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昨日、教育再生会議より「いじめ問題への緊急提言」が発表され、賛否両論を呼んでいます。(下の方に毎日新聞の記事を載せていますので、ご存じない方は読んでみてください。) yahoo!のアンケートによると、この提言を評価できないという否定的な意見が多数を占めています。理由は、様々あるようです。 昨今のいじめ自殺問題に対して、政府としては何もしないわけにはいかなかったのでしょう。黙って見過ごすのではなく、直接、いじめ問題を正面から取り上げようとしたことに対して、私はある程度評価できると思います。 ただし、いくつか思うところはあります。 まず、教育再生会議のメンバーの中にどうして現場の教員がいないかということです。これは、非常に不思議です。現場の生の声を聴かないで、どうやっていじめの本質を語ることができるのでしょうか。この提言を読むと、もっともらしい事は書かれているけど、何かが欠けているような気がするのは私だけでしょうか。有識者の皆さんばかりでは、いじめの実態やそれにかかわる教員の苦労などはわからないのではないかと思います。 いじめの加害者に対する措置については、出席停止の是非や奉仕活動の効果、別教室での指導の効果などについて様々な意見があり、結局出席停止案は見送られたようです。Yahoo!のアンケートによると、傷害事件として警察が介入することを望む声もあるようですが、いずれにしても、なぜいじめが起きるのかという根本的な問題やいじめる側の心理に関して語られていないことに疑問を感じます。もちろん、いつの時代にもいじめはあり、いじめを根絶することは難しいでしょう。しかし、直接、子供にかかわる教員や大人がいじめの心理を理解したり、クラスのメンバーがより親しい友達関係を作るための心理的な技術について考えることは必要なのではないかと思います。 いじめをなくすことも大切ですが、いじめを起こさないことはもっと大切なのではないでしょうか。 いじめ加害者の保護者とのかかわりも重要でしょう。家庭での様子を聞いたり、厳しく監督してくださいとか、注意してくださいと言うだけでなく、もっと、根本的な面に迫るかかわりを保護者とする必要もあるのではないでしょうか。 また、いじめられた側が転校するという案も悪くはないし、必要なときもあると思いますが、何度も何度も転校するわけにはいかないでしょう。いじめられている側の子供に非があるわけではないと思いますが、上手に人間関係を築く術を身につけさせることも必要なことだと思います。親子のかかわりや信頼できる先生とのかかわりを通して、いじめによって傷ついた心が癒され、自分の存在価値を確認し、強く生きていける日が来ることができるよう導いていくことが我々大人の役目ではないでしょうか。 もっと、もっと書きたいことはありますが、長くなりすぎるので今日はこの辺にしておきます。いずれにしても、いじめによる自殺者がこれ以上増えず、子供たちが幸せな学校生活を送れることを願っています。 教育再生会議 「いじめ問題への緊急提言」を決定 (毎日新聞)- 11月29日より 政府の教育再生会議(野依良治座長)は29日午前、首相官邸で第3回全体会合を開き「いじめ問題への緊急提言」を決定、発表した。相次ぐいじめによる自殺を受け、いじめをした子どもに対する指導、懲戒の基準を明確にし、社会奉仕や別教室での教育など「毅然(きぜん)とした対応」を取るよう、学校に求めた。「いじめを見て見ぬふりをする者も加害者」との指導を学校が子どもに徹底することも促し、いじめに加担するだけでなく放置・助長した教員も懲戒処分の対象とすることを明記した。 安倍晋三首相は会合であいさつし、提言について「即実行できるものは実行する」と述べ、対策を急ぐ考えを示した。再生会議は、緊急提言を文部科学省や都道府県教委を通じて学校、保護者に呼びかける。 提言では「いじめは反社会的な行為として絶対許されない」との認識を強調。いじめた子どもへの懲戒、指導については「社会奉仕、個別指導、別教室での教育」を校内規律を維持する例として示した。懲戒では出席停止の明記も検討されたが、見送られた。池田守男座長代理(資生堂相談役)は終了後の記者会見で委員の意見が分かれたことを認めたうえで、「(出席停止も懲戒基準の)一つの選択肢としてあっていい」との見解を示した。 教員への処分については、児童・生徒をいじめた場合の処分を規定した東京都教委などを例に、全国の教委に同様の規定の導入を呼びかけた。 また、「いじめを解決するのがいい学校」との認識を示し、学校による隠ぺいの排除を図った。学校や教委、保護者が連携していじめ撲滅に全力を挙げることや、教委が学校支援のためのサポートチームを結成するよう要請。いじめを理由とする転校が認められていることを児童・生徒や保護者にしっかり伝えるよう注意喚起したうえで「いじめの解決を図るには、家庭の責任も重大」と指摘した。 再生会議は10月25日に「いじめ防止の緊急アピール」を発表している。その後も同様の事件が続き、重視姿勢を示す必要があると判断し、「社会全体に対する再生会議の(いじめ撲滅の)決意表明」(池田氏)として、提言を取りまとめた。【平元英治】 ◆政府の教育再生会議が29日まとめた緊急提言は次の通り。 「いじめ問題への緊急提言」 すべての子どもにとって学校は安心、安全で楽しい場所でなければなりません。保護者にとっても、大切な子どもを預ける学校で、子どもの心身が守られ、笑顔で子どもが学校から帰宅することが、何より重要なことです。学校でいじめが起こらないようにすること、いじめが起こった場合に速やかに解消することの第1次的責任は校長、教頭、教員にあります。さらに、各家庭や地域の一人一人が当事者意識を持ち、いじめを解決していく環境を整える責任を負っています。教育再生会議有識者委員一同は、いじめを生む素地をつくらず、いじめを受け、苦しんでいる子どもを救い、さらに、いじめによって子どもが命を絶つという痛ましい事件を何としても食い止めるため、学校のみに任せず、教育委員会の関係者、保護者、地域を含むすべての人々が「社会総がかり」で早急に取り組む必要があると考え、美しい国づくりのために、緊急に以下のことを提言します。(1)学校は、子どもに対し、いじめは反社会的な行為として絶対許されないことであり、かつ、いじめを見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する。<学校に、いじめを訴えやすい場所や仕組みを設けるなどの工夫を><徹底的に調査を行い、いじめを絶対に許さない姿勢を学校全体に示す>(2)学校は、問題を起こす子どもに対して、指導、懲戒の基準を明確にし、毅然とした対応をとる。<例えば、社会奉仕、個別指導、別教室での教育など、規律を確保するため校内で全教員が一致した対応をとる>(3)教員は、いじめられている子どもには、守ってくれる人、その子を必要としている人が必ずいるとの指導を徹底する。日ごろから、家庭・地域と連携して、子どもを見守り、子どもと触れ合い、子どもに声をかけ、どんな小さなサインも見逃さないようコミュニケーションを図る。いじめ発生時には、子ども、保護者に、学校がとる解決策を伝える。いじめの問題解決に全力で取り組む中、子どもや保護者が希望する場合には、いじめを理由とする転校も制度として認められていることも周知する。(4)教育委員会は、いじめにかかわったり、いじめを放置・助長した教員に、懲戒処分を適用する。<東京都、神奈川県にならい、全国の教育委員会で検討し、教員の責任を明確に>(5)学校は、いじめがあった場合、事態に応じ、個々の教員のみに委ねるのではなく、校長、教頭、生徒指導担当教員、養護教諭などでチームを作り、学校として解決に当たる。生徒間での話し合いも実施する。教員もクラス・マネジメントを見直し、一人一人の子どもとの人間関係を築き直す。教育委員会も、いじめ解決のサポートチームを結成し、学校を支援する。教育委員会は、学校をサポートするスキルを高める。(6)学校は、いじめがあった場合、それを隠すことなく、いじめを受けている当事者のプライバシーや二次被害の防止に配慮しつつ、必ず、学校評議員、学校運営協議会、保護者に報告し、家庭や地域と一体となって、解決に取り組む。学校と保護者との信頼が重要である。また、問題は小さなうち(泣いていたり、寂しそうにしていたり、けんかをしていたりなど)に芽を摘み、悪化するのを未然に防ぐ。<いじめが発生するのは悪い学校ではない。いじめを解決するのがいい学校との認識を徹底する。いじめやクラス・マネジメントへの取り組みを学校評価、教員評価にも盛り込む>(7)いじめを生まない素地をつくり、いじめの解決を図るには、家庭の責任も重大である。保護者は、子どもにしっかりと向き合わなければならない。日々の生活の中で、ほめる、励ます、しかるなど親としての責任を果たす。おじいちゃんやおばあちゃん、地域の人たちも子どもたちに声をかけ、子どもの表情や変化を見逃さず、気付いた点を学校に知らせるなどサポートを積極的に行う。子供たちには「いじめはいけない」「いじめに負けない」というメッセージを伝えよう。(8)いじめ問題については、一過性の対応で終わらせず、教育再生会議としてもさらに真剣に取り組むとともに政府が一丸となって取り組む。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.30
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昨日は盆栽でしたが、今日は生花を取り上げてみました。 茶の湯の発展と共に生まれた華道は、盆栽と共に日本の代表的な文化のひとつです。 池坊によると、生花をいけるとき、もっとも大切にされるのは花の出生だそうです。出生とは、花木それぞれが本来有している性情、花の個性のことです。明治時代の初め頃、江戸時代後期に成立した生花の花形を基本として、池坊では正風体が整えられました。生花正風体の基本の形式は、一本の草花が大地から気勢をもって立ち伸び、枝葉を繁らせて生育する、生命の営みを真、副、体の三つの役枝をもって象徴的に表すそうです。草花が出生のままに自然の中に生い立つ姿を表現することを根本として、そのあるがままの美を端的に形として表現するのです。その後、生花正風体は端正で優美、品格のあるいけばなとして広まり、今日に至っているそうです。 以前、華道池坊の家元だったと思いますが、ラジオ番組で次のようなことを言っていました。 「最近は、フラワーアレンジメントが流行ってきているが、生花とフラワーアレンジメントでは考え方が全く反対だ。フラワーアレンジメントは、色々な色の花をたくさん使って華やかに表現するものだが、生花は、より少ない花で、美を表現するものだ。」 なるほどと思いました。すべての子供に華やかな才能や能力があるわけではありません。勉強ができる、スポーツができる等優れた能力を持っている子供はほんの一握りかもしれません。では、能力の無い子はダメなのでしょうか。いいえ、華やかではないかもしれませんが、子供はそれぞれ良い面を持っています。その子が持っている個性を思い切り美しく表現すること、また、あるがままの美を端的に表現することができればそれで幸せなのではないでしょうか。 親としては、子供に対する要求が年を追うごとに高くなり、華やかさを求めるようになりがちです。生花の良さを子育てに生かしてみませんか。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.29
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盆栽は、室町時代後期に茶と共に発展した、世界に誇れる生きた芸術文化です。 良い盆栽には、一幹・二枝・三根張り(最初に幹を見て、次に枝、根張りを見るということ。)といわれる基本がありますが、名品と呼ばれるものには、それに該当しないものも多くあります。それは、その盆栽の長所が欠点を上回っているからだそうです。 ヴェルサイユ宮殿に代表されるような欧米に見られる幾何学的なデザインの庭園とは、大きく異なる風情が日本の盆栽の中には見られます。欧米の庭園や植樹は、左右対称できれいに整ったデザインになっていますが、日本の盆栽には、その木が本来持っている風格やすごみ、わびなどが生かされているのです。 私たちが子供を育てるとき、日本独特の芸術である盆栽の思想を生かしてはどうでしょう。きれいに形が整っていないかもしれないし、左右対称ではないかもしれません。でも、それぞれの子供が本来持っている良い面をうまく生かして育てることができたら、素晴らしいのではないでしょうか。欠点は色々とあるかもしれませんが、盆栽の長所が欠点を上回り、立派な木になっていくように、立派な人が育っていくのではないでしょうか。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.28
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長生きするためには、ゆっくりと生きることが必要である。 キケロ(古代ローマの哲学者) 自ら其の心を静かにすれば寿命を延ばし、 物を求むることなければ精神を長ず。 白居易(中庸の詩人) ため息を1回つくと3歳老ける。 1日3回感動すると若くいられるのよ。 加藤シズエ(元衆参両議院議員) 老いた者には知恵があり、 命の長い者には悟りがある。 旧約聖書 心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.27
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人に好かれたいと思っていながら、自分では、自分のことを人に好かれるに値しない人間だという自己評価をしている人はいないでしょうか。 好かれたいと思っていても、自分をダメだと思っている限り、人に良く思われることは難しいでしょう。 自分をダメな人間だと思っていると、それが表情や行動に表れてしまい、相手にもダメな人間と捉えられてしまうのです。自分では、頭が悪いと思っていながら、人から頭が悪いと言われると腹が立ってしまう人、自分では、不細工だと思っていながら、人にブスだとかかっこ悪いとか言われると頭にきてしまう人がいます。自分で思っていることであっても、人から言われるのは嫌なのです。 自分に自信を持って行動をしていると、相手も信頼してくれます。自分を好きになると、相手も好きになってくれるのです。 自分に自信を持てと言われても、人に自慢できるようなところは何も無いという人も多いでしょう。そんな人は、「自分の良い所探し」をしてみてください。どんなに小さなことでもかまいません。人と比べる必要もありません。小さな小さな自信がだんだん大きな自信になっていくのですから。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.25
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「いえいえ、聞いてください。わたしのふたりの娘のことです。一人は傘屋に嫁に行き、もう一人は草履屋に嫁に行きました。雨が降れば、草履屋がもうからない。良い天気になれば、傘屋はもうからない。そう考えると、毎日が心配で心配で・・・・」 そう言って、母親はまた涙を流しました。「なあんだ、おかみさん、あんたの考えは反対だ。こう考えればいいんだよ。 雨が降ったら、今日は傘屋がもうかるぞ。傘屋に行ったあの子が喜ぶ。良い天気になったら、今日は草履屋がもうかるぞ。草履屋に行ったあの子が喜ぶ、とな。」 すると、母親は大きくうなずいて、こう言いました。「なるほどなるほど、そう考えりゃ、毎日喜んでいられたわけだ。わたしゃ、なんてばかだったんだろうね。」 「お母さんの宝物」福音社より物事の暗い面ばかりを考えて失望したり悲しんだりしないで、明るい見方をし、喜べることを見つけ出して、それを感謝できるようになりたいものですね。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.24
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勤労感謝の日の今日、全国どこもすっきりしない天気だったようです。せっかくの休日なのに、なんで雨なんか・・・・、と天気を恨んだ方もいることでしょう。 今日は、面白い話をご紹介しましょう。 「傘屋と草履屋」 あるところに、二人の女の子を持った母親がおりました。子供たちはだんだん大きくなって、やがて美しい娘になりました。 そして、姉は傘屋に、妹は草履屋に、それぞれお嫁に行きました。 ところが、それからというもの、この母親は毎日毎日泣いてばかりいるのです。 二人の娘が急にいなくなったので、寂しいのだろうと、近所の人たちはうわさをしておりました。 しかし、半月たち、一ヶ月たち、やがて半年たちましたが、母親の顔はますます暗くなるばかりでした。 朝、目が覚めると、ガラガラと雨戸を開けて、「ああ、今日は雨か。」と、涙を流し、次の日はからりと晴れたと思えば、「ああ、今日は良い天気か。」と、また涙を流すのです。 雨が降ったといっては泣き、良い天気になったと言っては泣き、いったいどうしたというのでしょう。心配した近所の人が、この母親に尋ねました。「おかみさん、いったいどうしたというのかね。からだの具合でも悪いのかい。」 ・・・・・つづく心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.23
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昨日、小学生の女の子達が、こんなことを言っていました。女の子「最近、私たちのけんかに先生が口を出してくるんだよね。」 私 「へー、どんなふうに?」女の子「けんかはやめなさい、みたいに。」 「放っておいてほしいよね。」 私 「どうして?」女の子「自分たちで自然に仲直りするんだから。」 「けんかの後、すぐに普通に話したり、次の日の朝には、 普通におはようって言って、仲直りできるんだから。」 「先生が入って、仲直りしなさい、みたいに言われても、 無理やり仲直りさせられているみたいで、かえって ぎこちなくなっちゃうよね。」 私 「最近は、いじめの問題が大きく取り上げられているから、 先生たちもけんかがいじめに発展しないように 一生懸命なんじゃない?」女の子「それもわかるけど、自分たちにまかせてほしいよ。」 ・・・・この後、けんかといじめの違いについて話しました。・・・・・ うーん、なるほど。難しいですね。 確かに、学校でけんかしていたら、やめさせて、仲良くするように指導するのが先生の役目です。 でも、いつもは仲の良い子供同士が、時にはぶつかり合いながら、自分たちで問題を解決していくことも大切なことです。 子供の持っている力を信じ、子ども自身が問題を解決できると信じてあげることも大切なことなのです。子供は、少年期に、様々な経験を通して人間関係を学んでいきます。けんかを通して、心の痛みを知り、人とのかかわり方を学んでいきます。これが欠如すると、相手の気持ちのわからない、人間関係の下手な大人になってしまうのです。 いじめは、強者が弱者を一方的に苦しめるのですから、絶対に許してはいけません。しかし、対等な立場での少々のけんかであれば、子供の成長のために口出しせず、見守ることも必要なのではないでしょうか。(もちろん、怪我をするほど激しいものは、やめさせなければいけませんけどね。) 教師も親も、それが「いじめ」なのか「けんか」なのか、あるいは、子ども自身が自分で解決できる問題なのかそうでないかを見極め、それに応じた対処をすることが大事なのではないでしょうか。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.22
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こんな詩を見つけたので、ご紹介します。 「幸せは、その人の心の中にある」 幸せは、心の中にあるもの。 つまり、自分が幸せと感じることです。 どんなに身のまわりに幸せになることがたくさんあっても、 もし、自分で「ああ、私にはこんなに幸せがある」と感じなかったら、 それは、結局どうにもならないこと。 その人は、決して幸せになることはできないのです。 幸せになりたかったら、 自分の身のまわりの幸せを自分で感じるような人になることが 一番大切だということを知ってください。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.21
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20数年前、東京の病院に勤め、受付業務に携わっていた頃、救急車で自殺を図った女性が運ばれてきた事があります。 看護婦や救急隊の人たちと一緒に、意識を失った女性を運びました。救急車の中で応急処置はしてあったと思いますが、鋭利な刃物で切られた手首からは依然としておびただしい出血が見られ、看護婦の白衣が真っ赤な血に染まったのを覚えています。初めての体験に大きな衝撃を受けたものでした。 緊急の手術を受けている間、夫や子供が不安そうに待合室で待っている姿、警察官が病院で家族に事情を聞いている姿が今でも思い出されます。その後、この女性がどうなったのかはわかりません。 自殺は、家族を含め、様々な人たちにどんなに大きな悲しみと苦悩をもたらすかということを、その時、目の当たりにしました。 今、中学生の自殺問題が社会的な問題となっていますが、1年間の全年齢の死亡者総数の内、自殺者が約3万人います。 交通事故死を減らそうと様々な取り組みがなされていますが、年間の死亡者は1万人弱、東京大空襲での死亡者数は10万人、ベトナム戦争での米軍の死亡者数は5万8千人です。 交通事故での死亡者数を自殺者数と比較してみると、圧倒的に自殺者数の方が多いことがわかります。また、悲惨な戦争での死亡者数と比較してみても、ほんの数年分で自殺者数が戦争で死亡した人の人数を上回ることになります。これほど多くの人が、自殺している今日、子供の自殺を止めることのできるほどの説得力を大人は持っているでしょうか?大人が、社会が良い模範を示さずして、子供の自殺を食い止めるのは難しいのではないでしょうか。 今朝のテレビ番組で、芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久さんが、「みんな、この世は無常だということを忘れている」と言っていました。私はこれまで、「無常」とは、「はかない」という意味だと理解していましたが、「世は常じゃないということ。今の状態がいつまでも続くのではなく、良いときも悪いときもある」という意味だそうです。 自殺を考える時、人は、今、自分が置かれている状況しか見えなくなっているので、先を見ることが難しくなっています。今の状態がいつまでも続くとしか考えられなくなってしまい、希望を失ってしまうのです。 私たち大人が明るい生き方を子供たちに見せ、人生を楽しんでいる様子を良い模範として子供たちに示していかなくてはならないのではないでしょうか。良いときもあれば、悪いときもある、そして必ず良いときがまた訪れるという考えを子供たちに伝えていかなくてはならないのではないでしょうか。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.19
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まず、「父親不在」というのが、「片親」の家庭を指しているのではないことをあらかじめお断りしておきましょう。たとえ、事情によって母親だけが子供を育てている家庭であっても、母親が父親の役割を果たしているのであれば、今日の問題には含まれません。 戦後、従来の日本的家族制度というのは崩れました。戦前は絶対だった父親の権威は失われ、恐れられることも尊敬されることもなくなってきました。 職場で朝早くから夜遅くまで働き、家庭を顧みない父親が増えてきました。家庭は、母親が仕切っているので、子供にとっての父親の存在は、薄くなってきています。 父親の存在がないと、様々な問題が起きてきます。かといって、家庭のために一生懸命、外で働いてくるはずの父親が仕事を疎かにして、いつも家にいるというのは現実的ではないでしょう。 そんな時、どうやって、父親の存在感を子供に示すかが大事なのです。これは、母親にかかっています。母親が子供に父親のことを語るとき、尊敬と感謝を表現することが大事です。(ちょっと尊敬できないことがあっても、多少、大げさに父親のことをよく言いましょう。)そうすると、物理的に父親が不在であっても、子供は、父親の人間性を感じることができ、安心感と満足感を得ることができるのです。 もし、両親が不仲で、母親が父親の批判ばかりしていたら、どうなるでしょうか。子供にとって、父親は嫌な存在になってしまうのではないでしょうか。父親を嫌い、母親とべったりの子供は、自分の意思で行動することができなくなってしまい、母親に依存してしまうことになります。自立心が育たず、父親のように母親に嫌われないように、母親の顔色ばかりをうかがうような子供になってしまうのです。 心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.18
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子供の自殺が報じられると、必ずと言ってよいほど学校は、「いじめの事実は確認されませんでした。」と、言います。本人が家族に訴えていたり、遺書を残していたとしても、いじめの存在が簡単に認められることはありません。不思議なことです。 いじめられていると感じている子供がいたら、それだけで、問題を取り上げる必要があります。大人から見たら、子供同士の悪ふざけにしか見えないかも知れません。いじめられている子に何らかの原因がある場合もあるかもしれません。このくらいのことはいじめではない・・・もっと強くなってもらわなきゃ困る、と思うこともあるかもしれません。しかし、その子自身が辛い思いをしていることは事実なのです。 ですから、まずはいじめられていると感じている子供の心に、共感的な態度で寄り添うことが大事でしょう。いじめに耐えることも必要かもしれません。しかし、その訓練は別の機会に行うべきです。本当に苦しい思いをしているときに必要なのは、訓練ではなく、助けなのですから。 いじめを防ぐためには、いじめが起きている場所や起こりそうな場所を起こりそうな時間帯にきちんと監督する必要があるのではないでしょうか。たとえば、休み時間のトイレや教室、放課後の部室等を計画的に巡回することである程度は未然に防ぐことができるのではないでしょうか。 いじめは、たいてい人目を盗んで行われます。ですから、先生方で協力して子供たちの様子を把握しておくことが大事なのではないでしょうか。もちろん、先生方の人数は限られていますから、すべての子供たちに、いじめの問題に取り組む意識を持たせ、傍観者にならずに積極的にかかわる意識を持たせることが大切です。 いじめている側の保護者とのかかわり方は、非常に難しいですが、いじめの実態に応じて適切な形で協力を要請することは必要でしょう。一人の先生が、問題を抱え込んでしまうのではなく、周りの協力を仰ぐことで、大きな力になっていくのです。 子供たちは、今、先生の力を一番必要としています。すべての子供たちが安心して学校に行けるよう、頑張ってほしいと思います。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.17
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いじめによる自殺は、連鎖が増すばかりで一向に減る様子が見られません。自殺予告の手紙も日に日に増えています。マスコミの対応に対しても批判が寄せられ、どのように対処すればこの事態を収拾することができるのか暗中模索の状態にあるようです。 文部科学省は、いじめに関する調査を改めて行ったり、各学校にいじめ防止の通達を送ったりしています。しかし、難しい言葉が並べられた通達が学校に届いたからといって、いじめがなくなるわけではありません。行政としてできることには、限界があるのでこれもやむをえないでしょう。 今、いじめによる自殺を防ぐために一番頑張らなければいけないのは、お役所でも教育委員会でもなければ校長でもありません。現場の教師です。現場の教師は、一日中、色々なことをしなければなりません。授業、その準備、生活指導、部活の指導、会議、研修等など、毎日が本当に忙しいです。 でも、一番に考えていただかなければならないのは、子供の「命」です。子供に自分自身の命の大切さを教えることだけでなく、相手の命を大切にすることをまず、教えてほしいものです。教壇に立って、ただ話せばよいと言うのではなく、子供たちの心に響く方法を実態に合わせて考え、実施していただきたいと思います。 もし、いじめられた子供が、その被害を訴えてきたとき、その子供が不利になるような対処をしないでいただきたいと思います。いじめを受けた子供が、「先生には言いたくない」と、言います。それは、告げ口のようなかたちになり、その後、さらにいじめがエスカレートすることがわかっているからです。先生に訴えたことによって、いじめがなくなるという安心感がなければ、相談には来ないでしょう。しばらく様子を見るとか、いじめている子を呼び出して一度注意して終わるということでは、だめです。それなら、教師ではなくても誰にでもできます。 教師は、教育の専門家として、受け持っている年齢の子供たちの心の動きを理解しなくてはならないのではないでしょうか。いじめられている子の気持ちはもちろんのこと、いじめている側の心の状態を知り、適切な対応をする必要があるのではないでしょうか。相談を受けた一人の教師が、その責任を負うことは難しいと思います。一人の目では、子供たちの様子を十分把握することができないからです。複数の教師で、連携を取り、今、不安を抱えている子供たちの心に寄り添うことが、今、一番求められていることではないでしょうか。 忙しい中、大変だと思いますが、先生、よろしくお願いします。 ・・・つづく
2006.11.16
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しつけは、年齢に応じて工夫する必要があります。 ちまたでは、子供が小さい頃は、可愛い可愛いと、甘やかして何でも許し、大きくなって大変になるにつれて、厳しく叱るようになる、という母親を良く見かけます。 小さい頃、甘やかされて育った子供は、そのまま大きくなり、様々な問題行動を起こすようになります。その時になってはじめて、親は叱り、注意するのですが、効き目はまったくありません。子供は甘やかされていることに慣れ、わがままになっているのですから、今さら、ああでもない、こうでもないと言われても聞けるわけが無いのです。親が大きな声で怒鳴ろうが、引っ叩こうができないのです。特に小学校高学年から思春期にかけての子供は、親に反抗的になってきますからなおさらです。「うるせーな!」「てめえのことなんか、聞いてられるか!」という具合になり、とうとう、親の手に負えない子供ということになってしまうのです。 「三つ子の魂百まで」と、言われるように、幼少期のしつけは非常に大切です。幼少期に親に従うことや善悪の区別など、しつけの基本となることをきちんと教えておけば、後が楽です。後で大きな声で叱ることなど、ほとんどなくなるでしょう。もし、体で覚えさせる必要のあることがあるなら、記憶の残らないほど小さい時が良いでしょう。叩かれた記憶等が残ると、後で嫌な記憶として心の奥に残ってしまいますから。 小さい時にしっかりしつけ、大きくなるにつれて子供を信頼し、自主性を持たせるようにする、という順序が子供を育てる上で大切なのです。
2006.11.14
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今日は、しつけの問題はお休みにします。 ここ数日、いじめによる自殺の予告が相次ぎ、中学生の自殺が増えてきています。また、さらに命の大切さを教えるべき校長の自殺のニュースまで飛び込んで来ました。じつに悲しく、辛いニュースです。 なぜ、こんなに増えてきたのでしょうか? いろいろな原因があると思いますが、マスコミの取り上げ方にも一因があるのではないでしょうか。社会心理学の言葉に「集団ヒステリー」というものがあります。社会心理学用語辞典(北大路書房)によると、「集合的な状況のもとで、人々が相互に刺激し合い、情緒的に共振して、ある種の反応を異常に高める社会現象」であるとされています。自殺に走る子供たちは、直接、物理的にひとつの場所に集合している集団ではありませんが、マスメディアを通してつながり合っているひとつの集団と見ることができ、広い意味では「集団ヒステリー」の状態にあるといえるのではないでしょうか。「その原因としては、事態に関する情報が乏しいこと、不安や恐怖から事態の認識が十分にできなくなること、多数の他者と共通運命にあるとの認識に基づいて自我が拡大し大胆になること、多数の他者に行動責任が分散される認識を持つことなどが考えられ」ます。 マスコミが取り上げるのは、自殺者の側のことと学校や教育委員会の責任問題、批判ばかりです。いじめている側(加害者)の問題は、一切出てきません。いじめている側へのプライバシー配慮や未成年であること、直接犯罪を犯したわけではないという理由で取り上げられないのでしょう。いじめ被害者の自殺によって、加害者やその家族は、どう感じているのか、どのような対応をしたのか、その後、どのような生き方になるのか等、まだまだ、見えない部分がたくさんあります。また、学校の責任を問うばかりでなく、保護者の責任も問われなくてはならないでしょう。加害者側の問題も積極的に取り上げ、いじめをやめさせなければならないのではないでしょうか。今あるいじめがなくならない限り、いじめられている子供にとっては何も変わりません。 このように、「事態に関する情報」をもっと多くの角度から取り上げ、すべての大人が前向きに対処することで、一人でも多くの子供たちの命が救われることを願っています。
2006.11.13
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昨日は、叱ることについて書きました。しつけをする際、叱ってばかりだと子供は自信をなくしてしまいます。自分は、いつも叱られてばかりでダメな子だと、感じてしまうのです。 叱ったら、その後、良いことをした時に、倍ぐらいほめて上げましょう。ほめられると、子供はそのような行動を繰り返しすることに喜びを感じるようになります。 ほめるときは、スキンシップが効果を倍増させます。もちろん子供の年齢にもよりますので、同じような方法が良いとは限りません。小学校高学年の女の子などは、スキンシップを嫌がるようになっているかもしれませんが、男の子であれば意外と高学年までスキンシップを喜ぶこともあります。 幼少期であれば、あるほどスキンシップは大切です。ほめるときに頭をなでてあげたり、抱きしめたり、膝の間に入れて座るなどのスキンシップは、子供の心を安定させます。子供の心に緊張や不安、恐れがあると、どんなことを教えても効果はありません。親子のつながりを確認し安心するためにスキンシップは大切なのです。
2006.11.12
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叱ることと怒ることは違います。叱ることは子供の成長のため、怒ることは自分の感情処理のためです。 「しつけ」と称して体罰を加え、それが虐待になっている例が最近は非常に多くなっていますが、これはしつけでも何でもありません。子供が成長するための助けになっていなければ、しつけの意味は無いのです。 小さいお子さんをお持ちの方は、一日何度位叱っているでしょうか?どのような叱り方をしているでしょうか?そして、その効果はあるでしょうか? 朝から晩まで、叱り続けても、効き目が無ければ何のために叱っているかわかりません。 では、どんな叱り方が効果的なのでしょうか。 まず第1に、叱るタイミングが問題です。後から思い出したように叱るのではなく、子供が悪いことをしたその後すぐに叱らなければなりません。後で言われても、子供はピンとこないのです。 第2に、なぜ悪いのか、何で叱られているのかを子供がわかるように叱らなければなりません。ただ、怒っているだけだと、怒られるから止める、見ていなければするというように他律的な子供になってしまいます。自分で善悪の判断ができるような自律的な子供に育てるためには、叱られている理由をはっきり説明してあげる必要があるのです。 第3に、子供がした行為そのものについて叱るということです。子供の人格そのものを否定するような叱り方は、ダメです。「何をやってもダメな子ね。」とか、「お父さんに似て、嫌な子ね。」「あなたなんか嫌いよ。」なんていう叱り方は、もっともよくありません。子供のことを愛しているということが伝わらなければ、子供はいじけたり、自信を失ってしまったりしますから、気をつけなければなりません。 第4に、兄弟がいる場合は、兄弟と比較して叱ってはいけません。「お兄ちゃんに比べて、あなたは・・・」という言い方は、避けましょう。 第5に、自分の責任で叱ることです。「お父さんに言いつけるわよ。」という言い方をしていると、お母さんの威厳がなくなり、効き目がなくなってしまいます。 第6に、くどくどと叱らないということです。長くてくどい説教は、逆効果です。長い話を、子供は聞いていません。短く簡潔に叱りましょう。 心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.11
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親としての役割のひとつに「しつけ」があります。子供を一人前の人間に育て、社会に送り出す、という重要な役目を親は担っています。 私たちの生活している社会には、道徳やしきたりがあり、それらにしたがって望ましい行動と望ましくない行動が決められています。社会の一員として生きていくためには、これらを身につけなければなりません。親は、今所属している社会の規範にしたがって望ましい行動の仕方を子供の身につけさせなければならないのです。 しつけというと、子供を叱ったり、褒めたり、教えたりすることだと考えられますが、実は、それより大切なことがあります。 親自身がお手本であるということです。しつけの仕方について考える前に、まず、自分自身の日常の行動を振り返って見ましょう。子供は、見ていないようでいろいろなことをよく見ています。大きくなったら、毎日見ているお手本のようになろうという気持ちが子供の心に自動的に刷り込まれます。アダルトチルドレンに代表されるように、こんな親のような大人にはなりたくないと思いながらも、同じような道をたどって行くということもあります。自分の意思とは別に、心の奥に親のお手本が刷り込まれてしまうのです。 お手本が悪ければ、いくらしつけようとしても良い子が育つわけがありません。親自身の日常生活がしつけの第一歩であることを忘れないようにしましょう。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.10
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普段軽くみてしまいがちな小さなこと。 でも、それこそが大切なのです。 人間はどんな小さなことから運が開け、 どんな短い出会いから新しい道が見つかるか わかりません。 秋山さと子(心理学者) 私たちに偉大なことはできません。 偉大な愛で小さなことをするだけです。 マザー・テレサ(ノーベル平和賞受賞した修道女) 日の光を借りて照る大いなる月たらんよりは、 自ら光を放つ小さき燈火たれ。 森鴎外(軍医・小説家)心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.09
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初対面の人と話す時、自分のテリトリーに相手を引き込むのではなく、相手に合わせるようにしていくと良いでしょう。 まず、相手の好きな話題を探して、見つかったらそれを取り上げることです。相手が話に乗ってこないような話題は避け、共通の話題が見つかるまで、いろいろな話題を取り上げていくと良いのです。相手の好きな話題について自分が詳しくないときは、知ったかぶりをして話をし続けるのではなく、その話題に興味を示して教えてもらうようにすると良いでしょう。 自分の好きな話題だけを取り上げて、延々と話し続けることは、もっとも避けなければなりません。また、自慢話をしたり、相手の話の腰を折るように、「いや、それは違うよ・・。それはこうだよ・・・。」というのはだめです。相手が心地よく感じると、話しもスムーズに進むようになるのです。 また、相手が心を開いて話せるようになるためには、表情やしぐさも大事です。ただ、うなずくだけではなく、相手の話を共感して聞いているという態度を示すことが大切なのです。 心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.08
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口下手で思うように会話が続かない、と思っている人はいませんか? 何か話そうと思えば思うほど、頭の中が真っ白になり、言葉が出なくなってしまったという経験は誰にでもあるのではないでしょうか。 人と話すのが苦手という人の多くは、話すことに自信が無いから、次に何を話そうかと一生懸命考えています。相手が話している間も、次に話すことを考えているため、相手の話を聞く余裕がありません。相手の話を聞いていないのに、自分の思ったことを話そうとするから、ちぐはぐな会話になったり、会話が長続きしなくなってしまうのです。 口下手だと思っている人は、まず、相手の話を良く聞くように心がけてみましょう。相手の話をちゃんと聞いて、その話に対して思ったことを率直に話してみるのです。相手の話に対して、「はい」「いいえ」という返答だけでは、会話が続きません。感じたことや疑問に思ったことを相手に投げかけると、それに対して、また答えが返ってくるというように、言葉のキャッチボールが続くようになるのです。 リラックスして、相手の言葉に耳を傾けてみましょう。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.07
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私は、人が大勢集まる研修会などが苦手です。もっとも、研修が終わるころには色々な人との出会いを楽しむことができるようになり、行って良かったなと思うのですが、はじめはいつも億劫です。 研修の場に行くと、知り合い同士のような人たちがたくさんいて、懐かしそうに、また、楽しそうに盛り上がっていますが、そんな中でぽつんといるのが嫌なのです。かといって、自分から積極的に初対面の人に話しかけていくのもなかなかできることではありません。 自己分析してみると、そのような場が苦手な理由がいくつか考えられます。 まず、孤独感を味わいたくないということ。 次に、気を使って話すのが疲れるということ。 そして、大勢の初対面の人がいる場で自己開示するのが苦手ということです。何も飾る必要がないのに、ありのままの自分をさらけ出すことに抵抗を感じるのです。 それでも、研修会に自ら進んで参加したり、人とかかわる仕事が好きで、しているのですから不思議なものです。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.06
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人は、笑える状態の時に笑います。笑いたい気持ちの時に笑います。 悲しい時や怒っている時には笑えません。 そんな時、笑顔を作ってみてください。無理にでも良いから笑顔を作ってみてください。作り笑いなんかしてもしょうがないと思うでしょう。でも、その作った笑顔が心に笑いを促すのです。 しかめっ面をして、心で笑うということができるでしょうか?しかめっ面をしていると心までしかめっ面をしてきますよね。だんだん、暗い気持ちになってきますよね。 笑顔の場合もそれと同じです。笑顔を作ると、次第に顔の筋肉が緩み、少しずつ心もほぐれてくるのです。そして、だんだん心が笑えるようになってくるのです。 日々の生活の中で、辛いことや悲しいことがあるかもしれません。そんな時は、逆に笑顔を作りましょう。笑えるように工夫すれば、笑えるようになってくるのです。笑えれば、嫌なことも忘れ、暗い心も晴れてくるでしょう。 今、これを読んでいるあなたは、どんな顔をしていますか?眉間にしわが寄っていませんか?口がへの字になっていませんか?眉間のしわを伸ばし、口元を上げるだけで、気分がちょっとかわりませんか? 毎日が笑顔だと、人間関係も良くなりますよ。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.05
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今まで何度か「愛」について、書きました。「愛」、これはわかっているようで難しい言葉です。 キリスト教の聖書の中には、「愛」という言葉が何度も出てきます。日本語で「愛」という言葉は一つですが、新約聖書が書かれたギリシャ語には、いくつかの「愛」という言葉があります。 まず、第1が「エロース」です。日本語にもなっていますが、決していかがわしい愛の言葉ではありません。男女の愛を表していますが、これは人間のもつ自然的・価値追求的な愛のことです。すなわち、相手が自分にとって価値があるから愛するという愛です。 第2は、「フィリヤ」です。これは、友達の愛、兄弟愛を表しています。まわりの人を愛する愛は、これにあたります。 第3は、「ストルゲー」です。これは、親子の愛です。親が子供を愛する愛は、どの愛にも勝って強いものです。人間が持ちうる最高の愛は、これでしょう。 第4は、「アガペー」です。これは、自己否定的で喜んで自己を他に与える愛です。聖書では、「神の愛」を表すときに使われています。 私たちは、どうしても自己中心的になってしまい、相手を愛する価値があるから愛するというレベルにとどまりがちです。親子であっても、子供は思い通りに育ってくれれば可愛いとか、親を大事にしてくれれば可愛い等と思うこともあります。何か見返りがあるから愛するというのが、一般的な愛です。これを裏返すと、愛してくれないなら愛さない、ということにもなります。 「アガペー」の愛は、無条件の愛です。自分を愛してくれない相手をも愛すること。自分への見返りが何も無いような相手であっても愛すること。これが「アガペー」の愛です。この愛を持つことは大変難しいことですが、この愛を目指して行きたいものです。 日々の生活を送っていると、様々な人間関係があり、嫌いな人や憎い人の一人や二人はいるものです。より高次の愛で人を愛することができるようになると、問題は少しずつ解決していくのではないでしょうか。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.04
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今、世間を騒がせている様々な教育問題がありますが、今日は、「教師」について述べられている言葉を集めてみました。 凡庸(ぼんよう)な教師は教える。 良い教師は説明する。 優秀な教師は例を示す。 偉大な教師はインスピレーションを与える。 ウィリアム・アーサー・ウォード(アメリカの作家) 教師はすべてを知っているのではなく、むしろ 知らない部分についての、より多くの自覚を 持っている者なのである。 田中美知太郎(哲学者) 貴と無く賎と無く、長と無く少と無く、 道の存する所は、師の存する所なり。 韓愈(中国、中庸の文人) ― 身分、年齢のいかんにかかわらず、 道理をわきまえた人物こそが 師となるのだ。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.02
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子供がいじめを克服できるように親としてできることの二つ目は、長い目で広い視野でまわりを見ることができるように示唆することです。 いじめを受け、辛い状況にある子供は、冷静にまわりを見ることができず、逃れる道はただひとつ、「死」であるかのように考えてしまうのです。 もちろん、いじめる側や教師の責任は大きいです。いじめをなくすことは必要なことです。しかし、学校は社会の縮図です。実際の社会にもいろいろな人がいて、様々な人間関係があります。辛いことがあるたびに「死」を選ぼうとするのではなく、もう1つの別の道を見つけることができれば、楽に生きていくことができるようになるでしょう。 親として、小さい頃から進む方向を1つの道に限定するのではなく、いくつかの道を示し、「こちらがだめなら、あちらがあるじゃない」と、柔軟な対応ができるよう教えていくことが大事なのではないでしょうか。 八方塞のように見えてもどこかに逃げ道があるはずです。それを自分の力で発見できるような柔軟性を身に付けさせてあげることが必要なのではないでしょうか。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2006.11.01
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