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マスコミのニュースに「派遣」という言葉が出ない日はないというくらい、「派遣社員」のことが話題になっている。●元派遣社員、職を失って餓死●元派遣社員が強盗「仕事なく、金が欲しかった」●元派遣社員が通行人を切りつける。「派遣先から解雇され、将来が不安でむしゃくしゃした。やるのはだれでもよかった」●元派遣社員が窃盗。「住むところを失い、食べるものもなかった」虚偽の報道ではないだろう。が、「元派遣社員」というだけで、取り上げられているとしか思えない。「自殺」も「餓死」も「窃盗」も、1日に何件も起こっているはずだし、そのうちのごく限られた事案だけがニュースの俎上に載せられるのだ。高い競争率の中で取り上げられる確率を高めるキーワードが、いまは「派遣」なのだと思う。「派遣」が象徴するのは何だろうか。★世界的不況の犠牲者★1999年の「労働法」の改悪が招いた未曾有の事態★小泉政権下の改革路線(2003年労働法改正)による規制緩和が元凶★働く者の権利がないがしろにされている★終身雇用制の崩壊が問題★内部留保を吐き出さず、安易に雇い止めする大企業が問題の根源ま、こんなところだろう。これに異論はない。確かに、1999年と2003年の労働法改正のときには、労働者の権利を確保する関連法が整備されないまま、ある意味企業側(派遣元の人材派遣会社及び派遣先企業)の暴走を許す結果になってしまった。また、「派遣社員」に、景気が悪くなったときの、労働力の「調整弁」のような役割を担わせてしまったという、政府(官庁)の愚策は糺弾されるべきだし、労働力を使い捨てにしていとわない大企業の所業は、広く世に披瀝されてしかるべきだろう。それはそれ。が、今回のこの報道は、マスコミが景気の回復を願っていないからこその洗脳活動のように思えて仕方ないのだ。ある経済評論家(私が嫌いなM永T郎氏)が言った。「派遣社員がバタバタ切られているから、国民がみんな警戒して、消費しようとしないんです。派遣切りが社会不安を生んでいるんです」そうかもしれない。いまのマスコミ報道を見ていると、気分が落ち込んでばかりだ。その一つの要素が「派遣」というキーワードだ。が、考えてみると、全くそんなことはないことがわかる。なぜなら、「派遣」というものの労働者全体に占める割合を見るとわかる。竹中先生は1月O.A.のテレビ番組で「全労働者の2.6%」とおっしゃった。多分2007年のデータだと思う。役所は統計を発表するタイミングが遅い。いまのような高速度で変化する社会に全くついていけない。いまとなっては、多分、5%前後になっているのではないかと思う(「日雇い派遣」が加速度的に増えていることによる推測)。「派遣」というカテゴリーの人々は、「非正規雇用」というくくりになる。「正規雇用」は、文字通り「正社員」だ。「非正規雇用」は「正社員以外」と言っていい。「パート」「アルバイト」「契約社員」などとともに「派遣社員」が含まれる。その比率はというと、「正規雇用」が66.5%で、「非正規雇用」が33.6%「非正規雇用」のうち、「パート・アルバイト」が70%程度で、「派遣」は17%となっている。つまり、「非正規雇用」=「派遣」のようないまの報道はおかしい。さらに、前出のM永氏などは、「非正規雇用者」の給与は200万円以下です」と断言しているが、ここにもトリックがある。というのは、「パート」で働く主婦などは、世帯主の「扶養家族」になっていることが多い。すると、「所得控除」というシステムを利用することになる。配偶者が稼いでも、非課税にできる所得額が決められているのだ。それが、103万円。「中途半端に働いて税金を払うなら、収入を103万円以内に抑えよう」と考える人が多いのだ。つまり、100万円そこそこの「パート従業員」がコア層で、それ以上の収入を得たい「契約社員」や「派遣社員」が、それを200万円にまで引き上げているというのが実態なのだ。しかも、「派遣切り」と言われる「雇い止め」となる人数をマスコミは「厚生労働省は発表した8万人は甘い。十数万になる見込み」と言っているが、正規雇用者の解雇及び倒産により離職を余儀なくされる労働者は何人だと言っているだろう。戦後最悪の倒産件数を記録した2008年に続き、2009年も新年度を迎えられない企業がたくさんあると予測されている。ある意味、「解雇」の危険性を知りながら従事している「非正規雇用者」より“一生安泰”と半分思っていた正規雇用者の解雇や離職の方が実は深刻なのに、それを全く報道しない。このことから、何が予測できるか──。「小泉改革路線」の徹底的な否定と、「社会主義」への回帰を考えざるを得ない。「格差」を代表とする貧富の差をあらわすキーワードを連発し、「平等」を主張する方向性で報道すれば、「自由主義経済」を否定することになる。「市場原理主義」に対して異論を唱え、政府の「規制」や「ルールづくりが必要」と言い、「非正規雇用者」の権利を守るために「正規雇用者」を巻き込んだ「雇用調整」や「報酬の見直し」(いわゆる「ワークシェアリング)が解決策だと訴える。それが、自由主義経済を指向する国として正しいのだろうか。問題は、「労働法の改正」が間違いだったということである。それをさて置いて、「正規雇用者」と「非正規雇用者」の権利の扱いを同等にしたり、正社員の労働条件を見直さず、単純に報酬を同等にしたりすることが景気回復や社会不安を軽減することになるのだろうか。私は否、だと思う。いまは、34%ほどの非正規雇用者が雇用不安を抱えるという状態だが、それが100%になって、国の消費意欲や経済力が回復するという論理が成り立つとは、到底思えない。少なくとも、66%の正規雇用者の消費力や労働力が、いまの日本の基礎体力となるはずなのだ。それを失って、100%の労働者が楽観できる労働環境がつくれるわけがない。そんなことは、火を見るより明らかだ。マスコミは何がしたいのだろう。国を崩壊させたいのだろうか。自由主義経済を否定したいのだろうか。強力な労働組合を持ち、自由主義経済を謳歌したような高給をもらいながら、下賎な民たちの生活や将来を無視した、視聴率至上主義の報道姿勢……。実に由々しき問題ではないだろうか。
2009.01.31
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政治的なことは余り書きたくないのだが(と言いながら、結構突っ込んでいるような…)、29日に行われた麻生太郎首相の「施政方針演説」は、余りにもひどいので、突っ込むことにする。「余りにもひどい」という論拠は、「官僚の言い分」そのものだったということ。麻生さんの言葉ではないだろうと推察される文言ばかりが並べ立てられ、極めて意志薄弱で、将来性のない文章を、あのダミ声で読み上げられた日には、先行きがさらに暗澹たるものになるような気になった。麻生さんのいいところといえば、少々言葉が汚くても、「言いたいことを自分なりの言葉で言う」というところだったはずだし、そのときに、誤解を招くような表現があっても、「言いたいことはわかる」という支持派が必ずいるような内容だった。が、今回の演説は、そんなただ一つの“いいところ”が全くない、聞くに耐えない内容だった。聞くに耐えないことの一つは、「小泉内閣への恨み節」。小泉さんの人気に相反して、自分の人気がないものだから、「小泉がやったことはこんなにひどいこと」と言うことで、人気を得たいのだろうか。そんな浅薄な発想だとは思いたくないが、そう疑ってもおかしくない発言だった。これは、国民にそう思わせるための官僚の情報操作だったように思う。世襲議員でありながら、しがらみの薄かった小泉さんが断行した政策について、以下、●●色は、施政方針演説。「官から民へ」といったスローガンや、「大きな政府か小さな政府か」といった発想だけでは、あるべき姿は見えないということです。 政府が大きくなり過ぎると、社会に活力がなくなりました。そこで多くの先進諸国は、小さな政府を目指し、個人や企業が自由に活動することで活力を生み出しました。しかし、市場にゆだねればすべてが良くなる、というものではありません。サブプライムローン問題と世界不況が、その例です。今、政府に求められる役割の一つは、公平で透明なルールを創ること、そして経済発展を誘導することです。 前提と帰結が全く一致していない。この主張を単純に要約すると、「小さな政府を目指したから、サブプライムローン問題が起きた」となる。が、そんなことは全くない。ブッシュ政権は、サブプライムローンが起きたとき、「市場原理主義」を貫いて、何ら有効な対策を講じなかった、という事実はある。が、それは自由主義経済を優先する政治姿勢であって、「小さな政府」か「大きな政府」かとは無関係だ。日本の政治環境にうまくあてはめて、あたかも、いま起きている世界的な経済不安は「小さな政府」を目指したから(小泉路線)のように思わせるトリックを使っているのが実に官僚的だ(「小さな政府」になると、国家公務員たる自分たちの権限も弱くなり、扱える財源も縮小されるというデメリットがある)。日本は、勤勉を価値とする国です。この美徳が、今日の繁栄を築きました。それを続けるためにも、高齢者、障害者や女性も働きやすい社会、努力が報われる社会を創ることが重要です。また、競争に取り残された人を支えること、再び挑戦できるようにすることが重要です。 この点において、我が国はなお不十分であることを認めざるを得ません。〈中略〉 国民の安心を考えた場合、政府は小さければよい、というわけではありません。社会の安全網を、信頼に足る、安定したものにしなければなりません。中福祉を目指すならば、中負担が必要です。私は、景気回復と政府の改革を進めた上で、国民に必要な負担を求めます。 現在の豊かで安全な日本は、私たちが創ったものです。未来の日本もまた、私たちが創りあげていくものです。過去二回がそうであったように、変革には痛みが伴います。しかし、それを恐れてはなりません。暗いトンネルの先に、明るい未来を示すこと。それが政治の役割です。良き伝統を守り発展させる。そのために改革する。それが、私の目指す真の保守であります。 理論が崩壊している。「勤勉」を「価値」とする「国」など、とうの昔に終結している。「裕福な暮らしを得たい」という思いの結果「勤勉」になっただけであって、「美徳」などない。「勤勉が美徳」なら、「第一次産業」の衰退及び「金融」関係の暴挙などあり得ない。また、「美徳」と「繁栄」を続けるために「高齢者、障害者や女性も働きやすい社会、努力が報われる社会」を「創ることが重要」という文章の意味がわからない。高齢者、障害者、女性は「美徳」を持っていて、その他は持っていないということなのか。それとも、そういう人が働けない社会は「繁栄」しないということなのか。意味不明。推論さえできない文章だ。しかも、明確な政策も呈示しないまま「中福祉」「中負担」という言葉を使うなど、官僚の発想以外の何物でもない。こんな文言は絶対国民に支持されないし、政府が攻撃される対象になる。とわかって使っているのだ。つまり、麻生政権に見切りをつけているからこそ使える言葉だということだ。だれが首相になっても、どの党が頭を取っても、「自分たちの権限は誇示する」というスタンスなのだ。景気後退による経済と雇用への打撃は、地方ほど深刻です。地方自治体が地域を活性化できるようにするためには、財源と権限が必要です。地方税や地方交付税の減少分を補てんするのに加え、地方交付税を一兆円増額します。インフラ整備のために、使い勝手の良い「地域活力基盤創造交付金」を創設します。 分権型社会が、目指すべき国のかたちです。知事や市町村長が、地域の経営者として腕を振るえるようにしなければなりません。地方分権改革推進委員会の勧告を踏まえ、地方自治体の活動について、国による義務付けを見直し、自由度を拡大します。「地方交付税」という文言が、地方の主権を奪っていることにほかならない。大阪府の橋下知事が言う「財源の地方委譲」というのは、「交付」では決してない。“徴収するのも使うのも地方の権限で”、というのが「地方主権」であって、“徴収するのは国の権限、それを地方に配るのも国の権限”と言っているわけである。しかも、「地方自治体の活動について、国による義務づけを見直し」などと、おこがましい文言を連ねるのは、国の官僚だからこそで、首相の言うべき言葉ではない。暮らしの安心は、年金、医療、介護など、社会保障制度への信頼があってこそ、成り立ちます。 年金記録問題により、公的年金制度に対する信頼が損なわれました。国民の皆様には、改めてお詫びを申し上げます。既に、「ねんきん特別便」をすべての現役加入者と年金受給者の方にお送りし、ご自身の記録を確認していただいています。これに加え、4月からは、順次、標準報酬の記録もお送りいたします。紙台帳との突き合わせを含め、計画的・効率的に記録回復作業を進めます。 医師不足など地域医療をめぐる問題に対しては、医師養成数を増員し、勤務医の勤務環境を改善します。救急医療も、消防と医療の連携などにより、患者を確実に受け入れられるようにします。長寿医療制度については、更に議論を進め、高齢者の方々にも納得していただけるよう、見直しを行います。四月から介護報酬を引き上げ、介護従事者の処遇を改善します。 少子化対策については、妊婦健診を十四回分すべて無料にします。出産育児一時金も、四十二万円に引き上げます。また、平成22年度までに十五万人分の保育所などを増やします。この下りは、実に機械的だ。役所のせいで起きた問題ばかりだからだ。人情も感情も世情も反映していない、無機質な文言が並ぶばかり。自分たちの責任追及や余りにも杜撰な過去の経緯をひた隠すための、将来案(しかも、国の財政に大きく響くような)ばかりを披瀝し、問題点を隠匿している。国づくりの基本は、人づくりです。 小中学校の新学習指導要領を4月から一部先行実施し、理数教科などの授業時数を一割程度増加させます。これによって学力を向上させ、豊かな心や健やかな体を育みます。また、学校に携帯電話を持ち込ませず、有害情報やネットいじめから、小中学生を守る対策を進めます。 昨年の日本人四名のノーベル賞受賞は、画期的な出来事でした。大阪の町工場の技と夢が詰まった「まいど一号」が今、宇宙を飛んでいます。基礎研究を充実させるとともに、科学研究費補助金など約九百億円を投じて、若手研究者などの多様な人材が活躍できる環境を整備します。また、英語による授業のみで学位が取得できるコースや、世界トップレベル研究拠点プログラムを推進し、大学の国際競争力を強化します。 さらに、経済状況の厳しい中でも不安なく教育を受けられるようにすることや、国際的に活躍できる人材の育成などについて、日本の将来を見据え、教育再生懇談会において幅広く検討を進めます。 ここだけがやけに具体的だ。「バカな国民もここは理解できるだろう」と力を入れたのだろう。が、何ら政府が主導した事柄など出てこない。大阪府の橋下知事や、有能な科学者、東大阪の中小企業の社長が勝手にやったことを、さも国の事業のように見せかけるテクニックが官僚にはあるようだ。「経済状況の厳しい……」から、「検討を進めます」は、選挙対策の文言だろう。こんなことをする土壌は日本にはない。文化や芸術への理解や支出は、官僚の最も忌み嫌うことなのだ(効果がわかりにくいし、自分の手柄にならない。それどころか、「ゆとり教育」というとんでもない悪策を指導した役人が、退官した後大手を振ってマスコミに登場している事実は、官僚の「正義」を揺るがしているはず)。とかく、ものごとを悲観的に見る人がおられます。しかし、振り返ってみてください。日本は、半世紀にわたって平和と繁栄を続けました。諸外国から尊敬される、一つの成功モデルです。そして日本は、優秀な技術、魅力ある文化など、世界があこがれるブランドでもあります。自信と誇りを持ってよいのです。日本の底力は、必ずやこの難局を乗り越えます。そして、明るくて強い日本を取り戻します。 「尊敬」はされていないだろう。「エコノミックアニマル」と言われ、「日本製品不買運動」が同盟国のアメリカで大々的に展開されたことはだれもが(中高年と限定します)知るところだ。しかも、これを言うなら、自らが否定した「小泉・竹中」による金融改革を避けては通れないだろう。何よりも許せないのは、「自信と誇りを持ってよいのです」と上から目線(嫌いな今ふうの言葉。あえて使います)で言うところ。「この国を牛耳っている」と自負する官僚らしい。麻生さんなら「自信と誇りは私が持っているので、あなた方は勤勉な生活を営みなさい。悪いようにはしない」と言うだろう。この演説を聞いて、日本は、日本国民は、非常に程度の低いものになってしまったのだと悲観的な気持ちになってしまった。「GDP世界2位」などというのは、日本の一部の企業や人が頑張っているから得られた称号であって、国民のほとんどは所得税免除や生活保護など国家の庇護を受けるべき、力のない下賎な民になってしまったではないかと錯覚させられた。実に気分の悪い施政方針演説だ。私なら、もっと気持ちのいい文章を書いてあげるのに。日本の官僚の文章力は、27歳のスピーチライターの足元にも及ばない。なぜなら、文言に驕り、昂り、強欲、保身、排他が見て取れるからだ。「有能な官僚たちが日本の繁栄を築いてくれた」という過去の事実は否定しない。が、いまの官僚にこの言葉は当てはまらない。少なくとも、中高年の、天下りや渡りだけが余生のすべて、と思っているような高級官僚には。
2009.01.30
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おどろおどろしい漫画作品に対して、子ども心に気持ち悪さを感じた記憶のある楳図かずおさんも70歳を過ぎる老翁となった。あ、70歳くらいでは、老翁とは言わないか、現代では。往年のごとく、相変わらずファンキーなノリの楳図かずおさんも、新居を巡って周辺住民に訴えられてしまっては、ファンキー翁ではいられなくなったとあって、インタビューにも言葉を選んで慎重に答えていた。「景観乱さぬ」地裁が近隣住民の請求棄却「まことちゃん」などの作品で知られる漫画家の楳図(うめず)かずおさん(72)が東京都武蔵野市に新築した自宅を巡り、近隣住民2人が赤白横じま模様の外壁の撤去などを求めた訴訟で、東京地裁は28日、住民側の請求を棄却した。畠山稔裁判長は「周囲の目を引く配色だが、景観の調和を乱すとまでは認めがたい」と述べた。 自宅は井の頭公園に近い住宅街。住民側は「周囲から突出して目立つ配色で、静かな住宅街の景観を破壊する」として、景観利益(景観の恩恵を受ける利益)を侵害されていると主張していた。 判決は「外壁の色彩に法規制や住民間の取り決めはなく、周辺にはさまざまな色の建物が存在するなど、良好な風景として文化的環境を形作っているとはいえない」と述べ、居住者に景観利益はないと判断。「建物の配色が不快を抱かせるとしても私生活の平穏を受忍限度を超えて侵害しない」と結論付けた。 住民側は07年10月に提訴したが建物は08年3月に完成。壁は赤白の横じま(幅約48センチ)を基調に一部緑色で、屋根には作品のキャラクター「マッチョメマン」をイメージした赤色の円塔がある。 景観利益を巡っては東京・国立マンション訴訟の最高裁判決(06年3月)が「法的保護に値する」との初判断を示し、生命や健康、財産を侵害しなくても著しく景観を乱す行為が違法となる余地を認めている。[毎日新聞 2009年月1月28日]この裁判騒動は1年以上前から続いているもので、私は当時から注目していた。毎日新聞の記事中にある「国立マンション訴訟」というのは、閑静な戸建てのみの、しかも、景観保護に努めてきた住宅街に、突如18階建てのマンションが建築されるという計画を巡ってのもので、個人宅のみを対象にしたものとは明らかに違う。並列で論じるのはどうかと思う。今回の判決は、当初から予想できたことだ。なぜなら、個人の趣味嗜好の表現である「デザイン」と、個人の好き嫌いという極めて数値化しにくい問題の対立は、白か黒しかない裁判にはなじまないからだ。しかも、近隣住民2人だけの提訴にとどまったということも、訴求力を弱めた。そう言っては、裁判を起こしてまで楳図氏の家を排除したかった住民の気持ちが報われないので、もう少し深く考えてみることにする。まず、裁判を起こす側と起こされる側の主張を比較してみよう。裁判を起こした側は、「この地域は、景観に配慮された住宅が建ち並ぶ閑静な(高級)住宅地だ。自分の家の近くにこんな派手な建物が建つのは許せない。訪れる人にも恥ずかしいし、地域のイメージが壊れる。毎日気分が悪いし、健全な生活が営めなくなる」個人の感情としては、わからないことはない。例えば、自分の家の近くの家屋に突然おかしな人々が出入りするようになり、もしかしたら、よからぬ事業を営んでいるとか、宗教団体が入居したのではないか、といったことと同じことだと思う(明確な法規制の対象にならない、という意味で)。が、楳図さんは「よからぬ事業」を営んでいるわけでも、「宗教団体」の教祖でもない。その存在自体が周囲に与える悪影響は全くないのだ。訴訟の対象になっているのは、建物のデザインだが、+「そんな非常識な建物を建てようとする楳図さんは、(常識的に)普通の人ではない」という背景的主張だろう。では、楳図さんの側から見よう。楳図さんの漫画に対する信条や漫画家としての歴史の集大成をデザイン化した家を建てようとした、それだけだ。「それによって、周辺の住民や地域に悪影響を与えるとは思えなかった」というのはそのとおりで、「本当は、周囲がいやがるだろうけれど、自分で買った土地に自分の好きな建物を建てて何が悪い」といった奢りというか、得手勝手な感情はなかったと思う(飽くまでも推論)。であるならば、裁判をする余地はない。「常識」のレベルが違うからだ。日本人は、すべての人が自分と同じ「常識」や「良識」を有していると勘違いしがちだ。そんなものは昔のことだ。いや、違う。昔から、「常識」や「常識」がコア層と違う人は必ずいた。そうした人々を忌み嫌う村社会は「村八分」という制度をつくった。つまり、大多数の人の意見ややり方と違う人を排除しようとする制度だ。そうすることで秩序を保ち、できる限りの平等や均一化を保つ努力をしてきた。ということは、日本には昔から「平等」や「同等」というものが危うい均衡で成り立っていたということだ。何事でもぬきんでることを許さない、ぬけがけを許さない、皆で同じ苦労、同じ忍耐、同じ努力、同じ試練を求めながら、同じ「幸福」はあり得ない。なぜなら、苦しいことは「時間」「力」「量」といった数値化されたもので計ることができるが、「幸福」の感じ方や大きさは個人個人で違うものだ。だから、そこは共有できない。そのことを知りながら、同じだけの我慢を共有しようとする。それが、日本人の底流に流れている感性なのだ。だから、この裁判は起こされた。「自分がいいと思ったことが、皆に受け入れられるなんてとんでもない!」これが提訴の理由で、「楳図さんの幸福は、我々の幸福ではない。あなたは、皆のために何の我慢もしていない。なのに、幸福だけ求めるのは許せない」という感情が必ずあるはずだ。つまり、「村八分」にしたのだ。江戸時代ならともかく、権利や個性を優先する現代にあって、この主張が法的に受け入れられる土壌は皆無といっていいだろう。楳図さんが、著名な漫画家だという事実を加味しなくても、この判決が出ただろう。逆に、楳図さんが敗訴したとしたら、「個人の権利の侵害」以外の何物でもない。そういう性質の裁判だった。解決する方法があるとしたら、周辺住民が徒党を組んで、楳図さんを村八分にし、いづらくするといった陰湿なやり方だろう。が、ファンキー翁の楳図さんは、それには動じないに違いない。しかも、反楳図派が多いとは限らないし、擁護派もいるはずだ。どの道、解決策はなかったのだ。弁護士が悪い。勝つ見込みがない訴訟を起こした(容認した)弁護士には、どんなポリシーがあったというのだろう。何でも裁判に訴える、というのは問題だ。もちろん、「健全な生活を営めない」と思い込んでいる人には、さぞや苦痛だろう。が、自分が好むものばかりに囲まれて生きていけるほど、寛大で懐の深い世界ではないのだ、いまの日本は。それを求めるなら、昔の日本に戻るか、一切の権利を主張しない世の中を所望することだろう。他人の権利を主張しない、となれば、自分の権利も主張できず、いまと何ら変わりのない状況に陥ること必至なのだが。「ブスも3日見れば慣れる」「住めば都」「案ずるより産むがやすし」「異質なものが文化を生む」などなど、状況を柔軟に受け入れる心を持てば、何てことはないことなのだ。楳図さんの家があっても雀も鳩もやってくるし、いつものように雨も降る。気持ちのいい晴れた朝の空気や日差しを感じる感性があれば、紅白の縞模様なんて目に入らないはず。そうでないと、人生はつまらない。いやなもの、受け入れられないものをつくることほど人生をつまらないものにする行為はないのだ。食べられないと思っていたものが食べられたときの「目から鱗」を思い出してもらいたい。ガンジーが言った。「弱い者ほど相手を許すことができない。許すというのは強さの証だ」と。裁判を起こそうというとき、「負け犬の遠吠え」にならないようくれぐれも注意したいものだ。
2009.01.28
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ニュースでは、「渡り」や「人事局」といった、公務員制度に関連する語彙が飛び交っている。この裏には、「公務員制度改革」という小泉元首相~渡辺元行革担当相のラインで推進されて「いた」政治的取り組みだ。「いた」というとおり、過去の話。いまでは「公務員制度改革」などという名称はおおよそ当てはまらない、以前と同じかそれ以上に公務員に手厚い改革案になっているように思う。もっとも、渡辺さんが提唱した改革案がすべて正しいとは言えない以上、渡辺さんの案を甘くしたり、公務員に手厚くしたとしても、本当に正しい改革案が盛り込まれていれば、それはそれということなのだが、どうも、それでもないらしい。「公務員制度」がなぜ問題なのか、を考える前に、公務員にまつわる現状を知ることが先決のように思う。データから。日本の国家公務員、地方公務員の数は、年々削減傾向にある(からくりあり)。総数で言うと、400万人程度だそうだ。この数は、国民一人あたりの公務員数に置き換えて、海外諸国とよく比較される。日本は40程度。米国、英国は約80、ドイツは約60、フランスは約90とされている(総務省資料)。こうやって見ると、日本の公務員数は少ないように見える。が、この数にはからくりがある。何らかの形で税金が投入されている特殊法人、認可法人、独立行政法人や国・地方公共団体の外郭団体の職員数が入っていない。(公務員数が減っている一方、団体の数と職員数が増えている。つまり、公務員は、こうした組織に籍を移しているだけで、首になったわけでも、一般企業に転職したわけでもないということだ)。しかも、実に多くの臨時職員(派遣)やアウトソーシングのことは一切無視した数字だ。日本の行政機関は、非常に多くの部分で民間企業にアウトソーシングしている。そこで働く人の頭数を入れると、フランス以上になるのではないだろうか。派遣やアウトソーシングを加えなくても、特殊法人から外郭団体まを加えるだけで700~800万に上るという説がある。つまり、米国、英国と変わらないのだ。(もっと詳しいデータ、求む)また、見逃してはならないのが「報酬」だ。昔は、「公務員は薄給」というのが常識だった。しかし、いつの間にか役人はせっせと法整備をし、報酬の底上げに成功している。国際比較は、最も従事する公務員の多い「公務及び国防、強制社会保障事業」におけるベースの人員と、それに対応する雇用者報酬を用いる。国家間の生活水準の違いを換算する方法として、ベースの公務員のそれ以外に対する倍率によって国際比較をするという手法を用いている(大和総研)。すると、高度な社会保障制度を誇る「フィンランド」を1とすると、「日本」は2.1だ。「英国」も「米国」も1.2~1.3というところ。金額に置き換えるとよくわかる。日本が700万円(年)程度として計算すると、フィンランドは333万円。英国が400万円、米国が433万円となる。これで報酬が低いと言えるだろうか。フィンランドの場合、ベース公務員の「333万円」に比べ、それ以外の人々の報酬は「456万円」であり、英国も米国もベース公務員の方が低い。が、日本は、ベース公務員の「700万円」に対し、それ以外の人々の報酬は「457万円」である。実に1.53倍と、50%も高いのだ。「日本の公務員数は、海外の公務員数と比べて少ない」「報酬もさほど高くない」というのは、根拠のない話であることがわかる。しかも! 日本独特の「利権」の存在がある。公務員自体にはヒモがつけられないので、外郭団体というものをつくり、そこに利権を集中させ、民間人(公務員や議員の兄弟親戚が多い)に恩恵を与え、公務員に見返りがくる構造をつくり上げている。いわゆる、「既得権益」を死守するために地下に潜り込ませているのだ。土建国家と言われるように、土木、建設の世界はしかり、農業、林業、漁業、不動産、最近では環境関連の領域にまで勢力を伸ばしてきている。こうした魑魅魍魎を見てみると、「公務員制度改革」は表面上のことしか言っていないし、公務員は「できるならやってみろ」という態度で防戦を張るだろう。しかし! このままでいいわけがない。人口は今後どんどん減り、若い人口は減り、収入は減り、税収は減る。しかし、社会保障費は飛躍的に増大する。そんなときに、公務員にばかり金を割いていられないのは火を見るより明らかなのだ。何とかしないといけないという気持ちになることが大切だ。多分、私の目の黒い間に何とかできる問題ではないことはわかっている。しかし、ダメだと思ったら何も変わらない。まずは知ること。役所が発表する数字や論拠のからくりを知れば、納得できなくなるし、もっと知りたいと思うものだ。誤解を避けるために言っておく。公務員が悪いといっているのではない。公務員を取り巻く制度や利権、それにまつわる社会構造が悪いと言っているのだ。注釈をつけなくても、それ以外の解釈ができるようなことは書いていない。余計な文言だったか。
2009.01.27
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いよいよ、天下の「愚策」と言われた「定額給付金」が支給される見込みとなった。定額給付金「効果」あるの? 膨大な関連経費…国民負担ズシリ成立が確実となった平成20年度第2次補正予算の目玉である総額2兆円規模の定額給付金。国民への給付とは別に、給付事業の実施に825億円もの経費がかかる。うち給付金の振込手数料は約150億円に上り、自治体職員の残業代や給付申請書類の郵送代も発生する。標準世帯モデル(65歳未満夫婦、18歳以下子2人)で6万4000円もの“臨時収入”となる給付金だが、これには膨大な関連経費が国民負担としてのしかかるうえ、事務手続きも煩雑で、費用対効果を疑問視する声は依然、根強い。【産経新聞 1月26日21時22分配信】「要らぬ」といっても、無理やり「やる」というのだから、受け取らないわけにもいかないだろう。というわけで、12,000円を何に使うかを考えてみることにする。12,000円……12,000円……12,000円……それにしても、中途半端な金額だ。パァーッと食事に行くとしても、ステーキやフレンチは無理だ。焼き肉か、ふぐ……、ふぐも高級なのはダメ。養殖もので、コースで5,980円、白子でもつけて、お酒を飲めばパァ。食べ物より、残るものを……、が、靴の1足も買えない。バッグもダメ、アクセサリーも大したもの、買えないなぁ。カットソー、安いパンツ、セールのセーターくらいか……。かえってもったいない。「安物買いの銭失い」以外の何物でもない。必要があって、いずれ買うもの……、百均ショップで必要なものを買いまくる……、12,000円分も買うものがない。お米……ちと多過ぎる。パン……カビる。お酒……手元にあると、飲み過ぎるだろうなぁ。これまで買えなかったものの足しにする……、フロアスタンド……、5万円くらいするので、足す方が多くなる。レザージャケット……、しかり。車……、論外。つまりは、中途半端なのだ。男友達に聞いたら、「残す」というので(日雇い派遣で実に苦しい毎日らしい)、「ちびちび使って、結局なくなった、ってことになるよ」と言うと、「そうやなぁ、じゃ、パチンコの軍資金にでもするか」と言う。このパターンが最もありがたくない使い方だろう。そんな程度の金額だということだ。私の場合も、銀行に振り込まれたらほかのお金に紛れてわからなくなるので、カードの支払いに回ったりするのだろう。「生活支援」にも「景気刺激」にもならない。それは、期限付きの「商品券」のようなものにしても同じだと思う。12,000円以内に収まるような金額で欲しいものがない場合、ちょこちょこ使って、知らぬ間に消えてしまう。使途は、多分食料品か本か、酒だと思う。食料品店や本屋や酒屋は売り上げが上がるのかもしれないが、使った方が感じる恩恵は、極めて薄いはずだ。しかも、販売店側も、そうした消費を取り込もうとして他店より安売りをしたり特典をつけたりするので、利益率が下がる(「景気刺激」に及ばない可能性が高い)。しかも、借金の返済(金利程度か)に回したり、飲み屋のつけを払ったり、人に借りていた金を返したりと、「消費」ではないところに回る金も相当なものだと思う。貧乏人(表現が悪い。低所得層)はダメだ。期待するのは、小金持ちが、自分の金に上乗せするような消費をしてくれることだ。家族で6万以上入るとなると、20万円の買い物を30万にしてくれたり、買わなくてもいいものを、20万で買ってくれたりすれば、2.6兆円以上の消費が生まれるかもしれない。最もいけないのは、高額所得層が「要らない」と国庫に返納して一切消費せず、丸々国に返ってしまうことだ。また、海外に出かけたりして、ブランド品を買い漁るのもやめてもらいたい。高額所得者にはぜひお願いしたい。この機会に車でも買ってもらい、給付金の6万円を車内装飾に回したり、大量の本を購入し、送料6万円で自治体や学校の図書館に寄付したり、6万円を旅費にして財政難の地域に出かけてもらい、現地で大量の品物を購入したり、飲食したりしてほしい。ま、そんなことをする人は、高額所得者にはならなかっただろうから、望みは薄い。日本人は、棺桶に入るときに1,500万円持っているらしい(大竹まこと氏発言/TVタックル)。そのお金を先に使ってもらう手立てが必要だ。それには、老人の生活保障(生活費、介護、終末期医療、墓)の心配をなくすことだろう。また、子ども世代が不安定なのもいけない。いずれにしても、目先の消費より、安心の社会保障制度の方が、景気浮揚や社会の安定にとっては効果的だろうというのは、だれにもわかることだ(もちろん、短期的施策と中長期的施策とを分けて考える必要があることはわかる。が、もし、社会保障制度が安定していれば、今回のような、坂道を転げ落ちるような景気の悪化はなかっただろう。どちらが先かは、鶏と卵論だ。早急な対策……いまの政府にも、次期政府にも無理なようだが)。
2009.01.26
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先日、「死刑」に絡む裁判員制度の問題点について書いたとき、ちらっと「精神障害者と知的障害者の犯罪率」に触れました。その部分をブログに紹介してくださる方がいたので、問題がないか調べてみました。数字や表現がかなり大まかで、誤解を招くかもしれないと思い、訂正と補足をここに記述します。先日の「犯罪率」の数字は、識者がテレビ番組で述べたもので、根拠と分母が判明しませんでした。多分、「生涯で犯罪者になる確率」じゃないかと思います。が、こういう場合は、年間の刑法犯(交通関係業過を除く)の「検挙人員」を分母にするのが妥当だと思います。その数字は検挙人員384,250人(H18)で、うち精神障害者は1,054人(前年比9.6%増),精神障害の疑いのある者は1,491人(同2.9%増)であり,全検挙人員に占める精神障害者等の比率は,0.7%。国民を1億2000万人として計算すると、一般健常者の犯罪率は3.19%となります。警察では、精神障害者及び精神障害の疑いのある者をこう規定しています。1.「精神障害者」とは、精神分裂病者、中毒性精神病者、知的障害者、精神病質者及びその他の精神疾患を有する者をいい、精神保険指定医の診断により医療及び保護の対象となる者に限る。2.「精神障害の疑いのある者」とは、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第24条の規定による都道府県知事への通報の対象となる者のうち精神障害者を除いた者をいう。これらの人々の分母を決めるのはかなり難しいのですが、厚生労働省による数字は、知的障害者が547,000人、精神障害者が3,028,000人ですから、これを元に計算してみると、犯罪率は0.07%となります。つまり、健常者の犯罪率は精神障害者の45倍であり、知的障害者、精神障害者の犯罪率は非常に低いということになります。しかも、知的障害者や精神障害者は取り調べや裁判に対する知識や知恵、対処法がわからずに「冤罪」やそれに近い状態で犯罪者に仕立てられる可能性がないとはいえず、いえ、現実にはかなりの数があるだろうと言われていますので、そうした数を差し引けば、障害者が犯罪を犯す確率は、微々たるものだということがわかります。だからこそ、裁判や取り調べの際の不公平さや間違った実態解釈、おかしな判決を避けるための法整備、犯さなくてもいい犯罪を回避するための教育と治療が必要だと思うのです。それは、だれもが犯罪者になり得るという現実、だれもが犯罪被害者になり得るという事実を考えても、国民皆が考えるべきことだと考えています。もちろん、政治や地方自治体が牽引してくれるべきことであるのは当然です。機会があれば、司法の場での問題点をつまびらかにするよう情報を集めようと思っています。いましばらくお待ちを。
2009.01.24
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おやじというのは、奇妙な表現をする。「おやじギャグ」とか「駄洒落」という言葉で一緒くたにされているセンスのない、というか、おおよそ賛同できない言葉を使った独特の言い回しをして、人をイラつかせる。が、私も相当な大人(…)なので、それはそれで我慢しよう。というか、一時的な表現として、やり過ごすこともできる。が、が、が、「癖」に近いような、日常的な表現は、繰り返し、いつまでも発せられ、しかも、酒が入る席になると、しつこいまでのリピート率で人をイラつかせる。心あたりのあるおやじさまたち、その言葉を発した時点で、周囲、というか部下たちの見る目が変わるので、ご注意を!!★「あれ」「それ」「なに」 ex)「そのことについて言及するのはあれなので、ま、注意してもらうとして……」「それって、人はいいかもしれないけど、自分的にはあれですね」など。「あれ」や「それ」「なに」が、会話の最重要語彙なのに、軽く処理される意味がわからない。その語彙を確定しなければ、要件は成立しないのに…。★動詞がおかしい ex)「ゼロックス、取って」:「コピー」を「ゼロックス」というのは、初期のコピー機が富士ゼロックスの製品だけだったからか。 ex)「ファックス、流しといて」:「流す」は、送るべき原稿が機械にジジジジと吸収される様からか、感熱ロール紙がベロベロと吐き出される様からかわからないが、何かが順番に処理されるのは「流す」になるのだろう。 ex)「メール、飛ばしといて」:言うまでもなく、メールはインターネット回線を通じて送られるので、「送っておいて」ならわかるが、どうして「飛ばす」になるのか。ex)「DVD焼いといて」:ライティングソフトに「トースト」というのがあるくらいなので、「焼く」という表現もわからなくはないが、いかにもおやじっぽい言葉ではないだろうか。「DVDにしといて」「DVDに入れといて」で十分わかる。★下ネタ 何でも下(しも)に持っていく御仁も多い。 ex)「歌うときは立つよ! あれは立たんけど」 ex)「週末、ゴルフに行くよ。おかあちゃんは行かせられへんけど」品格もなければ、プライドもない、はたまたかっこよくもない変なおやじギャグは、煙草の煙よろしく世の中の弊害にはなっても、メリットはつゆほどもない。おやじは嫌いだし、おやじと接する機会がなければないほどありがたいが、自分の年齢を考えると、「若い人」より「おやじ」と接することがはるかに多いと断定できるのがつらい。先日、24歳の男性と食事をした。ご不浄から戻ろうとしたとき、後ろ姿のシャープなことに感動した。首回りの美しさ、肩周辺の男らしさ、腰の締まり具合、お尻の小ささ……。年齢による変化をよく言われるのが女性だが、実は、男性の方がその触れ幅は大きい、と思う。24歳の彼の脇に座っているおやじの体型を見ると、信じられないほどの変容がある。顔の大きさ、脂身の多さ、足の短かさ、手のひらの形……。男性は、自分を知らないのか、見ないふりをしているのか、自分を過信しているのかわからないが、年を重ねるごとにひどい状況になっていくのは明らかだと思う。いまは、おやじ語には同意できないが、これからも、きっと同意できないと思いながら、私より若いのに、既におやじになっている男性(女性も)を思い浮かべ、自分もそこに近づいていくのを否定できないまま、でも、おやじ語は体が受け付けないと断じる。おやじたちには、女性の変容を嘆く前に、自分の20歳のときのデータと見比べて、反省してもらいたい。ちなみに、私の20歳のときのデータは、身長162cm/体重51kg:84:60:83cm(失恋を機に、一気に体重47kg:82:54:82cmになったけれど…)現在は、身長162cm/体重48kg:82:63:82cm……反省に値する数値……、人のことは言えない。恥ずかしい……。。。。
2009.01.23
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TW(立場わかってない)警察官僚が処分され、辞職した。事の経緯はこちら。成田検査で“キレた”キャリア警視、停職・書類送検→辞職警察庁は22日、昨年12月に成田空港の手荷物検査場で女性検査員(32)に検査用トレーを投げつけた同庁人事課課長補佐で、キャリア警察官の増田貴行警視(36)を停職3か月の懲戒処分とした。千葉県警も同日、増田警視を暴行の容疑で千葉地検に書類送検した。増田警視は同日付で辞職した。同庁によると、増田警視は昨年12月24日、同空港の手荷物検査場で、規定を超える男性化粧水を持ち込もうとしたことを注意されたことに腹を立て、女性検査員にトレーを投げつけた。国際線への液体の持ち込みは100ミリ・リットルまでに制限されているが、増田警視は「200ミリ・リットルまでと勘違いしていた。反省している」などと話しているという。[ 読売新聞 2009年1月22日12時25分] この人物は、検査員に対して「俺は警視庁の警視だ!」と叫んだらしい。それで、規定を曲げて化粧品の持ち込みが許可されるとでも思ったのだろうか。浅薄な。これが、キャリア官僚だというから驚きだ。32歳で警視というのだから、相当いい大学を出ているのだろう(基本的に東大じゃないかと思う)。警察庁に入庁した時点で「警部補*」という扱いだから、10年で「警部」「警視」と2階級昇任したことになる。私の兄は、39歳で警部になった。高卒では異例のスピード出世らしい。が、こんなバカなTWのキャリア官僚より階級が低い。多分、警察庁関係者としても、官僚としても不適格者だと思うが、それが、警視になるまでわからなかったというのが驚きだ。官僚の世界って、一体どうなっているのだろう。税金の無駄遣いのように思えるのは、私だけだろうか。それにしても、そんなに大事な男性化粧品って、どんなものだろう。「肌が弱く、どれを使ってもかぶれてしまう。この化粧品が唯一かぶれない。しかも、一般の店には置いていない。その上、1時間も塗らないと肌がおかしくなる」といった切羽詰まった事情があったのだろうか。ぜひともそこのところを教えてほしい。人生を棒にふるほど大切な化粧品の実態を。(どこかの企業や関連団体に潜り込めるよう、上が手配するかもしれないが)*警察の階級は、「巡査」「巡査長」「巡査部長」「警部補」「警部」「警視」「警視正」「警視長」「警視監」「警視総監」となっている。
2009.01.22
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きょう、二つの殺人事件で、「死刑」という言葉が聞かれた。どちらも具体的な事件の内容を聞くと、耳を覆いたくなるような悲惨な事件で、また、被告側の一方的な思いと行動によって起こされている。記事を引用する。3被告全員に死刑求刑 名古屋の闇サイト殺人名古屋市の会社員磯谷利恵さん=当時(31)=が、インターネットのサイトで知り合った3人組に07年8月に拉致、殺害された闇サイト事件で、強盗殺人や逮捕監禁などの罪に問われた元新聞セールススタッフ神田司(37)、無職堀慶末(33)、無職川岸健治(42)の3被告の論告求刑公判が20日、名古屋地裁裁判長)で開かれた。検察側は「社会全体を震撼させた凶悪、重大な犯罪」と被告全員に死刑を求刑した。【共同 2009年1月20日 12時46分】星島被告は「人間の顔をした悪魔」、遺族が死刑求める東京都江東区のマンション自室で昨年4月、会社員東城瑠理香さん(当時23歳)を殺害し、遺体を切断して捨てたとして、殺人や死体損壊などの罪に問われた元派遣社員・星島貴徳被告(34)の公判が20日、東京地裁であった。証人として出廷した東城さんの母親は、星島被告に対し「人間の顔をした悪魔だと思う。死刑にして瑠理香が味わった恐怖や痛み以上のものを感じてほしい」と述べ、厳刑を求めた。【読売新聞 2009年1月20日 20時23分 】どちらの事件も「死刑」は難しいかもしれない。この国では、「殺した人数」を基準にした判決が一般化されているからだ。本来は、「殺人」は刑法199条で「死刑・無期懲役・5年以上の懲役」とその量刑が定められている。しかし、裁判では、2人以上、一般的には3人殺害で死刑が確定、というような判例が一般的だった。先日、家族5人を殺した男が「死刑」を免れた。岐阜・中津川市一家5人殺害事件 死刑求刑の元市職員に無期懲役判決 岐阜地裁 岐阜・中津川市で2005年、母親や孫など一家5人を殺害し、死刑を求刑されていた元市職員の男に対し、岐阜地方裁判所は13日、無期懲役の判決を言い渡した。わずか生後3週間の孫の命まで、次々に家族5人の命を奪った原 平被告(61)は、無期懲役の判決を淡々とした表情で聞いていた。13日の判決公判で、岐阜地方裁判所の田辺 三保子裁判長は、犯行は事前の計画に沿った行動を取っていたと、原被告の責任能力を認めた。しかしその一方で、動機に一抹の酌量の余地もあるなどとして、判決は無期懲役だった。【東海テレビ 2009年1月13日 13時05分 】異例の判決に、法曹界からも異論が出たようだ。「裁判員制度」実施を前に、法曹界も混乱しているように思う。先日テレビの情報ワイド番組のコメンテーターが「裁判員制度が始まったら、死刑判決が増えるのではないかと言われてますね」とコメントした。何もわかっていない。プロである裁判官がなかなか「死刑」を言い渡せないから、「人数」という物理的なものを頼りにしてきたのに、「一人であっても犯状が悪いものは死刑にすべきだ」という世間の声が強くなり、被害者遺族が裁判に参加するようになると、厳罰化を求める世間の声がさらに拡大した。裁判官の心も揺れ動く。「裁判員制度」は、そうした重圧から解放されたいという法曹界の思いが底流に流れていると思う。表向きは、「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的」と言っているが。一般国民がプロの裁判官より厳しい量刑を決断できるわけがない。法務大臣でさえ、「死刑執行書にサインした夜は夢を見る」というほどいやなものなのだ。裁判員制度によって、死刑判決が減るのは火を見るより明らかだ。死刑に反対する弁護士(以外の法律家を含む)たちが、それを狙ってこうした制度をつくり上げた、と私は思っているのだが。今回、上の二つの裁判で検察、弁護側双方の思ったような判決が出ず、控訴、上告、となった場合、地方裁判所で実施される裁判員制度に参加する市民裁判員の心理に影響を与えることは確かだろう。これほど犯状がひどい殺人はそうそうない。が、だからといって、「死刑」を決める勇気があるだろうか。裁判員が量刑まで決めるのは、やはり無理があろう。しかも、殺人などの重大犯罪を対象にするというのも問題がある。ごく普通に生活をしている善良な市民にとって、重大犯罪というのは、余りにも遠い世界の話だから。ひどい事件の求刑や判決を耳にするにつけ、5月からスタートする新制度のことが気になって仕方がない。やはり、もう一度考え直すべきではないだろうか。もはや、常識や良識で判断できるほど、いま起こっている犯罪は簡単でも、意味のあるものでも、平気で見聞きできるものでもない。少なくとも、「知的障害」「精神障害」といった、犯罪以前の要因を考慮する捜査や裁判システムを確率し、裁判員がそうしたものの存在を勉強する機会がなければ、おかしな判決が出され、裁かれる者の権利、犯罪によって被害を受けた側の権利が守られるとは到底思えない。それ以前に、国(政治と役所)が目をつぶり続けている「知的障害」「精神障害」について、そろそろきちんと法整備しないといけないだろう。「福祉的支援」はもちろん、「教育」と「治療」までを踏まえて。(「知的障害者」「精神障害者」の犯罪が多いと規定しているのではない。健常者の犯罪率が10%を超えているのに対し、双方を合わせても数パーセントで、自衛隊員の犯罪率と変わりない。問題なのは、きちんとした教育や治療がなされていれば、犯罪を犯さずに済んだ不運な犯罪者と犯罪被害者を出してしまっている事実が無視されていること。法廷の場で、こうした問題が取り上げられることはない。今後、障害者が増えることはあっても、減ることはないという前提で早急に事態を考えていく必要があるように思う)
2009.01.20
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いよいよ不景気の嵐が吹き荒れてきた。過去、何度かこのブログでも触れているが、「放送業界」が悪いということがわかっていた。活字離れが進んでいて、新聞は随分前から悪かったが、テレビが悪くなったのは、一昨年後半あたりからだと認識している。こんな記事があった。テレビ55社が中間期に経常赤字民放連加盟のテレビ局127社のうち、約43%に相当する55社が2008年9月中間期で経常赤字となった。広瀬道貞会長(テレビ朝日相談役)は「民放連58年の歴史の中で最悪だ」と語るとともに、09年度下期には世界的な景気後退の影響を受け、さらに業績が悪化する恐れがあると指摘した。地上デジタル放送への移行に伴う投資負担や、世界同時不況の影響などが要因としている。赤字局の増加でこの先、制作費が大きく削られると、ただでさえくだらない番組ばかりなのに、さらに劣化が進みそうだ。(日刊ゲンダイ2009年1月16日掲載)多分、放送業界(ラジオも含め)の今後の業績回復はないだろう。なぜなら、存在価値がなくなってしまったからだ。視聴者から視聴料を徴収でもしない限り、局の財政が持つわけがない。しかも、今後、すぐにスポンサーが増える可能性は低い。日本経済全体の景気が悪いから、スポンサー企業に余裕がないというのもあるが、メディアとしての「放送」は、かつてのような効果が期待できない。どの企業もインターネットにシフトしているからだ。かつては嫌っていた、パチンコ業界のCMが跳梁跋扈し、外資系の生命&損害保険のCMが延々と流されている。テレビショッピング系もものすごい。埋まらない枠は、自社が協賛しているイベントのCMや番宣が埋め尽くす。どう考えても、かつてのテレビやラジオのあり方とは違う。デジタル化以前に、自らの「使命」や「生きる道」を考え直し、社員の給与と役員の報酬を圧縮するなどの経営改善をする必要があったのに、それを怠ってしまった。社員、役員の多額の収入はそのままに、一気に制作費を削減し、再放送ばかりを流し、つまらないお笑いタレントが画面を埋め尽くす内容の薄いクイズ番組をつくっては、視聴者のテレビ離れを加速させている。もはや末期的症状と言えるだろう。今年はさらに悪くなるに違いない。不動産もすごいことになりそうだ。私の住まいは不動産ファンド所有の物件だったが、先週、事実上倒産した。会社更生法を申請しているらしいが、ダメじゃないだろうか。東証1部のきちんとした企業だったのだが、資金繰りが悪化した。昨年秋には、友達の得意先だった、滋賀の企業が約160億円の負債を抱えて倒産し、身近な問題として認識したが、いよいよ自分の住まいに関係する企業が……。不動産業界は今月と3月、多くの企業がバタバタと倒れるだろう。同じく建設業界も恐ろしいことになる。大手ゼネコンとて例外ではない。こちらは3月が危ない。景気回復のための「公共投資」も間に合わないだろう。リーマンの破綻、銀行の貸し渋りを背景にした黒字倒産もまだまだ出る。こうした中堅~大手企業を得意先に持つ中小零細企業は悲惨なことになる。と言っていても仕方がない。いい景気は必ず落ち込むし、悪くなった景気は必ず浮揚する。日本企業が踏ん張り、頑張って業績を回復させるときが必ず来る。しかし、そのためには根本的に変える必要がのるものが必ずある。政治が財政出動などの「瞬発力のある施策」を実施するのはもちろんだが、「市場の見直し」、「消費構造の見直し」、「新たな消費刺激策の開発」など民間企業が推し進めるべきこと、また、「国家財政の見直し」、「官僚政治の見直し」、「地方自治の見直し」など国や地方自治体がやるべきことをきちんとやっていかなければ、長く、深い不況時代が続くことになるだろう。さて、麻生政権が驚くほど長く続いているが、これはいけない。明日スタートする米「オバマ政権」に注目が集まり、世界からの期待の風が吹き荒れている間に、早々に解散してしまわないと、景気回復の時期を逸する。オバマ氏が少しでも政策を誤ると、世界は取り返しのつかない不況に見舞われ、日本も巻き込まれて、さらに景気が悪化する。と、こんなことを言っていても、麻生さんに届くわけがない。麻生さんが首相でいる間に、天下りや渡りを初め、官僚政治をどんどん推し進めて変な政令を勝手につくり、自分たちの地位や収入、権利を確保したい官僚たちに脇をがっちり固められ、麻生さんを持ち上げて、世間や他の政治家の声が届かないようにしているのだから。本当にえらいことだ。
2009.01.19
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きょう、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」を見ていたら、天敵とも言える経済学者二人が議論を戦わせていた。「二人」というのは、慶応大学の教授である金子勝氏と竹中平蔵氏だ。金子先生は、TBS「サンデーモーニング」のレギュラーだし、「サンデープロジェクト」にもよく出演する経済学者だ。対して竹中先生は、参議院議員も務め、小渕政権時代から政府にかかわる経済の要人として知られる人物である。二人の主張(日本経済について、あるいはアメリカ経済について)はそんなに違わないように思うのだが、とにかく金子先生は竹中先生を批判する。テーブルに肘をつき、三白眼の恐ろしい目つきであらぬ方向を見ながら口をへの字に曲げて、反論ばかりを並べたてる。竹中先生はというと、人のよさそうな童顔に笑みを浮かべ、ちょっと舌足らずのしゃべり方で、かわいらしく、が、ズバッとキツい意見を言う。「金子先生の著書を見ると、私が言っていないことを言っていると言うし、私の論理に批判はするけれど、じゃ、具体的な対策は、と探すとどこにもない」と竹中先生が言うと、「ありますよ、あります。言いましょうか」と言いながら、金子先生は具体論ではなく、「アイデア」を並べる。しかも、実現する方策が見えてこない「企画段階」の。竹中先生は突っ込む。「それは、実現する先です。それを実現するためのプロセスに必要な経済施策の具体論をおっしゃってください」赤くてポテッとした唇で言うと、金子先生は、はげ散らかした頭を振り乱して「じゃ、言いますよ」と焦って返しながら、何ら説得性のある言葉が出てこない。後ろから、これまた経済界の申し子とも言うべき名前の「財部(たからべ)」さんがハスキーボイスで突っ込む。財部さんはどちらかというと、竹中先生を支持。実はそうではないかもしれないけれど、金子さんがふがいないので、そうした姿勢を取らざるを得ないのかも。金子先生はどんどん窮する。これを見ていて思った。「経済」というのは、「景気」というのは、人の心で動いているもの。「投資」にしても、「投機」にしても、「先物」にしても、所詮は「先見の明」など大げさなものではなく、人の感情が左右するものだと思っている。であるならば、金子先生のような人が経済を語るのは、マイナスにはなっても、プラスにはならいと思う。特にいまのような不景気の時代には。バブルのような、おかしな景気動向のときには、警鐘を鳴らす役割を担う経済学者も必要だろうが。金子先生がいけないのは、顔。悲惨だ。いつも何かを悲観しているような顔だ。口はヘの字、声はアンダートーン、頭は散らかっていて、先生を見ただけで気持ちが萎える。「日本の経済は思った以上に悪い」と洗脳されてしまう。朝から気分が悪い。が、竹中先生や木村先生(木村剛/2002年、金融庁金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム(通称竹中チーム)のメンバー)が登場すると、「日本もやり方次第では、何とかなるかも」と思える。なぜなら、現状の問題とその解決策を具体的に示すからだ。それが合っているかどうかなど、国民の8割くらいはわからないだろう。日本経済の中枢にいた人物ゆえ、さまざまな噂や疑惑が存在していることも承知している。人は「公」に近づけば近づくほど、日常生活が営めなくなる。雑誌や新聞といったメディアが探すのは、「いいニュース」ではなく、「スキャンダル」だから。とはいえ、景気は「気」のもの。8割の愚民(あえて言います。私を含め)が「気」を刺激されて消費したり、労働力を提供したりすることが、景気には不可欠なわけだから、竹中先生、木村先生はその存在と発言が日本経済に大きく貢献しているのだ(と私には思える)。個人的な意見で申し訳ないが、金子先生にはぜひともイメージチェンジしてもらいたい。というか、いまのままでテレビには出てもらいたくない。あれほど批判していた竹中先生に突っ込まれてアタフタしている姿をさらして、「この人の存在意義は何?」と多くの国民に思わしめた今朝のテレビ番組は、消しようのない事実だ。対して、伊藤忠商事の丹羽会長は素晴らしかった。経済界、企業経営者をスパッとたしなめながら、マスコミ報道の問題点、安易なデータ引用の問題点、政治の問題点を明確に示し、なおかつ明るい展望を語ってくれた。大きく傾いていた伊藤忠商事を立て直した実力と実績のある人だけに、言葉の重みもひとしおだった。何より、財部さんが突っ込めなかったほど、理論に一分の破綻もないことが、私の心を明るくした。視点を変えれば、あらゆることが見えてくるものだ。専門家は専門家なりの理論があろう。が、その理論が、世の中をいたずらに翻弄するものなら、発言は慎むべきだと思う。世の中は、特に日本は、知らない民が中途半端なことを知ると、皆が同じ方向を向くという、マスコミには極めて都合がよく、政治や経済には都合の悪い国民性を有していることを理解してほしい。金子先生、わかってください。
2009.01.18
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1/11のブログの最後に、「自殺」の方法に触れた一文を書きました。遅ればせながら、きょうはそのことを。根拠は脆弱ですが、血液型で分析した「自殺の根拠と方法」というのを聞いたことがあるので(結構正式な機関が出しているもの)、まずはそれを披瀝します。A型:営んでいた事業が傾いた末の借金苦など、まじめゆえの悩みで自殺する人が多い。死に方は、静かなところで一人で首吊り。遺書は「保険金を迷惑をかけたところに……」O型:好き放題の生活や事業がうまくいかなくなったことによる、「苦労するぐらいなら、死んだ方が……」的自殺。一家で景色のいいところにドライブに出かけ、車の中にガスを引き込んで一家心中。「死ぬときはみんなで」AB型:パターンなし。自殺を回避するためなら、殺人も……(日本人の血液型の比率はA:O:B:AB=4:3:2:1だが、殺人犯の比率は圧倒的にAB型が多い)B型:自殺する人はごくわずか。死ぬ勇気なし。困ったことがあればとんずらする。知らない土地でもわがもの顔で生きられる。こういうデータはある条件に対して得られる情報であり、無機質な「統計」でしかないので、確たる根拠を持たせることはできないのですが、それにしても、かなりの精度で「そうかもしれない」と思わせる何かがあります。最近、通勤時間帯の電車に飛び込み自殺したり、繁華街の百貨店の屋上から飛び降り自殺をする人、さらには、自分が通っている学校や会社で首吊り自殺をするといった人が増えているように思います。本来、「自殺」というのは、「先祖からもらった命を絶つという忌むべき行為」という認識があったはずで、「人知れず」という前提で行われていたものと認識していました。例えば、富士山麓の樹海や、滝壺から遺体が上がらないという赤目の滝など。ところが最近は、「死ぬことで何かを主張する」といった自殺が目立っているように思います。「主張する」相手は、「世の中」「元恋人」「家族」「会社」「いじめた級友」など多岐にわたりますが、いずれも、「死」が何かの手段になっているようです。「死」は「究極」のはずなのに、その先に何かがあるかのような「衝動」的行為になっているように思えて仕方がありません。電車への飛び込みとか、繁華街での飛び降りとか、知った人が見るであろう場所での首吊りなどは、「主張」意外の何物でもありません。「自分の行為によって、何万人もが迷惑を被る」「自分の行為に他人が巻き込まれる」「自分の死に顔を多くの知人が見て驚く」という、迷惑極まりない行為の先に、究極の主張があるのです。しかし、それほど大きな被害を生むべき主張なのかどうか、甚だ疑わしいと私は思います。実は、主張したい相手は一人だったりします。「恋人に捨てられた」とか、「人事部長が理不尽なことを言った」とか、「親に愛されていない」とか。そんな、単純な動機で自殺をするというのは、甚だ迷惑な話です。が、本人にとっては、「究極の状況」なのでしょう。それを生む土壌を何とかしなければ、自殺に対する認識の変化はないだろうし、それによって迷惑を被る人は減らないだろうと思います。その「土壌」とは……。★「死」と「死後の世界」の教育★生まれてきた意味★生きている意味★人間の使命★なすべきことといった、生命活動をする上で必要な基本的な事柄を徹底的に教えることだと思います。ちなみに、人の迷惑を何とも思わない、得手勝手な自殺をする血液型……、何型だと思います?興味のある方、ご投票を。
2009.01.16
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去年の暮れから、知的障害者のちーちゃんと過ごした中学時代のことを8回にわたって書きました。その流れで、当時の担任の先生のことも書きました。当ブログに来てくださった方の中に、「現在のちーちゃんは?」とお問い合わせになった方がいて、ちーちゃんとの再会を今年の目標の一つにすることにしました。ちーちゃんの連絡先を調べるより先に、簡単に見つかるかもしれないと、先生のことを調べることにしたら、あっという間に探し当てることができました。昨日、躊躇しながらいま在任されているだろう中学校に電話をしてみました。「教えていただきたいのですが、体育の先生で○○先生という方はご在任ですか?」「ええ、いま、終礼の時間で職員室にはいないんですが……」「あ、担任をされているのですか?」「いえ、今年はクラスは持っておられないんですが……」「そうですか」私は、最近まで担任をされていたことを知り、うれしくなりました。お年は多分64歳。もし在任されているとしても、既に定年され、委嘱教員として学校に残られているはずで、通常なら、担任をされることはないと思っていました。「あの、どういったご用件ですか?」「あ、済みません。実は、30年前の教え子なんですが、同窓会のことなどで先生のご連絡先を探していたのです」「あ、そうですか。30年前というと、この学校ではありませんね」「はい」「どちらですか?」電話口の男性は、少しいぶかしんでいるような声でした。「□□中学校です」「あぁ、そうでしたか。お名前をお教えいただけますか?」「●●(私の姓)と申します」「わかりました。お電話のことを○○に伝えます。お電話し直すように言いましょうか?」「いえ、こちらの勝手な用件ですので、またかけ直させていただきます」「そうですか。○○先生は、ご都合があって5時くらいには学校を出られます」「わかりました。では、4時から4時30分の間にかけ直そうと思います。よろしいでしょうか」「そうですね。それがいいと思います。よろしくお願いします」「こちらこそ、お忙しいときに申し訳ございませんでした」一旦電話を切り、16時15分に再度電話をしました。先ほどと同じ男性が電話に出てくれました。「あ、先ほどの。○○先生にお伝えしています。ちょっとお待ちください」保留音の後、滑舌のいい、少し懐かしい声が聞こえてきました。「もしもし、○○でございます」「あ、先生、ご無沙汰しております」「●●◆(私のフルネーム)さんでしょう。覚えておりますよ」「随分前のことですのに、覚えてくださっているのですか」「はい。個性的な学生さんでしたからね。よーく覚えてますよ。お元気ですか?」「ありがとうございます。元気でやっております。先生もお元気のようで、何よりです」その後、電話をした経緯を少し説明しました。ただ、話がややこしい上、「会いたい」などの具体的なお願いをするつもりではなかったし、職場への電話では、長話は失礼だと思い、先生の連絡先を聞きました。先生はご自宅の電話番号を教えてくださいました。「あなたは以前、生野で仕事をされていましたよね」と先生がおっしゃいます。23~25歳まで確かに生野区にいました。が、それを先生がご存知だということが不思議でした。「いまはどちらにいらっしゃるんですか?」「北区で仕事をしています」「連絡先を教えてもらえますか?」私は先生に電話番号をお伝えしました。「実は兄が、警察におりまして、そんな話もしたいと思っています」私の兄は警察官で、先生も警察官だったことがあります。「お、▲▲▼くんですね」またしてもフルネームで答えてくれました。「覚えていらっしゃいますか?」「はい。とても真面目な生徒でした。お兄さんは本当に真面目でした」確かにそうです。でも、余り強調されると、私が真面目ではなかったような……。「いま、どちらにおられますか?」「確か、機動隊だったと思います。警部になっています」「お、警部ですか!」「はい。高卒ですが、とても早く昇任しました」「おお、たたき上げ(高卒の警官をそう呼びます)ですね。大したものです。警部ですか」「何か、変なお電話をしてしまって済みません。またゆっくりお話がしたいと思います」「はい。また家の方に電話してきてください」「先生、5時くらいには学校を出られるとお聞きしましたが、その後、何かご用でもおありですか?」“先生のご都合で5時くらいには出られる”と言われたのがとても気になっていたのです。ひょっとして、ご家族が入院されているなど、夕方にすべき用件があるのではないかと。「いえ。まっすぐ帰ります。その後はずっと家にいますから、いつでもいいですよ」「ありがとうございます。改めてご連絡いたします」「電話、ありがとう。うれしかったです」「こちらこそ、先生のお元気なお声がきけて幸せでした」30年振りの恩師との会話はこんな感じでした。30年間、一度も連絡をしなかった私のことを覚えていてくださったことも、昔のようなハキハキとした話し方も、私にはとても感動的でした。人に背中を押されての電話でしたが、かけてよかったと思います。実は、10年ちょっと前に、友人が私のことを占い師に見てもらったことがあって、その占い師は、いまの私の年齢で「大変なことになる運命」と言ったそうです。友人は「大病」とか「死」とかといった言葉を出して聞いたようですが、そこのところははっきり言わなかったようです。この年になって5ヵ月が過ぎました。この5ヵ月の間に、長く会えなかった人に会ったり、気になる人を強引に食事に誘ったりしました。「たとえ死んでも後悔しないように」という気持ちがどこかにありました。今回もその気持ちがベースにあったと思います。きっかけはどうでもいい。先生に再会する努力をしようと思います。そして、ちーちゃんにも。
2009.01.14
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テレビや新聞といったいわゆる「マスコミ」離れが深刻だそうだ。代わって、専門雑誌やインターネットが人気だとか。両者の違いは何だろう。「情報の取捨選択能力」が必要か否か。さまざまな情報を多角的に提供することが使命である「マスコミ」に対して、特定の人間に対して“キメ打ち”のような狭く深い情報の提供が可能なのが専門雑誌やインターネットだ。自らが必要な情報を取捨選択せずとも、雑誌やサイトの方がやってくれ、“必要な情報のみがそこにある”、という状態は、情報の受け手にとっては極めて楽であり、妄信的になれる。また、制作者側から見ると、非常に狭い世界の取材でいいし、“わかる人間が見る”“わかる者にだけわかればいい”という姿勢で記事をつくることができる。広告スポンサー側の視点では、ターゲットが限定できるため、突っ込んだ表現や企画を盛り込んだ広告が打てる。この傾向はいいことなのだろうか。「専門性が高くなる」というのは、「知識を深められる」と言うこともできるが、深める必要があるかどうかというと、それに関する職業に就いているなどといった特殊な事情がない限り、まずは不要だろう。さらに注意したいのは、情報が専門的になるにつれ、情報発信力が弱くなるということだ。簡単に言うと、“真実でなくてもいい”ということだ。これは究極の表現に過ぎないが、情報の発信者一人のみが「考えている」「思っている」という私的な情報でも構わない世界に入っていくというのは事実だと思う。つまり、あまねく世の人々に向けて情報を発信し、賛同を得たり、感動を与えたりといった必要性のあるマスコミ(視聴率で有用性を換算するなどというのは、この考え方)が重要視する「汎用性」「信頼性」「好感度」といったキーワードを一切無視した情報提供が可能だということだ。だから、情報の発信者側に「発信力」が必要なくなる。そんな情報は、他人にとって必要なのだろうか。もう一歩進んで言うと、不必要な情報が氾濫する世の中で、本当に必要な情報は国民に届いているのだろうか。また、マスコミが弱体化する中で、政治や自治が届けたい情報をスムーズに効果的に届ける手段は確保されるのだろうか。個人のブログやホームページは、そこにある情報が一人称で語られても問題ない。情報そのものの正誤、情報発信の方向性の正否、情報活用の可否など「情報」というものが本来持つべき性格を無視した情報発信が可能であり、それをしても何らとがめられるわけではない。情報の「取捨選択能力」がなくなった人々が、こうしたあやふやな情報に接することそのものが大変危ういことのように思えて仕方ない。また、この傾向がどんどん強まれば、情報の受け手の世界がどんどん狭くなるということも見逃してはならない。とどのつまり、「自分だけ」の世界を国民それぞれが持ち、そこから出てこられなくなるという事態に陥るのではないかと危惧するのだ。だれからも攻撃されず、「間違い」「ダメ」と言われる根拠のない「自分だけ」の情報の世界を持ってしまえば、居心地よく過ごすことができる。子どものころから「権利」や「平等」を主張し、「挫折」も「後悔」も「反省」もせずに過ごした人々にとっては「自分の居場所」であり、「桃源郷」であり、「終の住処」にしたいところであろう。ブログへの反応を見ていて思うことがある。こちら側は広く世の中へ発信しているつもりなのに、コメントする人々は「自分」を主張してくる。しかも、「自分はこう思う」ではなく、「自分はこんな経験をしているが、お前はしていない。外の者がとやかく言うな」という具合に、自分の世界に足を踏み入れようとする外側の人間やその主張を排除する。通常なら、「こういうことがあるので、その意見には同意できない」とか「こういう事実を知っても、その意見が正しいと言えるか?」といった議論というか、意見交換があるべきだが、そうなることは極めて珍しい。それはなぜか?人々が、同じ意見、同じ情報を共有できる狭いコミュニティにはまり込んでいるからにほかならないと思う。違う意見があるからこそ、文化や思想が広がり、新たな創造があるのだ。それを認めようとしない方向にベクトルが向いていると実感する。特にインターネットの世界は。「殺すのはだれでもよかった」と言う通り魔や、「何もかもがいやになった」と、通勤時間帯に電車に飛び込む自殺者や、「世の中がなくなればいいと思った」放火魔などは、自分以外の者が見えないか、あるいは、見えたとしても一切無視できる、つまり、「違う世界の者」と言い切れる人種ではないかと思う。情報の受け手側は、こういうことを覚悟した上で、専門性の高い情報、狭いコミュニティ内でのみ通用する情報に接する必要があるように思う。「情報」は、人生や人格を豊かにするものだと思う。発信する側は、そうであるべきだと心する必要があると思う。自分にも言い聞かせよう。
2009.01.13
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前回のブログで、「派遣社員」のことに触れた。書き方が「正規雇用者」寄りだったこともあり、「派遣社員が解雇されるのは当然」というふうに見えたかもしれない。(という指摘を、家族からされた。この家族は、日雇い派遣として、日夜関西各地を奔走している)誤解は何のメリットもないので、言い方を変えて説明したいと思う。結論として、『「派遣社員」についての報道が、経済問題あるいは労働問題の本質を見えなくしてしまっている』ということが言いたかった。「派遣社員」となっている人は、望んでそうなっているわけではないと思う。年齢や経歴といった物理的条件から、正社員になれない壁があるのだ。もちろん、フレキシビリティを求める人が、「働きたいときに働け、やりたいことをしたくなったら、仕事をやめられる環境」を求めて「派遣」を選ぶということはあだろう。が、いまの時代にあっては、その数は微々たるものだ。なぜなら、15年も前なら、「派遣」は「費用がかかる有能者」という認識が経済界にあった。特殊な能力を身につけていて、年がら年中必要ではないが、ある一定の期間に必要な戦力、ということで、破格の時間給を支払って期間限定的に受け入れる人材であった。ところが、景気が悪くなり、労基法の規制が企業を苦しめる中にあって、「派遣」は企業の頭脳的解釈によって「使い捨て」へと変貌していく。その流れに乗り、さらに、経団連の会長が自動車メーカー関係の人物になったことなどが作用して(予想。確証はなし)、「派遣法」が改正される。それまで、製造業には「請負」という形式で許されていた領域が拡大されたのだ。簡単に言うと(契約内容によって、細かな条件があるだろうが)、メーカーの責任を軽くしながら、労働力を確保できるシステムになったということだ。それはなぜか?正社員の権利が確保され過ぎているからだ。できない正社員であっても、社員としての権利がガチガチに守られている。できない正社員の穴埋めを、権利の薄い非正規雇用者(派遣社員)が補っているというわけだ。「不安定な世の中で、終身雇用は生活の安心のために必要。正社員の権利は守るべき」というバカなコメンテーター(情報ワイドショー)がいる。その対局にいる「派遣社員」は、正社員より能力がありながら、正社員の権利を守るために日夜働き、不要になったときに「解雇」という憂き目に遭う。「正社員の権利」をコメントをしながら、「派遣村」や「派遣切り」報道に対して、「『定額給付金』を有効に使えば、派遣切りに苦しむ人を助けられる」などと、その場限りのコメントを放って平気だ。実に浅薄。「できる」人間が権利を獲得すべきなのだ。できない正社員が権利を確保しても、企業にとっても、経済界にとっても、日本にとっても、何のメリットもない。10年近く前、某大手メーカーが早期退職者を募った(当社の得意先)。いわゆる「リストラ」だ。大企業ゆえ、無能な人物を標的にして「あんた、やめて」とは言えない。退職金の上乗せなどの優遇策を呈示すると、やめていくのはすべて有能な社員だった。「次」の就職先企業がすぐに見つかるからだ。反して、下請けからもバカにされるような、できない社員はその地位にしがみつく。結果、できない人間が多く残り、企業力は大きく低下した。会社への「忠誠心」とか、「奉仕」の心を持っていた時代なら、「終身雇用」の意味があったと思うが、自分の権利ばかり主張するいまの世の中にあって、「終身雇用」を約束するには、企業側にリスクがあり過ぎる。第一、「内定取り消し」でえらい問題になっているが、15年も前なら、学生側が「内定を蹴る」ということが常識的にあったのだ。企業側が内定を取り付けるまで使った費用は100~数100万と言われた。企業にとっての人材確保は、“金を使う行為”だった。いま、学生は内定を取るためにどれほど努力をしたというのだろう。学生が企業を蹴るのは、自分の都合でしかあり得ない。が、企業が内定を取り消すのは、企業存続にかかわる問題(在職している社員の人生にもかかわる)であることが多い。マスコミは、大きいものを批判しがちだが、「内定取り消し」で人生が狂ったと言える学生はまだいい。私などは、法律ができていなかったために「女は不要」と就職試験すら受けさせてもらえず、人生を否定された(ある職業につくことがその後の人生の大前提だった)のに、不満も不服も言うことができなかった。それでも生きていけるし、生きていこうとするところで力がつくし、人生が拓けるのだ。不都合なことは何事も人のせいにする教育を受けてきた若い人にとっては納得できないことかもしれないが…。あ、誤解を解こうとして、さらに誤解を重ねてしまったような…。もう一つの問題は、雇用全体を押し上げる政策(経済対策)なくして、社会保障(失業保険や与党が出している法案のような、失業者への一時金。しかも、「失業者」全般ではなく、「派遣切り」だけを対象にするという、意味不明な施策)だけを(選挙対策として)呈示することだ。こんな一時的な応急処置(しかも目立つ対象のみへの)では、不公平感が生まれること必至である。政治家は、国民を見て、国民のために頭を使うべきだし、官僚は、既得権益の確保に躍起になることなく、国のためにたぐいまれな頭脳を駆使してもらいたい。ちなみに、家族に、「派遣社員」(大手派遣会社に所属/3ヵ月単位で契約/10年ほど継続勤務)と「日雇い派遣」(システム設定が主な業務/3日先の予定が決まらず日夜奔走)。公務員(橋下知事の指令により、年収の10%カット実施中/3年間は継続/トホホ)がおり、本人は、さっぱり売り上げの上がらない零細企業の社長です。アホな報道ワイド番組へ。私の家族を追えば、日本の縮図が見えますよ。※「ひひひひひ」を削除しました。本編には関係ないワードであり、全体にかかるかのような印象を持たれるのを避けたいと思いましたので。
2009.01.12
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「派遣切り」という言葉がマスコミの浅薄な報道によって一人歩きしている。「年越し派遣村」なるものができて、派遣切りに遭った人たちが入村していると連日報道し、厚生労働省の講堂を借りただの、炊き出ししただの、野党議員が応援にかけつけただのと報告されているが、実は入村したのはわずか500人。うち、本当の「派遣切り」に遭ったという人はわずか2割(「日雇い派遣で仕事が無くなった人16.1%」、「派遣ではないが不景気の煽りで仕事がなくなった人19.8%」、「以前から野宿の人9.3%」、「生活保護を打ち切られた人2.5%」、と、その内情は「派遣村」と冠するに疑問がある)。ボランティアが1,600人以上いたらしいので、派遣切りに遭った当事者より周囲が盛り上がっていたということは想像に難くない。これは何を意味するのだろうか。一つに、「派遣切り」は「現実的」なことであって、「衝撃的なニュースではない」ということだ。景気動向によって、派遣社員(非正規雇用者)が切られるのは致し方ない。それができるから、経営者は「派遣社員」を使うのだ。不条理でも何でもない。ただし、契約期間を満了せずに、いきなり「あしたから要らない」というのは度を超している。契約期間の報酬は支払うべきだろう。なぜなら、正規雇用者なら企業が負担しなければならない各種保険(雇用保険、障害保険、健康保険、年金)を一切無視して雇用できるという恩恵があるのだから、そのメリットは、「契約期間」という制約の履行程度のデメリットで補うべきだろう。問題があるとすれば、「派遣」にまつわる法整備がデタラメだったことだ。景気がいいときは、派遣社員を求める側も派遣社員側もWIN-WINなのだ。求める方は、“必要なときに必要なだけの労働力が得られる”し、派遣社員は「住むところ」を与えられたり、「報酬」面で優遇されたりして、ある意味蜜月関係になる。が、一旦景気が悪くなると、求める側はすっかり他人の顔になり、「お疲れさま」と言い放つ。しかし、それが「派遣制度」というものの本質なのだ。その落差を緩和させるためには、何らかのセーフティーネットが必要で、それは、派遣会社が負うべきなのだ。派遣会社が社員扱いにし、「雇用保険」「労災保険」や年金関係を整備することで解決する。もちろん、費用は折半だったり、企業負担が多かったりするが、その分は「ピンハネ(ピンとは言えないほどハネている)」分から充当すべきだろう。これは、「派遣業法」で定めればいいのだ。コスト高になるのは必至だが、「人を使うにはコストがかかる」という当たり前のことを、日本の全企業が認識すれば解決する。また一つには、「派遣切り」をニュースにすることによって、だれかしらの利害が発生し、「利」が満たされているということだ。例えば「野党議員」。政治の愚策を訴えるには絶好の材料だ。例えば「TV局」。派手な映像は視聴率アップにつながる。例えば「官僚」。“政治(派遣法を改正した小泉政権)は、政治家はダメ。ダメだからこんな現状がある。日本を支えているのは官僚にほかならない”という主張が成り立つ。いずれにしても、枝葉末節に過ぎない。「派遣切り」など、「倒産」による失業に比べたら、常識的なことなのだ。なぜなら、「正社員」ほど権利が守られ、能力があるとないとにかかわらず、その地位が確保されている存在はないのだ。ある意味、公務員以上だ。公務員なら、その待遇に対して市民の突き上げがあったり、斬新な政策をぶち上げる市長や知事によって、報酬カットなどといった憂き目にあったりするが、労働組合のが強い企業の正社員は外からの非難を一切受けることなく、「既得権益」張りにその権利が守られている。そんな、「正社員」とて、「倒産」によっては突然「権利」を失っている。「帝国データバンク」によると、2008年度上半期の倒産件数は6343件、3年連続の前年同期比増加。負債総額は8兆4533億1800万円、上半期としては戦後2番目の悪い数字。たった500人が参加しただけの「年越し派遣村」に隠れてしまっているが、6343件の倒産企業に在籍していた人々は万を超えているわけで、こうした人たちの悲惨な状況は何ら報告されず、報道しやすい、というか、目に見えやすい部分ばかりを報道するマスコミにはほとほと幻滅する。しかも! だ。自分たちは高給をもらってぬくぬくとした年越しを楽しみながら(海外旅行をしたとか、温泉につかりながら初日の出を見たとか)、特に悲惨な人を集中的に取材し、日本国民の生気や希望を削ぎ取るような気持ちの悪い報道ばかりを垂れ流して、気のものである景気をさらに悪化させるマスコミのバカさ加減には、あきれ返るばかりだ。さらに一つに、日本の景気の悪さは「派遣切り」などで表現できるほど生易しいものではない、ということだ。この経済危機にあって、1000兆円を超える財政赤字に喘ぐ国が、まさに無駄以外の何物でもない2兆円の財政出動を容認しようとし(それは、「公明党」という、ある宗教団体の意向が強く働く連立与党のわずかな議席を持っているに過ぎない、正当性が見出せない政党の頑な主張がまかり通っての愚策であることは明白)、後世に大いなる負を強いるとわかっているのに、やらざるを得ないこと、土建国家・日本の宿命のごとく公共事業を増額しようとしていること、官僚主導政治から抜け出せない与党が官僚の言いなりになって、骨抜きの法案を通さざるを得ないことなど寒気がするほどひどい政治がなされようとしていることを隠すために枝葉末節をことさら大きく報道しているのではないかさえと思えるのだ。国際的に見れば、「円高」という好条件がありながら、それの悪影響ばかりを取り上げて「悪い」「悪い」と報道し、日本を沈没させたいのか、と思えるほど悲惨なベクトルをマスコミ各社がこぞって示すことに、言いようのないほど暗澹たる気持ちになる。最近、鉄道に飛び込むという派手な自殺が増えている。次回は、そのことの示す意味を考えてみようと思う。
2009.01.11
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「3年の担任は、だれかな……」希望に満ちた思いで、玄関に張り出されたクラス名簿を見たとき……「……S先生……」がっかりしました。そのとき、S先生がいやだという感覚はなかったのですが、2年の最初にがっかりした感覚が明確に蘇りました。また、緊張感あふれるシーンを経験するのか、と思いました。「できればA組の先生がよかった」A組の担任は、学校で人気のある理科系のK先生でした。そのときに抱いたそんな気持ちは、後に見事に打ち砕かれますが(その4に登場します)。そうして私は、S先生のもとであと1年間を過ごすことになるのです。同時に、ちーちゃんとの1年間も始まりました。何でもないことなのですが、思い出の残っていることがあります。私はソフトボール部に在籍し、ピッチャーをやっていたのですが、キャッチャーだった女の子が足首の骨を折ってしまいました。バッテリーを組む間柄でもあり、杖をついて登校しなければならない彼女をサポートするために、通常の登校時間より1時間くらい早く(杖をついているのを人に見られるのが恥ずかしいと言うので)一緒に登校しました。私は荷物持ちです。1時間も早く登校してもすることがない。で、校舎の裏にあるはずの花壇を見に行きました。一応、クラスごとの花壇があるということを知っていました。時は春。何かが植わっているなら、間もなく芽を出すだろうし、そのとき存在している植物は手入れしてあげる必要だあるだろうと、私は一人で花壇の世話をすることにしました。暇に飽かせて雑草を抜き、石ころをどけ、水をまき、という行為を毎日続けました。彼女の足が治るまでは、と決めて。ある日、S先生が朝のホームルームのときに言いました。「お前ら、うちのクラスの花壇、見たことがあるか?」皆黙っています。私は当然知っていますが、S先生が何を言いたいのかはかりかね、黙っていました。「校舎の裏に花壇があるのは知っていると思う。しかし、見にいったことすらないやろう」当然といえば当然です。用がないのですから。学校からも「花壇の世話をするように」と言われた記憶はありません。「その花壇を○○(私の姓)が毎日手入れしてくれてる」私は驚きました。暇に飽かせて世話をしていた姿をS先生に見られていたのです。「毎日水をまき、雑草を抜いてきれいにしてくれてるんや。うちのだけやない。ほかのクラスのも面倒をみてくれてる。だれかに言われたわけやないはずや。だれかに言われたからする、というだけやったらだれでもできる。だれにも言われんでもできる人間にならなあかん」いい話です。でも、私は恐縮至極です。そんな高尚な話ではありません。すぐさまS先生の元へ行きました。そして、事と次第を説明しました。S先生は笑って言いました。「俺の言うたことに間違いはないやろ。お前はマンガを読んでてもよかったのに、花壇の世話をしとったんや。俺が指示したわけでもないのに、自分からしたんや。何を恐縮することがあるねん」いま考えると、私がどういう動機でそうしたかはどうでもよかったのだと思います。私のことをネタに、いい話がしたかったのではないかと。怒ったり、怒鳴ったり、殴ったりばかりしている毎日に飽きて、少し静かにいい話をしたかっただけではないかと思ったりしています。(余談でした)ちーちゃんのこと、Mさんのこと、球技大会や体育祭などの行事、受験などいろいろな出来事を経験し、私は卒業しました。常にS先生がそこにいました。高校の入学式前に、制服の採寸などで高校に出向いた後、中学校に報告に行きました。K先生とS先生がいました。K先生が先に声をかけてくれました。「おう、○○(私の姓)、高校に行ってきたか」「はい」「高校でもソフトボールやるのか?」「部がないんです」「ほかのクラブに入るのか?」「いえ」「何でや。せっかくスポーツ部で頑張ってたやないか。何かしろよ」親のすすめで私学に入学することになった私は、のうのうと部活などしていられない立場なのです。家の手伝いはもちろん、アルバイトをする必要があるだろうと予想していました。そんな、クラブに入りたい気持ちを抑えるしかない状況を説明することができませんでした。「入りたいクラブがないし……」私が言いよどむと、「ふうん、お前のスポーツに対する気持ちはその程度やったんやな」この先生にこんなことを言われる筋合いはないと思うと、涙がこみ上げてきました。「○○、ちょっと見ん間に大人っぽくなったな」S先生がそれに気づいて声をかけてくれました。K先生から少し離れたところへ導いてくれ、「俺はお前を信じてる。お前が一生懸命ソフトやってたこと知ってるよ。お前が部活せえへんいうのは、よほどのことやと思う。お前が思うようにやったらええ」もっと涙が出そうになりました。「なぁ、俺はな、3年のクラス編成のとき、お前を俺のクラスに入れたんや」「え、そんなこと、できるんですか?」「うん」「なんで私だったんですか?」「2年のとき、俺はお前が俺のクラスにおってほんまによかったと思った。さぁから、3年でもお前におってほしかったんや」「そうですか……」「ありがとう。よかったよ。お前がおって」言葉が見つかりませんでした。「俺は、4月から別の学校に転任になる」「えっ? そうなんですか?」「俺はどこに行っても、お前のことを思ってるから、何かあったら連絡してこい」「……」「ええな」「はい」S先生との別れはそんな感じでした。誇張や先生独特のデフォルメがあったことと思います。でも、私の気持ちを考え、私を肯定する言葉をかけてくれたことは、一生忘れません。激しく落胆した2年生の初日から2年、S先生とはいろいろありました。担任がS先生でなかったら、ちーちゃんとのことも、A組のMさんとのこともこんなにうまくいかなかったかもしれません。必要以上に言葉をかけることなく、密かに、温かく見守ってくれていたからこそ、自由に、やりたいようにできたのかもしれないと思います。きのうは書きませんでしたが、2年の文化祭が終わった日、S先生は再び自宅に電話してきました。もちろん、酔っぱらって。「ありがとう、ありがとう。俺はうれしい。ありがとう」生徒たちが文化祭を無事やり遂げたことに大きな感慨を覚えたのでしょう。何度も何度も礼を言われました。先生らしからぬ行為ですが、私にはとても感動的でした。生徒である自分に、ストレートに感情を表現してくれた先生に信頼感と師弟愛のようなものを感ぜずにはいられませんでした。いま、巷では「体罰はいけない」と一口に言います。それが間違いだとは言いませんが、教師や親が子どもを「殴る」というとき、単に「体罰」だけととらえるのは、とても貧困な発想だと思います。どんな先生にも共通して言えることではありませんが、少なくともS先生が「殴る」という行為に込めた思いやポリシーは、多くの生徒に理解できていたし、それ以上に何かを与えてくれていたことも理解できています。男の子はS先生から「殴り方」を教えられ、「痛み」や「悔しさ」を実感することで、ケンカの仕方、相手への配慮がわかる人間になったと思います。もちろん、S先生とて、最初から達観していたわけではないと思います。「教師」であることの責任、義務、権利、立場などいろいろな自覚を通して会得していったことであったはずです。最初は、誤解を生むような体罰もあったと思います。しかし、生徒との信頼関係ができてくれば、互いが多くのことを学び合い、すべてが意味のある行為になっていく、そんなふうに思えるのです。ちーちゃんの成長はよく見えました。文字の読み書きを初め、表情や表現力、相手への思いやりの心などが見違えるほど進化したからです。それほど目には見えなくても、同じようにクラスメートも成長し、私も成長し、S先生も成長しました。その原因の幾つかは、ちーちゃんに出会えたことにあったように思います。そして、その成長の中で獲得したものは、いまの私の人生にとても役立っています。そうやって、人は人と出会い、命を生きていくのだと思います。出会えた奇跡に感謝し、ふれあえた時間を大切に思いながら、明日、また新たな出会いに命を震わせるのです。
2009.01.09
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中学3年生のときのクラスは、ちーちゃんと一緒でした。前回に引き続き、そのときの担任の話です。2年生のとき、「暴力教師」が突然変貌しました。それは、文化祭を控えたある日のことです。我が校は、文化祭の発表内容を「展示」か「舞台発表」か選ぶシステムで、「展示」は時事ネタや歴史などの研究結果をパネルにして展示したり、皆で絵を描いたり、木工などの作品を展示するといったもの。「舞台発表」は、芝居や合唱、ダンスなど、舞台上で発表する何らかの活動を意味します。うちのクラスは「舞台発表」を選び、発表内容は「芝居」と決まっていました。太宰治の「走れメロス」をべースにすることや、シナリオ担当、キャストも決めた後、なぜか作業は遅々として進みませんでした。原因は、シナリオ担当の怠惰です。それは成績優秀な男子で、端から「早くしろや」とか、「いつになったらシナリオが上がるの?」と言えない何かがあったのです。そうしているうちに、クラスメートから不協和音が起き始めました。「こんなに時間がなくなっては、芝居なんてもう無理だ」という声が次第に大きくなっていったのです。それに気づいた担任が、終業のホームルームのとき言いました。「どうするか、皆で話し合え」学代だった私は書記をし、男子の学代が議長になって、話し合いが始まりました。皆の意見は、大勢が「練習する時間がない」「中途半端な発表になったら恥ずかしい」というものでした。で、「展示に変更してはどうか」というだれかの意見に皆が同調し始めたのです。書記をしていた私は、辛抱たまらず、“ちょっと意見を言わせて”と議長に頼み、少し声を荒らげて言いました。「ちょっと待って。それはおかしいでしょう。舞台発表が無理だから、展示に変更するって……。それじゃ、舞台発表より展示の方が手軽に、簡単にできるということ? いい加減なことを言ったらダメでしょう。そんな考え方は、展示を選んで一生懸命やっているクラスに対して恥ずかしい。いいじゃない、中途半端な舞台発表になったとしても。それが、いまのうちのクラスの文化レベルだってことでしょう。恥をかいたらいい。それがいやなら、残された時間で一生懸命やることだと思う」すると、現実派の男子がふてくされた顔で言いました。「君の言うことは正しいかもしれないけれど、現実、いまの状態で舞台発表は無理じゃないか?」「そうかな……。私はそうは思わないけれど。無理というあなたの根拠は、やる前の取り越し苦労かもしれない」士気が下がり切った状態になっているのを感じました。私は、一か八か勝負に出ました。「ちょっと待った! 提案! これ以上話しても平行線をたどってしまうと思う。自分の考えが間違っていると思いながら意見を言う人はいないだろうから。だから、きょうは帰って、頭を冷やしてよく考えましょう。明日の朝、少し早く来てもう一度話し合う方がいいと思う。ね、それでいいでしょう、議長」私は議長を強くにらんで、合図しました。議長はうなずきながら「そうしましょう」と言いました。すかさず私は言葉を続けました。「それから、Tくん(シナリオ担当)、シナリオを書くのが無理なら、だれかに変わってもらってもいいと思う。シナリオができなければ、何も始められないのが現実だから。そのこともよく考えてきて」私には、秀才でプライドが高いT君が、シナリオづくりを投げ出すとは思えなかったのです。やる気を出させるための念押しでした。こうして話し合いはお開きになりました。翌日の朝、私の思ったとおりの結果になるか、やはりネガティブな意見が大勢を占めてしまうのかはわかりませんでしたが、力づくでも押し通そうと思っていました。Tくんがダメなら、自分がシナリオをつくる覚悟で。夜、自宅で夕食を食べていると、電話が鳴りました。近くにいた私が電話に出ると、担任のS先生でした。「悪い、家にまで電話して。明日のことで頼みがある。○○(私の姓)、明日、お前の意見を絶対通してくれ。俺がバックアップする。やってくれるか?」「はい。もちろん。何としても」「ありがとう。頼むで」電話は切れました。S先生はとても酔っぱらっていました。電話をするかしないか、ものすごく迷ったのだと思います。多分、担任として、これほどクラスの心配をしたことがなかったのではないかと思いました。S先生に限らず、どの先生も文化祭の出し物に手を貸したり、心配したりはしませんでした。心配せずとも、生徒が皆で何とかするものだからです。が、うちのクラスはかなり出来が悪かったのかもしれません。翌朝、始業よりも1時間も前に集まってきたクラスメートは言葉少なでした。私は、口火を切って言いました。「最初に聞いといていいかな。Tくん、どうかな。シナリオ、できそう?」この子を押さえておかなえれば、話が進まないし、この子がやってくれると言ってくれたら、頑になっているネガティブ派の気持ちが変えられるかもしれないと思ったからです。「やります。きのうから書き始めました。内容がOKなら、できた部分から練習してもらえると思います」私は内心『やった』と思いました。「シナリオの問題はクリアできたみたいです。どうでしょう。まだ、展示に変更したいという気持ちは変わりませんか? 議長、裁決を取りましょうか」「はい。展示に変更するという人」顔を見合わせる生徒はいるものの、だれも手を挙げません。「予定どおり、頑張って芝居を発表するという人」ほとんどが手を挙げました。「手を挙げていない人は、どうですか?」きのう、ネガティブな意見を言った男子生徒とその仲間たちでした。「……ボクは、みんなができるって言うんなら、それでいいです。いまから、うまい芝居ができるようになるとは思えませんが」「演技はうまくなくても、みんなが力を合わせてやったことがわかればいいし、それが文化祭というものでしょう。短い時間だからこそ集中してできるかもしれないし」私がそう言うと、シナリオ担当のT君が立ち上がりました。「ボクの作業が遅れたせいで、迷惑をかけました。急いでつくりますから……」「じゃ、きょうの放課後から、できたシナリオを見ながら、裏方と配役に分かれて作業を始めましょう」多分、初めて皆に向かって頭を下げただろうT君の心情を察して、私が言葉をつなぎ、話し合いは終了しました。私はほっと胸をなでおろしました。教室の端で見守っていたS先生の方をチラと見ると、ニヤッと笑いました。散会して廊下に出た私のところにやってきたS先生は、私の肩をポンとたたき、「ありがとう」と言いました。「いえ、皆の合意です」私の言葉には答えず、S先生は立ち去りました。その後ろ姿は安堵したようでもあり、意気揚々としているようでもあり。その日から、S先生の活躍が始まりました。「走れメロス」の時代背景からすると、簡単な布をまとったような衣装が必要です。S先生は学校が分かれて使われなくなった教室のカーテンを根こそぎはずして持ってきてくれました。「先生、これ、いいんですか?」「こんな汚いカーテン、使えんやろ。今度教室を使うときは、新しいカーテンをかけてもらうよ。洗って使え」私たちは皆でカーテンをきれいに洗濯し、四角く切って縫い合わせ、ギリシャ時代の衣服もどきの衣装を被服室のミシンを借りて(これもS先生の手配)女子全員でつくりました。舞台の演技指導はS先生です。我々が体育館が使える日をほかのクラスよりたくさん確保してくれ、S先生の怒号の中、舞台練習がみっちり続けられました。結果的には、辛うじて間違いなく、きちんと舞台発表をこなせた、というレベルの内容でした。もう少しスタートが早ければ、もっといい発表ができたかもしれない、という思いはありますが、それはもう仕方ない。ここまでできたのが奇跡とも言えるくらい頑張りました。その多くはS先生のおかげです。怖いだけ、何かあると暴力を振るうだけだったS先生のイメージは、我々の中で確実に変わりました。クラス全員がそういう思いになったからか、それ以降、S先生との距離は格段に縮まりました。先生の中にあった壁というか、生徒に対する距離感も変わったのだと思います。そうこうしているうちに2学期が終わり、短い3学期もあっと言う間に過ぎて、私は3年生になりました。また長くなりました。字数制限にひっかかりそうですから、続きは次回に。
2009.01.08
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前回までで、「ちーちゃん」のことは一応書き終えました。もっともっと、細かな事件やちーちゃんの成長について書きたいのですが、何しろ随分以前のことで、記憶があいまいなことと、自分の思い込みで、本当はそうではなかったというようなことがあってはいけないので、大きな行事や出来事にまつわることだけで終わることにします。今回は、このブログで登場した「担任」について書きます。私の中学校では、クラス替えは毎年あるものの、担任の先生は学年ごとに持ち上がるスタイルをとっていました。ところが、1年から2年になるときに、3つの小学校から集まってきていた中の一つの学校が分かれることになり、向こうの学校に担任が取られたことから、新たな担任が加わることになりました。それが、くだんの先生です(「S先生」とします)。私が小学校にいるころから、中学校に「暴力教師がいる」ということがうわさになっていました。とにかく生徒を殴る。有無をも言わさず殴る。口ごたえすると殴る。体育大学出身で、警察官上がり、というのが恐怖の暴力教師のプロフィールでした。私は一つ上の兄から「現実はそんなものではない」と聞かされていました。「想像を絶する」ということです。入学すると、それは現実のものだと知らされました。男子は全学年S先生の授業を受けます。だれもが口をそろえて「怖い」と言います。体育の授業の後は、皆無口になっているほどでした。しかし、女子には関係ありません。体育は男女が分かれて授業を受けます。しかも、S先生は3年の担任でした。私には何の影響もなく、1年間を過ごしました。が、秋の文化祭のとき、S先生の恐ろしさを目の当たりにしたことがありました。S先生のクラスは「展示」という分野の発表で、「占い」をやっていました。結構人気で、いい加減な占いだとわかっていても、バスケ部の人気選手や後輩に人気のある男の子が占い師に扮している時間帯があるので、同級生はもちろん、下級生の女生徒が群がっていたのです。そんな、浮かれた内容だったためか、「お酒」を持ち込む輩がいたようです。それが発覚したとき、S先生はクラス全員を廊下に正座させ、棟が違う教室にまで聞こえるような大声で怒鳴りつけていました。最後には、首謀者の頬を激しく殴ったという記憶があります。私は震え上がりました。「暴力教師」という私の意識は「暴力団一味」くらいの意識にまで変化していました。そんな中のクラス替え。何と、不運にも、S先生が担任です。しかも、1年生のときに同級生だった女子は一人もいない。張り出された名簿を見て、私は急速に気力が萎えていくのを感じました。始業式の後、S先生は、クラス全員の顔をねめつけるように見ながら言いました。「俺のクラスはみんな坊主や。男子、明日、坊主にしてこい。わかったな」女子にも何か言及されるのかと思い、ヒヤヒヤしていると、私の前まで歩いてきてピタリととまり、「お前、ええ度胸しとるの」と吐き捨てるように言います。私には思い当たる節がありました。校則違反をしていたのです。靴や制服、髪型が校則に抵触していました。でも、学習や部活をきちんとしていれば、細かなことは見逃してくれる学校でした。が、S先生には通じないのかもしれない、という恐怖が脳裏をよぎりました。翌日、私は校則違反を改善せずに登校しました。確たる意味はありませんでした。何か言われたら、「お金がかかることなので、お金ができたらすぐに改善します」くらいのことは言おうと思っていたのかもしれません。あるいは、「やくざのような言い方をする教師の言うことは聞けない」と言うつもりだった……、あり得ない。そんな度胸はありません。ドキドキしながらS先生の登場を待っていると……、S先生は坊主にしてこなかった男の子を前に呼び出しました。二人いました。「おい、何で坊主にしてこんかった?」一人は、「きのう、ちょっと行く暇がなくて…。きょう、切ってきます」と言いました。もう一人が、「校則には、耳にかからなかったらいいって書いてある……」そこまで言うと、S先生の鉄拳が飛びました。「校則は関係ない! 俺のクラスは坊主が規則じゃ! あした切ってこい!」「……」「ん? どうするんじゃ、切ってくるのか、こんのか!」「き、切ってきます」「よし。席に戻れ」ひどい話です。まさに暴力教師です。私の中学2年は、暗闇の1年間になるだろうと、暗い気持ちになりました。クラブ活動が終わって、校庭で同級生や下級生とダベッているとき、S先生がやってきました。手には箒の柄くらいの細い棒を持っています。「まさか、打たれるのでは……」と思わせるような怖さのある表情で近寄ってきます。「ゴルフって知ってるか?」「は、はぁ」「あんな大きなヘッドで、こんな(指で輪をつくって)大きなボールを打つなんて、できて当たり前や。俺はこの棒の先で石ころを打つぞ」と言うなり、箒の柄で小さな石ころを打ち始めました。ゴルフのことを理解しているいまなら、このことのすごさがわかるのですが、中学生の私には何のことかわからず、“何の自慢や”と打ち捨てていました。が、これは、ゴルフの自慢でも何でもなく、私に話しかけるきっかけに過ぎなかったのだと思います。S先生にしたら、決意の上の行動だったのだと察することができます。そんなふうに自分から生徒に接する人ではなかったのです。少なくとも私の担任になるまでは。そうして打ち解けるようになったころ、生徒同士が殴り合うけんかが勃発しました。一人が口から血を出しています。そこに、たまたまS先生が通りかかりました。そこにいた生徒は全員が凍りつきました。S先生からどんな叱責(体罰)があるかと思ったからです。S先生は軽く言いました。「お前ら、殴り方も知らんくせに、けんかなんかすんな」けんかした二人の男子生徒の腕を持ち、殴った生徒に「もう手を出すな」強烈に怖い顔をして言い、殴られた生徒に「その水道で口をゆすげ」と言いました。殴られた生徒は言われるままにしました。「あかん。ほっぺたの内側が切れとる(口の中を見る)。保健室に行け。保健の先生に痛~い薬を塗ってもらえ。そのうち血がとまる」S先生は、取り巻いて見ている野次馬の生徒をグルッと見回して、「何見てんねん。お前ら、何でけんかをとめへんかってん。けんかしてる奴らをあほな奴らやと思ったんか。そうや。けど、とめへんかったお前らもあほや」そう言い残して、口の切れた男子生徒を保健室に連れていきました。そんな事件の後、部活の後にS先生と話す機会がまたあったので、私は無謀にもS先生に聞きました。「生徒を殴るって、怖くないですか?」「何がや」「けがをさせるかもしれないじゃないですか」「S先生は笑いました。○○先生(理科の先生の名前。決して生徒を殴りません)に殴られたら、救急車を呼ばなあかんやろうな。俺は大丈夫や」「何でですか?」「俺に殴られた男子に聞いてみいや」S先生は自信あり気な顔をしてそう言うと立ち去りました。早速翌日、私は殴られたことのある男子に聞いてみました。皆が口をそろえて言ったことは、次のようなことでした。S先生に殴られても痛くない、という意外な答え。派手な音はするけれど痛くないし、口の中が切れないように殴るテクニックを持っているというのが皆の合意でした。また、女子のことを殴らないというのも、男子皆が知っていることでした。「何でやろ」と聞くと、「知らんけど、殴る意味がないからやろ」「え、どういうこと?」「殴ったところで、効果がないからな」彼らの意見をまとめると、女子は殴られたら、殴られたことへの屈辱しか考えず、殴られた原因を見ようとしない。それでは殴る意味がない、ということのようでした。「女でよかった」と思いました。私は、殴られた原因を考える人間ですが(親が子どもを殴る人間だったので)、「女子」というカテゴリーでくくられた私は殴られずに済んで幸せでした。いずれにしても、生徒を「殴る」という、いまでは「懲戒免職」にすらなり得るというような行為をすらりとやってのけ、何も問題にもならずに済んだという、驚くような教師でした。しかし、この先生のすごいことを「すごいこと」にしたのは、ある事件です。そのある事件まで、S先生はただの「暴力教師」でした。だって、「殴る」ことへのポリシーやテクニックはS先生自身のもので、だれかが理解してそれを皆に伝えなければ、あるいは、S先生自身が「ただの暴力ではない」と言わなければ、それは単なる「暴力」だったのです。S先生から「暴力教師」の冠をはずすきっかけになったのは、2年生の秋に勃発したこんな事件でした。長くなりましたので、次回に続けます。
2009.01.07
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前回は少し脱線しました。ちーちゃんのことに話を戻します。秋口に修学旅行がありました。それを前に、担任がホームルームのときに言いました。「○○(ちーちゃんの姓)は、修学旅行に行かんらしい」「何でですか?」女生徒の一人が聞きました。「お母さんから連絡があった。“うちの子が旅行に行くと、皆さんの足手まといになる”とおっしゃった」「足手まといって…」クラスがざわつきました。当のちーちゃんは、みんなの様子をじっと黙って見ています。多分、自分のことが話題になっていると、半分気づかず、半分気づいているといった状態だったのだと思います。「夜、トイレに起こさないといけないらしい」担任の言葉に、私にかわって漢字練習帳をつくってくれるようになっていた女生徒が言いました。「そんなこと、私たちがやります。一緒に行けるように頼んでください」私は驚きました。こういうときは、決まって私に回ってくる役割でした。が、私が何も言わなくても、言ってくれるクラスメートが出現したのです。しかも、一人ではありませんでした。担任が説得し、お母さんも了解してくれました。かくしてちーちゃんの修学旅行は実現し、問題も事件もなく、私が密かに心配していた「ホームシック」に陥ることなく、ちーちゃんは楽しい2泊3日の旅を終えました。その後は大きな行事もなく、卒業式を迎えました。体育館での式典を終え、教室に戻ってきた私たちに担任が言いました。「俺は、手紙をもらった。○○(ちーちゃんの姓)のお母さんからや。みんなにも聞いてもらいたいからここで読む。いいか」担任は手紙を読み始めました。内容は概ね次のようなもの。「娘を中学にやるには、大変な不安がありました。普通学級でこの子に何ができるのか、周囲の方々はこの子をどう受け入れてくれるのか、いじめられたり、仲間はずれにされたりしないかと、心配ばかりしていました。でも、1年の生活をスタートさせた当時から、●●(ちーちゃんの名)から、いいお友達ができた、学校が楽しいと聞かされ、胸をなでおろしました。いろいろな行事があるたびに、うれしそうにし、それに参加している●●を見ると、いい先生、いいクラスメートに出会えて本当によかったと思いました。3年生になって、●●が楽しみにしていた修学旅行に行かせないと決めたとき、本当に心が痛みました。でも、クラスの皆さんにご迷惑をかけられませんし、ご迷惑をかけてしまったときの●●の気持ちを考えると、不参加を決断しなければならないと思いました。ところが、皆さんが面倒を見てくださるとおっしゃってくださり、先生もサポートするとおっしゃってくださったので、思い切って甘えることにしました。●●が旅行から帰ってきて、「楽しかった」と言ったときは、本当にうれしく思いました。同じ部屋で●●の面倒を見てくださった皆さん、ありがとうございました。3年前、不安いっぱいだったことを思い出します。いまでは、中学にこの子をやってよかったと思います。これは、多くの先生方や同級生の皆様のおかげだと思っています。この3年間の経験は、今後のこの子に人生にとってとても意味のある、貴重なものだと思います。皆さまも、中学を卒業され、新しい生活が始まります。明るい未来に向かって頑張ってください。ありがとうございました」女生徒の多くが涙ぐんでいました。それを見たから、自らの感情からなのか、ちーちゃんも泣いていました。「○○のお母さんは、○○がいい経験をできたと礼を言ってくださっているが、俺はクラスの全員がいい経験をしたと思う。○○を思いやる、心配する、力を貸す、いろいろな経験をしたおかげで、お前らは成長した。この経験を生かして、これから生きていってくれ」先生も少し涙ぐんでいるようでした。すべての行事が終わった後、私はちーちゃんのところへ行きました。「ちーちゃん、いまからちーちゃんのおうちへ行っていい?」私が聞くと、ちーちゃんは満面の笑みを浮かべて私の手を握り、飛び上がって言います。「来て、来て、いのさん、来て!」「大丈夫? お母さん、怒らへん?」「怒らへん、いのさん、来て、来て、来て!」私は、お母さんに聞きたいことがあったのです。卒業すると、簡単には会えなくなるので、この機会に、と思ったのです。ちーちゃんの家へ行くと、お母さんが優しく出迎えてくださいました。ちーちゃんは相変わらず小躍りして喜んでいます。これまで、こうして友達を家に連れて帰るという経験がなかったのでしょう。こたつに入ってお母さんと話をしました。「◆◆(私の姓)さんのことは、1年の初めから聞いていました。いろいろお世話していただいたようで、いつかお礼を言わなければ、と思っていました」ちーちゃんには一つ上の姉が、二つ下の妹がいました。二人とも健常者で、同じ中学に通っていました。この二人がちーちゃんの様子をお母さんに伝えていたことも知りました。でも、二人とも学校でちーちゃんに接触することがありませんでした。どうしてなのか、常々疑問に思っていました。「姉や妹がいると、この子が頼ってしまいます。できるだけクラスメートの皆さんと過ごしてもらえるようにと、直接接触しないようにしてました」お母さんの言葉に、そういうことか、と思いました。ふと私は、変なことを聞きたくなりました。“聞いてはいけない”と思いながら、とめることができませんでした。「お母さん、ちーちゃんが生まれた後、妹さんを出産することに躊躇はなかったですか?」いま思えば、何と配慮のない聞き方をしたのかと思います。が、15歳の私には、こういう言葉しか見つかりませんでした。「……、ないと言えばうそになりますが、もし下の子が●●と同じような障害を持って生まれてきたら、それはそれ、と思いました。「……」「姉妹3人とも私の子どもです。障害があろうとなかろうと、私の子として育てることに変わりはありません」優しそうなお母さんの口から、こんなにきっぱりとした言葉が聞けるとは思いませんでした。そして、聞いてよかったと思いました。お母さんに恵まれ、姉妹に恵まれたちーちゃんは幸せだと思いました。こんな家庭はそうそうありません。いがみあってばかりの家庭に育った私は、心からうらやましいと思いました。聞きたかったのは、ちーちゃんの小学時代のことだったのですが、そんなことはどうでもよくなりました。昔のことを聞いて、「おかしい」「やりようがあったはず」と怒ったり、嘆いたりしたところで、ちーちゃんの「今」が変わるものではない。こんなに喜んでくださっているのだから、これでよかったのだ、と思いました。名残惜しそうにし、途中まで送ってくれたちーちゃんと別れるときが来ました。ちーちゃんは泣きながら、見えなくなるまで「いのさん、バイバイ」と見送ってくれました。ちーちゃんと再会したのは18歳のときです。連絡をして、私がちーちゃんの家を訪ねました。ちーちゃんは少しお姉さんの表情をして私を迎えてくれました。ちーちゃんは擁護学校を卒業し、就職することが決まっていました。ちーちゃんは、少し不安がっているようでしたが、「大丈夫?」と聞くと「うん。大丈夫、いのさん」と元気に答えてくれました。お母さんは、「●●はずっと、擁護学校より、中学のときの方が楽しかったと言っていました。よほどいい思い出ができたのだと思います。でも、擁護学校でもいい先生に恵まれましたし、楽しくやっていました。擁護学校にやることにも心配や不安がありましたが、これでよかったのだと思います」と話してくれました。帰ろうとする私に、ちーちゃんは「また来てね」と言って、帰路の途中まで送ってくれました。それからは、手紙でのやりとりになりました。ちーちゃんからの返事は、封筒の表書きを妹が書いてくれ、中身はちーちゃんが書いたものでした。私が21歳になった年、実家が引っ越すことになり、中学時代の家から遠く離れてしまいました。それ以来、行き来も手紙も途絶えています。いま、ちーちゃんがどうしているか……。今年、連絡を取ってみることにします。随分時間がたってしまいましたが、再会できることを祈って。
2009.01.06
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中学3年の秋、皆が受験体制に入り、ちーちゃんの顔からも笑顔が消えがちになったとき、一つの事件が起きました。休み時間、A組のMさんが、教室の階が違うC組の私のところへやってきたのです。Mさんは、小学校のときの同級生でしたが、中学に上がってからは、一度も同じクラスになったことはありませんでした。小学5年生のとき、九州から転校してきたのですが、担任が言うには、「田舎の分校にいたので、学習面が遅れている」ということでした。でも、私には、“学習面”という限定的な問題でないことはすぐにわかりました。今の言葉で言うと「知的障害」があるということだと。言語が明瞭でないことと、身体能力が低いことは、私以外のクラスメートにもすぐにわかったと思います。5年生のときにははっきりとはわからなかったのですが、彼女は、足に進行性の障害を抱えていました。中学に入るころになると、足の動きの悪さが顕著になり、体育の授業もままなりませんでした。そんなMさんの家庭は貧しく、知的障害や足の障害がなくても、高校に進学できたかどうかはわかりませんが、中学卒業後の彼女の進路は「就職」と決定していました。Mさんが教室の外から私の名前を呼んだとき、その様子から尋常ならざる状態であることがわかりました。なぜなら、彼女の泣きはらした目がそのことを訴えていたのです。「どうしたん? Mさん」「○○さんと、□□さんと、△△さんが、私のことを、臭い、汚い言うねん」○○さんと、□□さんと、△△さんというのは、Mさんの同級生で、別段悪い子だと思ったこともなく、私と普通に接していた女生徒たちでした。Mさんは、家庭の事情なのかどうかわかりませんが、お風呂に余り入らないとか、洗濯回数が少ないなどを推測させる状況であることは認識していました。が、それを材料にいじめるのは許せない。「いつ?」「ずっと前から」「何で今まで言わへんかったの?」「我慢してた」不自由な足を引きずって、階の違う私のクラスまでやってきたMさんの心情を思うと、私はいたたまれなくなり、「ここにおって。ちょっと行ってくるから」そう言った私は職員室に向かって全力疾走しました。彼女のクラス担任は理科系の教師で、柔和な表情や物言い、ユーモラスな会話で生徒には特に人気の高い人物でした。多分、教師を対象にした人気投票をしたら、3位以内には入るだろうと思われました。対して我がクラスの担任は体育系教師で、体罰をいとわず、その筋の人のような威圧的な視線で生徒を威嚇する、いわゆる“暴力教師”で、人気投票では間違いなくワースト1になるという、札付きの悪教師でした(この先生のことも、いずれ書きたいと思います)。職員室に飛び込んだ私は、一目散にA組の担任に駆け寄りました。「どうしたんや、●●(私の姓)。えらく怖い顔して」A組の担任が驚いた顔で聞きました。「先生、Mさんが○○さん、□□さん、△△さんにいじめられたそうです」「ちょっと待て、どういうことや」「臭い、汚いって、ずっと言われていたらしいです。先生、知りませんでしたか?」「知らんなぁ…。……なぁ、●●、受験でみんな気が立ってるんや。事を荒立てんといてくれるか」私は耳を疑いました。この教師からそんな言葉を聞くとは思ってもいなかったからです。きっとMさんをかばって、いじめの張本人をこっぴどく怒ってくれると思ったのです。「受験って…、Mさんは高校には行かないんですよ。学生生活最後の思い出が、いじめですか!」「そうカッカせんと」完全に幻滅しました。こんな教師が人気だなんて、生徒の目は節穴です。「もういいです。先生には頼みません。ここに来た私が間違ってました」そうです。先生などに頼らず、自分で解決したらよかったのです。怒り狂った状態で職員室を出て行こうとする私の肩をつかむ者がいました。振り返ると、我がC組の担任です。私の耳にそっと口を近づけて「やれ、●●。俺が責任を取る」「はい!」勢いよく職員室を出た私は、私を追ってきたMさんとぶつかりそうになりました。A組の担任の言いようを彼女に知らせずに済んだことを幸いに思いながら、「うちのクラスにおって!」そう言い残した私は再び全力疾走でA組に向かいました。A組の出入り口前に立った私は、「○○、□□、△△、出てこい!」3人は不審な顔をして出てきました。「どうしたん? いのさん」「あんたら、Mさんに臭い、汚い、言うたらしいな」「そんなこと、言うてへんよ」一人が答え、皆うなづいています。「そんなはずはない。不自由な足ひきずって、うちのクラスにMさんが来た。しかも泣いてた」「そんなつもり、なかったんよ」「どんなつもりや」「……」「あんたらは高校行くか知らんけど、Mさんの学生生活はこれが最後や。そのMさんに、いやな思い出だけを残すのか! あんたらはいやな奴らという思い出になって、平気なんか!」そのとき、私を追ってきたMさんが到着しました。途中、“大変なことになった”と思ったのか、私の行動に驚いたのか、泣きはらした顔がさらにクシャクシャになっていました。「見てみ、この顔を見て、あんたらは平気なほど、いやな奴らなんか!」3人のうち、一人が泣き出しました。「ごめん、ごめん……」「あんたらがそんなつもりない、言うても、この子がこんな顔になってるねんから、ひどいことしたことに間違いないやろ」ほかの二人も泣き始めました。「ごめんね。もう言わへんから」私は畳み掛けるように言いました。「今度こんなことがあったってMさんから聞いたら、承知せえへんからな」私の勢いに怖じ気づいた3人は「もうしません」なぜか敬語になっていました。「■■、出てこい!■■というのは、このクラスの学級代表の女の子です。「あんた、このこと知らんかったわけやないやろ」「知らんかった」いつもは仲よしと思っていた私の剣幕に驚いた彼女は、うそを言いました。“知っていた”と、顔が言っていました。「情けないなぁ。学級代表やろ。あんたがしっかりしてへんから、Mさんが私のクラスまで来たんや。しっかりせぇ」■■さんは泣き出しました。「ごめん」■■さんが小さな声で謝りました。「謝らんでいい。そのかわり、卒業するまでMさんをきちんと守ってや。もしもう一回こんなことがあったら、あんたも承知せんで」私はMさんを振り返り、「Mさん、このあほの4人を許したってくれる? よく言うといたから」「うん、うん、ごめんね。ごめんね」Mさんも大泣きし、「Mさんが許してくれるらしい。お礼言うとき」いじめた3人と学級代表に言うと、4人はMさんに向かって「ありがとう。ごめんね」と、Mさんの手を取って言いました。それを見届け「ごめんな、呼び捨てにして。大きい声で怒鳴って」そう4人に詫び、Mさんの肩を叩いて、私は自分のクラスに戻りました。途中、暴力教師が私を待つようにして廊下に立っていました。「やってきました」笑みを浮かべながら私が言いました。「そうか。で?」「解決しました」「よっしゃ!」担任に責任を取ってもらう事態に至らず、よかったと思いました。その日の終業のホームルームで、担任がこの出来事をクラスメートに説明しました。最後に言いました。「オレは、このクラスの担任になってよかった。弱い者をいじめるような奴がおらんし、そんなほかのクラスのことを怒ってくれる生徒がおった。お前らに感謝する」体育担当の我が担任は、全学年の男子の体育の授業を受け持っています。授業の最初にこの事件のことを話し、“いじめ”の醜さ、酷さ、無意味さを説きました。そんな事件に出会えた私や、その当時在学していた生徒は幸せだと思います。Mさんがいなかったら、「他人事」として通り過ぎてしまっていたのですから。人生の貴重な時期に、ちーちゃんやMさんがいてくれてよかった。そう思わせてくれる事件でした。またしても長々と……。次回の予告はしないことにします。書くたびに思い出すことが増えて、思惑どおりにはいかないことに気づきました。
2009.01.04
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新入生として中学に入学したのを機に知り合ったちーちゃんは、知的障害を持つ女の子です。1年生の1学期の間は、少しずつ、でも確実に成長し、夏休みを過ぎたころから目を見張るほどの成長を見せるようになりました。私と一緒にいるちーちゃんを見るクラスメートの目が変わったからだと思います。人は、より多くの人間と接することで能力を伸ばし、世界を広めることができるのだと知りました。一般の生徒であれば、「学校」は「学問をする場」といえるかもしれませんが、実は、「人間としてのあらゆる能力を伸ばすための場」と言えるのかもしれません。人を見習い、人から刺激を受け、人と競い合うことで、人間に内包される多種多様な能力を開発し、“できない”と思っていたことができるようになったり、“得意”と自信を持っていたことが、他人より劣っていると知ったり、そしてそれを伸ばすための努力をしたり。ちーちゃんを見ていて、私はそう思いました。1年生の間、ちーちゃんは楽しそうに生活をしていました。が、別のクラスになった2年生のときのことはほとんどわかりません。休み時間に私のところに遊びに来たちーちゃんはにこやかだったし、いつもどおり「あれをして」「これを教えて」とねだってきたので、自分のクラスでも、他のクラスメートにそうしているのだと思っていました。しかし、3年で再び同じクラスになってみると、2年生のときが「空白」になっていることに気づきました。1年間、またおもしろくない授業時間を過ごしたのかと思うと、かわいそうになりました。そこで私は、漢字が書けるようになってもらおうと、小学低学年から中学年くらいの漢字(生活に密着したもの)をピックアップした漢字練習帳をつくりました。ちーちゃんは、最初拒否反応を示しました。「いのさん、書けへん」難し過ぎると思ったのでしょう。1年のときには、躊躇なく取り組んだのに…。ちーちゃんの中に、自分を確認する能力が芽生えたのだと思います。焦らないように、ゆっくり、丁寧に書き方を教えました。少しわかってくると、再び目を輝かせてちーちゃんは漢字の練習に取り組みました。そして、できたときのうれしそうな顔は、1年のときのそれとは比較にならないくらいで、幸せそうでした。それを見たクラスメートは、私と同じようなことをちーちゃんにし始めました。うれしかったのは、私が考えつかないようなアイデアを盛り込んで、ちーちゃんが楽しく漢字の練習ができるように工夫してくれたり、正解の○の横にかわいいイラストを描いたりして、ちーちゃんが喜ぶ方法を考えてくれたりしたことです。そんな中、球技大会が開催されました。女子の競技種目はソフトボールでした。私のクラスには、ソフトボール部員が3人いたことから、「1チーム2名まで」という規制が設けられました。部員と一般生徒の実力差を考えて、チーム編成をしました。私は部員であり、ピッチャーでしたから、私はそのままピッチャーを、ファーストにも部員を配置し、黄金の1塁アウト体制を敷きました。私は大差で勝つだろうと確信していました。ですから、代走や代打はもちろん、守備交代も頻繁に行い、全員参加を目指しました。もちろん、ちーちゃんにも参加してもらいました。打ったり守ったり、というのは難しいし、けがが心配でしたので、「代走」で出場してもらうようにしました。私は1塁のコーチスボックスに立ち、ちーちゃんにスタートの指示をしました。ちーちゃんは私の指示どおり一生懸命走り、ホームに帰りました。そのときのうれしそうな顔、興奮した声は忘れることができません。多分、それまでの学校生活で最も感動した瞬間だったのだと思います。球技大会は大勝しました。ちーちゃんは「戦う」経験、そして「勝つ」経験、自分がその輪の中にいる経験をし、自信を得ることができたのではないかと思います。夏になると、水泳大会が開催されました。他のクラスは棄権する子が続出しましたが、我がクラスはほとんどが参加し、またもや圧勝しました。ちーちゃんもレースに参戦しました。残念ながら、泳ぐことができないちーちゃんは、水の中を歩くという競技に出て、善戦しました。優勝をコールされ、歓喜するクラスメートと一緒に、ちーちゃんも飛び跳ねて喜んでいました。国語や数学に自分の居場所を見つけることができないちーちゃんも体育やその関連行事では皆に貢献できる喜び、体を動かす喜びがあることを知ったのだと思います。秋口には体育大会。もちろん、我がクラスは全員参加を目指していましたので、ちーちゃんも競技に参加しました。大きな得点の獲得できるレースを総ナメにした我がクラスは、他のクラスに大差をつけて優勝しました。ちーちゃんは1位にはなれませんでしたが、クラスが優勝したことで、自分自身の悔しさは払拭されたようでした。さすがに「体育大会」だけあり、感動もひとしおでした。その興奮は「文化祭」まで冷めず、クラス全員がフルパワーで取り組むことができました。我がクラスは芝居を披露することになりました。作品は「夕鶴」です。何と、登場人物が4人というこぢんまりした物語を選んだ経緯は私にはよくわかりませんでした(用事があって、クラスを離れたときに決まってしまっていました)。そんな状況なのに、私がシナリオを書くことが決まっていて、これには閉口しました。「全員参加」を目指す私は、4人の登場人物を残しながら、あと20人のキャストをつくり、演者24人、残り10数人は大道具、小道具、衣装係になってもらい、裏方を固めることができました。大道具も衣装も、大掛かりですごいものが出来上がりました。農家の男の子は、家からおじいさんがつくってくれたというわら草履を持ってきてくれたり、お婆さんのモンペを持ってきてくれたり、建具を家から抱えてきてくれる男子生徒もいました。ちーちゃんは、小道具係にいて、同じ係の女の子の指示に従って作業をしていました。芝居は大成功でした。下級生からも、教師からも、校長先生からも絶賛されました。我がクラスの生徒は全員、感動の渦の中にいました。文化祭終了後、不要になった舞台道具や展示で使ったものを燃やして処分するキャンプファイヤーが焚かれました。燃えていく大道具を見ながら、それらをつくるために使った日々や、仲間と衝突したり、思うものができて喜んだりした思い出が蘇ったのか、女生徒のほとんどが涙を流していました。ちーちゃんもその光景を見て、しばらく戸惑っていましたが、隣にいた女生徒がちーちゃんの肩を持ったとき、何かが伝わったのか、ちーちゃんも涙していました。文化祭が終わると、高校を目指す者はすべて受験体制に入ります。日に日に緊張感が増していく同級生に囲まれて、ちーちゃんの顔からも笑顔が消えがちになりました。そんなさなか、ちょっとした事件が起きました。我がクラスではない、クラスの階も違う女の子が助けを求めて私のところにやってきたのです。この女の子も知的障害を持っていました。そして、その事件は、学校全体を揺るがすような事件になったのです。今回は、少し書き過ぎました。次回、事件のことと、中学卒業から18歳までのちーちゃんとの出来事を書くつもりです(前回もそう書きましたが…。スミマセン)。
2009.01.03
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