銀輪散歩にて見掛けた花などを掲載する記事は「花逍遥」、「花遍路」などのタイトルを付けているが、その時々の思い付きで付けたに過ぎず、両者の内容には何の違いもない。しかし、「花遍路」は花を見ようと意識して廻っているようなイメージがあるのに対して「花逍遥」は偶々花を見掛けたというようなイメージでしょうか。だとすれば、小生の場合は多くは花逍遥でありますかな。
まあ、遍路でも、逍遥でも、散歩でも、散策でも、遊覧でも、漫遊でも何でもいいという程度のものであります。ブロ友のビッグジョン氏のように花の名には詳しくありませんので、そう珍しい花と出会うこともなく、というのがヤカモチの花逍遥というものであります。
グミにも色々品種があるようですが、そういう区別はヤカモチの辞書にはなく、グミは全て「グミ」でありますな。
子供の頃にはグミの木はよく見掛けたものであるが、近頃は余り目にしない。この実の甘さと後味に少し残る渋みは子供時代のことを思い出させる郷愁の味と言うべきか。今、口にしたらそれはきっとそれ程美味しいものではないのであろう。もう長らく口にしていませぬが・・。
このグミは通りかかった民家の庭に生っていたもので、手を伸ばせば何個かは容易に摘み取ることができたので、子供時代なら間違いなく失敬していたに違いないのだが、大人となったヤカモチは写真に撮ることはあっても・・であります(笑)。
グミの実の 赤く熟れゆく 夕暮れは
幼きわれの 影も行くらし (偐家持)
これはわが庭のハナズオウの実。わが庭にはグミの木はなくて、花蘇芳の実が暑苦しく生っています。枝豆にもならぬ豆であります。
春花の とき短くて 花蘇芳 枝垂る豆かも 夏むさくるし (偐家持)
花蘇芳 豆はしみみに
生
りたれど
醜
の
醜豆
塩茹でも得じ (偐豆持)
タイトルが「花逍遥」とあるに、グミの実とハナズオウの豆だけでは「実逍遥」となり、「羊頭狗肉」ならぬ「花頭豆実」でありますな。で、花園公園の花菖蒲を掲載して辻褄を合せて置くことと致します。
<参考>アヤメ、花菖蒲などが掲載されている過去記事
2008.6.10.
アヤメが見ごろ
2009.6. 4.
花園中央公園の花
2010.5.25.
銀輪花遍路(その4)
2011.6.28.
しあわせの村小旅行
花菖蒲 待ちて咲くなる 五月雨に
隠
り
障
むは おその
風流士
(
偐郎女
)
(注)五月雨に隠り障むは=「五月雨で出掛けることもならず家に
籠っているというのは」の意。
「雨障み (あまつつみ)
」というのは、雨
が降っていることを口実にして恋人
の許に行かないこと、またはその口
実のこと。男の口実の常套手段であ
ったよう。
<参考>偐万葉田舎家持歌集のカテゴリー「花」の記事は下記からどうぞ。
カテゴリー「花」記事の一覧窓口
銀輪花散歩・リュウゼツラン、キンエノコ… 2025.10.19 コメント(4)
銀輪花散歩・平城宮趾公園&佐保川畔 2025.03.27 コメント(4)
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