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自分のした失敗を後からくる人たちが繰り返さないように。。失敗談とそこから得た教訓をこれから経験する人達に話しておきたいそうした諸先輩の話から大事なことを学び取りたいと意識して教わって来ましたテレビの番組でもしくじり先生という番組があるんですね自分の失敗を人に話すのは勇気のいることだなぁと思います自分のことだけ考えていたら恥ずかしくてできそうにありません((+_+))ありがたく学ばせていただきたいと思いますさてこのしくじり先生のようなありがたい先人たちが人類の歴史の中でもたくさん教訓を遺しておられます親の人生を見て育った子供が自分はこんな生き方はしない!と思っていた筈が同じような生き方をしていた。。という事例はよくあり歴史を振り返るまでも無いのかもしれません心の作用には否定形は通用しないこうなりたくない、は、こうなりたい、に変換して認識されてしまうそんなことも言われますが失敗しないように気をつけたり避けていたつもりがそうなっていたとしたらそうなることが必然だったのかもしれないと思うようになりました過去の事例からどんなに頭で学んでいても自分で経験して実感したことには叶いません自分の身に起きていることはその経験を今世でする必要があって起きてきたことそういう解釈をしたならばそもそも失敗は失敗ではなくて経験の1つだとする考えかたにも納得がいきます人生の先輩という立場では自分の失敗談をして警告をすることが1つのやり方だとしたら経験をしている最中の人を余計な口を挟まずに見守り応援するのも1つのやり方ではないかと思うのです同じような経験でも対処の仕方もそこから学び取らなくてはいけないことも人それぞれに違いがあるのではないかと思います自分が失敗から学んだこととはまた違う対処や学びをその人が見せてくれたりするのですから
2016年07月30日
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「幸せのかたちは 人それぞれあっていい」自分の幸せを自分で選べるような時代だと頭では理解しているつもりでも生きてきた時間に比例するように新しい価値観はなかなか身にはつかないもののようです誰かの発した理想論を自分に当て嵌めてそうではない自分を嘆いたり自分もそうならなければならないのかと方向転換してみたり。。そうやって合わない型にこだわることで自分の進みたい方向を見失ってしまいがちですそれじゃ、私はどうしたい?感じた違和感に気づけたなら自分の望みを再確認する機会に変えてその人はそれでいい私はこれがいいつまづくたびに何度でも自分に立ち返りながら進みたいものです
2016年07月07日
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会話の途中で妙な空気が流れた。。気がするちょっと間を置いて誰かが話題が切り替えた後になって交わした会話の中で私の言ったことで傷ついたとそれとなく遠回しに言われたような気がする。。こんなシチュエーション経験あるでしょうか?その場で気がついたなら、謝ることだってできたかもしれないその場は笑顔で解散したし時間が経ってから蒸し返すのも却って傷つけてしまいそうだし。。悶々とするんてすよね私がこういう状態に陥ったとき相手を傷つけたかもしれないと考えるのは傲慢だと教わりました人の心は他人の言葉一つで傷つくほどやわじゃないし自分の影響力を過大評価し過ぎてない?そうなんですよね人からどんなことを言われたとしても心に傷がなければ痛みを感じることはないんです傷ついたと感じる体験はそこに癒すべき痛みがあると教えてくれる体験、だから感じた痛みを人のせいにはできない、と心理学でも学びましただからと言って余計なことを言わなければ良かったと気になるものは気になるのですけどねこういうとき自分を責める以外にできることがあるんです相手が痛みを感じているのだとしたらその痛みが癒されて安らかな気持ちになれますようにと心から願って差し上げること相手を傷つけたかもしれないと痛めていた自分の心がふっとやわらぐのを感じられたら相手の心にもそのやわらぎが訪れるのをイメージしてみて下さいね傷つけたと感じるのは思い過ごしだったとしても痛みを抱える誰かの心に届きますようにと
2016年07月05日
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2016年も半年を過ぎて。。というフレーズに毎度ながら時間の流れの早さを感じています読みに立ち寄って下さった皆様はいかがでしょうか?今日は、やりたいことがありながらも他のことをしていて手つかずのまま回りに宣言もして声援をもらっているのになにもしていないそんなときの処方箋を考えてみたいと思いますやりたいはずなのにやらない理由としてよく言われるのは、本当はやりたくないんじゃない?というものです本当はやりたくないことをどこか義務感などを自覚がないまま、やりたいことに変換しているようなときなどに起こります結構、見落とされがちなのは、本当にやりたくて仕方が無いはずなのに自覚が無いまま強力なブレーキが掛かっている時です逆説的だけれど、うまくいってしまったらどうしよう?これまでとは状況が変わってしまう!そんな恐れがブレーキを掛けるようなのですここで頑張れ!と周りから励まされると困ったことに、やりたいことそのものを頑張るのではなくてブレーキを掛けることに頑張る結果になってしまうようなのですもしも、そういうタイプなのだとしたら先述した本当はやりたくないんじゃないの?やどうせ無理なんだから諦めたら?のような応援とは思えない一言がやる気スイッチを押してくれることもあるようなのです頑張りやさんで負けん気が強いそんな自負があるなら否定的な言葉を投げ掛けてきた誰かが実は強力な応援団だったのかもしれませんせっかくやる気を出そうとしているのになんでそんな言い方されなくちゃいけないんだ!とその時は怒りも湧いてきますよね後で振り返ると、その怒りこそ、やる気に繋がるエネルギーで最初は重いブレーキになるけれどそのブレーキが外れる頃にはそんな誰かのことも、どうでもよくなって無理なく取り組む推進力に変わっていたりするようてす感じた怒りを誤魔化さないこと確かに感じたくはない感情ではないけれど自己責任で〔つまり誰かのせいにしたり、誰かに向けずに自分の内面で)感じきることそんなやる気スイッチの入り方もあるようですやる気スイッチが入るまで諦めないことも外せない条件ですね ^^
2016年07月04日
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