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あたしがこの家に初めてきた時は、まだ名前がなかった。 だって、生まれてまだ一ヶ月もたっていなかったのだから。 あたしの名付け親は、先生の奥さんだ。 奥さんの名前はひさ子という。 先生が奥さんに言っていたのを今でも覚えている。 「ニャンコの名前だけどね、名前なんて符号みたいなものだから どうでもいいようなものの、やっぱりないと不便だからね。 『チッペ』っていうのはどうだろう。 小柄なこの子にふさわしい可愛い名だと思わないかい」 そのときの奥さんの印象たるや、やや考えr込むような風情だった。 先生は、なにせ哲学者だし、 きっと、あのソクラテスの奥さんの名前から思いついたに違いない。 でも、ソクラテスの妻クサンティッペは稀代の悪妻だったというではないの。 とすると、これは妻の私に対してなにか含むところがあってのことだろうか。 いや、案外愛情の変形なのか。 《理解に苦しむところだわ》と。 いずれにしろ、悪妻の代名詞みたいな名前を 「チッペおいで、おいでチッペ」 なんて、毎日毎日呼びかけるのはたまらないと 奥さんは考えたんだと思う。 「もっと可愛い名前を思い付いたわ、『パトラ』なんてどうかしら」 「おお、おお、クレオパトラ のパトラかあ。 たしかにチッペよりはいいかも知れんなあ」 先生が心底そう思ったのか、美人の奥さんに一歩譲ったのか そこんところは、あたしには分からないけど その日から、あたしは『パトラ』になったってわけ。
2009.09.30
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「鳥の将に死なんとするや 其の鳴くこと哀し」「人の将に死なんとするや 其の言や善し」論語のことなど 知るや知らずや警句・格言などにも一切頓着なく森にはいつも囀り囃す鳥がある《西行の吉野の山のほととぎす》(原吐夢) 時鳥・不如帰・子規・杜鵑・蜀魂 ・・・ドノコヲトロカ・・・聞き做しに事よせて鳥のアカペラに耳を籍せば「テッペンカケタカ♪」と声がするいえ いえテッペンカケテてないよ「長兵衛 忠兵衛 長忠兵衛♪」メジロが人を呼んでいる「一筆啓上仕り候♪」ホオジロの弁されば 一筆拝見仕り候 People play,People when,One Two Three. コジュケイが英語で鳴いた 人語はときに鳥語に凭れども鳥語に到らず鳥語はまた人語に凭れども人語に到らずとはいえ喋喋として離れず喃喃として倦むことなし
2009.09.25
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「先生 その件はお急ぎでございますか?」 「いや いますぐというほどでもないが 相応な値で買ってくれそうな上客を まず探してみてほしいのさ ちょっと予定していることあってね 金の目途だけつけておきたいってわけ」 「とおっしゃいますと お家でもお建てになりたいとか?」 「ま 大したことでもないんだけどね 本を出したくってね 並の出版社じゃとても引き受けてくれそうにもない つまり 世間では売れそうにもない詩集 しかも こいつを羊皮紙で作りたいのだよ 限定10部の特別装丁版で」 「へえ 結構豪華な話ですが お金のほうも かかりそうですね」 「そうだなあ 1部当たり30万円ぐらいってところか 10部で300万円あれば何とかなるだろう ひとつ心当たりにあたってみてほしいのだがね ただし我侭を言わしてもらうと 京都だけは避けてほしい なにせ 京都からの出物なんでね 売った方のプライバシーの問題でね」 「わかりました 他ならぬ先生のことですから 骨折ってみようじゃありませんか」 「たのむよ」 というわけで 先生は 骨折りの駄賃にでもと なにやら 色絵の小皿を5、6枚渡したのだったが 骨董屋の「臥竜洞」はいそいそと帰っていった
2009.09.25
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先生からの受け売りだが 寒山拾得というのは 中国唐代の人物で とにかく 世俗を超越した奇人だったらしい 寺に出入りしていたとはいっても お坊さんだったわけでもなし そうかといって 俗人だったわけでもなかったが 深く仏教の哲理に通暁していて 特に寒山の詩は 日本でも古くから愛好されてきたのだという 『そういうわけで 寒山拾得を題材とした文芸・美術の作品は 中国でも日本でも少なくない 明兆も描いていることからして その弟子である 赤脚子と霊彩も きっと師の作品を手本にして 描いたものだろう 霊彩には「寒山図」がある』 『ところで これは赤脚子の「拾得図」だからね まさに珍品にして傑作であること間違いない』 『それで先生 この絵をお売りになりたいので?』 『寒山と拾得 赤脚子と霊彩 一対で揃えてみたかったのだが 悲しいかな 大学教師の身で そんな大望は実現不可能だからね だから 値段次第では 惜しいけれども 手放すにやぶさかではない』
2009.09.18
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先生が、細長い桐の箱から 大事そうに取り出したのは どうやら掛け軸らしい。 紐を解いて床の間にかけると ゆっくり下に広げた。 どうやらこれは、いわゆる水墨画らしい。 それくらいはあたしにだって解る。 だいたい、色がない。 墨の濃淡だけだ。 おだやかな表情の 童子とも大人ともつかない人物が そこには描かれている。 長い髪は肩まで垂れ ぺらぺらした衣の裾が風に靡いている。 背景の岩と樹木は これまた淡彩だけど 力強く勢いがある。 全体的には なんだか妖しげな雰囲気が漂った絵だ。 「へえ、なかなかの逸品らしゅうございますが これは何の絵でございましょう?」 「骨董屋がこの画題を知らないとは ちょっと驚きだなあ」 「どちらかといえば わたしはその九谷とか伊万里とか 焼き物のほうが専門でして・・・」 骨董屋の言い訳には あたしは やや納得ゆかない 骨董屋だろうが美術商だろうが 骨董一切、美術品や道具全般について 広い知識を持っていなくてはいけない のと違うだろうか、それが職業なんだから。 お安く買い叩いておいて 贋物だろうが偽作だろうが 無知な骨董屋が無知な骨董好きに 法外な値段で売りつける そんな悪徳商法常習の手合いが きっと居るのだわ この世界には きっと、 「臥竜洞」のトラ猫にも一度確かめておかなくっちゃ。 「これはな、寒山拾得の拾得なんだよ 寒山拾得は焼き物の絵柄にもあるよ。 よく覚えておくといい」と先生。 これでは どっちが本職だかわからない。 それにしても先生は偉い!。
2009.09.11
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なお、先生の話しはつづく あたしは、じっと聞くしかない 「ところでだ」 「ところでですか?」 「ウン、まさに、ビックリシタヤノコウトク寺」 えっ?どっかで聞いたことあるような 「その明兆の弟子の絵がここにある」と先生 「へえ、明兆のお弟子はなんとおっしゃるので?」 「明兆の弟子では、赤脚子と霊彩なる二人が 知る人ぞ知る双璧といわれている 二人とも室町時代の絵師でな」 「室町期といえば先生、前田の殿様なんて まだ影も形もない時代じゃございませんか」 どうもこのトラ猫の主人・骨董屋「臥竜洞」なる人物は 前田の殿様を基準に物事を考える習性があるらしい と 「そうとも加賀の国は富樫氏が 能登の国は畠山氏が治めていたろうな かの長谷川等伯なんぞは 畠山氏の臣下の家系だというが 時代としては、ずんと下る」 「で、先生はその等伯の軸もお持ちなんで?」 「いやいや、等伯の軸なんて収まるところに 収まってしまって、そんじょそこらに ごろごろ転がっていはしないよ しかし ここにある作品だって とてもとても僕の手元にあるのが不思議なくらいの逸品だよ 明兆の弟子でも赤脚子の方なんだがな」
2009.09.10
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先生は、あたしの頭を撫でながら話を続ける。 「ところがだ。室町時代に吉山明兆という絵師がおってな。 明兆は京都東福寺の殿司というて、まあ、寺の仏具やら 宝物やらを管理する役僧を務めていたらしい。 だからな、兆殿司という名でもよばれている。」 「へえ、さようでございますか。ところでその絵師と猫と どんな関わりがございますので?」 そうそう、先生の話ってのは相変わらずもってまわって なかなか核心に触れてこないことがあるのだ。 あたしは、先生の膝の上に丸こまって、ゆっくりお話を 拝聴することにしたものである。 「そうそう、ここからが肝心なところなんだな。明兆はそ のとき、とてつもなく大きい釈迦涅槃図の製作にとりか かっていた。なにせ、縦三丈九尺、横二丈六尺、我が国 の涅槃図としては第一の巨幅とされている。 ところが、明兆がこの巨幅を描いていると、飼っている 猫が近寄ってきて、じっと物思わしげに明兆の手許を見 つめているではないか。。そして悲しそうに鳴いたのだ そうな。 『おお、よしよし、お前もこの絵に入りたいのか、そう か そうか。』 というわけで、この涅槃図の鳥獣のなかに猫も描き加え たというのだな。涅槃図のなかに、猫も描かれるように なったのは、どうもそれかららしい。長谷川等伯描くと ころの羽咋妙成寺の涅槃図にも猫が描かれている筈だよ」 ああ、よかった。 あたしら猫の眷属も明兆とやらのおかげで、漸く面目を ほどこしたってわけか。 「
2009.09.07
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人間の会話のなかに ネコという単語が出てくれば 猫たるもの耳をそばだてずには居られない 「お釈迦様が入滅なされたとき 他の動物たちがみな沙羅双樹の 木の下で嘆き悲しんでいたというのに 猫だけは来なかったのだそうな 以来猫は忌むべき動物として 干支の仲間にも入れてもらえぬわ 釈迦涅槃図にも描かれることはなかった なにせその場に居合わせなかったのだから」と先生 えっ あたしたちのご先祖が お釈迦様のお弔いに欠席したっていうの これって ちょっと恥ずかしい でもこのことと いま先生がお相手している骨董屋と どんな関係があるのかしら だいたい先生の話ってのは 飛躍するときは思いっきり飛躍するのだけど 今日の話はなんだか回りくどそうだ ここはよくよく聞き洩らしのないように しなくっちゃと あたしは 先生の膝の上に 取敢えず座を占めることにした
2009.09.01
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