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ヒガンバナが我が家の庭にも 妻の病院の庭にも。 家の畑では白花も。 いい花だ!
2011.09.30
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午前中に町の「健康診断」を受けに行った。 明日が最終日なのでさぞかし込んでいるかと思ったらガラガラ。 待つこともなくすいすい・・・ でも、そうは問屋ガおろさない。 「腹位測定です」だって! 「意味がないので拒否する」と言うと、 「私もそう思います」と予防医学研究所の職員。 脇から「自己申告で去年より増えた?減った?同じ?」と3択でやってきた。 「すみません、これ書かないと検査してもらえないんですよ。お願いします」だって。 仕方がない「1センチ減だな」で終りとなった。
2011.09.29
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ゆうべは疲れてPCを開く気になれず着どころ寝(この辺の方言普ー段着のままごろ寝すること)。2泊3日は本人も疲れたが、小生も疲れた。 おとといの続き。 <ゼネラルマネージャーと話す> 院長ではなく、ゼネラルマネージャーがやってきた。 訳の分からないのに院長を出すわけには行かないのか、と思いながら前述したことを話す。 彼は病院サイドの人物だから、医者の立場をかばおうとするかと思ったら、小生の言うことをほぼ認めた上に、 「彼らは学生時代90点以上を取っている人たちで、人の心が分からないのですよ。言葉の使い方も分からないのですよ。」と。 2つの病院の脳外科医は暗いよ。挨拶をしてもまともに返すことは無い。ちょっと笑顔を作って声をかけるとどんなに力づけられることか・・・これも治療の一つになると思う。更に理念には立派なことが並べられている・・・と言うと、 「まったくお恥ずかしいしだいです」とあっさり認めたが、改善策はでなかった。 これらのことを今入院している病院の相談室で話をすると、これらの批判を認めて。 こういう病院ばかりではないと思うが、患者のための病院にしていかねばならないと思う!
2011.09.28
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昨日のこと、一昨日のことは後日書きます。 <なんだ?この医者!? 妻の腰痛の診察に、朝から出かけた。 なんとか傷みを和らげてもらいたいと出かけたのは、隣町の岩沼市にある「総合T病院」の整形外科。 受付から1時間経って腰部レントゲンを撮り、更に1時間ほど待って診察。 若い医者だ。 どんな診察をするかと思ったら、紹介状を読みながら、 「交通事故で半年。頭部をやられている。それに(生まれつきと言う)統合失調症・・・写真を診ると脊椎に骨折やずれは無いが、骨が薄くなっていてどうしようもないね。こんな骨じゃ回復することは無い・・・」とだめさ加減を羅列。 じゃあどうしたらいいの?と訊くと 「先ず、精神から直すしかないけど無理だね。それから運動不足だから運動すること・・・」患者の状況を聞いたり、触診をしたりということは全く無い。 だんだん頭にきて、痛いから歩くのも大変になっているんだよと言うと、 「痛いのは我慢して運動しなきゃ今の状態も維持できなくなって寝たきりになる。そんな人いっぱいいるんだから。中には20代の人もいる・・・」と。 訳けが分からなくなってきたので、とにかく傷みを何とかしてほしいんだと頼んだら、 「この薄くて弱い骨は、5年後には必ず骨折するから・・・。鎮痛剤が出されていないなら出しとくから・・・」と。 なんだこりゃ!?患者をバカにした脅しみたい 看護師が「ほかにありませんか」と声をかけてくれたが「ないよ」と言って席を立った。 会計を待つ間に、案内所に行って「院長に会いたい」と頼んだ。 この続きは明日にします。 昼飯が遅くなったので、これから遅い晩飯。その後風呂に入れねばならないのです。
2011.09.26
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今日は宮城県の「第51回母親大会」。 生健会では、これぞチャンスとチラシ配布に取り組んだ。今夜は妻が帰ってきたので、る付きはまた明日としよう。
2011.09.25
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昨日から今日にかけ東京浅草で「全国生活と健康を守る会の事務局長交流会」が開かれた。 台風15号の大雨で陸の孤島となって外部に出られないでいたが、機能の早朝やっと軽トラで脱出できる所まで水が引いた。 しかし、在来線が普通だという連絡。 それで、仙台までい行き新幹線で東今日をめ座した。r
2011.09.24
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昨夜、台風15号は南から東へ回りながら我が家を震わせ、駆け抜けていった。 10時頃から停電。 風呂に入らず寝る。 夜中パソコンが踊りだしていた。午前2時半。 電気が通ったのだ。外は静か。 電源を切りベランダに出ると、雲間から半月と星が光っていた。 朝、水に囲まれていた。 大きな五間掘りの水はなんとかもったが、左のポンプ小屋のある堀はあふれ、実りの稲は完全に水没。 我が家は、予想通り陸の孤島になった。 お隣も 裏も完水。完全に陸の孤島。 外出禁止! 水は少しずつ流れてはいる。 ミンミンのメスが流れていった。 困ったな、妻の病院に行けず。 腰の治療についてはなしをせねばならないのに。 通行できるのは明日中になりそうだ。 その上、明日から2日間、生健会の交流会で東京に行かねばならない。 どれも水の引き加減にかかっている。
2011.09.22
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降り続く雨は3日目。 我が家の前の五間掘りでは、朝一から消防団による土のう積みが行われた。 土のうを数台の軽トラで運んでは積んでいた。 ここが終わるや直ぐに次の場所に移動して行った。 一部では音をたてて流れ出していた。 小さい堀は完全にあふれ、実った稲穂が浸かっていた。 ここまで順調に育って、今度の3連休に刈りとりを予定していた所も多かったろうに・・・ 作業も大変になるし、品質も落ちる。 残念だろうなぁ~~ 近くではコサギの群れが、 早朝から夕暮れまで水に浸かった刈田で、雨に濡れながらじっとえさを待っている。 すごい集中力だ。と思うのは人間の勝手だな。 台風が通過するのはこれからだ。 夕方になって、風が騒ぎ出した。 時折り消防車が見張りにやってくる。 今日、妻の見舞いはお休み。
2011.09.21
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台風の影響で朝から冷たい雨。 堀の水が増えて冠水の心配があるので早目に病院に行く。 <また突然の入れ替わり> 病棟に行く前にケースワーカーにS病院での報告をしによる。 彼は、「連絡を待つしかないですね」という考えだった。 病室に入ると、あれっ?妻のベッドの前のEさんがいない。別の人が入っている。 山形から来た人で、折り紙でいろんな物を作ってプレゼントしていた人。 そしてケイタイの使い方が分からなくなった妻にかけ方を教えてくれていた人だった。 妻に訊いても、どうして代わったのか分からないという。 やっとコミニュケーションガ取れるようになったのに、よくなって退院されるのなら喜びもできるのに・・・ <今度は妻の番> 「今日は近いところまでね」といつものように散歩に出かけた。 昨日は玄関までいけなかったので無理しないでと言ったが歩き出した。 エレベーターで1階へ。 下りて直ぐ右折。10m歩いて右折。 ところが方角を確認していて、いす、イスと言いながらしゃがみこむ。 腰が痛いと言う。もう限界だ 通りすがりの医師?が声をかけてくれるが、大丈夫だと立ち上がる。 こんなことは初めてだ。よほど痛かったのだろう。 直ぐ病室に戻る。 病院は食べ過ぎによる下腹部の太りすぎが要因の一つ。湿布薬を貼って様子を診ると言う。 しかし、だんだん悪化しているように思える。 これでは歩けなくなってしまう。 そんなことを考えていると、看護師長が「ちょっと~」と呼びにくる。 こんな時にいい話はない。 「この前のS病院の話はどうでした?」と ・「院長は風邪をひいて欠勤で、結論はきけませんでした」 「自宅退院をしてもらわないと・・・」 ・「今の状態では無理ですよ。腰痛は悪化しているし」 「腰痛はここでは治療できないですよ。もうここで治療できることは無いんです。次の患者がまっているし・・・」と。 ・「(病室を回ると、あっちこっち空いているじゃないの)」と言いたいのを飲み込む。 「あした先生から話してもらいます」 あと10日あまりで3ヶ月。 病院は焦ってきているのだろう。患者より経営の方が大事なのだ。 こんな病院はさっさとでていきたいが、行きたい病院が見つからないのだ 国民は護られねばならない。権力に押しつぶされてはならないのだ!
2011.09.20
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今朝は霧雨。昨日の気温より10℃くらい低い予報。 あの暑さは何だったのか?と言いたくなるようだ。 <17日の炊き出しと何でも相談会> 主催は、宮城災対連・東日本大震災共同支援センター・宮城農民連・全農協労連・宮城民医連・新建築家技術者集団・生活と健康を守る会。 妻を病院にもどし、10時半前に仮設住宅に着く。 もうテント張りが始まっていた。生健会の仲間も4・5名駆けつけていた。 神奈川からは貸し切りバス2台での応援部隊も。 場所を確認し軽トラを横付け。カボチャの袋を下ろす。 物資は買い物袋に詰めるという。 400個のカボチャを詰めるには手が足りない。 出番に間があるボランティアに手伝ってもらって、11時オープンに間に合わせる。 右側がカボチャコーナー。 見回すと長い列! カボチャは3種類。でかいの白いの(伯爵)にぼっちゃんかびちゃ。 食料類は農民連関係からが大半。我がカボチャだけは宮城生健会有志から。大繁盛! 差し入れ先は鹿児島県「さつまいも」、大分県「かぼす」、熊本県「米」ほか「梨」・「ごぼう」・「大根」・・・ 大きなカボチャをもらったばあちゃん。うれしいなぁ! 荷物がいっぱいになって大変になったお年寄りにはボランティアが配達を手伝った。 カボチャも好評で、途中で足りなくなってしまった。 その他の物資は食器、衣類、ティッシュペーパーなどの雑貨もあった。 集会所では「生活相談」、「健康相談」、「建物相談」などが平行して行われた。 また、生健会はメンバーが仮設の全戸に生健会のチラシを配布した。 11時半、山形は庄内の「いも煮」800食が出来上がり! 「庄内いも煮」は「山型いも煮」とは違って豚肉と味噌を使い、こんにゃくとごぼうのほか厚揚げの角切りがと入っていたのが大きな特徴。もちろんサトイモは庄内産。 とてもいい味だった。2杯いただき! それでも食べ切れなかったものは、家庭の鍋でもらっていってもらっていた テントの中で食べる人。 家に持ち帰る子どもも。 暑い日差しの中だったが、有意義な“炊き出し”ができたと思う。 片付けが終わって、横浜と庄内の人たちの希望で亘理から山元町にかけての被災地視察の案内をSさんとする。駆け足だったが県内でもひどい所を見てもらえたと思う。 今回の主催は災対連 カボチャを提供してくれた川崎町のKさんには、その日の夜大盛況だったと報告をした。
2011.09.19
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とにかく“うだって”いる。まるで熊本の夏のようだ。 昨日、急音と午後7時に30℃。 セミの声はもうない。 午後タカと妻を見舞う。 途中、ケイタイに妻から電話。 隣の人にかけ方を教えてもらったのだそうだ。(かけ方を思い出せないのだ。) タカが後ろからそっと近づくと、気づいて互いににっこり。 「待っていたよ!」とタカの手を握る。 散歩に出るが、腰が痛いと言う。 この前から湿布薬をはっているが、芳しくない。 看護師に伝えるが「前傾姿勢と体重増加が考えられる」と。 姿勢については矯正できないが、おやつは持っていかないことにする。 それから今はいている靴はつまづきやすいので介護用かバレーシューズのようなものがいいと勧められる。 ※ 昨日の「炊き出し」については明日書くことにする。 これからタカを風呂に入れる。
2011.09.18
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今日は亘理町の仮設住宅で炊き出しをやった。 600世帯くらい入っているマンモス仮設。 とにかく大盛況だった。 続きはあした\\\
2011.09.17
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<院長、カゼ欠> 今日は、やむなく精神科の院長診察を受けることになった。 午前10時に迎えに行き、11時に到着。 「先生は風邪をひいておやすみです」だって!! 若い医師が聞いてくれたが、「リハビリはできないからここに入院してもね・・・」と。 大人の話にならなかった。 会計を済ませて相談室に行きKWと話をする。 ここでは「今行き場がないのだから、とりあえずここに入って先のことを考えるようにしたらいいんじゃないの」と取り持ってくれた。 患者側はどうしたらいいのか分からないのだ。 <カボチャ400個のプレゼント> 昼飯はラーメン屋で済ませ、明日亘理町の仮設住宅で炊き出しをする時にプレゼントする仲間が収穫した約400個のカボチャを運びに行った。 明日は妻を早く病院に戻し会場に駆けつける予定だ。
2011.09.16
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今日は県生活と「健康を守る会」の理事会。 この大震災で会員が大きく減少した地区もあり、財政のたて直しが急務となった。 常駐事務局長、事務局員の人件費は各1万5千円。 これを事務局長が辞退し帳尻を合わせる。 みんなほとんど自腹で活動しているのだ。 みんな困っている人が喜んでくれることを喜びとしているのだろう。 今日は病院にはいかなかった。
2011.09.15
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天気は曇り。昨日までの暑さはいづこかへ・・・ <今日の調子は最悪> 散歩に連れ出した。 自分から階段を下り出したのはよかったがドクターストップをかけねばならない状態。 これまで玄関まで行けないことはなかったのに、 天気のせいもあるのかなぁ? 無理は禁物と病室に引き返す。 ベッドで一息ついて、目の前のロビーにある冷蔵庫の飲み物を取りに誘った。 5・6メートル歩いたらうしろで「ドタッ!」という音 立ち木を倒すように倒れていた。 看護師たちが驚いて5・6人駆け寄った。 幸いけがはなかったが冷や汗物だった。 帰りしな、夜勤の看護師に声をかけると、 「最近下腹部が膨らんできているので、おやつ類をひかえるように」と言われる。 それはもっともだ。持っていったバナナは持ち帰ることにした。
2011.09.14
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<もうこんなに時が・・・> 午前、前の精神科の主治医に転院の相談に行く。 しかし、淡い夢実らず。 そして、以前世話になっていた精神科の病院の診察を受けることになった。 周りの田んぼでは、稲刈りが始まった。 山間のこちらでは、少しでも米の価値を高めようと“棒かけ”だ。 この辺では、この時期の稲刈りは大変早い。 近くの稲も黄色く色づいている。 今度の土日にはだいぶ進みそうだ。 振り返ると、もうこんなに時がたっていた。
2011.09.13
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今夜は中秋の名月。 というだけで何もなし。 ただ月明りを楽しむ。これ最高の贅沢。 8月分の診療費の請求が来た。 開けてびっくり!先月までの2倍。10万円を越す額だ。 これでは治療を続けられなくなる。早く出て行けということか? 昼近く、役場の国保担当に高額医療費扱いで、後で戻ってくる分があるのか確認しに行く。 簡単にイエス・ノーが出されると思っていたら長時間の打ち合わせ。 4ヶ月を過ぎているから減額になるはず、病院側と話し合ってみるということになる。 (4ヶ月目から患者負担が安くなる制度で、病院側は3ヶ月で転院させたがる) 夕方ようやく返事が来る。 この請求は変更できないが、3月からの領収書を持ってきたら来月分から減額する。 それにあたっては、町の担当者に一筆書いてもらことになったという。 なんだか訳の分からない話である。 〇町は最初の入院月から計算し、病院側はそこに入院した月から計算していること。 (このようなことは180日ルールについても食い違いがあった。) 〇なぜ担当者が一筆欠かされなければならないのか。など 今日も30度を越える夏日となった。 妻と外に散歩に出て、ツクツクホーシの鳴き声で頭を冷やした。 妻は今一ながらも落ち着いている。
2011.09.12
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<やはり大変な外泊> 昨日午後、タカと迎えに行く。 イオンで買い物をして帰宅。 ところが買い物を下ろしている間に「ドサッ!」という鈍い音・・・ 妻が転げたか?隣で何かを落したか? 急いでいってみると、やはり妻なり! 玄関の上がりかまちのところで横向きになって手足をばたつかせている。 まるでひっくり返ったカナブンだ。 怪我がなくて幸いだったが、我が家に帰ると必ず1・2回は転ぶようだ。 不安の幕開けだ。 入浴はなんとか無事。 次はタカ。待たされたタカはテレビの前で眠っていた。 大声で起こして汗を流す。 昨日は30度を越し、じっとしていても汗が吹き出る蒸し暑さだった。 珍しく11時には就寝。ぐっすり眠った。 ところが朝、トイレに行くと起きだした。でも、途中でもれてしまった。 看護師から便を柔らかくする薬を出しているけど、柔らかくなりすぎることがあるのでコントロールしてくださいと言われていたのだ。 やはり大変な外泊だった。 でも復帰のためのリハビリの一つだから・・・
2011.09.11
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昨日は病院行きはおやすみ。 午後「ぼちぼち村」の畑の草取り。 背丈ほどに伸びたヨモギ、アオザ、アレチマツヨイ、イヌビエなど目立つ物を引き抜いた。 場所によっては、引き抜くたびにジャガイモがころころと顔を出す。 ジャガイモを植えっぱなしの所だ。 それでも、いいあんばいに育っている。芋堀は後日。 帰りにタカのお迎え。 途中、豆腐製造会社の売店で豆腐4丁200円也を買い、スーパーで韮と豚レバーを買う。 以前から作りたいと思っていた「にらレバー炒め」に朝鮮。 <タカがゲボゲボ!> ちょっとしょっぱめだったが思ったより簡単にできた。 ところが、 昨夜9時半頃、風呂に入れようとしたらゲボゲボと変な咳。 テレビを見ていたので落ち着くかと準備をして戻ると、アレ~! 手足と床にドバ~! おかしいなぁ?「レバー」には十分熱を加えたはずなのに・・・ 焼き魚は異常なかったし? と、片付けながら考える。 食中毒・・・救急車・・・。正露丸を飲ませる。 一旦おさまってテレビを見始めたので、体を洗えばすっきりするだろうと自分の汗を流して呼びにいくと、アレアレ!先ほどと同じくらいの吐物。 出るだけ出してしまうしかない。正露丸も出てしまう。 このままにしておくと床にこびりついてしまうので、励ましながら片付ける。 こんな時に母親がいたら心強いのだろうなぁ~ 体全体汗ばんでいるけれど顔色は悪くない。 「入る?」と訊くと「うん」とうなずく。 シャワーをあびて、体を洗うとすっきりして、ふざけが戻ってきた。 もうだいじょうぶ。 布団の上ではいつものプロレスごっこ。 明日になる頃眠りについた。 タカよ、よくがんばったなぁ! 今朝は6時半頃起床。いつもの様子。 朝食は、柔らかめのご飯を炊き、大根と豆腐の味噌汁に納豆と梅干し1個。 完食だいじょうぶ。 昼から母親を迎えに行く。 きょうは夏の蒸し暑さ。
2011.09.10
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今日は夏の終りというやさしい暑さ。 風が葉っぱを渡り、時がゆったり過ぎている。 そこへ一陣のかたまり!? しばらくして電線に落ち着く。 ムクドリの群れだ。 また、時は静かに流れ出す。 まもなくお昼。
2011.09.09
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朝晩はずいぶん涼しくなって、半袖ではつらくなってきた。 <ゆっくりと ゆっくりと> 病院に行くと、毎回「あいうえお」などの発声練習をする。 昨日は夕食が届いたので帰ろうとすると、病室の入り口でお見送り。 そこで発声練習。 病棟の出入り口までおよそ20m。そこまで聞こえる声をだせるかな? 途中3回ほど振り向いてサインを送る。 合格サインは腕〇サイン。通りすがりの看護師も協力してくれる。 ドアのところでもはっきり聞き取れる「あいうえお」になった。はなまる それでも話し言葉となると聞き取りにくいのだ。 <公的支援は受けられないの?> 役場の福祉課に行って公的支援で浮けられるものはないか訊いた。 現状では受けられるもにはないそうだ。 とりあえず「身体障害者認定のための診断書」の用紙をもらう。 相談室に行って用紙を渡してきた。 結果はどうなるか分からないが・・・
2011.09.08
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昨日の昼から台風一過。 かわいた青空が広がった。夏から秋へと切り替わったのだ。 <受傷後半年> あれから今日で半年! 大震災もありあっという間に時が過ぎていった感じ。 6ヶ月の壁が立ちふさがりだした。 これから先、乗り越えていけるのだろうか?不安がつのる。 <妻の実家のあった被災地を見に行く> 病院から見る太平洋は青かった。 車で5分も走ると妻の実家のあった中浜集落に着く。 散歩に出たついでに見に行く。 集落は壊滅。一軒も残っていない。 今回で4度目くらいだが、記憶に残るのか?・・・ 台風12号の影響で波が荒い。 瓦礫の山を片付ける重機が動いている。 一つの山を片付けるのに数ヶ月かかるようだ。 波よけ工事用の矢板に砕ける波。 中には津波を思わせるものも押し寄せる。 近くにある浜の畑に回る。 ススキやヨモギが背を越える。 その中に花を付けたものも。 サルスベリの園芸種。 ワレモコウが一株、海をのぞいていた。 <今日の妻> 散歩に行こうと誘うと「院内散歩」と繰り返す。 調子はぱっとしない。 相変わらず“くの字に曲がるので 「顔を上げて” 胸を張って ゆっくりと 歩くのは自分」掛け声をかけながら歩いた。 病室に戻ったら、「今日は迷子にならずに住んだ。ありがとう。」と日記に書いていた。 先ほどおやすみコールがかかってきた。 今夜も星空だ。
2011.09.07
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きのう、<今年初めてカブトムシ>を見つける! 大型のりっぱなオス! 弥治郎のこけし工人吉紀さんは、今年はカブトムシもクワガタも見かけない不思議な年だと言っていた。 <初めての“ごうやチャンプルー”> 「チャンプルーの素」なる物を買ってきた。 初めてのチャレンジ。 豚肉がなかったので鶏皮で代用。 病院にも持って行って食べさせると、妻の評価は絶賛のちょっと手前。 まずまずだ!
2011.09.06
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<風呂場の改修> 我が家は40年以上前は小さな温泉旅館だったので、浴場は家庭用としては広すぎる。 暑いときはシャワーだけでいいが、これからは寒さに向かうのでうまくない。 また浴槽の高さが高すぎる。 そこで、設備会社の支店長をしている仲間にユニットバスの相談をしたら来てくれた。 しばらく考えていたが、数日中に見積もりを届けるとのこと。 支援を受けられるといいのだが・・・ <要求を褒めることに変えよう> 昨日は2・3ヶ月前にもどったような状態にいらついて要求をしすぎた。 ついつい右肩上がりを期待しすぎていたのだろう。 どうしているかと病室をのぞくと、テレビの時代劇を見ていた。 日記帳を開くと、『朝食の味付けがよくおいしく食べられた』と書いてあった。 もう昨日のことは残っていないようだった。 柵や見たNHKの「脳卒中のリハビリ」で褒めることが回復を早めると言っていたので、今日からはできるだけ褒めることにした。
2011.09.05
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<大変だった外泊> 昨夜は夕飯後、風呂にも入らないで簡易ベッドで眠ってしまった。 10時になっても起きられないようなので、タカと風呂に入る。 一ヶ所明かりをつけておき、夜中3回様子をみるが異常なし。 ところが起きてみると、最近なかった根小便。 シーツを濡らし、ベッドを濡らし、床にまで。 厚い紙おむつをしていたのに・・・寮が多かったのだ。 気がつかなかったと言う。 さらに朝食が済んでしばらくするとポータブルトイレに座る。 間に合わず。濡れたまま別のイスに座る。ああ・・・もう~ 食事は、口からポロポロ 水で流し込もうとするからだらだらが追い打ちをかける。 みちゃ~いられないよ!つい口を出す 分かっているのかいないのか?黙々と続けている。 昼から長年世話になっているF先生の所に顔を出す。 脳梗塞になり軽い痴呆になって大変だと奥さん。 我々に対しては立派な先生なのに・・・? <つい、愚痴っちゃった> タカを施設に戻し、妻を病院に帰す。 今日は減っていたよだれの量が多い。腰もくの字に曲がってつんのめりそうだ。 いわゆる6ヶ月の壁かもしれない。 外泊をすると疲れるようだと思っていたが、やはり疲れるという。 「来週は様子によっては外泊パスということも考えねばなるまい。」と愚痴ってしまった。 後味の悪い外泊にしてしまったのだった。
2011.09.04
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今日は妻外泊。 昨日返ってきたタカと迎えに行く。 道具をいっぱいバッグに詰めて待っていた。 今日は早目に病院を出て、おばのところに寄った。 これという訳ははないにだが、おばと話していると元気になるようなのだ。 晩飯の準備は先週までより無理しないでできた。 疲れも少ない。。 これから風呂だ。
2011.09.03
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今日は雨。時折り強く降る。 <昨日の宮城県生健会の理事会から> 県内で最も会員の多い大被災地“石巻”の報告。 200人もの会員が離ればなれになり、中心的なリーダーも亡くした中で、毎週話し合いを持ち生活に困った人たちと向き合う活動には胸を打たれた。 義捐金、支援金をもらった人たちが生活保護を打ち切られる問題には強い憤りを感じる。 <180日の壁> 理事会の帰りに長町病院(県内で一番大きい衣料生協)の相談室に寄って、180日のことについて話をしたら、起算は発症後ではなく病院に掛かったときからだという。 大きな違いだ。確かめなければ! 新しい首相が誕生したが、増税・原発推進・日米同盟強化を叫ぶ中からは弱者の福祉に目を向ける姿勢は感じられない。
2011.09.02
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台風12号の影響で湿った海風が吹き小雨が降っている。 今朝はラブコールなし。番号を思い出せなかったのかな? <リハビリの180日ルール!> もう9月にはいった。 昨日、担当医に呼ばれた。 転院のことだと思って行くと、初めて見る医者だ。 話というのは、 『間もなく受傷後180日になるので、保険診療ではこれまでのリハビリは受けられなくなる。どうしますか。』と言う。 初耳なのでどういうことかと訊くと、 国の決まりで、受傷後180日を超えたら保険診療では月13単位しか受けられなくなるというしばりがあり、これまで通りのリハビリを受けるには月3万~4万円多くかかる。お金との相談になるということなのだ。 国の決まりなので、他の病院に行っても通院しても条件は変わらないのだ。 突然のこととて考えはまとまらない。 転院予定の精神科からはまだ返事がないとのこと。 精神科でリハビリは期待できない。 そこで、このM病院に折られる間はとりあえず保険診療の範囲内でリハビリをやってもらうことにし、仲間達からアドバイスをもらうことにした。 とにかく政治を変えなければ、弱者は人として人らしく生きることができないのだ!
2011.09.01
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