてみた。それは太くがっしりした男の腕で、指はずんぐりと丸い。 細い肩を抱いてやると、彼女はしゃくりあげた。 タイミングを計っていたかのように、口が勝手に動いて、知らない男の声が言った。「悪かったよ。俺が悪かった」 嘘ではなく、本当に悪いと思っていそうな声ではあった。男臭いシャツから彼女が顔をあげる。まつげに溜まった涙が、朝露のように電灯の光をはじいた。「あれは従妹なんだ。親と喧嘩して、家出してきたといって。本当だよ。信じてくれ」 私はあきれた。 真実ならまずい真実であったし、嘘ならもっとましな嘘をつくべきだった。いったい誰が、こんな言い訳を信じるというのだ。どちらが本当かは知らないが、馬鹿な男だと思った。 案の定、彼女は(嘘ばっかり)という目でこちらを見た。可愛い顔は涙と怒りでさんざんに乱れ、まるで般若のようだ。「本当だよ。俺にはお前だけだ」 彼女は黙ったまま、じっと男の顔を見つめていた。そのまま手を振り上げて頬に平手打ちでもし、啖呵をきって別れてしまえばいいのにと私は思った。 しかし、傷ついた心を深く箱に押し込めるように下を向き、彼女はこう言った。「……わかったわ、信じる」 嘘だろう、なぜ信じるんだ。私は口を動かしたが、声は出なかった。 男に騙される女の話を聞くたび、信じられないと思ってきたが、その生きた実例が目の前にいる。「信じるわ」 顔をあげて決意表明すると、苦労して微笑みを浮かべ、彼女は私を抱きしめた。 馬鹿な女だ。 それとも女という生き物は、みなこのように子供だましの嘘を信じるのだろうか。わからない。そう思いながらも、太い腕を動かして彼女の背を抱いてやった。無理に笑い無理をして生きるには、小さすぎる身体だと思った。 私の腕は男の太い腕から離れ、幽霊のように長い髪と背を通り抜けて、彼女が隠した心の小箱の鎖に触れた。 厳重に封じられたそれの傷は癒されておらず、あふれつづける血がべっとりと掌をぬらす。赤い鮮血は掌から染み入って、ちいさな囁きをもらした。(嘘よ、嘘よ) 私はどきりとした。囁きはなおも流れ込む。(そうよわかってる。また嘘なんだわ)(だけど、私が信じてあげなきゃ)(私が信じてあげなきゃ、誰がこの人を信じるというの? 家族も、他の誰にも、この人は心を許していないのだもの)(この人は淋しいんだわ) いつしか雲がきれて、夕焼けの赤い陽が二人の背におちかかる。 ぽつりぽつり、雨だれ口調で身の上話をはじめた男の耳には、この囁きは聞こえていないようだった。 彼女が思っているように、この男は淋しいのだろう。自分のことを語る口調はひどく不器用で、裏にはまぎれもない孤独がにじんでいた。 いつのまにか二人はベッドに身体を投げ出して、細い指が、あやすように男の髪を撫でていた。 話に口を挟まず、ときおり静かに相槌をうちながら、何時間でも彼女は男の髪を撫でていた。「……だったんだ」 語り終えた男に、彼女は微笑んだ。大海原の雲間から光がさしこむような、慈愛の微笑みだった。(私が支えてあげる。私が居場所を作ってあげる。できるかぎりの安らぎの中で、あなたはゆっくり休むといいわ)(そうして、いつか淋しさに泣かなくなる日まで)「ええ、わかるわ。辛かったのね。もういいのよ、我慢しなくても」 優しく言って、彼の額にキスをする。 男は泣きながら、強い力で彼女を抱きしめた。不自由な体勢になりながら、彼女はなおも優しいキスをくりかえす。 あたたかい羊水に満ちた彼女の子宮で、私はさめざめと泣いた。* * * そんな夜が繰り返されて、男は次第に泣かなくなった。 行動も目に見えて落ち着き、寂しさを他の女にまぎらわすようなこともなくなった。 まるで生まれなおしたようだと、彼の中で私は思った。 彼は心から感謝することをおぼえ、ある日彼女にバラの花束を買ってゆくことにした。「もう少し金が貯まったら、指輪も買える」と花屋の前でつぶやいた独り言を、私は知っている。 男はなんて求婚しようかと、うきうきしたりどきどきしたりしながら、待ち合わせの場所に急いだ。 彼女は先に来ていた。男に気づくとすっと立ち上がる。白いスーツがすらりとした身体によく映えていた。 男が背に隠すように持つ花束に気づき、哀しげな微笑をもらすと、彼女はきっぱりと言った。「別れましょう、わたしたち」 機先を制されて、男は口をあけたまま立ち尽くしていた。「ど、どうして」 私は彼の口を動かして、ようやくそれだけ喋らせた。彼女はあの、美しい慈愛の微笑みを浮かべる。「もう、大丈夫だからよ」 ぽんと男の腕を叩き、そのまますれ違って歩き去る。男は力なく垂れ下がった腕の先、地面に落ちた赤いバラをただ見つめていた。 女のヒールが硬質な音を立てて遠ざかってゆく。 腕の最後のぬくもりから、男の気づかぬささやきがかすかに聞こえた。(さよなら、私の可愛い子)(いつかまた会えるかしら。今度は母と子ではなくて、対等なひとりの人間として……) 彼女の目に涙が光っていたことに気づいたのは、私ひとりだったろう。 足音が完全に消え去っても、男はバラを見つめてただ立っていた。彼がひとりで自分の甘えに気づくまで、どれくらいかかるだろうかと私は考えた。 ◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆ さて、皆様いかがだったでしょうか。カード番号の3、《女帝》です。ほんとうはこの前に、2の《女教皇》が来るべきなのですが、過去サイトではアップされていませんでした。書きかけの草稿は見つけましたが、ろくな完成度ではなく。。書ききってから順番に載せようかとも思いましたが、この際過去のものは過去のものとして、一気に載せてしまおうと思いました。そのため順番が飛んでおります。ご了承くださいませ。そして、過去にあったものは、このあとに《皇帝》、そしてエッセイ形式による《星》と《愚者》があるのみとなります。《女帝》というのは、産み育てる母性の象徴です。すべてを大きな海のなかに受けいれ、受けとめる。聖母マリアの「マリア」という名は、古代語の「海」からきています。mareはラテン語で「海の波」を表し、ミリアム(=マリア)はヘブライ語で「塩の海」あるいは「海の婦人」という意味です。英語でも、海のことをmarineといいますね。女性は胎内に羊水の満ちた海を持ち、命を生み出す存在なのです。もちろん、ときにはその作用が強すぎることもあるわけで、世に言う「マザー・コンプレックス」は、心理的に母親の子宮から出られていない状態を指します。図書室でも書いた「子を喰らう母」で、タロットでいうとこれが逆位置。聖母マリアが正位置です。暖かく子を包み、傷ついたときにはいつでも帰って休める場所。甘えを甘えとわかっていて、静かに抱きしめてくれる腕。そんな場所を心に持っていることで、人は安心して前に進めるのです。ただし、「母親」と結婚することはできません。男性が甘える場所を欲するように、女性だって欲している。どちらかが耐え、どちらかが甘えるだけの結婚生活は破綻してしまいます。共同生活なのですから、両方が甘え、支えあうものなのですね。この彼も、そのことにいつか気づく日がくるでしょう。お読みくださってありがとうございました。「私」は誰か、というご質問は受け付けませんが(笑)、ご意見ご感想、お待ちしております(^^)
2007年02月27日
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手が勝手に動いて、注意深く炉に薪をくべている。 首の長いフラスコの内容物は黒っぽく煤けていた。それが沸騰するかしないかの温度を保ちつつ、私の手は額の汗をぬぐった。 そう、この手は確かに私のもののはずだ。私がこうして見ている目、その目がある顔から首につながり、肩を通ってついている腕であるのだから。 しかし、あまり日に当たらないのだろう、生白いくせに筋肉質で力強い、こんな腕に私は見覚えがなかった。 私の手は相変わらず、炉の維持に余念がなかった。おそろしく強い意志に支配されているらしく、その動きだけは変えることができない。薪をくべ、火が安定したひとときだけは、少し私の意思で動くことができた。 見回すと暗い室内に電灯はなく、小さな窓と炉で燃える炎だけがあたりを照らしている。窓の外は夜明けであるらしく、薄明に麦かなにかの穂が見てとれた。 中は電気もなければ水道もなく、狭い石造りの納屋のような造りで、片隅に水がめが置いてある。そこらじゅうに、訳のわからない器具やら本やらが散らばっており、ものが腐ったときの悪臭がかすかに鼻をついた。 気味が悪くなった。 いや、これは夢なんだ、と頭の片隅で声がする。そうだ、夢なんだ。 昨日の記憶がおぼろげに思い出される。さんざん酔っ払って、たぶんどこかで寝込んでしまったのだ。脳みそにアルコールが残っているから、こんな変な夢を見る。 私は目を覚ますべく、何度も顔を振ったり、頬をつねったりした。「ふむ、さすがに肩が凝ったな」 私が――私の身体が、勝手に声を出した。知らない男性の声だ。右手をいとも簡単に私の支配から奪うと、肩を叩き、首を鳴らした。「しかし、ようやく……ようやく、『マチエール(素材)の湿』が終わる。ディオメデスのいわく、『黄金の鳥が巨蟹宮に達し、天秤宮に向かって飛翔するとき、汝はやや火を強めねばならぬ。そしてこの美しい鳥が磨羯宮にゆくとき、それは待ち望んだ秋である……』」 感極まったつぶやきであったが、文章の意味はさっぱりわからない。いや、そもそもが知らない言語だった。聞いたこともない単語の羅列なのに、その表面的な意味だけは、母国語のごとく頭にひらめいてゆく。 いくら夢でも、こんなことがあるのだろうか? まるで、誰か他人の内部に入り込んでしまっているようだ。それも、今の状況を見る限り、歴史で習った中世ルネサンス、という言葉がぴったりである。 最近ルネサンスに関するテレビや雑誌でも目にしただろうかと、私は考えた。無意識に残った記憶が、夢を形づくっていると聞いた事があるからだ。 しかし思い当たることはなく、叩いてもつねっても、依然として夢から覚めることもなかった。 私が入り込んでいる男はひげを撫でつけ、また火の管理に戻った。とてつもない集中力だが、永久に続くわけがない。きっと、そのうち疲れて眠り込むにちがいない。 そしてその時こそ、この奇妙な夢から逃れられるのだ。 私はそう思うことにした。 しかし数日が過ぎても、私は相変わらず、痩せ気味で目の光の鋭い男の内に閉じ込められ、自分の肉体に戻るすべを見つけられていなかった。 これは夢ではないのかもしれない。自分は一度死んで、守護霊だか自縛霊だか知らないが、とにかくそんなふうにこの男に憑いているのかもしれない。暗い淵を覗き込むような恐怖が背筋を伝った。 泣きたかったが、男の光る目はそれを許さない。ほんのわずかな休憩の間だけ、彼は火の番を妻に任せたが、後はいつも食い入るように炉を見つめていた。 ほとんど肉がないように見える細長い身体のどこに、これほどの力があるのかと疑うくらいの胆力だった。 いつのまにか、私は男と一緒に火を見つめるようになっていた。初めは気づかず、ただ男の意思のままに目が赤い舌を眺めているのだと思っていた。だが、ここまでの思いをしていったい何ができるというのか、段々知りたくなってきた自分もどこかにいた。 彼が俗にいう中世の「錬金術師」(現代の汚れた意味ではなく、きわめて純粋な)であると気づいたのも、この頃だった。 日が過ぎる。熱せられる段階を過ぎた物体は炉からそっと外され、適温まで冷まされ、注意深く別の液体をそそがれた。 フラスコにそそがれたのは水銀であろうか。それはゆっくり少しずつ染み込んでゆき、やがて表面に固まって、どす黒かった液体をオレンジ色がかった白色に染め上げた。 それは瞬く間にオレンジ色、緑、黄色、赤、黄色、青、オレンジと色を変え、最後に磨きぬかれた抜き身の剣のような、底光りする白となった。「よし……」 興奮した声を出し、男は舌で乾いた唇をしめした。「白き霊薬……第五元素だ。そして」 呼吸を整え、固まったり液体になったりする白い物体を、あらためて一層強い火にかける。 男は、ほとんど首を炉につっこまんばかりにして火加減の管理をした。額の汗を拭くのも忘れ、火を強く、そして強すぎないように注意する。 もし赤い舌がやんちゃにすぎると、せっかく生まれかけたこの霊薬が、フラスコごと割れ砕けて灰に飛び散ってしまうのだ、と私にもわかった。 はじめは黒く、そして白くなった霊薬は、火にかけるにつれてしだいに燃えるような赤に変わってきた。さきほど、白くなる前に一瞬見せたような安っぽい色ではない。 ピジョン・ブラッド(鳩の血)とかいう、最高級のルビーの色合いだ。深みのある緋色になると、物体はそれで落ち着いたようだった。「やった……」 冷めるのも待ちきれず、男が物体に手を伸ばす。フラスコから出すと、それは机の上にぷるんと丸っぽく固まった。指先でつつくと柔らかく、かつほんのりと暖かい。「やったぞ、賢者の石だ!」 男は雄叫びをあげた。 息のすべてを叫びきった頃、あわててやってきた妻が、赤い石を持つ夫を見つけた。何が起こったのか、彼女はすぐに解したのであろう。口を動かすも声にはならず、涙をあふれさせながら抱きついてきた。 男もまた無言のままに、片手に石を捧げ持ったまま、あいた手で妻の肩を抱いた。鋼鉄のようだったその心に、嬉しさのみならず感謝があふれてきていることに、私は気づいた。つねに影から実験を応援してくれた妻。その妻を、すべてのものたちを産んだこの世界。世界とはなんと美しいのだろう。 この男をはじめて知った時のように、外は輝くような夜明けだった。朝一番の光が窓のすきまから男の顔をなでると、驚いたことに、彼は泣いていた。 それを男の中からではなく、立派な髭の見える外から眺めていることに、突如として私は気づいた。右手をあげて顔を触ってみる。痩せて、髭も服も煤だらけにした男の右手は、あいかわらず妻の肩にかかっていた。 男から抜けられた! しかしそう思った瞬間、私の意識はまた暗転していた。 ◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆ お待たせしました~! 《魔術師》です!!え、誰も待ってない? そんなことおっしゃらず、一度お読みになってやってくださいませ(^^;上でもそのとおり出ていますが、《魔術師》は錬金術師と言われています。そして栄えあるカード番号の1。1は始まりです。それも、自分の意志での「はじまり」。環境が整うのを待つよりも、まず自分からこうと決めて飛び出していってしまうような強さが《魔術師》にはあります。それは自分の力に自信があるからですが、そこに至るまでには才能だけでなく、技術の熟練のために相当な努力をも支払ってきたはず。それでも彼は、いつも先を見ています。積み重ねた過去は過去、彼の目は、いつもこれからできる賢者の石に注がれているのです。そしてこのカードは、賢者の石を代表とする物の変容だけでなく、精神の変容も表します。暗い冬を越え、春の光のなかで目を開け、背をのばし、目標を見つけて歩き出す姿。悩みの闇を抜けたときの姿なのです。
2007年02月26日
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もう、死んでやろうと思っていた。 仕事も会社の人間も近所づきあいも、なにもかもが最悪だ。やることなすこと裏目に出る。 仕事では失敗して相手を怒らせたあげく、大損を出してしまい上司にさんざん嫌味を言われた。損を出したのは悪かったと思う。でも、元はといえば相手方が無理な要求をしていたのだ。上司が大事な相手だというから、無理をして通そうとしてやったのに。賭けに出たくて出たわけじゃない。 会社の人間たちはそれを知っているくせに、私を一方的に悪だと決めつける。上司の味方についていたほうが、自分の身が安全だからだ。陰でこそこそ、何か話しているのも知っている。 会社が駄目なら私生活、一時はそう思って気を取り直したが、結果はさんざんだった。 きっかけなんて、もうよく覚えていない。 確か、燃えるゴミをいつものように集積所に捨てに行ったら、見張っていた中年女性にガミガミとまくしたてられたのだ。某電話会社が玄関に投げ込んでいった不要なチラシはプラスチックの透明パックに入っているから、取り出して別々に捨てろとか、牛乳パックは洗って切り開いて乾かせだとか、そんなことだったと思う。 こちとら必死に働いて暮らしているんだ。旦那の稼ぎで安穏と三食昼寝つきの毎日を送っているあんたとは違うんだよ、と何度口をついて出そうになったかわからない。だいたい、環境にやさしくあるべきこのご時世に、そんな無駄な材料費や人件費をかける電話会社が悪いだろう。 それでも私は自制した。偉かったと思う。 すみません、以後気をつけますから、今日はちょっとこれから出勤なので。愛想笑いにそんな台詞をトッピングして、謙遜という皿に盛りつけて出してやった。 我ながら、立派なものじゃないか? なのに、近所の専制君主どもの気には入らなかったようだ。彼女たちは強いつながりを作り上げていて、規律を勝手に決めている。違反したり反抗的な態度をとったりすると、ひどく陰険でうるさいのだ。 きっと、閉じた空間の女王でいたいんだろう。それが世間に置いていかれる恐怖の裏返しとも知らずに。 私はイライラして、やるせないその憤懣を恋人に聞いてもらおうと思った。当然のなりゆきだろう。辛いときに暖かく包んでくれるのが、愛情ってものだからだ。 しかし、恋人は逃げた。 もうたくさん。そう言い残して、本当にそのひと切れの言葉だけ残していった。私は癒されたかっただけだ。暖めてほしかっただけだ。それなのに。 なんてひどい人間を恋人と思っていたのだろう。自分の人を見る目のなさに嫌気がさした。 もういい、もう死んでしまおう。 恋人が残したのと似た言葉を、私は呟いた。すると不思議な陶酔感が胸にあふれた。死んでしまおう。 なんて気持ちのいい、魔法のような言葉だろうか。それだけで、すっきりとすべてを終わらせることができる。 こんな最悪な、不運ばかりの、ついてない人生なんかやめにして、もっとましな世界に生まれ変わるのだ。 私はしたたかに酔って、夜の街を歩いていた。 どうせもう死ぬのだから健康のことなど気にする必要はないし、明日の朝会社に遅刻する心配もしなくていい。財布の中身が空になっても問題なかった。家に帰らなかったからといって、どうということもないのだ。 何件目かのはしご酒を断られ、ふてくされて悪態をつきながら、どことも知れぬ路地を曲がる。 暗がりにひっそりと誰かが座っていて、私は悲鳴としゃっくりを同時に出した。 それはしわくちゃの老婆だった。なにかの物語で読んだ、ジプシーの老女。彼らは土地をながれ、国を流れて人々の幸福をかすめとってゆく。未来を読み疫病をまき、歌やダンスを見せて金をかせぐ。彼らに近づいちゃいけないよ。 面白くなって、私はそのジプシー女に近づいていった。小さなテーブルに黒い布をたらし、古風なランプを置いている。頭にかぶった黒い布からは、灰色の髪がのぞいていた。顔はといえば、皺だらけでどこが目なのかさえよくわからない。「占いをご希望かい?」 顔のようにしわがれた声で老婆が言った。占い? そうとも、面白い。ビールと焼酎とウイスキーをたっぷり詰め込んだ頭で私は考え、老婆の前の椅子に座った。ふらふらしながら手を差し出す。「手相なんか見ないよ。邪魔だからどけとくれ」 彼女は私の手を払いのけ、ぼろぼろのカードの束を取り出した。角はとれて丸くなり、手垢で茶色くなった、老婆自身と同じくらいにくたびれたしろものだ。「あんた、死んでやろうと思ってるね?」 カードを混ぜながら、ひ、ひ、ひ、と空気がもれるような音を出して老婆が笑ったので、私は驚いた。カードの絵を見てもいないのに、そんなことがわかるのか。 私の表情を見て、面白そうに彼女は言った。「占いなんぞしなくとも、そんな目をしてりゃ誰だってわかるさね。死んだ魚の目だ――あんた、見ているようで何も見ちゃいないね」 皺だらけの標本と見まがうばかりの手が、信じられないくらいなめらかに動いてカードをまとめ、山にし、みっつに割ってまた山にする。 ぼろぼろのカードが目前のテーブルに並べられてゆくさまを、呆けたように私は眺めていた。老婆の言葉は聞こえていたが、山ほどつめこんだアルコールのおかげか、それほど腹はたたなかった。単に目も前の興味が勝っていただけかもしれない。 老婆の手がカードをめくってゆき、所々かすれた絵柄が何枚かあらわになった。「ふうん、仕事で失敗、人間関係で失敗、恋人にも逃げられた。不幸の見本市みたいな顔はそのせいかい」 あはは、と老女は笑ったが、私は逆に酔いが醒める気がした。「あ……当たってる」「そうさ、カードは鏡だからね。原因や方策だけじゃない、あんたが見ようとしない、本当のあんただってわかるんだよ。どうだい、真実を知る勇気はあるかね」 最後のカードに老婆の指がかかる。古風なランプの明かりの中で、小さな目がきらりと光った気がした。「やめてくれ」 とっさに私はそう答えていた。見てはいけないと思った。見てはいけない。見たらきっと、壊れてしまう。 椅子を蹴飛ばしながら、私は苦労して立ち上がった。しかし、老婆は少しも動じずに、ガラスっぽい赤い大きな指輪をした指で私と椅子を指し示す。「そう気弱なことをお言いでないよ。さっさとお座り。あんたは一度ここに座った。この年寄りの話を聞く義務があるってことさ。さ、お座り」 逆らえなかった。しぶしぶ座ると、老婆は顔中の皺を動かしておそらく笑顔をつくり、一枚のカードを私の前にすべらせた。「さあ、これがあんたの運命だよ」 それは、黄色い空をバックに、一人の若者が崖のところで足を踏み出そうとしている図だった。片手に花を持ち、足元には白い犬がいる。 なんだ、別に怖くないじゃないか――安心して息をつくと、急に酔いが戻ってきたようだ。頭がふわふわとして、視界にある老婆の姿が少しずつ遠くなっていった。「あんたは旅をして、めぐり、終わり、兆しを持たなけりゃならない。どうせ死ぬ気なんだ、怖くはないだろ?」 世界がぐるぐると回る。視界が回るなんて漫画の中だけだと思っていたが、本当にあるんだな、と奇妙な考えが頭をよぎった。 黄色っぽいカード。赤い大きな指輪。まわりから包みこむように迫ってくる、闇、闇、闇。 私はここで死ぬのかもしれない。誰もこないような狭い暗い路地で、正体もなく酔っ払って、老い朽ちかけたジプシーひとりに看取られて。 最後まで不幸だ。いいじゃないか、私は不幸なんだ。 えたいのしれない安堵感に包まれて、私はまぶたを閉じた。いっそうの闇がおとずれる。 老婆はまだ何か言っているようだったが、声は段々小さくなって、最後まで聞くことはできなかった。◆・・・・・◆・・・・・◆・・・・・◆ さあ 行くがいいさ あんた自身に必要な旅へ……*****************************「私」がカードの運命をめぐってゆく創作物語です。タロットモチーフの物語で三人称のものは、他の素敵サイト様にすでに素晴らしいものがたくさんありますので、あえてチャレンジャーしてみました。順次UPしてゆく予定でしたが、サイトに出せるまで書けたのは、プロローグ、《魔術師》、《女帝》、《皇帝》だけ。。こちらでゆっくり書き足してゆければいいなと思っています。毎日は書けないので、きっと思い出した頃にひとつ・・・という感じになると思いますがよろしかったら、お読みくださいね(^^)ご感想等、おありでしたらぜひお寄せくださいませ。
2007年02月25日
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ちなみに、「今好きな人は前世の恋人ですか」…とわりと聞かれますが、そのご質問にはなるべくお答えしないことにしております。意地悪でも、わからないわけでもないのですが。。 だって、本当に前世の恋人だったら問題なしですけれど、違ったらどうします??「前世の恋人が他にいる」という理由で、今好きな人との気持ちやつながりを消してしまうのは、何か間違っていますでしょう? 「○○さんは前世の恋人だ」と知った上で、それから好きになるのは恋ではないでしょう? そんなこと知らなくとも、魂がかってに呼び合います。心配なし。笑 そして、運命の人であっても、白馬の王子様や王女様とは限らないということです。相手から自分を見てみましょう。どちらも同じ人間であるということが、おわかりいただけると思います。喧嘩もすれば泣きも怒りもします。あなたがそうであるように……。では、どう考えてゆけばいいのか。鑑定例にもご登場くださっているJ様は、こんなことをおっしゃいました。「前世の恋人や夫と、会いたい、現世でも一緒にいたいという気持ちがないわけではないですけれど、絶対にとは思いません。だけど、無事に相手が見つかったら、彼の前世鑑定や、幸せになれるかと再び鑑定をお願いしたくなるかもしれませんけど。臆病になってるところはありますから。 でも、私との関わりはお尋ねしないことにしますね。幸せになれるのなら、前世において私にとってどのような関係であったとしても、縁の深い人だと思いますから。それに、私の性格だと、今自分が選んだ人が一番大切になるし、前世に関係がなくても、来世に関係を繋げればいいんだ、と思っちゃいますから。そうなれば、来世で前世の相手と再び幸せになれるじゃないですか(笑)。」どうでしょう、素晴らしい考え方だと思いませんか?(^^)そして、ソウルメイトというものも、恋人とは限らないということなのです。お互いの魂を磨き合える関係・・・そうであるならば、ライバルでも、友達でも、上司部下でも、嫁姑でも、ありだということ。あなたが今、大嫌いで仕方がない人が、カルマ解消のための出会いであるかもしれません。* * *占いも前世鑑定も、基本は同じことです。もちろん当たるかどうかも大切なことではありますが、結果そのものよりも、その結果をふまえてどういう自分自身を作ってゆくか、それが大事なのです。まだまだ未熟者の私ですが、そういうお手伝いができればいいな、と思います。
2007年02月24日
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皆さんは、前世って信じますか?現在、「◆◆◆」にいただくご依頼で一番多いのが「前世鑑定」です。恋愛問題などがあって、それと前世鑑定で2件、というパターンが多いです。このサイトを始めるころ、私は「前世鑑定って怪しいかな~」と思い、あまり大々的には書いていませんでした。こっそりはじっこに書いていたのですが、それでも見つけてご依頼くださる方がいらっしゃり、需要の多さに改めて驚いたものです。ひと昔前に、「前世」って流行りましたね。「私は戦士でした」「王女でした」という人達が、たくさん雑誌などに投稿していました。けれども少し考えると、そうそう「姫」や「戦士(兵士ではないらしい)」ばかりがいるわけはないですよね。格好のいい前世に憧れる気持ちはよくわかりますが、だってそうしたら、歴史上に普通の人はいなくなってしまいますもの。そのあたりから、「前世って怪しい」というイメージができてしまったのだと思います。では、戦士でもお姫様でもない普通の人たちは、戦ってはいなかったのでしょうか?歴史のはざまに無為にうずもれているだけだったのでしょうか?そんなことはない、と私は思います。恋愛に苦しんで苦しみぬいた「普通」の人も、経済的に苦しくて頑張っていた人も、みんな毎日を一生懸命に戦っていたのだと思います。身分や肩書きの格好よさと、生きざまとは全く違います。ほんとうに大切なのは、前世鑑定で見なければならないものは、「どう生きたか」ではないでしょうか。何を考え、何を悩み、どういう人生を送ったか。それをふまえて、今生ではどう生きるべきか。前世鑑定をするにあたり、私はそこを重視しています。鑑定の最後に過去からのメッセージがつきますが、それはその「過去に生きていた人の心」を追いかけてゆくなかで、自然に心に浮かぶものです。嘘のようですが、そのメッセージをきちんと鑑定に書き込むまで、私の心はざわざわとして落ち着きません。これはちゃんと伝えなければいけないことだ、と思うのです。たまに、「この世に生まれてきた使命や、やるべき仕事などもわかるのか」というご質問をいただきますが、その「仕事」が広い意味での「人生の課題」という意味でならば、イエスです。以前、私の後に他の方に見てもらったら姫君でした、という方がいらっしゃいました。例によって私の鑑定には身分は書いていなかったので、怒られるかなと思ったのですが。。その過去の女性の生きざまや考えていたことや今に伝えたいことは、後の方の鑑定とぴったり一致しただけでなく、こちらが詳しいくらいだった、自分のすべきことがわかって良かった、とお礼をいただいたのです。私の鑑定の仕方は間違っていなかったんだな、とたくさんの勇気をいただいた出来事でした。また、「鑑定を読んで泣きました」というご感想を、ご相談者の多くからいただいています。これも驚いたことでした。鑑定には、今生に一番つながりが深いと思われる前世が出てきますから、基本的に今の悩みとリンクしています。そのせいもあるのでしょうが、皆さん鑑定をとば口にして、ご自分の魂の深いところをお感じになるようです。過去からのメッセージも、私が思っている以上に、ご相談者のお心に響くようでした。世界を救うような大きな使命とか、格好良い前世とか、そういう結果を望む方には、納得がいかないかもしれません。けれども、これからどう生きてゆくべきか、その小さな指針にはなるかと思います。前世なんて知ったって意味ないよ、というご意見も、それはそれで良いと思いますし。
2007年02月23日
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ネットサーフィン中に見つけた『鏡の法則』、今更ながらに感動してしまいました。このお話に解説がつけられて、本になっているそうです。↓本屋さんで気になっていたのですが、まだ読んでいなかったんですよね。レポートの最後に「転載可」とあったので、全文転載させていただいていたのですが、著者の野口さんからわざわざコメントをいただいてしまいました。******************** >さつきのひかりさん、こんにちは。『鏡の法則』の野口嘉則です。この度は、私のブログにコメントを書き込んでいただき、ありがとうございます。また、さつきのひかりさんのブログで『鏡の法則』を紹介してくださったのですね。そのお気持ち、とても嬉しく思います。ただ、1つだけお伝えしないといけないことがあります。ちょっとややこしい話で申し訳ありませんが・・・実は、『鏡の法則』の本文を、ブログやメルマガ等に転載することは不可となっているのです(^_^;『鏡の法則』の出版権が総合法令出版さんにあり、転載することは、総合法令出版さんの出版権を侵害することになるそうなのです。なお、転載は不可ですが、次のページにリンクしていただくのはOKとなっています。http://coaching-m.co.jp/payforward.htmhttp://coaching-m.co.jp/payforward.htmまた、『鏡の法則』のPDFファイルを、コピーして配布したり、メールに添付したり転送することもOKとなっています。ややこしい話で申し訳ありません。ご理解いただけると幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。 ************************やっぱり本になっていると、ブログでの公開は出版社の版権を侵害してしまうらしく・・・。いえ、正直なところどうなのかなあとは思っていたのですが、あんまり素敵な、いいお話だったのでつい(^^;でも知ってしまったからには、きちんと対処をさせていただきたいと思います。これからは上のリンクからご覧下さいね(^^)2行目は直接PDFファイルにリンクしていますので、これを印刷してお手元に、が一番幸せかも♪うちもそうして、ぜひ夫に読ませようっと(笑)そして、参考図書や野口さんのブログへのリンクは違法ではないと思いますので、このまま残させていただきます。ぜひ『鏡の法則』本文をお読みになって、こちらのリンクを覗いてみて下さい。***************<B氏の方法を理解する為の記事> ・シンクロニシティーと成功法則の関係とは? →http://coaching.livedoor.biz/archives/18847943.html ・成功法則が作用しない人はいるのか? →http://coaching.livedoor.biz/archives/19028324.html ・百匹目の猿現象とは? →http://coaching.livedoor.biz/archives/19379345.html ・頑張っても成功できない「根本的な理由」は何か? →http://coaching.livedoor.biz/archives/19479819.html ・「許せない」ときに、どうすればいい? →http://coaching.livedoor.biz/archives/19620244.html 付録 <おすすめの本> ・「生き方」稲盛和夫 著、サンマーク出版 ・「「原因」と「結果」の法則」ジェームズ・アレン著、サンマーク出版 ・「生きがいの創造決定版」飯田史彦 著、PHP ・「ゆるすということ」ジェラルド・G・ジャンポルスキー、サンマーク出版 ・「地球大予測(2)オーケストラ指揮法」高木善之 著、総合法令 ***************載っている参考書、私も少しずつ読んでみたいと思います。野口さん、お忙しいところ、わざわざメールくださってどうもありがとうございました。お手数をおかけしてしまい、申し訳ございません。ひとりでも多くの方が、『鏡の法則』を読んでしあわせを見つけられますように。そして、あなたがこれを読んでくださったこと。とても嬉しいです。ありがとうございました。
2007年02月22日
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占い師の大原則に、「相手が望むままの嘘を言ってはならない」というのがあります。当たり前のことなのですが、これがなかなか難しい。なぜって、ご依頼者は必ず「言って欲しい言葉」を持っていて、それが私たちには、手に取るように見えてしまうからです。恋愛だったら、愛されていると出会いがあると言って欲しい。すべての問題は解決すると言って欲しい。誰だって、心のどこかでそう望んで依頼してくるものです。けれども、占い師は問題を解決することはできません。カードや水晶球や星の位置、さまざまな道具を使って、未来のかけらを覗くだけですから…。当然、厳しい結果が出ることだって多いわけです。そういうとき、相手におもねって鑑定結果を変えてしまうようでは、本当の占い師であるとは言えないでしょう。相手はそのときは喜んでも、後で必ずつけがまわってきます。厳しい結果というのは、言う方も辛いものです。けれども、相手が求めているものが「占いの結果」であって「お世辞」でない以上は、正直に伝えなければなりません。そして聞いたほうは、回避すべく努力することになるでしょう。占いは御祈祷ではありません。未来を変えられるのは、あなた自身だけなのです。2004.8.5*******過去サイトの転載も、いよいよ残すところわずかになってきました。今日で、「つぶやき」のコーナーも終わりです。あとは「カードの旅」がありますが、全部は書いてないんですよね(^^;書き足しながら載せようかな、と考えております。
2007年02月21日
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下の「波」にもちらっと出てきている、「1/fゆらぎ」。これって、詳しくはどういう「ゆらぎ」なのか、ご存知ですか?それは、予測できること半分、予測できないこと半分、なんですって。たとえば時計の音のように、規則的すぎる音は聞いていてつまらない。だんだん不快になってしまいます。そして逆に、工場や工事現場の騒音のように、まったく不規則な予測がつかない音だと、これはまたイライラしてしまう。それら2つを半々くらいに混ぜた「音楽」が、人間には心地いいのだそうです。同じことが、未来についてもいえますよね。毎日毎日、判で押したように決まりきった生活はしたくない。だけど、今日の寝る所や食べるものも予想できないほど、波乱万丈すぎる生活も疲れてしまう…。帰って安心して眠れる場所があって、だけどたまにはちょっとした冒険があって。それを求めるのはわがままでは多分なくて、そうやって人間はバランスをとっているのでしょう。「維持」と「進化」の割合なんかにも、同じことがいえそうです。「1/fゆらぎ」って、実は色々なことに関連があるのかもしれませんね~。2004.7.14
2007年02月20日
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中学の文化祭で、なんということもない文化部の展示なのに、教室が満杯になるときと、ガラ~ンとするときがありました。食べ物屋さんだったら昼食時なんかは混むでしょうけど、人の流れには波があるんだなあ、と思ったはじめです。不思議なもので、鑑定のご依頼にも波があります。いっぺんに何件もくるときもあれば、その後2週間も一件もないときもある。女性の体にも低温期と高温期の波があるし、月の満ち欠けやらバイオリズムやら、こうして考えると、人間は色々な波の中を泳ぐようにして生きているのかも?「1/fゆらぎ」が気持ちがいいというのは、その波のどれかに合っているからなのかも??なんだか不安になって、悪いことばかり思い出したりするとき、ありますね。すご~く幸せだと思うときもあるのに。それも波です。いつか掲示板でも話題になったことがあったかと思うのですが、それは自分のせいではなく、そういう「時期」にいるんだと思って、あんまり気にせず過ごすこと。生きて死ぬ、大きな流れの中にいる私たちですから、揺れずにいることはできません。波を知って、うまくつきあってゆけたら良いですね(^^)2004.7.5***********過去のコピーだとすぐですが・・・実際文章を書いていると、息子が泣いたりして中断されてしまいがちです(^^;下書き機能があったらいいのに(涙昨日の2つの文もそれぞれ書き足してますので、よろしかったらお読み下さい^^
2007年02月19日
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この「マグダラのマリアと聖杯」、邦訳には「タロットカードの暗号を解く」という副題(副副題?)がついています。最初は「レンヌ=ル=シャトーの謎」を読もうと思ったのに、ついこちらを手にとってしまったのは、それが理由。この作者によると、タロットカードは「フランスのアルビジョア派における、フラッシュカード式の教理問答書」なのだそうです。本の中では実際のシャルル6世版の図版をあげ、一枚ずつ解説をしています。それを見ると、ちょっと強引かな、というところもありますが、確かに筋は通っていますねー。作者はタロットの順番も、異端として迫害されたアルビジョア派の歴史を表していると言っています。アルビジョア派、というのは南フランスに広まっていたキリスト教の一派です。もともと南フランスというのはキリスト磔刑後にマグダラのマリアとその子が流れ着いたところでは・・・という背景があるのですが、キリスト教でありながら、大地母神信仰に近いものも持っています。唯一絶対の男性神を崇めるのではなく、女性の大切さを説いていた、というわけ。このあたりの地方では、色々細かい宗派があったようですが、アルビジョア派(カタリ派)では、なんと女性の伝道師もいたそうです。そうなると、正統派教会としては面白くないですよね。しかも民間信仰ではもともと大地母神の信仰が強く根付いていましたから、脅威を感じた教会はアルビジョア十字軍を派遣して壊滅に追い込んでしまったのです。タロットカードには、《女教皇》(または《女司祭長》とも)というカードがあります。女性が教皇、というだけでもう正統派教会的にはありえない描写。この女性が持っているのは「真実の書」または「トーラの書」と呼ばれ、モーゼの5書ですから、そのあたりはキリスト教、というかユダヤ教なんですが、背後にある2本の柱は陰と陽を現すボアズとヤキンの柱なんですよね。たしかに異教的。。それも、キリスト教の異端派、という色彩を感じます。ちなみに、シャルル6世版のタロットは何枚か欠落がありまして、この《女教皇》のほか《女帝》なども現存しません。女性崇拝・異端の香りがあまりに濃かったから消されたのではないか・・・と作者は推理しています。この本を読んでいて、シャルル6世版にかぎっては、作者の推理が当たっているように感じました。アルビジョア派の教理を隠すのに、もってこいの場所ではありますから。ただご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、タロットというのはいくつもの版があります。スタンダードなユニバーサル・ウェイトをはじめ、トート版、クロウリー版などなど。それぞれに名称や描かれているシンボルが微妙に違っています。ですからすべてのタロットが元は教理問答書であった・・・とは思いませんが、こんな読み解き方もあると思うと面白いですよね。ご興味のある方は、どうぞお手にとってみてください^^
2007年02月18日
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過去のサイトの文章は、もう少し残っているのですが。面白い本を読了したので、今日はそちらのお話を(^^)ことの起こりは、例の「ダ・ヴィンチ・コード」です。今更読んだんですよ(^^;もともと異端信仰や伝説に興味があったので、面白かったです。それでさらに読んでみたのが、「ユダの福音書を追え」という本。これは、失われていたグノーシス派の福音書が発見され、長い月日を経て発表されるまでの経緯を追ったノンフィクションです。で、そうしたら元の「原典ユダの福音書」ももちろん読みたい。一神教と思っていたキリスト教が、原始の状態ではむしろ多神教であったことなどがわかって、とても興味深かったです。確かに、有名なボアズとヤキンの柱などは、陰陽の原理を表していて、一神教の教会にはそぐわないものです。姿や形をかえて、太古の信仰はずっと生き続けていたんですね。そこで読んだのが、この本。「マグダラのマリアと聖杯」です。原書は1993年に出版されていますが、邦訳されたのは「ダ・ヴィンチ・コード」が出た後のようですね。「ダ・ヴィンチ・コード」でも、キリストは結婚していた、と出ていましたよね、たしか。「原典ユダの福音書」でも、そういった記述がありました。こちらの福音書の主役はユダなので、マリアは脇役ではあるのですが。。キリストが結婚していた。これってすごい衝撃です。正統的キリスト教会では、キリストは生涯独身を貫いたことになっていますし、そもそも聖母マリアから処女懐胎で生まれたということになっていて、性とか結婚とか、そういった人間の営みは抹消されているんですよね。でも、それってなんかしっくりこないなあ・・・とずっと思っていました。なんかこう、手が届かない輝く聖家族ではあるけれども、片手落ち、な気がしたんですよ。なので一神教はあまり好きではなく、どちらかというと多神教や陰陽道などを身近な感じに思ってきました。それが、これらの本を読んでかなりすっきり。キリスト教でも、現在の正統派のものではなく、むか~しの原始キリスト教なら理解できます。世界は男性原理と女性原理のふたつで成り立っている。心理学的にもしっくりきます。キリストにはマグダラのマリアというお嫁さんがいて、子供もいた。その子供の行く先は、メロヴィング朝のお話になったり、黒い聖母のお話になったりと、また壮大です。書き始めると止まらないので、それはまたいつか(笑)
2007年02月18日
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最近わりと人気の、「水に言葉をみせて、凍らせて結晶の写真を撮る」という本をご覧になったことがありますか?不思議なもので、「ばかやろう」という言葉を見せた水の結晶は汚く、反対に「ありがとう」という言葉を見せた水はすばらしく美しい結晶になります。日本に限らず、「言霊信仰」というものが各地にあります。発したことばが真実になる、という信仰ですね。あらゆる呪文や祭文などは、その考えをもとにして作られていると思います。悪いことばは言ってはいけない。相手も、そして自分自身も傷つけてしまうから…。とても素直でシンプルな考えです。今は言葉がどこにでもあふれ、その力を認識する人は少なくなってしまいましたが、本当は誰にでも使える力なのだと思います。「やまとうたは人のこころを種として、よろずの言の葉にぞなれにける」で始まる古今集の仮名序は、こう言います。「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をもなぐさむる」と。言葉はとても難しいもの。うまく使いこなせるようになりたいものです。2004.6.8
2007年02月17日
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何か事件があるとよく言われること。「普通の家庭の普通の子が、どうしてこんなことをしたのかわからない」……何をもって「普通」と言っているのかわかりませんけど。普通の子だって、何かしら悩みや不安があるに決まっています。私は、加害者を弁護したいわけではありません。もし私が殺された子の母親だったなら、刺し違えてでも相手を殺してやりたいと思うでしょう。知識は本で得たのかもしれません。でも、加害者には自分を止める力も、殺しをしたらどうなるか、という想像力も足りなかった。世の中には「サイコパス」という特殊な人もいるらしいですから、一概には言えませんが。けれども加害者がそういう人種でなかったなら、悩みも叫びもあったはずです。それは、周囲には取るに足りないことだと見過ごされていたかもしれません。でも、いくら周りから見て「取るに足りない、ささいなこと」であったとしても、本人の心がそれで占められていたなら、それは重大事件なのです。その重さは本人だけが決められるものであり、他人がどうこう言えるものではありません。いつかその悩みを抜けたとき、「自分はなんてちっぽけなことで悩んでいたのだろう」と自分で気づくことが大切なのだと思います。占いを依頼される中で、「こんなつまらない話ですみません」とおっしゃる方がおられます。とんでもない。普通の人の普通の悩み、それぞれが本人にとっては「重要な悩み」なのですから・・・。2004.6.3**********過去の自サイトから転載しています。
2007年02月16日
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◆集合的無意識論◆タロットは当たる、とよく言います。どうしてなんでしょう?実際にやってみるとわかると思うのですが、タロット占いで出てくるカードは、完全に偶然によって選ばれています(もちろん、故意にトリックを使おうとする場合は別ですが)。だからこそ、「一枚の神託」なんて呼び方があるくらいなんですね。神様によって出てきたカード…そうすると説明がつきやすいわけです。「神様」を信じない場合はどうするかというと、今のところ、ユング心理学によって読み解こうとする人が多いようです。「共時性(偶然起こったことが、その人に影響する)」や「無意識」で説明してゆくわけですね。フロイトやユングの心理学では無意識をとても大切にしますが、特にユング心理学では、「集合的無意識」という概念をもっています。難しい言葉ですので、ちょっと説明致しましょう。こんな意見もあるんだなあ、というくらいにお読みくださいね。たとえば、地球上の色々な場所のおとぎ話、意外と似たようなお話が多いのはご存知でしたか?わかりやすいのは、子供を食べてしまう魔女の話でしょうか。グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」もそうですし、日本のお話でも、道に迷った子供を泊めてくれたお婆さんが、夜中に舌なめずりしながら包丁を研いでいた、なんていうのがありますね。仏教の昔話ならば、鬼子母神がこれにあたるでしょう。ここにあるのは、「子を食べる母」のモチーフです。母親というのは包み込むように子供を守り、育てるものですが、その思いがいきすぎて子離れできないと、逆に子供を飲み込んでしまうのですね。飲み込まれた子供は息苦しく、自分の芽を育てることができません。いつまでも母親のお腹の中にいるかのように、一体にくっついて離れられない。マザコン、といったりしますね。もちろん離れられないのは精神的な現象ですが、これを目に見えるように描写すると、「食べる」になるわけなのです。このモチーフは、母と子のいる社会ではどこでも成立します。国が違おうが地域が違おうが、母親の基本心理にそう違いはありません。当然、私達の無意識下には、それが刷り込まれています。もちろんこのモチーフはタロットにもあり、《女帝》がこれにあたります。基本的には母性や豊饒をあらわすカードなのですが、他のカードとの兼ね合いや位置によっては、「強すぎる母」と読むことがあります。つまり、人間として共通にもっている無意識の情報――それを、集合的無意識、と呼ぶのです。ユング心理学ではさらに、この「集合的無意識」は深いところで人間同士つながっている、とします。個人個人が同じ物を持っているだけではなくて、それぞれがつながっている、とするんですね。そこで、タロットカードの話になります。たとえば、あなたが自分のことを占う。自分の未来ですから、自分の無意識がカードに投影されていると考えられます。意識はしていないけれども、様々なちいさな情報が脳の中には蓄えられていて、カードを選び出すときには無意識のうちに「その情報の集積」になるものを選び出している、と。自分では気づいていなかっただけで、未来につながる情報は持っているというわけですね。元々自分の中にあるものを外に出していくわけで、これはまだわかります。それでは、他人を占う場合はどうでしょうか?まったくの初対面・もしくはメールでのやりとりだったとします。あなた個人の無意識に、いくら探したって相手の情報なんかあるはずがありません。それでも、カードは当たる。相手からは、「どうしてわかったんですか」なんて言われたりします。これはなぜでしょうか。ここで「集合的無意識」が出てきます。集合的無意識では、あなたも相手もつながっている。そこへアクセスすることで、まったく知らない相手の情報でも、相手個人の無意識→集合的無意識→あなた個人の無意識、というルートを通してカードに投影することができるのではないか……というのが、ユング心理学を使った考え方です。この考え方ですと、相手の性格や思いなどの情報に関しては説明ができますが、未来に関してはどうか、という疑問がでてきますよね。無意識の中に蓄えられた情報を分析することで、かなりの確率で未来が出てくるんだとか、オカルト的なところではアカシック・レコードにアクセスするとか、色々説はありますけれども、本当のところはわかっていません。私個人で賛成する説はありますが、まあ「それはそれ」で(^^;色々な考え方があっていいんじゃないかなあ、と思っています。ただし他人に対する「占い」はともかく、自分の無意識を投影するには経験上の定評がありますので(占ったことのある方はおわかりでしょう。ご自分の希望がそのまま出ちゃったりしませんか?)、一部のユング心理学者では、心理テストや治療の一環としてタロットカードを取り入れる派もあるようです。カードには様々な象徴の意味があり、読み取り方も時によって様々。確かに、ロールシャッハやTATなどの「投影法」と呼ばれる心理テストに通じるものはあるような気がします。
2007年02月15日
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◆カバラとの関わり◆カバラは、ユダヤ教の秘教的伝統です。その基本は22のヘブライ文字で書かれた聖書(世界のすべて)を数秘術的操作の上で解読するという、それだけでとんでもなく奥の深いもの。ここではちらっとだけ簡単に、タロットとの関わりについてお話しましょう。 いわく。「ユダヤ教司祭の支配権がイスラエルから失せ去ったとき、賢者のうちの最も柔和な最も人から愛される者の口を借りて語りかける人間と化した「言」の前に世界中の託宣がすべて沈黙したとき、約櫃が失われ、そして神殿が取り壊されたとき、「エフォド」と「テラフィム」の秘儀は、もはや黄金版や宝石の上に描かれなくなり、幾人かのカバリストの賢者だちによって象牙や、羊皮紙や、銀色や金色に染めた革の上に書き記されるだけになり、というよりも象徴的に表されるだけになり、そして最後はただのカードの上に描かれるだけになってしまったが、それでもなお秘儀の危険な鍵を含むものとして、公けの「教会」から白眼視されつづけたのである。ここから「タロット・カード」が産まれたのである」(『高等魔術の教理と祭儀 祭儀篇』エリファス・レヴィ著 生田耕作訳)…はい、眠くなりましたか?(^^;つまりレヴィ氏によれば、ユダヤ教の秘儀が失われかけたとき、それを象徴にたくしてカードに書き記したのがタロットである、というわけです。ゆえに、タロットは『神秘の鍵』であると。ヘブライ語の22文字と、大アルカナカードの22枚には、確かに似たところや照応性があります。けれども、それがカバラの神秘をさえ表したものであるとしたのは…これもまた、実は一人の人間の「直感的発見」が元だったのです。ちょっと曖昧だな~、思いつきで歴史作っちゃっていいのか、と思われるでしょう。でも、ちょっと視点を変えてみると、大切なことがわかります。そんな突拍子もないような直感を、受け入れて成長してしまう余地と土壌が、タロットにはあったということです。このこと自体が不思議ですよね。ともかく、この直感は多くのオカルティスト達に受け入れられ、さらに磨かれていきました。かの有名なる「ゴールデン・ドーン魔術教団」の秘儀に組み入れられ、ライダー版やトート・タロットといった、デッキの種類も増えました。元々はゲームに使われていたタロットは、こうしてより複雑で精緻な理論によって読み解かれ、神秘の象徴としてたくさんの意味を持っていくことになったのです。
2007年02月12日
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◆起源◆タロットの起源、実はあんまり神秘的じゃなかったりします。昔はイタリア説、エジプト説、ジプシー説など、色々ありました。でも最近の研究では、15世紀の北イタリア諸都市で生まれた、と推測されています。意外と新しいな、とお思いになりませんか?古代エジプトの秘儀が書かれているとか、ジプシーの秘密が詰まっているとか、そういった言い伝えは、どうやら後世に出てきたもののよう。元々は、ルネサンス時代の貴族達が遊びに使っていたプレイング・カードでした。言い伝えの方が、神秘的で素敵なんですけどね…(^^;そのプレイングカードが、いつごろから占いに使われだしたかと言いますと。これはさらに新しくて、18世紀の終わりごろです。カードゲームとしてのタロットが発明されたのが15世紀、それが17世紀くらいに流行のピークを迎え、その後遊びとしては衰退したのですね。特にフランスでは、遊びのカードとしてはほとんど忘れ去られていたようです。18世紀の終わり、フランスのプロテスタント牧師で学者だったクール・ド・ジェブランという人が、たまたま異国からの人が遊んでいるタロットのゲームを目にしました。これが、タロットにとっても大きな出会いだったのです。ジェブラン氏はタロットを一目見た瞬間、直感的にひらめきました。このカードが、失われた文明の深遠な知識をシンボルとして伝えている、古代エジプトの「本」であると。これがエジプト起源説のはじまりです。10年くらい昔に読んだタロットの本には、堂々とこれが書いてありましたねぇ。かなり長い間素直に信じてましたから、実はこんなに新しい「起源」だったと知ったときは驚きでした。そのころはまだロゼッタストーンも発見されていず、古代エジプトについてはほとんど知られていませんでしたから、それもタロットの神秘化に一役かったのでしょう。その後タロットは占いに使われるようになり(これはパリが最初だと言われています)、ルネサンスの波にのって、ますます神秘化されてゆくことになりました。◆◆◆◆◆上記は2004年に自サイトに書いたものですが、その後色々本を読んだりしているとタロットの起源はともかく、シンボルはやはり興味深いものがあります。代表的なものが、キリスト教にとっての異教的シンボルを埋め込んでいるというもの。《女教皇》の背後に立つボアズとヤキンの柱など・・・数え上げたらきりがありません。中世のカタリ派やアルビジョワ派など、女性崇拝を残した教派や錬金術師たちのかかわり。「ダ・ヴィンチ・コード」にもありましたよね~。このあたりは関連の本を今読んでいますので、また稿を改めて。
2007年02月10日
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私の占いでは、タロットカードを使用しておりました。「運命の流れ」と「自分の意志と過去の流れ」、「タイミング」があって未来ができてゆき、タロットはそれを映し出すわけですが、そういった説明はほんとに立派なものが尊敬するサイト様にあるので、ここはキワモノ狙いで(をい)。……というのは冗談です。結構真面目に書いてます(^^;こういう説もあるのね~、という感じでお気楽にどうぞv◆タロットって?◆タロットカード。遊戯室にも自動占いがありますが、一度はどこかで目にしたことのある方が多いのではないでしょうか。横にした8の字があったり、人物の後ろに何かの字が書いてあったり、なんとも不思議な図柄です。タロットで有名なのは、この大アルカナと言われる《魔術師》や《愚者》の絵札22枚でしょう。これだけで占いをすることもできます。一般的には、それに小アルカナと言われる56枚の札をあわせてフルデッキとなっています。小アルカナは14枚ずつ、4つのスート(組)に別れています。基本的には、「剣」「棒」「聖杯」「金貨」の4つ。エースから10までの番号札と、キング、クイーン、ナイト、ペイジ(従者)の4枚の絵札からなっています。現在のトランプにも、ハートやスペードがありますね。小アルカナはトランプの起源と言われているんです。(^^)そしてこの小アルカナ、それぞれのエレメントにも対応しています。ソード(剣)=風/知性・情報 →スペード(トランプ)ワンド(棒)=火/意思・目的 →クラブカップ(聖杯)=水/感情・感覚 →ハートペンタクル(金貨)=土/物質・現実 →ダイヤ四大エレメントに対応しているということは…そうです、季節やら方角やら、様々なことに同時に対応しているということ。占いの時には、これを考慮しつつ読み取ってゆきます。ちなみにカードの種類は、マルセイユ版やライダー版、トートタロットにエジプシャンタロットなどなど、数え切れないくらいあります。なんと、丸いカードもあるんですよ!このタロットカード、いつごろできたものだと思われますか?古代エジプト、ユダヤの秘術、ジプシー占い……色々な想像が浮かんできますね。ここでは、その起源について、簡単にお話ししていこうと思います。
2007年02月08日
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占いって、ひとつの道具です。だから、うまく使うことがたいせつ。カウンセリングなどといって、全部話してしまったら占いにならないんじゃないか…という方もおられると思います。けれども本当に大切なことは、「◆◆◆」をご利用いただくことによって、ご相談者様が少しでも楽になること、そして歩きだす力と指針を見つけること。私はそう思います。こころの奥底に溜まってしまった澱を吐き出していただき、それを共感をもってお聞きすることも、たいせつな仕事なのです。心理的カウンセリングと鑑定を組み合わせ、辛いことや不安なこと、なんでもお聞きいたします。ご遠慮なく愚痴って、お気持ちを吐き出してくださいませ(^^)占いではそこから先、またはその問題の本質など、深いところを読み取ってゆきます。カウンセリングの機会は鑑定結果送付時と、ご依頼いただいた鑑定の数ぶんのフォローメールになります(2件ご依頼いただくと、フォローも2回になります)。どこかへ吐き出したい、でも誰にも言えないでいる。そんな方は、ぜひご依頼フォームの時点から、ご存分にお使いくださいませ。たいせつに伺って、お返事させていただきます。特別な料金はかかりません。どうぞ安心してご相談ください。◆ ・ ◆ ・ ◆ ・ ◆ ・ ◆ ・ ◆ どんなに優秀な占い師だって、百発百中とは限りません。それが絶対ではないのです。いい結果/悪い結果が出たからといって、それに縛られていては結局の所、幸せは逃げていってしまいます。いつでも、歩くのはあなた。占い師は、ほんのちいさな灯りをともすことができるだけです。けれども、あなたが悩みの中で、もうどうしようもないと闇に沈みかけるとき。道も目的も見失って、世界がうつろに見えてしまったとき。あなたのそばに、そっと寄り添うことはできます。あっちへ行けば光があるよと、お教えすることができます。あなたが頑張ってきたことは、魂にきざみこまれて、きっと報われてゆきます。とても素敵な貴方になって、悩みの闇から抜けられるように。ほんものの光を見つけられるように、お手伝いをいたします。一緒に歩いてゆきましょう(^-^)(※注 2004年記:サイトはすでに閉鎖しております)◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 一口に占い師といっても、いくつかのタイプがあります。「このままだと○○になるから、△△しなさい」ときっぱりはっきり言う人。命令みたいなことは言わず、淡々と占い結果だけを言う、というタイプもありますね。占断も言うけれど、相手の話を聞くこと、相手自身に立ちあがらせることを重要視するカウンセリングタイプもいます。私は、3番目。カウンセリング型です。ある意味、「ほんとに占いかよ? 本人に聞いてるだけじゃねーの?」と言われる可能性が高い方式ではありますが。。私の場合は大学で臨床心理学を専攻していたのもあり、カウンセリングが自然な流れでした。それに、大事なのは「占い」そのものじゃないと思うのです。今苦しんでいるその人が、占いを依頼したことによって少しでも前へすすむこと。すべての可能性を閉ざされてしまっていると悩みに悩んでいる人が、新しい光に気づくこと。それさえできればいいのであって、目標に到達するならば、手段にはこだわらなくともいいのでは、と思います。まあ方式はサイト上に、上記のようにどーんと載せてましたから、気に入らない方はそもそも依頼しなければいいわけで(笑)。占い師ってたくさんいますから、そのへんは好みを探せばいいと思います。一番上にも書いたように、占いはひとつの道具。こうしなさい、という託宣ではないのですから、要は、あなたの使い方ひとつなのです。
2007年02月06日
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あなたが 闇の砂漠を歩くとき星もなく羅針盤もなく 寂しさの底に囚われたときほんのちいさな灯りを 占いはともしますこのまま歩くなら こういう場所に着くよと。人生という道を 歩くのは あなた先に隠れるオアシスを どれか選ぶのも あなたけれど 忘れないで あなたは一人じゃない見つけてください あなた自身をあなたの 歩むべき道を。**************************************先日から、懐かしついでに昔書いたものを読み直していたりします。以前ネットで占い師をやっていたころのサイトを読み直してみたら、これもまた、結構がんばって書いていたりして(笑)それらは公開していたものでもあるし、こちらでもう一回アップしてみようかな~~~と思ってみたりしています。とはいえ、それほどの分量もないのですけどね。よろしければお付き合いくださいませ。上の詩は、サイトトップに近いところに載せていたもの。「占い」について、私の考えていることです。このへん載せたら、以前サイトを見たことがある方にはバレそうなんですが・・・(笑)それもまたよし。大切なお金を払って依頼してくださったクライアントさん達のこと、今でも忘れた事はありません。どうされているかなあ、元気で、幸せでいらっしゃるかなあ・・・といつも考えています。もし、あれ?と思いつかれた方がいらっしゃいましたら、ぜひお声をかけてくださいね。次回は、「占いの使い方」について、載せてみたいと思います。
2007年02月04日
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