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2009年01月03日
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カテゴリ: 政治問題
 おととい昨日と引用した山田氏の論文で、大日本帝国憲法の条文を根拠にした天皇の戦争責任否定や、昭和天皇が戦争について詳しく知らされていなかったという理由で責任がないとする主張は成り立たないことが論証された。
 それでは、何故、東京裁判ではその責任が問われることがなかったのか。同論文は、終章で次のように述べている;




 一般に、アメリカは占領政策に利用するために天皇制を存続させた、と論じられることが多い。だが、アメリカ政府にとってみれば、戦時中に日本軍国主義の中心人物として世界に宣伝してきた昭和天皇と、戦争が終わったからといってすぐに手を結ぶのは、内外の世論対策という点からするとむしろ危険なカケであった。 アメリカが利用したいのは、昭和天皇のカリスマ性であって、必ずしもシステムとしての天皇制そのものではなかったと思われる。 したがって、アメリカにとって天皇制の利用・存続は、昭和天皇の天皇在位が前提となる。もちろん、天皇利用を内外世論に納得させるためには天皇が「無罪潔白」であることがどうしても必要であった。

 マッカーサーは、軍事秘書ボナ・フエラーズ准将の進言をいれて、調査なしで天皇個人を利用することに決した。マッカーサーがこの判断をくだすにあたっては、1945年9月27日に、天皇自身がアメリカ大使館に赴き、占領政策への積極的協力をみずから申し出たこと(天皇・マッカーサー第一回会談)が大きな影響を与えたと思われる。

 マッカーサーにとって、占領政策の積極的協力者であることをみずから表明した昭和天皇の利用価値はきわめて高かった。だが、体制内にあっても、昭和天皇を退位させることで天皇制を維持しようとしていた勢力は、むしろ占領統治にとって邪魔者でさえあった。それゆえ、東久邇宮(ひがしくにのみや)は早々に失脚せざるをえず、最も急進的な退位論者であった近衛文麿(このえふみまろ)にいたっては、GHQの「協力者」の地位から一変してA級戦犯容疑者とされてしまった。

 GHQによるこうした路線と日本の保守勢力の思惑を 根底でささえたのが、昭和天皇自身に退位の意思がなかったという事実である。 天皇は、一時的に退位について口にしたことはあったが、近衛らが想定した天皇退位、高松宮摂政という路線に根本的に反対であり、自分自身が在位し続けることこそが天皇制を存続・安定させる唯一の道だと信じていたのである。

参考文献
H・ビックス『昭和天皇』上下 (講談社、2002年)
藤原彰『昭和天皇の十五年戦争』 (青木書店、1991年)
山田朗『昭和天皇の軍事思想と戦略』 (校倉書房、2002年)
吉田裕『昭和天皇の終戦史』 (岩波新書、1992年)


歴史科学協議会-編 木村茂光・山田朗-監修「天皇・天皇制をよむ」東京大学出版会刊 251ページ「日本の敗戦と天皇の<戦争責任>回避」から引用

 戦争で負けるまでは国のトップとして国民を支配していたが、負けたら今度は進駐軍司令官に協力を申し出て、己の責任を免れることに成功したのが昭和天皇であった。










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最終更新日  2009年01月03日 20時34分47秒


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