< 承前 >
まだ、23日の日記です。
明照寺を後にして、県道208号線に出て北へ向かう。千鳥ヶ丘公園で暫し休憩。京都駅で買って来た近江牛弁当で昼食タイム。
千鳥ヶ丘公園のあるこの丘は雨壺山とも平田山とも呼ばれるようだ。戦国時代には平田氏の居城があったとのこと。関ヶ原合戦直後の佐和山城攻めでは、井伊直政がこの山に陣を置いた。佐和山は北方向3km程の位置にある。
雨壺山の南西麓に小さな神社があったので立ち寄る。
菅原道真を祭神とする鳴宮神社(鳴宮天満宮)である。
本殿前に御籤箱が置いてある。箱をガラガラ揺すって出て来た、籤棒に記載された番号を本殿側壁に掲示の御籤板で照合するというもの。
試しに小生もやってみると、九と刻まれた棒が出て来た。御籤
板で九番の処を見ると「吉」とありました。
鳴神
も 吉と 告 らせり この旅の 秋の 彦根道 まさきくあらむ芹橋前で芹川入り、左岸の「けやきの道」を下流へと走る。
彦根城築城の際に芹川の土手に植えられた欅(槻)などの大木が今も残り、見事な並木道の景観を醸している。ケヤキの他に桜、アキニレ、エノキなどの巨木も立ち混じり、芹川の清き流れと木陰が織りなす涼やかな道である。
欅の巨木のいくつかには名前が付されている。上は「赤鬼の樹」。井伊直政の樹ですな。下は「大老の樹」、井伊直弼の樹である。他に「開国の樹」というのもありました。
川辺には彼岸花が咲き群れ、川面には白鷺や鵜が群れている。
白鷺はこのように群れるが青鷺は単独でいるのが普通。人にも白鷺型と青鷺型があるようだが、小生ヤカモチはどちらの型であるのだろう。どちらかと言えば青鷺型に近いのかも(鴨)。
黒馬を「青毛」と呼ぶように、黒っぽい鷺を「青鷺」と呼んだのだとすれば、みてくれから言ってもヤカモチは黒鷺、即ち青鷺型ということになる。しかし、「青馬」というと「白馬」のこととなるから話はややこしい。こちらの流儀で言えば、「白鷺」も「青鷺」も白い鷺ということになるから、ヤカモチはどちらでもなく、黒鷺と言うほかないこととなります。サギの話だけに何とも紛らわしく誤解され易い内容となって居ります(笑)。うま(馬)い話には乗るなということであります。
芹川に架かる橋は河口から下芹橋、中薮橋、池州橋、後三条橋、芹橋、恵比寿橋、中芹橋、西沼波橋、旭橋、大堀橋・・である。
河口から三番目の橋である池州橋からはもう琵琶湖が見えている。サイクリングとしては琵琶湖まで出て湖岸を走りたい処であるが、今回の読書会メンバーとのそれは時間の関係もあって湖岸コースは省略している。宿が湖畔にあるので、という次第。
ということで、城に向かう。
これは何の関係もありませぬが、彦根市のマンホールの蓋。
彦根城佐和口、いろは松の通りに面して、護国神社の裏手にある井伊直弼歌碑を見て行くこととする。先般の8月15日の下見では、この歌碑が護国神社の中にあるものと思い込んでいてパスしたのであるが、神社に入らなくても佐和口の通りから見ることが出来るのでありました。
あふみの 海
磯うつ浪の いく 度 か この歌は安政7年(1860年)正月の詠。
直弼は、御用絵師の狩野
永岳
に描かせた自身の肖像画に、この歌を書き添えて、井伊家菩提寺の清涼寺にこれを奉納したと伝えられる。
同年3月3日桜田門外で暗殺される2ヶ月前のことである。
24日のサイクリングで此処を訪れた時、これを見た読書会のメンバーの誰かが、直弼の周辺の人物が代作して詠んだような歌だ、と評していたが、確かに言われてみると、直弼自身の作歌とするよりも、その死を傷んで他の人間が詠んだ歌とする方がしっくり来る。
言い伝え通りに直弼自身の作ならば、まさに「自画自賛」の歌であるということになるが、彦根にありては、井伊大老ありてこそ開国はなりぬ、でありますから、困難な激動の時代を切り盛りして行かねばならない政治家としての彼にてあれば、このような自詠も亦ありでありますかな。
< つづく >
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