偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2012.02.18
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カテゴリ: 銀輪万葉

(承前)

 小塩山から下山して、坂道を下って行くと、建設工事中の京都縦貫自動車道(だろうか?)に出る。これを渡り行くと正法寺の南側に出た。正法寺の境内を横切り、大原野神社一の鳥居前に出る。

正法寺 (正法寺)

 正法寺(法寿山正法寺)は、真言宗東寺派の寺院。鑑真和上の弟子、智威大徳が修業した坊に始まり、延暦年間に最澄が寺院を建立し、弘仁年間に空海が入寺したと伝えられる。
<参考> 正法寺

正法寺 (同上)

正法寺 (同上)

大原野神社(一の鳥居) (大原野神社・一の鳥居)

 往路、通り過ぎた一の鳥居を潜り、大原野神社へ。

大原野神社・二の鳥居 (二の鳥居)

大原野神社・三の鳥居 (三の鳥居)

 大原野神社は、桓武天皇が長岡京に遷都した際に皇后の藤原乙牟漏が藤原氏の祖神を祀るため春日大社の分霊を勧請して大原野に祀ったことに始まる。嘉祥3年(850年)に藤原冬嗣が社殿を造営した。
 この神社は
藤原氏の崇敬篤く、斎王にならい、藤原氏の女子を「斎女」として置いた。藤原氏の一族では女子が生まれると、中宮や皇后になれるようにと、参詣し祈願したという。幸にして女子が祈願通りの地位につくと、美しく行列を整えて参拝したという。
貞観18年(876年)清和天皇の女御となった藤原高子がこの神社に参詣した際に、高子のかつての恋人であった在原業平(当時、右近衛権中将)もこれに従駕し、下記の歌を詠んだという。

  (注)藤原 高子 ( たかいこ ) =藤原長良の女。清和天皇の女御(後に夫人、中宮)となり、
          貞明親王(後の陽成天皇)を産む。通称、二条后。古今集に
          次の歌1首を残す。
雪のうちに 春はきにけり 鴬の
                         こほれるなみだ いまやとくらむ(巻1-4)

   二条后 (      にでうのきさき ) の、まだ東宮の宮すん所と申ける時に、大原野に詣で給ひ
   ける日、よめる

大原や  小塩 ( をしほ ) の山も けふこそは 神世のことも  ( おもひ ) いづらめ
                     (業平朝臣 古今集巻17-871)
  (注)神世のこと=天孫降臨や藤原氏の祖アメノコヤネノミコトの役目のこと
           を指している。これは高子が皇太子の母となったことを祝
           う歌であろう。

 また、寛弘2 年(1005 )3 月8 日には、中宮彰子が行啓、父の左大臣藤原道長、紫式部などもお供をし、その行列の絢爛さは、人々の眼をみはらせたと云う。
   <参考> 大原野神社公式ホームページ

大原野神社・拝殿 (拝殿)

 紫式部も藤原氏(藤原為時の娘)であるから、この神社への思いは特別なものであったのであろう。父の任国越前に暮らした時に、当地の日野山を見ながら小塩山を偲んで次の歌を残している。

ここにかく 日野の杉むら  ( うづ ) む雪 小塩の松に 今日やまがへる
                                   (紫式部集)

 また、源氏物語でも、「行幸」の段で、冷泉帝の大原野行幸の場面を描いている。物忌で従駕できなかった光源氏に次のような歌を詠ませている。

小塩山 みゆきつもれる 松原に 今日ばかりなる 跡やなからむ

大原野神社・拝殿前の鹿 (拝殿前の鹿)

 春日大社や枚岡神社と同じく狛犬ではなく神鹿(高麗犬に対するなら和鹿ですかな?)であります。

大原野神社・鯉沢の池 (鯉沢の池)

鯉沢の池

 文徳天皇は、奈良の猿沢池を模して鯉沢ノ池を造ったと云われている。
 写真は撮り忘れたが池の傍には、清和天皇が産湯を使ったとされる瀬和井がある。大伴家持の歌として、次のような歌が神社の案内説明板には記載されているが、これは万葉集には登場しない歌である。出典は何であるのだろう?

大原や せがいの水を 手にむすび 鳥は鳴くとも 遊びてゆかん

 上の歌が真に家持の歌であるかどうかはともかく、偐家持も1首追和して置きましょうかね(笑)

大原や 小塩の山に 踏みまよひ 雪は降るとも 遊びてゆかん
                                   (偐家持)

勝持寺・仁王門
(勝持寺・仁王門)

 勝持寺は天台宗の寺院。山号は小塩山。本尊は薬師如来。白鳳年間(672~686)に役小角によって創建されたと伝えられる。延暦10年(791年)最澄が堂塔伽藍を再建し小塩山大原寺と称した。応仁の乱で焼失、天正年間(1573~92)に再建されたとのこと。西行が出家した< 保延6 年(1140 )> 寺としてもよく知られている。

 昔、凡鬼さんや若草読書会の人達と大原野に遊んだことがあり、大原野神社、勝持寺などを散策したことがあるが、今回は勝持寺はパスでした。山門(仁王門)だけ横目に、「西行の寺」には寄らず、二人組は「東行」したのでありました。
 というのも、大原野神社を出た時には午後4時をかなり過ぎていたので、桓武天皇皇后・藤原乙牟漏の御陵に寄ることの方を選択、東に(つまり駅方向に)向かうこととしたのでありました。

 藤原乙牟漏の陵は東山バス停から少し北に入った処にある。

桓武天皇皇后陵 (桓武天皇皇后陵)

 桓武天皇の皇后は、藤原乙牟漏 <天平勝宝4年(752年)~延暦9年閏3月10日(790年4月28日)>である。 父は藤原式家の藤原良継。母は阿倍古美奈。
 本日の淳和の母は桓武夫人藤原旅子であるが、その兄の平城・嵯峨の母は皇后の藤原乙牟漏である。
 続日本紀によると、美しく温和なお人柄で礼儀正しく良き母であられた、とされる。
延暦7年(788年)夫人藤原旅子(淳和天皇の母)、同8年実母の高野新笠、同9年皇后の藤原乙牟漏が相次いで没し、同11年には皇太子の安殿親王が病床に伏し、畿内に水害が発生するなど凶事が続いたことから、桓武天皇は、これを皇太子であった弟・早良親王(785年の藤原種継暗殺事件で罪に問われ廃太子となり、淡路に流される途中で憤死する。)の祟りであるとして、その霊をなだめる祀りをとり行うようにした。怨霊という観念が生まれた最初とされる。
 大伴家持は早良皇太子に仕える春宮大夫であったことから、暗殺事件の首謀者と疑われ、前年に死亡しているにも拘わらず、墓を暴かれ、官籍剥奪、息子の永主以下一族郎党が隠岐へ流されるという処分を受けているので、この事件のことは、ヤカモチも忘れることはないのであります(笑)。

 以上で、蝶麻呂氏との小塩山散策は無事終了。<歩程は15~6kmかと思っていましたが、本日の蝶麻呂氏からのメールによると、21.2kmとのこと。>
 彼とは阪急東向日駅前で夕食を共にし、東向日駅から電車に。淡路駅(ここでもまた淡路である)でお別れし、小生は地下鉄に乗り換える。日本橋から近鉄線に乗り換えて家路へ。
 今回もブログ銀輪散歩(今回は銀輪はなしでしたが)にお付き合い下さいまして有難うございました。

<関連記事> 小塩山登山






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最終更新日  2014.08.16 18:29:55
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