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今月11日に改正されたDV防止法が施行されたにもかかわらず、メディアはこのことを一切報道していない。それどころか、茨城県つくばみらい市が市民のためにこの法律の意義を説明する講演会を企画したのに、市民団体の圧力で中止になる事態まで起きている。このような状況を、弁護士の雪田樹里(ゆきたじゅり)氏は、27日の「しんぶん赤旗」日曜版で次のように批判している; DV(家庭内暴力)防止法の第2次改正が、1月11日に施行されたが、ほとんど報じられていない。 配偶者からの身体的暴力を受けた被害者のみが利用できた保護命令制度が、改正によって、「別れたら殺すぞ」などと生命や身体に対する脅迫を受けた場合にも利用できるようになり、電話や電子メールなどの禁止命令も制度化された。被害者の親族など、被害者を継続的に保護・支援する人にも保護命令の対象が広げられた。 被害者の保護がよりいっそう進んだが、これらの情報が被害者の元に届かなければ意味がない。DVの被害がなぜ潜在化するのか、その理由のひとつは情報不足である。 06年の内閣府調査によれば、女性の3人に1人、男性の6人に1人が、何らかの暴力の被害を受けている。毎日の生活の場である家庭の中で、もっとも親しい人間関係の中で生じる暴力は、被害者や加害者にとってはもちろん、子どもや家族、場合によっては友人など周囲の者にとって、生活や健康に与える影響は深刻だ。 メディアには、DVは、犯罪・教育・福祉・医療・雇用等に直結する、社会が取り組むべき優先課題だという認識を持ってほしい。 1月18日の「毎日」などが、茨城県つくばみらい市が、内閣府の専門調査会委員で被害者支援に取り組む平川和子さんを講師に招き、DVをテーマとする講演会を予定していたが、市民団体などの抗議を受けて、中止を決めたと報じた。市民団体は「被害者のシェルター(避難所)への保護は家族を破壊する」と、DV防止法を家族破壊法だと批判しているという。 改正法では、市町村に、暴力の防止および被害者の保護のための施策の実施に関する基本計画策定の努力義務が課された。中止決定はこれに反している。メディアが日ごろから、DVを報道していれば、同市も弱腰の対応は取れなかっただろうに。2008年1月27日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアを読む-DV講演会の中止」から引用 DVをテーマとする講演会を中止させた市民団体は、DV防止法を「家族破壊法」であると主張しているらしい。ということは、彼らの家庭は暴力によって成り立っているということだろうか。そら恐ろしい話であるが、これもまた、日本人社会の後進性を象徴している。
2008年01月31日
将棋が強いだけが取り柄の米長邦雄は、その時代遅れの考えをこともあろうに園遊会の場で今上天皇に指摘され、教育委員には向かない人物であることを暴露されたが、このほどなんとか任期を果たして教育委員の座を降りた。と、思ったら、こんどはこの米長に輪をかけたような、もっとヒドイ者が都教委に就任した。琉球大学教授・高嶋伸欣(たかしまのぶよし)氏は25日発行の「週刊金曜日」で、次のように批判している; マラソンの実績で知られる瀬古利彦氏に、東京都教育委員の辞令が一月九日、石原慎太郎都知事から交付された。任期は四年間。全国紙各紙は、都内版で瀬古氏のスポーツを通じた教育への抱負を紹介している。 さらに『朝日』は、ベタ記事ながら同氏が「日本オリンピック委員会理事もしているので招致活動もしていきたい」と述べた上で、「君が代」斉唱時に不起立の教員を次のように批判した旨紹介した。「個人としては五輪に行って日の丸を見て泣いた。五輪に連れて行って日の丸がのぼるところを見せてあげたい」と。「日の丸・君が代」の学校への強制徹底と五輪誘致世論形成への学校教育利用という意図が、この人事からは、露骨に読みとれる。 一方、同日の『世界日報』は、次のように伝えた。「個人としては、日の丸を見たら涙がいつも出てくる。日の丸を見て国歌を聞いて泣かない人は私には考えられない」「オリンピックに連れて行き、日の丸が揚がる姿を見てもらいたい。そうしたら変わります」と。五輪憲章に違反の発音 自分の感性を他者に強要することに疑問を持たない人物が、教師どころか教育委貝に就任したことになる。しかも瀬古氏の発言は、五輪の表彰式や開閉会式の旗と歌が、国旗・国歌ではなく選手団の旗と歌にすぎないと五輪憲章が改定された(一九八四年施行)事実に反し、不勉強だ。 憲章改定の主旨は、個人とチームの技の競い合いの基本理念が国別のメダル争いの過熱で歪むのを防ぐためだった。憲章の規定を無視し、基本理念を歪める人物に大きな顔をさせる石原都政に東京大会誘致の資格があるとは思えない。 それに、選手団の旗でしかない「日の丸」を、五輪の場でも同じ絵柄だから国旗とみなせと主張することは、別の絵柄の旗を登録した選手団への差別でもある。五輪には王族も一般人も競技場では同等対等という基本理念がある。 元首相の細川護熙(もりひろ)氏は、熊本県知事時代の冬季国体にスキーの県代表選手として参加したが、そこでは一選手にすぎなかった。瀬古氏の発想では、競技の場でも細川氏を知事として別扱いにしろというに等しい。それに五輪表彰式で起立を求めるのは選手への敬意表明であって「国旗」へではない。 瀬古氏の発想では、学校外での保護者の社会的地位や身分の差が、学校内に導入されるのを防げない。えこひいきは、いじめを誘発する。瀬古氏は前任の米長邦雄氏同様、教育委員に不適格だ。 この三月には、卒業式での不起立教員にいよいよ解雇処分発令かと、懸念されている。さらに八月には北京五輪があるのに、問題点指摘の基本的事実認識が、各紙の記事では読みとれない。記者には五輪憲章の学習を求めたい。2008年1月25日 「週刊金曜日」687号 24ページ「メディア・ウッォチング-瀬古利彦氏 都教委就任発言のでたらめ」から引用 瀬古利彦が日の丸を見たり君が代を聞いたりして涙を流すのは彼の勝手だが、自分がこうだから他人もそうあるべきだというのは間違いで、世の中にはいろいろな考えがあるとか、同じものを見ても人によって感じ方が異なるとか、日の丸を見ると家族の不幸を思い出さずにはいられない家庭環境の人もいるとか、そういう思考が欠如しているのは、ろくに勉強もしないで人生の大半を「駆け足」だけで過ごしてきたからではないのか。マラソンのコーチとしては有能かもしれないが、教育委員には不適格この上ない。さらにまた、オリンピック誘致に役立つかもしれないと石原知事は考えたかもしれないが、高嶋教授が指摘するように、瀬古自身がオリンピック憲章を理解していないときた日には、まったく話しにならない。グランドで生徒に駆け足のやり方を指導するのが関の山というものだろう。
2008年01月30日
政治学が専門の東北大学教授・牧原出氏は、ねじれ国会は戦略的な政治家が出現する好機であるとして、21日の読売新聞「ウィークリー時評」で次のように論じている; 十五日に閉幕した臨時国会では、参院選後の「ねじれ国会」の下、新テロ対策特措法の衆議院再議決をクライマックスに与野党の駆け引きが続いた。国会が名実ともに政策形成の中心舞台に躍り出たのである。 しかし、振り返ってみると、国会が政策形成の焦点となったのは、安倍内閣が強行採決を連発したことが遠因となっている。このときに成立した公務員制度や年金関連の法案は、各界の代表する諮問機関で慎重に審議されたのではなく、「官邸主導」の下、大臣・官邸周辺で立案され、突然国会に提出された。参議院選挙は、表向きは「官邸主導」、実情は衆・参の圧倒的多数の与党議席に頼った安倍内閣に対して、ストップをかけることとなった。 つまり、「官邸主導」の行き着く先は、いつの間にか「国会主導」の政策形成となっている。だがそれもまた、一つの政治の流れなのである。昭和二十七年、吉田茂内閣が「側近」のみと打ち合わせた「抜き打ち解散」は、自由党の分裂を生み、吉田内閣が少数与党内闇へと転落する契機となった。以後、保守系諸政党が、合従連衡と取引を繰り返しつつ予算編成と法案作成を進めていく。 官邸への不用意な権力集中は、国会での権力分散を生み出す。その結果、官邸主導は破綻し、国会が実質的な法案形成の場となるのである。 このときにこそ国会の新しいルール形成が求められる。自由党分裂によって「ワンマン」吉田首相の「側近政治」が行き詰まった後には、「新しい国会のルール」作りを真剣に考えた一群の政治家が与野党に現れた。彼らのリーダーこそ、後に自民党ハト派の政策通として知られるようになる石田博英であった。石田は、占領終結後に本格的に施行された憲法を前提に、国会手続きの周到な整備に執念を燃やしたのである。 参議院に過半数政党がない現状では、「ねじれ国会」は衆議院解散によっても解消されない。長期的視点に立って、委員会での実質的討論の確保、両院協議会の活性化、民間人を委員とする諮問機関の設置など、審議をより濃密にするための改革を構想すべきである。必要なのは、与野党提出法案のいずれが妥当かを明らかにする審議手続きだからである。 そして、こうした新しい国会の制度化をリードする一群の政治家から、将来の政権の担い手が登場するはずである。ちょうど後の石田が、自民党総裁選でその師石橋湛山の勝利に尽力し、官房長官に就任したように。「ねじれ国会」は戦略とビジョンを持った政治家を生み出す好機なのである。2008年1月21日 読売新聞朝刊 12版 15ページ「ウィークリー時評-ねじれ国会 戦略ある政治家誕生の好機」から引用 ねじれ国会の今こそ、現状打開のために知恵を絞り、今までのような、政府と与党が国会の外で政策を決めるようなことは止めて、国会の場で正々堂々、野党を含めて政策論議をおこなうべきです。
2008年01月29日
日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の調査報道によると、わが国の教科書検定を担う教科書調査官は、れっきとした公務員であるにもかかわらず、正式な公務員試験も受けず単なる『縁故』で採用しているらしい。しかも、その『縁故』の口利きをしている人物は、戦前わが国が進路を誤った原因の一つである「皇国史観」を唱えた平泉澄の弟子だというから、事態は深刻である。20日の「しんぶん赤旗」は、次のように報道している; 沖縄戦「集団自決」の教科書記述をめぐる昨年来の動きのなかで、教科書執筆者らから、文部科学省教科書調査官制度廃止の要求が強まっています。教科書調査官のヤミの系譜に迫ってみると-。 前田泰孝記者 「蚊帳の外」。ある教科書出版社の編集者は、通常なら自分たち編集者が教科書調査官との折衝にあたるのに、今回の訂正申請では外されたことを、こうのべました。 「社の限られた役員のみ。他社も同様のようです。調査官とのやりとりに編集者が参加できないなんて異例だし、おかしい」 異例な場で、文科省教科用図書検定調査審議会(検定審、学者などで構成)の合意をも越えて、日本軍の強制性を示す記述削除を『指示』したのが教科書調査官です。 検定薯の複数のメンバーも本紙の取材(先週号で既報)に軍の強制性はダメだとすることで一致した覚えはない、と証言しています。 問題の検定意見で中心的役割を果たした照沼康孝主任調査官は本紙の取材に「検定審は非公開だからコメントできない」としながら、こう語りました。 「そのように(検定審メンバーのなかに)言う人がいるなら、そう解釈すればいい。否定も肯定もしない」特異な歴史観 この横暴な教科書調査官を誕生させた調査官制度とは、どのようにしてつくられ、どんな人たちが選ばれてきたのでしょうか。 同制度は、1956年に国会に提出された「教科書法案」に盛り込まれましたが、教科書に対する国の管理を強めるものだと、国民が反対し廃案になりました。ところが文部省(現、文部科学省)は同年、行政措置で制度導入をごり押ししました。 調査官『1期生』に村尾次郎氏がいました。社会科の初代主任調査官です。村尾氏は旧東京帝大文学部国史学科の卒業生で、戦前の天皇中心主義歴史観の代表的歴史家、平泉澄教授の愛(まな)弟子の一人です。 同教授指導の右翼団体「朱光会」会員で、「日本は天皇の国」「右翼と呼ばれたい」(『週刊朝日』69年8月1日号)と言ってはばからない人物でした。 調査官就任後、初の仕事が、家永三郎氏執筆の教科書検定。家永氏が起こした教科書検定訴訟で被告・国側証人として証言しました。 「個人の見解といえども客観性があると判断したら、(検定意見に)入れる」とし、客観性があるかどうかも「自分で決める」と明言(69年7月5日、東京地裁)。自らの特異な歴史観を検定に持ち込むことを否足しませんでした。「自決」を美談に 村尾氏は同じ東大文学部国史学科の後輩で朱光会の時野谷滋氏を調査官に起用しています。 時野谷氏も家永教科書を担当。「南京占領直後、日本軍は多数の中国軍民を殺害した」との記述の「日本軍は…殺害した」を、「軍として亀織的にやったという誤解が生じる」との理由で認めませんでした。 家永裁判で、国側証人として、沖縄戦での住民の「集団自決」を崇高な犠牲的精神の発露だとする見方への是非を問われ、「そういう場合もあったろう」と発言。(87年2月17日、東京地裁)「集団自決」犠牲者は日本軍のために殺された人に「含まれない」とも答えました。 時野谷氏は初めて教科書に「集団自決」を書かせましたが、軍の強制性を否定し、国のために自決した殉国美談の意味を込めていたのです。 その時野谷氏が主任調査官となったとき起用したのが、軍の強制性を削除した今回の検定意見で中心的役割を担った照沼康孝調査官です。 照沼氏は、戦争美化の「新しい歴史教科書をつくる会」人脈の伊藤隆東大名誉教授の門下生。伊藤氏が時野谷氏に紹介しました。 伊藤門下生で照沼氏の後輩の福地惇氏の場合、いきなり主任調査官に。本紙に「『左』に偏向した教科書を右にするための、検定強化の意味がある」と説明しました。 同氏は調査官就任後すぐ、月刊誌の対談で、教科書を「戦争に対する原罪(しょくざい)のパンフレット」(月刊誌『MOKU』98年9月号)と攻撃。半年足らずで『クビ』になりました。 現在「つくる会」副理事長です。 福地氏がクビになった後、伊藤門下生の村瀬信一氏が調査官に。 照沼、村瀬氏は恩師、伊藤氏が執筆や監修した「つくる会」教科書を検定合格(01年度・05年度検定)させました。 調査官は文科省専任職員=国家公務員なのに採用試験がなく、選考基準を文科省は明らかにしていません。 前出の福地氏も「人脈たよりのケース・バイ・ケース。いいかげんなもの」と語るほど「縁故採用」がまかり通っています。2008年1月20日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「教科書調査官 『縁故』で採用 闇の系譜」から引用 「つくる会」教科書のような怪しげな書物が、わが国の歴史教科書として検定をパスしたのには、このようなカラクリがあったのだ。民主主義の国家において、このようなデタラメを許しておいてはいけません。教科書検定制度は早急に見直されなければなりません。
2008年01月28日
古森重隆の非民主的で強引なNHK会長選びを批判して、元立命館大学教授・松田浩氏は次のように述べている; NHKの新会長に福地茂雄氏(アサヒビール相談役)が決まりました。安倍前首相と管前総務相の強い意向でNHKに送り込まれたという古森重隆経営委員長(富士フイルムホールディングス社長)が委員長権限をフルに使って強引に選んだ人事です。 NHKのトップ2人を財界人が独占する異常事態。私は過日、某ラジオで「ことの本質は自民党安倍派によるNHKジャック(乗っ取り)だ」と解説しました。乗っ取り劇は周到かつ計画的に仕組まれた形跡があります。 乗っ取り劇は放送法改正(経営委員会の権限強化など)や受信料支払い義務化と完全に運動しています。NHKの国営放送化への第一歩にもなりかねない事態です。 背景に政府・財界の体制的危機感があることも見落とせません。「ワーキングプア」シリーズや「沖縄集団自決」問題など最近のNHKの番組面での健闘ぶりは、参議院での与野党逆転とも相まって、彼らにとって脅威です。古森氏の問題発言(「選挙期間中の…歴史物など注意願いたい」)も、ここにつながっているのです。 選考過程の公開や公募制の申し入れを無視し、終始、水面下で財界人を口説き回ったすえ、強引に福地氏を会長に据えた手法も許せません。現執行部はダメ、NHKOBでは改革ができないと他の候補の芽をつんで、一度も論議すらしていない福地氏を突然、委員に引き合わせて多数決で決めるやり方が、いかに乱暴か明らかです。 記者会見で福地氏は「古森氏からの要請を3回断り、最終的に12月上旬に受諾した」ことを明らかにしています。経営委員会が外部起用の方針を決めたのが、12月13日ですから、一種のペテンです。 「自主改革」の提言を無視し、執行部に政府の「NHK改革」構想を迫る姿勢も逆立ちしています。そんな財界人コンビの今後を、私たちは厳しく監視していく必要がありそうです。2008年1月20日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアを読む-NHK乗っ取り」から引用 言論・報道の自由という立場から、NHK会長人事はガラス張りで民主的に行われるべきである。それにしても、最近のNHKが作った「ワーキングプア」シリーズや「沖縄集団自決」問題などの番組で、政府・財界が体制的危機感を持つとすれば、彼らが希望する体制というものは、意外と簡単に引っくり返すことができるのかも知れない。
2008年01月27日
日本政治思想史が専門の東京大学教授・苅部直(かるべただし)氏は、5日の朝日新聞に寄稿して、将来あるべき皇室の姿について、次のように述べている; いつのまにか、平成の年も二十年に及んだのかと思うと、不思議な気がする。つい先日も、バブル経済のころにできた建物が、老朽化のため(?)取り壊されている現場にであった。その建設風景を見たおぼえがあるのに、もう解体とは。自分もまた、いつのまにか歳をとったという、かすかな衝撃を感じる。 まえに、皇室制度に関する戦後の議論をながめる仕事をしたとき、時代が昭和から平成に変わる寸前に発表された、久野収の論考「『天皇崇拝』の意識構造」(初出は一九八八年十月、『展望』晶文社刊、所収)を、おもしろく読んだ。昭和天皇の重病のさい、社会に広がった「自粛」の動きに戦前の「現人神信仰」のなごりを兄いだし、それに警鐘をならしたエッセイである。久野の柔軟な論 しかし同時に、文章の末尾では、独特の皇室制度論を述べている。「天皇制」をめぐる表現の自由は広く認められるべきであり、国際化が進むこれからの日本では、天皇は、「大和民族のシンボル」から、「多民族を含む国家のシンボル」へと変わる必要がある。天皇の代替わりと改元を目前にしたとき、久野はそう説いて、戦後のいわゆる「進歩派」の言論にありがちな「天皇制」否定論ではなく、むしろその新しい形での存続を唱えたのだった。 このエッセイは、最初は週刊誌に発表され、それなりに注目を集めたように思うのだが、久野の没後に刊行された著作集には入っていない。平和運動と市民運動に邁進(まいしん)したこの哲学者なら、「天皇制」を批判するはずだ、という漠たる思いこみが、愛読者の側にたぶんあったために、理解不可能な文章と判断されてしまったのではないか。 だが改めて考えれば、平和主義や民主主義を信奉することと、皇室制度を批判することとが、論理の上でじかにつながるわけではない。世襲君主を置く英国やオランダの国家制度を、反民主的と言い切るのはむずかしいだろう。日本の「天皇制」は諸外国の君主制とは事情が異なる、と反論する手もあるが、そうした論法は、たとえば徳川時代の国学者と、皇室の存続への価値評価を逆にしただけで、制度の理解としてはまるで同じになる。 どうも、皇室制度をめぐる議論は、二つの極に岐(わか)れてしまう傾きがある。それを日本人の文化伝統や宗教性と単純に結びつけて賞賛(しょうさん)するか、あるいは、自由や平等の普遍的な価値に反するものとして、批判もしくは無視するか。たとえば久野のように、多文化社会の到来を歓迎するリベラルな立場から、皇室制度の新しい意義を考えるといった議論は、宙に浮いたようになってしまい、理解されにくい。 結局のところ、いまある国家制度のなかに、世襲君主制がくみこまれていることの意味をどう説明し、その機能をいかに論じ定めるか。そうした議論の蓄積が、いまだ乏しいのである。皇位の男女にかかわらない長子継承を唱えた、三年前の「皇室典範に関する有識者会議」による報告は、そうした方向での議論を活性化させるきっかけになりえたはずである。だが世上では、結論部分をめぐる言論の応酬ばかりが目につき、その流行も、すぐ下火になってしまった。 関連して出た本格的な論著としては、会議の一員であった園部逸夫氏による『皇室制度を考える』(中央公論新社)や、伝統重視の視点から有識者会議の結論を支持した、田中卓氏の『祖国再建』上下(青々企画)が、目をひく程度である。「模範」の意義も 昨年の暮れ、12月11日に、身体が不自由な人の雇用促進のため作られた会社の作業所を、天皇・皇后両陛下が訪問され、従業員に暖かい声をかけられたことがあった。あまり大きく報じられなかったが、紛糾する国会のようすや、官庁の不始末の報道とは、まったく対照的にほっとさせられる。 もちろん、細かな政策提言につながることはないにせよ、こうした皇室の活動に、世間の多くの視線が集まることを通じて、それが権力者の行動に関する模範として働く。報道がきちんとしていれば、そういう回路も、皇室制度が今後ももつ意義として、期待できるのではないか。 少なくとも、天皇による任命や国会召集といった手続きがもしなかったら、政治家や大臣の責任意識は、現状よりもさらに地に堕(お)ち、混乱に満ちた政治の世界が登場していただろう。そう仮に想像してみることにも、十分な意味があると思えるのである。2008年1月5日 朝日新聞朝刊 13版 12ページ「新・皇室制度論-伝統VS.批判の二極を越えて」から引用 なかなか面白い論考と思って読んでみたが、大和民族の象徴から他民族を含む国家の象徴となっていくべきとする久野収の論文を紹介したりして、なるほどと思ったが、最後のところで、天皇がいないと国会が混乱するなどと言ってるところを読んでガックリしてしまう。結局、苅部氏も「伝統派」の域を出ていない。天皇がいないと国会がやっていけないなら、アメリカや韓国には誰がいて、そういう機能を果たしているのか。それとも、日本人はアメリカ人や韓国人に劣るというのか。 さて、当ブログの常連コメンテーター諸氏の反応や、如何に。
2008年01月26日
民主党が応じなかったので頓挫した「大連立」について、戦争体験者は次のような不安を、5日の朝日新聞に投書している; 昨年11月、福田首相が「新体制」発言をした。 「連立というか、まあ新体制ですな。新体制。要するに政策実現のための体制ですよ」。この言葉を聞いて悪夢が甦(よみがえ)った。 1937(昭和12)年、近衛文麿が首相となり、日中戦争が始まると、矢継ぎ早に「国家総動員法」「ノモンハン事件」「紀元二千六百年奉祝事業」「日独伊三国同盟」と戦時体制が強化された。40、41年に第2次、第3次近衛内閣が樹立されるや大政翼賛会体制となった。国民のことごとくが好むと好まざるとにかかわらず「新体制」に組み込まれた。「バスに乗り遅れるな」が合言葉だった。 この体制を批判したり、反対したりした者は「非国民」と言われて生活していけなかった。そして太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)。私の家族は45年8月9日、長崎で原爆に遭い、母と祖母、2人の妹が亡くなった。 大連立が大政翼賛会のようなものになったらどうなるのか。二大政党制を実現することが真の民主主義ではないのか。今の日本は戦争に突入していった時代と極めて似ている。国民は肝に銘じるべきである。2008年1月5日 朝日新聞朝刊 13版 12ページ「声-新体制発言で悪夢が甦った」から引用 戦争突入前の日本と現在の日本では、諸般の情勢が著しく異なっているので、簡単に今が戦前と似ているとは言いがたいが、しかし、政治指導者の信念の無さ、自覚の足りなさ、ポリシーの欠如という点では確かに似ていると言えるかもしれない。
2008年01月25日
神奈川県教育委員会は、学校の式典で君が代斉唱のとき起立しない教員の氏名を報告させるという、人権を無視した違法な業務命令を校長に出している。一方、神奈川県には個人情報保護条例があって、個人情報保護審議会が設置されており、この度同審議会は教育委員会に対し、不起立教員の氏名を報告させる行為は個人情報保護条例に照らして「不適切」な行為であるとの答申をだした。18日の朝日新聞は次のように報道している; 君が代斉唱の際に、起立しなかった教職員の名前を、県教委が校長を通じて報告させてきた行為について、県個人情報保護審議会が出した答えは「ノー」だった。答申では最終的な判断を県教委に委ねた。しかし、答申に背いて名前収集を続けることは審議会の存在意義にもかかわる。県教委の今後の対応が注目される。 (佐藤善一、岩堀滋、楠田裕司) 「本件諮問の内容を適当とする答申を行うことはなしがたい」。3回の審議を経た同審議会の結論は、昨年10月の県個人情報保護審査会の答申に沿った内容だった。 審議会の結論を受けた引地孝一教育長はコメントを出し、「審議の内容を聞いていないので何とも申し上げられない」といい、名前収集について今後の方針は示さなかった。ただ県教委の姿勢については「国旗、国歌の指導については、これまで通り、学習指導要領などにのっとり、粘り強く教職員に指導していきたい」とこれまでの発言を繰り返した。 兼子仁会長は「県教委は名前収集を合憲と判断して、そのお墨付きをもらいたかったのかも知れないが、それは出さない結果に至った」と説明。県教委が名前収集を続けるかどうかについては、「違憲という判断も十分にあり得る問題だ。憲法問題について県教委が自己責任で続けるか判断することになるだろう」と指摘した。 実際に県教委に名前を報告された教員の1人は「県は二つの諮問で(名前収集を)やってはいけないという見解を受けたのだから、ちゃんと守ることが重要だ。それでも続けるならば、県が自ら作った個人情報保護条例を形骸(けいがい)化することにつながる」と訴えた。 審議会には傍聴希望の市民が約70人集まり、抽選で35人の参加が認められた。審議会では、冒頭に兼子仁会長が名前収集は不適当とする内容の答申のたたき台を提示し、協議がスタート。「諮問内容を不適当とする本答申を経て、最終的にいかなる職権行使をするかは、教育委員会に条例上委ねられている」という記述について、「積極的に教委に職権行使を認めているように思える」「こうしたやり方もあるということを示すためにも必要」と様々な意見が出た。2007年1月18日 朝日新聞朝刊 14版 31ページ「重い再度の『ノー』」から引用 神奈川県個人情報保護審議会は二度にわたって不起立教員の氏名を報告させることは不適切であると答申しているのだから、それでも県教育長がこれを改めないのであれば、神奈川県警は県の条例違反ということで教育長を逮捕するべきである。 また、この答申が出た直後、松沢知事は「それでも氏名報告は必要である」とのコメントを出しているので、この際、松沢知事にも任意出頭を求めて、今後、県の条例を遵守していく気があるのかないのか、取調べを行ったほうがいい。
2008年01月24日
最近若手の政治学者が、正々堂々左翼の立場からの発言を強めていることを、19日の朝日新聞は次のように解説している; 沈滞がささやかれて久しい論壇で、このところ若手、とりわけ30代の活躍がめざましい。格差や若者労働にナショナリズム、社会主義革命。政治の再生を強く、時に過激に、問題捷起してみせる。80~90年代初めに流行したポストモダニズムの「脱政治化」の流れを変える勢いで、この世代による思想誌の創刊も決まっている。 (藤生京子) 「微温的な左翼では駄目。もっと強烈な思想を対象にしたいと思った」 日本学術振興会特別研究員、白井聡さん(30)は、昨春発表した『未完のレーニン』(講談社選書メチエ)の執筆動機を、そう語る。ブルジョア国家を破壊する革命はユートピアではなく、プロレタリアートの本来的な「力」の結集によって現実に、常にすでに起こっているという主張を、フロイトも絡めて読み解く政治思想の書。各紙書評のぼか、昨年を代表する本の一冊に選ばれたり、雑誌で特集が組まれたりもした。 ソ連崩壊から16年、今なぜレーニンか。白井さんは「今だからこそ」と答える。社会主義国があった時代、自由主義諸国は対抗策として福祉政策を進め、労働者は様々な恩恵を享受することができた。だが冷戦後、システムが崩れ、グローバル化のひずみが世界を覆った。いわゆるロストジェネレーションの一人として、バブル後の混迷の「被害者」を肌で感じてもいる。 「物心ついてから、ずうっと『改革』が叫ばれながら、実行されたのは新自由主義の構造改革だけ。方法はどうあれ、可能なる革命の構想が求められている」 左翼の多くが冷戦後、自信喪失したことなどおかまいなしに、マルクス主義者を堂々名乗り、階級闘争を口にしてはばからない。 津田塾大准教授(哲学)の萱野稔人さん(37)も、国家の起源を「暴力を組織化する運動」と指摘した『国家とはなにか』(以文社)以来、「左翼」「アナーキスト」と呼ばれることが少なくない。 「上の世代の一部には『とっくの昔に終わった議論の蒸し返し』と言われたが、本当か?と聞きたいですね」 大学院生活を送ったパリでは、経済的・政治的に見捨てられた人々がナショナリスティックな言説に吸い寄せられる現場を見た。日本でも似た状況を案じる。非正規雇用やワーキングプア問題の集会で話をするのも、白井さん同様、資本主義の変容に伴う社会の危機に「愚直な言葉の力で、少しでも立ち向かいたい」と思うからだ。左右の二分法崩したい 左翼的スタンスを鮮明にした論客ばかりではない。『中村屋のボース』(白水社)が話題になり、いま新聞・雑誌に引っ張りだこの北海道大准教授(アジア政治)、中島岳志さん(32)の最新作は、西部邁さんとの共著『保守問答』(講談社)。「従来の左翼にありがちな、理想設計主義的で合理的な正義は信用しない」と語る。と思えば、昨年の『パール判事』(白水社)では、東京裁判でのパールの見解を保守派が政治利用していると批判、小林よしのりさんらの反論を受けた。 「左右の二分法を崩したい」。一つの指針は、目の前の覇者の存在から目をそむけたくない、という思い。ポストモダンの時代にしばしばみられた、政治的発言をすること自体の権力性を議論していても始まらない、と考える。 メディアで幅広く活躍する若手は、ほかに鈴木謙介さん(社会学)、芹沢一也さん(日本思想史)らがいる。横の交流が活発なのが、この世代の特徴だ。こうした中、4月に「思想地図」(NHK出版)が創刊される。編集委員はともに71年生まれ、批評家の東浩紀さんと社会学者の北田暁大さん。デビューの早かった「先行組」が、続く若手を巻き込む形で準備が進む。1月22日には都内で記念シンポジウムも開かれる。 社会学者の佐藤俊樹・東大准教授(45)は、政治に向かう若手の動きを、「ポスト『ポストモダニズム』時代」の「再政治化」とみる。「左」の崩壊が「右」の崩壊も引き起こし、従来のスタイルで語る論客は退場した結果、「政治を語るうさんくささや拒絶反応が薄らいだ」という。 ポストモダン世代の一部にはなお、椰輸(やゆ)する声がある中で、政治化それ自体は肯定する佐藤さんだが、違和感を抱くこともある。「よくも悪くも洗練された研究者の手つきで、地方や低学歴層の人々の切実な問題をどれだけすくいあげられるのか」 その意味でも今後、彼らの言う「政治」の真価が問われることになりそうだ。2008年1月19日 朝日新聞朝刊 13版 25ページ「政治化する30代論客」から引用 この解説が指摘するように、かつて資本主義経済が健全で労働者の権利が保障されていたのは、競争相手の社会主義圏が存在したため、自国の労働者に「やっぱり社会主義のほうがいいな」と思わせないための、支配階級の努力の結果であった。ところが、その社会主義圏が崩壊して競争相手がいなくなったものだから、今では景気が良くなっても、経営者や役員の報酬が増額するだけで一般労働者の賃金は据え置きか減額である。そのための労働者派遣法の改悪だの、ホワイトカラー・エグゼンプション制度だのと、労働者階級を再び搾取する準備が着々と進んでいる。このまま行けば、労働組合の組織率も再び上昇に転じ、やがては日比谷公園に再び「インターナショナル」がこだまする日が来ないとは限らない。
2008年01月23日
組織率の低下が続く労働組合の現状について、15日の読売新聞は次のような解説をしている; 厚生労働省が昨年12月に発表した労働組合基礎調査によると、昨年6月末現在の組合員数は1007万9614人で、前年より3万9034人増えた。パート労働者の組合員数が約7万3000人も増えたことが、1994年以来の増加につながった。 しかし、雇用者に占める組合員数の割合を示す組織率は18・1%で、前年より0・1習減った。雇用者が前年より約48万人も増えたのに、組合加入者がそれに見合った増加を示していないためだ。 組織率は、1975年の34・4%を境に下がり続けている。その理由の つとなっているのが、今や雇用者の3分の1を占めるまでに増えたパートやアルバイトなど非正規労働者の存在だ。 労組の組合員はこれまで正社員が中心で、賃上げや労働時間短縮など労組が掲げる要求も正社員を想定したものが多かった。このため、非正規労働者は労組に関心を持たず、加入しない人が多かった。 企業側は、人件費の低い非正規労働者を積極的に採用したため、正社員は減少。組織率低下に拍車をかけた。ある産業別労働組合の幹部は「正社員にばかり目を向けた結果、非正規労働者の増加という職場の変化に労組がついていけなかった」と話す。 正社員との賃金格差が広がり、働いても生活費を賄えない「ワーキングプア」が増えるなど、非正規労働者を取り巻く問踵は深刻だ。また、企業側にとって都合のいい非正規労働者の増加は、賃金格差解消を名目にして、正社員の賃金を抑える方向へ傾く恐れもはらんでいる。 今月7日の記者会見で連合の高木剛会長は「非正視の問題は、日本の格差社会に大きくかかわっている。解決に力を尽くさないといけない」と述べた。非正規労働者の処遇改善を最優先課題とし、雇用者全体の労働条件向上につなげたい考えだ。 非正規労働者の問題を巡っては、労組の役割を見直す動きも強まっている。日雇い派遣労働者の労組が相次いで設立され、個人加入の労組にアルバイトの若者が参加するケースも増えた。 パートやアルバイトからの労働相談を受け付けている首都圏青年ユニオン(東京都豊島区)の動きもその一つ。昨年9月に行われた定期大会では、会社側との団体交渉で解雇通告を撤回させた事例などが報告された。「労組にこんな力があるなんて思わなかった」。ファミリーレストランで働く20歳代のアルバイト女性の言葉だ。同ユニオンの河添誠書記長は「働くことに希望を持てない若者が多い。そんな時代だからこそ、仲間とともに働く喜びを分かち合える労組の必要性は高いはず」と話す。 労組にとっては、組織率低下に歯止めをかけるためにも、非正規労働者への働きかけを強めることが欠かせない。彼らとの共闘で、何を目指し、どんな活動を行うのか。労組は自らの存在意義を分かりやすく語る必要がある。2008年1月15日 読売新聞朝刊 13版 13ページ「非正規労働者へ 共闘働きかけを」から引用 労働組合に加入する労働者数は1994年をピークに漸減する傾向にあり、非正規労働者が増えたせいであると読売は言っているが、もっと深い部分の労働者の意識としては「組合に入っていなくても、そこそこ給料がもらえる」という意識があるのではないか、と私は思う。しかし、そのような時代はもはや終わってしまった。ここ数年は戦後最長の好景気と言われ、企業経営者や役員の報酬は増額になったが、一般の労働者の賃金は好景気にも拘わらず、逆に減少している。このような状勢がこのまま続けば、労働者も安閑としてはいられなくなって再び労働組合に結集する時代がくるのではないかと思う。
2008年01月22日
萱野茂二風谷アイヌ資料館館長を務める萱野志郎(かやのしろう)氏は、日本政府がアイヌを先住民族として認めるべきであるとして、12月29日の朝日新聞に寄稿し、次のように述べている;今年は世界の先住民族にとって歴史的な年だった。 9月13日、国連総会において「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されたのである。これは先住民族を「国際法の主体」として認め、自己決定権や返還・賠償・補償樺など、さまざまな権利を規定した人権文書だ。 日本も賛成票を投じた。だが、日本政府は我々アイヌ民族を「先住民族」とは認めていない。先住民族に関する定義はいまだ確立されておらず、アイヌ民族が日本における先住民族か否かを判断できないというのが理由という。世界の流れは別 しかし、これは世界の趨勢(すうせい)や国内の実態に反している。9月14日付の朝日新聞「私の視点」欄に、北海道ウタリ協会の加藤忠理事長による「政府は先住民族と認めよ」という主張が掲載された。私も理事長の主張に同感だ。 「先住民族」という概念はきわめて政治的なものである。単に、ある地域に居住していた時期が早いか遅いかという時間的な後先ではない。世界各地の先住民族を取り巻く問題に詳しい上村英明・意泉女学園大教授(市民外交センター代表)はこう定義する。「近代国家が成立する時点において、合意なしに国家に統合され、現在被支配的立場におかれ、かつ(固有の民族としての)人権が十分保障されていない人々」 これを日本にあてはめてみよう。近代国家の成立は明治政府の発足にあたる。アイヌ民族は1871(明治4)年の太政官布告によって一方的に日本の国籍が与えられた。21世紀の今日においても、就職や結婚で差別が存在している。現在アイヌ民族出身の国会議員はいない。為政者側にアイヌ民族の意思が十分に伝わっているとはいえないのが現状だ。すなわち「明治政府はアイヌ民族をその自由な意思によることなく一方的に統合し、現在被支配者的立場におき、なおかつ人権を十分に保障していない」といえよう。アイヌ民族は日本における先住民族なのである。 判決もある。1997年3月27日、札幌地裁で二風谷ダム訴訟の判決が言い渡され、「アイヌの人々は……『先住民族』に該当するというべきである」と明記された。 アイヌの現状について、外国のメディアや市民団体から「なぜ日本では先住民族として認められないのか」と問われることも少なくない。 アイヌ民族は3万人とも10万人ともいわれる。誰がアイヌなのか。血なのか文化なのか。「自分はアイヌだ」と自覚し、そのコミュニティーから認められた者がアイヌなのである。民族とはアイデンティティーの問題なのだ。 先住民族に認められる権利には、土地に関するもの、外交を含む自治に関するもの、地下資源や埋蔵物に関するもの、言語使用に関するものなどがある。私の父・萱野茂は「和人に土地を売った覚えも貸した覚えもない。借りたのであれば借用証を見せろ」とよく言っていた。本稿では土地について論じよう。 世界の先住民族を見ると、1990年代以降、一部とはいえ返還されているケースがいくつもある。カナダではイヌイットの準州ができたし、オーストラリアではアボリジニーに返還を命じる判決が出た。国際的に見て決して特異なことではないはずだ。 北海道を全部返せなどと言うつもりはない。すでに何世代にもわたって和人が住んでいる私有地まで戻すべきだというつもりもない。聖地も国所有? 北海道は約834万ヘクタール。このうち約半分の414万ヘクタールが国有地だ。道有地、市町村所有の公有地も多い。このなかの一部でもいい、返還してほしい。歴史的経緯を考えた場合、特に政府に求めたい。 我々の聖地である山や谷も、いまはその大半が国有地だ。もともとは我々の先祖が住んでいた土地である。アイヌ民族には土地所有の観念がなかった。明治期に、外から来た人々が一方的に法律を制定し「所有」を決めたのである。その結果、神々に祈る行事を行おうにも、政府の許可を得なければできない、などということまで起きた。 アイヌ民族を「先住民族」と認め、国有地の一部を返還する。国民が理解し、政府が判断すれば可能なはずだ。返還されたあとも、北海道の道民や来適者が自由に通行や利用ができるものとしたい。私は活動家ではない。「アイヌ語ペンクラブ」の一会員であり、こうして書くことで訴えている。 先住民族を取り巻く問題にどう向き合うかは、法治国家ニッポンの成熟度を測るバロメーターとなるに違いない。2007年12月29日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「異見新言-先住民族と認め、土地返還を」から引用 先住民族の要求にしては極めて控えめな、穏当な要求である。世界第二の経済大国である日本が、この程度の要求を認めることに何の不都合があるだろうか。支障の無い範囲内で早急に対応を検討するべきである。
2008年01月21日
憲法の改悪をたくらむ者たちは、2010年の改憲発議に向けて今から憲法審査会を始めたい意向のようだが、やはり世間の目が気になって、おいそれとは始められない状況のようである。10日の朝日新聞は次のように報道している; 安倍前首相が唱える「戦後レジームからの脱却」の象徴とされた憲法改正論議が、たなざらしになっている。改正手続きを定めた国民投票法で設置が決まった衆参両院の憲法審査会の始動は、15日に会期末を迎える今国会中は見送られ、通常国会でも難しい状況だ。 超党派の議員でつくる「新憲法制定議員同盟」は審査会の立ち上げを求め、国会議員約320人分の署名を集めた。10日に参院議長、11日に衆院議長に提出する予定だが、関係者の一人は「国会は憲法どころではないし、話題にあまり上らない」とため息を漏らす。 昨年5月に成立した国民投票法は、与党が民主党など野党の反対を押し切って採決した経緯がある。加えて昨年の参院選で安倍前首相が改憲を争点化し、自民党の公約で2010年の改憲発議を掲げたことから、野党各党は審査会の始動そのものにも慎重姿勢を強めている。 自民党内の強い要望を受け、衆院の笹川尭議院運営委員長(自民党)は昨年12月、参院の西岡武夫議運委員長(民主党)に対し「法が出来ているのだから、先送りばかりしていては怠慢と言われてしまう」として審査会始動に向けた両院協議会の設置を提案した。しかし、参院で民主党が回答を保留し、今国会中の両院協議会の開催は実現していない。憲法論議にかかわってきた自民党議員は「総選挙が終わるまでは動かないだろう。大連立が実現していれば進んだかも知れないが……」とぼやいている。(山本桐栄)2008年1月10日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「たなざらし 改憲論議」から引用 安倍前首相が1年前の新年早々、参院選は憲法改正が争点だなどと発言し、選挙戦では2010年改憲発議などとほざいた結果、自民党は選挙で大敗してしまった。これが民意である。 その上、国民投票法は十分な論議を尽くさず与党が強行採決したもので、そんなものを「先送りばかりしていては怠慢と言われてしまう」などという笹川議員の発言は欺瞞に満ちている。この際、野党は協力して「国民投票法廃止法案」を提出するべきだ。
2008年01月20日
国共内戦の果てに台湾に敗走した蒋介石は1975年に死去したが、本人の遺言で台湾には埋葬されてはいない。ところが、台湾の現政権は政治的な狙いから、台湾における蒋介石の業績を否定するような動きをするので、いやけがさした遺族が「遺体を大陸に戻したい」と発言して波紋を呼んでいる。12月25日の朝日新聞は、次のように報道している; 【台北=野嶋剛】台湾の元総統、蒋介石、蒋経国親子の遺族が「遺体を中国・漸江(省)の故郷に戻したい」と発言し、波紋を呼んでいる。台湾では陳水扁(チェンショイピェン)政権の方針で「脱・蒋介石」の動きが進み、23日には蒋親子の遺体安置施設を一時閉鎖。現場に駆けつけた蒋経国の息子の妻、蒋方智恰さんがメディアに心情を吐露したものだ。 安置施設は兵士が警備し、市民の参観も可能だったが、23日に撤兵し、参観もできなくなった。閉鎖は陳総統の指示とされる。国民党独裁を象徴する蒋家と与党民進党との対立をあおり、来年3月の総統選を有利に運ぼうという選挙戦略があるとの見方が有力だ。 大陸から台湾に逃れた蒋介石は75年に、蒋経国は88年に死去。「中国統一後に大陸で埋葬せよ」との蒋介石の遺志で、遺体は台湾北部の桃園県に仮安置された。だが統一困難な状況になり、遺族は台湾での埋葬に同意。05年には墓所も完成した。 しかし、蒋介石に由来する施設名の相次ぐ変更など、蒋家の業績を否定する陳政権の動きに遺族が不快感を抱き、埋葬問題も宙に浮いていた。 陳総統は墓所建設に約3千万台湾ドル(約1億円)を費やしたことなどを挙げて「台湾を馬鹿にするな」と厳しく反論。蒋家出身で立法委員(国会議員)の蒋孝厳氏は「この時期に(遺体の)大陸移送の議論は不適当だ」と遺族をいさめたが、埋葬問題を台湾メディアは大々的に取り上げ、陳総統の狙いが的中した形だ。2007年12月25日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「蒋介石親子の遺体『大陸に戻したい』遺族の発言、台湾に波紋」から引用 台湾の問題は複雑である。古代から台湾に住む人々は9つの少数民族で、それぞれに言語が異なり生活習慣も違う。そこに数百年前の一時期、大陸からまとまった数の漢民族が移住してきて、今では彼らが自らを正当な台湾人であると称している。さらに国共内戦で大陸から蒋介石とともに渡ってきた中国人がおり、彼らは民族としては同じ漢民族のはずだが、正統派台湾人とは微妙に区別されているらしい。 蒋介石は「中国統一後に大陸に埋葬せよ」と遺言したそうだが、統一の夢は破れたにしても、故郷に埋葬してあげるのが人情というものではないか。 陳水扁氏の「台湾を馬鹿にするな」という発言が、この問題の複雑さを象徴している。
2008年01月19日
昨年秋に教科書会社が沖縄戦「集団自決」に関する記述について、訂正申請を行ったにもかかわらず、結局「日本軍の強制」という記述は通らなかった問題について、その後追跡取材を行った共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は、その結果を13日の日曜版で次のように報告している; 高校日本史教科書の沖縄戦「集団自決」の記述をめぐり、日本軍の「強制」という記述が、出版各社が求めた「訂正申請」でも認められませんでした。追跡取材で浮かんだのは、またも文部科学省教科書調査官の独断でした。 前田泰孝記者 訂正申請は誤字脱字や記述の改善のために、出版社が書き直しを文科省に申請できる制度です。 軍の「強制」を削除した2006年度検定意見に抗議し、その撤回を求める11万6千人の沖縄県民大会におされ、文科省が対応を迫られたのです。 ところが年末に同省が公表した結論は検定意見は撤回せず、訂正申請でも日本軍による「強制」「強要」などの表現は認めませんでした。 なぜなのか-。 06年度検定では、教科書調査官が「誤解を生むおそれがある」という「検定意見」を振りかざし、口頭で「隊長命令が確認できないから軍命令は確認できない」と出版社側に指示し、「命令」「強制」などの表現が削られました。 今回の訂正申請では、教科用図書検定調査審議会(検定審、学者などで構成)が、「基本的とらえ方」なる指針を決め、各出版社に口頭で伝えた(12月4日)後、文書化したものを公表しました。 そこでも軍の命令・強制の問題に関して示したのは、隊長命令のような住民への直接的な軍の命令を示す根拠は「現時点では確認できていない」ということだけ。 日本軍全体としての住民への「強制」は、否定も肯定も示しませんでした。検定審が決めたのはここまでです。 「隊長命令」の有無と強制・強要の有無とは別問題で、日本軍による強制・強要を否定する根拠にはなりません。 この「基本的とらえ方」を踏まえて、出版社とのやりとりは教科書調査官に任されました。その舞台は『密室』です。 実教出版の場合、「日本軍は、住民に手機弾(しゅりゅうだん)をくばって集団自害と殺しあいを強制した」という当初の訂正申請文が認められず、複数回、文案を教科書調査官とやりとりしています。 執筆者の石山久男さんによると、教科書調査官は「日本軍が…強制した」のように二つの言葉が同一文でつながることはだめだ、とする趣旨の説明をしました。 最終的に、「強制」が「日本軍」という主語から切り離される形で決着しました。 他社も「強要」⇒「関与」、「強制」⇒「関与」と書き直したり、「日本軍によって集団自決に追い込まれたり」という一文が「日本軍」と「追い込まれたり」とに分割されたりしました。 検定審日本史小委員会メンバーで筑波大副学長、波多野澄雄さんは「軍命令については『確認できていない』で合意が得られたが、強制について、一定の方向性で合意をした覚えはない」と証言します。 別の日本史小委メンバーも「『日本軍』が『強制した』と結びつけてはいけないとか、そんな細かいことまで確認していない」といいます。 文科省事務当局も「各社の訂正申請文の文脈ごとに『とらえ方』に沿って判断する」との見解でした。 ではだれが、文脈ごとに判断するのか。出版社との折衝を任された教科書調査官であることは明らかです。 「検定意見」が撒回されないなかで、「基本的とらえ方」を超えて、教科書調査官が判断したという経過です。 担当した調査官は照沼康孝氏と村瀬信一氏。ともに日本の戦争は正しかったと主張する「新しい歴史教科書をつくる会」人脈の伊藤隆・東大名誉教授の教え子です。 照沼氏は、伊藤氏の紹介で調査官になったことを、伊藤氏自ら本紙に認めています。 調査官の偏った人選と縁故採用への疑惑は深まるばかり。教科書検定制度の見直しが求められています。私は手摺弾を渡された-沖縄県子ども会育成連絡協議会の玉寄哲永会長 私自身、日本軍に「貴様ら、これを使え」と手榴弾を二つ渡されています。これを使って死ねという意味です。 文科省は、住民の証言は軍命令の根拠にはならないといっています。ここに生き証人がいるのに証拠がないというなら、何をもって証拠といえるのか。納得できません。撤回しかない検定意見-東京書籍版教科書を執筆した坂本昇さん 「軍から命令が出たとの知らせがあり…」と、「集団自決」体験者の証言を書いたところ、調査官は「伝聞であっても(軍命が)確定した事実と受け取られる恐れがある」と認めませんでした。 軍の強制性も「追い込まれた」はいいが、「強制」はダメだという立場です。 訂正申請でも、軍の命令・強制は認めないという文科省の立場は変わっていません。やはり間違った検定意見は撤回以外にありません。2008年1月13日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「軍の強制 またも認めず 調査官 密室の独断」から引用 この記事から明らかなように、今回の訂正申請を受けるにあたって教科用図書検定調査審議会は「基本的とらえ方」という指針を出していたが、その網の目をくぐるようにして、指針に書き込まれていない小さな盲点を突いて、偏った思想を持った教科書調査官が独断で「日本軍の強制」は認めないという結果になっている。違法ではないものの、常識では考えられない姑息な手段である。 このようなことになったのも、日本の戦争は正しかったと主張する「新しい歴史教科書をつくる会」人脈の伊藤隆・東大名誉教授の教え子のような人物を縁故で教科書調査官などにしているからだ。教科書検定制度にかかわる人事については、ガラス張りにする必要がある。
2008年01月18日
政治学が専門の駒澤大学教授・大山礼子氏は、衆参両院で与野党の勢力が逆転している状況について、8日の読売新聞で次のように述べている;全面対立 日本のような2院制の議会で、上院と下院の多数派が異なることは、外国ではそれほど珍しくはありません。それが常態の国もあります。 衆参両院の「ねじれ」は、これから頻繁に起こると思います。2大政党制は常に選挙で勝つ政党が入れ替わる可能性があります。米国の中間選挙のように、参院選の時は現政権に対する批判や不満が有権者から出る可能性が高いので、参院では野党が有利になるかもしれません。 憲法制定当時は、衆院と参院の全面対立というのは想定外だったのではないでしょうか。国会の議事手続きには制度的にいろいろと問題がありますが、戦後60年余、あまりきちんと改革をしていません。そのツケが回ってきたような気がします。 日本の参院は、議院内閣制の国の上院としてはかなり権限が強い方です。 憲法は、予算や条約については、国政を運営するために決定しなければいけない事項なので、衆院の優越回を強く定めています。一方、法律案は、現状を変えようとするものですから、衆参両院でゆっくり議論してもいい、という考えなのだろうと思います。 ただ、予算関連法案は実質的には予算の一部のような法案ですから、衆院の意思をもう少し尊重するような合意を与野党がどこかでしないと、なかなかたいへんだと思います。どちらが与党になっても、ねじれが起きる可能性はあるのですから、合意できる余地はあるのではないでしょうか。 国会同意人事は、かつては法律で「両院が一致しない場合には衆院の議決による」と定めているものが多かったのに、参院自民党の要望などで法改正が行われ、すべて両院の一致が必要になりました。今から恩えぼ、先のことを考えなかったという感じです。同意人事も予算と同様、決まらないと困るものですから、衆院の意思を尊重してもいいのではないでしょうか。 憲法59条は、参院で否決した法律案を衆院で出席議員の3分の2以上の多数で再可決できる、と定めています。軽々に使うべきではないという議論があることは承知しています。ただ、両院で審議を尽くし、両院協議会で議論したうえで、最終的に決裂する場合、どうしても決めなければいけないことであれば、いわば危険回避の手段として使ってもいいと思います。参院の存在意義 参院の権限については、私は前からもう少し縮小してもいいと思っています。権限が大きいから存在感がある、というのは情けない話です。もう少し議論の中身で存在感を示すべきです。衆院で与党が3分の2以上の多数を持っていてもこれだけ大変なのだから、(再可決に必要な議員数を)2分の1以上に引き下げても直ちに参院の存在意義がなくなるとは思えません。 今は与党が衆院で3分の2以上の議席を持っていますが、次の衆院選でおそらく割り込むでしょう。そのとき、いったいどうするのか。最終的には憲法改正になりますが、衆院の優越を強めないと将来はやっていけないでしょう。 1院制や、2院制でも英国のように下院の力が圧倒的に強い国の場合は、野党は、次の選挙に向けてどれくらい国民にアピールできるか、を考えていればいい。でも、片方の院で多数を握り、かなり自分の意見が通るようになった野党は、どこを妥協し、どこを押していくか、の見極めが難しくなるでしょう。合意形成 これまでの国会は、政府法案が提出される前に自民党内の事前審査で大方が決着してしまい、野党との論戦は一応するけれども、法案はあまり修正しないで成立させるのが慣例でした。でも、ねじれ状態では、法案提出後に国会でいろいろなやりとりをして合意を形成しなくてはなりません。 この臨時国会でも、話し合いで成立した法案はありました。ただ、残念なことに、話し合いは国会審議の外で行われ、与野党がどんな主張をし、どの辺りで妥協したのか国民に十分に説明されていません。裏で交渉してもいいが、同時に、国民の前で政策決定のプロセスを演じてみせて記録に残す、ということも民主主義では大切です。与野党が参考人を呼んで公聴会を開いてもいい。国民への説得力も増します。 今の国会の手続きは、与党と野党ですべてを決めることになっていて、内閣が介入できません。国会審議の場で内閣が直接、野党と法案修正を議論し、実行できるように変えていくことも、合意形成の促進、内閣のリーダーシップのためには必要です。2008年1月8日 読売新聞朝刊 14版 4ページ「この国をどうする-衆院の権限強化が必要」から引用 国会同意人事は、元は衆参で議決が一致しない場合、衆院の決議を優先することになっていたのに、それを全て両院一致を条件とすることにしてしまったのは自民党の失態であった。その後も、自民党は将来のことを考えずに、例えば、旧教育基本法は政治が教育内容に口出しすることを禁止していたのであるが、それを昨年改悪した法律では、別に定める法律さえあれば、政治が教育に干渉できるようになっている。これなども、自民党が永久に政権を維持することを前提に、我々がやるのだから、そういう危ない面があっても大丈夫とたかをくくっていたからである。将来、自民党が政権を失って、極右や極左の政党が与党になった場合、改悪された教育基本法を梃子にして教育内容に露骨に干渉してくる危険性は否定できない。これなどは、十分な論議を尽くさず強行採決した自民・公明の責任重大である。 また、戦後の長期間政権を独占してきた自民党は、国会が法案を審議する場であるにもかかわらず、政府案を政府と自民党だけで検討し尽くし、野党を交えて議論するという経験を積んでこなかったから、今の状況を「ねじれ国会」などと表現して、重要法案を通せなくなった責任を野党のせいにしようとしているが、これは一重に、国会を形ばかりの「論戦の場」として実は空洞化してきた自民党の責任である。我々国民は、栄華の果てに衰退の道を歩み始めた自民党に見切りをつけて、次の衆院選では野党に政権を担わせるべきである。
2008年01月17日
宮崎県・東国原知事の「徴兵制」発言につてい、若い母親は12月4日の朝日新聞に次のように投書している; 「宮崎知事『徴兵制あってしかるべき』」(11月29日朝刊)を読みました。今の若者たちの道徳や倫理観の欠損が社会のモラルハザードにつながっていると思ったための発言だそうですが、そうしたモラルの欠損は若者だけでなく、大人たちにも共通しているのではないでしょうか。 連日報道されている政治家や官僚、企業トップの不祥事。キレる高齢者、教育者の破廉恥な行為には、モラルなど微塵(みじん)も感じられません。子供はそういう大人たちを見て育ち、若者になっていくのです。 東国原知事は「軍隊とは言わないが、ある時期、規律を重んじる機関で(若者を)教育することは重要」とも言っていますが、物事を単純化しすぎています。なぜモラルの低い若者が増えてしまったのかを考えれば、根源は小・中・高での教育や地域での触れ合い、そして何より家庭での子育てを通した、親や教師、大人たちの責任と思います。 私には、来年小学校に入る娘がいます。知事の発言を契機に、親としての責任を深く感じて、身を引き締める思いでおります。2007年12月4日 朝日新聞朝刊 13版 17ページ「声-モラルの欠損 大人こそ責任」から引用 これは、まったくもってそのとおりで、元はと言えば大人の責任なのである。それをすっとぼけて「こういう者は兵隊にでも行けば、しゃきっとするんだ」などと当事者責任を棚上げするような発言は、まったく無責任な発言だ。知事の風上にもおけない。
2008年01月16日
昨年秋に国連総会が「死刑執行の停止」の決議を採択したとき、いまだに死刑制度を維持している日本では、賛否両論が新聞紙上をにぎわせた。その中の「死刑廃止賛成論」の投書は、次のように訴えている; 人権問題を扱う国連総会第3委員会で死刑執行の停止を求める決議案が15日、採択されました。 「先に命奪った 加害者許せぬ」(10月28日)という死刑存続の意見がありました。尊い命を奪ったのだから、その犯人の命を奪うのが当然だ、とのご意見のようでした。 罪を犯した人に、その罪にふさわしい刑罰を科することは当然であります。従って百年単位の懲役刑など、死刑に相当する刑罰を科すれば良いのであって、たとえ刑法であっても、人間の作った法律で、人の極めて尊い命を、人間が奪うことは出来ない、というのが私の意見です。 刑罰の中身は、犯人を懲らしめるばかりではありません。その人を改心させ、立ち直らせる側面も含んでいるのです。人間の行う裁判には誤判もあり、死刑執行後は、貴重な命を生きかえらすことが出来ません。 死刑が犯罪の抑止につながるとの考えは改めるべきだと思います。 日本の死刑は絞首刑という残酷な刑です。以前、地方の法務局に勤めていた関係で、絞首刑を執行する刑務所の職員から、執行後の心に受ける傷の深さを聞く機会がありました。 死刑は一日も早く停止すべきであります。2007年11月29日 朝日新聞朝刊 12版 18ページ「声-人命奪う刑罰 停止すべきだ」から引用 不幸にして起きた殺人事件の被害者は可哀相な存在で、取り返しのつかないことであるのは、そのとおりです。しかし、だからと言って「人を殺した者は自分も死んで、自らの罪を償うべきだ」という報復主義の意見には賛成できません。刑法の最終的目標は、犯人を懲らしめるのではなく、不幸にして罪を犯してしまった者を更生させることだと思います。
2008年01月15日
35年前に東京で起きた金大中氏拉致事件について、先ごろ韓国政府は真相を発表し、自らの責任を認め、当時の日本政府にも責任の一端があることを指摘したが、日本政府はその指摘は無視して、韓国政府機関による日本国の主権侵害について謝罪させただけで済まそうとしている。そういう日本政府の態度を批判して、中央大学名誉教授・伊藤成彦(いとうなりひこ)氏は11月29日の朝日新聞で次のように述べている; 1973年8月8日に起きた金大中(キムデジュン)氏拉致事件について、韓国国家情報院の真実究明委員会が10月24日、犯行に韓国政府が関与し、韓国中央情報部員によって行われたことを、初めて公式に認める調査報告書を発表した。報告書は最後に「本委員会は調査結果の公開が、過去の傷をいやす契機となるように期待する」と述べ、事件発生初期に日韓両政府が政治決着によって事件の真相究明を妨げたことについて、両政府の責任を指摘した。 この発表に関して、町村官房長官は同日の記者会見で「日本の主権侵害に遺憾の意を表明したので、韓国政府からしかるべき対応があると思う」と暗に謝罪を要求し、10月30日に韓国の柳明桓(ユミョンフアン)駐日大使が高村外相に遺憾の意を伝えた。日本政府はこれを「事実上の謝罪」と見て、福田首相は「外相に謝罪したのだから、もういいのではないか。未来志向で日韓関係をどうしていくかを一生懸命考えるべきだ」と述べた。 私は拉致事件当時から市民運動によって事件の真相究明に微力を尽くし、事件10年後の83年8月に政府が特別捜査本部を解散すると宇都宮徳馬、田英夫、赤城宗徳、土井たか子氏ら衆参両院の超党派の国会議員や美濃部亮吉・元都知事、市民運動代表50人で「金大中氏拉致事件真相調査委員会」を設立し、独自に真相究明を行った。 87年にその結果を『全報告・金大中事件』として発表(同年に韓国語版)、93年に韓国に「金大中先生拉致事件の真相究明を求める市民の会」が設立されてから2003年までの10年間は、日韓共同で真相究明活動を続けた。 そうした経験に立って端的に言えば、この事件は「日韓の黒い癒着」を背景に起き、2度にわたって「政治決着」という形で日韓両政府による真相の隠蔽(いんペい)が行われたので、「日韓両国民の心に深く刺さったトゲ」として長くうずき続けてきた。 06年2月5日に韓国政府から発表された当時の公文書によれば、73年11月2日に当時の朴正紀(パクチョンヒ)大統領の親書を持って謝罪に来た金鍾(キムジョンピル)泌首相に、田中角栄首相は「金氏には来日してほしくない」「日本の捜査は終わりにする」「これでパーにしよう」と言って、第1次政治決着を行った。 さらに、田中首相が73年秋に韓日議員連盟の李秉禧幹事長から朴大統領の親書とともに、多額の現金を受け取っていたと、元新潟県議・元刈羽郡越山会会長の木村博保氏が「私は見た田中角栄『四億円受け取り』の現場」(「文芸春秋」01年2月号)で証言している。 福田首相の「未来志向」は結構だが、このままでは第3次政治決着に終わりかねない。今度こそ公正な解決を行うことで「日韓間に刺さったトゲ」を抜くため、日本政府は金大中氏の人権を守らなかったことを、被害者である本人と韓国国民に謝罪すべきだ。 同時に、日本側の捜査を完了して結果を公表し、国民の主権を政治決着でおろそかに扱ってきた政府の過ちを、日本国民にも謝罪すべきであろう。2007年11月29日 朝日新聞朝刊 12版 18ページ「私の視点-金大中氏拉致事件 日本政府は誰に謝るべきか」から引用 近ごろは企業による不祥事が相次ぎ、毎回経営者が国民に謝罪するシーンをよく見るが、ここに引用した記事によれば、近大中氏拉致事件は韓国の政府機関による犯罪であったが、その処理の仕方はいかにも「日本政府による不祥事」である。政府は早急に記者会見を開いて、深々と頭を下げて国民に謝罪するべきである。 それにしても、韓国の李秉禧議員は四億円もの大金を持って、どのようにして税関を通り抜けることができたのだろうか。「日韓の黒い癒着」があったので、何でもありだったのだろうか。
2008年01月14日
公の席で「徴兵制があってしかるべきだ」と発言した宮崎県知事・東国原氏を批判する投書が、12月7日の朝日新聞に掲載された; 宮崎県の東国原知事が「若者には規律を重んじる機関での教育が必要。徴兵制があってもいい」との趣旨の発言をした。軍隊は国家が理不尽な侵略に対抗するため必要悪として保有する暴力装置であり、倫理教育の役割を期待するなど不見識にもほどがある。 徴兵制により形成された旧日本軍では、上官のリンチが横行した。秩序は恐怖によって保持されたに過ぎず、前線では婦女暴行などの不祥事も発生したし、敗戦時には多くの軍物資が横領隠匿された。激戦地では仲間の肉を食べ飢えをしのいだという話まで聞く。これで知事の言う倫理、友情、規律の教育効果があったと言えるのか。 世間の反発に慌てたか、知事は発言翌日「徴兵制ではなく、農業を強制的に体験させる徴農制が良い」と主張を修正したが、恥の上塗りだ。文化大革命時の中国には「下放」と称し、インテリを農村で強制労働させる徴農制が実在したが、それは教育効果どころか経済・科学技術などあらゆる画でその後の中国に低迷をもたらす原因となった。 強制労働には教育効果など無いというのが歴史の教訓だ。その程度の認識もなく放言する知事の政治家としての資質を疑う。2007年12月7日 朝日新聞朝刊 13版 17ページ「声-『徴兵で教育』知事は不見識」から引用 我々の親の世代は戦争を体験しており、軍隊とはどのようなものだったかをそれなりに知っていて、私自身未成年だったころ、大人はよく「近ごろの若い者がだらしがないのは、徴兵制のようなものが無くなったからだ」と言ったものだった。しかし、そのように発言する大人は、だから日本は軍隊を持つべきだと言おうとしたのではなく、若者をしゃきっとさせるには集団生活を通して規律ある生活態度を身につけさせるのが良い、と言いたかったにすぎない。 東国原知事も、おそらくそういう意図の発言であったろうことは容易に察しがつくが、県知事という立場で公の席で発言するには、あまりにも不適切な表現であり、政治家としての資質を疑われるのも無理はない。
2008年01月13日
憲法9条を維持したままで、国際貢献は十分に可能であるとする投書が、10月14日の朝日新聞に掲載されている; 憲法9条は、制定時にその目標を完全非武装に置き、集団的自衛権の行使を否定する平和国家としての姿勢を堅持してきた。さらに9条2項は非核3原則の基盤となっただけでなく、国際社会の軍縮を目指す日本の積極外交を要求する国是ともなっており、その価値は今も高い。憲法前文で示す、国際社会での「名誉ある地位」はここにある。 一方、今日の世界各地で続く暴力的混乱の現実は無視できない。それを解決する機構は国連しかない。 憲法前文にある「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」の立場はすべてを他人任せにしてよいということではない。民主党の小沢一郎代表はアフガン支援問題で、政権を取れば国連決議に基づく国際治安支援部隊(ISAF)へ参加したいと述べた。それを私は支持する。ただ、使用する武器の基準を示していないので、さらに深い議論が求められる。 国連への軍事協力であっても、国連平和維持活動(PKO)のような軽武装での国連活動への協力に限定し、状況によって生じる任務の妨害を排除するための武力行使は含めるべきと考える。この際、憲法改正でなく平和・安全保障基本法を策定し、国民的合意を得るべきだろう。2007年10月14日 朝日新聞朝刊 12版 10ページ「声-安保基本法の制定を急いで」から引用 平和憲法を維持しつつ国連への協力も行うということであれば、国民の間にも広く支持を得られるかもしれない。
2008年01月12日
日本近代史が専門の東京大学教授・三谷博氏は、朝日新聞の「シリーズ・識者20人に聞く-東アジア近現代史の10大出来事は?」のインタビューで、次の10項目を挙げた。(1)(2)東アジアでの人的交流の急進と冷戦終結(3)1880年代前半の東アジア3国の協調(4)大日本帝国の崩壊(5)(6)アへン戦争とペリー来航(7)日清戦争(8)(9)大韓帝国と辛亥革命(10)日中戦争これらを挙げた理由を、三谷氏は次のように説明している; 歴史の「分岐点」に目をつけた。最初の四つは我々の目がどのように条件付けられているかで考えた。また、東アジアは近代化を強制されたという特徴がある。各国の近代化が始まった時期のずれが、大きな問題を引き起こした。日本による近隣侵略は、近代化のタイミングのずれを同時にみないと理解できないのではないか。 最初に「東アジアでの人的交流の急進」と「冷戦終結」を挙げたい。1990年代以来、東アジアでは人々の相互訪問が急激に進んだ。韓流ブームのように、多くの庶民が隣国を直接知るようになったのは、東アジア始まって以来の構造変動だ。また、冷戦の終結は、国家間だけでなく、各国内部の壁を取りのぞいた。それは、新たな人的関係への可能性を開く一方、冷戦で抑圧されていた、あしき記憶を浮上させることにもなった。 3番目に1880年代前半の「東アジア3国の協調」を指摘したい。東アジアの歴史は対立面ばかりが語られがちだが、そうでない時代もあった。 東京の中国公使館にいた黄遵憲が『朝鮮策略』というパンフレットを書き、朝鮮は自強のため中国との関係を深め、日本と提携し、さらにアメリカと国交を開くように主張した。もともとは日本の外務卿の寺島宗則のアイデアで、朝鮮国王はこれを採用して2年後にアメリカと条約を結び、国内改革を始めた。 4番目は、「大日本帝国の崩壊」だ。日本人は歴史上初めて外国に占領された。戦争継続体制から解放されたものの、そのトラウマは無視できない。しかし、近隣にも目を向ける必要がある。日本軍はいなくなったが、中国では国共内戦が激化し、朝鮮半島も南北が分断されて戦争も始まった。日本は平和になったが、隣国はその後も戦争に苦しんだ。我々日本人はその事実を知っておいた方が良い。 5・6番目に挙げたのは「アへン戦争とペリー来航」。中国は西洋と戦争したが、本格的な改革には手を付けなかった。日本は戦争を回避しながら、連続的な国内改革に関心を集中した。希薄な国際関係のなかで眠っていた国が、突如として非常にアクティブな、しかも膨張的存在に急変した。 7番目は「日清戦争」。日本では日露戦争がしばしば「偉大なる戦争」として想起されたが、後世の人間からみると、分岐点としては、日清戦争が決定的だと思う。日本人が「近隣への膨張は可能であり、いったん植民地を手にしたら手放せない」と思い込み始めたのが日清戦争だった。 8番目と9番目は、「大韓帝国と辛亥革命」。日本に次いで朝鮮、そして中国という具合にナショナリズムに基づく改革、革命が起きた。そのナショナリズムを日本人の多数派が認めようとしなかったのがさらなる不幸の始まりだった。 10番目は、「日中戦争」。日中戦争で日本が自滅の道に迷い込んだので満州国はなくなり、朝鮮も独立できた。逆説的だが、日中戦争がなければ朝鮮は独立のために相当の犠牲を払っただろう。また、中国の庶民のなかにナショナリズムが浸透したのは抗日戦争のなかだと言われている。 (聞き手・佐藤和雄)2007年12月30日 朝日新聞朝刊 12版 13ページ「韓流ブーム かつてない構造変動」から引用 日清戦争の勝利が、戦前日本の帝国主義の野望に火をつけたという指摘はそのとおりかもしれない。
2008年01月11日
自衛隊の給油活動を再開させようとする法案について、街頭でアンケートをとった体験者が、12月14日の朝日新聞に次のように投書している; 自衛隊のインド洋での給油活動を再開するための補給支援特措法案について、賛否を問うシール投票のお手伝いをした。給油再開に対し「賛成」「わからない」「反対」をボードにシールを張って示してもらう。岡山大学の名誉教授らの呼びかけで、全国32カ所で実施されたなかの名古屋市昭和区班の活動である。 1時間の結果は、323人のうち賛成14%、わからない11%、反対75%。「わからないから」と言って、通り過ぎる人が多かった。 過日、この法案を審議する参院委のテレビ中継を見た。給油再開と防衛省の腐敗問題が取り上げられたが、福田首相、高村外相には「給油問題を理解してもらおう。自衛隊の問題では、最高責任者として真剣におわびするとともに徹底的に改善する」という姿勢が見えなかった。ただ「質問時間が過ぎればよい」という態度である。 こんな国会審議なら会期延長は税金の無駄遣いである。これだけ時間をかけても、いまだ多くの国民が「わからない」という問題を会期延長してまで成立させる前に、衆院を解散し国民に借を問うべきだろう。2007年12月14日 朝日新聞朝刊 13版 18ページ「声-わからぬ法案 成立は必要か」から引用 この投書の主張は筋が通っている。主権者である国民の大部分が「よくわからない」と思っている法案を、政府与党は時間をかけて審議する格好だけ作ってあとは強行採決という魂胆であろう。国会審議を通じて国民の理解を得ようとする姿勢が見えない。有権者は、政府与党の誠意に欠ける態度をよく観察し、次の衆院選の参考にするべきである。
2008年01月10日
政府はワーキングプアと呼ばれる低所得層の収入が、生活保護世帯が受ける扶助金額よりも低い所に目を付けて、保護基準を引き下げる準備をしている。それが実行されれば、現在生活保護を受けて細々と生活している世帯のかなりの部分が生活保護の支給を打ち切られることになる。これは、政府のやるべき政策としては本末転倒である。現在の保護基準に照らして、一定の収入に満たない人々を救済するのが本来の福祉行政の任務のはずだ。舛添厚労相と知り合いのノンフィクション作家・吉田司(よしだつかさ)氏は、12月7日の東京新聞で次のように訴えている; 拝啓舛添要一厚生労働大臣さま。貴方と私の出会いは17年前アエラ誌「現代の肖像」取材で…でした。私はまだ駆け出しのライターで、当時人気絶頂のタレント・政治学者だった貴方の『天狗(てんぐ)の鼻』をちょっぴりへし折りました。それから13年後、石原慎太郎都知事への批判コメントをもらうため参院会館で再会しましたね。貴方は駆け寄って「吉田さん、立派になられて」と言い、私は「立派なのは貴方でしょう」と笑ったっけ。別れ際、こう約束しました。「お互い何か大事があったら、連絡しよう」と。 舛添さん、今がその『大事の時』です。報道では、厚労省はワーキングプアなど低所得世帯に比べ、生活保護世帯の扶助金額が高くなってるとして、「来年度にも保護基準引き下げに踏み込む構え」だとありますが、貴方はその棄民政策を許してはなりません。実は来年はこの私自身も出版不況の中で収入途絶のプア層入りしますし、週刊誌も「不動産バブル崩壊=平成大恐慌」来襲!と騒いでいます。そんな世の中で保護基準を下げれば、見捨てられた母子家庭などの飢え・自殺が相次ぐでしょう。 舛添さん、貴方は幼い頃(ころ)から貧窮の中で育ち、貧しさの何たるかを骨の髄までご存じのはず。官僚政治と戦い、貧しき者の側に立ってください。私たちプア層がふたたびあの「立て、飢えたる者よ…」の唄(うた)を歌い出す、その前に。(ノンフィクション作家)2007年12月7日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-舛添さん、大事な時です」から引用 日本国民は憲法によって「文化的で健康な生活を営む権利」を保障されている。舛添厚労相には、上に引用した吉田氏のコラムをよく読んでほしいものである。無駄なミサイル実験などに出す予算を、本当に必要な福祉政策に回すことが、国政を担う者の責務だ。
2008年01月09日
元東京高裁部総括判事の大久保太郎(おおくぼたろう)氏は、2009年から始まる予定の裁判員制度は憲法違反の疑いがあるとして、12月30日の朝日新聞で次のように述べている; 私は裁判官時代に一審だけで数年かかる刑事裁判を担当し、審理の難しさや、裁判が長期化せざるを得ないことを体験してきた。裁判員制度はオウム真理教事件、特に松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の一審のような長期裁判への反省から生まれたと言われることがあるが、「だから裁判員制度が必要だ」というのは誤りだ。 刑事訴訟法の一部改正により、05年11月から初公判前に争点を整理する「公判前整理手続き」が導入され、裁判所の訴訟指揮権も強化された。一定の効果は表れており、弁護人による引き延ばし戦術に対する社会の批判も厳しくなっているから、今後は異常に長い裁判はなくなるだろう。 しかし、すべての刑事裁判を数日から十数日の間に短縮することは不可能だ。複雑、大規模な事件では数十回、数カ月の公判を要する場合も予測しなければならない。最高裁は「多くの事件は3日で終わる」というが、そんな短期間の処理では、被告や被害者にも大きな不満が残る。 そもそも、裁判員制度は憲法違反の疑いが極めて強い。 裁判員は評決にあたり裁判官と同じ一票を持つから、実質は裁判官だ。これは、憲法80条1項の「下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって内閣でこれを任命する」との規定に抵触する。裁判員が裁判に関与する根拠は、憲法のどこにもない。 また、憲法37条1項は被告の「公平な裁判所の裁判を受ける権利」を保障しているが、その裁判1回限りで何の責任も負わない裁判員の加わった裁判所が「公平な裁判所」といえるだろうか。違憲の疑いのある裁判所が、被告を死刑などの刑に処することなどできないだろう。 裁判員制度は憲法に根拠がないのに国民に公共奉仕を強いる一種の「全体主義」だ。日本国民は現行の憲法により個人の自由権を保障されている。辞退を認めるかどうかは裁判官が決めるというが、これでは裁判官が全体主義の手先を務めるようなことにならないだろうか。 裁判員法は政府と並んで最高裁にも裁判員制度の広報義務を課しており、最高裁は広報に懸命だ。しかし、「憲法の番人」である最高裁が広報を行うことは、この制度の問題点について将来の訴訟を待たずに早々と「合憲」のお墨付きを与えるもので、「違憲審査権」を事実上放棄したのではないかとの疑いもある。 大事なことを言いたい。裁判員制度は09年5月までに始まるとは決まっていない。裁判員法付則2条2項は、同法の施行日を決める政令を定めるには、「裁判員の参加する刑事裁判が円滑かつ適正に実施できるかどうかの状況に配慮せよ」と定めている。世論調査では国民の大多数が参加に反対で、以上のような問題点があるような状況では「円滑かつ適正」に実施できる状況など存在しないし見通しもない。施行の強行は許されず、断念されるべきだ。 私も、刑事司法への国民の関与を否定するものではない。調停委員制度のように、一定の社会経験を積んだ人の中から選び、たとえば少年事件などの一定の事件について評決権を持たない形で意見を述べる。このような制度でも、国民と裁判所との間の「通路」となって風通しが良くなるのではないだろうか。 (聞き手・岩田清隆)2007年12月30日 朝日新聞朝刊 12版 4ページ「耕論-再考 裁判員制度」から引用 裁判員制度の話を初めてニュースで知ったときは、何やらうさん臭い話が始まったという印象だったが、どうもこれは官僚の発想で持ち上がった話で、しかも、憲法に違反している疑いが濃厚であるとなっては、これはやはり止めたほうがいいに決まってる。国民は税金を払っており、その税金で裁判所も運営されているはずだ。その上、ボランティアで裁判そのものも手伝ってくれなどというのでは話にならない。甘ったれるのもいい加減にしろ!ってことでお仕舞いにするべきだ。
2008年01月08日
NHK経営委員会が新会長にアサヒビールの相談役を選出した翌日の読売新聞は、社説、「編集手帳」、特集記事、解説記事と4箇所にわたってこの問題を論評している。その中の一つである解説記事は、編集委員・鈴木嘉一氏によるもので、次のように述べている; NHKの会長人事で内部対立が表面化した経営委員会は25日、次期会長に福地茂雄・アサヒビール相談役を選出した。 今回の会長人事がこれほど注目されたのは、異例ずくめだからだ。会長には4代続けて内部昇格かOBが起用されてきたが、古森重隆委員長(富士フイルムホールディングス社長)の下で経営委は13日、「橋本元一会長をはじめ現執行部に改革を託すのは難しいので、内部からは選出しない」という方針を決めた。 任期半ばの降板を除くと、会長が1期で退任するのは珍しい。局内では「一連の不祥事で落ち込んだ受信料収入は順調に回復しており、これといった失政もない。番組面でも、国内外の賞を受けた『ハゲタカ』やNHKスペシャル『ワーキングプア』のように評価の高い作品が出ている。これでは事実上の更迭ではないか」という反発もあった。 その一方、市民団体や有識者たちが経営委に対し、「選出過程の透明性を高めるため、公募制を採用すべきだ」と申し入れ、永井多恵子・副会長ら独自の候補2人を推薦する動きも起きた。こうした中、財界からの起用に執着する古森委員長の議事運営をめぐり、2人の委員が「委員長は強引で、独断的」と指摘する問題点もあらわになった。 20年ぶりに財界人を会長に迎えることになり、40代以上のNHK職員は、わずか9か月で退陣に追い込まれた池田芳蔵会長の時代を思い出さざるをえないだろう。「私の人生において最後で、最大の仕事」と抱負を述べた福地氏の資質は別にして、当時との共通点が多いからだ。 1988年、慢性的赤字体質に悩むNHKは、経営の合理化・効率化、民活導入などの経営改革を求められていた。三井物産相談役の池田氏の会長就任を実現させたのは、長年の友人の磯田一郎委員長(住友銀行会長)で、当時の竹下登首相とは親しかった。 しかし、池田会長は終始、ジャーナリズムと放送文化についての理解や認識が乏しかった。公式の席で「放送法のいう不偏不党は、自民党の先生がおっしゃるように現実的ではない」と発言し、NHKの労働組合が抗議の時限ストを打ったように、公共放送のトップとしての資質が問われた。途中降板は、国会答弁で失態が相次いだ結果だ。選んだ経営蚕の責任は重く、磯田委員長が引責辞任した。 安倍前首相を囲む財界人グループのメンバーの古森氏は、6月に経営委員に任命され、いきなり委員長に就任した。「改革を進めるには、しがらみのない外部の人がいい」と会長人事を主導し、旧知の福地氏に白羽の矢を立てた。その理由については「大企業のトップとして実績があるだけではなく、企業のメセナ活動にかかわり、文化的素養もあるから」と語った。 NHKは、利益を追求する一般企業とは異なり、政府やあらゆる政治勢力、営利活動などから独立し、公共性の高い特殊法人だ。経営委が「NHKの最高意思決定機関」と位置づけられているのは、視聴者の代表だからだ。正確な議事録の公開などを求めた「デジタル時代のNHK懇談会」(会長の諮問機関として昨夏、報告書を提出)有志への回答も含め、古森委員長は肝心の視聴者に向けて、今回の選考基準とその過程、選出理由を明確に示す責務がある。 橋本会長は信頼回復をめざして「視聴者第一主義」を掲げ、視聴者の声に耳を傾ける第三者組織「NHK『約束』評価委員会」などを設けた。ことあるごとに「抜本的改革」を強調する古森委員長も、それを担う新会長も、「すべては視聴者のために」という路線は継承すべきだろう。2007年12月26日 読売新聞朝刊 14版 13ページ「議論の開示が責務」から引用 この記事の主張が、5日に引用した東京新聞の社説の主張に似ている所が大変面白い。裏を返せば、問題の所在は明らかであるということだ。
2008年01月07日
先月発売の月刊誌「世界」は「南京事件70年」という特集を組んでいるが、その中に自民党元幹事長・野中広務氏のインタビュー記事がある。このインタビューの冒頭、野中氏は、昨年最悪のタイミングで政権を投げ出した安倍前首相について、次のように語っている; 政治の世界におりますと、靖国神社や歴史教科書の問題、それぞれ議論の場に立つことになります。ここ数年、歴史問題をめぐって、「自民党はいったいどうなっているのか」と思われるようなことが多々ありました。まさに先の参議院選挙において、自民党は有史以来の敗北を受けました。これは「天誅」であったと私は言っております。 安倍晋三君があのようにして首相を辞めたことは、わが国の憲政史上に大きな汚点を残しました。しかし、心身共に、彼は限界になっていたことは間違いありません。若いうちにこういうことになり、可哀そうなことと思っています。 安倍君が自民党幹事長になって私のところに挨拶に来たとき、私は彼の父である安倍晋太郎氏について話したことがあります。安倍さんは、歴史教科書問題をはじめとする歴史認識問題について、過去を美化する傾向を持ったグループと共に行動していましたので、私は心配していたのです。 一九八九年に昭和天皇が崩御し、平成に変わる直前の一月四日だったと思います。総理執務室で竹下登さんと話をしていたところ、「俺は、短くともこの部屋(総理執務室)に入ることができた。しかし、安倍(晋太郎)は入っていないんだ。俺と彼とは昭和一九年に滋賀の航空隊に入隊して以来の関係だ。命を共有した人間として付き合ってきたんだ」という話を聞かされました。私は安倍君にその話を紹介しっつ、「戦争体験のある安部晋太郎さんの、バランスの取れたリベラルな考え方が多くの政治家から尊敬されていた」と話したのです。安倍君は感激をしていました。 昨年六月一九日、竹下元総理の七回忌を偲ぶ会がありました。その席で、私の袖を引っ張る人がいます。見ると、日本興業銀行で頭取をつとめられた西村正雄氏でした。 彼が安倍晋三の叔父ということは知っておりましたし、私が官房長官の時には、金融危機の際などに何かと協力をいただいた方です。「先生にぜひ一つお願いがあります」と、次のように言われました。 「私は、七月の『諭座』に安倍晋三に宛てた論文(「次の総理になにを望むか - 経世済民の政治とアジア外交の再生を」)を書きます。これは晋三にとって厳しい内容なので、事前に彼に原稿を渡して、『父の晋太郎が生きていたら私の意見に同意するであろう』と手紙を添えて渡しています。私は彼の経歴や識見を考えると、彼が総理総裁などを目指すべきではないと思います。しかし、今は止めても止まらない勢いになっています。しかし、彼が総理総裁になるようなことになりましても、絶対に靖国神社には参拝させません。その時、先生は中国との関係をお持ちですから、ぜひ向こうの政治家との道開けを担ってやっていただけませんか」 私は、「話はよくわかりました。外務省もきちんとやるでしょうが、私たちで道開けをすることがあればこころよくお手伝いします」と申し上げました。 しかし、その直後の八月一日、総裁選の結果も見ずに、西村氏は心不全のため突如として逝去されました。私は愕然としながら、安倍君は一番の助言者を失ったな、と思いました。私の不安は残念なことに的中し、安倍内閣は、まともな審議もないまま教育基本法を通し、強行採決を繰り返して多くの法案を通し、とうとう教科書検定や「慰安婦」問題まで発生しました。 安倍晋太郎氏はよく次のように言っていました。「俺はよく世間から岸信介の息子のように言われるが、俺の親父は昭和一七年に大政翼賛会の推薦を蹴って、反戦代議士として当選した安倍寛だ。俺は岸信介の娘の洋子をもらっただけだ。俺の体には安倍寛の血が流れているのだ」と。 太平洋戦争の開戦時の内閣で商工大臣をつとめ、戦後はA級戦犯容疑者として巣鴨に繋がれた岸信介が、釈放後に政界へ復帰し、やがて日本の総理になったことは、日本において戦争責任が果たされていない典型です。彼は「満州国」でも権勢をふるった人間です。 しかし、安倍君は在任中、参拝するとも参拝しないとも言わない態度ではあったけれども、結果として父や叔父の言葉を守り、靖国神社に行かなかった。彼は小泉内閣の官房長官として靖国神社に参拝してきた経過があり、また、それを支持する人びとが彼を後押ししている状況で、「行かない」とは言い切れなかったのでしょう。「世界」2008年1月号 238ページ「政治家と歴史認識 日中戦争・南京事件70年に思う-野中広務」から引用 この記事を読んでわかることは、自民党の中に安部晋三や中川昭一のような右翼政治家がはびこるのは、自民党OBにとっても「どうなっているんだ」と感じるような異常事態であったということである。自民党は間口の広い政党で右翼からリベラルまでいろいろな考えを持った政治家がいるのは結構だが、その代表を選ぶに当たっては、選挙目当ての票集めだけを考えるのではなくて、真に国益を担い民意を理解した人物を選択してほしいものである。
2008年01月06日
不透明なNHK会長選びについて、12月27日の東京新聞は社説で次のように論評している; NHKの新会長に選ばれた福地茂雄・アサヒビール相談役と、選んだNHK経営委員長の古森重隆・富士フイルムホールディングス社長は、親しい企業人同士である。 最高意思決定機関であり経営監視役である経営委員会と執行機関、双方のトップが友人関係では、適度な緊張関係を保てまい。古森氏が安倍普三・前首相の意向で送り込まれたことと重ねれば、NHKと政治との関係にも不安が一層募る。 企業経営の実績はあっても、放送にもジャーナリズムにも無縁な福地氏が会長に適任とは思えない。 決定に賛同した経営委員は、公共放送を企業人コンビに任せることに疑問がなかったのだろうか。十九年前、住友銀行会長の磯田一郎経営委員長が、親しかった池田芳蔵・三井物産相談役(いずれも当時)を会長にした失敗を忘れたのだろうか。 古森氏主導の新会長選びは極めて不透明だった。十二人の委員のうち二人がこれを批判し別の候補を推薦したが、他の委員が主体的に候補者を探した形跡はうかがえない。委員長の独断舶動きを座視したのなら無責任のそしりを免れない。 NHKには課題が山積している。不祥事の根絶、受信料引き下げと負担の公平化、肥大化した関連会社の整理統合…など大企業を率いた経験が改革に役立う面もあるだろう。 しかし、公共放送、報道機関としての使命はさらに重要だ。 視聴率を意識しない質の高い番組を送り出すことも求められるし、採算本位では充実した報道活動で視聴者の期待に応えることができない。もっぱら利益を追求する私企業とは違い、ジャーナリズム精神に基づく指導力が期待されるのである。 会長が経営委員長の意を受けて企業経営と同じ感覚で効率最優先の経営をすると、視聴者の信頼をますます失うだろう。 NHKは予算の国会承認制など政治との関係が微妙で、従軍慰安婦問題の番組編集について判決で「政治家に気を使いすぎ」と指摘された。政治家に近い古森委員長の下で新会長が外部からの圧力の防波堤になり得るか、国民は注視している。 福地新会長は、NHK経営は企業経営と全く同じではないと自覚し、公共放送、報道機関の使命を肝に銘じ、謙虚に課題と取り組まなければならない。2007年12月27日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「社説-公共放送の使命を肝に」から引用 老齢のために民間企業の第一線を退いた人物に、難題山積みのNHK経営ができるのかどうか、甚だ心配な上に、そういう人物を強引に選定した経営委員長が、これまた安倍前首相の意向で送り込まれた人物であるとは、ますます問題である。NHKが本来の報道機関としての使命から逸脱しないよう国民の注視が必要だ。
2008年01月05日
沖縄戦で起きた集団自決が「日本軍による強制」から「関与」になってしまった教科書検定問題について、12月27日の東京新聞は次のような社説を掲載した; 高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述が削除されたことに教科書会社が訂正申請していた。一度取り下げて再申請した社もあり、申請承認まではすんなりとはいかなかった。 文部科学省の教科書検定審議会が認めたのは「日本軍による住民への教育・指導や訓練の影響などによって、『集団自決』に追い込まれた人もいた」「日本軍の関与のもと、配布された手榴弾(しゅりゅうだん)などを用いた集団自決に追い込まれた人々もいた」といった記述だ。だが「日本軍は、住民に手榴弾をくばって集団自害と殺しあいを強制した」は認められず、取り下げを余儀なくされた。 「『強制集団死』とよぶことがある」などが認められたのは一定の前進と言えるが、大幅加筆や側注としての追加があり、解釈を読む側に委ねるような記述まである。 今回、検定審は「集団自決が起こった状況を作り出した要因にも様々なものがある。軍の関与はその主要なものととらえられる。一方、軍の命令で行われたことを示す根拠は確認できていない。住民の側から見れば、当時の様々な背景・要因によって自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる」などとの「とらえ方」を示した。 集団自決には複合的要因があり、「軍の命令」という証拠がないからストレートに「日本軍が強制した」と書くべきではない、ということだ。検定で削除まで行ったが、その後、沖縄県民からの猛反発で政治的問題にまで発展した。ここで見解を明示し、一定の制約を加えなくては検定自体の権威が保てなくなってしまうし、政治的圧力によって検定意見を変えることがあってはならない、からなのだろう。 だが、「様々な背景・要因」を持ち出して「歴史の真実」から目を背けていないか。「強制」という言葉を用いずに沖縄戦の悲劇の本質を伝えることはできるのか。軍が自決用の手榴弾を住民に配った事実があり、多くの沖縄住民が当時を証言している。強制はなかったとも解釈できる表現になっている記述があることこそ問題だ。一連の問題を引き起こした今年春の検定は罪が重い。安倍政権だったから、ということはなかったのか。文科省は検定手続きの透明性を高めることに努力すべきだ。2007年12月27日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「社説-『強制』なしで伝わるか 読み方によっては日本軍による強制は無かったかのようにも読めるような記述は、教科書には不適切である。軍が命令したことを示す史料は発見されていないが軍の命令だったという証言は多数確認されていると、はっきり書けばよいのだ。新しい史料が発見されたというわけでもないのに、今まで通っていた記述に敢えて検定意見を付したのは、安倍政権下だったからという疑いが濃厚である。
2008年01月04日
事実上文部科学省が検定意見を引っ込める形になった歴史教科書の沖縄戦の記述について、12月27日の読売新聞は関係者の声を次のように紹介している; 「正直ほっとした」「でも、検定に誤りがあったという言葉が欲しかった」--。沖縄戦の集団自決を巡り、26日、「日本軍の関与」という記述が盛り込まれることが決まった教科書検定問題。地元・沖縄では、安堵(あんど)の声が広がる中、「軍の強制」を削除させた文部科学省への不満を訴える住民もいる。教科書会社や執筆者からも、今年3月の検定意見の公表以降、迷走を続けた文科省に批判が相次いだ。 「80点。一定の評価をしていい」。今年9月、文科省が訂正申請に応じるきっかけとなった県民大会を、沖縄・宜野湾市で開いた実行委員会の仲里利信委員長(70)(県議会議長)は26日、東京都内で記者会見に臨んだ。 仲里委員長は、「検定時より踏み込んだ表現もあった。検定意見は実質的には消滅した」と笑顔も見せたが、隣に座っていた実行委の玉寄哲永副委員長(73)は、「せめて『検定に事実誤認があった』と言ってほしかった」と漏らした。 沖縄でも、渡嘉敷村教育委員長の吉川義勝さん(69)は、「(少なくとも日本軍の関与が)復活したことには正直ほっとした」と語った。 ただ、渡嘉敷島での集団自決を生き延びた経験を持つ吉川さんは、複雑な気持ちものぞかせた。「体験者としては、『軍の強制』と書いてほしかった」 文科省は今年3月に公表した検定結果で、集団自決の記述から「軍の強制」を削除させた理由について、日本軍の命令があったことを否定する学説が出ていることに加え、旧陸軍の元少佐らが、作家の大江健三郎氏などに賠償などを求めた訴訟で「自決を命じたことはない」と意見陳述したことをあげていた。 沖縄からの再三の抗議にも当初は、「審議会が学術的な立場から出したものに介入できない」としていたが、9月に県民大会が開催されると、検定意見は撤回しないまま、教科書会社からの訂正申請で記述を復活させるという『苦肉の策』で対応することを決めた。 しかし、主催者発表で「11万人」とされた県民大会の参加者数が「実は1万8000~2万人だった」という指摘も出るなど、文科省の突然の方針転換については、記述を削除された教科書会社側からも「政治的に中立であるべき検定を有名無実化する」との批判があがっている。 記述の訂正が認められた東京書籍の担当者は「今回の対応を『不安定』とみるか、それとも『柔軟』とみるか。教科書検定への政治介入の先例になるようでは大変なことだ」。 別の教科書会社の担当者は「政治介入とは思わないが、沖縄の県民大会など一連の流れがあって、国が動いた。普通はこういうことはない」と振り返る。 同じく訂正が認められた実教出版の日本史教科書の執筆者、石山久男さん(71)はこう訴えた。 「問題の発端は根拠が不十分な検定意見にある。検定意見が正しかったのか、審議会の透明性を高められるかといった課題は残ったままだ。この問題を終わりにしないでほしい」2007年12月27日 読売新聞朝刊 14版 30ページ「『軍の関与』評価と批判」から引用 とりあえず来年から生徒に配られる教科書には「日本軍」という文字が記述されることになったが、「強制」を「関与」にして印象をやわらげるなどという姑息な手段で、歴史改ざん派の意図が撤回されずに残ったのは問題である。今後は、何故根拠が不十分な検定意見が出てきたのか、責任の所在を追及してほしいものだ。
2008年01月03日
ネパールでは240年続いた王室が廃止されることになったと、12月25日の読売新聞が報道している; 【ニューデリー=永田和男】ネパール暫定政府を構成する与党6党と旧反政府勢力のネパール共産党毛沢東主義派は23日夜、国の在り方を「連邦共和制」と暫定憲法の前文に明記し、2008年春までに行われる制憲議会選挙後に王室を廃止することで正式合意した。毛派の政権復帰の見返りに毛派の主張を受け入れたもので、今後、議会が承認する。240年近い歴史を誇るネパール王室の廃止は確定的となった。 反王室闘争を掲げる毛派は今年9月、制憲議会選で不利が予想されることから同選挙を待たず、共和制移行を宣言するよう求めて政権を離脱、武装闘争再開もちらつかせていた。だが、その後、最大政党のネパール会議派など各党も、王室への国民の信頼回復はないとの判断から続々と共和制支持を打ち出し、王室廃止は既定路線化していた。 01年の王族射殺事件後、即位したギャネンドラ国王は、議会を解散し、直接統治を敷くなどの強権政治と、ぜいたくな暮らしぶりできわめて不人気で、06年春の政変後はほとんど公に姿を見せない。王室廃止に国民の抵抗はないと見られる。 だが、毛派と10年以上内戦を戦った軍内部には、なお王室に忠誠を示す勢力もあり、「国王が武力に頼って制憲議会選阻止に出る可能性も排除できない」(地元ジャーナリスト)とされる。このため、6党と毛派の合意には「国王の選挙妨害工作が明るみに出れば王室は即刻廃止できる」との一項も盛り込まれた。2007年12月25日 読売新聞朝刊 14版 7ページ「ネパール王室廃止 確定」から引用 王室とか皇室などというものは、大昔の政治形態のなごりであり、民主主義の基本である「平等」の精神と矛盾する。したがって、これから長い時間をかけて王室や皇室はいつか消えてしまい、最後に残るのはトランプの中の4人の王様だけになるであろう。
2008年01月02日
わが国憲法学の泰斗と言われる名古屋大学大学院教授・浦部法穂氏は、数年前に国会の憲法調査会に参考人として出席し、そこで国会議員たちと交わした論議から、国会議員たちの認識の拙劣さに危機感をいだき、2005年に「憲法の本」を出版した。その「はしがき」で、浦部氏は次のように訴えている; 国会議員たちのあいだで「改憲」論議が盛んである。その「改憲」論は、いみじくも自民党が掲げている看板(「自民党・新憲法起草委員会」!)にはっきり表現されているように、「憲法改正」論ではなく、「新憲法制定」論である。そして、この点では、民主党の「改憲」論も同じである。憲法の「改正」と新憲法の「制定」は、まったく性格のちがう行為である。憲法の「改正」というのは、いまの憲法を前提にして、つまり、いまの憲法のつくりや基本的な原理原則は動かさずに、部分的な変更を加えることである。しかし、いまの「改憲」論議は、現行憲法の基本的な原理原則も見直し全面的に作りかえよう、というものであるから、「憲法改正」の議論ではない。 いったい、いま、なぜ「新憲法」の制定なのか。新憲法の制定は、通常、政治体制の根幹的変革が生じたときに行われる行為である。たとえば、革命によって新たな政治体制が確立されたときなどである。フランスでは、歴史上、何度も新憲法の制定が行われたが、それは、フランス革命=共和制〔1791年憲法〕→ナポレオン帝政・王政復古→ 2月革命=共和制〔1848年憲法〕→ 帝政(ナポレオン3世)→ 普仏戦争敗戦・民衆反乱=共和制〔1875年憲法〕→ナチス占領→連合国勝利・解放〔1946年憲法〕というように、いずれも、政治体制の大変動にともなって行われたものであった。そして、現在のフランス憲法は、1958年に制定されたものであるが、このときも、アルジェリア独立戦争を契機とする政治的混乱・内乱に終止符を打って、ド・ゴール政府の新たな政治体制が確立されて、新憲法の制定となったものである。ちなみに、この憲法は、新憲法の制定にふさわしいきちんとした手続を経て制定された。まず、政府は、国民議会により、新憲法草案を作成し国民投票に付する権限を承認され、その権限にもとづいて憲法草案を作成した。そのうえで、これを国民投票に付し、投票率84.9%、賛成78.2%という圧倒的多数(全投票権者総数の2/3の賛成!)で承認されたのである。 ひるがえって、いまの日本で、このフランスの例にみるような、新憲法の制定を必要とする状況は、まったく存在しない。にもかかわらず、国会議員たちが、新憲法を制定しようと企てているということは、彼・彼女らが、日本国憲法のもとでの政治体制の根幹的変革すなわち「革命」をたくらんでいる、というはかない。しかも、それを、通常の憲法改正手続で行おうとしているのであるから、新憲法制定に求められる手続すら無視して強行しようとしているのである。国会議員は、憲法99条によって、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負っている。新憲法の制定ということは、いまの憲法を廃棄するということだから、国会議員が新憲法の制定を企てるのは、明らかに憲法99条違反の行為である。ということは、国会には新憲法制定の発議権はない、ということである。国会議員たちによるいまの「改憲」論議は、憲法上認められた権限外のことをやろうとするものであり、その意味でも、革命またはクーデターの企て以外のなにものでもない。 こうした事の重大性を、国会議員たちは、まったく自覚していない。そして、国民もまた、このような重大な企てが政治の場で進行中であることに、無関心であるか気づいていない。「なんとなく改憲」のムードがモード(流行)となりつつある。そんななかで新憲法の制定が行われたら、将来に大きな禍根を残すことになろう。そういう不幸を招かないためには、まずは、一人ひとりが、いまの憲法の規範と現実をきちんと理解して、自分自身の憲法への向き合い方なり立ち位置を定めることが必要であろう。「改憲」問題は、いまこの時代に生きている私たちだけの問題ではない。将来の世代にも大きな影響を及ぼす問題である。その将来の世代への責任を果たすためにも、いま、一人でも多くの人が憲法の学習に取り組むことが求められているといえる。 本書は、そのための一助となることを願って書かれた。歴史上のできごとや現実にあった憲法事件を織り込み、憲法の規範と現実をなるべく具体的に理解してもらえるよう努めた。また、コラムや図などを随所に入れて、眠くならない(?)工夫もしたつもりである。法律が専門でない人にもひろく読んでもらえるよう、なるべく易しい言葉で書いたっもりであるが、それでもなお「法律家の悪弊」が残っているかもしれない。読んでいただいて、「ようわからん」という箇所があったら、本書の企画編集元『法学館憲法研究所』のホームページ(http://www.jicl.jp/)などへ意見をお寄せいただければ幸いである。浦部法穂著「憲法の本」共栄書房刊 iページ「はしがき」から引用 もし、憲法の改正が必要であるなら、それは現行憲法の規定に則って行われなければならない。「改正」とは、不都合が生じた枝葉の部分の改正であって、憲法の基本原理を変更することは、現行憲法の容認するところではない。基本原理とは何か。すなわち、「国民主権」「人権尊重」「平和主義」である。したがって、例えば憲法9条などは、変更することは許されないのである。 国会の3分の2以上の賛成と国民投票の過半数の賛成があれば、何でもできるというのは、かつての日本が統帥権が政府から独立したものであるとしたのと同じくらい罪深い誤りである。
2008年01月01日
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