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月日のたつのは早いものである。今年も三分の一の月日が流れた。桜も散って葉桜となってしまった。ビヤーガーデンオープン・川床オープンそんな記事を目にする季節である。なんのために月日はこうも早く去りゆくのか。自分のなしている日々の生活が単調であるからこんなことを思ってしまうのだろう時の移ろいの早さに溜息もでるこの頃・・・少し後ろ向きなシックな気持になっている。これではいけないと自分は思っているのだが・・・しかしこの時期というのは、誰でもがシックになりやすい季節感なのである。
2010年04月30日
スキンヘッド物語今日は仕事が終わってから散髪をした。カット・顔そりで3500円の店である。散髪屋さんはとても明るい人である。開店してからやっとお客さんが来てくれるようになったといってにっこりとした。最初はお客さんが来てくれるかどうかわからないから気が気やなかったという。僕はこの前に来てからもう1ヶ月は過ぎていた。今日もユニークな散髪をしてもらった。手でさわると頭の毛の感触がとてもよい。このユニークな散髪があるからお客さんが来てくれると思うのですよ!!散髪屋さんはそういったのである。僕もユニークで丁寧にやってくれるからこの散髪屋さんに来てるのです!!もう常連さんになったなあ~そういうとありがとうございますといって散髪屋さんはペコリと会釈をした。明るい散髪屋さんというのはいい。僕はそう思ったのであった。
2010年04月30日
夢 見 る 男 人生において夢を見るというのは人間の特権だろう 他の動物にはできない人間だけの能力だろう ああなりたい・こう生きたい・このようにしたい そんな夢を見ながら人間は生きていくのである だが人生においてそれらの夢を実現できず 日々の暮らしを悶々とをやっていくだけで 人生の終末を迎えてしまうのも人間である しかし夢は最後まで捨てずにあきらめずに 持ち続けなければ男としての価値がない なんのために男として生まれてきたのだ これからの人生が大切な時間となるだろう 男は人生の終末まで夢を見つづけるべきだ 実現しなくても素晴らしい夢を見て生きよう 夢を見ることは人生の生甲斐となるだろう 未来の夢も明日の夢も生甲斐になるだろう 人生の炎が燃え尽きるまで夢を見よう 夢を見るのが人間としての生甲斐である 明日の太陽が昇れば男の夢ははじまる 夢よ 夢よ 大いなる夢よ 男の未来に燦々と輝け 男の人生に燦々と輝け
2010年04月21日
蝶の日記今日の気温は何度だったろうか?たぶん20℃は超えていただろう。暖かいなあ~という日であった。そのために僕は、蝶を見たのである。やっと本格的な蝶を見る日がやってきた。今日はそんな思いのする一日であった。藤の花房も垂れ下がって、大きな虻が一匹、藤のまわりを飛んでいた。
2010年04月21日
私は日本という国に生まれ、日本で育ち日本で生きている。日本の国籍で漢字の名前をつけられ日本語を話している。生まれてからずっとこの国は本当にいい国だったろうか・・・この日本を誇りに思いこの国を愛してきたであろうかこの国に魅力があり人々がこの国に生まれ育ったことを誇りに思いうるものがなければ愛することはできない。今この国、日本にはそういうものがあるだろうか?私は、この国には愛するものはないという気持でいる。それはなぜなんだろか!! それはなぜなんだろうか!!桜が咲いても私は、そんなことを考えているのである。
2010年04月13日
風鈴文楽短歌集花咲けど君に会えずや淋しさの花見もせずにシネマを見たり
2010年04月08日
犬は人間と同じである。僕の勤務先の近くに犬を飼っている女性がいる。女性と犬は毎日一度は散歩するのであるが、僕と出会うと連れていた犬はしっぽをふりながら足早に僕を目指してかけてくるのである。なんといっていいか犬は僕が好きなのかどうか。。とにかく僕と犬は、ほんとうに仲がいい関係だ。頭をなでなでしてやるとまたうれしそうにしっぽふってじゃれてくるのである。そして女性がバイバイしましょというとちゃんと左足を上にあげてバイバイするのである。人間のように話はできないけれど犬はきちっと何をいったのかわかるのである。僕は女性に言ったのだった。犬というのは人間と同じやねぇ~人間の生まれ変わりやなあ~誰かが犬になっているんやわ!!僕はそう言ったのだった。
2010年04月08日
風鈴文楽短歌集バスに乗り少年一人どこへゆくすんだ瞳に春のおとずれ
2010年04月06日
桜はあっという間に散るものである。2日前に満開だった桜も風が吹くと今日はもう散りはじめたのである。なんという儚さであろうかと思う。その散り際の潔さがが人生の儚さにたとえられることもある。戦時中には散る桜残る桜も散る桜””そういわれたようである。戦地に赴く人への贈る言葉といえるだろう。時代は変わり今は平時なので意味も全く違ってくるのであるが・・・ただ短い人生という命にたとえる時、意味は違えどもその言葉には重みをもつ。毎年何人の人が死んでいくのだろうか?自殺だけで毎年約3万人だというが・・・いろんな理由をもって死んでいくのだが、誰の人生にもいつかは病気や老衰という形で死は必然的に訪れるのである。今年亡くなっていった人の後を追って死ぬ。それはまさに散る桜残る桜も散る桜””といえる。花吹雪をみるとそれは散る桜””死んでいく人に見えないだろうか?寿命をまっとうして死んでいく人に見えないか?花筏を見るとそれは死んだ人々の屍に見えないか?誰でもいずれこの地上から消滅するのである。今年も桜が咲いて花見で大酒を飲んで歌い騒ぎ喜べど日々刻々と死に近づいているのだ。散る桜残る桜も散る桜””になっていくのである。なんと儚い人間の一生なんだろうか。この儚い人生をいかに生きなければならないか。そんなことを思う今日このごろなのである。
2010年04月06日
クジラの町として有名な太地は和歌山県にある。またマグロの養殖で脚光をあびているのも和歌山県である。ところでマグロの数え方を知っているだろうか・・・ここに記載しておくことにする。体長3メートル、体重400キロほどもある巨大魚がマグロなのだ。このマグロを数え方は様々。海中を泳いでいるときは一匹と数える。船上に引き上げられれば一本と数える。マグロの一本釣りというのはこの数え方だ。また寿司店などで解体され、半身となった時は、一丁、最終的に口に運ばれる際は、一貫、一切れとなる。
2010年04月06日
俳句1万句の旅☆ 葉桜や今宵ひとつの夢すてし ☆
2010年04月06日
蝶の日記今日僕は、昼前に蝶を見た。紋白蝶が一匹ひらひらと飛んだ。生まれてまもないのだろう。よくわからないが白い翅に薄い黒色のしまがあった。成長するにつれて、しまがとれて真っ白になる?この蝶は卵で越冬し、今年に羽化したのである。そして次から次へとまた卵を生むのである。生んだ卵はまた羽化し、今年蝶として飛ぶのである。今年の初蝶は3月20日に見たが、それ以来だった。大阪で桜の開花宣言があったのは3月21日だったがそのあと寒かったり雨が降ったりで見れなかった。桜の花も満開でまた今日は大阪は暑い日であった。たしか20℃を超える暑さだったろうと思う。そのために蝶は生まれそして飛んだのだ。これからは蝶を目にすることが日増しに多くなるだろう。
2010年04月06日
俳句1万句の旅☆ 清らかな少女の髪や春の風 ☆
2010年04月04日
葉 桜 だ よ り の 女 また桜が咲いて花見で浮かれる季節がきた 町はたくさんの人出でにぎわっているが・・・ この桜・狂想曲もやがて静かに幕がおろされる 桜は短期間で見事に散っていくからである 1週間ほどの開花期間であっという間に・・・ 時をおいて見るときには葉桜である 浮かれた花見の期間が過ぎてしまうと 桜の賑わいはなく一気に熱は冷めて 桜のことは過去のものになってしまう だがここに葉桜を見て楽しもうという 「 葉桜だより 」の女がいるのである 女は5年前に「 葉桜だより 」という 名もないサイトを立ち上げた 「 葉桜だより 」の女は説明した 桜だよりとか桜前線とかは桜を 見る人のためにあると思います でも世間には葉桜を見る人もいます 桜が散った後の葉桜を見る人達です ひと時の花の美しさを愛で酒を飲み 宴を楽しむ「花の客」ではありません 葉桜を探して散策する人の集まりです 今年咲いた桜もあっという間に葉桜になり 誰も見向きもしなくなってしまうのですが・・・ 私達は桜が散ったあとの余韻を楽しむのです それは栄枯盛衰の桜の歴史の旅でもあります それは今年見たひと時の桜の話でもあるのです 桜も美しいが葉桜もまた美しいなんていう 葉桜を見て楽しんでいる人の集まりです 今では全国から寄せられる「 葉桜だより 」 「きょう葉桜になりました」というメッセージ”” あの町の桜もようやく葉桜になったのか 花見も終わりやっと葉桜の季節になった 緑あふれる葉桜がやっと見れるわ!! そんなメッセージから葉桜が好きな人が 葉桜を見に行くというものなんです これからも「 葉桜だより 」を続けますから インターネットでご覧になってくださいね また美しい葉桜を見に行きましょう!! 「 葉桜だより 」の女はそういって微笑んだ
2010年04月04日
21 世 紀 の 女 いまを生きている女がいる それは21世紀の女である 生まれた子供は21世紀の子供である 私は20世紀と21世紀を越える体験した それは大きな世紀を越える体験だった あれから20年たってしまったのだが この20年という歳月で人間という 生物はどうかわったのだろう この地球はどうかわったのだろう 世界の国はどうかわったのだろう アジアはどうかわったのだろう 日本はどうかわったのだろう 私の住む町はどうかわった? そしていま20年を経て・・・ 私はどうかわったのだろう? 世紀を越えることはもうできない 今世紀で私は消滅してしまうから 生まれた子供は21世紀から 22世紀の世紀を越えて生きる 平和で美しい地球と共に健やかに そして立派に21世紀を越えてほしい 私はいまそれを願っているのです 21世紀を生きる私がいま出来ること それはいったい何だろうか? これからの私の目標とするものは・・・ 着物姿の女は日本茶を飲みながら 満開になった桜の花をながめている ああ~なんて平和な日本なのでしょう 21世紀の女はそうつぶやいた
2010年04月02日
俳句1万句の旅☆ 幕あくや都をどりはヨーイヤサー ☆
2010年04月01日
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