フリーページ
安倍氏の国葬から1年が経って憂うのは、政府への批判や反対意見が十分考慮されない「民主主義の空洞化」が進んでいることだ。
戦後最長の政権を担った政治家が銃撃によって亡くなり、悼む思いを表したい人がいるのは当然だ。そうした思いも踏まえたうえで、慣例の内閣・自民党の合同葬ではなく、国葬というやり方が妥当だったのか、その実施を決める過程への疑念はなお残っている。
国葬は国論を二分するテーマで、幅広い合意を得るために手を尽くすべきだった。しかし、岸田文雄首相は国会に諮ることなく、閣議で決めてしまった。国民全体の儀式とするためには、国会で議論すべきだったと改めて思う。
そしてその後も、岸田政権は マイナンバー制度の推進や防衛費の大幅な増額、安保3文書の改定、敵基地攻撃能力の保持、原発再稼働など、重要な問題をさしたる議論もないまま次々と決めている。
9月の内閣改造では、ウクライナを訪問するなど、各国の要人とやり取りしてきた林芳正外相を交代させた。外交の合理性よりも党内の派閥を重視するような内向き思考で、ことを進めているように見えるのは私だけではないだろう。聞く力を標榜(ひょうぼう)しているが、国民との乖離(かいり)は大きくなっているのではないか。
「自民1強」と呼ばれる政治状況が続き、 野党やメディアは弱体化していて、政府を批判しても影響力を持てていない。かつ、政府も野党・メディアも支持できない人々は政治全体を冷ややかに見ている。 国葬が進められた背景にあったのは、こうした危うい政治構造だ。民主主義の状況について、国民全体で危機感をもつ必要がある。
(構成・長野佑介)
【解説】安倍元首相の国葬
昨年9月27日、東京都千代田区の日本武道館で執り行われ、国内外の4170人が参列。費用は約11億9900万円だった。開催をめぐり国論が二分されたことから、岸田文雄首相は国会で「一定のルールを設けることをめざす」とし、識者に意見を聞くなどした。しかし今年7月、松野博一官房長官は「国会の関与の具体的方法についての意見の一致はみなかった」などとしてルールを明文化しない考えを表明した。
<そがべ・まさひろ> 京都大大学院教授。専門は憲法・情報法。
立憲主義の蹂躙、今も(20日の日記) 2026年05月20日
対米追従から脱却を(19日の日記) 2026年05月19日
改憲理由、見当たらず(18日の日記) 2026年05月18日
PR
キーワードサーチ
コメント新着