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昨夜、母方の祖母が亡くなりました。100歳まであと1ヶ月でした。少し前からご飯が食べられくなり、そのうち意識がなくなって、昨夕、ついに祖母の心臓は100年続けた仕事を終えると決めたようです。悲しくはありません。心の準備はできていたし、祖母はその生を病や事故で中断されることなく、本来の寿命を静かに迎えることができたのだから。生きるって大変と常々思っている私としては100年もの長い人生をみごとに歩き抜いた祖母に拍手を送りたいような気分ですらあります。だけど、これでもう私にはこの世におばあちゃんと呼べる人が1人もいなくなった。そう思うとやっぱり泣けてきます。祖母は東京生まれの東京育ち。気持ちの強い人で、私は祖母が愚痴を言ったり、泣き言を言ったりする姿をついぞ見たことがありませんでした。ささいなことでくよくよしていたら、戦争を生き延び、物のない時代に4人の子供を育てることなどできなかったのでしょう。悪気はないのだけれど、なんでも自分の思いを通してしまう祖母はうちの母やお嫁さんたちには煙たい存在だったようです。でも、孫である私にとっては、頭の回転が早く好奇心旺盛な祖母は母よりも「話せる」人でした。私が高校1年生の時、当時すでに70歳前後だった祖父母と3人で叔父の住むスペインに行きました。向こうの空港で叔父が待っているものの、祖父母2人で飛行機に乗るのは心配なので一番年上の孫である私に白羽の矢が立ったわけです。ところが私は海外旅行どころか飛行機に乗るのもはじめて。うちの親だって不安だっただろうに、それでも行くと決めたらなんとしても行くのが祖母なのです。結局、祖父母と私はうまくこの旅をやりおおせ、おおいに味をしめた私たちは2年後にもう一度、3人でスペインに行きました。2回のスペイン旅行は私のその後の人生に大きく影響して、今でも私はあの時に私をスペインに導いてくれた祖母にとても感謝しているのです。そんな剛の人がまったく違った一面を見せたことが一度だけあります。あれは夫をはじめて祖母の家に連れて行った時のこと。夫を紹介すると、祖母はそれまで座っていた座布団を素早くはずし、畳の上できっちりと正座し直して、「よろしくお願いいたします」と指をついて頭を下げたのです。そういう作法があることは知っていましたが、実際見たのははじめてでしたので、これには度肝を抜かれました。だけど、とてもとても嬉しかった。祖母は私が選んだ人を、おそらく祖母にとっての最上の礼儀でもって遇してくれた。それは何よりの祝福でした。甘ったるい言葉など使わない祖母の、いい人じゃないの、しっかりやりなさいというはなむけの言葉に思えました。===============================時節柄、お葬式は母と叔父たちの4人だけですませることにしたそうです。母は忙しいらしくその後連絡がありません。祖母の容態が思わしくなくなってから、頻繁にやりとりをしていた、いとこたちからも今日はぱたりと連絡が途絶えています。ここ数日、騒がしかったのが急に静かになりました。私もまだ祖母の話を誰ともする気がしなくて、今日はこうしてひとり祖母と過ごした時間を思い出しています。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も
2022.08.29
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札幌はそろそろ30°Cを超える日が少なくなり、夏もそろそろ終わりです。過ぎゆく夏を惜しみつつ、今日は夏の間、足繁く通ったビアガーデンのお話などを...ビアガーデンといっても、札幌のは、ランドマークである大通り公園にビールメーカーの巨大ブースが延々と立ち並ぶ大規模なもの。日本最大級なんだそうですよ。今年は3年ぶりの通常開催。私たちも会場設営中から胸をときめかせておりました。こちら数あるブースの中でも特に気に入ったドイツ村。ドイツのビールと料理を楽しめるビアガーデンです。では中に入ってみましょう。中心に噴水がありその周りに席がしつらえてあります。噴水の前に陣取ったら、なにはともあれビールを注文。冷たいグラスが汗をかいておいしそう...じゃあ、まずはかんぱ〜い!!この日の最初の一杯はヴァイツェンとデュンケルです。私は黒ビールのデュンケルが好みかなちなみにドイツ村はワンコOKで、ワンコ連れの方がチラホラいました。うちも2回目はチョコも一緒に行きました。さて、ビールで一息ついたら次はお料理。どんどん行っちゃいましょう。これは絶対外せない、ウィンナー各種盛り合わせ。薄く叩いたお肉を揚げたシュニッツェル。さらにはアイスバイン、プレッツェル、etc.ビールを飲めば料理がすすみ、料理を食べればビールがすすみ....ほんとドイツ料理とビールはよくあいます。だけど、やっぱりしょっぱいんですよね。食事に塩分制限がある私は、食べすぎないように気をつけるのが一苦労でした。このドイツ村では乾杯タイムというのがあります。ビールジョッキを片手に歌を歌いながらアインス、ツヴァイ、ドライ、プロージット!!(1、2、3、かんぱ〜い!!)と居合わせたみんなで乾杯するもの。浮かれた人に見えますが、実はじ〜んとしています。コロナとの戦いはまだ道半ばですが、2年の時を経て私たちはコロナとの付き合い方を覚え、こうしてまた夏の夕暮れをみんなで楽しめるようになった。外で飲むビールはうまい、みんなで飲むビールもうまい。ビールでふわんと酔った心と体でしみじみとしあわせを噛み締めています。札幌のビアガーデン、とってもおすすめです。野外でもそれほど暑くありませんし、なにより大きなビアガーデンは祝祭感あふれ、夏気分を盛り上げてくれます。今年はもう終了ですが、旅行などでお越しの際には、ぜひ涼しい風に吹かれながら、ビールを楽しんでみてはいかがでしょう?最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.08.26
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理想の家についてあれこれ思いを巡らすのが好きです。私が建築の本を眺めていると、夫はたいてい面倒くさそうな顔をします。建築家の堀部さんの作る周囲の景観に溶け込むような家がとても好きです。有元葉子さんの徹底した美意識に貫かれた家も憧れ。どうやら私の「いいなあ」というつぶやきが、夫には「今だにうちは賃貸暮らしか」という不満に聞こえるようです。でも、これはとんでもない誤解で、数年後には違う土地で暮らしている可能性のある今、私だって賃貸はごく当然の選択だと思っているし、そもそも本当に家が必要だと思ったら、私は夫を押し切ってでも買っている。そうじゃなくって、私の「いいなあ」は私がどんな家が好きで、何を居心地がいいと感じるか、という「物差し」を自分の中で育てる作業なのです。だって、もし家を買うとなったら、たぶんその時は突然やって来るんだと思うのですが、そういう「物差し」がなければ決断のしようがないでしょう?これまで住んだ10軒の家から得た現実的な物差しには、たとえば、近くにワンコと散歩できる公園があるといい、間取りは細かく仕切られずゆったりと、家事動線がよく考えられてスムーズなのがいい、などなどがありますが、一方で、実現可能性はさておき、の物差しもあります。つまりは、あこがれです。それが堀部さんの作る家だったりするわけですが、もう一つずっと憧れているのが海の見える家。新婚旅行で泊まったシチリア島のホテルはこじんまりしたお手頃価格のホテルでしたが、最上階のテラスから海が一望できました。ここで海を眺めながら食べる朝食は最高で、15年経った今も強く心に残っています。もちろんこれはリゾートホテルだからこそのドラマチックな仕掛けではありますが、それ以来、「海の見える家」は私の中でダントツ一位のあこがれになりました。神様に欲しい家をあげるよって言われたら、私は迷わず、海の見える家って答える。そんなあこがれの「海の見える家」に、先日、ひょんなことから出会ってしまいました。ここはシチリアか?正確には「家」ではなく「カフェ」です。1日3組限定の隠れ家のようなお店に入り、この景色を見た瞬間、息がとまりました。私があんなに恋焦がれていた海の景色がある...暑い日でしたが、海からの風が気持ちよかったです。あまりの素晴らしさに、失礼とは思いつつ、どんな経緯でここにカフェを開くことになったのかオーナー夫妻を質問攻めしてしまいました。それによると、ここはもともと民家が打ち捨てられていた場所だったそう。それを買い取って、自分たちでゴミを運び出し、樹を伐採し、庭を作り、家だけは大工さんに建ててもらったそうですが、それもやはり気に入らず、ずいぶん手を入れたとか。そうして20年....ようやく今の形になったという話でした。左手に海が見えます。飽くなき情熱とエネルギーが生み出した絶景の家。もともとオーナー夫妻は東京で複数の飲食店の経営などをしていたそうなので、こういう感性もスキルもお持ちだったのだと思います。並大抵のことでできることではありません。でも、北海道にいるとそれに似た話を聞くことも結構多いのです。家庭菜園の手入れを手伝ってと言われて行ったら、原野を自分で切り拓いた広大な農園だったとか、古い民家を買ってセカンドハウスにしちゃったとか。ここはまだそういう夢が叶う場所なのかもしれません。この日、私の心の中で何かがコトりと動きました。海の見える小さなお家。私にもできるだろうか?叶うか叶わないかはわからない。だけど、この夢を心の中で温め続けていこう。海の見える土地を意識して訪れるようになって2年。こんなふうに憧れが形になって目の前にあらわれることもあるのですから。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.08.17
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私とチョコに遅れること数日、夫が合流。私たちは静岡の夫の実家を訪れました。チョコ、いよいよ勝負服の日が来たよ。パパのパパとママにはじめましてってご挨拶してね。大切な人のお母さんに初めて会う時は断然白いワンピースですよね?チョコと夫の両親はこの日が初顔合わせ。私たちはこの日をそれは楽しみにしていて、チョコもそのためにワンピースを新調していたのでした。日頃まめに夫のインスタをチェックしている義母はチョコを見た瞬間「やっと会えたわね〜」と大喜び。実物は写真よりもっとかわいいわ、と盛大に褒めてくれました。パパのママに抱っこ。義父もぎこちないながら、宝物を扱うようにやさ〜しくチョコを抱いてくれました。2人の緊張が伝わって来ます (笑)。ああ、良かった。チョコ、気に入ってもらえた。こんなに喜んでもらえた。私はうれしくてたまりません。だって、チョコは私たちにとっては子供同然ですが、所詮は犬です。でも、義父母は、その犬を遠くから大切に抱え、白いワンピースを着せて見せに来た息子夫婦の気持ちをそのまま受け止めてくれた。もし私たちが子供が授かっていたら...やっぱり義父母はこうして手放しで私たちの子をかわいがってくれただろう。そして、私はこの人たちを自分の子の一番の応援団だと信頼しただろう。なぜか、すとんとそう了解し、私は義父母をそれまでで一番身近に感じたのでした。義母の煮物は何十年と料理を作り続けた人にしか出せない味。実は私はこれまであまり積極的に婚家になじもうとしませんでした。もちろん嫁が婚家に行くべき時には行ったし、義母とも定期的に連絡は取っていました。だけど、それ以上踏み込もうとはしなかった。仕事していた時はとにかく忙しかったし、女性が働くことや、不妊治療をすることに私とは違う考えを持つ義母と話すのが、その渦中にいる時は辛かったのもありました。できるだけ心を動かさずに、やるべきことを粛々とやろう。そんなふうに、私は婚家とのつきあいをまるで仕事のように「こなして」いたのです。そんな私の頑なさに義母が気付かないわけがない。でも、電話の向こうの義母の声はいつも明るく、長く無沙汰しても嫌味一つ言いませんでした。もし私が心を開いて、言葉を尽くして話せば、義母はそんな生き方もあるのだと理解してくれたかもしれません。結婚して15年。チョコを抱く2人を見て、ようやくそこに思い至りました。チョコちゃん、な、なんとお行儀のわるい... チョコは義父母に2人目の孫と認定してもらいました。別れ際、義母は笑顔で、来年は私たちが札幌に行くわ、と言いました。ええ、ぜひぜひ。チョコがおじいちゃんとおばあちゃんのお越しを楽しみにお待ちしています。帰省編はこれをもってひとまず終了です。長らくおつきあいいただきありがとうございました。2年の時を経ての帰省は、会えなかった時間が長かったぶん密度の濃いものとなりました。そして心配していたチョコですが、しなやかな順応力を発揮し、あらためて犬ってすごいと私たちを感動させてくれました。またチョコを連れて帰省するって聞かれれば、ぜひそうしたいと答えます。次は車でのんびりと東北を旅しながら帰るのもいいなあ。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.08.04
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実家のある川越は小江戸と呼ばれる城下町。小さいながらお城や古い街並みが残り、神社やお寺がたくさんあります。そう、散歩にはうってつけの街なのです。実家にいる間は朝夕あちこち歩いてチョコに私の生まれ育った街を案内しました。チョコ、これが川越のシンボル「時の鐘」。1日4回鐘が鳴って、時間を知らせるんだよ。時の鐘の周辺は「蔵づくり」という古い家が並ぶ、昔の街並みがよく保存されているところ。私の子供の頃はそんなにお店もなかったけど、最近、観光地として有名になって、どんどん新しいお店ができています。路地に入ると、こじゃれた店が並んでいます。おしゃれなスタバもできていました。気持ち良さそうなテラス席もありましたが、残念ながらワンコはダメでした。次回チョコ抜きで来てみましょう(笑)。懐かしい道もたくさん歩きました。七五三や初詣、折々に訪れた氷川神社は、最近縁結びの神社として有名になったらしく、映えを意識してかたくさんの風鈴が揺れていました。中学生の時、通学路に使っていた喜多院は徳川家ともゆかりの深い由緒あるお寺。今も緑豊かであの当時のままでした。仮病を使って部活をさぼった日も、なんとなくまっすぐ家に帰りたくない日もここで友達と時間をつぶしたなあ。チョコ、このことはママのママには内緒だよ。===============================チョコと話しながらのんびりと散歩していると、懐かしい景色に、チョコの姿がはめこまれ、古い思い出のうえに優しく重なっていきます。7年前、実家で飼っていた犬が19歳で旅立ってから、私は帰省しても必要以外は街を歩かなくなりました。どの道にも散歩が大好きだったあの子との思い出が染み付いているから。それに、弾む足取りで前を歩き、時々、楽しいねって私を振り返る相棒がいなければ、散歩も張り合いがありません。でも、チョコと歩く懐かしい道の先々であの子は私を待っていました。たぶんずーっと私が来るのを待っていた。やっと新しい相棒ができたね。あの子はチョコと新しい生活を送る私を見て、そう言っているようでした。あれから7年。最後の瞬間まで決してチョコと離れない、最期を看取れなかったあの子にそう約束して、ようやく悲しみを手放すことを許された気がしました。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.08.01
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