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<初めてのラブコール!> 今朝、電話あり。 Kさんかと思ったら、?・・・つま。 きのう、小銭入れに10円玉を10枚と100円玉を入れて渡した。 そして、食堂の公衆電話から誰もいない我が家に電話をかける練習をしたのだが、0224・・・と言ってやらないと思い出せないでいた。 だから期待はしていなかったのだが、それが刺激になったのか「もしもし、わたし・・・」とつながったのだ。 傷だらけの脳みそが、今と少しずつ対応を始めだしているのだ。 <でも?・・・> 日記帳に亡くなった彼女の父親の名前と実家の住所が書いてあった。 彼女の字だが「書いたの?」と訊くと「ちがう、だれだか書いていったの」と答える。 「お父さんあの世から心配してきてくれたんだよ」と言うと、笑い出した。 でも、これでいいんだろう。 今日も昼から面会に行く。
2011.08.31
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今日もいい天気だ。 ミンミンゼミの声はだいぶ少なくなったが、力強く鳴いている。 合間を縫ってアブラゼミも鳴いている。 我が家の庭では一週間ほど前からセミの死骸が目につく。 アブラとミンミン。ほとんどがメス。 羽がもげたものも目立つ。 久しぶりに九二一っつあんの工房に行った。 彼は相変わらず元気で、窯詰めをしていた。 工房の少し下からの展望は一級品だ。 そば畑の向こうに阿武隈川が光っていた。 おとといの江払い(堀の草刈り)の草はからからに乾いた。 気持ちのいい風が吹き抜けている。
2011.08.30
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小生の古里では旧暦の八朔(8月29日)の夜は“不知火”現象で賑わう。 子どものころ、毎年ひいじいさんの家のベランダから眺めていたものだ。 熊本日日新聞:くまにちコムより<神秘の火・不知火が出現 宇城市で恒例の観望 2011年08月29日> 旧暦の八朔[はっさく]に当たる29日未明、宇城市不知火町の八代海沿岸で恒例の不知火観望があった。見物場所の永尾神社境内と天の平農村広場では、多くの人が海上に現れた神秘の火に見入った。 不知火は八代海特有の地形や気象に伴う光の屈折現象。いさり火や集落などの明かりが明滅、分火するなど変化して見えるとされる。 永尾神社境内では午前0時半ごろ、河野暁子宮司(67)が不知火の出現を告げた。見物客は上天草市龍ケ岳町方面の海上に目を凝らし、明滅する光を確認。約50年ぶりに見たという上天草市大矢野町の倉本淳治さん(67)は「一昨年に見逃して、3年がかりで見ることができた」と喜んでいた。(吉田紳一) <古代の故事を再現 宇城市で海の火まつり 2011年08月28日> 宇城市不知火町の八代海沿岸で28日、「不知火“海の火まつり”2011」があった。旧暦の八朔[はっさく]に合わせて毎年開かれており、古代の故事を再現した催しが訪れた人を魅了した。 千数百年前、九州巡幸中の景行天皇が不思議な火に導かれ、無事に海岸にたどり着いたという伝説に基づく。 景行天皇に扮[ふん]した篠崎鐵男市長らを乗せた巡幸船が永尾神社の海中鳥居に姿を見せると、海岸の3カ所から矢が放たれ、海上のかがり火が点火。古代装束姿の約60人が巡幸船を出迎え、たいまつを手に祭り会場の松合新港まで約1・1キロを練り歩いた。 総おどりや海上打ち上げ花火もあり、大勢の人でにぎわった。東日本大震災の被災地へ送る義援金も募った。(吉田紳一) ※ 永尾(えいのう)神社は魚のエイを祀った珍しい神社。 神社の裏は浜になっていて、昔はアサリがたくさん獲れた。
2011.08.29
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<地区の共同作業にも高齢化の波> 今朝は5時半から二つの堀の草刈り。 今年3回目。(これまでは2回) 最近はご多分に漏れず高齢者が8割を超える。 そんな中でこのきつい作業を続けられるか話題になった。 一番若い人で49歳。(今回の震災で引っ越してきた人) みんなが気になりだしたのだ。 なのに、この声を行政に届けるとなると二の足を踏んでしまうのだ。
2011.08.28
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<外泊2日目> 早朝から朝飯の心配。 「塩鮭を焼いたらご飯と味噌汁はチンするだけ。」と言うと、朝食の準備は何とかできた。 朝食の後は昼過ぎまでお昼寝。 昼食はそば汁。 食べ終わると施設と病院に戻る準備。 3時に出発。 4時にはタカを、5時には妻を送り届けた。 やっぱり大忙しだった。
2011.08.27
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<妻とタカの一時帰省> 妻とタカは今日と明日我が家で過ごす。 先ほど(8時過ぎ)やっと夕飯の片付けが終わったところ。 そこへ妹と次女から電話。 二人ともタカのお気に入りなのでタカと長話になった。 これからお風呂だ。
2011.08.26
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<陶芸家JFさんのこと>(先日書いたかもしれないが・・・) 先日、妻が「JFさんどうしている?」と突然言い出した。 JFさんんはポルトガルの人。 小生も今年に入って会っていない。 気になっていたので、電話を入れる。 奥さんが出る。 事故による入院を伝えると、ビックリ! 益子では8割の窯が壊れたそうな!びっくり!
2011.08.25
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<待っていたよ!> 背中をポンとたたくと、少し驚いて「待っていたよ!」とにこにこ。 幼児のようだ。 声の大きさ、言葉のもつれに変わりなし。 散歩に出たら自分から階段を下る。 しかしスピードコントロールがうまくできない。調子はよくなさそうだった。 変わりのないことを良しとしよう。
2011.08.24
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しばらくぶりに夏がかえってきた。 薄日が差してセミの声も響きだした。 故郷熊本の夏の祭りにつきものは、中心街での「造り物」大会。 「造り物」の題材は、昔話などの古典的なもののほか今話題になっていることも多い。 材料は茶碗や皿などの生活雑器を中心に木や竹などの自然物が使われる。 熊本の地元紙「熊本日日新聞」に載っていたので紹介します。 「お地蔵さん横丁」お目見え 宇土市で地蔵まつり 2011年08月23日 最優秀賞に輝いた城之浦1区の「はばたけ日本」=23日夜、宇土市(石本智) 宇土市の本町通りなどで23日、「うと地蔵まつり」が始まり、呼び物の大掛かりな「造り物」や新設された「お地蔵さん横丁」などに大勢の人が詰め掛けた。24日まで。 まつりは1646(正保3)年、宇土藩主細川行孝が子どもの疫病を鎮めるために地蔵尊を祭ったのが始まりとされる。 通りには、地区ごとに住民や商店主らが制作した造り物30基と、学童クラブなどによる5基が並んだ。審査もあり、最優秀賞にはワシとツルが羽ばたいている姿で東日本大震災からの復興の願いを表現した「はばたけ日本」(城之浦1区制作)が選ばれた。 江戸時代の風情が漂う船場川沿いでは、市内で作られた地蔵と竹灯[あか]りを並べる「お地蔵さん横丁」が新設され、来場客は幽玄な空間を楽しんだ。 3千発の花火大会は24日に延期となった。同日は民踊パレードなどもある。(後藤幸樹) 子どものころ、宇土(うと)市は隣町だった。 ここの“地蔵祭り”は夏休み最後の大きな祭りだった。 夏休みも終わりに近いため、角々でたたく子どもたちの鐘の音が寂しく聴こえたことを思い出す。
2011.08.24
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一昨日から気温が急に下がり、昨日から雨。 セミの声がぱたりと止んでいる。 今日は薄い長袖のシャツを着ている。 <たいりょうだ!> 妻は土・日と外泊だった。 天気のせいか元気はなかったが、次女が東京から帰ってきたので気分が晴れたようだ。 妻が帰ってきて困ることは、バリアフリーが出来上がっていないことと便秘対策。 次女はどこで覚えてきたのか、なかなかでない母親の腹をもんでいた。 しばらくして「たいりょうだ!」と叫ぶ声。覗くと直径5cmもある大物! いやいや、これでは苦しいに決まっている。 よくもここまで詰まらせたものだ 食欲だけは旺盛だ。 夕方には、タカは施設へ、妻は病院へ、次女は冷蔵庫の残り物でおかずを作って帰った。 家族4人の賑やかさは消えた。
2011.08.22
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闘病記をかこうとしいたら「インターネットが表示できません」と 先日、ソフトバンクから古いモデムの交換をと新機種が突然送られてきた。 特に問題はなかったのにと思いながら交換した。 昨日は問題なかったのだけど、妻のパソコンをいじくっていたらインターネットがつながらなくなった そこで、慌てて接続の点検をする。 異状はなかった。 では、と電源をぬいてしばらく後に入れなおした。 今度はOk!
2011.08.21
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<怒> 一週間ほど前にリハビリで書いたのだと言う。 間違い部分はあるけれど、“いかり”と書いたのだそうだ。 なぜ“怒”と訊くと、今の自分のふがいなさに怒っているのだと言う。 妻にしてみると上出来な字だ。 多分、指導者がいっしょに筆を持って書かせてくれたのだろう。 それにしても、妻の心の内を垣間見ることができる作品である。
2011.08.20
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今日は仙台市の東北電力本社で、宮城生健会と東北電力の初めての交渉。 出席者は、こちらは5人。電力は広報・交流担当が3人。 物足りないが初めてのこととてやむを得ない。 我々の要請は以下の3つ 1、女川原発の被害の現状 原発依存からの脱却 自然エネルギーへの転換 について明らかにしてほしい 2、電気料金の減免制度について 3、料金滞納者について、機械的に送電を停止しないこと これに対しては想定内の回答で終わった。 小生は、「初期振動による被災について」と「原発労働者の実態について」質問したが、十分な問題把握はなされていなかった。 消化不良ではあったが、初めて交渉ができたことはこれから役に立ってくると思う。
2011.08.19
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今、福島はモモの出荷の最盛期。 今年は天候に恵まれて甘~いモモができたのに・・・ 生産者も消費者も喜べない。東電の原発事故だ 昨日、実家が福島のモモ栽培をしている知人から大きなモモ(あかつき)をずっしりといただいた。 毎年いただいているのだが、今年のは特別だ。 知人曰く『豊作なのに売れないんです。お盆の前後がかき入れ時なのに、出荷制限もあり、傷みが早い果物だから穴を掘って埋めなければならないのです。原発事故さえなければ・・・』と悔しがっていた。 知人の家の前には沼がある。鹿の子沼という。 一面“ヒシ”で覆われてきた。 白い点々は“ヒシ”の花。 冬にはハクチョウが飛来する。
2011.08.18
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大河原生健会の事務局長のTさん、腸閉塞で手術を終えているころだと面会にいった。 手術前と部屋が代わっていた。 点滴をしていたが元気そうだ。 自分から病状について説明をしてくれた。 それによると「大腸がん」だったのだそうだ。 人工肛門をつけていた。 来週には退院予定とのこと。 厚いからなぁ・・・
2011.08.17
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今日も“うだった”。 お昼前、大変お世話になったお隣のじいちゃんとばあちゃんに線香を上げにいった。 <2泊3日の最終日> 朝は5時半に起床。味噌汁を作ると言う。 うまくいかないと後片付けが大変になる。 ということで、昨日はやらせなかった。 でも、この外泊はリハビリを兼ねていると反省! そこへ元ラーメン屋のSさんが朝採り野菜を持ってきてくれる。 これを使って作ることになる。 随分無駄が多いけれど、何とか完成。 ご飯も炊けて朝食にありつく。 こうんなことで3日目は過ぎていった。 4時にタカを施設に、5時に妻を病院に連れて行った。 また一人。いつもこれでいいのかなぁ~と思う。
2011.08.15
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今日は朝から夜まで“うだっている”。 とにかくむし暑い! そんな中で<初めてのまるまる一日介護> ちょっと目を離すと、食器洗いに流しへ行く。 それはありがたいが、思わぬところでバタン。転倒だ。骨折でもしたらおしまいだ。 更に、暑さのせいだろうが、立ちくらみがすると言う。 そんなこんなで日中は出歩かず、室内に閉じこもる。 夕方になって、お盆だからと隣町の回転寿司屋に出かける。 食欲だけは満点なのだ。 回転寿司屋は超満員だったが、心配したより早く回転した。 一人十皿ずつほど食べて満足。 今夜は早く風呂に入る予定。 十五夜の月明りが美しい。
2011.08.14
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<2泊3日の外泊始まり> タカと妻を迎えに行った。 お盆の入りというのに、今日もバタバタしてしまった。 夕食が終わったのは9時過ぎ。それから片付け。 妻が手伝おうとして倒れる。けがはなかったけれど、どうしよう・・・ これから風呂に入れる。 うまくいくことを願う。 今夜は十五夜。 お月さんを見ると落ち着く。
2011.08.13
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<動き出した?> 病室に入ったら看護師がやってきて、 「奥さんのバッグが無くなったというので、いっしょに探したけれど見つからないのです。それで怒り出したものだからご主人の携帯に電話したのです。」と言う。 前にもあったバッグ騒動だ。 「すみません」と謝っておいたが、怒り出したというのが気になった。 日記帳を開いてみると、 『なくなった物 ハンドバッグ・ショルダーバッグ・〇〇バッグ』と書いてある。 それで貴重品の持ち込みは禁止されている事。 事故後警察から返され、自宅にあること。 大事なものは家に保管してあること。を繰り返し説明。やっと納得。 散歩に連れ出す。 階段を指すと歩いて下りた。 1階の待合室の自販機でアイスコーヒーを買ったが、つかみ損ねてこぼす。 今日は調子が悪い。 買いなおして飲み始めると担当官看護師が通りかかり 「一人で3階に下りていて、3階の看護師に連れてこられたんですよ」と。 一応謝ったが、単独行動ができたんだ!と思った。 病室にもどるとき、無理かなと思ったが「階段のぼる?」と言うと4階まで上った。 病室のベッドに座って「行きたい所があったら看護師さんに話をするように」と注意。 話しながら日記帳の前のページを見たら 『外へでたいです。看護婦さん車椅子(漢字で書いている)でありがとう。』 と書いてあった。自由に歩きたかったのかな? 少しずつ心の中が動き出しているのかもしれないなぁ・・・。
2011.08.12
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妻の病院は、亘理町から国道6号を南下した山元町(福島県と接する)にある。 両町とも海岸沿いは壊滅。 死者、行方不明者を合わせると両町で1000名を優に超える。 その亘理町から病院の手前までの6号線沿いは葬祭場通り。 中規模の葬祭場が5軒も競っている。 今の病院に転院してひと月と十日を過ぎるが、毎日のように数軒で葬儀が行われている。 毎日のようにというのは、多分友引の日は避けているためだ。 異様なのは、道端の表示板に、一つの葬儀に複数の名前が目立つこと。 同姓の場合はご夫婦か親子。異性の場合はお身内か。 最も多かったのは4人、同姓だったのでご家族化。 今日はお盆を前にして、4軒で行われていた。 乗り越えらための一里塚だが、“つらい”が大繁盛なのは“つらい” 皆様のご冥福をお祈りします。
2011.08.11
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今日は病院には行かないで「ぼちぼち村」の畑に大根と白菜の種蒔きを予定した。 ところが畑に入ると何がどこに植わっているのやら?雑草に埋もれてしまっていたそこで先ず草取りから始める。 しばらくすると車が上がってくる音。 KさんとOさんが降りてきた。久しぶりだ。 朝から大根と白菜を蒔いたとのこと。 もてあましている畑だから活用してもらうことは歓迎だ。 トマト、枝豆、雲南百薬、ハナマメ、ジャガイモなどが雑草の中に泳いでいる。 小生は昼から草取りに専念。 3時間かかって、ようやく半分。 熱中症で倒れる前に本日の作業終了とする。 とにかく扱った!
2011.08.10
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夜、風がぴたっと止んだ。 蒸し暑い! <まとわりつく“ムシむし”> 今夜は10時になったても“ムシむし”がまとわりついている。 病室ぬはいると、ベッドの上に座り込んでぼんやりしていた。 散歩に誘うとすぐ応じた。 階段を指すと黙って下りた。 ケースワーカーが「気をつけてね」と追い越していった。 玄関の外のベンチでゆっくり休みを取り、病室へ。 上りの階段を指すと「エレベーター」と拒否。 下りはスタスタだったが、“ムシむし”だからなぁ。。。
2011.08.09
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青田の上を風が渡り、稲葉の波を輝かせている。 木立では、ミンミンゼミの合唱が物憂い昼を演出する。 軒下ではシマコブ(コガネグモ)がセミを捕らえる。
2011.08.09
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<腰が起きてきた> 昨日まで調子が悪かったが、今日は腰が伸びている感じ。 散歩に誘う。 階段を指すと素直に下り出す。手すりはつかんでいるが足取りは軽い。 たちまち1階到着。 外へ出ようとしたが出たがらない。 ロビーの自販機でコーヒーを買って飲む。 病室へもどると言うので、階段を指すと上りだした。 休むことなく4階に到着。 当然のことながら、日によって調子の波があるのだから無理強いは禁物だ。 帰りに半額になった惣菜を買って帰る。 阿武隈川下流に架かる「槻木大橋」に沈む夕日。 この頃南蔵王山麓の市町に大雨警報がだされていた。
2011.08.08
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<早朝の味噌汁作り> 朝の4時半におきだした妻に味噌汁を作ると起こ去れる。 小生には大事な睡眠の時間。 でも起きなければしょうがない。 転んだり失敗されると大変だ。 味噌汁はまずまずのでき。 タカも残さずすすった。 <宮城の団十郎さんを訪問> タカは大好きなところの一つ。 ところが妻は初めての訪問。 快く迎えてもらったので喜んでいた。 団十郎さんは、この度の大震災を取材し、被災者を励ますうたを作っていた。 <施設にもどるタカ> 団十郎さんのところでニコニコになっても、施設に向かっていることが分かるとぶすっとしてしまうのだが、今日は違って声を上げて笑っていた。 こんなことは初めて! 今度はお盆やすみだ。 13日~15日を予定した。
2011.08.07
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<目が見えない> ここ4・5日調子が良くない。 これまで問題なく歩いていた病院内の廊下が小生の腕にしがみつかないと歩けないのだ。 どうしたのかと訊くと「目が見えない」と言う。 担当医に目が見えないと言っているので眼科医に診てもらってほしいと伝えてきた。 看護師経由で返ってきた返事は、『脳の損傷から来ているので・・・眼科医に診てもらうのはいいけど診てくれるかな?』だった。 これが『退院してもいいよ』と言った主治医の考えだ。 仙台医療センターでも感じたけれど国立病院機構での“医”とは何ぞ?! 今日は外泊の予定。 昼からタカと迎えに行く。
2011.08.06
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今朝は久しぶりに夏の日差しが眩しかったが、間もなく海風が入ってきた。 わがやの入り口ではオニユリが満開。 そこにはアゲハの仲間が蜜を吸いにくる。 頻繁にやってくるのは“キアゲハ”。 入れ替わり立ちかわりやってくる。 夏の一日が過ぎていく。
2011.08.05
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<病院コンサートに感激!> 昨日のこと。ベッドにおとなしく座ってテレビを見ていた。 洗濯物を渡すと、たたんで引き出しに入れた。 最近4Fの食堂=広場は大賑わい。 夏休みということもあって、親子で宿題をやっている光景も目につく。 2人でベッドに座っていると、「4時から難病病棟でコンサートがある」と放送が流れる。 会場は難病病棟入り口のロビー。 車イスの人たち、ベッド状の物に仰向けの人など集まっていた。 ピアノとフルートの演奏が始まる。 妻は「夏の思い出」「手のひらを太陽に」など知っている曲は声を出して歌い、手をたたいてリズムを取った。 妻は1時間の演奏が終わると、 「かんどうした!よかった!」と喜んだ。
2011.08.04
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先日、町から介護保険料の決定通知が届いた。 それによると昨年より年額2万円もアップ! 年金は下がっているのに、なぜ? 役場に確かめに行った。 理由は、次女が就職して扶養家族から抜けたためだった。 それは仕方がないが、これがいろいろなものに波及するのだ。 その一つ、8月1日から国民健康保険証が更新されたが、「国民健康保険限度額適用認定証」ランクアップし医療費の窓口負担が急増するのだ。 それで高額医療費扱いとなってオーバー部分が2・3ヵ月後に戻って来るという。 なんと面倒なことをするんだ? 更に不可解なことが? 入院後4ヶ月たつと窓口負担が半額くらいになる。と、病院側は経営が苦しくなる。 それで3ヶ月で転院させられることになるのだから、患者は重いまま。 その上、安心して治療が受けられないことになる。 この3ヶ月ルールは、今や常識化していてあきらめている人が多い。 小生もその一人だったのだが、こうして追っかけてみると国の医療行政の悪らつさが怒りとなって湧いてくる。 明日は我が身。 みなさん 怒って政治を変えましょう! 原発問題も同じです!
2011.08.03
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<病院は患者のためにあらず> 今朝ケースワーカーから電話あり。 「川崎町のK病院に連絡を取ったが、元主治医のO医師は臨時だからだめだろう」と言う。 午後、少し早目に病院に。 妻のベッドはカーテンの中? 挨拶をすると、中から「今、カンチョウをしているところです。」と看護師。 食堂から被災地を眺めていると看護師長から話があると呼ばれる。 話とは「どうしますか。S病院(精神科)を進めますか?」と朝の件の続き。 「どうしようもなければ仕方がないけど、少しでもリハビリを続けさせたい」と言うと、 「先生は退院してもいいと言っています」とS病院化隊員かを迫る感じ。 ケースワーカーと話をすることにする。 出ると「終わりましたよ」と看護師。 そこへK共済の事故担当のIさんがやってきて後遺障害の診断書(用紙)を持ってくる。 すっきりした妻を散歩にさそって気分転換。 手詰まり状態だ。 子どもが外科医をやっている友人を訪ねて、いい方法はないか聞いてもらうことにした。
2011.08.02
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7年前(2007年7月13日)信濃川の支流五十嵐川の堤防が決壊し洪水。 ボランティアが集まった。 小生も仙台からバスで出かけた。 小泉首相(当時)が、あの応急修理された堤防の上から視察したと被害者に聞いた。 丸太が突き刺さった家、瓦礫が詰まった家など悲惨だった。 我々は濡れた畳を出し、床板をはがし、床下の泥を袋に詰めて出した。 また側溝に詰まった土砂を袋に詰めたり、壁にこびりついた泥を落としたり。 かんかん照りで暑かった。 ところが、この水害を打ち消すように3日後の16日に「中越沖地震」が発生した。 この地震のボランティアには2回いったが、水害のことは話題にもならなかった。 今も、あれからどうなったのかと思い出される。 あの年は、ボランティアでにいがたに3階行ったのだった。
2011.08.01
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