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俳句1万句の旅☆ 濡れたるや野良猫悲し秋の雨 ☆
2010年09月27日
案 山 子 と い う 男 私は人間が作った案山子だ 実りの秋も過ぎて蔵の中にしまわれた 人間が作った案山子だ いつも必要とされる時だけ表舞台に 出されその役目が終われば翌年まで 暗い蔵の中で静かに眠りこける ある時一人の男が現れて案山子に囁いた 「 おれも案山子だよ ” ”君は暗い蔵の中で 眠っていても時期が来ればまた表舞台に 出れるからいいじゃないか ”” 私は人間という案山子だ!! 役にたたず世間から見放された 万年案山子みたいな男である 仕事もなく今は浮浪の身だ!! でもこんな万年案山子にも命はある お互い手を取り合って生きよう 人間が作った案山子よ!! 人間という案山子と握手しよう いつか陽のあたるところで二人で 一緒に暮らさないか・・・ 燦々とした季節の中で仲良く暮らそう 」 暗い部屋の中で眠っていた案山子は 目が覚めて人間の案山子に言った 「 ありがとう人間の案山子よ ”” あなたと親友になりたいと思う 」 数年の歳月が流れた燦々とした季節 ”” 人間という案山子は農夫になっていた そして自分で作った案山子を稲田に立てた やっと農夫になることができた万年案山子 だった男はみんなに語った 「 浮浪の身であった私が農夫になったのは 人間が作った案山子と約束したから・・・ いつか陽のあたるところで仲良く暮らそう ”” その約束があったから農夫になれました 今は自分で案山子を作り案山子とともに 手を取り合いながらおいしい米作りで 生計をたてています とれた米の銘柄は「 案山子の夢 」 といいますが一度味わってみて下さい 二人の案山子が作ったお米ですから とても美味しいですよ ”” 」 そういって農夫は微笑みを投げかけた 秋の太陽は燦々と稲田に立つ案山子に 降り注いでいた
2010年09月27日
午後から雨になった。仕事帰りは、勤務先の傘を借りて帰った。どうも明日も雨のようである。この雨が猛暑の夏に降ってくれたら植物は喜んだに違いない。ああ~なぜもっと早く降らなかったのか豪雨でないだけに悔やまれる雨だ。人間が植えた樹木は人間が守らねば絶対いけないのである。人間の欲望で植えられてそのまま放置されたのでは樹木は植物は、たまったものではないだろう。秋の雨で残念ではあるがこの雨が植物にとり恵みの雨には変わらない。時にはこういう雨が必要である。
2010年09月27日
俳句1万句の旅☆ 孤独なる路傍の石や秋の風 ☆
2010年09月26日
孤 独 な 女 駅を出ると視界はぱっと開けた 目の前に広がる公園のにおいて アマチュアバンドが演奏している 人々は足を動かし手を叩いて その演奏に酔いしれている 私は少し立ち止まっただけで すぐにその場所をとおりすぎた そして私の着いたところは とある喫茶店だった あんぱん一つとアイスコーヒー のLを持って奥の方の別室にある カウンターの席に座った カウンターに座ったのはなぜか 一人だけで来たからである 秋の季節はなぜ清々しいのだろう そんなことを思いながら一人で コーヒーを飲んでいる 私はいつでも一人ぽっちである 傍らには誰もいない孤独な女 薄暗いライトがテーブルを照らす 小さなノートに日記を書いて 孤独な心を慰めている 自分はなぜ一人なのだろう そんな気もしないでもない みんな友達や恋人と楽しく コーヒーを飲んでいるのに・・・ 一人なのは私だけではないか・・・ 指とペンの陰影がノートの上に落ちる 私は孤高にさすらう旅人かも知れない 「 孤独なる路傍の石や秋の風 」 そんな俳句を詠んで自分を慰める 私はひとりぼっちの孤独な女である テーブルに置かれたノートとペン それだけが私の友達であり恋人 私は人と交わることができない 交わることで心乱され疲れてしまう 何という女であろうかといつも思う はっきり言うなら孤独が好きである それだけの理由なのですが・・・ いけない女なんでしょうか・・・ ノートやペンと友達になった 孤独な女の生きる姿があった
2010年09月26日
少 年 と 老 人 の 男 冷や冷やとした畳の上で男は眠る 柱時計がボ~ンボ~ンと鳴った 目が覚めた少年の心の中に 一気に寂しさが訪れた 遠い故郷の家の中の少年 僕の未来はどうなるんだろう 僕の将来はどうなるんだろう 寒々とした隙間風が身にしみた 冷や冷やとした布団の中で男は眠る 柱時計がボ~ンボ~ンと鳴った 目が覚めた少年の心の中に 一条の希望の光がさした 遠い故郷の家の中の少年 白馬に跨り未来をかける夢を見た 美しい虹色の橋をわたる夢を見た 時は果てしなくながれた あれから何年たっただろう 白髪の老人はあの時を懐かしむ 冷や冷やとした畳の上の少年を 冷や冷やとした布団の中の少年を あの冷や冷やとした部屋の中を 寒々としてやりきれなかった少年を あの時の少年を老人の家に 招き入れ温めてあげよう 老人は暖房のスィッチを入れた 心に潜む少年は老人に抱かれて 今はぐっすりと眠っている あの日見た少年の夢は・・・ 今も老人の心の中にある
2010年09月26日
朝は少し肌寒かった。半袖シャツで通勤したが両腕にあたる風は、肌寒くて長袖シャツがよかったのでは・・・そう思ったこともあった。だが少し肌寒くとも半袖が正解だった。昼から暑いと感じるようになったからだ。さすがにクーラーまでは必要としなかったが、外を歩くと風は柔らかいがまだ本当の秋の季節ではないなあ~と思った。残暑の終わりかけの暑さのような気候だった。今年は猛暑で彼岸花が咲かないと聞く・・・真っ赤な彼岸花がこの時期には咲くのに僕はまだ咲いているのを見ていない。
2010年09月25日
親 密 な る 男 君はいつも温かい手をさしのべる 私のことをいつも心配してくれる 電話やメールで元気ですかと聞く その言葉にはやさしさがこもる 元気でなんとかやっています それが私の返事である 友の情けと書いて友情だが・・・ 私たちには深い友情がある 単なる友達なんていうものではない 親友というより親愛なる友人だ いや親密なる最愛の友人だ 暮らしぶりは違っていても密接に 意志の疎通をはかっている友人だ 君という男のすべては私が知る 私のすべては君が知っている 何事も隠すことなく心の窓をあけ お互いの心情を分かち合うから 私たちの友情は存在するのだ 二人の友情は武道によって生まれた それは日本の古武道であった いつも練磨に励み切磋琢磨して 古武道の習得に励んだ日々よ それ以来君と私はかけがえのない 生涯の友人となったのである 武道の真髄を極めながらさらに 友情は進化し切っても切れない 絆という固い糸で結ばれた 武道への探究心が絆を強くし 血肉分け合う真の友人となった 二人の友情は親密になった なんでも話せる最愛の友となった 友情という森の中に二人はいた 温かい日差しが降り注ぎ美しい 名も知らぬ蝶が舞っていた 美しい蝶が君の右肩に止まり 美しい蝶が私の左肩に止まり 森の中には輝くような若葉があった 汗を流し青春を謳歌した日々よ 友情が君の心に私の心に・・・ 私と君は単なる友ではない 一生に一つあるかないかの 親密なる友なのである この友情は一生続くであろう 君よ私の友情を心から受けたまえ 私も君の友情を喜んで受けよう 二人の友情が永遠にあるを願う 君も元気で親密なる友として 私と同じ心境を持ちて過ごすよう よき日本の男として生きることを願う 友よ 私の親密なる永遠の友よ いつもありがとう 心からありがとう これからもどうぞよろしく!!
2010年09月25日
郷 愁 の 女 不意にその時は訪れる 故郷は今どのようになっているだろうか めぐる季節が女を郷愁へとかりたてる 故郷が恋しくなり故郷を思い出す 故郷の風景はどう変わっただろう・・・ あの山は・・・あの川は・・・あの道は・・・ あの小川は・・・あの橋は・・・あの滝は・・・ あの神社は・・・あの城は・・・あの家は・・・ 父や母のページが走馬灯のようによみがえる 人情味のある人々のけなげな暮らしが目に浮かぶ ああ~私の故郷よ 私の故郷よ 故郷よ 私の人生に何をもたらしたというのか 青春の歌が故郷の山野にこだまする それは私を呼ぶ声だ 故郷の声だ 女にとって故郷はいかなる存在なのか 女は静かに目を閉じて考える そして女はいう 故郷は私の人生であり父であり母であり 私の命を育み大きくしてくれた大切な場所 死ぬまで忘れることのない神聖な場所です」 郷愁の女はそういって心のスクリーンに 映し出される故郷の風景に見入るのだった
2010年09月24日
思 索 す る 女 一日は過ぎてゆく 夏の翳りを残して・・・ ああ~もう秋の季節なんだ あの猛暑が嘘のように消えゆき いまは秋の太陽がふりそそぐ この季節はとても心地よい反面 いくつもの物思いを人にあたえる 恋がしたい素敵な人に出会いたくて 身も心も好きな人にささげたくて・・・ 私の心は彷徨い秋風に晒されている 今までの人生がふと思い出されて涙ぐむ これからの人生に何を求めて生きよう そんなことを思いながら生きる日々・・・ あるお寺の掲示板の前で女は立ち止った 「 医学が進んでも死はなくならない 」 「 文明が進んでも苦悩は消えない 」 そう書かれた張り紙をまじまじと見た ああ~人々よ 私という女よ 今この時を華やかに美しく心踊らせよ 心よもどれ 少年少女時代に・・・ 白い歯を見せて笑いこけたあの少女を”” きらきらと輝いていた瞳のあの少年を”” 少年少女のありのままの命の輝きを”” 人生に何を求めて生きようなんて 深刻なことは考えなくていいのだ それよりもあの少年少女のように・・・ 心おきなく素直に自分の命を燃やそう 女は籐椅子に座ってひとり思索する 人生の生き方なんて人それぞれなんだ 歳を重ねても心が枯れなければいい 自分の生きる姿を隠さずに見せよう 死ぬまで精一杯見せればいいのだ だが最後に残ったある思索にふける 私の恋はいつ生まれるのだろうか? ああ~ 女は心の底からため息をついた
2010年09月24日
詩 人 に な り た い 女 仕事が終わりひと息つくと女はペンと ノートを鞄にいれその店にむかう ホットコーヒーとドーナツを注文して テーブルに置きさらに鞄の中から ノートを出してひろげる ひとり身であるという環境に中に自分がいる 少しの疲労感と空虚感が詩を書く情緒にピッタリだ 私は絶対詩人になる 詩人になりたいのです!! 詩作は私のかけがえのない人生の一こま!! 万人に共感をあたえるような詩を書きたい!! 詩は感情にうったえる文学でしょ”” 燈火親しむの候 白い指先のペンが動く 女は語る私の趣味は詩を書くことです 自己表現の証として詩を書いているのです そしていつかは詩人になりたいから・・・ そういって赤いカップを手にとりコーヒーを飲んだ 詩人になりたい女の燈火親しむの候だった
2010年09月24日
秋 の 女 空を見れば曇り空 ああ~ 私のこころは涙いろ そんな日々に別れつげれば やってくるよ秋の訪れ爽やかに 澄んだ空にやさしげな白い雲 見渡せば秋の景色が歌っている 涼やかな風が頬をなでゆけば 心に小さな幸せ感じてる ひまわりからコスモスへ・・・ 季節の花にかこまれて ひとりの乙女きらきらと 秋の季節に踊ってる 微笑み色の心の中に 秋のメロディーながれてる
2010年09月24日
俳句1万句の旅☆ 秋風や橋のたもとの夕間暮れ ☆
2010年09月20日
図 書 館 通 い の 女 12畳の洋間には大きな本棚が5つもある おんなの部屋は本棚で占領されている 本棚には豪華本やら小説本などが並べられ 見事なまでに整然として背表紙が輝いている 日曜日にはどこに行くこともなく本を読む 今日はどんな本を読もうか~ その日の気分で本棚の本を手にとる 本の中で遊楽の精神世界にひたると 静寂な時の流れが部屋に充満する 時にはコーヒを飲みながら本を読む なぜ私はこれほどまでに本が好きなのか 自分でもそう思うことが時々あるという 私は活字中毒者かも知れない 本がなければ生きてはいけない 本は生きる上での宝物だと思う 本はどこにも行かないし逃げもしない 心にしまい込むことだってできる 浅く深くいろんな読み方もできる いろんな本が生きる道しるべとなった 好奇心から私は本が好きになった 私の性格も人格も本が形成した 今ある暮らしも本のおかげだ 今はネットで本を読む時代ですが 私はそういうことはしないです 紙に印刷した本が好きなのです 本棚の背表紙を見るのも好きです 日曜が来てもおんなは外出をしない 本のある部屋でひとりで過ごす この部屋は私の図書館です 本のある部屋は私の心です 女はそういって今日もひとり 図書館で本を読むのだった
2010年09月18日
俳句1万句の旅☆ 遠くより金木犀の香りかな ☆
2010年09月18日
デスクワークの仕事でも、昼は暑くなりクーラーを入れた。朝晩の暑さはなくなり今までの寝苦しさなどはなくなった。いつ頃までクーラーは、必要なのであろうか・・・僕は、夏より冬の季節の方ががいいと思うのだが・・・来月が1年で一番過ごしやすい季節ではないだろうか寒からず暑からず涼しい風が頬をなでてゆくそんな秋の季節となって幸せを感じる!!それが10月という季節だと思う!!10月が待ち遠しいなあ~暑さ寒さも彼岸までというとおり肌寒くなるのも来月10月という季節ではあるが・・・
2010年09月17日
俳句1万句の旅☆ 椅子に干す洗濯物や秋の夜 ☆
2010年09月17日
俳句1万句の旅☆ 遠路来てここにおわすや秋遍路 ☆
2010年09月17日
時 の 流 れ に 生 き る 男 今日も知らず知らず時は流れる 朝日が昇り日本を照らせばまた夕日は落ちていく 釣瓶落としのように日暮れが早くなり時は去る 悲しさも寂しさも行く末を知らずに時の流れに 涙をこらえ砕けた散った夢と希望を回顧している この身はどこへ行こうとしているのだろう 考えれば不思議な命がこの世に生きている 寂しくないかといえば嘘になるけど・・・ 自分をごまかしこれでいいよとつぶやいて そんな自分が馬鹿だよとさ迷う秋の夜 時の流れに驚きて涼しくなった夜の街を 一人ふらふら歩いてるわが身よ 時よお前に愛があるなら時を止めておくれ 私の満たされない心に青春の夢をもう一度 夢がかなう世界へ燃える力を私におくれよ 時は流れる私の前を今日も流れゆく 時の流れに逆らう力はもうないから 今は時の流れに身をまかせなすがまま 生きていくのがわが人生なのか・・・ この身に何が起ころうと時の流れに 身をまかせ生きていくのが人生なのか ああわが身よ
2010年09月16日
俳句1万句の旅☆ 故郷は夢の中なり秋彼岸 ☆
2010年09月15日
水 を 撒 く 女 朝の太陽が昇る前に水を撒く女がいる 庭の木々が枯れないように水を撒く 水がないと木々は衰退してしまう 木々が健全に育つように朝は いつも水を撒くのが日課である 水は植物の命なのである 土中に水分がなければ木は枯れる 枯れないように水を木々にあげる 木々が生き生きとして青々とした 葉を茂らせ実をつけ花を咲かせ 豊かで幸せな命を全うできるよう 今日も朝早くに水を撒いている それは美しい木々への愛である 植物を思う優しい心がある 庭に植えた木々や植物は いったい誰の物だろうか・・・ 決して私たち人間の物ではない この地球の持ち物なんです この水も地球の持ち物です 人間は地球から借りているだけ だから大切に有効に使うべきよ 木々も植物も地球からの借り物 だったら大切に大事にしなくては いけないと思うのです 庭の木々に水を撒く女の言葉 木々の命が水で救われるのよ そのために私は水を撒くのです たっぷりと水を撒きほほ笑んだ女 眼の中にある満たされた心が 植物愛を物語っていた
2010年09月15日
俳句1万句の旅☆ 秋風や君の笑顔を想い出し ☆
2010年09月15日
俳句1万句の旅☆ 秋の川たたずみ想うわが世かな ☆
2010年09月15日
俳句1万句の旅☆ 都会より田舎がいいよ秋しぐれ ☆
2010年09月15日
俳句1万句の旅☆ 寝坊して秋の夜長を恨みけり ☆
2010年09月14日
きのうから気温がさがった。日中外を歩くときはキャップがいるのでまだ残暑といえるが気温はずっと下がった。やはり9月の半ばとなるとこんなもんだろう。熱帯夜もようやく落ち着いた気がする。暑さ寒さも彼岸までといわれるが・・・・これははすごい名言だといえる。これほどの名言があるだろうか!!彼岸を境として肌寒くなるだろうなあ~
2010年09月14日
いまはもう秋~♪なんて歌があったが・・・誰もいない海なんていう歌があったが・・・今が秋だというには、チト早い暑さである。だが、秋の気配は目に見えるようになった。日中は別にして、朝晩の風に涼しさが感じられる。確かに秋の季節が近づいているなあ~そう思う時がときどきあるのである。仕事帰りに衣服を売っている店に入ったが店内は秋の装いの品物ばかりだった。半袖のシャツは店には置いていなかった。ああ~こんなところに今はもう秋~♪そんな歌のメロディーが僕の耳に響いた。いやあ~街はもう秋~♪ ですねぇ~ちっとも知らなかったです!!
2010年09月12日
京 都 人 の 女 京都は国際都市の町だといえる 外国から訪れる観光客も多い 史跡や神社仏閣が多く見所も多い 日本の伝統文化が凝縮された町 それが京都といえるだろう そんな京都の町で京都人といえる 人はどれほどいるだろう 生まれや育ちが京都である それだけでは京都人とはいえない 京都で生まれ育ったというだけの 単に京都の人というべきだろう”” そういう呼び名がふさわしいだろう”” あるとき私は京都人と思える女性に会った 身のこなしがやわらかく言葉づかいに 心がこもっていて温かい気持ちになった それだけではない京都の伝統文化を こよなく愛し京都の歴史や文化に詳しい いつも真心をもって相手の方と接している 着物を着たり浴衣を着たりまさにそれは 京都でしかお目にかかれない女性だった 京都生まれの京都育ちだがその女性には 単に京都の女とは言えないものがある 京都のあらゆる神社仏閣は訪ねているし それなりの知識は十分に持ち合わせている 「京都は素晴らしい町ですからいつかまた お越しくださいね」という人はいるのだが・・・ 灯台もと暗しというのかそういう人であっても 神社仏閣についての説明はできないものだ 京都育ちでも案外知らないものである 京都の人ではなく京都人といいたい女性は とても勉強家であり常に教養を身につけ 日々明るく楽しく過ごすことを心がける 「京都は外国の方が多く来られるのですから 日本をよく知ってもらって友好を深めることが 大切ですわ!そのためには京都のことは もちろんですが日本人としての国民性もよく 知ってもらわないといけません!! 日本人としての教養やマナーも大切です 外国のお客様をいかにお迎えしいかなる おもてなしをするべきかを常に考えて 行動する必要があるかと思います 京都に生まれ育った女性ならみんなその 使命があると思っているんですが・・・」 そういってほほ笑んだ女の人がいる 私が京都人の女と呼びたい女性だ こんな人に案内されて京都の町を 歩くことができたらどれほど楽しく 有意義な一日となるであろうか 私がそう思った京都の素敵な女性”” 生まれも育ちも京都人の女だった
2010年09月12日
雨の恵みというタイトルであるが、台風の発生のおかげである。大雨で被害がでているならば、こんなタイトルは失礼だが・・・単なる秋の雨ということで考えてみたいと思う。今年の夏は気温が高く猛暑の連続であった。人間は暑ければ水を飲んだり、水を浴びたり、シャワーを浴びたり、クーラーの冷風の中で過ごしたり色々と猛暑の対策はあるのである。ところが植物は、そんなことができるだろうか・・・特に自然林にある樹木ではなく、マンションなどの植栽地に植えられた樹木は人間が勝手に植えたのであって、樹木の好む土壌ではない所に植えられる。そして一度植えられた樹木は一生その場所を住処として過ごさねばならぬ。植えられた樹木の立場に立って考えるなら樹木はかなりの苦痛を味わう。暑い日が続けば土壌は乾き、土中の水分は途絶えて樹木はきっと暑い”暑い”といいながら泣き叫んでいることだろう。水をしっかりとたっぷりとまいて水分が樹幹をとおり枝葉にいくようなことにならないと樹木は、いずれ衰退し、枯れてしまうことになるのである。暑さに強い樹木ならいいが、ツツジやサツキなどは根が浅く土が乾くと水枯れで枯れてしまいやすいのである。猛暑の中で樹木は何を一番ほしがっているかというと雨であり、また灌水ホースでの散水や手まきによる散水なのである。樹木が枯れることのないように常に土壌に水分があるかないかを確認し、ないようだったら水をたっぷりとやらねばならない。表層土に指か竹べらを5センチ程度入れてみて水分がなければ、必ず水をまいてやるようにしないと樹木は衰退してしまう。樹木も人間と同じ生物であり、水を欲するのは同じである。樹木も暑さでばてるし、疲れるし、熱中症にもなるのである。何もできず水を待ち焦がれている樹木がある。そのことを人間は、十分に認識するべきである。人間は人間だけのことを考えていてはいけない。身の回りにある樹木や植物がこの暑さで困ってはいないか・・・そのことを常に考えて樹木や植物を観察しなければならない。植物たちは、今われわれに何を訴えているだろうか?植物たちの声にわれわれは耳を澄まし目を凝らすべきである。そしてその声にやさしい愛情を注いでやらねばいけないと思う!!何日ぶりになるか知らないが、きょうの雨は恵みの雨だ。植物たちも少しは元気になってこの雨にありがとうという言葉を投げかけて肩を抱き合い喜んでいることだろう。
2010年09月07日
俳句1万句の旅☆ 星月夜この夜の幸をもらいけり ☆
2010年09月05日
俳句1万句の旅☆ つばめ去る今はいずこや朝の駅 ☆
2010年09月05日
鵜 飼 の こ と鵜飼について日本では、現在14か所で行われている。間違っているかも知れないが、鵜飼はたしか、中国から約200前に日本に伝えられたのだと聞いている。中国では、桂林とか3か所で鵜飼は行われている。ただし日本のように観光としてはやっておらず、あくまでも漁としてやっているようである。関西では、奈良の吉野川、和歌山の有田川、京都府の嵐山、宇治川の4か所でおこなわれている。今は、落ち鮎の時期であり、鮎の大きさも約24センチくらいで大きいため鵜も飲み込むことができないようである。嵐山では9月1日からは、18時半、19時半、20時半の3回鵜飼見物ができる。それぞれ1時間の見物である。料金は、大人1700円であり、安くて楽しむことができる。夕闇が訪れると18時半の1回目がスタートする。この時間帯は、周りの風景もまだ見えるので鵜飼を見物するには、一番いいかと思う。今の時期は、川風が心地よく鵜飼見物は楽しい。
2010年09月05日
俳句1万句の旅☆ 電線ものんべんだらり残暑かな ☆
2010年09月01日
俳句1万句の旅☆ 親不幸わびて涙の墓参かな ☆
2010年09月01日
俳句1万句の旅☆ 夕暮れて悩ましきかな風の盆 ☆
2010年09月01日
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