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「デブリなんか早く取り出して片付けてしまえばいいのに」
これらはよくある考えらしい。第1の問いについてだが、福島第1原発の汚染水は大量の冷却水や地下水が事故後の核燃料に直接触れたもので、通常の冷却水とは全く異なる。処理したとはいえ、事故後の水を海に意図的に流した事例は世界初なのである。その溶融した核燃料などが固まったデブリが、福島第1原発には約880トンある。一度に取り出せる量はスプーンー杯程度だそうだ。全て取り出すまでには果てしない時間がかかる。しかしその取り出したデブリはいったいどこに置くのか?
結局また閉じ込めるなら、そのまま封じ込めて放射性物質の減少を待った方が、ましではないか?
◇ ◆ ◇
原子力市民委員会(CCNE)は海洋放出に代わる案を提起してきた。事故以来すでに多くの汚染水が海に流れ出ている。これ以上流すのはリスクが大きいからである。第1案はモルタル固化で、第2案は大型タンク保管。どちらも海洋流出せず、時間をかけて減少を待つことができる。モルタル固化はすでにアメリカで実施されている。しかし日本政府は海洋放出を選んだ。国際原子力機関(IAEA)には決定後に安全性を問うた。だからIAEAの報告書には「その政策を推奨したり支持したりするものではない」とある。
CCNEは今後についても、「デブリを取り出す」という廃炉案とは異なる提案をしている。想像を絶する時間がかかり危険を伴い、置き場所にも困るようなデブリ取り出しをやめ、空冷化を実施したうえで長期遮蔽管理をする、という案である。広域遮蔽壁を築き、地下水の流入を止めるのだ。
これら危険を回避する方法が提案されているにもかかわらず、海洋放出がなされデブリの取り出しが予定されているのはなぜか。その向こうに「復興」という言葉が見え隠れする。汚染水のタンクが目の前からなくなる。デブリが隠されて見えなくなる。そして、事故は忘却される。そんな計画が進んではいないだろうか。3・11を忘れ、原発安全神話が復活し、さらに原発に依存する生活が続く。それでいいのだろうか?
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先ごろ起こった中国の海産物輸入禁止に対し、メディアを先頭に人々が非難に燃えている。確かに輸入禁止は「事故を起こした当事国」が「被害国」であるかのような気分になる機会となった。しかしこれは巧妙かつ典型的な論点ずらしである。 かつて沖縄密約が、その情報受け渡しの際の男女の不倫への非難にずらされたことを、私は思い出した。 重要な問題であればあるほど、私は「論点ずらし」のわなにはまらないよう気をつけている。
今私たちが取り組まねばならないのは、 廃炉までのプロセスが地元の人々、日本人全体、そして周辺諸国の人々にとって納得できるよう、方法を練り上げることだ。 その際に最も大切なのは、双方向のコミュニケーションである。この問題に完璧な解決策などない。だからこそ「最もましな」方法を、専門家とともに多くの市民が納得できるまで話し合い、妥協点を見つけねばならないのである。廃炉の現実とは、それほど真剣に向き合うべき事柄なのだ。
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