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そのころ、わたしは一介のロードーシャだった ひょんなことから詩歌の叢に迷い込んで 詩や短歌のグループに所属しては 思えば不可解な ロードーシャの所業ででもあったろうか ときには短歌を詠むこともあったが 詩にくらべれば そのころは 短歌はつけたしみたいな存在で わたしの当時の生き様にとっては やや軽めだったのだが・・・ そんなわたしの許へ ある日 一冊の歌集が送られてきた 贈り主は鹿児島在住の方 以前わたしが所属していた短歌結社の同人だった 「指折れば十幾人のともがらがこの草原に果てて還らず」 冒頭の一首は 中国興安嶺での戦争の回顧だった 戦場での記憶と悔恨から逃れようと 作者は今も故地の山中に 猪を求めて猟をするのだという そんな いかにも九州人らしい骨太の歌が 以下200余首続く 『草原』というタイトルの この歌集が届いて間もなくのこと また一冊の詩集が贈られてきた 存知よりの女流詩人の手になる 詩集のタイトルは 「シャーベットと理髪店」だった ロードーシャわたしは実は あとに届いた詩集の方を先に読み終え 歌集「草原」は表紙を一瞥しただけで 机上に放置したままだった これでは贈っていただいた方への 礼に失すると思い直して 漸く「草原」を読み終えた 短歌という定型詩とはいえ 「草原」の訥々とした口調は どこかリズム感が乏しいのに比べ 自由詩「シャーベットと理髪店」の方は 非定型とはいえリズム感に溢れていたのだった いまにして思えば 歌と詩どちらを選択するという問題でもない 好き嫌いの問題でもない 詩を批評するに歌を持ち出し 歌を鑑賞するに詩を持ち出すのは愚だろう 一日の間をおいて手許に届いた 一冊の歌集と一冊の詩集 この偶然の対比は わたしの心の在り様への 一つの反省点としていまも生きている
2009.10.31
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まわりが自然に恵まれているせいか この家の庭には いろんな蝶が飛んで来る モンシロチョウ モンキチョウなら 誰でも知っているが アゲハ カラスアゲハ アオスジアゲハ イチモンジセセリ 図鑑で調べたのが ヒメアカタテハ ヒョウモン ウラギンシジミ 九月のはじめ 庭とは地続きの 竹藪の傍ら 羊歯の茂みに 目をあざむくほどの 大きな 麗々しい 黄色の落ち葉を発見した その黄色が 余りにも鮮やかなので 際立って見えたのだが しげしげと眼をこらせば それは蛾だったのだ 鱗粉や 胴の形 羽毛 全体の雰囲気が 蝶とは違う 四枚の翅には 蛇の目のような 二重丸の紋様が それぞれ一個ずつ 木象嵌さながらに刻印されている これはやはり 命潰えた落ち葉の色ではない 図鑑によればヤママユガ(山繭蛾)らしい 羊歯の葉の上で じっと気息を止めて微動だにしない 翌朝 おなじ場所に行ってみたが もう居なかった 明け方の 林立する竹 竹 竹 その回廊を 綾なす 黄色の翅を駆動し 飛翔する ヤママユガの姿は さぞ 壮観だったろうに
2009.10.27
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なんじゃもんじゃのもりに かなぶんぶんがとんできた むささびもやってきた そもそも なんじゃもんじゃのいいぶんは もりのテリトリーを はっきりしようということらしい あっちゃこっちゃ うろうろされては うるさくてよるもねむれん あんみんぼうがいで からだもほそるわい ということらしい ががんぼはもりのひがしにすまいをきめろ ゆすりかはもりのにしにすめ むささびはおのれのペルソナってものをはっきりしろ あんたはとりのようにそらをとぶが とりでもないしかといってむしでもなさそうだ あんたはいったいなにものなのだと なんじゃもんじゃがいったそうな そこでむささびもいったそうな なんじゃもんじゃはなんじゃ あんたはくさのようでねっこがない いったいしょくぶつなのかどうぶつなのか あんたのペルソナをはっきりさせろといったらしい そこへごきぶりがしゃしゃりでた ごきぶるはすこしでもみんなによくおもわれたいので おけしょうをしてきたのだった かおはいわゆるガングロ はねはいわゆるチャパツにそめた もりのれんじゅうはごきぶりをわらった めっちゃわらったので もりのかいぎはおながれになった それいらい なんじゃもんじゃのもりは ごちゃごちゃのまんま ががんぼも かなぶんぶんも ゆすりかも むささびも そこへももんがもくわわって ごきぶりはあいかわらず ガングロ・チャパツでおちょろちょろ なんじゃもんじゃはねなしぐさで からだはぐちゃぐちゃ いまだによるもねむれないそうだ
2009.10.23
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そのとき 坂の上に雲はあったろうか はたまた一面の青空だったのだろうか 坂の両側はスダジイの樹林 葉群れが視界の仰角を閉ざし 妄想だけを自由に泳がせた 椿原天満宮を横手に見て 徘徊の始まりはその西側を左折した 馬坂だった 馬坂は東方の牛坂に並行しているのか なにせ九十九折の坂のこと 上下にかたぶき 左右に折れ違う町外れのラビリンスは 座標の軸すら定かではない その昔 草刈場を往来する馬が通った道だとか だが待てよ いったいその草刈場は 坂の上にあったのか? 坂の下にあったのか? 誰が確かめたのか 坂の下方に蛇行する浅野川 浅野川畔に草刈場? 坂の上方に広がる小立野台地 小立野台地に草刈場? その昔 流刑地五箇山で 秘かに煙硝を密造しては 馬の背に運ばせた煙硝の道が この坂の上の草刈場をよぎったとすれば きっと藩の密命を帯びた忍者たちも 草刈場に出没し 暗闇にまぎれて馬坂を駆け抜けたに違いない いまやさしげに流れる女川 だが待てよ 浅野川の対岸には そのかみ 被差別部落があったのらしい 山の民・川の民・無宿者の梁山泊だったとすれば かの浅草弾右衛門の舎弟も居たりして・・・ 妄想は果てもない 坂の中途に 一体の地蔵尊がおわす 地蔵は菩薩の体現でもあり 修羅の体現でもあるのだから お供えの大関のワンカップは 何を意味することになるのか 千羽鶴は何の祈りの化身なのか 坂は仏心の道なのか 修羅の道なのか も一度 坂を右に折れて 登りきった古さびた寺院に 何故か俵屋宗達の墓碑がある おどろおどろしく 風神雷神も 鰤起しの季節に乗って 坂の上を天駆けるとしても不思議ではないが・・・ いまはただ 鳥も通わぬ 空間と時間の結界に 踏み迷ったようだ
2009.10.19
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あたしが骨董屋「臥竜洞」のお勝手口にまわると、 この家の飼い猫トラがたいがい待っている。 トラはあたしに気があるのか、 「これ残しといたからお食べ」なんて言って 餌の食べ残しを勧めたりする。 それは、サンマの頭であったり かつお節をまぶした残飯であったりするのだが あたしはトラの親切心に感謝の意を表しこそすれ 決して口にはしないことにしている。 「パトラはね、よそさまで餌をもらったりしてはいけませんよ。 食中毒に罹ったり、寄生虫にやられたりすると大変ですからね」 と、つねづね先生の奥さんに注意されているから。 「パトラちゃんはどうしてパトラなの?」 トラは、身欠きにしんの尻尾をもぐもぐ食べながら あたしに質問する。 あたしは、あたしの名前の由来を簡単に説明してあげたのだけど 果たしてトラに理解できたかどうか大いに疑問である。 「ところでトラさんはどうしてトラなの?」 あたしは、ずっと気になっていたことを この際きいておくことにした。 あたしの名前に深遠な命名の由来があるように トラの名前にもきっと何か 特別面白い訳があるに違いないと思ったのだった。 「ぼくは寅年生まれなのさ。 それに毛の色も黒くもなし白くもなし 三毛でもないし、ヨモギでもない虎色なのさ。 虎はライオンに次ぐ百獣の副王ぐらいだから偉いんだよ」 ・・・そうかすると虎は昭和25年生まれってことか・・・ あたしは別の意味で納得した。 あたしは、本当の虎は黒と黄色の縞模様だったはずだが 赤茶色の毛色のトラさんはきっと 本当の虎を見たことがないのだわと思った。 かくいうあたしも、勿論本当の虎は見たことないけど 先生の娘さんの図鑑で確認したことがあるんだから・・・ でもあたしは、自分の知識をひけらかして トラさんの自尊心を敢えて傷つけることもなかろうと ここは黙っておくことにした。 それに、ここの家の主人は、店の名前を 「臥竜洞」とつけたくらいだから 竜と対の虎を飼い猫の名前にして 竜虎一対の名画でも見る気持ちで悦に入っている にちがいないと、あたしは信じるのだが これも黙っておくことにした。 だって、そんなことをトラさんの理解できるように 噛み砕いて説明するのも何となく厄介だし トラさんに、あまり勇ましそうにいい格好されるのも癪だから。 トラさんは、ときどきあたしにとっては 意味不明の猫語を口走る。 先日も、一緒に本多の森周辺で遊んでいたときのことだ。 ここは、ウラジロ樫や椎の木、タブの木やらが茂っていて 戦争中の陸軍の旅団司令部の古い建物が残っていたり さらに、奥の方には陸軍の「偕行社」の洋風でレトロな建物もある。 「偕行社」というのは、将校だけが出入りを許された 社交クラブだったらしい。 軍人さんも、隅に置けずけっこうハイカラだった訳かしら。 それはともかく、 ここら辺は、かくれんぼにはもってこいの場所なのだ あたしとトラさんが、かくれんぼをしていたときのことだ。 目の前に突然大きな秋田犬がとびだしてきた。 秋田犬は散歩中だったらしくて 飼い主がリード引っ張っていてくれたので 事なきをえたが あのうなり声はかなり強烈だった。 あたしもトラさんも 一目散に本多の森から逃げ出した。 そのとき、トラさんが言ったのだ 「びっくり したやの こうとくじ くわばら くわばら ああこわかった」だって。 そもそも、トラさんは江戸っ子猫らしい、 臥竜洞の主人が東京の取引先の美術商から まだ子猫のときにもらってきたものらしい。 だから、江戸っ子のDNAが少し混じっているらしいのだ。 それにしても、江戸っ子のおまじないは分からない。 あたしにはまったく理解不能だわ。
2009.10.15
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日常では とても とても 大き過ぎて 贅沢過ぎて 乗れませんよね そう話していたあの人が とうとうリムジンに乗って 西方浄土とやらへ 旅立って行ってしまった 今ごろは どの辺にいらっしゃるのやら 浄土とやらの旅すがら どんな風景が見えましょうか いつか一緒に 早春の大和路を訪れて 迷路のような馬酔木の原生林をば 逍遥したことがありましたが あのような 風景でもありましょうか それとも 茫々とした一面の枯野 はたまた 蓮華草が乱れ咲く花野でしょうか あるいは 満天のミッドナイトブルーに 星星を撒き散らした 銀河鉄道のようでもありましょうか ・・・どうぞおすこやかに・・・ ・・・お風邪などひきませんように・・・ 身近に在った あなたへは 今生の訣別となった今でも そんな言葉しか 思い浮かばないのです
2009.10.10
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あたしは骨董にも人間の美人にも、心酔する程の興味もないので 早速店の横をすり抜けてお勝手の方に回ることにする 猫の会話なんていうものは、およそ人間にすれば いたってバーチャルな世界に見えるだろうが 猫にも体内に猫語辞典があって 猫は異能のテレパシーでもって これを検索することにより 猫同士の会話も出来るし たいがいの情報を得ることが可能なのだ でも、猫語でメモリーされた猫語辞典には 人間はいかに知恵をしぼろうとも アクセス不能なのだ それはともかく・・・ 先日、漱石先生の吾輩猫について検索してみたのだが これは、正直骨の折れる作業だった 検索によれば 吾輩猫(漱石先生はこの猫に名前をつけなかったらしい だから取りあえずはこう称んでおかなければ仕方がない) の恋のお相手というのが 漱石先生邸のお隣りの三毛だったのだが さてどうなんだろうか 吾輩猫と三毛との会話のやりとりから想像すると 二匹は相思相愛だったとはとても思われない 「あなたもよっぽど分らないのね だから天璋院様の御祐筆の妹のお嫁に行った先きの おっかさんの甥の娘なんだって 先っきから言っているんじゃありませんか」だって お互いに好きあっている仲だったら ≪あんたもよっぽど分らないのね≫なんて 邪険な科白は使わないだろう もっとも、吾輩猫ときたら、なにせ出自不明の猫だし 一方三毛は将軍の正室天璋院篤子様とは はるかにはるかにとはいえ 遠いゆかりを持つ女主の飼い猫なのだから 無理からぬ面もある その点あたしなんか れっきとした血統書付きの良血だし 主は、かのアリストテレス研究者にして 大学教授なんだから 吾輩猫なんぞとは比べ物にならない 住まいにしたところが 五万石の加賀藩家老本多安房守の下屋敷跡 ときたら鼻が高いというものだわ
2009.10.10
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今朝も手水鉢の水でちょこちょこっと顔を洗い 髭の手入れをする それから、散歩を兼ねて近所のパトロールに出る これがあたしの日課になっている ここら辺は下本多町といって 旧加賀藩の家老本多家のお邸のあったところだそうだ いまも、武家屋敷跡らしい邸宅が残った閑静な住宅地になっている だから、パトロールといっても 別に、怪しい者が町内を徘徊しているなんてことは先ずない しかし、土地勘が失われないように 毎日毎日少しの変化でも頭に入れておかないと気がすまない 生まれつきの性格だから仕方がない 時は春 日は朝 朝は7時 片岡に露みちて 揚雲雀なのりいで 蝸牛枝に這ひ 神 空に知ろしめす なべて世は事もなし 今日も なべて世は事もなしってところだけがぴったしだ つまり、今朝もご町内には格別の異常なし だいたい、本多様というのは 家老といっても禄高5万石だったというから 大名並みに羽振りよかったことだろう 本多家は本多佐渡守正信の二男安房守政重が 前田利長に仕えたことから始まった 当主の政樹様は元男爵で11代目 というわけで、由緒あるここらあたりには 由緒ある人間や、由緒ある猫ばかり住んでいるのかと思いきや 案外そうでもないらしい いかめしい門構えの家の奥から 鰯やら秋刀魚を焼くにおいが 季節に応じて漂ってくるのだから 庶民的で、猫にとっても 住みよい町なのかもしれない せっせ せっせと本多町から 石浦神社の方へと歩を運ぶ 老舗の旅館裏を右折して 路地の奥へ入りこむと これまた造りのしっかりした 古美術商が一軒ある 『臥竜洞』なんて 大袈裟な名前の木の看板が掛かっている 店内の陳列がガラス戸越しに見える 九谷焼とおぼしき直径2尺はありそうな飾り皿 伊万里らしい大きな染付けの壷 徳利 盃など 陶器 磁器色とりどりで賑やかなことだ 今日のお店番は、この店の奥さんだ あの漱石先生の吾輩猫の恋のお相手だった 三毛のご主人、つまり二弦琴のお師匠さんというのも きっとここの奥さんに似た風情だったのではないだろうか やや古風で上品な美人である
2009.10.05
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