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本のタイトル・作者ジャポニスム謎調査 新聞社文化部旅するコンビ (双葉文庫) [ 一色さゆり ]本の目次・あらすじ全国紙・日陽新聞社の東京本社。文化部・文芸アート担当の記者として働く29歳の山田文明は、項垂れていた。記事の企画を出しては、管理職である深沢デスクに却下される日々。そんなある日、型破りな新人記者、雨柳円花が提案した企画の指導役に指名される。馴れ馴れしい態度にタメ口。社会人としても記者としても、基本がまるでなっていない雨柳。しかし彼女は民族学の大家の孫娘だという。コネ入社かという彼女と組まされ、くさる山田だったが―――。序章第一回 硯 SUZURI第二回 大津絵 OTSU-E第三回 漱石 SOUSEKI第四回 灯台 TOUDAI第五回 円空 ENKUエピローグ引用山田って、難しく考えるのが趣味なの?石橋を叩いて裏の裏まで読んで、なにが楽しいわけ。好きなものは好き。美味しいものは美味しい。楽しければ、みんなでそれをシェアすればいいじゃない。自分だけのものにして、一人で抱え込んでたらそれ以上の広がりはないじゃん。それにさ、不愉快になる人はハナから見ないよ。それでも文句を言ってくる人がいたら、好きの裏返しなだけ。他人の気持ちなんて、難しく考えてもどうせ分からないんだからさ。(中略)さっきも思ったけど、山田は自分も含めて、もっと人を信じなよ。感想2022年211冊目★★★新聞記者の文化部モノも好きなので、何気なく手に取ったら結構面白かった1冊。ベクトルは違うけど、原田マハ、京極夏彦が小説で扱う題材が好きな人は好きじゃないかな。隠れた日本文化に光をあてつつ、真面目な男子と、はっちゃけた女子のコンビの関係性が深まっていくのが良かった。初出は双葉社文芸総合サイト「カラフル」2021/4/12~2022/3/25掲載のもの。「旅する文化部取材ノート」から改題。私は前のタイトルのほうがよいと思うなあ。はじめて読んだ著者は、1988年京都府生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業という経歴でこの本の内容にも納得。ほかにも美術などの題材にした作品を書かれているみたい。ほかのも読みたいな。この本で取り上げられているものたち、どれも知らないことが盛りだくさんで、知的好奇心をくすぐられた。いっぽうでどこまでがフィクションで、どこまでがリアルなのかの判別がつかず、「はたして本当はどうなんだろう」と気になった。当たり前にあると思っているもの、それを過去のもの、古いものだと思って省みないもの。そうしていつの間にか、なくなってしまっているもの。宮城県石巻市雄勝町の「雄勝(おがつ)硯」。→雄勝硯生産販売協同組合HP硯なんて、小学校の書道の時間に使ったきり。それも、はじめに「墨をする」ことをやっただけで、あとは墨汁ばかりだった。本物の墨は、水には溶けないんですね。知らなかった。煤と香料、膠で作られている墨(炭素)は、水に溶けない。膠が接着材の役割を果たして「墨が下りる」だけ。滋賀県の大津絵は、江戸時代に生まれた東海道の土産物。鬼や天狗をモチーフに可愛くコミカルに描いたご当地キャラの元祖。→大津市歴史博物館HP(毎月のスマホ・PC壁紙)→ピカソも注目した「大津絵」の魅力とは?(朝日新聞デジタル)これは存在自体を知らなかった。そういうものがあったのか。漱石の写真が、実はまだあった…?!写真師・小川一真の弟子筋にあたる老舗の写真館が、昔のガラス乾板を発見した。という話からはじまる新聞記事らしい話。→「近代日本人の肖像」(国立国会図書館 電子展示会)お札に使われていた千円札の写真、喪章を巻いていたんですね。知らなかった。明治天皇の大喪のあとに撮られたという、その意味。山田の幼馴染が、灯台保存プロジェクトに携わっている。静岡県下田市役所で働くかつての親友を訪れ、話を訊く2人。→神子元島灯台(公益社団法人燈光会HP)フランス人発明家フレネルがレンズを考案するきっかけになったのは、ジェリコーが海難事故を描いた「メデューズ号の筏」だったというのは、知らなかった。この絵、ものすごくデカいんですよ。ルーブルで見た時、びっくりした。足を止めて見入ったのを覚えてる。そして灯台守の話が良かった…。戦争中に真っ先に狙われる存在でありながら、最後まで光を守って殉死した灯台守たち。灯台守は海上保安庁職員として日本各地の灯台に交代で赴任するのか…。黙々と自分の役割を果たして行く、って難しいことだ。それが出来るってすごい。さて、東京に出て行った山田と、地元に残った友人の再会。決定的になった別れから、数年。私はこの友人・丸吉の気持ちに「わかる…!」となった。東京に出ていけなかった自分。町に残った自分。羨みながら、けれど誇りを持ちながら。最後は円空。→円空連合(岐阜県内の19の市町村が加盟)粗削りなその木片が、たしかに仏さまに見える。旅をしながら、木っ端でひたすら仏さまを彫った円空。当時の人々は、貧しく辛い日々のなかで、それをどれだけ大切にしただろう。その存在に救われただろう。各回の情報量が多く、けれどメインストーリー(人間関係や社内の不穏な動き)も絡めて物語がうまく進んでいる。これはたぶん続編も出るのではないかと期待。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.08.19
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本のタイトル・作者両手にトカレフ (一般書 387) [ ブレイディみかこ ]本の目次・あらすじイギリス。14歳のミアは、薬物中毒で家に閉じこもりきりの母と、父親の違う弟の面倒を見ながら暮らしている。生活保護費は母親が薬に使ってしまうので、食べるのにも事欠く日々だ。ある寒い冬の日、図書館で一冊の本に出会う。それは、日本で活動したアナキスト、カネコフミコの自伝だった。彼女は自らの境遇と彼女の物語を重ね合わせていく。引用「僕に君のことなんかわかるはずがない。正直、君のリリックを読んだとき、そう感じて悲しくなった。でも、わからないから知りたい。わからない言葉の意味を少しでもわかるようになりたい。わかるための努力をしたい。だって人間は、わからないことをわかるようになりながら生きているものだよね?だから、僕がそうできるように助けてくれないかな。もちろん、僕も君を助ける。両手にトカレフを握って立つ君を、トラックで支援する。必要なときには、君の後ろからリボルバーだってライフルだって撃つ」感想2022年210冊目★★★『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ほかのエッセイ(?レポート?)で有名なブレイディさん初の小説。ああ、この人が書いたんだなあというのがよく分かる内容で、これまでの本の内容とまったくブレることがないし、この人が書くと物語と言うかたちをとっていてもやっぱりこうなるんだな、という思いがあった。この本でイギリスらしいなと思ったのが、ミアが自分を表現する手段が「ラップ」であること。日本版にするなら和歌を詠むか…?ラップっていまいち親しみがなかったのだけど、私はラップバトルをテーマにした「ヒプノシスマイク」を知ってから「新しい物語の語り方(詩)」なのだと思うようになった。新しい文体というか、「詩」という言葉につきまとう、上流階級の嗜みのような上品さが剥がされて、言葉が剥き出しになっている感じがする。それでゴツゴツ殴り合っているような、世界と対峙しているような。そしてイーヴィの発音矯正。英国では発音で階級が分かるのだそうだ。移民の子ども以外で、発音嬌声を受けているのはイーヴィだけだった、だから彼女は中流階級の英語を喋るのだ、とあって驚いた。確かに、NHK英語講座の「ニュースで学ぶ現代英語」で現代のイギリス英語を聴いてまったく分からなくて驚いたのと、ニュースなどで話される「クイーン・イングリッシュ」を喋る人は英国では数%しかいないのだと知ってびっくりした。金子文子については、『女たちのテロル』に書いてあったので「ああ、あの人か」と思ったのだけど、初見の人は「だれ?」ってなるだろうな。西洋と日本のサンドイッチで話が進んでいく構成も『女たちのテロル』と同じなので、この本を読んで金子文子に興味を持った人は、ブレイディさんの『女たちのテロル』もあわせて読むと理解が深まって良いと思う。この本で触れられている金子文子は、アナーキストになるまでの話。貧困にあえぐ少女二人。現代のイギリスと大正時代の日本。イギリスだから距離を置いて読んでいるけど、ふと思った。これ、今の日本との対比でも違和感なく読めるんだよな。日本でも俎上に上がり始めたヤングケアラー。1ポンドビュッフェの食堂は、こども食堂。ちいさくなった制服を買い替えるお金がない。スマホを手に入れられないから、図書館で借りた本を読む。これは遠い異国の物語?現代の日本に貧困はない?そんなことは、ない。私は時折、自分の子どもたちが何の衒いもなく「欲しい」と口にする時、無邪気に「いらない」という時、躊躇なく「これきらい」と食べ物を残す時、「この子たちは恵まれている」と思う。そしてそれを、「自分は恵まれている」と思うことさえなく生きていくのかもしれない。飢えを、暴力を知らずに生きていくその幸福。今は私が与えているもの。その恩恵。ただ、たまたま運が良かったのだという、それだけのこと。それに浴していてよいのだろうか、と思う。たまたまの幸運。ただそれが続いただけ。それをあたかも特権階級のように振りかざし声高に。努力が足りなかったのだ、愚かであることが悪いのだと。そう主張する権利が、あるのだろうか。自分が暮らす世界のすぐそばで、飢餓と貧困にあえぐ人がいる。それに目を逸らし、耳を塞いで、やりすごす。見ないふりで、聞こえないふりで、通り過ぎる。だから、ゾーイ(ミアの友人であるイーヴィの母で、何かと面倒を見てくれる人)はすごいと思うし、彼女がミアたちを引き取ることを躊躇したことも良く分かる。中途半端な優しさは、かえって傷を深めることになるんじゃないのか。じゃあ何もしなくていいんだろうか。私が出来るのはここまで、という範囲のなかで、優しく出来ないだろうか。「自分だけ良ければいい」「自分の子ども(家族)だけ良ければいい」という思考は、自分は他人を助けないと宣言することは、同時に他人に救いを求めることも出来ない。ミアはソーシャルワーカーたちに敵愾心をあらわにし、彼らに付け入れられないように「良い子」でいる。大人になるまで。その力を手に入れるまで。弟と引き離されないようになるまで、放っておいてほしい。弟を必死に守ろうとするミア。その姿に、映画「レオン」のマチルダや、「誰も知らない」の明を思い出した。自分だってまだ幼くて庇護される存在なのに、より弱いものを守ろうとする。フミコは、自分より小さな弟や妹、友人を慈しむ。そうすることで自分の心を守る。己は受けられなかった愛を、注ぐ。助けてって、言っていいんだよ。ソーシャルワーカーのレイチェルは、手を伸ばす力を持つために、その職業を選んだ。かつての自分みたいな子どもを、家族を助けるために。ほんとうは、「たすける」はその円環のなかにあるんだろう。たすく、という言葉って、「た」(手)+「すける」なんだろうな。倒れそうな人に支える手を、力を添える手を、傷や病に手を。そして、みちびく手を。手助け、は一時のもの。その人がいなくなっても、だいじょうぶになるように。その時できることを、やる、でもよいんじゃないか。私の手で、何が出来るのだろう。これまでの関連レビュー・ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー [ ブレイディみかこ ]・ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート [ ブレイディみかこ ]・花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION [ ブレイディみかこ ]・女たちのテロル [ ブレイディみかこ ]・THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本 [ ブレイディみかこ ]・子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から [ ブレイディみかこ ]・ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2 [ ブレイディみかこ ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.08.18
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本のタイトル・作者夢伝い [ 宇佐美 まこと ]本の目次・あらすじ夢伝い水族エアープランツ沈下橋渡ろ愛と見分けがつかない卵胎生湖族送り遍路果てなき世界の果て満月の街母の自画像引用わたしは、かつては夫を愛していたけど、今はそうではなかった。それにようやく気がついた。人は誰でも美しく正しいものを見ようとする。だけど、そういうものに限って変わりやすい。輝かしいものの背後には、凝り固まった闇が控えているものだ。感想2022年204冊目★★★ひんやり・ぞわっと来るミステリー短編集。森見登美彦『きつねのはなし』『夜行』なんかを思い出した。私が気に入ったのは、「果てなき世界の果て」。コロナが終息したあとの世界。リモートワークが当たり前になり、東京から北関東に移住した柊太。付き合っている彼女は、オーガニック食品の会社を友人と立ちあげ、四国へ移りすんだ。ランニングと、在宅での仕事。変わり映えのしない毎日。一方の彼女は、生産者のもとを訪ね歩き、こんがりと日焼けして―――。バーチャルな世界が勝手に育つゲーム「世界の果て」、通称「セカハテ」。そこと現実のリンクが最後にやってきて「おおっ」となった。「高度に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と同じように、「高度なバーチャルリアリティーは、現実と見分けがつかない」んじゃないだろうか。そしてどんなプログラミングをリアルらしく組むよりも、バーチャルの世界に現実を取り込んだ方が「リアルらしく」見えるんじゃないだろうか。メタバースがもてはやされ、そのうちに人々は仮想空間でも生きるようになるんだろう。その時、そこにいる人が、架空の存在か、現実の肉体をもった存在か、どう判別できる?はたまた亡くなった人の思考をディープラーニングしたAIは?どこまでがその人の「思考」であり「存在」であり―――攻殻機動隊風にいえば、「ゴーストを持つ」と言えるんだろうか。今私が記している言葉、それを集めた機械が、私らしい言葉を紡ぎ出す。その時、私は言葉を発するのを止めるのだろうか?だってもう、その私がかわりに私の思考を喋ってくれるのだから。これまでの関連レビュー・羊は安らかに草を食み [ 宇佐美まこと ] ・月の光の届く距離 [ 宇佐美まこと ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.08.12
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本のタイトル・作者古本食堂 [ 原田 ひ香 ]本の目次・あらすじ東京・神保町で古書店を営んでいた次兄の滋郎が急逝し、北海道からやってきた妹の珊瑚。長兄の孫娘であるO女子大院生の美希喜(みきき)に手伝われ、次兄の代わりにおっかなびっくり店を開けている毎日だ。第一話 『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』小林カツ代著と三百年前のお寿司第二話 『極限の民族』本多勝一著と日本一のビーフカレー第三話 『十七歳の地図』橋口譲二著と揚げたてピロシキ第四話 『御伽草子』とあつあつカレーパン第五話 『馬車が買いたい!』鹿島茂著と池波正太郎が愛した焼きそば最終話 『輝く日の宮』丸谷才一著と文豪たちが愛したビール引用「確かに、平安時代に、他にもいろいろな物語があったという記録がありますが、そのほとんどは残っておりません。また、その記録にさえ残っていない物語や作者もあるはずです。だから、今、ここに残っているものは末永く残していかなくてはならない。私たち、研究者はその長い長い鎖をつなぐ、小さな鎖の一つでいいではないですか。自分の名前を残そうとか、自分の研究で世間や学会をあっと言わせてやろうなんて考えなくていいのです。ただ、それを後世に残す小さな輪で」感想2022年202冊目★★★ちょっと垣谷美雨さんの小説ぽいなあと思いながら読んだ。タイトルから、古本屋さんが食堂もやっているのか、古本に出てくる食事を出す食堂の話かと思っていたら違った。古書店のお昼ご飯として、周辺の美味しいお店が紹介される。この中では焼きそばを食べてみたかった。いいなあ、神保町。あこがれの街。ぶらぶらそぞろ歩いてごはんを食べたい。この本はコロナの状況下という設定で、マスクの描写がたまに出てくる。それまで頭の中での姿がマスクなしで来ていたところ、急にその描写が出てくると脳内イメージを遡って書き換えないといけないのでちょっと面倒。コロナを文学に描くか否か、みたいな話、西尾維新『死物語』で言ってたな。古本市の神みたいな、古書店主。読書家の珊瑚さん(最近はBLだって大好物)は、来店者に適切な本を案内する。私、たぶんこれ無理だ。「これこれこういう本、ありますか?」と訊かれても記憶を辿れない…。新刊ならまだ書評や紹介があるけれど、古本なら完全に自分の記憶だよりだ。む、むり…。美希喜は、国文科専攻だ。本が好きというそれだけの理由で選んだ学科で、現在は日本文学科中古文学研究室に所属している。私も文学部。私は古典をほぼ読まず、同世代の作家ばかりを読むので、ちょっと古典を馬鹿にしているところがあった。でも、大学に入ったら、新入生歓迎会で18歳の男の子が「僕は『和泉式部日記』をやりたくてこの学部を選びました」と言っている。こっちには「太宰治の研究がしたくて」と言っているパンクなお嬢さんがいる。ほうほう…。えらいとこに来てしまったな。それから授業で『万葉集』も『今昔物語集』もやった。古典はびっくりするくらい斬新なネタの宝庫だった。でもやっぱり、私の興味関心は「物語」ではなく「言葉」なのだと思う。新入生歓迎会で、私は「本を読むとき頭でする声が誰の声なのか確かめたいから」と答えた。アニメ化したとき、「イメージと違う」と言われるのは何故?想定している頭の中のその声は、誰の声―――?まあ結局それはポシャって、その後私が日本語学の方面に進み、色々やってると教授に「君がやりたいことは文学じゃなくて社会学」だと言われたんだけど。でも、言語をたどるときも、過去に録音テープなんてものはないから、文献にあたるしかない。書き写され、人から人へ、時代から時代へ、伝えられてきた物語たち。映画「時をかける少女」で、「今・ここにあるということが最後に確かだったから」という理由で、未来から千昭は絵を見に過去へやって来る。きっと同じことが、本にもある。この本の中で、美希喜は「本病」というものを仮定する。コロナウイルスのように、本を開くと感染する病。本屋と図書館は閉鎖され、電子書籍がデータで配信されることが当たり前になり、本が消えていく。文化は「本病」の前と後に分断される。すでに多くの人が本を読まなくなっている。紙でも、データでも。多数の人が発信者となるなかで、けれど「本」という媒体での表現が選ばれなくなっていくであろう世界。無数のさざめきのような、泡沫のようなデータの文字たちは、後世に残るんだろうか。その時、千年前の物語を知ることは、出来るんだろうか。これまでの関連レビュー・三千円の使いかた [ 原田ひ香 ]・この本を盗む者は [ 深緑野分 ]・お探し物は図書室まで [ 青山美智子 ]・本と鍵の季節 [ 米澤穂信 ]・麦本三歩の好きなもの [ 住野よる ]・麦本三歩の好きなもの 第二集 [ 住野よる ]・戦場の秘密図書館 シリアに残された希望 [ マイク・トムソン ]・めぐりんと私。 [ 大崎梢 ]・図書室のはこぶね [ 名取佐和子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.08.10
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本のタイトル・作者いえ [ 小野寺史宜 ]本の目次・あらすじ三上傑(すぐる)の妹・若緒(わかお)は、大学三年生の時に事故で怪我をした。そうして―――足を引きずるようになった。事故の原因は、傑の友人であり、若緒の彼氏でもあった城山大河の不注意。母はお気に入りだった大河を責め、高校で教頭を務める父は大河を責めなかった。事故をきっかけに、変わっていく。家族も、自分も。兄の傑は、スーパーで正社員として勤めて3年目。パートさんとの関係がうまく行かず、転職も頭をよぎる。就職活動をはじめた妹が気になるが、踏み込むのも違う気がする。彼女とは、数か月、会っていない。同じく、大河とも。引用「そりゃお金を稼ぐために人は働くんでしょうけど、お金のためだけじゃきついですよ。ぼくなら続かないと思います。って、これ、大甘ですか?」「いや、そんなことはないと思うよ」そんなことはない。今のおれはわかる。痛いほどわかる。楽しさは大事だ。とても。楽しくないこともあるからこそ、楽しくやる努力をするべきなのだろう。仕事は楽しむためにやるものではない。それはそう。でも楽しくやれるなら、それに越したことはない。感想2022年199冊目★★★事故にあった当人の妹は、葛藤しながらも前に自力で前に進んでいくんだけど、そのお兄ちゃんのほうが妹よりもグルグルしている物語。仕事も、恋愛も、友人関係も、家族関係も。なにひとつうまくいかないその理由を、彼は自分に見る。主人公は、自分を「いいやつ」だと思ったことはない。「いやなやつだ」とさえ言う。でも、嫌いな奴を嫌な目にあえばいいとは思わないのだそうだ。ちなみに私はめっちゃ思う。(おい)私が衝撃的だったのは、かの有名な「のび太の結婚前夜」で、しずかちゃんのパパがのび太を評し、「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことだからね」と言っていたことだ。私は人の幸せを妬み、人の不幸を喜ぶような野郎なので(嗚呼!)、この話を読んだときに感動するよりも落ち込んだ。私は子どもの頃、母に「お前は勉強だけ出来ても、人間として一番大事な部分が欠けている」と言われたことがあり、その時「ああそうだな」と不思議と納得した。私には致命的で決定的な欠陥があり、そうしてそれは見え透いてしまうものなのだと。だからおがくずを詰め込んだ偽物のからっぽの鳥みたいに、生きているふりをしなくてはいけない。けれど私は、「自分が良い人間ではない」と思っている人間に、悪い人間はいない、と思う。だってそうすれば、気を付けていける。良い人間である自分に陶酔することは永遠に出来ない。その場所に立つことは許されていない。良い人間ではない自分に、いつも打ちのめされて。それでも、「良い」ほうを選ぼうと努力し続けること。そのための工夫をし、知恵を絞り、時に誘惑に負けながら、戦い続けること。主人公は最後に、行動を変え、こうは動くまいと努め、生きている間自分を律し続けるという意味で人は変われるのだと気付く。私はいつも悲しい。自分が良い人間ではないことを知れる程度には、私は邪悪ではなく。自分が賢い人間ではないことを知れる程度には、私は愚鈍ではない。いっそそうでなければよかったと思うこともある。自分は良い人間だと思って、賢い人間だと思って生きられたら、どれほど楽だったか。その傲慢にさえ吐気を催しながら、それでも。それでも私は、感謝する。自分が良い人間ではないことを知り、賢い人間ではないことを知ることが出来ることに。与えられた幸福を苦く噛みしめて、己の前にある道を行く。曲がり角にさしかかるたびに、良い方を選べるようにと祈り、日々努めながら。時に易きに流されそうになりながら、歯を食いしばって堪える。―――俺よ、俺はこんな俺を許すのか?許せない。許さない。なら、戦え。何と?己と。邪悪で怯懦な自分と。愚鈍で無知な自分と。負ける時もある。負けが続くこともある。永遠に勝てないんじゃないかと思う。でも戦い続けていれば―――少なくとも私は、私を嫌いにならないで済む。主人公は、勝つ。これまでの自分を変えるための一手を打つ。パートさんとの和解は、ちょっと「こんな上手くいけば誰も苦労しないんだよ」と思わないでもないが、いいなと思った。人は自分の物差しで人を計り、自分の眼鏡でその人を見る。その時にそこに映っていないもの、計れなかったものから、話がこんがらがって、状況がややこしくなって、にっちもさっちも行かなくなる、ことがある。誤解が不信につながり、不信はまた新たな誤解を再生産する。負の無限ループ。今まさに私がこれにハマっているので、主人公があっさりその人間関係のもつれた糸を解いてしまったことに「チッ!」と思った。けど、正攻法で正面から行くしかないのかも。何が気に入らないですか?何か気に障ることをしましたか?なぜあなたはそれが嫌だったんですか?でも、うん。現実世界ではそれはもっと悲惨な事態を招くことが予想されるので賢明な私は口を噤み、ひたすら接点をなくすことに注力している。ばらばらになった家族。若緒は家族会議を開いて言う。お母さんは大河を恨んでもいい。お父さんは大河を許してもいい。そのどちらも私には分かるから。私はどちらだろう、と思った。私はきっと、恨むだろうな。どうしようもないと分かっていても、恨むだろう。自分が若緒なら。自分が若緒の母なら。あるいは教職と言う地位にある父であっても。さて、果たしてそれは「良い人間」ではないこと、だろうか。許す/許さない、のそのはざまにあることこそが、私が望むことなのなんじゃないか。主人公の妹も彼女も、ほんとうによくできた「良い人間」だ。本人たちがそうでないと思っていたとしても。私には彼らが「のび太」に見える。どうしようもなく善良な存在に。眩しくて、目が焼かれそうだ。でも私は、そうじゃない。分かれ道に立ち、私はどちらかを選べる。「いやだな」思うその時に、そうじゃないほうを選ぶことが出来る。そしてその反対も。岐路を前に眼を閉じて、深く息を吸う。お前は善良だ。お前は賢明だ。お前は邪悪だ。お前は愚鈍だ。目を開け、前を見据えて、歯を食いしばる。戦え。これまでの関連レビュー・ひと [ 小野寺史宜 ]・今夜 [ 小野寺史宜 ]・天使と悪魔のシネマ [ 小野寺史宜 ](2021年5月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.08.07
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本のタイトル・作者とあるひととき 作家の朝、夕暮れ、午後十一時 [ 花王プラザ ]本の目次・あらすじ「朝」のひととき三浦しをん「目覚めたときが朝」道尾秀介「こうして背表紙は増えていく」西加奈子「間違いなく朝は」角田光代「朝の損得」重松清「指一本、指二本……」「夕暮れ」のひととき川上未映子「夕暮れの、どんな空を見ても」森絵都「暮れゆく空を仰ぐ」池澤夏樹「長い夕暮れ、短い夕暮れ」綿矢りさ「夕暮れの諦め」「午後11時」のひととき吉本ばなな「そわそわ、しみじみ」高橋源一郎「ラジオの時間」村山由佳「上機嫌なままで」小川洋子「分かれ道」浅田次郎「午後十一時という非常」引用夕暮れの空にはショーマンシップを感じる。刻々と西へ移ろう夕日の赤、朱、紅。空一面を燃えあがらせるそれは、しだいに薄れて橙や山吹色、桃色、紫など多層的な色彩のグラデーションに変わる。やがてそこに濃紺の闇がかぶさり、星の時間が幕を開ける。自然が象る一過性の天体ショー。その日、その一瞬だけのスペクタクル。空が晴れているかぎり、こんなショーを毎日でもタダで楽しめるのだから、この世界も捨てたものではない。それがたとえどんな一日であったとしても、頭上の舞台は私たちをたまゆら人間社会から解き放ってくれる。森絵都「暮れゆく空を仰ぐ」感想2022年197冊目★★★花王プラザで読んでいた連載。連載の当時から、「さすが花王」という作家のラインナップ。一つ一つの話がとても短いので読みやすい。絵も素敵。ただ、いくら素敵な絵でも、話の途中にぶつっと入れられるのは私は好きじゃない。道尾秀介さんの「こうして背表紙は増えていく」で、何かを記憶している時にその思い出と時間帯がセットになっているから好きな時間というのがあるんじゃないか、というのがあり、なるほどと思った。私にとって朝は、世界中の朝とつながっている。ヨーロッパの朝。低い彩度の抽象画みたいなそれ。今日はどこへ行こう。何をしよう。自由であることの不安と誇らしさ。アジアの朝。カラフルなそれ。響き渡るアザーン。肌にまとわりつく湿った空気。生ごみのにおい。すぐにでも帰りたいような、永遠にここにいたいような気持ち。今も窓を開けて、私はその空気を思い出す。朝の空気は、あの時の私の気持ちを蘇えらせる。隣家の柔軟剤のにおいが、今のここに引き戻す。あるいは夕暮れ。どこまでも広がる緑の丘。たっぷりかけられた蜂蜜みたいな夕陽。黄金色に照らされたその美しさに目が潰れそうになったこと。高校生だった私。放課後の学校の窓がすべて赤い夕陽を反射して、火事のようだった。学校が燃えている、と呟いた。中学生だった私。暮れていく空の美しさをいつまでも眺めていた。アフターグロウ。辞書で引いたその言葉を舌の上に載せた。小学生だった私。驚くほど美しいものを無防備に与えてくれる世界が、かなしかった。今、息子と手を繋ぎながら、保育園からの道を行く。夏の日は長い。19時を前に、ようやく明るい空は色を変えていく。息子が言う。「あおと、きいろが、じゃんけんして、きいろがかってるんだよ」暮れていく空を、私は仰ぐ。蜂蜜は溶け、火は穏やかに空に灯る。意味を変えていく。朝と、夕暮れ。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.08.04
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本のタイトル・作者ショートケーキ。 [ 坂木 司 ]本の目次・あらすじ「ホール」小学生の時に両親が離婚し、以来母と2人暮らしのゆか。2人暮らしということは、つまり、ホールケーキを食べられない、ということだ。高校時代に同じ境遇の「こいちゃん」に出会い、ゆかとこいちゃんは「失われたホールケーキの会」を発足した。月に1回(こいちゃんは3か月に1回)の父親との面会。やりきれないことがあるたび、2人でホールケーキを貪る。20歳を前に、父から「大事な話がある」と呼び出された二人。これで、養育面会も最後なんだろうか。ショートケーキ。ケーキ屋でバイトをするカジモトくん。高齢出産で生まれた彼は、そこそこ金のない家に育った。彼の入学金を払って大学に通わせようとしてくれた年の離れた姉は、大の甘いもの好きだ。しかしその姉が、最近調子が悪く―――。追いイチゴできないことはない。カジモトの先輩バイト・上田さん。最近、カジモトくんが天使ちゃん(売れ残りがちなホールケーキを買ってくれる女の子2人組)のいずれかに恋をしている、とわきわきしている。嬉しい時は、追いイチゴだ!ショートケーキを買って帰り、スーパーでイチゴを買って好きなだけトッピングするのだ。ままならない生後3か月の娘を抱えたあつこ。ママ友のさとこちゃん、きみえちゃんと話をしているうち、やりたくても出来ないことをお互いに融通してやる「互助会(ごじょ)」を結成する。カウンターで食べる激辛タンメン。焼串に刺さった肉とお酒。カフェと甘いもの。ささやかだけど、手が届かないもの。騎士と狩人30を前にして、幼馴染の光春と月1ビュッフェに行くくらいしか楽しみのない央介。しかし、職場の厳しい「経理さん」が、「まるごとバナナ」を廊下でかぶりついているのを見てしまい―――。引用(そういうことじゃない)無理すれば可能。手順を踏めば可能。誰かの力を借りれば可能。でもその後についてくる言葉が私たちにはわかる。実際には口に出されなくても、透けて見える。『そんなことくらい我慢すれば?』からの『今は赤ちゃん優先の時期でしょう』。そして『子供が可愛くないの?』とか言われて『困ったお母さんだね~(苦笑)』でとどめ。そんなこと。そんなことだけど、自分にとってはすごく切実で、今必要なこと。感想2022年194冊目★★★坂木司さんといえば『和菓子のアン』で、和菓子のイメージだった。けど今回はショートケーキ。巻末に、この本は『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』の短歌倒れないようにケーキを持ち運ぶとき人間はわずかに天使にインスピレーションを受けて生まれたのだと書いてあった。びっくり。ちょうど読んだばかりの「図書室のはこぶね [ 名取佐和子 ]」に出てきた本だったから。そして、同時期に作者が目にしたコージーコーナーのポスター(2017年度朝日広告賞 準朝日広告賞受賞作品)のイメージからこの物語たちは出来たらしい。というわけで、実際にコージーコーナーも登場する。ものすごく、ショートケーキが食べたくなる本。真っ白なうえに赤いイチゴがちょこんと載った、どシンプルなやつ。凝った長ったらしい名前の横に、でも一番上の、端っこにあるやつ。ケーキの絵を描いて!と言われたらみんなが描くみたいな。私はケーキ屋さんに行くと、タルト系を選びがち。あとはアップルパイやティラミスとか…。チョコレートケーキは子どもが頼むし、夫はプリンアラモードみたいなやつ。ショートケーキを最後に食べたのって、いつだったかな。でもこの本を読むと、「ショートケーキっていいな」と改めて思う。というか、ケーキっていう存在じたいが良い。甘いもの。本の中で「良きもの(善きもの)」として描かれ、どん底の人を救うもの。私は「ままならない」がもう、刺さった。乳幼児を抱えて、がんじがらめになっているあの気持ち。わかるわかるわかる(×100)。あの時の事を思い出して胸が苦しくなる。育休を取っている人が復帰して、結構楽しそうなこと、多い。通勤にランチ。自分の時間で、自分のペースで、自分がやりたいことをやれる。ただそれだけが、どれほど有り難いか。得難いか。この話の中で、「なんだか私たち、いつも『怒られないか』を気にしている気がしない?」ときみえちゃんが言うのが印象的だった。ほんとだね。私たち、いったい何に怯えているんだろうね。ようやく赤ちゃんを預けても、「すかすか」して、気になって、すぐに戻って来ちゃう。その両方の気持ちの間で。「騎士と狩人」は、いやこれもう絶対、光春→央介やろ?!と力説したかったんだけど違った(しょぼん)。「まるごとバナナ」以外に「まるごとイチゴ」もあるんですね。夫が「まるごとバナナ」が好きなのでたまに買う。私は手軽に甘いものが食べたいときは、パスコのお菓子みたいな菓子パン「満たされスイーツ」シリーズ。安価なのにめちゃくちゃクオリティ高い焼き菓子。仕事の時にこれを貪ると、お昼ご飯なんだけどもうスイーツ食べ放題気分で、背徳感(カロリー表示を見てはいけない)と高揚感が得られる。スイーツ・ハイ。これまでの関連レビュー・アンと愛情 [ 坂木司 ]・和菓子のアン [ 坂木司 ]・アンと青春 [ 坂木司 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.08.01
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本のタイトル・作者女人入眼 (単行本) [ 永井 紗耶子 ]本の目次・あらすじ建久六年(1195年)。二十歳の周子(ちかこ)―――六条殿に仕える女房名「衛門(えもん)」は、東大寺落慶法要に、六条殿の主で亡き後白河院の皇女・宣陽門院、その母である丹後局の名代として参列していた。鎌倉殿こと源頼朝が征夷大将軍に任じられ三年。その北の方である御台所北条政子は、最愛の娘・大姫を入内させようと画策する。姫を后とすべく鎌倉へ遣わされた周子だったが、感情ひとつ見せず病に伏す姫の指南は難航する。大姫をとらえるものは、いったい何なのか。男たちが戦で彫り上げた国の形に、玉眼を入れるのは、女人。引用「めでたい日故に、大仏様がお笑いになられて地が揺れたのであろう。天の神は慈雨を下さり、仏は笑い、地の神もそれに応えられた。誠にめでたいこと」感想2022年192冊目★★★表紙とタイトルから普段は敬遠しがちな感じなんだけど、第167回直木賞候補作ということで読んでみた。面白かったです。鎌倉時代、知略を武器にのし上がろうと野心を抱く京の都の女房。しかしそれを「碁盤に蹴鞠」のように蹴散らしてしまう武士の妻・政子。京と鎌倉の対比が興味深かった。今年は大河ドラマが鎌倉だから、それを見ている人はより楽しいのじゃないかな。私は見てないんだけど。海野幸氏(ゆきうじ)がとっても格好良い。でも私、読みながら「ゆきうじ」という名前ではなく、「さいわいし」という名字だと思ってたからね。最後の最後に気付いた。笑大姫が自らの感情を見せず、己を過去に縛っている理由。それが悲しくて、どうしようもなくて。私こういう人、たまらなく好きなんですよ。こういうシチュエーションたまらんな、どこかで読んだけど滾る…と記憶を浚ったら、ファンタジーアニメの和風BLパロ二次創作だったんだけど。政子のことを、「過たない」と言う理由。冒頭に、引用部の発言があって「すごい考え方するな。ポジティブ―!」と思ったそれ。すべてが自分のせいではないから。納得する物語を用意して、現実をそれに合わせてしまうから。彼女は間違えない。彼女は悔やまない。ただ進んでいく。振り返らずに。だから、娘はその物語を生きるしかない。愛されて愛されて、愛され抜いて。だからこそ逃げ道は、どこにもない。私が泣くと、誰かが死ぬ。幼くして涙を封じた姫に、周子は泣く理由を与える。花の香のせい、歌のせい。それで涙が出た、そう言えばいい。あなたは泣いてもいいのだ、と。けれど―――。母の偏愛は、妄執は、大姫を追い詰めていく。用意された物語。求められる筋書き。死して、なお。大姫にとっては、それこそが最高の復讐だったんだろうか。自由を得るための唯一の方法。たったひとつの解放。弱者に出来得る最大限の抵抗。けれどそれさえ、彼女を悔やませることはない。母・政子は、歩みを止めることはない。すべてを踏みにじり、その上に花を咲かせ。帝をすげ替え、国をも動かす。姫には、生きていてほしかったな。仏門に入って、ひっそりとでも。はじめて自分の物語を紡いでほしかった。大姫の境遇が非常に気になったので、大姫を題材にしたほかの作品も読みたいな。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.07.30
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本のタイトル・作者図書室のはこぶね [ 名取 佐和子 ]本の目次・あらすじ「方舟はいらない 大きな腕白ども 土ダンをぶっつぶせ!」創立当初から四十年以上続く野亜高体育祭の名物は、“土ダン”こと“土曜のダンス”。"Saturday Night"にあわせ全員が同じ振り付け・同じ音楽で、隊列やテーマに沿った衣装を工夫して踊る。女子バレー部を怪我で引退した野亜高校三年三組の百瀬花音は、土曜日の体育祭までの一週間、友人の代理として図書当番を引き受ける。カウンターにあった本を彼女は返却しようとするが、そこにはデータ上1冊しかないはずのケストナーの『飛ぶ教室』がもう1冊あって……。バーコードラベルのついた2冊目の中から、彼女は不思議なメモを見つける。これは、記録から消された十年前に行方不明になった本―――?それが今、一体誰が、何のために?卒業生がプログラミングした蔵書検索システムに隠された謎。十年前の事件。卒業アルバムから消えた図書委員。「土曜のダンス」の秘密。すべての謎が解ける時、百瀬は暗号の意味を理解する。○月曜の本火曜のパソコン水曜の蔵書検索木曜のハンバーガー金曜のホワイトボード土曜のダンス日曜の図書室引用その運動を今することに意味はあるのか?まあ、このあたりだろう。答えは正直わからない。大学生や社会人になってもバレーをつづける予定は今のところないから、意味なんてないかもしれない。でもわたしはこの頃、つくづく考えちゃうのだ。意味のあることだけをする人生って、案外袋小路じゃないかなって。感想2022年191冊目★★★★面白かった!これ、おすすめ。夏休みの読書感想文にも適していると思う。図書館や本屋、作家が出てくる話がもう無条件に好きなのだけど、これは高校の図書室が舞台。体育祭までのソワソワした「動」の部分と、図書室という「静」の組み合わせ。はじめ、図書室×謎のメモ…で「ああ、『本と鍵の季節』みたいなやつかー」「n番煎じ」かと読み始めたんだけど、コロコロ展開が変わっていき、思いもよらないところへ連れていかれたような感じ。足を怪我した背が高く足が大きく、可愛い名前のバレーボール部員。野亜高校一の美少女に告白し続け振られ続ける図書委員。派手な頭の色をして性別不詳の後輩。史上2人目の女性生徒会長。登場人物が増えていくけど、その誰もが魅力的。私は好き。この人の書くもの。この人の視線。この本の中では「気づける人」と言っているけど、それだと思う。ふとした違和感を、感じるかどうか。それを言語化できるか、認識できるか。野亜高校の検索システムが素敵で、ランダムに出される三問の三択に答えるだけで、三万冊の蔵書の中から自分の心が選んだ一冊が導き出される「本ソムリエ」。これやってみたいなあ。いいな。しかしものすごい量の本を読んでいないと検索への関連付けが難しいよね。野亜高校には図書室に専属司書がいて、先生も司書教諭の先生が出てくる。"Saturday Night"はどういう曲なんだろう…と後で検索したけど、聴いたことがあるようなないような…。巻末に「野亜高校図書室 今月のおすすめ本」があって、エーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』アーサー・コナン・ドイル『名探偵ホームズ(1)赤毛連盟』木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』井上靖『あすなろ物語』小嶋陽太郎『火星の話』竹内真『文化祭オクロック』笹井宏之『ひとさらい:笹井宏之歌集』といった作中に出てくる本を登場人物が紹介してくれてる。こういうの好き。ほんとうに読める作中作みたいな。さらに読んでみたくなる。これまでの関連レビュー・この本を盗む者は [ 深緑野分 ]・お探し物は図書室まで [ 青山美智子 ]・本と鍵の季節 [ 米澤穂信 ]・麦本三歩の好きなもの [ 住野よる ]・麦本三歩の好きなもの 第二集 [ 住野よる ]・戦場の秘密図書館 シリアに残された希望 [ マイク・トムソン ]・めぐりんと私。 [ 大崎梢 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.07.29
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本のタイトル・作者二重らせんのスイッチ [ 辻堂ゆめ ]本の目次・あらすじ2015年2月。地元で有名な個人塾を営む両親に育てられ、品行方正な優等生として常に成績トップを誇り、有名私立大学の大学院を卒業し、大手企業でシステムエンジニアとして働く桐谷雅樹。ある日、彼は皆が自分の顔を見ていることに気づく。そして会社に警察がやってきて言った。強盗殺人の容疑で逮捕する、と。防犯カメラに映っていたのは、自分。現場に残されていたDNAは、自分のものだった。引用実際、そのとおりだった。雅樹が家族とガラス一枚隔てた付き合い方をしていることに、彼らはまったく気づいていないということだ。息子が親に見せていたのは表の顔にすぎなかったのではないか、自分たちは理想を押しつけすぎていたのではないか――そう動揺し、反省する両親の姿も、見てみたかったような気がする。とはいえ、両親ばかりを責めようとするのはフェアではない。“安心させる”親子関係を進んで構築してきたのは、他ならぬ雅樹なのだから。感想2022年186冊目★★★★表紙から、「ヤンデレ共依存双子兄弟ブロマンス」を期待して読んだら違った(そりゃそうだ)。手持ちの札がどんどん開示され、そのたびに状況がひっくり返っていくような面白さのあるミステリー。「六人の嘘つきな大学生 [ 浅倉秋成 ]」が好きな人は好きな感じかも。以下ネタバレ。「雅樹を探すため」に全国に顔を晒したのは、双子の弟、ジェイク・モトキ・ウェストだった。自分と同じ誰かを短期間で一億2千万人から探し出す、「たったひとつの、冴えたやり方」。アメリカに養子に出された双子の片割れ。以前読んだ『他人のふたご』(韓国で生まれ、アメリカとフランスに養子に貰われたふたりが、偶然ネットでお互いを見つけるノンフィクション)を思い出した。日本は、その昔は養子の輸出国だったのね。「テスカトリポカ [ 佐藤究 ]」でも、日本人の子どものきれいな臓器を欲しがっていたけど、同じように養子の条件として麻薬中毒の親から生まれていない「きれいな子ども」を欲しがる人々にとって、日本人の子ども(ジェイクは三百万円)は魅力だったのか。ジェイクの言う双子トリック(?)が、「双子だからアリバイの立証が可能(入れ代わりトリック)」ではなく、「双子のどちらかが犯行を行い、しかしどちらも犯行を否認している場合、犯人を特定できず無罪になる」からなの、逆説的で目からウロコだった。どちらかが犯人には違いない、でもそのどちらかが特定できない。昔なら二人とも牢にぶち込んで終わりだったろうけど、現代の法治国家ではそうはいかない。犯人が特定できない=無罪。この理論ってすごいよなあ…。これ、二人とも犯行を認めている場合も同じことですよね。どちらかが犯人だけれど、そのどちらであるかが分からない。一卵性双生児のみのパラドクス。タイトルの「二重らせんのスイッチ」は、一卵性双生児の双子であっても、遺伝子のオンオフが生育環境により変わる(たとえば健康に気をつけて生活するかどうかで、病気の発現するスイッチが入るかどうか)。作中で、一卵性双生児をDNA判定できる方法が確立された(現実に2015年にニュースになっている)。それにより、双子トリックは崩壊する。作中の親との確執、私はミスリードされて、てっきり子供を売ったお金を塾の開設費用にした極悪非道な人たちだと思ってた。そういう面もあったんだろうけど。ジェイクが日本語を覚えていく過程、「そんなすぐに覚えられる?」と驚異的な学習スピードに驚くのだけど、幼少期に日本で過ごしていただけでそこまでいけるものなのだろうか。あと、ジェイクがコンビニ飯で感動していたパン。私もあれ好きです。ふわふわのホットケーキみたいなやつに、マーガリンとメイプルシロップ挟んでるやつ!日本のコンビニに慣れ親しんでいると、海外で「コンビニを!!我にコンビニを与えたまえ!!」ってなりますよね。特に海外旅行者には重宝する。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.07.24
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本のタイトル・作者三千円の使いかた (中公文庫 は74-1) [ 原田 ひ香 ]本の目次・あらすじ彼氏あり、給料はわりと良いけど貯金はほぼ無し。一人暮らしで独身OL生活を謳歌する御厨美帆。彼女はある日、保護犬の活動を見かけ、いつかのように自分で犬を飼ってみたいと思い立つ。しかしそれには家と収入がいる。「三千円の使いかた」夫に先立たれ、目減りする貯金を預け替えて利子を稼ぐ祖母、琴子。このまま年金だけで細々と暮らしていけるだろうか。「七十三歳のハローワーク」結婚を機に証券会社を止め、現在は消防士である夫の公務員の薄給で、幼い娘を育てながら節約生活を送る姉の真帆。学生時代の友人が豪華な結婚式をあげ、親から贈られる億ションに住むことを聞き、彼女の心は乱れる。「目指せ!貯金一千万!」祖母・琴子の園芸仲間で、季節労働で食いつないでいる風来坊の安生。付き合いの長い彼女・きなりが子どもを欲しがり―――。「費用対効果」病気をしてから、夫が家のことをまったくしないことが気にかかる母の智子。友人が熟年離婚をしたことを機に、自分の頭からもそれが離れない。けれどずっと専業主婦だった自分には、離婚して一人で生きていけるだけのお金はない。「熟年離婚の経済学」節約方法をブログで発信し始めた美帆。節約セミナーで出会った男性と結婚の話が出たが、彼には500万円の有利子奨学金という借金があることが分かり……。「節約家の人々」引用「作りたくて作ったわけじゃないの。ただ、ずっと病院食だったし、外食するのもおっくうだし、質素でも、ふつうのご飯が食べたかったから作ったの」(略)あんたのために作ったわけじゃない。自分のために作って、あなたはそのおこぼれを食べているだけだ。なのに、私はいつも彼のために、より良いものを、自分より多めに出してやっている。それを無意識にやってしまう。感想2022年180冊目★★★これは、小説?家事本のような、節約方法の本のような、不思議な感じ。それぞれの年齢、ステージに応じた節約や貯金の方法を紹介してくれている。それぞれの家族の物語が順番に登場して、リレー形式で物語が続いていく。「水を縫う [ 寺地はるな ]」の感じが好きな人は好きだと思う。しかし琴子(1千万)と真帆(600万)以外、みんな貯金なさすぎじゃないか。美帆の一人暮らしで30万円しか貯金がないって(しかも正社員だし給料も結構いいのに)すごいな…。智子も、いくら子どもの結婚に…とはいえ、自分の老後の蓄えを削ってまで、そんなにお金出してあげる必要ある?学費はともかくとして、結婚式くらい自分で払えばよくない…?それが出来ないのだとしたら、それはその2人に分不相応な式なのでは…?私は「18歳以降、親は金を出さない」という教育方針のもと、アルバイトと奨学金で大学に通い(医療費や交通費、教科書代諸々も勿論自分で)、就職して働いて貯めたお金で引っ越して家電製品を買い、結婚式を挙げた。でもそういうことって、あんまりないらしい。まわりの話を聞いていると、親ってそこまでやってあげるのか(やらないといけないのか)と驚く。車やマンションの頭金まで出してもらってるとかね…。私は他人に金と口を出されるのが大嫌いなので、それは辞退したい。宝くじなら大喜びで諸手をあげて頂くのだが。しかし、美帆の彼氏の「親が勝手に借りて(学費も含め)使った500万」ってすごいよね。私も身近にそういう子がいて、遠方の大学に通うのに親が「いいよ」と言ってくれたけど、結局生活費は自分で稼がなくてはならず、学費も滞納して、退学した。で、蓋を開けてみれば、親は高額の奨学金を借りて、学費と自分たちの生活費に充てていたのだ。結局学歴は高卒。アルバイトで働きながら、その子は「自分が大学へ行きたいと言ったから」とその借金を背負った。親って、何なんだ。その時に強く思った。一方で、親の収入がないために、成績で学費が免除になる学校を選び、全額返済免除の奨学金を受け、地元篤志の運営する学生寮に格安で住み、無料の国費留学に応募しまくっていた先輩もいた。お金のあるなしと、情報のあるなし。収入が多いからといって、貯金がたくさんあるとは限らない。その逆もまた然り。それは、「教育」?つまりは、「情報」なんだろうか。でも、お金はね、ある方がいい。少ないお金は、=少ない選択肢ということだ。年金暮らしの琴子は、あと数万円あれば、と言う。そうすればうんとできることが増えるのに。値段を基準に選ばなくて良くなるのに。私は今の仕事に色々と思うところがあるけれど、「幼い子持ち・田舎・女・30代後半」という条件で、現状と同じ収入が得られる仕事がない。それは今の会社で培ってきたスキルが給料に反映されているということでもあり、それが他社では価値がないということでもあるのかもしれない。ひとつ、それで働き続けるというのもアリなんだろうな、と考えている。好きなことは好きなことで、やればいい。収入は別の物だと割り切って。稼いで、貯めて、運用して。それで目標に到達したら、スパッと辞めてもいいわけだ。美帆は、幼い頃祖母の琴子に言われる。「人は三千円の使い方で人生が決まるよ」私はサマージャンボを買います。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.07.18
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本のタイトル・作者滅私 [ 羽田 圭介 ]本の目次・あらすじ「ミニマリスト」を仕事にした冴津武士。真っ白な部屋に最小限のもので暮らす彼は、ウェブサイトの運営や製品企画で生計を立てている。ある日、彼のもとに一枚の胎児のエコー写真が届けられる。送り主は、高校生の頃に妊娠させた彼女の弟。冴津が気にも留めていなかった、地元での過去の悪行の数々。彼によって人生を狂わされたという更伊は、冴津の周囲をうろつきはじめ…。引用捨てることは、高度な機能を体得し、収入を増やし広い家に住むというような、大変な努力や才能、財力を必要としないからだ。せいぜい粗大ゴミの処分量くらいの低コストで、狭い範囲の世界をがらりと変えられる。貧乏人でも劇的な効果を得られるから、不景気の世で、捨ては流行しやすい。物を捨てるのに目覚めた人たちの大半は、“己の幸せを物に頼っていた”という過去をもつ。表裏一体なのだ。目に見える状態が違うだけで、捨てまくる僕と買いまくる時子は、本質的に似ている。感想2022年179冊目★★★ミニマリストを扱った小説があれば読みたいなあと思って探して読んだ。羽田圭介さん、「バス旅」に出ている人、という印象だった。調べてみたらデビュー作『黒冷水』は読んだことがあった。しかしコレ…ミニマリストはぞっとする物語。もはやホラー。そこにある明白な自己欺瞞を暴いている。よく調べて書いてあるなあと思う。著者はミニマリスト生活を送ろうとしたことがあったのかな?登場人物に、有名なミニマリストのあの人やこの人をモデルにしているのでは?と思った。冒頭の、目に入るものを「要」「不要」でジャッジしてしまう主人公。ものすごく既視感がある。視界に入るごとに「お前にはこれが必要なのか?」を問われているようで、しんどい。そこまでして私は何を減らそうとしているのか?と思うことがある。主人公は、貰ったメロンパンをそのままゴミ箱へ入れる(無駄な脂肪を身に付けないため、無駄なカロリーを摂取しない)。ミニマリストのコミュニティで、同業者がノベルティで作ったTシャツも、開封することなくそのままゴミ箱へ。出産祝いの内祝いの切子のペアグラスは、袋に入れて瓶の回収ボックスへ。…はいドン引き~!!!笑でも、私もこういうことしてるんじゃない?とちょっと思う。さすがに未使用品を即捨てはしないけど、すぐに譲ったり売ったりする。古くなったものを(まだ使えるとしても)捨てることに抵抗がない。断捨離やこんまり流片づけでも、よく言う。「ここにあっても死蔵されているなら、ゴミ捨て場にあるのと同じです」だから捨てましょう、と。私はこれに違和感を覚える。いや、まだ使えるかどうか、その時点は違うやん?主人公は物で溢れた実家に帰り、いつから使っているのかも分からないたくさんの物に囲まれて思う。「最小限の、より便利でスタイリッシュな物に買い替える人間たちのほうが、多くのものを買い、捨てる」。たくさんの物を保有する実家の両親は物欲も少なく、何十年も同じものを使い続けている。どちらが地球に優しいのか。どちらが物に囚われているのか。私の夫は、十数年も前に買った服をずっと着ている。生地が薄くなっても、穴が開いても、破れても、着続ける。裂けて、物理的に着ることが出来なくなるまで。彼は「捨てられない人」でたくさん物を持っているけど、滅多に買わない。私の方がよっぽど多くの物を買い、捨てていると思う。ミニマリスト、シンプリストの大いなる欺瞞。物から自由になりましょう、と言いながら、持ち物すべてを数え上げる。それは、それこそが物に囚われていることではないのか。持ち物をすべて軽量化・最小化・複数用途にアップデートしていく。より少ないもので生きようという「偏執」。ミニマリストのコミュニティには、タイニーハウスで暮らす夫婦、ホテル暮らし、刑務所のような部屋に住む子持ちがいる。田舎暮らしを推奨するタイニーハウスの夫婦。彼らは、田舎では少ないお金で暮らせる、リモートワークで仕事も出来るという。主人公は、彼らのための安全やインフラ、配送をになっているのは、それが出来ない誰かなのに、と心中で思う。子持ちのミニマリストは、家に物がないから子供が外遊びをするようになったという。公園で遊ぶ子供は、家がつまらないから居たくないのだという。工作もなんでも捨てられちゃう。これ、私はちょっと身につまされた。(子どもの工作、捨てちゃうよね…)ミニマリストは習い事や何かも、「所有する物がないもの」を選ぶという指摘もあった。そう。物を少なくしようとすることで、選択肢の幅を狭めている。主人公は、物がないほうが楽だ、と言う。そして彼女にこう返される。「楽って、そんなに楽してなにがしたいの?」金銭的、空間的な煩雑さから解放された余裕。それをいったい何に使うつもりなのか、と。私は、物を減らした今の方が楽だ。息がしやすい、と思う。それは、「自分が把握し、管理できる物の量」だからだと思う。より少ないことが良い、というのではなく。自分がちゃんと面倒が見られる量、というのがその人ごとにある。で、私はそれがうんと小さかったのだ。いつも自分の部屋の真ん中で途方に暮れていた。圧倒的な物量だけで、その情報量だけで、頭がパンパンになる。今はそんなことがない。それが嬉しい。たとえば私は、文字の表記が苦手。自分の服にも、子どもの服にも、「文字」が入っているものは選ばない。家にあるパッケージ類もことごとく剥がすか、ないものにするか、文字がない方を向けている。視覚に入って来る情報が多いと、処理能力を奪われる。物を減らすことは、私にとってはそういう意味での「楽」だ。主人公は、ゴミ屋敷に足を踏み入れてから、自分の生き方に疑問を覚えはじめる。ごちゃごちゃと詰め込まれたそれらに囲まれ、彼は創造性が刺激される。ここらへんから、過去の伏線(?ともかく主人公はろくでもないやつである)とか置いてけぼりで「結局なんだったんだ…」というラスト。話の起承転結としてそれが必要だったにしても、お粗末だなあと思った。しかしミニマリストの心理描写についてはグッサグサ刺さるので、ミニマリストを自称している人や、ミニマリストに嫌悪感を覚える人にはおススメ。より少なく、より豊かに。その嘘臭いキャッチフレーズは、「SDGs」に通じるものがある。大いなる偽称。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.07.17
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本のタイトル・作者正欲 [ 朝井 リョウ ]本の目次・あらすじ水に欲情する夏月は、ずっとほんとうの自分を隠して生きてきた。普通のひとのふりをして、普通の日常に紛れて。引用「もう、卑屈になるのも飽きたから」飽きた。もう、卑屈にすっかり飽きたのだ。生きていきたいのだ。この世界で生きていくしかないのだから。(略)そう、これはもう、いま孤独に苦しむ誰かのためになんていう奉仕の気持ちからくる誓いではない。明日再びたった独りになっているかもしれない自分を、今から救い始めておきたいのだ。何より、生きていく方法を考えることは、これまで味がなくなるほどに噛み締めてきた絶望に打ち勝つと、そう思いたいのだ。感想2022年173冊目★★★★2022年本屋大賞第4位。『桐島、部活やめるってよ』の朝井リョウさんの長編。私、代表作『桐島、部活やめるってよ』をまだ読んだことがなく、というかエッセイ的要素を多分に含んだ短編集『発注いただきました! 』しか拝読していないので、ここから入ってびっくりした。この人、すごい「目」を持ってる人だな…。ピクセルで世界を見ている人だ。「正欲」―――正しい欲望。というのは何のか、というテーマの物語。人により、「性欲」を覚える対象は様々。登場人物は、なかでも「水」に興奮する。そしてそれをひた隠しにして生きてきた。自分は間違った生き物で。世界は正しい人間で溢れていて。この星の異物として存在し続ける。ここらへんの登場人物の気持ち、私、幼い頃の自分が言ってるのかと思った。自分がまるで、世界の誤植のように思える。違う言葉で書かれた本から切り抜いてきた一文。私にとって世界はずっと、そういうところだ。正しい人の、正しい王国。閉ざされた扉の前で。自分が異星人だと気付かれませんように。「普通」のふるまいが出来るよう、始終あたりに気を配りながら。幼い私は疑問だった。私だけが、「こう」なのだろうか?それは酷い思い上がりのように思えた。みんな本当は、私が演技をしているように、「こどものふり」をしているだけなのでは?何度も何度も、そう思おうとした。でもどうしても、そう思えなかった。もし、彼らが。本当に、彼らが、あるがままに、そのままに、いるのだとしたら。ただ彼らは純粋に、何の演技でもなく、ひたすらに、「そうある」のだとしたら。私だけが、世界の異物なのだとしたら。私の方が、圧倒的に完膚なきまでに、おかしいのだとしたら。このまま世界に馴染めず、未来永劫、染みのようにこの世界にひとりで存在し続けるのだとしたら。―――これほどの、絶望はない。私は浴びるように本を読み、ひとりで教会に通い始める。けれど結局、既存の信仰は私を救わず、私は自分で自分の神様を作って崇めるようになる。それがまあ、私が9歳から11歳くらいの頃の話。その後、12歳で私は同じような子どもに出会う。君はどの星から来たの?小さな黄色い傘の中で、私たちは息をひそめる。それぞれ別の星から来た子どもたち。将来の夢。なりたいもの。結婚したら子供にどんな名前をつけるか。このまま生きて、大人になること。皆が語る当たり前を、私たちは引き攣った笑みで受け流した。中学生になる。私たちは「ふり」がうまくなる。途方もない違和感を隠しながら。高校生になる。私たちは息をするのがうまくなる。いつだって窒息してしまいそうなのに。笑う時を、泣く時を、習得する。正しい王国の作法を身につける。流暢に正しい王国の言葉を話す。そうしていつか、なれそうもなかった、大人になる。私たちは皆散り散りになって、おそらくは、今日もどこかで生きている。この世界で生きることは、ずっと同時翻訳をしているみたいだ。終始耳を澄ませて、その意味を捕らえて、正しい反応を返す。私の生まれ持った言葉ではない言葉。私の使う文字ではない文字。時折疲れ果てて、擬態が解けて、本性が出てしまう。途端に耳を擦り抜けていく言葉。文字は意味を持たない記号になる。疲れたな。何もかもに嫌気がさして、ふとすべてを放り投げてしまいたくなる時。私は遠いどこかにいる、私の仲間のことを考える。異星に流れ着いた、神様の捨て子たち。懸命に耳をそばだてて、この世界の音を変換している私の同志。そしてまだ頑張れる、と思う。私はひとりじゃないから。だから私は、『正欲』の佳道と夏月が出会えたことが本当に嬉しいし、最後まで彼らが「味方」であったことを誇らしく思った。多様性という名の、耳触りの良い言葉。けれどそれは、「ただし許容できる場合に限る。」という注釈が付く。その主語は、「普通」という名の、「圧倒的多数」だ。夏月は言う。多様性とは本来、「自分の想像力の限界を突き付けられる言葉」だと。四肢欠損、丸呑み、幼児性愛、水、拘束、窒息…。それぞれの愛の対象を、多様性と呼ぶことは出来るのか?「許せる・許せない」の線引きは存在し、それは誰が決めるのか?その向こう側にいる誰かは、どうなるのか。私はずっと、こんな感覚を抱いているのは自分だけなのだと思っていた。だから、この本を読んで「分かる」を繰り返し、共感しながら読んでいくうち、これは作者の世界の見方にだけなのか、それともこの本が広く読まれているということは皆がこの本に書かれていることを自分のこととして共感しているのだろうか?と疑問を覚えた。幼い頃の「私だけなのか」問題。きっと程度の差はあれ、どこかにその違和感のようなものは、誰であれあるのだろう。普通の人たちが、大多数に属する人が、確認し合わないと不安なように。これは異常じゃないよね―――正常の範囲内だよね?許せないことじゃないよね―――許されることだよね?「私」は、「私たち」の側にいるよね?そういう意味では、佳道と夏月の性愛の対象が「水」なのは、読者には理解はし難くとも、受け入れやすいものだろうなと思う。やり方に問題がなければ、誰に迷惑をかけるでもない。(途中で自分たちで動画を撮る事にするの、「いやいや初めからそうしておけばよいのでは…」と思わんでもない。人間が映っている必要がないならリクエストせんでえーやん?)『聖なるズー』を読んだとき(これは獣を性愛の対象とする人たちのノンフィクション)、「私はどこまで嫌悪感を持たずに受け入れられるのか」を考えた。オタク界隈も長く生息していると、様々な性癖を表現した作品に出会うのだけど、やっぱり自分が「生理的に無理」というラインがある。それって、規範意識とかそういうものなんだろうか。自分が異端であると認識しながら、なぜそれを否定できるのだろう。前半と後半で視点が切り替わり、八重子は「こいつ痛い奴だな…」と思っていたのだけど、大也に啖呵切っていたところで一気に好きになった。どんな性癖でも関係ない。何が好きでも関係ない。それを隠れ蓑にするな、と彼女は言う。やってはいけないことはやってはいけない。誰かを踏みにじること、法律をおかすこと。それはその人の性癖とは関係ない。ここ、本当にそうだよな、と思った。理解されない私。かわいそうな私。ひとりぼっちの私。けれどそれは、言い訳にはならない。『プシュケの涙』という小説で、「自分にはトラウマがあるなんて、自分だって息をしているんだって主張することに等しい」というようなセリフがあって、私はいつもそれを思い出す。大多数が作ったルールがいかに生き辛くても。無理解に苦しむことになっても。そこに一定の共通前提がなければ、混沌とした世界でどうして生きていける?矛盾しているのだけれど、そのうえで「多様性」を、「ただし許容できる場合に限る。」を考えなくてはいけないんじゃないだろうか。落ちていく鳥―――印象的なカバー表紙写真のタイトルは、「Let Me Out」。私をここから出して。解放された鳥は、地面に叩きつけられるのか。翼を広げて、飛ぶんだろうか。これまでの関連レビュー・発注いただきました! [ 朝井リョウ ]・聖なるズー [ 濱野ちひろ ]・流浪の月 [ 凪良ゆう ]・三人の女たちの抗えない欲望 [ リサ・タッデオ ]・ブラックボックス [ 砂川文次 ]・わたしが先生の「ロリータ」だったころ [ アリソン・ウッド ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.07.11
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本のタイトル・作者ひとりでカラカサさしてゆく [ 江國 香織 ]本の目次・あらすじ大晦日の夜、ホテルの1室で猟銃自殺をした3人の老人。息子。娘。甥。姪。孫。部下。教え子。残された者たちは、語る言葉を持たずに語る。彼らはなぜ死んだのか。彼らはどういった人たちだったのか。引用そして、あたしは、と胸の内で言う。あたしはお金はあるんだけど、お金があってもほしいものがなくなっちゃったの。ほしいものも、行きたいところも、会いたい人も、ここにはもうなんにもないの。感想2022年168冊目★★★80過ぎの知己の男女三人が、大晦日のホテルで待ちあわせるところから物語は始まる。定期的に会っている元同僚。久しぶりの邂逅に旧懐の情を交わすのかと思いきや…。視点が切り替わり、新年の番組にニューステロップが現れる。ホテルの一室で男女三名が猟銃自殺したというもの。彼らは自死を選んだ。そこから、故人とかかわりのあった様々な人が登場し、独白のように述べては舞台を去って行く。入れ替わり立ち代わり台詞を述べる朗読劇みたい。私はいつも、江國さんの小説の唐突で中途半端な終わり方に「尻切れトンボ…!」「ここで書くの嫌になったんか…?」と思っちゃうのだけど(ごめん)、生きている彼らの日常はこれまでと変わらず、淡々と、喜怒哀楽の起伏を均しながら続いていくということでもある。しかし、最初から最後まで私は三人が死を選んだ理由が分からなかった。借金がある。病気である。欲望がない。だから死ぬのか?ホテルで?猟銃で撃って?後始末を任せて?いやもう、迷惑すぎるやろ。詫び代に、とお金残されても堪ったもんじゃない。この物語には、故人と「無関係な人」が登場しないんだよね。バーの店員や、ホテルのフロント、清掃員、葬儀屋。彼らの死の後始末をした人たち。それは、関わり合いのないものだったのかな。だから私は、彼らの死を閉じた世界の自己満足だと思うよ。周囲の人が憤ることもあまりなく、目を背けることもなく、ただ受け入れるというか、死に流されて行くのも、その凄惨な死を目の当たりにしていないからじゃないのか。赦せない、と私は思う。じゃあいったい、どんな死なら赦せるんだろう。自らを、自らで、終わらせる。「無理ゲー社会 [ 橘玲 ]」を読んだとき、「自分で自分を終わらせることを選びたい」という言葉があった。私にもそれに共感する部分がある。寿命は延びて―――まさか皆が、死を望むようになるなんてね。その皮肉は、「自分らしく死にたい」ということであって、たとえば認知症や重い病を得てまで生きていたくない、自分の死期を選びたいということだ。それって翻ると、「役に立たない人間になったら死ぬ」ということなのかもしれない。じゃあ、その前提となる「役に立つ」を生得できなかった人は、どうなるのか?自らの死を選ぶということは、外圧的に他人の生を奪うことではないのか?三人の老人は死んだ。彼らはなぜ死んだんだろう。このまま生きていても、仕方がないと思ったから?未来が、希望が、ないのだとしたら。生きる年数だけが延びても、どうしようもない。○ことばメモ無手勝流(むてかつりゅう)…戦わずに勝つこと。力によらず策によって勝つこと。また、自分勝手なやり方。自己流。(コトバンク)→私、「無勝手流」だと思ってた。笑これまでの関連レビュー・去年の雪 [ 江國香織 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.07.06
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本のタイトル・作者水たまりで息をする [ 高瀬 隼子 ]本の目次・あらすじある日、夫が飲み会で後輩に頭から水をかけられた。それから彼は、お風呂に入れなくなった。水道水は臭いと言い、雨に打たれ、遠い川へ入りに行く夫。彼は、狂っているのだろうか。引用衣津美にも、内側で誰の声も届かないほどの爆風が吹きすさんで、ずたずたになった心の中身が、自分でも想定していないほど遠くの、意外な場所まで飛んで行ってしまう時がある。ただ、彼女は手で耳を覆って、誰の声も聞こえなくなる代わりに嵐の音も聞こえないようにできるし、心が繊維状に散り散りに破れてしまっても、それを拾い集めてより合わせ、前と同じ形に似せることもできる。それは、そうしようと決意しているわけではなくて、子どもの頃から自然とそうしてしまうのだった。感想2022年167冊目★★★第165回芥川賞候補作ということで読んでみた初著者。ほか、『犬のかたちをしているもの』という作品を書かれているみたい。いまいち私のドストライクではなかった。・夫のちんぽが入らない [ こだま ] (8月に読んだ本①)・いまだ、おしまいの地 [ こだま ]のこだまさんのトーンが好きな人は好きな感じ。あと、私はこの作品を読んでいる間中、頭の中で細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」が同時上映されているような感覚があったので、そういう雰囲気が好きな人もいいかも。夫がお風呂に入らなくなった。それだけで、世界は簡単に狂ってしまう。水たまりの中に閉じ込められて、どこへもいけない。嵐がやって来て、そこから水が溢れてしまうまで。実際自分の夫がお風呂に入らなくなったらどうするかな、と思いながら読んだ。ミニマリストであれば、「湯シャン」を試したことがある人も多い(と、思う。たぶん)。シャンプーやリンスをやめて、お湯だけで洗い流す。でもこれ、普段よりうんとお湯を使って、何度も何度も熱めのお湯で流すことで皮脂を流す。それでも結構ベタベタするんですよ、最初。結局ガマンできなくて、私はシャンプー&リンスに戻った。最後、東京暮らしだった彼らは、主人公の故郷である田舎へ移住する。小川は川へ、川は海へ。自分の川を遡上できなければ、私たちはどこへ還れば良いのだろう。故郷の川がなければ。彼女は故郷の川へ戻った。彼女は最後に、そこからどこかへ行けるんだろうか。それとも、水たまりの中で息をし続けるんだろうか。その水は澱み、臭うようになる。彼女はその臭いに、慣れるんだろうか。そこで、生きていけるんだろうか。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.07.04
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本のタイトル・作者小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇 (ちくま文庫 いー102-1) [ 伊坂 幸太郎 ]本の目次・あらすじまえがき眉村卓「賭けの天才」井伏鱒二「休憩時間」谷川俊太郎「コカコーラ・レッスン」町田康「工夫の減さん」泡坂妻夫「煙の殺意」佐藤哲也『Plan B』より「神々」「侵略」「美女」「仙女」芥川龍之介「杜子春」一條次郎「ヘルメット・オブ・アイアン」古井由吉「先導獣の話」宮部みゆき「サボテンの花」編者あとがき引用「おまえはだれでもないし、ここはどこでもない。おまえはいないし、おまえはおまえですらない。おまえはどこへも行けないし、どこからも脱出できない。なぜなら脱出する世界も、脱出しようとしているおまえも、どこにも存在していないのだからな。存在するも、しないも、あるも、ないも、ないんだよ」一條次郎「ヘルメット・オブ・アイアン」感想2022年159冊目★★★伊坂さんが小説の面白さを知ってもらえると胸を張っておススメする短編集その2。この本の中では、泡坂妻夫「煙の殺意」一條次郎「ヘルメット・オブ・アイアン」が面白かった。「煙の殺意」はミステリによくある「殺人を隠すための殺人」なのだけど、その規模と原因が…。千人を超える人が目の前でバラバラと死んでいく、その原因が自分にある時。無関係の「もう一人」を殺すことで、自分のアリバイを証明しようとする話。芥川龍之介「杜子春」からの一條次郎「ヘルメット・オブ・アイアン」の流れはとても面白かった。「自分も杜子春みたいに最終的に悠々自適の暮らしがしたい」とタクシーでラクヨーを目指す男。伊坂さんは、芥川の杜子春がないと面白さが伝わらないから、という理由で収録されたそうだけど、こういう「本案」→「翻案」みたいな展開すごく好き。ちなみに伊坂さんは、芥川作品だと他のものの方が好きだそうです。笑私は「侏儒の言葉」が好き。普段小説を読んでいて映像が頭に浮かぶことのない伊坂さんが、これは映像が頭の中ですごかった、という古井由吉「先導獣の話」。ごめん…私は読みながら寝てた…。宮部みゆき「サボテンの花」。これ、伊坂さんがずっと「僕なりの『サボテンの花』が書きたい」と思っているんだって。私個人としては、宮部みゆきさんは上手すぎてあんまり好みじゃない。構成が上手い、読ませるのも上手い、登場人物も魅力的。だから逆に私はつまんないな、と思ってしまう。筆力がすごくて、教科書的で。読んだら面白いのが分かってるから読む気にならない、という捻くれた思想。「何なんだコレは?!!」というようなのが好きなんですよね…。人の本棚はその人をあらわす、と言う。その人が読んだものがその人を作っている。そしてこれから読みたい本はその人の関心を。私は作家さんの書評を集めた本を読むのが好き。この人が書くものは、こういう本から出てきているんだなあと思う。この本を読んで、「こう感じた」。本に書いてあることは、印刷されているものは同じ。けれどその受け止め方は千差万別、百人百様だ。その「こう感じた」の機微を、自分の中のさざ波を観察して、もう一度描けるのが作家という職業なのだろうな。図書館で、カウンターの後ろに到着した予約本が並んでいる。私は貸出処理をしてもらっている間、それを見るのが好き。これを読む人はどんな人なのだろう、と思いながら背表紙を眺める。私の前のおばあさんが、私が読もうと思っていた本を受け取っている。それは児童書に分類されているものだ。私もそれ、読みたいと思っているんです。どうしてそれを、読もうと思ったんですか。あるいは私の後のおじさんが、私が読んだことのあるシリーズ本を何冊も抱えている。それ、面白いですよね。その巻、すごい展開になります。私は心のうちにその言葉を留める。本と本の間に、無数の言葉が飛び交っているのが見える。喫茶店のざわめきのように、聞こえる。そこに書かれていない言葉が。これまでの関連レビュー・シーソーモンスター [ 伊坂幸太郎 ]・クジラアタマの王様 [ 伊坂幸太郎 ]・逆ソクラテス [ 伊坂幸太郎 ]・ペッパーズ・ゴースト [ 伊坂幸太郎 ]・小説の惑星 オーシャンラズベリー篇 [ 伊坂幸太郎 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.06.26
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本のタイトル・作者高瀬庄左衛門御留書 [ 砂原 浩太朗 ]本の目次・あらすじ神山藩郡方(こおりかた)づとめの高瀬庄左衛門。二年前に妻・延を亡くし、23になる息子・啓一郎と嫁の志穂、小者の余吾平と暮らしている。ある日、郷村廻りに出た啓一郎が、足を滑らせたのか崖下で息絶えて見つかる。庄左衛門は息子の仕事を引継ぎ、志穂は実家へ帰し、余吾平もまた里へ帰った。一人住まいとなった庄左衛門は手遊びに絵を描く。それを目にした志穂が絵を習いたいと末弟を連れて訪れるようになったが、何やら気掛かりがあるようで―――。引用が、長い年月を経てそのひとに出会ってみれば、うまく言葉にはできぬものの、やはりこうなるしかなかったのだという気がする。ちがう生き方があったなどというのは錯覚で、今いるおのれがまことなのだろう。感想2022年157冊目★★★第165回直木賞候補作。息子の死は事故なのか―――?読者にうっすらと不穏な空気を感じさせながら、庄左衛門の日常は続く。若かりしに競り合った道場仲間の思い出。実らなかった淡い恋。息子が敗北した天賦の才を持つ男の奇妙な魅力と、苛烈な過去。藩に投げ込まれた文。一揆の気配。郷村には、きな臭さが漂う。そこに、嫁の志穂とのもどかしいような、危ういような関係性。やがて物語は一気に佳境を迎え、すべてが縒り合され結末へ向かう。途中、志穂と庄左衛門のやり取りに、あああじれったい!!と思った。やっぱり息子の嫁に手を出すのはアウトなのね、この時代でも。きょうだい間だと、その兄/弟に嫁ぐというのはあったと読んだことがあるのだけど。最後はハッピーエンドを期待していたけど、そうはうまく行かなかった。想い、想われ。けれど実らぬ恋もある。庄左衛門が憧れ続け、最後に手にした時には己では使えなくなっていた「ベロ藍」。これ、いったいどんなものなのだろうと思って調べたら、「北斎ブルー」の青なんですね。ドイツ・ベルリンで偶然発見された合成顔料。だから「ベルリン藍=ベロ藍」。絵の具が買えないから、墨だけで絵を描いてきた庄左衛門。さぞかしこれで絵を描きたかったろうなあ。でもそれを、自分が亡きあと志穂に渡そうと大切にしまっておくあたり、ムネアツ。登場人物のなかでは、立花天堂(弦之助)と蕎麦屋の半次が好き。弦之助は、キャラクター性が私の好きなタイプ。新選組の沖田総司が好きな人は、絶対好きになると思うよ!笑庄左衛門が、弦之助に言う。人は生きているだけで妨げになる、助けにもなる。均して平らならそれで上等。これ、いいな。この考え。そんなつもりはなくても、どうしても嫌われることがある。そんなときに、自己を省みて悔やむ。けれどそれはもう、しかたのないことなのだと思い切れたら。どこかでそのかわりに、誰かを助けているのだからと。妨げになり、助けになる。その凸凹を、自分に赦す。それが人生だと。「神山藩シリーズ」第1作とあるから、まだ続くのかな?庄左衛門は50くらいだし、もう仕事も大変そうだし、今回で主役は終わり?次は弦之助か、志穂の弟の俊次郎がいいな。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.06.24
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本のタイトル・作者同志少女よ、敵を撃て [ 逢坂 冬馬 ]本の目次・あらすじ1940年5月、ソヴィエト。モスクワ近郊の小さな農村・イワノフスカヤ村で猟師の娘として育った16歳のセラフィマは、ある日ドイツ軍に村を襲われる。略奪、凌辱、虐殺。目の前で母を殺されたセラフィマは、すんでのところで赤軍に命を救われる。呆然自失のセラフィマに、美しい黒髪の女兵士イリーナは問うた。「戦いたいか、死にたいか」―――そしてセラフィマは、狙撃手となる。引用「いつか……戦争が終わって」イリーナは、窓の外を眺めながら答えた。「私の知る、誰かが……自分が何を体験したのか、自分は、なぜ戦ったのか、自分は、一体何を見て何を聞き、何を思い、何をしたのか……それを、ソ連人民の鼓舞のためではなく、自らの弁護のためでもなく、ただ伝えるためだけに話すことができれば……私の戦争は終わります」感想2022年156冊目★★★★著者は、本作でデビュー。第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞。でも、やっぱり2022年本屋大賞受賞のほうがインパクトが大きく、知名度を一気にアップさせたと思う。私は元資料(『戦争は女の顔をしていない』)を先に読んでしまっていたので、その生の声に勝ることはなかったけれど、歴史ものとしてのメッセージも、物語性のエンターテイメントとしても、読み応えのある一冊。ところどころ急にノリがラノベっぽくなるのと、シスターフッドがフッドで終わってないあたりが「お、おう」と面食らった。表紙のセラフィマとイリーナがとても美しい。どこかで見たような…と挿絵の名前を見ると「雪下まゆ」さん。作品を見ていたら、辻村深月『傲慢と善良』の表紙絵もこの方だった。第二次世界大戦中、対独戦争で戦った100万人の女性ソ連兵士たち。そのうちの1人・セラフィマを主人公に据え、猟をする田舎娘が凄腕の狙撃手になるまでを描く。周囲にも様々な背景、事情、思惑を抱えた人物をとりどり揃え、また反対の(敵の)視点からも語り手が登場し、物語は重層的な声を持つ。その言葉の多重性が、ソヴィエトという国そのもののように思えてくる。同志少女よ、敵を撃て。その敵はいったい、誰なのか。何なのか。貴族の娘。カザフ人の猟師。子どもを殺された母。ウクライナ出身のコサック。はじめ、彼らは狙撃訓練学校に集められ、厳しい訓練を受ける。ここらへんの章はまだ楽しかった。少年漫画の成長ストーリーでも、特訓の日々を描くところが好きだ。切磋琢磨し、葛藤し、仲間を得る。そして脱落と裏切り……。彼らはそれぞれの敵を撃つために、訓練を終え戦場へ赴く。ある者は、自らが戦う者と証するために。ある者は、子どもたちを犠牲にしないために。ある者は、女性を守るために。ある者は、自由を得るために。アメリカの女性兵は、チアガールのように後方で応援する。ドイツの女性は、家庭を守っている。ソヴィエトの女性は、銃を持って戦うのだ。彼女たちはそれを誇りに思っている。でも、それは先進的な国の証なんだろうか。夥しい数の死。その災禍がもたらされないことこそ、真に進んだ国々であろうに。私たちはそこへ、何十年経っても辿り着けない。今も、まだ。当時、彼らは信じていたのだ。この戦争が終われば、その世界へ辿り着けると。終わりなく殺され、とめどめなく殺し、後から生まれ来る人の幸福を信じた。そのために今、目の前の敵を撃て。敵を。―――敵は、誰なんだ?私にはそれは、鏡に映った自分自身のように思える。この物語は相対する世界を同時に描く。ドイツ軍の兵士、ソヴィエト軍の兵士。彼らはどこまでも相容れず、そしてまったく同じようにも見える。じゃあ、一体彼らは何のために戦ったのだろう?もしもそれを残せないとしたら、彼らの死に何の意味があったというのか。生き残った者が口を噤めば、その敵は姿を見せない。戦いたいか、死にたいか。イリーナの言葉に、ターニャは答えた。どっちも嫌だ。私は人を治したい。そして彼女は狙撃手ではなく、看護師になることで戦った。鏡を。見るんだ、よく。そこに映っているものを。『戦争は女の顔をしていない』で、聞き手である著者、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは言う。「「姿が見えなければ、痕跡は残らない」なんて悪魔に思わせないために」話してくれと。1978年。セラフィマとイリーナは、スヴェトラーナからの手紙に応じ、口を噤んできた彼女たちの戦争について語ることを決めたところで、物語は終わる。鏡を見る。歪んだそれ。ひび割れたそれ。同志少女よ、敵を撃て。虚像に引き金を引く。粉々に砕け、その姿は見えなくなる。そこに映っていたのは、自分の姿だったのか。それとも、自分の姿をした悪魔だったんだろうか。これまでの関連レビュー○独ソ戦を戦った500人の女性の聞き書きノンフィクション・戦争は女の顔をしていない [ スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ ]○ソ連はその後、極東(日本)へ侵攻した・熱源 [ 川越宗一 ]○戦後ソヴィエトの記録・タタール人少女の手記 もう戻るまいと決めた旅なのに [ ザイトゥナ・アレットクーロヴァ ]○第二次世界大戦後、ソ連がどうなったのか・池上彰の世界の見方 東欧・旧ソ連の国々 [ 池上彰 ]○ドイツ側で敗戦国として戦争を終えた少女の物語・ベルリンは晴れているか [ 深緑野分 ]○戦争を生き、敗戦を迎えて戦後を生きた、日本人の物語・羊は安らかに草を食み [ 宇佐美まこと ] ・インビジブル [ 坂上泉 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.06.23
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本のタイトル・作者護られなかった者たちへ (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ) [ 中山 七里 ]本の目次・あらすじ東北を襲ったあの大震災から、四年。皆が口を揃えて善人だと言う、一人の男が殺された。仙台市青葉区福祉保険事務所 保護第一課課長 三雲忠勝。彼は拉致され、監禁され―――自由を奪われた状態で放置され、餓死した。県警捜査一課の笘篠誠一郎らが捜査を始めるも、犯人の手がかりは一向につかめない。そんな折、第二の餓死者が出る。清廉潔白を絵に描いたような人格者、県議会議員の城之内猛留。犯人はいったい誰なのか?なぜ被害者たちを餓死させるのか?捜査を続けるほどに浮かび上がる、世の不条理。救いの手もなく、制度の網から零れ落ちてしまった者たち。―――あるいは、ふるいにかけられ、落とされた者たち。引用「人から受けた恩は別の人間に返しな。でないと世間が狭くなるよ」「どういう理屈だよ」「好意とか思いやりなんてのは、一対一でやり取りするようなもんじゃないんだよ。それじゃあお中元やお歳暮と一緒じゃないか。あたしやカンちゃんにしてもらったことが嬉しかったのなら、あんたも同じように見知らぬ他人に善行を施すのさ。そういうのが沢山重なって、世の中ってのはだんだんよくなっていくんだ。でもね、それは別に気張ってするようなことでも押しつけることでもなんでもないから。機会があるまで憶えておきゃあ、それでいい」感想2022年155冊目★★★※ ネタバレ注意 ※生活保護の水際対策についての、ずどーんと重たい本。映画化もされていた。最後の最後の、ラスト4頁で「お前が犯人やったんかーい!!」ってなった。いやあ、最初からやたらこいつ出張って来るなとは思ってた。ちょいちょい登場するなと。しかしこれは制度の説明をしなくちゃいけないから、ナビゲーター的な役割を担っているのかと思っていた。カンちゃん、お前だったのか…。(そんなごんぎつねみたいに)しかしカンちゃんは、なぜ8年という微妙なタイミングで犯行に及んだのだろう?兄のように慕っていた利根の出所は当初10年の予定で、模範囚としてつとめ8年で出所してきたことを彼は知らなかった。円山の部下としても働き始めてすぐってわけでもなかったし…。なぜに????出所した利根に復讐を持ちかけたが断られたとか、そういうきっかけがないと、8年目で仇討ちをするというのが解せない。きっかけは円山のもとで同じような却下事案があったこと、と言ってるけど、いやそれまでは別に特に気にしてなかったわけでしょう?幼い頃に大切な人を亡くした悲しみを、自分が護る側に立つことで昇華させようとして、頑張った。それなのに、どうして?これまで積もり積もって来た恨みが…というなら、何をきっかけに溢れたんだ?ここの描写がないから、なんかこう腑に落ちない。途中で円山が無理やり紙を渡そうとしていた人の案件だったのかなあ。生活保護制度については、この本だけではちょっと内容に誤解があるなと思っている。非人道的な水際対策についてがテーマだから、そういう描かれ方をしているんだとは思うのだけど。予算の配分の中でやりくりする、そのために受給者数を調整する(申請を断る)ってのはさすがにないんじゃないか…??もちろん無尽蔵に予算があるわけではないけれど。親族についての照会や銀行口座の照会も、ちょっと違う気がしている。まあ物語の展開上しかたがないのだろうけど、これ読んだらもうどんだけ困っていても生活保護受給できないな、と思ってしまいそう。一方で現実に、水際対策で飢えて亡くなった人がいるのだから。健康で文化的な最低限度の生活。はたしてそれは、いったい「どこ」なのだろう。物語の中には、子どもを塾に通わせてやりたいがため、役所に隠してフルタイムのパートに出る生活保護受給者のシングルマザーがいる。地の文で、「学歴は不文律のカースト制度だ」とあって、ドキリとした。今の日本では、裕福な家庭しか子供に教育を授けてやれない。刑務所に入っていた利根は、受刑者たちの生活が税金で賄われていること、オリンピックに多額の予算が費やされていることとに思いを巡らせる。社会保障費は削られる一方であるのに。生活保護費の申請をはねられ、食うものにも困り飢えて死んでいった者。身よりも金もない彼らの葬儀代は、同じ税金から出るのだ。利根は思う。なぜ同じ税金なら、生かす方に使ってくれなかったんだ―――。護られなかった人たちへ。最後に円山はSNSに犯行声明のような投稿をする。声を上げてください、あなたはひとりぼっちではない。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.06.22
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本のタイトル・作者僕たちの幕が上がる (ポプラ文庫ピュアフル 323) [ 辻村 七子 ]本の目次・あらすじ子供向け戦隊ヒーロー「海のもりびと☆オーシャンセイバー」の主役・オーシャンブルーとしての出演を最後に、仕事らしい仕事ができなくなった若手俳優・二藤勝。実家の鮮魚店を手伝いながら、細々と再現ドラマなどに出演していた勝に、ある日青天の霹靂のオファーがやってくる。新進気鋭の脚本家、英国帰りの鏡谷カイトが手がける新作舞台『百夜之夢』の主役に大抜擢されたのだ。―――彼は、勝が生徒会長をしていた高校時代、虐めを受けているのを見過ごした蒲田海斗だった。引用「その通りだ。お前は解けることのない問いを抱えて悩んでいるんだよ。そういうのは時間の無駄だ。『どうしたらいい?』ではなく、『ホワットキャナイドゥー?』の方にしろ。『何ができるだろう?』で考えるんだ。できる範囲の中にしか、お前に見つかる答えはない」感想2022年154冊目★★★高校生の演劇モノだと思っていたら違った。(たぶん「幕が上がる [ 平田オリザ ]」の影響)『宝石商リチャード氏の謎鑑定』の辻村さんのポプラ文庫ピュアフルからの初作品。書き下ろし。落ち目の主人公が、過去を克服していく様子を描いた舞台演劇の物語。わかりやすい成長ストーリーで、演劇のワクワク感は伝わるものの、どこかで読んだような設定と展開で、よく言えば分かりやすくて読みやすい。私はもう一捻り欲しかった。『最後の晩ごはん』の設定に被るところもあって、こっちが好きな人は両方好きな感じじゃないかな。お芝居に親しんでいないので、「こんな感じで練習しているのか」と興味深く読んだ。そして読後には、何かお芝居を見に行きたくなった。前に宝塚歌劇団に誘っていただいて見に行った時、「はー!なんかええもん見たー」という感覚が残って、すごい熱量とかキラキラしたものを満タンにした、という感じがあった。あれって映画では味わえない感覚。リアルタイムの、生身の人間がそこにいて、お金と時間をかけて作り上げた一期一会の夢幻を全力でぶつけてくる。怒涛の、というのがふさわしい。何かが流れ込んでくる。奔流のようなそれ。今は、子どもを連れてミュージカルに行きたいな。最後、カイトが勝ガチ勢で、オタクの勢いで喋り出すのが面白い。笑クールな仮面の下で、毎日稽古をつけながら(今日も推しが尊い…)とか思っていたんだろうか。ちなみに私、この2人ならカイト×勝だな。そこに勝←天王寺司を絡めてほしい。司さんめっちゃいい人やん…。これまでの関連レビュー・忘れじのK 半吸血鬼は闇を食む [ 辻村七子 ]・忘れじのK はじまりの生誕節 [ 辻村七子 ]・マグナ・キヴィタス 人形博士と機械少年 [ 辻村七子 ]・あいのかたち マグナ・キヴィタス [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 エメラルドは踊る [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 天使のアクアマリン [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 導きのラピスラズリ [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 祝福のペリドット [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 転生のタンザナイト [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 紅宝石の女王と裏切りの海 [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 夏の庭と黄金の愛 [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 邂逅の珊瑚 [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 久遠の琥珀 [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 輝きのかけら [ 辻村七子 ]・宝石商リチャード氏の謎鑑定 公式ファンブック エトランジェの宝石箱 [ 辻村七子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.06.21
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本のタイトル・作者月の光の届く距離 [ 宇佐美まこと ]本の目次・あらすじ17歳で同級生の彼氏の子どもを妊娠した美優。一人で子供を産んで育てると、家を飛び出したものの―――行くあてもなく、池袋のネットカフェに寝泊まりする日々。金に困り風俗の面接を受けた美優は、夜の街の少女たちに声掛けをし、サポートに繋げる居場所づくりをしている千沙に出会う。彼女の働きかけで、美優は奥多摩にあるゲストハウス「グリーンゲイブルズ」で出産までの間を過ごすことになった。グリーンゲイブルズは、認知症ながら矍鑠とした祖母と、わけありな様子の異母兄妹、血のつながらない子どもたちのいる不思議な家族で……。引用「子どもってそんなに弱いもんじゃないよ。子どもはね、自分で自分を育てる力を持ってるんだ」(略)「いいかい。親が守って育ててやらなければならないなんて気張ることはないんだよ。子どもの人生は子どものものなんだからね」感想2022年151冊目★★★羊は安らかに草を食み [ 宇佐美まこと ] の宇佐美まことさんの新作。(こうしてどんどん「この人の本読みたい」が増えていく…幸せな悩み。)第一章 夜の踊り場17歳で妊娠した美優の物語。夜の街をさまよう少女たち。第二章 夜叉を背負って「グリーンゲイブルズ」の兄・明良の物語。女性に寄生して生きる放蕩な父。それに人生を左右されても、流されて生きていくしかない息子。家に居場所がなく夜の街へ繰り出した明良が出会ったのは、性を売り物にする少女たちだった。そして彼は、幼い頃から児童ポルノの被写体にされてきた14歳の千沙に出会う。第三章 ただ一つの恋世界的に有名なファッションデザイナーとして名を轟かせた類子。結婚せず、父親を明らかにせず―――彼女は精子提供で娘を生んだ。何も知らず、何不自由なく育った華南子。彼女は大学で、過去を乗り越えて生きようとする明良に出会う。しかし二人の前には残酷な真実が待ち受けていた。第四章 月の光の届く距離出産を目前に控えた美優。児童相談所の職員から、産んだ赤ん坊を特別養子縁組に出すことも考えてみては、と言われ、美優の心は揺れる。彼女が出した結論は。一章と四章の物語の間に、過去の話が2つ挟まる形式。兄妹については、第一章で「もしかして」と思ったけどそうだった。そんな偶然ある?淡い恋心を埋葬しながら、子どもたちの親として生きていく。「家族」として。この本のテーマは、「家族とは何か」。売春、性産業、虐待。里親、養子縁組、精子提供。いっぽうに、血のつながりがあっても、ひどいことをする親がいる。いっぽうに、血のつながりがなくても、探し回り手を引いてくれる人がいる。血のつながりだけが、家族じゃない。父と母、その子供。欠けることないそれだけを家族と呼ぶのか。私の意識の中にも、そういう前提がある。自分が産んだ子供は、自分がその責任を引き受けるのだ、と決めた命だ。だからどこまでいっても離れない。逃げられない。この先何があろうと、私には選べない。子どもが私を選べなかったように。それが「血」なんだろう。けれど自ら選んだ「縁」は、繋いだり切ったりすることが出来る。私はだからこそ、里親や養子を迎える人を、保護や支援をする人を尊敬する。私は弱いから、逃げること、を考える。誰かが全力で自分を試したら、それに耐えられる自信がまったくない。そこに「自分が産んだ子だから」というある種の制約がなければ、そうやって退路を塞がれなければ、私はとてもじゃないけど子どもを育てられないんじゃないかと思う。だから、食べ物を散らかし、噛みついてくる子供を、忍耐強く見守る華南子はすごいと思った。私なら絶対キレてる。けれど一方で、もっと緩いつながりがあってもいいんだよな、と思った。明良は、まるで猫のように隣家の指物師・橋本と交流する。橋本も気負うところなく、ただ困っているならと寝食を提供する。こういう交流は、今とても難しくなっていると感じる。だからこそ、千沙は『ODORIBA』というNPO法人で、少女たちに居場所を提供している。ふらりとやって来て去って行ける場所。ネット上に溢れる言葉は、身体を休め、お腹を満たしてはくれない。ああ、そうか。「子ども食堂」もそうなのか。みんな、「ここまで」なら出来るというところでやっているんだ。私はこれなら出来る、というところで。それなら私は、私の「ここまで出来る」をやればいいのか。太陽のような「完璧に明るい家族」ではなく、やわらかく繋がった家族の形。美優は生まれてくる娘に手紙を書く。私たちは月の光の届く距離にいる。そっとあなたを照らしている。○知らなかった言葉メモ【八面玲瓏】どの方面も美しくすき通っているさま。心に何のわだかまりもないさま。これまでの関連レビュー・羊は安らかに草を食み [ 宇佐美まこと ] ↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.06.18
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本のタイトル・作者?星を掬う (単行本) [ 町田 そのこ ]本の目次・あらすじ小学生の夏休み。母との逃避行。どこまでも楽しい、夏の思い出。旅の終わりに、母は私を捨てた。そうして、私の不幸が始まった。千鶴は元夫のDVから逃れられず、金に困りラジオに母との思い出を投稿する。準優勝で5万円の価値が付いた、母の記憶。来週までに金を用意しておけと、暴力をはたらいた夫に千鶴は思う。来週。あいつを殺して、わたしも死のう。そんな時、ラジオ局に「母を知っている」という女性から連絡があった。再会した母は、若年性認知症を患っていた。引用「親に捨てられて苦しんできた。なるほどなるほど、大変だったかもしれないね。でも、成人してからの不幸まで親のせいにしちゃだめだと思うよ」(略)「そりゃ知らないけど、知ってても言うよ。不幸を親のせいにしていいのは、せいぜいが未成年の間だけだ。もちろん、現在進行形で負の関係が続いているのなら話は別だけど、彼女に関しては、そうじゃないだろ。こうして面倒見てもらってるわけだし」結城さんはわたしに向かって、「自分の人生を、誰かに責任取らせようとしちゃだめだよ」と続ける。子どもを諭す、そんな口ぶりだった。感想2022年150冊目★★★町田さんの著作のなかでは『52ヘルツのクジラたち』『ぎょらん』系だった。ずどーんと来る。読後感は意外とハッピーエンドで爽やかなんだけど。母に捨てられた娘。親を亡くした娘。母を捨てた娘。千鶴、恵真、美保。母と同じになることを強いられた母、娘を取り上げられて捨てられた母。聖子、彩子。それぞれの母娘の関係性。古い社員寮というの、いいよね。ラストの方、胸糞悪い事件が起こるので『すみれ荘ファミリア』を思い出した。主人公の千鶴が「お前な…!分かるけどな!」というジメジメした感じで、引用部の言葉を結城さんが言ってくれて良かった。ドラッカーの三角柱を思い出した。「ひどいあの人」「かわいそうな私」二面しか見えていないその反対側にある言葉は、「これからどうするか」。この本を読んだ人は、たぶんみんな恵真さんが好きになるんだと思う。それは、彼女が辛い過去を生きても、「これからどうするか」をずっと考えてきたから。私の脳内では彼女は『海月姫』の蔵子だった。不幸を誰かのせいにして生きるのはやめなさい。過去はどうあれ、今不幸なのは、あなたのせいなのだから。今不幸であることを選んでいるのは、ほかでもないあなたなのだから。ドラッカーの本を読んだとき、その容赦のなさに驚いた。「誰かのせい」にすることで自分を守り、生きられる人もいる。自分のせいだと思うより、それはきっと、楽だから。目を逸らし続ければ、問題の本質に目を向けなくて済む。それを解決する必要がないんだから。この本も同じく、「今のあなたが不幸なのはあなたがそれを選んだからだ」と言い切る。それに耐えられるだけの強さがないと、だめなんだよね。千鶴はそれを受け止められるだけの力があった。だからもう一度立ち上がれた。でも、千鶴の元夫でDV野郎の弥一なんかは無理。まずそこに目がいかないし、声が届かない。そういう人は永遠に不運と不幸に閉じ込められまままなのか。それこそが真の不幸だと気付かないまま。『親ガチャという病』でも思った。「親ガチャ」という言葉は生まれと育ちに原因を見出し、そこから先もそうなるのだと決めるようなものだ。そこに「自分」はいない。君が勝手に自分で助かるだけだよ。『化物語』の忍野メメの言葉を思い出す。これまでの関連レビュー・夜空に泳ぐチョコレートグラミー [ 町田そのこ ]・ぎょらん [ 町田そのこ ]・うつくしが丘の不幸の家 [ 町田そのこ ]・コンビニ兄弟 テンダネス門司港こがね村店 [ 町田そのこ ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.06.17
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本のタイトル・作者じい散歩 [ 藤野 千夜 ]本の目次・あらすじ建設会社を畳み、自ら施工したアパートの大家をしている明石新平。間もなく90の音を聴くところだが、エロ本蒐集に建築物探訪を兼ねた街歩き、喫茶や洋食巡りにとまだまだ元気いっぱいだ。長く自宅に引きこもっている長男、女として花卉業界で生きる次男、脱サラし地下アイドル事業をして借金まみれの三男。昔の浮気を何度も繰り返す妻は、記憶にむらが出てきた。だとしても日々、新平は朝の体操から始まるルーティンをこなし、街へ出る。引用「いいじゃん、記憶とどっちが先でも。家族全員で行けば、それで記憶通り。同じ、同じ」感想2022年140冊目★★★藤野千夜さん、はじめて読んだかもしれない。特に何と言ったことも起らない、淡々とした日常の物語。子供たちが(次男をのぞき)ろくでもなくて、「お前らしゃっきりせえー!!」と喝を入れたくなる。でも本人は諦めていて、自分たちが亡きあとはどうなることかとクヨクヨすることもなく、死んだら終わり、そこまでよと諦めて今を生きている。途中、「もしかしたらこれは新平のほうが認知症がはじまっていて、この『じい散歩』というのは新平が街を徘徊しているだけなのを、彼の物語の中から見ているだけなのではないか?」という入れ子方式かと疑いだしてしまい、「何それめっちゃホラーやん」「怖い怖い」と読み進めていたけどそんなことなかったです。(なかったんかい)自分が認知症になったとき、どういうふうになるんだろうな。それを想像すると怖くもある。プライド高いし、失敗したり出来なくなったりしていくことを、私は受け入れられないんじゃないか。始終何かに腹を立てているすんごい面倒くさいばあさんになる気がする。怒っている人は困っている人だ、と何かで読んだことを思い出す。助けを求められず、弱い自分を認められず。「怒り」の体を借りてそれを表明している。そういうものだ、と色んなことを諦められたらいいのにな。それもひとつの能力だと思うのだ。なるようにしかならない。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)なんて、自己責任論はぽんと横に置いておいて。だってどうしようもないことは、存在する。自分ではどうにもできないことは。生老病死はそれだもの。「ニーバーの祈り」のように、変えることができないものを受け入れる力と、変えられるものと変えられないものを見分ける力が欲しい。妻・英子が倒れた時、新平は自宅でそのまま看取る、病院には連れて行かないと言う。これは、この場合「変えられるものと変えられないもの」を見誤っている。ただその判断がそうであるなんて、後にならないと分からないことも多い。あるいは周囲から見てしか。本人には分からないことも、ある。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.06.06
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本のタイトル・作者現代生活独習ノート [ 津村 記久子 ]本の目次・あらすじレコーダー定置網漁台所の停戦現代生活手帖牢名主粗食インスタグラムフェリシティの面接メダカと猫と密室イン・ザ・シティ引用人は何者かになりたいんです。誰かから信頼を得ている何者かに。たとえその信頼の中身が空洞でも、信頼を得ているという気分自体が妄想であるとしても。感想2022年134冊目★★★津村記久子さん。大学生~就職したてのころ、心がくさくさして、トゲトゲした時、良い人になれない自分に嫌気がさして、もうキラキラしたきれいなものとか、感動とかそういうのどうでもいい、「これもう、あれだな?津村記久子しかねえな…」という気分の時によく読んでいた。最近そういうことがなかったので(単に忘れていたともいう)なんだか久々に嬉しかった。短編集。基本的に怠惰で、人に誇れるわけでも見せびらかせるわけでもなく、淡々と日常を送る。でもちゃあんと、やることやってんだぜ。その自負と、でもたまに感じる「これでいいのか」という自己嫌悪と。ここらへんの混ざり具合が、津村記久子気分、なんだよなあ。エントリーしてくる就活生のSNSをチェックする役目を負った私が、疲れ果てて情報を取捨選択することが出来なくなる「レコーダー定置網漁」。クラッカーと水、みたいなしょーもないご飯を記録した「粗食インスタグラム」。この2つと、架空の地図を作り込む学生「イン・ザ・シティ」。これが好みだった。どれも良かったんだけど。仕事で決断を繰り返していると、本当にもう、「もういやだ!」と思うことがある。「ちったぁ自分で考えろや!!!!!」とキレたいんだけどそういうわけにもいかない。取捨選択する作業って、地味に脳のリソースを奪う。基本アプリが複数入ってずーっと動いているような。だからもう考えたくなくて、選びたくなくて、決めたくない。服はひたすら同じものを着ているし、メイクも毎日同じだし、家事や勉強のルーティンも同じ。でも、そうはいかないものもある。そう、食事作り。夕食の用意が嫌で嫌で仕方がない。なんかもう、夕食食べながら「明日の夕食何にしよう」って考えだしているこの瞬間に、絶望する。ああ、また脳に負荷がかかってる。家事もそう。そこに置いてあるなにか一つの「モノ」が100の言葉で語り掛けてくる。過程がばーっと頭に浮かんできて、それがしんどい。ほんとうに。「レコーダー定置網漁」で、主人公はもうしんどいから古い海外ドラマを見てるんだけど、それが仕事で忙殺しているうちに放送終了していて、かわりにその時間帯で録画されていた番組をかわりに見ることに。レコーダーのタイトルはあくまでも前の番組のままで、中身は何が撮れているか分からない。その時の「今日は何がかかっているかな」と網を見に行くような感じ。こういうのが、必要なんだよな。予測不可能なものを、ぽんと飛び込んだものを、思いがけない出会いを楽しめる余裕。余白。それを取り入れるこちらの姿勢。人生に「必要」と「不要」で線切りして切り捨てても、どれだけ効率的にしても、それではつまらなくて。未来に備えても、出来ることは限られている。パニックになるりそうな時は「今」に集中しなさい、というよね。自分の身体の感覚に、五感に集中しなさい。今ここにいる自分を大切にする。考えたくない。感じたくない。前方から押し寄せるすごい量の情報にのまれないように、ばっさばっさ切り分けながら。もうその剣をふるうのに疲れ果てて、腕を下ろしたくなる。流れに身を任せると、どうなるんだろう?どんぶらこ、どんぶらこ。桃が流れてきたら。お椀が流れてきたら。それを切り捨てる前に、拾えるだろうか?面白がれるだけの余裕が、あるだろうか?この生活は、キラキラしていない。ギラギラもしていない。きりきりしているだけの、日々の暮らし。それでも何とか、やっていくのだ。試行錯誤を繰り返し、自分だけのやり方を見つけて。そこにささやかな楽しみを、ちいさな喜びを見出して。世界と折り合いをつけて、何度も「こんなはずじゃなかった」と思いながら。けどこんな自分が、わりと好きだと思いながら。これまでの関連レビュー・大阪的 (コーヒーと一冊) [ 津村記久子×江弘毅 ]・ディス・イズ・ザ・デイ [ 津村記久子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.31
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本のタイトル・作者大怪獣のあとしまつ 映画ノベライズ (講談社文庫) [ 橘 もも ]本の目次・あらすじ突如東京に現れ、あまたの人命を奪った謎の「大怪獣」。正体不明の光により大怪獣は絶命し、人類は救われた。処理に困る、前例のない巨大な死体を残して。引用何かにつけ答えを欲しがるくせに、提示するものはすべて納得がいかないと騒ぐ彼らのことが、雨音は憎くてたまらなかった。もともと、貧しい生まれゆえに、生きるための武器を得るため、国防大学に入った雨音だ。騙されたくないのなら、少しでも正確な情報を自力でとりにいくしかないと身に沁みていた。情報を与えられるのを待つだけの場所にいては、いつまでたっても、誰かに踏みつけにされたままだとわかっているから、彼らのように、安全な場所から文句を言うだけの人間が、許せない。感想2022年131冊目★★2022年2月公開の映画のCMを見て、ストーリー概要が気になりノベライズ版を読んでみた。うーん。読んでみて、映画はいいかな…と思った。よくある特撮の「謎の生物があらわれて…」ではなく、「その後」をどうするか、という視点は新しい。監督(三木聡)は、「時効警察」の方。「シン・ゴジラ」だって、海に戻っていったから良いものの、あれ死体がでーんと鎮座ましましたら、どうするよ?って話だもの。世の中は華々しい物語に目が向けられ、取り上げられるけれど、その「後始末」や「後方支援」部隊っていうのは、本体よりずっと大変だったりする。それはひとつまた違った大変さだ。それぞれがそれぞれに大変で、だからやっぱり、「どっちが大変だ(偉い)」の話は意味がない。(このあたり、奇しくも関西弁では「大変」と「偉い」を両方「えらい」と評するので、言い得て妙だなと思う。)『戦争は、女の顔をしていない』で、戦争が終わり、皆が故郷へ帰り、それでも残ったのは地雷除去部隊だった。戦勝し、生き残り―――畑の地雷を除去して死ぬ。何年も続いた、その「後始末」。で、そのあたりを丁寧に描いていたらまた違った映画作品だったんだろうなと思うのだけど、コメディ路線?SF路線?いや怪獣が出てきている時点でSFなのかもしれないんだけど、ふわっとばさっとした感じのテイストなので、「うーん」となった。私のドンピシャ好みではないんだよな。恋愛を絡めてくるのも、もういいんだよね。主人公(たぶん)は、環境大臣の秘書である女性。こいつがなあ。感情移入できないんだよなあ。3年前に謎の光につつまれ消え、戻って来た恋人。こいつもなあ。結局お前なんやってんってなる。私が一番好きなのは、雨音。両足を失うも好きな女性を妻にし、野心家で総理の秘書までのし上がる。裏で画策しながら、ずるくて、でもかなしくもある。映画には、山田涼介、土屋太鳳、濱田岳、オダギリジョー、西田敏行さんらが出演していたそう。豪華キャストだな…。映像で見たらまた、面白く感じるのかもしれない。でも劇場で見たい!ってほどストーリーにはそそられなかった。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.28
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本のタイトル・作者黒牢城 [ 米澤 穂信 ]本の目次・あらすじ天正六年、冬。飛ぶ鳥を落とす勢いの信長に反旗を翻し、有岡城に籠城した荒木村重。村重は、和睦を説き訪れた使者・黒田官兵衛を捕らえ、地下牢に繋いだ。閉ざされた城で奇怪な曲事が立て続けに起こり、村重は官兵衛の助力を仰ぐ。冬、人質は形無き矢で射殺された。春、討ち取った首は凶相にすげ替えられた。夏、内通者は存在しない鉄砲で撃たれた。そして秋―――。引用「犬死にをおそれる殿のお気持ちも、わからないではございませぬ。それも武門の心得にございましょう。されどわたくしは―――この先も苦しみが続くと思いながら迎える死こそが、もっとも残酷と思うております」感想2022年124冊目★★★第166回直木賞受賞、第12回山田風太郎賞。「このミス」(このミステリーがすごい! )2022年国内編第1位。米澤穂信さん、お名前見たことある(そして読みが分からない、と思ったら「よねざわ・ほのぶ」さんでしたね)。『本と鍵の季節』の方か。歴史小説×ミステリー。そういう意味では、・むかしむかしあるところに、死体がありました。 [ 青柳碧人 ]・むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。 [ 青柳碧人 ]みたいに、昔話×ミステリーの掛け合わせみたいに、今まであるものを掛けあわせることによって新しいジャンルが生まれる好例。今回は、「黒」田官兵衛が、有岡「城」の地下にある土「牢」の中から謎を解く、安楽椅子探偵もの。歴史小説の醍醐味「籠城」とあわさって、大変面白く、エンタメ性に富んだ物語になっていた。私は謎よりも、籠城(のもたらす、閉鎖空間での心理的抑圧・感情の動き)や信仰についての部分を興味深く読んだ。ある意味、私たちもコロナで「籠城」下に置かれていたわけで、そういう意味で城下のひとの気持ちがちょびっとでも分かる、かもしれない。どこへもいけない、そんな時。信仰がよすがとなる。曲事の真犯人は、京極夏彦の京極堂シリーズの「あなたが―――蜘蛛だったのですね」を思い出した。村重は官兵衛を殺さず留め置き、因果は巡る。官兵衛は、牢の中から知略を以て村重を謀る。そして村重は己の正当性を疑い、官兵衛もまた己の正当性を疑う。最後、官兵衛の子どもが出てくるんだけれど、その時「うーん」と思った。これはこれで救いなんだけど、でも。復讐は果たされなかった。その原因がなかったのだから。それは、たくさんの死が、無に帰したとも言えまいか。これまでの関連レビュー・本と鍵の季節 [ 米澤穂信 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.21
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本のタイトル・作者水を縫う [ 寺地 はるな ]本の目次・あらすじ「縫い物が好きです」ああ、やってしまった。でも、言わずにはおれないのだ。好きなものを、好きだと。その結果また、ひとりも友だちが出来なくても。高校生になった清澄は、幼い頃祖母に教わった手芸に魅せられ、日々刺繍をしている。公務員の母が、もっと「普通の男の子らしい」趣味を持ってほしいと思っていることは知っている。けれど、それに一体なんの意味があるだろう?祖母・文枝と母・さつ子。そして、塾の事務員として働く姉・水青(みお)。デザイナー志望だった父の全(ぜん)は清澄が赤ん坊のころに家を追い出され、今は雇い主の黒田さんが毎月養育費を持ってきてくれる。可愛いものを徹底的に嫌う水青が結婚することになり、「僕が姉ちゃんのウェディングドレスを縫う」と言った清澄だったが―――。引用「明日、降水確率が五十パーセントとするで。あんたはキヨが心配やから、傘を持って行きなさいって言う。そこから先は、あの子の問題。無視して雨に濡れて、風邪ひいてもそれは、あの子の人生。今後風邪をひかないためにどうしたらいいか考えるかもしれんし、もしかしたら雨に濡れるのも、けっこう気持ちええかもよ。あんたの言うとおり傘持っていっても晴れる可能性もあるし。あの子には失敗する権利がある。雨に濡れる自由がある。……ところで」ところで。下を向いていたから、その言葉を母がどんな顔で言ったのかは知らない。「あんた自身の人生は、失敗やったのかしら?」感想2022年123冊目★★★★第9回河合隼雄物語賞受賞作品。私は、第67回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(2021年夏休み)の「高等学校の部」に選ばれていたので読んでみた。これ、すごく良かったです。中学生くらいから読んでほしい。・犬がいた季節 [ 伊吹有喜 ]・金の角持つ子どもたち [ 藤岡陽子 ]・うつくしが丘の不幸の家 [ 町田そのこ ]ここらへんが好きな人は、絶対この本も好みだと思う。ひっそり、しんみり、じんわり。寺地はるなさん、「1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。会社勤めと主婦業のかたわら小説を書き始め、2014年『ビオレタ』でポプラ社新人賞を受賞しデビュー。『大人は泣かないと思っていた』『正しい愛と理想の息子』『夜が暗いとはかぎらない』『わたしの良い子』『希望のゆくえ』など著書多数。」らしい。はじめて読んだけど、もっと読みたくなった。第一章 みなも(清澄)第二章 傘のしたで(水青)第三章 愛の泉(さつ子)第四章 プールサイドの犬(文枝)第五章 しずかな湖畔の(黒田)第六章 流れる水は淀まない(清澄)各章ごとに登場人物(家族)の視点が切り替わりながら進んでいく物語。家族であっても、知らないことや見えていないことは、ある。男の子らしさ、女の子らしさ、母親らしさ。家族らしさ。「らしさ」って何?それにとらわれていても幸せになんかなれないじゃん、ていう話。私は第三章の「愛の泉」が、まさに子育て中の今刺さる。保育園に迎えに行って、自転車の後ろで子供が一所懸命に今日あったことを話していて、でもさつ子の頭の中はこれからの家事のことでいっぱいで。もっとちゃんと話を聞いてやればよかった、とさつ子は言う。こういう、子どもが大きくなった後で、「小さかった頃にもっとああしていれば」と悔やんでいるものを読むと、胸が苦しくなる。だって今まさにそこにいて、でも出来ていないから。その後悔は未来の私の後悔だろうから。娘が小学校にあがり、私は「この子内気やし、思ったことよう言わんし、新しい環境に馴染めるやろか。友達できるやろか。学校生活送れるやろか。大丈夫やろか」とすごく心配していた。学童を嫌がって通わなくなり、仕事を辞めた母親すらいる。私もそうなったらどうしよう―――。娘を心配するようで、その実、自分のことを心配しながら、思っていた。でも、蓋を開けてみれば、ケロリとして本人は毎日楽しく通っている。「学童のほうが保育園より楽しい」と言い、新しい友達を作り。スイミングという初の習い事も、レジャー感覚で楽しんでいる。その時、私は「ああ、私はこの子のことを見くびっていたな」と思った。心配の真綿で包むようにして、でもそこから出て行けないと思っていた。違うんだ。この子には、力がある。殻を破り種から伸びる芽のように。私はそれを閉じ込めてはいけないんだ。清澄の母・さつ子は、「やめとき」が口癖だ。失敗するから、ろくなことにならないから、無駄だから。やめとき。でも、それを決めるのは母親ではない。祖母の文枝は、「子供には失敗する権利がある」という。伸びたいほうへ、伸びていけ。それを待つのは、見守るのは、ときに辛いことであるけれど。その力を信じること。力を付けられるように手助けすること。でもそれは―――自転車に一人で乗れるように手を添えるだけ。そこから先は、自分で漕いで、行きたいところへ行けるように。74歳の文枝がプールを始める「プールサイドの犬」も良かった。水が好きで、泳ぎたかった。でも、やめた。50歳の頃、孫も生まれてもう若くないと決めてかかっていた自分。けれど今思えば、その頃の自分は、今の自分よりうんと若かったのだ。誰かが言う。それは「らしくない」。年齢に、性別に、そぐわない。でもそれを他人に預けてしまっても、その人は自分の人生を生きてくれるわけではない。清澄は文枝に言う。今から始めれば、80歳になる頃には水泳暦6年やん、何もしなかったらゼロのままだけど。そうだよね。英語を勉強していて思う。今更、仕事でも日常でも使う機会も必然性もないことをやって、何になる?でも―――。60歳の私は、今から25年先にいる。その間英語を勉強していたとしたら、どうだろう?きっと私は、今の私に感謝するだろう。私が20歳の私を悔やむことを、未来の私にはしてほしくない。やりたいなら、やるべきだ。誰が何と言おうと。「やめとき」に、耳を貸さないで。これは、家族の物語。なので、途中「しずかな湖畔の」で黒田さんが出てきたときは「お?」と思った。結局最後までお父さんの「全」は出て来なかった。全さん。この人自体が、風とか水みたいなひとだよなあ。黒田さんが「待っている」と言ったのを、「もしや全を」とBL展開を期待したんだけど、これって清澄が同級生のくるみちゃんとの間柄を母に邪推されていて嫌がったのと同じだよな。成人した大人は「つがい」があるべきだという、ペアリング思想。BLも結局それだよな、と思って自分の価値観の狭さに驚く。性別を置き換えたところで、根底にあるものが変わらない。「らしさ」は分かりやすい。複雑な世の中を定型化し、分類する。理解しやすくする。説明しやすくする。その中にいれば安心だ。謗りを受けることもないかもしれない。けど、そう簡単にカテゴライズできるほど、世の中は簡単ではないはずだ。カメレオンみたいになれればいいのに、と私は思う。見たい人は私にその色を見ればよい。けれど私は、その色に染まらない。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.20
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本のタイトル・作者六つの村を越えて髭をなびかせる者 [ 西條 奈加 ]本の目次・あらすじ最上徳内こと、高宮元吉(げんきち)は、出羽の村山・楯岡村の出身。貧しい百姓の家に生まれ、幼少より数字と文字に強い興味を抱いた元吉。切煙草の行商も行う父は、息子の強い学問への関心を認め、江戸行きを薦めた。元吉は二十七歳で神田の煙草屋に奉公し、人の紹介で御殿医の家僕の職を得る。家僕の仕事をこなしながら湯島の塾に通い始める。永井右仲を師とし、算学に励む元吉。元吉はその師匠である本田利明・通称音羽先生に引き合わされ、未開の地・蝦夷の見聞に従者として伴うことととなるが―――。引用「イワン コタン カマ レキヒ スイエプ ヘマンタ ネ ヤー」「キケパラセイナウ」相槌を打つようにこたえていた。チライカリベツコタンに通い始めた頃に教わった。六つの村を越えて、髭をなびかせるものは何か?謎かけのこたえは、髭のように見える神具、キケパラセイナウだ。「トクは、キケパラセイナウだ」髭をなびかせ、多くの村々を渡る者。その姿は、徳内の抱く大望と、ぴたりと重なった。感想2022年122冊目★★★★『心淋し川』で直木賞を受賞した西條さんの新作。タイトルから勝手に「限界集落6村を担当する医師の過疎地医療の物語」だと思っていた。(この思い込みのパターン多い。笑。おそらく「赤ひげ先生」からの連想。)親切な表紙絵を見れば、「アイヌの衣装」「蓑(=現代ではない)」から大まかな内容が掴めそうなものなのに。いやあ、面白かった。江戸時代、蝦夷地を見聞した最上徳内の、アイヌとの物語。教科書で名前だけしか知らなかった最上徳内。それがこんな人だったなんて。立身出世、波乱万丈の人生。でもこの本は全編ほぼ不遇の時代の話で、もう報われないことこの上なくて…。その後、教科書に載る立派な「最上徳内」の話は、最後の4頁くらい。北方の地の調査と、アイヌとの交流。松前藩の搾取。徳川家治の死去、蝦夷地調査・開拓を推進していた田沼意次の失脚―――。現場の声は、政治に掻き消される。誰かの思惑は、誰かの意図に反する。正しい行いを正しく行うことは、いつだって難しい。「北方の見聞」に赴いた探検隊としての物語も面白かったのだけど、何よりその内部政治的な部分に惹かれて読んだ。しかしもう…みんなが報われなさ過ぎて悲しくて。最後の最後に、最上徳内がひとり、意志を―――遺志を、継いでくれた。前に読んだ熱源 [ 川越宗一 ]は、これから後の、明治~昭和までの物語。ぜひこの作品もあわせて読んでもらいたい。知床観光船沈没事故で北海道の地図を見るにつけ、自身の不明を恥じる。ロシアとの国境問題は、今ウクライナ侵攻が行われているからこそ、どうしても過敏にならざるを得ない。けれどそれがなぜ、いつ、どうやって定められたのか、歴史の授業で習ったことを、すぐには思い出せない。この本の中で、徳内はエトロフでロシア人と友となる。そして思うのだ。猫の喧嘩に等しい国境の線の引き合いで、なぜ人はこうも爭うのか。その地にありては、どうとでも良いと思えることで。田沼意次のもとの植民計画も初めて知った。人は人の下に人を置くことでしか生きられぬものなのか。異なる言葉。異なる文化。異なることは、なぜこんなにも、恐れを生むのだろう。恐れは、怯えは、それを屈服させ服従させ、制圧するための戦いへつながる。そして恨みが、怒りが、火種のように燻り続ける。終わらない輪環。戦争においては誰もが敗者である。というのは、どこで目にした言葉だったか。私たちはその歴史からかくも手痛く学び、賢くなったのだと思っていた―――のに。これまでの関連レビュー・心淋し川 [ 西條奈加 ](2021年5月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)・曲亭の家 [ 西條奈加 ]・熱源 [ 川越宗一 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.19
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本のタイトル・作者小説の惑星 オーシャンラズベリー篇 (ちくま文庫 いー102-2) [ 伊坂 幸太郎 ]本の目次・あらすじまえがき永井龍男「電報」絲山秋子「恋愛雑用論」阿部和重「Geronimo-E, KIA」中島敦「悟浄歎異」島村洋子「KISS」横光利一「蠅」筒井康隆「最後の伝令」島田荘司「大根奇聞」大江健三郎「人間の羊」編者あとがき引用よく言われるように、今はたくさんの娯楽があります。時間は限られていますし、その中で無理やり、小説を読んでもらいたい、という気持ちはありません。誰もが自分の好きなものを楽しめればいいな、といつも思っています。感想2022年121冊目★★★伊坂さんお気に入りの作品を集めた短編集。「あとがき」に何故それを選んだのか、ということが書かれていて、読後にそれを読むのも楽しかった。私は語り(文体)としては中島敦の「悟浄歎異」、構成は横光利一の「蠅」、話の内容としては島田荘司の「大根奇聞」が好き。筒井康隆の「最後の伝令」は、伊坂さんがあとがきで言われているように、「小説でできることは大半が筒井康隆さんがやっている」んですね。すごい。冒頭で「これ、アニメ「はたらく細胞!!」やん」と思ったんですけど、筒井さんが書いたの1996年だもの。伊坂さんの軽妙洒脱な小説はこういう物語の影響を受けて出来上がって来たんだなあ…と思うと、どの作品もその影が感じられて楽しめた。自分では読まない作家さんや作品にこういう機会に触れられるのは嬉しい。「あの人がおススメしているのなら、まあ間違いないだろう」という信頼。で、こういう本を読むと「自分ならどんな本を作るか?」と思う。編者として「あなたが考える最強の『面白い小説』を集めた短編集を作りましょう」と言われたら、どれを選ぶ?うわあ、難しい。私なら、・芥川龍之介「侏儒の言葉」・梶井基次郎「檸檬」・有島武郎「小さき者へ」・村上春樹「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」は絶対に入れたい。ああでも、村上春樹は「カンガルー日和」でもいいな。新見南吉、宮沢賢治、カミュも入れたいけど、ここらへんは「どの作品だったかな」と探さないと思い出せない。・掃除婦のための手引き書 [ ルシア・ベルリン ]・声をあげます [ チョン・セラン ]らへんを入れても「おっ?」となって面白いだろう。森見登美彦氏も入れたいけど短編か…。やはりここはベタに『夜は短し歩けよ乙女』の第一夜を入れておくべきか。(私は「深海魚たち」のほうが好きなんだけど)伊坂さんもいれたいなあ。何がいいかなあ。若者に向けたメッセージ性でいくと「逆ソクラテス」を入れたい。江國香織、三浦しをん、京極夏彦…お気に入りの作家の名前をあげればきりがないのだけど、短編縛りとなるとなかなか難しい。…なんて、夢は広がりますね。伊坂さんもあとがきで仰っていたけど、どうしても教科書に載っていたような作品を選んでしまいがち。それだけ時間のなかで研がれてきた魅力があるんだろう。残るものには。誰かが本を読んでいると、「どうしてその本を選んだのですか?」と興味が沸く。その人がその本から何を受け取ったか、というのも気になるところなのだけど、それ以前の問題として。そしてそれを見せてくれる「本好きの本を読む本」が、私は好き。もう1冊、「ノーザンブルーベリー篇」もあるので楽しみ。これまでの関連レビュー・シーソーモンスター [ 伊坂幸太郎 ]・クジラアタマの王様 [ 伊坂幸太郎 ]・逆ソクラテス [ 伊坂幸太郎 ]・ペッパーズ・ゴースト [ 伊坂幸太郎 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.18
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本のタイトル・作者ブラックボックス [ 砂川 文次 ]本の目次・あらすじ子どもの頃から、「ちゃんとする」ことが分からなかった。堪えること。抑えること。合わせること。ちゃんとできないままに、大人になった。家を出たくて高校を卒業して自衛隊に入り、先輩と喧嘩になり辞めた。不動産の営業に就職して、社長の息子に突っかかって辞めた。工場、現場、コンビニ。職を転々として、28歳で行きついたのはメッセンジャーだ。降りしきる雨の中を走る。どこかへ行きたい。どこか、ここでないところで、「ちゃんとして」生きるのだ。落車すればきっと、一瞬で終わる。そのさきの未来は、見えない。引用まだ若い、という周囲からの言葉と無限にあるように思える時間に胡坐をかいてる間にどんどん色々なものが錆びついてそう遠くないうちにのっぴきならない状況に追い込まれるかもしれない、とサクマは肌で感じる。(略)でもその最後の瞬間が確実に来ると分かっていても、こっちに対抗する手立てがないなら一体どうすればいいんだ?感想2022年117冊目★★★第166回芥川賞受賞作。著者は元自衛官・現地方公務員だそう。どうりで自衛官の描写がリアルだなあと思ったんだけど、刑務所内のシーンもリアルで、一瞬著者は刑務官?と思ったんだけど法務省の国家公務員だから違いますね。(そんなん言い出したら作家自分の事しか書かれへんやん)内的な閉塞感から始まり、それが物理的な閉塞感に変わる。前半と後半の切り替えがすごくて、パッ!と舞台が暗転して一瞬で場面が切り替わったような感じ。前半のサクマの気持ち、わかる。世の中には「当たり前」があって、そこには「ちゃんとした人々」がすんでいる。その王国に入れない者は、どこで暮らせばよいのだろう。自分が欠陥を抱えたまま流離い、なんとか王国の辺境に潜り込んで、道端に蹲る。人の目に触れないように、咎められないように、追い出されないように。通り過ぎていく人々が笑う。自分を笑っているように思う。そうでないのだとしても。どうして私は、この地に生まれついたのだろう?永遠に閉ざされた扉を、叩き続けている。そこに入れてくれと。私は大学を卒業した後、就職しなかった。つかれたな、と思っていた。どこまでゆけば赦してもらえるのか。赦されるのか。遠くへ行きたい。名前を消して、存在を消して生きていきたい。社会に所属すると面倒だ。それは、繋がりをもたらす。死に難くなることを意味する。「安定は異動の困難さを意味する」。西尾維新の小説で、そんなことを言っていた。ろくな大人になれないと思っていた。きっと私はこの世界で生きていけない。幼い頃から恐れていたのは、いつか私は耐え切れなくなるだろうということだった。けれど学校という場所を出て見れば、世の中には「ろくでもない大人」が溢れていた。ずるくて、弱くて、考えなしで。それでもどうにか、生きていけるのなら。私がこれまで信じていたものは、何だったのだろう?聳え立つ扉を幼い拳が叩く。皮が破けて血が流れる。叩き続けなくちゃいけない、そこに入れてもらえるまで。もっと力を付けなくちゃいけない、扉を開けられるようになるまで。びくともしないそれを前に、途方に暮れて―――自分ではだめだと、諦めて。正しい人の、正しい王国。でも本当は?壁に囲われた王国はなかった。扉の前にずっと立っていたから気付かなかった。扉の向こうには、同じ景色が広がっているだけ。その向こうにあると信じていただけだった。サクマは正しい王国があると信じていた。そしてそこに入れなかったから罰せられたのだ、と彼は受け止める。後半はサクマをどうにか助けるすべはないのか、なかったのかと思いながら読んでいた。「ここではないどこか」を求め続けていると、見えないものがある。それは結局、今この、自分が立っている場所でしかないから。どこへも行けないままに、だからどこへでも行ける。私はそこに、ちいさな自らの王国を築く。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.14
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本のタイトル・作者陰陽師 女蛇ノ巻 (文春文庫) [ 夢枕 獏 ]本の目次・あらすじ傀儡子神・たのしげに踊る男の話竹取りの翁・目の痛み治らぬ女の話さしむかいの女・三日間目を覚まさない男狗・仲悪い女の童と狗の話土狼・西洞院大路の怪事墓穴・哀しき夫婦の情愛にぎにぎ少納言・夢で手を噛んでくる美女相人・人の死を予見する人相見塔・塔を築いては壊すように命じられる兵士たちの話露子姫・姫の見る不思議な夢月を呑む仏・薬師如来が水面の月を掬う蝉丸・音曲愛でる秋の夜引用「おまえであれ、この晴明であれ、その意味については、他人がそれを決めるのさ。博雅よ、おまえが、この世にあるそのことが、それだけで意味なのじゃ。それが、この晴明にとって、何ものにもかえがたいものなのだよ。ただ、そこにいる、それだけで、このおれにはありがたい。それこそが、博雅のこの世にあるおれにとっての意味なのだ……」「お、おい、晴明――」「なんだ、博雅」「そのような顔で、そのような声で、突然にそのようなことを言うものではない」「そうか……」「おれは、困ってしまうではないか」「困ることはない」「ばか……」感想2022年113冊目★★★※ 腐女子目線の感想につきご注意ください ※ばか…!はいはいもう、いやもう!天才陰陽師が従三位天上人を好きすぎる件についてーーー!!この引用部とは別で、「お前が愛しうてこういう眼になってしまう」とか博雅さまに言うてるからね、この男。一瞬「あれ?私が読んでるのは二次創作だったっけ?」ってなったよ。夢枕先生、どんなお顔で、どのテンションで書いてらっしゃるの?晴明、どこにでも博雅さまを連れていこうとしすぎ。どんだけ一緒にいたいねん。いや、分かるよ。身分差があるもんね?宮中では天上人である博雅さまには晴明から話し掛けられないもんね?だけど押せ押せが強すぎて、「ゆこう」という晴明の強引なお誘いに「お、おう」てなってるやろ!博雅さまが!せやけど行くけどな、博雅さまはな!お前のことがすきだから!!!襲われたとき、間に入ってカッコよくピンチを救ってるけど、お前!博雅さまになんかあったらどうするんだ!(まあ晴明が側にいて何かあることは万に一つつもないわな)で、はい。「相人」ですよ。「博雅のことにおれが気づかないはずがない」とナチュラルに博雅マウント。「テメエ、おれの大事な博雅に何してくれてんだ」と僧侶に静かにガチギレ。「博雅は特別な方だからお前の呪なんて効かねえよ」とドヤ顔してるのが浮かぶ…。晴明よ、貴様、博雅さまの何なんだ(周囲の声代表)。「は?夫(つま)です」ってナチュラルに返されそう。「われらは友ではなかったのか…?」と博雅さまにうるうるされればいいんだ!まあ、そんな感じで。(どんな感じだ)(落ち着け)陰陽師、この間ひさしぶりに読んだらヤバくてヤバいんだけど(語彙消失)、これ最初からこんなんだったっけ?もう二十年近く前の記憶だからあやふやだぜ…。読み返さねばならんな…。これまでの関連レビュー・陰陽師 水龍ノ巻 [ 夢枕獏 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.09
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本のタイトル・作者月曜日の抹茶カフェ [ 青山 美智子 ]本の目次・あらすじ月曜日の抹茶カフェ(睦月・東京)手紙を書くよ(如月・東京)春先のツバメ(弥生・東京)天窓から降る雨(卯月・東京)拍子木を鳴らして(皐月・京都)夏越の祓(水無月・京都)おじさんと短冊(文月・京都)抜け巻探し(葉月・京都)デルタの松の樹の下で(長月・京都)カンガルーが待ってる(神無月・京都)引用本を読んでいるときのニンゲンの姿って、好きだなって思う。美しいって思う。確かにそこにいるのに、どこかを旅しているのがわかる。体は止まっているのに、何かが動き出しているのが伝わる。感想2022年冊109目★★★人気の青山美智子さん。これは『木曜日にはココアを』の続編。良い話だし、読みやすい。読後感は爽やかで明るい。前向きになれる、勇気を貰える短編集。日常系アニメみたいな。でもなあ…うーん。これでいいのか、と思うんだ。みんな、これでいいのか?これがいいのか?青山さんを貶すつもりは全くなくて、私はこの作品も素晴らしいと思う。この本が求められているのも分かる。ただ、本を読むというところが「ここ」までだとしたら、あまりにも浅い読書体験ではないか?この本は読みやすい。しかし、そこまででいいのか?(ああ、うまいこと言えない。しかしレビューが軒並み★5つだったりすると「おいおい」と思ってしまう天邪鬼なのだ。)私はこの作品のなかでは、「夏越の祓(水無月・京都)」が好き。和菓子のアン [ 坂木司 ]を思い出した。和菓子って奥が深い。そこに込められた、和歌のような、多重の意味。もっと重さを持ってくれてもいいんだぜ!と、青山さんの作品に思う。どろっと、べとっとしてもいいんだぜ!作品の所々に現れるそれに、そう思う。嫌われてしまうかな、そういうものは。いや、でも私、待ってます。単に自分のテイストの好みの問題だと言われれば、それまでなのだけど。これまでの関連レビュー・お探し物は図書室まで [ 青山美智子 ]・ただいま神様当番 [ 青山美智子 ]・木曜日にはココアを [ 青山美智子 ]・鎌倉うずまき案内所 [ 青山美智子 ]・猫のお告げは樹の下で [ 青山美智子 ]・赤と青とエスキース [ 青山美智子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.05
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本のタイトル・作者むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。 [ 青柳碧人 ]本の目次・あらすじ「かぐや姫」「おむすびころころ」「わらしべ長者」「さるかに合戦」「ぶんぶく茶釜」感想2022年108冊目★★★日本昔話×ミステリの第2段。面白かった。今回は、「おむすびころころ」が好きだった。タイムリープものが好物なので嬉しかった。○回飛ばしのタイムリープ者が共存する世界線って面白いなあ。これ、もっといろんな作品で試してほしい。物語の幅が広がる。そして「さるかに合戦」。私も幼い頃から「擬人化が過ぎないか?」と思っていたくちだったので、今回の設定はすとんと落ちた。いやだって、蜂はいいとして、栗と臼と牛糞て。狸が出てくる話がすき。完全に森見登美彦の『有頂天家族』の影響。今回の「さるかに合戦」と「ぶんぶく茶釜」は連続したお話で狸が出てきたので嬉しかった。(「ぶんぶく茶釜」というと、どちらかというと『鬼灯の冷徹』のイメージ)これまでの関連レビュー・むかしむかしあるところに、死体がありました。 [ 青柳碧人 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.04
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本のタイトル・作者彼岸花が咲く島 [ 李 琴峰 ]本の目次・あらすじ彼岸花の咲く島に流れ着いた少女。記憶をなくした彼女は、自分を発見した同世代の少女・游娜に海の向こうの楽園・ニライカナイから来た「宇美(うみ)」と名付けられ、島で暮らすことになる。宇美の話す言葉ではない、不思議な言葉を話す島民たち。「ノロ」と呼ばれる女たちが統べる、この島の秘密とは―――?引用でもある日突然、海の向こうがどんな感じなのか、気になったんだ。(略)みんなの言うことを疑っているわけじゃないけど、何もかもそのまま信じるわけにもいかないって、そんな気がした。だって、見たこともないんだよ。信じろという方が無理じゃない?感想2022年105冊目★★★★第165回芥川賞受賞作。著者が1989年台湾生まれということで話題になった作品。私は勝手に「戦時中の韓国・済州島に日本人の少女が漂着する物語」だと思っていて(どこから来たそのあらすじ)、蓋を開けてみれば「進撃の巨人」「約束のネバーランド」『新世界より』『No.6』系の、「高い壁に囲まれた世界と、その向こう側(世界の謎)」という系統のお話だった。しかし冒頭(わずか14ページ目)でネタバレしているので、あとは宇美がどうなるのか、何を選ぶのか、世界の向こう側は「今」どうなっているのか、というところでハラハラしながら読んだ。どちらかというと、これは言語的実験作品として読むものだと思った。宇美が話す「ひのもとことば」(日本)は、外国語(漢語)排斥のため、「やまとことば」を用いることになっており、「やまとことば」で表せない概念(言葉)は世界の共通言語である英語を借用することになっている。これ、戦後の日本語を思い出した。日本が戦争に負けた時、日本の国語教育がその原因のひとつだと取り沙汰されたことがあった。いわく、漢字を使っているからいけない。日本人は、膨大な時間を漢字の勉強に割く。日本語をもっと平易なものにしなくてはならない―――。当時は、日本の表音文字化(アルファベットによるローマ字表記)や、ひらがなのみでの表記、フランス語公用化案(志賀直哉)まであったそうだ。結果、日本語は日本語のまま残ったのだけれど、漢字は大幅に簡略化された。中国も繁体字ではなく、簡体字を用いるようになった。ベトナム語や韓国語にも漢語が多くを占めているけれど、これらも表音文字を採用したことで漢字は廃れている。漢語圏の「漢字を使えば通じる」とう共通語としての表記文字は意味をなさなくなった。植民地化された国ぐにでは、大学などの高等教育を現地語で行えないことも多い。それは、概念をあらわす言葉がないからだ。日本では、明治期に英語が大量に入った際、知識層が懸命に漢語に翻訳したので、日本語のまま高等教育を受けることが出来る。(現在はほぼカタカナ語として英語をそのまま入れているけれど)今、インターネットの普及により、世界は英語に塗り替えられた。英語が出来るようになりたい。でもそれは=日本語を捨てるということではない。私は自らが生まれついたこの豊かな言語が好きだ――――他の言語が同じように豊かなように。インドネシアの子が、「日本語には文字が三つあるよね?」と訊いてきたことがある。(インドネシアでは高校の第二言語で日本語を学ぶ機会があるそうだ)「ひらがなと、カタカナと、漢字は、オフィシャルさで変わるの?」私は質問の意図が分からなかった。「つまり、公文書では漢字を使うの?ってこと」ああ!その発想はなかった。しかし硬い文章になればなるほど、漢語が増えるのは確か。宇美は「ひのもとことば(和語)」で育ったので漢字が読めない。漢語が使えない。これ、実際にやってみるととても難しい。たとえば、「実際に」は使えない。宇美の話している「」の中を読んでみると、苦心して(ああ、この言葉も、このことのはも、)禁忌を侵さないように書いているのが分かる。そういう意味でとても興味深く、面白い小説だった。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.05.01
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本のタイトル・作者うつくしが丘の不幸の家 [ 町田 そのこ ]本の目次・あらすじ第一章 おわりの家第二章 ままごとの家第三章 さなぎの家第四章 夢喰いの家第五章 しあわせの家エピローグ引用「それにねえ、あなたしあわせがどうこう言うけれど、しあわせなんて人から貰ったり人から汚されたりするものじゃないわよ。自分で作りあげたものを壊すのも汚すのも、いつだって自分にしかできないの。他人に左右されて駄目にしちゃうなんて、もったいないわ」感想2022年104冊目★★★★海を見下ろす小高い丘に広がる「うつくしが丘」。新興住宅地として二十五年前に開発され、都市部へのアクセスはバスのみと悪いが、教育環境も整い、高齢者支援施設もある閑静な住宅地として評判は高い。そこにある三階建ての一軒家が、物語の舞台。現在から過去にさかのぼるように、歴代の住人たちの物語が語られる。すべてを見てきたのは、庭の枇杷の木と、隣人の荒木さんだけ。『52ヘルツのクジラたち』から読み始めた町田そのこさん。その後『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』『ぎょらん』と読んできたけど、この作品が一番すきかもしれない。この人は、痛みを書く人なのだな。傷を、ちゃんと見る人だ。そして必要なら、その傷を抉る。『宝石商リチャード氏の謎鑑定』の辻村七子さんにも通じるものがある。誰かのやさしさで、傷は癒されない。「化物語」の忍野メメの言葉を借りるなら、「人は自分で勝手に助かるだけだよ」だ。自分の中にある力をもってしか、治らない。そしてその傷を抱えて生きていくだけの強さを、人は身につける。勝手にホラー小説だと思っていたので(歴代住む人が死んでいく家、的な)、驚いた。どの話も勇気が出るような、「自分が勝手に助かる」のを助けてくれる力を分け与えてくれるようなお話だ。夫の実家を継ぐはずが立ち消えになり、自分たちで理美容室を営むことにした若夫婦。出奔した娘に、夫の浮気。そこへ高校生の息子が相手を妊娠させた。すれちがう家族。夫のDVから子供を連れて逃げた。東京のキャバクラ生活から逃れてきた。元同級生同士。子どもが出来たら最高の環境になるはずだった家。男性不妊だとわかるまでは。新婚夫婦。彼氏の家と、彼氏の子ども。夢のような新築。そこへ収まった私。それぞれが悩みを抱え、もがきながら、前へ進んでいく。辛いことは多い。これからもきっと辛いことが山ほどある。それでも、明るい方を向いて、顔を上げて生きていけるのは、何故だろう。それは、自分が何を信じる/信じられるか、かもしれない。自分の中にある、動かしがたい芯のようなもの。成長した―――枇杷の木のような。「このふたり、再会してくれないかな」と思っていたら、エピローグで出会ったことが分かって嬉しかった。これまでの関連レビュー・夜空に泳ぐチョコレートグラミー [ 町田そのこ ]・ぎょらん [ 町田そのこ ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.04.30
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本のタイトル・作者リボルバー [ 原田 マハ ]本の目次・あらすじ高遠冴は、幼い頃から部屋に掛けられた1枚の絵に魅せられていた。フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」。いつの日か、本物に会いに行こう―――。冴はフランスに留学し、美術史の修士号を得る。しかし専門分野の仕事に就くことは難しく、ゴッホとゴーギャンで博士論文に挑戦するための生計の術もない。パリ八区にある小規模なオークション会社「キャビネ・ド・キュリオジテ」(CDC)で働くことになった時には、37歳になっていた。ある日、CDCに錆び付いたリボルバーが持ち込まれる。依頼者は言う。「あのリボルバーは、フィンセント・ファン・ゴッホを撃ち抜いたものです」引用ゴッホが自ら命を絶ったことを本の中に初めてみつけたとのは十歳のとき。悩んでいた友だちを助けてあげられなかったような気持ちを味わった。感想2022年086冊目★★★フィンセント・ファン・ゴッホ。昔はその荒々しい筆致が苦手で、絵筆の後が生々しくて好きになれなかった。でも今は好き。その筆の後をなぞるように目が辿り、なんだか泣きたい気分になる。この人は力を込めて、これしかないと思い詰めて、ひと筆ひと筆を運んだのだろう。命を削るように、ともしびを消すように。騒々しくて、賑やかで派手な絵だと思っていた。極端に明るくて、極端に陰気で。どうしてみんながこれを有難がるのだろう。美術の資料図鑑に載っていた星月夜はまあ、すてきだったけれど―――。ゴッホ美術館で彼の絵に囲まれて、目を見開く。黄色、青。盛り上がった絵の具。耳元に息遣いが感じられるほどの痕跡。オーディオガイドは、彼が生前まったく売れなかったと告げる。今やこんなにたくさんの人が見に来るのに、自分の名を冠した美術館に。ああ、この人はもう、いないんだ。急に、胸が締め付けられた。描いて、描いて、足掻いて、そうして死んでしまったひと。薄い青に白い花。澄んでいて、静かでかなしい絵だと思った。原田マハさんの『たゆたえども沈まず』がゴッホの弟・テオを巡る物語で、もうゴッホおおおおおお!!!(号泣)ってなる一冊だったので、「え、これもゴッホを巡る話なの?」と思って読んだ。ゴッホを撃ったというリボルバーは、果たして本物なのか?冴たちオークション会社のメンバーはゴッホが自殺したというオーヴェールへ向かう。ここらへんはゴッホの最期の日々の紹介、知識を読者に与える役割。主人公の冴も最初感情移入できず、三章(181/321p)に入るまでは惰性で読んでいて、「これ最後まで読めるかなあ」と思っていた。でも三章以降はぐっと引き込まれて一気に読んだ。語り手として冴じゃないほうが読みやすかったな。そんな埋めとけるもんなん?とか、いやいや血はどうしたんよとか、入ってたこと気付かんのかいとか、また警備うっすいとこに掲げるのは同じことになるのではとか、ちょっと突っ込みつつ。最後、「ゴーギャンの独白」でゴーギャンの葛藤に思いを馳せた。自分の目の前に天才がいる、その辛さ。誰にも理解されていない、今は。自分にはその凄さが分かる。だからこそ、死にたくなるほど辛い。殺したくなるほど、憎い。ゴーギャンはまだ好きじゃない。(今回、現地の少女を何度も妻にしていることを知り「無理」となった)絵も「中学生がはじめて描いた油絵…?」と思ってしまう私の審美眼。いつか、好きになるときが来るのかなあ。これまでの関連レビュー・たゆたえども沈まず [ 原田マハ ]・フーテンのマハ [ 原田マハ ]・美しき愚かものたちのタブロー [ 原田マハ ]・総理の夫 First Gentleman [ 原田マハ ]・〈あの絵〉のまえで [ 原田マハ ]・妄想美術館 [ 原田マハ×ヤマザキマリ ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.04.08
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本のタイトル・作者エレジーは流れない [ 三浦しをん ]本の目次・あらすじ山と海に囲まれた温泉町・餅湯温泉。新幹線「こだま」が停車するためそれなりに栄えはしたものの、今は観光も下火。絶妙にぶさいくな「もち湯ちゃん」をマスコットに、ぬるま湯の商店街は今日もさびれている。土産物屋の息子・怜は、やりたいことも将来の展望もない高校2年生。豪奢な屋敷に住む「もう一人の母」との間を行き来するくらいの代り映えのない日常。引用こういう息苦しさからは、どこで生まれても、たとえば東京やニューヨークみたいな都会に生まれたひとであっても、逃れられないものなんだろうか。心が、つまり脳みそがあるかぎり、ここではないどこかを思い描き、けれど完全な自由を手にすることはできないものなのか。餅湯博物館で見たホルマリン漬けのヘビ、魂の抜けた猪が連想された。諦めの星のもと、完璧なる調和を生きる、脳みその囚人たる俺たち。藤島も丸山も、たぶん竜人も心平も怜も、家族をはじめとするつながりのあるひとたちを完全に振り切って逃走することはできないだろう。むなしさと慕わしさはいつだって裏表だからだ。感想2022年085冊目★★★何事も起きない男子高校生の日常の物語。このくらいの年の男子がわちゃわちゃバカやってるの、なんでこんなに楽しそうなんだろう。女同士のじめっと感がなくて、羨ましい。自分はここからどこへも行けないのか。どこかへ行くのだろうか。何者かになるのか、なれるのだろうか。不安定でぐらぐらした時期。行き場のない、どうしようもない感情。爆発しそうな癇癪玉みたい。不在だった父親だとか、土器の話は、無理やり起承転結をつけるために盛り込んだ感があった。父親、最後まで「こいつ何のために現れたんや…」ってなったし、怜もさすがに高校2年生まで自分の出自を訊かないというのは如何なものか。どれだけ緘口令を敷こうとも、口さがない「誰か」は存在すると思うのだけどな。タイトルの「エレジーは流れない」って、最後に出てくるのだけれど、「哀歌」(エレジー)。壮大なテーマソングは、気の抜けたご当地ソングに掻き消される。自分のために歌われた歌はないのだと知る。前に読んだ本に「平坦な日常の戦場」という言葉があって、それを思い出した。フラット・フィールド・サバイバル。生きていくことは、終わりないむなしさを飲み込んでいくことだ。日常は続いていく。連綿と、暴力的な平坦さで。エレジーは流れない。けれどそれを嘆くより、受け容れて。力なく笑って、口ずさむ。ふと気づいたとき、隣あった誰かもそうしているのだと気付く。耳に残る、意味のない歌詞。けれど一緒に歌えるなら、それもまた良いだろう。ださくて、みっともなくて、しみったれていて。でもここが、自分がいた場所なのだと確かに思える。そこにいることを堪らなく厭わしく思いながら。これまでの関連レビュー・ののはな通信 [ 三浦しをん ]・のっけから失礼します [ 三浦しをん ]・マナーはいらない 小説の書きかた講座 [ 三浦しをん ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.04.07
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本のタイトル・作者珍名ばかりが狙われる 連続殺人鬼ヤマダの息子 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ) [ 黒川 慈雨 ]本の目次・あらすじ東京の山中で、半分土に埋まった男性の遺体が見つかる。被害者の名前は「木乃伊(みいら)」。続いて路上駐車の乗用車が爆発炎上。被害者の名前は「波水流(ばずる)」。そして、三人目の被害者・「不倫(ふりん)」は、銃で撃ち抜かれて死亡―――。珍名ばかりを狙う「ヤマダのむすこ」を名乗る犯人による連続殺人。四人目の「黒歴史(くろれきし)」が殺され、世の珍名たちは震えあがった。大学生・不倫純は叔父を殺され、父の知り合いである刺青師・一(まぶた)京太郎のもとに身を寄せることになる。「いれずみや」の傍ら、珍名の判子の作成も行う一のもとには、珍名が集う。その噂を聞きつけやって来たのは―――かつて世を騒がせた「盗作」作家・薬師女(やくしめ)もえ子。犯行予告で名指しされた、「五人目」だった。引用「叔父さんは……なんとなくわかるよ。引きこもりだったし。その、いろいろ抱えてるんだろうなとは思ってた。でも、父さんは……仕事だってしてるし、家族も養ってる、ちゃんとした、普通の人じゃないか」「ほら、覚えてないかもしれないけど、あんたのお祖父さんって、すごく厳格で教育熱心な人だったじゃない?お父さんはね、自分の父親が望むような生き方をずっとし続けてきたの。アダルトチルドレンにもいくつか種類があって、お父さんは“ヒーロー”って存在。家族のためにがんばり過ぎちゃうの」「ヒーロー……」「でも誠次さんは、家族の中からいなくなったような、“ロストワン”って呼ばれるタイプ。そうすることで、自分の心を守っていたのかもしれないね」感想2022年083冊目★★★タイトルに惹かれて読んだ。とりあえず読み初めに思ったのは、「西尾維新作品の登場人物はだいたい全員殺されるな…」ということだった。否、逆にあの世界だと珍名が普通の名前だから、山田や佐藤が狙われるのかもしれない。色々盛り込んでいて、唐突な情報に「んー、それいる?」と思うこともあるけど、エンターテイメント作品としてけっこうおもしろく読んだ。最後の珍名が山盛り出てくる展開は、「小さい店に何人おんねん」ってなったけど。私は「夜桜散(いみなし)」さんが好きだな。きれいな名前。夜に咲く桜は朝には散るから意味なし、てのは何ともひどい名前であるけれど。連続殺人鬼ヤマダの息子、は「え、そうなん」というラスト。いやいやお母さん、ちゃんと話してあげようよ。紛わしすぎるよ。あとは、一(まぶた)と純の関係性がいい。元ヤンの総大将で彼女を亡くした男と、大学生。こういうところにBL臭を漂わせたい腐女子。いや、絶対そんなことないって分かってるんだけど!珍名ばかりが狙われるので、世の大多数の「普通の名前」の人は、自分は無関係だと安穏としていられる。その時に、マジョリティがいかにマイノリティを叩くか。あるいはiPS細胞のことも下敷きにしていて、人がいかに嬉々として誰かを攻撃するかということについて触れている。その時に、名前はスティグマになる。そこからは逃れられない明確に区別できる記号。犯罪被害者が珍名であった場合、それがクローズアップされる。物語の中にAC(アダルトチルドレン)が急に出てきてびっくりした。機能不全家族で育った子ども。私が大学生のときに読んだ本には、「優等生」「道化」といったタイプが列挙されていた。最近ACという言葉じたいをあんまり耳にしなくなったので(私だけ?)、そういう捉え方はもうされないようになったのかと思っていた。そんなことないのかな?著者のデビュー作『キラキラネームが多すぎる 元ホスト先生の事件日誌』も面白そう。これも名前をテーマにした作品。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.04.04
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本のタイトル・作者自転しながら公転する [ 山本 文緒 ]本の目次・あらすじ母が重い更年期障害になり、看病のために東京から茨城の実家に戻った都。森ガール系ファッションブランドで店長まで勤めたが、今はコンサバ系のアウトレットモールで契約社員として働いている。モールで出会った回転寿司屋の貫一と付き合い始めるが、中卒で定職についているわけでもない彼との未来は見えない。私、ここでこのまま、こうしていていいんだろうか?引用「別にそんなに幸せになろうとしなくてはいいのよ。幸せにならなきゃって思い詰めると、ちょっとの不幸が許せなくなる。少しくらい不幸でいい。思い通りにはならないものよ」感想2022年082冊目★★★★山本文緒さん、2作目。やっぱり私、けっこうこの人の書くものが好みだと思う。地の文章の積み上げが丁寧で、小説を書くお手本にもなりそうだと思った。奇をてらうわけでもなく、淡々と彩度を落としたドキュメンタリーを見ているよう。分厚い(478p)んだけど、まあほぼ主人公がぐるぐるしている話。タイトルの「自転しながら公転する」はわりとはじめのほうに出てきて、それは地球が軌道を変えながら進んでいて、2度と同じところには戻らず進んでいるのだ、という比喩。主人公は、悩みの渦の中にいる。どこへもいけないんじゃないかという不安。幸せになりたい。どうすれば、幸せになれるんだろう。ひとの幸せが妬ましくて、羨ましくて。冒頭とエピローグで見事にミスリードされた。いつになったらベトナム人のニャン君とくっつくのかと、ニャン君が出てくるたびに「ほら都、いまだ!」と読み進めていたんですが、そうじゃなかった。私は貫一よりニャン君派…。でもそれって、結局「見た目」「金」なんだろうな。私、即物的。貫一の嘘は「ないわ」となるし、私はもう2度と許せない。冒頭のベトナムへ向かう荷物や、貫一の部屋の何にもなさ具合の描写が好き。ミニマリストとして暮らしている人が本に出てくると「何を持っているのか」と目を凝らしたくなる。都はマキシマリストなので、服の量がすごいですね。服についての描写は、そういう目(自己表現)で見たことがないので「ふうん」と思った。私はそよか派。実用目的としての服。裸でなければいいじゃない。ぐるぐる、目を回しながら。日々雑事をジャグリングしながら。どんどん、違う場所へ向かっていく。意図しても意図しなくても、望んでも望まなくても。しあわせになりたい。でもそれは、手に取ってわかるような、見せびらかす宝石のような「しあわせ」?そうでないなら、価値はないの?引用部の、エピローグのこの言葉が良い。染みひとつ、瑕ひとつない幸せを目指せば、ゆるせないもの。それを許容して、抱いて、生きていく。時をかけた琥珀だ。掌中の珠を磨き上げて、美しさを増していく。中にさまざまなものを抱え込んで。これまでの関連レビュー・ばにらさま [ 山本文緒 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.04.03
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本のタイトル・作者赤と青とエスキース [ 青山 美智子 ]本の目次・あらすじオーストラリア、メルボルン。交換留学生としてやってきた私・レイは、英語も通じず、友達も出来ず、海外へ出れば何かが変わるかも知れない、違う自分になれるかもしれないという希望を粉々に打ちのめされていた。そんな時、アルバイト先の先輩にバーベキューパーティーへ誘われ、現地で生まれ育った日本人・ブーに出会う。帰国までの、期間限定の恋人。日本へ戻る日が近付くある日、ブーは知り合いの画家のエスキース(下絵)のモデルになって欲しいとレイをアトリエへ連れて行く。「金魚とカワセミ」「東京タワーとアーツ・センター」「トマトジュースとバタフライピー」「赤鬼と青鬼」引用「まあでも、誰でも玉手箱を持ってるものなんじゃない?ただ、玉手箱を開けたらあっというまに老人になるっていうのとは違うと思うの。そうじゃなくて、箱を開いて過去をしみじみ懐かしんでいるときに、自分が年を取ったことを知るのよ、きっと」煙草の先から、けむりが立ちのぼっている。「そのときに年を重ねた自分のことを悲しく思わないで、誇りを持てるように私はなりたいの。あの頃はよかったなあって嘆くんじゃなくて、箱の中にいる若い私にちゃんと胸が張れるように」感想2022年076冊目★★★1枚の絵が生まれ、額装され、飾られ、そして還る。全編を通じて描かれる、ひとつの物語。最後は「あっ、そうだったんだ」という種明かしがある。赤と青の対比。うつくしい絵が想像の中に浮かんできて、文字で絵を描く、というのは面白いことだなあと思う。「零の晩夏 [ 岩井俊二 ]」の時も思ったけれど、そのベースとなるのは表紙なので、装丁大事。カワセミのブローチ、素敵ですね。青山さんの表紙は、いつも物語に登場するモチーフのミニチュアがたくさん散りばめられていて楽しい仕掛けになっている。この本の中では、「トマトジュースとバタフライピー」のタカシマ剣先生が好き。かっこ悪い人が一生懸命にかっこつけている様子って、「うあああああやめてええええ」って共感性羞恥を感じるのだけど、同時に応援したくなる。一周回ってカッコイイ。この本も、「良い本だな」「面白いな」と読んだ。2021年に本屋大賞の2位になった『お探し物は図書室まで』から、青山美智子さんの作品を読むのは6作目。でも…うーん、私向きではないのだな、と感じた。読みやすい。ちゃんと考えて作られている。きちんと終わっている物語。だからこそ、ざらっとしない。私は捻くれ者で天邪鬼なので、こういう素敵な話を読むと、どこか冷めた目で眺めてしまう。私は救われなくて、でもどうしようもなくもがいて、ずっと何かに祈っているような話が好きだ。そういうのとは、ちょっと作風が違うんだよな。これはもう完全に、好き嫌いとか、向き不向きとか、そういうのなんだろうけど。これまでの関連レビュー・お探し物は図書室まで [ 青山美智子 ]・ただいま神様当番 [ 青山美智子 ]・木曜日にはココアを [ 青山美智子 ]・鎌倉うずまき案内所 [ 青山美智子 ]・猫のお告げは樹の下で [ 青山美智子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.03.28
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本のタイトル・作者薔薇のなかの蛇 [ 恩田 陸 ]本の目次・あらすじ序章 第1章 ミッドナイト第2章 ブラックローズ第3章 スキャンダル第4章 アクシデント第5章 バードウォッチャー第6章 ミッシング第7章 イリュージョン第8章 シークレット第9章 プレイハウス第10章 ストレンジャー終章感想2022年070冊目★★★ケルト文明の遺跡の上で見つかった「胴体」。聖杯披露のため、イギリスの貴族の館・薔薇をかたどった「ブラックローズハウス」に集まった親族たち。一族の娘の友人として招かれた美しい東洋人・リセ。凄惨な事件の犯人は―――?タイトルが怖いし、表紙も怖いし…でなかなか手に取って読み始められなかった一冊。しかし読み始めると一気。さすが恩田さん。読みやすい。単発小説だと思って読んだら、まさかのシリーズもので、しかも帯を見たら『「理瀬」シリーズ、17年ぶりの最新長編!』と書いてあった。17年…!シリーズ前作を読んでいなかったので、最後のほうの種明かしが「んんん?」となった。閉ざされた館、曰く付きの聖杯、連続殺人…。ゴシック・ミステリなんだけど、最後のほうがあっさりしていて拍子抜け。・恩田陸 不朽の名作「理瀬」シリーズ 全作品解説(講談社「tree」)・恩田陸が明かす、17年ぶり“理瀬シリーズ”の創作秘話 「どのようにオチをつけるかは最初に決めていません」(「Real Sound Book」)ここらへんを読んでいると、めちゃくちゃ長いシリーズなんですね。一作も読んだことない…。インタビュー見てると恩田さんBBCの「SHERLOCK」参考に英国の警察を描かれたそうだ。それだけで親近感。笑これまでの関連レビュー・蜜蜂と遠雷 [ 恩田陸 ]・祝祭と予感 [ 恩田陸 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.03.22
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本のタイトル・作者金の角持つ子どもたち (集英社文庫(日本)) [ 藤岡 陽子 ]本の目次・あらすじ5歳から11歳まで、サッカーに打ち込んで来た息子の俊介。地域のトレーニングセンターに選ばれなかったその日、俊介は言った。「おれ、サッカーやめる。中学受験する」夢があるから、と俊介は言う。その言葉に、母親の菜月は、古い傷跡が疼くのを感じる。父の病気で高校を中退させられた記憶。家族が皆、その代償を美談にしていること。耳の聞こえない娘・美音は、聾学校の幼稚部に通っている。来年小学生になる彼女は、聾学校ではなく普通学校に通うことになっている。より一層のケアも必要だろう。高卒の夫は自動車販売の営業として毎日平身低頭して働いてくれている。マンションを買うためのお金を貯めている途中だ。高額の塾費用を払って、不合格だったらどうするつもりなんだ。合格だったとしても、その後はどうするんだ。激昂する夫を、菜月は専業主婦の自分が働くから、と説得する。最難関の公立中学校一本。最下位からの出発。それでも―――。「もう一度、よーいドン」引用拍手も笑いもない室内に、子どもたちから立ち上る熱気だけが満ちている。しんと静まり返る大教室は、まるで夜の海に漂う船だ。夜が明けて太陽が昇ると、生徒たちはみんなそれぞれ船を下り、海に泳ぎ出さなくてはいけない。ためらう必要はない。泳ぎ方はしっかりと教えてきた。感想2022年067冊目★★★★素敵なタイトルが気になって読んだ本。「金の角持つ」というのは、決して諦めることなく闘ってきた者だけが戴く、二本の硬くまっすぐな角のことを言っている。この本、良かったです。ムネアツ。何度も泣いた。中学受験をテーマにした短編集。母親視点の「もう一度、よーいドン」本人視点の「自分史上最高の夏」先生視点の「金の角持つ子どもたち」の3本。私は「もう一度、よーいドン」を母親視点で読んで泣き、先生視点の「金の角持つ子どもたち」を姉視点で読んで泣いた。「もう一度、よーいドン」で、息子が「夢」という言葉を口にした時、菜月が「一生身につけることなどない、自分とは無関係だと思っていた大粒のダイヤモンドを目の前にころんと差し出された、そんな気持ちだった。」と感じるの、本当に辛い。それでも彼女は、37歳であらためて夢を追い始める。失われたものをもう一度自分の力で取り戻そうとする。「金の角持つ子どもたち」は、加地先生の弟は勉強が苦手で、両親がそれを「勉強が苦手でもいい」と放置した結果、それが原因で不登校になり引きこもりに…という話。ああもうこれね!あかん!引きこもりの弟と、弟にばかり構う母、放置する父。そこから離れたくて家を出た加地先生。けど母が亡くなる。もうひとりの息子に「ごめんね」と謝って。弟は葬儀にも出られない。父は弟を家から追い出す。弟は、死を選ぶ。加地先生の気持ちが分かりすぎて、ぼろぼろ泣いた。両親は、勉強が苦手なら仕方がないと、面倒から逃げていただけなのだ。この一言が、親となった私にも刺さる。加地先生は、何故勉強が出来た自分は、弟に教えてやらなかったのだろうと悔やむ。両親がしたことは、泳ぎ方を知らない子どもを、社会という海に突き落としただけだった、と。塾で一番勉強ができる女生徒に、加地先生は言う。その恵まれた能力を、自分だけのものにせず、多くの人に分けてあげてほしい。これ、東大の上野千鶴子さんの祝辞を思い出した。(平成31年度東京大学学部入学式 祝辞)加地先生は信じる。勉強は、「努力」を目に見える形で示す。その結果は、自信になる。努力の確実さを知ることは、逃げずに闘える武器になる。それは、生きていく力だ。金の角。自分の力で手にした武器が、きっと子どもたちを守ってくれる。私の娘は、春から小学生。私は悠長に構えていて、公教育で学んでいけばいいや、塾に通うのは中学生くらいでいいんじゃない?というスタイル。でも夫は「そろそろタブレット型の学習教材を始めよう」と言っている。躓きが生じないように、それを取り除けるように、勉強が楽しくなるように。親が先回りするべきだというのが彼の主張で、私はそれを「自分もそんなことしてもらった覚えないし、甘やかしすぎなのでは?」と感じていた。百均のドリルを買ってやらせたり、お風呂場で算数や漢字を教えているのを、冷ややかな目で見ていた。中学受験についても、私は否定的。自らが公教育一本で来たので、「そこまでする必要ある?本人のやる気と努力次第では?」と思っていた。でも、この本を読んで「違うんだな」と思った。公教育はもう、手一杯なのだ。最低限のメニューを提供するだけで、網から零れた子供を掬い上げる余力はない。だからみんな、どの親も必死に、自分の子供を守ろうとしている。落ちこぼれないように、生きていけるように。私と、娘は違う。私と、息子は違う。娘と、息子も違う。私がしようとしていることは、「そのうちに泳げるようになるだろう」と、溺れるまで気付かないことなのかもしれない。泳ぎ方を教えなければ、泳げるようにはならない。そしてそれは、「親」の責務で―――親が出来ないのならば「塾」に通わせるという方法で補完せざるを得ない。そう危機感を持ったし、このタイミングで気付くことが出来て良かったと思った。学ぶことは楽しい。けれどそれは、泳げない人に、「泳ぐのは楽しい」と言うのと同じだ。あんな泳法もこんな泳法も出来る。なら手を引いて、泳げるようにしてあげるべきなんだ。その先にあるものが見えるように。楽しいと、思えるところまで。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.03.19
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本のタイトル・作者ディス・イズ・ザ・デイ (朝日文庫) [ 津村記久子 ]本の目次・あらすじ第1話 三鷹を取り戻す第2話 若松家ダービー第3話 えりちゃんの復活第4話 眼鏡の町の漂着第5話 篠村兄弟の恩寵第6話 龍宮の友達第7話 権現様の弟、旅に出る第8話 また夜が明けるまで第9話 おばあちゃんの好きな選手第10話 唱和する芝生第11話 海が輝いているエピローグーー昇格プレーオフあとがき引用「でもなんか、そういうもんだと思えてきて。前は一人で昼ごはん食べるのなんか寂しそうで恥ずかしいとか、話したいことがある時に相手をつかまえられないのって人間として大事なものが欠けてる、みたいに思ってたけど、今はそう思わなくなった。でもその代わりに、ずーっと一人で冷たい川を渡ってる感じ。つまんないのが普通で、でもたまにいいこともあって、それにつかまってなんとかやっていく感じ。富士山の試合があってくれるっていうことはさ、そういうとこに飛び石を置いてもらう感じなのね。とりあえず、スケジュール帳に書き込むことをくれるっていうか。それってなんかむなしそうだけど、でも、勝負がかかってんのは事実なんだから、べつにむなしくもないんだよ」感想2022年064冊目★★★ひさびさの津村記久子さん。以前、気持ちがくさくさして、ささくれている時に、津村さんを読んでいた。自分と地続きの日常がそこにあるから。そこで、私の気持ちを代弁してくれているように思えた。平凡な自分の日常が、物語の主人公のように文字になって印刷されているような。しかしこの本は苦戦。なかなか読み進められず、めちゃくちゃ時間がかかった。面白かったんだけどな。私がスポーツにまっっったく興味がなく、オリンピックも開会式しか見ない程度の人間だからか。架空の22のサッカーチーム(2部リーグ)と、22人のファンの物語。・オスプレイ嵐山・CA富士山・泉大津ディアブロ・琵琶湖トルメンタス・三鷹ロスゲレロス・ネプタドーレ弘前・鯖江アザレアSC・倉敷FC・奈良FC・伊勢志摩ユナイテッド・熱海龍宮クラブ・白馬FC・遠野FC・ヴェーレ浜松・姫路FC・モルゲン土佐・松江04・松戸アデランテロ・川越シティ・桜島ヴァルカン・アドミラル呉・カングレーホ大林私は「眼鏡の町の漂着」「権現様の弟、旅に出る」「唱和する芝生」が好き。熱心なファンも登場するのだけど、それよりは「なんとなく見てみたらハマった」みたいなひとが多くて、そういうふうに何かに熱中できるのは羨ましいことだな、と純粋に思う。繰り返す日々の中で、「これが楽しみ」と思えることがあること。それを目標に頑張れること。スポーツ、ライブ、観劇、コミケ…。「日常のなかに句読点を打つ」という表現を前に何かの本で見かけて、その言い回しにひどく納得した。日常のなかの祝祭。非日常の演出。しばし浮世を離れ憂さを晴らす。そうして生きていく。自分で楽しみを見つけて、楽しみをつくり出して。この本を読んでいると、ゆるーいサッカー観戦がしたくなる。スタグル(スタジアムグルメ)とか、チャント(選手の応援歌)とか、知らないことばかり。最終節って大事なんだ、とか。それが当たり前の世界が、日常とずれて、重なり合いながら存在している。その世界では当たり前のこと。共通の言葉。私にはそういうものがないのだよなあ。それが残念だ。夢中になるのが怖い、というのもあるのだけれど。(私は、驚くほど熱中しやすく、また飽きっぽいのだ。)「三鷹を取り戻す」で、主人公が「自分は今まで窮屈なところにいたのではないか」と言うんですよね。そしてサッカー観戦を通じ、最後に「自分は何かを自分自身から取り返した」と知る。かくあれかし、というものに縛られているんだろうなあ。この年で、女だから、母だから、家族があるのに、田舎だから、今になって…。でもきっと、もっと自由になれる。いつだって奪われたものを取り返すことができる。好きなものを散りばめて、楽しみながら生きていく。ちっぽけな僕の人生を、誰にも渡さないんだ。北京オリンピックのエキシビジョンをたまたまテレビで見て、その時羽生結弦選手が「春よ、来い」の曲で滑っていた。その時に、「ああ、これは祈りなんだな」と思った。このひとは神楽を舞っているんだ。みんなの代わりに、依代みたいに。スポーツを見る意味をずっと理解できなかったけれど、はじめてわかった気がした。ままならない世界で、日々の暮らしに倦んで。暴発しそうな怒りが、憤りが、憎しみが、渦巻く。スポーツって、それに対する答えなのかもしれない。祈りが、その場を満たす。清めていく。途方もない努力と捧げられた時間が、凝縮された一瞬。ひとがひとであること、そしてそれを超えていく畏敬。メダルのため、名声のため、技術のため、資金のため。個人としての理由はあまたあれど、それでもその一瞬、彼らは何か大きなものに祈っているんじゃないだろうか。そしてその祈りを共有する場が、スポーツ観戦なのかもしれない。そんなことを思った。これまでの関連レビュー・大阪的 (コーヒーと一冊) [ 津村記久子×江弘毅 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.03.16
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本のタイトル・作者ペッパーズ・ゴースト [ 伊坂幸太郎 ]本の目次・あらすじ飛沫感染により、その人物の少し未来の「先行上映」が見える特異体質を受け継いだ中学国語教師の檀(だん)。ある日、女子生徒から「ネコジゴハンター」という二人組が活躍する小説を手渡される。物語の進行とともに、彼らは現実世界に侵食し―――。引用「よく思うんですが、ニュースはたいがい、嫌な話しか取り上げないんですよ。取り上げることができない、と言ってもいいかもしれません。もちろん良いニュースを流すこともありますが、それは、ニュースとして価値があるくらい、とびぬけて良い話の場合です。ごく普通の、いい話はニュースになりません」感想2022年063冊目★★★ペッパーズ・ゴースト。ガラスの反射を利用して、その場にいるように見せるトリック。虚構と現実が混ざり合い、内と外の境界線が曖昧になる。こういうの好き。ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』みたいでもありますよね。伊坂さんの『クジラアタマの王様』も物語と現実が混ざり合う話だった。小説を読んでいる私たち、神様の目線。誰かの頭の中でつくられた世界、それが文字になって読んでいる。設定された場面、考えられた会話。都合のよい展開。予知能力、テロ事件、猫の虐待。別々に進行する複数の物語が絡み合い、最後にはひとつになる。張り巡らせた伏線。ここらへんは伊坂さんの本領発揮。「順風満帆」の反対に、「天歩艱難」(てんぽかんなん)という言葉あるんですね。檀先生のお母さんの「ヘディングしろ」(=頭を使え)いいな。カンフー映画が好きな成海さんが強くてびっくり。私もジャッキー・チェンの映画を見た後、キックの練習してた!笑ニーチェの言葉は、「何言ってんだ?」ってなったんですが。アメショーとロシアンブルのコンビが好き。私は断然ロシアンブル派。ペッパーズ・ゴースト。物語の人物が現れることがそれを表しているのかと思ったら、最後に「ああ、それも『ペッパーズ・ゴースト』だったのか」とどんでん返し。テロ被害者のグループには、ドラマ『ミステリと言う勿れ』のことを思い出した。真実は、1つじゃない。伊坂さんの小説は、いつも「絶対的な悪」がある。その圧倒的な力の前に、無力である人たちが反撃する物語。これまでの関連レビュー・AX [ 伊坂 幸太郎 ]・フーガはユーガ [ 伊坂幸太郎 ](6月に読んだ本)・シーソーモンスター [ 伊坂幸太郎 ]・クジラアタマの王様 [ 伊坂幸太郎 ]・逆ソクラテス [ 伊坂幸太郎 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.03.15
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本のタイトル・作者血も涙もある [ 山田 詠美 ]本の目次・あらすじ大人気の料理研究家・沢口喜久江。年下の夫・売れないイラストレーターの太郎。喜久江の助手をしている和泉桃子。風来坊を気取り不倫を繰り返す夫と、それを泳がせる妻。しかし助手と夫との関係を知り…。引用出来なかったことが少しずつ出来るようになって行く。一人前らしきものに近付いて行く。私自身による私自身のための進化論は、着実な日々の積み重ねによるものなのだ。感想2022年052冊目★★★「不倫もの」ということだけ知っていて、表紙がおどおおどろしいし、これはもうドッロドロのぐっちゃんぐっちゃんの愛憎劇だろうな…と覚悟して読み始めたら、ユーモラスでノリが軽くて笑ってしまった。山田詠美さん久しぶりに読んだのだけど、こんなだったっけ。夫・妻・恋人の3者の視点が交互に章立てされていて、視点の切り替わりが面白い。自分が見ているだけが世界じゃないよね、と思う。私はやっぱり、どうしても「妻」の視点でこの物語を見てしまって、自分は喜久江のようにはなれないし、桃子と太郎に「こいつらー!」となってしまう。でもこの小説は、「愛ってそれだけじゃないよね」って言っている気がする。愛することは包むことや守ることだけではなくて。その人の存在が消えてほしいとまで思うことなんだろう。太郎が「死んでくれていたらよかったのに」って思うの、分かった。最後は意外。喜久江さん推しとしてはこのロマンティックなラストは救いがあって好き。作中に出てくる料理の数々が美味しそうで、喜久江さんのレシピ本を読みたくなった…。私は太郎がいいなあ。喜久江さんに美味しいものを与えられてぐずぐずに甘やかされて、そうしたら私はいつまでも清らかな少年のようにはにかんでいるんだけど!↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.03.03
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本のタイトル・作者ばにらさま [ 山本 文緒 ]本の目次・あらすじばにらさまわたしは大丈夫菓子苑バヨリン心中20×20子供おばさん引用僕には仕事があり、支えてくれる家族があり、受け継ぐべき土地があり、呼べば来てくれる友がある。恋愛感情とは違う感情を知っている。恋愛なんてする必要も感じないほど恵まれている。それを持っていない彼女を、何故持っていないのか責められるか。本意じゃない人生を何故生きているのかと責められるか。これは憐れみなのだろうか。僕の優しさは傲慢か。感想2022年049冊目★★★★2021年10月13日に亡くなった山本さん。読んだことがなくて、この機会にと読んでみた。あー、私、このひとの書くもの、すきかもしらん…。日常の、地の一文がはっと目を引く。なんだろう、一度通り過ぎてから二度見するような。「今、何を見たのだろう?」と、脳が遅れて理解する。私は何を見落としていたのだろう?と探し始める。それに気付かせてくれる。表紙の絵が怖くて、はじめ妖怪の本だと勝手に思っていたんだけど(なんで)違った。日常を切り取った短編集。「わたしは大丈夫」は、オセロがぱたぱた、と裏返るような感覚。ちょっとミステリーっぽくもある。自分が正しさとしているものの足場や土台って、すぐにひっくり返る。盤石だと信じているものって、おもいのほか、脆い。だから何かを声高に主張するとき、すこし自分を疑う。「牡蠣はRが付く月じゃないといけない」っていう表現が分からなかったのだけど、欧米ではSeptember(9月)からApril(4月)しか食べちゃダメって言われてるんですね。知らなかった。作中、「アイルランドでは、腹がたった時に、ポケットの小石を右から左に移すと怒りが収まる」…という言い伝えが紹介されるんですが、これ私のような短気な人には良さそう。よくアンガーマネジメントで、「怒りを感じたら6秒待て」と言うけれど、小石を移している間に6秒たってしまいそうだもの。「石を触る」でもいいんですって。いつも持ち歩いているのは難しいけど、たとえば「腕時計を触る」や「指輪を左から右につけかえる」なら出来る。山本さん、ほかの作品『自転しながら公転する』も読んでみたい。ドラマを見ていた『あなたには帰る家がある』も山本さんが原作だったんですね。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.02.28
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本のタイトル・作者かか [ 宇佐見 りん ]本の目次・あらすじ暴力をふるい、他に女を作った「とと」と離婚し、うーちゃんとみっくんを連れて実家に戻った「かか」。ジジとババ、かかの亡き姉の一人娘、明子。6人が暮らす家で、19歳のうーちゃんは窒息しそうになっている。酒をのみ、自傷し、ものを壊して発狂する母。ささやかで陰湿な嫌がらせをする明子。死んだおばと、その娘の明子を寵愛するババ。呆けていくジジ。かかが子宮を摘出することになり、うーちゃんは熊野詣でを試みる。汚れて壊れてしまったかかを、もう一度うんであげるのだ。引用おそらく誰にもあるでしょう、つけられた傷を何度も自分でなぞることでより深く傷つけてしまい、自分ではもうどうにものがれ難い溝をつくってしまうということが、そいしてその溝に針を落としてひきずりだされる一つの音楽を繰り返し聴いては自分のために泣いているということが。感想2022年036冊目★★★第33回三島由紀夫賞、第56回文藝賞受賞作。第二作の『推し、萌ゆ』が第164回芥川賞受賞。冒頭で「うん?」となり、読みにくくてなかなか話に入っていけなかったけど、語り口に慣れて登場人物が把握できてからはスラスラ読めた。このひとは、感情をピクセルで見るんだろうな。画像を拡大して、その感情のドットの色を表されたような作品。『推し、萌ゆ』と基本的な構造というか、感情は同じ。SNSが出てくるあたりは、オルタネート [ 加藤シゲアキ ]にも通じるものがある。ぬるい、ぬくいコミュニティ。現実社会では、決まった日常。決まった人と顔を合わせて、決まった場所へ行く。SNSはそこからひょいっと抜けていく。見せたいものを、見せたいように。時に見せたくないふりをして。それは、つるりとコーティングされたチョコレートみたい。口にいれると甘い。中には何が入っているのか分からない。子宮の摘出と、母性の神性の喪失。母と娘の関係性は、なぜいつもこうも濃厚で密着していて、はてしなく断絶しているんだろう。みっくん(息子)と母は、さらさらと、どこかドライであるにも関わらず。それは、自身も産むもの、であるからだろうか。うーちゃんは、自身の身を呪う。女であること。孕む性であること。臍の緒が繋がる。赤い糸が繋がる。ずっとずっと、はじめのひとりまで遡る。自分がその流れのひとりに過ぎないこと。その重責と絶望。この本を読みながら、漁港の肉子ちゃん [ 西加奈子 ]と対照的だと思っていた。「かか」の滅茶苦茶さは同じなのに、どうしてこうも違うんだろう。傷をなぞりながら、その傷を愛おしむ生き方をするかどうか、だろうか。これまでの関連レビュー・推し、燃ゆ [ 宇佐見りん ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.02.15
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本のタイトル・作者硝子の塔の殺人 [ 知念 実希人 ]本の目次・あらすじ神津島太郎―――館の主人。加々美剛―――刑事。酒泉大樹―――料理人。一条遊馬―――医師。碧月夜―――名探偵。巴円香―――メイド。夢読水晶―――霊能力者。九流間行進―――小説家。左京公介―――編集者。老田真三―――執事。遺伝子治療を飛躍的に進歩させたトライデント。開発者である神津は、その特許使用料で莫大な富を築いていた。ミステリマニアの神津は、雪山にトライデントを模した硝子の塔を建て、客人を招く。そして殺人事件が起こる―――。プロローグ一日目二日目三日目最終日エピローグ『硝子の塔の殺人』刊行に寄せて 島田荘司引用「ホームズとワトソンが十九世紀に活躍するのは当たり前と思われるかもしれませんが、BBC制作の連続ドラマ『シャーロック』は基本的に、現代のロンドンでホームズたちが活躍するという筋書きです。ホームズがスマホを持ち、捜査にSNSを駆使し、ワトソンが冒険譚を書くのは本でなくブログという設定です。それを聞いたときは、シャーロキアンとして正直眉を顰めましたが、実際にドラマを見てみると、あまりに素晴らしいクオリティに自らの不明を恥じました。特に主演のベネディクト・カンバーバッチの演技が素晴らしく、現代にホームズが存在すれば、まさに彼こそ……」感想2022年030冊目★★★★2022年本屋大賞ノミネート作品。面白かった。クローズドサークルもの。これでもか!とミステリの蘊蓄と含蓄が盛り込まれている。古典から最近のラノベまで網羅。ミステリ好きならたまらないだろうなあ。私はミステリも読むけど、特段ミステリ好きという訳でもないので、それなりに楽しんだ。私は、シャーロック・ホームズが一番すき。ロンドンに行った時は、もちろん 221B,Baker Street まで行ってきた。特に好きなのはBBC制作のドラマ「SHERLOCK」。で、本作ではBBCのシャーロックについてのコメントや、シャーロックの『忌まわしき花嫁』のウェディングドレスが出て来たりと、嬉しかった。しかしホームズって原作でワトソンのこと「My dear」って呼んでるの…?え、My dear?(二回言った)物語自体はクローズドサークルもので、連続殺人が起こるベタな展開。しかし、叙述トリックに二転三転する設定、読者への挑戦状(2回)。メタ認知。いやあ、詰め込んだね!っていうくらいの特盛。合間の、「名探偵」月夜の豆知識もたくさん。その昔、安楽椅子探偵(綾辻行人と有栖川有栖の共同執筆)の挑戦状、っていうテレビドラマがあった。1夜目は事件の概要。情報は提示され、視聴者が犯人をあてる。2夜目は解決編。今回読んでいて、それを思い出した。探偵の孤独。子供の頃、「名探偵コナン」や「金田一少年の事件簿」のアニメを見ていて思った。このひとたちは、行く先々で事件が起こり、身近な人が殺されたり犯人だったりして、それを何度も糾弾し、暴き立てている。それは、かなしくはないのだろうか。自分の存在こそが災厄であると―――どこかで思わないのだろうか。本当に、犯人は犯人だったのか。自分がそれを引き起こしたのではないか?そして、犯人の孤独。探偵は犯人の意図を、創意工夫を、時に賞賛し、丁寧に解説する。彼らは、犯人の一番の理解者でもある。見つけてほしい。分かってほしい。犯人がとびぬけた頭脳の持ち主であればあるほど、その渇望は強いだろう。月夜を見ていて、京極夏彦『百鬼夜行シリーズ』(京極堂シリーズ)の薔薇十字探偵・榎木津礼二郎を思い出した。すべてを見通す、千里眼ともいうべき能力。だからこそ、彼は、ひとりぼっちだ。探偵の世界のバランスを保つためには、相棒が必要。今回だと名探偵×医者という組み合わせだったけど、この名探偵が男装の麗人(ホームズの仮装)だったのであまり萌えず。ブロマンス好きとしては男男でいってほしいところ。なんでわざわざ片方を女にするんや…。これまでの関連レビュー・ムゲンのi(上) [ 知念実希人 ]・ムゲンのi(下) [ 知念実希人 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.02.09
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本のタイトル・作者曲亭の家 [ 西條奈加 ]本の目次・あらすじ「南総里見八犬伝」で世に名高い滝沢馬琴。その息子である医者・宗伯に嫁ぐことになった路(みち)。癇癪持ちの姑、病弱で猛り狂う夫、そして偏屈で四角四面な舅。朗らかで笑いの絶えぬ家に育った路は、夫の癇癖に耐え切れず家を飛び出すが――。引用「小さな幸いは、その気になれば見つかるものです。それが暮らしの糧になります」「本当に小さいな」「小さいからこそ、慈しむのです。幸せとはそもそも、小さいものなのですよ」感想2022年029冊目★★★★『心淋し川』で直木賞受賞した後の一作目。(2021年5月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)馬琴の息子嫁にあたる、路から見た滝沢馬琴一家の物語。路がもう、次から次へと困難に見舞われ、奔流に弄ばれる。「ああもう!」と感情移入して読んだ。最近女性の目線から見たこういうサイドストーリーが流行っているんだろうか。内容的には星落ちて、なお [ 澤田瞳子 ]に似てるな、と思った。夫の死、息子の死、舅の死。最後は、光を失った馬琴のかわりに「南総里見八犬伝」の口述をつとめ、路は後にやさしい言葉になおした「仮名読八犬伝」を記す。ところどころ、「そこもうちょっと詳しく!」というところがあって、さらっと流されたりカットされていたり、足早になっていて気になった。路が代筆に耐えかねて家を飛び出し、大工たちの八犬伝の話を聞くところとか、いいんだけど唐突感がある。所詮、頭の中にある物語。小川洋子さんが、『小川洋子のつくりかた』で言っていたことを思い出した。物語は脈々と受け継がれてきたものの端っこ、太古からの流れのひとすくい。私たちは、だからこそ、物語を求めるのだろうか。遠い声を聞くために。血のなかにあるその音を、文字にして。潤筆という執筆料は、蔦屋重三郎と鶴屋喜右衛門という版元が山東京伝と滝沢馬琴に出すようになったのがはじめというのは初めて知った。女性の扱いについても、江戸時代の小説を読んでいると、さらっと出てくる当時時代背景の説明に、明治以降~今に継がれている概念がいかに最近出来上がったものなのかと思う。夫婦とは味噌や醤油に似ている、という路の感想が良い。ふと、自分は夫とどんな味噌や醤油なのかと思った。白味噌と赤味噌のように、違うものが混ざり合って合わせとなる。時に白や赤に寄せながら、新しい味を作っていく。そしてそれを仕込んで、古くなって、時折味を見て文句を言って。色が変わりえぐみが出ても、それを笑って。私はこの味噌しか受け付けません、ではやっていかれない。路は、幸せは見出すものなのだと言う。女は、主婦は、そうして生きるのだと。男は大望を求める。地位を、賞賛を、名声を、褒賞を求める。けれどすべては儚いものだ。望めば得られるものでもない。とおくにあるそれを、ただ追い求めて生を終えるのか。不遇にあっても、きらりと光るその瞬間を目に留めて、味わう。子がはじめて笑った、それに勝るこの世の幸福な時があろうか。しあわせはちいさいもの。だからそれを、数珠のようにつなぎ合わせる。あれもこれもと、指で繰って思い返しては味わう。日々を、日常を、繋いでいく。馬琴の「息を引き取るその時まで、学問すべし」という座右の銘も良い。その場に安寧していてはダメだ。求めなくては。知りたいと思うこと、学ぶことがそれすなわち生きる力なのだと、私は思う。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.02.08
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本のタイトル・作者Day to Day [ 講談社 ]本の目次・あらすじ〈4月1日〉 辻村深月〈4月2日〉 西尾維新〈4月3日〉 大崎梢〈4月4日〉 吉川トリコ〈4月5日〉 有川ひろ〈4月6日〉 真梨幸子〈4月7日〉 凪良ゆう〈4月8日〉 森 博嗣〈4月9日〉 志駕晃〈4月10日〉 青柳碧人〈4月11日〉 秋吉理香子〈4月12日〉 砥上裕將〈4月13日〉 朱野帰子〈4月14日〉 深水黎一郎〈4月15日〉 有栖川有栖〈4月16日〉 海堂尊〈4月17日〉 周木律〈4月18日〉 瀬名秀明〈4月19日〉 中山七里〈4月20日〉 法月綸太郎〈4月21日〉 似鳥鶏〈4月22日〉 黒澤いづみ〈4月23日〉 長岡弘樹〈4月24日〉 恩田陸〈4月25日〉 我孫子武丸〈4月26日〉 春原いずみ〈4月27日〉 秋川滝美〈4月28日〉 田中芳樹〈4月29日〉 貫井徳郎〈4月30日〉 湊かなえ〈5月1日〉 浅田次郎〈5月2日〉 朝倉かすみ〈5月3日〉 蛭田亜紗子〈5月4日〉 辻真先〈5月5日〉 重松清〈5月6日〉 皆川博子〈5月7日〉 米澤穂信〈5月8日〉 神林長平〈5月9日〉 東川篤哉〈5月10日〉 近藤史恵〈5月11日〉 輪渡颯介〈5月12日〉 椹野道流〈5月13日〉 佐藤青南〈5月14日〉 高岡ミズミ〈5月15日〉 竹本健治〈5月16日〉 森村誠一〈5月17日〉 芦沢央〈5月18日〉 伴名練〈5月19日〉 早坂吝〈5月20日〉 今野敏〈5月21日〉 相沢沙呼〈5月22日〉 横関大〈5月23日〉 ごとうしのぶ〈5月24日〉 赤川次郎〈5月25日〉 薬丸岳〈5月26日〉 原田マハ〈5月27日〉 麻見和史〈5月28日〉 あさのあつこ〈5月29日〉 垣根涼介〈5月30日〉 彩瀬まる〈5月31日〉 西村京太郎〈6月1日〉 月村了衛〈6月2日〉 麻耶雄嵩〈6月3日〉 知念実希人〈6月4日〉 高橋克彦〈6月5日〉 真下みこと〈6月6日〉 尾崎世界観〈6月7日〉 田丸雅智〈6月8日〉 宇山佳佑〈6月9日〉 三秋縋〈6月10日〉 友麻碧〈6月11日〉 井上真偽〈6月12日〉 市川拓司〈6月13日〉 垣谷美雨〈6月14日〉 石黒正数〈6月15日〉 川越宗一〈6月16日〉 木内昇〈6月17日〉 五十嵐律人〈6月18日〉 井上夢人〈6月19日〉 榎田ユウリ〈6月20日〉 塩田武士〈6月21日〉 朝井まかて〈6月22日〉 榎本憲男〈6月23日〉 澤村伊智〈6月24日〉 宮澤伊織〈6月25日〉 内館牧子〈6月26日〉 宮内悠介〈6月27日〉 木内一裕〈6月28日〉 夢枕獏〈6月29日〉 宮城谷昌光〈6月30日〉 森絵都〈7月1日〉 朝井リョウ〈7月2日〉 島田荘司〈7月3日〉 林真理子〈7月4日〉 北方謙三〈7月5日〉 五木寛之〈7月6日〉 東山彰良〈7月7日〉 伊集院静〈7月8日〉 京極夏彦〈7月9日〉 東野圭吾感想2022年024冊目★★★100人の作家によるコロナをテーマにした短編集。好きな物語とであえるサイトtreeの「連載企画 Day to Day」の書籍化。(現在も閲覧可能)前に読んだ『Story for you』と同じ感じ。とにかく分厚い(411頁)。お気に入りの作家さんの短編や番外編を楽しむも良し、作家さんの日記を楽しむも良し。私は日記的なものが好き。奇をてらったものはあんまり好きじゃない。番外編も、本編知らない人には「なんのこっちゃ」となるんだよなあ。本編知ってると嬉しいんだけど。今回だと、掟上今日子や京極堂が出てきて嬉しかった。日記でいうと、朝倉かすみさんの「祇園・櫻井チャンネル」を見ているという話が面白かった。祇園の櫻井くんって、アレやな。「やすとものどこいこ?!」でミニマリストっぷりをいじられてた方。Youtube見てみたい。「最後の晩ごはん」シリーズの椹野さんは、ナイチンゲールについて書かれていた。最近、本屋大賞や○○賞といった受賞作品をよく読んでいるので、「知り合い」の作家さんが増えていて、こういうアンソロジーでもそれらの方々に再会できる楽しみがある。既知の作家さんは、作者紹介で「あ、こんな作品を最近出していらしたのか。読まねば」となる。海堂尊さんの『コロナ黙示録』読みたい。東山彰良さんは、一万円選書で『僕が殺した人と僕を殺した人』を選んでいただいていたので、御味見的な気分で読んだ。好きな感じ。楽しみ。これまでの関連レビュー・Story for you [ 講談社 ](2021年6月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.02.02
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