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昨日からの雨は、11時頃から湿った雪になった。 ダウン症の二男Tは、帰省して一番の楽しみは○○レンジャーなどのアニメを見ること。 だから帰ってくる途中の“ゲオ”か“つたや”でDVDを一枚借りてくるのが習慣になっている。 ところが、扱いが乱暴なためデッキのトレーが引っ込まなくなった。 小生の手に負えないので、購入したヤマダ電機に持っていったら保障期間が過ぎていて見積もりに出すだけで2500円かかるという。“THE安心”は、大型家電だけで対象外なのだという。 サービス日本一をうたう「ヤマダ電機」なのに、いざとなると街中の電気屋さんと変わらない。 昨年雇用問題?などで取り上げられていたので、気にはなっていたのだが。 さて、文字も読めない息子は、レンタル屋で何枚ものDVDの裏表を何度もひっくり返し、絵で判断して一枚だけ選ぶ。その様子は真剣そのもの。(小一時間かかるので付き添いは疲れる。) 小生は、彼が自分の楽しみを自分で選べる貴重な機会であり、学習の一つでもあると考えている。 だから、早く直すことと同時に大事に使うことも分かってほしいという思いもあって、雪の中、息子を連れて名取市の4号バイパス沿いにある“ドクターヒューズマン”に持ち込んだ。 雪降りで店の中に客はなく、直ぐに見てもらうことができた。 息子は、目の前で上蓋を外して調整をしてもらう様子をじっと見つめていた。 待つこと10分足らず、うまく収まった。電気を通してスイッチでもうまく作動する。OKだ。 「よかったね。大事にしろよ。」「うーん。」 「おじさんに、ありがとうございました。」頭を下げながら「うーん。」 快く直してもらって感謝! 更に料金までサービスしてもらい二重の感謝!! 帰りにダイヤモンド エアリに寄った。息子はびしょびしょの雪の中を、大股で右手を大きく振って入り口に向かった。大きなわた雪が、頭も服も包もうとしていたが顔中にこにこだった。 中では、子連れのお客がのんびりとショッピイングを楽しんでいるのが目についた。 道路は、6号線の分岐までのろのろの渋滞だった。
2009.01.31
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昼前から小雨が降りだした。 この雨は週末いっぱい続く予報。春につながる助走になりそうだ。 昨夜、ろう者のTさんたちがやっている“手話サークル”にお邪魔して、2月18日に予定した「三町合併と障害者福祉」の集会のチラシを届けた。 公民館のサークルの部屋に灯りがない。 廊下に若い女性一人。手話を習いに来たとのこと。 管理のおじさんがやってきて、みんな遅れてくるからと灯りとストーブをつけてくれた。 チラシの説明をしながらみんなが来るのを待った。 しばらくして、Tさんと手話通訳のOさんがやってきたので早速説明しお誘いをする。 首をひねっていたTさんは、合併するとどうなるのか分からないから質問できないと言う。 そこで説明したが、理解しがたいようだった。情報が入っていないのだ。 そして、「どうせ、なにもしてもらえないから」としり込みする。 「だから、我々もいっしょになって町長に話をしようとしている。議員にも参加を呼びかける。」と促す。 やがて、仕事を終えたろう者の人たちも集まりだす。 黙って聞いて(見て)いた男性から 「ろう者というのは、中途聴覚障害者とは違う。」という指摘。 エッ!小生は、ろう者も聴覚障害者というかたまりとして捉えていたのだったが。違っていた。 更に別な人から「おれたちろう者は、他の障害者よりコミュニケーションが取れないというので、簡単な仕事しかさせられない。だから給料も安い。」と。 ろう者の人とは、十数年付き合ってきたが、こんな話は初めて聞いた。 小生のこれまでの付き合いは、うわっつらだけだったのだ。 18日の集会は、開けば何かが見えてくるものではない。彼らに何かを見てもらうには、もっと配慮した段取りが必要だと考えながら帰ってきたのだった。
2009.01.30
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ぽかぽかの一日だった。夜になっても暖かい。 今日、最後の看板立てをする予定だったが、元町会議員のAさんが残りを立ててくれることになり、時間が空いた。 それで、去年から終わっていない“豆打ち”の作業をした。 最近、干していた大豆をカラスが食べに来ていたから気がせいていた。 前回の分はブルーシートにくるんでいたが、開いて見ると少し雨水が溜まって膨らんでいるのもあった。 今さら悔やんでもしょうがない。続けて打った。 カラスに食われたにしては、思いのほか多い収穫だった。 しかし、長いこと雨ざらしにしていたから品質は悪くなってきていた。 しかたがない。 もうじき節分。「オニは~そと、ふくは~うち」は我家の豆で。 明日から明後日にかけては雨の予報。 とりあえず、ふるいにかけて大きなゴミを取り除き、下屋に取り込んだ。 それから、2月15日に予定している、青森の旧浪岡町の最後の町長になり、現在は県会議員をしている古村氏の講演会のチケットを勧めに行った。 旧浪岡町は、町民の多くが反対したにもかかわらず強引に青森市に合併されたという。 古村氏は、今分町運動をしているとのこと。 その実情を聞き、わが町の町長と対談してもらって町民の判断材料の一つにしてもらうつもりである。多くの町民に情報を提供し、一人ひとりが自分で判断できるようにしたいのである。
2009.01.29
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今日も冬ばれ。 気温は低いが風がないから、陽だまりはぽかぽか。 だが、国政には相変わらず寒風が吹き荒れ、隠蔽体質も一向に改善されない。 ここ宮城では、昨年から梅原仙台市長のタクシーや公用車の不正使用が騒がれている。 マスコミからも追求され、その対応が流されてくるが、 「筋トレジムに通うのも視察のための公用である」などと、まるで悪がきのような態度だ。 今年に入って、土井石巻市長も大量のタクシー券の私的利用が追求され、認めた。 梅原市長は、まだ突っ張っている。 いやはや、どんな感覚の持ち主たちか? さて、こちらの“隠蔽”は同じ“いんぺい”でも庶民の知恵。 昨年、ある退職者グループが年に一度出している薄い連絡誌に、全国級のものが投稿されていた。 紹介しよう。 『 「萱葺き屋根の囲炉裏端」 (O.R子さん) 濁酒(どぶろく)をにごり酒などと上品には言わない。エンペェ、密造ゆえに「隠蔽」が訛ったものか。 戦後しばらく村に偵察が来た。税務署員らしき男たちが通ると、すぐさま村中一斉に伝令が飛ぶ。 連絡網は、村に唯一ある学校の電話。 子ども等は、家へ部落へと近くは走る、自転車を飛ばす。電話のない部落は軒下に吊るした鳴り木(大きな板)をたたく。 それに気づくと床下に樽を隠す、裏山の穴へ、寺の位牌堂へと、こういう時こそ村人は結束するのである。 長い冬を男たちは、薪をくべつつ囲炉裏端に茶碗を並べ、白い一升瓶を回す。女たちは筵を編む。 太い梁からつるした自在鉤の途中に組んだ井桁の囲い木に、藁沓やかんじぎを干すのであった。 雪は積もり、ふぶき乱れ化ける。 家畜はすべて家族と一つ屋根の下で春を待つ。萱葺きは温(ぬく)いが、火を落とすと隙間風は一本の細い吹き溜まり作りの芸を疲労する。 だが、茅不足と職人の激減で、在りし日の生活を支えた夫の実家の萱葺き屋根は、二年前に取り壊した。 』 なんとほほえましい「いんぺい」ぞ。 授業中でも伝令に走らせる先生たちや子どもたちの様子が目に浮かんでくるようだ。 学校もお寺も、部落の人たちが一つになって生きている。 大変な時代だったろうが、温い心が部落を覆っていたのだろう。 さて、昨年3月の同窓会用に仕込んだ小生の「エンペェ」。 この戦後と同じことが、昨年夏の終わり頃だったか?に起きた。 税務署員男性2人が突然やってきた。 「どぶろくを作ったか」と訊くので「うん」と答えると、 「許可なく作るのは違反です」と言うので 「日本中たくさんの所で作っているよ。農文教は“どぶろくの造り方”を出版し、裁判もやってくれているよ」と、少しやり取りをする。 「ええ、それをブログに書かれると困るのです」と。 それで「分かった。ブログに書いたり、おおっぴらにしなければいいんだね」と言うと、 言いにくそうにして帰っていった。 終始おだやかに応対していたが、何でも訪問したのは、3度目くらいだったようだ。 こんなことで大の大人二人に3度も足を運ばせたとは。なんとも言いがたし。 これまた今の世のほほえましさか・・・ ところで、去年の“エンペェ”は、去年の夏には、表面は白いカビに覆われ、咳き込むほどに酸っぱかったのだが、今はアルコール分はほとんどぬけて、少し甘味のある“す”に変身していた。 酵母が生きているといろいろと変わるのだ。中身は何ともない。 飲むのではなく、ペットを飼っているか実験をしている感じで楽しんでいるのである。 早く“エンペェ”が、悪者のレッテルをはがされ、伝統的な食文化の一つとして特区ではなく一般的に認められる日がくることを願っている。
2009.01.28
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午後、3町合併の「第5回合併協議会」が我が町の学習センターで行なわれた。 30分前に行くと、MさんとHさんが2月15日の合併反対講演会のチラシを配っていたので直ぐ加わった。 厚い資料をもらって会場に入ると、傍聴席はほぼいっぱいになっていた。 今日の目玉は「在任特例」。 前回書いたように、推進派は全員が「在任特例」派。 本日の最初の議題がこれ。検討委員会を作っていたものだ。 議長が報告を求めると、言いだしっぺのO町のA議員が 『情勢の変化があり、在任特例は進めないことにした。』と前言を翻した。 前回あれほど勢いのよかった特例派議員たちは、次々ともっともらしい理屈をつけて撤回した。 近づいた町議選を意識して、ころっと態度を変える様は、実にこっけいだった。 あとは、合併したらの話。 選挙区はなしに、定数は当面30名でスタートすることになった。 我が柴田町の委員たちは、町長を入れて5人が堂々と反対意見を述べた。 最後は、全員による意見交流で終わった。
2009.01.27
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今朝は、すばらしい晴天。 久しぶりにKさんから電話あり。 「昨日やっと年取りが終わったので山へ上りたい。」とのこと。 そういえば、昨年彼の姉さんが亡くなられたのだった。 午前中は空いていたので、九二一つあんの工房を経由して上る。 いつもと違うコースを通ると、景色も新鮮。 村田町から見る南蔵王連峰。 中央蔵王。標高の高い“澄川スキー場”などくっきりと。 北蔵王連峰の“雁戸山”。 ここからは、蔵王連峰の全姿を展望できるのだ。 Kさんと新年の挨拶を交わして大急ぎで戻り、午後から合併問題の看板立て。 一人では心もとないので、Sさんに同行してもらう。 3ヶ所の予定で出発したが、知り合いを紹介してもらい5ヶ所に立てることができた。 こうして回ると賛同してもらえる所も多い。 いろいろな人と出会えるのは楽しいものだ。
2009.01.26
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午後から「三町合併討論会」が、町内の西船迫団地の集会所で行なわれた。 地元選出の推進と反対の町会議員が1対1で意見を述べ合い、それを聞いた住民が質問や意見を出し合った。 住民に、双方の考えを聞いてもらって判断材料にしてもらおうというのが目的だったが、推進派のK氏は、最初から警戒してけんか腰。かみ合う所は全くなくすれ違いで終わった。 初めてのこととて、止むを得まい。お互いを知る機会ができただけでもよかったと思う。 ところで、ようやく「三町合併と障害者福祉」のチラシができ上がった。 先日、県の福祉関係に勤務するFさんに各障害者団体や各自治体の障害者サービスについて調べてほしいと頼んでおいたが、それについてメールが届いた。 忙しい仕事の合間を縫って調べてくれた結果、期待に沿えるものは見当たらないとのことだった。 突然の要望に一生懸命対応してくれたFさんには感謝。 以下のようなお礼のメールを送りました。 『ありがとう! やっとチラシ500枚できあがり、呼びかけに入りました。 はらから会や旭園にも配布し、手話通訳者の手配もできました。 町内では、どうしたら住みやすい町になるのかいろんな所で話し合われるようになってきました。 小生も含めて老人たちが元気です。 今日は、西船迫地区で推進派と反対派の議員の討論会が持たれ、60人ほどが参加しました。 たくさんの人が意見を持って集まりましたが、結果としてはすれ違いに終わりました。 初めてのことだからやむを得ないことですが、こんな討論会がもてたことはよかったと思います。 我々は、敵と味方に割れてはいけないと考えているので、回を重ねられたら一致点を見出せると思います。 ただ、裏に利権が絡んでいないことを願っています。 また、たくさんの人たちが必要な情報を知りたがっていることも、あらためて感じました。 行政は、住民が判断するのに必要な情報を隠さず、ごまかさず提供してほしいと、みんな思っています。 これを機会に、障害者の方々にも町政に関心を持ってもらい、参加するきっかけにしてもらえたらありがたいですね。 またいろいろ教えてください。』と。
2009.01.25
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今日の最高気温は、昨日より10℃も低い。 昨日のこと。 「ぼちぼち村」のキノコのほ場では、雪の中でシイタケが芽を出している。 多くが親指の太さ。 その中に一本、雪の際から大きいのが。傘の大きさ20cmくらい。 肉厚で、じくもずんぐりと太い。 「きっとうまいぞ」と収穫。「雪割りシイタケ」と命名。 大寒の時季に、シイタケがこんなにたくさん芽を出したのは初めて。 やはり、温暖化の影響か?
2009.01.24
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午後「三町合併に反対し自立の町を作る柴田の会」の第2回総会が開かれた。 朝、チェーン店の会長のIさんから電話。 「会合に4人で参加するので、送り迎えをお願いしたい。」という嬉しいもの。 二つ返事でOK。 13:30 迎えに行くと、4人ともI会長に負けず劣らずのご高齢。 しかし、理解力はまだまだ旺盛。 長時間の難しい説明を、うなずきながら聞いておられた。 会場には“問題だらけの合併の中身を全町民に知ってもらいたい”という思いが強まっていった。 小生は、みんなで“お茶飲み話”にすることを提案しました。
2009.01.24
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大寒に入ったというのに“雨”。 昨日一日降り続いた雨は午前中にようやく上がり、昼から晴れた。 それで「ぼちぼち村」に上った。 ところが山の道に入っても、道路に雪はなく、ほとんど乾いていた。 「ぼち村」では、入り口の雪は水を含んで柔らかくなっていた。 近くで雪かきをしていたうめんつあんの奥さんに訊くと、昨日は雨だったとのこと。 この時季に標高600mで雨が降るとは、とんでもないことだ。 母家の屋根の雪は、随分滑り落ちていた。気温は12℃を超えていた。 ダムの推量を確かめに湖底に下りると、雪は随分解けていたが水量は全く増えていなかった。 市は、まだいっぱいに溜める気はないようだ。 この前の鳥たちが同じ場所に群れていた。氷はだいぶ解けてさざ波が踊っていた。 このケヤキの株の下も水面が広がっていた。 不忘山も心配そうだ。 明日は、今日より10℃くらい下がるという予報。
2009.01.23
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今日は、一日中小雨。看板立ては休み。 我家には、昨年の中頃からいろいろなネコがやってくるようになった。 最初は、若いクロネコ。 餌をやり、仲良くなり始めた。 そこへ、灰色のトラ模様がやってきて、2匹仲良く過ごすようになった。 餌を投げると、5・6mくらいまで逃げなくなった。 住み着けばいいなあと思っていたら、白地に黒い玉模様の3匹目がやってきた。 しばらくおとなしかったが、隣との境でクロたちと大喧嘩を始めだした。 勝ったのは、白地に黒玉。 それ以来、クロネコと灰色トラは見られなくなった。 そして次にやってきたのは、ペルシャネコもどき? 随分ご高齢と見えて、以前のシロたちの寝床によく寝ている。 そこは、エンビ屋根の下の洋服ダンスの上のマット。 昼間、写真を撮りに近づいたら、シャッター音で目を覚ました。 ゆっくり下りて裏へ回る。 これがベスト ショット。 随分のお年寄りだが、いい顔だ。 入れ替わり立ち替りではなくて、みんな住み着いてくれるといいのだがなぁ・・・
2009.01.22
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今日も合併問題の看板立て。 新興住宅地と20数年たった住宅地に入る。 今日の相方はSさん。 彼の取り付け方は簡単だ。 近くのホームセンターから、簡単に結わえる紐を買ってきてフェンスに取り付けていく。 人によって、得意とする方法が違う。 「ぼちぼち村」でも役に立ちそうだ。 途中、ちょっと変わった(ほんとは、まとも)建築デザイナーのFさんに会ったり、 20年も前、映画界の協力をお願いしていたSさんに会ったりと楽しい出会いがあった。 同じ思いを持つ思わぬ人との出会いは、こういう活動の一番の報酬だと思う。
2009.01.21
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朝9時から、合併問題の看板立て。 事前に了解をもらってはいても、説明をしながらの作業になる。 また、近所の人が出てくるとまた説明。 時間はかかるけれど、理解者を増やすことができる。 スーパーを7店舗経営するK会長は、仲間を集めて待っていてくれた。 昨日渡しておいた資料をもとに、作成者のYさんから詳しく説明してもらった。 80前後の人たちだったが、鋭い質問も出され、よく納得してもらい看板を立てさせてもらえた。 我々の小さな動きが、町中に動きを作り出してきている感じがしてきた。 町政は町民の中から生まれ、国政は国民の中から生まれることを忘れてはいけない。
2009.01.20
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今日は暖かくなったので、「ぼちぼち村」の管理に行った。 入り口は除雪の時の雪の塊がふさぐので、スコップで車が入るていどの雪かきをして下りる。 少し下りると大きな足跡が横切っている。 カモシカだ。活発に動いている。 木立の中の「ぼちぼち村」は、雪の重みで戸が開かず眠っている。 ダムの湖底も雪に覆われ、水面は凍り始めた。 足下には雪紋が続き、足跡をつけるのがためらわれる。 鳥の群れがやってきても、波もただず。(水の中には入らず、小生には判別できず。) てっぺんに光を灯したケヤキの株も沈み始めた。 根元から湧き出る水はまだ凍らず、円い穴を開けて呼吸をしている。 近くには氷の輪が続く。 まだ凍るのを受け入れない水面は青空と白雲を映し、朽木が一本がんばっている。 寒さの中で、じっと息をひそめているものたちは強い。 人の世も同じ。 黙して語らずとも、芯(心)は腐らず。
2009.01.19
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今日も合併問題の看板作りと看板立て。 残りの看板作りは、たちまち終わった。 だが、作ることに夢中になっていて、立てる場所の確保が追いついていなかった。 それで、小生は午前中知り合いを回って場所を探した。 いざ探すとなると難しい。 通りが多く、目だつ効果の上がる場所となると限られ、その中からOKをもらうとなると更に絞られる。 親子で意見が対立したり、趣旨には賛成するが商売をしているのでだめだとか、それぞれもっともでなかなか大変だ。 1時間で3軒回り、許可をもらえたのは1軒だけ。3月の町議選を控えて慎重になっている人も。 午後、二人ずつ組んで立てて回る。 二組で13本を立てた。暮れに17本立ててあったので計30本。 残り30本。頑張って早く立て終わることを確認し合って解散した。 日ごとに真剣さが増してきた。
2009.01.18
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昨夜は遅く雨から雪となり、明け方にはぐっと冷え込んだ。 舗装路は凍りつき、日陰では一日解けなかった。なのに、農道の窪みには水溜まりができるという複雑な変化があったようだが、日中はよく晴れて蔵王の連峰もくっきり。 今日は一日、3町合併の問題を知らせる看板作り。 やっと看板屋に頼んでいた文字入れが半分ほどできてきたので、枠に取り付けた。 明日は、看板を立てる作業が入ってくる。 あと半年のショウブなり!
2009.01.17
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蔵王町では白石川にやってくるハクチョウに、近くの住民が白鳥愛護会を作って餌付けをやって35年を超え、たくさんのハクチョウが餌を求めてやってくるようになっていた。 また、ガン・カモ類の他、海からユリカモメも集まるようになった。 そして、89年から「白鳥まつり」が開かれるようになった。今年で20回目だった。 ところが、蔵王町には20戸の養鶏農家があり、年間生産高が15億円を超えるのだそうだ。 それで“鳥インフルエンザ”ウイルスの感染を懸念して餌付けが打ち切られ、定着した「白鳥まつり」も中止になってしまったのだ。 先日、現地をまわってみると、ハクチョウはいたけれど、激減していた。それも幼鳥が目立った。 人が近づくと、餌をもらいに寄ってくるがいかんともしがたい。 他のガン・カモの仲間やユリカモメたちも土手に群れて餌を待っている。 しかし、餌は与えられない。だから、糞も見られない。 鳥たちは、餌を求めてこの地に渡ってきたのだが、新しい餌場を探さなければ生き延びられない。 こんなことで人間に翻ろうされることになるとは・・・ 生き物を大事にするということは、人間を中心に考えてはならない。
2009.01.16
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今日は、寒の内らしい寒さになった。 昨日は“どんと祭”。(小生の田舎では“どんどや”という。) あちこちの神社で松飾を燃やして、今年一年の無病息災や商売繁盛を願った。 小生は蔵王町宮にある「刈田峰神社」に寄った。 “どんと祭”に顔を出すなんて○十年ぶり。 道路わきから参道の両側に出店が並び、人出でいっぱい。 お祭りの雰囲気があふれている。 人ごみを縫っていくと黒い煙が上がっている。 松飾などを燃やしていたのだ。 参拝に来た人たちが、ブリキで囲んだ中に次々と投げ込んでいく。 それを“蔵王”のハッピを着た消防団の人たちが取り囲んで管理をしていた。 今の松飾は石油製品が多いので環境に悪い煙が上がっていたのだ。 (仙台では数年前に問題となり、改善の動きがあったと記憶しているが・・・) 山門をくぐると右わきに神楽殿があり、ちょうど舞っていた。 「四方堅舞」という神楽だった。 次に出てきたのは子どもたち。小学校の低中学年か。 「魚釣舞」という翁が鯛を釣るというめでたい神楽を舞った。 ※よく見えないしゃしんになってしまったのは、 この日、小生のカメラのズームレンズはうまく作動しなくなり、300mmの望遠のままになっていたので薄暗くなった舞台までフラッシュが届かなくなっていたため。 縁起物の熊手売り。 小さな神社の大きなお祭りに、たくさんの人が酔っていた。 子どものころのお祭りを思い出しながらあとにした。 こういう田舎のお祭りは大切に残したいものだ。 気になったことが二つ。 ○松飾の燃やし方。 ○値札がない出店がたくさんあった。 そんな店では手をだしにくいのだ。 ある人は、プロの的屋で客の顔色を見て値段をつけるという。 トラブルが起きる恐れがあるから、締め出しているところも増えているそうだ。
2009.01.15
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今朝、テレビをつけたら「ガザは地獄です」という特派員の言葉が突き刺さってきました。 さもあろう。死者数が大きく増えている。 おれもなんかせにゃいかん。 ばってん、ここにおってなんがでくっとか? そこで、合併反対の役員会の中で、この小さな田舎町でもイスラエル・ガザ問題に関心を持ってもらう行動を起こせないか話してみました。 みんな大変だとは思っているけれど、問題の中身がよく分からないと言う。 それで、身近なものとして捉えるには、先ず我々が学習することからだということになりました。 どんな方法で学習できるか案を出し合っていたら、 地元の医療生協に勤めるMさんが、お盆休みのたびにイスラエルに行っているという情報が。 では、Mさんに決定だ。イスラエルの人たちの生活の様子が聞けそうだということになった。 身近に遠い国を結びつける人がいたとは、うれしかった。 憎みあわないで、殺しあわないですむ世界は遠い。 せめて、知り合うことからだ。
2009.01.14
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去年の4月から通っている歯医者。 終わるかな?と思っていると、そのたんびに別のところが傷む。不思議なほどに。 とうとう年が明けてしまった。 予約時間ぎりぎりに着くと、連休明けのせいもあってか待合室はいっぱい。 4人並んで座っているばあちゃんたちの端っこにそっと座る。 最初はBGMで流れてくるクラシックの曲に耳を傾けていたが、 『・・・てっぺんの方は葉がこんなにちいさくなって・・・癌に効くんだ』と大きな声で得意げに話すばあちゃんあり。『・・・メグスリノキもいいんだど。キササゲは・・・』とやっとささやくように話すばあちゃんあり。 それを聞き役に回るばあちゃんありと、それぞれに弾んでいた。 それで、つい彼女らの話にひきつけられていった。 しばらくして、治療が終わったじいちゃんがでてきた。 『○○さん、あんたなんできたの?』 『おら、歩いてきた。田んぼの中歩いて帰るのっしゃ。』 『んだば、おらといっしょだ。一緒に帰っぺ。』 『ええけど、変な目で見る人がいて迷惑かけるといけねえから・・・』 まるで、昔のうぶな若者みたいなじいちゃん。 ばあちゃんたちは、 『女は、こんなことは気にせずお茶飲みさ回ったりしても平気だけどもな・・・』と。 じいちゃんは、つい最近連れ添いをなくされたのかなぁ? なんともほほえましいばあちゃんたちの心遣いとたくましさに、あらためて感心したのだった。 小生の歯は、要観察となり来月の中頃観てもらうこととなった。 仕方あるまい。
2009.01.13
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ずいぶん日脚が長くなった。 間もなく5時。先ほど降っていた冷たい時雨も止み、西の空が焼けている。 きのう成人式を終えた息子は、また施設に戻って行った。 戻るときは、いつもあの笑顔がなくなる。 冗談言っても、こちょこちょしても笑わない。 彼の気持ちを思いやるとつらい。 漢字で書くと、つらいもからいも同じ“辛い辛い”。 帰省する日、戻る日は認識できているようだ。
2009.01.12
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今日は、ダウン症の息子の成人式。 母親に、いつもより少しいいズボンをはかせてもらって、昨日とは違うニコニコ顔。 「どうしたの? 成人式に行きたいの?」と訊くと、こっくりの「うん。」 「へ~!ほんと? じゃー いくか。」 ということで、親子3人で白石市の成人式に行ってきました。 会場に着くと、先ず目に入ってきたのは、はではでの着物姿のお嬢さんがた。 しばらく目を円くしていましたら、“キンキラ、ピンキラのしゃーらしゃらで、くわえタバコののお坊ちゃまたち。 案内状には、“華美にならないように”とあったのですが、いやはや血圧が上がりそうでした。 こんなところは早く逃げ出したかったものですから、早く記念写真を撮ろうとしたらシャッターが切れないではありませんか。 きのうはちゃんと撮れたのに、電池切れか?でもE表示がでている。間に合わない。 女房には「いつも肝心な時にっ!」とたたかれたが、何も意識してそうなったわけではなし。 しょうがない一人行動だ。でも、寒いので会場の二階で様子を見ることにしました。 祝辞がたくさん続くかと思ったら市長だけ。それも実に簡単に。 もちろん、その間にも大声でしゃべっている者たちあり。立ち歩く着物姿あり。 式典は、15分ほどで終わりました。 息子と母親は、つまらなくなって早く出てくるかと思っていましたが、そうでもないらしいので セレモニーの「幻創」による和太鼓演奏を聞くことにした。 男性と女性の二人で奏でる和太鼓の響きはすごい迫力で、あの落ち着きのない若者たちを惹きつけたようだ。 休みなしの1時間におよぶ演奏は、しまりのなかった式を引き締めたようです。 そして、この新成人たちに、何か大事なものを残したようでもありました。 この和太鼓の響きが、漠然とした式に、目的の灯を点したように感じました。 その灯は、数年後、数十年後に光りだすものかもしれません。 息子は、にこにこ顔で会場から出てきました。 今夜は中秋の名月のようにすばらしい満月に照らされています。
2009.01.11
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昨夜はどしゃぶりの雨。 明け方には止み、晴れてきたが北風が吹き荒れた。 午後、ダウンの息子と亘理町の荒浜の浜に行った。 砂浜は地吹雪状態。さらさらと流れ波に飛び込んでいた。 かなり荒れていたが、サーファーが二人波に揺られていた。 砂浜には、いつもになくカキがらがたくさん打ち上げられていた。 その中に、 イルカの仲間と思われる頭骨が一つ波に洗われていた。 また、この辺では飛び切り大きなヒトデも打ち上げられていた。 手前が割り箸。まるでオニヒトデなみ。 もしオニヒトデだったら?海の中で大変なことが起きていることになるのだ。 この二つを標本にと持ち帰ることにして拾った。 それを見た息子は、何を思ったか砂の上から水鳥の羽を拾ってきた。 さすが,親子である。 あした、息子は成人式。 「あした成人式だよ。」と話しかけると、頭を横に振って“いやいや”の合図。 分かっているのかどうかは読み取れないが・・・ この子を見ていると、いろいろ意義付けはされているが、 成人式ってなんなの?と、問い直したくなる。
2009.01.10
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久しぶりに朝からどんよりとした曇り空。 天気予報は、夕方から雪。 元同僚のFさんを訪問した。 Fさんは数年前軽い脳梗塞にかかり、歩くのが不自由になってきて運転免許も返上した。 しかし、眼ん玉の色と正義感からあふれでる辛口批評はまだまだ元気だ。 間もなく80歳。テレビで国会中継を見ておられた。 「麻生首相の答弁の、なんと薄っぺらなこと。それを攻める野党の軟弱さには情けなくなる。」 と、話し相手が来たものだから力が入った。 Fさんは宗教家。 普段は柔和なFさんだが、人をないがしろにする政治家や行政など権力を持った者を前にすると容赦はしない。F節がうなりだすのだ。 職場では、管理職たち(上昇志向者含む)から、いっしょに嫌がられた。 あのころは、我々で職場を動かすことができた。 楽しかったなあ。あっはは・・・ こんなことが、Fさんとオレのから元気の元になっているようだ。 昨日の川原子ダム湖畔。
2009.01.09
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午後「ぼちぼち村」へ。 暮れに積もった雪はかなり解け、雪の下は凍り付いていました。 雪はくるぶしの上くらいまでしかなく、歩くには大変楽になっていました。 雪の上には、動物たちの足跡が。 珍しいことに、カモシカがやってきていました。 小生が「ぼちぼち村」にきて初めてです。 (カモシカそのものは、特に珍しいものではありません。 我家の周辺の里山にもいて、昨日の九二一っつあんの工房の下の畑でも大根の葉がかじられていました。それで、ネットで囲っている所もあります。) 少し離れて、 ノウサギの足跡が、あっちこっちと走り回っていました。 “牛舎の居間”の屋根の雪は、かなり滑り落ちて出入り口をふさいでいました。 軒先には、サメの歯のようなツララが、壁に向かって伸びていました。 大きいのは2メーターくらい。もう少しで雪面に届きそう。去年はここまで生長しませんでした。 玄関の戸は、雪の重みで明け席が大変になってきました。 雪には降ってもらいたいけど、出入りができなければ冬休み突入です。
2009.01.08
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お昼前、ベランダのゴミ拾いをしていたら蔵王連峰方向から重低音が響いてきた。 ゴマ粒ほどの点々。 近づいてくる。 やっぱりそうだ。軍用ヘリ6機の編隊だ。 コースからすると、太平洋上に出るのかと思っていたら、北に直角に進路を変える。 我家の方に向かってくる。6機ではない。倍の12機だ! 先頭の1機にくの字に5機。その後ろに同じ編成が1編隊。 頭の上を飛んでいった。午前11時40分。 どこでどんな訓練をしてきたのか?しているのか?航空自衛隊松島基地にもどるのか? 何も分からない。 先日も同じ時間に、この爆音を聞いた。 このようなことが常時化することに恐ろしさを感じる。
2009.01.08
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今朝は7時から駅前で、合併の問題を呼びかけるチラシ配布。 あられがぱらつく寒空の中、電車が発着する時間帯だけぱらぱらとまく。 田舎の駅とて、ぞろぞろ集まってくるわけではない。 暇な時には、客待ちのタクシー運転手さんのところへ。 話しかけると、タクシー強盗のこと、お客が少なくて困っていることと次から次からと続く。 不安がいっぱいで余裕は感じられなかったが、励ましてくれた。 4人で1時間配って、110枚。 その中のどれだけの人が読んでくれるか分からないが、小さな動きを伝えることができたと思う。 体の芯まで冷えたが、やってよかった。 8時に切り上げ、“七草がゆの会”へ。 場所は、九二一っつあんの工房。 一足先に、奥さんたちが行って準備。 小生が行くと、男性陣は下の畑で七草採り。 あったのは、ハコベ・ナズナ・ホトケノザ(コオニタビラコ)・フキノトウ。 これらを刻んで牡蠣入りのあつあつのおかゆに混ぜて うまい うまい! 楽しい たのしい”七草がゆの会”だった。 差し入れた“えんぺ”(ドブ)と“サケの燻製”と長芋の“むかご”は珍しいと好評だった。 こういうものを誉められると、とても嬉しいもの。また、頑張ろうという気持ちになるから不思議。なぁ・・・
2009.01.07
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今日も上天気。 今朝、用足しに浜のほうに出かけたら 電柱11本分の電線に“でんせんガラス”がいっぱ~い! いつも、この群れの指揮者はどこにいるのだろう?と思う。 今、人間は方向も分からずに右往左往しているのに。 我家の前の五間堀では、 この冬、チュウサギとアオサギがペアで仲良く越冬している。 人間は、あっちこっちでいがみ合っている。 明るい光が降り注ぐ社会になってほしいものです。
2009.01.06
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寒の入り。でも、ポカポカ。 朝、町役場の福祉課に行って、自治体としての障害者支援を確かめる。 医療費の自己負担分の全額補助だけ。ないよりはましだが、仙台市と比べるとお粗末。 それを踏まえて、2月に予定している「3町合併と障害者福祉」のチラシの原稿を作る。 役場でアレッ!? 行列ができている。 お年寄りが多いが、赤ん坊をおんぶしたり抱っこしたりした若いお母さんたちも。 不思議に思ってみていると、出て行く人・並ぶ人と20人くらいの行列がなくならない。 なんだか訊きにくかったが、若いお母さんに思い切って訊いた。 そしたら「生活保護の申請です。毎月5日なんです。」という返事。 障害を持つ人もそうでない人も、行き詰っているのだ。 とにかくどぎゃんかせにゃいかんばい! しかし国会では、定額給付の2兆円のムダ遣いが提案される。 ああ、なんと愚かな政府だ!情けない なさけない。 午後、落ち葉を拾いに行く。6袋詰める。 それから、あさって九二一つあんの工房で開く“七草がゆの会”の材料を探す。 ところが、ナズナだけ。ハコベは採るによしなし。 ホトケノザは姿も見えず。まあ何とかなるだろう。
2009.01.05
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息子たちが戻っていきました。 長男はきのう、ダウン症の二男は今日の夕方。 静かにはなるけれど、寂しいものです。 二男を見送ったあと、オーストラリアから里帰り中のMさん一家を訪ねました。 今回は、元旦に続いて2度目。 今日は「ぼちぼち村」のパンフを渡し、写真を撮らせてもらうためでしたが、つい上がりこでしまいました。 Mさん一家には、娘が二人。REちゃんとMIちゃん。 長女のREちゃんは、赤ん坊のころ「ぼちぼち村」に遊びに来てくれた。 まだ抱っこされていて、その時生まれて初めて雨にあったのだそうです。 また、酪農家のHさんの牛舎を見学してもらったり、Mさんには“弥治郎こけし”の吉紀工人家の竹の子堀を初体験してもらったりしました。 その時の写真は、大事な思い出として「ぼち村」の玄関に貼ってあります。 オーストラリアの話を聞いているうちに、奥さんの同級生一家が遊びにやった来ました。 ここは、男の子が二人。 しばらくして打ち解けたRちゃんは、上手な日本語で遊んでいました。 二女のMIちゃんもいっしょになって“おだって”いました。 4人の姿は実にほほえましく、国境は見えませんでした。 Mさん一家は明日国に帰るというので、思いついたのが“どぶろく”をご馳走することでした。 急いで取りに帰って、ふるまうことができました。 少し辛くなっていたので、微妙な味だったようです。 オーストラリアの自然には、すぐにも飛んで行きたいくらい大変ひかれます。 チャンスが訪れるのを願っています。
2009.01.04
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昨日、やっと年賀状を投函しました。 ダウン症の息子は、ポストに入れるのが大の得意。 うまく入れると得意満面、両手を肩の上まで振って大またで戻ってくる。 では、息子の好きなゲームセンターつきのFスーパーへ行くことにして、国道4号へ。 右折して4号に入ったとたん身動きとれず。 2キロ足らずのFスーパーが遠いところになりました。 周りを見ると県外ナンバーばかり。 しばらくして、ラジオから道路情報で「東北道白石ー村田インター間でタンクローリー横転。事故処理に時間がかかる。」という。 帰省からのUターンの車が一般道に流れたのです。 すぐそこなのでと、わき道も考えず渋滞に従いカタツムリ走行。 着いたのは、50分後。 この渋滞は夜まで続いていました。 今日の新聞では、ローリーの積荷の液体酸素が漏れたため12樹幹半も通行止めになったと伝える。Uターンの人たちお疲れさんでした。 今日はスムーズに流れています。
2009.01.03
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今日もおだやかな上天気。 昨夜、ようやく年賀状ができました。例年より少し早めです。 みなさま今年もよろしくお願いいたします。 今、届いた賀状を見ながら宛名を書いています。 毎年“義理賀状”を少しずつ減らしてきたので、100枚以内に押えられそうです。
2009.01.02
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みなさま明けましておめでとうございます。 朝から晴れ渡って気持ちのいい新年を迎えることができました。 と、済まれればいいのですが、こんなきれいな言葉は並べられない世の中になってしまいました。 今年は、大事な選挙の年。 「どぎゃんかせにゃ いかんですばい!!」 南蔵王の麗峰”不忘山”(1,705m) この白い雪を黒くしてはいけません!
2009.01.01
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