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多国籍企業や富豪たちには資産を隠し、課税を回避するシステムが存在する。その一端を明らかにする資料をHSBCのプライベートバンクに勤めていた元従業員が入手、その中には約2万4000人の外国人口座に関する詳細な記録が含まれているのだという。 債務危機を口実にして国民に重い負担を押しつけようとしているギリシャでもエリート層がそうした口座を持っている。HSBCのジュネーブ支店にはギリシャ人の口座が2000以上あるそうだが、その氏名をギリシャで出されているホット・ドック誌の編集者、コスタス・バクセバニスは28日にツイッターで明らかにした。 船主、実業家、芸術家、政治家などを含むリストをギリシャ政府は2010年にフランスの財務大臣だったクリスティーネ・ラガルデから提供されながら、ギリシャの当局は調査していない。そこで、バクセバニスはリストの公表を決断したという。 脱税の捜査には消極的だったギリシャの当局だが、編集者の逮捕は迅速だった。逮捕の理由は「市民の個人情報」を公開したからなのだという。日本のマスコミなら、こうした政府の動きに同調、リストを公開したジャーナリストは孤立してしまうだろうが、ギリシャでは連帯する動きがある。 HSBCはロンドンに本店がある金融グループで、1991年に香港上海銀行を母体として創設された。香港上海銀行はアヘン戦争(1840年から42年)とアロー戦争(1856年から60年)の後、1865年に香港でトーマス・サザーランドによって設立された。つまり、東アジアにおけるイギリスの植民地支配を支えるために作られた銀行で、麻薬取引とも関係がある。1866年には横浜にも支店ができている。 本ブログでは何度か指摘したように、1970年代にロンドン(シティ)を中心とするオフショア市場のネットワークが整備されて以来、世界の地下経済はイギリスの首都を中心に動いている。そこに伝統的なタックス・ヘイブン、つまりスイス、ルクセンブルグ、オランダなどともつながり、兄弟企業や富豪たちの資産を守っている。 かつて、ジョン・D・ロックフェラー、J.P.モルガン、アンドリュー・カーネギー、エドワード・ヘンリー・ハリマン、アンドリュー・W・メロンなどの資本家は「泥棒男爵」と呼ばれた。庶民から富を搾り取り、貧困化させたことからそのように名づけられたのだが、彼らは儲けを投資に回し、結果として経済発展に寄与した側面はある。 彼らが儲けを新たな投資に回した理由は、そうするしかなかったからである。今ではオフショア市場/タックス・ヘイブンによって資産を隠すことが容易になった。庶民から搾り取った富は地下経済へ流れ込み、そこから投機市場へ噴出することになる。必然的に社会は破壊され、経済は衰退していく。 投機は所詮、博奕にすぎないわけで、遅かれ早かれ破綻する。その破綻の尻ぬぐいを強制されるのは勿論、庶民。ギリシャでもそうした尻ぬぐいを庶民が押しつけられようとしている。そうした強欲な支配層に対する怒りが大規模な抗議活動になって現れている。 HSBCの口座リストが公表されたことで人びとの怒りはさらに高まるだろうが、当然のことながら、巨大企業や富豪が使っている口座はHSBC以外にも無数にある。こうしたオフショア市場/タックス・ヘイブンのネットワークは「西側」支配層の手先になっている王室や独裁者の資産隠しにも利用されているが、それだけでなく、麻薬取引など犯罪組織も重要な顧客になっている。犯罪者の巣窟だと言われても仕方がない。 ギリシャで債務問題が明らかになったとき、事態を深刻化させたゴールドマン・サックスをはじめとする銀行、あるいは投資ファンドの責任を問わず、ギリシャ庶民に原因を求めていた「報道」も少なくなかった。権力者に媚び、おもね、お零れにあずかりたいという姿勢が国外の問題でも出てくる。「習い性となる」ということなのだろう。 ちなみに、シカゴ大学のマルガリータ・ツツラ教授によると、ギリシャの脱税額は280億ユーロで、同国のGDP(国内総生産)の最大15%に達するのだという。
2012.10.31
ジョージ・W・ブッシュ政権が作成した攻撃予定国リストに従い、リビアはNATOや湾岸の産油国に攻撃され、昨年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊した。この攻撃は「民主化」や「人道」を掲げて実行されたが、実際の理由は資源の略奪やアフリカの自立阻止にあったと考えざるをえない。 NATOと湾岸産油国、より具体的に言うならばイギリス、アメリカ、フランス、サウジアラビア、カタールなどが軍事侵攻の手先に使ったのは、宣伝部隊としてのカタールの放送局アル・ジャジーラやBBCやCNNなど「西側」のメディア、地上軍としてはアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)。 カダフィ体制が崩壊した直後からLIFGは部隊をシリアへ移動させているが、体制転覆の手先として動いた武装集団が消えたわけではなく、相対的な優位を保っている。そうした武装集団がカダフィ派の拠点、バニ・ワリドを攻撃して多くの住民も犠牲になった。この攻撃を「西側」のメディアも「報復」だとしている。この攻撃には、例によって外国人傭兵が参加、白リン弾や神経ガスも使われたという証言もある。 昨年の春には「暴力」を嫌っていたはずのアメリカ政府だが、今回は平和的な解決を求めるロシアの要求を拒否、バニ・ワリドでの殲滅作戦を後押しする形になった。住民の犠牲など意に介していないようだ。同じことは「西側」のメディアにも言える。 カダフィ政権を倒すことで「西側」や湾岸産油国は所期の目的は達成した。資源の支配とアフリカ自立の阻止だが、民主化や人道などには関心を示していない。リビアで混乱が続くのは当然だろう。 そうした中、9月11日にはベンガジのアメリカ領事館やCIAの拠点が襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺された。このとき、領事館の周辺にはデモ隊はいなかったと言われる。スティーブンス大使は今年6月、「イスラム過激派」が勢力を伸ばしているとワシントンに警告しているようだが、アル・カイダ系の武装集団が領事館を襲撃したという証拠もないという。 ムスリム同胞団やアル・カイダは組織でなく一種の運動だとも言われている。リビアを攻撃した勢力も一枚岩とは限らない。「西側」のある種の勢力があるイスラム武装グループを使って攻撃した可能性も否定できない。
2012.10.29
9月5日、フランスのアルプス山中、スイスのジュネーブから自動車で1時間ほどの場所で殺人事件があった。この事件にからみ、サダム・フセインの名前が出ている。 アルプス山中で殺されたのはイギリス人エンジニアのサード・アル・ヒリ、妻のイクバル、イクバルの母親であるサハイラ・アル・アッラフ、そして自転車で通りかかったイギリス人シルベン・モリエールが殺された。そのほか、サードとイクバルの娘はひとりが重傷、もうひとりは隠れていて無事だったが、精神的には大きなショックを受けているようだ。 サード、イクバル、アル・アッラフの3名は額に1発ずつ撃ち込まれていることから、当初はプロによる犯行だと言われたが、使われた拳銃が1920年代から30年代にスイス軍の採用していたルガー P06であり、銃弾を使い切っていることなどから、プロではないという見方が強まっているのだという。 最初の銃弾がモリエールに命中していることから、殺人犯のターゲットはイギリス人旅行者ではないかという説もあるが、ここにきてフランスのル・モンド紙はアル・ヒリ家とサダム・フセインとの関係を報道、注目されている。 サードの父、カディムはフセインと近い実業家だったが、1970年代の後半にバース党と対立し、イラクを離れてイギリスへ移り住んだとされている。そのカディフ名義の口座がスイスの銀行にあり、そこにフセインは約1億円を送金しているというのだ。 2003年にフセインはイラクの中央銀行から約800億円を引き出し、世界各国に隠したと言われているので、カディフ名義の口座へ送金されたのは、その一部ではないかと疑われている。勿論、これ以外にも膨大な額の資産をフセインは欧米の金融機関に隠しているはずである。 イラクは産油国であり、石油による富もあるのだが、それがなくても独裁者は欧米の金融機関や国際機関から「融資」として「国」が受け取った資金を「私」の資産として欧米の金融機関に還流させてきた。そうした資金を隠すためにタックス・ヘイブン/オフショア市場が利用される。 独裁者が隠した資産を国庫に返還させれば、債務問題の大半は解決されると言う人もいる。要するに、「先進国」の繁栄を支えてきたのは「後進国」の汗と涙と血にほかならない。「先進国」は「後進国」からの「経済支援」がなければ成り立たないのだ。そうした支援を止めようと考える人が「後進国」で広がることは「先進国」にとって由々しき事態と言える。 ヨーロッパにはスイス、ルクセンブルグ、オランダといった「伝統的」なタックス・ヘイブンが存在しているが、現在、世界の地下経済で中心的な役割を果たしているのはロンドン。1950年代からロンドンを中心とするタックス・ヘイブンのネットワークが築かれ始め、今ではロンドンが地下経済の首都になっている。 ロンドンを中心とするネットワークの特徴は「信託」の仕組みを利用していることにあるそうで、資産の本当の所有者を特定することは至難の業だという。多国籍企業や富豪はこうした仕組みを使って資産や収入を隠し、課税から逃れている。共和党の大統領候補ミット・ロムニーの2011年における税率は14.1%だというが、これも最大限、大きく見せての数字。 表経済で「強者総取り」の不公正な新自由主義経済が蔓延、税金を払うのは庶民という仕組みが作られてきた。その結果、巨大企業や富裕層に資産が偏り、そうした資産を隠す仕組みもできている。 その結果、裏経済は肥大化して「カジノ経済」が繁栄、表経済を潰そうとしているのが現在の状況。つまり、表のルールを公正にするだけでなく、タックス・ヘイブン、オフショア市場のネットワークにメスを入れなければ世界経済が立ち直ることはない。 1920年代にも似た現象があり、政治経済の歪みを直さず、社会を支配し続けようとした人びとが目指したシステムがファシズムだった。現在の支配層も似た方向へ向かっている。 それはともかく、アルプス山中での殺人事件は根の深い問題をはらんでいる。例によって個人的な犯行ということで決着を図り、背後関係は封印したいことだろうが。
2012.10.28
石原慎太郎は東京都知事としての責任を放棄すると発表する直前、22日にリチャード・アーミテージ元米国務副長官やハーバード大のジョセフ・ナイ教授をアメリカ政府は日本に送り込んできた。尖閣諸島の領土問題で緊張が高まっている日本と中国との関係を改善することが目的だと言われているが、2030年代に原発稼働ゼロを目指すことは「受け入れがたい」というメッセージを口にしている。 アーミテージたちは26日、CSIS(戦略国際問題研究所)のジョン・ハムレ所長と官邸で野田首相と会談したという。実は、今年の8月、CSISはアーミテージとナイの名前で「日米同盟」という報告書を出している。その中でも原発の推進を強く求め、日本とアメリカは核エネルギーに関する研究と開発を共同で進めるべきだとしていた。 さらに、日本とアメリカとの軍事的なつながりを強めようとしているほか、経済面の支配も狙っている。アメリカが日本に押しつけようとしているTPP(環太平洋連携協定)は経済政策や環境規制などの決定権をアメリカの巨大企業に与えることを目的にしているわけだが、夏に出た報告書にはCEESA(包括的経済エネルギー安全保障合意)なるものを打ち出している。 CEESAは経済、安全保障、そして戦略的エネルギー関係でアメリカが日本を支配する仕組みと言えるような代物。様々なエネルギーの選択肢を推し進めるため、今後10年間に日本は北アメリカに対して1000億ドルから2000億ドルを投資すると誓約するのだそうだ。 本ブログでは何度か書いたことだが、CSISは1990年代の半ばに「日米21世紀委員会」なるプロジェクトを実行している。日本側のメンバーは、名誉委員長が宮沢喜一、委員長が堺屋太一、副委員長は田中直毅、そして委員には土井定包、福川伸次、稲盛和夫、猪口邦子、小林陽太郎、中谷巌、奥山雄材、山本貞雄、速水優が名を連ねていた。日本経済新聞からは小島明が顧問として入っていた。 この委員会は第1回目の会合を1996年にアメリカのメリーランド州で開催、1998年には報告書を発表した。それによると、日本の進むべき方向は小さく権力が集中しない政府(巨大資本に権力が集中する国家)、均一タイプの税金導入(累進課税を否定、消費税の依存度を高めることになる)、そして教育の全面的な規制緩和と自由化(公教育の破壊)である。 CSISとCIAの密接な関係は前にも書いたことがあるが、アーミテージもそうした人脈のひとり。公式の経歴ではベトナム戦争の際は駆逐艦に載っていたことになっているが、戦争中、麻薬取引にも関係していたと言われている。 アーミテージが駆逐艦に配属されたのは1967年に海軍兵学校を卒業した直後だが、73年には駐在武官としてサイゴン(現在のホーチミン市)に赴任している。ベトナム戦争ではアメリカのCIAと特殊部隊は麻薬の密輸で工作資金を調達していたことがわかっているが、この工作に関係していたということだ。 陸軍の極秘機関、ISAに所属していたジェームズ・グリッツ中佐によると、東南アジアの麻薬地帯で「麻薬王」と呼ばれていたクン・サもアメリカの情報機関が大々的に麻薬を密輸していたことを認めている。その取り引きで、アーミテージは犯罪組織とCIAをつなぐキーマンだったというのである。 1998年にネオコン(アメリカの親イスラエル派)系のシンクタンク、PNACはビル・クリントン大統領(当時)に対し、イラクからサダム・フセインを排除するべきだとする手紙を送っているが、その手紙に署名した人物の中にはアーミテージも含まれていた。 ちなみに、石原慎太郎はCSISの日本部長だったウィリアム・ブリアと親しいのだという。CSIS人脈の来日にタイミングを合わせて石原が都知事としての仕事を投げ出したのは偶然なのだろうか?
2012.10.26
グルジアでは10月1日に選挙が実施され、ミヘイル・サーカシビリ大統領の率いる「統一国民運動」が敗北、野党の「グルジアの夢」が勝利し、ビジナ・イワニシビリが首相に指名された。 グルジアの選挙にタイミングに合わせ、アメリカのエリック・ルビン国務次官補がアゼルバイジャン、グルジア、アルメニアを歴訪している。経済問題を話し合うためと言われているが、グルジアの選挙を受け、シリアやイランに対する新体制の姿勢を探ることが目的ではないかと推測する人もいる。 イワニシビリは早速、2008年8月の南オセチアを舞台にした戦争はサーカシビリ大統領が引き起こしたと非難。ロシアとの関係は改善するとしているが、その一方でNATOへ参加する意向を示している。 サーカシビリは2003年に起こった「バラ革命」で実権を握った人物。「西側」というよりイスラエルと特に緊密な関係にある。「革命」で資金を提供したのはバドリ・パタルカツィシビリなる富豪だが、実際に革命を操っていたのはグルジア駐在のアメリカ大使、リチャード・マイルズだ。 マイルズは1992年から93年にかけてアゼルバイジャン駐在大使を務め、96年から99年にかけてはユーゴスラビアのベルグラードで外交使節団の最高責任者、つまり大使になっている。この間、「西側」のメディアは「セルビア人の残虐行為」を宣伝、そして1999年にはNATO軍がユーゴスラビアを一方的に空爆、その際、中国大使館も爆撃した。その後、ブルガリアに赴任、そして2002年から05年までグルジア駐在の大使を務めている。 2002年にアメリカ政府は約40名の特殊部隊をグルジアへ派遣、その翌年にはグルジアの軍事パレードでアメリカ国歌が最初に演奏されているのだが、その前、2001年にイスラエルの会社がロシアとの戦争に備えて武器を提供、軍事訓練も始めたと言われている。この段階でアメリカやイスラエルはグルジアを乗っ取ろうと算段していたのだろう。 2001年にグルジアへイスラエルの予備役将校2名と数百名の元兵士が「教官」として送り込まれているが、その手配をしたのはガル・ヒルシュ准将が経営する「防衛の盾」成る会社。その際にイスラエルは無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む軍事物資を提供している。 そして2008年8月、サーカシビリ大統領は南オセチアの分離独立派に対して対話を訴えるのだが、その約8時間後に奇襲攻撃を開始、「平和維持部隊」を簡単に粉砕するが、ロシア軍がすぐに反撃を始めてグルジア軍を撃退してしまった。この奇襲攻撃を無謀と言うのは結果論。イスラエルが中心になって練り上げ、準備した作戦だったはずで、サーカシビリ大統領は勝てると思っていたのではないだろうか。 その直後、ロシア軍のアナトリー・ノゴビチン将軍は記者会見を開き、イスラエルの関与を非難している。2007年にイスラエルの軍事専門家がグルジアの特殊部隊を訓練し、重火器や電子機器、戦車などを提供する計画があったというのだ。 当時、グルジア政府には筋金入りの親イスラエル派閣僚がふたりいた。ダビト・ケゼラシビリ国防大臣と南オセチア問題で交渉を担当していたテムル・ヤコバシビリだ。ふたりは流暢なヘブライ語を話すことができ、ケゼラシビリは元イスラエル人だという。 また、後にロシア軍の情報機関GRUのアレキサンダー・シュリャクトゥロフ長官は、イスラエルのほか、NATOの「新メンバー」やウクライナも兵器を提供していると主張していた。新しくNATOのメンバーになった東ヨーロッパの国々は小火器を、イスラエルは無人機を、ウクライナは重火器や対空システムをグルジアへ渡しているとしている。
2012.10.25
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はジミー・カーター元米大統領に対し、イスラエルとパレスチナの2国家を共存させるという案を拒否する姿勢を示したようだ。少なくともカーター元大統領はそう判断している。 この判断が正しいなら、地中海からヨルダン川まで、全ての土地をイスラエルが支配するということなのかもしれない。ヨルダン川西岸への違法な入植やガザに対する兵糧攻めを続けていることを考えれば、イスラエル政府がそうした政策を推進していることは明らかだったが。 イスラエルは「ユダヤ人の国」だとされている。「ユダヤ人」という民族が存在しているとするならば、イスラエルは人種差別国家ということになる。実際、イスラエル政府はこれまでパレスチナ人を巨大な壁で囲い込み、その居住地を刑務所化してきた。 イスラエルでは人種差別的な雰囲気が強まっている。ヨルダン川西岸を併合した場合、パレスチナ人に投票権を与えるべきでないと考えるイスラエル人は全体の3分の2以上に達し、3分の1はイスラエルに住むアラブ系住民にも投票権は与えるべきでないと考えている。また、4分の3はパレスチナ人の居住地を隔離するべきだと信じ、58%はすでにイスラエルはアパルトヘイト国家だと見なしているようだ。 それだけでなく、政府の仕事はアラブ系住民よりユダヤ系住民が優遇されるべきだとしているイスラエル人が10人のうち6人、49%はユダヤ系住民をアラブ系住民より厚遇するべきだと主張、42%はアラブ系住民と同じ建物に住んだり、子どもを同じ学校に通わせたくないとしている。かつての南アフリカ、あるいはナチ時代のドイツを彷彿とさせる。 イスラエルは1948年5月、シオニストによって建国が宣言されているが、その際、アラブ系住民を虐殺し、恐怖で逃げ出すように仕向けている。その結果、約140万人と言われるアラブ系住民のうち、その5月だけで42万人以上がガザや現在のヨルダンへ逃げ、85万人以上が難民キャンプでの生活を余儀なくされることになった。 その際、シオニストは現在よりも広い地域、つまりヨルダン川や死海を完全に含み、ゴラン高原やレバノンの南部も占領する予定だったというが、これは実現できなかった。 勿論、それであきらめたわけではなく、1967年6月には奇襲攻撃(第3次中東戦争)でエルサレム、ガザ、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領している。が、それでも当初の計画には達していないらしい。旧約聖書の創世記では、ナイル川からユーフラテス川が「約束の地」だとされている。 ちなみに、ジョージ・W・ブッシュ政権が2001年9月11日の直後に作成した攻撃予定国リストには、アフガニスタンに続いてイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが載っていたという。
2012.10.23
昨年8月にウィキリークスが公表した外交文書の中に鳩山由紀夫に関するものも含まれている。そのうちのひとつを孫崎享氏がツイッターで紹介しているが、その文書によると、中国と友好的な関係を築こうとする鳩山首相(当時)をアメリカ政府は警戒、「東アジア共同体」を気にする姿がそこから浮かび上がってくる。 2009年1月から昨年4月までNSC(国家安全保障会議)のアジア上級部長を務めていたジェフリー・ベーダーは露骨に鳩山への嫌悪感を示している。今年3月、自身の回顧録出版の宣伝を兼ねて行った講演会で東アジア共同体構想を罵倒、日米関係の最大の懸念だったともしているのだ。アメリカ政府は鳩山政権を危険な存在、排除すべき対象だと見ていたようだ。 鳩山は2009年9月16日から内閣総理大臣を務めているが、アメリカの文書が作成されたのはその年の10月7日。鳩山首相が東シナ海を「友愛の海」にしようと提案、それに対して胡錦濤主席はその海域を平和、友好、協力の海にしようと応じたと報告している。 鳩山の政策に小沢一郎の意向が反映されているとも認識、こうした動きを抑制する要素として指摘されているのは中国軍の近代化と尖閣諸島の領土問題。日本のマスコミがこうした問題を強調してきたことは否定できない。 小沢は2008年9月に行われた民主党代表選で3選された。ところが翌年の5月に西松建設の政治資金に絡み、政治資金規正法違反の容疑で公設秘書が逮捕されて代表を辞任することになる。ただ、その年の9月には幹事長に就任した。 秘書が逮捕された件で検察は2010年2月に小沢を不起訴にするが、4月に検察審査会が起訴相当だと議決、10月にも再度、検察審査会は起訴議決し、翌年の1月に強制起訴されている。逮捕から起訴に至る一連の手続きに重大な疑惑が存在していることが明らかになり、この事件自体がでっち上げだった可能性が指摘されているが、ここではこれ以上、深入りしない。 過去を振り返ると、第2次世界大戦後、アメリカの支配層は一貫して日本が周辺の国々と友好的な関係を結ぶことを嫌っている。アメリカとは限定せず「米英(アングロサクソン)」と考えれば、明治維新以来と言えるだろう。 戦後に限っても、周辺国と友好的な関係を築こうとした政権は潰されてきた。たとえば1954年に成立した鳩山一郎内閣。鳩山首相だけでなく、重光葵外相(副総理)、河野一郎農林相、あるいは石橋湛山通産相たちも同じように考え、1955年にはロンドンのソ連大使館でソ連と国交正常化の交渉を始めている。 こうした日本側の動きにアメリカ政府は激怒、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は2島返還でソ連と合意したらアメリカは沖縄を自国領にすると恫喝したと言われている。この頃、アメリカの情報機関が日本のエージェントに河野暗殺を指示してきたと元特務機関員は語っていた。この命令を日本側は実行せず、時間稼ぎをしている間に取り消されたのだという。 少なくとも形式上、沖縄は「琉球処分」まで琉球王国という独立国。島津氏に支配されていたものの、中国(明/清)とも密接な関係にあり、冊封体制は維持されていた。その琉球を日本が併合したわけで、本来なら沖縄を独立させるというべきだろう。それを自国領にすると発言するところにウォール街の代理人、ダレスの本性が出ている。 1970年代には田中角栄首相がアメリカを無視する形で中国に接近、72年には北京で日中共同声明に調印している。尖閣諸島の領土問題を「棚上げ」にすることにしたのは、その時のことである。そして、田中角栄は失脚した。 尖閣諸島の領土問題はアメリカが日本を孤立化させるために作った仕掛けのひとつ。それを「棚上げ」にするということは、アメリカの仕掛けを無力化するということにほかならない。 この仕掛けを再起動させる動きは2010年9月、検察やマスコミの小沢に対する攻勢が強まる中、始まっている。尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、漁船の船長を逮捕したのだ。この逮捕劇の責任者は国土交通大臣だった前原誠司。 2011年3月8日付けのインディペンデント紙に掲載された記事によると、石原慎太郎都知事は核兵器への憧れを口にしている。外交力とは核兵器なのであり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さなかっただろうというのだ。その3日後、東北の太平洋側で巨大地震が起こり、東電の福島第一原発が「過酷事故」を起こしている。 2011年12月には都知事の息子、石原伸晃が「ハドソン研究所」で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言、今年4月には石原知事が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示した。石原慎太郎の発言が中国で広がった反日運動の直接的な原因だ。この点は明確に認識しておく必要がある。 ちなみに、今年4月、石原の講演より1週間ほど前にアメリカのジャーナリスト、ジョセフ・トレントが興味深い記事を書いている。アメリカの一部支配層と手を組み、日本の電力会社が兵器級プルトニウム70トンを隠し持っているというのである。石原知事が聞いたら興奮しそうな話だ。
2012.10.22
アメリカの政治家、ジョージ・マクガバンが21日に死亡した。1972年のアメリカ大統領選で民主党の候補に選ばれたが、共和党のリチャード・ニクソンに完敗している。それだけ支配層に警戒された候補だったとも言えるだろう。 マクガバンはジョン・F・ケネディ第35代大統領に近い政治家で、ベトナム戦争に反対していたことでも知られている。つまり、1972年にアメリカでは反戦政治家が大統領候補に選ばれたわけである。 こうした流れに危機感を抱いた民主党の政治家は党内に「CDM(民主多数派連合)」という団体を創設している。その中心的な存在がヘンリー・ジャクソン上院議員。その事務所ではネオコン(新保守、親イスラエル派)のリチャード・パイプスが顧問を務め、パイプスの弟子にあたるポール・ウォルフォウィッツやリチャード・パールがスタッフとして送り込まれていた。そのほかにも多くのネオコン系若者が事務所に出入りしている。 ジャクソン議員の師匠にあたる人物は、第2次世界大戦の際にイギリスの情報機関に所属していたこともあるバーナード・ルイスで、後にプリンストン大学で教鞭を執ることになる。 ニクソン大統領は任期の途中、デタント(緊張緩和)に進路を変更しようとするが、ウォーターゲート事件で失脚、ジェラルド・フォードが副大統領から昇格する。フォード大統領はデタント派を粛清していくが、その中にはCIAの違法活動、秘密機関について証言したウィリアム・コルビーCIA長官も含まれている。後任の長官がジョージ・H・W・ブッシュ。日本では「素人長官」だとされたが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた生え抜きである。 ブッシュ長官になるとCIAの内部にソ連の脅威を煽るために設置されていたBチームが始動するのだが、その責任者がパイプス。ウォルフォウィッツもメンバーに入っていた。フォード政権で台頭した人物の中には、ドナルド・ラムズフェルドやリチャード・チェイニーが含まれている。 1976年になるとCDMは「CPD(現在の危機委員会)」の創設を助け、さらに「力による平和連合」や「AEI(アメリカ企業研究所)」といった団体とも手を組むのだが、大統領選挙ではジミー・カーターが当選してしまう。マクガバンのような反戦派ではないが、フォードや後に大統領になるロナルド・レーガンとは違う。 ズビグネフ・ブレジンスキーを補佐官にしたカーター大統領はアフガニスタンでソ連を挑発(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を)するなど好戦的な側面を見せるが、パレスチナ問題をめぐってイスラエルやネオコンと対立、反カーターのキャンペーンを展開され、イランのイスラム革命を阻止できなかったこともあり、再選されなかった。 1972年の大統領選挙は戦争に向かうのか、平和を望むのか、大きな分かれ道だったように見える。その結果は好戦派の圧勝だった。アメリカ国民は結果として戦争を選んだ。そのひとつの結果が、現在の中東/北アフリカの状況である。
2012.10.21
TBSや落合洋司弁護士に対し、インターネット上で脅迫文などを実際に書き込んだのは自分だとするメールが送られたという。「遠隔操作ウイルス」を使い、他人になりすましたとしているようだが、他人のパソコンを外部から操れることは昔から広く知られていた話。もし、この程度の知識を警察、検察、裁判所、そしてマスコミが持っていなかったのならば、これは驚きである。 しかし、おそらく、そうしたことはないだろう。警察にしろ、検察にしろ、裁判所にしろ、容疑者が逮捕され、誰かが有罪になれば一件落着、マスコミも当局の発表を垂れ流して一丁挙がりということで、誰も冤罪など気にしていなかったのではないか? 警察庁は都道府県警に対し、2008年4月以降に摘発したネットを使った犯罪予告事件のうち、容疑者が否認していた事件を全て調査するように指示したというが、今回、明らかにされたケースの中には容疑を認めた人もいるわけで、この指示自体も問題である。自白があてにならないという過去の経験が生かされていない。 コンピュータに絡んだ問題は1970年代に浮上している。最初は世界規模の通信傍受システムや国家権力による個人情報の収集と分析だったが、個人向けのコンピュータが社会に広がると、そうしたコンピュータも情報機関や捜査/治安機関のターゲットになる。 大手のコンピュータ・ソフト会社がインターネットや電子メール関連のソフトウェアのセキュリティ・レベルを下げているようだが、それだけでなく、1997年にはA社のノート・システムにトラップドアが組み込まれていることをスウェーデン政府が発見、話題になっている。 1998年にはB社が開発したOSにも問題が発見された。セキュリティ機能をコントロールするソフトウェアに2種類のカギが存在していたのである。ひとつはB社が作業に使う合法的なカギだとして、もうひとつが謎。 B社のソフト開発者が削除を忘れたのか、カギにはラベルが残されていた。ひとつには「KEY」、もうひとつには「NSAKEY」と書かれていた。素直に読めば、NSA(アメリカの電子情報機関)のカギということになる。ちなみに、B社が開発した別のOSでは3つのカギが発見されている。 勿論、OSだけにバグが仕込まれているとは限らない。個人ではなく、政府機関や国際機関、あるいは大手企業向けのシステムに何らかのトラップドアが仕込まれるケースもある。そうした組織の情報、そうした組織が集めた個人情報を盗むことが目的だ。 そうした一例がPROMISという情報の収集分析システム。1970年代にアメリカで開発され、日本の法務総合研究所は1979年3月と80年3月に紹介している。このとき、開発会社側と交渉したのは、駐米日本大使館の一等書記官だった原田明夫と部下の敷田稔。 言うまでもなく、原田は後に法務省刑事局長として「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任した人物。敷田は名古屋高検検事長を務めている。 それだけ優秀なソフトだったこともあり、ロナルド・レーガン政権になると司法省が開発企業から奪ってしまう。少なくとも、破産裁判所と連邦地裁は司法省が開発会社から盗んだと認定、下院の司法委員会も同じ結論に達している。国際的に注目されたのは当然だが、日本で報道されたという話は寡聞にして知らない。 司法省が盗んだPROMISは、CIAやLAKAM(イスラエルの科学情報連絡局)の手に渡り、トラップドアが仕込まれ、様々な名前で全世界に売られた。販売のために使われたダミー会社はアメリカ版がハドロン社、イスラエル版はロバート・マクスウェルが設立したペルガモン・ブラッシーズ国際防衛出版。イスラエル版にはジョン・タワー元米上院議員も関与している。つまり、タワーはイスラエル側の人間だった。 このPROMISを日本の政府機関や銀行が買っていた可能性がある。その政府機関とは動力炉・核燃料開発事業団(動燃/現在の日本原子力研究開発機構)。プルトニウムを監視することがCIAの目的だったのではないかと言われている。そのCIAから日本は約70トンの兵器級プルトニウムを保有しているという情報が流れている。 勿論、日本のマスコミはこうした問題には触れたがらず、盗聴法にしても枠組みが決まり、少々のことではびくともしない体制ができてから報道し始めた。
2012.10.20
マララ・ユスフザイという少女が9日に銃撃されて負傷、治療のためにイギリスへ搬送されるという出来事があった。銃撃したのはタリバンだという。 この少女が注目されるようになったのは2009年のこと。タリバンによる支配についてBBCのウルドゥー語(パキスタンの公用語)サイトに匿名でブログを書き、話題になったのである。当時、11歳だった。その後、彼女の話はニューヨーク・タイムズ紙をはじめとするメディアに取り上げられるようになり、昨年には国際子ども平和賞にノミネートされたほか、パキスタンの国民青年平和賞を受賞している。 パキスタンの国内情勢を考えると、ユスフザイの勇気は賞賛に値する。勿論、言論を銃弾で封じようとすることは許されるべきでない。 しかし、その勇気を「西側」のメディアが利用していることも否定できない。ユスフザイが銃撃されたことには敏感に反応している「西側」メディアだが、アメリカが無人機で子どもを含む住民を殺し続けているいることには鈍感で、「西側」の嘘や残虐行為を明るみに出していたジャーナリストが射殺されたり誘拐されても無視しているのが現実だ。 「西側」のメディアは単にマララ・ユスフザイをプロパガンダに使っているだけにしか見えない。アメリカの無人機で殺された人数は2500名から3000名と推測されているが、そのうち174名は子どもだと言われている。最近、発表されたスタンフォード大学とニューヨーク大学の研究によると、無人機で殺された人のうち、武装勢力の幹部は2%にすぎないという。 つまり、パキスタンに住む人びとにとって、アメリカは破壊と殺戮をもたらした侵略軍にすぎない。タリバンが勢力を維持している大きな理由はそこにあるわけで、マララ・ユスフザイが銃撃される原因を作ったのは、彼女を宣伝に使っている「西側」だとも言えるだろう。
2012.10.18
メディアの報道を見ていると、アメリカの大統領選挙は民主党で現役のバラク・オバマと共和党のミット・ロムニー、ふたりが争っているように見える。討論会に出てくるのもこのふたりだけだが、実際の立候補者は5名いる。オバマとロムニーのほか、リバタリアンのゲーリー・ジョンソン、緑の党のジル・スタイン、そして憲法党のバージル・グードだ。 アメリカでは、投票用紙に候補者の名前が記載されるための条件がある。所属政党の前回選挙の実績か、相当数の州民の署名が必要で、無所属候補や二大政党以外の政党の候補者は不利な仕組みということだ。それでも討論会に参加できれば、政策をアピールすることができる。 16日にはニューヨーク州のホフストラ大学で第2回目の討論会が開かれたのだが、開始時刻の数時間前、緑の党から立候補しているスタインが副大統領候補のチェリー・ホンカラを伴って大学に現れ、会場へ入ろうとしたのだが、警官に阻止され、逮捕されてしまった。勿論、ふたりは単に中へ入ろうとしただけで、暴力を振るったわけではない。アメリカの大統領選挙を象徴するような出来事だった。 アメリカでは世論の動向を探るための調査力と有権者を洗脳する宣伝力が必要。つまり莫大な資金を持たない候補は勝てないのだが、討論会などで候補者が公平に扱われ、議論に参加するチャンスがあるならば、選挙結果にも影響が出る可能性は高い。だからこそ、チャンスを与えたくない人たちがいるのだろう。 こうした不公正なシステムだが、かつて巨大企業/富豪たちの貪欲さに挑戦した大統領も出ている。ウォール街の大物たちがクーデターで排除しようとしたのはフランクリン・ルーズベルト大統領。この政権が実行しようとした政策の根幹部分は司法の手で葬り去られたが、金融機関に足枷をはめ、労働者の権利も拡大させている。こうした政策を潰すために長い時間が必要だった。 ジョン・F・ケネディ大統領も巨大資本と対立している。インフレーションを抑えるために鉄鋼価格を引き上げないという前提で賃金を据え置いて欲しいと1962年に提案、組合側は受け入れたのだが、USスチールの経営陣は大統領と会談した翌日に鋼材の値上げを発表すると通告、ベツレヘム・スチールも後を追った。 この決定にケネディ大統領は怒り、鋼材の購入先をまだ値上げを発表していない企業へ即座に変更するように指示、USスチールへの鋼材発注を取りやめ、必要ならば海外から調達するようにと大統領は命じている。しかも、ロバート・ケネディ司法長官は巨大鉄鋼企業が反トラスト法に違反しているかどうかを調べようとした。 また、通貨制度も改革しようと試みている。アメリカでは民間の銀行が紙幣を発行、金融政策を動かす連邦準備制度があるのだが、1963年6月には、連邦準備制度の枠外で銀兌換紙幣を発行するための大統領令を出した。この月にはアメリカン大学でソ連との平和共存を訴える演説を行っている。暗殺される5カ月前のことだ。 1980年代から富を一部に集中させる政策を推進、「カネ余り」と「貧困」を生み出した。その結果、投機が盛んになって金融市場が肥大化し、社会は崩壊して経済は破綻に向かっている。経済を回復させるには金融にタガをはめる必要があるのだが、オバマとロムニーには無理な相談のようだ。
2012.10.17
今月の12日、ノルウェーのノーベル賞委員会はEUにノーベル平和賞を授与すると発表した。ブラック・ジョークだと思った人も少なくないようだ。EUの足跡をたどれば、決して平和的な組織でないことがわかる。 平和賞の受賞に合わせたわけではないだろうが、現在、ハーグではスルプスカ(ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する共和国のひとつ)の初代大統領、ラドヴァン・カラジッチの戦争犯罪を裁く法廷が再開されている。 言うまでもなく、ボスニア・ヘルツェゴビナはかつて、ユーゴスラビアの一部だった。ソ連が消滅する直前の半年ほどの間にユーゴスラビアは分裂、つまり1991年6月にスロベニアとクロアチアが独立を宣言、9月にはマケドニア、そして翌年の3月にボスニア・ヘルツェゴビナが続いた。この宣言を「西側」は支持したわけだ。ボスニアはイスラム教徒が多く、この当時、アル・カイダが入り込んでいたと言われている。 このユーゴスラビア解体プロジェクトで脚光を浴びたのが宣伝会社。セルビア人を悪役に仕立てるため、ルダー・フィン・グローバル・コミュニケーションは重要な役割を果たしている。ボスニア・ヘルツェゴビナより少し遅れてコソボもルダー・フィンと契約している。 プロパガンダ、つまり偽情報の流布にはメディアも協力している。例えばニューズデーのロイ・ガットマンはボスニアで16歳の女性がセルビア兵にレイプされたと報道しているのだが、事実でないことが別のジャーナリスト、アレクサンドラ・スティグルマイアーやマーティン・レットマイアーらによって確認されている。ガットマンの情報源は、クロアチアの亡命者が創設したプロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)だった。 セルビア人を悪役に仕立てた上、1999年3月にはユーゴスラビアを一方的に空爆を始めて多くの市民を殺害し、5月には中国大使館も爆撃している。侵略行為にほかならないわけで、民族紛争を抑止したわけでも、また紛争の和解をリードしたわけでもない。こうしたシナリオは中東や北アフリカの制圧作戦でも使われている。現在は、シリアがその舞台であり、湾岸産油国のほか、アメリカ、イギリス、フランス、トルコが軍事介入を続けている。ドイツも通信傍受などで協力しているとする情報もある。 シリアやリビアの前、イラクが欧米の軍隊に侵略され、破壊と殺戮が繰り広げられた。サダム・フセイン時代のイラクでは反民主的な手法で弾圧されていたアル・カイダが入り込み、社会を破壊している。リビアやシリアでは、体制転覆を目指すNATOや湾岸産油国の手先として活動している、あのアル・カイダだ。 イラクで何人が戦争の犠牲になったかをアメリカなど占領国の政府は口にしないが、いくつかの調査では100万人程度が犠牲になったと推定している。例えばアメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から2006年7月までに約65万人のイラク人が殺されたという。イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。 殺害された人の数だけでなく、ファルージャやバスラでは新生児に奇形や脳の障害などが多発しているという報告がある。環境汚染毒物学紀要という専門誌に掲載された論文によると、ファルージャで2007年から10年にかけての新生児の場合、半数以上に先天性欠損があったという。1990年代以前には2%以下、2004年に占領軍から攻撃される前は約10%だとされている。バスラの産院における先天性欠損の割合は、1994年から95年にかけて1000人のうち1.37人だったのだが、2003年には23人、そして2009年には48人に増えている。 ファルージャやバスラの子どもたちの頭髪を調べ多結果、鉛が通常の5倍、水銀が通常の6倍と異常に高く、劣化ウラン弾の影響も疑われている。現地では濃縮ウランが発見されたという報告もあり、中性子爆弾の使用を疑う人もいる。 また、イランでは子どもを巻き込む形でEUは制裁を強化しつつあるようだ。
2012.10.16
10月7日にベネズエラでは大統領選挙があり、現職のウゴ・チャベスが55.25%の得票を獲得、再選された。アメリカやベネズエラの支配層を後ろ盾にするエンリケ・ラドンスキの得票率は44.13%。アメリカ政府から「独裁者」と呼ばれる人物をベネズエラの国民は民主的に選んだわけである。 過去を振り返ると、19世紀まで中南米はスペインの支配下。1898年の「メイン号爆沈事件」を切っ掛けにしてアメリカが侵略を開始する。キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦「メイン号」をスペインが破壊したと主張、「米西戦争」を始めたわけだが、アメリカの自作自演説を信じる人は多い。 1901年にウイリアム・マッキンリー大統領が暗殺され、登場するのが副大統領だったセオドア・ルーズベルト。新大統領はいわゆる「棍棒外交」を展開、ベネズエラ、ドミニカ、キューバを次々と「保護国化」してしまう。それ以降、ラテン・アメリカはアメリカの巨大資本から富を奪われ続ける。 最初の頃は海兵隊が前面に出ていたが、第2次世界大戦の後は、CIAが中心的な役割を果たすようになった。例えば、1954年にはグアテマラのヤコボ・アルベンス政権を倒すためにPBSUCCESSと呼ばれる秘密工作を展開し、軍事クーデターでこの政権を葬り去った。また、1973年にはチリのサルバドール・アジェンデ政権も軍事クーデターで倒されている。いずれもCIAの支援を受けていた。 実は、ベネズエラのチャベス政権もアメリカ支配層はクーデターで倒そうとしている。チャベスが初当選したのは1998年。その4年後のことだ。 イギリスのオブザーバー紙によると、ジョン・ネグロポンテのほか、エリオット・エイブラムズやオットー・ライヒといったアメリカ政府の高官がクーデター計画に関与していた。1980年代にロナルド・レーガン政権はイランへ武器を密輸し、ニカラグアの反革命ゲリラ「コントラ」を支援する秘密工作を実行していた。この工作にネグロポンテ、エイブラムズ、ライヒはいずれも参加している。 これまで欧米の支配者は軍事クーデターで独裁者を作ったり、王制をでっち上げ、そうした仕組みを利用して富を収奪してきた。資源を略奪するだけでなく、多額の資金を独裁者や国王に貸した金融機関は個人の預金として回収、融資先の国に住む庶民から富を搾り取るという手法が広がっている。 1970年代からロンドンを中心にオフショア市場のネットワークが整備され、富裕層や多国籍企業は容易に資産を隠し、税金を回避し、マネーロンダリングすることができるようになった。 カネ儲けに邪魔な政権を潰してきたアメリカの支配層。そのアメリカでも今年は選挙が行われる。 2000年の大統領選挙では、世論調査で最も人気のあったジョン・F・ケネディ・ジュニアが不可解な飛行機事故で死亡、投票妨害が報告されているほか、旧式の機械やバタフライ型投票用紙で投票が正確にカウントされなかったとも言われている。2004年には投票のコンピュータ化が進み、投票数の操作が容易になったと指摘された。こうした状況は改善されていない。 強者総取りの経済システムを推進、環境規制や労働者の権利を否定するコーク兄弟のような経営者は、バラク・オバマが再選されたなら従業員を解雇すると宣言している。そのほか、フロリダの富豪デイビッド・シーゲル、ムレイ・エネルギーを経営するロバート・ムレイなども同じように従業員を脅しているようだ。 アメリカでは巨大資本に支配された「2大政党」による政治が続いている。「主権者」は「よりマシな候補」に投票するしかないと言われる状況。その一方、2001年から憲法の条文は機能停止状態で、ファシズム化が急速に進んでいる。オバマ政権になってもこの流れは変わっていない。投票の透明性、国内の民主化を最も必要としている国はアメリカにほかならない。
2012.10.15
数百名に及ぶイギリスの兵士や軍事顧問がヨルダンに入ってシリア情勢を監視、フランス軍も駐留している可能性があるとイタリアで伝えられている。アメリカがヨルダン領内に150名以上の部隊を派遣していることはすでに報道され、レオン・パネッタ国防長官もこの情報を認めている。 ヨルダンでは今年5月、アメリカの特殊部隊を中心とする軍事演習、イーガー・ライオン(熱望するライオン)が実施された。17カ国から集まった1万2000人が参加したと報道されている。アサドはアラビア語でライオンを意味しているわけで、シリアに対する恫喝の意味があると考えるのが自然だろう。 ネオコン(新保守、アメリカの親イスラエル派)は1990年代、ホワイトハウスに対する影響力が小さくなっていた時代にいくつかの重要な提言を「民間」として行っている。そのひとつが1996年に出された「決別:王国実現のための新戦略」。提言の相手は首相になったベンヤミン・ネタニヤだ。ちなみにネタニヤフは1996年から99年まで首相を務め、2009年に再び首相に就任している。 この提言で友好国として扱われてるのはトルコとヨルダン。これに対し、パルスチナやシリアを敵視、イラクからサダム・フセインを排除するべきだとしている。イラクを抑えることができれば、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル帯を築き、シリアを孤立させることができるということだ。フセインの排除には成功したが、この思惑は外れた。 この提言を書いたネオコンはジョージ・W・ブッシュ政権を支えていた柱のひとつ。特に、2001年9月11日以降はホワイトハウスで主導権を握っていた。「9/11」から間もなくしてイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンへ軍事侵攻することを決めていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っているが、この計画と「決別」は当然のことながら合致する。 リビアやシリアの体制転覆作戦では、サウジアラビアやカタールといった湾岸産油国が資金や武器を提供、傭兵も雇っている。アメリカ、イギリス、フランス、トルコと湾岸産油国は同盟関係にあるわけだ。実は、この湾岸産油国について「決別」では、ほとんど触れていない。この辺に中東問題を読み解くカギが隠されているのかもしれない。 ネオコンが提言した相手、ネタニヤフはリクードに所属している。リクードは1973年に結党されているが、その源流はウラジミール・ジャボチンスキーにさかのぼることができる。 ジャボチンスキーはオデッサ(ウクライナの港湾都市)で生まれた人物で、第1次世界大戦(1914年から18年)の際にはイギリス軍の「ユダヤ人部隊」に参加する。この当時はイラク、シリア、パレスチナ、アラビア半島西岸などの地域はオスマン帝国がまだ支配していた。 1923年にパレスチナがイギリスの委任統治領になるとジャボチンスキーは「ハガナ」を組織、1925年には「修正主義シオニスト世界連合」を結成している。後にハガナが中心になってイスラエル軍が編成された。ハガナよりも戦闘的だったIZL(イルグン・ツバイ・レウミ)もジャボチンスキーの流れ。 第2次世界大戦の後、1948年4月にシオニストの武装集団はイスラエル建国を目指して「ダーレット作戦」を発動、アラブ系の住民を襲撃する。その際、デイル・ヤーシーン村では住民254名が殺されたという。 当時、パレスチナには約140万人のアラブ系住民が住んでいたというが、そうした人びとは恐怖に駆られて避難を開始、5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダンへ移住、85万4000人が難民キャンプでの生活を強いられることになった。そしてイスラエルの建国が宣言される。
2012.10.14
国連安全保障理事会は不公正だとトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相は主張したという。シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すために本格的な軍事侵攻を始めたいトルコとしては、ロシアや中国が邪魔で仕方がないのだろう。 そのトルコは10日、F-16戦闘機を発進させてシリアの旅客機をアンカラの空港へ強制着陸させた。その中に17名のロシア人が乗っていたこともあり、ロシア政府との関係が険悪化している。何者かがもたらした情報に基づいてのことだというが、こうした軍事行動は国際的に許されていない。 過去を振り返ってみると、1978年に大韓航空902便が航路を大幅に外れてソ連領空を侵犯し、重要な軍事基地があるムルマンスク上空を飛行、ソ連側の警告を無視した挙げ句、銃撃されるという出来事があった。 1983年には大韓航空007便がやはり大幅に航路を逸脱、ソ連領空を侵犯、カムチャツカとサハリンを横断、その際に重要な軍事基地の上空を飛行し、やはり警告を無視、最終的にはモネロン島の近くで撃墜されたと言われている。「西側」は政府もメディアもソ連を激しく批判した。 シリアの旅客機は大韓航空機と違い、通常のルートを飛行、強制着陸に応じている。トルコ政府は弾薬を積んでいたと主張、アメリカ国務省はロシアを道徳的に破綻していると批判している。トルコの親政府メディアは無線機器やミサイルの部品が摘まれていたと伝えているが、政府自体はそうしたことを主張していない。 これに対し、シリアもロシアも武器が積まれていたという話を全面否定、トルコ政府が自分たちの主張を裏付ける証拠を明らかにしないことも批判している。荷物の中には軍民両用のレーダーの部品が搭載されていたが、問題になるようなものではないとロシア政府は説明している。 本当にシリアの旅客機が武器を運んでいて、それをトルコ政府が押収したのならば、速やかに公表するのが自然。ロシアやシリアを批判するために練り上げた作戦なら、事前に武器などを用意、すぐに宣伝を始めるようにも思える。 しかし、トルコやアメリカの主張は根本的なところで破綻している。遅くとも昨年の春にはトルコもシリアの体制を転覆させるための軍事介入に加わっている。トルコにある米空軍インシルリク基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員がFSA(反シリア政府軍)を訓練、トルコ政府はFSAに拠点を提供、保護してきたのだ。シリアが防衛のために武器を調達したとしても、とやかく言われる筋合いはない。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年に発表した記事によると、アメリカ政府はその段階でシリアやイランに対する秘密工作を始め、アル・カイダに繋がる勢力との協力関係も指摘されている。 その2年前、2005年にレバノンでラフィク・ハリリ元首相が暗殺され、シリア黒幕説を「西側」のメディアは盛んに流していた。また、国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は「ラフィク・ハリリ元首相の殺害がシリアの治安機関幹部の許可なく、またレバノンの治安機関内部の共謀なしに実行されることはありえないと信じる有望な根拠がある」としていた。要するに「証拠はないものの、シリアが怪しい」、つまり証拠はないがシリアが怪しいと主張していた。 この暗殺では相模原で盗まれた三菱ふそう製の白い「キャンター」が使われたとされているが、盗難に関する日本側の詳しい情報は明らかになっていない。 ドイツのシュピーゲル誌によると、メーリス調査官が信頼している証人、ズヒル・イブン・モハメド・サイド・サディクは有罪判決を受けた詐欺師で、サディクを連れてきたのは反シリア勢力を率いているひとり、リファート・アル・アサドだとしている。サディクの兄弟によると、メーリスの報告書が出る前年の夏、サイドは電話で自分が「大金持ちになる」と話していたという。 もうひとりの重要証人、フッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消している。レバノン当局の人間に誘拐され、拷問(ごうもん)を受けたというのだ。そのうえで、シリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと語っている。 このころからシリアのアサド体制に対する「西側」の攻勢は始まっていたのだろう。シリアに破壊と殺戮をもたらした勢力の中にトルコも含まれている。今、国連がなすべきことは、アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタールがアル・カイダを使って行っているシリアへの軍事介入を止めさせることだ。
2012.10.13
エネルギー産業の目は天然ガスに向けられている。2009年にはイスラエルの沖、タマル海域でも天然ガスが発見された。本ブログでも書いたことのある話だが、USGS(アメリカ地質調査所)の推定によると、エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガス、そして34億バーレルの原油が眠っているという。そして、この天然ガスが「アラブの春」を引き起こした一因だという指摘がある。 日本の支配層が執着している原子力発電はエネルギー源として効率が悪く、放射性廃棄物を処理する技術も実用化されていない。しかも、大きな事故が起これば世界規模で生態系に影響を及ぼすことになる。 福島第一原発の事故による本当の被害が出てくるのは2、30年先だと高を括っている人もいるだろうが、チェルノブイリ原発事故からは26年を経過している。その深刻な実態を隠しきれなくなり、報告書も出始めている。 それだけのリスクを冒し、膨大な資金を投入して原発を推進する理由はふたつ。利権と核兵器だ。将来のエネルギー源として原子力を想定している国は存在しないだろう。おそらく、イランも例外ではない。原発と原爆は表裏一体の関係にある。 ならば、世界有数の核兵器保有国であるイスラエルがイランの原発開発を止めさせようとするのは当然、という「二重基準」を剥き出しにした主張をする人もいるようだが、イスラエルがイランを敵視する理由はエネルギー戦略にあるとする説もある。 反シリア政府軍への武器供給をイラクのノウリ・アル・マリキ首相がロシアで批判したことはすでに本ブログで書いた通りだが、このイラクの北部とシリアもパイプラインで結ばれている。2003年にアメリカがイラクに軍事侵攻した際に破損、それからは使用されていなかったが、2007年に修復することでイラクとシリアは合意した。そのほか、イラン、イラク、そしてシリアのラディシアへつながるパイプライン、そしてイランの天然ガスをパキスタンやインドへ運ぶパイプラインも計画されている。 それに対し、イギリスのBP、アゼルバイジャンのSOCAR、アメリカのUNOCAL、ノルウェーのSTATOIL、そして日本の国際石油開発帝石は、バクー油田からトルコのジェイハンをつなぐパイプライン(BTC)を建設、2006年6月から本格稼動させている。 アメリカやイギリスと手を組み、石油利権を支配してきた湾岸の産油国にとっても天然ガスは大きな問題になっている。リビアやシリアの体制転覆にサウジアラビアやカタールが熱心な一因はこの辺にありそうだ。 「アラブの春」によって勢力を拡大しているのがムスリム同胞団。シリアに軍事介入しているトルコの与党も同胞団と友好的な関係があり、AKPは選挙の前にサウジアラビアから100億ドルを受け取ったとも言われている。 ムスリム同胞団とはハッサン・アル・バンナが1928年に創設した組織で、1952年にはガマール・アブデル・ナセルが率いる自由将校団と手を組んでエジプトの王制を倒している。 ところが、1954年に同胞団はナセル暗殺を試みて失敗、非合法化される。その際に6名が処刑され、約4000名が逮捕され、数千名が中東各国へ逃れたという。バンナの義理の息子、サイド・ラマダンは1961年にジュネーブ・イスラム・センターを設立するが、資金を提供したのはサウジアラビア。 サウジアラビアはワッハーブ派の教義を国家運営の基礎にしている。そうしたこともあり、ムスリム同胞団もワッハーブ派の影響を強く受けるようになった。 1956年にナセルがエジプト大統領に就任するが、その4カ月後にイギリスのMI-6はナセル暗殺を計画したことが明らかになっている。アメリカでもジョージ・フォスター・ダレス国務長官や弟のアレン・ダレスCIA長官などはMI-6に同調していたようである。ちなみに、ダレス兄弟は巨大石油企業の代理人。 後にハマスを創設するアーマド・ヤシンもムスリム同胞団の一員であり、1960年代の後半、イスラエルはPLOのヤシル・アラファト議長に対抗させる人物として目をつけている。そうした流れの中、ヤシンは1976年にイスラム協会を設置、イスラエルは「人道的団体」として承認した。ハマスが作られたのは1987年のことだ。
2012.10.12
今月15日に予定されていたウラジミール・プーチン露大統領のトルコ訪問は延期になった。トルコ空軍のF-16戦闘機がシリアの旅客機をアンカラへ強制着陸させたのだが、その中に17名のロシア人が乗っていた影響。ロシア政府は抗議の意味で訪問延期を決定したようだ。着陸した後で乗り込んできた覆面をした集団に4名が殴られ、トルコ側が作成した事実に反する書類に署名を強制されたともいう。 今週、ロシアを訪問したイラクのノウリ・アル・マリキ首相は、シリアの反政府軍へ武器を供給するとシリア国民を悲惨な状況に追い込むと発言している。イスラム世界の中からトルコ政府を批判する声が挙がったわけだ。今後、シリア情勢についてもロシア政府と話し合うとしている。 ロシアにはイラクの前にシリアやイランの代表団が訪問、ロシア政府はエジプトやサウジアラビアとの関係を強めようとしている。そしてプーチンのトルコ訪問も計画されていた。中東/北アフリカ情勢はロシアを中心に回り始めていたのである。 シリアの旅客機をトルコ政府の独断で強制着陸させたと考える人は多くないだろう。アメリカ政府の承認があった可能性が高い。今回の出来事はアメリカ政府のロシア政府に対する牽制という意味もあるだろう。 シリアの旅客機はモスクワからダマスカスへ向かっていた。この航空機が武器を運んでいるという情報に基づいてのことだというが、ロシア政府はそうした事実はないと主張、強制着陸させた事情を説明するように求めている。ロシア大使館が派遣したスタッフや医師がロシア人乗客に会うことをトルコの当局者が阻止したことにも抗議している。 トルコ政府の論理を使えば、誰かが流した「情報」に基づき、いかなる国の民間旅客機でも強制着陸させることができることになる。少なくともトルコ政府はこれからもシリアの旅客機に対して戦闘機を迎撃に向かわせると語っている。シリア領空はトルコの航空機にとって安全ではなくなったともトルコの外相は語っているが、その原因を作ったのはトルコ政府にほかならない。 トルコもアメリカやイギリスと同じように嘘をつき続けている国だが、たとえ今回、ロシア政府が弾薬を積み込んでいたとしても、問題点に変化はない。 また、ロシアの当局者は、旅客機の離陸時にトルコ政府が主張するような貨物は搭載されていなかったと主張、またロシア政府が民間の旅客機で武器を輸送するのは不自然だとする意見もある。このケースも詳しい調査が必要なようだ。 シリアの体制転覆をネオコン(新保守、アメリカの親イスラエル派)が計画したのは遅くとも1990年代の初頭。ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は、シリアを「掃除」の対象国に含めていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターや国防総省の本部庁舎が攻撃されて数週間後、ジョージ・W・ブッシュ政権は攻撃予定国リストを作成、その中にはシリアの名前も記載されていたともいう。 また、ニューヨーカー誌の2007年3月5日号には、アメリカ政府がシリアやイランに対する秘密工作を始めたとするシーモア・ハーシュの記事が載っている。この記事が掲載されるころからアメリカ政府がシリアの反政府勢力を育成、支援していることはウィキリークスの公表した文書でも確認できる。つまり、ブッシュ・ジュニア政権はシリアへの軍事介入も始めた。 トルコも昨年春にはシリアへの軍事介入に加わった。隣国ということで、シリアの体制転覆を目的とするプロジェクトの拠点になり、米空軍インシルリク基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員がFSA(反シリア政府軍)を訓練している。 今年6月にはトルコ軍の偵察機F-4がシリア領内で撃墜された。トルコのアフメト・ダブトオール外相は自国のF-4ファントム戦闘機がシリアの領空を「間違って」侵犯したものの、すぐに外に出て、撃墜されたのはシリアから13海里(約24キロメートル)の沖、つまり国際法が定める領空の範囲12海里(約22キロメートル)の外だとしていている。 しかし、トルコ政府の説明に従うと、F-4はシリアの領海を出てから少なくとも200キロメートル以上は飛行していることになる。領空を侵犯した後、トルコ軍機は領空のすぐ外をグルグル回っていたのか、戻ってきたのか、ということになる。 これに対し、2機のF-4が低空でシリア領内に侵入してきたので、そのうち1機を海岸線から約1キロメートルの地点で機銃を使い、撃ち落としたとシリア政府は説明している。説得力のあるのはシリア政府の説明。 今月3日には、シリア領内からの砲撃でトルコのアクジャカレで住民5人が死亡したのだが、この砲撃をシリア軍によるものだと断定したトルコ政府は「報復」を始め、NATOのアナス・フォー・ラスムセン事務総長は、シリア軍の攻撃からトルコを守る用意ができていると発言している。 ところが、この砲撃はFSA(反シリア政府軍)によるものだとドイツのテレビ局ZDFやトルコのユルト紙が報道、トルコ政府にとっては良くない雰囲気になりつつあった。しかもトルコ国内では反戦デモも始まっている。トルコ政府としては危機をエスカレートさせるしかない状況だ。
2012.10.11
イラクのノウリ・アル・マリキ首相はロシアを訪問している。その最中、9日にイラクがロシアから42億ドルの武器を購入するという発表があった。購入リストの中にはMi-28攻撃型ヘリコプターや地対空ミサイル・システムのパーンツィリ-S1も含まれ、Mig-29戦闘機などの商談も進んでいるようだ。 アメリカを中心とする軍隊がアフガニスタンやイラクを軍事侵攻した後、この地域に対するBRICSの影響力が強まっているとも言われていたが、今回の商談成立は、こうした情報が正しかったことを証明している。 アフリカ諸国も中国をはじめとするBRICSに接近していたのだが、その中心的な存在だったリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制がNATO/湾岸産油国/アル・カイダの連合軍によって倒されてしまった。が、軍事力でアフリカ諸国を支配できるとは言い切れない。 アメリカ主導の軍隊が2003年にイラクを軍事侵攻して以来、アメリカは60億ドルの兵器をイラクへ売っているとはいうものの、ロシアとイラクとの契約は大きな意味を持っている。イラクが対米従属の道を歩まないと宣言したに等しいからである。 ネオコン(新保守、アメリカの親イスラエル派)の戦略では、軍事力で世界を屈服させて「唯一の超大国」として立場を維持、強化することになっていた。そうした流れの中でアフガニスタンやイラクを先制攻撃、今ではリビアに続いてシリアを攻撃、アフリカでも動き、イランを恫喝している。 シリアの体制を転覆させようと必死なトルコは最近、シリアの軍事施設を「報復」だと称して砲撃しているが、シリアへの軍事介入を始めたのは昨年の春から。トルコ領内にある米空軍インシルリク基地では、アメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員を教官として、FSA(反シリア政府軍)の将兵が訓練を受けている。 FSAは軍事訓練を受けているだけでなく、NATOや湾岸産油国から資金や武器を提供され、シリア軍の動向に関する情報も知らされ、トルコに軍事拠点を作ることも許されてきた。レバノンやヨルダンの北部にもFSAの拠点がある。 こうしたシリアに対する攻撃をイラクのマリキ首相は反対、NATOは手を引くように求めていると伝えられている。NATOの加盟国であるトルコはシリアを砲撃していうが、本格的な軍事衝突になればNATO軍が参戦することになる。そうした展開にしようとしているトルコをマリキ首相は批判している。 イラクの前にはシリアやイランの代表団がロシアを訪問、ロシア政府はエジプトやサウジアラビアとの関係を強めようとしている。圧倒的な武力で中東/北アフリカを制圧するはずだったアメリカだが、現在、この地域ではBRICSの影響力が強まっている。そうした意味でも、アメリカは軍隊や傭兵を引き上げることができない。 1980年代からイスラエルやネオコンはイラクを中東支配の要石だと認識、サダム・フセイン体制を倒そうと計画、ジョージ・W・ブッシュ政権の力でこの目標は達成した。トルコ、イラク、ヨルダンを結ぶ「親イスラエル帯」を完成させたはずだったが、イラン、イラク、シリアの「自立国家帯」ができそうな雲行きで、イスラエルの思惑は崩れ去ろうとしている。シリアとレバノンをどうしても制圧したいところだろう。そうした中、アメリカはヨルダンに150名以上の部隊を秘密裏に派遣、FSAはレバノンに戦線を拡大すると恫喝している。
2012.10.10
トルコ軍はシリアに対する砲撃を続けている。今月3日、シリア領内からトルコのアクジャカレに砲弾が2度にわたって飛来して住民5人が死亡したのだが、この砲撃をシリア軍によるものだと断定したトルコ政府は「報復」を始め、NATOのアナス・フォー・ラスムセン事務総長は、シリア軍の攻撃からトルコを守る用意ができていると発言している。 しかし、3日のアクジャカレに対する砲撃はFSA(反シリア政府軍)によるものだとする情報もある。例えばドイツのテレビ局ZDFがそう伝えているほか、トルコのユルト紙も攻撃は、FSAがNATOの使っている迫撃砲を使って実行したとしているようだ。外国の軍隊を介入させるための口実作りということである。こうした情報が流れる中、トルコでは反戦デモも始まった。 FSAは昨年春からトルコ領内にある米空軍インシルリク基地で訓練を受けてきた。教官はアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員だと言われている。 そのFSAには多くの傭兵が参加していると言われてきたが、ジョージタウン大学のハイララー・ダウド教授によると、反政府軍のうちシリア人が占める割合は5%にすぎず、残りの95パーセントは外国人傭兵だとしている。傭兵の中にはアル・カイダ系武装集団の戦闘員も含まれている。 リビアでもNATOは湾岸産油国と手を組み、アル・カイダ系武装集団を利用して体制を転覆させた。その直後からそうした戦闘員がシリアへ移動、一緒に武器も運ばれている。この輸送にもNATOは協力、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 NATOからFSAに渡った武器には、ロシア製の対戦車ミサイル、9K115-2メティスMや9M133コーネットを含む武器をアメリカ政府はサウジアラビアやカタール経由で反政府軍に供給、トルコはIED(路肩爆弾)の使い方をシリアの反政府軍に訓練しているとも言われてきた。最近も、サウジアラビアからシリアの反政府軍へ武器が渡っているとする報道があった。 ところで、NATOはソ連軍の侵攻に備えるという名目で1949年に創設されている。このときの参加国はアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルク。 しかし、この当時、ソ連が西ヨーロッパへ攻め込む可能性はきわめて小さかった。ドイツとの戦闘で2000万人以上の国民が殺され、工業地帯の3分の2が破壊され、軍隊も惨憺たる状態だったのである。 むしろ、攻撃的だったのはイギリス。ドイツが降伏した直後、ウィンストン・チャーチル英首相は数十万人の米英両軍と再武装させたドイツ軍10万人でソ連を奇襲攻撃する「アンシンカブル作戦」の作成を命じているのだ。 この計画は軍の反対で実行されなかったが、チャーチルの意志はその後も変化していない。1946年に彼は「鉄のカーテン」という表現を使い、冷戦の到来を予言したと言う人がいるようだが、予言したわけではない。第2次世界大戦が終わる前からソ連と戦争する腹だったのである。 アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領はチャーチルと違い、反ファシストでソ連と友好的な関係を築こうとしていたが、1945年4月、「アンシンカブル作戦」の作成をチャーチルが命じる1カ月ほど前、執務中に急死している。ルーズベルトの死後、アメリカではニュー・ディール派に替わり、反コミュニスト/親ファシストの勢力が台頭する。 アメリカとイギリスが中心になって作られたNATOには、アングロサクソンによるヨーロッパ支配という役割がある。1991年、ソ連の消滅に合わせ、フランスのフランソワ・ミッテラン大統領とドイツのヘルムート・コール首相は「ユーロ軍」を創設しようとしたのだが、この計画にはアメリカが猛反発、実現しなかった。
2012.10.10
尖閣諸島の領土問題は世界で注目されるようになった。9月19日付けのニューヨーク・タイムズ紙もこの問題を取り上げているのだが、中国側の見方に近い。日本の立場は悪くなっている。 日本の外務省が日本領だとする根拠のひとつ、「北京の地図出版社発行の『世界地図集』(1958)」についても、国境は「第2日中戦争(1937年から1945年)」の前に編集された地図に基づくという奥付けについて触れていないと記事の中で批判されている。 日本政府は1895年1月に尖閣諸島を日本の領土にすることを閣議決定したとしているのだが、その前年から日本と中国(清)は戦争状態に入っている。翌年の3月に日本が勝利し、4月に講和条約が結ばれた。しかも、この閣議決定は官報に掲載されていない。つまり、この決定を少なくとも正式には公表していない。 また、日本がポツダム宣言を受け入れ、自動的にカイロ宣言にも拘束されている事実を日本政府は無視している。それだけでも旗色は悪い。アメリカ主導で作成されたサンフランシスコ講和条約を根拠にするのは弱すぎる。日本にとって戦後の出発点はポツダム宣言なのである。この辺の事実関係は『日本の国境問題』(孫崎享著、ちくま新書)に詳しく書かれている。 田中角栄政権の時代に「棚上げ」になり、日本が占有する形で推移してきた尖閣諸島の領土問題に火をつけ、燃え上がらせたのは3人の政治家。つまり前原誠司、石原伸晃、そして石原慎太郎だ。 2010年9月、尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、その際に漁船が巡視船に衝突してきたとして船長を逮捕したが、この逮捕劇の責任者は国土交通大臣だった前原誠司。 昨年12月12日には石原伸晃が「ハドソン研究所」で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすべきだと発言し、今年4月には伸晃の父親である石原慎太郎が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで講演、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示した。石原慎太郎の発言が中国で広がった反日運動の直接的な原因だ。 ハドソン研究所もヘリテージ財団もネオコン系の団体。石原慎太郎はCSIS(戦略国際問題研究所)の日本部長だったウィリアム・ブリアと親しいのだというが、この団体と親しいというようなことを口にする政治家の神経を疑う。 CSISは1962年、ジョージタウン大学の付属機関として創設されたが、後にCIAとの緊密な関係が知られるようになり、1987年に大学はCSISとの関係を解消した。関係が完全に切れたのかどうかは不明だが、少なくとも対外的には関係がなくなったとされている。 ネオコン(新保守、アメリカの親イスラエル派)の大物、マイケル・リディーンもCSISを活動の拠点としてきたが、この人物はJINSA(国家安全保障問題ユダヤ研究所)の設立者でもあり、アメリカよりもイスラエルに近いと言われている。そうした類の人間も所属してきた。 石原は中国を敵視、幼稚園児なみの悪口を言い続けているが、1990年代初頭、つまりソ連が消滅してからネオコンは中国脅威論を叫んでいる。こうした主張の中心にいるのが国防総省のシンクタンク、ONAのアンドリュー・マーシャル。 幼稚園なみの悪口を言うだけでなく、石原は核兵器を持ちたがっている。石原に言わせると、外交力とは核兵器なのであり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さないだろうと主張、佐藤栄作内閣の時に計画された核兵器開発を続けるべきだったという趣旨のことをインディペンデンス紙に語っている。気の小さい人間がナイフを持ち歩きたがるのと似た精神構造と言えるだろう。 この発言が掲載されたのは2011年3月8日付けの紙面。巨大地震で東電の福島第一原発が「過酷事故」を起こす3日前のことだ。そして事故から3日後、石原は地震を「天罰」だと表現した。「日本人のアイデンティティーは我欲」であり、その「我欲を1回洗い落とす必要がある」というのだが、我欲に支配されているのは公私を混同している石原自身である。思わず、自分の正体を曝してしまったのだろう。 大量の放射性物質を太平洋に向かって放出し続けている福島第一原発。こうした原発を動かしている電力会社が兵器級のプルトニウムを隠しているとする報告書が今年4月に発表された。日本が保有する兵器級プルトニウムは70トンに及ぶというのだ。 執筆者のジョセフ・トレントはCIAの上層部にパイプを持つ調査ジャーナリスト。情報の信憑性をチェックせず、ダイレクトに流す傾向があるので注意が必要だが、CIAの幹部が流したがっている情報を知ることはできる。 実際、日本政府は核兵器の開発を試みていたわけで、1980年代からアメリカ支配層の下で開発を進めているとは噂されていた。筆者が個人的に知っているアメリカの元情報機関員も日本が核兵器を開発していると断言していた。石原慎太郎はこうした話を知っていたのだろうか?
2012.10.08
トルコがシリア領内への砲撃を続けている。シリアの砲撃に対する「報復」だとする報道が氾濫しているのだが、そもそも最初にアクジャカレを誰が砲撃したかは明確になっていない。司令部をトルコ側からシリア領内へ移動させたというFSA(反政府軍)がシリア軍を装って実行した可能性もあるのだ。 報復だと称し、トルコ軍はシリアの軍事施設を攻撃している。これまでトルコ政府に守られつつシリアを攻撃してきたFSAだが、シリア領内へ入れば攻撃される可能性がある。支配地を確保するまでトルコ軍にシリア軍を牽制してもらえればありがたいだろう。 シリア軍がトルコ側を本格的に攻撃すればトルコ軍が軍事侵攻する口実になり、NATO軍も戦争に引きずり込まれる。そうなればリビアと同じような展開になり、軍事的に体制を転覆させることができる。これまで公然と軍事侵攻を主張していたカタールだけでなく、トルコ、アメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビアなどバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしている国々にとっても悪い展開ではない。 アメリカのブルッキングス研究所が今年3月に発表したメモには、イスラエルがシリア南部のゴラン高原近くに軍隊を移動させ、トルコがシリア北部の国境近くへ軍隊を動かして攻撃を臭わせれば、シリア政府を揺さぶることができると提案している。実際、イスラエルは9月にゴラン高原で突然、軍事演習を行い、北では今回の砲撃と部隊の集結。筋書き通りの展開にも見える。 現在、シリアは戦乱で悲惨な状態になっている。そうした状況を作る青写真を1990年代初頭に描いたのはアメリカの新保守(ネオコン、親イスラエル派)であり、2001年9月11日から程なくしてイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃するという計画をジョージ・W・ブッシュ米政権は作り上げていた。 ニューヨーカー誌の2007年3月5日号に掲載されたシーモア・ハーシュの記事には、アメリカ政府がシリアやイランに対する秘密工作を始めたと書かれていて、アル・カイダに繋がる勢力との協力関係も指摘されている。 こうした流れを見るだけでも、NATOや湾岸産油国は「アラブの春」を支援するために軍事介入しているという話の胡散臭さがわかるだろう。本ブログでは何度も書いていることだが、実際、「西側」のメディアが嘘をつき続けてきたことも明らかになっている。戦乱を拡大するために旗を振っているのである。 大手マスコミはなぜ事実を伝えようとしないのか、などと嘆くつもりはない。マスコミとはビジネスにすぎない。カネ儲けという点で、購読料よりも広告収入が大きな比重を占めている以上、広告主に擦り寄るのは必然。コストを考えれば、支配層と手を組んでプロパガンダに徹するのは当たり前であり、マスコミに何かを期待すること自体が間違いなのである。
2012.10.07
予想されていたことだが、中国での日本車販売台数が激減している。9月の販売台数を前年同月と比較すると、トヨタは約40%減、マツダと日産は約35%減、三菱自動車や富士重工は60%以上の減少になるようだ。自動車の販売台数は明確な数字で出てくるが、日本経済への影響は販売面だけに留まらない。企業の存続に関わる部分がダメージを受ける可能性がある。 現在、世界の経済はBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)をはじめとする国々を中心に動いている。政治や経済で欧米から自立しようとしていたアフリカではBRICSとの関係を深めてきた。その中心的な存在がリビアだった。 アメリカ、イギリス、フランスといった国々は湾岸産油国と手を組み、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を武力で倒すことには成功したが、アフガニスタンやイラクではBRICSの影響力が増している。 BRICSの一角、中国が日本との関係を深めることはアメリカの支配層にとって好ましいことではなく、この姿勢はリチャード・ニクソン政権から変化していない。中国と友好関係を築いた田中角栄の失脚を偶然だと考えるのはナイーブすぎる。 現在、中国はアメリカにとっても重要な存在になっている。債券を買ってくれるというだけでなく、中国なしに生産活動は難しくなっているのだ。例えばアメリカのコンピュータ会社アップルは、ハードの生産を台湾/中国の会社に委託している。 そうした体制を採用した最大の理由は技術力の問題。熟練した労働者やエンジニアの存在、生産の柔軟性といった面でアメリカは中国に太刀打ちできないのだという。 日本の大企業も優秀な労働者、技術者、研究者を確保することが難しくなっている。いや、そうした労働者、技術者、研究者を育成、確保してこなかったツケが回ってきたと言うべきだろう。目前のカネ儲けに現を抜かし、日本社会を破壊してきた経営者。今度は自分たちが経営する企業の存続を危うくさせているのである。 現場の声を聞くと、昔から日本の経営者は革新的な技術の開発には消極的で、既存の技術を改良、低価格で売るという方針を崩そうとしていない。2周先を回っているアメリカを追いかけていた1960年代までなら1周先の技術を教えてもらうことができたのだが、技術水準の近づいた今では無理。その結果、日本を追いかけてきた国々の会社と価格競争を強いられ、負けることになる。 しかも、最近では既存の技術を改良する力も衰えてきた。1990年代から日本では優秀な中小企業を潰し、非正規社員を増やしたことで生産現場の技術力がなくなっているのである。そうした状況へ日本を導いた主因は銀行の救済と円高。 相場操縦と時価ファイナンス(増資や転換社債など)で低コストの資金を調達する仕組みを1970年代の後半から日本は築いていたが、アメリカの反撃が1980年代の半ばに本格化する。日本にとって大きな転換点になったのが1985年9月のプラザ合意だろう。その直前は1ドル240円程度だったレートが1年後には1ドル150円台へ、そして今では80円を切る水準になっている。 1988年になると、BIS(国際決済銀行)から逆風が吹いてくる。銀行の保有する信用リスクが問題になり、8%相当の自己資本を保有することが定められたのである。日本の場合は1992年から本格的に適用されるのだが、追い打ちをかけたのが1990年に始まった株式相場の暴落。銀行は資金の回収に走り、優良な中小企業は「貸しはがし」の対象になって倒産していく。 日本を攻撃しているアメリカだが、この国の衰退も著しい。その象徴的な現象が公教育の破壊。富の集中にともなって貧富の差が拡大、貧困層が住む地域では教育が崩壊、少しでもまともな教育を子どもに受けさせるためには高級住宅街に住む必要があり、その経済的な負担に耐えられず自己破産する人も少なくない。有名私立などへ通わせることができるのは富裕層に限られる。 そのアメリカを追いかけている日本でも公教育は崩壊しつつある。1996年に第1回目の会合が開かれたCSISの「日米21世紀委員会」は98年に報告書を発表、その中で小さく権力が集中しない政府(巨大資本に権力が集中する国)、均一タイプの税金導入(累進課税を否定、消費税の依存度を高めることになる)、そして教育の全面的な規制緩和と自由化(公教育の破壊)を謳っていた。 2000年に設置された教育改革国民会議で議長を務めていた江崎玲於奈に言わせると、「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になって」いくのだそうだ。また、教育課程審議会の会長を務めた作家の三浦朱門は「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」と語っている。(斎藤貴男著『機会不平等』)いずれもナチスの優生思想を連想させる。 もっとも、ナチスが優生思想を考えついたわけではない。例えば、古代ギリシャの哲学者、プラトンもそうした考え方をしていたひとりと考えられている。彼は『国家』の中で、「最もすぐれた男たちは最もすぐれた女たちと、できるだけしばしば交わらなければならないし、最も劣った男たちと最も劣った女たちは、その逆でなければならない。」としている。 プラトンは15世紀、ルネサンスの時代に復活し、その哲学はゾロアスター教と結びつけて理解された。ちなみに、19世紀に活躍したドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェは『ツァラツストラはかく語りき』を書いているが、ゾロアスターのドイツ語風の読み方がツァラツストラである。 1970年代、ジェラルド・フォード政権の時代に台頭した新保守(ネオコン、親イスラエル派)の思想的な支柱、レオ・ストラウスはプラトンを研究していた学者。その思想は一種の「エリート独裁主義」で、カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、彼は「ユダヤ系ナチ」だ。 ともかく、日本では「ゆとり教育」という名目でエリート教育を始めた。共通一次やセンター試験の悪影響も指摘されているが、「ゆとり教育」も悪い結果をもたらした。その結果、大手製造会社の研究者やエンジニアは異口同音に「最近の新入社員は使えない」と言う。入試では最難関に分類されている大学でも優秀な卒業生は一握りで、中国やインドでの採用を増やすという声もよく聞く。 ところが、前原某と石原親子が尖閣諸島の領土問題に火をつけ、中国との関係を極度に悪化させた。その影響は小さくない。工場を東南アジアへ移せば良いという問題ではないのだ。前原某と石原親子はどのように始末をつけるつもりなのだろうか?
2012.10.06
3日にトルコ領内を砲撃、住民5名を死亡させたのはFSA(反シリア政府軍)だとドイツのテレビ局ZDFが伝え、話題になっている。砲撃についてシリア政府も調査中だと主張しているようで、シリア軍による砲撃だと今の段階で断定することはできない。真偽は不明だが、FSAから流出したとする映像もインターネット上で流れている。 シリアへ砲撃を続けながら、シリアとの戦争を望んでいないとトルコ政府は宣伝しているようだが、これは笑止千万。トルコは昨年春からシリアに軍事介入している。トルコ領内にある米空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員がFSA(シリア自由軍)を訓練、トルコ政府はシリアを攻撃する拠点も提供してきたのだ。特殊部隊をシリア領内に送り込んでいるという推測も流れている。 トルコ政府の発言は信用できないということも否定できない。例えば、今年6月にトルコ軍の偵察機F-4がシリア領内で撃墜されたが、この件でもトルコ政府は嘘をついていた可能性が高い。トルコ側の主張には矛盾、不自然な点があるのだ。 この撃墜について、トルコのアフメト・ダブトオール外相は自国のF4ファントム戦闘機がシリアの領空を「間違って」侵犯したもののすぐ外に出て、撃墜されたのはシリアから13海里(約24キロメートル)の沖、つまり国際法が定める領空の範囲12海里(約22キロメートル)の外だとしていた。 撃墜は領海を出てから15分後だとしているのだが、F-4のトップ・スピードはマッハ2.23(時速2370キロメートル)、巡航スピードは時速940キロメートルであり、15分間に飛行する距離はトップ・スピードなら約593キロメートル、巡航スピードなら235キロメートル。トルコ政府の主張が正しいとするならば、領空を侵犯した後、トルコ軍機は領空のすぐ外をグルグル回っていたということになる。しかも、海面に漂っていたはずの残骸を回収していない。 これに対してシリア側は違った説明をしている。2機のF-4が低空でシリア領内に侵入してきたので、そのうち1機を海岸線から約1キロメートルの地点で機銃を使い、撃ち落としたというのだ。この説明の方が説得力がある。 昨年春以来、シリアの体制を転覆させる作戦を外国勢力は展開して生きた。アメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、カタールといった国々だ。戦闘員としてアル・カイダ系の武装集団を含む傭兵も利用されているのだが、未だに体制は倒れていない。国民が離反していれば、体制は崩壊しているはず。国民の多くは外国から侵略されていると認識しているのだろう。 トルコからシリアへの砲撃はFSAの軍事作戦を支援することにもなるが、少しでも早くシリアの体制を倒すためにはNATO軍が直接、軍事介入する必要があると考える人たちがいても不思議ではない。「先制攻撃された」という口実でシリアと戦争を始めれば、NATO全体をシリアの体制転覆に引きずり込める。
2012.10.05
トルコとシリアの国境地域で反シリア政府軍(FSA)が活動、戦闘が続いている。今月3日にはシリア領内からトルコのアクジャカレに砲弾が2度にわたって飛来して住民5人が死亡、トルコ政府はその報復だとして数時間後にシリアを砲撃、翌日も攻撃している。トルコ軍はシリアの軍事施設を狙い、シリア兵が死亡しているようだ。 情報が少ないため、状況はよくわからないのだが、住民が死亡したとしても、今回のトルコ側の反応に違和感を感じる人はいる。トルコの行動はイスラエルに似てきた。 アクジャカレからシリアへ入るあたりの地域はFSAの管理下にあり、トルコからシリアへ武器が運び込まれているようだ。そうしたこともあり、シリア軍は18キロメートル離れた地点から砲撃、過去にもアクジャカレに着弾したことはあったという。レバノンやヨルダンにもシリア軍の砲弾が届いているようだが、レバノンとヨルダンの北部にもFSAの拠点がある。 9月下旬、FSAは司令部をトルコからシリア領内へ移動させると発表している。現在、攻撃拠点を整備しているはずだ。そうした時期に砲撃事件が起こり、シリア軍は国境近くを砲撃できなくなり、FSAは活動しやすい状況。今回の砲撃はシリア領内に展開しているFSAを支援する目的で始めた可能性もある。 そもそも、トルコは昨年春からシリアへの軍事介入に協力してきた。トルコ領内にある米空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員がFSA(シリア自由軍)を訓練、トルコ政府はシリアを攻撃する拠点も提供してきた。つまり、トルコはシリアの主権を侵してきたわけだ。 資金や武器の援助では、サウジアラビアやカタールが窓口になっているようだが、自国の特殊部隊を潜入させたり、通信の傍受など電子的な監視活動も行われていると伝えられている。 以前にも書いたことだが、イスラエルではイギリスとカタールの特殊部隊がシリアへ潜入していると報道され、民間情報会社ストラトフォーの電子メールには、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っているという推測が書かれている。 電子的な情報活動はドイツとイギリス。ビルト紙の日曜版、ビルト・アム・ゾンタークはドイツの情報機関がシリア軍の動きを追いかけていると報道、サンデー・タイムズ紙はイギリスの情報機関がシリア軍の動向を監視していると伝えている。ドイツはシリア沖に浮かべた船から監視、海岸線から内陸に向かって600キロメートルのあたりまでをカバーしているという。イギリスはキプロスに中東/北アフリカを監視するための基地があり、今回もそこが動いているようだ。 トルコはイスラム国でありながら、NATOに加盟している。もし、トルコの挑発にシリアが乗って戦争になったなら、NATO軍が参戦することになる可能性が高い。反シリア政府軍、要するにアル・カイダ系武装集団を含む傭兵だが、彼らが望んでいること。アメリカの現政権は微妙だが、イギリス、フランス、サウジアラビア、カタールといった国々もシリアへ軍事侵攻するチャンスを待っている。アメリカにしても、新保守(ネオコン、親イスラエル派)はイランと同様、シリアを攻撃したがっている。 トルコ議会はシリア領内でトルコ軍が軍事作戦を展開することを承認した。すでに軍事介入しているのだが、トルコ軍が軍事侵攻することを認めたと言える。NATO軍の直接介入に道が開けたわけだが、その道は非常に危険な方向へ向かっている。
2012.10.04
バーレンでは昨年2月4日から民主化を求める運動が始まり、約90名の市民が殺され、負傷者は2900名以上と言われているが、実際のところは不明だ。こうした弾圧の実態を知ることができるは医療関係者だが、バーレーン政府はそうした人びとを逮捕、刑務所へ送り込んでいる。 リビアやシリアのケースとは違い、バーレーンでは外部から武器が大量に流入しているわけでも傭兵が流れ込んでいるわけでもない。外国が軍事介入しているのではなく、国民が民主化を求めているのである。 こうしたバーレーンでの弾圧の実態をCNNのチームが昨年3月の終わりから取材していたのだが、彼らも覆面をした重武装の兵士20名に拘束され、カメラは没収、写真や映像は消され、6時間にわたって尋問されたという。その際、銃を突きつけられたともしている。その翌朝に出た新聞にはこの出来事も載っていたが、全くの作り話だったようだ。 この体験でCNNの取材チームはバーレーン政府の民主化弾圧とプロパガンダを知ることができ、番組にはそうした体験が反映させることになった。番組は6月にはアメリカ国内向けに放送されている。が、放送はそれ1回きり。国際放送はされなかった。しかも今年3月、チームの中心だったアンバー・リオンはCNNを解雇されてしまう。取材でインタビューした人びとは逮捕されたり行方不明になっているようだ。そのひとりがナビール・ラジャブ。懲役3年を言い渡されている。 1998年6月、CNNは「死の谷」という番組を放送した。その中で1970年にアメリカの特殊部隊がラオスで毒ガスのサリンを使用したと主張したのだが、軍などからの猛烈な圧力もあってCNNは謝罪、報道内容を全面否定してしまった。 この報道はエイプリル・オリバーとジャック・スミスが中心になって取材、オリバーは筆者に対しても内容には自信があると語っていた。CNNは放送で使用しなかった証拠、証言も保管しているのだが、それを隠しているともしていた。CNN幹部の主張とオリバーらの主張を比較すると、説得力があるのはオリバー側。 ちなみに、その翌年、アメリカ陸軍の第4心理作戦グループが2週間ほどCNNの本部で放送の仕事をしている。「死の谷」をめぐる対立以降、CNNはアメリカ軍と緊密な関係になったようだ。 ところで、バーレーンで民主化を求める運動が始まってから10日後のデモには6000人が参加、その日の夜にひとりが警官にショットガンで射殺されている。翌日、犠牲者の葬儀があったのだが、その参列者が7名の警官に襲われてひとりが殺された。この出来事が人びとの怒りに火をつけることになった。 16日から17日にかけての深夜、真珠ロータリーには約1500名がテントを持ち込んで留まっていたのだが、1000名の警官隊が派遣され、午前3時になると棍棒、盾、閃光弾、催涙ガス、ショットガンを使って排除に乗り出した。その際に3名が殺され、負傷者は231名に達し、70名が行方不明になったとも言われている。その後、警察官は抗議活動の参加者だけでなく、会葬者、ジャーナリスト、そして負傷者を救急車へ乗せようとしていた医療関係者も銃撃するようになった。 こうした弾圧にもかかわらず、民主化を求める人びとの抗議活動は大きくなり、21日の抗議集会には30万人が集まったとも言われている。バーレーンの人口は100万人前後だと推計されているので、この参加者数は驚異的である。そして22日、10万人以上が反政府デモを行い、3月に入ると金融の中心街で座り込みが試みられている。 バーレーンはオフショア市場のネットワークに組み込まれ、ロンドンを中心とする地下経済で重要な役割を演じてきた。その国の金融街で民主化を要求する抗議活動が展開されるということは金融資本だけでなく、多国籍企業や富裕層にとって由々しき事態だろう。 こうした事態の中、3月13日にサウジアラビア軍が部隊をバーレーンに派遣して民主化運動を軍事力で弾圧、15日はバーレーン政府が非常事態を宣言した。当初、サウジアラビア軍は約1000名の部隊を送り込んだとされたが、後に4000名程度と伝えられている。その際、装甲車を150両、軽装甲車を50両、持ち込んだようだ。そのほか、アラブ首長国連邦は警察官500名を派遣したという。 5月になると、約50名の医師や看護師が逮捕された。抗議活動に参加して殺されたり死刑判決を受けた人もいるが、負傷者の人数も多い。こうした負傷者を治療した人びとを狙い撃ちしているわけだ。 民主化運動の参加者を治療したことに対する報復ということもあるだろうが、それだけでなく、傷の状態を見ている証人であり、弾圧の実態が外に漏れることを恐れているという側面もあるだろう。 今月11日には9名の医師に対する上告審の判決があり、有罪が言い渡された。懲役5年になる可能性がある。別の医師2名は上告せず懲役15年が確定しているが、このふたりは行方不明のようだ。 現在、バーレーンを支配しているアル・ハリファ家はイラク南部にある港町、ウンム・カスルの出身。1797年にバーレーンへ移住してきた。ウンム・カスルではキャラバンを襲ったり海賊行為で稼いでいたようだ。 1820年、ハリファ一族はイギリスからバーレーンに支配者として認められた。第2次世界大戦後、1971年にバーレーンは独立したが、イギリスとの関係は今でも続き、アメリカ第5艦隊の母港にもなっている。
2012.10.03
国連総会での演説で、シリアのワリド・アル・モアレム外相は安全保障理事会には「テロリズム」を支援している国が存在していると非難した。昨年の春からアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、カタール、サウジアラビアなどの国々がシリアの反政府軍を支援していることは本ブログで何度も書いたこと。反政府軍へは対空ミサイルや対戦車ミサイルも提供されている。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、アメリカのネオコン(新保守/親イスラエル派)は、1990年代の初頭から旧ソ連圏の国々、シリア、イラン、イラクを掃除するとポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は話していたという。クラーク大将はこの当時、ユーゴスラビア破壊プロジェクトに参加していたので、仲間と考えて本心を語ったのかもしれない。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州の国防総省本庁舎が攻撃された直後、ジョージ・W・ブッシュ政権はアフガニスタンに続き、イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンへ軍事侵攻することを決めていたともクラーク大将は語っている。 シリアの場合、アメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員がトルコ領内にある米空軍インシルリク基地でFSA(シリア自由軍)を訓練、サウジアラビアやカタールは公然とシリアの反政府軍への軍事支援を語っている。 アメリカ政府は武器を湾岸産油国経由で提供、イギリス、カタール、アメリカ、フランス、ヨルダン、トルコなどの国々は自国の特殊部隊をシリアへ潜入させているとも推測されている。 シリアと同じようにブッシュ・ジュニア政権が攻撃リストに載せていたリビアでは、アル・カイダ系武装集団のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)が地上軍の主力だった。リビアでムアンマル・アル・カダフィ体制を倒した後、こうした武装集団はシリアへ移動している。その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 そして今、アメリカ政府はシリアの反政府軍、実態はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルなどに雇われた武装勢力に対し、新たに4500万ドルを提供すると報道されている。 ジョージタウン大学のハイララー・ダウド教授によると、反政府軍のうちシリア人が占める割合は5%にすぎず、残りの95パーセントは外国人傭兵だとしている。アル・カイダを傭兵と考えているのだろうが、こうした見方をする人は少なくない。傭兵と考えれば、アメリカと手を組んだと思うと、次の瞬間には敵対するという理由も理解しやすい。 この反政府軍傭兵主力説を主張を裏づける証言もある。例えば、反政府軍に拘束されたフリーランスのフォトジャーナリストによると、連れて行かれたキャンプにシリア人は見当たらず、少なくとも6名はロンドンやバーミンガムの地域で使われている発音をしていて、その中には強いロンドン南部訛りのある人物が含まれていたと語っている。 今回も、東方カトリックの修道院長の言葉で閉めたい:「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は、地上の真実と全く違っている。」
2012.10.02
アメリカ海兵隊の輸送機「MV22オスプレイ」が沖縄の普天間飛行場に配備されつつある。オスプレイの安全性が問題になっているが、その前に、飛行場が市街地の中に存在していること自体が大問題なのであり、本来ならアメリカ軍は市街地、いや沖縄から出ていかなければならない。 沖縄をアメリカ軍が占領する始まりは昭和天皇の意志にある。アメリカによる沖縄の軍事占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与(リース)というフィクション」のもとでおこなわれることを求めるという内容のメッセージを1949年9月に天皇は出しているのだ。(豊下楢彦著『安保条約の成立』)中国でコミュニストの勝利が決定的になった時期と重なる。 アジアでコミュニストが勢いを増している中、天皇は日本の民主化を危惧していた。そして1947年5月、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官と会見、新憲法の第9条への不安を口にしていたという。 1948年には天皇やその側近と近い関係にあったアメリカの一部支配層はワシントンDCでACJ(アメリカ対日協議会)を創設している。ジャパン・ロビーの実戦部隊になる組織で、その中心的な存在はジョン・フォスター・ダレスだった。 中国でコミュニスト政権が誕生した翌年、1950年にダレスは国務省の政策顧問に任命されて対日講和を指揮するようになる。この年の4月に大蔵大臣だった池田勇人は秘書官の宮沢喜一を伴って訪米、6月にはダレスが来日して吉田茂と会談、その直後にかの有名な夕食会に出席している。 夕食会はニューズウィーク誌の東京支局長だったコンプトン・パケナムの自宅で開かれたのだが、このパケナムはイギリスの貴族階級出身で、日本の宮中に太いパイプを持っていた。 この夕食会に日本側から参加したメンバーは、大蔵省の渡辺武(元子爵)、宮内省の松平康昌(元公爵、三井)、国家地方警察企画課長の海原治、そして外務省の沢田廉三(三菱)だ。この直後に朝鮮戦争が勃発する。 翌年の1月にもダレスは来日、マッカーサーや吉田茂と会談している。「日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得」することが根本的な問題だとダレスが話したのは、その直前に開かれた使節団のスタッフ会議のことだ。(豊下楢彦著『安保条約の成立』) 吉田茂も当初はアメリカ軍への基地提供に否定的な態度を示し、サンフランシスコ平和会議へも出席したくなかったようだが、1951年7月、天皇に「拝謁」した後に全権団を率いることに同意した。 1951年9月にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が締結され、53年4月には布令109号「土地収用令」が公布/施行され、武装米兵を動員した暴力的な土地接収も行われた。その結果、1955年の段階で「沖縄本島の面積の約13%が軍用地」になる。(中野好夫、新崎盛暉著『沖縄戦後史』) 1956年には比嘉秀平琉球主席が55歳の若さで急死しているのだが、この時期、1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたのが後に統合参謀本部議長となるライマン・レムニッツァー。 彼が議長を務めたのは1960年から62年にかけてだが、そのときに「偽装爆弾テロ」や無人旅客機の自爆を実施、その責任をキューバ政府になすりつけ、キューバへ軍事侵攻する口実にしようとしている。「ノースウッズ作戦」だ。ジョン・F・ケネディ大統領がレムニッツァーの議長再任を拒否した理由のひとつはここにある。(その前にケネディ大統領はアレン・ダレスCIA長官も解任していた。) 野田佳彦首相は沖縄の「負担軽減の観点から、オスプレイの本土への訓練移転を具体的に進める」としているが、本土も人口が密集している。アメリカ軍が設定した訓練ルートは、秋田を中心とするピンク、宮城を中心とするグリーン、新潟を中心とするブルー、四国/紀伊半島のオレンジ、九州のイエロー、そして奄美諸島のパープル。日本の法律を完全に無視する形で訓練は実施される。日本の沖縄化と言える状態だ。
2012.10.01
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