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昭和五年(1930年)五月二十一日、運送業を営む父・半藤末松と、産婆のチヱの長男として、隅田川の向う側に生まれました。親父は自分の名前から一字とって「松男」にしようとしたって言うんだけど、「一利」と名づけられた、理由は知らねえ。東京市はまだ十五区しかないころで、私が生まれた今の墨田区あたりは、東京府下南葛飾郡吾嬬町大字大畑といって、見渡しても田んぼと畑と野っ原ばかり、やっと人が住み始めたような田舎でした。これが、語り出しです。所謂、 べらんめェ ですね。この辺りはまだおとなしいのですが、だんだん調子に乗って、関西人には、ちょっと耳障りです。まあ、慣れますけど(笑)。
昭和七年、三十五区に増えたときに向島区ができて、晴れて東京市民になれた。「大畑生まれ」といってももう誰もわからない、だから「向島生まれ」と言うんです。
終わりに というわけで、おそらく、 『こころ』 という初出誌の連載終了の挨拶でしょうね。最後は越後弁で、生涯最後の語りを終えられていました。
これでお終いです。
それで、ここは、また司馬遼太郎さんに倣って、「余談ながら」をもう一言、ということになります。
小林一茶の句に、こんな妙なのがあります。
この所あちゃとそんまの国境
俳句なのか川柳なのか、何のことやらと思われるでしょうが、「あちゃ」は信濃方言、「そんま」は越後方言で、ともに“さよなら”(いや、「あばよ」かな)の意味なのです。一茶らしい方言が活かされたしゃれた句ではないでしょうか。
わたくしは本年五月で九十歳になりました。だれかが歌った流行歌の文句に「思えば遠くへ来たもんだ」という一節があったのを記憶しています。それをもじって「思えば長く生きたもんだ」であります。そのお陰で、まことに長いこと『こころ』誌に拙いものをかきつづけてまいりました。読者の皆様には飽きずにお読みいただけたことと勝手に考え、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
そして最後に、越後長岡にゆかりのあるわたくしは、
「では、そんまそんま」
とご挨拶して、お別れしたいと思います。
そうそう、そうですよね! と、ひざを打つ思いがしたエピソードをご紹介しますね。
話は三十年ほど前になりますが、ある女子大の雇われ講師を三カ月ばかりやったとき、三年生を五十人ぐらい教えたのですが、一方的に話すんじゃなくて、若いあなた方が何を考えているのか、授業の最後の十分ぐらいでアンケートを出すから答えてくれないか、とお願いして、 「戦争についての10の質問」 というのを出したんです。 この後、 半藤さん は 「歴史に学べ」 じゃなくて
その冒頭で、 「太平洋戦争で日本と戦争をしたことがない国は? aドイツ bオーストラリア cアメリカ d旧ソ連」 という質問をあげたところ、回収して見るとアメリカを選んだ人が十三人いた。さすがにおったまげてよ、オーストラリアはわかるし、旧ソ連はもわからなくはない、でも、アメリカを選ぶのはねえ。次の授業でこの十三人に、私をおちょくるためにアメリカに〇をつけたのか聞くと、まじめに答えたのだという。
なかで手を上げて質問をした子がいて 「どっちが勝ったんですか」 。そのときはほんとうに教壇でひっくり返りましたよ。本気でそう思っているのかと。(P162)
「歴史を学べ」 だと喝破なさっているのですが、引用は三十年前の話です。ボク自身、週に一度だけ、中学とか高校の国語の教員を目指している女子大生と出会っているのですが、 半藤さん の、このエピソードはほんとうにリアルですね。
漱石も清少納言も鴨長明もみんな昔の人。 で一括りです。
追記
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