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かつての世界は米ソの2大国が世界を二分する東西冷戦の時代があり、その「冷戦」で勝ち残った米国が世界の覇者になるかと思いきや、その米国も「世界の警察官」を担いきれない事態になった現状について、日本総合研究所会長の寺島実郎氏は15日の「しんぶん赤旗」で、次のように述べている; ロシアによるウクライナ侵略をめぐり、「力こそ正義」といわんばかりの主張がふりまかれています。岸田政権や与党などは敵基地攻撃能力の保有に向けた検討を進め、「核共有」という議論まで飛び出しています。「話は逆で、『大国の横暴』の時代がいま静かに終わりつつある」と語るのは日本総合研究所会長の寺島実郎さん。ウクライナ危機や世界の変化、日ロ領土問題などについて聞きました。(田中一郎記者)◆「力こそ正義」は間違い ロシアのウクライナ侵攻は、「ウクライナの悲劇」と同時に「ロシアの悲劇」でもあります。 国連総会(3月2日)は141力国もの賛成で、国連憲章違反だと非難した決議を採択し、「ロシアの孤立」を印象づけました。 国連総会決議で注目したのは、旧ソ連諸国でつくる独立国家共同体(CIS、加盟国は9力国)の動きです。 CISの中でロシア非難決議に反対したのはロシア自身とベラルーシだけでした。CISはロシアに残された最後の”親衛隊”のような国々。そんな国々も共同歩調をとろうとしない。いかにロシアが孤立しているのかを象徴しています。 思い出していただきたい。冷戦が終わり、約10年後の2001年に9・11同時多発テロが起きました。米国はアフガニスタン戦争、イラク戦争に突っ込んだものの結局、撤退せざるをえませんでした。 冷戦後、米国は勝利者、唯一の超大国として胸を張っていました。ところが21世紀に入って気が付いてみると、米国の一極支配の時代はとっくに消え去り、「世界の警察官」として地域に軍事介入する力も失いました。 ロシアもウクライナ侵攻で驚くほどの苦戦を強いられ、黒海艦隊の旗艦まで失いました。「力こそ正義」が間違いだったと思い知らされているのが、今のロシアです。 「大国の横暴」の時代はいま静かに終わりつつあります。世界は全員参加型秩序に向けて歩み始めています。(4面につづく) ロシアはたしかに核軍事大国です。全米科学者連盟(FAS)によると、世界にある核弾頭約1万3千発のうち、ロシアの保有は半数近くとなり、実は米国より多い。一方、その軍事力を支える経済基盤は非常に弱い。GDP規模で世界11位。10位の韓国より経済規模は小さい。「トーシューズを履いた巨人」ともいわれています。 ロシアのプーチン大統領は世界的な原油高騰を追い風に、資源大国・ロシアで長期政権を築いてきました。 ロシアの輸出の85%は原油や天然ガスなどの1次産品です。言い換えると付加価値をつける産業力が弱い。国民が使う医薬品や日用品などの多くは国産化できず、輸入に頼っています。旧ソ連時代とは異なり、ロシアはグローバル市場経済に参入し、ショッピングモールで欧米ブランドを買う大衆消費社会に半歩踏み込んでいます。(つづく)2022年5月15日 「しんぶん赤旗」 日曜版 1、4ページ 「『大国の横暴』時代は終わり」から前半を引用 軍事大国で世界一の核弾頭を保有するロシアが、ウクライナに侵攻して3か月も経つのに、まだ結果を出せずにいるのは、プーチン氏にとって大きな誤算であろうと思われます。巨大な軍事力にものを言わせて他国を支配する時代は終わるのだという寺島氏の主張は、確かにその通りだと思いますが、しかし、危機に便乗した防衛予算増額だの「核の共有」だのと言い出す勢力の活動を制するほどの説得力を発揮できるかどうか、という点では、何か歯車がかみ合っていないのではないかという気がします。
2022年05月31日
日本政府は自国の「子どもの貧困問題」をなんとかしようという意思が全くない現状について、元文科次官の前川喜平氏は8日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 5月6日の本紙が子どもの貧困に関わるいくつかの数字を報じていた。 駄菓子の定番「うまい棒」が1本10円から12円に値上がりした。子どもにとっては大打撃だ。 ひとり親のうち25%が「2月の月収が減少した」と答えた。学校・保育園の休校・休園で休職や時短勤務を余儀なくされたことが原因だ。調査に応じたひとり親の平均月収は13万円だった。 貧困は子どもの学力にも影響する。「授業が分からない」という子どもの割合は貧困層で3倍以上だった。 政府が2019年11月に定めた子どもの貧困対策大綱は、子どもの貧困の指標として子どもの貧困率13・9%やひとり親世帯の貧困率50・8%などの数字を示したが、肝心の改善目標値を掲げなかった。コロナ禍でこれらの数字は悪化しているだろう。 これらの数字は、政府与党がその気になれば一挙に改善できる。児童手当、児童扶養手当、就学援助、高校生等奨学給付金などを、国の予算を投じて抜本的に改善すればよいのだ。改善できるのに改善目標を示さないのは、政府与党に改善する気がないからだ。 同日の本紙は、子どものための新たな省庁と法律に「期待する」と答えた子どもが46・1%という数字も紹介していた。政府と与党がこの期待に本気で応えるとは全く思えない。(現代教育行政研究会代表)2022年5月8日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-子どもの貧困対策の貧困」から引用 安倍晋三議員が首相だった当時、「子どもの貧困問題」を説明する動画を見て感想を求められ「なかなかご苦労をされている様子がよく分かった。政府としても、全国の『子ども食堂』をしっかり応援していきたい」と述べて、その場にいた記者の諸君は開いた口がふさがらない思いだったのではないかと推察した次第です。政府がやるべきことは、「子ども食堂」の応援ではなく、「子ども食堂」などなくても子どもたちが、せめて食事くらいはしっかり出来るように、児童手当、就学援助等の政策の充実であるという点に「気がつかない」、まことに以て政治家に相応しくない人材であったと思います。しかし、これは一人安倍晋三議員に限ったことではなく、あまねく自民党議員が抱えている「問題」ではないかと思われます。
2022年05月30日
明治天皇の子孫であることを鼻に掛けて普段から朝鮮人を差別する発言をしている竹田恒泰が、「自分を差別主義者呼ばわりするのは名誉毀損だ」などと言って歴史家の山崎雅弘氏を訴えた裁判は、原告敗訴になったのであるが、同裁判の被告を支援してきた神戸女学院大学名誉教授・凱風館館長の内田樹氏は、8日の東京新聞コラムに次のように書いている; 作家の竹田恒泰氏が戦史研究家の山崎雅弘氏を名誉毀損で訴えた裁判が2年3ヵ月をかけて先月終わった。私は山崎氏の裁判を支援する会の代表として裁判の行方を見守ってきたので、完全勝訴の報に深く安堵した。 勝訴した側か言うのもおかしいが、これは司法が判定を下すべき問題ではなかったと思う。ことが2人の言論人の間で起きた事件だからである。 ◇ ◆ ◇ 問題になったのは山崎氏が竹田氏に対してなした「差別主義者」という論評の当否である。竹田氏自身言論人である以上、他者がなした論評の当否については言論をもって弁じるのがことの筋目だったと私は今でも思っている。司法に訴えるのは、それ以外に理非を明らかにする手立てがなかった場合に限られるのではないのか。 というのも、竹田氏が言論で山崎氏に反論することは少しも難しいことではないからである。彼が差別主義と戦ってきた事例を一つ挙げるだけでも、あるいは隣国の人々や在日外国人たちから「竹田氏は私たちの権利と自由を守るために戦ってくれた」という感謝の証言を一つ引くだけで、竹田氏を「差別主義者」と呼んだ山崎氏の論評が事実無根のものであることは論証できた。 しかし、竹田氏はそのような簡単で効果的な言論による反論という手立てをとらず、山崎氏の論評によって受けた被害について数百万円の賠償を求めた。 結果的に地裁、高裁、最高裁は山崎氏の論評は名誉毀損には当たらないという常識的な判断を下した。「原告の思想を『自国優越思想』と表現することは、論評の域を逸脱するものとはいえない」「原告の思想を『差別主義的』とする被告の論評は相応の根拠を有する」「原告が元従軍慰安婦につき攻撃的・侮蔑的な発言を繰り返し、在日韓国人・朝鮮人につき、犯罪との関連を示唆したり、その排除に関する発言を繰り返していることに照らせば、これらの発言を人権侵害の観点から捉えることについても相応の根拠を有するものである」といった地裁の判決文を読めば、この訴訟がはじめから無理筋のものであったことはわかる。 私が不審に思うのは、このような判決が下ることを原告はまったく予想していなかったのかということである。もし相当の確率で敗訴すると知りながら言論の場での反論を回避して、あえて訴訟という手段を採ったということであれば、これは「スラップ訴訟」だったということになる。 ◇ ◆ ◇ 「スラップ訴訟」というのは権力 ・財貨・人脈などにおいて優位にある者が、そのような社会的基盤をもたない市民の生業を妨害し、言論や社会活動を萎縮させるためになす訴訟のことである。どれほど不当な訴えでも、一度被告になれば、弁護士を雇い、書面を準備し、長い時間を裁判のために費やさなければならない。山崎氏の場合は2年3ヵ月と数百万円の裁判費用を要した。勝訴してもこれは返ってこない。資力のない市民にとっては耐えがたい負荷である。さいわい、山崎氏の裁判には1400人の市民から総額1200万円の寄付が集まり、裁判費用全額を支弁することができた。だが、同じことを誰もが期待できるわけではない。この判決を機に司法を道具的に用いる弊風が改まることを私は強く願う。2022年5月8日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-裁判を終えて」から引用 この記事の始めの部分に筆者が書いている通り、2人の言論人の間に起きた問題であれば、これはわざわざ裁判に訴えるまでもなく、竹田恒泰が自分の過去には「このように差別と闘った経験がある」というような事例を一つあげれば、それで山崎雅弘氏の竹田恒康評は間違いだということが証明できて、それをもって竹田は山崎氏に対して「発言の撤回と謝罪」を堂々と要求できたのであったのだが、竹田にとって残念なことに、彼が差別主義者であることを証明する事例は山ほどあるのに対し、彼が「差別と闘った」ような形跡はまったく存在せず、そのことは誰よりも本人がよく知っているわけなので、そういう常識的な「対応」は諦めざるを得ず、後は「腹いせに裁判に訴えてやった」という所だと思われます。記事の後半で、筆者は「このような判決が下ることを原告はまったく予想していなかったのか」と、率直に書いているが、多分、竹田は「もしかしたら、勝てるかも知れない。なにしろ、オレは明治天皇の子孫だし・・・」くらいの考えしかなかったであろうことは、普段の軽薄な言動からも容易に想像できます。もう、この程度の「人物」をメディアが「高貴なお生まれだから」などといってチヤホヤするのは、止めるべきだと思います。
2022年05月29日
ウクライナの紛争に関連して、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は7日の同紙に、次のように書いている; 勝海舟晩年の時局談話集「氷川清話」に幕末、帝政ロシアが武力で対馬を占領しかけた事件を外交で解決した回顧談が出てくる。 朝鮮半島と九州、日本海と東シナ海を結ぶ要衝・対馬は、西欧列強から日本進出の足がかりに虎視耽々(たんたん)と狙われていた。桜田門外の変の翌年、ロシアの軍艦が修理を口実に対馬の湾に居座った。測量し、小屋を建て、土地の者に乱暴し、退去を迫ると開き直る。「事実上占領されたも同然」(海舟談)となった。 クリミア戦争でロシアが英仏などに敗れて間もない頃。幕府の外交官たちは半年後、巧みな外交術で対抗勢力の英軍艦を現地に向かわせ、ロシア艦撤退に成功する。幕末の対馬は、第二のクリミア半島になっていたかもしれないのだ。 後に「これが彼によりて彼を制すさ」と説く海舟は、新聞に談話を公にした前後、日本中が沸き立っていた日清戦争の勝利を危惧し、戦後の三国干渉を予見していた。 日本海軍の創建者は、軍事の何たるかを知ればこそ、いかに武力を使わず争いを収めるかを考えていた。その思想は、あの江戸城無血開城に通じる。長い後半生「意気地なし」「変節漢」の悪評は絶えなかったが、「ご勝手に」と受け流した。 ロシアのウクライナ侵攻で、にわか軍備信奉者が増えた。ロシアの隣国日本も明日は我が身、武力には武力でとばかり「反撃能力だ」「核共有だ」「憲法改正だ」と政治家があおり立て、世論は浮足立つ。 政治家は今こそ外交を論じるべきだが、あいにくとんと聞かない。為政者に論じる力がないのは、聞く側にも聞く力、問う力がないからだろう。外交論抜きの半可通な軍事放談ほど俗耳に入りやすいものはない。 * * 世界注視の激戦地、ウクライナ東部ドンバス地方で近年何が起きていたか。5月下旬から順次全国公開の映画「ドンバス」の試写を見た。 敵対勢力からの攻撃を演出するフェイクニュースの撮影現場、支援物資を隠匿する病院、前線で小突き回される外国人ジャーナリスト、検問所で裸にされる男たちの列、地下でのすさんだ避難生活、武装勢力に乗用車を接収される自営業者ら……。見ている心もささくれ立つ。 2014年、首都キーウの反政府デモはマイダン(広場)革命に発展し、親ロシア派大統領が逃亡すると、プーチン大統領はクリミア半島を一方的に編入。並行してドンバス地方の親ロシア勢力(分離派)の独立宣言と武力支配を軍事・財政両面で支援した。以来、同地ではウクライナ軍との内戦が続いていた。戦争は今年始まったわけではない。 ウクライナ出身のロズニツァ監督はドキュメンタリー映画専門だが、本作は実際起きた地域崩壊の現実を13の物語に構成し、俳優に演じさせた。18年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞している。 ぞっとするのは、日常を非日常が急速に浸食しても、人々が不条理を黙々と受け入れていく従順さだ。ウソ、腐敗、脅迫、憎悪が当たり前になっても社会は続く。それくらいは日本にもないわけではないが、非日常社会が人間性喪失の一線を越える致命的な契機は、熱狂と暴力だ。 規律に違反した武装隊員は仲間たちから次々にムチ打たれ、縛られた捕虜は民衆から殴る蹴るのリンチを受ける。いずれも白昼の街頭で、遠巻きに眺める通行人、歯をむき出しにはやし立て、記念写真を撮る老若男女の顔こそ恐ろしい。従順だった人々は、じきに非日常社会の担い手となる。初めは互いを誘い合いながら、やがて自ら率先して、そうした行為に加担するようになる。 ロシアの蛮行は許されないが、戦争に至った経緯や両国の歴史を知れば知るほど、正義と悪の二元論で語れない複雑さが沈黙を強いる。 * * 戦争が外交の延長なら、外交は政治、政治は生活の延長である。戦争の影は始まる何年も前から、日常の間に潜んでいたに違いないのだ。 ロシア世論の圧倒的なプーチン支持を、強要されている、だまされていると決めつけるのは単純すぎる。ソ連崩壊から30年。チェチェン紛争やシリア内戦など陰惨な戦闘を経験してきたロシア人が、何が起きているか知らないはずはない。それを支持するロシア社会の日常は、いかに長い歳月をかけ、言論封殺と暴力に対してマヒさせられてきたか。 昨年秋に出た奈倉有里著「夕暮れに夜明けの歌を」を読むと分かる。こんな時代にもかかわらず、いやだからこそ、文学を探しにロシアに行き、08年日本人で初めて名門の国立ゴーリキー文学大学を卒業した日々の淡々とした回想記である。 研究に沈潜した生活にも、ロシアをむしばむテロや戦争、貧富、宗教、愛国主義の刃先は刺さる。日常が切り裂かれる体験は、なまじの政治リポートより生々しく独裁体制下の精神的退廃をあぶり出す。こうして戦争国家は作られるのか。奈倉氏翻訳のロシア語小説には、民主化デモと弾圧を予見した作品もある。文学の力は侮れない。(専門編集委員)2022年5月7日 毎日新聞朝刊 13版 8ページ 「時の在りか-文学を探しにロシアに行く」から引用 この記事の冒頭に書かれた勝海舟のエピソードは、大変示唆に富んでいる。徳川幕府の外交官は、明治の政府の外務省より外交に長けていたように思われ、明治維新などやらなくても、徳川幕府自身が国家の近代化に取り組んだほうが、その後軍部が変に勢いを付けて東アジア侵略に乗り出すような愚行を避けられたのではないかと悔やまれます。それにしても、長い歳月をかけて言論が封殺され、暴力で支配されたロシアの社会が、国内世論で為政者の暴走を抑えられなくなってしまったというのは、他山の石としてわが国も学ぶべき点が多いのではないかと思います。モリカケ・桜、学術会議任命拒否等々、うやむやにすることに慣らされてしまえば、日本は「何時か来た道」に逆戻りすることになりかねません。
2022年05月28日
久しぶりに朝日新聞を開いたら、次のような投書が目に止まった; ウクライナからは日々苛酷(かこく)な状況が報道され、私たちは怒りと悲しみをもってそれに接しながら、どこかで遠い国の話としてとらえているところがあります。しかしロシアの現状は、先の大戦時の日本の姿と何と酷似していることでしょう。 「アジアの解放」「大東亜共栄圈」実現のための義の戦いだと刷り込まれ、批判は一切許されず、時には死をもって国に殉じることを求められ、国民は個を抑えて戦争に協力する日常に耐え、必勝を信じこまされました。しかし戦争はある日突然、勃発するのではなく、じわじわと準備され、気づいたときには後戻りできない網の目が張り巡らされ、報道も権力によってその使命を果たせなくさせられている……。私たちが、敗戦という国民の犠牲の上に手にした日本国の平和や安寧は、私たちの不断の努力によって守らない限り、「ロシアのようには絶対ならない」という保証はないと思います。 日本学術会議の任命拒否や森友・加計問題では、説明もなされずその責任も明らかにされないままです。私たちが不断の努力を怠れば、日本もロシアのようになりかねない。改めて肝に銘じたいと思います。2022年5月17日 朝日新聞朝刊 13版S 12ページ 「声-過去の日本の姿と似たロシア」から引用 この投書は大事なことを世間に訴えていると思います。わが国の平和と民主主義は、不断の国民の努力があって実現するものであるとの文言は、憲法にも明記されている「真実」ですが、果たして私たちは憲法が求めるような「不断の努力」をしているでしょうか。学術会議会員の任命拒否や森友・加計問題の説明拒否などを放置することは、「不断の努力」を怠っているということになるのではないでしょうか。「夫婦そろってアタマを下げて来るなら、入れてやってもいい」などという了見では、平和と民主主義は守れないのではないかと思います。
2022年05月27日
新興5カ国の外相会議で、中国の外相がウクライナを武器支援する欧米を批判したと、20日の朝日新聞夕刊が報道している; ロシアや中国、インドなど新興5力国(BRICS)外相のオンライン会合が19日開かれ、議長国・中国の王毅(わんいー)国務委員兼外相は「武器を送ってもウクライナに平和は訪れない。制裁で欧州の安保の苦境は解決しない」と述べ、ウクライナへの武器支援や対ロ制裁に動く米欧を批判した。 中国外務省によると、王氏は「国際経済と金融を武器として使い、他国に対してどちらの側につくかの選択を強いることに反対する」と発言。対口圧力を同盟国や友好国に呼びかける米国などを念頭に「両国の衝突を利用して、対立をあおる行為を警戒しなくてはならない」と訴えた。 BRICS外相会合の共同声明では、ロシアとウクライナの対話に支持を表明。「各国の主権、独立、領土保全を尊重する」との文言が入った。 一方、ロシア外務省の発表では「ラブロフ外相が、ウクライナ情勢の基本的な評価と(ロシアでウクライナ侵攻を指す)特別軍事作戦について詳細に説明した」と触れただけだった。2022年5月20日 朝日新聞夕刊 4版 10ページ 「『武器送っても平和訪れない』中国外相、米欧批判」から引用 武器を送っても平和は訪れないというのは、まったくその通りで、米欧は武器支援ではなく停戦のための話し合いにこそ尽力するべきと思います。しかし、ゼレンスキー政権が出現する直前までのウクライナは親ロシア派の人物が大統領を務め、ゼレンスキー政権成立と同時に国外亡命したというような話を聞くと、ウクライナ問題はなかなか複雑な問題を内包しているのだなと、つくづく感じる次第です。
2022年05月26日
国政選挙のときの候補者と有権者は、何を考えて行動するのか、朝日新聞編集委員の秋山訓子氏は16日の同紙夕刊に、次のように書いている; 「政治家と家族たち」というシリーズ記事をお届けした。国政、地方の政治家の妻や夫、子どもたちに話を聞き、彼らが何を思い、どんなことをしているかを探ることで、日本の政治文化や政治土壌が見えてくるのではと考えたからだ。 きっかけは、私が2月に林芳正外相の妻、裕子さんのことを本紙「ひと」欄で書いたことだ。裕子さんは、夫の支援のための地元回りなどに加え、自分もキャリアを追究したいと博士号を取得し、大学などで教えている。でも、それを最近まで公にしていなかった。「夫のサポートをしていないと思われるといけない」からだった。 * 日本はご存じのように女性の政治家が非常に少ない。古典的な性別役割意識がまだまだあるのも理由の一つだが、政治家本人のみならず、配偶者までそうなのかもしれない。しかも林芳正氏は抜群の選挙の強さを誇る、それでもなお……という驚きがあり、そこも主眼にして記事を書いた。 すると、さまざまな反応をいただいた。たとえばポジティブなものは「こんなふうに仕事を持っている政治家の妻がいるとは知らず、うれしかった」。ネガティブなものは、夫が首相になっても仕事を当然続ける、という彼女が「鼻につく」……。いずれにせよ、このテーマは人の心をざわつかせると考え、取材を始めた。若手の記者にも加わってもらい、取材対象も妻だけでなく、夫や娘、息子と広げた。 改めて感じたのは、野党で自民党の強い地域で当選している議員が本当に少ないということだ。そういう議員の家族が何をしているのか取材したいと考えたのだが、そもそも対象となり得る人が極めて限られる。 そして、その数少ない例外の人たちは、すさまじく地元活動をしていた。前回の総選挙後、「立憲民主党が共産党と候補者を一本化したことが、当選にプラスなのかマイナスだったのか」という議論がおこったが、そんな問題は吹き飛ぶほどに彼らは選挙区を回りまくり、そのうえで当選していた。当然のように家族も巻き込んで。そこまでして、命を削るようなたたかいをしたから当選したのかもしれない。 * もともと仕事を持っていたが、夫が選挙に出るにあたって退職し、夫と一緒に地元に移った野党の政治家の妻の話を聞いてみたくて取材を申し込んだ。が、断られた。それも複数。なぜだろう。 推測だが、おそらく彼女たちも仕事やキャリアに対する思いはあったはずだ。それを断ち切って夫の選挙区に行くには、相当の迷いや覚悟もあっただろう。話すにはまだ生々しいし、それに地元の反応も気になるということだろうか。 そう、与野党を問わず、この記事のことを話した政治家によく言われたのが、地域性もあるが「地元の有権者にどう思われるか」ということだった。政治家の家族が、自分のキャリアを犠牲にし、あれこれ悩んだ末に選挙の応援や地元活動をする。それに対して有権者はどう反応するのか。「家族も一緒に頭を下げて頼んでくるから投票してやってんのに、地元に来るのに苦しんだとか葛藤したとか、どうでもいい。というよりもはっきりいってふざけんな、って話。そんなやつに票を入れてやるか」というわけだ。 むろん、政治家というのは権力を行使する存在で、そういう人を選ぶには厳しい目が必要なのは言うまでもない。だが、選挙区ではその反転を思わせるようなことも起こっていた。権力をふるう存在なのだから、家族そろって頭を下げて頼んで来い……?(以下、後半は省略)2022年5月16日 朝日新聞夕刊 4版 2ページ 「Another Note 政治家と家族から見える、日本の民主主義や有権者」から引用 日本人の政治文化や土壌というものは、驚いたというか呆れたというか、「なるほど、こういうレベルの層もまだまだ『健在』だったのか」と「目からウロコ」の気分である。国政ともなれば、どのような方針と政策で国の将来をどうするのかとの観点から、どの候補者の政策が最善なのか選択するものと思いきや、そんな「政治の話」は二の次で、「夫婦そろってアタマを下げてくるなら、入れてやっても良い」というのでは、高齢者対策はこれでいいのか、福祉予算を削って防衛費を増額するのは是か非か、などという「判断」は皆無で、与党が大企業・富裕層を優遇する政治を継続しても、支持率を落とすことはなく、安定多数を確保して悪政を継続できる仕組みが、ここに存在するわけである。これでは、戦前の過ちを再び繰り返すことも、当然あり得ると考えるほかはない。
2022年05月25日
今月13日に公開された映画「教育と愛国」について、文芸評論家の斎藤美奈子氏が4日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 3月20日の本欄で前川喜平さんも紹介していらしたドキュメンタリー映画『教育と愛国』はゾッとする場面満載だ。 2012年2月、大阪で開かれたシンポジウムで「(教育に)政治家がタッチしてはいけないのかといえば、そんなことはないわけですよ。当たり前じゃないですか」と語る安倍晋三氏。同席しているのは当時大阪府知事に就任したばかりだった維新の会の松井一郎氏だ。自民党が下野していた時期の話で、当時の安倍氏は一野党議員にすぎなかったとはいえ、大阪で、維新の会と結託する形で、教育への政治介入が先行していたことにシヨックを受ける。 在阪の毎日放送(MBS)が制作した番組『映像’17教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか~』に最新の取材を加えた衝撃作。監督の斉加尚代さんは20年以上教育現場を取材してきたMBSのディレクターである。余談だが、18年公開のドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』を監督した三上智恵さんも以前MBSの社員だった。斉加さんとは同期の均等法第一世代2人は今も「唯一無二の戦友」という(松本創『地方メディアの逆襲』)。 在京のテレビ局が軒並み権力に屈したように見える中、満を持して発せられた大阪発の警告である。劇場公開は13日から。教育の現状を知るために多くの方に見てもらいたい。(文芸評論家)2022年5月4日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-大阪からの警告」から引用 この記事は短文のエッセイだから、という制約があるとは言え、もう少し具体的に問題点を指摘するべきではないかと、私は思います。問題は2012年の安倍発言で、これは完全に間違っている。政治家が教育問題に関わることが適切と考えられる範囲は「すべての国民が平等に教育を受けること」が可能になるように便宜を図り、施策を実施することであって、個々の教育現場で教員が生徒に何を教えるのか、という「内容」に政治家は口出ししてはならない。ましてや学術研究の成果として「従軍慰安婦」という用語が、当時私用されていたという史実に基づいて、そのように記述した教科書を、政治家が「印象が悪いから」などという理由で書き換えを命令するなど、あってはならないことです。それがまかり通っている現状は、正に非常事態だという危機感が必要ではないかと思います。
2022年05月24日
一昨日、昨日と引用した水谷研次氏のインタビュー記事の続きは、民主的に運営されるはずの「連合」の信じがたい内部事情を、次のように語っている;――連合を作ろうとする段階で、左派や社会主義協会派は「右翼的再編」と言って批判しました。今考えると、その指摘が間違っていなかったということでしょうか。水谷 ただ、右翼的再編という言葉は、投げかけられたものだけではなくて、体質的にもそうならざるを得ないものを持っていたのだと思います。もともと内在的にあったのですね。そうでなかったら、そう簡単に体質は変わらなかったでしょう。日本が「豊か」になったこともありますが、我々自身がそういうふうに流されてしまった弱さがあったのです。若い人が魅力を感じなくなるのは当たり前だと思います。 10年以上前からの傾向ですが、全労協全国一般南部の委員長が、労働相談に来る人を組織化できないと言っていました。女性の委員長ですが、彼女はこの間女性労働相談をずっとやっています。そこに相談しにやって来る人は、かなり多くがメンタルの状況だそうです。労働相談に来た人たち自身が団結して、自分たちで立ち上がって闘うというレベルではなくて、もうボロボロになっているのです。非正規労働者と言われる人たちは、逆らったらその時点で雇用を打ち切られるので、労働者にとって最も重要な労働三権が非正規労働者には実質的にないのです。徹底的に痛めつけられていて、一番の敵が正社員だと言うのですから、本当に厳しい状況だと思います。■まだまだ捨てたものじゃない――最後に、政治の方のお話を伺いたいと思います。神津さんが会長の頃の連合は、少しはバランス感覚もあったような気がしますが、芳野会長になってからは非常に悪い方向にいったと思います。昨年の総選挙の際には連合中央が野党共闘の足を引っ張り、連合の新年会には岸田総理を招いて挨拶をさせて野党は挨拶させないとか、7月の参議院選挙に向けて支持政党を明確にしないとか、今までの労組の常識では考えられないことが立て続けに起きています。連合と政治の関係で思うところをお話しいただけますか。水谷 いま、連合の組合員に支持政党はどこかと訊けば、無しか自民党だと答える人が最も多いと思います。それだけ保守化か進んでいるのです。だから、国民民主党が予算に賛成するという対応をしたのもわかる話なのです。これを言ってしまうと身も蓋もないのですが、まず組合員が投票に行きません。産別で組織内候補を出しても、それを当選させるのはもはや簡単ではありません。例えば、選挙の時に組合員から「なぜ投票しなければならないのですか」と言われても、役員は簡単には答えられません。「私のために何かしてくれたのですか」と言われてしまうという酷い状況です。産別で確実に票が読めるのは電力総連ぐらいしかないと思います。 政治との関係で言えば、立憲民主にしても国民民主にしても、連合を頼りにするのは票ではありません。選挙の時にただでポスターを張ってくれるとか、パーティ券を買ってくれたりすることを期待しているのですが、それもだんだんきつくなっているのです。立憲民主の議員なんかは、みんな異口同音に「票はあてにならない」と言いますね。 私も、先日の連合本部の政治方針には唖然としました。それは、政党支持を明確にしないということよりも、「ここの政党とは一線を画す」という口頭報告があったことです。これはあまりマスコミに書かれなかったのですが、「一線を画す政党とはどこですか」という話になったとき、最初の回答は共産党と維新でした。ところが、芳野会長は記者会見で「共産党はダメだ、でも維新なら」みたいな言い方をしたそうです。どう考えても、維新は共産党より酷いですよね。組合潰しをあそこまでやった政党がまだ良くて、共産党は絶対ダメというのには絶句しましたね。 中央執行委員会の前のオンライン討議では、さすがに全水労と全国ユニオンは方針に対して疑問があると言ったそうですが、他の単産はどうだったのでしょうか。今はオンラインでの会議なので、一週間以内に疑問があるところは文書で出せといったやり方をしています。職場で議論がないのと同じように、連合本部自体も議論がないのです。1979年の結成以来、連合はそういうところはありました。議論がある場所は、親分衆が集まる三役会議だけでしたが、そこでの議論はオフレコで議事録も公表されません。本部レベルでもそんな状況ですから地方連合などで公然と意見を言い合うことはほとんどないのです。――それは、怖くて政治方針を議論できないのですか。水谷 そういうことよりも、三役会議で親分が決めたごとに対して下はモノが言いづらいのです。連合自身も禄高主義で民主主義的な要素があまりないのです。つまり組合員の多い大きな単産が三役になって、そういう所の意見がメインになっているのです。連合の会議の席次は、組合員の多い所から順番に座りますからね。だから組合員の少ない所は末席になるのです。それを民主主義と呼べるでしょうか。――そういうお話を伺うと、なかなかこの先の見通しが明るくないのですが、それでも希望はもちたいので、最後に魅力ある労働運動を提起してもらえませんか。若い人たちを少しでも引き付けていくにはどういう方策があるのか、現役世代へのアドバイスをお願いします。水谷 今は元気なところがいくつかあります。一つは女性です。女性のネットワークが結構頑張っていて、それに弁護士や市民も参加して運動を作っています。これまで労働組合は圧倒的に男の世界でしたので、酒を飲まなければやれないようなところが相変わらずあると思います。でも、女性は本音で喋ることができるので、これからは女性の運動が重要になってくると思います。連合結成で唯一の成果といえば女性の権利拡大というか、ジェンダー課題かもしれません。 そして、外国人と連帯した運動も重要です。外国人支援で集まっている労働組合はまだ少ないけれど、頑張っているところはありますし、大変だけど成果をあげています。支援するのではなく、外国人労働者と一緒にどう頑張れるかが大きいと思います。新たな労働運動として一つの展望が見出せるとしたら、そこだと思います。 もう一つは地域ですね。いま元気なところは、地域が軸になっているコミュニティユニオン、まだいくつか残っている地区労、全国一般が頑張っている地域、そういうところは元気です。この3つが重要なポイントだと思います。 実は、そういう地域の強い運動を潰したいがために連合が作られたこともあるのです。初代連合事務局長の山田精吾さんは、総評に対して「全的統一をするのであれば地区労を潰しなさい」と言いました。地区労を潰せば社会党が潰れるということですが、まさに社会党は潰されました。そして地区労、地県評を軸にした運動ができなくなったのですが、いざ連合が結成されたら、地域で運動がないというのはやっぱり間違いだったと、最後は山田精吾さんも反省したと聞いています。それで連合も地域組織をもう一度作るようにしたのですが、もう時既に遅し、でしたね。 例えばということで実名を出して恐縮ですが、自治労全国一般北九州・福岡という組織は非常に頑張っています。労働相談から争議や選挙も合めて活動家も集まり、連合の枠を超えて共闘を進めています。また北海道は、地域で組織が根強く残っていますね。それから、昨年面倒な争議を勝ち取った長崎バスユニオンという組合があります。これも、長崎地区労という非常に強い地区労が残っておりその支えもあって勝てたのです。会社寄りになってしまった既存組合のせいで不当解雇や、人権無視の厳しい労務管理が行われる中で、その既存組合から68名が脱退し、組合員の雇用を守る真っ当な新しい組合を結成し、裁判や労働委員会に勝利する中で和解解決。その後既存組合からの脱退が相次ぎ今や組合員数は倍増超し、170名を突破したそうです。 これは、さすが長崎だと感心しましたが、ユニオンの組合員が赤腕章をしてバスに乗務すると、市民の人たちが「頑張れ」と言ってくれたそうです。そういう市民の支援があって、また長崎地区労の支援もあって全面勝利したのです。長崎バスユニオンの争議を見ると、まだまだ捨てたもんじやないな、と思います。 本来、労働組合とは働く者にとって無くてはならないシステムでありツールのはずです。ヒトは弱い生き物で、共同体として支えあわなければ生き残れませんでした。労働基準法と労働組合法は、人間社会の必須要件なのです。しかしその原点がどんどん失われつつあり、労働組合もいつの間にか特権的な利益集団のように思われています。 ですから、何よりもすべての働く者を大事にし、排除や選別ではなく、市民といかに共闘できるかだと思います。昔の運動を知っている年寄りが頑張っている間に、地域にも根差した形での労働組合運動を作らなくてはなりません。それが作れないと、すべて終ってしまうと思うのです。月刊「マスコミ市民」 2022年4月号 24ページ 「労戦統一、連合誕生で弱まった労働組合の力」から後半部分を引用 連合の組合員は選挙があっても投票には行かないというのは、呆れた話です。そもそも就職した会社がユニオンショップ制だから、仕方なく労働組合に入っただけで、出来るなら役員などやるものじゃないし、時間が拘束される分迷惑だ、というような認識のようで、そうすると、要領の良い者はテキトーにパフォーマンスをやって「労組役員」を出世の「手段」に使ったりして、そういう組織のトップが自民党寄りになるというのは、当たり前と言えそうです。こんな労組では「会社と対等な立場で賃上げ交渉」など出来るわけもないし、若い新入社員も労働組合の「恩恵」など感じることはないでしょう。やはり、労働者の団結は「共に頑張って、困難を打開しよう」という体験が元になって生まれるものであって、経営者となれ合っている「組合」ではまったく意味がないと言えます。全国各地で活動するユニオンが、新しい労働運動に成長することを期待したいと思います。
2022年05月23日
高度の経済成長を成し遂げた日本で、何故労働運動が衰退したのか、昨日の欄に引用した水谷研次氏のインタビュー記事の続きは、次のように述べている;■総評・社会党潰しの国鉄分割民営化――連合のお話も出ましたので、1970年以降の民間先行での労働戦線統一について伺います。政策推進労組会議に端を発して、全民労協、全民労連から連合へという流れの中で労働戦線の統一を目指していきますが、結果的には共産党系の全労連が出ていき、全労協も分かれて行ったことで、全的統一とは程遠い形になりました。その過程では、地域の中で重要な役割を果たしていた地区労もなくなってしまいました。その辺は水谷さんのご苦悩があったかと思いますが、振り返ってどのようにご覧になりますか。水谷 総評労働組合運動が華やかなりし頃は、総評の政治局=社会党という時代であり、まさに労働者が力を持った時代でした。政府は、それを潰したかったのでしょう。振り返れば様々なことがありましたが、一番のターゲットになったのは中曽根元首相が仕組んだ国労潰しだったと思います。ストライキをやる公労協の労働運動を潰すために、国鉄の分割民営化がありました。国鉄の赤字云々を口実にしていましたが、もう一つの大きな目的はストをやる闘う労働組合の旗がしらである国労を潰すことにありました。 結局、それに対抗し切れなかったのは国労自身の弱さもありましたが、国労と一緒に頑張るうという産別が少なかったことも大きかったと思います。同じ公労協の仲間である全電通にしても全逓にしても、国労を頑張って支援したわけではなく、また他の官公労や左派産別も力を発揮できませんでした。そんな中、国労を全国で支援したのは多くの地区労でした。全国の地区労が「このままでは大変なことになる」と言って、1千万署名などで国労を支援しました。私のいた東部では下町の両国から隅田川を渡り東京駅までデモをやりましたが、上部機関の統制とは関係なく地区労の要請だけで多くの組合が参加しました。しかし、残念ながら肝心要の国労自身に闘う力がなくなっていき、内部で分裂が起きてしまい、国鉄闘争は敗北に終わってしまいました。当時、民同右派とか言われましたが、総評内部の人たちは「闘う労働運動」を容認するよりも将来的に全的統一をしていく方を選択したのでしょう。 もちろん、「闘う労働運動」と言われる仲間たちにも様々な問題がありました。貧しかった時代から一気に高度成長の時代に入り、3万円以上の賃上げができるようになって労働者自身だんだん豊かになっていくと感覚も変わっていきました。ハングリー精神もなくなっていき、組織された労働者と末組織の労働者の差がどんどん出てきました。職場の中に非正規の労働者が入ってくると、正社員と非正規の間の格差がどんどん拡がっていき、組織された労働者のことだけを考えればいいといった歪みが職場の至る所で起きました。それを正せなかった我々自身の責任も大きいと思います。 私は、70年安保闘争やベトナム反戦運動などの学生運動を経験して、それが下火になる中で労働組合運動に飛び込んでいきました。77年に江戸川区労協に入り、労働運動華やかなりし時代を作ろうと思い、70年代後半から80年代にかけて必死で活動してきました。当時の地区労は、総評の良き伝統を作り上げていました。企業別の労働運動にさせないためには、企業の壁を乗り越えることが一番の力になります。自分たちの会社のことだけではなく、いかに他の労働者のことも考える運動にするかが、地区労運動の大きな役割でした。 総評が解散するまでの間、年に一回総評が主催して「地区労運動全国交流集会」をやっていました。それぞれ各県の地区労が競争して、地域の新たな運動を発表するのです。例えば、私たちは1980年に東京東部の葛飾区労協が提起して「パート110番」に全体で取り組み始めました。当時は、パート労働者の問題はまったく着目されていなかったし、パート労働者の組合加入までは考えてもいなかったのですが、パートの方々の様々な相談に応えようとしたのです。それを全国集会で発表すると、全国の地区労が「これは面白い」と言って、皆やるようになりました。83年には相談だけではなくて仲間に入ってもらって一緒に運動をやらなければいけないということで、今のコミュニティユニオンのさきがけである江戸川ユニオンを結成しました。それを紹介したら、一挙にコミュニティユニオンの動きが全国に広がっていったのです。 さらには東京大空襲の問題も提起し、82年には「再び許すな東京犬空襲!反戦平和の集い実行委員会」を市民と共に結成し、浅草国際劇場で5千名集会を開催しました。それまでは反戦・平和運動といえばヒロシマ・ナガサキが一つの軸でしたし、ベトナム反戦もありましたが、地域に根差した反戦平和運動はあまりなかったのです。そこで、1945年3月10日に東京大空襲というものがあったことを運動として示していきました。超党派の市民と一緒に東京大空襲の運動を始めたら、それぞれの地域での空襲にかかわる運動が全国に繋っていきました。地区労はそういうこともやってきたのです。もう一つ軸として続けてきたのが争議支援です。ペトリカメラやパラマウントなどのいわゆる倒産・自主生産争議の支援活動や地域の様々な解雇などの争議支援をやりましたが、これが実に面白いのです。工場を占拠して、地域の労働者をそこに集めてその工場を守っていく。官公労働者も民間労働者もみんなその工場で一緒に泊まり込んで、酒を飲みながら工場を守りました。地域の若い労働者は「こんな面白い運動があるのか」と言っていましたが、とにかく運動は面白くなければ話になりません。 大分県にある佐伯造船の倒産争議をやった時は、支援してほしいといって全造船佐伯分会の労働者が支援要請に来ました。そこで我々は佐伯造船の親会社である石川島播磨重工に乗り込もうと言って、全国から本社に攻めこみました。当時の東京総行動には昼休みデモに1万人の人が集まったのです。そして、今度は佐伯現地に行こうじやないかとなって、そのために東京から船一隻を借り切りました。大分県評や佐伯地区労とも相談して、大分に行くためのお金を作るために九州から芋や麦焼酎、イリコなど東京では珍しい食品を取り寄せ、それを売ってお金を集めました。そういう新しく面白いことやると組合員がみんな成長するのですが、今はそういう刺激的な運動がまったくありません。■労戦統一で弱まった労組の抵抗力――労働運動が隆盛だった頃は組合の組織率も40%ぐらいあったと思いますが、それが80年代には30%を切り、2000年代に入ると20%を切って、ついに今や18・9%という状況です。ここまでどんどん組織率が減ってきたのは、どのあたりに原因があったとお考えですか。水谷 一つは、非正規労働者が正規労働者の代替でどんどん職場に入って来て、その人たちを仲間として組合に迎え入れることができなかったことにあるのではないでしょうか。また、産業転換でいくつもの産業が企業ごとどんどん潰れていったこともありました。そもそも戦争直後の組織率は7割でしたが、GHQの方針転換によって労働組合潰しは進んでいきましたので、いろんな要因があって組織率は減っていったと思います。 我々の時代は、労働組合は民主主義の学校だと学びましたが、今はそういう労働組合運動はなくなりました。労働組合運動で一番大事なものは団体交渉でありストライキを含む団体行動であって、職場にきちんとした労働組合を根付かせることです。そのためには職場委員会や職場討論によって、職場で労働組合が生き生きと根付いていくシステムを作ることですが、その職場委員会や職場討論が今はほとんどありません。 かつての全逓などは、職場で労働組合の機関紙を毎日発行していました。職員に職場新聞を配って、組合員の獲得競争をし、職場で当局との力関係を築いていたのです。国労にしても自治労にしても、職場で如何に組合員を獲得・強化するかという競争をしていました。そういう職場討論や機関紙活動があったのですが、今や職場で労働組合を根付かせ強化するための運動は何もありません。それでは労働組合が強くなるわけがありません。政府や企業側が攻撃をかけてきたこともあるとは思いますが、それに対抗する労働組合運動がどんどん弱まっていきました。その最たるものが実は労戦統一ではなかったかと今にして思いますね。(つづく)月刊「マスコミ市民」 2022年4月号 24ページ 「労戦統一、連合誕生で弱まった労働組合の力」から中間部分を引用 貧しかった時代から一気に高度成長の時代になり、3万円以上の賃上げが出来るようになると労働者の感覚も変わった、などと言われると、なんだか「おごれる平家は久しからず」みたいな気分になりますが、パートタイムや非正規社員も平等に労組の一員として迎えるというような、したたかな戦略が必要だったと思います。損害保険大手の経営者だった品川正治氏は、先の大戦では陸軍二等兵として中国にいたときに敗戦となってシベリアに抑留されたが、ほどなく帰国して東京大学に入り直して、卒業後に損害保険会社に就職し、60年安保のときは労組の委員長として他企業の労組と連携して「安保反対デモ」を指揮した強者であったのだが、そのリーダーシップを見込まれていつの間にか会社役員となり、経営者として経済同友会のトップにまで出世した人物で、昭和天皇が亡くなったときは皇居に招かれて、棺に収められた昭和天皇に「お別れの挨拶」をしたという人物でしたが、そういう有能な人物にこそ、「闘う労働組合」の進むべき道筋を指し示して頂きたかったと思います。
2022年05月22日
賃上げもできない、選挙でも組合の指導力が発揮できない、地域の労働運動もなくなってしまった。労働戦線の全的統一を目指して結成された「連合」は、勤労者のための役割を果たせているのだろうか。賃上げさえも自力ではできず、政府が財界にお願いするようでは、労組の存在意義が根本から問われる。 長年にわたって連合東京のスタッフとして汗をかき、また東京都労働委員会の労働者委員を16年も務めてきた水谷研次氏は、月刊「マスコミ市民」2022年4月号で戦後日本の労働運動の変遷と今後について、インタビューに応えて次のように述べている;■企業別組合になったことが、今に至る致命的な誤り――最初に、戦後の労働運動についてお聞かせいただきたいと思います。戦前は、治安維持法や治安警察法で弾圧された労働組合でしたが、GHQによる戦後の民主化で相次いで労組が結成されていきました。2・1ゼネストの禁止やレッドパージ、総資本対総労働と言われた三井三池闘争での敗北など、様々な挫折はありましたが、それでも総評を中心とした戦後の労働運動は元気だったと思います。まず、その辺の歴史を少し振り返っていただけますか。水谷 戦前の日本の労働組合は、他の国と同じように産業別組合としてできていましたが、それが次々に潰され、産業報国会化してしまいました。戦後になって、GHQは日本を民主化するには労働組合が必要だと考え、労働組合づくりを奨励しました。労働組合がない企業には配給など様々な特典を与えないと言ったので、企業の側からも推奨されて一気に労働組合づくりが進みました。本来は、産業別に労組を作るべきでしたが、GHQのそういう姿勢により、また戦争中の報国会的慣習もあって企業別に組合ができてしまったのです。もちろん産業別の志向はあったのですが、企業が認可した労働組合みたいな形になってしまったことが、今に至る致命的な誤りのひとつになってしまいました。 産業別の労働組合では、当然ながら産業別に労働協約を締結しますが、日本の場合は企業別に組織してしまったので企業毎の労働協約です。産業別の組合であれば、例えば交運の労働者はどこの会社に行っても同程度の労働条件なので、企業に縛り付けられずストライキも容易です。フランスなどは組織率は7‰程度ですが、多くの産業で労働協約の適用率は拡張適用によって8割に近いとされています。だから、労働組合がストライキをやれば皆が支援するわけです。しかし、日本の場合には企業別なので、多くの場合各企業の労働条件はバラバラです。それを打ち破っていくために、かつては私鉄総連が春闘で統一交渉をやって、ストを背景とする闘いをしました。しかし、それが企業別に行うやり方に変わっていったところが誤りでした。総評も同盟も産業別に組織していく志向はあったのですが、実を結ばないまま世界でも非常に特異な形の「企業別労働組合」が定着してしまいました。 次に連合の話になりますが、私は総評・地県評の解散に伴って、1991年に地区労の専従から連合に移りました。そこで遭遇したのは民間中小の世界とはまったく異なる世界でした。例えば、連合東京で労働組合の役員に初めてなった人たちのための新入役員講座で労働組合法についての講座を担当した時に、30人ほどの受講者に対して、労働組合の役員になった経緯についてそれぞれ訊くのです。すると多くの人は、会社がユニオンショップで、入社後自動的に労働組合の組合員になり、何年か経って順番か、あるいは労働組合の役員のなり手がいないので役員になったというのです。つまり、多くは会社も同意の上で組合役員になった人たちです。労働組合の専従役員はほとんどがいわばローテーション制で、下手すれば任期は1期2年、長くても2期4年です。今の時代は長い期間現場から離れると、現場に戻っても役に立だなくなるので、なるべく早く現場に戻りたいというのが今の労働組合専従者の本音です。これでは、労働組合法の講座をやって団結権、団体交渉権、団体行動権という労働三権が重要であることなどを話してもほとんど意味がありません。それが、今の日本の労働組合の主流をなす大企業労働組合の現場実態です。 では、いま何が現場で起きているのでしょうか。昔は団体交渉が当たり前のようにやられていましたが、今は連合の中で団体交渉をやる組合がどれだけあるか、数えたことはありませんがかなり少ないのが実態です。信じられないかもしれませんが、労使協議会ですべてを決めていくのです。労働組合は、労働協約などを締結することで労働条件を獲得していくことが当たり前といわれます。そのために団体交渉を行い、団体行動つまりストライキをやって経営と対等に向き合って勝ち取っていくといわれます。しかし、多くの労働組合はそういう緊張感のある行動はやっていません。かつて労働運動が華やかなりし頃に勝ち取った労働協約や労使慣行の延長線上で、その恩恵にあずかっているのです。これまでに勝ち取った様々な権利である労働協約集を虎の子のように大事にしながら、労使仲良くズルズルと労働運動を続けているのが残念ながら実態です。「今さらストライキなんて冗談じやない」という話で、ストのやり方を知っている人はほとんどいません。皆無かもしれません。それでは労働運動が成り立つわけがありません。旧総評のなごりをもった一部の組合はありますが、ほとんどは組合づくりも団交もやらない労働組合ばかりです。 もっと酷いケースが36(サブロク)協定(時間外・休日労働に関する協定届)などの締結方法です。現在の労働法では労働時間の決め方を含め多くの職場の決まり事は、使用者が労働者の過半数代表者と決めることになっています。労働者の過半数を組織する労働組合があればその労働組合の委員長が代表者になりますが、会社にとってみれば労働者代表がいないと面倒なので、会社が労働組合をつくってしまうのです。息のかかった人間を中心に労働組合を作らせて、労使協議をしたことにして、労働協約などを結んで届け出るのです。――36協定は、労働組合でなくても従業員代表と結べばいいわけですよね。水谷 でも、従業員代表を選ぶには様々な民主的手続きが必要なので、経営者にとっては労働組合があった方がよっぽど楽なのです。ある企業では、総務の横に労働組合の役員の席があって、そこに組合の委員長が座っているのです。それには本当に驚きましたね。極論かもしれませんが、経営者の意に逆らわない、何よりも会社の意向を大事にする労働組合が事実上今の労働運動を支配していると言っても過言ではないと思います。そしてもし、この国からユニオンショップとチェックオフが無くなったら、どれだけの労働組合が残るか疑問です。 かつて総評・同盟が対抗していた時代には、一つの経営体に2つ労働組合がある場合が多く、それぞれが組合員を奪い合い、労働条件の獲得を競い合っていました。例えば郵政には全逓と全郵政があって、「今年はこういう人が郵政省に入ります」となったら、その名簿を両方の組合に開示したそうです。すると、新入社員を獲得するために家まで行って、「ウチの組合に入りませんか」と言って獲得合戦が始まるのです。金属でも全国金属とゼンキン連合は熾烈な競合(組織戦争とさえ呼んでいました)を続け、造船では造船重機労連が、大手の全造船や全金の組合を脱退・消滅させてほぼ一元化を実現化しました。どこの組合も皆そういう関係です。 そういう切磋琢磨や競争が昔はあったのですが、それが連合になって総評と同盟が一緒になってしまうと、そういう緊張関係が一切なくなるわけです。そんな競争をしていることは企業にとってもよろしくないということで、「一緒にやったら」という話になっていったのです。だから、労戦統一といえば聞こえは良いのですが、実態はそういう要素も多く含まれていました。厳しい組織競争をやっていた金属はJAMとして一緒になり、造船や鉄鋼が集まった基幹労連と一緒になって選挙をやっています。労働組合の歴史の中で、華々しい活動をしていた時代と今は大きく変わってしまいましたね。(つづく)月刊「マスコミ市民」 2022年4月号 24ページ 「労戦統一、連合誕生で弱まった労働組合の力」から前半部分を引用 かつて労働組合が総評系と同盟系に分かれていた時代は、総評は社会党で同盟は民社党、ストを打って戦うのが総評で、何かと経営者に妥協するのが同盟系というのが一般的な傾向だったと思います。その総評と同盟が合併して「労働戦線を統一する」などという話が持ち上がったときは「新しい時代が来る」という期待とは裏腹に、「水と油のような相異があるのに、無理やり一つにして上手くいくのか?」という「疑問」がありました。どうも、その「疑問」のほうが「現実」となって今日に至ったということのようです。
2022年05月21日
ヘイトスピーチ禁止条例の制定の是非を審議する相模原市の審議会の委員に、差別被害を受けている当事者である韓国籍の市民が任命されていることを意味も無く問題視する人種差別団体「日本第一党」の不当な活動について、4月27日の神奈川新聞は次のように報道している;◆問題発覚3ヵ月、相模原市実態把握せず 相模原市人権施策審議会の韓国籍委員・金愛蓮(キムエヨン)さんを誹膀(ひぼう)中傷するヘイトクライム(差別犯罪)がやまない。常軌を逸した人権侵害が表面化してから3ヵ月、公然と行われる差別に歯止めがかからない異常事態が続くが、市民の安全と尊厳を守るべき市は、対応の前提になる実態すら把握しようとしていない。(石橋 学) 街宣でレイシストが繰り返す個人攻撃は昨年11月から23回に及ぶ。金さんの存在が不当であるかのようにデマでおとしめ、社会からの排除をあおり立てている。実際にしていない発言を捏造(ねつぞう)しておきながら、加害と被害を逆転させて「とんでもない差別発言」「言論弾圧だ」とさらに攻撃を加えて、敵意を扇動する卑劣極まりないものもある。 1月25日の神奈川新聞の報道を受け、当事者である審議会から「市長が非難声明を出すべきだ」との要請が相次ぐ。が、本村賢太郎市長は2月9日と3月28日の定例会見で一般論を述べただけ。差別者への非難も「金さんを守る」というメッセージもなく、デマの打ち消しにもなっていない。 ヘイトスピーチ問題の第一人者、師岡康子弁護士は「各地でヘイトスピーチから暴力行為へと攻撃が拡大している。金さんへの攻撃も今すぐ止めなければ危ない。市長だけでなく市や市議会、審議会が明確に批判することが必要だ」と危機感を強める。川崎市では在日コリアンの崔江以子(チェカンイジャ)さんの命を脅かす脅迫事件が起き、在日集住地区の京都・ウトロでは民家が放火されるという重大なヘイトクライムまで発生している。 第一党は街宣の動画をユーチューブで公開しており、「インターネットで会議録を見て、どんな人間がしゃべっているか確かめてほしい」と呼びかける姿から「キンのおしりぺんぺんをしようと思う」と危害の実行を思わせる場面まで、金さんを名指しした暴力の扇動はエスカレートしながら拡散を続けている。 だが、相模原市人権男女・共同参画課の認識の欠如と無責任ぶりは目に余る。担当者によると、1月下旬を最後に、その後約20回続いているヘイト街宣の内容を全て確認したり、記録したりしていない。同課は審議会の事務局でもあり「当初金さんにメールで連絡し、面会した。被害者に寄り添った対応をしている」と話すが、対応するには事実確認が欠かせない。ネットの動画を視聴することもしていない理由について、必要性を認識できない様子で「事実確認とは言えないが、新聞報道で街宣が行われたと認識しているので、それ以上のことはしていない」と説明にならない説明をしている。◆金愛蓮さんへのヘイトクライム 金愛蓮さんを攻撃しているのはレイシスト団体「日本第一党」の萩山あゆみ氏。第一党はヘイトスピーチ規制条例の制定阻止を宣言しており、市人権施策審議会で唯一外国籍の金さんを標的にしたのは妨害の材料にするため。制度上も何ら問題がないのに「外国籍が条例づくりに参加している」とデマに基づき言いがかりをつけ、審議会の議論自体が不当であるかのように攻撃している。街宣は毎週1、2回市役所前や相模大野駅前で行われてきたが、萩山氏は今夏の参院選神奈川選挙区で立候補を予定しており選挙演説に名を借りたヘイトスピーチが横行する恐れがある。**おことわり** 記事には差別的な文言がありますが、そのまま報道します。差別の実態を共有し、あらゆる差別を許さない社会をつくっていく一助にするためです。2022年4月27日 神奈川新聞朝刊 20ページ 「韓国籍委員 続く差別」から引用 相模原市でレイシスト団体がヘイトスピーチを始めた当初は、川崎市に負けないくらいのしっかりした「ヘイトスピーチ禁止条例」を作りたいと心強い発言をしていた本村賢太郎市長は、何時どこから、どのような圧力があったのか、今ではすっかり消極的になってしまい「最近は、そんなにひどいヘイトスピーチは聞かなくなった」などととぼけた発言をしているのは、気掛かりです。相模原市が金愛蓮氏を人権施策審議会の委員に任命したのは、正当な手続きを上でなされた人事であり、右翼レイシストの言ってることは全くのデマに過ぎません。萩山あゆみが夏の参院選に出馬するようなら、弁護士の郷原信郎氏が甘利明議員の落選運動をしたときのように、誰か荻山あゆみの落選運動を立ち上げてほしいものです。
2022年05月20日
靖国神社の例大祭に岸田首相が真榊を奉納して日中友好協会の井上会長から批判されたことを、4月26日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している; 日本中国友好協会は22日、岸田文雄首相が靖国神社の春季例大祭に真榊(まさかき)を奉納したことに抗議する井上久士会長名の声明を発表しました。 「政教分離を定めた憲法に違反する行為であり、首相が侵略戦争を正当化し、『大東亜戦争聖戦論』の立場に立つことを表明するもの」だと批判。安倍晋三元首相ら超党派の国会議員の参拝は、「日本の歴史認識に対する強い疑念を国際社会の中に広げた」と指摘しています。 日中国交正常化50年の歴史的な節目にあたり、侵略戦争を深く反省してすべての紛争を平和的手段で解決することを誓った日中共同声明の精神に立ち返り、国際社会が共有する歴史認識を重視し、アジアと世界の平和と安定のために平和国家としての役割を果たすことを強く求める」としています。2022年4月26日 「しんぶん赤旗」 5ページ 「日中友好協会が真榊奉納に抗議」から引用 私は15日のブログに、岸田内閣の閣僚が靖国参拝を見送ったことを、安倍内閣に比べれば「改善された」と考えてそう書いたのであるが、客観的な立場で考えれば、やはり首相が特定宗教の行事に関わりを持つことは批判されて当然であり、日中友好協会会長の「抗議」は正論である。ウクライナの大統領の指摘を聞くまでもなく、日本は先の大戦においてドイツ、イタリアというファシズムの国々と同盟を組んで連合国と戦ったのであり、国内の体制も異論を唱える学者や知識人を次々に逮捕投獄、虐殺するというファシズム体制であったことも事実である。敗戦直後にGHQなどによって戦犯裁判が行なわれて、そこで有罪判決を受けて処刑された軍人を祀る神社に、現職の閣僚や国会議員が参拝するのは、東京裁判を否定するものであり、かつての侵略戦争をまったく反省していないことを世界に宣言するような愚かな行為であることを、国民は自覚する必要があると思います。
2022年05月19日
自公政権が2009年に始めた「教員免許更新制度」を廃止する法案を、このたび国会に提出したことについて、元文科事務次官の前川喜平氏が、4月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 教員免許更新制(更新制)は1990年代に自民党の中で「問題教員」排除の方策として主張され始め、2000年12月に森喜朗内閣の教育改革国民会議が提言した。当時僕は教員免許制度担当の課長だったが、文科省はこぞって反対し、中央教育審議会(中教審)は02年2月に導入を見送る答申をした。 しかし自民党の熱は冷めず、04年10月当時の中山成彬文科相が再び中教審に諮問。06年7月中教審は教員の資質能力の刷新(リニューアル)のため更新制が必要だと答申した。07年1月安倍晋三内閣の教育再生会議は、更新制で不適格教員への厳しい対応を求める提言をした。 07年6月に法改正が行われ、09年度から更新制が始まったが、現場教師たちからは不評だった。うっかりミスによる失効も続発した。09年9月に成立した民主党政権も廃止せず、失望が広がった。教師の負担感は高まり、教員の人材不足が全国で起きた。 ところが今国会、自公政権が更新制廃止法案を出した。会期末までに成立するだろう。火をつけた本人が火を消す。これを「マッチ・ポンプ」と言う。施行日は7月1日。参院選に合わせたのだ。教師たちは「自民党、公明党、ありがとう」などと思ってはいけない。そもそもこんな馬鹿(ばか)な制度を作った張本人なのだから。(現代教育行政研究会代表)2022年4月24日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-自公政権のマッチ・ポンプ」から引用 自公政権は「教員免許更新制度」を導入するとき、「問題教員」を排除するのに役に立つ制度だなどと言っていたが、本音は「学校教員を支配下に置いて、自分たちが意図する国家観を児童生徒に教え込む教員を増やす」のが目的だったと推測される。自民党政権は「教員免許更新制度」以前から、生徒の部活動指導の教員の残業代の不払いや、日々の教育活動の詳細な報告書の提出義務づけなど、ただでさえ多忙な上に「教員免許も定期的に更新すること」などという規則を増やしたのでは、教育実習で学校の現場を体験した学生が「こんな多忙な職場で働く意味があるのだろうか」と疑問に思うのが当然で、少子化で生徒数が減る「速度」を上回る「速度」で教員志望者が減ってしまったため、さすがの自公政権も「これはマズイ」と悟ったらしい。国民も、こんな「マッチ・ポンプ」政権などには見切りを付けて、政権交代を考えるべきだと思います。
2022年05月18日
ウクライナ紛争に関連して、読者のさまざまな考えが投書として東京新聞に届いている様子を、4月24日の同紙が次のように書いている; ロシアのウクライナ侵攻が始まり、ちょうど2ヵ月。終結の道筋は険しく、子どもを含む一般市民や避難民への攻撃、虐殺といったロシアの蛮行は収まる兆しも見えません。発言欄への投稿もウクライナ情勢に関連するものが大半を占める状態が続いています。「胸が痛む」「怒りに震える」「戦争反対の声を上げよう」と思いの丈を訴える声はもとより、さまざまな考えが届きます。 家族や自身が見舞われた空襲など太平洋戦争での被害の体験を、戦禍に重ねる投稿が目につく一方、3月28日のミラー「ロシアはかつての日本の姿」(神奈川県70代男性)をはじめ、他国を侵略し、日中戦争、太平洋戦争に突き進んだ日本と今のロシアを重ねる指摘も相次ぎます。「太平洋戦争の時、国民は大本営発表の勝利に沸いた。今のロシア国民が重なってみえる」(東京都70代男性)。「満州事変を関東軍による謀略とは思わず、多くの国民が中国侵略を支持し、日中戦争では南京で多くの人を虐殺しても、ちょうちん行列で祝った。同じではないか」(千葉県80代男性)。 この80代男性は日中戦争時との違いを「今は世界中で『戦争やめろ』の声をあげていること」と言います。その通りです。今は情報通信技術の発展で世界中がつながり、思いを共有できる時代。戦争終結を願い、世界の人々が声を上げています。戦争は必ず犠牲を生みます。正しい戦争などありません。戦争の加害被害を経験した日本だからこそ、平和のため、大きな声を上げ続けなくては、との思いを強くしています。(坪坂美智代)2022年4月24日 東京新聞朝刊 12版 5ページ 「読者部だより-侵攻に重ねる昔の日本」から引用 この記事が言うように、戦争は必ず犠牲を生むもので、正しい戦争などというものはありません。ロシアは以前からNATOの東側への拡大に異議を唱えていたのですから、ウクライナ側は「NATO問題」にもっと神経を使い、ロシア側との安全保障問題の交渉材料とするような「政治手腕」が必要だったはずです。ロシアの武力侵攻が起きてしまった今からでも、ウクライナはアメリカ製の武器援助を受けることは止めて、一人でも多くの自国民の命を救うために、ロシアとの停戦交渉を始めるべきだと思います。
2022年05月17日
少年法が改正されて18歳以上の市民は逮捕された時に実名が検察によって公表されるという理由で、実名報道に踏み切るメディアと、若い人の更生の機会を奪わないようにとの配慮から「匿名」報道を維持するメディアに分かれたことについて、専修大学教授の山田健太氏は4月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 「空気は、読まない。」は東京新聞のキャッチコピーだ。4月施行の改正少年法に基づき、18、19歳の「特定少年」を実名報道する報道機関がほとんどの中、中日・東京新聞は匿名報道を継続している(他は琉球新報と河北新報。民放テレビ各局は顔写真も報じた)。検察の実名公表を受け、事件の重大性に鑑み切り替えた、というのが大方の言い分だ。当局の発表によることなく、自らが主体的に己を律する自主自律の姿勢を守ることは簡単ではなかろう。当然、そこには覚悟と責任が問われるからだ。 それは読んだうえであえて読まないようにする勇気と、読み替えることができる。いまは忖度や同調というかたちで、周辺の空気を必要以上に読むことが求められ、合わせないと排除されるのではないかとの畏怖が蔓延(まんえん)している。たとえば、就職活動では相も変わらず、学生はピアスを外し、髪を黒く染め直し、白シャツにスーツ姿で面接に向かう。個を殺すことで「社会=会社」へ忠誠心を競うかのようだ。 ◇ ◆ ◇ おかしなことに対し、きちんと声をあげるべしとは言うものの、実際にそうした態度をとることができる人は少ないだろう。ちょっとした勇気こそが、一番難しいともいわれる。しかし、そうした行動を周りがみんな見て見ぬふりをしていては、世の中は前進しない。街頭演説中の首相にヤジを飛ばした聴衆を警察が強引に現場から引き離した事件で3月、裁判所は警官の行動を違憲違法としたものの、それは当事者が裁判を起こし、当時の状況を写した動画があったからこそである。 その意味で、その場で一緒に声をあげたり、警察の行動をたしなめたりすることは難しくても、記録に残して公開し、それが報じられることで広く問題が共有され、事態が動くことが証明された。規模も状況も大きく異なるが、まさにウクライナで起きていることも、ある意味では同じである。兵士や市民による写真や動画によって、私たちは何か起きているかの一端を知ることになる。 ◇ ◆ ◇ 圧倒的にウクライナ側からの情報発信が多いことも含め、すでに言われている通り、個々の発信者が意図するかどうかを問わず、受け手である私たちは情報戦のただ中にあり、ある種の印象操作も含め大きく感情を揺さぶられることも少なくない。そしていったん傾いた心情は、どんどん一方的に強くなることは、日常の交流サイト(SNS)で経験済みだ。まさに、自分好みの情報に吸い寄せられていく世界である。おそらくいまのロシア国内は、そうしたクレムリン発の国威発揚の情報に心地よさを感じていることだろう。 しかし、それは「幸福な監視国家」と称される中国でも外形的に完成されており、中国の若者と接すると天安門事件は知らないし、表現の自由は十分確保されていると答える場合が多い。日本でも変わらない。たとえば復帰50年を迎える沖縄に関し、政府の意向に沿うかたちで沖縄戦の「歴史の上書き」が教科書の記述でも進み、米軍関連の事件や事故が起きても通常の調査や取材さえかなわず、「事実」は置き去りにされたままだ。これらもれっきとした情報統制の一つである。 空気は読まない-とは、送り手は世間におもねらず愚直に現場に向き合い伝える、受け手はすっきり感がある情報に接した時は、いったん立ち止まるということでもある。2022年4月24日 東京新聞朝刊 12版 5ページ 「時代を読む-空気は読まない」から引用 報道の仕事に従事する人たちには「空気を読まない」精神を堅持することをお願いしたいものです。変に空気を読む習性が身についてしまうと、権力者の「疑惑」はあまり突っ込んだりしないで、適当に手加減するような風潮が蔓延ったりしたのでは、社会はますます腐敗する心配があります。ただ、この記事で少々気になるのは、学生が就職活動をするときにピアスを外したり髪を黒く染めることを批判的に記述しているように感じられて、私は就活の学生に同情を禁じ得ません。特に、民間企業ともなると、採用担当の社員が「人権への配慮」とか「個性の尊重」ということに神経を使えるような優秀な人物は希であり、中には、さっき面接したばかりの女子大生に私用の電話をかけて、面接の延長を装って夜の食事に誘うなどという不埒な者までいる始末ですから、そういう変な「バリア」を乗り越えて「就職」をゲットするには、ピアスを外すだろうが髪を染め直すだろうが、空気を読むだのメダカ社会だのという「雑音」をはねのけて、しっかりと自分の人生を進んでいってほしいと思います。
2022年05月16日
安倍内閣とは違って岸田内閣では、靖国神社の例大祭に対し閣僚の参拝はなかったと、4月23日の東京新聞が報道している; 東京・九段北の靖国神社で開かれた春季例大祭が22日、終了した。21日からの期間中、岸田文雄首相と閣僚による参拝はなかった。首相と後藤茂之厚生労働相は21日に真榊(まさかき)と呼ばれる供物を奉納した。第一次岸田内閣発足直後の昨年10月の秋季例大祭でも、首相と閣僚の参拝はなかった。 22日は超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久元参院副議長)のメンバーが一斉参拝した。事務局によると計103人が参加。政府からは務台俊介環境副大臣、三宅伸吾外務政務官ら7人が参列した。 記者会見した尾辻氏は「危機にひんしている世界の平和を祈った」と述べた。首相の真榊奉納について「いろいろと状況もある。首相にお気持ちを示してもらい大変ありがたい」と語った。 事務局によると、自民党は遠藤利明選対委員長や高木毅国対委員長ら幹部が参拝。ほかに立憲民主党、日本維新の会などの議員が参列した。 これとは別に黄川田仁志内閣府副大臣が22日に参拝した。2022年4月23日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「首相と全閣僚、靖国参拝なし」から引用 国会議員は国民の代表として国政を担う立場であるから、特定の宗教に肩入れすることは控えるべきであり、そのことは「政教分離の原則」として憲法にも明記されているのであり、そういう意味で岸田内閣は比較的にまともな対応をしたと言える。靖国神社は先の大戦で家族を失った人々にとっては「追悼の場」として意味があるかも知れないが、そうでないただの政治家が参拝するのは、過去に日本が行なった「侵略戦争」への反省を曖昧にする作用があるので慎むべきである。そもそも先の大戦では、日本政府は中国大陸や東南アジアに大量の軍隊を送り出したが、すぐに制海権を米軍に抑えられて食料補給ができなくなり、派遣した軍隊には「食料は現地調達」するように命令をだしたため、日本軍は行った先々で住民に暴力を加え食料を強奪したのであったが、やがては派遣先で死亡した兵士の約7割は餓死であったとの研究報告も公になっている。政府は、そのような失態に対する責任を糊塗するために、戦死者を「神様」として持ち上げて、後に続く若者も躊躇なく戦地に向かうように演出する「道具」として靖国神社があったのであり、敗戦後に陸軍省海軍省を廃止した時に、同時に靖国神社も廃止し、戦没者の追悼は特定の宗教とは無縁の政府の責任で運営する追悼施設を設置するべきであったのであり、それは今からでも遅いわけではなく、政府は「検討」に取り組むべきだと思います。
2022年05月15日
ロシア軍のウクライナ侵攻に関する日本人社会の反応について、市民運動家の辛淑玉氏は月刊誌「マスコミ市民」4月号に、次のように書いている; 何度読んでも意味が分からない。 ネトウヨ化した早稲田大学の教授が、ロシアがウクライナに侵攻した2月24日に、「日本人は満州侵攻を知っていますので、あなたたちの気持ちはよくわかります。ウクライナ人に神の御加護がありますように。祈ることしかできないのがとてもとても残念です。」とツイートしていた。 あのー、満州に侵攻したのは日本なんてすが・・・。 日本の教育、大丈夫だろうか。 日本では、ウクライナ側の民兵募集に退職した自衛官をはじめ70名が手を挙げ、極右政治家は「非核三原則を外せ」だの「9条があるから国を守れない」だのとけたたましい。 この原稿が掲載されるころウクライナ情勢がどうなっているかはわからないが、日米軍事同盟のもと、毎年何千億もの「思いやり予算」を提供して米軍部隊に居ていただいている日本もまた、ロシアにとっては敵なのだ。 キューバ危機のときは、自国の「裏庭」にソ連の核ミサイルが持ち込まれるのを恐れてパニックになったケネディが全面核戦争の直前まで持って行ったではないか。北方領土を日本に返還などしたら同じことをされると想定するのが普通だろう。返すわけがない。 3000億の手土産を渡して「ウラジーミル、同じ未来を」とか言っていた安倍元首相は、近現代史も世界のトレントも分かっていない。ファーストネームで呼び合うほどのお友達だというなら、今すぐロシアに行ってプーチンを諭すぺきだろう。 何よりもまず、まともに歴史を紐解こう。ロシアも、中国も、北朝鮮も韓国も、一度も日本を侵略したことはない。ロシアが革命で混乱しているすきにロシア領土に手を出したのは日本だ。その日本がいまは米国のパシリをやっている。 だのに、敵基地攻撃能力と称して、第2の真珠湾攻撃をやれる戦力を整備しますよ、と世界にメッセージを送り、核兵器禁止条約の批准も拒否しているのだから、核による武力行使も辞さないと言っているようなものだ。 日本がどれほど難民・移民を受け入れていないかも周知の事実。なにしろ、移民を排撃する世界中の極右にとってのあこがれの国が日本なのだ。 今回、岸田首相はウクライナからの難民を受け入れると言ったが、その前に入管の人権侵害を何とかすべきだろう。在留期限が切れたというだけで延々と勾留し続け、虐待で何人も死なせている入管が難民支援の受け皿って、どの面下げて言えるのか。 昼のワイドショーでは、日本のロシア食材店の看板が何者かによって壊されたことを受けて、コメンテーターが涙を流して、こんなことがあってはいけないと言っていた。 茶番である。 私の知る限り、在日へのヘイトクライムをワイドショーが取り上げ、涙を流してコメントしたことなど一度もない。集住地域が放火されても、民族団体の建物にハンマーが投げ込まれたり銃弾が撃ち込まれても、まともな報道すらなかったではないか。 こういう輩こそが、白人の被害には胸を痛めるが黒人が殺され続けても何も感じない人だちなのだろう。 沸き起こるロシアヘの批判を見て、イラクやアフガニスタン、シリア、パレスチナ、そしてミャンマーで殺された人々を思う。どれだけの人たちが、こんなふうに世界中が声をあげてくれたらと、切に願って死んでいっただろうか。 はっきりと分かるのは、「アメリカの敵」にやられたのでなければ同情も救いもないということだ。 それは同じアジア人に対してもだ。なぜなら多くの日本人の眼差しは米国人のそれと同じだからだ。内心では名誉アメリカ白人のつもりなのだろう。 米国とNATOは自分たちが身勝手な外交で失敗したツケを現地の人々に押し付け、武器をやるからあとはお前たちで戦えと言わんばかりだ。ウクライナの大統領は徹底抗戦を宣言し、18歳から60歳までの男性を出国禁止にした。 犠牲になるのは戦争に駆り出された人々と一般市民であり、それはもう織り込み済みなのだろう。 そしてなぜか、武器商人の姿がちらほらと見え隠れする。 被害者意識で俺たちもやられると思い込んだ日本人の選択が軍事力強化なら、周辺諸国は間違いなく日本による再侵略を想定するだろう。 その先に安全な未来はない。 日本の政治家連中には、きっとこんな自明なこともわからないのだろう。大事なのは自分の利権だけだから。月刊「マスコミ市民」 2022年4月号 84ページ 「山椒のひとつぶ-おのれの姿を知らない人たち」から引用 この記事が最初に指摘している早稲田大学教授の「「日本人は(ソ連軍の)満州侵攻を知っていますので、あなたたちの気持ちはよくわかります。」という発言は、ウクライナの人たちには発言者の意図が伝わらないと思います。理由は記事中で辛淑玉氏が説明している通りで、ゼレンスキー大統領も米議会で演説したときは、ロシア軍の行動は第二次世界大戦で暴虐の限りを尽くした日独伊三国軍事同盟を想起させると発言したことが象徴するように、ウクライナの人たちはかつて「日独伊」の3国が不当な侵略戦争の果てに敗戦したという「史実」を知っているからです。その辺の論理を履き違えてツイッターに投稿するのは、一般人なら中にはそういう人もいるかも知れませんが、大学教授ともなれば、それなりに知的レベルも論理性も職業柄、一般人よりはハイレベルにいそうなものですが、変なところで馬脚を現したのはみっともない事態であり、日本の歴史修正主義の「偏向教育」がそこまで浸透しているのかと思うと、わが国の将来が思いやられます。 また、テレビのワイドショーの欺瞞性も、この記事が指摘するとおりで、普段はアジア人に対する差別や嫌がらせに無頓着なのに、今回だけは「ロシア料理のレストランに嫌がらせをするなんて、あってはならない」などと涙ながらに訴えるなどというのは、「何を、今さら」といった印象を受けるだけで、どうせしばらくすると、今は優遇されているかのようなウクライナからの避難民も「なんだか、住みにくい国だなぁ」と感じ始めるのではないかと危惧されます。
2022年05月14日
ウクライナ紛争はロシア軍の一方的な侵略行動から始まったのは事実であるが、これを以て「力による現状変更は許されない」の大合唱を始めた日本のメディアの「欺瞞性」を、歴史家で朝鮮大学校講師の前田朗氏が月刊「マスコミ市民」4月号で、次のように批判している;◆ロシアの戦争犯罪 ロシアによるウクライナ侵攻が世界を震憾させた。 プーチン大統領はさまざまな口実を述べて軍事行動を正当化しようとしたが、いずれも正当化理由とはいえない。軍事同盟NATOの東方拡大はロシアへの軍事的脅威であるが、だからと言ってウクライナ侵攻の理由にならない。NATOは東方拡大しないとの約束に違反し、さらに違反を繰り返す予告をした。不当であるが、侵攻の理由にならない。 ドネツク地域などではウクライナのネオナチ集団によるロシア人虐殺があったが、過去8年間、国際社会に訴えてネオナチの蛮行を止める機会はあった。今になって「ウクライナのネオナチ」と繰り返しても、軍事侵攻の理由にならない。「ドネツク共和国」等の独立宣言や、支援要請も実態があるとは言えず、露骨な口実づくりの印象を残しただけである。 ロシアのウクライナ侵攻は国連憲章が禁止する武力行使であり、国際刑事裁判所規程が定める侵略の罪に当たる。侵略の罪は個人の刑事責任を問う犯罪であるから、プーチン大統領の刑事責任を追及するべきである。 大量の難民発生は人道に対する罪、病院等の民間施設攻撃は戦争犯罪に該当する。ロシア軍は直ちに攻撃を停止し、速やかに撤退すべきである。チェルノブイリやザポリージヤの原発をロシア軍が占領するなど、原発が戦争の影響下で危機にさらされている。 同時に最低限、次のことを確認しておく必要がある。 いまなぜウクライナなのか。構図は単純明快だ。バイデン政権は発足以来、対中国包囲網構築に力を注いだ。ところが21年、アフガニスタン撤退時の混乱という失態を演じた。国際社会のアメリカへの信頼も国内世論の支持も失った。トランプ元大統領はバイデンの「ロシア・ゲート疑惑」を繰り返した。追い込まれたバイデンはウクライナを焦点化し、ゼレンスキー大統領を唆(そそのか)し、NATO加盟問題を再燃させた。ゼレンスキーはこれに飛びつき、わざわざロシアを挑発した。国民の安全を顧みない火遊びである。プーチンには「内戦」を終結させる口実となった。いかなる口実を唱えようとも侵略は侵略であるが、ウクライナを攻撃させたのはバイデンとゼレンスキーである。攻撃阻止のために「NATO加盟はしない」と言えば良かっただけである。◆力による現状変更 日本主流メディアはアメリカとNATOの情報を無条件に伝播し、プーチンを悪魔化し、ゼレンスキーをあたかも英雄のごとく扱った。見事な横並びである。ごく自然に一斉に向きを変える[めだかメディア]の本領発揮である。アメリカに絶対服従し、その下で日本の「国益」と信じる空虚な利害に基づいて完璧に「空気を読む」習性はまさに漫画的である。 その極致が「力による現状変更は許されない」の大合唱である。ロシアの侵攻が始まった日から主流メディアは一斉に「力による現状変更は許されない」と叫び出した。唖然とするしかない。 力による現状変更はアメリカの得意技であり、常習と言って良い。21世紀に入ってからもアフガユスタンやイラクでアメリカは暴君の如く振舞った。NATO軍によるコソボ空爆やリビア空爆も記憶に新しい。 アメリカとNATO軍の力による現状変更にもろ手を挙げて賛成したのが日本政府である。主流メディアも米軍やNATO軍の侵攻や爆撃そのものを批判しない。民間人被害に悲しむことはあっても、侵略を糾弾することはなかった。人道危機に悲嘆するが、軍隊の論理を批判しない。 主流メディアは「アメリカの力による現状変更は許されるが、ロシアの力による現状変更は許されない」というダブルスタンダードを露呈した。NATO側のプロパガンダをそのまま横流しして、ロシアのプロパガンダを非難した。 米軍やNATOという軍事同盟の論理に追随するのは止めて、非軍事平和主義の立場からロシアを非難するべきである。核兵器使用の威嚇や原発施設周辺での軍事行動を厳しく非難するべきである。侵略の罪と、大量の難民発生という人道に対する罪の刑事責任を問うために証拠を保全し、国際刑事裁判所検事による捜査と訴追を具体的に履行できるように、日本政府もメディアも国際協力を推進するべきである。 国内では、惨事に便乗した改憲論や、非核三原則を骨抜きにする「核共有」などの発言が飛び交った。軍事的冒険主義に侵された無責任発言を許してはならない。月刊「マスコミ市民」 2022年4月号 82ページ 「力による現状変更は許されない?」から引用 この記事が指摘するように、ウクライナ紛争はアメリカのバイデン政権が仕掛けた「罠」にプーチン・ロシアが嵌まったというのが「真相」のようだ。ゼレンスキーが真に国民を大事に思う政治家であれば、国民の犠牲を最小限に止めるために停戦交渉に応じて「NATOには加盟しない」と言明するべきだ。プーチンが軍を動員する前に、そのように提案して平和裏に交渉するべきであったのだ。しかし、被害が拡大していくにも関わらず、ゼレンスキーは西側に武器援助を要請するだけで、調子に乗ったバイデンは多額の武器援助を表明して、さらに戦禍を広げる方向にものごとを進めており、米国軍需資本の思うツボである。本来であれば、唯一の被爆国で平和憲法を持つ日本が停戦のための仲裁に入るべきであるが、残念ながら現在の日本政府はアメリカの属国のような立場で満足するレベルの政治家しかおらず、自主性を発揮して世界を平和に導く「力量」などは望むべくもない。
2022年05月13日
ウクライナの紛争に乗じて日本も「敵基地攻撃能力」を持つことにしようという自民党の策謀を、4月23日の毎日新聞社説が、次のように批判している; 武力攻撃に対する「反撃能力」の保有を政府に求める提言案を、自民党がまとめた。防衛政策の大転換につながる内容だ。 敵国がミサイルを発射する前に発射拠点などをたたく「敵基地攻撃能力」から名称を変更した。 岸田文雄首相は、敵基地攻撃能力の保有を検討すると表明してきた。自民は年末に改定される政府の「国家安全保障戦略」などへの反映を目指す。 ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮による弾道ミサイル発射、中国の軍備増強など、安全保障環境は激変している。日本の防衛のあり方が問われているのは確かだ。 だが提言案には懸念や疑問が多い。そもそも敵基地攻撃能力の保有は、憲法9条に基づく専守防衛を逸脱しかねない。 専守防衛は攻撃に対して必要最小限の自衛力を行使し、保有する装備も最小限にとどめるという原則だ。「矛」の能力を米軍に委ね、自衛隊は「盾」の役割を担う。 ただし政府は、敵国がミサイル攻撃に着手し、防衛手段が他にない場合に限り、敵基地攻撃は憲法上認められると解釈している。 しかし、こうした「反撃」は、国際法が禁じる先制攻撃との線引きが難しい。他国領域を攻撃するための兵器が必要最小限と言えるのかという疑問もある。 しかも今回の提言案は、反撃の対象に基地だけでなく「指揮統制機能」も含めている。拡大解釈の余地を広げるものだ。司令部や政治指導部など、対象が際限なく拡大する恐れがある。 想定されるケースは「弾道ミサイルを含む武力攻撃」があった場合としたが、具体的にどんな攻撃を指すのかは不明確だ。 反撃能力を抑止力として振りかざせば、地域での軍拡競争を過熱させかねない。能力の保有には、偵察や相手の防空網の無力化などに膨大な装備が必要だ。財政面でも妥当性に疑問符が付く。 平和国家の根幹を左右する問題にもかかわらず、提言案には、専守防衛との整合性や現実の課題を精査した形跡が乏しい。 首相は「検討する」と繰り返すばかりで、具体像は明示していない。国民的な議論を欠いたまま、保有路線をなし崩しに推し進めれば、将来に禍根を残す。2022年4月23日 毎日新聞朝刊 13版 5ページ 「社説-専守防衛と整合するのか」から引用 戦争放棄を世界に宣言した憲法を持つ日本が「反撃能力」を持つことと「専守防衛」と、どのように整合性がとれるのか、党内で精査した形跡が皆無であるのは、自民党が如何に知性に乏しい政治家の集団であるかということを如実に示している。彼らは、ロシアがウクライナを侵略したという「事件」で国民が動揺した隙につけ込んで、面倒な理屈を抜きにして、とにかく「数の論理」で押し通せばいいという発想で、ものごとを進めようとの魂胆のようであるが、わが国憲法は国際間の問題は武力を当てにせず、平和的な外交で話し合って解決することを政府に求めているのであり、国民としては政府に対し、戦後70数年に及ぶ平和外交の伝統を堅持していくことを求めるべきと思います。
2022年05月12日
近畿大学教職員組合がツイッターで大学広報部が発行する「大学案内」について苦言を投稿して炎上した事例について、文芸評論家の斎藤美奈子氏が4月20日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 20日にはもう、ニュースになっているだろうか。18日、近畿大学教職員組合のアカウントが気になるツィートを流した。<近畿大学の広報について、組合は以前より苦言を呈していますが、大学案内で「美女図鑑」等、品性を疑う・・・> 問題の大学案内は「2023 近大グラフィティ」と題する受験生向けのパンフレットで、ウェブ上にアップされた資料を見ると、たしかにこれは目を疑うものだった。 「美女図鑑」「美男図鑑」には「身長」「好きなタイプ」という項目が最初にあり、各学部を代表する学生の写真にも「今日のポイント」と称するファッション紹介(値段まで!)が付く。 教職員組合のツイートは<この特集だけではなく、ここに載せる学生を教員に推薦させる際、平然と「ビジュアルのよい学生を推薦してください」などと言ってくる広報室には呆(あき)れるほかない>とも記している。 あまりに露骨なルッキズム(外見至上主義)。 おりしも吉野家の常務が早稲田大学主催の社会人向け講座で「生娘がジャブ(薬物)漬けになるような企画」と発言。吉野家と早大は謝罪する事態に至った。近大の場合は大学当局が発行する公式の大学案内である点でよりタチが悪い。今日の認識ではルッキズムはれっきとした人権侵害だ。大学がイメージダウンどころか差別に加担してどうする。(文芸評論家)2022年4月20日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-大学案内に美女?!」から引用 組合に批判された大学当局は、この後どのようにこの問題に対処したのか、不明であるが、プロのモデルの写真ではないと言っても、カラー写真で大学案内を印刷するとなると、かなりの出費になるわけで、ツイッターで炎上したからといって今さらやり直すわけにも行かず、ダンマリを決め込んで希望する受験生にはそのまま、その「大学案内」を郵送していると思われます。しかし、そういう曰く付きの「大学案内」を送られても大して問題とも思わずに受験を希望する高校生は、けっこういそうな感じがします。本来であれば、社会の進歩を牽引する立場の「大学」が、ルッキズムを克服できないというのは、あまりにも残念なことと思います。
2022年05月11日
安倍晋三議員が無責任に政権を放り出してから2年経っても「疑惑」が一向に解明されないことについて、元文科官僚の前川喜平氏は4月17日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 11日に記者会見した赤木雅子さん。自殺した夫の俊夫さんが文書改竄(かいざん)の指示に逆らえなかったことについて「上が白と言えば黒いものでも白」「すごい圧力の中で改竄したと思う」と話し、改竄を指示した佐川宣寿元理財局長には「夫の墓に手を合わせてほしい。無理なら法廷で自分の口から何かあったか語ってほしい」と訴えた。 森友学園事件に比べると加計学園事件は、文科省文書と愛媛県文書により事実がかなり明らかになっているが、まだ不明な点もある。加計学園から文科省に提出された理事会議事録などの開示が求められた裁判で東京高裁は14日、その一部の開示を国に命じた。 「桜を見る会」前日に安倍晋三後援会が催した夕食会の費用補填(ほてん)問題を告発した弁護士らは13日、安倍氏を不起訴とした検察の処分を不服とし「起訴相当」の議決を求めて検察審査会に審査を申し立てた。 モリカケサクラは安倍氏とその周辺による権限の濫用であり国政の私物化だった。その真相を究明し責任を追及することは、国民の信託を受けている政治家が本来やらなければならない仕事だ。しかし岸田首相は何も説明しないし、野党も追及を諦めたかに見える。ならば国民自身が司法と言論の場で真相究明と責任追及を続けていくしかない。終わったことにはできないからだ。(現代教育行政研究会代表)2022年4月17日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-モリカケサクラは続く」から引用 元首相が任期中の不祥事にどのように関わっていたのか、本人が口を割らないときは追及を止めるというのは、悪しき前例を作ることになるのですから、この記事が主張するように、国民自身が司法と言論の場で真相究明を続けなければなりません。しかし、政治家やメディアは何故追及を止めたのか。野党議員の「不正」の場合は、小さな事案でも俄然勢いづいて徹底追及するのに、「与党の大物」になると急に、申し訳程度に当たり障りのない記事を書いて、それ以上のことは何もしない、というダブルスタンダードは日本人の民族性を表しているのかも知れません。
2022年05月10日
昨日の欄に引用した映画「教育と愛国」を監督した斉加尚代氏の記事は、政治が教育や学問に介入する問題について、次のように書いている; 「教科書検定をブラックボックス化したい人がいるかのようだった」。斉加さんは制作過程を振り返る。 文科省の担当課長のインタビューは、2ヵ月待たされた。検定にかかわる教科書調査官の経験者には取材を拒まれた。 スクリーンに登場する教科書の変質にさらされた人たちの証言は重い。 歴史教科書の慰安婦の記述を巡り右派勢力から攻撃され、倒産に追い込まれた出版社の元社員や執筆した研究者は、当時の異様な空気を振り返る。ベテラン編集者は教科書づくりで広がる政治への忖度を明かす。 斉加さんは圧力をかける側の保守系の人々にも焦点を当てた。ネットの影響で同一意見の仲間で固まる傾向があるだけに「メディアは、いろいろな意見を伝える使命をいっそう負っている」と考えるからだ。 率直な質問は時に、滑稽な光景を描き出していく。 保守系教科書を執筆し、「ちゃんとした日本人をつくる」のが目標だという学者に理想の日本人像を問うと、虚を突かれた様子で「左翼ではない」。 教育再生を掲げる元首長は、慰安婦を記述した教科書の採択校に抗議はがきを何枚も送りつけたが、教科書をよく読んでなかった。 斉加さんは「自分は正しいと強固に信じる一方、言葉の軽さが混在していた」と奇妙なギャップを指摘する。だが、矛盾は省みられず、攻撃は繰り返された。 慰安婦を題材にした中学教諭の授業に、吉村洋文大阪市長(当時)はSNSで非難を浴びせた。大学教授の研究は、自民党の杉田水脈衆院議員が「反日」とやり玉に挙げた。より広範で、露骨になる政治圧力を作品は取り上げている。 映画化案が持ち上がった当初、消極的だった斉加さんだが、ある出来事で「ギアが入った」という。 20年10月に勃発した日本学術会議の新会員任命拒否問題だ。科学者の代表機関の人事にまで、政府は手を突っ込んできた。 「『政治が学問を意のままにしてはいけない』というのは、人類が20世紀に戦争を繰り返し、多くの犠牲を払って手にした普遍的価値。手放していいのか」 映画の途中、改正前の教育基本法の前文が映し出される。憲法がうたう世界平和への貢献について「理想の実現は、根本において教育の力にまつべきもの」という部分は改正で削られ、「公共の精神」や「伝統を継承」が入った。 「戦前・戦中の『忠君愛国』といった教育が子どもを不幸にした反省から、戦後教育は出発したはず」。だが、国内総生産が頭打ちとなった1990年代後半を境とし、日本の存在感の低下に抗うかのように、愛国が強調され、教科書で戦争加害の記述が減った。 政治とメディアの関係も危惧する。斉加さん自身、橋下徹大阪市長(当時)らの教育改革を批判的に報じた際、SNSで激しく非難された。「メディアと戦うかっこいい政治家」のイメージ戦略が蔓延している。 パフォーマンスに長けた政治家が人気を集めるため、権力の監視を忘れ、すり寄るメディアもある。MBSも元日特番で、松井氏ら日本維新の会の幹部ら3人を同時出演させ、政治的中立性が問題視された。 「教育と報道は民主主義社会の土台をつくる大切な役割を果たしてきた」。その未来が危うい。 「切羽詰まる思いで作った」。斉加さんは作品について、こうも言い表す。 「正解もカタルシス(精神の解放)もない映画だ」 進行中の事態にどう向き合うか。斉加さんも自らに問いながら望む。「映画をきっかけに多くの人が考え、語り出してほしい」【デスクメモ】 ゼレンスキー大統領が米議会でロシアの侵攻を「真珠湾攻撃」になぞらえたとき、彼を英雄視していた日本の右派勢力は一転、憤慨した。大東亜戦争は正義の戦争で、ロシアとは違うというのだ。世界がとうてい賛同しないこんな底の浅い歴史観で、日本の教育がゆがめられつつある。(歩)2022年4月17日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「民主主義の根幹 危機」から引用 この記事が始めの部分で取り上げている教科書会社倒産事件は、それまでの歴史学の研究成果に基づいて「従軍慰安婦」のことも記載する教科書を発行していたのであるが、安倍政権が教育基本法を改悪した直後から右翼の街宣車が複数台数、出版社があるビルの前に押しかけ、大音量で終日業務妨害を行ないついに倒産させたもので、これも当時の違法な右翼の行動を監視し告発するべきであったのに、どの新聞も大して問題視しなかったために、世間には「偏向教科書を作っていたから倒産したのだろ」みたいな印象を残しただけでしたが、今から思えば重大なターニングポイントであったと思います。この映画が多くの国民の注意を喚起することを望みます。
2022年05月09日
今月公開が予定されている映画「教育と愛国」について、映画を監督した斉加尚代氏にインタビューした東京新聞「こちら特報部」は4月17日の同紙に、次のように書いている; ぞっとした。試写を観(み)た記者の率直な感想だ。毎日放送(MBS、本社・大阪市)のディレクター斉加尚代さん(57)が監督したドキュメンタリー映画「教育と愛国」が来月13日から全国で順次公開される。教育現場への政治圧力が増していく様子は、ホラー映画よりおぞましい。内心や言論、学問の自由といった民主主義の基盤が壊されていく危機的状況について、斉加さんに聞いた。(北川成史) 映画は、2017年にMBSで放送され、優れた番組を表彰するギャラクシー賞大賞を得たドキュメンタリーを基に、追加取材を重ねて完成させた。 第一次安倍晋三政権下の06年、教育基本法が改正され、「愛国心」が戦後初めて盛り込まれたころからの教科書の変容や学校、教師への影響を描く。 試写の感想を伝えると、斉加さんは答えた。「小さな変化を20年近くまとめて眺めると、大きな変化に至っている。取材しながら、教育への政治介入の怖さを再認識した」 ドキュメンタリー番組を作るきっかけは17年、小学校の道徳教科書の検定だった。パン屋を題材にした教科書が、国や郷土への愛着が足りないと指摘され、舞台を和菓子屋に変えた。 「笑えるような出来事に検定制度の問題が凝縮しているのでは」。斉加さんは番組の素材を探す中、1本のニュースを見つけた。 12年2月、下野していた安倍氏が松井一郎大阪府知事(当時)とともに、保守色の強い教科書を推奨する日本教育再生機構が大阪市で開いたシンポジウムに登壇。松井氏らの教育基本条例案に賛同したという短い内容だったが、編集前の映像を見直し、安倍氏の発言の数々に衝撃を覚えた。 「教育に政治家がタッチしてはいけないものではない」。日本人のアイデンティティーを備えた国民を「つくる」とも言った。 斉加さんはシンポジウムを「政治主導で教育行政に影響力を及ぼす出発点」ととらえ、映画で象徴的な場面に据えた。事実、安倍氏は同年12月に首相に返り咲くと、教育への政治関与の仕組みを築いていく。 政府の統一見解に基づく記述をするように教科書検定基準を変更。教育委員会制度に手を加え、教育行政で首長権限を強めた。戦前・戦中の教育の基本方針「教育勅語」について、閣議決定で教材利用を認めた。 安倍路線を継承した菅義偉政権下でも、政治圧力が深化して現れた。昨年、「従軍慰安婦」と「強制連行」の記述について、教科書会社7社が「慰安婦」「動員」などと訂正した。 政府は昨年4月、「従軍慰安婦」や「強制連行」の表現を適切でないとする答弁書を閣議決定した。文部科学省は翌月、教科書会社に対し異例の説明会を開催し、この「統一見解」を伝達。7社が訂正申請した。 「学術的知見に基づかない政府見解で教科書が書き換えられるようになるとは」。長年、教育を取材してきた斉加さんの予想を超える速さで事態は進んだ。 「映画の公開発表はロシアがウクライナに侵攻した2月24日だった。偶然の重なりに深い意味があると感じる」。斉加さんはそうかみしめ、問い掛ける。 「ロシアは侵攻を『特別軍事作戦』と言い換え、ウクライナからの残虐行為の訴えをフェイク(偽物)と主張する。『慰安婦』や『動員』と言い換えるのと、どう違うのか」。そして「加害の歴史に目を向けないのは、子どもの学習権を奪っているのではないか」。<さいか・ひさよ> 1987年、毎日放送入社。報道記者などを経て、2015年からドキュメンタリー担当ディレクター。担当番組に日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受賞した「なぜペンをとるのか-沖縄の新聞記者たち」など。著書「何が記者を殺すのか大阪発ドキュメンタリーの現場から」(集英社新書)が15日に発売。2022年4月17日 東京新聞朝刊 11版 16ページ 「こちら特報部-教科書が映す日本」から引用 この記事によると、安倍議員は2012年に大阪で開かれたシンポジウムで「教育に政治家がタッチしてはいけないものではない」と、教育基本法の理念を否定する問題発言をしているのであるが、当時のメディアはこれを問題視して取り上げることをせず、「こういう発言があった」と軽く受け流したようであるが、これが重大な間違いだったと思います。教育活動は現場の教員が直接、国民に責任を負って行なうものであって、校長や教育委員会や行政の長や議員に「命令」されることはあってはならないことです。また、日本人のアイデンティティーを備えた国民を「つくる」という発想も、うっかりすると「当たり前のことを言ってる」と受け止められがちですが、これも大問題です。「日本人のアイデンティティー」が何を意味するのか、人によってそれぞれであれば問題ありませんが、自民党やその支持者の「意味する」ところは、パン屋よりも和菓子屋のほうが日本的だという「特殊なイデオロギー」を意図しており、その証拠に、後になってから教科書を書き換えるなどという愚かな事態を生じている。このように、日々右翼政治家の違法な言動を見逃してきた挙げ句に、今になってその問題を映画にまとめて、それを見て「ゾッとした」と言ってみても遅いのではないか。何故、もっと早く告発できなかったのかと思います。
2022年05月08日
ウクライナ紛争に乗じて不安を煽り軍備増強を喧伝するテレビや、どさくさに紛れて一度廃案になった入管法改悪案を再度持ち出そうとする政府について、ジャーナリストの臺宏士氏は4月17日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; ロシアによるウクライナへの侵略をきっかけに、自衛隊の防衛力増強を後押しするような番組づくりが目立つようになりました。 6日、米英豪の3力国が発表した「極超音速兵器」の共同開発に、松野博一宣房長官が「連携を強化していきたい」と述べました。これを受けたフジテレビの「日曜報道」(10日)では、自民党の新藤義孝政調会長代理が「当然のごとく連携を取ることは必要」と述べました。キャスターの橋下徹氏は「武力で倒そうと思えば、専守防衛の範囲を超えなきゃいけない・・・」と主張し、政治家の議論を促しました。番組内での視聴者アンケートで、極超音速兵器の共同開発に関与すべきだという意見が大半を占めたのは、約40分にわたり不安をかきたてた結果といえるでしょう。 NHK「ニュースウオッチ9」(4日)も、「日本の周辺には、さまざまな脅威があり、今、見直しが迫られている」としてキャスターの田中正良氏が、中国と向き合う最前線・与那国島で島民の不安の声を取材。防衛力の増強を説く森本敏元防衛相らのコメントを紹介し、青井実キャスターと共に脅威を強調しました。同番組は、自衛隊が保有する防弾チョッキなどをウクライナに提供する際、肯定的に報じていました。 また、政府は今回のウクライナ情勢に乗じて入管法改正案を再提出したいようです。改正案は、3回目以降の難民申請者を強制送還できるため批判を浴びて昨年廃案となったものです。安田菜津紀氏はTBS「サンデーモーニング」(10日)で「ウクライナの人たちの命を口実にするような形で押し通すような動きは誰の命も尊重していない」と非難していました。 メディアは政府と一体化して国民を戦争に駆り立てた負の歴史を背負っています。そこにこだわって報道してほしいです。(だい・ひろし=ジャーナリスト)2022年4月17日 「しんぶん赤旗」 日曜版 35ページ 「メディアをよむ-軍事力増強を後押しか」から引用 立憲民主党の菅直人元首相が、橋下徹氏の演説ぶりを見ているとナチス・ドイツのヒトラーを連想するとツイッターに投稿したところ、維新の会は立憲民主党に対し正式な抗議を申し入れるという出来事があったが、これは橋下徹氏が現在もれっきとした「維新の会」の一員であることを示しており、そういう人物を毎日テレビにレギュラー・スタッフとして出演させているフジテレビは、公然と「維新の会」を宣伝しているようなもので、その成果で国会には「維新の会」の進出は目覚ましく、今年の参議院選挙では「維新の会」が野党第一党になる見込みであると報じる新聞もある。フジテレビの一党一派に偏った報道姿勢はBPOが厳しく検査して断罪する必要があると思います。
2022年05月07日

水野和夫著「次なる100年」(東洋経済新報社刊)について、経済思想家の斎藤幸平氏は4月17日の神奈川新聞に、次のような書評を書いている; 900ページを超える新刊は水野和夫史観の決定版とでも呼ぶべき一冊だ。 ベストセラーとなった「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)で打ち出した水野の有名な主張はこうだ。利子が認められたことで、13世紀に資本主義は生まれた。だが、その資本主義が、日本を先頭にして、ゼロ金利の時代に突入し、終焉を迎えつつある。 本書はこのテーゼをさらに具体的に論証すべく、現代の世界経済分析と中世の宗教、法哲学、経済史を縦横無尽に展開していく。その知識量には圧倒される。なかでも注目すべきは「ポスト資本主義」に向けて、これまでよりも一歩踏み込んだ提案をしている終章「『次なる100年』はどこに向かうのか?」である。 資本主義の「蒐集(しゅうしゅう)」は、それが生活向上をもたらす限りで正当化されてきた。だが、現代は資本過剰の時代である。それが企業の内部留保であり、富裕層の膨大な金融資産である。ため込まれるだけで、実体経済のために使われない資本はもはや「石」に過ぎない。 コロナ禍のような緊急事態にも、大企業や「ビリオネア」が過剰資本を抱える一方、生死に関わる困窮状態が放置される現状に対する本書の怒りは大きい。「盗み」「罪」「犯罪」「不正義」などの言葉が並ぶ。 そこに加わるのが気候危機だ。資本主義の成長を可能にしてきた化石燃料も有限である。その結果、「より遠く、より速く」経済成長することが今後不可能となり、地球環境も劣化していく。 永遠の経済成長がもはや不可能なのは自明だろう。だが、富は十分にあると水野は言う。内部留保課税、所得税増税、そして金融資産課税といった大胆な再分配政策によって、正義を取り戻し、成長に依存しない経済へと大転換すベきだと、本書は訴える。 では、ポスト資本主義において、人間は何を目指して生きるのか? その答えは、本書を手に取って確認してほしい。(経済思想家・斎藤幸平)水野和夫著「次なる100年」(東洋経済新報社/3960円)2022年4月17日 神奈川新聞朝刊 13ページ 「読書-正義取り戻す大転換を」から引用 この記事は世の中の真実を言い当てているような気がして、読めば愉快になる。私たちの歴史の中に生まれた「貨幣経済」がやがて「資本主義」という経済システムとして、生産技術の向上に伴って発達して巨大な「資本」を稼ぎ出したのは良かったのだが、今ではその「資本」が過剰になってしまい、企業の金庫に溜め込まれ、実体経済のために使われることがなくなったため、本来の価値を失ってただの「石」になってしまっている、というのは鋭い指摘だと思います。これまでは、労働者が一生懸命働いて会社が儲かれば給料も上がるという「目標」があったのが、もう会社は「資本」が過剰で、一部は「石」になっているというのですから、これからの会社は、経営者も労働者も、何を目標に働くのか、考えなければなりません。しかし、これが3960円というのは、年金生活者にはちょっと高すぎる。図書館に予約を入れても、2~3か月は待つことになると思います。
2022年05月06日
ウクライナ紛争でロシアに経済制裁をする関係で、同国から天然ガスの供給が得られなくなる西欧諸国が代替エネルギーをどうするのかという問題を抱えていることについて、毎日新聞編集委員の青野由利氏は4月16日の同紙に、次のように書いている; 世界を戦慄(せんりつ)させるロシアのウクライナ侵攻。軍事的に中立だったフィンランドも北大西洋条約機構(NATO)加盟に傾いている。 そう聞いて思い出しだのは、2013年に北欧のこの国を訪問した時のことだ。 まず向かったのは首都ヘルシンキから高速バスで西へ4時間ほどのオルキルオト島。原発から出る核のゴミの最終処分場「オンカロ」で有名だが、そもそもは原発サイトだ。稼働中の原発2基に加え最新鋭のオルキルオト3号機が建設中で、4号機の計画もあった。 福島の事故後も原発維持・新設の方針は揺るぎないように見えたが、なぜなのか。 現地で感じたのは、「エネルギー面でもロシアからの独立を保ちたい」という強い思いだ。 複雑な歴史を持つフィンランドが帝政ロシアによる統治を経て独立したのは1917年。それ以降もソ連の侵攻を受け、国家の維持が脅かされた経験がある。 接する国境は1300キロ。至る所にあるという防空シェルターもヘルシンキの大聖堂の地下で見せてもらった。隣国の脅威を肌で感じてきた歴史が原発政策にも影響してきたのだろう。 今、世界の原発の位置づけは微妙に変化しつつある。欧州委員会は今年1月、原発を「環境に配慮した投資先」に含める方針を決めた。温暖化対策の観点から後押しする動きだ。 当然、脱原発を進めるドイツやオーストリアなどが猛反発したが、原発大国フランスは歓迎する。 ここにさらなる一石を投じたのがロシアの軍事侵攻だ。 欧州各国は化石燃料の多くをロシアに依存してきた。ここからどうエネルギーの脱ロシアを図るか。原発復権の可能性もあるが、原発依存のリスクもまた大きい。 05年に建設が始まったオルキルオト3号機は4年で完成予定だったのに、17年かかってようやく送電を開始したのがこの3月だ。 炉心溶融にも航空機の衝突にも耐えるというが、技術的な問題で延期が繰り返された。建設費も膨れ上がり、一時は訴訟に発展した。原発新設は英仏でも課題が多く、持続可能とは思えない。 日本では経済産業相が脱ロシア依存に向け「再生可能エネルギーや原子力を含めたエネルギー源の多様化をめざす」と述べている。 だが、この機に乗じた原発回帰は禁物だ。 ロシアの隣国同士でも日本とフィンランドは地質がまるで違う。「地震? 経験したことがありません」。かの地の地質担当者の言葉を思い出す。(客員編集委員)2022年4月16日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-脱ロシアと原発」から引用 この記事では「原発大国のフランス」などと書いているが、フランスの原発はうまく行ってるのかどうか、極めて怪しい。それというのも、福島の原発事故の後始末に東京電力が購入した放射能汚染水の浄化装置の製造元だったアトラス社は倒産したというニュースに接した記憶があるし、上手い具合に事故無しで稼働した原発があったとしても、そこから出てくる高濃度放射性廃棄物を無害化するには10万年かかるというのであるから、経済モデルとして成立しないことは明らかです。フィンランドでは、この数百年間に一度も地震がないと言っても数万年単位で地層の変化を辿れば、それなりの地殻変動は間違いなくあったのであり、どっちに転んでも原発は将来の我々の子孫に多大な迷惑を及ぼすものであることは論を待ちません。気象条件に左右されるとか、立地場所の問題があるとか、様々な困難があるにせよ、再生可能エネルギーを利用するというドイツの方針のほうが、人類の福祉に貢献できるのは間違いないと思います。
2022年05月05日
ロシア軍のウクライナ侵攻に関連して、文筆家の師岡カリーマ氏は4月16日の東京新聞コラムに、次のように書いている; ロシア軍の攻撃で灰のブロック群と化したウクライナの都市の惨状が、同じような目にあったシリアの町と酷似しているので、私は何年も前に見た映像をしばしば思い出す。どこだったかヨーロッパの国に避難したシリア人女性を、現地の女性が叱咤(しった)していた。「あなたは自国に留(とど)まって、戦うべきだった」。その声がいかにも確信に満ちていたので、「私だったら・・・戦える? いや、逃げるだろう」と複雑な気持ちになったものだ。ウクライナ難民にも彼女は同じことを言うだろうか。 中東のような紛争多発地帯に生まれたからといって、暴力への耐性が強いわけでも、戦闘能力が高いわけでもない。戦争の狂気に直面する恐怖や人生を壊されて失うものの大きさは、アラブ人もスラブ人も同じだ。戦う宿命を負わせていい民族などいるはずがない。 政府専用機でウクライナ避難民を移送し、生活費を支給するなどの待遇は日本政府にとって、国際注目度の高い戦争における「目に見える貢献」つまり一種のPR事業という側面も持つが、白人優遇の意図はなくても、残念ながら海外の非白人からはそう見える。 欧州の人々が中東やアフリカの難民よりウクライナ難民に寛大なのは、同じ大陸ゆえの連帯感と説明できる。日本は違う。今後はより積極的に各国からの難民に門戸を開かないと、格好がつかないと思う。(文筆家)2022年4月16日 東京新聞朝刊 11版 29ページ 「本音のコラム-闘う宿命?」から引用 自国が侵略されたら、戦うべきか逃げるべきか、人によってまた状況によって考え方は色々と思いますが、私は取りあえず抵抗を試みて、勝ち目がありそうなら戦うし、負けそうな場合は逃げるか降伏するか、とにかく生き延びる道を選択すると思います。一国の指導者にも、同様の思考が求められます。侵略してくる「敵」があってのことですから、当然駆け引きが必要であり、国土の防衛以上に重要なのは「国民の犠牲」を最小限に止めることだと思います。ゼレンスキー政権のようにアメリカから武器を供給してもらって徹底抗戦するとか、戦前の日本軍のように「最後の一兵まで戦う」などという玉砕戦法は、国民の命を無駄に犠牲にするものであって、避けるべきです。かつての戦争には色々不都合なことや不正義があったかも知れませんが、今日のように情報網が発達すれば、戦争の結果がどうあれ、どっちがどのような「不正義」をしたのかは、世界に報道されて記憶されるのですから、ほとぼりが覚めてから冷静な話し合いを行なえば、正しい国境線の策定やり直しとか、戦争被害の賠償とか、解決することは不可能ではないと思います。
2022年05月04日
超党派の右翼議員が「文化の日」を「明治の日」に改悪しようとする動きについて、前文科官僚の前川喜平氏は4月10日の東京新聞に、次のように書いている; 7日、超党派の「明治の日を実現するための議員連盟」の設立総会が開かれ、古屋圭司会長ら自民党議員に加え、立憲民主党大島敦氏、日本維新の会馬場伸幸氏、国民民主党前原誠司氏など野党議員も参加した。目的は11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改称する祝日法改正案を国会に提出することだ。 文化の日は1948年に祝日法で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と定められた。それは46年のこの日に公布された日本国憲法の理念と重なる。 47年の教育基本法の前文は新憲法がめざす国を「民主的で文化的な国家」と謳(うた)った。文化の対義語は野蛮だ。野蛮な国は戦争をするが、文化的な国は戦争をしない。 明治天皇の誕生日だった11月3日は27年に明治節とされ、2月11日の紀元節、4月29日の天長節などと同様、児童生徒は学校で教育勅語奉読などを行う儀式に参列させられた。「明治の日」は明治節の復活にほかならない。 日本国憲法下の天皇は国民の総意に基づく「象徴」だが、明治天皇は「統治権の総攬(そうらん)者」であり、その権威は神話に由来していた。「明治の日」制定の策動は、天皇を神格化し「神国日本は個人を超越する」という観念を国民に植え付けようとするものだ。そんな祝日は嫌だ。「文化の日」を守ろう。(現代教育行政研究会代表)2022年4月10日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-『明治の日』は嫌だ」から引用 江戸時代とそれ以前の日本は、戦争をするのは武士と呼ばれる人々で、一般庶民は戦争の被害を受けることはあったが戦闘に動員されることはなかった。それが、明治になると徴兵制と称して一般庶民も戦争に動員されることとなり、江戸から明治になって日本は「文化的な国家」から「野蛮な国家」になったわけである。その野蛮な国家が野蛮な戦争をして敗北したのを機会に「文化的な国家」に生まれ変わったのに、それをまた「野蛮国家」を象徴する「明治の日」を復活しようというのは、「平和で文化的な国家」の繁栄とは真逆の方向へ舵を切ることになるのですから、私たちはこのような動きには反対であるという意思表示を明確にしていくべきと思います。
2022年05月03日
ロシアのウクライナ侵略に便乗した「改憲の動き」について、法政大学名誉教授・前総長の田中優子氏は10日の東京新聞コラムに、次のように書いている; BS-TBSの番組「関口宏のもう一度!近現代史」が3月で終了した。保阪正康氏と共に2年半にわたって展開した歴史番組である。「必ず年代順に語る」ことを基本に、最後の方は1回に3ヵ月から半年の歴史を対象に、詳細に語り尽くした。明治維新から戦後までの77年の「近代」と、戦後から今日まで77年の「現代」のうちの1952年までを、保阪氏の言葉で言うと「かみ砕いて、望遠鏡ではなく、顕微鏡で見ていこう」という方針でつくられていた。明治期をまとめた本と、大正から2・26事件までをまとめた本も、すでに刊行されている。 まさに顕微鏡で見るように歴史をリアルに感じ取ることができたのは、お2人が単に解説しているのではなく、今起こっていることを報道するかのように、実感をこめて対話しながら進めてきたからだろう。 ◇ ◆ ◇ 今、ウクライナ侵略に便乗して改憲の動きが活発化し、攻撃を含めた軍事の考えを公然と語る国会議員が出現している。そういう時、個々人が自ら判断するために必要なのは、歴史を知ることだ。 たとえば戦力の放棄を含めた日本国憲法は47年5月3日に施行されたが、それから3年もたたない50年1月1日、マッカーサーは「日本国憲法は自己防衛の権利を否定せず」と明言した。時は、朝鮮戦争勃発前夜である。朝鮮戦争を契機に警察予備隊(後の自衛隊)が設置された。その後ジョン・フォスター・ダレス(国務長官)は吉田茂首相(当時)と会談するようになり、東西冷戦を背景に日本に再軍備を要請する。 さすがにマッカーサーは「自由世界が日本に求めることは軍事力であってはならない」と主張するが、吉田首相は2人の間に挾まれるかっこうになり、「将来5万人の保安隊で再軍備する」ことを約束せざるを得なくなった。その前提があって52年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効され、連合国軍総司令部(GHQ)が廃止され、米国による日本の間接統治が終わる。しかし同時に、今なお多くの問題を含んでいる日米行政(地位)協定が発効することになったのだ。 ◇ ◆ ◇ 年代を追ってこの経緯を知ると、日本の軍備をその手から奪いながら、もう一方で東西冷戦とその代理戦争である朝鮮戦争に、日本を引き込もうとした米国の思惑が明確に見える。それは70年後の今日の世界情勢や、一部の国会議員たちの発言につながっている。「今の憲法は米国の押しつけ憲法だから、日本独自の憲法をつくろう」というのは全くの詭弁(きべん)である。冷戦時代に逆戻りしそうな昨今、米国のより強い要請に応えるべく、議員たちは策を練っているだけなのだ。安保法制もそういう理由だった。憲法改正への動きもそのためだろう。その忖度が彼らにどういう利益をもたらすのか、どういう取引があるのか知らない。しかし「日本を取り戻す」という言葉にだまされてはならない。 私は、国々や人々を敵と味方、あるいは右と左に分けて「どっちに付くのだ?」と問う発想には乗らないことにしている。民主主義の実現には、その種の問いは有害だ。ひとつひとつの事柄が戦争や暴力や圧政につながるかどうかを見極めようと思う。そのために歴史と今までの経緯を知ることは、大変重要なのだ。 4月から「関口宏の一番新しい古代史」が始まった。これも日本とは何かを見極める上で面白い。2022年4月10日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-もう一度 近現代史」から引用 この記事が言うように、私たちは「日本を取り戻す」などという中身のない空論に騙されてはならないと思います。明治維新を実現した政府が、次の目標として東アジア征服を目指した戦争政策が自国民と東アジアの人々に途端の苦しみをもたらしたことに学んで、戦後の日本はその主権を国民が担うものとし、国家権力が軍備を持つことを禁じ、交戦権は認めないと憲法に書き込んだのであり、これを「改憲」と称して自衛隊を憲法に書き込むだの、集団的自衛権を行使するだのということを認めては、我々の祖先が苦労の末に築き上げた「平和憲法」を、元の「侵略」憲法に戻すことになる、誠に以て罰当たりな所業と言わざるを得ません。来る夏の参議院選挙では、改憲派の候補を落選させて護憲派の議席を増やしたいものです。
2022年05月02日
2020年4月の新聞記者を対象にした防衛省主催の勉強会で陸上自衛隊が配布した資料に「監視対象となる『敵』」として「反戦デモ」を上げていることが、共産党議員の質問で明らかになりました。この事例について、ジャーナリストの布施祐仁氏は10日の「しんぶん赤旗」のインタビューに応えて、次のように発言しています; 日本は民主主義国家ですから、有事であっても憲法で保障された言論・表現の自由は守られなければなりません。それにもかかわらず陸上自衛隊は、「反戦デモ」をひとくくりに敵視するかのように記述していた。あってはならないことです。 自衛隊はなぜ「反戦デモ」を警戒するのか。 たとえば台湾海峡や朝鮮半島で有事が起きたとします。そのとき反戦デモが広がり、世論が反戦に傾けば、米軍の作戦や自衛隊の後方支援活動が阻害される恐れがある。自衛隊はそういう発想をしているのでしょう。 記者向けの文書では「暴徒化したデモ」に書き換えましたが、小手先の対応だと思います。2007年に自衛隊の情報保全隊がイラクへの自衛隊派遣反対運動を監視していたことが明らかになりました。対象となった人たちは「暴徒」ではなく、平和的な手段で意思表示していただけでした。それでも監視対象にされました。 現代の軍事の世界では、前線での戦闘だけでなく、「世論戦」や「情報戦」が重視されています。そういう中で、軍事的手段だけでなく非軍事的手段も組み合わせる「ハイブリッド戦」といわれる戦争の手法があらわれています。典型的なのは、2014年のロシアによる「クリミア併合」でした。軍事的圧力をかけながら偽情報を拡散して現地住民を扇動したうえで「住民投票」を強行し「併合」の既成事実化を図りました。 自衛隊はこのようなケースを念頭においているのでしょうが、市民の正当な権利行使としての反戦デモまで敵視することは許されません。実力組織が軍事の論理を優先して国民の権利を制限しようとする動きには、国民も国会も警戒していくことが必要です。2022年4月10日 「しんぶん赤旗」 日曜版 35ページ 「イラク派遣反対運動も監視」から引用 本来、自衛隊は実力組織ですから、文民統制の下で管理・制御されるべき存在です。それが、常日頃から「反戦デモ」をやるような者は敵だと決めつけて、いわば偏見で見るような習慣になってしまえば、「暴徒化したデモ」かどうかに関わらず「とにかくデモは、ダメ」ということになってしまうのは容易に想像がつきます。自衛隊が日頃から、こういう偏見に満ちて憲法を蔑ろにするような勉強会をしていたということは、あってはならないことであり、メディアはもっと厳しく責任を追及するべきではないでしょうか。メディアの使命である「権力の監視」が十分に機能していなかったために起きた「事件」であったと言えます。
2022年05月01日
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