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土曜日にHall&Oatesのライブに行ってきました。80年代にDaryl Hallに恋をして、30年近くファンを続けています。こういう女子、けっこう多いのではないでしょうか。武道館に集まった観客は長年のファンが多いようで、2、30年前に青春を迎えたような人たちが多く、年齢層の高さにビックリ。自分も含めてですけどだから17時開演?H&Oも60歳をとうに超えているので仕方がないのでしょうか?お年寄りタイムのような開演の早さでした。それでも演奏はステキでした。私たちはアリーナの前から4列目だったので、ずっと立ちっぱなし、踊りっぱなし。久しぶりに嬉しくて泣きました。19時には武道館を追い出され、地元の駅について食事をしました。小さなリストランテでしたけど、夫と一緒の夜の外食も久しぶりで楽しかったです。今週は毎日外出してしまいました。ちょっと遊びすぎですね。もうそろそろ自分のお仕事を、するべき事を始めないと。そういえばH&Oのツアー名もDo what you want , be what you are.これは彼らの初期の楽曲のタイトル名なのですが、今になって引っ張り出したのにはワケがあり、今こそがその「時」だってDarylも言っていました。私のことだわ!?と思ってしまう自分は ホントにおめでたいファンですね。(笑)でもそれでよいのです。
2011年02月27日
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昨日は歌のレッスンに参加してきました。月に一度、2時間のレッスン。お腹から声を出すとスッキリします。私よりも一回り以上 年の離れたマダムたちは百戦錬磨で身内や自身の病気、不幸、人生いろいろ体験をしてきているのでお話を聞いていると「いろいろあるのは自分だけじゃない」って思います。みんな同じように平坦ではない道を歩んでいるんだなって感じます。昔は「これだからオバサンは・・・」なんて思ってたけど、人生の経験を積んだ女子ですよ。若いままとどまる人は誰一人としていませんよね。今回は行くのを止めようか迷ったけど行ってよかった。マダムたちに感謝です。夜はポンポンの葬儀屋さんのホームページにメモリアル写真というのがあって、ポンポンがアップされたのを見ました。ポンポンの本名はシロ3といいます。http://www.th-pc.jp/memorial%20photo8.html私が一番好きなポンポンの写真です。見てたらまた泣けてきちゃったけど、同じ時期に虹の橋に行ったお友達が沢山いました。ポンポンもお友達が沢山出来て寂しくないよね。ちょっと安心したよ、ポンポン。
2011年02月24日
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今日は英会話のレッスンでした。大して上達もしないのに、イギリス英語を強要されて面白くないのにどうしてもサボることができません。母のお葬式の翌日もレッスン受けました。そしてポンポンが旅立った翌日にもレッスン行きました。休んで授業に遅れるとかそういう心配はしてません。なぜか英会話のレッスンだけは真面目に通ってしまうのです。不思議ですね。実はレッスン自体よりもレッスン後のお茶タイムが楽しいからかも。ポンポンの時は、クラスメートもちょうど2回目の体外受精に失敗してがっくりと肩を落としていて、二人で「特別ね」ってケーキなど食べて傷を舐めあいました。こういう時間が少しあると、気分転換になって結果的によかったです。家に帰るとポン茶郎が飛んできました。ポン茶郎に出会えてよかった。彼の底抜けな明るさに癒されます。去年のクリスマスの写真ですが。ちょっと3枚目路線で笑えませんか?天国のポンポンへ、ポン茶郎を受け入れてくれてありがとう。大好きだよ。
2011年02月22日
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週末は実家に行きました。とても久しぶりに父に会いました。と言っても3週間ぶりくらい?最後に父と会ったのが先月27日のこと。母の月命日なのでお墓参りして来ました。父の新車に乗って。母が亡くなってから、父は引退を決め込んだのか一時は車を手放してしまったのだけど、やはり車がないと物足りないらしく、元旦に新車を買ったのです。安心しました。そんなに早く引退されたら私たち子供も心配ですからね。母の癌が発覚してから私たち家族はずっと協力体制をとってきました。母が亡くなった後も、週に一回は会っていました。一人になった父の話し相手になることと、私自身も父と会うことで傷を癒しているようなところがありました。でもここ最近はポンポンの調子が悪くなり、父も「今、生きてる者を大切にしなさい」と実家に行くのを止められてました。そんなこんなで久しぶりに夫と二人、実家に遊びに行きました。久しぶりの父はうれしそう。でも花粉症デビューしていました。70歳にして花粉症を発症するとはそういえば母と仲の良かった友人の一人が咳がひどくて精密検査を受けたら肺癌だとわかったそうです。その友人、母のお見舞いにも来てくれ、もちろんお葬式にも。何度も家にお線香を上げにきてくれました。ついこの間まで自転車で近所を闊歩していた人が今ではやせ細って病室に横たわっているのです。父もお見舞いに行ったそうですが、少し話すと苦しくて呼吸困難になるほど弱っている状態で、ショックを受けていました。レントゲンで見ると、肺が真っ白になっているそうです。生きてる者は誰でも死を迎えるけど、それがいつになるかは人それぞれ。やれるうちにやりたいことをしておかないと。手遅れになる前に。こんな考えが私たちの周りに渦巻き始めているのだと思います。父は花粉症デビューの他に、ジーンズもデビューしました。今まで一度も父のジーンズ姿を見たことがない私たちは父の変化に目を疑いました。父は新たに車も買ったし。これからの人生、前向きに生きようとしているようです。友人も多いので、楽しくやっていけると思います。私の夫も少し変わりました。最近 週に一度ジョギングをするようになったのです。毎回10キロ程度走ってます。私のジム用のトレーニングウエアを散々バカにしていたのに今では本格的にトレーニングウエアを着て走ってます。大好きなコーラも止めて、ビタミン剤を常用し始めました。私自身の変化は今のところ ちょっとだけ思うところがある程度のことです。焦りはあるのだけれど、まだ行動に起こすほど元気が出ません。最近笑顔が少ないせいか、ほっぺたが落ちて悲しい顔をしてるのでなんとか外側から変えていかないと。とりあえず最近メチャクチャ増えた白髪を隠したいです。白髪染めデビューから入りましょうか。小さな一歩ずつですけど、前に進んで行くことにします。
2011年02月21日
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ポンポンが天国へ行ってから1週間です。毎日の補液がなくなり、部屋を常に暖かくすることもなくなりました。ポン茶郎はまだ若いので毎日の目薬くらいしか手がかかりません。海が見たいな。そう思って出かけたいけど、週末は雪模様の天気で家にこもりきり。先週の土曜日は結婚記念日で食卓にポンポンとポン茶郎用のご馳走を用意しました。でもやっぱりポンポンのいない記念日は寂しいです。昨日のバレンタインDayには 夫がビールを買ってきてくれました。私にお酒を飲んでほしくないと常日頃言っている夫です、そんな彼が私にビールを5本も(しかも500ml!)わざわざ買ってきてくれたのは本当に珍しい。よほど私の姿が痛々しかったのか・・・でも最近は大好きなビールも美味しいと思えなくて。それでもシルクエビス、夫を喜ばすために飲みました。動物病院から届いた綺麗なお花。天国にいるポンポンを思い浮かべます。ポンポンにはいつも「離れても寂しくないからね、心の中で一緒に生きるよ。」なんて言い聞かせてたのに、それはウソだってわかりました。こんなに寂しくて悲しい思いをしている私はポンポンの親失格です。
2011年02月15日
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2月7日午後9時半ごろ、ポンポンは天国へ行ってしまいました。何度も何度も危機を乗り越えてきたポンポンですが、今回が最後となりました。この日は夫が出張に出かける日で、朝もポンポンにたいした挨拶もなく、「ポンポン行ってくるよ」と頭をなでて出て行きました。数日前から固形物を食べなくなったので、スープ系のフードをあげていました。私がささみのスープを作って口でフーフー冷ましていると、それに反応し、起き上がってスープを飲んでくれたり、トイレも自分で行っていました。亡くなる5時間前のポンポン。暖かいホットカーペットの上でノンビリと寝そべってました。去年母が亡くなるときは間に合わなくて看取ってあげられなかったけど、ポンポンどは出来る限り一緒に居てあげたいと思っていたので、この日も家にこもって一緒にいました。寝そべるポンポンに添い寝していると、ポンポンとの思い出がどんどん出てきて、2002年にポンポンが家出して大捜索したこととか、一緒に過ごした9年間の事をペラペラ話してました。ポンポン、眠らずに聞いてくれましたよ。容態が急変したのは9時18分ころでした。私が歯を磨いてリビングに戻ってきたところ、ポンポンが苦しそうに口をあけて息をしてました。このような発作が起きたのは その日3回目で、今まで一番大きいものでした。ポンポン、私にどこをさすってほしい?どうしてあげたら一番楽になる?必死に話しかけながら背中をなでたり頭をなでたりしました。1回、2回とのたうって3回目体勢を変え、威嚇するときみたいにシャーって3回。次に両手両足をピーンとのばして いきなり脱力しました。驚いて「ポンポン!?」と叫んだらポンポンが上半身だけ身を起こしてまた横たわり、そのまま亡くなってしまいました。10分ほどの出来事でした。慢性腎不全の最後は尿毒症で毒が脳に回ってしまい、ひどい痙攣発作を起こすそうです。ただ神経毒なので、発作のときに本人が苦しいかと言えば、その頃には麻痺というか、意識がない状態で私たちが心配するほど苦しくないのじゃないか、って思いたいですね、と動物病院の先生が言ってました。動物病院の先生もポンポンが2008年6月に発症してから二人三脚で治療に当たっていただきました。こんなに長い間腎不全と戦って頑張ってきたのはポンポンが初めてだそうです。2年8ヶ月の闘病中、毎日毎日補液して本当にポンポン頑張ってくれました。何回も注射を失敗して、ポンポンを痛い目にあわせたり、お薬も無理やり口に入れたりしてきました。2年8ヶ月というよりは、5年くらい闘病してきたように感じています。ポンポンのために旅行を取りやめたり、さまざまな計画がダメになったりしたけど一度も重荷に感じたことはなかったです。ポンポンは大切な家族でしたから。今日は葬儀屋さんが来て、ポンポンと最後のお別れをしました。白くて綺麗な猫ちゃんですね、って葬儀屋さんは言ってくれました。慰めの言葉にいちいち反応してしまい、涙が止まりませんでした。今、ポンポンは天国にいて、痛みも苦しみもない安らかな場所にいるのですよね。先に行った母や、先住猫のトム、ベーベ、そしてジュピターと一緒に遊んでいるかもしれません。ポンポンには「大好きだよ」と、「ありがとう」と伝えました。9年間しか一緒に居られなかったけど幸せでした。
2011年02月09日
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