< 承前 >
若草読書会彦根旅行記もこれが最終回です。 祭神は、
市杵島比売命
、
宇賀福神
、
浅井比売命
、
龍神
(竹生島神社本殿)
<参考> 都久夫須麻神社
・Wikipedia
竹生島神社公式サイト
土器
をこの鳥居
(宮崎鳥居) に向かって投げ、うまく鳥居を潜らせることができたら、願い事が叶うとされている。
先ず、百発百中で鳥居を潜らせることが出来ますようにと願って、土器を投げて潜らせる。上手く潜ったら、後は百発百中だから、どんな願いも全て叶うという理屈になるから、欲張りな人はこの方法が宜しかろう(笑)。
滞在70分は、荒っぽくしか見ないヤカモチには少し長過ぎる。宝厳寺と竹生島神社のある一角だけが人の立ち入れるエリアにて、島の他の部分はタブの木などの生い茂る原生林と岩山。散策の道などはなく、人の侵入を拒んでいる。聖なる島なのであろう。
船着場前の土産物屋さんの前で休憩。小万知さん振る舞いのアイスキャンデーを戴きながら出港の時間待ち。
11時20分、出港。
いざ、さらば、竹生島。まさきくぞあれ。
琵琶湖はひたすらに青い。空も青い。伊吹山も青い。
(多景島遠望) <参考> 多景島
・Wikipedia
ひょっこりひょうたん島かと思ったら多景島であった。
竹生島は長浜市に属するがこの多景島は彦根市に属する。
井伊直政が生前に佐和山城の移築先として考えていたのは、この岬の丘、磯山であったとも言われる。直政は関ヶ原合戦での傷が癒えず亡くなってしまうが、もし彼がもっと長生きしていたら、彦根城ではなく磯山城になっていた可能性もあることとなる。そうすると「ひこにゃん」も「いそにゃん」になっていたかも、ですな。
高市黒人の歌碑がこの岬に建てられていることは8月20日の日記で紹介済みであるが、此処に再掲載して置きましょう。
磯の崎 こぎたみ行けば
近江
の
海
八十
の
湊
に
鶴
多
に鳴く
(高市黒人 万葉集巻3-273)
佐和山城は琵琶湖側よりも山の向こう側の鳥居本を城下町とする城であり、中山道と北国街道を睨んでいたのであれば、この景色は「後ろ姿」と言うべきか。ならば、うしろ姿のしぐれてゆくか、でありますな。
湖上から眺める彦根城もなかなかによろしい。琵琶湖周航歌の歌詞の「古城にひとり佇めば・・」の「古城」は彦根城のことでしょうか。
「矢の根も深く埋もれて、夏草しげき堀の跡」というのは壮絶な戦いのあった佐和山城にこそ似合う。彦根城は江戸時代になってからの城で戦闘の経験はないから、「矢の根が埋もれて」は不似合い。一方、佐和山城は山城だから堀 (空堀は考えられるが)
は不似合い。それに、佐和山城跡からの眺望は木々に遮られて彦根城からのそれほどにはよくはない。まあ、余り深くは考えないことと致しましょう(笑)。安土城など他の城かも知れないのだから。
12時に彦根港に帰着。かんぽの宿に戻り、槇麻呂さんと合流。預けてあった荷物を受け取り、12時21分発のシャトルバスで駅前へ。景郎女さんは所用ありということでそのまま電車に。残った6名は駅前の食堂で昼食。
昼食後、小万知さんと東京組の祥麻呂さん、りち女さんは、土産物を買うと土産物店へ。凡鬼さん、槇麻呂さん、小生の3名は駅に入り、帰途に。
以上で若草読書会彦根旅行記完結です。
若草読書会の皆さまお疲れさまでした。
また、ブログにお付き合い下さった皆さまどうも有難うございました。 <完>
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