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欠点を治そうとするよりも受け入れることそう言われても受け入れるってどういうこと?どうしたらいい?正直なところピンときていなかったところがあります長所もあれば短所もあって当然、ということ?というふうに捉えていたものです最近、発達障害について書かれている本を読んで新しい解釈が浮かんできました発達障害であるかどうかは別として得意・不得意は、その分野を司る脳機能の働きから生まれてくるのかもしれないと脳機能のうちどの分野の発達が著しくて反対に発達に無理があるかの違いで得意不得意や性格の違い、個性が生じてくるのかもしれないなぁとあくまで私の推測なので正確なことはわかりませんが全ての機能が発達している完璧な人などいないのだから発達障害は特別なものではなく全ての人がどこかしら発達障害と言えるのかもしれませんみんなそれぞれ違うところが不得意だからそれぞれ違う得意なところを出しあって社会は成り立っているのだなぁと思います誰かの不得意なところはそれが得意な誰かの出番です誰かが出し惜しみしていたら社会のどこかが歪んでしまいます自分は何が得意で何が不得意?社会での自己実現は己を知るところからも始まるようです
2016年05月31日
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自分探しの結末が思いもよらなかった形でゴールを迎えることもある、という一例ですいつでも自分のことは後回し相手にとっては居心地がいい関係でもその裏では自分が我慢ばっかりしてきた気がついたら自分が何をしたいのかわからなくなっていたそんな理由から自分探しを始めた某さんところが、あれも違うこれも違う何をしても、しっくりこないんですそんなある時、気がついたんです自分はこれまでしたいことをしてきたのかもしれないということに某さんのしたいこととは自分がなにかをすることではなかったんです人のしたいようにしてあげることや人を優先してあげることだったんですそのことで相手が喜ぶ顔を見られることが某さんにとっての喜びでしたただ、自分ではなく相手のために相手を優先してきたから、うまくいっても自分の喜びには繋がらなかったんです自分がそうしてあげたいから、相手を優先する同じことをするのでも自分本意の動機からすることでしたことに満足できるものですさらに相手の喜ぶ顔が見られたとしたら喜びが増すというものです某さんのその後していることはこれまでと変わらないけれど自分がしていることに満足しているので笑顔でいることが増えました ^^某さんと言うのは架空の人物で例えのひとつとして物語にしてみましたですが、「青い鳥」の童話で、青い鳥はおうちにいたように探していた物は元々そこにあったという話は、よくあるように思いますいくら探してみても好きなこと、やりたいことが見つからないそんなあなたも、某さんのように本当の動機に気づかないままやりたいことができているのかもしれませんね
2016年05月18日
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なんでもデジタル化していく中で逆行するような発想が恥ずかしく思えるときもありますが時代遅れと思われる恥ずかしさよりも自分の意思を大切にする選択をしたいと思うこと年齢とともに増えてきています一時的な楽や楽しみのためにパソコンやスマホの画面に向かう時間が増えて視力が落ちたり老眼の進みが早くなっている話を身近な人達から聞く機会が増えています私にとっては便利な機能を覚えて使いこなすことよりも使い方を工夫することで裸眼でいられる時間を増やすことの方が長い目で見たら楽で楽しいことだと思います自分の目で見て自分の耳で聞いて自分の歯で食べられる自分の手で触れて自分の足で歩いていつ終わりを迎えるかわからない限りある人生の時間の中でそんな時間を少しでも長く持ち続けたいと思うのです
2016年05月04日
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