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もうそろそろ佐野研二郎氏は、自分から東京五輪のエンブレムデザインを、引き下げたらどうなのだろうか?いまやSTAP疑惑の小保方晴子さんと同列に論じられるこの問題は、ますます広がりを見せている。なにしろ「週刊文春」も「週刊新潮」も、出来レースの疑いまでもち出してしるのだ。盗作側から法的手段を取られると、刑事罰になるという。そんなデザインでは日本人全員が困るのだ。サントリーのトートバッグ「BEACH」は、どう見てもそっくりだし、東山植物園のマークも、コスタリカ国立博物園のマークと瓜二つだ。恐らくネット上では、まだまだそっくりさんが探し出されるかもしれない。もともとデザイン界は盗作がまかり通っている世界であり、その上師弟関係が根強い。というのも弟子がつくったものを、師匠の作品にすることなど当たり前なのだ。今回も佐野氏の上には、超有名な佐藤可士和氏がいる。同じ芸術でも、師弟関係がつながっていない小説家の分野があるが、このデザイン業界は書道界そっくりだ。上からの引きがあれば、いくらでも出世できる。サントリーのトートバッグのデザインは、本人も引き下げたが、1つを盗作と認めた以上、ほかの類似作品を「盗作ではない」というのはむずかしいのではあるまいか? 東京五輪組織委員会は「問題なし」といってしまったが、このまま済むとは、到底思えない。佐野氏本人が取り下げることで、とりあえずパクリ騒動の鎮静化を図るしか方法はないのではあるまいか?それにしても、どの作品も本物によく似ている。そっくりだ。パクリ大賞を差し上げてもいいくらいだと思う。
2015/08/21
今年は日本の敗戦70周年に当たる。私の戦時中の記憶も定かではないが、新聞記事を見ても相当間違えている。70年は長い年月だった。つい先頃も脚本家倉本聰の日経新聞「私の履歴書」で、国民学校(現在の小学校)に配属将校がいた、と書いていた。陸軍の将校は軍事教練のために配属されたので、小学校ではなく中学校以上だった。おまけに彼は、特攻攻撃が始まっていない時期に、その将校から特攻志願を強制されたと書いていた。この重大な思い違いを記事にした日経社員も誤りだと知らないのだろう。私はこの大戦を指導し、国際裁判によって絞首刑にされた7人の死刑囚の最期のサインの写しをもっている。絞首刑になる直前3分前の署名だが、さすがに震えを帯びている人もいる。その署名は、その前に書き遺した「遺書」のサインと大きく違っていることでもわかる。私はつい最近まで、戦争指導者であるこれらの将軍でも、処刑3分前ともなると、恐怖で手が震えたのか、と思っていた。ところがいろいろ調べると、字が震えているからといって、死を恐れていたのではない、と知ったのだ。東条英機元首相をはじめ6人の軍人(1人は民間人の廣田弘毅元首相)の中には、無念の気持ちをもっていた人、後悔の念を抱いていた人もいる。「申しわけなかった」の心を抱いている人もいたという。それらの気持ちから、筆がさまざまに乱れたと思われる。私はいつかこの世紀の遺書を、1冊の本にしたいと願っているが、間違った解釈をしないためには、もう少し勉強が必要だと思っている。
2015/08/12
2020年東京オリンピックはケチがつきっ放しだ。新国立競技場のデザインは当初、イラク出身のザハ・ハディド氏の案に決定したが、このほか51案が世界から寄せられていた。またハディド案も、入選デザインから大幅に変更されている。誰がどうしてこんな大幅に変更したのか、週刊誌はそこのところを、変更した設計写真ともども追求したら、面白かろうに。一説には、このデザインでは現実に建築できない、という声もあったとか。かっこがいいという理由だけで決めたとしたら、マンガの世界になってしまう。しかし結局、設計案は最初からやり直しだ。これにつづいて、オリンピックロゴが盗作ではないか、という疑惑がもち上がってきた。こちらはベルギーにあるリエージュ劇場と類似しているという指摘だ。たしかにこれはそっくりだ。色が黒、赤、黄の3色が同じな点と、形そのものも、弁解しようもないくらい一致している。日本のデザイナーは博報堂の気鋭、佐野研二郎氏だが「この劇場のことは知らなかった」といっている。しかしこれが発表されたとたん、大勢の人々から「盗作ではないか?」という声があがったとすれば、知らなかったではすまないのではないかと思う。つい先頃も韓国で三島由紀夫の作品そっくりの小説が、有名作家によって書かれて問題になったが、当初は「読んだこともない」と反論していたが、とうとう盗作を認めた。こんな時期だけに、よけい注目が集まったのだろうが、私はこれは盗作といわれても、仕方がないと思う。それほど酷似している。とはいえ、本人に盗作の気があったかといえばそれは違うだろう。私たちの知識や教養は、先人を学ぶことで成り立っている。だから、自分の意見だといっても、先人の言葉をそっくり借りていることもありうるのだ。だから私は他人の講演会に招かれても出たことがない。いや、数回はあるが、ペンと紙は絶対もっていなかい。書き手、作り手は、どれほど注意しても、し足りることはないだけに、佐野氏は辞退したほうがいいと思うのだが。
2015/08/07
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