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今日は、久しぶりのハローワーク同行。 あれっ…? ってくらい旦那は何事も無かったように普通にしていてくれている。 やっとわずかでも、平和な時間を過ごしている。 父は、左側に腫瘍があり痛みを訴えていたが、最近右側にも痛みを感じるようになった。 転移したのかもしれない。 先週金曜日に、四国の父の兄夫婦が見舞いに来てくれた。 金曜日の夜は泊まり込んで付き添ってくれた。 土曜日は一日中一緒に過ごしてくれた。 日曜日に、キリがないからと帰って行った。 叔父も叔母も暑いのに本当によく来てくれた。 私が父にしてやりたかったこと…叔父叔母のおかげで実現した。 すっかり痩せた父、この頃眠っているかテレビをじっと見ているか、私など眼中にない様子。 話しかけても、答えないことが多い。 食欲も落ちた。 会話も無く、見ているだけというのもつらいもの。 一日置きに病院に行くのだが、最近疲れた。 疲労回復のビタミン剤を飲むようになった。 たくみんも、毎日元気に保育園に通っているが、ここ数日朝預けるときに、大泣きするようになった。 しばらく泣いて落ち着くらしいのだが、先生も私も理由がわからず、首をかしげている。 毎朝、疲労度が増している。 暑さも続きバテ気味なたくママの近況報告でした。
2006年08月31日
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月曜日、眼科の検査を終えて午後8時に「ただいま」と帰って来た。 まず謝らないと…と頭を下げた私に「うん、うん」と頷き「やっぱり手術だって」と手術予約書を見せた。 様子が違う。 いつもなら、ブスッとして口も聞かずに話しもしない旦那。 河村いつきくんがコメントをくれたように、旦那の中で何かが変わったようだ。 私の言ったこと、マイナスに考えずにプラスにしていくような…。なんとも穏やかなたくみん家。 でも、私の中でも何かが変わった。 よくわからないが、旦那を大事にしなくちゃいけないと強く思った。 もし失ったら…とずっと考えていた。 身体を共にいたわり、相手を思いやること。身内というか、親兄弟がいなくなるということ、頼るは旦那と子供2人だけになること。 切実に家族の大切さに気づいた気がする。 仕事をしなくちゃいけないとわからない人間が多い今、ちゃんと負い目を感じてくれていることがわかっただけでも良かったかもしれない。 携帯で書き込んでいるので、自分で何を書きたいのかよくわからないですf^_^;文面が理解出来なかったらごめんなさいm(_ _)m
2006年08月30日
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昨夜、旦那とささいなケンカをしてしまった。怒りをぶちまけるべく、テレビとDVDの2つのリモコンを床に投げつけた。当然のように、電池のカバーがはずれて、電池もすっとんだ。なんか・・・その行為にブチッと切れた私・・・。「今は稼いでいないでしょ!!」とうとう、言ってしまった。絶対に口が裂けても言ってはいけない言葉だったのに。言ったら傷つくから、避けていたはずなのに。本人が一番負い目になっていることなの・・・わかっているはずなのに。言ったあとに後悔しても、遅かった。「だったら俺はここに居れないから出ていくよ」と、実家に行ってしまった。昨夜は、眠れない夜を過ごした。私が悪い。私が悪かった。なんてひどいことを言ったんだろう・・・・・今朝も、気分が優れず落ち込んでいる。義母に、車の鍵を渡し、今日は病院で検査してもらう日だから行くようにと伝えてきた。もちろん、義母にも叱られた。当たり前だ。「いつ言われるか・・・とずっと思っていた」と「とうとう、言われたか・・」と話していたらしい。そうだよね、私には思いやる気持ちなんて全然無かった。父の病院に行く日には必ず一緒に行ってくれて、掃除に買い物、たくみんの世話から送り迎え、ゴミ捨てに犬の散歩にトイレの世話。何でも、よく動き、優しく気を使ってくれている旦那。・・・に対して、こんなひどい言葉を言ってしまって・・・。どうしよう・・・天気と一緒。気持ちがどんよりしてしまった。精神的に私少し、まいっているのかなぁ・・・。今更反省したところで、言ってしまった言葉ってもう、消えない。旦那の頭の中には、くっきりと残ってしまった。ごめんなさい、ごめんなさい。心の中でずっと言い続けても、旦那には届かない。きっと聞く耳持たないよね・・・
2006年08月28日
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昨日、旦那は無事夕方には帰って来た。検査やレントゲンの結果は問題ないらしい。 もしも痛みや腫れが出たなら、また来てくださいと帰されたらしい。 ホッとする間もなく「明日、眼科に行って来ようかな」と言う。 旦那は、本当に病気持ちだ。涙腺がつまり、涙が出ない。定期的に押し出している。やはり、以前の事故が原因らしいのだが…。 結局、今朝から病院に向かいさっき帰って来た。 浜松の病院を紹介され月曜日にまた検査するという。 あとはどこが悪かったっけ……?と、言いかけて飲み込んだ。 今まで休まず、真面目に仕事をしてきた旦那。 多分、自分の中ではずっと気になっていたことなのだろう。 金銭的に非常に厳しいが、先々入院されることを考えれば貯蓄を崩してでも、全部治しちゃえ!と思った。 なんなら人間ドッグに入ってみたら……?と言いかけて飲み込んだ。 そこまでの余裕は、残念ながら無いですから……。 ホントは旦那も私も身体中を検査しなくちゃいけない年齢になって来たのだが。 医療費、もっと安くならないかなぁ……
2006年08月24日
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約2ヵ月近く、ちっとも更新出来ませんでした。ごめんなさい。お察しのとおり、まだ、旦那は就職しておらず・・・汗3度の食事の支度をしながら舌打ちしているたくママです。一週間に一度は、ハローワークに通い、求職情報を見て面接をしたりしているのですが・・・なかなか父の容態の変化や、勤務時間などが折り合わず、足踏み状態です。本日、何故、更新する時間が出来たかというと・・・実は、旦那は私と一緒になる前に、車で大きな事故を起こしていて、顔の頬骨のあたりに2本のボルトが埋まっているという悲惨な状況で・・・先日、歯医者さんでレントゲンを撮った際、そのあたりがもやっとしていて、再度検査をしたほうが良いと話されたというのです。顔面の皮をすべてめくっての大手術だったそうで・・・なので、事故前の写真を見ても今の旦那の顔とは似ても似つかないくらい変わってしまっています。それだけの手術を行ったがゆえに、かれこれ15年近く経つそのボルト・・・当時は埋めたままでいいと話されたらしいのですが、心配になり、今朝5時半にここ静岡から、千葉のお世話になった病院まで再度検査をしに出かけて行きました。いつも捨て身で、俺なんてどうでもいい、どうなったって関係ない・・・みたいなことを言っていた旦那ですが、たくみんが生まれてからは、やはり自分の命を大切にする気持ちが芽生えたようで、いやいやながらも病院に向かう姿は、なんとも立派に父親しているなぁ・・・と妙に関心してしまったたくママでした。旦那の両親も、そしてもちろん私も、そのことはずっと心配のタネの一つだったので、しっかり検査してもらい今後に影響が出ることがないことを祈ります。検査の結果を聞くのも怖いですが・・・今は何をどう考えても仕方ないことですね・・・。父は、がんセンターに入り、穏やかに日々を過ごしています。夏休みに入り、四国にいる従兄弟が娘を連れて見舞いに来てくれて、父を励ましてくれました。ちょうど自宅の近くにある千歳橋の土手で2日間の花火大会があり、頭上に大きく花火が上がります。昨年、こちらに引っ越してきたばかりで見たときには、毎年こんな花火が見れるなんて・・・なんて幸せなんだろう・・・と堪能した本当に田舎のわりには立派な花火大会。従兄弟たちと我が家にとっても最後の花火大会は、父のことも含めて、人生の中で大きな思い出に残る出来事になったでしょう。従兄弟たちが、帰ると翌日には、私の息子の翔太が父の見舞いに、これまた夏休みを利用して来てくれました。一緒に暮らしていたころには、電車にさえ一人では乗れない「子供」だった翔太も、しっかり一人で新幹線に乗って会いに来てくれた・・・!!1年半ぶりに会う息子は、私よりも身長が伸びて、今どきのお兄ちゃんになっていました。ズボンを腰に引っ掛けてはき、背中を丸めてガニマタで歩く。髪は少し長めに、金に染めていた髪を父親に会ったらマズイと黒に染めて来たと・・・。前髪には、何故か2本のヘアピンを並べて留めて・・・。彼らなりのファッションなんだろうと、呆れるよりもかわいくてかわいくて、生意気なその姿が妙に大人びて・・・でも、本当にかわいかった。それでも、会話をすればしっかりと大人の会話が出来て、思う以上に大人になっていることに安堵感を感じました。「そっか・・・じいちゃんに会うのもこれで最後かぁ・・・」とうっすらと目に涙をためて、一週間毎日、私と父の病院に通い詰めてくれた翔太。何を語るわけでもなく、父のベッドの側にジッと座ったままの時間・・・息子は何を思うのか、父は何を思うのか・・・男同士の無言の会話が成立していたようにも思えました。でもね、そうやって父の見舞いにわざわざ来てくれる気持ちがあったこと、それが私には一番嬉しい出来事でした。どこに行くにも「かったるい」「めんどう」な息子。この炎天下の中、本当に嬉しかった。会えた嬉しさに、大人になっていた喜び。子供は本当に魔法をかけてくれますね。頑張らなくちゃ!!と、ついつい思わせるような翔太の魔法にかかってしまいました。幸い、旦那も気を使い、翔太と会わずにいてくれたので、本当に良い時間が過ごせました。父は・・・当初は、飲み薬で痛みを緩和してきましたが、やはり追いつかない状況になり、点滴タイプの24時間ゆっくりと効いてくる薬に変えました。それでも時折、痛みが強くなり、看護師さんを呼ぶことも増えました。「レスキュー」とかいう一気に投薬するボタンがあるらしく、それを1日に何度か行ってもらって痛みに耐えています。でも、一時間に一度くらいは看護師さんを呼んでいるので、やはり相当な痛みが出てきているのかな・・・無言で看護師さんを呼ぶボタンを押すので、私にはわかりません。それでも、食事をしている最中でも、テレビを見ているときでも、突然動きが止まり表情がこわばることで「あ・・・痛いんだ」と、最近私にも少しわかるようにはなりました。やけに、私、クールに書いていると思いませんか?実は、従兄弟が来たときにかなりショックな事実を聞かされたのです。私には、四つ下の弟がいます。恥ずかしながら、現在、借金を背負っていて姿を消している状況です。父や母が元気だったころから、お金を搾り取り、ロクな人間じゃありませんでした。父を我が家で引き取ることにしたのも、弟と二人で暮らしていたにも関わらず、あまりにも父の面倒を見なくなったこと、父の財産を使い果たしたこと、病院に入れて自分は消息不明になったこと・・・が原因です。父の財産っていっても、年金だけなんですけどね・・・全部使われてしまいました。「あいつには、愛想が尽きた。お前のところに世話になる。もう、あいつとは縁を切る」と言ってこちらに来た父。でもね、心の中は弟のことが心配で、弟のことばかりを気にしているのです。それは、どんなに献身的に私が尽くしても、かなわないくらいの愛情です。ここにいてベッドに横になっていても、私が話しかけても、頭の中はいつも弟のことだけ。私が意地悪をして弟に会わせないようにしているとすら思っているのです。それは、先ほど書いた従兄弟の話に結びつくのですが・・・最近、大人になった「私」いろいろな世間のこと、自分の生い立ちのことなど振り返ったり考えたりします。弟がまだ赤ちゃんだったころ、父はラーメン屋を母としていたのですが、忙しい最中に泣き出すと、私が殴られました。まだ4歳の私。だけど、忙しい中で弟を泣かせることがどんなことなのかくらいは理解していたと思います。それでも、赤ちゃんは泣くのが仕事。そんなことだけで・・・鼻血がブォォォ・・・と出るくらいに強烈に殴られました。弟は生まれつき身体が弱かったらしく、何度も死にかけたらしいのですが、本当に大切に大切に育てられたらしいです。で、私はといえば従兄弟がわから見たら、何故姉(私)にはそんなに冷たいの?・・・ってくらい愛を注いでもらえなかったらしいです。本当に私に対しては、父も母も冷たかったらしく、親戚側としても、何度も「かわいそうだから」と助言してくれたようなのですが、変わらなかったそうです。ここのところ、旦那といろいろな話をしている最中に、そういえば私はいつも母親の愛情を知らないなぁ、育ててくれたおばあちゃんがいたけれど、おばあちゃん子だったんだなぁ・・・おばあちゃんが亡くなったときには、たくさん泣いたけれど、不思議と母親が亡くなったときには、あまり涙が出なかったなぁ・・・なんて。思い返せば、父や母と過ごした時間・・・記憶にないんです。休日も、いつも友達と暗くなるまで、遊んだことしか・・・親と何かしたという思い出がないのです。実家は、貧乏でしたから、高校生になったころから私はバイトばかりして、原チャリ、車、みんな欲しい物は自分で買いました。でも、弟はいつも父におねだりしていたなぁ・・・。過ぎたことですけどね・・・。そんなこんな・・・いろいろ気持ちが今、複雑です。相変わらず、弟の携帯は呼び出しているものの出ず・・・父が生きている間に会わせたいと願うも叶わぬ夢で終わりそうで・・・。最近は、こんな状況です。そして、最後にたくみんは毎日とても元気に保育園に通っています。せめて最近のちょっとお姉さんになったたくみんの姿をお見せしたかったのですが、時間がないのでまた、次回に・・・。気持ち、複雑でどうコントロールしていいのか自分でもよくわかりませんが、とにかく最後まで父を看ることに変わりはないのでこれからもブログに残すつもりではいます。いつ更新できるかわかりませんが・・・足跡を見るといろいろと顔を出してくれているのがわかり、本当に嬉しいです。見捨てずにいてくれている気持ちがとても嬉しいです。ありがとうございます。たくママ、感謝の気持ちを忘れずにこれからも更新しますので、ヨロシクお願いします
2006年08月23日
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